the telephones / BRAHMAN メジャーデビュー10周年、まだ行ったことのない都道府県に行くツアー (決) 〜釜石スクラムDISCO!!!〜 @釜石PIT 3/16
- 2019/03/17
- 09:27
先月末にバンドの地元である北浦和KYARAでファイナルを迎えた、the telephonesの復活ツアーは追加公演に。ツアー自体は5公演すべてワンマンだったが、釜石PITでの追加公演となったこの日は対バンにBRAHMANを迎えたツーマン。
会場の釜石PITは釜石駅から徒歩10分くらいの、イオンなどの新しい建物が密集する場所にある新しいライブハウスで、PITというと都内最大級のキャパを誇る豊洲PITを彷彿とさせるのだが、キャパ的に渋谷O-WESTよりもちょっと広いかなというくらいの感じ。中にはロッカーはおろかドリンクバーすらもない。
開演時間が16時からと信じられないくらいに早いのはこの釜石からの終電が20時過ぎだからという環境に合わせてのものであろうが、2マンで15時半開場という早さは実に新鮮である。
・BRAHMAN
16時ちょうどになると場内が暗転し、おなじみのSEが鳴ると同時に客席では両手を合わせて掲げ、メンバーたちの登場を待ちわびる観客たち。先にKOHKI、MAKOTO、RONZIの3人がステージに登場すると、楽器の音が鳴る瞬間に髪型がいささか普通な感じになっているTOSHI-LOWが登場し、いきなりステージを飛び降りて客席最前の柵に立つと「霹靂」からスタート。震災の直後に生まれたこの曲から始まるというあたりにこのバンドがこの会場でライブをするという意味を否が応でも感じざるを得ない。
TOSHI-LOWが腕まくりをしてその立派すぎる筋肉を見せつけながら歌う「付和雷同」を始め、序盤は震災後にリリースされた日本語歌詞の曲が続いたのだが、高校野球の応援歌としておなじみの「SEE OFF」からはアウトロとイントロを繋ぐようなライブアレンジがなされた「BOX」〜「BEYOND THE MOUNTAIN」と英語歌詞の曲を連発していく。
「赦すってことだ」
という曲最後のフレーズでTOSHI-LOWが中指を立てたかと思いきや、最後には人差し指も立ててピースにしてみせた「不倶戴天」と息継ぎする間もなくハードコアパンクを叩き込んでいく。
しかし「空谷の跫音」からは激しいノリはなくなり、TOSHI-LOWの歌とバンドのサウンドをしっかり聴かせるというゾーンへ。とりわけ「ナミノウタゲ」を聴いていると、この新しい建物ばかりの街にはかつてどんな建物が建っていて、どんな人たちが住んでいたんだろうと思いを馳せざるにはいられなかった。
BRAHMANは震災後に被災地に何度となく赴いてはライブをやっているし、ある意味では被災地でライブをやることに慣れているとも言えるのだが、やはりこの場所で見るBRAHMANのライブはいつにも増して特別で、どこかライブそのものがこの地へ祈りを捧げているかのようにすら感じた。
「警醒」でTOSHI-LOWが客席に突入すると、観客に支えられながらどんどん客席最後方のPAブースの方に流されていく。そのTOSHI-LOW目がけてダイバーたちが次々に転がっていくのだが、TOSHI-LOWは自身に絡みついてきたりする人を容赦なくぶっ飛ばして墜落させていくという鬼っぷりを遺憾なく発揮。見ている分にはめちゃくちゃ面白いが、あれだけの筋肉を有しているだけに痛くてしょうがないと思う。
TOSHI-LOWがステージの方へ運ばれながら「鼎の問」を大きな会場などで使用している、福島第一原発で作業することを選んだ人たちの映像を使わない中で歌うも、その曲に込められた思いはいつも以上に伝わっていたと思う。それくらいにTOSHI-LOWの歌に対する観客の集中力が強かった。
「緑が芽吹き始めて、すっかり春を感じさせる気候になってまいりました」
と柄にもなく真面目な言葉でMCを始めるも、下の子が卒園式を控えており、上の子が卒園した時はまだ若い父親だったのが、今回は父親の中で最年長ということで、卒園式のスピーチを園から頼まれたので考えた文章を読み上げたとのこと。
「電話の野郎ども、こんなクソ忙しい時に呼びやがって。4年前に釜石でライブやった時に
「また絶対活動再開して釜石でライブやれ」
って言ったけど、俺たちを呼べとは言ってねぇんだよ。忙しいんだからよ。
この釜石PITも、豊洲と仙台のPITがあんなに立派なつくりをしてるのにここだけ手を抜いて壁を薄くしやがったから19時には音を止めないといけないっていうからこんな早い時間にライブやることになって」
とtelephonesと釜石PITに愚痴をもらすが、
「でも俺は震災が起きてから釜石によく来るようになって、色んな人に出会って、色んな奇跡を見てきた。練習相手がいなかった格闘技ジムから世界に挑むやつが出てきたり。
俺の周りでも、怖い3人組が活動を再開したり、もう絶対やらないだろうと思っていた4人が去年活動再開した。2年半しか経ってないけど、電話が活動再開してこうして釜石にライブをしに来てくれるのだって奇跡だ。
「正しい」っていう字は一度止まるって書く。一度止まって自分たちが音楽をやる意味とかを確認して、また動き出す。それは必要だったことだ。
でも読み方を変えれば、一度しか止まれないとも読める。もう一度走り出したんだから、もう二度と止まるんじゃねぇぞ」
という言葉はthe telephonesだけでなく、Hi-STANDARDとELLEGARDENという自分たちの周りにいる、再び走り出したバンドたちにも向けられているようだった。
そして「満月の夕」を観客と大合唱させることで、こうして生きてこの場所にみんなが集まっていることが当たり前ではないことを強く感じさせると、
「一度きりの人生。波にさらわれたあの人たちの人生はどんなものだっただろう」
と言って、
「幕が開くことは 終わりが来ることだ」
と人生そのものでもあり、こうしたライブのことを言い当てているかのような「真善美」で最後にTOSHI-LOWがこのフレーズをアカペラで歌い叫んでいる間にメンバーたちはステージから去る。歌い終わったTOSHI-LOWはマイクを落とすと、その瞬間に暗転。明かりが再び点く頃には大きな拍手に会場が包まれていた。
BRAHMANのライブはいつだって特別な、その日その場所でしかないものだ。だからフェスに出るといつもベストアクトになってしまうというジョーカー的な存在のバンドでもある。
そんなバンドのこの釜石でのライブがいつも以上に特別なものに感じたのは、やはり震災以降にメンバーが自分たちで足を運び、復興していく姿を自分たちの目で見てきたからだろう。そしてそれはこれからも続く。だからBRAHMANのライブはずっと特別なままであり続けていく。
1.霹靂
2.賽の河原
3.付和雷同
4.露命
5.SEE OFF
6.DEEP
7.BOX
8.BEYOND THE MOUNTAIN
9.不倶戴天
10.空谷の跫音
11.ナミノウタゲ
12.Z
13.汀に咲く
14.警醒
15.鼎の問
16.満月の夕
17.真善美
ナミノウタゲ
https://youtu.be/28WLJxDIb-I
・the telephones
そしていよいよthe telephonesが4年ぶりに釜石のライブハウスに立つと同時に、本格的な復活を遂げたこのツアーを締めくくるべくステージへ。
サウンドチェックの段階でメンバー全員が登場すると、BRAHMANの「ANSWER FOR…」のイントロを演奏して観客をどよめかせる。昨年のYap!!!のツアーで石毛輝は高校生の時にBRAHMANのコピバンでドラムを叩いていたことを明かしていただけに、こうしてすぐに演奏できるくらいに曲が頭の中に入っているのだろう。
おなじみ「Happiness, Happiness, Happiness」でアフロヅラを被ったメンバーたちがステージに登場すると、「スクラムDISCO」というタイトルにちなんでノブがラグビーボールを頭上に高く投げてはキャッチするという動作を繰り返していたが、壁は薄いが天井は高いこの会場だからこそできることである。(今回のツアーのほかの会場はどこもキャパが小さくて天井が低い会場ばかり)
いきなりDISCOを叫びまくる「I Hate DISCOOOOOOO!!!」でスタートすると、ノブがカウベルを叩きまくる「Baby, Baby, Baby」ではそのノブがステージから消え、客席後方から登場すると、そのまま客席の中で観客にもみくちゃにされながらカウベルを叩く。それは観客に支えられてこそいないがTOSHI-LOWそのもので、その後のMCではノブは自らを「ノブロー」と名乗っていた。(TOSHI-LOWが命名したらしいが)
やはりBRAHMANのライブの後というのはいつもとは違う緊張感に包まれており、それはメンバーも感じていたようだが、流れ自体は始まりの場所なだけに初期曲が多かった北浦和を除くツアー時のものを踏襲しており、涼平のベースラインが観客を踊らせまくる「electric girl」と「Yeah Yeah Yeah」は佐賀でも演奏されていたが、演奏された順番はかなり離れていたのが、この日はそのアウトロからそのままイントロに入るという新たなライブならではのつなぎのアレンジが施されていた。
4年ぶりにこの釜石でライブができること、この場所で自分たちのことを待っていてくれた人たちへの感謝を込めて演奏されたのは「Re:Life」。佐賀でも北浦和でも演奏されなかった曲なだけに、被災地であるこの場所だからこそ演奏された曲であると思うし、この曲がリリースされたのは震災よりも前だが、こうしてこの場所で演奏されることで曲が新たな意味を帯びていく。ポップミュージックにおいてはしばしばそうした、未来を言い当ててしまったかのように曲の歌詞とリンクするような出来事が起こったりするが、メンバーもこの曲を演奏するときにはそれを実感していたんじゃないだろうか。
釜石の隣の駅にはノブの親戚がやっているホルモンをメインにした料理屋・新来軒があり、石毛はそのホルモンを郵送してもらって食べるくらいに美味しいらしいのだが、事前にツイッターで石毛が
「是非行ってみてください!」
と言っていたのに、この日のライブ前に行ったら休みだった。その理由は
「子供の卒園式だから」
というTOSHI-LOWのMCとなぜかリンクするものになっていたが、そのホルモンを食べ過ぎるとトイレと友達になってしまうというくらいに胃腸に強烈なダメージを与えるらしく、それはまるで辛い唐辛子を食べた時のように、ということで「HABANERO」へ。今回は食べることができなかったけど、いつかまた新来軒のホルモンを食べるためにこの地を訪れてみたいものだ。
「DaDaDa」で再び加速すると、「Don't Stop The Move, Keep On Dancing!!!」ではノブがTOSHI-LOWのポーズ(多分手のひらを差し出すようにしたかったんだろうけど、鶴のポーズみたいになっていた)を取りながらその場を回転するという踊り方を伝授し、
「みんなバカ過ぎて最高!」
と称える。確かにこのノリについていくのはさすがthe telephonesファンであるが、その温度は埼玉をはじめとした関東と全く変わらない。
そしてDISCOを叫びまくる「Keep Your DISCO!!!」からは締めのディスコシリーズに突入。「Monkey Discooooooo」で踊らせまくると、観客に
「ウィーアー!?」
と問いかけて「DISCO!」の大合唱を巻き起こし、ラストはやはり「Love & DISCO」。今回のツアーでは本編ラストは毎回この曲なのだが、震災から8年経った今鳴らされたこの日の「Love & DISCO」は、the telephonesの帰還を告げた佐賀の時とも、結成の地に帰ってきた北浦和の時とも違って聞こえた。心から楽しいんだけども、忘れてはいけないことが確かにあるような。それを愛とディスコで優しく包み込むかのようだった。
アンコールではツアーTシャツに着替えて登場し、
「俺たちはみんな高校生の時にそれぞれBRAHMANのコピバンをしてたメンバーで、the telephonesになってからも名前を出さないで地元のイベントにBRAHMANのコピバンで出たことがあるんです。その時に「ARRIVAL TIME」と「ANSWER FOR…」をやって。だからリハで普通に演奏できるんです。バンドをやってればこうやってそのバンドと2マンができるようになるって高校生の時の自分たちに教えてあげたい」
とBRAHMANと対バンできたことの喜びを語ると、
「俺たちは埼玉の北浦和っていうところにあるライブハウスで出会って。このPITは壁が薄くて時間も遅くまでできないけど、週末とかだけでもこのライブハウスでみんながライブを見れるようになって、このライブハウスで出会った人たちがバンドを組んでくれたら、それ以上嬉しいことはないです」
と活動休止前からずっと口にし続けてきたライブハウスへの思いを語る。
そしてノブがラグビーボールを持ち、この釜石でラグビーのワールドカップが行われるからこその「スクラムディスコ」であることを明かすと、最後に石毛は
「the telephonesはこれからもずっと続けていきます。だからまた必ず会いましょう!」
と言った。
こうやってツアーをやってはいるけれど、the telephonesがこれからもずっと活動していくのかはわからなかった。メンバーそれぞれ別のバンドもやっているし、こうしてツアーをやっているのはメジャーデビュー10周年イヤーだから期間限定なのかもしれないとも思っていた。だから少しでもこのバンドを見れる時に見ておきたいから、こうして佐賀や釜石まで見に来たのだ。
でも石毛がこうして続けていくことを言葉にしてくれたことによって、これからもこうやってthe telephonesのライブが見れるし、かつてthe telephonesのライブを見にきていた人たちにもまたtelephonesのライブを見てもらえる機会がくるのがわかったのが本当に嬉しかった。TOSHI-LOWが言っていた通りに、一度止まって考える時間があったからこそ、またthe telephonesをやる意味や意義を自分たちで見出すことができた。2年半いなかったのは寂しかったけど、やはりあれは必要な時間だった。もしあの時間がなかったら逆にバンドそのものがなくなっていたかもしれない。休止前のことを思い出すと本当にそう思える。
そして
「みんなに何か良いことがありますように」
と言って「Something Good」を休止前の悲壮感とは全く違う、希望に満ち溢れた表情で鳴らすと、ノブが突然
「2日後に石毛の誕生日があるからさ、みんなで祝ってもらっていい!?」
と言うと、ハッピーバースデーの合唱が始まり、袖からケーキを持って登場したのはクチビルサングラスにサッカーシャツを着た、the telephones仕様のTOSHI-LOW。こういう機会にあまり出てこないMAKOTOとKOHKIもクチビルサングラスをかけて登場して石毛を祝う。演奏中は怖そうに感じる時もあるが、BRAHMANのメンバーはみんな本当に優しい。そこには自分たちの音楽を聴いてバンドを始めたthe telephonesのメンバーへの愛と感謝もあるんだろうけど、初期のthe telephonesのディスコパンクと呼ばれていた「パンク」の部分は間違いなくBRAHMANからの影響があるはず。
筋肉がありすぎるTOSHI-LOWのサッカーシャツのぴちぴちっぷりに誰しもが笑いながら、最後は全員で写真撮影。RONZIはサングラスをかけ慣れていないからか躓いて転んだりしていたが、ここまで来てよかったと思えるような幸せな時間だった。
石毛本人がツイッターとかでも発言しているように、今のthe telephonesは本当にライブをやっているのが楽しそうだ。
でもそう本人がそう言える、我々がそう思えるのは、かつて楽しいだけではないと思ってしまうような時も多々あったから。
休止前に散々言われていた通り、the telephonesはフェスでは何万人規模のメインステージも満員になるバンドだったが、ワンマンではなかなかZeppクラスまでならソールドアウトするけれどそれ以上は…という動員のギャップがあったし、あれだけ浸透している曲があるにもかかわらず、CDは全然売れなかった。(オリコンTOP10にデイリーチャートですら入ったことがない)
当時、その状況が本当に悔しかった。the telephonesが楽しいだけのバンドじゃなくて、アルバムには良い曲がたくさん入っているにもかかわらずそれがなかなか伝わらないというもどかしさ。フェスでは動員力があっても、ロッキンやCDJではメインステージに立てないもどかしさ。(活動休止発表をした後のロッキンではメインステージに立った)
我々見ている側がそう感じていたということは、実際に音楽を作って鳴らしている側の悔しさや葛藤は想像を超えるレベルのものだっただろう。ましてやフェスに集まる人たちから求められるのはアッパーなディスコシリーズの曲ばかりで、それ以外の曲をフェスで演奏することができないような状況に陥っていたし、石毛は当時
「the telephonesに求められているものと、自分が作りたい音楽にギャップがある」
と素直に明かしていたし、その心境は休止を発表する前のライブに如実に表れていた。そこにはthe telephonesが「俺たちがシーンを変える」「俺たちの世代が引っ張っていく」という意志や責任感を強く持って活動していたからというのもあるだろうけれど。
でも今はもうそうしたことを気にする必要がない。2年半の休止期間はそうしたシーンの競争というか、背負わなければならなかったものからこのバンドを解放させた。だからそうしたものを気にすることなく、ただただ目の前にいてくれる人たちに向かって自分たちの音楽を鳴らすだけでいい。
それは北浦和KYARAでバンドを始めた時のような感覚。でもがむしゃらではなくて今は経験も余裕もある。どうやったら楽しみながらバンドができるかというのもわかっている。
かつてthe telephonesが作ろうとしているシーンに期待や希望を持っていた身からすると、それは少し寂しく感じることでもあるのだけど、バンドが止まってしまったりなくなってしまうよりは全然良い。こうしてthe telephonesが楽しそうにライブをしているのを見ているのが、我々も本当に楽しいから。
そしてそれはこれからも続いていく。佐賀から始まったこのツアーはそのことを証明するようなものだった。何歳になっても、ずっと「DISCO」を叫んでいられますように。
1.I Hate DISCOOOOOOO!!!
2.Baby, Baby, Baby
3.Jesus
4.A.B.C.DISCO
5.electric girl
6.Yeah Yeah Yeah
7.Re:Life
8.kiss me, love me, kiss me
9.HABANERO
10.DaDaDa
11.Don't Stop The Move, Keep On Dancing!!!
12.Keep Your DISCO!!!
13.Monkey Discooooooo
14.Love & DISCO
encore
15.Something Good
Love & DISCO
https://youtu.be/PDRdyrFk378
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会場の釜石PITは釜石駅から徒歩10分くらいの、イオンなどの新しい建物が密集する場所にある新しいライブハウスで、PITというと都内最大級のキャパを誇る豊洲PITを彷彿とさせるのだが、キャパ的に渋谷O-WESTよりもちょっと広いかなというくらいの感じ。中にはロッカーはおろかドリンクバーすらもない。
開演時間が16時からと信じられないくらいに早いのはこの釜石からの終電が20時過ぎだからという環境に合わせてのものであろうが、2マンで15時半開場という早さは実に新鮮である。
・BRAHMAN
16時ちょうどになると場内が暗転し、おなじみのSEが鳴ると同時に客席では両手を合わせて掲げ、メンバーたちの登場を待ちわびる観客たち。先にKOHKI、MAKOTO、RONZIの3人がステージに登場すると、楽器の音が鳴る瞬間に髪型がいささか普通な感じになっているTOSHI-LOWが登場し、いきなりステージを飛び降りて客席最前の柵に立つと「霹靂」からスタート。震災の直後に生まれたこの曲から始まるというあたりにこのバンドがこの会場でライブをするという意味を否が応でも感じざるを得ない。
TOSHI-LOWが腕まくりをしてその立派すぎる筋肉を見せつけながら歌う「付和雷同」を始め、序盤は震災後にリリースされた日本語歌詞の曲が続いたのだが、高校野球の応援歌としておなじみの「SEE OFF」からはアウトロとイントロを繋ぐようなライブアレンジがなされた「BOX」〜「BEYOND THE MOUNTAIN」と英語歌詞の曲を連発していく。
「赦すってことだ」
という曲最後のフレーズでTOSHI-LOWが中指を立てたかと思いきや、最後には人差し指も立ててピースにしてみせた「不倶戴天」と息継ぎする間もなくハードコアパンクを叩き込んでいく。
しかし「空谷の跫音」からは激しいノリはなくなり、TOSHI-LOWの歌とバンドのサウンドをしっかり聴かせるというゾーンへ。とりわけ「ナミノウタゲ」を聴いていると、この新しい建物ばかりの街にはかつてどんな建物が建っていて、どんな人たちが住んでいたんだろうと思いを馳せざるにはいられなかった。
BRAHMANは震災後に被災地に何度となく赴いてはライブをやっているし、ある意味では被災地でライブをやることに慣れているとも言えるのだが、やはりこの場所で見るBRAHMANのライブはいつにも増して特別で、どこかライブそのものがこの地へ祈りを捧げているかのようにすら感じた。
「警醒」でTOSHI-LOWが客席に突入すると、観客に支えられながらどんどん客席最後方のPAブースの方に流されていく。そのTOSHI-LOW目がけてダイバーたちが次々に転がっていくのだが、TOSHI-LOWは自身に絡みついてきたりする人を容赦なくぶっ飛ばして墜落させていくという鬼っぷりを遺憾なく発揮。見ている分にはめちゃくちゃ面白いが、あれだけの筋肉を有しているだけに痛くてしょうがないと思う。
TOSHI-LOWがステージの方へ運ばれながら「鼎の問」を大きな会場などで使用している、福島第一原発で作業することを選んだ人たちの映像を使わない中で歌うも、その曲に込められた思いはいつも以上に伝わっていたと思う。それくらいにTOSHI-LOWの歌に対する観客の集中力が強かった。
「緑が芽吹き始めて、すっかり春を感じさせる気候になってまいりました」
と柄にもなく真面目な言葉でMCを始めるも、下の子が卒園式を控えており、上の子が卒園した時はまだ若い父親だったのが、今回は父親の中で最年長ということで、卒園式のスピーチを園から頼まれたので考えた文章を読み上げたとのこと。
「電話の野郎ども、こんなクソ忙しい時に呼びやがって。4年前に釜石でライブやった時に
「また絶対活動再開して釜石でライブやれ」
って言ったけど、俺たちを呼べとは言ってねぇんだよ。忙しいんだからよ。
この釜石PITも、豊洲と仙台のPITがあんなに立派なつくりをしてるのにここだけ手を抜いて壁を薄くしやがったから19時には音を止めないといけないっていうからこんな早い時間にライブやることになって」
とtelephonesと釜石PITに愚痴をもらすが、
「でも俺は震災が起きてから釜石によく来るようになって、色んな人に出会って、色んな奇跡を見てきた。練習相手がいなかった格闘技ジムから世界に挑むやつが出てきたり。
俺の周りでも、怖い3人組が活動を再開したり、もう絶対やらないだろうと思っていた4人が去年活動再開した。2年半しか経ってないけど、電話が活動再開してこうして釜石にライブをしに来てくれるのだって奇跡だ。
「正しい」っていう字は一度止まるって書く。一度止まって自分たちが音楽をやる意味とかを確認して、また動き出す。それは必要だったことだ。
でも読み方を変えれば、一度しか止まれないとも読める。もう一度走り出したんだから、もう二度と止まるんじゃねぇぞ」
という言葉はthe telephonesだけでなく、Hi-STANDARDとELLEGARDENという自分たちの周りにいる、再び走り出したバンドたちにも向けられているようだった。
そして「満月の夕」を観客と大合唱させることで、こうして生きてこの場所にみんなが集まっていることが当たり前ではないことを強く感じさせると、
「一度きりの人生。波にさらわれたあの人たちの人生はどんなものだっただろう」
と言って、
「幕が開くことは 終わりが来ることだ」
と人生そのものでもあり、こうしたライブのことを言い当てているかのような「真善美」で最後にTOSHI-LOWがこのフレーズをアカペラで歌い叫んでいる間にメンバーたちはステージから去る。歌い終わったTOSHI-LOWはマイクを落とすと、その瞬間に暗転。明かりが再び点く頃には大きな拍手に会場が包まれていた。
BRAHMANのライブはいつだって特別な、その日その場所でしかないものだ。だからフェスに出るといつもベストアクトになってしまうというジョーカー的な存在のバンドでもある。
そんなバンドのこの釜石でのライブがいつも以上に特別なものに感じたのは、やはり震災以降にメンバーが自分たちで足を運び、復興していく姿を自分たちの目で見てきたからだろう。そしてそれはこれからも続く。だからBRAHMANのライブはずっと特別なままであり続けていく。
1.霹靂
2.賽の河原
3.付和雷同
4.露命
5.SEE OFF
6.DEEP
7.BOX
8.BEYOND THE MOUNTAIN
9.不倶戴天
10.空谷の跫音
11.ナミノウタゲ
12.Z
13.汀に咲く
14.警醒
15.鼎の問
16.満月の夕
17.真善美
ナミノウタゲ
https://youtu.be/28WLJxDIb-I
・the telephones
そしていよいよthe telephonesが4年ぶりに釜石のライブハウスに立つと同時に、本格的な復活を遂げたこのツアーを締めくくるべくステージへ。
サウンドチェックの段階でメンバー全員が登場すると、BRAHMANの「ANSWER FOR…」のイントロを演奏して観客をどよめかせる。昨年のYap!!!のツアーで石毛輝は高校生の時にBRAHMANのコピバンでドラムを叩いていたことを明かしていただけに、こうしてすぐに演奏できるくらいに曲が頭の中に入っているのだろう。
おなじみ「Happiness, Happiness, Happiness」でアフロヅラを被ったメンバーたちがステージに登場すると、「スクラムDISCO」というタイトルにちなんでノブがラグビーボールを頭上に高く投げてはキャッチするという動作を繰り返していたが、壁は薄いが天井は高いこの会場だからこそできることである。(今回のツアーのほかの会場はどこもキャパが小さくて天井が低い会場ばかり)
いきなりDISCOを叫びまくる「I Hate DISCOOOOOOO!!!」でスタートすると、ノブがカウベルを叩きまくる「Baby, Baby, Baby」ではそのノブがステージから消え、客席後方から登場すると、そのまま客席の中で観客にもみくちゃにされながらカウベルを叩く。それは観客に支えられてこそいないがTOSHI-LOWそのもので、その後のMCではノブは自らを「ノブロー」と名乗っていた。(TOSHI-LOWが命名したらしいが)
やはりBRAHMANのライブの後というのはいつもとは違う緊張感に包まれており、それはメンバーも感じていたようだが、流れ自体は始まりの場所なだけに初期曲が多かった北浦和を除くツアー時のものを踏襲しており、涼平のベースラインが観客を踊らせまくる「electric girl」と「Yeah Yeah Yeah」は佐賀でも演奏されていたが、演奏された順番はかなり離れていたのが、この日はそのアウトロからそのままイントロに入るという新たなライブならではのつなぎのアレンジが施されていた。
4年ぶりにこの釜石でライブができること、この場所で自分たちのことを待っていてくれた人たちへの感謝を込めて演奏されたのは「Re:Life」。佐賀でも北浦和でも演奏されなかった曲なだけに、被災地であるこの場所だからこそ演奏された曲であると思うし、この曲がリリースされたのは震災よりも前だが、こうしてこの場所で演奏されることで曲が新たな意味を帯びていく。ポップミュージックにおいてはしばしばそうした、未来を言い当ててしまったかのように曲の歌詞とリンクするような出来事が起こったりするが、メンバーもこの曲を演奏するときにはそれを実感していたんじゃないだろうか。
釜石の隣の駅にはノブの親戚がやっているホルモンをメインにした料理屋・新来軒があり、石毛はそのホルモンを郵送してもらって食べるくらいに美味しいらしいのだが、事前にツイッターで石毛が
「是非行ってみてください!」
と言っていたのに、この日のライブ前に行ったら休みだった。その理由は
「子供の卒園式だから」
というTOSHI-LOWのMCとなぜかリンクするものになっていたが、そのホルモンを食べ過ぎるとトイレと友達になってしまうというくらいに胃腸に強烈なダメージを与えるらしく、それはまるで辛い唐辛子を食べた時のように、ということで「HABANERO」へ。今回は食べることができなかったけど、いつかまた新来軒のホルモンを食べるためにこの地を訪れてみたいものだ。
「DaDaDa」で再び加速すると、「Don't Stop The Move, Keep On Dancing!!!」ではノブがTOSHI-LOWのポーズ(多分手のひらを差し出すようにしたかったんだろうけど、鶴のポーズみたいになっていた)を取りながらその場を回転するという踊り方を伝授し、
「みんなバカ過ぎて最高!」
と称える。確かにこのノリについていくのはさすがthe telephonesファンであるが、その温度は埼玉をはじめとした関東と全く変わらない。
そしてDISCOを叫びまくる「Keep Your DISCO!!!」からは締めのディスコシリーズに突入。「Monkey Discooooooo」で踊らせまくると、観客に
「ウィーアー!?」
と問いかけて「DISCO!」の大合唱を巻き起こし、ラストはやはり「Love & DISCO」。今回のツアーでは本編ラストは毎回この曲なのだが、震災から8年経った今鳴らされたこの日の「Love & DISCO」は、the telephonesの帰還を告げた佐賀の時とも、結成の地に帰ってきた北浦和の時とも違って聞こえた。心から楽しいんだけども、忘れてはいけないことが確かにあるような。それを愛とディスコで優しく包み込むかのようだった。
アンコールではツアーTシャツに着替えて登場し、
「俺たちはみんな高校生の時にそれぞれBRAHMANのコピバンをしてたメンバーで、the telephonesになってからも名前を出さないで地元のイベントにBRAHMANのコピバンで出たことがあるんです。その時に「ARRIVAL TIME」と「ANSWER FOR…」をやって。だからリハで普通に演奏できるんです。バンドをやってればこうやってそのバンドと2マンができるようになるって高校生の時の自分たちに教えてあげたい」
とBRAHMANと対バンできたことの喜びを語ると、
「俺たちは埼玉の北浦和っていうところにあるライブハウスで出会って。このPITは壁が薄くて時間も遅くまでできないけど、週末とかだけでもこのライブハウスでみんながライブを見れるようになって、このライブハウスで出会った人たちがバンドを組んでくれたら、それ以上嬉しいことはないです」
と活動休止前からずっと口にし続けてきたライブハウスへの思いを語る。
そしてノブがラグビーボールを持ち、この釜石でラグビーのワールドカップが行われるからこその「スクラムディスコ」であることを明かすと、最後に石毛は
「the telephonesはこれからもずっと続けていきます。だからまた必ず会いましょう!」
と言った。
こうやってツアーをやってはいるけれど、the telephonesがこれからもずっと活動していくのかはわからなかった。メンバーそれぞれ別のバンドもやっているし、こうしてツアーをやっているのはメジャーデビュー10周年イヤーだから期間限定なのかもしれないとも思っていた。だから少しでもこのバンドを見れる時に見ておきたいから、こうして佐賀や釜石まで見に来たのだ。
でも石毛がこうして続けていくことを言葉にしてくれたことによって、これからもこうやってthe telephonesのライブが見れるし、かつてthe telephonesのライブを見にきていた人たちにもまたtelephonesのライブを見てもらえる機会がくるのがわかったのが本当に嬉しかった。TOSHI-LOWが言っていた通りに、一度止まって考える時間があったからこそ、またthe telephonesをやる意味や意義を自分たちで見出すことができた。2年半いなかったのは寂しかったけど、やはりあれは必要な時間だった。もしあの時間がなかったら逆にバンドそのものがなくなっていたかもしれない。休止前のことを思い出すと本当にそう思える。
そして
「みんなに何か良いことがありますように」
と言って「Something Good」を休止前の悲壮感とは全く違う、希望に満ち溢れた表情で鳴らすと、ノブが突然
「2日後に石毛の誕生日があるからさ、みんなで祝ってもらっていい!?」
と言うと、ハッピーバースデーの合唱が始まり、袖からケーキを持って登場したのはクチビルサングラスにサッカーシャツを着た、the telephones仕様のTOSHI-LOW。こういう機会にあまり出てこないMAKOTOとKOHKIもクチビルサングラスをかけて登場して石毛を祝う。演奏中は怖そうに感じる時もあるが、BRAHMANのメンバーはみんな本当に優しい。そこには自分たちの音楽を聴いてバンドを始めたthe telephonesのメンバーへの愛と感謝もあるんだろうけど、初期のthe telephonesのディスコパンクと呼ばれていた「パンク」の部分は間違いなくBRAHMANからの影響があるはず。
筋肉がありすぎるTOSHI-LOWのサッカーシャツのぴちぴちっぷりに誰しもが笑いながら、最後は全員で写真撮影。RONZIはサングラスをかけ慣れていないからか躓いて転んだりしていたが、ここまで来てよかったと思えるような幸せな時間だった。
石毛本人がツイッターとかでも発言しているように、今のthe telephonesは本当にライブをやっているのが楽しそうだ。
でもそう本人がそう言える、我々がそう思えるのは、かつて楽しいだけではないと思ってしまうような時も多々あったから。
休止前に散々言われていた通り、the telephonesはフェスでは何万人規模のメインステージも満員になるバンドだったが、ワンマンではなかなかZeppクラスまでならソールドアウトするけれどそれ以上は…という動員のギャップがあったし、あれだけ浸透している曲があるにもかかわらず、CDは全然売れなかった。(オリコンTOP10にデイリーチャートですら入ったことがない)
当時、その状況が本当に悔しかった。the telephonesが楽しいだけのバンドじゃなくて、アルバムには良い曲がたくさん入っているにもかかわらずそれがなかなか伝わらないというもどかしさ。フェスでは動員力があっても、ロッキンやCDJではメインステージに立てないもどかしさ。(活動休止発表をした後のロッキンではメインステージに立った)
我々見ている側がそう感じていたということは、実際に音楽を作って鳴らしている側の悔しさや葛藤は想像を超えるレベルのものだっただろう。ましてやフェスに集まる人たちから求められるのはアッパーなディスコシリーズの曲ばかりで、それ以外の曲をフェスで演奏することができないような状況に陥っていたし、石毛は当時
「the telephonesに求められているものと、自分が作りたい音楽にギャップがある」
と素直に明かしていたし、その心境は休止を発表する前のライブに如実に表れていた。そこにはthe telephonesが「俺たちがシーンを変える」「俺たちの世代が引っ張っていく」という意志や責任感を強く持って活動していたからというのもあるだろうけれど。
でも今はもうそうしたことを気にする必要がない。2年半の休止期間はそうしたシーンの競争というか、背負わなければならなかったものからこのバンドを解放させた。だからそうしたものを気にすることなく、ただただ目の前にいてくれる人たちに向かって自分たちの音楽を鳴らすだけでいい。
それは北浦和KYARAでバンドを始めた時のような感覚。でもがむしゃらではなくて今は経験も余裕もある。どうやったら楽しみながらバンドができるかというのもわかっている。
かつてthe telephonesが作ろうとしているシーンに期待や希望を持っていた身からすると、それは少し寂しく感じることでもあるのだけど、バンドが止まってしまったりなくなってしまうよりは全然良い。こうしてthe telephonesが楽しそうにライブをしているのを見ているのが、我々も本当に楽しいから。
そしてそれはこれからも続いていく。佐賀から始まったこのツアーはそのことを証明するようなものだった。何歳になっても、ずっと「DISCO」を叫んでいられますように。
1.I Hate DISCOOOOOOO!!!
2.Baby, Baby, Baby
3.Jesus
4.A.B.C.DISCO
5.electric girl
6.Yeah Yeah Yeah
7.Re:Life
8.kiss me, love me, kiss me
9.HABANERO
10.DaDaDa
11.Don't Stop The Move, Keep On Dancing!!!
12.Keep Your DISCO!!!
13.Monkey Discooooooo
14.Love & DISCO
encore
15.Something Good
Love & DISCO
https://youtu.be/PDRdyrFk378
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