Hello New Wall 〜ドラマーという存在の大切さを教えてくれた[Alexandros]庄村聡泰について〜
- 2020/01/24
- 22:11
当時すでにthe telephonesやBIGMAMAがシーンの中で存在感を強めていた頃だったからかもしれないが、UK PROJECTから「Where's My Potato?」でデビューする際にすでに[Champagne]という4人組のバンドは注目の存在だった。
とはいえリリースされたアルバムを聴き、フェスでライブを初めて見た時の印象は
「Oasisとかのイギリスのバンドが好きそうなバンドだな」
というくらいのものだった。今に至るまでバンドのキラーチューンであり続けている「For Freedom」や「Don't Fuck With Yoohei Kawakami」が収録されているにもかかわらずそう思ってしまったのはなんと未熟なことだったろうかとも思うけれど、本当に当時はまだピンと来るような存在ではなかったのだ。
それからほどなくしてバンドは「city」というシングルをリリースする。スペシャで大量にオンエアされていたこの曲、一聴して
「あのバンド…変わった。こんなに一気にカッコよくなるものなのか」
と思うくらいに変化・進化していた。直前にドラマーが変わったというのはニュースで見たが、それだけでこんなにも変わるものなのか。その「city」のMVのアウトテイク的な映像で腹踊りを披露する見た目からして明らかに只者ではない男。それが自分と庄村聡泰というドラマーとの出会いだった。
「もう日本のOasisと言っていいくらいの位置まで行くんじゃないか」
と思ってしまうくらいに次なるシングル「You're So Sweet & I Love You」、そしてそのシングルの2曲を収録したアルバム「I Wanna Go To Hawaii.」をリリースした頃にはすっかり[Champagne]の虜になっていた。
ライブも明らかに変わった。川上洋平からはどこか自信のようなものが漲るようになり、白井眞輝と磯部寛之はより獰猛な演奏とパフォーマンスを見せるようになっていた。何よりもサトヤスの高い位置の両サイドにシンバルを配置したドラムセットはまるで要塞のようだった。当時はよく上半身裸に髪留めをした長髪という野人のような出で立ちでステージに立っていたが、それはサトヤスが自身の人生をどうしようかと悩んでいた際に、川上洋平がどうしてもバンドに入って欲しくてお台場にまるでデートのように誘って口説き落としたというくらいに必要とされていた技術を持ったドラマーであっても、実はレコーディングではかなり苦戦していたということも語られていただけに、舐められたくないという意識もあったのかもしれない。
「I Wanna Go To Hawaii.」はまだサウンド的には1stの延長線上という形だったが、次なるアルバム「Schwartzenegger」ではリード曲の「Waitress, Waitress!」でラテンなどの要素も取り入れ、いわゆるOasis的なUKギターロックに止まらないバンドになっていくことを予感させたが、そんな「Waitress, Waitress!」はサトヤスのドラムによって曲が始まる。つまりこのアルバムからが本当の意味でサトヤスを含めたこの4人のバンドじゃないと作れないものになったのだ。
そんな中でバンドは川上が幼少期から見ていたスペシャで冠番組を持つようになるが、そこで行われていたトークコーナーを締めるのも、他のメンバーは絶対やらないであろうサトヤスの一発ギャグだった。そこからは音楽面だけでないサトヤスのバンドにもたらしたものがよくわかったのだが、番組のゲストが持ってきてくれるお土産をなぜかほとんど知っていてコメントしたり、ラーメン屋に異常なくらいに詳しかったりと、その見聞の広さ、様々なものを見てきたのであろう人生経験もバンドにとっては頼もしいものだったはず。
そんなサトヤスを見ていて忘れられない場面が3つある。一つ目は[Champagne]から[Alexandros]への改名が発表された、日本武道館でのワンマン。本編で[Champagne]のロゴを背負って演奏していたメンバーたちがステージを去る際、サトヤスはドラムセットの前まで出てくると、後ろを向いて手を合わせて頭を下げた。ここまで自分を連れてきた[Champagne]というバンド名に感謝を示すように。自身が関わった全てのものにしっかり感情を持って向き合うというサトヤスの生き方が現れていた瞬間だった。
2つ目はNICO Touches the Wallsの新木場STUDIO COASTでの対バンライブに出演した時のこと。ゲストとして先にライブを終えたメンバーのうち、サトヤスはNICOのライブを関係者エリアというか、COASTの2階のバルコニーエリアからずっと見ていた。
そして光村龍哉が
「[Alexandros]、本当にありがとう!」
と言うと、ステージの方に向かって手を合わせて頭を下げた。ともにそこまで対バンをしないバンド同士だからこそのリスペクトが確かにあったし、その謙虚さ、律儀さが音楽以上に人間としてこのバンドに求められたものなんだろうな、と思った。それはそうだ、そういう人じゃないとメンバー4人で一緒の家に住むことはできない。そしてそうした生活をしたからこそ獲得したグルーヴが[Alexandros]のライブには確かにあった。だからライブを見るたびにいつも驚かされ、感動していた。
3つ目は同じ新木場STUDIO COASTで、バンドがスペシャの番組のライブイベントをやった時。普段のワンマンとは違う、企画的なものだからこそ、楽器を弾けるファンをステージに上げて演奏してもらうという普通のライブでは絶対やらない試みをしていたのだが、何の曲をやるか決める時に川上は
「ドラムの人が1番得意な曲にしよう。バンドはドラムがしっかりしてればなんとかなるから」
と言った。その言葉からはドラマーであるサトヤスへの川上からの絶対的な信頼を感じさせてくれた。
それはやはりサトヤスがドラマーだからこそこのバンドはここまでの存在になれたことを示していたが、我々ファンもサトヤスが入ってからの姿を見てきたことによってそれを実感してきた。
例えば信じられないことに、WANIMAもかつては2〜3人しか客がいないような鳴かず飛ばずの時期があったという。その状況が変わったのはドラムのFujiが加入してからだという。彼もまた技術だけでなく人間としても他のメンバーと「このメンバーでしかない」と思えるグルーヴを作り出すことができるドラマーであるが、そのエピソードを聞いて自分が真っ先に思い出したのはやはりサトヤスが入った後のドロスの状況だった。
そうしてこの4人であることこそが最強であるということをスタジアムを制することによってその身をもって証明してきたバンドにとって大きな転機がやってきた。言うまでもなく、2年前からのサトヤスのライブ休養である。
そのサトヤスの代わりを務めたのがかつて2組でガンダムのエピソードをタイトルにつけたツアーを回ったことのあるBIGMAMAのリアドだったというところにもこのバンドが今までやってきたことが間違えていなかったこと、こんなにも素晴らしい仲間が助けてくれるバンドであることを感じさせてくれた。
そんな中での昨年のツアーでのさいたまスーパーアリーナワンマン。そこでサトヤスは帰ってきた。「Dracula La」で川上が
「不安を取り除いてくれサトヤスー!」
と歌詞を変えて歌い、その言葉に応えるようなバスドラの連打は、ああ、やはりこのバンドのドラマーはサトヤスじゃなきゃダメなんだよな、と思ったし、これは最後の機会じゃなくて、思いっきりド派手な復活の狼煙だと思っていた。これからまたこの4人で世界のテッペンを取りに行くぞ、というような。
しかし1月24日の昼、サトヤスがバンドから勇退することが発表された。脱退ではなくて勇退。かつて長嶋茂雄が巨人の監督を辞める時にも勇退という言葉が使われていた。逆に言うと、それ以外で使われているのをほとんど見たことがない言葉。長嶋茂雄が昭和から平成にかけての巨人の象徴だからこそその言葉が使われたように、サトヤスのドラムはドロスの象徴の一つだった。だからこその勇退というニュアンスなのだろう。
さいたまスーパーアリーナでの素晴らしいライブが終わって少し経った後、サトヤスはジストニアであることを公表した。初めてその病状を知ったのはもう15年以上前にGRAPEVINEから西原誠が脱退する時だった。西原も1度はバンドに帰ってきた。でもやはり自分の思うような演奏は出来なくなっていた。
それからRADWIMPSの山口智史や氣志團の白鳥雪之丞など、ドラマーに多く発症する病気としてその病名を見ることが増えた。彼らはまだバンドに戻れていないが、9mm Parabellum Bulletの滝善充はサポートギターを加えて自身の負担を減らすという形で戻ってきた。それだけに、何よりもさいたまスーパーアリーナでのドラムを演奏する姿を見ているだけに、サトヤスもきっと戻ってくると思っていた。
それだけにこの発表は青天の霹靂だった。それと同時に、
「なんでサトヤスがこの病気にならなければならないんだろうか」
とも思った。RADWIMPSの智史の時も同じように思った。あれだけ素晴らしいドラマーが、なんでドラムを叩けない人生を選ばざるを得なくなってしまうんだろうか。まだまだあの4人でどこまで行くのかをちゃんと自分の目で見ていたかった。
でも誰よりもサトヤスの言葉からは前向きな心境であることが伝わってきたのが救いだった。生きていればいつかまた会えるかもしれない。ファンに声をかけられると、いつも写真撮影などにも快く応じていた姿を見れる日が来るかもしれない。
そして残った3人のコメントも過去を懐かしみながらも前向きだった。きっと悲しさや寂しさはこのバンドにとって推進力にはならない。ただただ自分たちがどのバンドよりもカッコいいということ。それを証明する曲を作り、ライブをすることだけがこのバンドを前に進めるのだ。
「Hello Hello Hello New Wall」
「アリトアラユル問題も
タビカサナルそんな困難も
いつだって僕達は
言葉の中身を歌ってきた」
「彷徨って途方に暮れたって
また明日には新しい方角へ」
と、目の前に立ちはだかる困難すらも自分たちの乗り越えるべき壁として表現にしてきたバンドなのだ。そんなバンドが「サトヤスがいなくなったらダメになった」なんて言われるような活動をするわけがない。
きっと、自分以外にもサトヤスのドラムを見て、ドラマーの大事さを知った人がたくさんいるはず。楽器や演奏に詳しくなくてもわかるような凄みがサトヤスの演奏には確かにあったし、何よりもあの4人で並んだ時のオーラはこのバンドの無敵感を何よりも示していた。
ドラムの大事さ、カッコよさを自分に教えてくれてありがとう。その姿を、大それた四重奏をずっと見てこれたのは本当に幸せなことだった。まだもうちょっと、この4人で[Alexandros]なんだっていうところを見せてくれ。そのカッコよさを、絶対に忘れないから。
とはいえリリースされたアルバムを聴き、フェスでライブを初めて見た時の印象は
「Oasisとかのイギリスのバンドが好きそうなバンドだな」
というくらいのものだった。今に至るまでバンドのキラーチューンであり続けている「For Freedom」や「Don't Fuck With Yoohei Kawakami」が収録されているにもかかわらずそう思ってしまったのはなんと未熟なことだったろうかとも思うけれど、本当に当時はまだピンと来るような存在ではなかったのだ。
それからほどなくしてバンドは「city」というシングルをリリースする。スペシャで大量にオンエアされていたこの曲、一聴して
「あのバンド…変わった。こんなに一気にカッコよくなるものなのか」
と思うくらいに変化・進化していた。直前にドラマーが変わったというのはニュースで見たが、それだけでこんなにも変わるものなのか。その「city」のMVのアウトテイク的な映像で腹踊りを披露する見た目からして明らかに只者ではない男。それが自分と庄村聡泰というドラマーとの出会いだった。
「もう日本のOasisと言っていいくらいの位置まで行くんじゃないか」
と思ってしまうくらいに次なるシングル「You're So Sweet & I Love You」、そしてそのシングルの2曲を収録したアルバム「I Wanna Go To Hawaii.」をリリースした頃にはすっかり[Champagne]の虜になっていた。
ライブも明らかに変わった。川上洋平からはどこか自信のようなものが漲るようになり、白井眞輝と磯部寛之はより獰猛な演奏とパフォーマンスを見せるようになっていた。何よりもサトヤスの高い位置の両サイドにシンバルを配置したドラムセットはまるで要塞のようだった。当時はよく上半身裸に髪留めをした長髪という野人のような出で立ちでステージに立っていたが、それはサトヤスが自身の人生をどうしようかと悩んでいた際に、川上洋平がどうしてもバンドに入って欲しくてお台場にまるでデートのように誘って口説き落としたというくらいに必要とされていた技術を持ったドラマーであっても、実はレコーディングではかなり苦戦していたということも語られていただけに、舐められたくないという意識もあったのかもしれない。
「I Wanna Go To Hawaii.」はまだサウンド的には1stの延長線上という形だったが、次なるアルバム「Schwartzenegger」ではリード曲の「Waitress, Waitress!」でラテンなどの要素も取り入れ、いわゆるOasis的なUKギターロックに止まらないバンドになっていくことを予感させたが、そんな「Waitress, Waitress!」はサトヤスのドラムによって曲が始まる。つまりこのアルバムからが本当の意味でサトヤスを含めたこの4人のバンドじゃないと作れないものになったのだ。
そんな中でバンドは川上が幼少期から見ていたスペシャで冠番組を持つようになるが、そこで行われていたトークコーナーを締めるのも、他のメンバーは絶対やらないであろうサトヤスの一発ギャグだった。そこからは音楽面だけでないサトヤスのバンドにもたらしたものがよくわかったのだが、番組のゲストが持ってきてくれるお土産をなぜかほとんど知っていてコメントしたり、ラーメン屋に異常なくらいに詳しかったりと、その見聞の広さ、様々なものを見てきたのであろう人生経験もバンドにとっては頼もしいものだったはず。
そんなサトヤスを見ていて忘れられない場面が3つある。一つ目は[Champagne]から[Alexandros]への改名が発表された、日本武道館でのワンマン。本編で[Champagne]のロゴを背負って演奏していたメンバーたちがステージを去る際、サトヤスはドラムセットの前まで出てくると、後ろを向いて手を合わせて頭を下げた。ここまで自分を連れてきた[Champagne]というバンド名に感謝を示すように。自身が関わった全てのものにしっかり感情を持って向き合うというサトヤスの生き方が現れていた瞬間だった。
2つ目はNICO Touches the Wallsの新木場STUDIO COASTでの対バンライブに出演した時のこと。ゲストとして先にライブを終えたメンバーのうち、サトヤスはNICOのライブを関係者エリアというか、COASTの2階のバルコニーエリアからずっと見ていた。
そして光村龍哉が
「[Alexandros]、本当にありがとう!」
と言うと、ステージの方に向かって手を合わせて頭を下げた。ともにそこまで対バンをしないバンド同士だからこそのリスペクトが確かにあったし、その謙虚さ、律儀さが音楽以上に人間としてこのバンドに求められたものなんだろうな、と思った。それはそうだ、そういう人じゃないとメンバー4人で一緒の家に住むことはできない。そしてそうした生活をしたからこそ獲得したグルーヴが[Alexandros]のライブには確かにあった。だからライブを見るたびにいつも驚かされ、感動していた。
3つ目は同じ新木場STUDIO COASTで、バンドがスペシャの番組のライブイベントをやった時。普段のワンマンとは違う、企画的なものだからこそ、楽器を弾けるファンをステージに上げて演奏してもらうという普通のライブでは絶対やらない試みをしていたのだが、何の曲をやるか決める時に川上は
「ドラムの人が1番得意な曲にしよう。バンドはドラムがしっかりしてればなんとかなるから」
と言った。その言葉からはドラマーであるサトヤスへの川上からの絶対的な信頼を感じさせてくれた。
それはやはりサトヤスがドラマーだからこそこのバンドはここまでの存在になれたことを示していたが、我々ファンもサトヤスが入ってからの姿を見てきたことによってそれを実感してきた。
例えば信じられないことに、WANIMAもかつては2〜3人しか客がいないような鳴かず飛ばずの時期があったという。その状況が変わったのはドラムのFujiが加入してからだという。彼もまた技術だけでなく人間としても他のメンバーと「このメンバーでしかない」と思えるグルーヴを作り出すことができるドラマーであるが、そのエピソードを聞いて自分が真っ先に思い出したのはやはりサトヤスが入った後のドロスの状況だった。
そうしてこの4人であることこそが最強であるということをスタジアムを制することによってその身をもって証明してきたバンドにとって大きな転機がやってきた。言うまでもなく、2年前からのサトヤスのライブ休養である。
そのサトヤスの代わりを務めたのがかつて2組でガンダムのエピソードをタイトルにつけたツアーを回ったことのあるBIGMAMAのリアドだったというところにもこのバンドが今までやってきたことが間違えていなかったこと、こんなにも素晴らしい仲間が助けてくれるバンドであることを感じさせてくれた。
そんな中での昨年のツアーでのさいたまスーパーアリーナワンマン。そこでサトヤスは帰ってきた。「Dracula La」で川上が
「不安を取り除いてくれサトヤスー!」
と歌詞を変えて歌い、その言葉に応えるようなバスドラの連打は、ああ、やはりこのバンドのドラマーはサトヤスじゃなきゃダメなんだよな、と思ったし、これは最後の機会じゃなくて、思いっきりド派手な復活の狼煙だと思っていた。これからまたこの4人で世界のテッペンを取りに行くぞ、というような。
しかし1月24日の昼、サトヤスがバンドから勇退することが発表された。脱退ではなくて勇退。かつて長嶋茂雄が巨人の監督を辞める時にも勇退という言葉が使われていた。逆に言うと、それ以外で使われているのをほとんど見たことがない言葉。長嶋茂雄が昭和から平成にかけての巨人の象徴だからこそその言葉が使われたように、サトヤスのドラムはドロスの象徴の一つだった。だからこその勇退というニュアンスなのだろう。
さいたまスーパーアリーナでの素晴らしいライブが終わって少し経った後、サトヤスはジストニアであることを公表した。初めてその病状を知ったのはもう15年以上前にGRAPEVINEから西原誠が脱退する時だった。西原も1度はバンドに帰ってきた。でもやはり自分の思うような演奏は出来なくなっていた。
それからRADWIMPSの山口智史や氣志團の白鳥雪之丞など、ドラマーに多く発症する病気としてその病名を見ることが増えた。彼らはまだバンドに戻れていないが、9mm Parabellum Bulletの滝善充はサポートギターを加えて自身の負担を減らすという形で戻ってきた。それだけに、何よりもさいたまスーパーアリーナでのドラムを演奏する姿を見ているだけに、サトヤスもきっと戻ってくると思っていた。
それだけにこの発表は青天の霹靂だった。それと同時に、
「なんでサトヤスがこの病気にならなければならないんだろうか」
とも思った。RADWIMPSの智史の時も同じように思った。あれだけ素晴らしいドラマーが、なんでドラムを叩けない人生を選ばざるを得なくなってしまうんだろうか。まだまだあの4人でどこまで行くのかをちゃんと自分の目で見ていたかった。
でも誰よりもサトヤスの言葉からは前向きな心境であることが伝わってきたのが救いだった。生きていればいつかまた会えるかもしれない。ファンに声をかけられると、いつも写真撮影などにも快く応じていた姿を見れる日が来るかもしれない。
そして残った3人のコメントも過去を懐かしみながらも前向きだった。きっと悲しさや寂しさはこのバンドにとって推進力にはならない。ただただ自分たちがどのバンドよりもカッコいいということ。それを証明する曲を作り、ライブをすることだけがこのバンドを前に進めるのだ。
「Hello Hello Hello New Wall」
「アリトアラユル問題も
タビカサナルそんな困難も
いつだって僕達は
言葉の中身を歌ってきた」
「彷徨って途方に暮れたって
また明日には新しい方角へ」
と、目の前に立ちはだかる困難すらも自分たちの乗り越えるべき壁として表現にしてきたバンドなのだ。そんなバンドが「サトヤスがいなくなったらダメになった」なんて言われるような活動をするわけがない。
きっと、自分以外にもサトヤスのドラムを見て、ドラマーの大事さを知った人がたくさんいるはず。楽器や演奏に詳しくなくてもわかるような凄みがサトヤスの演奏には確かにあったし、何よりもあの4人で並んだ時のオーラはこのバンドの無敵感を何よりも示していた。
ドラムの大事さ、カッコよさを自分に教えてくれてありがとう。その姿を、大それた四重奏をずっと見てこれたのは本当に幸せなことだった。まだもうちょっと、この4人で[Alexandros]なんだっていうところを見せてくれ。そのカッコよさを、絶対に忘れないから。
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