足を引っぱらずに 手を引っぱって ーチャットモンチー完結ー
- 2017/11/24
- 19:43
今となっては普通に女性シンガーの音楽も聴くし、ガールズバンドの音楽も聴く。だけど高校生の頃までは、女性ボーカルの音楽を全く聴かなかった。それは思春期男子特有の気恥ずかしさみたいなものがあったのだけれど、高校を卒業してから見るようになった、音楽専門チャンネルでふいに流れた、
「薄い紙で指を切って 赤い赤い血が滲む
これっぽっちの刃で 痛い痛い指の先」
という、今までに聴いたことのない歌詞のフレーズと、その直後のギターロックのど真ん中を切り裂くかのようなギターのイントロ。
それがメジャーデビュー直前のチャットモンチーの「ハナノユメ」だった。その名前を見て、ROCKIN'ON JAPANのNEW COMERのコーナーで、編集長の山崎洋一郎が
「名前はヘナチョコだけど音楽は本物」
と評していたバンドだと気付いた。それが、SUPERCARを解散したばかりの、いしわたり淳治が初めてプロデュースするバンドであるということも。
チャットモンチーのデビュー作「chatmonchy has come」は自分のそのくだらない価値観をぶっ壊してくれたアルバムとなった。
演奏は決してめちゃくちゃ上手くはないけれど、この人にしか作れない音楽である。それはかつて同じように評されていたSUPERCARのいしわたり淳治の手腕が大きかっただろうが、詞を先に書いてそこに音を乗せるというスタイルならではの3人の(とくにドラムの高橋久美子の)歌詞の素晴らしさはこの段階から際立っていた。
それからチャットモンチー目当てに新人バンドばかり出るライブを見に行ったりしているうちに、彼女たちはアニメ主題歌になった「シャングリラ」で一躍ブレイクを果たし、2008年にはガールズバンドとしては史上最速で日本武道館のステージに立つ。
その日、2008年3月31日の初武道館はバンドにとっても大きな出来事だったが、それは自分にとっても特別なタイミングだった。
数週間前に大学を卒業し、翌日に会社の入社式を控えた、学生として最後に見たライブがこの日のライブだったからである。
「もしかしたら、これまでみたいにライブを観に行くことができなくなるかもしれない」
初の武道館のステージで堂々たる演奏をする彼女たちの姿を見ながら、自分はそんなことを思っていた。その思いはアンコールで演奏された、学生時代に別れを告げる曲である「サラバ青春」で完全に決壊した。こんなにも自分の心境と目の前で鳴らされている曲が完全にシンクロしている。チャットモンチーは出会った時の衝撃とともに、自分にとって本当に特別なバンドになった瞬間だった。
自分も社会人になり、入った会社を辞めたりという変化を経る中で、2011年にはチャットモンチーも変化を迎える。それまでに数々の名曲の歌詞を手掛けてきた、ドラム高橋久美子の脱退。
確かに、その前から久美子は個展を開催したりと、あまりに言葉が書けるがゆえに、音楽以外の道が見えてきていた。しかし橋本絵莉子と福岡晃子はバンド以外にもDJをやったりと、とことん音楽しかないような人たちだった。だから、衝撃的だった脱退劇も、ある意味では納得できる部分もあった。それでもやはり、「Last Love Letter」のPVのように、おばあちゃんになるまで3人で続けていくと信じて疑っていなかったけれど。
久美子が脱退しても、バンドはサポートメンバーを加えたりしなかった。2人がギター、ベース、ドラムと様々な楽器を交代で演奏するという、ロックバンドの最小編成に挑むような形態に変化した。
自分が橋本絵莉子という人の、見た目のほんわかした可愛さの中にある、マグマのような執念を感じるようになったのはこの頃からだ。
「チャットモンチーは終わったとか、3人の方が良かったなんて絶対言わせねぇからな」
という想いがこの頃の絵莉子のライブの姿からは溢れまくっていた。
だからそれを見ている我々は、その形態が望んだり願ったりした姿とは違っても、その絵莉子の凄まじい執念に、ライブを観ながら涙を流していた。
それはチャットモンチーの背中を追いかけてバンドを組んだ、ねごとが「私たちは4人なのに、たった2人のあの人たちに絶対勝てない」と思って号泣してしまうくらいに凄まじいものだった。
2人編成になってからはアジカンのゴッチや奥田民生をプロデューサーに迎えた新曲を発表したり、過去の曲をアレンジしたりしていた2人は、突如として2014年から「男陣」「乙女団」というドラマーとキーボードのサポートメンバーを加えた編成に変化する。
そこに参加していたのはかねてからバンドと交流のあったメンバーたちだっただけに、久美子が脱退した後も、頼めばサポートをやってくれるドラマーはたくさんいたであろうことが伺えたが、2人は敢えてそれをしなかった。自分には、それは可能性は限りなくゼロであっても、いつか久美子が帰ってこれる場所を用意して待っているように見えた。
そしてこの頃には絵莉子が結婚&出産をし、母親になった。だからか、2人編成になった時に感じた、恐ろしいマグマのような執念は徐々にやわらいでいったように感じた。見た目はずっと変わらないけれど、内面は明確に変化してきていた。
今年、再びバンドは変化を迎える。サポートメンバーを入れずに2人だけの編成に戻り、シンセや同期を大胆に導入した「メカットモンチー」になった。そのライブは、もう一回音楽を心から楽しんでいるかのように見えたから、自分にはこれが「やり切った」「完成形だ」とは全く感じなかった。むしろ、これからのチャットモンチーのさらなる可能性を感じていた。
だからこそ、先日の「LAST ALBUM」報道と、今日の「完結」発表は、まさに青天の霹靂だった。
チャットモンチーがデビューした2000年代中盤から、自分と同世代のバンドたちがシーンに登場し、瞬く間に階段を駆け上がっていった。
その姿を本当に頼もしく思っていたし、「我々の世代の時代が来たんだな」と実感せずにはいられなかった。
しかし、チャットモンチーの久美子の脱退以降、RADWIMP、Base Ball Bear、9mm Parabellum Bulletなど、同時期にデビューした同世代のバンドたちはみな変化を迎えざるを得ない状況になった。
しかし、そのバンドたちは変化を経ても決して止まることはなかった。ずっと同じ形で続くと思っていたバンドが、同じ形で続けることができなくなっても、前に進んでいる。その姿は他のどんなバンドよりも自分に心強い力を与えてくれていた。
そんな、全く止まることがなかったバンドの中で、チャットモンチーは活動を終えることを選んだ。今はまだそこまで実感はないが、本当に寂しい。
それでもきっと、2人はそれぞれ音楽を辞めることはしないだろう。もう、音楽以外に生きていく道はないような活動をしてきた2人だから。
だから7月にバンドが完結してからも、きっと2人の音楽を聴ける日はすぐ来るはず。これからも、「足を引っぱらずに 手を引っぱって」くれよ。10代の頃の自分の手を引っぱってくれたみたいに。
「薄い紙で指を切って 赤い赤い血が滲む
これっぽっちの刃で 痛い痛い指の先」
という、今までに聴いたことのない歌詞のフレーズと、その直後のギターロックのど真ん中を切り裂くかのようなギターのイントロ。
それがメジャーデビュー直前のチャットモンチーの「ハナノユメ」だった。その名前を見て、ROCKIN'ON JAPANのNEW COMERのコーナーで、編集長の山崎洋一郎が
「名前はヘナチョコだけど音楽は本物」
と評していたバンドだと気付いた。それが、SUPERCARを解散したばかりの、いしわたり淳治が初めてプロデュースするバンドであるということも。
チャットモンチーのデビュー作「chatmonchy has come」は自分のそのくだらない価値観をぶっ壊してくれたアルバムとなった。
演奏は決してめちゃくちゃ上手くはないけれど、この人にしか作れない音楽である。それはかつて同じように評されていたSUPERCARのいしわたり淳治の手腕が大きかっただろうが、詞を先に書いてそこに音を乗せるというスタイルならではの3人の(とくにドラムの高橋久美子の)歌詞の素晴らしさはこの段階から際立っていた。
それからチャットモンチー目当てに新人バンドばかり出るライブを見に行ったりしているうちに、彼女たちはアニメ主題歌になった「シャングリラ」で一躍ブレイクを果たし、2008年にはガールズバンドとしては史上最速で日本武道館のステージに立つ。
その日、2008年3月31日の初武道館はバンドにとっても大きな出来事だったが、それは自分にとっても特別なタイミングだった。
数週間前に大学を卒業し、翌日に会社の入社式を控えた、学生として最後に見たライブがこの日のライブだったからである。
「もしかしたら、これまでみたいにライブを観に行くことができなくなるかもしれない」
初の武道館のステージで堂々たる演奏をする彼女たちの姿を見ながら、自分はそんなことを思っていた。その思いはアンコールで演奏された、学生時代に別れを告げる曲である「サラバ青春」で完全に決壊した。こんなにも自分の心境と目の前で鳴らされている曲が完全にシンクロしている。チャットモンチーは出会った時の衝撃とともに、自分にとって本当に特別なバンドになった瞬間だった。
自分も社会人になり、入った会社を辞めたりという変化を経る中で、2011年にはチャットモンチーも変化を迎える。それまでに数々の名曲の歌詞を手掛けてきた、ドラム高橋久美子の脱退。
確かに、その前から久美子は個展を開催したりと、あまりに言葉が書けるがゆえに、音楽以外の道が見えてきていた。しかし橋本絵莉子と福岡晃子はバンド以外にもDJをやったりと、とことん音楽しかないような人たちだった。だから、衝撃的だった脱退劇も、ある意味では納得できる部分もあった。それでもやはり、「Last Love Letter」のPVのように、おばあちゃんになるまで3人で続けていくと信じて疑っていなかったけれど。
久美子が脱退しても、バンドはサポートメンバーを加えたりしなかった。2人がギター、ベース、ドラムと様々な楽器を交代で演奏するという、ロックバンドの最小編成に挑むような形態に変化した。
自分が橋本絵莉子という人の、見た目のほんわかした可愛さの中にある、マグマのような執念を感じるようになったのはこの頃からだ。
「チャットモンチーは終わったとか、3人の方が良かったなんて絶対言わせねぇからな」
という想いがこの頃の絵莉子のライブの姿からは溢れまくっていた。
だからそれを見ている我々は、その形態が望んだり願ったりした姿とは違っても、その絵莉子の凄まじい執念に、ライブを観ながら涙を流していた。
それはチャットモンチーの背中を追いかけてバンドを組んだ、ねごとが「私たちは4人なのに、たった2人のあの人たちに絶対勝てない」と思って号泣してしまうくらいに凄まじいものだった。
2人編成になってからはアジカンのゴッチや奥田民生をプロデューサーに迎えた新曲を発表したり、過去の曲をアレンジしたりしていた2人は、突如として2014年から「男陣」「乙女団」というドラマーとキーボードのサポートメンバーを加えた編成に変化する。
そこに参加していたのはかねてからバンドと交流のあったメンバーたちだっただけに、久美子が脱退した後も、頼めばサポートをやってくれるドラマーはたくさんいたであろうことが伺えたが、2人は敢えてそれをしなかった。自分には、それは可能性は限りなくゼロであっても、いつか久美子が帰ってこれる場所を用意して待っているように見えた。
そしてこの頃には絵莉子が結婚&出産をし、母親になった。だからか、2人編成になった時に感じた、恐ろしいマグマのような執念は徐々にやわらいでいったように感じた。見た目はずっと変わらないけれど、内面は明確に変化してきていた。
今年、再びバンドは変化を迎える。サポートメンバーを入れずに2人だけの編成に戻り、シンセや同期を大胆に導入した「メカットモンチー」になった。そのライブは、もう一回音楽を心から楽しんでいるかのように見えたから、自分にはこれが「やり切った」「完成形だ」とは全く感じなかった。むしろ、これからのチャットモンチーのさらなる可能性を感じていた。
だからこそ、先日の「LAST ALBUM」報道と、今日の「完結」発表は、まさに青天の霹靂だった。
チャットモンチーがデビューした2000年代中盤から、自分と同世代のバンドたちがシーンに登場し、瞬く間に階段を駆け上がっていった。
その姿を本当に頼もしく思っていたし、「我々の世代の時代が来たんだな」と実感せずにはいられなかった。
しかし、チャットモンチーの久美子の脱退以降、RADWIMP、Base Ball Bear、9mm Parabellum Bulletなど、同時期にデビューした同世代のバンドたちはみな変化を迎えざるを得ない状況になった。
しかし、そのバンドたちは変化を経ても決して止まることはなかった。ずっと同じ形で続くと思っていたバンドが、同じ形で続けることができなくなっても、前に進んでいる。その姿は他のどんなバンドよりも自分に心強い力を与えてくれていた。
そんな、全く止まることがなかったバンドの中で、チャットモンチーは活動を終えることを選んだ。今はまだそこまで実感はないが、本当に寂しい。
それでもきっと、2人はそれぞれ音楽を辞めることはしないだろう。もう、音楽以外に生きていく道はないような活動をしてきた2人だから。
だから7月にバンドが完結してからも、きっと2人の音楽を聴ける日はすぐ来るはず。これからも、「足を引っぱらずに 手を引っぱって」くれよ。10代の頃の自分の手を引っぱってくれたみたいに。
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