The band of 泣き笑い -キュウソネコカミ、ヤバイTシャツ屋さん、四星球-
- 2018/05/21
- 19:37
キュウソネコカミ、ヤバイTシャツ屋さん、四星球。自分がこの春にフェスで何度かライブを見たバンドたちである。このバンドたちには共通点がある。それは「面白いバンド」であるというイメージ。しかし、決してそれだけではない魅力がこのバンドたちにはある。それはなんなのか。
まず「面白いバンド」というイメージはフェスで初見の人を掴む上では非常に強い要素である。曲を知らなくても楽しむことができるから。しかしそれは「楽しいだけのバンド」というイメージがついてしまうという諸刃の剣でもある。そしてストイックなロックバンドのファンの人からはスルーされたり、舐められてしまうという危険性も孕んでいるし、結局は「面白さ」だけで登っていっても早々に行き詰まるのは目に見えている。
しかし、近年その3組のライブを見ていると、その「楽しい」という要素だけではないことが見えてくる。3組が共通して持っているのは「悔しい」という感情。それは彼らがやはり舐められるような経験をたくさんしてきたからこそ生じるものでもあるし、それこそが彼らをバンドに向かわせてきた最大の要因でもある。
1組ずつ見ていくと、まずキュウソネコカミは先日のVIVA LA ROCKでかつては立っていたメインステージに立てなかったこと、次に控えるマキシマム ザ ホルモンに客を取られてしまったことで、ヤマサキセイヤ(ボーカル&ギター)はその悔しさを「泣きそうになっていた」と一切隠すことなくぶつけていた。その悔しさがその日のライブをこれまでで最も感情のこもったものにしていたし、面白いだけのバンドからはまず出てこないロックバンド賛歌「The band」でその日を締めくくっている。
ヤバイTシャツ屋さんはステージではあまりそういう姿を見せない。今は常に満員の観客が押し寄せるという状況だから。しかし今年リリースされたアルバム「Galaxy of the Tank-top」収録の「サークルバンドに光を」には
「共演者には馬鹿にされていた
何が誰が正しいとか分かれへんけど
悔しい思いは忘れへんようにしような」
という歌詞がある。間違いなく、このバンドもそうした泣きそうになるような日々が今の活動の最大の原動力になっている。
そして四星球は前述2バンドよりかなりのベテランである。これまでに様々な経験もしてきて、自分たちの状況や周りのバンドたちの状況も実によくわかっているはず。しかし「コミックバンド」と自ら名乗っている通り、基本的に最も笑いの要素が強いバンドだが、そのライブの中には必ず数分だけシリアスな瞬間がある。例えば、JAPAN JAMでのライブ。このバンドの次はマキシマム ザ ホルモンだったのだが、そこで北島康雄(ボーカル)は、
「僕らもすぐこの後ホルモンのライブを見に行きます。そこで圧倒されて、悔しい思いをして。それがまた明日からもバンドをやっていく力になるんです」
と言っていた。やっていることも、規模も全く違う。しかし同じ「バンド」として、ホルモンに及んでいない現状を悔しく思っている。彼らのライブが感動の要素を含んでいるのは彼ら自身がこういう人間だからである。
「ステージに立つだけでキマっている、カッコいいバンド」ならば、わざわざそうした弱い面を口にしないのが美徳だろうし、この3バンドが本当にお笑い感覚でバンドをやっているのなら、
「いやー、どうせ僕らお笑い担当ですから」
とかなんとか言って逃げることだってできるはず。でも彼らは正面からその悔しさを口に出す。それは本当に心が強くないとできないし、彼らがステージに立つだけでカッコいいバンドになれなかった、己をさらけ出すことでロックバンドたり得ているバンドだからである。面白いのも弱さを口にするのも、全てメンバーの人間性そのもの。だから彼らの音楽には嘘や偽りや綺麗事が一切ない。ふざけているように見えるような歌詞も全てリアルで全て真実。ロックには選ばれなかったけれど、ロックを選び、そしてそれを絶対に手放そうとしなかった。だからこそ負けたりすると悔しい。その様はまるでアスリートというか、高校球児のようですらある。
そうしてロックを選んだ影には、キュウソネコカミはかつてライブでカバーしていた銀杏BOYZやフジファブリックという存在が、ヤバイTシャツ屋さんには「デカいところでやるよりもライブハウスで6daysくらいやりたい」というバンドの意志に強い影響を与えた10-FEETやロットングラフティーという存在が、四星球は「HEY! HEY! HEY! NEO!」に出演した際に叫んだバンドとしての誇りがある。
彼らの素の姿は知らないけれど、きっと普段から面白い、クラスの人気者的な存在ではないはず。(こやまとセイヤは間違いなくそうした人気者ではない)
だからこそロックに惹かれたのだろうし、だからこそ自分は彼らにシンパシーのようなものを感じているのである。
そうして、彼らの前の世代から音楽は継承され、彼らの姿を見て、さらに下の世代に音楽は継承されていく。そうやって音楽は続いていくし、彼らの通った道を通るバンドが必ず出てくる。
で、バンドが悔しさを感じるからなんなのかというと、それは我々が普段の職場や学校で感じる、「あいつに勝てない」「うまくいかない」という悔しさと全く同じものであるということ。バンドマンだって同じ人間だ。ただ彼らはその悔しさを音にし、曲にし、言葉や行動にしてたくさんの人に見せることができる。それを見た我々は日常での悔しい思いを抱えているということは、まだ上を目指している、諦めていないということであると気付く。それは彼らがそうであるように。そうやって彼らの音楽や彼らがステージに立つ姿から間違いなく力をもらうことができる。
誰もが羨むロックスターではない、ロックに選ばれなかった人間たちだからこそ、我々と同じ葛藤を抱えて生きているとわかるのである。
結局、彼らの悔しさはきっと消えることはない。日本に住む全ての人たちが彼らの音楽を聴くようにはならない。でもだからこそ彼らはその悔しさをバネにしてこれからも曲やパフォーマンスに昇華していくのだろうし、「舐められている」というイメージとずっと戦っていくのだろう。
こうして書いても3バンドを聴かない人は聴かないし、イメージが変わることがない人の方が多いだろう。そこで「聴かないのは損してる!」なんて言うつもりはない。聴くのも聴かないのもその人の自由だから。でも少しでもロックバンドの熱さに心を動かされた経験がある人なら、彼らのライブを見て絶対に感じるものがあるはず。
そう、ライブ。音源もいいけど、やっぱりライブなのだ。それはなぜかというと、
「音源じゃ伝わりきらない 細かい感動がそこにはあるからだ!!!」
Next→ 5/25 Base Ball Bear @渋谷CLUB QUATTRO
まず「面白いバンド」というイメージはフェスで初見の人を掴む上では非常に強い要素である。曲を知らなくても楽しむことができるから。しかしそれは「楽しいだけのバンド」というイメージがついてしまうという諸刃の剣でもある。そしてストイックなロックバンドのファンの人からはスルーされたり、舐められてしまうという危険性も孕んでいるし、結局は「面白さ」だけで登っていっても早々に行き詰まるのは目に見えている。
しかし、近年その3組のライブを見ていると、その「楽しい」という要素だけではないことが見えてくる。3組が共通して持っているのは「悔しい」という感情。それは彼らがやはり舐められるような経験をたくさんしてきたからこそ生じるものでもあるし、それこそが彼らをバンドに向かわせてきた最大の要因でもある。
1組ずつ見ていくと、まずキュウソネコカミは先日のVIVA LA ROCKでかつては立っていたメインステージに立てなかったこと、次に控えるマキシマム ザ ホルモンに客を取られてしまったことで、ヤマサキセイヤ(ボーカル&ギター)はその悔しさを「泣きそうになっていた」と一切隠すことなくぶつけていた。その悔しさがその日のライブをこれまでで最も感情のこもったものにしていたし、面白いだけのバンドからはまず出てこないロックバンド賛歌「The band」でその日を締めくくっている。
ヤバイTシャツ屋さんはステージではあまりそういう姿を見せない。今は常に満員の観客が押し寄せるという状況だから。しかし今年リリースされたアルバム「Galaxy of the Tank-top」収録の「サークルバンドに光を」には
「共演者には馬鹿にされていた
何が誰が正しいとか分かれへんけど
悔しい思いは忘れへんようにしような」
という歌詞がある。間違いなく、このバンドもそうした泣きそうになるような日々が今の活動の最大の原動力になっている。
そして四星球は前述2バンドよりかなりのベテランである。これまでに様々な経験もしてきて、自分たちの状況や周りのバンドたちの状況も実によくわかっているはず。しかし「コミックバンド」と自ら名乗っている通り、基本的に最も笑いの要素が強いバンドだが、そのライブの中には必ず数分だけシリアスな瞬間がある。例えば、JAPAN JAMでのライブ。このバンドの次はマキシマム ザ ホルモンだったのだが、そこで北島康雄(ボーカル)は、
「僕らもすぐこの後ホルモンのライブを見に行きます。そこで圧倒されて、悔しい思いをして。それがまた明日からもバンドをやっていく力になるんです」
と言っていた。やっていることも、規模も全く違う。しかし同じ「バンド」として、ホルモンに及んでいない現状を悔しく思っている。彼らのライブが感動の要素を含んでいるのは彼ら自身がこういう人間だからである。
「ステージに立つだけでキマっている、カッコいいバンド」ならば、わざわざそうした弱い面を口にしないのが美徳だろうし、この3バンドが本当にお笑い感覚でバンドをやっているのなら、
「いやー、どうせ僕らお笑い担当ですから」
とかなんとか言って逃げることだってできるはず。でも彼らは正面からその悔しさを口に出す。それは本当に心が強くないとできないし、彼らがステージに立つだけでカッコいいバンドになれなかった、己をさらけ出すことでロックバンドたり得ているバンドだからである。面白いのも弱さを口にするのも、全てメンバーの人間性そのもの。だから彼らの音楽には嘘や偽りや綺麗事が一切ない。ふざけているように見えるような歌詞も全てリアルで全て真実。ロックには選ばれなかったけれど、ロックを選び、そしてそれを絶対に手放そうとしなかった。だからこそ負けたりすると悔しい。その様はまるでアスリートというか、高校球児のようですらある。
そうしてロックを選んだ影には、キュウソネコカミはかつてライブでカバーしていた銀杏BOYZやフジファブリックという存在が、ヤバイTシャツ屋さんには「デカいところでやるよりもライブハウスで6daysくらいやりたい」というバンドの意志に強い影響を与えた10-FEETやロットングラフティーという存在が、四星球は「HEY! HEY! HEY! NEO!」に出演した際に叫んだバンドとしての誇りがある。
彼らの素の姿は知らないけれど、きっと普段から面白い、クラスの人気者的な存在ではないはず。(こやまとセイヤは間違いなくそうした人気者ではない)
だからこそロックに惹かれたのだろうし、だからこそ自分は彼らにシンパシーのようなものを感じているのである。
そうして、彼らの前の世代から音楽は継承され、彼らの姿を見て、さらに下の世代に音楽は継承されていく。そうやって音楽は続いていくし、彼らの通った道を通るバンドが必ず出てくる。
で、バンドが悔しさを感じるからなんなのかというと、それは我々が普段の職場や学校で感じる、「あいつに勝てない」「うまくいかない」という悔しさと全く同じものであるということ。バンドマンだって同じ人間だ。ただ彼らはその悔しさを音にし、曲にし、言葉や行動にしてたくさんの人に見せることができる。それを見た我々は日常での悔しい思いを抱えているということは、まだ上を目指している、諦めていないということであると気付く。それは彼らがそうであるように。そうやって彼らの音楽や彼らがステージに立つ姿から間違いなく力をもらうことができる。
誰もが羨むロックスターではない、ロックに選ばれなかった人間たちだからこそ、我々と同じ葛藤を抱えて生きているとわかるのである。
結局、彼らの悔しさはきっと消えることはない。日本に住む全ての人たちが彼らの音楽を聴くようにはならない。でもだからこそ彼らはその悔しさをバネにしてこれからも曲やパフォーマンスに昇華していくのだろうし、「舐められている」というイメージとずっと戦っていくのだろう。
こうして書いても3バンドを聴かない人は聴かないし、イメージが変わることがない人の方が多いだろう。そこで「聴かないのは損してる!」なんて言うつもりはない。聴くのも聴かないのもその人の自由だから。でも少しでもロックバンドの熱さに心を動かされた経験がある人なら、彼らのライブを見て絶対に感じるものがあるはず。
そう、ライブ。音源もいいけど、やっぱりライブなのだ。それはなぜかというと、
「音源じゃ伝わりきらない 細かい感動がそこにはあるからだ!!!」
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