この企画は完全にrockin'on.comがたまにやっているものの丸パクリのようなネタである。しかしながら先日、武道館ワンマンを見た後に、
「なぜ銀杏BOYZ(あるいはGOING STEADY)でこの企画をやっていないんだ!?」
と彼らの音楽に人生を変えられたものとしての義憤に駆られ、こうして考えてみることにしたのである。なお企画の趣旨上、普段のライブレポよりもはるかに自分の主観の強いものになっていると思われる。ちなみに順番は順位ではないということも合わせて。
1.「失いかけてた希望の光が それでも来いと僕を呼んでいる」 (アホンダラ行進曲 / GOING STEADY)
GOING STEADYというバンドが「青春パンク」というシーンを牽引していく存在になると確信させた、2ndアルバムにしてラストアルバムになった名盤「さくらの唄」の幕開けを告げる曲。
しかしながら勢いに乗りまくるパンクバンドの1曲目、というイメージを裏切るようにこの曲はゆったりと始まる。しかし、峯田和伸の
「アホンダラー!」
の咆哮をきっかけに、迷っていた少年は全力で走り出し、駆け抜けていく。何のために走っているのか、どこへ向かっているのか、それは本人にもわからない。しかし、最後に少年は走るのを止め、立ち止まって答えを見つける。
曲の始まりと同じようなゆったりとしたサウンドに乗せて歌われるこの曲の最後のフレーズ。このわずか数秒の歌唱に何度背中を押されてきただろうか。それはパンクからよりノイズ色を強め、銀杏BOYZバージョンとして生まれ変わった「まだ見ぬ明日に」でも全く同じように。
アホンダラ行進曲 / 東京少年
https://youtu.be/rsKkwad2KKU
2.「僕らは若くて 心が歪んだ
叫ぼう!叫ぼう!僕等は此処だ!!」 (東京少年 / GOING STEADY)
「さくらの唄」の先行シングルとして世に発表され、自分が初めて聴いたGOING STEADYの曲。
運動ができるわけでも、勉強ができるわけでもない。コンプレックスが全身を支配し、コミュニケーション能力も絶望的、情熱を傾けたり、夢中になれるようなものもない。そんな虚無がそのまま人間になってしまったような、出口も見えなければどこが入口だったのかわからないような暗闇の中にいる青春であっても、この時代、この国、この場所で生きている。その証明をしたい。
そんな鬱屈した少年たちの声を代弁するかのように、GOING STEADYは声を張り上げて歌った。彼らが少年たちの代弁者になれたのは、紛れもなく峯田和伸本人がかつてその少年たちと全く同じような青春時代を送った男だからである。
この曲を聴いて、東京はおろか、日本全国にいた、かつての峯田のような少年たちは拳を握り、「僕等は此処だ」と叫んだ。それこそが自らが生きているという証明になると信じて。
東京少年
https://youtu.be/WYymrlZkLDI
3.「甘いシュークリーム 君はシュープリーム 月面のブランコは揺れる」 (BABY BABY / GOING STEADY)
GOING STEADYがなぜ我々の世代における、ブルーハーツやHi-STANDARDのような存在になれたのか。それはGOING STEADYがパンクバンドでありながらも、最高にポップかつキャッチーなメロディを紡ぐバンドだったからである。
それを証明した曲が、現在の銀杏BOYZにおいても最大の代表曲と言える「BABY BABY」。この曲の歌詞は「アホンダラ行進曲」や「東京少年」のような視点とは全く違う、峯田のロマンチストとしての一面が強く出た曲である。
1コーラス目の
「街はイルミネーション 君はイリュージョン」
もそうだが、韻を意識した単語選びは「言いたいことをぶっ放す」のではなく「しっかりと推敲して物語を描く」という作り方をしたのがよくわかるが、この当時から峯田の音楽における最も大きなテーマ「恋とロック」が今も地続きであることが、
「月面のブランコは揺れる 今も」
とこの曲のフレーズを再び使用した、銀杏BOYZとしての最新シングル「恋は永遠」を聴いてもよくわかる。
BABY BABY
https://youtu.be/gns7e2FYyi0
4.「ハロー今君に素晴らしい世界が見えますか」 (銀河鉄道の夜 / GOING STEADY)
この曲のタイトルが宮沢賢治の同名小説によるものからであるということは峯田自身もよく口にしているが、GOING STEADYとしてのリリースから、銀杏BOYZとしても3バージョンの変化・進化を遂げているこの曲は、当然バージョンごとのサウンドに合わせて歌詞も少しずつ変化している。
しかしどのバージョンにおいても歌詞が変わらず、最も強いインパクトを放っているのがこのフレーズ。その最大の理由は、曲中に計4回出てくるこのフレーズの中で、最後のサビ前に歌われる部分。峯田はほとんど自身の声のみが強く聴こえる抑制されたサウンドの上でこのフレーズを2回繰り返し、そして「あなたへの想い」を爆発させるように思いっきり叫ぶ。その叫びに合わせてバンドも一気に音量を上げる。その瞬間に訪れるカタルシスは、リリースから15年の月日が流れてもこの曲を至上の名曲たらしめている。
銀河鉄道の夜
https://youtu.be/NzuImOr9_qw
5.「愛だの、平和だの、戦争だの、テロだのよ、誰も俺らの青春はァ 殺せやアしねえんだよ!!!」 (童貞ソー・ヤング / GOING STEADY)
青春時代を謳歌している時というのは、自分がその真っ只中にいるということに気づかないものだ、とよく言われているが、確かにそうなのかもしれない。あの頃の得体の知れない無敵な感覚を、歳を重ねて現実を知ると忘れていってしまう。そしていつの間にか自ら予防線を張り巡らせて、気づいたらつまらない大人になってしまっている。
オリコン初登場3位という、当時のインディーズシングルの最高記録を打ち立て、まさに青春パンクの時代の絶頂を到来させたこの曲に宿る力は、まさに青春時代だからこその全能感そのものである。しかしそれを峯田は「童貞」という、誰しもが通過(あるいは保持)しながらも、誰も歌ったことのなかったテーマに込めた。そこに他の何よりも勝る力があるということを峯田は自身の経験によって知っていたからである。そしてそれを臆面なく、まるで黄金のようなメロディに乗せて歌うことによって、この曲は日本の音楽シーンの歴史を塗り替え、当時の童貞少年たちのアンセムになった。
それから15年経ち、峯田はもう40歳になる。峯田はこの曲をライブでは歌わなくなったが、MCではアリアナ・グランデのライブなど、世界各地で起きているテロ事件について触れるようになった。それらの事件によって心を痛めているのは話し方からもわかるが、同時に峯田はテロなんかに屈せず、そしてテロの起きない世界を願っている。それはかつてこの曲の最後に叫んだ、このフレーズを今でも他の誰よりも峯田自身が信じているかのように。
童貞ソー・ヤング
https://youtu.be/gesKtYs1wqs
6.「パンクロックを聴いた 世界が真っぷたつに軋んだ
原爆か 水爆か チンポコを掻きむしった」 (若者たち / GOING STEADY)
言わずと知れたこの曲のパンクロックの歴史を作ってきた存在である、甲本ヒロトは少年時代に初めてセックス・ピストルズ、つまりパンクロックを聴いた瞬間のことを、
「チンポコが引き抜かれるような衝撃を受けた」
と振り返っている。
峯田がそのエピソードを知っているのかはわからないが、峯田にパンクと出会った時の衝撃を与えたのは、GREEN DAYであり、そのブルーハーツである。
それを峯田が歌詞にするとこのようになるのだが、それはつまり我々がGOING STEADYと出会った瞬間のことでもある。そうやってロックやパンクは次の世代にまた新たな衝撃を与えて継承されていくのだが、峯田は今年リリースした「エンジェルベイビー」で、
「夜の静けさを切り裂くように スピーカーからロックは僕に叫んだ」
と、「若者たち」のような性急でドシャメシャなサウンドではなく、ポップに整理されたサウンドで歌っている。同じことを歌っているようだが、「パンクロック」から「ロック」に変わった歌詞同様に、峯田と音楽との距離感、峯田が歌うべき対象も明らかに変わっている。
若者たち
https://youtu.be/_t_GZa64sQc
7.「わたしはまぼろしなの あなたの夢の中にいるの
触れれば消えてしまうの それでもわたしを抱きしめてほしいの」 (駆け抜けて性春 / 銀杏BOYZ)
口調が女性のものなのは、このフレーズがYUKIが歌うパートだからである。なので、CDにおいては峯田とYUKIのデュエットソングと言うこともできるが、ライブでは当然YUKIが出てくることがないのでどうするのかと言えば、他のメンバーが歌うのではなく、近年のライブにおいては峯田はマイクを客席に向け、観客にこのフレーズを合唱させる。男性が多い銀杏BOYZのファンも、毎回本当に大きな声で歌う。その瞬間、この曲は峯田とYUKIのデュエットソングではなく、銀杏BOYZと我々ファンのデュエットソングになる。それは、互いが互いの存在を必要としていて、何よりも大事であるということを実感させてくれる、実に美しい瞬間である。
銀杏BOYZの音楽は自分自身と向き合うためのものでもあるが、ライブでのこのパートの大合唱は決して自分は孤独ではなかった、という現実が目の前に広がる。
駆け抜けて性春
https://youtu.be/dqEoXloeWjU
8.「あの娘のメールアドレスをゲットするため僕は生まれてきたの」 (援助交際 / 銀杏BOYZ)
「ポップミュージックは時代を写す鏡」と言ったのは誰だったか。今やラブソングにおいては「LINEの既読が~」というフレーズが登場する時代であるし、過去には「ポケベルが鳴らなくて」というタイトルの曲もあった。
そうした曲は往々にして、年月が経つことによって意味が伝わらなくなる(現在の若い人はポケベルというものをまず知らないだろう)が、逆に言うとその時代の空気を切り取っているとも言える。
「ナイトライダー」にも
「君からメールが来ないから」
「しょうもない写メールを撮って君に送るよ」
というフレーズがあるが、峯田の歌詞には「メール」というシチュエーションがよく出てくる。それはこの曲を作っていた時の峯田の異性との連絡手段がメールであったということを示しているが、メールアドレスをゲットしたところで何も起きないだろうということもわかっているのだが、そうすることであの娘をどこかの誰かから自分の元へ引き寄せられるのではないだろうか、という根拠のない期待や自信が感じられるフレーズである。
ちなみに峯田はこの曲のリメイクバージョンである「円光」ではこのフレーズを
「あの娘のIDをゲットするため」
と2017年にアップデートした歌詞で歌っている。
もしかしたら、若い人が「メール」という単語を聞いてもなんのことかわからないような未来が来るかもしれない。その時にこの曲の魅力がなくなってしまうだろうか。いや、仮にそういう時代になったとしても、この曲の「眠れない夜を優しく包む恋のメロディ」は色褪せることはないはずだ。
援助交際
https://youtu.be/1q2dIoZFtlk
9.「死に急ぐのではなく生き急ぐのさ 傷だらけで恥を晒しても生きるのさ」 (NO FUTURE NO CRY / 銀杏BOYZ)
2004年に「君と僕の第三次世界大戦的恋愛革命」「DOOR」のアルバム2枚をリリースした当時の銀杏BOYZは、ツアー中にライブでの激しいパフォーマンスによって峯田が度重なる骨折や怪我をし、ライブが延期になることが本当に多かった。
そうすることがあの4人での銀杏BOYZとしての美学であり生き様だったのだが、その様はまさに生き急いでいた。さらには野外フェスで峯田が全裸になってニュースで報道されるなど、まさに「傷だらけで恥を晒しながら」生きていたわけだが、
「俺は命を捧げる 俺の命をここに見つけるために」
「気が狂いそうな夜を何度も越えて おまえに会いたくてここまで来たんだ」
など、この曲はまさに当時の銀杏BOYZの生き様そのものというフレーズだらけでできている。
その姿はまさしく「生」の証明と肯定であった。それは近年、ライブで峯田が毎回口にする、
「なんぼ覚せい剤やったっていい、援助交際やったっていい。生きていればそれでいい。生きていれば、また会えるから」
という言葉そのものだった。我々は銀杏BOYZのその姿を見て生きていく力を貰ってきたわけだが、トリビュートアルバムでカバーしたサンボマスターのように、この曲を好きな人は非常に多い。
NO FUTURE NO CRY
https://youtu.be/Y40cNWYjSGI
10.「生まれてこなければよかったと思ったときもあったけど でも生きててよかったよ」 (べろちゅー / 銀杏BOYZ)
峯田も敬愛するフラワーカンパニーズの代表曲に「深夜高速」という曲がある。その曲は
「生きてて良かった そんな夜を探してる」
というフレーズを鈴木圭介が何度も繰り返す曲なのだが、それを銀杏BOYZが曲にするとこのフレーズになる。この「生きてて良かったよ」と思える瞬間は、銀杏BOYZのファンにとっては紛れもなく銀杏BOYZのライブを見た後に真っ先に浮かぶ感情である。
しかし、自分は「生きてて良かった」と思ったことは数多くあれど、「生まれてこなければ良かった」と思ったことは全然ない。その理由は、峯田和伸が今も我々の前に立って歌っているからである。今までいろんなミュージシャンたちが先にいなくなってしまうというのを経験してきたが、その人たちが生きていたらどんな音楽を生み出していたのかを見ていたかった。だからこそ峯田和伸が曲を作り、ライブをやっている限りは、その姿を最後まで見ていたいのである。
銀杏BOYZを好きでいると、辛いこともたくさんあった。ライブが見たくてもやらないから見れない、新曲が聴きたいのになかなか出ない、ようやく新作が出ると思ったら峯田以外のメンバーが別れや感謝を告げる暇もなく全員脱退。
そうしているうちに、かつて一緒に銀杏BOYZのライブを見に行っていた人たちはもはや銀杏BOYZが活動しているかどうかもわからなくなり、昔ライブ会場でよく見かけていた人も今では見なくなってしまった人もいる。
でも、それでも自分は銀杏BOYZから離れられなかった。やっぱり今でもこんなにも「生きてて良かった」と思える日は銀杏BOYZのライブを見た日しかない。それはつまり、もうお酒を飲める年齢をとっくに超えたし、同年代の友人達が家族を築いていく中で、自分も大人になったつもりではあったけれど、結局中身は初めてGOING STEADYに出会った時と変わっていないのかもしれない。
だから今でも銀杏BOYZの音楽に救われ続けているし、ライブを見るといつも涙が溢れてきてしまう。バンドにもいろんなことがあったけれど、やっぱり「信じてよかったよ」と心から思える。「べろちゅー」のこのフレーズをライブで聴くと、そんなことを毎回思わずにはいられないのである。
べろちゅー
https://youtu.be/rXjQOgXpQ5M
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