憧れてきたんだ ~プロ野球選手の引退とロックバンドの解散~
- 2018/09/13
- 20:43
ツイッターのプロフィールにも書いてある通り、音楽と野球くらいしか興味があるものがないので、シーズン中は夜はだいたいプロ野球(基本的にロッテの試合で、ロッテが試合ない時は別の試合)を見ているし、休日は朝からメジャーリーグを見るという生活をしている。
そんなプロ野球界において、先日、巨人の杉内俊哉選手が現役引退を発表した。その数日前にはDeNAの後藤武敏選手、さらにその前には、現役続行を目指して独立リーグでプレーしていた村田修一選手も引退を発表した。
彼らは1998年の甲子園で松坂大輔擁する横浜高校が優勝した年に同級生だった、いわゆる松坂世代である。当時野球少年だった我々は彼らが甲子園という場所で躍動している姿に憧れながら、
「この人たちはプロ野球のどの球団に入ってどんな活躍をするんだろうか」
と想像したものである。
しかし、あの夏から20年。彼らはもう38歳になり、先にユニフォームを脱いで現役に別れを告げた同級生もたくさんいるような年齢になった。
永遠に現役のプロ野球選手でいることはできない。それはバンドが永遠には続かないもののように。
杉内や後藤が引退会見をしている姿を、自分はずっと聴いてきたロックバンドの解散と重ねていた。長い年月、全盛期もベテランになってからも、贔屓のチームでなくてもずっと見てきた選手たち。全盛期の凄さを知っているからこそ、彼らがいなくなるのは寂しいし悲しいという感情が真っ先に浮かんでくる。
ずっと続いていくものなんてない。死ぬまで現役を続けていきそうな気すらしていた山本昌は50歳で引退し、イチローも試合に出る存在ではなくなった。エレファントカシマシやスピッツは未だに終わる気がしないけれど。
野球選手の引退とバンドの解散。違うのは、野球選手には脱退も加入も再結成もない。チームという概念こそあれど、あくまで選手は「個」として存在しているから。契約を切られればそこにいられなくなる「チーム」は決して運命共同体ではない。野球をしてお金をもらう、プロ野球選手としての集合体である。(というとドライなようにも感じるが、チームプレーの大切さなちゃんと理解しているつもり)
一方、バンドには移籍もトレードもない。(脱退したり解散して違うバンドに加入することはあれど)
だからこそほとんどのバンドはファンから同じメンバーでずっと続いて欲しいと思われる。野球のように上手い人が入ればバンドが良くなるわけでもない、意志や精神が同じものを共有しているかが最も大事な、紛れもなく運命共同体だからだ。
そうした違いもあるが、プロ野球選手とバンドには共通するものもある。それは彼らの姿を見て、
「あんな選手になりたい」「あんなバンドをやりたい」
という憧れを抱かせる力である。それは野球選手やバンドだけでなく、あらゆるスポーツ選手や俳優に女優、モデルなど、人前に出る職業全般に言えることかもしれない。
Dragon Ashのkjは、リンキン・パークのチェスター・ベニントンが亡くなった直後のライブのステージで、
「ロックバンドは誰かに影響を受けて始まる。そしてそいつがまた誰かに影響を与えていく」
と、日本にヒップホップやミクスチャーロックを根付かせた革命児ですらも、音楽の大きな循環の中にいる1バンドであると口にした。
その言葉通りに、Dragon Ashに憧れた人が、Hi-STANDARDに憧れた人が、ELLEGARDENやBUMP OF CHICKENに憧れた人が今の音楽シーンにはたくさんいて、その人たちがまたさらに下の世代、客席からステージを見ている人たちの憧れになっていく。
野球選手だってそうだ。イチローや松井秀喜に憧れ、松坂大輔に憧れた少年少々がバットやグローブを手にして、今はきっと大谷翔平や田中将大が海の向こうで活躍している姿を見た人たちが彼らを追いかけていく。
つまりその循環は、引退したり解散しても、彼らのプレーや音楽は時代を超えて生き続けていくということ。きっと、どの時代に生まれても思うことだけど、同じ時代に生きてこれて本当に良かった。誰かがいなくなってしまう時に感じるその心境だけはこれからも失いたくはないし、今続けている選手やバンドはできる限り続けて欲しい。
デビューからずっと見てきた大好きなあの選手も今年で引退するかもしれないし、年上の選手はどんどん少なくなっていく。でも何事も辞めるよりも続けることの方が難しいし、自分が年齢を重ねながらも野球を続けようとする選手の姿や、傷つきながらも続けているバンドの姿に何よりも力をもらっているように、そうして続けていく姿は必ず誰かに力を与えているはずだから。
そんなプロ野球界において、先日、巨人の杉内俊哉選手が現役引退を発表した。その数日前にはDeNAの後藤武敏選手、さらにその前には、現役続行を目指して独立リーグでプレーしていた村田修一選手も引退を発表した。
彼らは1998年の甲子園で松坂大輔擁する横浜高校が優勝した年に同級生だった、いわゆる松坂世代である。当時野球少年だった我々は彼らが甲子園という場所で躍動している姿に憧れながら、
「この人たちはプロ野球のどの球団に入ってどんな活躍をするんだろうか」
と想像したものである。
しかし、あの夏から20年。彼らはもう38歳になり、先にユニフォームを脱いで現役に別れを告げた同級生もたくさんいるような年齢になった。
永遠に現役のプロ野球選手でいることはできない。それはバンドが永遠には続かないもののように。
杉内や後藤が引退会見をしている姿を、自分はずっと聴いてきたロックバンドの解散と重ねていた。長い年月、全盛期もベテランになってからも、贔屓のチームでなくてもずっと見てきた選手たち。全盛期の凄さを知っているからこそ、彼らがいなくなるのは寂しいし悲しいという感情が真っ先に浮かんでくる。
ずっと続いていくものなんてない。死ぬまで現役を続けていきそうな気すらしていた山本昌は50歳で引退し、イチローも試合に出る存在ではなくなった。エレファントカシマシやスピッツは未だに終わる気がしないけれど。
野球選手の引退とバンドの解散。違うのは、野球選手には脱退も加入も再結成もない。チームという概念こそあれど、あくまで選手は「個」として存在しているから。契約を切られればそこにいられなくなる「チーム」は決して運命共同体ではない。野球をしてお金をもらう、プロ野球選手としての集合体である。(というとドライなようにも感じるが、チームプレーの大切さなちゃんと理解しているつもり)
一方、バンドには移籍もトレードもない。(脱退したり解散して違うバンドに加入することはあれど)
だからこそほとんどのバンドはファンから同じメンバーでずっと続いて欲しいと思われる。野球のように上手い人が入ればバンドが良くなるわけでもない、意志や精神が同じものを共有しているかが最も大事な、紛れもなく運命共同体だからだ。
そうした違いもあるが、プロ野球選手とバンドには共通するものもある。それは彼らの姿を見て、
「あんな選手になりたい」「あんなバンドをやりたい」
という憧れを抱かせる力である。それは野球選手やバンドだけでなく、あらゆるスポーツ選手や俳優に女優、モデルなど、人前に出る職業全般に言えることかもしれない。
Dragon Ashのkjは、リンキン・パークのチェスター・ベニントンが亡くなった直後のライブのステージで、
「ロックバンドは誰かに影響を受けて始まる。そしてそいつがまた誰かに影響を与えていく」
と、日本にヒップホップやミクスチャーロックを根付かせた革命児ですらも、音楽の大きな循環の中にいる1バンドであると口にした。
その言葉通りに、Dragon Ashに憧れた人が、Hi-STANDARDに憧れた人が、ELLEGARDENやBUMP OF CHICKENに憧れた人が今の音楽シーンにはたくさんいて、その人たちがまたさらに下の世代、客席からステージを見ている人たちの憧れになっていく。
野球選手だってそうだ。イチローや松井秀喜に憧れ、松坂大輔に憧れた少年少々がバットやグローブを手にして、今はきっと大谷翔平や田中将大が海の向こうで活躍している姿を見た人たちが彼らを追いかけていく。
つまりその循環は、引退したり解散しても、彼らのプレーや音楽は時代を超えて生き続けていくということ。きっと、どの時代に生まれても思うことだけど、同じ時代に生きてこれて本当に良かった。誰かがいなくなってしまう時に感じるその心境だけはこれからも失いたくはないし、今続けている選手やバンドはできる限り続けて欲しい。
デビューからずっと見てきた大好きなあの選手も今年で引退するかもしれないし、年上の選手はどんどん少なくなっていく。でも何事も辞めるよりも続けることの方が難しいし、自分が年齢を重ねながらも野球を続けようとする選手の姿や、傷つきながらも続けているバンドの姿に何よりも力をもらっているように、そうして続けていく姿は必ず誰かに力を与えているはずだから。
氣志團万博 2018 ~房総爆音爆勝宣言~ day1 @袖ヶ浦海浜公園 9/15 ホーム
Mrs. GREEN APPLE ENSEMBLE TOUR ~ソワレ・ドゥ・ラ・ブリュ~ @幕張メッセ国際展示場 9/9