銀杏BOYZ 「日本の銀杏好きの集まり」 @日本武道館 10/13
- 2017/10/14
- 01:52
初めてGOING STEADYの「さくらの唄」を聴いた時の衝撃を今もよく覚えている。高校1年生の春先、実家の部屋で聴いた瞬間、衝撃が走った。その瞬間から、人生が変わってしまった。中学生の頃までは普通のJ-POPばかり聴いていたのが、いきなりそうしたものが全て嘘臭く感じるようになってしまった。それくらい、峯田和伸(当時はミネタカズノブ名義だった)の作る音楽は自分にとってリアルそのもの、というか「これは自分のための音楽だ」と思えるものに初めて出会った瞬間だった。
しかしGOING STEADYは人気絶頂期にあっさりと解散、峯田は新しく銀杏BOYZを始動させ、時にはニュースや新聞を騒がせるような事件もありながら、数々の若者たちを「パンク」や「ロック」に導いていく。当時、あんなに強いカリスマ性を放っていたボーカルと、そのボーカルと心中するかのように音楽観や精神までもが一体化していたメンバーのバンドは他にいなかった。
しかしながら銀杏BOYZはやがて制作に専念するとともにライブをやることすらもなくなっていく。そして2013年、ようやく新たなアルバムの発売を発表すると同時に、チン中村、安孫子真哉、村井守という、峯田とずっと一緒に活動してきたメンバーが脱退し、峯田はたった1人で銀杏BOYZの名前を背負っていくことになる。
1人になった当初は弾き語りという形だったが、徐々にサポートメンバーが集まったことによって、今はバンド編成になり、今年は「恋とロック3部作」という、原点回帰的なシングルを3枚リリースし、主催ツアーのみならず対バンライブやフェス出演など、かつての沈黙っぷりからは考えられないくらいにライブも精力的に行うようになった。
この日はその集大成とも言える、銀杏BOYZ初の日本武道館ワンマン。峯田自身は「武道館だからといって、特に普段と変わらないライブになるはず」とテレビに出演した際に話していたが、バンドにとっても、この男の音楽をずっと聴いて生きてきた我々にとっても、この日は間違いなく節目の日になる。なぜなら銀杏BOYZを始めた当時、渋谷公会堂や日比谷野音でこそワンマンをやってはいたが、「絶対埋まるのに敢えて武道館ではやらない」というバンドだったからだ。(近年、Dragon Ashが武道館でやったり、盟友のサンボマスターも12月に武道館ワンマンが決定していたりと、そうしたバンドたちが武道館に立つことも増えたが)
だからこそ開演前の物販列には、「本当にこの日の丸の下のステージに銀杏BOYZが立つ日が来たんだ」という実感を噛みしめているような、明らかに仕事を休んで来たであろう年齢の人たちがたくさん並んでいた。文字通り、これは「日本の銀杏好きの集まり」であるということを開演前から実感する。
場内に入ると、峯田自身の選曲であろう斉藤由貴「卒業」や森高千里「私がオバさんになっても」などの懐メロが流れる中、ステージには赤いカーペットが敷かれており、左右にはモニター、さらに下手には銀杏BOYZの代表曲の歌詞を彷彿とさせる白いブランコが設置されているという、やはりいつもとは違う特別感が漂っている。
こういう大会場でのライブというのは得てして開演時間が押しがちなのだが、まさかの18:30ちょうど(武道館は2階スタンドに電光の時計があるのでわかりやすい)に場内が急に暗転し、ステージ中央にはスクリーンが現れる。そこに映し出されたのは、今年のツアーの各会場で収録された、銀杏BOYZのファンの人たちの銀杏BOYZへの熱い気持ちを語るシーン。どの会場で収録されたのかも、その人たちがどこに住んでいて、何ていう名前で、何歳なのかも全く知らないが、あの人たちはまるで自分自身だった。それはきっとこの会場にいた人たちみんなそう。銀杏BOYZが好きな人が誰しもが抱えている銀杏BOYZへの想いを彼らが映像の中で代弁していた。
映像が終わると、メンバーたちが順番にステージに登場。最初に登場した岡山健二がドラムを叩き始めると、藤原寛(ベース)、加藤綾太(ギター)、山本幹宗(ギター)が順番にノイジーな音を乗せて行くと、最後に大歓声に迎えられた峯田和伸が、
「hello my friend そこにいるんだろ」
と歌詞のフレーズを語りかけて始まったのは、ロックとの出会いについて歌った、今年の3ヶ月連続リリースの第1弾である「エンジェルベイビー」。この曲で歌われている峯田とロックとの出会いは我々に置き換えたら自分と銀杏BOYZ(あるいはGOING STEADY)との出会いだ。そんなここにいる誰しもが経験したことを実に的確に歌にできるのは、やはり峯田自身もその経験があるから。そうやって音楽は繋がっていくという曲でもある。
山本と加藤に加えて峯田のギターもノイジーさを増していったのは「BEACH」で生まれ変わった「まだ見ぬ明日に」。この曲に自分が思い入れが一際強いのは、自分がGOING STEADYに出会ったアルバムである「さくらの唄」の1曲目に収録されていた曲だから。つまり、自分が初めてちゃんと聴いた峯田が作った曲だから。
アレンジはだいぶノイジーになりながらも、ゴイステ時代のパンクさを残したものになっているが、
「死にかけたままの情熱が「こんなもんか」と僕に問いかける」
「失いかけてた希望の光が「それでも来い」と僕を呼んでいる」
というかつてと変わらぬフレーズは、この曲を初めて聴いた、脳天をかち割られたかのような衝撃を思い起こさせてくれるし、今でも自分の背中を力強く押してくれる。
「日本武道館、今日だけは日本を代表して、日の丸の下で「若者たち」を歌わせてもらいます!」
と、この日この場所でこの曲を演奏する意味をしっかり感じさせた「若者たち」では演奏が終わると峯田は武道館の客席を端から端まで眺め、この日会場に足を運んだ観客に手を振ってみせる。
加藤も床を転がりながらギターを弾き、CDでのYUKIによる
「私は幻なの あなたの夢の中にいるの
触れれば消えてしまうの それでも私を抱きしめて欲しいの」
というフレーズをマイクスタンドを客席に向けて大合唱させた「駆け抜けて性春」と、冒頭から飛ばしまくる。5~6曲しかできないフェスのライブではなく、今日はこの後もたくさんの曲を演奏するワンマンである。それなのにこのペース配分という言葉を全く知らないような勢いを、
「他の人たちが42.195kmをちゃんとペース配分考えて走ってて。俺たちは100m走みたいに全力で走ることしかできなくて。だから途中で倒れたり、他の人に抜かされたりして、他の人はもうゴールしてる。でも俺たちはその走り方しかできないし、そうやって何回倒れても、何回でも起き上がってまた100m走みたいに全力で走る。それでいいんだな、って思ってる」
と実に上手い例えを用いて語ったが、これは事前に考えてきたMCらしい。逆に考えてきたMCはこれだけだったらしいが。
峯田がアコギに持ち替えると、その勢いは少し変わる。
「生まれてこなければ良かったと思った時もあったけど 生きてて良かったよ」
と、まさにこの日この瞬間の我々の心境をそのまま歌っているかのような美しいバラード「べろちゅー」をじっくりと聴かせると、峯田がドラマで共演した麻生久美子と夜の商店街を歩くMVが話題を呼んだ「骨」は元々は安藤裕子に提供した曲のセルフカバーであることを忘れさせるくらいに新たな銀杏BOYZの名曲となり、峯田はやはり
「東京タワーのてっぺんから 武道館までジャンプする」
と歌詞を変えて歌ってみせる。
さらに「援助交際」の現メンバーでのリアレンジバージョン「円光」では峯田がハンドマイクで歌いながら下手に伸びた通路を歩き、下手の1階スタンドの最前列で見ていた男性ファンとハイタッチするのだが、その男性がスーツにネクタイ姿という出で立ちで盛り上がりまくっていたので、
「ああ、1週間働いて、今日も仕事終わってから疲れてるはずなのに武道館まで急いで来て、こんなに楽しそうに自分を解放しているんだろうなぁ」
と全く知らない人のバックグラウンドを想像してしまった。
さらにクリープハイプのカバーである「二十九、三十」と今年のシングル3部作の収録された曲が続いたのだが、クリープハイプの尾崎世界観は自分が作った曲を、大ファンである銀杏BOYZがカバーして、しかも武道館で演奏しているなんて想像していただろうか。またクリープハイプが武道館でワンマンをやる日が来るのなら、今度は原曲をこの場所で聴いてみたいものだ。
「今日の武道館のステージは僕の部屋です」
とMCで峯田が言い始めた時は、確かにソファとかがステージにあるにしても「?」という感じだったのだが、
「今日のこのライブは俺がずっとやりたかったライブで、来てくれたみなさんがずっと見たかったライブ。そして今日ここに来れなかった人たちが夢想したライブです。
今日、それが現実になりました。夢で逢えたぜ!」
と近年ではライブで毎回やる曲になった「夢で逢えたら」に繋げてみせ、ポップな「ナイトライダー」は間違いなくトリビュートアルバムでGOING UNDER GROUNDがカバーし、対バンライブで一緒に演奏したからこそこうしてワンマンでもやるようになった曲。それはクリープハイプがカバーした「援助交際」もそうだが、峯田はトリビュートアルバムを聴いて、
「この曲、こんなに良い曲だったんだ、って改めて思った。ライブでやってみたいな、って」
と語っていた。こうしてライブで聴けているということは、トリビュートアルバムに参加したアーティストに最敬礼である。
加藤が高速でギターをかき鳴らすイントロで始まったのは、実に久しぶりの「トラッシュ」。まさかこの曲を再びライブで聴けるとは思わなかったし、そのアレンジはほぼ当時のままで、峯田だけでなく加藤も暴れまわりながら、山本もジャンプを連発しながらギターを弾く。あの4人の時のように全てが一体となっているわけではないが、紛れもなく彼らも銀杏BOYZのメンバーになってきている。
そのまま「I DON'T WANNA DIE FOREVER」に突入するのだが、すぐさま峯田が
「ちょっと喋っていい?」
と演奏をストップさせ、
「オープニングの映像見た?ああいうあんたらの顔を俺はずっと見てきたの。あんたらは俺たちしか見えてないかもしれないけど、俺はずっとあの顔を見てきた。あの汚い顔を(笑)」
と自身がライブの時に見ている客席の景色について話し始め、先日アメリカの音楽イベントで起きた銃乱射事件のことについてもひどく精神が傷つけられた様子で語り、
「もっと愛と平和について歌えばいいのにね、なにが「ラブラブシール貼らないでくれよ」だよ、中学生かよ、って(笑)
でも俺はそういう歌を歌うしかないんです!」
と決意を新たに「I DON'T WANNA DIE FOREVER」をかなりパンク要素の強い、つまりそれは「あいどんわなだい」のバージョンに近い形で歌い、テレビでも演奏した最新シングル「恋は永遠」で再びロマンチックな空気に。
「次にやる曲は俺が人生で1番歌ってきた曲です。村井君、アビちゃん、チン君、浅井君、斎藤正樹、この場を借りてありがとう」
と、銀杏BOYZから去った3人だけではなく、ゴイステ時代を共にしたアサイタケオ、さらにメンバーですらなかった元マネージャーの同級生である斎藤正樹に対して、おそらく初めてちゃんと感謝を告げると、
「この曲を作って初めて下北沢のスタジオで合わせた時、村井君は本当に泣いてた(笑)
今はあいつらはもういないけど、この曲をライブでやる時は俺の後ろにあいつらがいてくれる気がする」
と曲が生まれた時の話をして演奏した、「1番ライブでやってる曲」はもちろん「BABY BABY」。峯田は下手にあるブランコに乗りながら
「月面のブランコは揺れる」
という名フレーズを歌い、最後にはやはり観客による大合唱に。普段生活している中で、音楽があまり好きでない人に「音楽聴くのが好きです」と言って、「どういうの聴くの?」と言われてもなかなか「銀杏BOYZです」とは言いづらい。そういう人たちは銀杏BOYZの存在を知らないから。だから銀杏BOYZを好きな人は今でもずっとマイノリティだと思っているのだが、そんな「日本の銀杏好きの」人たちが1万人以上も集まっていて、一緒にこの曲を歌っている。それは本当に美しい光景だったし、その光景を作ったのは、この曲を生み出したGOING STEADYのメンバー、ずっとこの曲を演奏してきた銀杏BOYZのメンバー、そして今こうしてこの曲を演奏しているサポートメンバーたちがいるから。ゴイステと銀杏BOYZ、さらに今の峯田1人での銀杏BOYZは決してそれぞれ分断されたものじゃなくて、1つのずっと続いてきたものだったんだ、ということを改めて実感させてくれる。
さらに、
「今年で1997年に初めてGOING STEADYでライブしてからちょうど20年になるんだけど、俺には大きな3つの転機があって。
その1つは高校生の時に同級生に「ライブやるんだけどボーカルいないから歌ってくれない?」って言われて「やる」って即答した時。なんで即答したかわからないけど、あの時に何かが変わった。
もう1つはGREEN DAYのライブを見に行った時に、斎藤正樹と一緒に行ったんだけど、帰りに2人で公園のブランコに座って、「俺将来バンドやるわ」って言ったら斎藤が「じゃあ俺マネージャーやるわ」って言ってくれた時。
そして最後の1つは今日です!もう今日で味しめちゃったから、来年もまた武道館やります!」
と早くも来年も武道館でやることをなんの決定もしてないのに告げ、やはり峯田にとってもこの日が特別なものになっていることを感じさせたが、見ているこちらにとってもこの日は間違いなく特別な日になってきていた。
そんな話の後に演奏された「新訳・銀河鉄道の夜」ではステージ背面に美しい星空が輝き、かと思うと一転して「光」の壮絶なまでに強いメッセージが峯田とメンバーの暴れっぷりによってさらに際立つ。実に長い曲ではあるが、この曲はCDで聴くのとライブで聴くのでは全く違う。本当にライブで聴いてこそ完成し、真価を発揮する曲だ。
さらにこの最終盤になって「NO FUTURE NO CRY」という実に喉にキツい選曲をしてくるのだが、
「死に急ぐのではなく生き急ぐのさ
傷だらけで恥を晒しても生きるのさ」
というフレーズはメンバーとライブのやり方が変わってもなお銀杏BOYZの生き様そのものとして響いてくる。
そして峯田もメンバーも実に体力がキツそうな状態で演奏されたラストの「僕たちは世界を変えることができない」では峯田がイントロで1人ずつ今のサポートメンバーたちを紹介し、その度に観客から拍手が沸き起こった。まるで「こうして銀杏BOYZとしてステージに立って演奏してくれてありがとう」と言っているかのように。
アンコールではまず峯田が1人で登場し、「人間」を弾き語り。途中からバンドサウンドになることなく弾き語りのみで終えたのには何か意味があるのだろうか?
サポートメンバーたちが再びステージに現われると、
「今日12時くらいにここに来たんだけど、着いたらちょうど雨が止んでいて。しょっぱい匂いがして。この曲を歌いたい、って思ったんだ」
と言って演奏されたのはもちろん飛びっきりポップな「ぽあだむ」。ノイズ色の強かった「光の中に立っていてね」においてノイズ成分をほとんど感じないくらいにポップな曲だが、「骨」などの近年のポップな曲の出発点はこの曲にあったんじゃないか、とも思わされる。
これで終わりかと思いきや、
「視力が悪いから前から4列目までしか見えない(笑)
それ以外の黒い服の人はゴキブリ、白い服の人はウジ虫にしか見えない(笑)」
と笑わせながら、この日何度目かの
「また会いましょう。生きてれば必ず会えるから!」
という言葉の後に「あとまだやる曲あるか?」と思っていたら、山本のギターが奏で出したイントロは実に久しぶりの「もしも君が泣くならば」だった。GOING STEADYのデビューアルバム「BOYS & GIRLS」からアルバム出すたびにアレンジを変えて収録されてきたこの曲が、客電が点いて明るくなった武道館で鳴り響いている。それはまさに峯田和伸の作った音楽をずっと聴き続けてきた我々に光が差し込んできた瞬間であり、「BOYS & GIRLS」「さくらの唄」ばかり聴いていた高校生の頃の自分に見せてやりたい光景だった。
銀杏BOYZを聴き続けてきたことで、辛いことも少しどころではなかったけれど、それでも聴くこととライブに行くことを辞めなければ、こんなに美しい光景を見ることができる。だからその日が来るまで、ちゃんと生きてやろうぜ、ってあの頃の自分に言ってやれたら、どれだけ生きていく力を貰えたことだろうか。
そして峯田はこの曲が作ってきた歴史を総括するかのように、アレンジは銀杏BOYZバージョンではあったが、サビ前の歌詞は銀杏BOYZの
「I WANNA BE BEAUTIFUL」
ではなく、ゴイステ時代の
「I WANNA BE SO BEAUTIFUL」
と歌っていた。たかが「SO」がつくかつかないか。たったそれだけだけど、それだけで全然変わる。それはこの日会場にいた人たちならみんなわかるはず。それくらいこの曲は収録されたアルバム毎に全然違う印象になるから。
全ての力を使い果たしたかのようにグッタリと倒れこむ峯田を残して先に去っていくサポートメンバーたち。山本が岡山の背中に飛び乗る。その瞬間、きっとメンバーたちにとってもこの日ここでライブができたこと(山本、岡山と藤原はかつて武道館のステージに立っているが)、銀杏BOYZのメンバーとしてステージに立てたことは本当に幸せなことだったんだろうな、と思えた。なぜなら4人の時代に全くやるような素振りを見せなかった武道館ワンマンを、このメンバーたちと一緒にやったのだから。
普段、ライブが終わるとすぐに帰るのだが、この日は終演アナウンスの後もなかなか動けず、ステージに現われた少女の写真(前回のツアーと同じもの)をずっと眺めていた。それくらいに凄まじい余韻だったのだ。
今日まで生きてきたこと、銀杏BOYZをずっと聴き続けたこと、そして今日この武道館に来たこと、そのすべてを肯定してくれるかのような3時間だった。やっぱり銀杏BOYZは「ロック」であり「パンク」であり、そして誰よりも汚くて誰よりも美しいバンドだった。
前に峯田は言っていた。
「俺はロックを聴いたから惨めになったのか、惨めな俺がロックに救われたのかはわからないけど」
と。そうした発言を見るたびに、
「なんでこの人はこんなに自分の思考をそのまま口に出してくれるんだろうか」
と思っていた(もちろん自分にとって峯田の言う「ロック」はゴイステであり銀杏BOYZだった)が、もしかしたら、峯田和伸の作る音楽に出会わなければ、もっと真っ当な人生を送れていたのかもしれない。それこそカラオケでEXILEのバラードを歌いあげ、仕事で出世したり給料が上がったりするのに喜びを感じるような「普通の人生」の方が。
でも自分は峯田和伸に出会ってしまった。そして彼の作る音楽に救われて、こうしていろんな音楽を聴いてはいろんな場所にライブに行くような人生になってしまった。だから峯田和伸に出会わなかったら、こんなに音楽を好きになったり、いろんなバンドの音楽を聴くこともなかった。今、音楽の話をしている人たちに出会うこともなかったかもしれない。しかし今やそれが自分にとって最も大切なものであり、生きていく最大の理由になっている。だからもし高校生の頃に戻って、
「真っ当な人生を送るか、今と同じような人生を送るか選べる」
と言われたら、迷うことなく今と同じような人生を選ぶ。
今となっては日頃から銀杏BOYZばかり聴いているわけではないけれど、そうして色んなバンドの音楽を聴いているのも、「さくらの唄」を初めて聴いた時の「世界が真っ二つに軋んだ」あの感覚をもう一度味わいたいからなのかもしれない。でもそれはもう2度と味わえないものだということもわかっている。だけど銀杏BOYZのライブに来れば、あの時の衝撃を今でも思い出せる。だからライブに行くのをやめられないし、どこまででもついていきたくなる。
昔、銀杏BOYZのホームページにはBBSがあって、そこにはよく「死にたい」みたいな書き込みもあった。今でもツイッターとかを見ているとそういうことを書いている人を見かけるが、ネガティヴ思考な自分であっても、高校生の頃から今に至るまで、そう思ったことは全くない。
なぜなら、峯田和伸が今でもこうして歌っているから。峯田和伸が人生最後に作った曲を聴くまで、人生最後のライブを観るまで自分は死にたくない。この人の音楽に人生を変えられてしまったからこそ、最後の瞬間まで見届けて、骨までしゃぶり尽くしてから死にたい。それが何歳になってからなのかはわからないけど、この日のライブは改めてそう思わせてくれた。「I DON'T WANNA DIE FOREVERだよな」って。
1.エンジェルベイビー
2.まだ見ぬ明日に
3.若者たち
4.駆け抜けて性春
5.べろちゅー
6.骨
7.円光
8.二十九、三十
9.夢で逢えたら
10.ナイトライダー
11.トラッシュ
12.I DON'T WANNA DIE FOREVER
13.恋は永遠
14.BABY BABY
15.新訳・銀河鉄道の夜
16.光
17.NO FUTURE NO CRY
18.僕たちは世界を変えることができない
encore
19.人間 (弾き語り)
20.ぽあだむ
21.もしも君が泣くならば
骨
https://youtu.be/9axEhpMnBrA
援助交際
https://youtu.be/Y2MGtwB-oFc
Next→ 10/19 amazarashi @中野サンプラザ

しかしGOING STEADYは人気絶頂期にあっさりと解散、峯田は新しく銀杏BOYZを始動させ、時にはニュースや新聞を騒がせるような事件もありながら、数々の若者たちを「パンク」や「ロック」に導いていく。当時、あんなに強いカリスマ性を放っていたボーカルと、そのボーカルと心中するかのように音楽観や精神までもが一体化していたメンバーのバンドは他にいなかった。
しかしながら銀杏BOYZはやがて制作に専念するとともにライブをやることすらもなくなっていく。そして2013年、ようやく新たなアルバムの発売を発表すると同時に、チン中村、安孫子真哉、村井守という、峯田とずっと一緒に活動してきたメンバーが脱退し、峯田はたった1人で銀杏BOYZの名前を背負っていくことになる。
1人になった当初は弾き語りという形だったが、徐々にサポートメンバーが集まったことによって、今はバンド編成になり、今年は「恋とロック3部作」という、原点回帰的なシングルを3枚リリースし、主催ツアーのみならず対バンライブやフェス出演など、かつての沈黙っぷりからは考えられないくらいにライブも精力的に行うようになった。
この日はその集大成とも言える、銀杏BOYZ初の日本武道館ワンマン。峯田自身は「武道館だからといって、特に普段と変わらないライブになるはず」とテレビに出演した際に話していたが、バンドにとっても、この男の音楽をずっと聴いて生きてきた我々にとっても、この日は間違いなく節目の日になる。なぜなら銀杏BOYZを始めた当時、渋谷公会堂や日比谷野音でこそワンマンをやってはいたが、「絶対埋まるのに敢えて武道館ではやらない」というバンドだったからだ。(近年、Dragon Ashが武道館でやったり、盟友のサンボマスターも12月に武道館ワンマンが決定していたりと、そうしたバンドたちが武道館に立つことも増えたが)
だからこそ開演前の物販列には、「本当にこの日の丸の下のステージに銀杏BOYZが立つ日が来たんだ」という実感を噛みしめているような、明らかに仕事を休んで来たであろう年齢の人たちがたくさん並んでいた。文字通り、これは「日本の銀杏好きの集まり」であるということを開演前から実感する。
場内に入ると、峯田自身の選曲であろう斉藤由貴「卒業」や森高千里「私がオバさんになっても」などの懐メロが流れる中、ステージには赤いカーペットが敷かれており、左右にはモニター、さらに下手には銀杏BOYZの代表曲の歌詞を彷彿とさせる白いブランコが設置されているという、やはりいつもとは違う特別感が漂っている。
こういう大会場でのライブというのは得てして開演時間が押しがちなのだが、まさかの18:30ちょうど(武道館は2階スタンドに電光の時計があるのでわかりやすい)に場内が急に暗転し、ステージ中央にはスクリーンが現れる。そこに映し出されたのは、今年のツアーの各会場で収録された、銀杏BOYZのファンの人たちの銀杏BOYZへの熱い気持ちを語るシーン。どの会場で収録されたのかも、その人たちがどこに住んでいて、何ていう名前で、何歳なのかも全く知らないが、あの人たちはまるで自分自身だった。それはきっとこの会場にいた人たちみんなそう。銀杏BOYZが好きな人が誰しもが抱えている銀杏BOYZへの想いを彼らが映像の中で代弁していた。
映像が終わると、メンバーたちが順番にステージに登場。最初に登場した岡山健二がドラムを叩き始めると、藤原寛(ベース)、加藤綾太(ギター)、山本幹宗(ギター)が順番にノイジーな音を乗せて行くと、最後に大歓声に迎えられた峯田和伸が、
「hello my friend そこにいるんだろ」
と歌詞のフレーズを語りかけて始まったのは、ロックとの出会いについて歌った、今年の3ヶ月連続リリースの第1弾である「エンジェルベイビー」。この曲で歌われている峯田とロックとの出会いは我々に置き換えたら自分と銀杏BOYZ(あるいはGOING STEADY)との出会いだ。そんなここにいる誰しもが経験したことを実に的確に歌にできるのは、やはり峯田自身もその経験があるから。そうやって音楽は繋がっていくという曲でもある。
山本と加藤に加えて峯田のギターもノイジーさを増していったのは「BEACH」で生まれ変わった「まだ見ぬ明日に」。この曲に自分が思い入れが一際強いのは、自分がGOING STEADYに出会ったアルバムである「さくらの唄」の1曲目に収録されていた曲だから。つまり、自分が初めてちゃんと聴いた峯田が作った曲だから。
アレンジはだいぶノイジーになりながらも、ゴイステ時代のパンクさを残したものになっているが、
「死にかけたままの情熱が「こんなもんか」と僕に問いかける」
「失いかけてた希望の光が「それでも来い」と僕を呼んでいる」
というかつてと変わらぬフレーズは、この曲を初めて聴いた、脳天をかち割られたかのような衝撃を思い起こさせてくれるし、今でも自分の背中を力強く押してくれる。
「日本武道館、今日だけは日本を代表して、日の丸の下で「若者たち」を歌わせてもらいます!」
と、この日この場所でこの曲を演奏する意味をしっかり感じさせた「若者たち」では演奏が終わると峯田は武道館の客席を端から端まで眺め、この日会場に足を運んだ観客に手を振ってみせる。
加藤も床を転がりながらギターを弾き、CDでのYUKIによる
「私は幻なの あなたの夢の中にいるの
触れれば消えてしまうの それでも私を抱きしめて欲しいの」
というフレーズをマイクスタンドを客席に向けて大合唱させた「駆け抜けて性春」と、冒頭から飛ばしまくる。5~6曲しかできないフェスのライブではなく、今日はこの後もたくさんの曲を演奏するワンマンである。それなのにこのペース配分という言葉を全く知らないような勢いを、
「他の人たちが42.195kmをちゃんとペース配分考えて走ってて。俺たちは100m走みたいに全力で走ることしかできなくて。だから途中で倒れたり、他の人に抜かされたりして、他の人はもうゴールしてる。でも俺たちはその走り方しかできないし、そうやって何回倒れても、何回でも起き上がってまた100m走みたいに全力で走る。それでいいんだな、って思ってる」
と実に上手い例えを用いて語ったが、これは事前に考えてきたMCらしい。逆に考えてきたMCはこれだけだったらしいが。
峯田がアコギに持ち替えると、その勢いは少し変わる。
「生まれてこなければ良かったと思った時もあったけど 生きてて良かったよ」
と、まさにこの日この瞬間の我々の心境をそのまま歌っているかのような美しいバラード「べろちゅー」をじっくりと聴かせると、峯田がドラマで共演した麻生久美子と夜の商店街を歩くMVが話題を呼んだ「骨」は元々は安藤裕子に提供した曲のセルフカバーであることを忘れさせるくらいに新たな銀杏BOYZの名曲となり、峯田はやはり
「東京タワーのてっぺんから 武道館までジャンプする」
と歌詞を変えて歌ってみせる。
さらに「援助交際」の現メンバーでのリアレンジバージョン「円光」では峯田がハンドマイクで歌いながら下手に伸びた通路を歩き、下手の1階スタンドの最前列で見ていた男性ファンとハイタッチするのだが、その男性がスーツにネクタイ姿という出で立ちで盛り上がりまくっていたので、
「ああ、1週間働いて、今日も仕事終わってから疲れてるはずなのに武道館まで急いで来て、こんなに楽しそうに自分を解放しているんだろうなぁ」
と全く知らない人のバックグラウンドを想像してしまった。
さらにクリープハイプのカバーである「二十九、三十」と今年のシングル3部作の収録された曲が続いたのだが、クリープハイプの尾崎世界観は自分が作った曲を、大ファンである銀杏BOYZがカバーして、しかも武道館で演奏しているなんて想像していただろうか。またクリープハイプが武道館でワンマンをやる日が来るのなら、今度は原曲をこの場所で聴いてみたいものだ。
「今日の武道館のステージは僕の部屋です」
とMCで峯田が言い始めた時は、確かにソファとかがステージにあるにしても「?」という感じだったのだが、
「今日のこのライブは俺がずっとやりたかったライブで、来てくれたみなさんがずっと見たかったライブ。そして今日ここに来れなかった人たちが夢想したライブです。
今日、それが現実になりました。夢で逢えたぜ!」
と近年ではライブで毎回やる曲になった「夢で逢えたら」に繋げてみせ、ポップな「ナイトライダー」は間違いなくトリビュートアルバムでGOING UNDER GROUNDがカバーし、対バンライブで一緒に演奏したからこそこうしてワンマンでもやるようになった曲。それはクリープハイプがカバーした「援助交際」もそうだが、峯田はトリビュートアルバムを聴いて、
「この曲、こんなに良い曲だったんだ、って改めて思った。ライブでやってみたいな、って」
と語っていた。こうしてライブで聴けているということは、トリビュートアルバムに参加したアーティストに最敬礼である。
加藤が高速でギターをかき鳴らすイントロで始まったのは、実に久しぶりの「トラッシュ」。まさかこの曲を再びライブで聴けるとは思わなかったし、そのアレンジはほぼ当時のままで、峯田だけでなく加藤も暴れまわりながら、山本もジャンプを連発しながらギターを弾く。あの4人の時のように全てが一体となっているわけではないが、紛れもなく彼らも銀杏BOYZのメンバーになってきている。
そのまま「I DON'T WANNA DIE FOREVER」に突入するのだが、すぐさま峯田が
「ちょっと喋っていい?」
と演奏をストップさせ、
「オープニングの映像見た?ああいうあんたらの顔を俺はずっと見てきたの。あんたらは俺たちしか見えてないかもしれないけど、俺はずっとあの顔を見てきた。あの汚い顔を(笑)」
と自身がライブの時に見ている客席の景色について話し始め、先日アメリカの音楽イベントで起きた銃乱射事件のことについてもひどく精神が傷つけられた様子で語り、
「もっと愛と平和について歌えばいいのにね、なにが「ラブラブシール貼らないでくれよ」だよ、中学生かよ、って(笑)
でも俺はそういう歌を歌うしかないんです!」
と決意を新たに「I DON'T WANNA DIE FOREVER」をかなりパンク要素の強い、つまりそれは「あいどんわなだい」のバージョンに近い形で歌い、テレビでも演奏した最新シングル「恋は永遠」で再びロマンチックな空気に。
「次にやる曲は俺が人生で1番歌ってきた曲です。村井君、アビちゃん、チン君、浅井君、斎藤正樹、この場を借りてありがとう」
と、銀杏BOYZから去った3人だけではなく、ゴイステ時代を共にしたアサイタケオ、さらにメンバーですらなかった元マネージャーの同級生である斎藤正樹に対して、おそらく初めてちゃんと感謝を告げると、
「この曲を作って初めて下北沢のスタジオで合わせた時、村井君は本当に泣いてた(笑)
今はあいつらはもういないけど、この曲をライブでやる時は俺の後ろにあいつらがいてくれる気がする」
と曲が生まれた時の話をして演奏した、「1番ライブでやってる曲」はもちろん「BABY BABY」。峯田は下手にあるブランコに乗りながら
「月面のブランコは揺れる」
という名フレーズを歌い、最後にはやはり観客による大合唱に。普段生活している中で、音楽があまり好きでない人に「音楽聴くのが好きです」と言って、「どういうの聴くの?」と言われてもなかなか「銀杏BOYZです」とは言いづらい。そういう人たちは銀杏BOYZの存在を知らないから。だから銀杏BOYZを好きな人は今でもずっとマイノリティだと思っているのだが、そんな「日本の銀杏好きの」人たちが1万人以上も集まっていて、一緒にこの曲を歌っている。それは本当に美しい光景だったし、その光景を作ったのは、この曲を生み出したGOING STEADYのメンバー、ずっとこの曲を演奏してきた銀杏BOYZのメンバー、そして今こうしてこの曲を演奏しているサポートメンバーたちがいるから。ゴイステと銀杏BOYZ、さらに今の峯田1人での銀杏BOYZは決してそれぞれ分断されたものじゃなくて、1つのずっと続いてきたものだったんだ、ということを改めて実感させてくれる。
さらに、
「今年で1997年に初めてGOING STEADYでライブしてからちょうど20年になるんだけど、俺には大きな3つの転機があって。
その1つは高校生の時に同級生に「ライブやるんだけどボーカルいないから歌ってくれない?」って言われて「やる」って即答した時。なんで即答したかわからないけど、あの時に何かが変わった。
もう1つはGREEN DAYのライブを見に行った時に、斎藤正樹と一緒に行ったんだけど、帰りに2人で公園のブランコに座って、「俺将来バンドやるわ」って言ったら斎藤が「じゃあ俺マネージャーやるわ」って言ってくれた時。
そして最後の1つは今日です!もう今日で味しめちゃったから、来年もまた武道館やります!」
と早くも来年も武道館でやることをなんの決定もしてないのに告げ、やはり峯田にとってもこの日が特別なものになっていることを感じさせたが、見ているこちらにとってもこの日は間違いなく特別な日になってきていた。
そんな話の後に演奏された「新訳・銀河鉄道の夜」ではステージ背面に美しい星空が輝き、かと思うと一転して「光」の壮絶なまでに強いメッセージが峯田とメンバーの暴れっぷりによってさらに際立つ。実に長い曲ではあるが、この曲はCDで聴くのとライブで聴くのでは全く違う。本当にライブで聴いてこそ完成し、真価を発揮する曲だ。
さらにこの最終盤になって「NO FUTURE NO CRY」という実に喉にキツい選曲をしてくるのだが、
「死に急ぐのではなく生き急ぐのさ
傷だらけで恥を晒しても生きるのさ」
というフレーズはメンバーとライブのやり方が変わってもなお銀杏BOYZの生き様そのものとして響いてくる。
そして峯田もメンバーも実に体力がキツそうな状態で演奏されたラストの「僕たちは世界を変えることができない」では峯田がイントロで1人ずつ今のサポートメンバーたちを紹介し、その度に観客から拍手が沸き起こった。まるで「こうして銀杏BOYZとしてステージに立って演奏してくれてありがとう」と言っているかのように。
アンコールではまず峯田が1人で登場し、「人間」を弾き語り。途中からバンドサウンドになることなく弾き語りのみで終えたのには何か意味があるのだろうか?
サポートメンバーたちが再びステージに現われると、
「今日12時くらいにここに来たんだけど、着いたらちょうど雨が止んでいて。しょっぱい匂いがして。この曲を歌いたい、って思ったんだ」
と言って演奏されたのはもちろん飛びっきりポップな「ぽあだむ」。ノイズ色の強かった「光の中に立っていてね」においてノイズ成分をほとんど感じないくらいにポップな曲だが、「骨」などの近年のポップな曲の出発点はこの曲にあったんじゃないか、とも思わされる。
これで終わりかと思いきや、
「視力が悪いから前から4列目までしか見えない(笑)
それ以外の黒い服の人はゴキブリ、白い服の人はウジ虫にしか見えない(笑)」
と笑わせながら、この日何度目かの
「また会いましょう。生きてれば必ず会えるから!」
という言葉の後に「あとまだやる曲あるか?」と思っていたら、山本のギターが奏で出したイントロは実に久しぶりの「もしも君が泣くならば」だった。GOING STEADYのデビューアルバム「BOYS & GIRLS」からアルバム出すたびにアレンジを変えて収録されてきたこの曲が、客電が点いて明るくなった武道館で鳴り響いている。それはまさに峯田和伸の作った音楽をずっと聴き続けてきた我々に光が差し込んできた瞬間であり、「BOYS & GIRLS」「さくらの唄」ばかり聴いていた高校生の頃の自分に見せてやりたい光景だった。
銀杏BOYZを聴き続けてきたことで、辛いことも少しどころではなかったけれど、それでも聴くこととライブに行くことを辞めなければ、こんなに美しい光景を見ることができる。だからその日が来るまで、ちゃんと生きてやろうぜ、ってあの頃の自分に言ってやれたら、どれだけ生きていく力を貰えたことだろうか。
そして峯田はこの曲が作ってきた歴史を総括するかのように、アレンジは銀杏BOYZバージョンではあったが、サビ前の歌詞は銀杏BOYZの
「I WANNA BE BEAUTIFUL」
ではなく、ゴイステ時代の
「I WANNA BE SO BEAUTIFUL」
と歌っていた。たかが「SO」がつくかつかないか。たったそれだけだけど、それだけで全然変わる。それはこの日会場にいた人たちならみんなわかるはず。それくらいこの曲は収録されたアルバム毎に全然違う印象になるから。
全ての力を使い果たしたかのようにグッタリと倒れこむ峯田を残して先に去っていくサポートメンバーたち。山本が岡山の背中に飛び乗る。その瞬間、きっとメンバーたちにとってもこの日ここでライブができたこと(山本、岡山と藤原はかつて武道館のステージに立っているが)、銀杏BOYZのメンバーとしてステージに立てたことは本当に幸せなことだったんだろうな、と思えた。なぜなら4人の時代に全くやるような素振りを見せなかった武道館ワンマンを、このメンバーたちと一緒にやったのだから。
普段、ライブが終わるとすぐに帰るのだが、この日は終演アナウンスの後もなかなか動けず、ステージに現われた少女の写真(前回のツアーと同じもの)をずっと眺めていた。それくらいに凄まじい余韻だったのだ。
今日まで生きてきたこと、銀杏BOYZをずっと聴き続けたこと、そして今日この武道館に来たこと、そのすべてを肯定してくれるかのような3時間だった。やっぱり銀杏BOYZは「ロック」であり「パンク」であり、そして誰よりも汚くて誰よりも美しいバンドだった。
前に峯田は言っていた。
「俺はロックを聴いたから惨めになったのか、惨めな俺がロックに救われたのかはわからないけど」
と。そうした発言を見るたびに、
「なんでこの人はこんなに自分の思考をそのまま口に出してくれるんだろうか」
と思っていた(もちろん自分にとって峯田の言う「ロック」はゴイステであり銀杏BOYZだった)が、もしかしたら、峯田和伸の作る音楽に出会わなければ、もっと真っ当な人生を送れていたのかもしれない。それこそカラオケでEXILEのバラードを歌いあげ、仕事で出世したり給料が上がったりするのに喜びを感じるような「普通の人生」の方が。
でも自分は峯田和伸に出会ってしまった。そして彼の作る音楽に救われて、こうしていろんな音楽を聴いてはいろんな場所にライブに行くような人生になってしまった。だから峯田和伸に出会わなかったら、こんなに音楽を好きになったり、いろんなバンドの音楽を聴くこともなかった。今、音楽の話をしている人たちに出会うこともなかったかもしれない。しかし今やそれが自分にとって最も大切なものであり、生きていく最大の理由になっている。だからもし高校生の頃に戻って、
「真っ当な人生を送るか、今と同じような人生を送るか選べる」
と言われたら、迷うことなく今と同じような人生を選ぶ。
今となっては日頃から銀杏BOYZばかり聴いているわけではないけれど、そうして色んなバンドの音楽を聴いているのも、「さくらの唄」を初めて聴いた時の「世界が真っ二つに軋んだ」あの感覚をもう一度味わいたいからなのかもしれない。でもそれはもう2度と味わえないものだということもわかっている。だけど銀杏BOYZのライブに来れば、あの時の衝撃を今でも思い出せる。だからライブに行くのをやめられないし、どこまででもついていきたくなる。
昔、銀杏BOYZのホームページにはBBSがあって、そこにはよく「死にたい」みたいな書き込みもあった。今でもツイッターとかを見ているとそういうことを書いている人を見かけるが、ネガティヴ思考な自分であっても、高校生の頃から今に至るまで、そう思ったことは全くない。
なぜなら、峯田和伸が今でもこうして歌っているから。峯田和伸が人生最後に作った曲を聴くまで、人生最後のライブを観るまで自分は死にたくない。この人の音楽に人生を変えられてしまったからこそ、最後の瞬間まで見届けて、骨までしゃぶり尽くしてから死にたい。それが何歳になってからなのかはわからないけど、この日のライブは改めてそう思わせてくれた。「I DON'T WANNA DIE FOREVERだよな」って。
1.エンジェルベイビー
2.まだ見ぬ明日に
3.若者たち
4.駆け抜けて性春
5.べろちゅー
6.骨
7.円光
8.二十九、三十
9.夢で逢えたら
10.ナイトライダー
11.トラッシュ
12.I DON'T WANNA DIE FOREVER
13.恋は永遠
14.BABY BABY
15.新訳・銀河鉄道の夜
16.光
17.NO FUTURE NO CRY
18.僕たちは世界を変えることができない
encore
19.人間 (弾き語り)
20.ぽあだむ
21.もしも君が泣くならば
骨
https://youtu.be/9axEhpMnBrA
援助交際
https://youtu.be/Y2MGtwB-oFc
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