Now is everything
- 2020/03/19
- 18:53
ライブがないとなるとここまで何もないのか、とも思うけれども、去年も一昨年も年間130本以上ライブに行っており、つまりは月間10本以上のペースで行っていたのが今月は6日のメレンゲのわずか1本だけであり、そりゃあブログなんか書くようなネタもなければ書こうと思うような気力も湧かないもんである。ましてやこんなアカウントのこんなブログなんぞ「不要不急なもの」の最たるものである。
こんなにライブに行っていないのは言うまでもなくコロナウィルスとそれに伴う自粛要請によってライブが中止、あるいは延期になりまくっているからで、本来なら16本行く予定だった今月のライブもこのままだと1本だけになってしまいそうな状態である。
で、ライブに行けないとなると、その分何かと考えてしまう時間が多くなる。ましてや延期や中止というお知らせや、そのお知らせについてコメントするアーティストの発言、無料配信、ニュース、Twitterなどでの知ってる人も知らない人も含めたこの状況に対してのコメントなど。
ライブに行くことによって日々の活力や己の免疫力を高めてきたと間違いなく言えるような生活をしてきた自分にとっては、もうこうした自粛期間というのは生殺しというか、生きる屍化というか、ともかく何のために働いているのかもわからなくなってくるし、ミュージシャンやそれを支える人たちが仕事ができないのならば、自分が従事してるような仕事なんかも別に営業しなくても誰かが死んだりするようなものでもないし、自粛するんなら同じように自粛して、やらなくていいようなことなんじゃないか?とすら思う。何の仕事をしてるのかは別に言わないけれど。
でも、やはりこの一連の自粛による中止や延期の嵐はどうしても納得いかんというか、もちろんコロナウィルスを拡散させないようにしなくてはいけないけれど、こんな対策したところで他のところからだって拡散し続けているし、究極に拡散させないためには各々が全員家から全く出ないで人と接触しないように生きるしかないと思っているのだけれど、今回の趣旨はそこではないし、散々音楽ファンを苛立たせ続けてきた「ライブハウスが感染の温床」というような話でもない。
では何かというと、中止や延期になってしまったライブはもう2度と見ることができない、ということである。
何を当たり前のことを、という感じであるが、中止になったライブは当然もう見ることはできない。それがワンマンツアーの何本かであれ、何組も出演するようなイベントであれ。
今回中止になったりしたライブの中には、すでに解散が決まっていたり、休止やメンバー脱退が決まっているバンドのものもある。
そうしたバンドがイベントに出ることによって、そのバンドと共演することができるのが最後だったという出演者もいるだろうし、我々ファン側からしてもその組み合わせのライブを見れることはきっともうない。続けていくバンドが辞めることを選んだバンドにかけるであろう言葉を直接聞くことも。あるいは、脱退するメンバーに対してかけるであろう言葉を直接聞くことも。
また、延期すると言ってもそれは本来予定されていたものと全く同じものには決してならない。延期した先の日程では行くことができないという人も間違いなくいるし、そうして集まる人が変わればライブそのものも間違いなく変わる。ツアーの前半戦と後半戦の間が何ヶ月も空けば、アーティスト側のモードだって変わる。
例えば米津玄師のツアー「HYPE」。自分は運良く中止や延期になる前の横浜アリーナでのワンマンを見ることができた。どうやら延期→振替になる公演もあるようだが、ファイナルになるはずだったさいたまスーパーアリーナ公演は中止になった。
でもファンならよくわかる通りに、米津玄師は1作品、あるいは1曲でも新しいものが出ると、サウンドもモードもガラッと変わる。「HYPE」は前回のツアーである「脊椎がオパールに変わる頃」ともかなり内容が変わっていた。その内容が変わったということを構成していた曲たちを次のツアーで聴けるなんていう保証はないし、「HYPE」の最大のハイライトであったのがやはり最新シングルのタイトル曲である「馬と鹿」であったように、新しい曲ができたら米津玄師のモードは自身の最新のものに変わるだろう。それでも「HYPE」の振替公演をやるならば素晴らしいライブになるのは間違いないけれど、ツアーの流れで回っていた時とは良くも悪くも少し違うものになるはず。最新のモードから少し自身の針を前に巻き戻さないといけなくなるのだから。
あるいは、My Hair is BadのさいたまスーパーアリーナやヤバイTシャツ屋さんのスペイン村でのワンマン。その二つのライブはともに3月の最後の土日の2daysである。
両バンドのファン層からしても、そのライブが学生生活最後のライブになるはずだった人もたくさんいるはず。そういう人たちが延期になって振替公演に行ける可能性はかなり低いだろうし、仮に行けたとしても、自分自身の状況が変わることによって、本来感じるはずだったものとはまた違う感じ方になる。
そう思うのは自分自身にもそういう経験があるからで、忘れもしない2008年3月31日のチャットモンチーの初めての日本武道館ワンマン。あの時にアンコールで演奏された「サラバ青春」は紛れもなく自分にとっての青春の終わりを告げるものであった。
「もう明日から社会に出たらこうしてライブを今みたいに見に行くことはできないだろうな」
と思いながら社会に出ても、やはりライブに行くということを諦めきれずに今のような生活や人生を選んだのは、間違いなく学生である最後の日にあのライブを見て、あの曲を聴いたからという要因もある。
それだけに、マイヘアやヤバTファンの大学4年生なり高校3年生の人たちには、今の状況であのバンドたちのライブを見て欲しかった。バンド側も間違いなくそうしたことを意識した発言をライブ中にするだろうし、それはきっと自分の中で一生忘れられない景色になるだろうから。
やはり自分は生活の中で音楽が1番大切なので、こういう時も音楽の話になるのだが(それは明確に「ライブハウス」という存在が世間から問題視されてしまっているということもあるけれど)、何もそれは音楽だけに限った話ではない。
高校野球のセンバツ甲子園大会も中止になってしまった。なんなら、スケジュール的にほぼ間違いなく延期という選択肢が取れないということを考えると、音楽以上にやれるタイミングは今しかない。
春になって新入生が入ってきたら、全チームが今とは違うチームになる。「夏にまた出れば」なんて甘いことが言えるのは夏に勝ち上がる過酷さを知らない人だけだし、自分から言わせれば「無観客でもやる」という意見よりも「夏に出れば」っていう発言の方が数億倍甘い。
自分は野球が好きなのでこうしたスポーツの例えが野球になってしまうが、きっと全ての高校スポーツにはそれぞれの競技にとっての甲子園的な場所があるのだろうし、そこに立つために日々練習をしている。
そうして積み重ねてきた日々の上でようやく辿り着いた場所に立てなくなってしまった。自分が選手の立場だとしてすぐに切り替えられるだろうかと考えてもやっぱり切り替えられないと思う。
繰り返すがもちろん1番悪いのはウィルスであるということは紛れもない事実だが、もはや絶対安全なんてのはもう前述の通りに一歩も外から出ないで人と接触しないという選択くらいしかない。
だから程度は違えど誰しもに感染リスクはあるわけで、そうした人が「中止しろ」って言っているのを見ると、なんだか違うと自分は思ってしまう。本当に一切人と接触しない生活をしている人が言うんならばわかるし、全ての経済活動が止まるというんならもう受け入れざるを得ないのだが。
誰に何を言われようとも「自分はそういう人間であり思考なんだからもう仕方がないだろう」と割り切れるけれど、かつて自分が生きるための糧にしていたようなもの(野球)や、今の自分にとって最も大きな生きる理由になっているもの(音楽)がまるで悪者であるかのような論調になっているのを見ると、少しであっても自分自身の存在が否定されているかのような、そんな気分になってしまうことすらある。
でもそうした圧力のようなムードによって、誰かにとって大切な今がなくなってしまっていっているような気がしてしまう。
タイトルの「No is everything」は、日本武道館でワンマンもやった、結成10年目を超えたバンドのデビューアルバムの1曲目に入っていた曲のフレーズの一部である。
そのバンドのボーカルはこのフレーズを歌う時だけ、叫ぶかのように声を張る。それはこの曲の中でこのフレーズが最も強調したい部分であるということである。
現にそのボーカルは10年以上経った今でもそのフレーズを歌う時はそうした歌い方をする。それは10年以上における活動が、まさに「Now is everything」だと感じる瞬間の連続だったからだろう。スタープレイヤーたちによるバンドとして結成した時には10年間も形が変わらず、ペースも落ちることなく続くことを予想できていたのだろうか。いや、未来のことはきっと考えていなかっただろう。今が全てなバンドなのだから。
こうして今の状況と自分の感じたことをつらつらと書いてみても、結局正解なんていうのはその人の主観でしかない。ライブをやることが絶対に正解だというわけではないし、自粛しているのが絶対正解だというわけではない。だからこそ、その人それぞれがどんな信念や意志を持って行動しているのかが本当に大事だと思う。
そして、自分が最後にライブハウスに行ってライブを見てからちょうど2週間経った。体調になんの変化もない。体温もずっと変わらないし、咳も全く出ない。
あの時に「ライブをやる」と決めたバンドをライブハウスに観に行ったことは全く間違っていなかったと思える。あの日、ただ好きなバンドのライブを観に行ったというだけではなく、その選択をしたバンドの意識を、そしてバンドの存在そのものを、ライブハウスという場所のことを肯定したかった。それができるのはその場にいる人だけだから。あの日を経た今の健康な自分ならば、あの日ライブを観に行った自分自身のことも、肯定してやれるような。
こんなにライブに行っていないのは言うまでもなくコロナウィルスとそれに伴う自粛要請によってライブが中止、あるいは延期になりまくっているからで、本来なら16本行く予定だった今月のライブもこのままだと1本だけになってしまいそうな状態である。
で、ライブに行けないとなると、その分何かと考えてしまう時間が多くなる。ましてや延期や中止というお知らせや、そのお知らせについてコメントするアーティストの発言、無料配信、ニュース、Twitterなどでの知ってる人も知らない人も含めたこの状況に対してのコメントなど。
ライブに行くことによって日々の活力や己の免疫力を高めてきたと間違いなく言えるような生活をしてきた自分にとっては、もうこうした自粛期間というのは生殺しというか、生きる屍化というか、ともかく何のために働いているのかもわからなくなってくるし、ミュージシャンやそれを支える人たちが仕事ができないのならば、自分が従事してるような仕事なんかも別に営業しなくても誰かが死んだりするようなものでもないし、自粛するんなら同じように自粛して、やらなくていいようなことなんじゃないか?とすら思う。何の仕事をしてるのかは別に言わないけれど。
でも、やはりこの一連の自粛による中止や延期の嵐はどうしても納得いかんというか、もちろんコロナウィルスを拡散させないようにしなくてはいけないけれど、こんな対策したところで他のところからだって拡散し続けているし、究極に拡散させないためには各々が全員家から全く出ないで人と接触しないように生きるしかないと思っているのだけれど、今回の趣旨はそこではないし、散々音楽ファンを苛立たせ続けてきた「ライブハウスが感染の温床」というような話でもない。
では何かというと、中止や延期になってしまったライブはもう2度と見ることができない、ということである。
何を当たり前のことを、という感じであるが、中止になったライブは当然もう見ることはできない。それがワンマンツアーの何本かであれ、何組も出演するようなイベントであれ。
今回中止になったりしたライブの中には、すでに解散が決まっていたり、休止やメンバー脱退が決まっているバンドのものもある。
そうしたバンドがイベントに出ることによって、そのバンドと共演することができるのが最後だったという出演者もいるだろうし、我々ファン側からしてもその組み合わせのライブを見れることはきっともうない。続けていくバンドが辞めることを選んだバンドにかけるであろう言葉を直接聞くことも。あるいは、脱退するメンバーに対してかけるであろう言葉を直接聞くことも。
また、延期すると言ってもそれは本来予定されていたものと全く同じものには決してならない。延期した先の日程では行くことができないという人も間違いなくいるし、そうして集まる人が変わればライブそのものも間違いなく変わる。ツアーの前半戦と後半戦の間が何ヶ月も空けば、アーティスト側のモードだって変わる。
例えば米津玄師のツアー「HYPE」。自分は運良く中止や延期になる前の横浜アリーナでのワンマンを見ることができた。どうやら延期→振替になる公演もあるようだが、ファイナルになるはずだったさいたまスーパーアリーナ公演は中止になった。
でもファンならよくわかる通りに、米津玄師は1作品、あるいは1曲でも新しいものが出ると、サウンドもモードもガラッと変わる。「HYPE」は前回のツアーである「脊椎がオパールに変わる頃」ともかなり内容が変わっていた。その内容が変わったということを構成していた曲たちを次のツアーで聴けるなんていう保証はないし、「HYPE」の最大のハイライトであったのがやはり最新シングルのタイトル曲である「馬と鹿」であったように、新しい曲ができたら米津玄師のモードは自身の最新のものに変わるだろう。それでも「HYPE」の振替公演をやるならば素晴らしいライブになるのは間違いないけれど、ツアーの流れで回っていた時とは良くも悪くも少し違うものになるはず。最新のモードから少し自身の針を前に巻き戻さないといけなくなるのだから。
あるいは、My Hair is BadのさいたまスーパーアリーナやヤバイTシャツ屋さんのスペイン村でのワンマン。その二つのライブはともに3月の最後の土日の2daysである。
両バンドのファン層からしても、そのライブが学生生活最後のライブになるはずだった人もたくさんいるはず。そういう人たちが延期になって振替公演に行ける可能性はかなり低いだろうし、仮に行けたとしても、自分自身の状況が変わることによって、本来感じるはずだったものとはまた違う感じ方になる。
そう思うのは自分自身にもそういう経験があるからで、忘れもしない2008年3月31日のチャットモンチーの初めての日本武道館ワンマン。あの時にアンコールで演奏された「サラバ青春」は紛れもなく自分にとっての青春の終わりを告げるものであった。
「もう明日から社会に出たらこうしてライブを今みたいに見に行くことはできないだろうな」
と思いながら社会に出ても、やはりライブに行くということを諦めきれずに今のような生活や人生を選んだのは、間違いなく学生である最後の日にあのライブを見て、あの曲を聴いたからという要因もある。
それだけに、マイヘアやヤバTファンの大学4年生なり高校3年生の人たちには、今の状況であのバンドたちのライブを見て欲しかった。バンド側も間違いなくそうしたことを意識した発言をライブ中にするだろうし、それはきっと自分の中で一生忘れられない景色になるだろうから。
やはり自分は生活の中で音楽が1番大切なので、こういう時も音楽の話になるのだが(それは明確に「ライブハウス」という存在が世間から問題視されてしまっているということもあるけれど)、何もそれは音楽だけに限った話ではない。
高校野球のセンバツ甲子園大会も中止になってしまった。なんなら、スケジュール的にほぼ間違いなく延期という選択肢が取れないということを考えると、音楽以上にやれるタイミングは今しかない。
春になって新入生が入ってきたら、全チームが今とは違うチームになる。「夏にまた出れば」なんて甘いことが言えるのは夏に勝ち上がる過酷さを知らない人だけだし、自分から言わせれば「無観客でもやる」という意見よりも「夏に出れば」っていう発言の方が数億倍甘い。
自分は野球が好きなのでこうしたスポーツの例えが野球になってしまうが、きっと全ての高校スポーツにはそれぞれの競技にとっての甲子園的な場所があるのだろうし、そこに立つために日々練習をしている。
そうして積み重ねてきた日々の上でようやく辿り着いた場所に立てなくなってしまった。自分が選手の立場だとしてすぐに切り替えられるだろうかと考えてもやっぱり切り替えられないと思う。
繰り返すがもちろん1番悪いのはウィルスであるということは紛れもない事実だが、もはや絶対安全なんてのはもう前述の通りに一歩も外から出ないで人と接触しないという選択くらいしかない。
だから程度は違えど誰しもに感染リスクはあるわけで、そうした人が「中止しろ」って言っているのを見ると、なんだか違うと自分は思ってしまう。本当に一切人と接触しない生活をしている人が言うんならばわかるし、全ての経済活動が止まるというんならもう受け入れざるを得ないのだが。
誰に何を言われようとも「自分はそういう人間であり思考なんだからもう仕方がないだろう」と割り切れるけれど、かつて自分が生きるための糧にしていたようなもの(野球)や、今の自分にとって最も大きな生きる理由になっているもの(音楽)がまるで悪者であるかのような論調になっているのを見ると、少しであっても自分自身の存在が否定されているかのような、そんな気分になってしまうことすらある。
でもそうした圧力のようなムードによって、誰かにとって大切な今がなくなってしまっていっているような気がしてしまう。
タイトルの「No is everything」は、日本武道館でワンマンもやった、結成10年目を超えたバンドのデビューアルバムの1曲目に入っていた曲のフレーズの一部である。
そのバンドのボーカルはこのフレーズを歌う時だけ、叫ぶかのように声を張る。それはこの曲の中でこのフレーズが最も強調したい部分であるということである。
現にそのボーカルは10年以上経った今でもそのフレーズを歌う時はそうした歌い方をする。それは10年以上における活動が、まさに「Now is everything」だと感じる瞬間の連続だったからだろう。スタープレイヤーたちによるバンドとして結成した時には10年間も形が変わらず、ペースも落ちることなく続くことを予想できていたのだろうか。いや、未来のことはきっと考えていなかっただろう。今が全てなバンドなのだから。
こうして今の状況と自分の感じたことをつらつらと書いてみても、結局正解なんていうのはその人の主観でしかない。ライブをやることが絶対に正解だというわけではないし、自粛しているのが絶対正解だというわけではない。だからこそ、その人それぞれがどんな信念や意志を持って行動しているのかが本当に大事だと思う。
そして、自分が最後にライブハウスに行ってライブを見てからちょうど2週間経った。体調になんの変化もない。体温もずっと変わらないし、咳も全く出ない。
あの時に「ライブをやる」と決めたバンドをライブハウスに観に行ったことは全く間違っていなかったと思える。あの日、ただ好きなバンドのライブを観に行ったというだけではなく、その選択をしたバンドの意識を、そしてバンドの存在そのものを、ライブハウスという場所のことを肯定したかった。それができるのはその場にいる人だけだから。あの日を経た今の健康な自分ならば、あの日ライブを観に行った自分自身のことも、肯定してやれるような。
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