「有頂天」 〜自分のことを最も嫌いであろうバンド、ポルカドットスティングレイからの挑戦状〜
- 2019/02/07
- 19:29
ポルカドットスティングレイを初めて知った時は衝撃的だった。デビュー直後にしてツイッターなどでバズっていた「テレキャスター・ストライプ」(https://youtu.be/3ad4NsEy1tg)で女性ボーカルの雫さんがバニーガールの衣装を着て歌っていたからである。そのセルフプロデュース力の高さとMVの見せ方には恐れ入った。
リリースを重ねて若手バンドの筆頭的な存在になりつつあった昨年5月の某フェスにて、自分はこのバンドのライブを初めて見た。並み居るライブバンドたちが居並ぶそのフェスで見たポルカドットスティングレイのライブは、申し訳ないことに何も感じることができなかった。メンバーの演奏も雫のボーカルも実に上手いし、フェスの前にCDを聴いていた時はライブが見れるのを楽しみにしていたのだが、どこか機械的というか無機質というか、自分たちがこの音楽に込めた愛情というか熱量というか、そうしたものが全く感じられなかったのである。
今まで数え切れないくらいのバンドのライブを見てきたが、そう感じたことが今までなかっただけに「なぜあんなに技術があるのにあそこまで何も感じなかったのだろう?」と思っていたら、インタビューで
「リスナーが聴きたいニーズに合った曲を作っている」
「ツイッターでテーマを募集して歌詞を作っている」
と雫さんが仰っていた。
それを聞いた時に「こういう音楽が好きだからこういう曲をこのメンバーでやっている」という、自分が普段からライブを見に行っているバンドたちが当たり前に持っているような熱量がこのバンドにはないからライブがあんなに無機質に感じるのではないか?と思うようになった。
そしてそう感じたことを自分は
「みんなが喜ぶことはなんでもやる、じゃなくて自分がどんな音楽やどんな曲を作りたいか、っていうことの方が絶対大事。それがライブを見ると「人間がライブをやっている」んじゃなくて「人形が音を出してる」っていう中身のなさに出てくる。あくまでクリエイターであってミュージシャンじゃない。」
というツイートをした。(ツイートしたものそのまんま)
ご覧の通りにこのツイートにはバンド名を一切出していないのだが、何故か雫さんがこのツイートを見て「いいね」をしたことにより、
「私はミュージシャンじゃなくて結構!」
と激怒させてしまうことになってしまい、寝れなくなるくらいにバンドのファンの方々からめちゃくちゃ批判されまくってしまった。(今になると「いいね」をいただいた時に煽るようなツイートをしたのは申し訳なかったな、と思う)
その際に最後に
「「自分のことを書いて!」っていう意見も多いので、次のアルバム「有頂天」でそんな曲を書いてます!初挑戦だぞ〜」
というツイートをしていたので、そういう発言をさせてしまった身として、挑戦状として「有頂天」を購入してきたというのがこの記事を書こうと思ったきっかけである。
で、ある意味ではリリースが待ち遠しかったその「有頂天」が2月6日に発売を迎え、自分はCD+DVDの2枚組である「もっとまけられないたたかいパック」を購入してきた。
初回限定版のジャケットはメンバー4人の写真が写っているものになっているのだが、なんというか、アートワークにも強いこだわりを持っているはずのバンドなだけに、これまでの作品のようにカッコいいイラストを使って…というようなものになるのかと思っていたのだが、このジャケットもまたなんらかの意図を持ったものなのだろうか。
先行ミニアルバム「一大事」に収録されていた「ICHIDAIJI」「パンドラボックス」といったあたりが並ぶ前半はこのバンドらしい高速ダンスロックがメインだが、やはりあまりにも演奏がカッチリしすぎている(演奏が上手いからこそなんだろうけれど)というイメージは拭いきれない。ある意味ではボカロを聴いているかのようですらあり、人間らしさというか音からメンバーの表情がハッキリとは浮かんでこない。それは自分がそうしたイメージを持ってしまっているからかもしれないが。
まさかの雫さんのラップ的な歌唱による「ばけものだらけの街」からは一気に音楽性の幅を広げ、ホーンやキーボード(GRAPEVINEなどでも弾いている高野勲)のサウンドも取り入れ、
「ロックバンドじゃなくてもいい」
とアルバムのインタビューで言っていた通りにもはやこの4人でのバンドというスタイルにとらわれないような試みが見られる。
とはいえこのバンドのアンチ筆頭的な見られ方をしているかもしれないが、自分は一応「有頂天」以前のCDも所有しているし、既発曲は全て聴いている。だから演奏力や歌唱力が高いのも、今のフェスに集うようなロックファンたちのツボを巧みにつくような曲が作れる器用なバンドであるということも知っている。だからある意味ではここまでは予想の範囲内の曲たち、アルバムの展開とも言える。
しかし歌詞カードをめくっていくと、ほかのページはピンクを基調としたカラフルなものになっているのが、8曲目の「ラブコール」では何か告知の紙が間に挟まっているんじゃないかというくらいにガラッと変わる。いわゆる大学ノートの見開き的なページに、おそらく雫さんの直筆であろう筆跡でキレイに書かれた歌詞は、
「私のことを書こうと思うので
言いたいことって何か考える
空っぽなだけの私だけど
あなたとの話をしましょう」
と始まる。このフレーズだけで、言っていた「初挑戦」という曲がこの曲であることがわかる。その後に綴られているのは
「愛するあなたが欲しくないのなら
ギターなんて弾かなくていい
ただ、この愛を気に入ってくれるなら
生まれ変わってもここに来るだけなんだよ」
「どうでもいい言葉に縛られたくない
型に嵌ってそれっぽいことを叫ぶ
そんなことを単にロックと言うならば
聞けよ 私はロックじゃなくていい」
というロックという言葉に囚われようとしない、「全ては聴く人が喜ぶために」というこのバンドの理念や信念。しかしそんな歌詞とは裏腹に、この曲のサウンドはアルバムの中に入っているどの曲よりもノイジーなギターロックになっている。
(この曲の
「また夜がやってくる サイレンが鳴ってる」
というフレーズはかつてコピーしていたというアジカンの「サイレン」が自らの音楽の原体験であると思うのは考えすぎだろうか)
「書いて欲しい」って言われたから書くというんじゃなくて、自身の内面は意図しなくてもひとりでに滲み出てくるものであると自分は思っているし、自分が心を突き動かされたり、日々を生きていく力をもらっているのはそういうその人らしさが滲み出ている音楽であるため、最初にその発言を見た時は「そもそもその考え自体がなんにも変わってないような…」と思っていたのだが、このサウンドからは最も演奏しているメンバーの表情が浮かんでくる。こうした曲でありメッセージがもしバンドの内側から滲み出てきたものだったのだとしたら、もうリスナーに合わせにいったり、テーマを募集して歌詞を書かなくても聴く人が喜ぶようなものが作れるはずだ。
実際に「音楽で言いたいことや伝えたいことはない」と言っているし、それはこの曲の歌詞にも書かれていることだが、例えば「音楽が好き」という気持ちがあればそれはそのまま強いメッセージになる。サカナクションやこのバンドと対バンしているフレデリックは一貫して「音楽への愛」を歌い続けてたくさんの人に支持されている。でもこの曲の歌詞を見ていると、そうしたメッセージではないけれど、ちゃんとバンドが言いたいことや伝えたいことがあるんじゃないか、と思う。
どんなに「ロックじゃなくてもいい」「バンドじゃなくてもいい」と言っても、そもそも1人でも間違いなく音楽活動ができるだろうし、裏方的な役割もできるであろう雫さんがあえてこのメンバーたちで、ギター、ベース、ドラムというザ・ロックバンドでしかないような編成で活動を続けているのには必ず無意識下であっても「バンドでしか表現できないものがある」というのをわかっているのだろうし、だからこそこの非ロックバンド宣言とも言えるこの曲がこんなにもロックな曲になっていると思うのだ。
そしてこの曲は
「私なんかの気持ちを書いてみて分かってくれとは言わないが
それでも少しは知っていてほしい あなたのために生まれてきただけってことを」
というフレーズで締められる。声が聞こえない活字のみのインタビューでどんなことを言うよりも、メロディに、音楽に自分の声や思いを載せることでそこには感情が宿る。そうすれば必ずその想いは強く伝わる。このバンドの考えや理念を100%理解するのはきっと自分には無理だ。でもこの曲を聴く前よりは、少しはこのバンドが何をしたいのか、何故バンドで音楽をやっているのかがわかったような気がする。
このバンドにはこのバンドなりの信念みたいなものがある。自分には自分が今まで生きてきた人生の中で積み上げられた「ロックの美学」的なものがある。それはお互いに譲ることはできないものだろうから、きっと完璧に混じり合うことはないだろうし、無理に分かりあおうとしなくてもいいことだと思う。
でもこれからも自分が音楽を聴き続け、ライブに行き続けた時にいつかまたポルカドットスティングレイのライブを見る機会が巡ってくるかもしれない。その時に「ポルカのライブめちゃカッコよくなってるじゃん!」って思わせて欲しいのだ。今やいくらでもバンド以外の方法論で音楽を作れる世の中だし、バンドでなくてもバンド的な音だって作れる。でも結局のところ、自分もポルカも全く形は違えど「バンド」という生き方を選んだのは同じなのだから。
そしてなぜあえて好きとは言えないようなバンドのCDを自分は日々の仕事の対価というにはあまりにも薄給な財政の中からわざわざ3500円も出して買ったのか。
なぜならあんなに忙しくてあんなに美人であんなに凄い人(考えや信念は異なれど、2万字インタビューも含めて今までのインタビューを全部読んでいるから凄い人だというのは重々わかっているつもり)がバンド名でエゴサしても絶対出てこないような自分なんぞのツイートを見てくれていて、怒らせてしまったとはいえそれにリアクションを返してくれたのである。そんなに嬉しいことはない。そうして向こうが時間と労力を自分ごときのために割いてくれたのだから、こっちもそれに見合うような金銭と時間を使ってこのバンドの「初挑戦」に向き合おうと思ったのだ。きっとそうしないで配信やストリーミングで「ラブコール」を聴いていたらこんなに長々と書くようなことはできなかった。
自分みたいにこのバンドの考えに異論みたいなものを持っている人はたくさんいると思う。でもこの「有頂天」はそういう人も時間と労力をかけて向き合う価値があるアルバムだと思うのだ。
有頂天トレーラー
https://youtu.be/jnx3MgYoqtg
Next→ 2/8 THE BACK HORN @日本武道館
リリースを重ねて若手バンドの筆頭的な存在になりつつあった昨年5月の某フェスにて、自分はこのバンドのライブを初めて見た。並み居るライブバンドたちが居並ぶそのフェスで見たポルカドットスティングレイのライブは、申し訳ないことに何も感じることができなかった。メンバーの演奏も雫のボーカルも実に上手いし、フェスの前にCDを聴いていた時はライブが見れるのを楽しみにしていたのだが、どこか機械的というか無機質というか、自分たちがこの音楽に込めた愛情というか熱量というか、そうしたものが全く感じられなかったのである。
今まで数え切れないくらいのバンドのライブを見てきたが、そう感じたことが今までなかっただけに「なぜあんなに技術があるのにあそこまで何も感じなかったのだろう?」と思っていたら、インタビューで
「リスナーが聴きたいニーズに合った曲を作っている」
「ツイッターでテーマを募集して歌詞を作っている」
と雫さんが仰っていた。
それを聞いた時に「こういう音楽が好きだからこういう曲をこのメンバーでやっている」という、自分が普段からライブを見に行っているバンドたちが当たり前に持っているような熱量がこのバンドにはないからライブがあんなに無機質に感じるのではないか?と思うようになった。
そしてそう感じたことを自分は
「みんなが喜ぶことはなんでもやる、じゃなくて自分がどんな音楽やどんな曲を作りたいか、っていうことの方が絶対大事。それがライブを見ると「人間がライブをやっている」んじゃなくて「人形が音を出してる」っていう中身のなさに出てくる。あくまでクリエイターであってミュージシャンじゃない。」
というツイートをした。(ツイートしたものそのまんま)
ご覧の通りにこのツイートにはバンド名を一切出していないのだが、何故か雫さんがこのツイートを見て「いいね」をしたことにより、
「私はミュージシャンじゃなくて結構!」
と激怒させてしまうことになってしまい、寝れなくなるくらいにバンドのファンの方々からめちゃくちゃ批判されまくってしまった。(今になると「いいね」をいただいた時に煽るようなツイートをしたのは申し訳なかったな、と思う)
その際に最後に
「「自分のことを書いて!」っていう意見も多いので、次のアルバム「有頂天」でそんな曲を書いてます!初挑戦だぞ〜」
というツイートをしていたので、そういう発言をさせてしまった身として、挑戦状として「有頂天」を購入してきたというのがこの記事を書こうと思ったきっかけである。
で、ある意味ではリリースが待ち遠しかったその「有頂天」が2月6日に発売を迎え、自分はCD+DVDの2枚組である「もっとまけられないたたかいパック」を購入してきた。
初回限定版のジャケットはメンバー4人の写真が写っているものになっているのだが、なんというか、アートワークにも強いこだわりを持っているはずのバンドなだけに、これまでの作品のようにカッコいいイラストを使って…というようなものになるのかと思っていたのだが、このジャケットもまたなんらかの意図を持ったものなのだろうか。
先行ミニアルバム「一大事」に収録されていた「ICHIDAIJI」「パンドラボックス」といったあたりが並ぶ前半はこのバンドらしい高速ダンスロックがメインだが、やはりあまりにも演奏がカッチリしすぎている(演奏が上手いからこそなんだろうけれど)というイメージは拭いきれない。ある意味ではボカロを聴いているかのようですらあり、人間らしさというか音からメンバーの表情がハッキリとは浮かんでこない。それは自分がそうしたイメージを持ってしまっているからかもしれないが。
まさかの雫さんのラップ的な歌唱による「ばけものだらけの街」からは一気に音楽性の幅を広げ、ホーンやキーボード(GRAPEVINEなどでも弾いている高野勲)のサウンドも取り入れ、
「ロックバンドじゃなくてもいい」
とアルバムのインタビューで言っていた通りにもはやこの4人でのバンドというスタイルにとらわれないような試みが見られる。
とはいえこのバンドのアンチ筆頭的な見られ方をしているかもしれないが、自分は一応「有頂天」以前のCDも所有しているし、既発曲は全て聴いている。だから演奏力や歌唱力が高いのも、今のフェスに集うようなロックファンたちのツボを巧みにつくような曲が作れる器用なバンドであるということも知っている。だからある意味ではここまでは予想の範囲内の曲たち、アルバムの展開とも言える。
しかし歌詞カードをめくっていくと、ほかのページはピンクを基調としたカラフルなものになっているのが、8曲目の「ラブコール」では何か告知の紙が間に挟まっているんじゃないかというくらいにガラッと変わる。いわゆる大学ノートの見開き的なページに、おそらく雫さんの直筆であろう筆跡でキレイに書かれた歌詞は、
「私のことを書こうと思うので
言いたいことって何か考える
空っぽなだけの私だけど
あなたとの話をしましょう」
と始まる。このフレーズだけで、言っていた「初挑戦」という曲がこの曲であることがわかる。その後に綴られているのは
「愛するあなたが欲しくないのなら
ギターなんて弾かなくていい
ただ、この愛を気に入ってくれるなら
生まれ変わってもここに来るだけなんだよ」
「どうでもいい言葉に縛られたくない
型に嵌ってそれっぽいことを叫ぶ
そんなことを単にロックと言うならば
聞けよ 私はロックじゃなくていい」
というロックという言葉に囚われようとしない、「全ては聴く人が喜ぶために」というこのバンドの理念や信念。しかしそんな歌詞とは裏腹に、この曲のサウンドはアルバムの中に入っているどの曲よりもノイジーなギターロックになっている。
(この曲の
「また夜がやってくる サイレンが鳴ってる」
というフレーズはかつてコピーしていたというアジカンの「サイレン」が自らの音楽の原体験であると思うのは考えすぎだろうか)
「書いて欲しい」って言われたから書くというんじゃなくて、自身の内面は意図しなくてもひとりでに滲み出てくるものであると自分は思っているし、自分が心を突き動かされたり、日々を生きていく力をもらっているのはそういうその人らしさが滲み出ている音楽であるため、最初にその発言を見た時は「そもそもその考え自体がなんにも変わってないような…」と思っていたのだが、このサウンドからは最も演奏しているメンバーの表情が浮かんでくる。こうした曲でありメッセージがもしバンドの内側から滲み出てきたものだったのだとしたら、もうリスナーに合わせにいったり、テーマを募集して歌詞を書かなくても聴く人が喜ぶようなものが作れるはずだ。
実際に「音楽で言いたいことや伝えたいことはない」と言っているし、それはこの曲の歌詞にも書かれていることだが、例えば「音楽が好き」という気持ちがあればそれはそのまま強いメッセージになる。サカナクションやこのバンドと対バンしているフレデリックは一貫して「音楽への愛」を歌い続けてたくさんの人に支持されている。でもこの曲の歌詞を見ていると、そうしたメッセージではないけれど、ちゃんとバンドが言いたいことや伝えたいことがあるんじゃないか、と思う。
どんなに「ロックじゃなくてもいい」「バンドじゃなくてもいい」と言っても、そもそも1人でも間違いなく音楽活動ができるだろうし、裏方的な役割もできるであろう雫さんがあえてこのメンバーたちで、ギター、ベース、ドラムというザ・ロックバンドでしかないような編成で活動を続けているのには必ず無意識下であっても「バンドでしか表現できないものがある」というのをわかっているのだろうし、だからこそこの非ロックバンド宣言とも言えるこの曲がこんなにもロックな曲になっていると思うのだ。
そしてこの曲は
「私なんかの気持ちを書いてみて分かってくれとは言わないが
それでも少しは知っていてほしい あなたのために生まれてきただけってことを」
というフレーズで締められる。声が聞こえない活字のみのインタビューでどんなことを言うよりも、メロディに、音楽に自分の声や思いを載せることでそこには感情が宿る。そうすれば必ずその想いは強く伝わる。このバンドの考えや理念を100%理解するのはきっと自分には無理だ。でもこの曲を聴く前よりは、少しはこのバンドが何をしたいのか、何故バンドで音楽をやっているのかがわかったような気がする。
このバンドにはこのバンドなりの信念みたいなものがある。自分には自分が今まで生きてきた人生の中で積み上げられた「ロックの美学」的なものがある。それはお互いに譲ることはできないものだろうから、きっと完璧に混じり合うことはないだろうし、無理に分かりあおうとしなくてもいいことだと思う。
でもこれからも自分が音楽を聴き続け、ライブに行き続けた時にいつかまたポルカドットスティングレイのライブを見る機会が巡ってくるかもしれない。その時に「ポルカのライブめちゃカッコよくなってるじゃん!」って思わせて欲しいのだ。今やいくらでもバンド以外の方法論で音楽を作れる世の中だし、バンドでなくてもバンド的な音だって作れる。でも結局のところ、自分もポルカも全く形は違えど「バンド」という生き方を選んだのは同じなのだから。
そしてなぜあえて好きとは言えないようなバンドのCDを自分は日々の仕事の対価というにはあまりにも薄給な財政の中からわざわざ3500円も出して買ったのか。
なぜならあんなに忙しくてあんなに美人であんなに凄い人(考えや信念は異なれど、2万字インタビューも含めて今までのインタビューを全部読んでいるから凄い人だというのは重々わかっているつもり)がバンド名でエゴサしても絶対出てこないような自分なんぞのツイートを見てくれていて、怒らせてしまったとはいえそれにリアクションを返してくれたのである。そんなに嬉しいことはない。そうして向こうが時間と労力を自分ごときのために割いてくれたのだから、こっちもそれに見合うような金銭と時間を使ってこのバンドの「初挑戦」に向き合おうと思ったのだ。きっとそうしないで配信やストリーミングで「ラブコール」を聴いていたらこんなに長々と書くようなことはできなかった。
自分みたいにこのバンドの考えに異論みたいなものを持っている人はたくさんいると思う。でもこの「有頂天」はそういう人も時間と労力をかけて向き合う価値があるアルバムだと思うのだ。
有頂天トレーラー
https://youtu.be/jnx3MgYoqtg
Next→ 2/8 THE BACK HORN @日本武道館
THE BACK HORN 20th Anniversary 「ALL TIME BESTワンマンツアー」 〜KYO-MEI祭り〜 @日本武道館 2/8 ホーム
The Mirraz 節分スペシャルライブ!第二投 〜鬼はOUT!OUT!OUT! 福はIN!IN!IN!〜 @北浦和KYARA 2/3