「また必ず武道館でやりますから!」
と峯田和伸がステージから言った、初武道館ワンマンから1年ちょっと。その短いスパンで峯田和伸は自身の発言をちゃんと形にしてみせた。銀杏BOYZ、2度目の日本武道館ワンマンである。
「自分の部屋」がコンセプトだった前回
(http://rocknrollisnotdead.jp/blog-entry-435.html?sp)
の武道館公演とは異なり、ステージには赤い絨毯が敷き詰められ、ステージ背面にも赤い幕が。つまり至ってシンプルなステージセットということ。
そのステージに開場時間中に登場したのは、かねてから峯田和伸と親交の深い作家の末井昭率いるバンド、ペーソス。しかし出てきたと思ったらあっという間に終わってしまったため、イメージが全く残っていない。全席指定席だし平日だしということで客席もまだ埋まっておらず、目撃したのはキャパの2〜3割の人たちくらいだろうか。
そして18時30分ちょうどぐらいに場内が暗転するとステージ背面の赤い幕が開き、そこにスクリーンが出現。海岸を歩き続ける目線の映像に静謐なピアノの音が重なると、映像は一気に昨年のツアー中の峯田の姿に切り替わる。最後にはそのピアノの音が「新訳 銀河鉄道の夜」のフレーズであるということもわかる。
するとステージにはおなじみのジャージに坊主頭という出で立ちの峯田が1人で登場。
「俺がこの日をどれだけ待ち望んでいたか、わかりますか?今日、1月15日は俺の誕生日でもなんでもないけど、本当に大事な日で。
GOING STEADYを組んだのも1月15日で、6年やって解散したのも1月15日。その日に俺は銀杏BOYZを始めたから、銀杏BOYZが始まったのが2003年の1月15日。それで最初のアルバムが出たのが2005年の1月15日。前のアルバムが出たのが2014年の1月15日。そして今日。もう1月15日は俺にとって1番大切な日なんです。そんな日に武道館でライブをすることができて、そしてこうやって見に来てくれて本当にありがとうございます!」
と挨拶代わりに話すのだが、そんな大事な、峯田和伸を追いかけてきた誰もが喜んだり悲しんだり涙を流したりしてきたこの1月15日にこうして日本武道館という特別な場所で会うことができている。それが何よりも我々にとってこの日を大事な日たらしめている。
峯田がアコギを手にすると、弾きながら歌い始めたのは「生きたい」。そのあまりにも生々しく重い歌詞を歌う峯田の目をアップで映すスクリーン。まるで
「笑いながら話す女の目には 黒い玉がひとつありました」
という歌詞に対し、こうしてその曲を歌う峯田の目にも黒い玉がひとつあるということ、つまりは峯田も25000円で買われた女も同じ人間であるというのを示すかのように。だからこそ
「幸せになりたいよ。幸せになりたいよ。
新宿の街みたいに わたしキレイになんかなれないけど。
生きているだけで 輝いてみたいよ」
という切実な願いがいつにも増して響き、その後に登場した山本幹宗(ギター)、加藤綾太(ギター)、藤原寛(ベース)、岡山健二(ドラム)の4人の音がその切実さをさらに強く加速させていく。
4人が加わったことによってアコギを下ろした峯田はステージを転がりまくりながら歌い、歌い終わるとカオスな音が重なり合い、破綻しそうなギリギリのところを支えている岡山とガッチリ握手を交わす。こうして「5人のバンド」としての銀杏BOYZの2回目の日本武道館ワンマンが幕を開けたのだ。
峯田がエレキを手にすると「若者たち」で客席は全席指定なのを物ともせずに拳が上がり、山本と加藤のギターコンビもギターを抱えて高くジャンプ。古舘佑太郎とのバンド、2でもエモーショナルにギターをかき鳴らす加藤はともかく、山本幹宗のこうした姿は銀杏BOYZじゃないとなかなか見れない。かつて山本がサポートをしていたBOOM BOOM SATELLITESやくるりではこうしたアクションを挟む余白もなかったし、そもそもそうしたことができるような音楽性でもなかった。そんな男のギタリストとしての新たな一面がこのバンドのライブで花開いている。銀杏BOYZは1人になってしまった峯田のバンドだけど、今の銀杏BOYZは決して峯田のためだけのものではない。
さらに「駆け抜けて性春」と峯田がステージ上を転がりながら歌う、GOING STEADY時代からの激しい曲が続く。銀杏BOYZバージョンではYUKIが歌っているパートで峯田はマイクを客席に向けると、観客による大合唱。ただ歌うのではなく、一人一人が魂を込めて声を絞り出すように歌うから、ものすごく会場内に響く。
GOING STEADYも銀杏BOYZも、部屋でひとりきりで聴くための音楽だった。どんなに大きな会場でたくさんの人がいる場所でライブを見ても、やはり自分と銀杏BOYZの一対一という、ただひたすらに己と向き合うための関係性。でもこうして友達でも仲間でも知り合いでもない、だけど確かに同じように1人で銀杏BOYZの音楽と向き合ってきた人たちと一緒に歌うということによって、1人で聞いていたという関係性は全く変わらないけど、自分のような1人がこんなにたくさんいたのだ、ということを実感することができる。それは1人で部屋で聴いているだけでは絶対わからないことだし、今の銀杏BOYZだからこそそう思える。だから他のどんなアーティストにおける合唱よりも銀杏BOYZのライブの合唱は歌っていて涙が溢れてくる。会場にいた他の人たちも同じように思ってくれているのだろうか。
その今の銀杏BOYZを支えるメンバーたちも、サポートというか、長い時間を一緒に過ごしてライブをしてきたことによって、もはや完全に銀杏BOYZの一部になってきている。岡山は「若者たち」でかなり細かいドラムのアレンジを入れていたし、前述した山本の己の激しく燃えるロック魂を解放するかのようなギターもそう。みんな技術の高いメンバーたちだが、ただ曲をそのまま弾くんじゃなくて、顔で演奏するというか、技術以上の感情がこもっている。
曲を演奏できる、音が合わせられる、というだけでは銀杏BOYZのメンバーとしては物足りない。それは前の3人がそれ以上のものを共有していた存在だったから。あの3人ほどではないかもしれないけれど、今のメンバーたちも間違いなく音だけでなく精神の部分までしっかりと共有した銀杏BOYZのメンバーになっている。
ひとりきりになった時、もう峯田はバンドはできないんじゃないか、と思ったりもした(実際に1人になった最初の1年は弾き語りでライブをしていた)。
でも峯田は、銀杏BOYZはちゃんとまたバンドになれた。そしてこうしてバンドとしてのライブを見ることができている。そこには4人に対して感謝しかない。誰がやったって前のメンバーと絶対比べられるのがわかっているのに、それをわかった上で銀杏BOYZのメンバーになってくれて本当にありがとう。
「俺は男だから腹を痛めたりしたわけではないし、その感覚もわからないんだけど、曲は俺にとっては子供みたいなもので。みなさんに可愛がってもらって曲は成長するし、古い曲は20年以上前にできた子供で。そんな中でまだ生まれて1年も経ってない子供、新曲をやります」
と言って演奏された「GOD SAVE THE WORLD」は昨年のツアーから演奏されていた、ストレートなパンクサウンドの曲。かなりセンセーショナルな歌詞ではあるが、何かと忙しい中でもこうして新曲が生まれてきているというのは峯田にとって音楽を作ることがかつてのように苦しいものではなくなってきているということ。役者の仕事が増えているのはむしろ精神のバランスとしてはちょうどいいのかもしれない。
ステージ背面がスクリーンからこのライブのキービジュアルである、花畑に佇む女性の写真に切り替わると、
「東京タワーのてっぺんから 日本武道館までジャンプする!」
と峯田が歌ってから始まったポップな「骨」、
「ラブソングというものが世の中にはたくさんありますけども、ラブソングを歌っていながらも奥さんがいるのに他の女の子と遊んでるような人もやっぱりいるわけで。でも仮に人を殺してようが、不倫していようが、そんな人が作った曲だとしても、俺はラブソング自体に罪は全くないと思うわけです。銀杏BOYZのラブソング」
と峯田らしく楽曲と人間性を切り離した(自身がそうだからというのもあるだろうけれど)MCからの「恋は永遠」とリリースとしては最新のものになる曲たちも完全にライブの定番になるくらいにまで成長し、もはやバンドの代表曲と言ってもいいくらいの曲になった。何よりもこの曲たちはそれ以前の銀杏BOYZの曲よりもはるかにポップでありながらも、銀杏BOYZの曲でしかない。きっとこれからもそういう曲をたくさん聞けるはずだ。
おなじみの前口上が追加され、最後のサビ直前の岡山のドラムの連打が疾走感を煽る「夢で逢えたら」、アコギのサウンドが優しさを感じさせながら、このライブが終わったら余韻で
「今夜も僕は眠れないんだ」
という状態になるであろうことを予見しているかのような「ナイトライダー」へ。
「君からメールが来ないから」というフレーズも「写メール」という単語も、今の若い人たちからしたら全くリアリティがないようなものかもしれない。でもこの曲が世に出た時は確かに我々はこの曲に当時のやり切れないような思いを乗せて聴いていた。こうしてライブで聴くと当時のことが頭に浮かんでくるし、今でもその思い出もこの曲も色あせていない。この歌詞だけは決して現代っぽく変えないで今のままで歌い続けていて欲しい。
銀杏BOYZのワンマンは割と忙しいというか、普通のバンドのように
「アッパーにスタート→緩急で言うとバラードなどの緩の部分→クライマックスで突っ走る」
という明確なモードでゾーンが分かれてるというものではなく、1曲や2曲ごとにガラッとモードが変わる。
なのでポップな「ナイトライダー」の後にいきなりカオスな「あいどんわなだい」が来るのだが、ノイジーにリメイクされた「I DON'T WANNA DIE FOREVER」ではなくて、かつてシングルとしてリリースされた初期バージョン。それをシンセなどの電子音や打ち込みを一切使わずにギターを中心とした5人の楽器だけで演奏している。当然ながら
「イエス!イエス!」
に加えて、
「おっぺけぺー!」
の大合唱。またこのバージョンでこうしてこんなにくだらないフレーズを大合唱できているというのはどれだけ幸せなことだろうか。
また一転して峯田がスタンドマイクの前から離れずに一点を見つめながら、間奏ではタンバリンを叩いて歌う「漂流教室」と峯田の歌とメンバーの演奏に聴き入らせると、「新訳 銀河鉄道の夜」ではステージ背面の幕に夜空に光る星のような照明が美しく照らされ、ステージ図上のミラーボールもキレイに輝きながら回る。
峯田は曲前に
「バンドを辞めようと思ったことが人生で2回だけあって。その2回目の時はスタジオで俺が怒ってそのままスタジオ出てタクシーに乗って環七を走ってたんだけど、タクシーのAMラジオからRCサクセションの「スローバラード」が流れてきて。AMだから音もそんなに良くないんだけど、夜景を見ながら聴いていたらすごく心に刺さってしまって。運転手さんに
「音量もっと上げてもらっていいですか?」
って言って、タクシーでこんなに音量出したことあるのかっていうくらいの爆音で聴いて。その時に音楽やってる側になっても音楽に救われたっていうか、まだバンドやりたいなって思った」
と、自身が音楽に救われた体験談を開陳していたが、GOING STEADY「さくらの唄」に初めて収録されてから、何度となくアレンジされてきたこの曲に人生を救われたという人だってたくさんいるはず。(峯田自身もそれをわかっているのか、GOING STEADY時代に某雑誌で行われた「ゴイステの好きな曲人気投票」という企画において「「銀河鉄道の夜」が1位だと思った」と言っていた。結果はこの曲は3位で、「YOU&I」が1位だったのだが)
その曲をこうしたエピソードを踏まえて、今の銀杏BOYZのバージョンで演奏されている。だから峯田は歌詞を
「シベリア鉄道乗り換え 九段下で降ります」
とこの日、この場所だからこその歌詞に変えて歌うことができる。今までたくさんの人を救ってきたこの曲がまたさらに多くの人を救った瞬間を我々は目にしたのだ。
峯田が声をキツそうに張り上げる「NO FUTURE NO CRY」でギターを弾きながら涎を垂らし、最後にはギターをぶん投げるというアクションを見せると、その暴れっぷりが嘘のように、前回の武道館ライブで久しぶりにライブ解禁した「SEXTEEN」ではまさにミカンが降ってきたかのように真っ赤な照明がメンバーたちを照らす中、峯田はジャージのポケットに手を突っ込んだままで直立不動で歌う。その曲によってのコントラストの付け方は本当に天才的だと思うのだが、それはどうやって決めているのだろうか。直感なのか、それともライブの経験によるものなのか。
するとここで峯田以外のメンバーがいったんステージから去り、峯田1人に。
「僕、今まで一度もメジャーデビューしたことないんですよ。それでここまで来たのって凄くないですか?それはこのままでいきたいっていうか、今も一緒にやってる人たちを置いていけないっていうのもあって。だからこそサンボマスターとかには
「お前らがメジャー行ったら絶対世の中は変わる。だから頑張って来い」
って言えるんだけど。
俺たちがアルバムを作り続けてきた時も、事務所の社長の坂田さんっていう人がなんにも言わずに待っててくれて。
「峯田くんは絶対大丈夫だから。音楽だけやって生きていけるように俺がしてやるから」
って言ってくれて。
それで2011年の震災の直後かな。震災が起きて心配だったからみんなに連絡取ったんだけど、坂田さんだけ返事が来なくて。心配だがら家に行ったら亡くなってたの。坂田さんにそのあとに出したアルバム2枚を聴いて欲しかったし、武道館でライブするのを見て欲しかったな…。でも今日来てるよな。坂田さん、RCサクセションのマネージャーとかやってた人だったんだ。坂田さんが繋げてくれた、大切な友達」
と今でも初恋妄°C学園というUK PROJECT内の自主インディーレーベルからリリースを続けている理由を語ってから呼び込んだのは、BO GUMBOSのキーボーディストであった、Dr.kyOn。ステージのドラムの横にはたしかにずっとキーボードが置いてあり、あれはどのタイミングで使うんだろうか、と思っていたが、ここでついに使われる時が訪れる。
Dr.kyOnの流麗なピアノの調べの上に峯田のボーカルが乗るのは、先程峯田が音楽に救われた曲だと語っていた、RCサクセションの「スローバラード」。峯田はライブでは歌の上手さを感じさせるような歌い方は全くしないし、そもそも銀杏BOYZがそういうバンドではないのだけど、この曲の時だけは峯田のシンガーとしての力量をしっかりと感じさせるように歌っていた。決してキーを外したりすることなく、会場の隅々まで響くような声で伸び伸びと歌っている。これは間違いなく武道館だからこそだろうとも思うが、長年追いかけ続けた身であっても峯田の歌の上手さにビックリさせられてしまった。
もう忌野清志郎もいないし、マネージャーだった坂田さんもいない。CHABOこと仲井戸麗一は今でも元気にギターを弾いて歌っているが、RCサクセションに携わっていた人たちは徐々にいなくなってきている。でもこうして峯田が歌ったりすることによって曲は生き続けていくし、さらに下の世代にまで繋がっていく。ただのカバーではなくて、この「スローバラード」にはそうしたいなくなってしまった人たち(それこそBO GUMBOSのボーカルのどんともそう)が作った曲や、その想いが受け継がれていくのをわかっているかのようだった。峯田は本当にそうした先人たちへのリスペクトが実に強いミュージシャンでもある。
そのままDr.kyOnがステージに残ってイントロを弾き始めたのは、CDにおいてもピアノを弾いていた「光」。途中からはバンドメンバーたちも合流してバンド編成になるのだが、ついに「光」が本来のあるべき形で演奏されたのである。これまでに何度となくライブのハイライトを担ってきたこの曲であるが、この日は今までとはまた違った意味でそれを担っていた。それはDr.kyOnの存在あってこそだが、アウトロの演奏を先に終えたDr.kyOnに峯田が抱きつくと、2人は熱い抱擁を交わす。短い時間のコラボであったが、絶対に忘れないし、忘れてはいけない瞬間であった。
「光」で全てを使い果たすかのような熱演を見せながらも、まだライブは続く。ライブで演奏されるのが久々な「ボーイズ・オン・ザ・ラン」は前のめりで歌う峯田の姿に、かつてボーイであり、もしかしたら今でもボーイのままなのかもしれない己の内に抱える熱量が乗り移っていく。この曲のMVに出ていたボーイズたちは、掲げていた夢を叶えられたのだろうか。もし叶えていられなかったとしても、この日この会場にいてこの光景を見ていたら、それだけで救われたんじゃないだろうか。
「おそらく今までで1番歌ってきた歌。最初にメンバーに下北沢のスタジオで聴かせた時は、あいつらなんにも言わなくて。自信あった曲だったんだけど、あんまり響かなかったのかな、と思ったら、後から「あまりにも良い曲過ぎてなんにも言えなかった」って言われて。
今日はその時のスタジオの感じでやってみたいと思います」
と、峯田がメンバーの方を向く形になって、メンバーにコード進行を教えながら少しずつ曲の形になっていくという、まさに曲が生まれた瞬間を20年近く経ったこの日に再現するように演奏されたのは「BABY BABY」。最後には峯田が客席の方を向いてマイクを向けると、やはり大合唱が。今、峯田和伸がNHKのドラマに出ているのを見ていると、この曲がいつか紅白歌合戦で流れる日が来るんじゃないか、とすら思えるし、やはりこうやって銀杏BOYZの存在に救われてきた人たちと一緒に声を合わせて歌えるというのは本当に素晴らしいことだと思う。
実際にこの日は全席指定だし、ライブ中にスクリーンに観客の顔がアップで映ることも多かったのだけど、制服を着た高校生から、還暦を超えてるであろう年齢の方までもが客席にいた。ドラマや映画に出ると、ついつい
「それよりも曲作ってライブやってよ…」
って思ってしまいがちだけど、そうした俳優の活動があったからこそ、今になって銀杏BOYZに出会えた人もたくさんいる。そしてそういう人たちがまたかつての自分たちのように銀杏BOYZと出会ったことで自分の世界が変わっていく。世の中にそういう人が増えていく。この景色は、そうしたテレビに出ることが全く無駄ではなかったということを示していた。
銀杏BOYZのトリビュートアルバムのタイトルが「きれいなひとりぼっちたち」だった理由が、今なら実によくわかる。銀杏BOYZを愛する人たち1人1人のことだったっていうこと。
「このライブのタイトル、「世界がひとつになりませんように」っていうのにはもちろん意味はあって。でもその言葉から感じるものは1人1人違うだろうし、それでいいと思っていて。だからインタビューとかで意味を聞かれても、「いや意味はないです」って答えるようにしてて」
という今回のライブタイトルであり、かつても峯田がよく口にしていた言葉とともに演奏されたのは「僕たちは世界を変えることができない」。そのライブタイトルもこの曲のタイトルも決してネガティブなものではない、むしろそこにこそ希望を感じることができるということをポップなサウンドでもって鳴らすと、逆に
「ロックンロールは世界を変えて」
と一見真逆のことを歌うラストの「エンジェルベイビー」へ。
ロックンロールは世界そのものを変えることはできないけれど、その人1人の見ている世界を変えることはできる。かつて自分はGOING STEADYに出会った時、灰色にしか見えていなかった世界が少し白く、青くなって見えた。きっと峯田自身もブルーハーツやビートルズに出会って世界が変わった経験をしている。その時の衝撃を、ストレートなパンクサウンドに乗せて歌う。曲がリリースされた時は正直そこまで反応しなかった。良い曲という意味で言うならば、昔の曲にあまりにも良い曲がありすぎるから。でも今こうしてこの曲がライブの最後に演奏されるような曲になったのはずっと見てきたらちゃんとわかるし、ある意味では新しい銀杏BOYZとしての始まりの曲になったこの曲が1月15日の最後に演奏されるというのは必然だったのである。
また、峯田は
「前のアルバム出したのが2014年だから5年前か。そろそろアルバム出した方がいいよね?なんとか今年中に出したいと思ってます。つい自堕落な生活をしてしまうから、そうやって目標を作らないと」
と、今年アルバムをリリースしようとしていることを発表した。
銀杏BOYZというか峯田和伸は実は有言実行の男だ。武道館でまたライブをやると言えばこうしてやるし、内容はどうあれアルバム2枚出すと言えば本当に出す。だから何年だって待っていられるし「今年アルバム出す」という言葉も信じられる。そしてこういう日がまた来るって思いながら生きていられる。
何よりも、この時代に「CDを出す」と宣言していること。今やサブスクリプションが日本でも主流になりつつあるし、そうして音楽を聴いている人の方が多いかもしれない。でも銀杏BOYZがCDを出して、それを手に取れるということがどれだけ嬉しいことなのかを我々ファンはこれまでの活動の中で知っている。2005年の最初の2枚のアルバムを近所のTSUTAYAに買いに行った時のこと(フラゲ日が金曜日だったので学校休んで買いに行ってずっと聴いていた)、5年前にあの4人での最後のアルバムがリリースされた時のことも。
どんなに時代に逆行していようとも、あの感覚だけはずっと忘れたくないし、それをこれから先も何度も味わいたい。それが生きるための力になるから。だから峯田が「アルバムを出す」と言ってくれたのが本当に嬉しかったのだ。
そしてすぐさまアンコールで峯田が登場すると、
「前回の武道館は喋り過ぎたから、今回はあんまり喋り過ぎないようにしようと思って」
と言うのだが、そのMCがさらに喋るきっかけになってしまっているというくらいにもうこの段階で開演から2時間半以上経過している。
「あんまりマネージャーとかにはそれ言うなって言われてんだけどね、シャブとか援助交際とか、なんぼだってやったっていいからね。俺はどんな汚い手を使ってでも生き延びてやるから、みんなも生き延びてください。そしてまた会いましょう。
俺はもうあんたらのことなんて好きでもなんでもないんだ。ただ愛してるだけなんだ!」
と峯田がおなじみの独特の言葉で再会を約束すると、シンセのきらめくサウンドが鳴り始めたのは「ぽあだむ」。しかし峯田がいきなり歌詞を間違えてしまい、もう一度直前のMCから律儀にやり直すという、やっぱりカッコよく決めようとしても決まらない人生というか。それによって山本をはじめとしたメンバーはより笑顔で演奏していた。
多分、武道館じゃなかったらこれで終わっていた。実際にツアーではアンコールで「ぽあだむ」をやって終わっていた。でもここは武道館という特別な場所なのである。前回、最後の最後に「もしも君が泣くならば」を思い出せないくらいに久しぶりに演奏した場所なのである。ということでメンバーが機材を交換して、山本がイントロを鳴らしたのはやはりその「もしも君が泣くならば」。
かなり走ったり、メロディをズラして歌う峯田。でも自分の耳には、CDのまんまの、あのメロディが流れていた。それはもうGOING STEADYの1stアルバム「BOYS & GIRLS」に収録されていた「MY SOULFUL HEART BEAT MAKES ME SING MY SOUL MUSIC」というタイトルの時から「さくらの唄」で今のタイトルになり、銀杏BOYZになってからこのバージョンになったこの曲を数え切れないくらいに聴きまくってきたからかもしれない。でもそれだけじゃなくて、会場にいる人たちがみんなで歌っていたから。その10代の頃からずっと聴いてきたメロディがちゃんと耳に響いていたし、その上に峯田の歌うメロディが重なってきた。今とあの頃が両方とも鳴っていたこの日の「もしも君が泣くならば」。会場にいた、たくさんの人が涙を流して泣いていたのだけど、峯田もその姿を見て「僕も泣く」ってなっていたのだろうか。
ステージを転げ回りながら歌い、最後には足を引きずるようにしていた峯田は、
「どうか世界がひとつになりませんように。僕と君が、僕と君のままでいられますように」
と言ってステージから去っていった。その姿は昔からなんにも変わっていない、僕と君のまんまだった。
何回も書いていることだけれど、自分がこうして年間100本もライブに行くような人生になったきっかけは紛れもなく銀杏BOYZだった。初めて銀杏BOYZのライブを見た2004年のロッキンで、ロックバンドのライブというものはこんなにも素晴らしいものなのか、と衝撃を受けた。もう途中からずっと泣きながら峯田が拡声器を持って客席を歩き回る姿を見ていた。のちに銀杏BOYZのライブはかなり特殊なタイプであるということにも気づいたけれど、あんなに人間の美しさや生々しさ、醜さを全て感じさせてくれるようなものに自分は出会ったことがなかったし、こうしてライブを観ると今でも銀杏BOYZを超えるものはいないな、と思える。
でもそのライブを見るさらに何年も前にGOING STEADYと出会った時、自分は
「この人たちの音楽が日本のど真ん中で鳴るようになったら、絶対に世界が変わる。自分みたいなどうしようもない奴らが今よりも生きやすくなるような世の中になるはず」
と思っていた。
あれから17年くらい経った。峯田は今や音楽に全く詳しくないような人や、自分よりもはるかに年上の人たちにまで認知されるような存在になった。音楽として、ではないけれど紛れもなく日本の真ん中と言っていいようなところにまで立つような存在になった。(朝ドラから大河ドラマまで出てるんだもん)
でもそこまで行っても、世界は変わらなかった。銀杏BOYZは、僕たちは世界を変えることができなかった。でも、世界も僕たちを変えることはできなかった。あれだけライブハウスから遠く感じるようなところに行ったような峯田はステージに立てばあの時と全く変わらずにステージを転がって、ヨダレを垂らしながら歌っている。そして我々は峯田のその姿に自分を肯定されている。銀杏BOYZと出会ったこと、銀杏BOYZに出会ってからの人生。それがもしかしたら出会わなかった人生よりも惨めなものだったとしても、その張本人である峯田に
「お前は間違ってない」
って言って欲しい。ただそれだけなのだ。
峯田も変わっていないし、我々と峯田の関係もやっぱりあの頃から全く変わっていない。世界がひとつにならなかったからこそ、あの頃のままの僕と君でいることができている。そしてきっとそれはお互いに死ぬまで変わることはない。峯田にとっても我々ファンにとっても最も大事な1月15日。その2019年は、そんな事実を改めて確認し合うような1日だった。そういう意味では、これまでのどの1月15日よりも大事な1月15日だった。
1.生きたい
2.若者たち
3.駆け抜けて性春
4.GOD SAVE THE WORLD
5.骨
6.恋は永遠
7.夢で逢えたら
8.ナイトライダー
9.あいどんわなだい
10.漂流教室
11.新訳 銀河鉄道の夜
12.NO FUTURE NO CRY
13.SEXTEEN
14.スローバラード
15.光
16.ボーイズ・オン・ザ・ラン
17.BABY BABY
18.僕たちは世界を変えることができない
19.エンジェルベイビー
encore
20.ぽあだむ
21.もしも君が泣くならば
エンジェルベイビー
https://youtu.be/TvwazA8id-c
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