amazarashi Live Tour 2017 「メッセージボトル」 振替公演 @中野サンプラザ 10/19
- 2017/10/19
- 22:30
もともと、今回のライブは予定されたものではなかったし、ベストアルバム「メッセージボトル」のツアーは8月に秋田ひろむの地元である青森での凱旋公演で幕を閉じるはずだった。
しかしながら6月23日の中野サンプラザでの追加公演は、ライブメンバーの体調不良によって、途中で中止になり、急遽この日に振替公演が開催されることになった。よって「メッセージボトル」のツアーはかなり長い期間に及ぶものになった。
もうamazarashiのライブ自体は数えきれないくらいに見ているが、前回のライブのチケットの半券を提示するというのは実に不思議な気分。
19時を過ぎると会場が暗転し、いつもと同じようにステージに張られた紗幕に映像が投影される。イチゴが刃物で刺されたり潰されたりする映像は前回と同じ「ポエジー」でスタートするというものだったが、秋田ひろむのポエトリーリーディング的な歌唱とメンバーの演奏も、それを席に座って集中して聴き入る観客も、ややいつもよりも緊張感がある感じがした。それはやはり前回の途中中止を見ている人が大多数という、「今日は果たして大丈夫なのだろうか?」という空気によるものだと思うが。
すると「メッセージボトル」に収録された新曲であり、これまでのamazarashiのPVの映像や登場人物たちが総集編のように映し出されていく「ヒーロー」のイントロで、秋田のギターの外音が鳴らないというアクシデントが発生。慌ててスタッフがアンプやエフェクター周りを点検するのだが、この曲では秋田のギターはほとんど聴こえず、「中野サンプラザでは毎回何かしらあるのか…」とすら思ってしまう。
しかしながら力強いバンドサウンドを実感できるギターロック曲「ヨクト」、川の水面に花火が次々に打ち上がる映像が過ぎ去った夏に思いを馳せざるを得ない「隅田川」と曲を重ねていくと徐々にステージ上も観客も緊張がなくなっていくというか、どちらもひたすらに曲の中に没頭していき、それ以外のことが考えられなくなっていく。
毎回おなじみの家、ステージ上が燃えていくかのような演出の「ワンルーム叙事詩」から、アウトロでの
「奇跡にすがる浅ましさも」
というフレーズによってそのままつながるように演奏された「奇跡」では歌詞が紗幕に映し出されることで、amazarashiの歌詞の言葉の力の強さをリアルに感じることができる。
秋田がギターを弾かずに、不穏なサウンドの中でひたすらに言葉を発していく「メーデーメーデー」から美しいメロディと物語性の強い歌詞の「ピアノ泥棒の歌」というコントラストを描くと、「メッセージボトル」に2017年バージョンで再録された「つじつま合わせに生まれた僕等」ではベストアルバムの発売に合わせて新たに公開されたPVが映し出されるのだが、まさに雨ざらしの状態で一面の本に囲まれた部屋の中(これまでに秋田ひろむの人生に強い影響を与えたと思われる書籍が並んでいる)で歌うという姿は、amazarashiの本質をそのまま映像化したかのよう。「メッセージボトル」リリース前の、一本の巨大な木を取り巻く物語の映像も好きだったが、ベストアルバムで唯一再録された大事な曲だからこそ、改めてamazarashiの姿勢をこうして示すような映像を作ったのだろう。
カタカナの言葉が頭上から降り注ぐ「少年少女」は前回のこのライブでバンドとしては最後に演奏された曲。(その後に秋田が1人で弾き語りをしてライブは終わりになった)
だからこの後の展開は我々としても未体験ゾーンへの突入になるのだが、これまでのPVが断片的に流れながら、秋田のボーカルが迫力を増して迫ってくる「後期衝動」は、曲終わりに出現するバンドロゴの存在が、ここからまたライブが始まるかのような心持ちにさせる。
そしてここで、すでにコーヒーのCMタイアップとして大量オンエアされている、12月に発売が発表されたアルバムからの新曲「フィロソフィー」が披露される。縦書きの紙に歌詞を書いていくかのような映像は、発売前から歌詞の強さを実感させ、アッパーなサウンドとともにその歌詞の前向きさを感じ取ることができるのだが、この曲と次に演奏された、バンドの演奏の力強さが極まったかのような「空に歌えば」という、「メッセージボトル」以降の新曲2曲から感じたのは、amazarashiが新たな武器を使い始めたな、ということ。
それは「空に歌えば」でタイトルのフレーズを歌う、豊川真奈美のボーカル。これまではひたすらに秋田の声の裏側でコーラスをするという、秋田以外の唯一の正規メンバーでありながら黒子に徹しているイメージが強かった豊川が、「フィロソフィー」でも単独ボーカルを響かせている部分がある。この豊川のボーカルがあることによって、これまでの曲とは全く違う新鮮な空気を感じることができるし、何よりもamazarashiは秋田のソロではなく、秋田と豊川によるバンド、ユニットであるということがよくわかる。もしかしたら、アルバムの中でもこの豊川のボーカルはamazarashiが新たなフェーズに突入したことを示す、重要なファクターになっているのかもしれない。
一転して、秋田の亡くなった友人のことを歌った「ひろ」では一切の映像や演出もなく、演奏している人にスポットライトが当たるのみという状態のため、他のどの曲よりもメンバーの姿がしっかり見える。あまりにも曲自体がパーソナルであり、意味やメッセージが強すぎるが故に、演出を当てることができないということだろうか。
さらに秋田の姿を隠すかのように煙が巻き起こって、おどろおどろしさすら感じるサウンドと空気の中で社会に対するメッセージが強い「しらふ」、再び一転するように美しいピアノのサウンドで始まり、「中野の駅前」というまさにこの場所のことが歌われる「美しき思い出」ではアウトロでバンドの演奏がどんどん激しくなっていき、まるでシューゲイザーバンドかのような爆音のギターノイズの嵐が吹き荒れる中、秋田が
「忘れたいこと 忘れたいこと」
と繰り返し歌う。そのボーカルの伸びの素晴らしさにはこのライブに対する不安はもはや1%足りともなくなっていた。
「長い「メッセージボトル」のツアーもついに終わりの時が来て、ホッとしているような、このメンバーでのライブが終わってしまうのが寂しいような感じです。
「メッセージボトル」っていうのは、7~8年前くらいに、アマチュアの時にやっていたイベントのタイトルなんですけど、こうして大きい会場でライブができるようになった今でも辛いことや死にたいって思うような夜もあって…。
それでもこのメンバーでライブができて、こうしてみんなの顔が見れるのは本当に嬉しいことだと思っています」
と秋田はこの日唯一のMCで語ったが、今ではamazarashiは完全にシーンの中で孤高の立ち位置を確立した存在になり、1万人単位の規模でライブをやれるようになったが、10年以上も前ならともかく、7~8年前は誰からも見向きもされなかったというのが俄かには信じ難くすら感じる。それからの活動があまりにもハイスピードだったからそう感じるのかもしれないが。
そして、
「ツアーのテーマソングになったような曲」
と言って演奏されたのは、美しいピアノの旋律と、秋田が
「もしも僕が○○だったなら」
というたらればの物語を綴っていく歌詞の曲なのだが、こんなamazarashiの中でも屈指のレベルの大名曲をカップリングに収録してしまうというのも我々の思考の範囲を超えまくっている。アルバムのリード曲どころか、シングルのタイトル曲になってもいいくらいのクオリティの曲だと個人的には思っている。それはこの日は演奏されなかった「数え歌」も同様だが、「隠れた名曲」という位置にするにはあまりにもったいないと思うのだが。
秋田のポエトリーリーディングから繋げた「命にふさわしい」は前回は弾き語りだったため、こうして無事にバンド演奏で聴けるようになったのは、あの夜を乗り越えてこの日まで来れたということを実感させるとともに、人形が次々に工場で破壊されていく映像は何度見ても色々と思うところがある。(このシングルに付属した短編小説もそれまでのものとは全く違う内容で、改めて秋田の作家性の高さを感じさせられた)
前回は「命にふさわしい」の弾き語りで終わったので、今回もこれで終わるのかと思いきや、最後には銀河鉄道の映像とともに「スターライト」を演奏して、しっかりと明日からもこの「くそったれのまま続いていく世界」を生きていくための希望の道を照らし出した。
結局、「暗い」と言われまくるようなamazarashiの曲を聴き、ライブを見た後に湧き上がるのはそうした、その前よりもちょっとだけでも前向きになれるような感情なのだ。それを感じることができるから、こうして毎回ライブに足を運んでいる。その構図はこれからもずっと変わることはないだろう。
終演後、バンドロゴが映し出される中で終演SEとして流れたのは、やはり「フィロソフィー」であった。改めて曲の持つパワーをじっくりと噛みしめるとともに、完全着席という鑑賞スタイルのライブで、最も大きな拍手と歓声が起こったのは、この曲を演奏し終わった時だったな、と思った。
1曲1曲が物語のような曲であるという性質から、amazarashiの作品は曲数が増えるにつれてコンセプチュアルさを増していく。それはそのままアルバムであるならばアルバム全体での作品性が増していくということであり、配信やストリーミングなどで1曲だけを聴くという聴き方をする人も増えているだけにアルバムとしての意味が薄れてきている、というのはしばしば論じられている。
だからこそamazarashiはアルバムを出すというだけでそうした流れに対するカウンターになっているし、「とりあえず1曲1曲を並べた」というだけに映ってしまうようなアルバムよりも聞き応えが圧倒的に強い。それだけに、12月にリリースされる待望のフルアルバムは、2017年のラスボス的な作品になる予感がしているが、希望を描いた「夕日信仰ヒガシズム」から一転して100年後の世界の終わりを描いた「世界収束ニ一一六」を経て、amazarashiはどんなメッセージを世に放つのだろうか。
1.ポエジー
2.ヒーロー
3.ヨクト
4.隅田川
5.ワンルーム叙事詩
6.奇跡
7.メーデーメーデー
8.ピアノ泥棒の歌
9.つじつま合わせに生まれた僕等
10.少年少女
11.後期衝動
12.フィロソフィー
13.空に歌えば
14.ひろ
15.しらふ
16.美しき思い出
17.たられば
18.命にふさわしい
19.スターライト
空に歌えば
https://youtu.be/MJeqcGPtTqQ
Next→ 10/21 My Hair is Bad @Zepp Tokyo
しかしながら6月23日の中野サンプラザでの追加公演は、ライブメンバーの体調不良によって、途中で中止になり、急遽この日に振替公演が開催されることになった。よって「メッセージボトル」のツアーはかなり長い期間に及ぶものになった。
もうamazarashiのライブ自体は数えきれないくらいに見ているが、前回のライブのチケットの半券を提示するというのは実に不思議な気分。
19時を過ぎると会場が暗転し、いつもと同じようにステージに張られた紗幕に映像が投影される。イチゴが刃物で刺されたり潰されたりする映像は前回と同じ「ポエジー」でスタートするというものだったが、秋田ひろむのポエトリーリーディング的な歌唱とメンバーの演奏も、それを席に座って集中して聴き入る観客も、ややいつもよりも緊張感がある感じがした。それはやはり前回の途中中止を見ている人が大多数という、「今日は果たして大丈夫なのだろうか?」という空気によるものだと思うが。
すると「メッセージボトル」に収録された新曲であり、これまでのamazarashiのPVの映像や登場人物たちが総集編のように映し出されていく「ヒーロー」のイントロで、秋田のギターの外音が鳴らないというアクシデントが発生。慌ててスタッフがアンプやエフェクター周りを点検するのだが、この曲では秋田のギターはほとんど聴こえず、「中野サンプラザでは毎回何かしらあるのか…」とすら思ってしまう。
しかしながら力強いバンドサウンドを実感できるギターロック曲「ヨクト」、川の水面に花火が次々に打ち上がる映像が過ぎ去った夏に思いを馳せざるを得ない「隅田川」と曲を重ねていくと徐々にステージ上も観客も緊張がなくなっていくというか、どちらもひたすらに曲の中に没頭していき、それ以外のことが考えられなくなっていく。
毎回おなじみの家、ステージ上が燃えていくかのような演出の「ワンルーム叙事詩」から、アウトロでの
「奇跡にすがる浅ましさも」
というフレーズによってそのままつながるように演奏された「奇跡」では歌詞が紗幕に映し出されることで、amazarashiの歌詞の言葉の力の強さをリアルに感じることができる。
秋田がギターを弾かずに、不穏なサウンドの中でひたすらに言葉を発していく「メーデーメーデー」から美しいメロディと物語性の強い歌詞の「ピアノ泥棒の歌」というコントラストを描くと、「メッセージボトル」に2017年バージョンで再録された「つじつま合わせに生まれた僕等」ではベストアルバムの発売に合わせて新たに公開されたPVが映し出されるのだが、まさに雨ざらしの状態で一面の本に囲まれた部屋の中(これまでに秋田ひろむの人生に強い影響を与えたと思われる書籍が並んでいる)で歌うという姿は、amazarashiの本質をそのまま映像化したかのよう。「メッセージボトル」リリース前の、一本の巨大な木を取り巻く物語の映像も好きだったが、ベストアルバムで唯一再録された大事な曲だからこそ、改めてamazarashiの姿勢をこうして示すような映像を作ったのだろう。
カタカナの言葉が頭上から降り注ぐ「少年少女」は前回のこのライブでバンドとしては最後に演奏された曲。(その後に秋田が1人で弾き語りをしてライブは終わりになった)
だからこの後の展開は我々としても未体験ゾーンへの突入になるのだが、これまでのPVが断片的に流れながら、秋田のボーカルが迫力を増して迫ってくる「後期衝動」は、曲終わりに出現するバンドロゴの存在が、ここからまたライブが始まるかのような心持ちにさせる。
そしてここで、すでにコーヒーのCMタイアップとして大量オンエアされている、12月に発売が発表されたアルバムからの新曲「フィロソフィー」が披露される。縦書きの紙に歌詞を書いていくかのような映像は、発売前から歌詞の強さを実感させ、アッパーなサウンドとともにその歌詞の前向きさを感じ取ることができるのだが、この曲と次に演奏された、バンドの演奏の力強さが極まったかのような「空に歌えば」という、「メッセージボトル」以降の新曲2曲から感じたのは、amazarashiが新たな武器を使い始めたな、ということ。
それは「空に歌えば」でタイトルのフレーズを歌う、豊川真奈美のボーカル。これまではひたすらに秋田の声の裏側でコーラスをするという、秋田以外の唯一の正規メンバーでありながら黒子に徹しているイメージが強かった豊川が、「フィロソフィー」でも単独ボーカルを響かせている部分がある。この豊川のボーカルがあることによって、これまでの曲とは全く違う新鮮な空気を感じることができるし、何よりもamazarashiは秋田のソロではなく、秋田と豊川によるバンド、ユニットであるということがよくわかる。もしかしたら、アルバムの中でもこの豊川のボーカルはamazarashiが新たなフェーズに突入したことを示す、重要なファクターになっているのかもしれない。
一転して、秋田の亡くなった友人のことを歌った「ひろ」では一切の映像や演出もなく、演奏している人にスポットライトが当たるのみという状態のため、他のどの曲よりもメンバーの姿がしっかり見える。あまりにも曲自体がパーソナルであり、意味やメッセージが強すぎるが故に、演出を当てることができないということだろうか。
さらに秋田の姿を隠すかのように煙が巻き起こって、おどろおどろしさすら感じるサウンドと空気の中で社会に対するメッセージが強い「しらふ」、再び一転するように美しいピアノのサウンドで始まり、「中野の駅前」というまさにこの場所のことが歌われる「美しき思い出」ではアウトロでバンドの演奏がどんどん激しくなっていき、まるでシューゲイザーバンドかのような爆音のギターノイズの嵐が吹き荒れる中、秋田が
「忘れたいこと 忘れたいこと」
と繰り返し歌う。そのボーカルの伸びの素晴らしさにはこのライブに対する不安はもはや1%足りともなくなっていた。
「長い「メッセージボトル」のツアーもついに終わりの時が来て、ホッとしているような、このメンバーでのライブが終わってしまうのが寂しいような感じです。
「メッセージボトル」っていうのは、7~8年前くらいに、アマチュアの時にやっていたイベントのタイトルなんですけど、こうして大きい会場でライブができるようになった今でも辛いことや死にたいって思うような夜もあって…。
それでもこのメンバーでライブができて、こうしてみんなの顔が見れるのは本当に嬉しいことだと思っています」
と秋田はこの日唯一のMCで語ったが、今ではamazarashiは完全にシーンの中で孤高の立ち位置を確立した存在になり、1万人単位の規模でライブをやれるようになったが、10年以上も前ならともかく、7~8年前は誰からも見向きもされなかったというのが俄かには信じ難くすら感じる。それからの活動があまりにもハイスピードだったからそう感じるのかもしれないが。
そして、
「ツアーのテーマソングになったような曲」
と言って演奏されたのは、美しいピアノの旋律と、秋田が
「もしも僕が○○だったなら」
というたらればの物語を綴っていく歌詞の曲なのだが、こんなamazarashiの中でも屈指のレベルの大名曲をカップリングに収録してしまうというのも我々の思考の範囲を超えまくっている。アルバムのリード曲どころか、シングルのタイトル曲になってもいいくらいのクオリティの曲だと個人的には思っている。それはこの日は演奏されなかった「数え歌」も同様だが、「隠れた名曲」という位置にするにはあまりにもったいないと思うのだが。
秋田のポエトリーリーディングから繋げた「命にふさわしい」は前回は弾き語りだったため、こうして無事にバンド演奏で聴けるようになったのは、あの夜を乗り越えてこの日まで来れたということを実感させるとともに、人形が次々に工場で破壊されていく映像は何度見ても色々と思うところがある。(このシングルに付属した短編小説もそれまでのものとは全く違う内容で、改めて秋田の作家性の高さを感じさせられた)
前回は「命にふさわしい」の弾き語りで終わったので、今回もこれで終わるのかと思いきや、最後には銀河鉄道の映像とともに「スターライト」を演奏して、しっかりと明日からもこの「くそったれのまま続いていく世界」を生きていくための希望の道を照らし出した。
結局、「暗い」と言われまくるようなamazarashiの曲を聴き、ライブを見た後に湧き上がるのはそうした、その前よりもちょっとだけでも前向きになれるような感情なのだ。それを感じることができるから、こうして毎回ライブに足を運んでいる。その構図はこれからもずっと変わることはないだろう。
終演後、バンドロゴが映し出される中で終演SEとして流れたのは、やはり「フィロソフィー」であった。改めて曲の持つパワーをじっくりと噛みしめるとともに、完全着席という鑑賞スタイルのライブで、最も大きな拍手と歓声が起こったのは、この曲を演奏し終わった時だったな、と思った。
1曲1曲が物語のような曲であるという性質から、amazarashiの作品は曲数が増えるにつれてコンセプチュアルさを増していく。それはそのままアルバムであるならばアルバム全体での作品性が増していくということであり、配信やストリーミングなどで1曲だけを聴くという聴き方をする人も増えているだけにアルバムとしての意味が薄れてきている、というのはしばしば論じられている。
だからこそamazarashiはアルバムを出すというだけでそうした流れに対するカウンターになっているし、「とりあえず1曲1曲を並べた」というだけに映ってしまうようなアルバムよりも聞き応えが圧倒的に強い。それだけに、12月にリリースされる待望のフルアルバムは、2017年のラスボス的な作品になる予感がしているが、希望を描いた「夕日信仰ヒガシズム」から一転して100年後の世界の終わりを描いた「世界収束ニ一一六」を経て、amazarashiはどんなメッセージを世に放つのだろうか。
1.ポエジー
2.ヒーロー
3.ヨクト
4.隅田川
5.ワンルーム叙事詩
6.奇跡
7.メーデーメーデー
8.ピアノ泥棒の歌
9.つじつま合わせに生まれた僕等
10.少年少女
11.後期衝動
12.フィロソフィー
13.空に歌えば
14.ひろ
15.しらふ
16.美しき思い出
17.たられば
18.命にふさわしい
19.スターライト
空に歌えば
https://youtu.be/MJeqcGPtTqQ
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