銀杏BOYZ アコースティックライブツアー2022 「僕たちは世界に帰ることができない☆」 @Zepp DiverCity 3/14
- 2022/03/15
- 19:25
最後にリアルなライブを観たのが2019年の新宿LOFTでのガガガSPとの対バン。その時は峯田和伸の弾き語りという形態だった。
コロナ禍になってからは配信ライブしか行っていなかったのは、客席がぐちゃぐちゃになるようなライブじゃなければ銀杏BOYZのライブじゃない、という意識によるものだと思われるが、それではいつまで経ってもライブができないということもわかってきたのだろう。この世で1番見たかった銀杏BOYZの、クローゼットの奥からバンドTシャツを引っ張り出すくらいに、実に2年ちょっとぶりのライブである。
今回のツアーは全6箇所を回るアコースティック形態でのもので、この日のZepp DiverCityが2公演目。客席には椅子が並んでいる全席指定だが、かつて中野サンプラザでワンマンをやった際には「全席指定のホールでのワンマンなのにダイブが起こる」という意味不明なことを言っていると思われるだろうけれど、実際にそれを目にしているだけに、そうしたファンの過激さ(ヤバさ)も含めてライブをやろうとしなかったのだろうとも思っていた。
18時30分過ぎに場内に流れていたBGMの音量が徐々に大きくなるにつれて場内も暗転していく。するとステージ背面の幕が開き、爆音過ぎるくらいにノイジーな、それこそが銀杏BOYZのライブであるというくらいの音とともに映像が流れる。それはこの日に至るまでの銀杏BOYZの過去のライブの映像だった。峯田和伸は髪型が変わりながらも目をひん剥いて歌い、観客は腕を掲げたりダイブをしたり、思いっきり歌ったり、時には涙を流して峯田の姿に応えている。それこそが自分が今まで見てきた銀杏BOYZのライブだった。その映像はコロナ禍になってから行われた配信ライブの映像で幕を閉じる。その続きがこのツアー、このライブであるかのように。
その映像が終わるといつものジャージ姿でありながらマスクをして、譜面や書籍などを持った峯田がステージに登場。髪がかなり伸びたことによって、マスクをしているとあいみょんのようにすら見えてしまうのだが、そのあいみょんは初めて日本武道館に行ったのが銀杏BOYZが武道館でライブをやった時だと言っていた。そう考えるとこの2人にはどこかシンクロするものがあるのかもしれないと思う。
ステージには楽器とともにそれなりに値段が高そうなタイプのソファータイプの椅子もセッティングされており、そこに腰掛けてアコギを持つと、
「君が泣いてる夢を見たよ」
とアコギを弾きながら歌い始める。まだ2005年に初めてのCDをリリースする前からライブで演奏されていた「人間」。
その歌い始めた姿を見ていて、どんなに峯田がドラマや映画に出るようになって、それを画面越しに見ていても満たされていないことがわかった。もちろんメディアに出ていれば生きていることはわかる。元気であることもわかる。でもやっぱり自分は峯田には銀杏BOYZとしてこうしてステージに立って歌っていて欲しい、その姿が見たかった、その声が聞きたかったという思いが込み上げてきて、この時点ですでに感極まってしまっていたのだが、きっとここにいた人はそういう人ばかりだったんじゃないかと思う。今この状況で聞く
「戦争反対 戦争反対
戦争反対 戦争反対
戦争反対 とりあえず
戦争反対って言ってりゃあいいんだろう」
というフレーズには悲痛なものを感じずにはいられないけれど、それもまたこの曲を1曲目に持ってきた理由なのかもしれない。オープニングで映像が映し出されていたスクリーンには峯田が歌う姿がリアルタイムで映し出されている。
この「人間」を1曲丸々峯田の弾き語りで歌うというのは意外であった。今までのライブでも曲途中でバンドのメンバーが出てきて途中からバンドサウンドに、というのがおなじみの流れだったし、ちゃんとステージにはバンドメンバーの機材もセッティングされているから。
しかしながら峯田はそのまま椅子に座ってアコギをかき鳴らしながら「NO FUTURE NO CRY」を歌い始める。アコースティックライブとはいえ、この曲も弾き語りという形になるとは、と思うのは今までに数え切れないくらいにライブで熱狂の空間を生み出してきた曲だからであるが、こうして峯田が弾き語りという形態ということもあり、観客もみんな自分の席に座って、ただひたすらに峯田が歌う姿を凝視している。コロナ禍になる前は飛び交いまくっていたヤジや歓声も一切ない。それがなんだか銀杏BOYZのライブにいるようでいて、違うライブに来ているかのような不思議な感覚だった。
その「NO FUTURE NO CRY」の
「俺の憂鬱を撃ち抜いて殺してくれ」
というフレーズの後というタイミングで、加藤綾太(ギター)、藤原寛(ベース)、岡山健二(ドラム)、山本幹宗(ギター)というおなじみのメンバーたちが登場。全員椅子に座り、加藤はアコギ、岡山もスティックこそアコースティック編成だからこそのものであるが、しかし思っていた以上に通常のバンドというような感じであることに驚いてしまう。
なので「若者たち」にしても、峯田は椅子に座ってアコギを弾きながら歌うというアコースティックライブならではの形ではあるが、山本のエレキのイントロのフレーズは原曲そのものと言っていいものであるだけに、その部分を聞くだけで何の曲であるのかというのがすぐにわかる。モッシュもダイブも大合唱もないどころか、椅子に座って「若者たち」を聴いているというライブの参加の仕方は全く想像したことすらなかったけれど。
こちらもこれまでのライブでは数え切れないくらいの熱狂を生み出してきた「駆け抜けて性春」であるが、この曲は前半はリズム隊が演奏せずに藤原がシェイカーを振るという、ギターのみのアレンジで演奏されたことにより、凶悪なくらいに轟音ギターノイズに塗れていたこの曲がどこか牧歌的と言っていいようにすら感じる。間奏を経ての
「星降る青い夜さ
どうか どうか声を聞かせて
この街をとびだそうか
つよく つよく抱きしめたい」
というフレーズから岡山と藤原のリズム隊も演奏に加わると、音源ではYUKIが歌い、これまでのライブでは峯田が客席にマイクを向けて、我々観客が大合唱してきた
「わたしはまぼろしなの
あなたの夢の中にいるの
触れれば消えてしまうの
それでもわたしを抱きしめてほしいの」
というフレーズを峯田が自身で歌い、そこに岡山がドラムを叩きながらコーラスを乗せるという形で披露される。この瞬間、「ああ、やっぱり銀杏のライブの楽しみ方も変わらざるを得なくなってしまったんだな」と思ってしまった。それでも峯田の歌に合わせてマスクの奥で声を発さずに心で歌っていた人もたくさんいただろうけれど、最後のサビでは峯田はキーを落としていたのは今回の編成だからのアレンジか、それともまだ完璧に歌える喉の状態とまでは至っていないのか。
そうした形が違うライブになってはしまったけれど、峯田はこうして来てくれた人たちに感謝を告げながら、
「本当はもっと小さいところでやろうかとも思ってたけど、スタッフと話し合ってZepp DiverCityっていう大きな会場でライブをやることができてます。東京でライブやるのは2年半ぶりくらいで、ライブをやらなかったのは個人的な事情だったり、コロナっていう状況もあったりしたからなんだけど、なんかやっぱりライブやらないと満たされないものがあるなって思ってるし、2022年の3月に東京でライブをやってて、あなたたちがいるのは夢ではなくて現実です。座って聴いていてもいいし、立って少し踊りながらでもいいし、好きに楽しんで。もしダイブとかモッシュとかが起こってもやめたりしねぇから(笑)」
とも言っていたが、さすがにこの形態、このサウンドのライブでモッシュやダイブをする人は銀杏BOYZのライブであってもいないだろう。まだ誰も立ち上がってすらいないのだから。
そんなMCを挟んで、客席にも張り詰めていた緊張感が少し解けたようにも、こうしてようやくまた銀杏BOYZのライブが見れているという実感がさらに増してきたようにも感じられる中で演奏された「恋は永遠」は元からライブでアコギを生かした形で演奏されてきただけにこの編成でほとんど原曲通りという形だったのだが、アルバム収録バージョンではYUKIが歌っていたパートは岡山が歌うという形になり、彼の素朴な声質は峯田の声との良い対比になっている。
と思ったら「骨」の
「抱きしめたい 抱きしめたい 抱きしめてあむあむしたい」
という歌い出しをも岡山が歌い始めたので、そこから峯田ボーカルに繋がるとしてもドラマーとしてだけではなくボーカル、コーラスとしての存在感がさらに増したな、と思っていたら、なんとそのまま丸々1曲岡山がドラムを叩きながらのメインボーカルという形で演奏される。
岡山はandymori時代にも「ひまわり」という曲でボーカルを披露しているし、解散後はclassicusというバンドでドラム&ボーカルとして活動しているとはいえ、まさか銀杏BOYZのライブでこうしてメインボーカルを務めるとは。
「東京タワーのてっぺんから 三軒茶屋までジャンプする」
のフレーズを歌詞を変えることなく原曲通りに歌うというのも峯田ではないからかもしれないが、確かにこの曲の朗らかなポップサウンドは岡山のキャラクターや声に似合っている曲と言えるかもしれないし、このアレンジがコロナ禍で活動できない期間が長くとも、この5人のバンドとしての銀杏BOYZらしさがより高まっていることを感じさせてくれるのだ。
コロナ禍での生活を、
「1人でいるのは全然いいんだけど、夜に何か食べようと思っても店がやってないから、ローソンとセブンイレブンと出前館のローテーションばっかりで。
寝る前にいつも本を読んで、その本のお気に入りの部分を繰り返し読むんだけど、今日ちょっとそのお気に入りの文を読むんで、聞いてください」
と言って手にした文庫本は夏目漱石の「三四郎」で、20年前に一度だけ会ったことのある少女がその時と同じままで夢の中で再会するという部分を朗読する。そもそも峯田が宮沢賢治などから詩として大きな影響を受けているということはよく知られていることであるが、このコロナ禍の中でもこうして文学作品に触れる日々を過ごしていたというのは少し意外でもあった。
そうした話の後に演奏された「夢で逢えたら」はやはりアコースティック編成だからこそのテンポを落としたものでありながらも、山本のギターのフレーズはこの曲の象徴と言っていい部分を変えていないために、我々がずっと聴いて愛してきた「夢で逢えたら」であるということがわかるし、何よりも、夢じゃなくて現実で銀杏BOYZに会いたかった。それがこの日本当に久しぶりに叶ったというのがただでさえライブで聴くと感動してしまうこの曲をさらに感動的なものにしてくれる。そこにはリズム隊2人によるコーラスの効果も大きい。
「みんなで何の曲やろうかなって話したりしてる時に、1曲だけ「俺を歌え」「俺をセトリに入れろ」って言ってくる厄介な曲がある(笑)」
と紹介されたのは、まさかアコースティックでやるとは思わなかった「トラッシュ」であるが、だからこそ久しぶりのライブでこの曲が演奏して欲しいと訴えてきたように感じたのだろうか。原曲は完全にパンクであるが、この編成ではどこかフォークにパンクさを加えたかのようなアレンジになっている。それもまた最初にリリースしたアルバムの時点で銀杏BOYZが持っていた音楽の要素である。
そんな中、「エンジェルベイビー」は「骨」「恋は永遠」がそうだったように、どちらかというと近年の曲は原曲に忠実なアレンジで演奏される傾向であることがわかるのだが、だからこそ
「ロックンロールは世界を変えて
涙を抱きしめて
ロックンロールは世界を変えて
エンジェルベイビー
ここにしかないどこかへ」
「hello my friend
そこにいるんだろ」
という歌詞がロックに出会った時の、銀杏BOYZに出会った時の初期衝動を、こうして久しぶりにまた巡り会えたことによって思い起こさせてくれる。椅子に座ったままではあれど、腕を挙げる人の姿がちらほら見えたのもその衝動の現れと言っていいだろう。
そのまま「いちごの唄」も原曲にほとんど近いと言えるような、アコースティックでありながらも疾走感とパンクさを感じさせるようなアレンジで演奏されるのだが、今こんな状況でも銀杏BOYZのライブを見れているからこそ、
「だいじょばないけど だいじょーぶだよ」
というフレーズや、峯田がリフレインさせる
「I'm Yours You're Mine」
が我々の背中を強く押してくれる。それは高校生の頃に部屋の中で1人でGOING STEADYの音楽を聴いていた時のような感覚だった。そう考えるとあれからもう20年くらい経っているけれど、自分は変わっていないというか、変われていないのかもしれないとも思うし、だからこそ今でもこの音楽が響き、この音楽と峯田和伸という存在が生きる上で支えになっているのだろうとも思う。
そんな今のこんな状況を、峯田は「ロシアとウクライナ」や「パレスチナ」という直接的な単語を口にしながら、
「世界に帰ることができないっていうタイトルなのも、世界に対峙できてこそ。世界が平和でないと世界に対峙することもできない」
と、今の世界の情勢についての自身の思いを口にする。「僕たちは世界を変えることができない」というタイトルを発表した時も「ロックバンドのくせに何言ってやがんだ」的なことを散々言われたけれど、今この状況になると本当に我々は世界を変えることができないということを痛感してしまう。それでも、音楽を通して願うことはできる。背面には赤い幕が張られると、イントロが鳴るとともに美しい星空を模したような電球の光が輝く中で演奏された「新訳・銀河鉄道の夜」は確かにそんなことを感じさせた。アルバムをリリースするたびに形を変えてきた曲だけれども、このメロディの美しさと、
「ハロー、今君に素晴らしい世界が見えますか」
というフレーズは初めてGOING STEADYの「さくらの唄」で聴いた時からずっと変わっていない。峯田もきっと世界中の人に素晴らしい世界が見えていて欲しいという願いを込めてこの曲を歌っていたんだと思う。
ここから一気に重い展開へと連なっていくのは、2020年のアルバム「ねえみんな大好きだよ」がリリースされる前からライブで演奏されていた長尺曲の「アーメン・ザーメン・メリーチェイン」が演奏されたからであるが、まだリリース前には固まっていなかったこの曲のアレンジもアルバムリリースを経て、この日はアコースティックとはいえほとんど音源のままだったので完成形を見たのだと思う。
「光なきこの世界も」
という締めのフレーズはどこか「新訳・銀河鉄道の夜」に繋がるものとも、今の世界情勢を意識したものとも聴こえるが、それはMCでの峯田の言葉があったからで、これから先、また違ったMCをした後に聴いたらまた違う聞こえ方をする曲になるのかもしれない。
そしてステージが一瞬真っ暗になると、アコギを弾きながら
「君が笑う夢をみたよ
君が笑う夢をみたよ」
と歌い始める「光」ではまさに一筋の光のような照明が真っ直ぐ峯田に向かっている。
前編というような「人間」と違っていたのは、この曲では2コーラス目からいつのまにかステージに現れていたDr.Kyonのキーボードを含めてバンドメンバーの演奏が加わるのだが、その瞬間に峯田はアコギを置いて椅子から立ち上がり、思いっきり声を張り上げるようにして荒々しく歌い始める。その瞬間、やっぱりこれが銀杏BOYZのライブなんだと思った。上手くとか丁寧にとかじゃない、自分のようなやつが心の中に抱えているものを、まるで自分の中から吐き出すようにして叫んでくれる。アコースティックでも曲の良さは変わらないし、峯田が歌うのを見れるだけでも嬉しいけれど、こうしてステージを暴れ回りながら歌う姿こそが、自分がずっと見ていたい銀杏BOYZのライブなんだ。それが本当に久しぶりにまた目の前に広がっている。この瞬間、本当に涙が止まらなかった。自分のようなやつを救ってくれた銀杏BOYZがこうして目の前に戻ってきてくれたんだと。
コロナ禍になる前に見ていたこのメンバーでのライブでもこの「光」は本当に重要な位置で、バンドが覚醒するかのように演奏されていた曲だったが、この日の「光」はそれすらも超えていた。この想像もできない、言い表せない化け物みたいな音と姿で我々の感情を揺さぶってくるこれこそが銀杏BOYZのライブなのだ。
その峯田の姿が火をつけたかのように、山本、加藤、藤原という座って演奏していた3人も一斉に立ち上がる。ギター2人がエレキを持っているというのも含めて、アコースティックライブというテーマはどこへやら、もう完全にいつもの銀杏BOYZのライブとなって演奏されたのは「東京」。
東京から見るというよりも、東京から地方へ帰って行く時に電車の車窓から見ているような田園風景が映像として広がっていく中で響く
「ふたりの夢は空に消えてゆく
ふたりの夢は東京の空に消えてゆく」
というフレーズの切なさたるや。銀杏BOYZ屈指の大名曲であるこの曲をアレンジを変えずに披露したのは、この曲なら通常のライブの形で演奏してもモッシュやダイブが起こらないというのもあるだろうけど、この名曲をそのままの形で演奏するのが曲の良さがストレートに最も伝わると思っていたんじゃないだろうかとも思う。
そしてそのままメンバー全員が立ち上がった状態で、峯田がハンドマイクを持つ。そのマイクに向かって口にした曲のタイトルは「BABY BABY」。タイトルが告げられた瞬間、あのイントロのギターが鳴る。Dr.Kyonのキーボードのメロディが重なることによってより優しさを感じさせながら。
そのイントロを聴いた観客が一斉に立ち上がっていく。何度となく聴いてきたあの「BABY BABY」のイントロを、今までのライブと同じように銀杏BOYZが鳴らしている。その音が記憶と衝動を呼び覚ましていくように観客は立ち上がった。
自分自身、コロナ禍になる前の銀杏BOYZのライブに行くと、もしフロントエリアに行って怪我なんかしたら会社に迷惑がかかってしまうという社会人としての意識もありながらも、いつもフロントエリアに駆け出して行ってしまっていた。それくらい無意識な衝動を銀杏BOYZのライブは我々に与えてくれていたが、この日は前に駆け出していけない代わりのアクションが、それまで座っていた状態から立ち上がるというものだった。それは今でも銀杏BOYZのライブで受ける衝動が変わらずに存在していて、自分の心が素直にその衝動に反応しているということの現れだった。
その衝動がバンドにも、自分にも、自分のような銀杏BOYZのファンの人たちにも消えることなく残っていて、それをルールを決して破らない、誰一人叫んだりしない形で示すことができている。それが本当に嬉しすぎて、峯田が笑いながら頭の上で丸を作る姿も含めて、この瞬間の光景はきっと死ぬまで忘れないと思う。今まで見てきた銀杏BOYZのライブを今でも全く忘れていないように。
そんな「BABY BABY」からかなりテンポを落とすように、でもバンドも観客も全員立ち上がったままの状態で演奏されたのは「ねえみんな大好きだよ」の最後を飾る「アレックス」。おそらくはこの曲もきっと他のアルバム収録曲と同じように、このアレンジでの演奏がそのままこれからもライブで演奏する形になるんだろうなと思ったが、そう思った時に、このライブが「ねえみんな大好きだよ」がリリースされてから初めて見るリアルなライブであるということに気付いた。リリースからもう2年。銀杏BOYZはライブをやらなかった、見れなかった時期も長かったけれど、それでもリリースからこんなに空くのはきっと初めてのことだったし、だからこそこうやってライブが見れるのをずっと待っていたのだ。
その「アレックス」から一転して、山本がイントロのギターを弾くという全編に渡ってバンドアレンジで演奏され、峯田がタンバリンを叩きながら歌うのは今の銀杏BOYZのポップサイドの極みとも言える「ぽあだむ」。峯田はステージを左右に歩き回り、時には客席のいろんな方向に笑顔で手を振る。その姿を見ていたら、
「涙は似合わないぜ 男の子だから」
と歌われても涙を我慢することができなかった。この世で1番見たかった、でもずっと見れなかった光景がこうして目の前に広がっているのだから。
そして峯田がアコギを手にすると、最後に情感たっぷりに演奏されたのは「僕たちは世界を変えることができない」で、イントロに乗せて峯田はDr.Kyonを含めてステージ上にいるメンバーを全員紹介してから歌い始めた。それはどこかこのメンバーがこうして揃って銀杏BOYZの曲を演奏しているということの尊さ、愛おしさを感じさせてくれるものだった。今でもかつての4人時代のライブを思い出すこともあるし、その記憶を愛おしく思う時もあるけれど、それでもこうして銀杏BOYZとして銀杏BOYZの曲をバンドで演奏してくれて、それがこんなに心を震わせてくれるものになっている。それを見せてくれるこのメンバー一人一人に大きな拍手が起きていたのは、きっとみんな同じことを考えていたからだと思う。
アンコールで再びDr.Kyonを含めた5人で登場すると、今度は観客もメンバーが出てきた瞬間に椅子から立ち上がる。もう、今までの銀杏BOYZとしてのライブをやってくれるということを本編を見てわかっているからだ。
峯田は
「とにかくこのツアーが無事に終わることを祈っててください」
と言ったが、それはこのツアーが無事に終わればその後にきっとまたこうやって会える機会が増えていくはずだという期待も感じさせた。
そうして演奏されたのはアコースティックとはいえ、Dr.Kyonのキーボードが入った以外はほぼそのままの「夜王子と月の姫」。だからこそ、あの切なさや儚さが爆発するような泣きのイントロのギターも何度となく聴いてきたままで演奏されるのだが、元々は「9.11」ことアメリカの同時多発テロを受けて書かれた
「九月の十一日 指輪を落とした月の姫」
というフレーズは
「三月十一日」
という東日本大震災を経たものに変わっている。それはアメリカのテロだとどこか遠い空の向こうのことだと思ってしまうけれども、そうではなくて自分たち自身のことであるということ、それは今のロシアとウクライナの問題もまた同じことであると感じさせる。
それを我々がどうこうすることはできない。でも我々の住んでいる場所がそうなったらどうするのか、そもそもそうならないためにはどうするべきなのかを考えることはできる。峯田の少し枯れた、でもとびきりの優しさを感じさせてくれる歌声がそんなことを思わせてくれると、曲終わりの
「もういいかい」「まあだだよ」
「もういいかい」「もういいよ」
というやり取りは峯田と岡山によって行われる。やはり、これから銀杏BOYZのライブ、曲ではその魂を込めたドラミングとともに、岡山の声、歌も新しい武器になっていく予感がひしひしとしている。
いつのまにかDr.Kyonはステージを去っていると、その岡山のリズムが否が応でも我々の体を揺らせ、踊らせてくれる「GOD SAVE THE わーるど」をバンド演奏のみという形で演奏する。おそらくライブでバンド編成で聴くのは初めてだったけれど、かつての「ぽあだむ」のように同期を使ったりせずにバンドの音のみで表現するのは少し意外だったけれど、その「このメンバーが音を鳴らす」というのが今の銀杏BOYZにとって大事なことなのかもしれない。こんなに無邪気に楽しめる曲になるとは思っていなかった。
「今日は本当にどうもありがとうございました!」
と峯田が口にすると、その手にはエレキギターが握られている。この日初めての、でもこれまでに数え切れないくらいに見てきたギターを鳴らして歌い始めたのは、昨年リリースされた最新曲「少年少女」なのだが、音源ではポップなイメージを持っていたこの曲が、メンバーの衝動を炸裂させる演奏によって完全にパンクになっていた。
それが何よりも嬉しかったのは、最新の曲がこんなにもパンクに演奏されているというのが、今も銀杏BOYZがパンクであり続けているという何よりの証明だったからだ。泣いてばかりだったけれど、それを感じられたのが嬉しくて仕方がなくてまた泣いてしまったし、この音に心を震わされるということは、我々はまだみんな少年少女のままなのかもしれない、ということを峯田、山本、加藤がギターを抱えて思いっきりジャンプして最後のキメを打つ姿を見て思っていた。
曲が終わると峯田はすぐにステージから去って行こうとする。でも、まだまだやってくれ。もっとたくさんの曲を聴かせてくれと思っていた。どんなに帰りが遅くなって明日起きるのが辛くても構わない、なんなら終電がなくなってどっかに泊まることになってもいいというくらいに。どうせ、銀杏BOYZのライブを見た日にすぐ寝れるわけないのだから。そう思うのも、本当に久しぶりだった。
どこか、ロッキン2004で初めて銀杏BOYZのライブを見た時のような、メンバー3人が脱退して峯田1人で初めてライブをやったUKFCのような、初めて日本武道館でライブをやった時のような。そんな感覚になるようなライブだった。それはきっとこれがコロナ禍になってから初めて見る銀杏BOYZのライブだったからだ。
もう、こんな初めての感覚は味合わなくていいとも思うけれども、こんな緊張感を今でもライブが始まる前から感じることができるくらいに、やっぱり銀杏BOYZは自分にとって特別な存在なのだ。この人がいなかったら、こんなに音楽を聴いたり、ライブに行ったりするような人生になってなかったかもしれないから。
銀杏BOYZのファンが好きなようで嫌いなのは、自分を見ているような感覚になってしまうからだ。自分はそこまではしないけれど、冒頭に書いたとおりに、ホールでもダイブをする奴がいるくらいに、銀杏BOYZのライブには自分を含めて頭がおかしいような奴ばっかりが集まっている。
だからこそ、心配もあった。この状況でライブをやることで、モッシュやダイブをしたり、叫びまくったりする人が出るかもしれないし、そうなっても仕方がないくらいの衝動を与えてくれるのが銀杏BOYZのライブだから。
でもこの日は誰もモッシュもダイブも、峯田の名前を叫ぶようなこともしなかった。それはきっと、自分が身勝手なことをしてしまうと、また銀杏BOYZのライブが見れなくなってしまう可能性があるということをみんなわかっているからだ。銀杏BOYZのファンは通算何年待ち続けただろうかっていうくらいに、待ちまくってきた。なんならもうライブが見れないんじゃないか、と思うくらいに待ってきた。でももう出来るなら待ちたくない。こうして何回だってライブを見ていたい。
その次のライブへ、みんながルールを守って繋ごうとしているようだった。好きなようでいて嫌いでもある銀杏BOYZのファンの人たちのことを過去最高に好きだと思った。どれだけ年齢も育ちも思考も異なっていても、銀杏BOYZが何よりも好きであるという、一点のみであっても最も大事なことを我々は共有している存在同士だから。またいつか、そのみんなでぐっちゃぐちゃになりながら叫びまくって、歌いまくれる日が絶対に来ますように。
1.人間
2.NO FUTURE NO CRY
3.若者たち
4.駆け抜けて性春
5.恋は永遠
6.骨
7.夢で逢えたら
8.トラッシュ
9.エンジェルベイビー
10.いちごの唄
11.新訳・銀河鉄道の夜
12.アーメン・ザーメン・メリーチェイン
13.光
14.東京
15.BABY BABY
16.アレックス
17.ぽあだむ
18.僕たちは世界を変えることができない
encore
19.夜王子と月の姫
20.GOD SAVE THE わーるど
21.少年少女
コロナ禍になってからは配信ライブしか行っていなかったのは、客席がぐちゃぐちゃになるようなライブじゃなければ銀杏BOYZのライブじゃない、という意識によるものだと思われるが、それではいつまで経ってもライブができないということもわかってきたのだろう。この世で1番見たかった銀杏BOYZの、クローゼットの奥からバンドTシャツを引っ張り出すくらいに、実に2年ちょっとぶりのライブである。
今回のツアーは全6箇所を回るアコースティック形態でのもので、この日のZepp DiverCityが2公演目。客席には椅子が並んでいる全席指定だが、かつて中野サンプラザでワンマンをやった際には「全席指定のホールでのワンマンなのにダイブが起こる」という意味不明なことを言っていると思われるだろうけれど、実際にそれを目にしているだけに、そうしたファンの過激さ(ヤバさ)も含めてライブをやろうとしなかったのだろうとも思っていた。
18時30分過ぎに場内に流れていたBGMの音量が徐々に大きくなるにつれて場内も暗転していく。するとステージ背面の幕が開き、爆音過ぎるくらいにノイジーな、それこそが銀杏BOYZのライブであるというくらいの音とともに映像が流れる。それはこの日に至るまでの銀杏BOYZの過去のライブの映像だった。峯田和伸は髪型が変わりながらも目をひん剥いて歌い、観客は腕を掲げたりダイブをしたり、思いっきり歌ったり、時には涙を流して峯田の姿に応えている。それこそが自分が今まで見てきた銀杏BOYZのライブだった。その映像はコロナ禍になってから行われた配信ライブの映像で幕を閉じる。その続きがこのツアー、このライブであるかのように。
その映像が終わるといつものジャージ姿でありながらマスクをして、譜面や書籍などを持った峯田がステージに登場。髪がかなり伸びたことによって、マスクをしているとあいみょんのようにすら見えてしまうのだが、そのあいみょんは初めて日本武道館に行ったのが銀杏BOYZが武道館でライブをやった時だと言っていた。そう考えるとこの2人にはどこかシンクロするものがあるのかもしれないと思う。
ステージには楽器とともにそれなりに値段が高そうなタイプのソファータイプの椅子もセッティングされており、そこに腰掛けてアコギを持つと、
「君が泣いてる夢を見たよ」
とアコギを弾きながら歌い始める。まだ2005年に初めてのCDをリリースする前からライブで演奏されていた「人間」。
その歌い始めた姿を見ていて、どんなに峯田がドラマや映画に出るようになって、それを画面越しに見ていても満たされていないことがわかった。もちろんメディアに出ていれば生きていることはわかる。元気であることもわかる。でもやっぱり自分は峯田には銀杏BOYZとしてこうしてステージに立って歌っていて欲しい、その姿が見たかった、その声が聞きたかったという思いが込み上げてきて、この時点ですでに感極まってしまっていたのだが、きっとここにいた人はそういう人ばかりだったんじゃないかと思う。今この状況で聞く
「戦争反対 戦争反対
戦争反対 戦争反対
戦争反対 とりあえず
戦争反対って言ってりゃあいいんだろう」
というフレーズには悲痛なものを感じずにはいられないけれど、それもまたこの曲を1曲目に持ってきた理由なのかもしれない。オープニングで映像が映し出されていたスクリーンには峯田が歌う姿がリアルタイムで映し出されている。
この「人間」を1曲丸々峯田の弾き語りで歌うというのは意外であった。今までのライブでも曲途中でバンドのメンバーが出てきて途中からバンドサウンドに、というのがおなじみの流れだったし、ちゃんとステージにはバンドメンバーの機材もセッティングされているから。
しかしながら峯田はそのまま椅子に座ってアコギをかき鳴らしながら「NO FUTURE NO CRY」を歌い始める。アコースティックライブとはいえ、この曲も弾き語りという形になるとは、と思うのは今までに数え切れないくらいにライブで熱狂の空間を生み出してきた曲だからであるが、こうして峯田が弾き語りという形態ということもあり、観客もみんな自分の席に座って、ただひたすらに峯田が歌う姿を凝視している。コロナ禍になる前は飛び交いまくっていたヤジや歓声も一切ない。それがなんだか銀杏BOYZのライブにいるようでいて、違うライブに来ているかのような不思議な感覚だった。
その「NO FUTURE NO CRY」の
「俺の憂鬱を撃ち抜いて殺してくれ」
というフレーズの後というタイミングで、加藤綾太(ギター)、藤原寛(ベース)、岡山健二(ドラム)、山本幹宗(ギター)というおなじみのメンバーたちが登場。全員椅子に座り、加藤はアコギ、岡山もスティックこそアコースティック編成だからこそのものであるが、しかし思っていた以上に通常のバンドというような感じであることに驚いてしまう。
なので「若者たち」にしても、峯田は椅子に座ってアコギを弾きながら歌うというアコースティックライブならではの形ではあるが、山本のエレキのイントロのフレーズは原曲そのものと言っていいものであるだけに、その部分を聞くだけで何の曲であるのかというのがすぐにわかる。モッシュもダイブも大合唱もないどころか、椅子に座って「若者たち」を聴いているというライブの参加の仕方は全く想像したことすらなかったけれど。
こちらもこれまでのライブでは数え切れないくらいの熱狂を生み出してきた「駆け抜けて性春」であるが、この曲は前半はリズム隊が演奏せずに藤原がシェイカーを振るという、ギターのみのアレンジで演奏されたことにより、凶悪なくらいに轟音ギターノイズに塗れていたこの曲がどこか牧歌的と言っていいようにすら感じる。間奏を経ての
「星降る青い夜さ
どうか どうか声を聞かせて
この街をとびだそうか
つよく つよく抱きしめたい」
というフレーズから岡山と藤原のリズム隊も演奏に加わると、音源ではYUKIが歌い、これまでのライブでは峯田が客席にマイクを向けて、我々観客が大合唱してきた
「わたしはまぼろしなの
あなたの夢の中にいるの
触れれば消えてしまうの
それでもわたしを抱きしめてほしいの」
というフレーズを峯田が自身で歌い、そこに岡山がドラムを叩きながらコーラスを乗せるという形で披露される。この瞬間、「ああ、やっぱり銀杏のライブの楽しみ方も変わらざるを得なくなってしまったんだな」と思ってしまった。それでも峯田の歌に合わせてマスクの奥で声を発さずに心で歌っていた人もたくさんいただろうけれど、最後のサビでは峯田はキーを落としていたのは今回の編成だからのアレンジか、それともまだ完璧に歌える喉の状態とまでは至っていないのか。
そうした形が違うライブになってはしまったけれど、峯田はこうして来てくれた人たちに感謝を告げながら、
「本当はもっと小さいところでやろうかとも思ってたけど、スタッフと話し合ってZepp DiverCityっていう大きな会場でライブをやることができてます。東京でライブやるのは2年半ぶりくらいで、ライブをやらなかったのは個人的な事情だったり、コロナっていう状況もあったりしたからなんだけど、なんかやっぱりライブやらないと満たされないものがあるなって思ってるし、2022年の3月に東京でライブをやってて、あなたたちがいるのは夢ではなくて現実です。座って聴いていてもいいし、立って少し踊りながらでもいいし、好きに楽しんで。もしダイブとかモッシュとかが起こってもやめたりしねぇから(笑)」
とも言っていたが、さすがにこの形態、このサウンドのライブでモッシュやダイブをする人は銀杏BOYZのライブであってもいないだろう。まだ誰も立ち上がってすらいないのだから。
そんなMCを挟んで、客席にも張り詰めていた緊張感が少し解けたようにも、こうしてようやくまた銀杏BOYZのライブが見れているという実感がさらに増してきたようにも感じられる中で演奏された「恋は永遠」は元からライブでアコギを生かした形で演奏されてきただけにこの編成でほとんど原曲通りという形だったのだが、アルバム収録バージョンではYUKIが歌っていたパートは岡山が歌うという形になり、彼の素朴な声質は峯田の声との良い対比になっている。
と思ったら「骨」の
「抱きしめたい 抱きしめたい 抱きしめてあむあむしたい」
という歌い出しをも岡山が歌い始めたので、そこから峯田ボーカルに繋がるとしてもドラマーとしてだけではなくボーカル、コーラスとしての存在感がさらに増したな、と思っていたら、なんとそのまま丸々1曲岡山がドラムを叩きながらのメインボーカルという形で演奏される。
岡山はandymori時代にも「ひまわり」という曲でボーカルを披露しているし、解散後はclassicusというバンドでドラム&ボーカルとして活動しているとはいえ、まさか銀杏BOYZのライブでこうしてメインボーカルを務めるとは。
「東京タワーのてっぺんから 三軒茶屋までジャンプする」
のフレーズを歌詞を変えることなく原曲通りに歌うというのも峯田ではないからかもしれないが、確かにこの曲の朗らかなポップサウンドは岡山のキャラクターや声に似合っている曲と言えるかもしれないし、このアレンジがコロナ禍で活動できない期間が長くとも、この5人のバンドとしての銀杏BOYZらしさがより高まっていることを感じさせてくれるのだ。
コロナ禍での生活を、
「1人でいるのは全然いいんだけど、夜に何か食べようと思っても店がやってないから、ローソンとセブンイレブンと出前館のローテーションばっかりで。
寝る前にいつも本を読んで、その本のお気に入りの部分を繰り返し読むんだけど、今日ちょっとそのお気に入りの文を読むんで、聞いてください」
と言って手にした文庫本は夏目漱石の「三四郎」で、20年前に一度だけ会ったことのある少女がその時と同じままで夢の中で再会するという部分を朗読する。そもそも峯田が宮沢賢治などから詩として大きな影響を受けているということはよく知られていることであるが、このコロナ禍の中でもこうして文学作品に触れる日々を過ごしていたというのは少し意外でもあった。
そうした話の後に演奏された「夢で逢えたら」はやはりアコースティック編成だからこそのテンポを落としたものでありながらも、山本のギターのフレーズはこの曲の象徴と言っていい部分を変えていないために、我々がずっと聴いて愛してきた「夢で逢えたら」であるということがわかるし、何よりも、夢じゃなくて現実で銀杏BOYZに会いたかった。それがこの日本当に久しぶりに叶ったというのがただでさえライブで聴くと感動してしまうこの曲をさらに感動的なものにしてくれる。そこにはリズム隊2人によるコーラスの効果も大きい。
「みんなで何の曲やろうかなって話したりしてる時に、1曲だけ「俺を歌え」「俺をセトリに入れろ」って言ってくる厄介な曲がある(笑)」
と紹介されたのは、まさかアコースティックでやるとは思わなかった「トラッシュ」であるが、だからこそ久しぶりのライブでこの曲が演奏して欲しいと訴えてきたように感じたのだろうか。原曲は完全にパンクであるが、この編成ではどこかフォークにパンクさを加えたかのようなアレンジになっている。それもまた最初にリリースしたアルバムの時点で銀杏BOYZが持っていた音楽の要素である。
そんな中、「エンジェルベイビー」は「骨」「恋は永遠」がそうだったように、どちらかというと近年の曲は原曲に忠実なアレンジで演奏される傾向であることがわかるのだが、だからこそ
「ロックンロールは世界を変えて
涙を抱きしめて
ロックンロールは世界を変えて
エンジェルベイビー
ここにしかないどこかへ」
「hello my friend
そこにいるんだろ」
という歌詞がロックに出会った時の、銀杏BOYZに出会った時の初期衝動を、こうして久しぶりにまた巡り会えたことによって思い起こさせてくれる。椅子に座ったままではあれど、腕を挙げる人の姿がちらほら見えたのもその衝動の現れと言っていいだろう。
そのまま「いちごの唄」も原曲にほとんど近いと言えるような、アコースティックでありながらも疾走感とパンクさを感じさせるようなアレンジで演奏されるのだが、今こんな状況でも銀杏BOYZのライブを見れているからこそ、
「だいじょばないけど だいじょーぶだよ」
というフレーズや、峯田がリフレインさせる
「I'm Yours You're Mine」
が我々の背中を強く押してくれる。それは高校生の頃に部屋の中で1人でGOING STEADYの音楽を聴いていた時のような感覚だった。そう考えるとあれからもう20年くらい経っているけれど、自分は変わっていないというか、変われていないのかもしれないとも思うし、だからこそ今でもこの音楽が響き、この音楽と峯田和伸という存在が生きる上で支えになっているのだろうとも思う。
そんな今のこんな状況を、峯田は「ロシアとウクライナ」や「パレスチナ」という直接的な単語を口にしながら、
「世界に帰ることができないっていうタイトルなのも、世界に対峙できてこそ。世界が平和でないと世界に対峙することもできない」
と、今の世界の情勢についての自身の思いを口にする。「僕たちは世界を変えることができない」というタイトルを発表した時も「ロックバンドのくせに何言ってやがんだ」的なことを散々言われたけれど、今この状況になると本当に我々は世界を変えることができないということを痛感してしまう。それでも、音楽を通して願うことはできる。背面には赤い幕が張られると、イントロが鳴るとともに美しい星空を模したような電球の光が輝く中で演奏された「新訳・銀河鉄道の夜」は確かにそんなことを感じさせた。アルバムをリリースするたびに形を変えてきた曲だけれども、このメロディの美しさと、
「ハロー、今君に素晴らしい世界が見えますか」
というフレーズは初めてGOING STEADYの「さくらの唄」で聴いた時からずっと変わっていない。峯田もきっと世界中の人に素晴らしい世界が見えていて欲しいという願いを込めてこの曲を歌っていたんだと思う。
ここから一気に重い展開へと連なっていくのは、2020年のアルバム「ねえみんな大好きだよ」がリリースされる前からライブで演奏されていた長尺曲の「アーメン・ザーメン・メリーチェイン」が演奏されたからであるが、まだリリース前には固まっていなかったこの曲のアレンジもアルバムリリースを経て、この日はアコースティックとはいえほとんど音源のままだったので完成形を見たのだと思う。
「光なきこの世界も」
という締めのフレーズはどこか「新訳・銀河鉄道の夜」に繋がるものとも、今の世界情勢を意識したものとも聴こえるが、それはMCでの峯田の言葉があったからで、これから先、また違ったMCをした後に聴いたらまた違う聞こえ方をする曲になるのかもしれない。
そしてステージが一瞬真っ暗になると、アコギを弾きながら
「君が笑う夢をみたよ
君が笑う夢をみたよ」
と歌い始める「光」ではまさに一筋の光のような照明が真っ直ぐ峯田に向かっている。
前編というような「人間」と違っていたのは、この曲では2コーラス目からいつのまにかステージに現れていたDr.Kyonのキーボードを含めてバンドメンバーの演奏が加わるのだが、その瞬間に峯田はアコギを置いて椅子から立ち上がり、思いっきり声を張り上げるようにして荒々しく歌い始める。その瞬間、やっぱりこれが銀杏BOYZのライブなんだと思った。上手くとか丁寧にとかじゃない、自分のようなやつが心の中に抱えているものを、まるで自分の中から吐き出すようにして叫んでくれる。アコースティックでも曲の良さは変わらないし、峯田が歌うのを見れるだけでも嬉しいけれど、こうしてステージを暴れ回りながら歌う姿こそが、自分がずっと見ていたい銀杏BOYZのライブなんだ。それが本当に久しぶりにまた目の前に広がっている。この瞬間、本当に涙が止まらなかった。自分のようなやつを救ってくれた銀杏BOYZがこうして目の前に戻ってきてくれたんだと。
コロナ禍になる前に見ていたこのメンバーでのライブでもこの「光」は本当に重要な位置で、バンドが覚醒するかのように演奏されていた曲だったが、この日の「光」はそれすらも超えていた。この想像もできない、言い表せない化け物みたいな音と姿で我々の感情を揺さぶってくるこれこそが銀杏BOYZのライブなのだ。
その峯田の姿が火をつけたかのように、山本、加藤、藤原という座って演奏していた3人も一斉に立ち上がる。ギター2人がエレキを持っているというのも含めて、アコースティックライブというテーマはどこへやら、もう完全にいつもの銀杏BOYZのライブとなって演奏されたのは「東京」。
東京から見るというよりも、東京から地方へ帰って行く時に電車の車窓から見ているような田園風景が映像として広がっていく中で響く
「ふたりの夢は空に消えてゆく
ふたりの夢は東京の空に消えてゆく」
というフレーズの切なさたるや。銀杏BOYZ屈指の大名曲であるこの曲をアレンジを変えずに披露したのは、この曲なら通常のライブの形で演奏してもモッシュやダイブが起こらないというのもあるだろうけど、この名曲をそのままの形で演奏するのが曲の良さがストレートに最も伝わると思っていたんじゃないだろうかとも思う。
そしてそのままメンバー全員が立ち上がった状態で、峯田がハンドマイクを持つ。そのマイクに向かって口にした曲のタイトルは「BABY BABY」。タイトルが告げられた瞬間、あのイントロのギターが鳴る。Dr.Kyonのキーボードのメロディが重なることによってより優しさを感じさせながら。
そのイントロを聴いた観客が一斉に立ち上がっていく。何度となく聴いてきたあの「BABY BABY」のイントロを、今までのライブと同じように銀杏BOYZが鳴らしている。その音が記憶と衝動を呼び覚ましていくように観客は立ち上がった。
自分自身、コロナ禍になる前の銀杏BOYZのライブに行くと、もしフロントエリアに行って怪我なんかしたら会社に迷惑がかかってしまうという社会人としての意識もありながらも、いつもフロントエリアに駆け出して行ってしまっていた。それくらい無意識な衝動を銀杏BOYZのライブは我々に与えてくれていたが、この日は前に駆け出していけない代わりのアクションが、それまで座っていた状態から立ち上がるというものだった。それは今でも銀杏BOYZのライブで受ける衝動が変わらずに存在していて、自分の心が素直にその衝動に反応しているということの現れだった。
その衝動がバンドにも、自分にも、自分のような銀杏BOYZのファンの人たちにも消えることなく残っていて、それをルールを決して破らない、誰一人叫んだりしない形で示すことができている。それが本当に嬉しすぎて、峯田が笑いながら頭の上で丸を作る姿も含めて、この瞬間の光景はきっと死ぬまで忘れないと思う。今まで見てきた銀杏BOYZのライブを今でも全く忘れていないように。
そんな「BABY BABY」からかなりテンポを落とすように、でもバンドも観客も全員立ち上がったままの状態で演奏されたのは「ねえみんな大好きだよ」の最後を飾る「アレックス」。おそらくはこの曲もきっと他のアルバム収録曲と同じように、このアレンジでの演奏がそのままこれからもライブで演奏する形になるんだろうなと思ったが、そう思った時に、このライブが「ねえみんな大好きだよ」がリリースされてから初めて見るリアルなライブであるということに気付いた。リリースからもう2年。銀杏BOYZはライブをやらなかった、見れなかった時期も長かったけれど、それでもリリースからこんなに空くのはきっと初めてのことだったし、だからこそこうやってライブが見れるのをずっと待っていたのだ。
その「アレックス」から一転して、山本がイントロのギターを弾くという全編に渡ってバンドアレンジで演奏され、峯田がタンバリンを叩きながら歌うのは今の銀杏BOYZのポップサイドの極みとも言える「ぽあだむ」。峯田はステージを左右に歩き回り、時には客席のいろんな方向に笑顔で手を振る。その姿を見ていたら、
「涙は似合わないぜ 男の子だから」
と歌われても涙を我慢することができなかった。この世で1番見たかった、でもずっと見れなかった光景がこうして目の前に広がっているのだから。
そして峯田がアコギを手にすると、最後に情感たっぷりに演奏されたのは「僕たちは世界を変えることができない」で、イントロに乗せて峯田はDr.Kyonを含めてステージ上にいるメンバーを全員紹介してから歌い始めた。それはどこかこのメンバーがこうして揃って銀杏BOYZの曲を演奏しているということの尊さ、愛おしさを感じさせてくれるものだった。今でもかつての4人時代のライブを思い出すこともあるし、その記憶を愛おしく思う時もあるけれど、それでもこうして銀杏BOYZとして銀杏BOYZの曲をバンドで演奏してくれて、それがこんなに心を震わせてくれるものになっている。それを見せてくれるこのメンバー一人一人に大きな拍手が起きていたのは、きっとみんな同じことを考えていたからだと思う。
アンコールで再びDr.Kyonを含めた5人で登場すると、今度は観客もメンバーが出てきた瞬間に椅子から立ち上がる。もう、今までの銀杏BOYZとしてのライブをやってくれるということを本編を見てわかっているからだ。
峯田は
「とにかくこのツアーが無事に終わることを祈っててください」
と言ったが、それはこのツアーが無事に終わればその後にきっとまたこうやって会える機会が増えていくはずだという期待も感じさせた。
そうして演奏されたのはアコースティックとはいえ、Dr.Kyonのキーボードが入った以外はほぼそのままの「夜王子と月の姫」。だからこそ、あの切なさや儚さが爆発するような泣きのイントロのギターも何度となく聴いてきたままで演奏されるのだが、元々は「9.11」ことアメリカの同時多発テロを受けて書かれた
「九月の十一日 指輪を落とした月の姫」
というフレーズは
「三月十一日」
という東日本大震災を経たものに変わっている。それはアメリカのテロだとどこか遠い空の向こうのことだと思ってしまうけれども、そうではなくて自分たち自身のことであるということ、それは今のロシアとウクライナの問題もまた同じことであると感じさせる。
それを我々がどうこうすることはできない。でも我々の住んでいる場所がそうなったらどうするのか、そもそもそうならないためにはどうするべきなのかを考えることはできる。峯田の少し枯れた、でもとびきりの優しさを感じさせてくれる歌声がそんなことを思わせてくれると、曲終わりの
「もういいかい」「まあだだよ」
「もういいかい」「もういいよ」
というやり取りは峯田と岡山によって行われる。やはり、これから銀杏BOYZのライブ、曲ではその魂を込めたドラミングとともに、岡山の声、歌も新しい武器になっていく予感がひしひしとしている。
いつのまにかDr.Kyonはステージを去っていると、その岡山のリズムが否が応でも我々の体を揺らせ、踊らせてくれる「GOD SAVE THE わーるど」をバンド演奏のみという形で演奏する。おそらくライブでバンド編成で聴くのは初めてだったけれど、かつての「ぽあだむ」のように同期を使ったりせずにバンドの音のみで表現するのは少し意外だったけれど、その「このメンバーが音を鳴らす」というのが今の銀杏BOYZにとって大事なことなのかもしれない。こんなに無邪気に楽しめる曲になるとは思っていなかった。
「今日は本当にどうもありがとうございました!」
と峯田が口にすると、その手にはエレキギターが握られている。この日初めての、でもこれまでに数え切れないくらいに見てきたギターを鳴らして歌い始めたのは、昨年リリースされた最新曲「少年少女」なのだが、音源ではポップなイメージを持っていたこの曲が、メンバーの衝動を炸裂させる演奏によって完全にパンクになっていた。
それが何よりも嬉しかったのは、最新の曲がこんなにもパンクに演奏されているというのが、今も銀杏BOYZがパンクであり続けているという何よりの証明だったからだ。泣いてばかりだったけれど、それを感じられたのが嬉しくて仕方がなくてまた泣いてしまったし、この音に心を震わされるということは、我々はまだみんな少年少女のままなのかもしれない、ということを峯田、山本、加藤がギターを抱えて思いっきりジャンプして最後のキメを打つ姿を見て思っていた。
曲が終わると峯田はすぐにステージから去って行こうとする。でも、まだまだやってくれ。もっとたくさんの曲を聴かせてくれと思っていた。どんなに帰りが遅くなって明日起きるのが辛くても構わない、なんなら終電がなくなってどっかに泊まることになってもいいというくらいに。どうせ、銀杏BOYZのライブを見た日にすぐ寝れるわけないのだから。そう思うのも、本当に久しぶりだった。
どこか、ロッキン2004で初めて銀杏BOYZのライブを見た時のような、メンバー3人が脱退して峯田1人で初めてライブをやったUKFCのような、初めて日本武道館でライブをやった時のような。そんな感覚になるようなライブだった。それはきっとこれがコロナ禍になってから初めて見る銀杏BOYZのライブだったからだ。
もう、こんな初めての感覚は味合わなくていいとも思うけれども、こんな緊張感を今でもライブが始まる前から感じることができるくらいに、やっぱり銀杏BOYZは自分にとって特別な存在なのだ。この人がいなかったら、こんなに音楽を聴いたり、ライブに行ったりするような人生になってなかったかもしれないから。
銀杏BOYZのファンが好きなようで嫌いなのは、自分を見ているような感覚になってしまうからだ。自分はそこまではしないけれど、冒頭に書いたとおりに、ホールでもダイブをする奴がいるくらいに、銀杏BOYZのライブには自分を含めて頭がおかしいような奴ばっかりが集まっている。
だからこそ、心配もあった。この状況でライブをやることで、モッシュやダイブをしたり、叫びまくったりする人が出るかもしれないし、そうなっても仕方がないくらいの衝動を与えてくれるのが銀杏BOYZのライブだから。
でもこの日は誰もモッシュもダイブも、峯田の名前を叫ぶようなこともしなかった。それはきっと、自分が身勝手なことをしてしまうと、また銀杏BOYZのライブが見れなくなってしまう可能性があるということをみんなわかっているからだ。銀杏BOYZのファンは通算何年待ち続けただろうかっていうくらいに、待ちまくってきた。なんならもうライブが見れないんじゃないか、と思うくらいに待ってきた。でももう出来るなら待ちたくない。こうして何回だってライブを見ていたい。
その次のライブへ、みんながルールを守って繋ごうとしているようだった。好きなようでいて嫌いでもある銀杏BOYZのファンの人たちのことを過去最高に好きだと思った。どれだけ年齢も育ちも思考も異なっていても、銀杏BOYZが何よりも好きであるという、一点のみであっても最も大事なことを我々は共有している存在同士だから。またいつか、そのみんなでぐっちゃぐちゃになりながら叫びまくって、歌いまくれる日が絶対に来ますように。
1.人間
2.NO FUTURE NO CRY
3.若者たち
4.駆け抜けて性春
5.恋は永遠
6.骨
7.夢で逢えたら
8.トラッシュ
9.エンジェルベイビー
10.いちごの唄
11.新訳・銀河鉄道の夜
12.アーメン・ザーメン・メリーチェイン
13.光
14.東京
15.BABY BABY
16.アレックス
17.ぽあだむ
18.僕たちは世界を変えることができない
encore
19.夜王子と月の姫
20.GOD SAVE THE わーるど
21.少年少女
9mm Parabellum Bullet presents 「カオスの百年 vol.16」 @EX THEATER ROPPONGI 3/17 ホーム
ASIAN KUNG-FU GENERATION Special Concert "More Than a Quarter-Century" day2 @パシフィコ横浜 国立大ホール 3/13