米津玄師 2018 LIVE 「Flamingo」 @幕張メッセ 10/28
- 2018/10/29
- 00:03
前日に続き、この日は米津玄師幕張メッセワンマンライブ2daysの2日目。基本的に米津玄師のライブはセトリは変わらないし、前日のエンターテイメント性の強いライブ内容を見ていてもそれは今回も変わらないと思うのだが、米津玄師は2daysのライブ時は2日目の時の方が良いライブをするというよくわからない傾向がある(普通は2daysの2日目になると声が出なくなりがち)ので、前日を上回るライブを見せてくれるんじゃないかと期待が高まる。
とはいえ、やはり内容自体は前日のものと基本的に変わりはないので、演出などの詳細については前日のレポも見ていただきたい。
(http://rocknrollisnotdead.jp/blog-entry-556.html?sp)
この日は前日よりも早い17時開演(遠征してきていて、翌日仕事の人とかにはありがたい時間設定であろう)ということで、17時を少し過ぎた頃に場内が暗転すると、前日同様にまずは中島宏、須藤優、堀正輝のサポートメンバー3人がステージに登場し、その後に前日と同じ、派手なパーカーを着てフードを頭に被った米津玄師が登場すると大歓声が上がり、
「ウェーイ」
というようななんとも言えない挨拶を客席に投げかけて「Loser」からスタートし、米津玄師は早くも花道を歩きながら歌う。
前日はとにかく高音部が出ておらず、厳しい感想になってしまっていたので、この日は果たしてどうだろうか、と思っていたが、序盤こそあまり本調子とはいかない感じであったが、ライブならではのイントロを追加した「アイネクライネ」あたりからは高音が前日よりはしっかり出るようになるとともに、声に迫力も増していく。
頭部が人外的なダンサーが登場することで楽曲のおどろおどろしさに拍車をかける「amen」、「最上段にいる人はこの高さが怖くないのか?」と思うくらいにステージ背面の格子状のオブジェの上に並んだドラムパフォーマンスグループが堀のドラムに合わせてスネアドラムを叩く「Undercover」はそのドラムパフォーマンスグループの存在により一層ビートが強調されているし、最終的には米津玄師がそのドラム隊を引き連れて花道を歩く姿はかつての「Bremen」のツアーのタイトルであった「音楽隊」そのもの。
この日も4人のバンドサウンドの力強さを実感させてくれ、コーラス部分を観客が大合唱する中で銀テープが射出された「ピースサイン」からは米津玄師本人もバンドメンバーたちも
「まだまだいけるでしょ!」
という米津玄師の言葉通りにさらに本領を発揮していく。
とりわけ米津玄師が中学生の時に作った曲を現代バージョンにブラッシュアップしたという「TEENAGE RIOT」はその4人のバンドサウンドをフルに生かしたギターロック曲。
「バースデイソング」
というサビの最後のリフレインが印象的であるが、CMタイアップということを除いても、近年は進化が深化という方向を辿っていた米津玄師の新曲としてはこのストレートさに逆に驚かされる。そうした曲に「TEENAGE RIOT」というタイトルを冠したということは、米津玄師が少年時代から自分の音楽で世の中をひっくり返してやる!という野望に満ちていたことがわかる。
(「diorama」リリース時も「なんでこれで変わらないの?」的なことを思っていた、とインタビューで語っていた)
初のMCタイムでは前日同様に、自身の存在が巨大化し、音楽性も変遷を辿ってきた上でこうしてライブを見にきてくれる人たちへの感謝を告げるが、あまり伝わっていないと思ったのか、前日に読み上げていた中原中也の詩の朗読はこの日はカットされていた。
再びドラムパフォーマンスグループがステージに登場して、ロマンチックさとともにビートの強さが強調された「orion」、ステージ上で燃え上がる炎と虫の音が会場の季節を一気に夏に引き戻す「打上花火」は夏の野外フェスでこの曲を聴きたかった、と思わせる。その願望は来年の夏まで取っておくことにするけれど。
そしてジャケット写真が映し出されて大歓声があがったのは、最新曲「Flamingo」。この日は前日以上に、照明が米津玄師のパーカーや楽器などに反射されて歌詞のフレーズがより明確に浮かび上がっていたのだが、すでにMVが公開されてから大反響を呼んでいるこの曲がなぜそんなにすごいのか、というのを自分なりに考えてみると、それは現代の最新の洋楽的なサウンドと歌謡曲という日本ならではの音楽の絶妙なミックスっぷりにあると思う。
「BOOTLEG」に収録された「fogbound」あたりを初めてライブで聞いた時は、SEに使っているThe XXなどの直接的な影響源が見えていたし、そういう音楽をやりたいという感じが伺えたが、それをそのままやっても仕方がないし、そのままやるんなら影響源の音楽を聴いた方がいい。実際にそうした海外の音楽をそのまま日本でやるバンドやアーティストもいるが、それは大抵大成することなくいつの間にかシーンから消えていく。
それは当然で、日本人として日本で音楽を鳴らす以上はそこに現代の日本を生きる人間としての視点が音楽に入っていないと、聴いていて面白くない。洋楽のエッセンスが濃い中でもシーンの最前線に浮上した、the telephonesやTHE BAWDIESというバンドたちにはしっかりとそうした「洋楽で育った我々が2000年代に日本でどうやってロックを鳴らすべきか?」ということに向き合っていた。
そこでこの「Flamingo」である。前述したように、現代のオルタナティブR&Bなどの要素を強く含みながらも、歌詞や米津玄師の歌い方はどこまでも歌謡的。それを融合させたアーティストは他に誰もいない。というより、融合のさせ方を誰も他にわからなかったのだ。しかし米津玄師はそれを自身の音楽としていたって自然にやってみせる。それは
「変わっていくというのは何よりも美しいこと」
という自らのMCを音楽をもってして証明している。「ただの良い曲」をつくるだけじゃなくて、「今までに誰も作ったことも聴いたこともない良い曲」を作る。その姿勢が米津玄師をここまで巨大な存在にしたし、この日の会場の客席のように、老若男女から支持されるようになった所以である。
仮にボカロの時の音楽性のまま、例えば本人名義の曲で言うならば「MAD HEAD LOVE」的な曲を量産していても人気は出ていただろうし、もしかしたらここまでの存在になっていたかもしれないが、そうだとしたら
「この後にどんな曲を出すんだろうか?」
という、変わり続けるからこそ感じられるワクワク感を感じられることはなかったはずだ。
そしてラストは「Flamingo」の時からすでに場内に爽やかな匂いが漂っていた「Lemon」。
「今でもあなたはわたしの光」
という歌詞の通りに、ステージにいる米津玄師に降り注ぐ光と、ステージから客席に向かって伸びる光。
それは我々からしたら米津玄師という存在が光そのものであり、逆に米津玄師からしたらこうして自身の曲を聴いてライブに来てくれる人たちこそが光である、というのを示すような演出であった。
アンコールでは前日同様に「Flamingo」「TEENAGE RIOT」のカップリングに収録される「ごめんね」を披露。米津玄師がFoorinに提供した「パプリカ」の系譜に連なるような、みんなのうた的な合唱曲であるが、この日は前日とは違って「一緒に歌って!」と観客に促すことはなし。だが代わりに演奏後に前日は言わなかった曲タイトルを告げていた。
メンバー紹介とともに、中島のMCでは前日はオチもなくグダグダになってしまっていたが、この日は
「1番楽しいのは…今日のライブです!」
と力強く言い放って大歓声を浴びた。これは確実に前日の反省からのブラッシュアップであるが、まさかMCが前日から最も進化するものになるとは。
米津玄師が手や指をヒラヒラと動かしながら歌う「クランベリーとパンケーキ」から、ラストはこの日も「灰色と青」。この日も菅田将暉の登場こそなかったものの、米津玄師は後半のフレーズをキーを上げて歌ったりという、ライブならではのアレンジを見せていたが、それは前日にはやっていなかった。きっちりと決まり切った演出ではなく、その時ならではの瞬間的なパフォーマンスを見せることができる。我々の想像よりも米津玄師はライブをどうCDと違うものとして見せるのか?ということに向き合っているのではないか、と思えた瞬間であった。
演奏が終わると、米津玄師がサポートメンバーたちを呼び、4人が肩を組んで観客に一礼をして去っていった。「TEENAGE RIOT」のMVにも4人が揃って出演しているが、その姿からは紛れもなくこの4人でこのライブ、この音楽を作っているということを感じさせた。
アルバムのリリースツアーではないだけに、選曲の縛りがないというセトリを組めるライブであったが、結果的には「diorama」収録曲も、「マトリョシカ」や「パンダヒーロー」という、これまでのワンマンでは毎回やっていたボカロ曲のセルフカバーもなかった。
それには一抹の寂しさも感じたが、おそらくシングルのカップリング曲はそうした曲以上にこれからライブで聴ける機会はなくなっていくはず。そしてその曲たちで米津玄師だからこそのダークな演出を見せていたこの「Flamingo」というライブはまた米津玄師のこれからのライブのあり方の一つの転換点になるかもしれない。
本人も言っていた通り、ダンスパフォーマンスチームや、ドラムパフォーマンスチームなど、前回の武道館における辻本知彦や菅原小春といったダンサー同様に、もはや米津玄師のライブは本人が歌うだけのライブではなくなってきている。
そうした人たちの力を借りたエンターテイメント性の強さは、「いずれSEKAI NO OWARI的な一大ライブアミューズメントパークを作り上げるかもしれない」とすら思わせるが、そうした米津玄師だからこその世界観と、ライブの強さをどう融合させていくか。前者は現時点でも申し分ないだけに、すでに発表されている年明けからのツアーで後者がどれだけ伸びていくか。
果たして半年後のツアーファイナルで再び立つこの幕張メッセのライブではどんな「美しい空間」を作り出すのか。意味深なツアータイトルも気になるところだが、また来年、ここではない遠くの方で会いましょう。
1.Loser
2.砂の惑星
3.飛燕
4.メランコリーキッチン
5.春雷
6.アイネクライネ
7.amen
8.Paper Flower
9.Undercover
10.爱丽丝
11.ピースサイン
12.TEENAGE RIOT
13.orion
14.打上花火
15.Flamingo
16.Lemon
encore
17.ごめんね
18.クランベリーとパンケーキ
19.灰色と青
Lemon
https://youtu.be/SX_ViT4Ra7k
Next→ 10/31 メレンゲ @新代田FEVER
とはいえ、やはり内容自体は前日のものと基本的に変わりはないので、演出などの詳細については前日のレポも見ていただきたい。
(http://rocknrollisnotdead.jp/blog-entry-556.html?sp)
この日は前日よりも早い17時開演(遠征してきていて、翌日仕事の人とかにはありがたい時間設定であろう)ということで、17時を少し過ぎた頃に場内が暗転すると、前日同様にまずは中島宏、須藤優、堀正輝のサポートメンバー3人がステージに登場し、その後に前日と同じ、派手なパーカーを着てフードを頭に被った米津玄師が登場すると大歓声が上がり、
「ウェーイ」
というようななんとも言えない挨拶を客席に投げかけて「Loser」からスタートし、米津玄師は早くも花道を歩きながら歌う。
前日はとにかく高音部が出ておらず、厳しい感想になってしまっていたので、この日は果たしてどうだろうか、と思っていたが、序盤こそあまり本調子とはいかない感じであったが、ライブならではのイントロを追加した「アイネクライネ」あたりからは高音が前日よりはしっかり出るようになるとともに、声に迫力も増していく。
頭部が人外的なダンサーが登場することで楽曲のおどろおどろしさに拍車をかける「amen」、「最上段にいる人はこの高さが怖くないのか?」と思うくらいにステージ背面の格子状のオブジェの上に並んだドラムパフォーマンスグループが堀のドラムに合わせてスネアドラムを叩く「Undercover」はそのドラムパフォーマンスグループの存在により一層ビートが強調されているし、最終的には米津玄師がそのドラム隊を引き連れて花道を歩く姿はかつての「Bremen」のツアーのタイトルであった「音楽隊」そのもの。
この日も4人のバンドサウンドの力強さを実感させてくれ、コーラス部分を観客が大合唱する中で銀テープが射出された「ピースサイン」からは米津玄師本人もバンドメンバーたちも
「まだまだいけるでしょ!」
という米津玄師の言葉通りにさらに本領を発揮していく。
とりわけ米津玄師が中学生の時に作った曲を現代バージョンにブラッシュアップしたという「TEENAGE RIOT」はその4人のバンドサウンドをフルに生かしたギターロック曲。
「バースデイソング」
というサビの最後のリフレインが印象的であるが、CMタイアップということを除いても、近年は進化が深化という方向を辿っていた米津玄師の新曲としてはこのストレートさに逆に驚かされる。そうした曲に「TEENAGE RIOT」というタイトルを冠したということは、米津玄師が少年時代から自分の音楽で世の中をひっくり返してやる!という野望に満ちていたことがわかる。
(「diorama」リリース時も「なんでこれで変わらないの?」的なことを思っていた、とインタビューで語っていた)
初のMCタイムでは前日同様に、自身の存在が巨大化し、音楽性も変遷を辿ってきた上でこうしてライブを見にきてくれる人たちへの感謝を告げるが、あまり伝わっていないと思ったのか、前日に読み上げていた中原中也の詩の朗読はこの日はカットされていた。
再びドラムパフォーマンスグループがステージに登場して、ロマンチックさとともにビートの強さが強調された「orion」、ステージ上で燃え上がる炎と虫の音が会場の季節を一気に夏に引き戻す「打上花火」は夏の野外フェスでこの曲を聴きたかった、と思わせる。その願望は来年の夏まで取っておくことにするけれど。
そしてジャケット写真が映し出されて大歓声があがったのは、最新曲「Flamingo」。この日は前日以上に、照明が米津玄師のパーカーや楽器などに反射されて歌詞のフレーズがより明確に浮かび上がっていたのだが、すでにMVが公開されてから大反響を呼んでいるこの曲がなぜそんなにすごいのか、というのを自分なりに考えてみると、それは現代の最新の洋楽的なサウンドと歌謡曲という日本ならではの音楽の絶妙なミックスっぷりにあると思う。
「BOOTLEG」に収録された「fogbound」あたりを初めてライブで聞いた時は、SEに使っているThe XXなどの直接的な影響源が見えていたし、そういう音楽をやりたいという感じが伺えたが、それをそのままやっても仕方がないし、そのままやるんなら影響源の音楽を聴いた方がいい。実際にそうした海外の音楽をそのまま日本でやるバンドやアーティストもいるが、それは大抵大成することなくいつの間にかシーンから消えていく。
それは当然で、日本人として日本で音楽を鳴らす以上はそこに現代の日本を生きる人間としての視点が音楽に入っていないと、聴いていて面白くない。洋楽のエッセンスが濃い中でもシーンの最前線に浮上した、the telephonesやTHE BAWDIESというバンドたちにはしっかりとそうした「洋楽で育った我々が2000年代に日本でどうやってロックを鳴らすべきか?」ということに向き合っていた。
そこでこの「Flamingo」である。前述したように、現代のオルタナティブR&Bなどの要素を強く含みながらも、歌詞や米津玄師の歌い方はどこまでも歌謡的。それを融合させたアーティストは他に誰もいない。というより、融合のさせ方を誰も他にわからなかったのだ。しかし米津玄師はそれを自身の音楽としていたって自然にやってみせる。それは
「変わっていくというのは何よりも美しいこと」
という自らのMCを音楽をもってして証明している。「ただの良い曲」をつくるだけじゃなくて、「今までに誰も作ったことも聴いたこともない良い曲」を作る。その姿勢が米津玄師をここまで巨大な存在にしたし、この日の会場の客席のように、老若男女から支持されるようになった所以である。
仮にボカロの時の音楽性のまま、例えば本人名義の曲で言うならば「MAD HEAD LOVE」的な曲を量産していても人気は出ていただろうし、もしかしたらここまでの存在になっていたかもしれないが、そうだとしたら
「この後にどんな曲を出すんだろうか?」
という、変わり続けるからこそ感じられるワクワク感を感じられることはなかったはずだ。
そしてラストは「Flamingo」の時からすでに場内に爽やかな匂いが漂っていた「Lemon」。
「今でもあなたはわたしの光」
という歌詞の通りに、ステージにいる米津玄師に降り注ぐ光と、ステージから客席に向かって伸びる光。
それは我々からしたら米津玄師という存在が光そのものであり、逆に米津玄師からしたらこうして自身の曲を聴いてライブに来てくれる人たちこそが光である、というのを示すような演出であった。
アンコールでは前日同様に「Flamingo」「TEENAGE RIOT」のカップリングに収録される「ごめんね」を披露。米津玄師がFoorinに提供した「パプリカ」の系譜に連なるような、みんなのうた的な合唱曲であるが、この日は前日とは違って「一緒に歌って!」と観客に促すことはなし。だが代わりに演奏後に前日は言わなかった曲タイトルを告げていた。
メンバー紹介とともに、中島のMCでは前日はオチもなくグダグダになってしまっていたが、この日は
「1番楽しいのは…今日のライブです!」
と力強く言い放って大歓声を浴びた。これは確実に前日の反省からのブラッシュアップであるが、まさかMCが前日から最も進化するものになるとは。
米津玄師が手や指をヒラヒラと動かしながら歌う「クランベリーとパンケーキ」から、ラストはこの日も「灰色と青」。この日も菅田将暉の登場こそなかったものの、米津玄師は後半のフレーズをキーを上げて歌ったりという、ライブならではのアレンジを見せていたが、それは前日にはやっていなかった。きっちりと決まり切った演出ではなく、その時ならではの瞬間的なパフォーマンスを見せることができる。我々の想像よりも米津玄師はライブをどうCDと違うものとして見せるのか?ということに向き合っているのではないか、と思えた瞬間であった。
演奏が終わると、米津玄師がサポートメンバーたちを呼び、4人が肩を組んで観客に一礼をして去っていった。「TEENAGE RIOT」のMVにも4人が揃って出演しているが、その姿からは紛れもなくこの4人でこのライブ、この音楽を作っているということを感じさせた。
アルバムのリリースツアーではないだけに、選曲の縛りがないというセトリを組めるライブであったが、結果的には「diorama」収録曲も、「マトリョシカ」や「パンダヒーロー」という、これまでのワンマンでは毎回やっていたボカロ曲のセルフカバーもなかった。
それには一抹の寂しさも感じたが、おそらくシングルのカップリング曲はそうした曲以上にこれからライブで聴ける機会はなくなっていくはず。そしてその曲たちで米津玄師だからこそのダークな演出を見せていたこの「Flamingo」というライブはまた米津玄師のこれからのライブのあり方の一つの転換点になるかもしれない。
本人も言っていた通り、ダンスパフォーマンスチームや、ドラムパフォーマンスチームなど、前回の武道館における辻本知彦や菅原小春といったダンサー同様に、もはや米津玄師のライブは本人が歌うだけのライブではなくなってきている。
そうした人たちの力を借りたエンターテイメント性の強さは、「いずれSEKAI NO OWARI的な一大ライブアミューズメントパークを作り上げるかもしれない」とすら思わせるが、そうした米津玄師だからこその世界観と、ライブの強さをどう融合させていくか。前者は現時点でも申し分ないだけに、すでに発表されている年明けからのツアーで後者がどれだけ伸びていくか。
果たして半年後のツアーファイナルで再び立つこの幕張メッセのライブではどんな「美しい空間」を作り出すのか。意味深なツアータイトルも気になるところだが、また来年、ここではない遠くの方で会いましょう。
1.Loser
2.砂の惑星
3.飛燕
4.メランコリーキッチン
5.春雷
6.アイネクライネ
7.amen
8.Paper Flower
9.Undercover
10.爱丽丝
11.ピースサイン
12.TEENAGE RIOT
13.orion
14.打上花火
15.Flamingo
16.Lemon
encore
17.ごめんね
18.クランベリーとパンケーキ
19.灰色と青
Lemon
https://youtu.be/SX_ViT4Ra7k
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