ASIAN KUNG-FU GENERATION Special Concert "More Than a Quarter-Century" day2 @パシフィコ横浜 国立大ホール 3/13
- 2022/03/14
- 00:04
前日に続いてアジカンの25周年スペシャルコンサートの2日目。この日は前日よりも1時間早い17時の開演であり、前日以上にまだ横浜の空は明るい時間帯。
基本的な流れは前日のレポ(http://rocknrollisnotdead.jp/blog-entry-1018.html?sp)を見ていただきたいというのは、流れは、というかセトリは全く変わっていないからであるが、前日に観ていても確かにこれは(特にゲストが登場する後半以降は)セトリを変えることができないだろうな、とも思っていた。それくらいにこのセトリが「25周年のアジカンのスペシャルライブのセトリ」としてこれ以上ないくらいに完成されたものだったからである。(もちろんファンの数それぞれ「あの曲やってよ!」的なものはあるだろうけれど)
なので同じ曲を演奏していても明らかに変わった部分や目についた部分を中心としたレポにしたいと思うのだが、この日もSEが流れてメンバーが登場すると、そのSEが「センスレス」のイントロになって演奏が始まり、徐々にバンドの演奏が熱量を増していくと、最後のサビというかピーク部分を前にしてゴッチがギターを高く掲げ、観客が曲中ながら大きな拍手を送るという流れも変わらないのだが、ゴッチのボーカルは2daysの2日目としてのキツさはほとんど感じられないというか、むしろこの日でこの周年を祝うライブは終わってしまう。だからこそ全てを出し尽くすというような気合いが感じられるものになっている。それは喜多建介(ギター)、山田貴洋(ベース)、伊地知潔(ドラム)の3人の笑顔からも感じられるものである。
演奏も前日と全く同じということは当然なく、この日はむしろメンバーそれぞれがステージ観覧席にいる人のことを前日以上に意識しているかのように後ろや横を向いたりする場面も多かったイメージなのだが、これは前日のライブ後に「もうちょっとステージ観覧席を意識しよう」というメンバー同士でのやり取りがもしかしたらあったのかもしれない。それはせっかく今までにない位置でライブを見れるんだから、その人たちにもっと特別な思いをして欲しいというバンドからのサービス精神の賜と言えるだろう。
そんな中、序盤の「アフターダーク」で早くも喜多がステージに膝を付くようにしてギターを鳴らすと、ゴッチは2サビをその喜多のコーラスに任せて少しマイクスタンドから離れた。決して声が出ていないわけでも、歌いきれないわけでもないボーカルの調子の良さであるにもかかわらずだ。
それはどこかこの「アフターダーク」が前日よりも速く、そして激しい演奏に感じられたからかもしれない、とこの段階では思っていたのだが、実際にバンドの演奏も実にスピーディーであるし、流れを知っているということもあってか、前日以上にあっという間に時間が過ぎていくような印象すらあった。それは演奏する曲数を知っているからこそ、残りの曲数もわかってしまっているからというか。
それはゴッチの挨拶的なMC(これも前日よりも簡素なものだった)から、「荒野を歩け」「ループ&ループ」「リライト」「ソラニン」「君という花」というアジカンのアンセム的な曲が早くも前半で次々に演奏されていくという曲順によるものも大きかっただろうけれど、とにかく体感時間があっという間だ。もしかしたらアジカンと一緒に25周年のうちの20年ほどを過ごすうちに、時間を短く感じるくらいに年齢を重ねたのかもしれない、とすら思ってしまう。
この日もMCではこのパシフィコ横浜の構造上、あまり派手なセットは組めないということでステージ観覧席を取り入れたということを話してから喜多がメインボーカルを務める「シーサイドスリーピング」へ繋がるのだが、前日は1階席のPAの真後ろというちょうど真ん中で、この日は1階の後ろの方の席という位置に変わっただけに、視界に入る観客の数が圧倒的に増えたのだが、このかなりマイナーというような曲でさえもたくさんの人が手拍子をしたり腕を挙げたりして、それぞれの楽しみ方で思い思いに楽しんでいるという姿がより見える。それくらいにこの日来ていた人がアジカンのあらゆる曲を愛し、そうした全ての曲を楽しみにしてこうしてライブに来ているということがよくわかる。
ステージに近い前の方の席だともちろん嬉しいけど、それでは見えないものも確かにある。それが後ろの方からちゃんと感じられる。アジカンファンの一人として、そんな光景が本当に嬉しい。
ここで前日と同様にスペシャルゲストタイム。正直、それぞれのスケジュール的に2daysとも全員参加してくれるのだろうか、と思っていたが、この男は絶対に参加するのがライブ開始前からわかっていたのは、フジファブリックの金澤ダイスケが前日に弾いていたキーボードがこの日もステージ上に鎮座していたからである。
この日も金澤が参加した「マジックディスク」ツアーの思い出をゴッチが語るのだが、この日は
「鹿児島で朝6時くらいにダイちゃんと2人で桜島を見ながら朝風呂に入ったことが忘れられない」
という。もちろんツアー中に山田と喧嘩したという話もするのだが、
「表に出ろ!的なことを言ったけど、よくよく考えたら山ちゃんに腕力で勝てるはずがないし、山ちゃんは髪型も武器だから(笑)」
と変わらぬ山田の角刈りっぷりをいじるのだが、
喜多「当時は今よりも髪型が尖っていたからね(笑)」
ゴッチ「ちょっと何言ってるかわかんない(笑)」
というように喜多の話は華麗にスルーされていく。
その金澤のキーボードは、おそらくもう今後ライブで聴けることはないんじゃないだろうかとすら思える「ケモノノケモノ」で前日以上に激しいプレイを見せてくれるのだが、ゴッチがハンドマイク歌唱かつ後半はタンバリンを叩くことによって、ゴッチも前日以上に後ろのステージ観覧席の方に向き合いながら歌っていたようなイメージがあった。こんなにゴッチと至近距離で目が合って緊張しないんだろうかと心配になるくらいに。
するとゴッチはこの日は
「ダイちゃんと一緒に回っていたツアーはあと数本を残して中止になってしまった。その直後に書いた曲」
と口にしてから、
「音楽はあまりに無力なんて常套句に酔っても
世界をただ一ミリでも動かすことは出来るだろうか
悲しみだけが強かにレンズに映るけど
焼き増すだけならフィルムに埋もれるだけだろう」
「闇と瓦礫を掻き分けて
辿り着いたんだ」
というフレーズが直接的に2011年の震災の影響を受けて書かれたことを感じさせる「夜を越えて」を演奏するのだが、そのゴッチの言葉を聞いて、人生で初めてチケットを払い戻しした時のことを思い出した。
すでに渋谷AX、柏PALOOZA、Zepp Tokyoと3箇所参加しても、まだまだ見たいと思うくらいに素晴らしいアルバムだった「マジックディスク」と、あまりにも長すぎるツアーであるが故に渋谷AXは若干こなしている感も感じられた、そのツアー。それでもさらにファイナルの東京国際フォーラム2daysのチケットを取っていたのが、開催直前に震災が起こって中止になってしまった。
あの時に初めてチケットの払い戻しをした時の虚しさと、それでもどうしようもない感覚を払い戻しで金が戻ってきたローソンのレジで持ったことは今でも本当によく覚えているが、あれから10年経って、コロナ禍というパンデミックによって、もう数え切れないくらいに払い戻しをすることになるなんて全く想像していなかった。
でもそんな震災の時に落ち込むしかなかった自分の心に寄り添ってくれたのが震災直後にリリースしたアジカンの「ひかり」であり、そんな自分を引っ張り上げてくれたのが「夜を越えて」や、ゴッチの行っていた支援活動やTHE FUTURE TIMESだった。そう考えると、本当に曲を聴いてきただけじゃなくて、人生を支えてきてくれたバンドなんだなと思う。それを乗り越えた後も、今でもこの曲たちは今の社会や世界の状況だからこそ響き、刺さるものがある。きっと生きている限り、どんなことがあってもこれからもそうやってこの曲たちに支えられていくんだろうと思う。
ここでアジカン第五のメンバーことシモリョーも真っ白の衣装で登場するのだが、前日は「織田裕二みたい」と言っていたのだが、この日はシモリョーが両腕を高く掲げてステージに現れたので、
「「YAH YAH YAH」の時のチャゲアスみたい(笑)」
と評されるのだが、そのシモリョーが加わっての「迷子犬と雨のビート」では間奏で喜多が自身の真後ろのステージ観覧席の通路の上に立つ、つまりステージ観覧席の人の真横でギターを弾きまくるという、前日はやっていなかったパフォーマンスを見せるのも、前日やってみて「ここまでいける!」と思ったからだろうか。確かにこれができるとすればそれはメンバーで喜多だけである。
夜の高速道路を走る映像が最後には薄らと朝日が覗いているような明るさになるのがそのままこの夜の状況を抜けて朝が訪れるという希望を抱かせてくれる最新シングル「エンパシー」の後には、ゲストボーカルが次々とステージに上がってくる。
羊文学の塩塚モエカは前日同様に緑色の衣装を着てゆらゆらと体を揺らし、時には飛び跳ねながらその伸びやかな声を「触れたい 確かめたい」でのゴッチとのデュエットで羊文学でのライブの時以上に感じさせると、Homecomingsの畳野彩加は前日の真っ白な衣装とは違い、白と黒が入り混じった衣装でマイクスタンドの前にドンと立ち、徐々に高まっていってサビで一気に爆発する「UCLA」で見た目の雰囲気通りに凛とした歌声を聞かせてくれる。
このデュエット2曲は通常のライブではゲストなしでも演奏されている曲なのだが、こうしてゲストがゴッチと一緒に歌ってくれるというのが特別感を感じさせてくれるのはもちろん、観客のテンションもいつものライブの時以上により高めてくれる。それこそ「UCLA」でこんなにもたくさんの腕が上がっているのは畳野が参加してくれたことによる効果が間違いなくあるはずだし、後に登場するROTH BART BARONの三船雅也も含めて、みんなアジカンを聴いて育ち、自分たちが音楽を作る上で多大な影響を受けていて、だからこそこうしてそんなアジカンの25周年を祝うライブに参加できていることが本当に楽しくて、幸せで仕方がないというオーラを発してくれている。それはステージに立つ側とそれを見る側という違いはあるけれど、我々が抱いているアジカンへの思いをこのゲストたちも確かに持っていて、その全員で一緒にアジカンの25周年を祝っているような、昨年のツアーとはまた違う種類の喜びがそこには確かにあったのだ。
雄大なサウンドの「ダイアローグ」のアウトロでゴッチがOasisよろしく
「It's just rock'n roll」
と何度も口にしてから「転がる岩、君に朝が降る」へと繋がるという流れはこの日限りではもったいないとも思いながらも、
「出来れば世界を僕は塗り変えたい
戦争をなくすような大逸れたことじゃない
だけどちょっと それもあるよな」
という今だからこそより強く胸の奥にまで突き刺さるフレーズを持つからこそ、この日この流れで演奏されたのだと思う。
やはり前日に続いて「デカい」と思ってしまう、ROTH BART BARONの三船雅也とのコラボ曲の「You To You」では三船が曲中で後ろを向き、真っ先にステージ観覧席の観客を煽るように手拍子をする。それにすぐさま応えるようにステージ観覧席から通常の客席へと手拍子が広がっていくのだが、その見た目の巨漢さやROTH BART BARONの生み出している音楽のイメージとは裏腹なくらいに無垢というか無邪気に見える三船の姿は、彼のイメージが変わったという人もたくさんいたんじゃないかと思う。それはもちろんこの「You To You」がビックリするくらいにロックな曲であるということも含めて。
そしてゴッチの
「これからもアジカンのストーリーは続いていく」
という言葉に本当に嬉しくなったのは、メンバーがこれから先もアジカンを続けていく気しかないということがよくわかったからである。というよりも、もはやアジカンというバンドが自分たち4人だけのものではなくなってきているということもわかっているのだろう。「ONE PIECE」がもはや尾田栄一郎だけのものではなくなりながらも、今も自身のクリエイティブを総動員してストーリーを続けているように。
ステージには村田一族のストリングスチーム8名が登場すると、ゴッチはこの日は配信も行われていたため、そうして画面越しで見てくれている人たちにも感謝を告げると、前日に呼び込み忘れたTurntable Filmsの井上陽介をこの日は忘れることなくステージに呼び込み、その大編成になったことによってゴッチはハンドマイクになって「フラワーズ」を歌うのであるが、この日のこの曲でのゴッチのファルセット気味のハイトーンボーカルの伸びの素晴らしさはキャリア最高を間違いなく更新していた。
ただ「上手い」というだけじゃなくて、感情がその声に乗っているからこそそう思えるというか。もちろんこの日のその感情の源泉は間違いなく観客や来てくれた人、画面越しで見てくれていた人、アジカンに関わってくれた全ての人への25年間の感謝の念そのものだ。20年くらいずっと音楽を聴いてライブを見てきたけれど、後藤正文というボーカリストはこれから先さらに最高を更新してくれると思わずにはいられないくらいに、ひたすらにゴッチのボーカルに心を震わされていた。
そしてやはりゴッチがストリングス隊一人一人を含めてステージにいる全員の紹介をしてから最後に演奏されたのは、前日同様にこの日も井上のアコギとストリングスの奏でるサウンドというこの日だからこそ加わった音がただでさえ美しいこの曲をさらにこんなにも美しいものにしてくれている「海岸通り」。
昨日から、Tシャツとパーカーというどちらもアジカンの物販で買った服だけを着て家から会場まで向かって過ごせるような温暖な気候になっていた。時折優しく揺らぐ風が吹くのも海が近い横浜のこの会場だからだろうけれど、やはりこの2日間は人間がどうやっても操ることができない気象さえもがアジカンの25周年を祝ってくれているかのように、海岸通りに春が待っていたのだった。
アンコールでは前日同様にゲストなしのメンバー4人だけでステージに登場すると、ゴッチはこの25年間を支え続けてライブを作り続けてくれたスタッフへ感謝の言葉を送るとともに、そのスタッフたちに拍手を送って欲しいと観客たちに呼びかける。
そのスタッフへの感謝の言葉の裏には、アジカンのライブに関わる人たちもまたコロナ禍になってライブがなくなったり、不要不急と言われたことに傷ついたりした人もたくさんいただろうし、実際に食べていくことが出来なくなってアジカンから、音楽業界から離れざるを得なくなってしまった人だっているかもしれない。でも、アジカンがライブをやってこれたのはそうしたスタッフの人たちがいてくれたからで、アジカンのさらに下の世代の人たちがライブをやっていく上でも、そういう人たちの存在は必要不可欠なものだ。そうした人たちに対しての感謝の言葉であり、それをきっと観客もみんなわかっていたからこそ、本当に大きな拍手に包まれていた。
そんなMCの後に演奏されたのは、この日も
「俺たちを世界に連れて行ってくれた曲!」
と言って山田がイントロのベースを弾き始めた「遥か彼方」。この曲の前のMCがあったからこそ、きっと南米にもヨーロッパにもたくさんのスタッフと一緒にライブをしに行って、そこで喜びを分かち合ったんだろうな、というのがそのスタッフたちが作った、過去のライブでこの曲が演奏された時の客席の様子が映し出された映像からわかるのだが、この曲の最後の
「塗りつぶすのさ白く 白く」
の本当に最後の「白く」のフレーズをゴッチは叫ぶようにして歌い、その直後にどうだと言わんばかりに客席を見た。客席からはまだ曲のアウトロが終わっていないにも関わらず、そのゴッチのボーカルに向かって大きな拍手が起こった。
この曲でシーンに登場した時、アジカンは、というかゴッチの歌唱はマサカリ投法のごとくに思いっきり振りかぶって150kmの豪速球を投げる、的なフォームだった。だからこそ青春パンクバンドだと思われたりしたことすらもあったのだが、それ以降に年齢を重ねるにつれて、もっと自然なフォームで145kmくらいのキレのある速球と様々な変化球を投げられるフォームを会得していった。
だけどこの日のこの「遥か彼方」の歌唱は、まだまだ豪快に振りかぶって投げることができる、そうして投げれば150kmを出すことだってできるということを改めて示すような、25周年の今だからこそやる意味のある素晴らしいパフォーマンスだった。そこからはまだ豪快なフォームだった頃に見ていたライブを始め、あらゆるアジカンのライブの記憶や思い出に思いを馳せずにはいられなかったし、やっぱりアジカンは今でもカッコいいロックバンドのままであり続けているということを示してくれた瞬間だったのだ。前日に1番心が震えたのが「海岸通り」なら、この日は間違いなくこの「遥か彼方」だった。
そして最後の時を告げるのはやはり「今を生きて」なのだが、直前のゴッチの熱唱に引っ張られた部分も多分にあるのだろうけれど、客席の盛り上がりっぷりが今までのこの曲の景色をはるかに凌駕していた。もう勝手に腕が上がったり手を叩いたりしてしまうくらいにバンドが鳴らす音に反応していたのだろうけれど、これが声を出せたらもっと最高だろうなと思えたのは、また30周年の時に最後にこの曲が演奏される時にとっておこうと思う。演奏が終わって肩を組んで一礼する4人は、25年を超えた今になってアジカンでいられていることの喜びをこれまでで最も感じられていて、それを愛おしく、大切に思っているかのようだった。
「音楽と人」の表紙巻頭でのゴッチのインタビューでも話しているように、今となっては信じられないことであるが、アジカンが出てきた当時は「あんな奴らはロックじゃない」的な声が、アジカンのメンバーと同世代や上の世代の人たちから上がっていた。(その割にはそういう人たちこそ2010年代以降には「ロックバンドのくせに〜」みたいな難癖をつけてきたりしていたけれど)
もちろん自分もアジカンがデビューした時から聴いているだけに、そうした声があるのもわかっていたし、当時タワレコのCMに出演した際にもゴッチが
「やっぱりロックは愛だよね」
と言っていたことに「お前がロックを語るな」と言われていたのも今でもよく覚えている。
でも自分は人間としては当時から明らかにアジカンのメンバーたちと同じようなタイプだった。どうしたって華やかな、見るからにロックスターだ、というような人になれるようなタイプではない。でも、そんな自分が抱えているこの焦燥感みたいなものがロックじゃないと言われるんなら、何がロックなんだろうか?って思っていた。そんな自分にとってアジカンの鳴らすバンドサウンドはこれ以上ないくらいにロックだった。自分のような奴がバンドをやってこんなにカッコよくなれるという下剋上感、これこそが他のどんなものよりもロックじゃないかと。
そうしてアジカンにハマっていくうちに、ツアーやNANO-MUGEN FES.で海外のアーティストの音楽やライブに触れ、ロックバンド以外の音楽にも触れるようになった。ロックじゃないと言われていたバンドは、自分のようなやつにいろんな音楽の楽しみ方を教えてくれたのだ。それもまた自分にとっては本当にロックなことだった。
近年ではアジカンを好きでいることによって、ゴッチがネット上で袋叩きにされていたり、それが波及するようにわけわからないアカウントに絡まれたりと、なかなか100%スッキリした気持ちでアジカンに(というかゴッチに)向き合うことができないこともあったりしたけれど、このアジカンを好きな人たち全員とアジカンを好きでいたことを祝福しあえたこの2日間を経て、やっぱりずっとアジカンを好きでいて本当に良かったと思った。こんなにカッコいい、こんなに素晴らしいバンドのライブをずっと見続けることができたのだから。それはもはや人生における誇りと呼べるものかもしれないとすら思う。
だからこそ、月並みであるがこれから先も何周年だって一緒に祝えていれるように。
「君じゃないなら意味はないのさ だからもっともっともっと遥か彼方」
アジカンじゃなきゃ意味がないから、もっと何十年だって一緒に、遥か彼方まで。
1.センスレス
2.Re:Re:
3.アフターダーク
4.荒野を歩け
5.ループ&ループ
6.リライト
7.ソラニン
8.君という花 〜 大洋航路
9.シーサイドスリーピング
10.夕暮れの紅 w/金澤ダイスケ
11.ケモノノケモノ w/金澤ダイスケ
12.夜を越えて
以下、w/シモリョー
13.迷子犬と雨のビート
14.エンパシー
15.触れたい 確かめたい w/塩塚モエカ
16.UCLA w/畳野彩加
17.ダイアローグ
18.転がる岩、君に朝が降る
19.You To You w/三船雅也
20.フラワーズ w/村田一族、井上陽介
21.海岸通り w/村田一族、井上陽介
encore
22.遥か彼方
23.今を生きて
基本的な流れは前日のレポ(http://rocknrollisnotdead.jp/blog-entry-1018.html?sp)を見ていただきたいというのは、流れは、というかセトリは全く変わっていないからであるが、前日に観ていても確かにこれは(特にゲストが登場する後半以降は)セトリを変えることができないだろうな、とも思っていた。それくらいにこのセトリが「25周年のアジカンのスペシャルライブのセトリ」としてこれ以上ないくらいに完成されたものだったからである。(もちろんファンの数それぞれ「あの曲やってよ!」的なものはあるだろうけれど)
なので同じ曲を演奏していても明らかに変わった部分や目についた部分を中心としたレポにしたいと思うのだが、この日もSEが流れてメンバーが登場すると、そのSEが「センスレス」のイントロになって演奏が始まり、徐々にバンドの演奏が熱量を増していくと、最後のサビというかピーク部分を前にしてゴッチがギターを高く掲げ、観客が曲中ながら大きな拍手を送るという流れも変わらないのだが、ゴッチのボーカルは2daysの2日目としてのキツさはほとんど感じられないというか、むしろこの日でこの周年を祝うライブは終わってしまう。だからこそ全てを出し尽くすというような気合いが感じられるものになっている。それは喜多建介(ギター)、山田貴洋(ベース)、伊地知潔(ドラム)の3人の笑顔からも感じられるものである。
演奏も前日と全く同じということは当然なく、この日はむしろメンバーそれぞれがステージ観覧席にいる人のことを前日以上に意識しているかのように後ろや横を向いたりする場面も多かったイメージなのだが、これは前日のライブ後に「もうちょっとステージ観覧席を意識しよう」というメンバー同士でのやり取りがもしかしたらあったのかもしれない。それはせっかく今までにない位置でライブを見れるんだから、その人たちにもっと特別な思いをして欲しいというバンドからのサービス精神の賜と言えるだろう。
そんな中、序盤の「アフターダーク」で早くも喜多がステージに膝を付くようにしてギターを鳴らすと、ゴッチは2サビをその喜多のコーラスに任せて少しマイクスタンドから離れた。決して声が出ていないわけでも、歌いきれないわけでもないボーカルの調子の良さであるにもかかわらずだ。
それはどこかこの「アフターダーク」が前日よりも速く、そして激しい演奏に感じられたからかもしれない、とこの段階では思っていたのだが、実際にバンドの演奏も実にスピーディーであるし、流れを知っているということもあってか、前日以上にあっという間に時間が過ぎていくような印象すらあった。それは演奏する曲数を知っているからこそ、残りの曲数もわかってしまっているからというか。
それはゴッチの挨拶的なMC(これも前日よりも簡素なものだった)から、「荒野を歩け」「ループ&ループ」「リライト」「ソラニン」「君という花」というアジカンのアンセム的な曲が早くも前半で次々に演奏されていくという曲順によるものも大きかっただろうけれど、とにかく体感時間があっという間だ。もしかしたらアジカンと一緒に25周年のうちの20年ほどを過ごすうちに、時間を短く感じるくらいに年齢を重ねたのかもしれない、とすら思ってしまう。
この日もMCではこのパシフィコ横浜の構造上、あまり派手なセットは組めないということでステージ観覧席を取り入れたということを話してから喜多がメインボーカルを務める「シーサイドスリーピング」へ繋がるのだが、前日は1階席のPAの真後ろというちょうど真ん中で、この日は1階の後ろの方の席という位置に変わっただけに、視界に入る観客の数が圧倒的に増えたのだが、このかなりマイナーというような曲でさえもたくさんの人が手拍子をしたり腕を挙げたりして、それぞれの楽しみ方で思い思いに楽しんでいるという姿がより見える。それくらいにこの日来ていた人がアジカンのあらゆる曲を愛し、そうした全ての曲を楽しみにしてこうしてライブに来ているということがよくわかる。
ステージに近い前の方の席だともちろん嬉しいけど、それでは見えないものも確かにある。それが後ろの方からちゃんと感じられる。アジカンファンの一人として、そんな光景が本当に嬉しい。
ここで前日と同様にスペシャルゲストタイム。正直、それぞれのスケジュール的に2daysとも全員参加してくれるのだろうか、と思っていたが、この男は絶対に参加するのがライブ開始前からわかっていたのは、フジファブリックの金澤ダイスケが前日に弾いていたキーボードがこの日もステージ上に鎮座していたからである。
この日も金澤が参加した「マジックディスク」ツアーの思い出をゴッチが語るのだが、この日は
「鹿児島で朝6時くらいにダイちゃんと2人で桜島を見ながら朝風呂に入ったことが忘れられない」
という。もちろんツアー中に山田と喧嘩したという話もするのだが、
「表に出ろ!的なことを言ったけど、よくよく考えたら山ちゃんに腕力で勝てるはずがないし、山ちゃんは髪型も武器だから(笑)」
と変わらぬ山田の角刈りっぷりをいじるのだが、
喜多「当時は今よりも髪型が尖っていたからね(笑)」
ゴッチ「ちょっと何言ってるかわかんない(笑)」
というように喜多の話は華麗にスルーされていく。
その金澤のキーボードは、おそらくもう今後ライブで聴けることはないんじゃないだろうかとすら思える「ケモノノケモノ」で前日以上に激しいプレイを見せてくれるのだが、ゴッチがハンドマイク歌唱かつ後半はタンバリンを叩くことによって、ゴッチも前日以上に後ろのステージ観覧席の方に向き合いながら歌っていたようなイメージがあった。こんなにゴッチと至近距離で目が合って緊張しないんだろうかと心配になるくらいに。
するとゴッチはこの日は
「ダイちゃんと一緒に回っていたツアーはあと数本を残して中止になってしまった。その直後に書いた曲」
と口にしてから、
「音楽はあまりに無力なんて常套句に酔っても
世界をただ一ミリでも動かすことは出来るだろうか
悲しみだけが強かにレンズに映るけど
焼き増すだけならフィルムに埋もれるだけだろう」
「闇と瓦礫を掻き分けて
辿り着いたんだ」
というフレーズが直接的に2011年の震災の影響を受けて書かれたことを感じさせる「夜を越えて」を演奏するのだが、そのゴッチの言葉を聞いて、人生で初めてチケットを払い戻しした時のことを思い出した。
すでに渋谷AX、柏PALOOZA、Zepp Tokyoと3箇所参加しても、まだまだ見たいと思うくらいに素晴らしいアルバムだった「マジックディスク」と、あまりにも長すぎるツアーであるが故に渋谷AXは若干こなしている感も感じられた、そのツアー。それでもさらにファイナルの東京国際フォーラム2daysのチケットを取っていたのが、開催直前に震災が起こって中止になってしまった。
あの時に初めてチケットの払い戻しをした時の虚しさと、それでもどうしようもない感覚を払い戻しで金が戻ってきたローソンのレジで持ったことは今でも本当によく覚えているが、あれから10年経って、コロナ禍というパンデミックによって、もう数え切れないくらいに払い戻しをすることになるなんて全く想像していなかった。
でもそんな震災の時に落ち込むしかなかった自分の心に寄り添ってくれたのが震災直後にリリースしたアジカンの「ひかり」であり、そんな自分を引っ張り上げてくれたのが「夜を越えて」や、ゴッチの行っていた支援活動やTHE FUTURE TIMESだった。そう考えると、本当に曲を聴いてきただけじゃなくて、人生を支えてきてくれたバンドなんだなと思う。それを乗り越えた後も、今でもこの曲たちは今の社会や世界の状況だからこそ響き、刺さるものがある。きっと生きている限り、どんなことがあってもこれからもそうやってこの曲たちに支えられていくんだろうと思う。
ここでアジカン第五のメンバーことシモリョーも真っ白の衣装で登場するのだが、前日は「織田裕二みたい」と言っていたのだが、この日はシモリョーが両腕を高く掲げてステージに現れたので、
「「YAH YAH YAH」の時のチャゲアスみたい(笑)」
と評されるのだが、そのシモリョーが加わっての「迷子犬と雨のビート」では間奏で喜多が自身の真後ろのステージ観覧席の通路の上に立つ、つまりステージ観覧席の人の真横でギターを弾きまくるという、前日はやっていなかったパフォーマンスを見せるのも、前日やってみて「ここまでいける!」と思ったからだろうか。確かにこれができるとすればそれはメンバーで喜多だけである。
夜の高速道路を走る映像が最後には薄らと朝日が覗いているような明るさになるのがそのままこの夜の状況を抜けて朝が訪れるという希望を抱かせてくれる最新シングル「エンパシー」の後には、ゲストボーカルが次々とステージに上がってくる。
羊文学の塩塚モエカは前日同様に緑色の衣装を着てゆらゆらと体を揺らし、時には飛び跳ねながらその伸びやかな声を「触れたい 確かめたい」でのゴッチとのデュエットで羊文学でのライブの時以上に感じさせると、Homecomingsの畳野彩加は前日の真っ白な衣装とは違い、白と黒が入り混じった衣装でマイクスタンドの前にドンと立ち、徐々に高まっていってサビで一気に爆発する「UCLA」で見た目の雰囲気通りに凛とした歌声を聞かせてくれる。
このデュエット2曲は通常のライブではゲストなしでも演奏されている曲なのだが、こうしてゲストがゴッチと一緒に歌ってくれるというのが特別感を感じさせてくれるのはもちろん、観客のテンションもいつものライブの時以上により高めてくれる。それこそ「UCLA」でこんなにもたくさんの腕が上がっているのは畳野が参加してくれたことによる効果が間違いなくあるはずだし、後に登場するROTH BART BARONの三船雅也も含めて、みんなアジカンを聴いて育ち、自分たちが音楽を作る上で多大な影響を受けていて、だからこそこうしてそんなアジカンの25周年を祝うライブに参加できていることが本当に楽しくて、幸せで仕方がないというオーラを発してくれている。それはステージに立つ側とそれを見る側という違いはあるけれど、我々が抱いているアジカンへの思いをこのゲストたちも確かに持っていて、その全員で一緒にアジカンの25周年を祝っているような、昨年のツアーとはまた違う種類の喜びがそこには確かにあったのだ。
雄大なサウンドの「ダイアローグ」のアウトロでゴッチがOasisよろしく
「It's just rock'n roll」
と何度も口にしてから「転がる岩、君に朝が降る」へと繋がるという流れはこの日限りではもったいないとも思いながらも、
「出来れば世界を僕は塗り変えたい
戦争をなくすような大逸れたことじゃない
だけどちょっと それもあるよな」
という今だからこそより強く胸の奥にまで突き刺さるフレーズを持つからこそ、この日この流れで演奏されたのだと思う。
やはり前日に続いて「デカい」と思ってしまう、ROTH BART BARONの三船雅也とのコラボ曲の「You To You」では三船が曲中で後ろを向き、真っ先にステージ観覧席の観客を煽るように手拍子をする。それにすぐさま応えるようにステージ観覧席から通常の客席へと手拍子が広がっていくのだが、その見た目の巨漢さやROTH BART BARONの生み出している音楽のイメージとは裏腹なくらいに無垢というか無邪気に見える三船の姿は、彼のイメージが変わったという人もたくさんいたんじゃないかと思う。それはもちろんこの「You To You」がビックリするくらいにロックな曲であるということも含めて。
そしてゴッチの
「これからもアジカンのストーリーは続いていく」
という言葉に本当に嬉しくなったのは、メンバーがこれから先もアジカンを続けていく気しかないということがよくわかったからである。というよりも、もはやアジカンというバンドが自分たち4人だけのものではなくなってきているということもわかっているのだろう。「ONE PIECE」がもはや尾田栄一郎だけのものではなくなりながらも、今も自身のクリエイティブを総動員してストーリーを続けているように。
ステージには村田一族のストリングスチーム8名が登場すると、ゴッチはこの日は配信も行われていたため、そうして画面越しで見てくれている人たちにも感謝を告げると、前日に呼び込み忘れたTurntable Filmsの井上陽介をこの日は忘れることなくステージに呼び込み、その大編成になったことによってゴッチはハンドマイクになって「フラワーズ」を歌うのであるが、この日のこの曲でのゴッチのファルセット気味のハイトーンボーカルの伸びの素晴らしさはキャリア最高を間違いなく更新していた。
ただ「上手い」というだけじゃなくて、感情がその声に乗っているからこそそう思えるというか。もちろんこの日のその感情の源泉は間違いなく観客や来てくれた人、画面越しで見てくれていた人、アジカンに関わってくれた全ての人への25年間の感謝の念そのものだ。20年くらいずっと音楽を聴いてライブを見てきたけれど、後藤正文というボーカリストはこれから先さらに最高を更新してくれると思わずにはいられないくらいに、ひたすらにゴッチのボーカルに心を震わされていた。
そしてやはりゴッチがストリングス隊一人一人を含めてステージにいる全員の紹介をしてから最後に演奏されたのは、前日同様にこの日も井上のアコギとストリングスの奏でるサウンドというこの日だからこそ加わった音がただでさえ美しいこの曲をさらにこんなにも美しいものにしてくれている「海岸通り」。
昨日から、Tシャツとパーカーというどちらもアジカンの物販で買った服だけを着て家から会場まで向かって過ごせるような温暖な気候になっていた。時折優しく揺らぐ風が吹くのも海が近い横浜のこの会場だからだろうけれど、やはりこの2日間は人間がどうやっても操ることができない気象さえもがアジカンの25周年を祝ってくれているかのように、海岸通りに春が待っていたのだった。
アンコールでは前日同様にゲストなしのメンバー4人だけでステージに登場すると、ゴッチはこの25年間を支え続けてライブを作り続けてくれたスタッフへ感謝の言葉を送るとともに、そのスタッフたちに拍手を送って欲しいと観客たちに呼びかける。
そのスタッフへの感謝の言葉の裏には、アジカンのライブに関わる人たちもまたコロナ禍になってライブがなくなったり、不要不急と言われたことに傷ついたりした人もたくさんいただろうし、実際に食べていくことが出来なくなってアジカンから、音楽業界から離れざるを得なくなってしまった人だっているかもしれない。でも、アジカンがライブをやってこれたのはそうしたスタッフの人たちがいてくれたからで、アジカンのさらに下の世代の人たちがライブをやっていく上でも、そういう人たちの存在は必要不可欠なものだ。そうした人たちに対しての感謝の言葉であり、それをきっと観客もみんなわかっていたからこそ、本当に大きな拍手に包まれていた。
そんなMCの後に演奏されたのは、この日も
「俺たちを世界に連れて行ってくれた曲!」
と言って山田がイントロのベースを弾き始めた「遥か彼方」。この曲の前のMCがあったからこそ、きっと南米にもヨーロッパにもたくさんのスタッフと一緒にライブをしに行って、そこで喜びを分かち合ったんだろうな、というのがそのスタッフたちが作った、過去のライブでこの曲が演奏された時の客席の様子が映し出された映像からわかるのだが、この曲の最後の
「塗りつぶすのさ白く 白く」
の本当に最後の「白く」のフレーズをゴッチは叫ぶようにして歌い、その直後にどうだと言わんばかりに客席を見た。客席からはまだ曲のアウトロが終わっていないにも関わらず、そのゴッチのボーカルに向かって大きな拍手が起こった。
この曲でシーンに登場した時、アジカンは、というかゴッチの歌唱はマサカリ投法のごとくに思いっきり振りかぶって150kmの豪速球を投げる、的なフォームだった。だからこそ青春パンクバンドだと思われたりしたことすらもあったのだが、それ以降に年齢を重ねるにつれて、もっと自然なフォームで145kmくらいのキレのある速球と様々な変化球を投げられるフォームを会得していった。
だけどこの日のこの「遥か彼方」の歌唱は、まだまだ豪快に振りかぶって投げることができる、そうして投げれば150kmを出すことだってできるということを改めて示すような、25周年の今だからこそやる意味のある素晴らしいパフォーマンスだった。そこからはまだ豪快なフォームだった頃に見ていたライブを始め、あらゆるアジカンのライブの記憶や思い出に思いを馳せずにはいられなかったし、やっぱりアジカンは今でもカッコいいロックバンドのままであり続けているということを示してくれた瞬間だったのだ。前日に1番心が震えたのが「海岸通り」なら、この日は間違いなくこの「遥か彼方」だった。
そして最後の時を告げるのはやはり「今を生きて」なのだが、直前のゴッチの熱唱に引っ張られた部分も多分にあるのだろうけれど、客席の盛り上がりっぷりが今までのこの曲の景色をはるかに凌駕していた。もう勝手に腕が上がったり手を叩いたりしてしまうくらいにバンドが鳴らす音に反応していたのだろうけれど、これが声を出せたらもっと最高だろうなと思えたのは、また30周年の時に最後にこの曲が演奏される時にとっておこうと思う。演奏が終わって肩を組んで一礼する4人は、25年を超えた今になってアジカンでいられていることの喜びをこれまでで最も感じられていて、それを愛おしく、大切に思っているかのようだった。
「音楽と人」の表紙巻頭でのゴッチのインタビューでも話しているように、今となっては信じられないことであるが、アジカンが出てきた当時は「あんな奴らはロックじゃない」的な声が、アジカンのメンバーと同世代や上の世代の人たちから上がっていた。(その割にはそういう人たちこそ2010年代以降には「ロックバンドのくせに〜」みたいな難癖をつけてきたりしていたけれど)
もちろん自分もアジカンがデビューした時から聴いているだけに、そうした声があるのもわかっていたし、当時タワレコのCMに出演した際にもゴッチが
「やっぱりロックは愛だよね」
と言っていたことに「お前がロックを語るな」と言われていたのも今でもよく覚えている。
でも自分は人間としては当時から明らかにアジカンのメンバーたちと同じようなタイプだった。どうしたって華やかな、見るからにロックスターだ、というような人になれるようなタイプではない。でも、そんな自分が抱えているこの焦燥感みたいなものがロックじゃないと言われるんなら、何がロックなんだろうか?って思っていた。そんな自分にとってアジカンの鳴らすバンドサウンドはこれ以上ないくらいにロックだった。自分のような奴がバンドをやってこんなにカッコよくなれるという下剋上感、これこそが他のどんなものよりもロックじゃないかと。
そうしてアジカンにハマっていくうちに、ツアーやNANO-MUGEN FES.で海外のアーティストの音楽やライブに触れ、ロックバンド以外の音楽にも触れるようになった。ロックじゃないと言われていたバンドは、自分のようなやつにいろんな音楽の楽しみ方を教えてくれたのだ。それもまた自分にとっては本当にロックなことだった。
近年ではアジカンを好きでいることによって、ゴッチがネット上で袋叩きにされていたり、それが波及するようにわけわからないアカウントに絡まれたりと、なかなか100%スッキリした気持ちでアジカンに(というかゴッチに)向き合うことができないこともあったりしたけれど、このアジカンを好きな人たち全員とアジカンを好きでいたことを祝福しあえたこの2日間を経て、やっぱりずっとアジカンを好きでいて本当に良かったと思った。こんなにカッコいい、こんなに素晴らしいバンドのライブをずっと見続けることができたのだから。それはもはや人生における誇りと呼べるものかもしれないとすら思う。
だからこそ、月並みであるがこれから先も何周年だって一緒に祝えていれるように。
「君じゃないなら意味はないのさ だからもっともっともっと遥か彼方」
アジカンじゃなきゃ意味がないから、もっと何十年だって一緒に、遥か彼方まで。
1.センスレス
2.Re:Re:
3.アフターダーク
4.荒野を歩け
5.ループ&ループ
6.リライト
7.ソラニン
8.君という花 〜 大洋航路
9.シーサイドスリーピング
10.夕暮れの紅 w/金澤ダイスケ
11.ケモノノケモノ w/金澤ダイスケ
12.夜を越えて
以下、w/シモリョー
13.迷子犬と雨のビート
14.エンパシー
15.触れたい 確かめたい w/塩塚モエカ
16.UCLA w/畳野彩加
17.ダイアローグ
18.転がる岩、君に朝が降る
19.You To You w/三船雅也
20.フラワーズ w/村田一族、井上陽介
21.海岸通り w/村田一族、井上陽介
encore
22.遥か彼方
23.今を生きて
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