回想ライブレポ ~RADWIMPS @ROCKS TOKYO 2010~
- 2017/05/23
- 22:00
*このライブレポは7年前の記憶を辿りながら書いているので、多少あやふやな部分や、記憶違いをしている可能性もあるということをご了承ください
2010年、音楽雑誌MUSICAを発行している鹿野淳(現在はVIVA LA ROCKを主催)が「東京都内で巨大なロックフェスを作る」と宣言し、その前にソニーのレーベルのイベントが開催されていた新木場の若洲公園にフェスができる可能性を見出して開催されたのが、ROCKS TOKYO。
様々なバンドと親密な関係性を築く鹿野淳のブッキングもあり、初開催のこの年は当時「世界の終わり」と名乗っていたSEKAI NO OWARIがフェスに初参戦するなど、今思い返しても豪華な面々が揃い、その一方で当時はまだ他のフェスでは大きなステージには立っていなかった、サカナクションやthe telephonesをメインステージに抜擢して新たなロックシーンをこのフェスが先頭になって切り開いていくという意思を感じさせた。
その年にメインステージのトリを務めたのは、ASIAN KUNG-FU GENERATIONとRADWIMPSという2000年代後半のモンスターバンド2組で、ここに記すのは大トリを務めたRADWIMPSについて。
この時期、RADWIMPSはアルバム「アルトコロニーの定理」の先のバンドの形を見せた2枚のシングル「マニフェスト」「携帯電話」をリリースしたばかりというタイミングで、ワンマンでも幕張メッセですらチケットが取れないという、最初の絶頂期を迎えていた。(もちろん、次の絶頂期は劇中音楽を担当した映画「君の名は。」公開以降の去年から今年にかけて)
なので、新木場駅前には「チケット譲ってください」というボードを持った人がたくさんおり、ライブを見れるのは本当に幸運であった。しかしながら、メンバーが登場し「おしゃかしゃま」からライブがスタートすると、どうにもバンドのグルーヴが噛み合っていない。それは「ギミギミック」などの、アップリフティングなミクスチャー要素の強い曲、いわばこれまでこのバンドのライブで最大の盛り上がりを生み出してきた曲により顕著であった。
思えば、2007年の初の横浜アリーナでのワンマンであり、それまでのバンドの集大成的な一夜であった(だからこそその日最後に演奏された曲は「もしも」だった)「セプテンバーまだじゃん。」までは、バンドのグルーヴとそれを構築するメンバーの演奏力は凄まじいものがあり、ただでさえ名曲揃いであった「RADWIMPS4 ~おかずのごはん~」の曲たちの力をCDで聴く何倍以上にも引き上げていた。
しかし、翌年に初出演したSUMMER SONICからはすでにバンドはそれまでの鉄壁のグルーヴを失ってしまっていたような状態になっていた。実際、それまでは忘れようにも忘れられないくらいに素晴らしい瞬間を刻んできたRADWIMPSのライブの中で、そのサマソニでのライブは全く印象に残っていない。(むしろ鮮烈な印象を残したのは、RADWIMPSがメインステージでライブを終えた後に隣の小さいステージに出演した、そのちょっと前にRADWIMPSのツアーのオープニングアクトとしてシーンに登場した、9mm Parabellum Bulletだった)
それから1年後のこの日のライブは、結論から言うならばそのサマソニをさらに下回るような、散々たるものだった。武田のベースは変わらずに安定感を見せていたが、それまでは一心同体であるかのようだった智史のドラムとどうにも噛み合っていなかった。今になると、すでにこの頃から智史の不調、病気は始まっていたのかもしれない。(本人にしかそれはわからないけど)
しかし何よりも厳しかったのは、明らかに精彩を欠いていた桑原のギターだった。素人が聞いてもわかるくらいに音を外しまくっていたからである。しかもそれが曲の中で大事なポイントで外すものだから、より一層目立ってしまう。それによって洋次郎のボーカルもイマイチ伸びきっていなかった。
セットリストを見ればわかる通り、演奏された曲は「アルトコロニーの定理」の曲が多かったが、後にMUSICAの有泉編集長も指摘していた通り、この頃のバンドは「アルトコロニーの定理」の曲たちを自分たちのものに出来ていなかった。それは曲があまりにも難しかったというのもあっただろうが、かつての曲の力を何倍にも引き上げていたのが、曲を再現するのでいっぱいいっぱいになってしまっていたのだ。
当時のライブでの見せ場だった、「トレモロ」の最後のサビの直前での桑原と武田のクロスジャンプも不発に終わり、「なんちって」の迫力もすっかり薄れてしまっていた。
本編が最後までどうにも乗り切らずに終わってしまっただけに、「せめてアンコールだけでも満足して帰りたい」と思っていた。「いいんですか?」では巨大な会場ならではの一体感を感じさせてくれたものの、この年のこのフェスの最後に鳴らされた「有心論」の、最後のサビに入る直前のギターを、桑原が盛大にミスった。その瞬間、自分は膝から崩れ落ちてしまった。
「これが本当にあの、我々が熱狂し、時には涙しながらライブを見ていた、我々世代最強のモンスターバンド、RADWIMPSなのだろうか?自分は違うバンドを見ているんじゃないだろうか?」
とすら思っていた。
洋次郎がアンコール前に言った、
「僕たちの音楽は届きましたか?」
という言葉はただただ虚しく響くだけだった。帰り、あまりにも長過ぎるシャトルバスの列を横目に会場から新木場駅へ1時間かけて向かった我々の足取りは疲労以上のものによって重かった。
なんでこうなってしまったんだろう。一回だけならたまたまその日が調子が悪かっただけかもしれないが、もはやこれは一回だけのものではなかった。「バンドは生き物だ」というこれまでに何度も聞いてきた言葉。それをこんなに恐ろしく実感したのはこの日だけだった。
それでも自分はRADWIMPSのライブに行くのをやめなかった。「いつかまた、横浜アリーナの時みたいな素晴らしいライブを見せてくれるはずだ」と信じていたから。だが結局、この後も何年かに渡り、RADWIMPSのライブで満足することはなかった。ようやく「ちょっと戻ってきたかな?」と思ったのは、それから4年後、2014年の「実況生中継」ツアーくらいであった。それまでは自分はひたすらに、あの本当に素晴らしかった、今でも人生のTOP5に入るであろう瞬間だった横浜アリーナでのワンマンの残像をRADWIMPSに求め続けていた。
それが消えたのは、2年前の胎盤ツアー。あろうことか、智史がライブに参加できなくなり、現在のツインドラム編成になってからだった。そう言うと智史がダメだった、みたいになってしまうが、決してそうではなかった。自分が今でも見たいのは、あの4人でまた「このバンドがいてくれて本当に良かった」と思えるようなライブをやってくれる姿だから。実際、2007年8月31日は、確かに自分はそう思っていた。それまでは同い年ということで、「あんなすごい人たちがいるというのに我々は…」と劣等感すら感じる存在だったのが、「こんなにすごい人たちが同い年にいる」ことに本当に勇気付けられるようになった。自分はそう思わせてくれたこのバンドに確かに救われていた。
だからこそ、かつてとは形が違うが、今またRADWIMPSが鉄壁のライブを見せてくれるようになったのが本当に嬉しい。そこには本当に想像を絶するような、メンバーの努力があったはず。そう思えるのも、あの悲惨とも言えるくらいだったROCKS TOKYOのライブを見ていたから。当時、忘れたいくらいの気持ちだったあの日があったからこそ、今のRADWIMPSがある。こうして、あの時のことを今になって書くことも。
あれから7年。今年の3月に3度目の横浜アリーナで見た、もう30歳を超えて若手バンドという立ち位置ではなくなったRADWIMPSは、「ずっとライブを見続けてきて本当に良かった」と、やはり同い年として生きてきたことを誇りに思えるように輝いていた。
1.おしゃかしゃま
2.バグパイプ
3.ギミギミック
4.One man live
5.グーの音
6.遠恋
7.マニフェスト
8.オーダーメイド
9.トレモロ
10.なんちって
11.七ノ歌
encore
12.いいんですか?
13.有心論
2010年、音楽雑誌MUSICAを発行している鹿野淳(現在はVIVA LA ROCKを主催)が「東京都内で巨大なロックフェスを作る」と宣言し、その前にソニーのレーベルのイベントが開催されていた新木場の若洲公園にフェスができる可能性を見出して開催されたのが、ROCKS TOKYO。
様々なバンドと親密な関係性を築く鹿野淳のブッキングもあり、初開催のこの年は当時「世界の終わり」と名乗っていたSEKAI NO OWARIがフェスに初参戦するなど、今思い返しても豪華な面々が揃い、その一方で当時はまだ他のフェスでは大きなステージには立っていなかった、サカナクションやthe telephonesをメインステージに抜擢して新たなロックシーンをこのフェスが先頭になって切り開いていくという意思を感じさせた。
その年にメインステージのトリを務めたのは、ASIAN KUNG-FU GENERATIONとRADWIMPSという2000年代後半のモンスターバンド2組で、ここに記すのは大トリを務めたRADWIMPSについて。
この時期、RADWIMPSはアルバム「アルトコロニーの定理」の先のバンドの形を見せた2枚のシングル「マニフェスト」「携帯電話」をリリースしたばかりというタイミングで、ワンマンでも幕張メッセですらチケットが取れないという、最初の絶頂期を迎えていた。(もちろん、次の絶頂期は劇中音楽を担当した映画「君の名は。」公開以降の去年から今年にかけて)
なので、新木場駅前には「チケット譲ってください」というボードを持った人がたくさんおり、ライブを見れるのは本当に幸運であった。しかしながら、メンバーが登場し「おしゃかしゃま」からライブがスタートすると、どうにもバンドのグルーヴが噛み合っていない。それは「ギミギミック」などの、アップリフティングなミクスチャー要素の強い曲、いわばこれまでこのバンドのライブで最大の盛り上がりを生み出してきた曲により顕著であった。
思えば、2007年の初の横浜アリーナでのワンマンであり、それまでのバンドの集大成的な一夜であった(だからこそその日最後に演奏された曲は「もしも」だった)「セプテンバーまだじゃん。」までは、バンドのグルーヴとそれを構築するメンバーの演奏力は凄まじいものがあり、ただでさえ名曲揃いであった「RADWIMPS4 ~おかずのごはん~」の曲たちの力をCDで聴く何倍以上にも引き上げていた。
しかし、翌年に初出演したSUMMER SONICからはすでにバンドはそれまでの鉄壁のグルーヴを失ってしまっていたような状態になっていた。実際、それまでは忘れようにも忘れられないくらいに素晴らしい瞬間を刻んできたRADWIMPSのライブの中で、そのサマソニでのライブは全く印象に残っていない。(むしろ鮮烈な印象を残したのは、RADWIMPSがメインステージでライブを終えた後に隣の小さいステージに出演した、そのちょっと前にRADWIMPSのツアーのオープニングアクトとしてシーンに登場した、9mm Parabellum Bulletだった)
それから1年後のこの日のライブは、結論から言うならばそのサマソニをさらに下回るような、散々たるものだった。武田のベースは変わらずに安定感を見せていたが、それまでは一心同体であるかのようだった智史のドラムとどうにも噛み合っていなかった。今になると、すでにこの頃から智史の不調、病気は始まっていたのかもしれない。(本人にしかそれはわからないけど)
しかし何よりも厳しかったのは、明らかに精彩を欠いていた桑原のギターだった。素人が聞いてもわかるくらいに音を外しまくっていたからである。しかもそれが曲の中で大事なポイントで外すものだから、より一層目立ってしまう。それによって洋次郎のボーカルもイマイチ伸びきっていなかった。
セットリストを見ればわかる通り、演奏された曲は「アルトコロニーの定理」の曲が多かったが、後にMUSICAの有泉編集長も指摘していた通り、この頃のバンドは「アルトコロニーの定理」の曲たちを自分たちのものに出来ていなかった。それは曲があまりにも難しかったというのもあっただろうが、かつての曲の力を何倍にも引き上げていたのが、曲を再現するのでいっぱいいっぱいになってしまっていたのだ。
当時のライブでの見せ場だった、「トレモロ」の最後のサビの直前での桑原と武田のクロスジャンプも不発に終わり、「なんちって」の迫力もすっかり薄れてしまっていた。
本編が最後までどうにも乗り切らずに終わってしまっただけに、「せめてアンコールだけでも満足して帰りたい」と思っていた。「いいんですか?」では巨大な会場ならではの一体感を感じさせてくれたものの、この年のこのフェスの最後に鳴らされた「有心論」の、最後のサビに入る直前のギターを、桑原が盛大にミスった。その瞬間、自分は膝から崩れ落ちてしまった。
「これが本当にあの、我々が熱狂し、時には涙しながらライブを見ていた、我々世代最強のモンスターバンド、RADWIMPSなのだろうか?自分は違うバンドを見ているんじゃないだろうか?」
とすら思っていた。
洋次郎がアンコール前に言った、
「僕たちの音楽は届きましたか?」
という言葉はただただ虚しく響くだけだった。帰り、あまりにも長過ぎるシャトルバスの列を横目に会場から新木場駅へ1時間かけて向かった我々の足取りは疲労以上のものによって重かった。
なんでこうなってしまったんだろう。一回だけならたまたまその日が調子が悪かっただけかもしれないが、もはやこれは一回だけのものではなかった。「バンドは生き物だ」というこれまでに何度も聞いてきた言葉。それをこんなに恐ろしく実感したのはこの日だけだった。
それでも自分はRADWIMPSのライブに行くのをやめなかった。「いつかまた、横浜アリーナの時みたいな素晴らしいライブを見せてくれるはずだ」と信じていたから。だが結局、この後も何年かに渡り、RADWIMPSのライブで満足することはなかった。ようやく「ちょっと戻ってきたかな?」と思ったのは、それから4年後、2014年の「実況生中継」ツアーくらいであった。それまでは自分はひたすらに、あの本当に素晴らしかった、今でも人生のTOP5に入るであろう瞬間だった横浜アリーナでのワンマンの残像をRADWIMPSに求め続けていた。
それが消えたのは、2年前の胎盤ツアー。あろうことか、智史がライブに参加できなくなり、現在のツインドラム編成になってからだった。そう言うと智史がダメだった、みたいになってしまうが、決してそうではなかった。自分が今でも見たいのは、あの4人でまた「このバンドがいてくれて本当に良かった」と思えるようなライブをやってくれる姿だから。実際、2007年8月31日は、確かに自分はそう思っていた。それまでは同い年ということで、「あんなすごい人たちがいるというのに我々は…」と劣等感すら感じる存在だったのが、「こんなにすごい人たちが同い年にいる」ことに本当に勇気付けられるようになった。自分はそう思わせてくれたこのバンドに確かに救われていた。
だからこそ、かつてとは形が違うが、今またRADWIMPSが鉄壁のライブを見せてくれるようになったのが本当に嬉しい。そこには本当に想像を絶するような、メンバーの努力があったはず。そう思えるのも、あの悲惨とも言えるくらいだったROCKS TOKYOのライブを見ていたから。当時、忘れたいくらいの気持ちだったあの日があったからこそ、今のRADWIMPSがある。こうして、あの時のことを今になって書くことも。
あれから7年。今年の3月に3度目の横浜アリーナで見た、もう30歳を超えて若手バンドという立ち位置ではなくなったRADWIMPSは、「ずっとライブを見続けてきて本当に良かった」と、やはり同い年として生きてきたことを誇りに思えるように輝いていた。
1.おしゃかしゃま
2.バグパイプ
3.ギミギミック
4.One man live
5.グーの音
6.遠恋
7.マニフェスト
8.オーダーメイド
9.トレモロ
10.なんちって
11.七ノ歌
encore
12.いいんですか?
13.有心論
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