NHK朝の連続ドラマや出演や石原さとみの相手役としてドラマ主演などによって、今やバンドのことは全く知らないような人たちにもおなじみの存在となりつつある、峯田和伸。
そうなると当然音楽活動をする時間は減るわけであって「ドラマなんか出てないで音楽だけやれよ!」と思う人がいるのも仕方ないことではあるが、映画に出始めた時の音楽面での沈黙が嘘のように、ドラマに出演しながら東京スカパラダイスオーケストラのシングルにゲストボーカルとして参加し、フェスなどでもスカパラのライブに登場して精力的な音楽活動を展開し、さらにツアーまで開催。
去年に続いて、ツアーは対バンという形だが、never young beach、ミツメ、柴田聡子という、銀杏BOYZからの直接的な影響を感じないが、確かに銀杏BOYZを聴いて生きてきたアーティストたち(ミツメは銀杏BOYZのトリビュートアルバムにも参加している)とは対照的に、今年は復活を遂げたかつての盟友であるSPARTA LOCALS(仙台)、楽器を持たないパンクバンドことBiSH(名古屋)、そしてツアー初日であるこの日の東京にはもっとも銀杏BOYZからの影響を色濃く感じるtetoが出演。
VIVA LA ROCK以来、半年ぶりとなる銀杏BOYZのライブは果たしてどうなるか。
・teto
この日のゲスト、1週間でライブ見るの2回目となる、teto。
ステージには今回のツアーのビジュアルである少女の写真がデカデカとそびえる中、おなじみのNirvana「Silver」ではない日本の音楽のSEでステージに登場すると、いきなり客席にダイブをかました小池がギターを弾きながら歌い出したのは、「忘れた」のシングルのカップリングに弾き語りバージョンが収録されていた「光るまち」。
弾き語りよりもさらにテンポを落としているように感じるが、
「新しいものがどんどんどんどん積み重なって、古いものよりも目がいくようになってしまうけれど!」
と小池が語りのように言葉を挟むと、なくなってしまったライブハウスの思い出を口にしながらこのZepp DiverCityという新しい部類に入るライブハウスにこうして立てている喜びを語り、一気にメンバーの演奏はノイジーに転じていく。
こうして対バンするとなるとそのアレンジは銀杏BOYZの影響を感じざるを得ないが、「高層ビルと人工衛星」からは銀杏BOYZとは全く異なる、言葉をひたすら並べまくるtetoならではの衝動を吐き出していく。
「せっかくこうして来たんだから、今日は楽しみましょう!」
と小池は観客を煽り、ダイブしまくり暴れまくりなのだが、「トリーバーチの靴」のサビや「Pain Pain Pain」などメロディはひたすらにキャッチー。ライブの無軌道さもそうだが、実は最も銀杏BOYZの影響を感じさせるのはそうした、めちゃくちゃなようでいて曲自体のメロディの美しさというところなのかもしれない、と思う。
土曜日のキツネツキとの対バンの時にも語っていたように、自らの過ちなどを綴った曲と紹介された「溶けた銃口」はそのメロディの美しさと小池の独自の視点による歌詞がじっくりと染み渡るような曲。
「銀杏BOYZは1stアルバム出した時に終わっても偉大な存在になってたと思うんですけど、やっぱり「全盛期で終わっておけば良かったのに」とか言うようなやつも絶対いるわけですよ。
でもそれでも続けてる。それが本当に素晴らしいし美しいと思うし、僕が生まれ育った、流行りとかが一切届かないような群馬県のど田舎の街まで銀杏BOYZの音楽を届けてくれて、銀杏BOYZのみなさん、本当にありがとうございます!いつか銀杏BOYZがいなくなっても、銀杏BOYZのことは絶対忘れないと思います!」
と小池が銀杏BOYZへの思いを自らの口で語ってから演奏されたのは、
「いつか全て忘れた頃、無くした頃あなたといた あなたと見た 半径1メートルの世界だけはもう 譲れはできないって
そう思えるから今日も生きれたんだ」
とかけがえのないもののことを歌った「忘れた」。歌詞を「Zepp DiverCity」に変えて歌うことで、その「半径1メートルの世界」が、まさに今ここであるかのように感じるのだが、もしかしたら小池も我々と同じように銀杏BOYZのライブをそうしたかけがえのないものだと感じていたのかもしれない。
最近は「忘れた」でライブが終わるパターンが多かったので、この日もこれで終わりかと思っていたら、
「最後にもう1曲!」
と言って演奏されたのは、9月にリリースされたフルアルバムのタイトル曲にして、最後を飾る「手」。詳細は来月のこのバンドのツアーファイナルの時に書こうと思っているのだが、自分は「手」を今年の年間ベストのトップ候補の1つだと思っている。それはこの曲が最後に収録されているからである。それくらいこの曲はささやかだけど確かな明日への希望を灯してくれる。初めてライブで聴いて、その思いは一層強くなった。
去年のツアーの新木場STUDIO COASTの時に、
「銀杏BOYZを10代の時に聴いていた人たちは今はnever young beachとかを聴いてると思う」
っていう意見をいくつか見た。ネバヤンは全然嫌いではないけれど、でも自分がこうした大きなステージに立っている姿を見れて嬉しいと思うのは、tetoのようなこうした自分の中に滾る衝動を自分のやり方で炸裂させるようなバンドだ。
だから自分は10代の、GOING STEADYと出会った時から何も変わっていなかったり、進歩してないのかもしれない。でもそれはこうしたロックを聴いて心の底から湧き上がるような衝動や、その時のようなワクワクした気持ちを今でも抱ける可能性があるということ。
tetoは小池の言葉とライブのみでそうした感情を呼び起こしてくれた。かと思いきや、演奏後に山崎が上半身裸になり、「そのくらい暑かったのか」と思ったらそのまま下まで脱いで全裸になった。髪型もGOING STEADY後期の峯田和伸のような巨大なアフロになっているが、そんなところまで影響を受けなくてもいいのに(笑)
言葉よりもはるかに思いは伝わったけれど(笑)
1.光るまち
2.高層ビルと人工衛星
3.トリーバーチの靴
4.Pain Pain Pain
5.溶けた銃口
6.忘れた
7.手
・銀杏BOYZ
そしていよいよ銀杏BOYZの半年ぶりのライブ。おなじみの山本幹宗(ギター)、加藤綾太(ギター)、藤原寛(ベース)、岡山健二(ドラム)というサポートメンバーたちに続いて大歓声というか、もはや怒号のようなものに迎えられてステージに現れな峯田は見事なまでの坊主(五厘刈りっていうやつ?)であり、スカパラのゲストボーカルの時からその姿を見ているとはいえ、やはり最初は違和感を拭いきれない。見る角度によっては年齢よりも若く見えるし、また別の角度によっては年齢を重ねたことが感じられる。
「最後にライブをやったのが5月だったんで、こうやってライブをやるのは5ヶ月とか6ヶ月ぶりになるんだけど…」
と演奏をする前に導入の言葉から入るのはこれまでと変わらず。しかしアコギを手にした峯田が
「あの星の光が示すように」
と歌い始めると、ずっとこの日を待っていた、と言わんばかりに早くも客席は熱狂を見せ、今年2月の大森靖子との対バンの時からセットリストに組み込まれ、
「歩んできた道に後悔はない」
が
「歩んできた道は後悔ばかり」
と自身のここに至るまでの人生を懺悔するような歌詞に変えながらも、
「アイ・シー・ザ・ライト」
を
「愛してる」
に変えることによって、決して後ろを振り返るだけの曲にはなっていない、GOING STEADY時代の「星に願いを」から始まると、峯田の弾き語りのようなスタイルから一気に轟音が加わるバンドの演奏に呼応するかのごとく、よだれを垂らしながら歌う峯田をはじめとするステージ上のメンバーも暴れまくり、客席もダイバーが続出。
この曲をこうしてライブで聴けるというのはGOING STEADYの「さくらの唄」が人生のバイブルである身としては本当に嬉しいし、そういう人もたくさんいると思うのだが、こうなるとこのバージョンでの再録という形への期待も高まる。それは今のこの曲の形が2018年の峯田だからこそ歌えるものだからである。
峯田がエレキに持ち替えると、イントロの時点から客席大熱狂の「若者たち」、CDではYUKIが歌うパートで峯田がマイクスタンドを客席に向けると、観客の大合唱という形でのデュエットとなった「駆け抜けて性春」と、落ち着いたりする暇が全くないくらいにパンクバンドとしての銀杏BOYZの曲を畳み掛ける。
とりわけ「駆け抜けて性春」の大合唱では、時にライブの楽しみ方としては批判されることの多い(アーティスト側が客に歌わせようとしてるかどうかでも変わってくるけれど)合唱という行為がこんなにも人の心を揺さぶるものか、と実感させられる。それは銀杏BOYZを人生の中心であったり、生きている目的そのものとして捉えている人が自分以外にこんなにたくさんいて、その人たちと一緒に歌えているという喜びがもたらすものでもあり、かつて長い年月ライブを見ることができなかったバンドの曲が目の前で鳴らされていて、その曲の一部を自分の声が担っているという感覚でもある。
「今、ここでしかないどこか!」
という峯田の言葉通りの感覚を味あわせてくれる「エンジェルベイビー」はリリース時は賛否両論こそあったが、ライブで毎回演奏されることによってパンク要素が増し、近年の中ではライブで1番映える曲となりつつあるし、それがこの曲のテーマである「ロックンロールとの出会いと衝撃」というものをより引き立たせている。昨年の武道館ワンマンの時のこの曲も本当に素晴らしかった。
「2001年の9月11日にアメリカでテロが起きた時に、俺はさっきやった「駆け抜けて性春」っていう曲で
「あなたがこの世界に一緒に生きてくれるのなら 死んでもかまわない」
って歌ったんだけど、今は
「あなたを殺して 僕もすぐ行く」
って歌うのが自分にとってのリアルで。久しぶりにライブをやるのが楽しみだったんだけど、そこでこの新曲をやれるのが本当に楽しみだった」
と語ると、演奏されたのは初公開となる、今回のツアータイトルになっている新曲「GOD SAVE THE ワールド」。サウンド自体はストレートなロックンロールだが、峯田のMCの通りに歌詞はかなりダークかつ内省的。こうした歌詞が今でも出てくるということは、いくらドラマに出たりして日の当たる場所にいたとしても、峯田和伸という男の本質は「SKOOL KILL」や「あの娘に1ミリでもちょっかいかけたら殺す」という曲を作った時から変わっていないということである。やはり人間はそう簡単には変わることはできない。すぐに変われたらどれだけ楽だろうか、とも思うけれど。
再びアコギに持ち替えると、
「東京タワーのてっぺんから Zepp DiverCityにジャンプする」
と歌詞を変えることでこの日だけの景色を描く「骨」、「恋は永遠」と峯田1人になってからのシングル3部作の2曲を連発するのだが、過去の名曲たちだけでなく、この辺りの曲のイントロで大歓声が上がるというあたりが、銀杏BOYZが昔の曲をライブでやってればいいだけのバンドではなく、現在進行形で進み続けているバンドであるということを示しているし、峯田がドラマ(「骨」は峯田主演のNHKプレミアムドラマ「奇跡の人」の主題歌)に出たりすることによって銀杏BOYZの音楽と出会って、こうしてライブに足を運ぶようになった人もたくさんいるということも示している。
実際、この日の客層は去年までのツアーよりもさらに上下ともに幅が広くなっているように感じた。
「久しぶりのライブだから、昔の曲を家で一人で聴いたりしてたんだけど、今の2018年の俺は昔に作ったような曲を作れなくなってて。「夢で逢えたら」みたいな歌詞はもう今の俺には書けない。でもライブでそういう曲をやれば、18歳にも、25歳にも、34歳にも戻れる。だから今日も精一杯気持ちを込めて歌います」
と言って演奏された、ラストサビ直前の岡山のスネア連打のドラムがさらに夏の終わりならではの疾走感を際立たせる「夢で逢えたら」、峯田が歌詞をたまに間違えながらタンバリンを持って歌う「漂流教室」と名曲を連発していくのだが、峯田がそうであるように、聴いている自分もこの時期の曲を聴くと、今でも自分が10代で、峯田が25歳くらいのままのような気持ちになる。それはこの曲たちにこびりついてしまっている怨念のような感情でもあり、大切な青春時代の思い出でもある。決してその頃に戻りたいというわけではないというのに。
少女のビジュアルからステージ背面が峯田をはじめとする演奏するメンバーの姿を映し出すスクリーンに切り替わってから演奏されたのは、昨年の武道館からセトリに復活した、山本と加藤のノイジーなギターがこの会場を埋め尽くす「SEXTEEN」。ズレててもおかまいなしに進むバンドサウンドがこの曲の狂気的な部分を表している。
再びアコギを手にすると、
「今日ライブの前に取材があって。20年バンドやってて、忘れられないファンとか観客の人はいますか?って聞かれて。あれは2008年くらいかな?渋谷のQUATTROでライブ終わった後に「写真撮ってください!」って言われて「ああ、ありがとうございます」なんて言ってたら、セーラー服を着た髪の長い女の子が「峯田さん、見ててください」って言ってバリカンで頭を刈り始めて。鏡ないからすごい歪な坊主姿になっちゃったんだけど、土曜日の人が多い渋谷でこっちが加害者みたいになっちゃって。彼の娘も今は20代後半くらいかな?生きていたらたまけど…。そんなことを思い出しながら、久しぶりに歌います」
と言って演奏されたのは「東京」。「東京」というタイトルの曲は名曲である、という定説も存在するが、この曲を東京の会場で聴けるというのはやはり特別。初めてこの曲を聴いたのはまだCDがリリースされる前の川崎のライブハウスだったけれど、その時のこの曲のあまりの名曲っぷりは15年近い月日が流れても全く変わっていない。
「東京」も長尺曲であるが、それを上回るのが峯田の弾き語りという形から一気にノイジーなバンドサウンドに転じる「光」。峯田はバンドサウンドに切り替わる部分でステージに倒れこみながらアコギを外してハンドマイクとなり、力強いドラムを連打していた岡山も途中で椅子ごと後ろに倒れこむという、もはやサポートというよりも銀杏BOYZのメンバーそのものであるかのようなパフォーマンス。それは岡山以外の3人もそうで、こうしてバンド編成の銀杏BOYZのライブを今でも見れているというのはこの4人がこうして銀杏BOYZとしてステージに立ってくれることを選んでくれたからである。かつての4人で「人間」を演奏していた時のような、何かバンドが一つの巨大なバケモノになっているかのようなカタルシスがこの曲の演奏には宿っている。
そして山本と加藤が揃ってギターを抱えたままジャンプする「NO FUTURE NO CRY」の
「ああ 未来はないけど泣いちゃダメさ」
というフレーズがライブのクライマックスを告げる。ひたすらにサビで声を張り上げ続けるこの曲では峯田は歌うのがなかなかキツそうでもあったが、それでもなんとか声を振り絞るように歌う。ステージを暴れまくるその姿は、かつてのツアー中に流血や骨折を連発して、ツアーを延期しまくっていた4人時代を彷彿とさせるし、あの頃の何が起こるかわからない銀杏BOYZのライブのドキドキする感覚を思い出させてくれる。
「バンドやってて忘れられない景色っていうのが何個かあるんだけど、1番は2000年に下北沢の練習スタジオで「BABY BABY」を初めてみんなに聴かせた時で。
こうやって、「Aメロは、Bマイナー、Cマイナー、コーラスはこんな感じ〜、最後のとこのコードはこっちとそっちどっちがいいかな?村井くん?」って聞いたら「うーん、わかんね」って言われて(笑)
今日はその時の感じでやってみたいと思います」
と言ってメンバーの方を向いてコードや構成を確かめながら教えるように歌い始めると、途中から観客の方に振り返り、サビではやはり大合唱。この曲をこうしてみんなでライブで歌えるというのはやっぱり本当に幸せなことだし、いつになっても涙が出てくる。
「今日からツアー始まって、大阪、名古屋、仙台と廻って、年明けの1月にはまた日本武道館でライブやりますんで。またその時に会いましょう」
と峯田が再会を約束すると、最後に演奏されたのはメンバー紹介も兼ねた「僕たちは世界を変えることができない」。
こうして峯田が次に会える場所を作ってくれて、そこで会うことを約束してくれる。人生は楽しいことばかりじゃないし、社会人ともなるとクソみたいな、つまらないことばかりの日常だ。でもこうして「あともうちょっとで銀杏BOYZのライブが見れる」って思えば乗り越えらるし、そうやってこれまで生きてきた。それは何よりも銀杏BOYZの音楽に支えられて生きてきた身としてはこれ以上ない日々への力になる。
割とすぐに出てきたアンコールでは
「今回のツアーは対バンツアーだからさらっとライブやって帰ろうと思ったらもう2時間経ってた(笑)」
と、やはりワンマン並みのボリュームになったことに触れ(だからライブ開始が18:30という設定だったのだと思われる)、岡山が打ち込みのサウンドを鳴らそうとするもトラブルによってか鳴らなかったため、
「生演奏でやろうか!」
と言って打ち込みなしでのオール人力サウンドによって「銀杏BOYZみたいにポップになれんだ」というよりはロック度が倍増したサウンドで演奏された「ぽあだむ」はいつものキラキラ感というよりも、どこかまたここから新しい銀杏BOYZが始まっていくという予感を感じさせるものになっていた。
銀杏BOYZは、というか峯田は決して歌が上手いわけでもないし、バンドの演奏がめちゃくちゃ上手いわけでも(今のメンバーは上手いけれど)ない。でもそうした、技術の高さ=ライブの良さではなく、そのステージに立っている時にどれだけ自分の感情や衝動を込められるのか、というのが感動的なライブを生み出す最も重要な要素であるということをわからせてくれる。
峯田以外のメンバーがいなくなって、もう自分の大好きだった銀杏BOYZは終わってしまったのかもしれない、と思ったこともあったが、今でも銀杏BOYZのライブはあの頃と同じようにバケモノそのものだった。
GOING STEADYの「さくらの唄」を聴いて、銀杏BOYZのライブを初めて見た時の、脳天を撃ち抜かれたようなあの感覚。今でもひたすらに音楽を聴き続ける人生を選んでいるのは、あの感覚をまた味わいたいからっていうのは間違いなくあると思う。やっぱり峯田和伸の作る音楽は自分の原点にして、人生そのもの。また年明けの日本武道館で、この日まで生きてきて良かったと思えるような瞬間を。2ヶ月後なんて、あっという間だ。
1.星に願いを
2.若者たち
3.駆け抜けて性春
4.エンジェルベイビー
5.GOD SAVE THE わーるど
6.骨
7.恋は永遠
8.夢で逢えたら
9.漂流教室
10.SEXTEEN
11.東京
12.光
13.NO FUTURE NO CRY
14.BABY BABY
15.僕たちは世界を変えることができない
encore
16.ぽあだむ
デイドリーム 祈り トレーラー
https://youtu.be/qNi3d5NBlVg
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