米津玄師 2019 TOUR / 脊椎がオパールになる頃 @幕張メッセ展示ホール4〜6 3/11
- 2019/03/12
- 13:41
前日に続いて米津玄師のツアー国内ファイナルである幕張メッセ2daysの2日目。この後には初の海外ワンマンである上海と台湾も残っているが、ひとまずはここが区切りとなる。
この日は平日なので前日よりも遅い19時を少し過ぎたところで場内が暗転すると、先に中島宏(ギター)、須藤優(ベース)、堀正輝(ドラム)の3人が先にステージに登場し、最後に米津玄師が現れると、上は前日同様に「POLICE」と書かれたTシャツなのだが、下が鮮やかなLemon色のものからデニムっぽいものに変わっていてどことなく落ち着いた印象に。
基本的に流れは前日と変わらないので細かい演出などは前日のレポを見ていただきたいのだが、
(http://rocknrollisnotdead.jp/blog-entry-606.html?sp)
米津玄師の2daysのライブは「音楽隊ツアー」の豊洲PITや国際フォーラムでの「RESCUE」、「BOOTLEG」を引っさげて開催された「fogboundツアー」の日本武道館を始めとした各地から前回の幕張メッセでの「Flamingo」に至るまで、なぜか2日目の方が初日より声が出るのでライブ自体も2日目の方がはるかに良いというパターンだった。
普通は2daysの2日目だと喉に負担がかかって初日よりも声が出ないというアーティストの方が大多数であるが、米津玄師は喉を使うことでより開いていくという感覚なのか、その辺りもやはりちょっと異質な存在というか飛び抜けた存在というか。
しかしこの日は前日同様に「Flamingo」でスタートすると、どことなく前日よりも喉がキツそうな感じが見受けられるし、それは花道を歩きながら歌い、最終的にはその花道自体が高く迫り上がることで「TEENAGE RIOT」のイラストのように下界を見下ろすかのような「Loser」のサビなどで顕著であった。
前日はR1ブロックという最前のブロックでかなり近い距離でステージが見えていたのだが、この日はL2ブロックなのでそれよりも一つ後ろのブロック。なのでステージや演奏するメンバーの細かい部分までは前日のようには見ることはできないが、だからこそ逆に見えてくるのは前や横にいるたくさんの観客のリアクション。
「砂の惑星」まではアニメーションと照明という演出だったのが、「飛燕」でスクリーンにアコギを弾きながら歌う米津玄師の姿が映し出されると大歓声が上がる。やはりステージが遠くてなかなか見えない(背が低い女性からしたら全然ステージが見えない可能性すらある)人も多いであろうだけに、その姿をしっかり視認できるのが実に嬉しいのがよくわかる。
この日、千葉では朝は雨が降っていて風が強かったのだが、雨が上がった昼頃には会場にも虹がかかっていたというスタッフのツイートが
「虹の根元を探しにいこう」
という、虹の根元はこの会場なんじゃないだろうかとリンクする「かいじゅうのマーチ」、米津玄師の曲の中でも屈指の美しいメロディのバラード曲でありながら堀のドラムのスネアのアタックの強さが曲の持つ神聖さや生命力をさらに際立たせ、それによってこの4人だからこそこうして思い描いた通りのライブができることを示す「アイネクライネ」と続くと、きらびやかな電子音のイントロが鳴ると大歓声が起こったのは「春雷」。この曲がここまでイントロで湧くような受け入れられ方をしているとは予想外であった(ポップな曲であるしMVもあるとはいえ)が、やはり前日同様にハンドマイクでぴょんぴょん飛び跳ねる米津玄師は以前までとは比べ物にならないくらいに楽しそうである。
「Moonlight」からはチーム辻本のダンサーチームも登場し、米津玄師のライブだからこその総合芸術度がさらに増していき、それと同時に米津玄師の持つドロっとしたダークな感情が表出した世界へ突入していく。
前日は「打上花火」が演奏された部分でこの日代わりに演奏されたのは不穏かつたおやかな、音の霧に包まれるような「fogbound」。声を張る部分はあれど高音部があまりない曲なだけにこの日の米津玄師の調子には実に良く合っていたというか、喉のコンディションにそこまで左右されない曲である。
家族連れで来た子供からしたら恐怖心を感じるほどにもはやホラーなんじゃないかと思わせる「amen」とより奥深い方向に潜っていくと、「Undercover」ではおなじみの太鼓隊が登場するのだが、それによってステージから遠い位置の客席でもビートが強調されて聴こえるし、最後には花道に歩きながら歌う米津玄師に引き連れられるように花道に進んだ太鼓隊がそのままステージを降りるとこの日ここまでで最大級の拍手が巻き起こる。何度か見ていると演出にも慣れてしまうところもあるが、やはり初めて見る人からしたらこれは衝撃的な演出であるし、実際に自分自身が前回の幕張メッセでのライブ時に初めて見た時も衝撃的だったことを思い出した。
米津玄師がギターを持ち、ステージ頭上には「当脊椎化作蛋白石」という今回のライブタイトルを漢文表記した文字列が照明のクレーンにLEDで映し出された「爱丽丝」では米津玄師が再びギターを弾きながら歌うのだが、曲後半ではかなり声が揺らぐような部分があった。それは今までの米津玄師のライブにおいてだったらマイナスなポイントになるようなものだったのだが、この日のその揺らいだ歌い方からは今までの声が本調子ではない時とは違う、衝動的なもの、技術というよりも精神と肉体でそれを上回ってやろうという意識を感じた。それは本人からしたら無意識なものだったかもしれないが、逆にそれが無意識でできるようになっているというのならば、米津玄師がライブという場における地力がしっかりと身についたということである。
自分は米津玄師の人生初ライブとなったシークレットライブからライブを見ることができているが、当時から武道館くらいまではどこかライブをやることが100%主体的ではないというか、やらないといけないからやるという義務感みたいなものが見える時もあった。だからこそ声の調子が良くない時はそれがそのままライブの出来に直結していたし、「今日はイマイチだったな」と思ってしまうようなライブも何度もあった。
でもこの日のライブが声の調子が完璧ではなくても決してマイナスな感想が浮かんでこないのは米津玄師のライブに対する意識が変わったからだと思う。もはや義務感は一切なく、ただただ自分が作った音楽を聴いてくれて、こうして時間とお金を使ってライブに来てくれる人がこんなにもいる。その人たちに自分がステージで鳴らす音楽で楽しんでもらいたい、この日が最高の1日だったと思って欲しい。ライブの体力はもちろん、その意識の変化が最もライブに現れている。
それは銀テープが飛んだ「ピースサイン」を経て、前日は演奏されなかったソリッドなロックチューン「TEENAGE RIOT」(このライブメンバーが好きなことを承知で言うけど一度でいいからレコーディングで演奏しているひなっちこと日向秀和のベースと玉田豊夢のドラムバージョンをライブで聴きたい)を経ての本人のMCでも、前日同様に「変化していくこと」について触れながら、
「こうしてみんなが集まれるっていうのは天文学的にあり得ないようなことだし、こうしてたくさんの人が集まってくれることで、自分がやってきたことが間違いではなかったって思える。本当に有難いしか出てこない」
と言っていたように、今の米津玄師が最も音楽をやっていて救われたり自身の精神が浄化されたりするのはライブでたくさんの人たちと向き合っている時だ。
「変わったって言われることもたくさんあるし、そう言われることによって悲しくなったりもするけど」
とも言っていたが、毎作ごとに変化を遂げてきたのは本人の音楽的好奇心と
「時代も変化していく。それまでに使っていた言葉が不適切なものになったりする。でもそうして変わっていくことが美しいことだと思っている」
というスタンスによるものだが、それでもやはり変わるということはどこか不安のようなものもあるのかもしれない。
それは当たり前で、ボカロ時代に聴いていた人たちだけにずっと聴かれていたいのならばそうした曲を量産しまくればいいし、実際に米津玄師はやろうと思えばいくらでもそれができる男だけど、絶対にそれをやらない。自身が作る音楽が「ポップミュージック」であると自負しているからこそ、作品を世に出すごとにそれまでよりさらに多くの人に聴かれないと意味がない。
その広がりを自身の目で確認することができるのがライブという場所なのである。だから心からその場を楽しむことができるし、そこが自身の存在証明と言えるような場所になっている。かつての自信なさげだった姿が遠い昔のことのようだ。
その変化のきっかけとして大きかったのは本人も言う通りに、本編最後に演奏された「Lemon」が想像を超えるようなところまで届いたとことだろうけれど、前日は見ていた位置によるものか感じることができなかった、苦いというよりも爽やかなLemonの匂いが会場に漂うという嗅覚面での演出もある中、
「切り分けた果実の片方の様に 今でもあなたは私の光」
という最後のフレーズのとおりに、「diorama」が世に出てから米津玄師という人間が、様々な変化をしながらも自分自身にとって今でも光であり続けているからこそ、米津玄師にとっての「切り分けた果実の片方の様に」光を感じられる存在がこうしてリアルで向かい合うことのできる我々観客のことだったらそれ以上に嬉しいことはないんだけどな。
前日は米津玄師の誕生日サプライズが行われたアンコールでは前日以上に中島がダンスチームの一員となって踊る「ごめんね」から、その中島のMC担当としての体力や力量が米津玄師のライブにおけるそれに並ぶように成長を見せる煽りもありつつ、この日はツッコミとして少しだけだけれど須藤と堀も口を開いた。
その姿からは、もともと80kidzのサポートバンドとして高い評価を確立していて、あらゆるミュージシャンのサポートにも引っ張りだこの須藤と堀は演奏やライブの力がライブをするようになった当初の米津玄師と中島とは比べものにならないレベルであった。だからこそ一歩引いたというか、同じ目線で、というわけにはいかなくても仕方ない部分もあると思っていたのだが、今のこの4人は紛れもなく「この4人で1つのバンド」と言ってもいいくらいの集合体になっている。もちろんそうなれたのは長い年月ずっとともに音を鳴らしてきたからだし、米津玄師と中島のライブにおける成長や進化は須藤と堀の存在あってこそだったとも言える。ライブ後のメンバーたちが写った写真からもそれは強く感じられる。
前日は演奏開始時に真っ暗な中で演奏されたのはスタッフのツイート通りにトラブルだったことがこの日の完璧な照明の当たり方によってわかった「クランベリーとパンケーキ」の
「嗚呼毎度有難し」
という最後のフレーズは観客への感謝のように歌われていたし、それはラストの「灰色と青」の
「もう一度出会えたらいいと強く思う」
というフレーズを、
「あんまり言わないけど、愛してるよ。また聞きたかったらライブに来てね。また近いうちにライブで会いましょう」
と約束したように本当に強く思っているからこそ、より一層感情を込めて歌っているように思えた。そこにこの日Youtubeで1億回再生を突破したこの曲の真の力というか、米津玄師が自身のライブで一人でこの曲を歌うからこそ宿るものがあったような気がした。
演奏が終わると4人が並んで観客に挨拶し、米津玄師はピックを客席に向かって投げた。それは届かずに落下していたが、それすらも楽しんでいるかのような笑顔を長い前髪の下から覗かせていた。
そう、この日というかこの2日間の米津玄師は本当に楽しそうだった。もちろんライブに行くのは米津玄師の作った素晴らしい名曲たちが目の前で鳴らされているのが聴きたいというのが1番なのだが、ずっとこうして米津玄師が楽しんでいる姿が見たかったのだ。そしてついにその姿を見ることができたこのツアーはこれからの米津玄師の活動において1つの大事なターニングポイントになると思う。
進化することや成長することも米津玄師が口にしていた「変わるということ」の一つである。ライブにおける姿が進化して成長したことによって、ライブそのものが大きく変わったと思えるから。ならばこれからも新たな曲や作品を作るごとに変わっていくであろう米津玄師の変化を、大きな船から意地でも落ちないようにしがみつきながら、その変化を楽しめるようなリスナーでありたい。
明るくなってスクリーンにはライブタイトルが映し出される中で、終演SEのBibio「A tout a l'heure」を聴きながらそんなことを考え、きっとすぐにまた米津玄師のライブが見れるだろうな、と今までの「次のライブはいつになるかわからない」というツアー終了後とは全く違う感触を確かめていた。
1.Flamingo
2.Loser
3.砂の惑星
4.飛燕
5.かいじゅうのマーチ
6.アイネクライネ
7.春雷
8.Moonlight
9.fogbound
10.amen
11.Paper Flower
12.Undercover
13.爱丽丝
14.ピースサイン
15.TEENAGE RIOT
16.Nighthawks
17.orion
18.Lemon
encore
19.ごめんね
20.クランベリーとパンケーキ
21.灰色と青
Lemon
https://youtu.be/SX_ViT4Ra7k
Next→ 3/12 [ALEXANDROS] @横浜アリーナ
この日は平日なので前日よりも遅い19時を少し過ぎたところで場内が暗転すると、先に中島宏(ギター)、須藤優(ベース)、堀正輝(ドラム)の3人が先にステージに登場し、最後に米津玄師が現れると、上は前日同様に「POLICE」と書かれたTシャツなのだが、下が鮮やかなLemon色のものからデニムっぽいものに変わっていてどことなく落ち着いた印象に。
基本的に流れは前日と変わらないので細かい演出などは前日のレポを見ていただきたいのだが、
(http://rocknrollisnotdead.jp/blog-entry-606.html?sp)
米津玄師の2daysのライブは「音楽隊ツアー」の豊洲PITや国際フォーラムでの「RESCUE」、「BOOTLEG」を引っさげて開催された「fogboundツアー」の日本武道館を始めとした各地から前回の幕張メッセでの「Flamingo」に至るまで、なぜか2日目の方が初日より声が出るのでライブ自体も2日目の方がはるかに良いというパターンだった。
普通は2daysの2日目だと喉に負担がかかって初日よりも声が出ないというアーティストの方が大多数であるが、米津玄師は喉を使うことでより開いていくという感覚なのか、その辺りもやはりちょっと異質な存在というか飛び抜けた存在というか。
しかしこの日は前日同様に「Flamingo」でスタートすると、どことなく前日よりも喉がキツそうな感じが見受けられるし、それは花道を歩きながら歌い、最終的にはその花道自体が高く迫り上がることで「TEENAGE RIOT」のイラストのように下界を見下ろすかのような「Loser」のサビなどで顕著であった。
前日はR1ブロックという最前のブロックでかなり近い距離でステージが見えていたのだが、この日はL2ブロックなのでそれよりも一つ後ろのブロック。なのでステージや演奏するメンバーの細かい部分までは前日のようには見ることはできないが、だからこそ逆に見えてくるのは前や横にいるたくさんの観客のリアクション。
「砂の惑星」まではアニメーションと照明という演出だったのが、「飛燕」でスクリーンにアコギを弾きながら歌う米津玄師の姿が映し出されると大歓声が上がる。やはりステージが遠くてなかなか見えない(背が低い女性からしたら全然ステージが見えない可能性すらある)人も多いであろうだけに、その姿をしっかり視認できるのが実に嬉しいのがよくわかる。
この日、千葉では朝は雨が降っていて風が強かったのだが、雨が上がった昼頃には会場にも虹がかかっていたというスタッフのツイートが
「虹の根元を探しにいこう」
という、虹の根元はこの会場なんじゃないだろうかとリンクする「かいじゅうのマーチ」、米津玄師の曲の中でも屈指の美しいメロディのバラード曲でありながら堀のドラムのスネアのアタックの強さが曲の持つ神聖さや生命力をさらに際立たせ、それによってこの4人だからこそこうして思い描いた通りのライブができることを示す「アイネクライネ」と続くと、きらびやかな電子音のイントロが鳴ると大歓声が起こったのは「春雷」。この曲がここまでイントロで湧くような受け入れられ方をしているとは予想外であった(ポップな曲であるしMVもあるとはいえ)が、やはり前日同様にハンドマイクでぴょんぴょん飛び跳ねる米津玄師は以前までとは比べ物にならないくらいに楽しそうである。
「Moonlight」からはチーム辻本のダンサーチームも登場し、米津玄師のライブだからこその総合芸術度がさらに増していき、それと同時に米津玄師の持つドロっとしたダークな感情が表出した世界へ突入していく。
前日は「打上花火」が演奏された部分でこの日代わりに演奏されたのは不穏かつたおやかな、音の霧に包まれるような「fogbound」。声を張る部分はあれど高音部があまりない曲なだけにこの日の米津玄師の調子には実に良く合っていたというか、喉のコンディションにそこまで左右されない曲である。
家族連れで来た子供からしたら恐怖心を感じるほどにもはやホラーなんじゃないかと思わせる「amen」とより奥深い方向に潜っていくと、「Undercover」ではおなじみの太鼓隊が登場するのだが、それによってステージから遠い位置の客席でもビートが強調されて聴こえるし、最後には花道に歩きながら歌う米津玄師に引き連れられるように花道に進んだ太鼓隊がそのままステージを降りるとこの日ここまでで最大級の拍手が巻き起こる。何度か見ていると演出にも慣れてしまうところもあるが、やはり初めて見る人からしたらこれは衝撃的な演出であるし、実際に自分自身が前回の幕張メッセでのライブ時に初めて見た時も衝撃的だったことを思い出した。
米津玄師がギターを持ち、ステージ頭上には「当脊椎化作蛋白石」という今回のライブタイトルを漢文表記した文字列が照明のクレーンにLEDで映し出された「爱丽丝」では米津玄師が再びギターを弾きながら歌うのだが、曲後半ではかなり声が揺らぐような部分があった。それは今までの米津玄師のライブにおいてだったらマイナスなポイントになるようなものだったのだが、この日のその揺らいだ歌い方からは今までの声が本調子ではない時とは違う、衝動的なもの、技術というよりも精神と肉体でそれを上回ってやろうという意識を感じた。それは本人からしたら無意識なものだったかもしれないが、逆にそれが無意識でできるようになっているというのならば、米津玄師がライブという場における地力がしっかりと身についたということである。
自分は米津玄師の人生初ライブとなったシークレットライブからライブを見ることができているが、当時から武道館くらいまではどこかライブをやることが100%主体的ではないというか、やらないといけないからやるという義務感みたいなものが見える時もあった。だからこそ声の調子が良くない時はそれがそのままライブの出来に直結していたし、「今日はイマイチだったな」と思ってしまうようなライブも何度もあった。
でもこの日のライブが声の調子が完璧ではなくても決してマイナスな感想が浮かんでこないのは米津玄師のライブに対する意識が変わったからだと思う。もはや義務感は一切なく、ただただ自分が作った音楽を聴いてくれて、こうして時間とお金を使ってライブに来てくれる人がこんなにもいる。その人たちに自分がステージで鳴らす音楽で楽しんでもらいたい、この日が最高の1日だったと思って欲しい。ライブの体力はもちろん、その意識の変化が最もライブに現れている。
それは銀テープが飛んだ「ピースサイン」を経て、前日は演奏されなかったソリッドなロックチューン「TEENAGE RIOT」(このライブメンバーが好きなことを承知で言うけど一度でいいからレコーディングで演奏しているひなっちこと日向秀和のベースと玉田豊夢のドラムバージョンをライブで聴きたい)を経ての本人のMCでも、前日同様に「変化していくこと」について触れながら、
「こうしてみんなが集まれるっていうのは天文学的にあり得ないようなことだし、こうしてたくさんの人が集まってくれることで、自分がやってきたことが間違いではなかったって思える。本当に有難いしか出てこない」
と言っていたように、今の米津玄師が最も音楽をやっていて救われたり自身の精神が浄化されたりするのはライブでたくさんの人たちと向き合っている時だ。
「変わったって言われることもたくさんあるし、そう言われることによって悲しくなったりもするけど」
とも言っていたが、毎作ごとに変化を遂げてきたのは本人の音楽的好奇心と
「時代も変化していく。それまでに使っていた言葉が不適切なものになったりする。でもそうして変わっていくことが美しいことだと思っている」
というスタンスによるものだが、それでもやはり変わるということはどこか不安のようなものもあるのかもしれない。
それは当たり前で、ボカロ時代に聴いていた人たちだけにずっと聴かれていたいのならばそうした曲を量産しまくればいいし、実際に米津玄師はやろうと思えばいくらでもそれができる男だけど、絶対にそれをやらない。自身が作る音楽が「ポップミュージック」であると自負しているからこそ、作品を世に出すごとにそれまでよりさらに多くの人に聴かれないと意味がない。
その広がりを自身の目で確認することができるのがライブという場所なのである。だから心からその場を楽しむことができるし、そこが自身の存在証明と言えるような場所になっている。かつての自信なさげだった姿が遠い昔のことのようだ。
その変化のきっかけとして大きかったのは本人も言う通りに、本編最後に演奏された「Lemon」が想像を超えるようなところまで届いたとことだろうけれど、前日は見ていた位置によるものか感じることができなかった、苦いというよりも爽やかなLemonの匂いが会場に漂うという嗅覚面での演出もある中、
「切り分けた果実の片方の様に 今でもあなたは私の光」
という最後のフレーズのとおりに、「diorama」が世に出てから米津玄師という人間が、様々な変化をしながらも自分自身にとって今でも光であり続けているからこそ、米津玄師にとっての「切り分けた果実の片方の様に」光を感じられる存在がこうしてリアルで向かい合うことのできる我々観客のことだったらそれ以上に嬉しいことはないんだけどな。
前日は米津玄師の誕生日サプライズが行われたアンコールでは前日以上に中島がダンスチームの一員となって踊る「ごめんね」から、その中島のMC担当としての体力や力量が米津玄師のライブにおけるそれに並ぶように成長を見せる煽りもありつつ、この日はツッコミとして少しだけだけれど須藤と堀も口を開いた。
その姿からは、もともと80kidzのサポートバンドとして高い評価を確立していて、あらゆるミュージシャンのサポートにも引っ張りだこの須藤と堀は演奏やライブの力がライブをするようになった当初の米津玄師と中島とは比べものにならないレベルであった。だからこそ一歩引いたというか、同じ目線で、というわけにはいかなくても仕方ない部分もあると思っていたのだが、今のこの4人は紛れもなく「この4人で1つのバンド」と言ってもいいくらいの集合体になっている。もちろんそうなれたのは長い年月ずっとともに音を鳴らしてきたからだし、米津玄師と中島のライブにおける成長や進化は須藤と堀の存在あってこそだったとも言える。ライブ後のメンバーたちが写った写真からもそれは強く感じられる。
前日は演奏開始時に真っ暗な中で演奏されたのはスタッフのツイート通りにトラブルだったことがこの日の完璧な照明の当たり方によってわかった「クランベリーとパンケーキ」の
「嗚呼毎度有難し」
という最後のフレーズは観客への感謝のように歌われていたし、それはラストの「灰色と青」の
「もう一度出会えたらいいと強く思う」
というフレーズを、
「あんまり言わないけど、愛してるよ。また聞きたかったらライブに来てね。また近いうちにライブで会いましょう」
と約束したように本当に強く思っているからこそ、より一層感情を込めて歌っているように思えた。そこにこの日Youtubeで1億回再生を突破したこの曲の真の力というか、米津玄師が自身のライブで一人でこの曲を歌うからこそ宿るものがあったような気がした。
演奏が終わると4人が並んで観客に挨拶し、米津玄師はピックを客席に向かって投げた。それは届かずに落下していたが、それすらも楽しんでいるかのような笑顔を長い前髪の下から覗かせていた。
そう、この日というかこの2日間の米津玄師は本当に楽しそうだった。もちろんライブに行くのは米津玄師の作った素晴らしい名曲たちが目の前で鳴らされているのが聴きたいというのが1番なのだが、ずっとこうして米津玄師が楽しんでいる姿が見たかったのだ。そしてついにその姿を見ることができたこのツアーはこれからの米津玄師の活動において1つの大事なターニングポイントになると思う。
進化することや成長することも米津玄師が口にしていた「変わるということ」の一つである。ライブにおける姿が進化して成長したことによって、ライブそのものが大きく変わったと思えるから。ならばこれからも新たな曲や作品を作るごとに変わっていくであろう米津玄師の変化を、大きな船から意地でも落ちないようにしがみつきながら、その変化を楽しめるようなリスナーでありたい。
明るくなってスクリーンにはライブタイトルが映し出される中で、終演SEのBibio「A tout a l'heure」を聴きながらそんなことを考え、きっとすぐにまた米津玄師のライブが見れるだろうな、と今までの「次のライブはいつになるかわからない」というツアー終了後とは全く違う感触を確かめていた。
1.Flamingo
2.Loser
3.砂の惑星
4.飛燕
5.かいじゅうのマーチ
6.アイネクライネ
7.春雷
8.Moonlight
9.fogbound
10.amen
11.Paper Flower
12.Undercover
13.爱丽丝
14.ピースサイン
15.TEENAGE RIOT
16.Nighthawks
17.orion
18.Lemon
encore
19.ごめんね
20.クランベリーとパンケーキ
21.灰色と青
Lemon
https://youtu.be/SX_ViT4Ra7k
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