米津玄師 2018 LIVE Fogbound @日本武道館 1/10
- 2018/01/11
- 18:24
前日に続く、米津玄師の日本武道館ワンマン2daysの2日目。
前日(http://rocknrollisnotdead.blog.fc2.com/blog-entry-464.html?sp)
12/14 パシフィコ横浜
(http://rocknrollisnotdead.blog.fc2.com/blog-entry-455.html?sp)
内容についてはこの2公演のものと基本的には変わらないと思うのでこちらも参考にしていただきたいのだが、「BOOTLEG」ツアーもこれでファイナルということで、このアルバムの曲をライブで全曲聴けるのはこれが最後である。
前日同様に19時過ぎに場内がいきなり暗転すると、ステージにはスモークが焚かれ、その奥にはサポートメンバーを含む米津玄師の姿が。白いジャケットは前日と変わらないが、下のパンツが赤から金と言っていいようなものに変わっている。
米津玄師の声にエフェクトがかけられ、須藤がシンセを操る幻想的な「fogbound」から始まるというオープニングはこのツアーでは不変だが、米津玄師の声が明らかに前日よりもよく出ている。緊張感もほとんど感じさせない。そしてやはり
「米津玄師です!よろしくお願いしまーす!武道館ー!」
というテンションの高い挨拶からの「砂の惑星」、さらに「ナンバーナイン」と続くのだが、この「ナンバーナイン」のサビのファルセットが本当にキレイに出ているあたりにこの日の好調ぶりが伺える。
普通のアーティストは2daysのライブの時は初日の方が声が出ていて、2日目には喉に疲労を感じるというパターンが多い。しかし国際フォーラムでの「RESCUE」の時もそうだったが、米津玄師は2daysの時は2日目の方が声がよく出る傾向がある。これはどうしてそうなるのかはよくわからないが、この修正能力の高さはまだライブ経験がそこまで多くない中で米津玄師の天性の資質を感じさせる。
前日とパシフィコ横浜の時は座席が上からステージを見下ろすという位置だったために、「飛燕」「春雷」「orion」という「BOOTLEG」収録曲での、メンバーが立つ透明な床に映し出されるオイルアートなどの色あざやかな演出をしっかり見ることができたのだが、この日はアリーナスタンディングの正面からということで、メンバーが立つ床を見ることはできない。しかしステージのセットである鏡面状のオブジェにその演出が反射されることによって、その演出をまた違った角度から見ることができるし、堀がドラムを叩いている姿もそのオブジェに反射されているので、真上からドラムを叩く姿が見えるというのも実に新鮮である。
この演出は自分は他のライブでも見たことがないが、ツアー中に曲を入れ替えることが不可能なくらいに曲ごとにピッタリと合った演出を入れているという点ではサカナクションに近い視覚面での美意識を感じるが、こうして上から見ても正面から見ても別の見え方がするというのはイラストやジャケット、さらには物販のキャラクターなどを本人が手がけるというマルチな才能を持つ米津玄師とそのライブチームがホールでライブをするにあたって作り上げた、自分たちにしかできない方法論である。間違いなく「BOOTLEG」の楽曲の存在がそれを呼んだわけだが、この演出に名前をつけて呼ぶとしたら何になるのだろうか。
また「BOOTLEG」の曲は基本的にコーラスが同期で再現されている曲が多いが、その中にあってライブでの神聖なイントロアレンジが加わわり、
「消えてしまいたい」
のフレーズを
「死んでしまいたい」
に変えて歌われた「アイネクライネ」ではベースのみならずシンセなどもこなすマルチプレイヤーとして様々なアーティストから引っ張りだこの須藤が低音部のコーラスを務める。今回のツアーではスケジュールの都合上か、須藤が参加しなかった公演もいくつかあったが、やはり長年コンビを組んできた堀とのグルーヴも含め、もはや米津玄師のライブにおいては欠かせない存在である。
こうして22公演に及ぶツアーのファイナルをこの日、この会場で無事に迎えられたことへの、関わってきた人たちや来てくれた人たちに対する感謝を述べると、「LOSER」ではこの日は前日と違って2コーラス目から、米津玄師のダンスの師匠である辻本知彦が米津玄師の物販で売られていた黒いニット帽を被って登場し、リズムに合わせて骨格や筋肉のつくりが常人とは全く違うんじゃないかと思わせるようなしなやかなダンスを披露する。しかし前日は曲の始まりから参加していたので、もしこの日は出てこなかったとしたらステージ両サイドの花道は設置してある意味がないんじゃないか、と思ってしまうくらいに辻本以外は誰もこの花道を使おうともしていなかった。
すると「ゴーゴー幽霊船」において、前日は本編最後に発射された赤と青のテープがステージから客席に飛ぶのだが、この段階で「最後にテープを飛ばさないということは、それを上回るくらいの何かを用意しているな」ということが予想され、それはしっかり現実になった。
King Gnuの常田ら、飲み仲間ミュージシャンたちとともに制作されたオリエンタルなギターロック「爱丽丝」はこの日最も力強いバンドサウンドと歌唱力を引き出し、米津玄師に合わせて観客が二本指を武道館の天井に吊るされた日の丸に高く掲げる「ピースサイン」とここにきてツアーの中でも最強クラスのサウンドのグルーヴを見せると、
「懐かしい音楽が頭の中を駆け巡る
お前は大丈夫だってそう聴こえたんだ」
という歌詞がはっきりと聴き取れるくらいに後半になっても好調を維持している米津玄師のボーカルが、BUMP OF CHICKENやRADWIMPSという、この曲のモチーフであり米津玄師の音楽としての原体験が今でも変わらずに米津玄師の背中を押し続けていることを示している「Nighthawks」へ。
かつてそうしたバンドたちに憧れて音楽を始めた米津玄師が、彼らの後を追うように、彼らが立ってきたこの武道館のステージに立って、彼らの音楽への憧憬を自分の音楽として鳴らしている。そしてこの日こうして米津玄師のライブを見ていた人の中から、今度は米津玄師に憧れて音楽を始めて、後にこのステージで自身の音楽を鳴らすようになる人が必ず現れる。RADWIMPSの野田洋次郎が先日ELLEGARDENやGOING STEADYの音楽が今でも自分の中で生きていることをツイッターで語っていたが、そうしてロックは、音楽は鳴り止むことなく次の世代へ受け継がれていく。いつかこのステージに立つこの日の観客や米津玄師のファンも、実際にこのステージに立つようになる時でも米津玄師の音楽にずっと背中を押され続けているのだと思う。
ステージ前に紗幕が現れ、そこに壮大な映像が映し出される奥でメンバーが演奏するという演出の「love」では米津玄師がコーラス部分で高音部分を見事に歌いきり、ツアーファイナルでついに映像と音楽がしっかりとシンクロして、完成形に辿り着いたと思わせると、「Moonlight」では前日同様にダンサーの菅原小春がステージに登場して独特な動きのダンスを披露するのだが、米津玄師に絡みつくかのように近い距離感であったことに動揺したのか、歌い出しを忘れ、さらには歌詞も飛びまくるという結果に。これにはもうちょっと距離を取った方が良かったんじゃないか?と思わざるを得ない。
前日はそのまますんなり歌に入ったのだが、米津玄師がギターを抱え、
「次で最後の曲です。武道館公演ということで、スペシャルゲストを」
と言ってステージに招かれたのは、俳優の菅田将暉。この日が2018年最初の人前に出る仕事らしいが、この男が出てきたということは演奏されるのはもちろん「BOOTLEG」の最後に収録されたコラボ曲「灰色と青」。
曲に入る際にも登場時と同じくらいに盛大な拍手が巻き起こったのだが、米津玄師→菅田将暉というボーカルのスイッチから、最後には2人のデュエットへ。他の人のボーカルにコーラスを当てる米津玄師というのも実に新鮮だが、「BOOTLEG」を聴いた時、インタビューなどでも「彼がいたからこそできた曲」と言っていたものの、自分には菅田将暉が参加している理由があまりわからなかった。だがこの日のステージで米津玄師とともに歌った時の菅田将暉の、青さを持ちながらも生命力や人間力に溢れたボーカル、特に
「どれだけ無様に傷つこうとも
終わらない毎日に花束を
くだらない面影を追いかけて
今も歌う今も歌う今も歌う」
というフレーズは、米津玄師よりも青さを感じるボーカル(いきなり武道館で歌うという状況にもかかわらず全く物怖じしていないし、一聴しただけで上手いと思える)の菅田将暉だからこそより一層映えるし、このライブでこの曲がついに完成したと思うような、明確な理由が見えていた。
そして武道館に特に思い入れを持たない米津玄師が、こうしてこの日だけのスペシャルゲスト(前日はなかった)を招いたことによって、この日、この瞬間はこの会場にいた全ての人にとって忘れられないものになった。
米津玄師と菅田将暉ががっちりと抱き合ってステージから去ると、アンコールではステージに紗幕が再び降り、そこに歌詞のストーリーを可視化したような少女の映像が映し出される「ゆめくいしょうじょ」で幻想的な空気を生み出すと、メンバー紹介から最後のMCへ。前日は長々と喋った上にダダ滑りした中島のMCはカットされ、同様にどう言葉にまとめるかが見えずに宮沢賢治の「春と修羅」にその思いを預けていた米津玄師はこの日は、
「今日、5000人くらいですか?15000人?俺は1/3くらいに見積もってたってこと?
(正確には武道館はMAXに埋めて10000人ほどなので、スタンド席の使用範囲やアリーナスタンディングエリアのぎゅうぎゅうにはならない余裕などを踏まえると、他のバンドと同じように8000人くらいだと思われる)
でも15000対1じゃなくて、1対1が15000通りある。そんな空間にしたいと思っていて」
という、BUMP OF CHICKENの藤原基央や星野源がライブで言っていたことと同じことを語るが、そもそもパソコンを前に音楽を作るという、人との関わりを持たずに音楽を始めた男、ましてや「人と人とは絶対に分かり合えない」とこれまでに何度も語ってきた男の目には、我々1人1人の姿が確かに映っていて、大多数ではなくて、その1人1人にしっかりと訴えるように話している。そう思えた背景にはライブを重ねてきたことや、キャパが拡大してきたこともあるが、やはり様々な人と一緒に音楽を作るようになったということが1番大きいと思うし、それが果たされたのが「BOOTLEG」というアルバムであるだけに、自分が思っている以上に「BOOTLEG」はこれからの米津玄師にとって重要な変化点だったと語られるようになるかもしれない。
さらに、
「当たり前だけど、音楽は1人では完結しない。こうして来てくれるみんながいて、自分の音楽がみんなの中に居場所がある。こんなに嬉しいこと、音楽をやってて良かったことはない。これからも俺にしか作れない音楽で、みんなと会話がしたい」
とこれからの自分の歩み方を、人の言葉ではなくて自分の言葉でしっかりと語ってみせた。誰も聴いたことがない、でも誰しもが聴ける音楽を作る、米津玄師の戦いは続く。でもそれはもうかつてのような孤高の戦いではない。ちゃんと自分の周りには仲間や信じてくれる人がいることが見えている。だからこそこうしてこれからの決意を絶対の自信を持って語ることができる。それは今までに何度となく聞いてきた米津玄師のMCにおいて最も感動的な瞬間だった。
そのMCがあったからこそ、子供の頃の記憶を掘り起こしたかのような「Neighbourhood」もこのツアーで最も感動的に聴こえ、この日のラストにして、「Fogbound」ツアーの最後に演奏されたのは、米津玄師がハンドマイクで歌いながらフロアタムを連打する「アンビリーバーズ」。演奏中、向かい合ってシンセを弾く中島と須藤がお互いを指差しながら本当に楽しそうに笑っていた。米津玄師がいなかったら絶対に出会うことのなかった2人が、こうして米津玄師の音楽を共に奏でることによって心を通わせている。その姿は米津玄師の音楽によって救われてきた我々ファンそのもののようでもあったし、このツアーがいかに実り多いものだったかを物語っていた。
演奏が終わると、ピックを投げたりしながらあくまでいつもと同じようにステージを去っていった4人。自分はこれまでに数えきれないくらいに様々なアーティストの武道館でのワンマンを見てきたが、その中でいろんなアーティストが見せてくれた、武道館だからこその大好きな景色がある。それは最後の曲で客電がすべて点いて、演者も裏方も舞台装置も、そして我々観客も、この会場の全てが晒される、最大限に明るくなった状況で演奏されるという景色。この日、それを見ることはできなかったが、それはいつかきっとまた来る、米津玄師の2度目の武道館の時に。
なぜ武道館がロックや音楽の聖地であり続けてきて、今なお若手バンドがワンマンをこの会場でやることを発表すると少なからず論争が起こるのか。それはビートルズがかつて日本での初ライブをこの会場で行い、BOOWY時代の氷室京介が
「ライブハウス、武道館へようこそ!」
という歴史に残る名言を放ったりと、様々なアーティストたちの挑戦や集大成や最期の瞬間がこの場所に刻まれ続けてきたから。
しかし米津玄師の初の武道館ワンマンは、例えば「街」で始まって「遊園市街」で終わるような、これまでの自身の活動を集約したような全時代の曲を演奏したり、自分が初めて作った曲を演奏したりという集大成的なものではなく、あくまでもツアーの延長線上という内容のものだった。
となると武道館ライブを特別なものにするためには、これまでで最高のパフォーマンスを見せて武道館を制圧するしかない。菅田将暉というスペシャルゲストもあったが、この日のライブが集大成ではなくてツアーの延長線上であっても他のツアーよりも素晴らしかったのは、何よりも米津玄師本人の歌唱を始めとしたパフォーマンスが過去最高だったからである。
米津玄師は「YANKEE」をリリースした後に本格的にライブを始めた時から、すでに武道館を埋められるくらいの状況にあった。それでも当初は(3回のシークレットライブを除いては)代官山UNITやリキッドルームという、「チケット取れるわけないだろ!武道館とかでやってくれ!」と思ってしまうような会場でライブをしていたし、そうした需要と供給が噛み合わないやり方には異を申し立てたい時もあった。でもあの頃にいきなり武道館でやっても絶対にこんなに感動的かつ素晴らしいライブにはならなかった。そうした、一歩一歩階段を登るような経験がこの景色を作った。今になるとその選択は間違ってなかったんだな、と思える。
それだけにこの日のライブがこれからの平均点になるようなさらなる進化を期待したいし、それはきっとこれから果たされていくだろうが、これまでに数々のアーティストたちが刻んできた武道館神話に、米津玄師もこの日しっかりと自身の足跡を刻みこんだのである。
1.fogbound
2.砂の惑星
3.ナンバーナイン
4.飛燕
5.春雷
6.かいじゅうのマーチ
7.アイネクライネ
8.orion
9.LOSER
10.ゴーゴー幽霊船
11.爱丽丝
12.ドーナツホール
13.ピースサイン
14.Nighthawks
15.love
16.打上花火
17.Moonlight
18.灰色と青 + 菅田将暉
encore
19.ゆめくいしょうじょ
20.Neighbourhood
21.アンビリーバーズ
灰色と青
https://youtu.be/gJX2iy6nhHc
Next→ 1/14 フレデリック @新木場STUDIO COAST

前日(http://rocknrollisnotdead.blog.fc2.com/blog-entry-464.html?sp)
12/14 パシフィコ横浜
(http://rocknrollisnotdead.blog.fc2.com/blog-entry-455.html?sp)
内容についてはこの2公演のものと基本的には変わらないと思うのでこちらも参考にしていただきたいのだが、「BOOTLEG」ツアーもこれでファイナルということで、このアルバムの曲をライブで全曲聴けるのはこれが最後である。
前日同様に19時過ぎに場内がいきなり暗転すると、ステージにはスモークが焚かれ、その奥にはサポートメンバーを含む米津玄師の姿が。白いジャケットは前日と変わらないが、下のパンツが赤から金と言っていいようなものに変わっている。
米津玄師の声にエフェクトがかけられ、須藤がシンセを操る幻想的な「fogbound」から始まるというオープニングはこのツアーでは不変だが、米津玄師の声が明らかに前日よりもよく出ている。緊張感もほとんど感じさせない。そしてやはり
「米津玄師です!よろしくお願いしまーす!武道館ー!」
というテンションの高い挨拶からの「砂の惑星」、さらに「ナンバーナイン」と続くのだが、この「ナンバーナイン」のサビのファルセットが本当にキレイに出ているあたりにこの日の好調ぶりが伺える。
普通のアーティストは2daysのライブの時は初日の方が声が出ていて、2日目には喉に疲労を感じるというパターンが多い。しかし国際フォーラムでの「RESCUE」の時もそうだったが、米津玄師は2daysの時は2日目の方が声がよく出る傾向がある。これはどうしてそうなるのかはよくわからないが、この修正能力の高さはまだライブ経験がそこまで多くない中で米津玄師の天性の資質を感じさせる。
前日とパシフィコ横浜の時は座席が上からステージを見下ろすという位置だったために、「飛燕」「春雷」「orion」という「BOOTLEG」収録曲での、メンバーが立つ透明な床に映し出されるオイルアートなどの色あざやかな演出をしっかり見ることができたのだが、この日はアリーナスタンディングの正面からということで、メンバーが立つ床を見ることはできない。しかしステージのセットである鏡面状のオブジェにその演出が反射されることによって、その演出をまた違った角度から見ることができるし、堀がドラムを叩いている姿もそのオブジェに反射されているので、真上からドラムを叩く姿が見えるというのも実に新鮮である。
この演出は自分は他のライブでも見たことがないが、ツアー中に曲を入れ替えることが不可能なくらいに曲ごとにピッタリと合った演出を入れているという点ではサカナクションに近い視覚面での美意識を感じるが、こうして上から見ても正面から見ても別の見え方がするというのはイラストやジャケット、さらには物販のキャラクターなどを本人が手がけるというマルチな才能を持つ米津玄師とそのライブチームがホールでライブをするにあたって作り上げた、自分たちにしかできない方法論である。間違いなく「BOOTLEG」の楽曲の存在がそれを呼んだわけだが、この演出に名前をつけて呼ぶとしたら何になるのだろうか。
また「BOOTLEG」の曲は基本的にコーラスが同期で再現されている曲が多いが、その中にあってライブでの神聖なイントロアレンジが加わわり、
「消えてしまいたい」
のフレーズを
「死んでしまいたい」
に変えて歌われた「アイネクライネ」ではベースのみならずシンセなどもこなすマルチプレイヤーとして様々なアーティストから引っ張りだこの須藤が低音部のコーラスを務める。今回のツアーではスケジュールの都合上か、須藤が参加しなかった公演もいくつかあったが、やはり長年コンビを組んできた堀とのグルーヴも含め、もはや米津玄師のライブにおいては欠かせない存在である。
こうして22公演に及ぶツアーのファイナルをこの日、この会場で無事に迎えられたことへの、関わってきた人たちや来てくれた人たちに対する感謝を述べると、「LOSER」ではこの日は前日と違って2コーラス目から、米津玄師のダンスの師匠である辻本知彦が米津玄師の物販で売られていた黒いニット帽を被って登場し、リズムに合わせて骨格や筋肉のつくりが常人とは全く違うんじゃないかと思わせるようなしなやかなダンスを披露する。しかし前日は曲の始まりから参加していたので、もしこの日は出てこなかったとしたらステージ両サイドの花道は設置してある意味がないんじゃないか、と思ってしまうくらいに辻本以外は誰もこの花道を使おうともしていなかった。
すると「ゴーゴー幽霊船」において、前日は本編最後に発射された赤と青のテープがステージから客席に飛ぶのだが、この段階で「最後にテープを飛ばさないということは、それを上回るくらいの何かを用意しているな」ということが予想され、それはしっかり現実になった。
King Gnuの常田ら、飲み仲間ミュージシャンたちとともに制作されたオリエンタルなギターロック「爱丽丝」はこの日最も力強いバンドサウンドと歌唱力を引き出し、米津玄師に合わせて観客が二本指を武道館の天井に吊るされた日の丸に高く掲げる「ピースサイン」とここにきてツアーの中でも最強クラスのサウンドのグルーヴを見せると、
「懐かしい音楽が頭の中を駆け巡る
お前は大丈夫だってそう聴こえたんだ」
という歌詞がはっきりと聴き取れるくらいに後半になっても好調を維持している米津玄師のボーカルが、BUMP OF CHICKENやRADWIMPSという、この曲のモチーフであり米津玄師の音楽としての原体験が今でも変わらずに米津玄師の背中を押し続けていることを示している「Nighthawks」へ。
かつてそうしたバンドたちに憧れて音楽を始めた米津玄師が、彼らの後を追うように、彼らが立ってきたこの武道館のステージに立って、彼らの音楽への憧憬を自分の音楽として鳴らしている。そしてこの日こうして米津玄師のライブを見ていた人の中から、今度は米津玄師に憧れて音楽を始めて、後にこのステージで自身の音楽を鳴らすようになる人が必ず現れる。RADWIMPSの野田洋次郎が先日ELLEGARDENやGOING STEADYの音楽が今でも自分の中で生きていることをツイッターで語っていたが、そうしてロックは、音楽は鳴り止むことなく次の世代へ受け継がれていく。いつかこのステージに立つこの日の観客や米津玄師のファンも、実際にこのステージに立つようになる時でも米津玄師の音楽にずっと背中を押され続けているのだと思う。
ステージ前に紗幕が現れ、そこに壮大な映像が映し出される奥でメンバーが演奏するという演出の「love」では米津玄師がコーラス部分で高音部分を見事に歌いきり、ツアーファイナルでついに映像と音楽がしっかりとシンクロして、完成形に辿り着いたと思わせると、「Moonlight」では前日同様にダンサーの菅原小春がステージに登場して独特な動きのダンスを披露するのだが、米津玄師に絡みつくかのように近い距離感であったことに動揺したのか、歌い出しを忘れ、さらには歌詞も飛びまくるという結果に。これにはもうちょっと距離を取った方が良かったんじゃないか?と思わざるを得ない。
前日はそのまますんなり歌に入ったのだが、米津玄師がギターを抱え、
「次で最後の曲です。武道館公演ということで、スペシャルゲストを」
と言ってステージに招かれたのは、俳優の菅田将暉。この日が2018年最初の人前に出る仕事らしいが、この男が出てきたということは演奏されるのはもちろん「BOOTLEG」の最後に収録されたコラボ曲「灰色と青」。
曲に入る際にも登場時と同じくらいに盛大な拍手が巻き起こったのだが、米津玄師→菅田将暉というボーカルのスイッチから、最後には2人のデュエットへ。他の人のボーカルにコーラスを当てる米津玄師というのも実に新鮮だが、「BOOTLEG」を聴いた時、インタビューなどでも「彼がいたからこそできた曲」と言っていたものの、自分には菅田将暉が参加している理由があまりわからなかった。だがこの日のステージで米津玄師とともに歌った時の菅田将暉の、青さを持ちながらも生命力や人間力に溢れたボーカル、特に
「どれだけ無様に傷つこうとも
終わらない毎日に花束を
くだらない面影を追いかけて
今も歌う今も歌う今も歌う」
というフレーズは、米津玄師よりも青さを感じるボーカル(いきなり武道館で歌うという状況にもかかわらず全く物怖じしていないし、一聴しただけで上手いと思える)の菅田将暉だからこそより一層映えるし、このライブでこの曲がついに完成したと思うような、明確な理由が見えていた。
そして武道館に特に思い入れを持たない米津玄師が、こうしてこの日だけのスペシャルゲスト(前日はなかった)を招いたことによって、この日、この瞬間はこの会場にいた全ての人にとって忘れられないものになった。
米津玄師と菅田将暉ががっちりと抱き合ってステージから去ると、アンコールではステージに紗幕が再び降り、そこに歌詞のストーリーを可視化したような少女の映像が映し出される「ゆめくいしょうじょ」で幻想的な空気を生み出すと、メンバー紹介から最後のMCへ。前日は長々と喋った上にダダ滑りした中島のMCはカットされ、同様にどう言葉にまとめるかが見えずに宮沢賢治の「春と修羅」にその思いを預けていた米津玄師はこの日は、
「今日、5000人くらいですか?15000人?俺は1/3くらいに見積もってたってこと?
(正確には武道館はMAXに埋めて10000人ほどなので、スタンド席の使用範囲やアリーナスタンディングエリアのぎゅうぎゅうにはならない余裕などを踏まえると、他のバンドと同じように8000人くらいだと思われる)
でも15000対1じゃなくて、1対1が15000通りある。そんな空間にしたいと思っていて」
という、BUMP OF CHICKENの藤原基央や星野源がライブで言っていたことと同じことを語るが、そもそもパソコンを前に音楽を作るという、人との関わりを持たずに音楽を始めた男、ましてや「人と人とは絶対に分かり合えない」とこれまでに何度も語ってきた男の目には、我々1人1人の姿が確かに映っていて、大多数ではなくて、その1人1人にしっかりと訴えるように話している。そう思えた背景にはライブを重ねてきたことや、キャパが拡大してきたこともあるが、やはり様々な人と一緒に音楽を作るようになったということが1番大きいと思うし、それが果たされたのが「BOOTLEG」というアルバムであるだけに、自分が思っている以上に「BOOTLEG」はこれからの米津玄師にとって重要な変化点だったと語られるようになるかもしれない。
さらに、
「当たり前だけど、音楽は1人では完結しない。こうして来てくれるみんながいて、自分の音楽がみんなの中に居場所がある。こんなに嬉しいこと、音楽をやってて良かったことはない。これからも俺にしか作れない音楽で、みんなと会話がしたい」
とこれからの自分の歩み方を、人の言葉ではなくて自分の言葉でしっかりと語ってみせた。誰も聴いたことがない、でも誰しもが聴ける音楽を作る、米津玄師の戦いは続く。でもそれはもうかつてのような孤高の戦いではない。ちゃんと自分の周りには仲間や信じてくれる人がいることが見えている。だからこそこうしてこれからの決意を絶対の自信を持って語ることができる。それは今までに何度となく聞いてきた米津玄師のMCにおいて最も感動的な瞬間だった。
そのMCがあったからこそ、子供の頃の記憶を掘り起こしたかのような「Neighbourhood」もこのツアーで最も感動的に聴こえ、この日のラストにして、「Fogbound」ツアーの最後に演奏されたのは、米津玄師がハンドマイクで歌いながらフロアタムを連打する「アンビリーバーズ」。演奏中、向かい合ってシンセを弾く中島と須藤がお互いを指差しながら本当に楽しそうに笑っていた。米津玄師がいなかったら絶対に出会うことのなかった2人が、こうして米津玄師の音楽を共に奏でることによって心を通わせている。その姿は米津玄師の音楽によって救われてきた我々ファンそのもののようでもあったし、このツアーがいかに実り多いものだったかを物語っていた。
演奏が終わると、ピックを投げたりしながらあくまでいつもと同じようにステージを去っていった4人。自分はこれまでに数えきれないくらいに様々なアーティストの武道館でのワンマンを見てきたが、その中でいろんなアーティストが見せてくれた、武道館だからこその大好きな景色がある。それは最後の曲で客電がすべて点いて、演者も裏方も舞台装置も、そして我々観客も、この会場の全てが晒される、最大限に明るくなった状況で演奏されるという景色。この日、それを見ることはできなかったが、それはいつかきっとまた来る、米津玄師の2度目の武道館の時に。
なぜ武道館がロックや音楽の聖地であり続けてきて、今なお若手バンドがワンマンをこの会場でやることを発表すると少なからず論争が起こるのか。それはビートルズがかつて日本での初ライブをこの会場で行い、BOOWY時代の氷室京介が
「ライブハウス、武道館へようこそ!」
という歴史に残る名言を放ったりと、様々なアーティストたちの挑戦や集大成や最期の瞬間がこの場所に刻まれ続けてきたから。
しかし米津玄師の初の武道館ワンマンは、例えば「街」で始まって「遊園市街」で終わるような、これまでの自身の活動を集約したような全時代の曲を演奏したり、自分が初めて作った曲を演奏したりという集大成的なものではなく、あくまでもツアーの延長線上という内容のものだった。
となると武道館ライブを特別なものにするためには、これまでで最高のパフォーマンスを見せて武道館を制圧するしかない。菅田将暉というスペシャルゲストもあったが、この日のライブが集大成ではなくてツアーの延長線上であっても他のツアーよりも素晴らしかったのは、何よりも米津玄師本人の歌唱を始めとしたパフォーマンスが過去最高だったからである。
米津玄師は「YANKEE」をリリースした後に本格的にライブを始めた時から、すでに武道館を埋められるくらいの状況にあった。それでも当初は(3回のシークレットライブを除いては)代官山UNITやリキッドルームという、「チケット取れるわけないだろ!武道館とかでやってくれ!」と思ってしまうような会場でライブをしていたし、そうした需要と供給が噛み合わないやり方には異を申し立てたい時もあった。でもあの頃にいきなり武道館でやっても絶対にこんなに感動的かつ素晴らしいライブにはならなかった。そうした、一歩一歩階段を登るような経験がこの景色を作った。今になるとその選択は間違ってなかったんだな、と思える。
それだけにこの日のライブがこれからの平均点になるようなさらなる進化を期待したいし、それはきっとこれから果たされていくだろうが、これまでに数々のアーティストたちが刻んできた武道館神話に、米津玄師もこの日しっかりと自身の足跡を刻みこんだのである。
1.fogbound
2.砂の惑星
3.ナンバーナイン
4.飛燕
5.春雷
6.かいじゅうのマーチ
7.アイネクライネ
8.orion
9.LOSER
10.ゴーゴー幽霊船
11.爱丽丝
12.ドーナツホール
13.ピースサイン
14.Nighthawks
15.love
16.打上花火
17.Moonlight
18.灰色と青 + 菅田将暉
encore
19.ゆめくいしょうじょ
20.Neighbourhood
21.アンビリーバーズ
灰色と青
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