My Hair is Bad 「ブレイクホームランツアー」 @さいたまスーパーアリーナ 4/11
- 2021/04/11
- 23:00
本来は昨年の3月末という「卒業」という曲を持つバンドであるが故に、新生活を迎える直前のタイミングにさいたまスーパーアリーナでの2daysを予定していたのはバンドの持つメッセージや客層ということに考慮していたのだろう。
しかしながらコロナによってその予定は延期に次ぐ延期となり、ようやく開催されることになったのがこの土日でのMy Hair is Badの「ブレイクホームランツアー」ファイナルのさいたまスーパーアリーナ2daysである。
接触確認アプリのインストール、検温と消毒を経て、あいみょんのワンマン以来のスーパーアリーナの客席へ。やはりこうして中に入ると本当に広いし、このキャパでライブが見れることに感謝したくなる。
また、マイヘアはコロナ禍になる前から電子チケットシステムを取り入れてきたが、今や接触をできる限り避けなければいけない状況であるために、ほとんどのライブが電子チケットになる中、なかなかチケットの半券を手元に残しておけないのだが、入場時に記念チケットを貰えるのは嬉しいところだ。
日曜日とはいえかなり早めの開演時間である16時30分をかなり過ぎた頃、スピッツ「醒めない」のBGMの音が段々と大きくなっていくと同時に場内が暗転。
暗闇の中でメンバーが1人ずつステージに現れ、それぞれが楽器を手にして配置に着くと、山田淳のドラムセットに集まって気合いを入れる。アリーナという広い会場、ステージ真正面のスタンド席というかなりの距離があるのにその気合いを入れた声がはっきりと伝わるのはメンバーの声の大きさに加えて客席が静寂を保っているということもあるだろう。
髪が少し伸びて耳を覆うくらいになっており、それこそ直前に曲が流れていたスピッツの草野マサムネやフジファブリックの志村正彦を彷彿とさせるような出で立ちになった椎木知仁(ボーカル&ギター)が、
「さいたま!ツアーファイナル!ドキドキしようぜ!」
と言うと、ライブの着火剤としておなじみと言っていい「アフターアワー」からスタート。山本大樹(ベース)がキックを繰り出すようにしてステージ前まで出てくる中、
「ついにこの日が来た!ファイナルが来た!」
と、椎木は結果的に1年以上延びてしまったファイナルをこうしてようやく迎えられたことの感慨を口にする。
アーティストによってはツアーの途中にコロナに見舞われて、最初は延期をしようとしていたけれど結果的にそのまま中止になったという例もある。
アーティストのスケジュール、会場のスケジュール、さらに先へ進んでいるアーティストのリリース状況などを踏まえるとそうした判断をするのも致し方ないけれど、マイヘアがそうはせず、延期したのがさらに延期になってもこのツアーを完遂しようと思ってスケジュール調整をしてこの日を待ち続けたのは、マイヘアが一つのことにしっかりケリをつけてから次へ進んでいくタイプというか、そうしないと先に進むことができないバンドなのだろう。まるっきり「器用」とか「要領がいい」という言葉とは、バヤリースこと山本の料理以外はかけ離れているバンドであるために。
2daysの2日目ということもあってか、勢いよく駆け抜けていくように連発された「告白」「ドラマみたいだ」とライブにおけるキラーチューンが続いた序盤では少しだけども椎木の声が涸れているようにも、遠く聞こえるようにも感じる。(後者はPAブースよりさらに後ろという自分が見ていた席の位置によるものかもしれないが)
そんな中で
「僕の最後になってくれよ 僕の最後にさ
君の最後にならせてよ 君の最後にさ
僕を君にあげる その代わりに
君の最後を頂戴」
という実に椎木らしい女々しさを感じさせる(褒め言葉です)歌詞(sumikaにも同じことを歌った歌詞があるが、受ける印象が全く違うのは書いた人のパーソナリティによるものだろう)の「虜」を聴いていて思った。
2019年のアルバム「boys」に収録されたこの曲を自分はライブで聴いたことがあっただろうか。多分ない。2019年は夏フェスに出ずにツアーをしていたし、そのツアーのファイナルであるこのさいたまスーパーアリーナで聴けるはずだった。そう考えるともう長い期間マイヘアのライブを見ていなかった、このスリリング極まりない3人による演奏を聴いていなかったということだ。それは明確に「ライブがなくなってしまった期間」があったことを自分の記憶から呼び起こさせる。
最初のMCの挨拶は演奏のキレ味やバチバチした空気に比べると実に緩い。それは3人だけでいる時のマイヘアはむしろそういう関係性のバンドなんだろうなと思う。それでもそれぞれのキャラが立ちまくっているのは、発言や佇まいから芯がしっかりある人間の集まりであることがわかるからだ。
「boys」のオープニング曲である「君が海」ではタイトルのイメージに合わせてか、真っ青な照明がメンバーとステージを照らす。
メンバーももう学生でなくなってからだいぶ経っているし、それは客席にもそういう人は少なからずいるだろう。それでもこの曲を聴いていて、歌詞からイメージする情景を脳内に思い浮かべていると、今なお青春の真っ只中にいるような気さえしてくる。フェスでもない限りは海に行くことすらないけれど。
タイトルからして椎木の人間性と作家性が同居し、ソリッドなギターロックサウンドに情けないというか何というか、な男の視線がリズミカルに乗っていく「接吻とフレンド」、きっと当初のスケジュールでこのライブが開催されていたら、学生生活の最後の日にこうしてライブを見ていた、という人にとってはこの上ないくらいのバンドからの餞になっていたであろう「卒業」と、思った以上に幅広い曲たちが演奏されていく。
決してサービス精神でセトリを組むようなバンドではないけれど、
「みんなを楽しませたい」
「せっかくの日曜日なんで、楽しんで帰ってもらえたら」
とMCで言っていたように、そうした意識も少なからずあったのだと思われる。そんな中でも曲を続けていくうちに椎木の声がよりはっきりと響くようになってきている。曲が続くことによって消耗していくのではなく、エンジンがかかっていくタイプなのかもしれない。
するとライブではおなじみのことであるが、椎木が弾き語るように1人暗闇の中でスポットライトを浴びながら言葉を紡いでいく。
「今日だけは独身に戻ってくれよ」
という、成就しなかった恋の相手を前にしていると思われる言葉がつながるのは、
「オリンピック中止のニュースすら
聞こえないくらい恋してた」
と、唯一と言っていいくらいに今の世の中の状況を歌詞にしたフレーズによって始まる「予感」。
「彼氏がいたっていいから
内緒は綺麗になっていくから
叶いはしない でも構わない
居心地に甘えていた」
「電話を待っていた
僕からはかけない約束だ
恋人に飽きた日だけ愛されていた」
という、まるで辛くなるくらいに報われない恋愛小説を読んでいるような筆致の歌詞は
「「大事な話があるの。」とラインがきた時に
すでに良い予感と悪い予感が揺れながら襲ってきた
「結婚するんだ。」って受話器越しで君が泣いていた
僕は「おめでとう。」としか言えなかった
本当は分かっていた
僕たちが結ばれないことも
君が話したいことも 終わり方も」
という歌詞に続くことによって、直前の椎木の弾き語りがこの曲への導入であり、回顧であることを確信させる。
なんならその前に演奏された「卒業」も「接吻とフレンド」も、あるいはその後にステージ両サイドのスクリーンに映るメンバーの演奏する姿がセピア色になる「悪い癖」も、この流れで聴くことによって「予感」の男女2人の前日譚のようにすら聴こえてくるし、「悪い癖」を演奏しながら椎木は何度も
「今なら言える!今ならわかる!」
と叫ぶようにして口にしていた。
その言葉がフィクションであるはずの曲の中の男女2人が椎木のことであったり、実在するんじゃないか、なんなら我々はその2人のことをいるんじゃないかとすら思わせる。
そのくらいに椎木の言葉が曲に被さることによって聴き手を引き込む力が生まれる。ステージから自分の席の間には何千人という人がいるはずで、これだけ人がいたらその人たちが演奏中にどんなリアクションをしているだろうかということにも目が行ってしまうのに、この瞬間には自分の目の前には音を鳴らすマイヘアのメンバーたちしかいなくて、曲の中の登場人物の男女がすぐそこにいるような感覚に陥る。
よく「1対1で向き合う」ということをライブで口にするアーティストもいるし、その意識を持ってライブをしていることはわかるのだが、マイヘアの場合をそうしたことを口にはせずとも、1対1で向き合わざるを得ないようなライブをしている。きっと誰かと一緒に見ていたとしてもそう感じるのだろうし、だからこそ歌詞の一つ一つ、言葉の一つ一つ、その時に脳内に浮かんだ情景の一つ一つが心の奥にまで深く刺さる。それはつまり人生において忘れられない瞬間になるということだ。
マイヘアは2020年に、この状況だからこそなのかはレーベルオーナーくらいしか知る由もないけれど、初めての配信限定シングルを発表した。未だに他の曲はサブスクには解禁されていないが、そんな配信限定シングル収録の「グッド・バッド・バイ」が演奏されたというのはこのツアーが延期されないままだったらあり得なかったことだ。それはマイヘアが常にライブを「今を歌う」場として捉えているということでもある。
それは延期せざるを得なかったというネガティブな事象をほんの少しだけでもポジティブに捉えることができる要素であるし、歌詞の内容はリアルタイムな瞬間の連続を綴るというまた新たな情景の描き方をしているが、
「窓越しに通りすぎる君が
僕の後ろ指差して何か言った
立ち止まったままで
僕は思わず振り返った
そこにはあの日見たのと似た
綺麗な夕陽があった」
という締めのフレーズは何の映画だろうと思うくらいの見事な着地の仕方である。
山本がさいたまスーパーアリーナの滞在時間をそのままバイトのシフトのように話したり、
椎木「今年最後のスーパーアリーナでのライブ…」
山本「いや、次のライブもここだから(笑)」
(VIVA LA ROCKに出演する)
と、天然っぷりを炸裂させたりと、曲中のシリアスに向き合わざるを得ない緊張感を解きほぐしてくれるくらいの緩いMCは変わらないが、
「ブラジャーのホックを外す時だけ
心の中までわかった気がした」
という歌詞と、衝動を炸裂させるようなギターサウンドがマイヘアというバンドのイメージを決定づけた「真赤」ではタイトル通りに赤い光がメンバーの後ろの櫓のように組まれた照明設備から照らしたと思いきや、そこから真逆の真っ青な照明がメンバーを照らす「青」という色のコントラストは見事であるし、こうして続けて演奏することによって、どちらも夏の前というこれからやってくる季節を違った角度で描いている曲であることがわかる。この土日は天気も良く、日中は暖かくて陽が長かった。少しだけだけど、夏の匂いがしていた。
そうしたソリッドなギターロックサウンドの曲はメンバーたちをMCでの緩い雰囲気から覚醒させていく。
椎木のポエトリーリーディング的な歌詞が続く「戦争を知らない大人たち」ではイントロで椎木が飛び跳ねながらノイジーなギターを鳴らし、そのまま山本がステージの端っこまで出てきてベースを弾く傍ら、椎木はその山本のマイクで歌い、演奏後にはダダをこねる子供のようにステージに寝転がってジタバタする「ディアウェンディ」では
「これがロックバンドじゃないって言うんなら俺たちはロックバンドじゃなくていい!俺たちが本物だと思ってる!」
と高らかに宣言。
かつて、マイヘアが大きな夏フェスに出るようになった年の夏の終わりに、椎木は
「今年はエレファントカシマシや銀杏BOYZやサンボマスターやDragon Ashという本物たちに出会えた」
と言っていた。あれから数年経って、マイヘアはそのバンドたちと同じステージに立てるようなバンドになった。ただステージが大きくなった、会場が大きくなったんじゃなくて、そのバンドたちと肩を並べられるようなバンドに自分たちがなれているということの自信と責任を感じられるようになったのだろう。
そのまま椎木がギターを掻き鳴らしながら、
「自分も自分だけど、他人も自分なのかもしれない。それが一つになるっていうことだろう。そうなれたら嬉しいな」
と言葉を紡いで、この日この場所だけの「フロムナウオン」へと突入していくのだが、その言葉を聞いて、先程感じた「自分とバンドと曲の登場人物しかいない感覚」が少しわかったような気がした。
それは客席にいる人=他人も自分という感覚にマイヘアのライブが陥らせてくれるからだ。もちろんマイヘアの音楽への感じ方とかはそれぞれ違う。椎木の歌詞に共感して涙を流す人もいれば、自分のようにいわゆる「ラブソング」というものの歌詞の表現力に感嘆することはあれど、共感することはない人だっているはず。
でもそんな人もライブに来ればマイヘアの鳴らす音やメンバーの演奏する姿から同じことを感じているはず。だから自分とバンドと曲の登場人物しかいないように感じるくらい、自分の前にいる人たちまでもが「自分」になってしまっているのだ。マイヘアのライブに宿る魔法のようなものの正体が、椎木の言葉でもって少しわかった気がしたのだ。
するとステージの両サイドのスクリーンが天井方向にスライドし、メンバーの横と背後を紗幕が覆う。その紗幕にオレンジの光が当たることによって、まるで夕日に照らされながらバンドが演奏しているようにすら感じる「芝居」へ。
ステージ前に紗幕を張ってそこに映像や照明を投影するという手法のライブはあるが、この紗幕の使い方をするのはなかなか見たことがないし、それは「芝居」という曲で使われたからこそ、途中でその幕が落ちてストリングス隊が参加するという、アリーナ規模だからこその演出があるのかとも少し思っていた。
でもやはりそんな曲をもマイヘアは3人だけで演奏した。そのサウンドが、音源では壮大なポップバラードというイメージだったこの曲を、あくまでマイヘアのギターロックバラードという印象に変換していた。
「この曲の4分半だけは2020年の5月に戻れますように」
と言って、まさにタイトル通りに「白春夢」の中にいるかのように鮮やかな白い光に包まれながら演奏した、「戦争を知らない大人たち」の2021年版とも言えるような「白春夢」はその椎木の言葉からも昨年の失われた春のことに考えが及ばずにはいられない。
我々からしたら春フェスがなくなって、ライブ自体もなくて家にいるしかなくて…という時間だったが、マイヘアのファンの中にはきっと卒業式がなくなったり、入学式がなくなったりして、人生の中における大きな出会いや別れのタイミングが自分の中で区切りをつけることのできないまま終わってしまった人たちもたくさんいることと思う。
そういう境遇の人に自分が言えることなんて何もないし、どんな言葉も安っぽくなってしまうけれど、だからこそこの曲があることが少しの支えにでもなればと思う。
「夢から覚めても まだ夢の中で見てた 白春夢」
という最後のフレーズを歌うと、ステージサイドと背面を覆っていた紗幕が落ちる。それはまるで夢から覚めるかのようだった。
すると現実に戻ったように椎木が
「みんな、好きな人はいる?」
と問いかけ、
「好きな人を前にしてどんな自分でいたいか。どうすればその人が喜んでくれるか」
と、曲のメッセージに繋がるような言葉を口にした時には「フロムナウオン」の覚醒モードからはもう穏やかな口調と表情になった上で「味方」を演奏したのだが、この曲から客席の方までも明るくなる瞬間が増えた。それによって自分とバンドだけという対峙の仕方から、自分と観客とバンドというスタンスに変わった。
「だって 僕は もう
悪になろうと 君の味方でいたいから
君が笑えば なにもいらない
君がいれば 僕は負けない」
と歌う先、鳴らす先には我々観客がいる。少なからずバンドは我々の「味方」だという意識を持っているだろうし、また我々のことを「味方」だと思って鳴らしているような、そんな1対1ではない感覚が芽生え始めた終盤だった。
ツアーなどのライブ会場限定で販売されていたEP、その名も「tours」の最後に収録されていた「宿り」はこのライブの流れで演奏されると曲の尺の短さによってインタールード的な役割となり、ライブを締め括る「熱狂を終え」の熱量を増幅するための加速装置のようにすら感じられる。
この頃には椎木の喉が完全に開いているというか、2daysの2日目の最終盤なのになんでここへきてそんなに歌えるんだ?と思ってもいたが、それは
「僕らはみんなを元気にしたいと思ってこうしてここに来て演奏しているけれど、むしろみんなから元気を貰っています。本当に助けられています」
と言っていたように、目の前に人がいてくれるからこそ引き出される力みたいなものがあるのだろう。
昨年に地元新潟の野球場から配信ライブもしたが、マイヘアは無観客配信ライブをするようなバンドでもなければ、このライブを配信するようなバンドでもないし、「新しいライブの形」みたいなものを探究するバンドでもない。ただひたすらにこの場、この時に目の前にあるものが全てで、そこにこそ生きている理由があるというようなバンドだ。
決して観客を盛り上げようとかという意識も持ってはいないバンドだけれど、今年に入ってからのこのツアーはそんな自分たちがどんなバンドなのかということと改めて向き合うような機会になったのだろうし、このファイナルでその確信を掴んだんじゃないかと思う。ライブの手法などは変わりようがないけれど、ライブを見ていて感じるものは少し変わってくるのかもしれないと思った。それはもちろん、これまで以上に「ここにいれて良かった」と思うものに。
しかしそんな熱狂を終えてもライブは終わらず、夏での再会を約束するかのような「夏が過ぎてく」をトドメとばかりに演奏。まだ春すらも終わった感じはしないけれど、今年の夏はどこかの野外フェスでこの曲を聴きながら夏の終わりを憂うという、去年はできなかったことができますように。そんなことを願いながらこの曲を聞いていた。
スタンド席の観客がスマホライトを点灯させたりしたり、手拍子したりしながら待つというのも今までの声で呼ぶマイヘアのアンコール待ちとは少し違うものになっていたが、それを見ていたかどうかはわからないがステージに再び現れたメンバーはやはりこのツアーが今日で終わってしまうということの感慨を口にし、
「まだまだいろいろあるけど、この状況でこうして目の前にいてくれて本当にありがとうございます」
と素直な胸の内を口にしてから、
「昨日はやってない曲を」
と前置きをしただけに、ツアーファイナルで演奏された「次回予告」は何かこの先の発表を暗示しているかのようだったが、
「みんな幸せになってくれよ!」
と叫び、手拍子が響く中で叫ぶように、でもその叫ぶような歌声には悲壮感や焦燥感は一切なく、ただただここにいる我々の幸福を願うような「いつか結婚しても」で明るくなった場内に多幸感が満ち溢れていく。
しかしそんなツアーファイナルの大団円となってもいい景色が広がってもまだ終わらず、椎木がギターを掻き鳴らしながら歌い始めたのは40秒のラブソング「クリサンセマム」。
「さいたま、歌え!」
と煽られても心の中でしか歌うことはできないのだが、そんなことを計算したり考慮したりしないというか、できないくらいにその瞬間の衝動でマイヘアは動いている。それこそが椎木の言っていた「本物のロックバンド」たるものなんじゃないだろうか、とその姿を見て思っていた。
客電が点いたので、まだアナウンスこそないが帰る支度を始める観客たち。しかしそんな中でまたしてもメンバーが登場。どよめきすら起こる中、至って普通に楽器を手にすると、
「待っててくれてありがとう」
と言って、
「騙されていたいのさ
このままずっと
剥がされて痛いのは
誰より自分が可愛いからさ」
と「優しさの行方」を歌い始めるのだが、本編中はスタンド席ではずっと座ってライブを見ている人もちらほら見受けられた。そうした見方ができるのもアリーナキャパだからこそであるが、そうして座っていた人たちまでもがみんな立ち上がって腕を挙げていた。そのこの曲と、急遽であろうアンコールの力によるものによって自分は震えていた。こんな、きっと座っていた本人も「立つか」と思う間も無く気付いたら立ち上がっていたであろうという衝動を与えたバンドと曲の存在に。
「始まりがここまで繋がってる!だから始まりの歌を!」
と言ってさらに演奏されたのはマイヘアの始まりの曲である「月に群雲」であるが、演奏中、客電は点きっぱなしで、色が変わることも明滅することもない。つまりは1ミリ足りとも演出らしいことがない中で演奏されたということだ。
2018年3月31日、日本武道館2daysの2日目の最後もこうして客電が点いた、明るい状態でこの曲をダブルアンコールで演奏していた。本来ならばその日からちょうど2年後に開催されるはずだった、さいたまスーパーアリーナ2daysの2日目ということを考えてもこの曲をやるだろうという予感は正直あったし、だからこそ2日目のチケットを取っていたのだが、何回見てもこの鳴らしている曲と音が全てというストロングスタイルの極みのようなライブをこの規模でやる姿を見ると、やはりマイヘアはロックバンド過ぎるくらいにロックバンドだと思う。どんなにステージや会場が大きくなっても、芯にあるものやバンドがやることは全く変わることがないということだから。
演奏が終わると山本は大きく腕を振り、山田はスティックを放り投げ、椎木も何枚もピックを投げながら、深く頭を下げてステージから去っていった。その去り際の笑顔は、今まで何回も見てきたマイヘアのライブの中でも最も楽しそうで、幸せそうで、やり切ったように感じた。本当にこのライブに抱いていた想いが強かったんだなということも。
幅広い曲を演奏しながらも、集大成というライブではない。ひたすらに「今」のライブだった。でもそれは2021年のコロナ禍だからこその「今」でもない。ただひたすらにMy Hair is Badというバンドの「今」を鳴らし切って見せたライブだった。
確実にヒットを狙って当てに行くこともしなければ、次の打席や次のボールを考えることもない。ただ、今目の前に来ているボールを思いっきりフルスイングするだけ。
「もうわけわかんないよね(笑)」
というくらいに「ホームラン」にこだわってきたマイヘアのライブタイトルは、そのままバンドの生き様を示している。
1.アフターアワー
2.告白
3.ドラマみたいだ
4.虜
5.君が海
6.接吻とフレンド
7.卒業
8.予感
9.悪い癖
10.グッド・バッド・バイ
11.真赤
12.青
13.戦争を知らない大人たち
14.ディアウェンディ
15.フロムナウオン
16.芝居
17.白春夢
18.味方
19.宿り
20.熱狂を終え
21.夏が過ぎてく
encore
22.次回予告
23.いつか結婚しても
24.クリサンセマム
encore2
25.優しさの行方
26.月に群雲
しかしながらコロナによってその予定は延期に次ぐ延期となり、ようやく開催されることになったのがこの土日でのMy Hair is Badの「ブレイクホームランツアー」ファイナルのさいたまスーパーアリーナ2daysである。
接触確認アプリのインストール、検温と消毒を経て、あいみょんのワンマン以来のスーパーアリーナの客席へ。やはりこうして中に入ると本当に広いし、このキャパでライブが見れることに感謝したくなる。
また、マイヘアはコロナ禍になる前から電子チケットシステムを取り入れてきたが、今や接触をできる限り避けなければいけない状況であるために、ほとんどのライブが電子チケットになる中、なかなかチケットの半券を手元に残しておけないのだが、入場時に記念チケットを貰えるのは嬉しいところだ。
日曜日とはいえかなり早めの開演時間である16時30分をかなり過ぎた頃、スピッツ「醒めない」のBGMの音が段々と大きくなっていくと同時に場内が暗転。
暗闇の中でメンバーが1人ずつステージに現れ、それぞれが楽器を手にして配置に着くと、山田淳のドラムセットに集まって気合いを入れる。アリーナという広い会場、ステージ真正面のスタンド席というかなりの距離があるのにその気合いを入れた声がはっきりと伝わるのはメンバーの声の大きさに加えて客席が静寂を保っているということもあるだろう。
髪が少し伸びて耳を覆うくらいになっており、それこそ直前に曲が流れていたスピッツの草野マサムネやフジファブリックの志村正彦を彷彿とさせるような出で立ちになった椎木知仁(ボーカル&ギター)が、
「さいたま!ツアーファイナル!ドキドキしようぜ!」
と言うと、ライブの着火剤としておなじみと言っていい「アフターアワー」からスタート。山本大樹(ベース)がキックを繰り出すようにしてステージ前まで出てくる中、
「ついにこの日が来た!ファイナルが来た!」
と、椎木は結果的に1年以上延びてしまったファイナルをこうしてようやく迎えられたことの感慨を口にする。
アーティストによってはツアーの途中にコロナに見舞われて、最初は延期をしようとしていたけれど結果的にそのまま中止になったという例もある。
アーティストのスケジュール、会場のスケジュール、さらに先へ進んでいるアーティストのリリース状況などを踏まえるとそうした判断をするのも致し方ないけれど、マイヘアがそうはせず、延期したのがさらに延期になってもこのツアーを完遂しようと思ってスケジュール調整をしてこの日を待ち続けたのは、マイヘアが一つのことにしっかりケリをつけてから次へ進んでいくタイプというか、そうしないと先に進むことができないバンドなのだろう。まるっきり「器用」とか「要領がいい」という言葉とは、バヤリースこと山本の料理以外はかけ離れているバンドであるために。
2daysの2日目ということもあってか、勢いよく駆け抜けていくように連発された「告白」「ドラマみたいだ」とライブにおけるキラーチューンが続いた序盤では少しだけども椎木の声が涸れているようにも、遠く聞こえるようにも感じる。(後者はPAブースよりさらに後ろという自分が見ていた席の位置によるものかもしれないが)
そんな中で
「僕の最後になってくれよ 僕の最後にさ
君の最後にならせてよ 君の最後にさ
僕を君にあげる その代わりに
君の最後を頂戴」
という実に椎木らしい女々しさを感じさせる(褒め言葉です)歌詞(sumikaにも同じことを歌った歌詞があるが、受ける印象が全く違うのは書いた人のパーソナリティによるものだろう)の「虜」を聴いていて思った。
2019年のアルバム「boys」に収録されたこの曲を自分はライブで聴いたことがあっただろうか。多分ない。2019年は夏フェスに出ずにツアーをしていたし、そのツアーのファイナルであるこのさいたまスーパーアリーナで聴けるはずだった。そう考えるともう長い期間マイヘアのライブを見ていなかった、このスリリング極まりない3人による演奏を聴いていなかったということだ。それは明確に「ライブがなくなってしまった期間」があったことを自分の記憶から呼び起こさせる。
最初のMCの挨拶は演奏のキレ味やバチバチした空気に比べると実に緩い。それは3人だけでいる時のマイヘアはむしろそういう関係性のバンドなんだろうなと思う。それでもそれぞれのキャラが立ちまくっているのは、発言や佇まいから芯がしっかりある人間の集まりであることがわかるからだ。
「boys」のオープニング曲である「君が海」ではタイトルのイメージに合わせてか、真っ青な照明がメンバーとステージを照らす。
メンバーももう学生でなくなってからだいぶ経っているし、それは客席にもそういう人は少なからずいるだろう。それでもこの曲を聴いていて、歌詞からイメージする情景を脳内に思い浮かべていると、今なお青春の真っ只中にいるような気さえしてくる。フェスでもない限りは海に行くことすらないけれど。
タイトルからして椎木の人間性と作家性が同居し、ソリッドなギターロックサウンドに情けないというか何というか、な男の視線がリズミカルに乗っていく「接吻とフレンド」、きっと当初のスケジュールでこのライブが開催されていたら、学生生活の最後の日にこうしてライブを見ていた、という人にとってはこの上ないくらいのバンドからの餞になっていたであろう「卒業」と、思った以上に幅広い曲たちが演奏されていく。
決してサービス精神でセトリを組むようなバンドではないけれど、
「みんなを楽しませたい」
「せっかくの日曜日なんで、楽しんで帰ってもらえたら」
とMCで言っていたように、そうした意識も少なからずあったのだと思われる。そんな中でも曲を続けていくうちに椎木の声がよりはっきりと響くようになってきている。曲が続くことによって消耗していくのではなく、エンジンがかかっていくタイプなのかもしれない。
するとライブではおなじみのことであるが、椎木が弾き語るように1人暗闇の中でスポットライトを浴びながら言葉を紡いでいく。
「今日だけは独身に戻ってくれよ」
という、成就しなかった恋の相手を前にしていると思われる言葉がつながるのは、
「オリンピック中止のニュースすら
聞こえないくらい恋してた」
と、唯一と言っていいくらいに今の世の中の状況を歌詞にしたフレーズによって始まる「予感」。
「彼氏がいたっていいから
内緒は綺麗になっていくから
叶いはしない でも構わない
居心地に甘えていた」
「電話を待っていた
僕からはかけない約束だ
恋人に飽きた日だけ愛されていた」
という、まるで辛くなるくらいに報われない恋愛小説を読んでいるような筆致の歌詞は
「「大事な話があるの。」とラインがきた時に
すでに良い予感と悪い予感が揺れながら襲ってきた
「結婚するんだ。」って受話器越しで君が泣いていた
僕は「おめでとう。」としか言えなかった
本当は分かっていた
僕たちが結ばれないことも
君が話したいことも 終わり方も」
という歌詞に続くことによって、直前の椎木の弾き語りがこの曲への導入であり、回顧であることを確信させる。
なんならその前に演奏された「卒業」も「接吻とフレンド」も、あるいはその後にステージ両サイドのスクリーンに映るメンバーの演奏する姿がセピア色になる「悪い癖」も、この流れで聴くことによって「予感」の男女2人の前日譚のようにすら聴こえてくるし、「悪い癖」を演奏しながら椎木は何度も
「今なら言える!今ならわかる!」
と叫ぶようにして口にしていた。
その言葉がフィクションであるはずの曲の中の男女2人が椎木のことであったり、実在するんじゃないか、なんなら我々はその2人のことをいるんじゃないかとすら思わせる。
そのくらいに椎木の言葉が曲に被さることによって聴き手を引き込む力が生まれる。ステージから自分の席の間には何千人という人がいるはずで、これだけ人がいたらその人たちが演奏中にどんなリアクションをしているだろうかということにも目が行ってしまうのに、この瞬間には自分の目の前には音を鳴らすマイヘアのメンバーたちしかいなくて、曲の中の登場人物の男女がすぐそこにいるような感覚に陥る。
よく「1対1で向き合う」ということをライブで口にするアーティストもいるし、その意識を持ってライブをしていることはわかるのだが、マイヘアの場合をそうしたことを口にはせずとも、1対1で向き合わざるを得ないようなライブをしている。きっと誰かと一緒に見ていたとしてもそう感じるのだろうし、だからこそ歌詞の一つ一つ、言葉の一つ一つ、その時に脳内に浮かんだ情景の一つ一つが心の奥にまで深く刺さる。それはつまり人生において忘れられない瞬間になるということだ。
マイヘアは2020年に、この状況だからこそなのかはレーベルオーナーくらいしか知る由もないけれど、初めての配信限定シングルを発表した。未だに他の曲はサブスクには解禁されていないが、そんな配信限定シングル収録の「グッド・バッド・バイ」が演奏されたというのはこのツアーが延期されないままだったらあり得なかったことだ。それはマイヘアが常にライブを「今を歌う」場として捉えているということでもある。
それは延期せざるを得なかったというネガティブな事象をほんの少しだけでもポジティブに捉えることができる要素であるし、歌詞の内容はリアルタイムな瞬間の連続を綴るというまた新たな情景の描き方をしているが、
「窓越しに通りすぎる君が
僕の後ろ指差して何か言った
立ち止まったままで
僕は思わず振り返った
そこにはあの日見たのと似た
綺麗な夕陽があった」
という締めのフレーズは何の映画だろうと思うくらいの見事な着地の仕方である。
山本がさいたまスーパーアリーナの滞在時間をそのままバイトのシフトのように話したり、
椎木「今年最後のスーパーアリーナでのライブ…」
山本「いや、次のライブもここだから(笑)」
(VIVA LA ROCKに出演する)
と、天然っぷりを炸裂させたりと、曲中のシリアスに向き合わざるを得ない緊張感を解きほぐしてくれるくらいの緩いMCは変わらないが、
「ブラジャーのホックを外す時だけ
心の中までわかった気がした」
という歌詞と、衝動を炸裂させるようなギターサウンドがマイヘアというバンドのイメージを決定づけた「真赤」ではタイトル通りに赤い光がメンバーの後ろの櫓のように組まれた照明設備から照らしたと思いきや、そこから真逆の真っ青な照明がメンバーを照らす「青」という色のコントラストは見事であるし、こうして続けて演奏することによって、どちらも夏の前というこれからやってくる季節を違った角度で描いている曲であることがわかる。この土日は天気も良く、日中は暖かくて陽が長かった。少しだけだけど、夏の匂いがしていた。
そうしたソリッドなギターロックサウンドの曲はメンバーたちをMCでの緩い雰囲気から覚醒させていく。
椎木のポエトリーリーディング的な歌詞が続く「戦争を知らない大人たち」ではイントロで椎木が飛び跳ねながらノイジーなギターを鳴らし、そのまま山本がステージの端っこまで出てきてベースを弾く傍ら、椎木はその山本のマイクで歌い、演奏後にはダダをこねる子供のようにステージに寝転がってジタバタする「ディアウェンディ」では
「これがロックバンドじゃないって言うんなら俺たちはロックバンドじゃなくていい!俺たちが本物だと思ってる!」
と高らかに宣言。
かつて、マイヘアが大きな夏フェスに出るようになった年の夏の終わりに、椎木は
「今年はエレファントカシマシや銀杏BOYZやサンボマスターやDragon Ashという本物たちに出会えた」
と言っていた。あれから数年経って、マイヘアはそのバンドたちと同じステージに立てるようなバンドになった。ただステージが大きくなった、会場が大きくなったんじゃなくて、そのバンドたちと肩を並べられるようなバンドに自分たちがなれているということの自信と責任を感じられるようになったのだろう。
そのまま椎木がギターを掻き鳴らしながら、
「自分も自分だけど、他人も自分なのかもしれない。それが一つになるっていうことだろう。そうなれたら嬉しいな」
と言葉を紡いで、この日この場所だけの「フロムナウオン」へと突入していくのだが、その言葉を聞いて、先程感じた「自分とバンドと曲の登場人物しかいない感覚」が少しわかったような気がした。
それは客席にいる人=他人も自分という感覚にマイヘアのライブが陥らせてくれるからだ。もちろんマイヘアの音楽への感じ方とかはそれぞれ違う。椎木の歌詞に共感して涙を流す人もいれば、自分のようにいわゆる「ラブソング」というものの歌詞の表現力に感嘆することはあれど、共感することはない人だっているはず。
でもそんな人もライブに来ればマイヘアの鳴らす音やメンバーの演奏する姿から同じことを感じているはず。だから自分とバンドと曲の登場人物しかいないように感じるくらい、自分の前にいる人たちまでもが「自分」になってしまっているのだ。マイヘアのライブに宿る魔法のようなものの正体が、椎木の言葉でもって少しわかった気がしたのだ。
するとステージの両サイドのスクリーンが天井方向にスライドし、メンバーの横と背後を紗幕が覆う。その紗幕にオレンジの光が当たることによって、まるで夕日に照らされながらバンドが演奏しているようにすら感じる「芝居」へ。
ステージ前に紗幕を張ってそこに映像や照明を投影するという手法のライブはあるが、この紗幕の使い方をするのはなかなか見たことがないし、それは「芝居」という曲で使われたからこそ、途中でその幕が落ちてストリングス隊が参加するという、アリーナ規模だからこその演出があるのかとも少し思っていた。
でもやはりそんな曲をもマイヘアは3人だけで演奏した。そのサウンドが、音源では壮大なポップバラードというイメージだったこの曲を、あくまでマイヘアのギターロックバラードという印象に変換していた。
「この曲の4分半だけは2020年の5月に戻れますように」
と言って、まさにタイトル通りに「白春夢」の中にいるかのように鮮やかな白い光に包まれながら演奏した、「戦争を知らない大人たち」の2021年版とも言えるような「白春夢」はその椎木の言葉からも昨年の失われた春のことに考えが及ばずにはいられない。
我々からしたら春フェスがなくなって、ライブ自体もなくて家にいるしかなくて…という時間だったが、マイヘアのファンの中にはきっと卒業式がなくなったり、入学式がなくなったりして、人生の中における大きな出会いや別れのタイミングが自分の中で区切りをつけることのできないまま終わってしまった人たちもたくさんいることと思う。
そういう境遇の人に自分が言えることなんて何もないし、どんな言葉も安っぽくなってしまうけれど、だからこそこの曲があることが少しの支えにでもなればと思う。
「夢から覚めても まだ夢の中で見てた 白春夢」
という最後のフレーズを歌うと、ステージサイドと背面を覆っていた紗幕が落ちる。それはまるで夢から覚めるかのようだった。
すると現実に戻ったように椎木が
「みんな、好きな人はいる?」
と問いかけ、
「好きな人を前にしてどんな自分でいたいか。どうすればその人が喜んでくれるか」
と、曲のメッセージに繋がるような言葉を口にした時には「フロムナウオン」の覚醒モードからはもう穏やかな口調と表情になった上で「味方」を演奏したのだが、この曲から客席の方までも明るくなる瞬間が増えた。それによって自分とバンドだけという対峙の仕方から、自分と観客とバンドというスタンスに変わった。
「だって 僕は もう
悪になろうと 君の味方でいたいから
君が笑えば なにもいらない
君がいれば 僕は負けない」
と歌う先、鳴らす先には我々観客がいる。少なからずバンドは我々の「味方」だという意識を持っているだろうし、また我々のことを「味方」だと思って鳴らしているような、そんな1対1ではない感覚が芽生え始めた終盤だった。
ツアーなどのライブ会場限定で販売されていたEP、その名も「tours」の最後に収録されていた「宿り」はこのライブの流れで演奏されると曲の尺の短さによってインタールード的な役割となり、ライブを締め括る「熱狂を終え」の熱量を増幅するための加速装置のようにすら感じられる。
この頃には椎木の喉が完全に開いているというか、2daysの2日目の最終盤なのになんでここへきてそんなに歌えるんだ?と思ってもいたが、それは
「僕らはみんなを元気にしたいと思ってこうしてここに来て演奏しているけれど、むしろみんなから元気を貰っています。本当に助けられています」
と言っていたように、目の前に人がいてくれるからこそ引き出される力みたいなものがあるのだろう。
昨年に地元新潟の野球場から配信ライブもしたが、マイヘアは無観客配信ライブをするようなバンドでもなければ、このライブを配信するようなバンドでもないし、「新しいライブの形」みたいなものを探究するバンドでもない。ただひたすらにこの場、この時に目の前にあるものが全てで、そこにこそ生きている理由があるというようなバンドだ。
決して観客を盛り上げようとかという意識も持ってはいないバンドだけれど、今年に入ってからのこのツアーはそんな自分たちがどんなバンドなのかということと改めて向き合うような機会になったのだろうし、このファイナルでその確信を掴んだんじゃないかと思う。ライブの手法などは変わりようがないけれど、ライブを見ていて感じるものは少し変わってくるのかもしれないと思った。それはもちろん、これまで以上に「ここにいれて良かった」と思うものに。
しかしそんな熱狂を終えてもライブは終わらず、夏での再会を約束するかのような「夏が過ぎてく」をトドメとばかりに演奏。まだ春すらも終わった感じはしないけれど、今年の夏はどこかの野外フェスでこの曲を聴きながら夏の終わりを憂うという、去年はできなかったことができますように。そんなことを願いながらこの曲を聞いていた。
スタンド席の観客がスマホライトを点灯させたりしたり、手拍子したりしながら待つというのも今までの声で呼ぶマイヘアのアンコール待ちとは少し違うものになっていたが、それを見ていたかどうかはわからないがステージに再び現れたメンバーはやはりこのツアーが今日で終わってしまうということの感慨を口にし、
「まだまだいろいろあるけど、この状況でこうして目の前にいてくれて本当にありがとうございます」
と素直な胸の内を口にしてから、
「昨日はやってない曲を」
と前置きをしただけに、ツアーファイナルで演奏された「次回予告」は何かこの先の発表を暗示しているかのようだったが、
「みんな幸せになってくれよ!」
と叫び、手拍子が響く中で叫ぶように、でもその叫ぶような歌声には悲壮感や焦燥感は一切なく、ただただここにいる我々の幸福を願うような「いつか結婚しても」で明るくなった場内に多幸感が満ち溢れていく。
しかしそんなツアーファイナルの大団円となってもいい景色が広がってもまだ終わらず、椎木がギターを掻き鳴らしながら歌い始めたのは40秒のラブソング「クリサンセマム」。
「さいたま、歌え!」
と煽られても心の中でしか歌うことはできないのだが、そんなことを計算したり考慮したりしないというか、できないくらいにその瞬間の衝動でマイヘアは動いている。それこそが椎木の言っていた「本物のロックバンド」たるものなんじゃないだろうか、とその姿を見て思っていた。
客電が点いたので、まだアナウンスこそないが帰る支度を始める観客たち。しかしそんな中でまたしてもメンバーが登場。どよめきすら起こる中、至って普通に楽器を手にすると、
「待っててくれてありがとう」
と言って、
「騙されていたいのさ
このままずっと
剥がされて痛いのは
誰より自分が可愛いからさ」
と「優しさの行方」を歌い始めるのだが、本編中はスタンド席ではずっと座ってライブを見ている人もちらほら見受けられた。そうした見方ができるのもアリーナキャパだからこそであるが、そうして座っていた人たちまでもがみんな立ち上がって腕を挙げていた。そのこの曲と、急遽であろうアンコールの力によるものによって自分は震えていた。こんな、きっと座っていた本人も「立つか」と思う間も無く気付いたら立ち上がっていたであろうという衝動を与えたバンドと曲の存在に。
「始まりがここまで繋がってる!だから始まりの歌を!」
と言ってさらに演奏されたのはマイヘアの始まりの曲である「月に群雲」であるが、演奏中、客電は点きっぱなしで、色が変わることも明滅することもない。つまりは1ミリ足りとも演出らしいことがない中で演奏されたということだ。
2018年3月31日、日本武道館2daysの2日目の最後もこうして客電が点いた、明るい状態でこの曲をダブルアンコールで演奏していた。本来ならばその日からちょうど2年後に開催されるはずだった、さいたまスーパーアリーナ2daysの2日目ということを考えてもこの曲をやるだろうという予感は正直あったし、だからこそ2日目のチケットを取っていたのだが、何回見てもこの鳴らしている曲と音が全てというストロングスタイルの極みのようなライブをこの規模でやる姿を見ると、やはりマイヘアはロックバンド過ぎるくらいにロックバンドだと思う。どんなにステージや会場が大きくなっても、芯にあるものやバンドがやることは全く変わることがないということだから。
演奏が終わると山本は大きく腕を振り、山田はスティックを放り投げ、椎木も何枚もピックを投げながら、深く頭を下げてステージから去っていった。その去り際の笑顔は、今まで何回も見てきたマイヘアのライブの中でも最も楽しそうで、幸せそうで、やり切ったように感じた。本当にこのライブに抱いていた想いが強かったんだなということも。
幅広い曲を演奏しながらも、集大成というライブではない。ひたすらに「今」のライブだった。でもそれは2021年のコロナ禍だからこその「今」でもない。ただひたすらにMy Hair is Badというバンドの「今」を鳴らし切って見せたライブだった。
確実にヒットを狙って当てに行くこともしなければ、次の打席や次のボールを考えることもない。ただ、今目の前に来ているボールを思いっきりフルスイングするだけ。
「もうわけわかんないよね(笑)」
というくらいに「ホームラン」にこだわってきたマイヘアのライブタイトルは、そのままバンドの生き様を示している。
1.アフターアワー
2.告白
3.ドラマみたいだ
4.虜
5.君が海
6.接吻とフレンド
7.卒業
8.予感
9.悪い癖
10.グッド・バッド・バイ
11.真赤
12.青
13.戦争を知らない大人たち
14.ディアウェンディ
15.フロムナウオン
16.芝居
17.白春夢
18.味方
19.宿り
20.熱狂を終え
21.夏が過ぎてく
encore
22.次回予告
23.いつか結婚しても
24.クリサンセマム
encore2
25.優しさの行方
26.月に群雲
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