It's time for a ride 音楽で生きるということ -ELLEGARDEN復活-
- 2018/05/10
- 20:51
自分が音楽、とりわけロックに目覚めたきっかけはGOING STEADYだったのだが、それ以外、それ以降にも「音楽で人生が変わった」と思ったタイミングがある。思った、というか実際に変わったんだけど。
まだネットで音楽が聴けなかった時代。我々音楽好きの学生は地上波の音楽番組を見るくらいしか、未知の音楽を聴ける時間がなかった。ゴールデンタイムで放送していたミュージックステーション、HEY! HEY! HEY!、うたばんなど。そんな中、土曜日の深夜にCDTVというチャート番組がやっていた。高校生の頃、GOING STEADYを初めて知ったのも、CDTVのシングルランキングの50位ギリギリにGOING STEADYの「東京少年」がランクインしたことによってテレビで流れた一瞬のサビだった。それからアルバム「さくらの唄」を買い、パンクばっかり聴くようになった。
2003年、相変わらず夜更かししながらそのCDTVを見ていると、エンディングテーマにやたらとギターの音がかっこいい、当時の青春パンクバンドとは全く違う、だけど日本語で歌うパンクバンドのようなバンドの曲が流れた。
「ジターバグ / ELLEGARDEN」
と出ていた。ELLEGARDENと出会った瞬間だった。
それから読んでいた青春パンク系雑誌にもELLEGARDENは登場するようになり、「Pepperoni Quattro」をリリースした頃にはその雑誌のエース的な存在になっており、細美武士は「細美武士の変な汁出た?」というかなりギリギリなタイトルの連載まで持つようになっていた。
その後、すでにフェスの小さいステージに出演し、期待の若手バンドの筆頭格になっていたELLEGARDENは2005年にリリースされた「RIOT ON THE GRILL」で一気にその存在を世に知らしめるようになる。オリコン初登場3位というセールスを記録し、大学の同級生や先輩、後輩もみんなELLEGARDENを聴くようになっていた。GOING STEADYを高校の時に同級生に勧めまくっていた時は、CDを貸してもそこまでいいリアクションは返ってこなかった。だがELLEGARDENは本当にみんな気に入ってくれた。
それはさらにELLEGARDENという存在が大きくなっていったことのリアルな姿でもあったのだが、フェスでもメインステージが満員になるようになったにもかかわらず、ツアーはいつもライブハウスで、もうこの辺りではチケットは全く取れなくなっていたし、結果的に現状最後のオリジナルアルバムである「ELEVEN FIRE CRACKERS」とその後に見たライブでは、かつてのような弾ける笑顔がステージから見えなくなってしまったように思う。バンドの状況に自分たちの精神が追いついていなかったのか。インタビューでもこんがらがったような思考がそのまま出るようになっていたように思う。
そして2008年にELLEGARDENが突然活動休止を発表した時、自分は完全なるブラック企業に就職してしまっていた。大学時代に年間50本は見に行っていたライブは年間3本にまで減っていた。怒髪天「労働CALLING」そのままのような生活だった。あまりの疲労っぷりに休みの日もライブに行く力がなかった。でも、社会人になること、大人になることというのはこういうものだと思っていた。かつて一緒にELLEGARDENを聴いていた先輩や同級生も、みんなそういう生活をしていたから。音楽が生活から、人生から離れていく。そんな実感すらないままに会社に寝泊まりしながら仕事をしていた。
しかし自分が初めて足を運んだフェスである、ROCK IN JAPAN FES.。日曜日だけなら行けるな。翌日倒れるかもしれないけど。という思いで参加した2008年。その日の大トリは、活動休止を発表した直後のELLEGARDENだった。
今でもその姿を鮮明に覚えている。いきなり金髪になっていた細美武士。終わりの始まりを鳴らした、生形の「Pizza Man」のイントロのリフ。続出するダイバー(当時はまだダイブが禁止されていなかった)、どんどん大きくなるサークルモッシュ。最後のワンマンに行けるはずもなく、自分が最後にこの目で見たELLEGARDENのライブは本当に一瞬だった。
本編で全く思いを口にしなかった細美は、アンコールでついに口を開いた。
「俺たちがLAKE STAGEのトリをやったのっていつだっけ?…2005年か。あの時、あの景色を見て、俺は世の中は変わるって思った。でも、今にいたるまで、世の中はなんも変わらなかった。俺たちがJAPANのフェスに出ることも当分ない…
けど、お前たちみたいな、音楽ヒッピーみたいな奴らがもっと増えたら、世の中はもっと良くなる気がする!」
その言葉で気付いた。自分はなんのために生きているのか。こういう景色が見たくて、何よりも音楽が好きで生きてきたんじゃなかったのか。それがもしも一般的な安定やら、普通の人の人生とは違うものであっても。
「ねぇこの夜が終わる頃 僕らも消えていく」
まるでこの瞬間が来ることを予見していたかのような「金星」を最後に鳴らした…かと思いきや、細美がメンバーを集める。
「もう1曲だけやっていい!?湿っぽく終わるのって俺たちらしくないよね!」
そう言って最後に鳴らされたのは、自分がELLEGARDENと出会ったアルバムに入っていた「Surfrider Association」だった。
「It's time for a ride The tide is getting high」
その歌詞を聴いた瞬間、
「もう辞めよう」
と決意した。決してステージに立ったり、音楽で収入を得ることだけが、音楽で生きるということではない。ただ生活や人生の中心に音楽があって、音楽のために生きるということ。それこそが音楽で生きる、音楽ヒッピーの人生であると細美武士の言葉で悟ったのだ。
辞めた後、年間100本を超えるくらいにライブに行くようになった。自分が人生に迷った時、今の人生が揺らぎそうになった時、いつもあの時の細美武士の言葉を思い出す。それこそが、いつも自分を音楽に向かわせてくれている。
とはいえ、ELLEGARDENの復活を待っていたか、と言われると、ずっと待ってたという人ほど強く信じていたわけではない。the HIATUS、MONOEYES、Nothing's Carved In Stone、MEANING、Scars Borough…。ELLEGARDEN休止後にメンバーが始めた、ELLEGARDENとは全く異なる音楽性のバンドたち。その姿は、本当にやりたい音楽をやりたいようにやっていると感じさせた。それを止めてまで、ELLEGARDENを望んでしまっていいのだろうか。そうした思いがあったから、細美武士の弾き語りでELLEGARDENの曲を聴いても、「これは弾き語りだから」と期待を膨らませるようなことはしなかった。
しかし、今日のELLEGARDEN復活のニュース。あの日のことを思い出した。ELLEGARDENの曲を久しぶりに聴いた。やっぱりずっと見たかったんだ。心の奥底では、あの曲たちをまたライブで聴きたかったという思いが確かにあった。
音楽ヒッピーの生き方を選んでから出会えた音楽、見れたライブ、そこで出会った人々。それはELLEGARDENという存在がなければ絶対に得ることができなかったもの。それがあることで自分の人生がどれだけ楽しくて幸せなものになっているか。
きっと、今日こうしたことを書いている人は日本にたくさんいるだろう。それくらい、ELLEGARDENは我々にとって特別なバンドだったのだ。
生きていたら辛いことがたくさんある。音楽だけに限ってもたくさんの別れもあるし、確かにELLEGARDENの活動休止もまたそうした感情を味わうことになった。
でも生きていたら、嬉しいこともたくさんある。こうしてELLEGARDENが帰ってくるというニュースを見れること。その喜びをたくさんの人たちと分け合えること。そしてまたライブをこの目で見れるということ。その時には、今とは比べものにならないくらいに、ここまで生きてこれたこと、音楽を聴き続ける人生を選ばせてくれたことに感謝しているはずだ。
Next→ 5/11 クリープハイプ @日本武道館
まだネットで音楽が聴けなかった時代。我々音楽好きの学生は地上波の音楽番組を見るくらいしか、未知の音楽を聴ける時間がなかった。ゴールデンタイムで放送していたミュージックステーション、HEY! HEY! HEY!、うたばんなど。そんな中、土曜日の深夜にCDTVというチャート番組がやっていた。高校生の頃、GOING STEADYを初めて知ったのも、CDTVのシングルランキングの50位ギリギリにGOING STEADYの「東京少年」がランクインしたことによってテレビで流れた一瞬のサビだった。それからアルバム「さくらの唄」を買い、パンクばっかり聴くようになった。
2003年、相変わらず夜更かししながらそのCDTVを見ていると、エンディングテーマにやたらとギターの音がかっこいい、当時の青春パンクバンドとは全く違う、だけど日本語で歌うパンクバンドのようなバンドの曲が流れた。
「ジターバグ / ELLEGARDEN」
と出ていた。ELLEGARDENと出会った瞬間だった。
それから読んでいた青春パンク系雑誌にもELLEGARDENは登場するようになり、「Pepperoni Quattro」をリリースした頃にはその雑誌のエース的な存在になっており、細美武士は「細美武士の変な汁出た?」というかなりギリギリなタイトルの連載まで持つようになっていた。
その後、すでにフェスの小さいステージに出演し、期待の若手バンドの筆頭格になっていたELLEGARDENは2005年にリリースされた「RIOT ON THE GRILL」で一気にその存在を世に知らしめるようになる。オリコン初登場3位というセールスを記録し、大学の同級生や先輩、後輩もみんなELLEGARDENを聴くようになっていた。GOING STEADYを高校の時に同級生に勧めまくっていた時は、CDを貸してもそこまでいいリアクションは返ってこなかった。だがELLEGARDENは本当にみんな気に入ってくれた。
それはさらにELLEGARDENという存在が大きくなっていったことのリアルな姿でもあったのだが、フェスでもメインステージが満員になるようになったにもかかわらず、ツアーはいつもライブハウスで、もうこの辺りではチケットは全く取れなくなっていたし、結果的に現状最後のオリジナルアルバムである「ELEVEN FIRE CRACKERS」とその後に見たライブでは、かつてのような弾ける笑顔がステージから見えなくなってしまったように思う。バンドの状況に自分たちの精神が追いついていなかったのか。インタビューでもこんがらがったような思考がそのまま出るようになっていたように思う。
そして2008年にELLEGARDENが突然活動休止を発表した時、自分は完全なるブラック企業に就職してしまっていた。大学時代に年間50本は見に行っていたライブは年間3本にまで減っていた。怒髪天「労働CALLING」そのままのような生活だった。あまりの疲労っぷりに休みの日もライブに行く力がなかった。でも、社会人になること、大人になることというのはこういうものだと思っていた。かつて一緒にELLEGARDENを聴いていた先輩や同級生も、みんなそういう生活をしていたから。音楽が生活から、人生から離れていく。そんな実感すらないままに会社に寝泊まりしながら仕事をしていた。
しかし自分が初めて足を運んだフェスである、ROCK IN JAPAN FES.。日曜日だけなら行けるな。翌日倒れるかもしれないけど。という思いで参加した2008年。その日の大トリは、活動休止を発表した直後のELLEGARDENだった。
今でもその姿を鮮明に覚えている。いきなり金髪になっていた細美武士。終わりの始まりを鳴らした、生形の「Pizza Man」のイントロのリフ。続出するダイバー(当時はまだダイブが禁止されていなかった)、どんどん大きくなるサークルモッシュ。最後のワンマンに行けるはずもなく、自分が最後にこの目で見たELLEGARDENのライブは本当に一瞬だった。
本編で全く思いを口にしなかった細美は、アンコールでついに口を開いた。
「俺たちがLAKE STAGEのトリをやったのっていつだっけ?…2005年か。あの時、あの景色を見て、俺は世の中は変わるって思った。でも、今にいたるまで、世の中はなんも変わらなかった。俺たちがJAPANのフェスに出ることも当分ない…
けど、お前たちみたいな、音楽ヒッピーみたいな奴らがもっと増えたら、世の中はもっと良くなる気がする!」
その言葉で気付いた。自分はなんのために生きているのか。こういう景色が見たくて、何よりも音楽が好きで生きてきたんじゃなかったのか。それがもしも一般的な安定やら、普通の人の人生とは違うものであっても。
「ねぇこの夜が終わる頃 僕らも消えていく」
まるでこの瞬間が来ることを予見していたかのような「金星」を最後に鳴らした…かと思いきや、細美がメンバーを集める。
「もう1曲だけやっていい!?湿っぽく終わるのって俺たちらしくないよね!」
そう言って最後に鳴らされたのは、自分がELLEGARDENと出会ったアルバムに入っていた「Surfrider Association」だった。
「It's time for a ride The tide is getting high」
その歌詞を聴いた瞬間、
「もう辞めよう」
と決意した。決してステージに立ったり、音楽で収入を得ることだけが、音楽で生きるということではない。ただ生活や人生の中心に音楽があって、音楽のために生きるということ。それこそが音楽で生きる、音楽ヒッピーの人生であると細美武士の言葉で悟ったのだ。
辞めた後、年間100本を超えるくらいにライブに行くようになった。自分が人生に迷った時、今の人生が揺らぎそうになった時、いつもあの時の細美武士の言葉を思い出す。それこそが、いつも自分を音楽に向かわせてくれている。
とはいえ、ELLEGARDENの復活を待っていたか、と言われると、ずっと待ってたという人ほど強く信じていたわけではない。the HIATUS、MONOEYES、Nothing's Carved In Stone、MEANING、Scars Borough…。ELLEGARDEN休止後にメンバーが始めた、ELLEGARDENとは全く異なる音楽性のバンドたち。その姿は、本当にやりたい音楽をやりたいようにやっていると感じさせた。それを止めてまで、ELLEGARDENを望んでしまっていいのだろうか。そうした思いがあったから、細美武士の弾き語りでELLEGARDENの曲を聴いても、「これは弾き語りだから」と期待を膨らませるようなことはしなかった。
しかし、今日のELLEGARDEN復活のニュース。あの日のことを思い出した。ELLEGARDENの曲を久しぶりに聴いた。やっぱりずっと見たかったんだ。心の奥底では、あの曲たちをまたライブで聴きたかったという思いが確かにあった。
音楽ヒッピーの生き方を選んでから出会えた音楽、見れたライブ、そこで出会った人々。それはELLEGARDENという存在がなければ絶対に得ることができなかったもの。それがあることで自分の人生がどれだけ楽しくて幸せなものになっているか。
きっと、今日こうしたことを書いている人は日本にたくさんいるだろう。それくらい、ELLEGARDENは我々にとって特別なバンドだったのだ。
生きていたら辛いことがたくさんある。音楽だけに限ってもたくさんの別れもあるし、確かにELLEGARDENの活動休止もまたそうした感情を味わうことになった。
でも生きていたら、嬉しいこともたくさんある。こうしてELLEGARDENが帰ってくるというニュースを見れること。その喜びをたくさんの人たちと分け合えること。そしてまたライブをこの目で見れるということ。その時には、今とは比べものにならないくらいに、ここまで生きてこれたこと、音楽を聴き続ける人生を選ばせてくれたことに感謝しているはずだ。
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