amazarashi Live Tour 2018 「地方都市のメメント・モリ」 @Zepp DiverCity Tokyo 4/20
- 2018/04/21
- 02:00
昨年末にリリースされた、amazarashiのアルバム「地方都市のメメント・モリ」は2017年のラスボス的なボリュームと重さを備えた作品だった。
リリース後にはCOUNTDOWN JAPAN 17/18のステージにて収録曲をライブ初披露し、今年は同じ空気を纏う女性シンガー・Aimerと2マンツアーを行ったが、この日からいよいよ「地方都市のメメント・モリ」のリリースツアーが開幕。近年は座席のあるホールがメインのライブ会場であったが、今回のツアーは全てライブハウスとなる。
19時ちょっと過ぎ、すでにステージにはおなじみの紗幕が張られている中、場内が暗転した瞬間、紗幕にはバンドロゴが映し出され、その奥にすでに立っているメンバーたちが音を出し、「地方都市のメメント・モリ」のオープニング曲である「ワードプロセッサー」でスタート。紗幕にはまさに「ワードプロセッサー」というように次々に曲の歌詞が映し出されるが、この暗転からの一瞬のスタートは何度見てもスリリングである。
「この旅路は距離にして9000km、年月にして11年。青森から来ました、amazarashiです!」
と秋田ひろむがこれまでのamazarashiとしての道のりとともに挨拶をすると、歌詞に「理論武装」というフレーズが出てくる通りに昨年アルバムリリース前に舞浜で行われた、秋田の弾き語り公演「理論武装解除」でも大事な位置を担った「空洞空洞」でバンドとしての演奏は力強さを増していく。紗幕の向こう側で他のアーティストのサポート時と同じように激しく体を揺らしながらギターを弾く井手上誠(ケラケラ、黒木渚など)の存在感は音の面でも視覚的な面でも非常に強い。
缶コーヒーのCMで大量オンエアされている「フィロソフィー」では今回のライブには豊川真奈美が参加していないことにより、コーラスが打ち込みになっていることに一抹の寂しさと物足りなさを感じてしまうあたり、近年のamazarashiの曲で彼女が担っているものが非常に大きいということを感じさせる。
「地方都市のメメント・モリ」の「地方都市」という部分、日常の生活、普段我々が暮らしている街にフォーカスを当てたポエトリーリーディングを挟んで演奏されたのは、まるで今回のアルバムに入っていてもおかしくないような過去曲「この街で生きている」。様々な街の風景が映し出される映像を見ていると(それはとかく田舎と呼ばれがちな場所たち)、自分が暮らしている街、暮らしたことがある街、馴染みがある街、自分の大切な人たちが暮らしている街のことを思い出してしまう。
TOKYO DOME CITY HALLでの「スターライト」や幕張メッセイベントホールでの「虚無病」など、コンセプトがあるライブの時はもちろんだが、amazarashiのワンマンではこうして過去の曲が新作の間に挟まれて演奏されることによって、まるで新作のアルバムのライブのために作られた曲なんじゃないかとすら思ってしまう。そう思うのはamazarashiの曲の一つ一つに明確なストーリーとメッセージがあるから。だからこの日のライブでは歌詞を全面的に映像で映し出していたのも納得である。
その歌詞が手書き文字で映し出されることにより、より一層体温や温もりを感じさせた「たられば」の後に早くも演奏されたのは、ツアー前に配信された最新曲「月曜日」。歌詞からも、映し出された映像からも、テーマとしては月曜日が憂鬱な学生のための曲のようだが、とっくに学生ではなくなった自分にも強く響くあたり、それは学生たちと同じように月曜日を迎えるのを憂鬱に感じる社会人にも当てはまるはず。ましてやこうして好きなアーティストのライブを見た週末の次の月曜日ならなおさら。
するとここで演奏されたのは、amazarashiというアーティストの凄まじさを世に知らしめたアルバム「千年幸福論」のラストを飾っていた「未来づくり」。「この街で生きている」しかりこの曲しかり、過去のアルバムの世界を完結させてきた曲たちがこの前半で演奏されていくという構成には実に驚くが、それすらも「地方都市のメメント・モリ」のストーリーの一部として語られていく。
「僕は精一杯僕を肯定するよ
ただ僕を信じてくれたあなたを 肯定する為に」
というフレーズは、「千年幸福論」以前はひたすらに孤独と向き合うためのものだと思っていたamazarashiの音楽が、実は大切な人や大切なものと向き合うためのものであると認識させてくれたことを今でも実感させてくれる。だからこうしてリリースから数年後に聴いても涙が出そうになる。
ここまでは歌詞が映し出されていた演出とは一変し、紗幕には「嘘を吐き出す人間」と「その嘘を喰らって巨大化するバケモノ(人間)」という映像が映し出された「バケモノ」、さらに初期曲であるにもかかわらず通ずるおどろおどろしさを感じる「ムカデ」で空気が一変。この辺りはamazarashiの別の持ち味の一つである。
すると秋田がそれまで弾いていたギターを置いて歌唱だけに専念する、季節的には全くの時期外れであるが、ライブトータルで見ると「春夏秋冬」という「起承転結」がついているような気がしないでもない「冬が来る前に」からの村上春樹の影響を感じさせる「ハルキオンザロード」で再びamazarashiの持つ言葉の力の強さに向き合わされ、しばしのインターバルを置いた後に青空の映像がクライマックスへ向かっていく「空に歌えば」へ。曲途中にリアルタイムでのバンドの演奏や客席の様子(立ち上がった状態で体を揺らしたり腕を上げたりしている様子も)が映るというライブハウスならではの演出もあったが、やはりこの曲でも、というよりこの曲だからこそ豊川の不在による打ち込みのコーラスがどこか物足りなく感じてしまう。
秋田の朗読からつながるようにして、一転してこの会場が巨大な水槽の中であるかのような錯覚に陥る「水槽」の
「地元のラジオから流れるスタジアムロックが~」
というフレーズから、まさにOasisらを彷彿とさせる、スタジアムロックかと思うような重厚なバンドサウンドが前面に表出し、美しい映像とは裏腹に、かつて自分の見ている世界を変えたバンドが「You & I vs the World」という曲を作ったように、世相や社会に流されずに世界と対峙していくという秋田の姿勢を打ち出した、アルバムのラストナンバー「ぼくら対せかい」がクライマックスのごとくにこの会場を掌握していく。
しかしながらまだライブは終わるわけもなく、「多数決」からはまるでラウドロックバンドかと思うような重厚なサウンドが会場を支配していく。それでも決してライブの楽しみ方としてはフィジカル重視にならず、歌詞を深く体と心に染み込ませながら浸っていられるのはamazarashiだからこそ。
とはいえ、前半はツアー初日だからこその、曲の入りや歌唱面で不安定さも覗かせていた秋田がこの終盤ではまさに絶唱と言っていいような鬼気迫る歌唱を見せる。それもまたライブハウスだからこその距離の近いエモーションが宿っていたからかもしれないが、
「心さえ 心さえ 心さえ なかったなら」
というフレーズはまさに「命にふさわしい」くらいの響きっぷりであった。
そして、
「あと2曲でamazarashiのライブは終わりますが、わいもあなたたちも明日から始まる日常に、今日のライブが、amazarashiの音楽が支えになってくれたら、そんなに嬉しいことは他にないです」
と、ストーリーでもフィクションでもなく、正面からこうして会場に足を運んでくれたファンへ感謝の言葉を秋田はぶつけた。それは今までのどのamazarashiのライブよりもリアルに、秋田にとっての大切なものに、我々ファンがなれている、という確信を抱かせるものであった。
そんな言葉の後に演奏されたのは、弾き語りライブで披露された時点で、「なんでamazarashiはスタイルを大きく変えることなく、こうして素晴らしい曲を次々に生み出せるんだろうか」と思わされた「悲しみ一つも残さないで」。
そしてラストはやはり「スターライト」。ワンマンではもはやおなじみの締めであるが、この曲がこうして最後に演奏されて、美しい照明と銀河の映像を見ながらこの曲を聴いていると、ただ闇雲に「頑張れ」と言われるよりもはるかに明日以降への活力や生きていくための力が湧いて来る。それはこの曲がこれまでに作り上げてきた景色がそう思わせるのかもしれないが、そう思えるのならば毎回この曲を最後に聴くのは決して飽きることでも、悪いことでもない。
歌い終わった秋田はメンバーの放つ音が反響する中で、
「言いたいことは全て曲にして歌ってきましたが、最後に一つだけ…。ありがとうございました!また必ず生きて、この街で、この世界のどこかで会いましょう!」
と、かつて「負け組の音楽」と形容されたとは思えないくらいに前を向いて、我々との再会を約束した。決してライブの本数が多いわけではないamazarashiだからこそ、それを頼りにして生きていける。
ツアー初日ならではの未完成な部分もあったが、それも含めて秋田ひろむという人間のぬくもりを感じることができた一夜だった。
音像こそラウドではあるが、全く踊れない、はしゃげない、騒げない音楽。だがライブの後に心に芽生える満足感は、他のそうしたフィジカルに楽しむバンドに全く負けていないし、こうしてライブの場でも歌詞をじっくり噛み締めながらライブを見ると、言葉にはまだまだ新しい可能性があると思える。
果たして、もはやホームとでも言うような中野サンプラザでの追加公演ではどんな世界を提示して、どんな気持ちを我々に抱かせてくれるのだろうか。
1.ワードプロセッサー
2.空洞空洞
3.フィロソフィー
4.この街で生きている
5.たられば
6.月曜日
7.未来づくり
8.バケモノ
9.ムカデ
10.冬が来る前に
11.ハルキオンザロード
12.空に歌えば
13.水槽
14.ぼくら対せかい
15.多数決
16.命にふさわしい
17.悲しみ一つも残さないで
18.スターライト
フィロソフィー
https://youtu.be/Bg_UIwjYnMQ
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リリース後にはCOUNTDOWN JAPAN 17/18のステージにて収録曲をライブ初披露し、今年は同じ空気を纏う女性シンガー・Aimerと2マンツアーを行ったが、この日からいよいよ「地方都市のメメント・モリ」のリリースツアーが開幕。近年は座席のあるホールがメインのライブ会場であったが、今回のツアーは全てライブハウスとなる。
19時ちょっと過ぎ、すでにステージにはおなじみの紗幕が張られている中、場内が暗転した瞬間、紗幕にはバンドロゴが映し出され、その奥にすでに立っているメンバーたちが音を出し、「地方都市のメメント・モリ」のオープニング曲である「ワードプロセッサー」でスタート。紗幕にはまさに「ワードプロセッサー」というように次々に曲の歌詞が映し出されるが、この暗転からの一瞬のスタートは何度見てもスリリングである。
「この旅路は距離にして9000km、年月にして11年。青森から来ました、amazarashiです!」
と秋田ひろむがこれまでのamazarashiとしての道のりとともに挨拶をすると、歌詞に「理論武装」というフレーズが出てくる通りに昨年アルバムリリース前に舞浜で行われた、秋田の弾き語り公演「理論武装解除」でも大事な位置を担った「空洞空洞」でバンドとしての演奏は力強さを増していく。紗幕の向こう側で他のアーティストのサポート時と同じように激しく体を揺らしながらギターを弾く井手上誠(ケラケラ、黒木渚など)の存在感は音の面でも視覚的な面でも非常に強い。
缶コーヒーのCMで大量オンエアされている「フィロソフィー」では今回のライブには豊川真奈美が参加していないことにより、コーラスが打ち込みになっていることに一抹の寂しさと物足りなさを感じてしまうあたり、近年のamazarashiの曲で彼女が担っているものが非常に大きいということを感じさせる。
「地方都市のメメント・モリ」の「地方都市」という部分、日常の生活、普段我々が暮らしている街にフォーカスを当てたポエトリーリーディングを挟んで演奏されたのは、まるで今回のアルバムに入っていてもおかしくないような過去曲「この街で生きている」。様々な街の風景が映し出される映像を見ていると(それはとかく田舎と呼ばれがちな場所たち)、自分が暮らしている街、暮らしたことがある街、馴染みがある街、自分の大切な人たちが暮らしている街のことを思い出してしまう。
TOKYO DOME CITY HALLでの「スターライト」や幕張メッセイベントホールでの「虚無病」など、コンセプトがあるライブの時はもちろんだが、amazarashiのワンマンではこうして過去の曲が新作の間に挟まれて演奏されることによって、まるで新作のアルバムのライブのために作られた曲なんじゃないかとすら思ってしまう。そう思うのはamazarashiの曲の一つ一つに明確なストーリーとメッセージがあるから。だからこの日のライブでは歌詞を全面的に映像で映し出していたのも納得である。
その歌詞が手書き文字で映し出されることにより、より一層体温や温もりを感じさせた「たられば」の後に早くも演奏されたのは、ツアー前に配信された最新曲「月曜日」。歌詞からも、映し出された映像からも、テーマとしては月曜日が憂鬱な学生のための曲のようだが、とっくに学生ではなくなった自分にも強く響くあたり、それは学生たちと同じように月曜日を迎えるのを憂鬱に感じる社会人にも当てはまるはず。ましてやこうして好きなアーティストのライブを見た週末の次の月曜日ならなおさら。
するとここで演奏されたのは、amazarashiというアーティストの凄まじさを世に知らしめたアルバム「千年幸福論」のラストを飾っていた「未来づくり」。「この街で生きている」しかりこの曲しかり、過去のアルバムの世界を完結させてきた曲たちがこの前半で演奏されていくという構成には実に驚くが、それすらも「地方都市のメメント・モリ」のストーリーの一部として語られていく。
「僕は精一杯僕を肯定するよ
ただ僕を信じてくれたあなたを 肯定する為に」
というフレーズは、「千年幸福論」以前はひたすらに孤独と向き合うためのものだと思っていたamazarashiの音楽が、実は大切な人や大切なものと向き合うためのものであると認識させてくれたことを今でも実感させてくれる。だからこうしてリリースから数年後に聴いても涙が出そうになる。
ここまでは歌詞が映し出されていた演出とは一変し、紗幕には「嘘を吐き出す人間」と「その嘘を喰らって巨大化するバケモノ(人間)」という映像が映し出された「バケモノ」、さらに初期曲であるにもかかわらず通ずるおどろおどろしさを感じる「ムカデ」で空気が一変。この辺りはamazarashiの別の持ち味の一つである。
すると秋田がそれまで弾いていたギターを置いて歌唱だけに専念する、季節的には全くの時期外れであるが、ライブトータルで見ると「春夏秋冬」という「起承転結」がついているような気がしないでもない「冬が来る前に」からの村上春樹の影響を感じさせる「ハルキオンザロード」で再びamazarashiの持つ言葉の力の強さに向き合わされ、しばしのインターバルを置いた後に青空の映像がクライマックスへ向かっていく「空に歌えば」へ。曲途中にリアルタイムでのバンドの演奏や客席の様子(立ち上がった状態で体を揺らしたり腕を上げたりしている様子も)が映るというライブハウスならではの演出もあったが、やはりこの曲でも、というよりこの曲だからこそ豊川の不在による打ち込みのコーラスがどこか物足りなく感じてしまう。
秋田の朗読からつながるようにして、一転してこの会場が巨大な水槽の中であるかのような錯覚に陥る「水槽」の
「地元のラジオから流れるスタジアムロックが~」
というフレーズから、まさにOasisらを彷彿とさせる、スタジアムロックかと思うような重厚なバンドサウンドが前面に表出し、美しい映像とは裏腹に、かつて自分の見ている世界を変えたバンドが「You & I vs the World」という曲を作ったように、世相や社会に流されずに世界と対峙していくという秋田の姿勢を打ち出した、アルバムのラストナンバー「ぼくら対せかい」がクライマックスのごとくにこの会場を掌握していく。
しかしながらまだライブは終わるわけもなく、「多数決」からはまるでラウドロックバンドかと思うような重厚なサウンドが会場を支配していく。それでも決してライブの楽しみ方としてはフィジカル重視にならず、歌詞を深く体と心に染み込ませながら浸っていられるのはamazarashiだからこそ。
とはいえ、前半はツアー初日だからこその、曲の入りや歌唱面で不安定さも覗かせていた秋田がこの終盤ではまさに絶唱と言っていいような鬼気迫る歌唱を見せる。それもまたライブハウスだからこその距離の近いエモーションが宿っていたからかもしれないが、
「心さえ 心さえ 心さえ なかったなら」
というフレーズはまさに「命にふさわしい」くらいの響きっぷりであった。
そして、
「あと2曲でamazarashiのライブは終わりますが、わいもあなたたちも明日から始まる日常に、今日のライブが、amazarashiの音楽が支えになってくれたら、そんなに嬉しいことは他にないです」
と、ストーリーでもフィクションでもなく、正面からこうして会場に足を運んでくれたファンへ感謝の言葉を秋田はぶつけた。それは今までのどのamazarashiのライブよりもリアルに、秋田にとっての大切なものに、我々ファンがなれている、という確信を抱かせるものであった。
そんな言葉の後に演奏されたのは、弾き語りライブで披露された時点で、「なんでamazarashiはスタイルを大きく変えることなく、こうして素晴らしい曲を次々に生み出せるんだろうか」と思わされた「悲しみ一つも残さないで」。
そしてラストはやはり「スターライト」。ワンマンではもはやおなじみの締めであるが、この曲がこうして最後に演奏されて、美しい照明と銀河の映像を見ながらこの曲を聴いていると、ただ闇雲に「頑張れ」と言われるよりもはるかに明日以降への活力や生きていくための力が湧いて来る。それはこの曲がこれまでに作り上げてきた景色がそう思わせるのかもしれないが、そう思えるのならば毎回この曲を最後に聴くのは決して飽きることでも、悪いことでもない。
歌い終わった秋田はメンバーの放つ音が反響する中で、
「言いたいことは全て曲にして歌ってきましたが、最後に一つだけ…。ありがとうございました!また必ず生きて、この街で、この世界のどこかで会いましょう!」
と、かつて「負け組の音楽」と形容されたとは思えないくらいに前を向いて、我々との再会を約束した。決してライブの本数が多いわけではないamazarashiだからこそ、それを頼りにして生きていける。
ツアー初日ならではの未完成な部分もあったが、それも含めて秋田ひろむという人間のぬくもりを感じることができた一夜だった。
音像こそラウドではあるが、全く踊れない、はしゃげない、騒げない音楽。だがライブの後に心に芽生える満足感は、他のそうしたフィジカルに楽しむバンドに全く負けていないし、こうしてライブの場でも歌詞をじっくり噛み締めながらライブを見ると、言葉にはまだまだ新しい可能性があると思える。
果たして、もはやホームとでも言うような中野サンプラザでの追加公演ではどんな世界を提示して、どんな気持ちを我々に抱かせてくれるのだろうか。
1.ワードプロセッサー
2.空洞空洞
3.フィロソフィー
4.この街で生きている
5.たられば
6.月曜日
7.未来づくり
8.バケモノ
9.ムカデ
10.冬が来る前に
11.ハルキオンザロード
12.空に歌えば
13.水槽
14.ぼくら対せかい
15.多数決
16.命にふさわしい
17.悲しみ一つも残さないで
18.スターライト
フィロソフィー
https://youtu.be/Bg_UIwjYnMQ
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