the telephones 「メジャーデビュー10周年、まだ行ったことのない都道府県に行くツアー(決)」帰ってきた十万石DISCO!!! @北浦和KYARA 2/28
- 2019/03/01
- 00:20
今月に佐賀から始まり、島根、和歌山、奈良と回ってきた、the telephonesの活動再開ツアーにして「今まで行ったことのない県に行くツアー」もいよいよファイナル。(3月には追加公演もあるが)
(初日の佐賀のライブレポは
http://rocknrollisnotdead.jp/blog-entry-594.html?sp)
ファイナルの会場は今まで行ったことのない都道府県というか、バンドのホームである北浦和KYARA。活動を再開するにあたってこの会場は外すことができなかったのだろう。
かつてこの会場ではThe Mirrazとの対バンツアー「ゼウスツアー」を開催したりしていたが、当時はどちらもZeppワンマンが即完するような人気っぷりであり、チケットが取れるわけもなかった。よってこの会場でthe telephonesのライブを見るのは初めてである。(先日、石毛輝がtelephones休止後に始動したバンド、Yap!!!のライブはこの会場で見たが)
あいにくの雨が強く降る中、運良くチケットを取ることができた観客たちはやはり一様にtelephonesのTシャツを着ている。佐賀の時よりも「SAITAMA」Tシャツを着た人が多いように見えるのは土地柄だろうか。
19時を少し過ぎると場内が暗転し、おなじみの「happiness,happiness,happiness」がSEとして流れ、観客が手拍子をしながらミラーボールが回る中でアフロのカツラを被ったメンバーたちがステージへ。
クチビルサングラスをかけた石毛輝が、
「北浦和!帰ってきたぜー!」
と叫ぶと、いきなり
「Are you DISCOー!?」
と問いかけ、「urban disco」からスタート。
the telephonesの代表曲であり、最初のディスコシリーズの曲であるが、佐賀では演奏されなかった。それが意外であると同時に、どこで解禁するんだろうか?と思っていたが、このファイナルであり、バンドの始まりの地である北浦和KYARAでのライブにこの曲は欠かせない。ノブはイントロが鳴ると同時に客席にダイブし、観客はそのバンド側の熱気にモッシュとありったけの
「I am DISCO!」
の大合唱で応える。そう、今でも「I am disco」。この曲が世に出てから10年以上。いつまで経っても決して過去形にはならない。こうしてthe telephonesが4人でステージに立っている限りは。
「今日は間違いなく最高の夜になるから、みんなで歌ってくれー!」
と石毛は序盤から叫びまくり、煽りまくる。それもそのはず、「I Hate DISCOOOOOOO!!!」とのっけからディスコシリーズの2連発で大合唱を巻き起こす。やはりその合唱の声は大きい方がこのバンドにはよく似合う。
ノブがカウベルを叩きまくる「Baby, Baby, Baby」ではそのノブが最前列の観客にカウベルを持たせて叩いたりしていると、いきなり袖に消え、涼平も怪訝そうな顔をしていると、ノブは客席後方の入り口から客席に現れ、そのまま客席の中でカウベルを叩きまくる。最終的にはPAブースの上に立っていたが、石毛も歌いながら笑ってしまうくらいの自由っぷり。かつてのさいたまスーパーアリーナのライブでは客席を走り回ったり、1人だけセンターステージにいたり。あるいはMETROCKでも客席内を走り回っては滑り台の上に立って子供と踊ったり。そうした、この曲で見てきた様々な光景がこうしてライブで聴くと脳裏に蘇ってくる。それはどれも本当に楽しいものだった。
結果的に現状の最新作であり、活動休止前にリリースされた「Bye Bye Hello」収録の「Jesus」はツアーで固定的に演奏されている曲。the telephonesの音楽性の幅広さを改めて感じさせるようなアルバムであったが、この曲がその中からライブで演奏されるのに選ばれているのはアルバムの中でもかなりダンサブルな、ライブ向きの曲だからであろう。おそらくライブではこの曲を初めて聴くであろう人たちも本当に楽しそうに踊っている。
「みんなディスコフレンド、ディスフレだよね!」
とこの日の客席の温かさや一体感を石毛が妙に冴えた言葉で表すと、曲中に歌詞をあえて歌わずに
「北浦和、最高だ!みんなもっと踊ろうぜー!」
と心のうちを叫んだ「A.B.C.DISCO」から、
「翔んで埼玉!」
とタイムリーなネタも飛び出した「SAITAMA DANCE MIRROR BALLERS!!!」はやはり埼玉だからこその選曲。ノブのシンセのフレーズが最新バージョンのアレンジに変わっている?と思っていたら、単に間違えていただけであり、ノブ本人がたまらず演奏を止め、自ら観客にブーイングを煽るというドMっぷりを発揮。最初から異変に気付いていた涼平は
「楽屋でこの曲ばっかりあんなに練習してたのに!俺もう曲に入るのやめたもん(笑)」
とノブをいじるが、ノブはそうしたブーイングやいじりも力に変えてこの曲の象徴でもある80年代ディスコミュージックなフレーズをしっかり弾いてみせた。
アッパーなだけでなく、涼平のうねるような独特のベースラインが心地よく体を揺らせる「electric girl」を演奏すると、
「the telephonesで初めて作った曲」
と言って演奏された「used skin」という曲が実に久しぶりに聴くことができたのも、
石毛「この北浦和KYARAはthe telephones結成の地です。元々、俺と涼平と誠治くんがKYARAで働いてて。ノブだけ仲間外れみたいだけど(笑)
それでバンドやろうぜ!って話になって、the telephonesを結成したんです。だからKYARAがなかったらtelephonesはなかった」
涼平「でも俺と石毛さんはtelephones頑張っていこうって思ってKYARAを辞めたのに、俺たちが辞めた後に誠治くんがKYARAで働き始めたのはマジで意味がわからない(笑)」
石毛「なんか、KYARAもすごい忙しい時だったみたいだからね」
誠治「お前らが辞めたから人材不足で忙しくなって俺に声がかかったんだよ!(笑)」
石毛「でも涼平はtelephonesをやってなかったらずっとGRIP ENDをやっていたかもしれない…」
涼平「KYARAのスタッフしかわからないようなネタはやめてください!(笑)」
という実にtelephonesらしいほのぼのとしたやり取りで笑わせてくれるが、こうしたバンドを始めた頃の話が聞けたのも間違いなくこの場所がtelephones始まりの場所だからだ。
「移転してからKYARAでライブやってないから、ある意味では「行ったことのない場所に行く」の最後がここなのは理にかなっている」
と誠治は言っていたが、確かにそう考えるとこの今のKYARAもtelephonesでは行ったことがない場所だ。その場所の20周年イヤーのステージに活動再開したこのバンドが立つというのは必然的でもある。
「ワンマンならではの曲」
という「My Final Fantasy」は確かに「フェスではあんまりやらないけどワンマンではやる」という立ち位置の曲。石毛はハンドマイクで最前の観客の目の前に立って歌う。こうした激しく踊りまくるようなタイプではない曲をライブで聴けるからこそtelephonesのワンマンはより楽しい。どんなタイプの曲にも様々な音楽からの影響を受けていて、それをたどることだってできるし、それをこの4人で鳴らすとthe telephonesの音楽になるというバンドだからこその魔法が感じられるからである。
「used skin」同様にごく初期の「I and I」はグルーヴィーなメロからサビでは一気に視界が開けていくかのようにさわやかなメロディに。涼平がサビのフレーズのメインボーカルを担う姿もこの曲くらいでないと見ることができないが、久しぶりに歌うからかいつにも増してフレーズの1つ1つを噛みしめるように歌っていたように見えた。
この曲も初期からずっとtelephonesを支えてきた曲である「HABANERO」で再びアッパーに飛び跳ねさせまくると、「 DaDaDa」では佐賀同様についにダイバーが出現。ステージと客席の距離が近いがゆえに、石毛はダイバーの姿を見た瞬間に袖にいるスタッフの方に目をやってダイバーを受け止めてもらう。やはりこの辺りは経験が見えるというか、咄嗟の出来事にもその場に応じてすぐに対応できるのはさすがである。
ノブが柵の上に立ちながら踊りを指南する「 Don't Stop 〜」では「さいたまのポーズ」というよくわからない手の形を作りながら踊らせ、さらには客席を半分に分けて、客同士を向かい合わせにして踊らせるというカオスな展開に。
「向き合って踊るの最高でしょ!?」
と言っていたが、最高というか恥ずかしがっていた人が多かったような。
ノブが再び客席に飛び込んだ「sick rocks」とライブ代表曲にしてtelephones最大の武器であったディスコパンクな曲が演奏されたことによって、この日の選曲がtelephonesファンなら誰しもがうらやむようなものになるのが確定し、
「魔法の言葉、ディスコを叫ぼうぜー!」
と「Keep Your DISCO!!!」からはディスコシリーズに突入。石毛がこの曲の中でいつも叫ぶ
「世界を変えようぜー!」
という言葉。telephonesは音楽シーンや世界を変えるという、登場してきた時に持っていた野心を叶えることはできなかった。当時石毛がよく口にしていたような、音楽が大好きな人たちで溢れるような世の中にはならなかったし、そうした使命感の大きさにバンド自体が押し潰されそうになっていた。
でもこうしてこの場所にいた人たちはtelephonesに出会って、telephonesのライブに来るようになって間違いなく世界が変わった。それまでよりももっと楽しい世界になった。それは自分自身がそうだったから。telephonesに出会って、ライブの楽しさを本当の意味で知ることができたのだ。
「telephonesが生まれた地で、祖先のような姿に戻って踊ろうぜー!」
と明らかに地方よりも曲フリが冴えているのはやはり地元ならではの力によるものか、「Monkey Discooooooo」で猿のように踊らせると、
「ウィーアー!?」「ディスコ!」
のコール&レスポンスとともにノブがおなじみのキラキラシャツを脱いで投げると涼平がそれをナイスキャッチし、そのまま上にノブのシャツを着るという「ディスコマン」(涼平は北本のディスコクイーンの息子らしい)となって演奏された「Love & DISCO」で愛とディスコを叫びまくる。
やっぱりライブで聴くこの曲は格別だ。何回聴いても飽きることがないし、活動休止宣言をしてから演奏された時も見ているから、こうしてまたこの曲がライブで聴けているということを思うだけで感動してしまう。実際に佐賀でのワンマンの映像がスペシャで放送されていたが、その時に最前の女性たちはこの曲で泣いていた。その気持ちは本当によくわかるし、これからは泣けなくなるくらいに数えきれないくらいにまたこの曲をライブで聴いていたいのである。
アンコールではノブがサッカー日本代表の本田圭佑のユニフォームを着て登場すると、特に喋ることなくいきなり演奏を開始。誠治の激しいツービートの上にノブのニューウェーブなシンセとロックな石毛のギターが乗る。それがバラバラにならないように繋ぎ止めているのは涼平のベースだ。しかし聴いたことがない曲である。しかも歌がない。完全にインストのパンク。一体この曲は?と思っていたら、
「KYARAで初めてライブをやった時に1曲目に演奏した曲」
だという。音源化していないし、VHSでしか映像も残っていないのでメンバーの誰も正解の演奏がわからないらしいが、こんなにもパンクなインスト曲の後に「HABANERO」を演奏したりしていたので、当時ライブハウスのスタッフには
「お前たちは何がやりたいのかわからない」
と言われていたらしい。
「これがやりたいんだよ」
と石毛は思っていたとのことだし、今ならそれが正しかったと胸を張って言える。
佐賀ではアンコールは1曲だけだったので、このインスト曲ともう1曲をやって終わるのかな?と思っていたのだが、
「ツアーファイナルだからもう1曲、特別な曲を」
と言って演奏されたのは「with one」。「JAPAN」に収録されていた、インパクトは強くないけれどキャッチーかつポップな曲にして、自分が「telephonesの中で好きな曲を選ぶとしたら?」という問いかけをされたら確実にTOP3に入る曲。ライブで聴くのは多分、ラフォーレミュージアム六本木でのSUPER DISCO HITSでの2daysの初日以来。まさかあれから7年近く経って、活動休止を経た後でもこうしてこの曲が聴けるなんて。
石毛は演奏後に
「もちろんディスコは最高だけど、それ以外にもいろんな曲があります。みんなこれを機会にtelephonesの曲をたくさん聴いてみてください」
と言っていた。そしてそれが全て良い曲ばかりだと知っているからこそ、ずっとこうやってこのバンドのワンマンに行き続けている。これからもそうできるような人生であって欲しい。
「2015年にこの曲をリリースした時は、どんな気持ちで歌えばいいのかわからなかった。でも今は本当にいい曲だと思って歌えています」
と言って最後に演奏されたのは「Something Good」。きっとここにいた人はみんな、リリースされた時からこの曲が良い曲だってちゃんとわかっていた。「何か良いもの」というのがthe telephonesというバンドと、そのバンドが作り出す音楽だということも。
演奏が終わるとツアー恒例の写真撮影。ちゃんと観客の顔が写るようにと、客電がついた中で写真撮影をしたのだが、それが終わってメンバーがピックやスティックやタオルまでをも投げ込んでもみんななかなか帰ろうとしなかった。もっとtelephonesの曲が聴きたい。もっとtelephonesのライブが見たい。楽しかったし、みんな笑顔だったけれど、次にワンマンをやるのがいつなのかわからない。だからこそもっと。そんな気持ちが
「最後にKYARA、20周年おめでとう!」
と石毛から祝われたKYARAの客席には溢れていた。
今年はメジャーデビュー10周年イヤーということで、telephonesは春フェスも精力的に出演することが発表されている。でもその後、つまり2019年が終わった後にtelephonesが活動を続けるのかはわからない。それぞれがtelephones活動休止後に見つけた居場所が待っているから。
でも石毛はアンコールの最後の曲の前に
「今日初めてtelephonesのライブ見に来た人っている?」
と問いかけ、1人か2人が手を挙げると、
「これからの10年もtelephonesをよろしく!」
と言った。まだ確証はない。ないけれど、その言葉からはtelephonesがこれからも続いていくバンドであることを確かに感じさせた。それこそが1番我々が欲しかった言葉だった。
「ディスコフレンド、すなわちディスフレ」と石毛はこれまで「telephonesピープル」と言っていたtelephonesにまつわる人々のことを呼んでいたが、石毛も言っていたように決して友達じゃないし、知り合いでもない、でもなんとなく顔は知っているという客がtelephonesのライブにはたくさんいる。
で、自分がtelephonesのライブが好きだったのはそうした人たちの存在も非常に大きい。telephonesのライブは激しいノリになることも多いけれど、決して人に痛い思いをさせたりしようと思っている人は全くいなくて、音楽を楽しむためにそうしているという思いやりのようなものが備わっているように思っていた。
かつてディファ有明でSUPER DISCO HITSを開催した時に、最後の曲で輪になってみんなで踊った後、その中にいた若い男の子(20歳くらいだっただろうか)が周りの人たちに向かって
「ありがとうございました!またCOUNTDOWN JAPANで!」
と挨拶をして送り出していた。全然知り合いでもなんでもない、ただ同じ空間にいただけの自分のような奴にさえ。
telephonesは良くも悪くも「フェスバンド」と言われてきたし、実際に「フェスで見れればいい」と言っていた人もたくさんいた。
でもそんな中でワンマンにまで来ている人たちはtelephonesの音楽を聴き込みまくっていて、ディスコシリーズではない曲の魅力も、それがどんなに楽しいことかもわかっている。
何よりもメンバーたちの人間性がそのまま観客にも伝染していた。だからtelephonesのライブには殺伐とした空気は皆無、本当にみんなが楽しそうにしている姿ばかりだった。
「ファンはバンドを写す鏡」
とよく言われるが、telephonesのワンマンにとってのそれは一点の曇りもないものだった。石毛はこの日
「みんないい感じに歳を重ねてきてるね(笑)」
と言っていたが、かつて本当に楽しくて温かかった(そして熱かった)telephonesのワンマンの空気はお互いが年齢を重ねても全く変わっていなかった。ライブで見れるのはステージや演者だけではないからこそ、それが本当に嬉しかったのだ。
最初に書いたように、今でも過去形にはならない。ずっと
「I am DISCO!」
のまま。
1.urban disco
2.I Hate DISCOOOOOOO!!!
3.Baby, Baby, Baby
4.Jesus
5.A.B.C.DISCO
6.SAITAMA DANCE MIRROR BALLERS!!!
7.electric girl
8.used skin
9.My Final Fantasy
10.I and I
11.HABANERO
12.DaDaDa
13.Don't Stop The Move, Keep On Dancing!!!
14.sick rocks
15.Keep Your DISCO!!!
16.Monkey Discooooooo
17.Love & DISCO
encore
18.Gnu (北浦和KYARAで初めてライブやった時に1曲目にやったインスト曲)
19.with one
20.Something Good
Next→ 3/3 THE BAWDIES @下北沢SHELTER
(初日の佐賀のライブレポは
http://rocknrollisnotdead.jp/blog-entry-594.html?sp)
ファイナルの会場は今まで行ったことのない都道府県というか、バンドのホームである北浦和KYARA。活動を再開するにあたってこの会場は外すことができなかったのだろう。
かつてこの会場ではThe Mirrazとの対バンツアー「ゼウスツアー」を開催したりしていたが、当時はどちらもZeppワンマンが即完するような人気っぷりであり、チケットが取れるわけもなかった。よってこの会場でthe telephonesのライブを見るのは初めてである。(先日、石毛輝がtelephones休止後に始動したバンド、Yap!!!のライブはこの会場で見たが)
あいにくの雨が強く降る中、運良くチケットを取ることができた観客たちはやはり一様にtelephonesのTシャツを着ている。佐賀の時よりも「SAITAMA」Tシャツを着た人が多いように見えるのは土地柄だろうか。
19時を少し過ぎると場内が暗転し、おなじみの「happiness,happiness,happiness」がSEとして流れ、観客が手拍子をしながらミラーボールが回る中でアフロのカツラを被ったメンバーたちがステージへ。
クチビルサングラスをかけた石毛輝が、
「北浦和!帰ってきたぜー!」
と叫ぶと、いきなり
「Are you DISCOー!?」
と問いかけ、「urban disco」からスタート。
the telephonesの代表曲であり、最初のディスコシリーズの曲であるが、佐賀では演奏されなかった。それが意外であると同時に、どこで解禁するんだろうか?と思っていたが、このファイナルであり、バンドの始まりの地である北浦和KYARAでのライブにこの曲は欠かせない。ノブはイントロが鳴ると同時に客席にダイブし、観客はそのバンド側の熱気にモッシュとありったけの
「I am DISCO!」
の大合唱で応える。そう、今でも「I am disco」。この曲が世に出てから10年以上。いつまで経っても決して過去形にはならない。こうしてthe telephonesが4人でステージに立っている限りは。
「今日は間違いなく最高の夜になるから、みんなで歌ってくれー!」
と石毛は序盤から叫びまくり、煽りまくる。それもそのはず、「I Hate DISCOOOOOOO!!!」とのっけからディスコシリーズの2連発で大合唱を巻き起こす。やはりその合唱の声は大きい方がこのバンドにはよく似合う。
ノブがカウベルを叩きまくる「Baby, Baby, Baby」ではそのノブが最前列の観客にカウベルを持たせて叩いたりしていると、いきなり袖に消え、涼平も怪訝そうな顔をしていると、ノブは客席後方の入り口から客席に現れ、そのまま客席の中でカウベルを叩きまくる。最終的にはPAブースの上に立っていたが、石毛も歌いながら笑ってしまうくらいの自由っぷり。かつてのさいたまスーパーアリーナのライブでは客席を走り回ったり、1人だけセンターステージにいたり。あるいはMETROCKでも客席内を走り回っては滑り台の上に立って子供と踊ったり。そうした、この曲で見てきた様々な光景がこうしてライブで聴くと脳裏に蘇ってくる。それはどれも本当に楽しいものだった。
結果的に現状の最新作であり、活動休止前にリリースされた「Bye Bye Hello」収録の「Jesus」はツアーで固定的に演奏されている曲。the telephonesの音楽性の幅広さを改めて感じさせるようなアルバムであったが、この曲がその中からライブで演奏されるのに選ばれているのはアルバムの中でもかなりダンサブルな、ライブ向きの曲だからであろう。おそらくライブではこの曲を初めて聴くであろう人たちも本当に楽しそうに踊っている。
「みんなディスコフレンド、ディスフレだよね!」
とこの日の客席の温かさや一体感を石毛が妙に冴えた言葉で表すと、曲中に歌詞をあえて歌わずに
「北浦和、最高だ!みんなもっと踊ろうぜー!」
と心のうちを叫んだ「A.B.C.DISCO」から、
「翔んで埼玉!」
とタイムリーなネタも飛び出した「SAITAMA DANCE MIRROR BALLERS!!!」はやはり埼玉だからこその選曲。ノブのシンセのフレーズが最新バージョンのアレンジに変わっている?と思っていたら、単に間違えていただけであり、ノブ本人がたまらず演奏を止め、自ら観客にブーイングを煽るというドMっぷりを発揮。最初から異変に気付いていた涼平は
「楽屋でこの曲ばっかりあんなに練習してたのに!俺もう曲に入るのやめたもん(笑)」
とノブをいじるが、ノブはそうしたブーイングやいじりも力に変えてこの曲の象徴でもある80年代ディスコミュージックなフレーズをしっかり弾いてみせた。
アッパーなだけでなく、涼平のうねるような独特のベースラインが心地よく体を揺らせる「electric girl」を演奏すると、
「the telephonesで初めて作った曲」
と言って演奏された「used skin」という曲が実に久しぶりに聴くことができたのも、
石毛「この北浦和KYARAはthe telephones結成の地です。元々、俺と涼平と誠治くんがKYARAで働いてて。ノブだけ仲間外れみたいだけど(笑)
それでバンドやろうぜ!って話になって、the telephonesを結成したんです。だからKYARAがなかったらtelephonesはなかった」
涼平「でも俺と石毛さんはtelephones頑張っていこうって思ってKYARAを辞めたのに、俺たちが辞めた後に誠治くんがKYARAで働き始めたのはマジで意味がわからない(笑)」
石毛「なんか、KYARAもすごい忙しい時だったみたいだからね」
誠治「お前らが辞めたから人材不足で忙しくなって俺に声がかかったんだよ!(笑)」
石毛「でも涼平はtelephonesをやってなかったらずっとGRIP ENDをやっていたかもしれない…」
涼平「KYARAのスタッフしかわからないようなネタはやめてください!(笑)」
という実にtelephonesらしいほのぼのとしたやり取りで笑わせてくれるが、こうしたバンドを始めた頃の話が聞けたのも間違いなくこの場所がtelephones始まりの場所だからだ。
「移転してからKYARAでライブやってないから、ある意味では「行ったことのない場所に行く」の最後がここなのは理にかなっている」
と誠治は言っていたが、確かにそう考えるとこの今のKYARAもtelephonesでは行ったことがない場所だ。その場所の20周年イヤーのステージに活動再開したこのバンドが立つというのは必然的でもある。
「ワンマンならではの曲」
という「My Final Fantasy」は確かに「フェスではあんまりやらないけどワンマンではやる」という立ち位置の曲。石毛はハンドマイクで最前の観客の目の前に立って歌う。こうした激しく踊りまくるようなタイプではない曲をライブで聴けるからこそtelephonesのワンマンはより楽しい。どんなタイプの曲にも様々な音楽からの影響を受けていて、それをたどることだってできるし、それをこの4人で鳴らすとthe telephonesの音楽になるというバンドだからこその魔法が感じられるからである。
「used skin」同様にごく初期の「I and I」はグルーヴィーなメロからサビでは一気に視界が開けていくかのようにさわやかなメロディに。涼平がサビのフレーズのメインボーカルを担う姿もこの曲くらいでないと見ることができないが、久しぶりに歌うからかいつにも増してフレーズの1つ1つを噛みしめるように歌っていたように見えた。
この曲も初期からずっとtelephonesを支えてきた曲である「HABANERO」で再びアッパーに飛び跳ねさせまくると、「 DaDaDa」では佐賀同様についにダイバーが出現。ステージと客席の距離が近いがゆえに、石毛はダイバーの姿を見た瞬間に袖にいるスタッフの方に目をやってダイバーを受け止めてもらう。やはりこの辺りは経験が見えるというか、咄嗟の出来事にもその場に応じてすぐに対応できるのはさすがである。
ノブが柵の上に立ちながら踊りを指南する「 Don't Stop 〜」では「さいたまのポーズ」というよくわからない手の形を作りながら踊らせ、さらには客席を半分に分けて、客同士を向かい合わせにして踊らせるというカオスな展開に。
「向き合って踊るの最高でしょ!?」
と言っていたが、最高というか恥ずかしがっていた人が多かったような。
ノブが再び客席に飛び込んだ「sick rocks」とライブ代表曲にしてtelephones最大の武器であったディスコパンクな曲が演奏されたことによって、この日の選曲がtelephonesファンなら誰しもがうらやむようなものになるのが確定し、
「魔法の言葉、ディスコを叫ぼうぜー!」
と「Keep Your DISCO!!!」からはディスコシリーズに突入。石毛がこの曲の中でいつも叫ぶ
「世界を変えようぜー!」
という言葉。telephonesは音楽シーンや世界を変えるという、登場してきた時に持っていた野心を叶えることはできなかった。当時石毛がよく口にしていたような、音楽が大好きな人たちで溢れるような世の中にはならなかったし、そうした使命感の大きさにバンド自体が押し潰されそうになっていた。
でもこうしてこの場所にいた人たちはtelephonesに出会って、telephonesのライブに来るようになって間違いなく世界が変わった。それまでよりももっと楽しい世界になった。それは自分自身がそうだったから。telephonesに出会って、ライブの楽しさを本当の意味で知ることができたのだ。
「telephonesが生まれた地で、祖先のような姿に戻って踊ろうぜー!」
と明らかに地方よりも曲フリが冴えているのはやはり地元ならではの力によるものか、「Monkey Discooooooo」で猿のように踊らせると、
「ウィーアー!?」「ディスコ!」
のコール&レスポンスとともにノブがおなじみのキラキラシャツを脱いで投げると涼平がそれをナイスキャッチし、そのまま上にノブのシャツを着るという「ディスコマン」(涼平は北本のディスコクイーンの息子らしい)となって演奏された「Love & DISCO」で愛とディスコを叫びまくる。
やっぱりライブで聴くこの曲は格別だ。何回聴いても飽きることがないし、活動休止宣言をしてから演奏された時も見ているから、こうしてまたこの曲がライブで聴けているということを思うだけで感動してしまう。実際に佐賀でのワンマンの映像がスペシャで放送されていたが、その時に最前の女性たちはこの曲で泣いていた。その気持ちは本当によくわかるし、これからは泣けなくなるくらいに数えきれないくらいにまたこの曲をライブで聴いていたいのである。
アンコールではノブがサッカー日本代表の本田圭佑のユニフォームを着て登場すると、特に喋ることなくいきなり演奏を開始。誠治の激しいツービートの上にノブのニューウェーブなシンセとロックな石毛のギターが乗る。それがバラバラにならないように繋ぎ止めているのは涼平のベースだ。しかし聴いたことがない曲である。しかも歌がない。完全にインストのパンク。一体この曲は?と思っていたら、
「KYARAで初めてライブをやった時に1曲目に演奏した曲」
だという。音源化していないし、VHSでしか映像も残っていないのでメンバーの誰も正解の演奏がわからないらしいが、こんなにもパンクなインスト曲の後に「HABANERO」を演奏したりしていたので、当時ライブハウスのスタッフには
「お前たちは何がやりたいのかわからない」
と言われていたらしい。
「これがやりたいんだよ」
と石毛は思っていたとのことだし、今ならそれが正しかったと胸を張って言える。
佐賀ではアンコールは1曲だけだったので、このインスト曲ともう1曲をやって終わるのかな?と思っていたのだが、
「ツアーファイナルだからもう1曲、特別な曲を」
と言って演奏されたのは「with one」。「JAPAN」に収録されていた、インパクトは強くないけれどキャッチーかつポップな曲にして、自分が「telephonesの中で好きな曲を選ぶとしたら?」という問いかけをされたら確実にTOP3に入る曲。ライブで聴くのは多分、ラフォーレミュージアム六本木でのSUPER DISCO HITSでの2daysの初日以来。まさかあれから7年近く経って、活動休止を経た後でもこうしてこの曲が聴けるなんて。
石毛は演奏後に
「もちろんディスコは最高だけど、それ以外にもいろんな曲があります。みんなこれを機会にtelephonesの曲をたくさん聴いてみてください」
と言っていた。そしてそれが全て良い曲ばかりだと知っているからこそ、ずっとこうやってこのバンドのワンマンに行き続けている。これからもそうできるような人生であって欲しい。
「2015年にこの曲をリリースした時は、どんな気持ちで歌えばいいのかわからなかった。でも今は本当にいい曲だと思って歌えています」
と言って最後に演奏されたのは「Something Good」。きっとここにいた人はみんな、リリースされた時からこの曲が良い曲だってちゃんとわかっていた。「何か良いもの」というのがthe telephonesというバンドと、そのバンドが作り出す音楽だということも。
演奏が終わるとツアー恒例の写真撮影。ちゃんと観客の顔が写るようにと、客電がついた中で写真撮影をしたのだが、それが終わってメンバーがピックやスティックやタオルまでをも投げ込んでもみんななかなか帰ろうとしなかった。もっとtelephonesの曲が聴きたい。もっとtelephonesのライブが見たい。楽しかったし、みんな笑顔だったけれど、次にワンマンをやるのがいつなのかわからない。だからこそもっと。そんな気持ちが
「最後にKYARA、20周年おめでとう!」
と石毛から祝われたKYARAの客席には溢れていた。
今年はメジャーデビュー10周年イヤーということで、telephonesは春フェスも精力的に出演することが発表されている。でもその後、つまり2019年が終わった後にtelephonesが活動を続けるのかはわからない。それぞれがtelephones活動休止後に見つけた居場所が待っているから。
でも石毛はアンコールの最後の曲の前に
「今日初めてtelephonesのライブ見に来た人っている?」
と問いかけ、1人か2人が手を挙げると、
「これからの10年もtelephonesをよろしく!」
と言った。まだ確証はない。ないけれど、その言葉からはtelephonesがこれからも続いていくバンドであることを確かに感じさせた。それこそが1番我々が欲しかった言葉だった。
「ディスコフレンド、すなわちディスフレ」と石毛はこれまで「telephonesピープル」と言っていたtelephonesにまつわる人々のことを呼んでいたが、石毛も言っていたように決して友達じゃないし、知り合いでもない、でもなんとなく顔は知っているという客がtelephonesのライブにはたくさんいる。
で、自分がtelephonesのライブが好きだったのはそうした人たちの存在も非常に大きい。telephonesのライブは激しいノリになることも多いけれど、決して人に痛い思いをさせたりしようと思っている人は全くいなくて、音楽を楽しむためにそうしているという思いやりのようなものが備わっているように思っていた。
かつてディファ有明でSUPER DISCO HITSを開催した時に、最後の曲で輪になってみんなで踊った後、その中にいた若い男の子(20歳くらいだっただろうか)が周りの人たちに向かって
「ありがとうございました!またCOUNTDOWN JAPANで!」
と挨拶をして送り出していた。全然知り合いでもなんでもない、ただ同じ空間にいただけの自分のような奴にさえ。
telephonesは良くも悪くも「フェスバンド」と言われてきたし、実際に「フェスで見れればいい」と言っていた人もたくさんいた。
でもそんな中でワンマンにまで来ている人たちはtelephonesの音楽を聴き込みまくっていて、ディスコシリーズではない曲の魅力も、それがどんなに楽しいことかもわかっている。
何よりもメンバーたちの人間性がそのまま観客にも伝染していた。だからtelephonesのライブには殺伐とした空気は皆無、本当にみんなが楽しそうにしている姿ばかりだった。
「ファンはバンドを写す鏡」
とよく言われるが、telephonesのワンマンにとってのそれは一点の曇りもないものだった。石毛はこの日
「みんないい感じに歳を重ねてきてるね(笑)」
と言っていたが、かつて本当に楽しくて温かかった(そして熱かった)telephonesのワンマンの空気はお互いが年齢を重ねても全く変わっていなかった。ライブで見れるのはステージや演者だけではないからこそ、それが本当に嬉しかったのだ。
最初に書いたように、今でも過去形にはならない。ずっと
「I am DISCO!」
のまま。
1.urban disco
2.I Hate DISCOOOOOOO!!!
3.Baby, Baby, Baby
4.Jesus
5.A.B.C.DISCO
6.SAITAMA DANCE MIRROR BALLERS!!!
7.electric girl
8.used skin
9.My Final Fantasy
10.I and I
11.HABANERO
12.DaDaDa
13.Don't Stop The Move, Keep On Dancing!!!
14.sick rocks
15.Keep Your DISCO!!!
16.Monkey Discooooooo
17.Love & DISCO
encore
18.Gnu (北浦和KYARAで初めてライブやった時に1曲目にやったインスト曲)
19.with one
20.Something Good
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