米津玄師 2015 TOUR / 花ゆり落ちる @TSUTAYA O-EAST 4/27
- 2015/04/28
- 01:11
ついにこの日がやってきた。ボカロP、ハチとしてボカロシーンで活躍後、2012年にアルバム「diorama」で衝撃的なデビューを果たした、米津玄師。
昨年の2ndアルバム「YANKEE」リリース後、その「YANKEE」名義で小さいライブハウスで3回のシークレットライブを敢行。その後に代官山UNITでの初ワンマンや、ツアーも行ったが、「YANKEE」がオリコン2位をマークした状況にキャパが全く見合っておらず、(初ワンマンは代官山UNIT、前回のツアーの東京はリキッドルーム)全くチケットが取れずに参加できなかった。
そんな状況を経て、今年シングル「Flowerwall」をリリースし、再びツアーを開催。一応徐々に(本当に慎重過ぎるくらいに徐々にだが)キャパも広くなり、今回の東京はO-EASTでの2days。この日はその初日。
そんなプレミア級のライブなので、当然チケットは即ソールドアウト。意外と男女比は半々ほどで、若い人が大半だが、幅広い年齢層の方も見受けられる。
開演前のBGMには、かつて雑誌のインタビューで、米津玄師を
「米津君が出てきたのは嬉しいですよ。己が持ってる物を総動員して音楽を作ってる。あれはかつての僕ですから。僕はずっと1人でしたけど、孤独じゃなかった」
と評し、最大限の賛辞を送っていた、90年代後半に米津玄師同様に「天才」の名を欲しいままにしていた、中村一義の「魂の本」、さらには元・渋谷系の王子こと、小沢健二の「愛し愛されて生きるのさ」などが流れていたが、これは本人の選曲によるものなのだろうか。
そして19時過ぎ、BGMが止まり、暗転してSEが流れると、ギター中島、ベース須藤、ドラム堀のサポートメンバー3人が先に登場し、最後に白い衣装に身を包んだ、米津玄師が登場。身長も高いが、やはりすらっと手足が長い見た目。
するとSEのビートとつなげるようにしてイントロが流れ出したのは、「YANKEE」にボーナストラック的に収録された「ドーナツホール」という、いきなりBPM250超えの超アッパーな出だし。米津もかつての素人さはもはや見られず、シンガーであり、バンドのフロントマンである貫禄を感じる。最後のサビ前ではステージが暗くなり、米津、中島、須藤の3人の胸に紋章のような丸い照明が浮かび上がる。そう、この規模でのワンマンということで、この日は照明、さらには映像をも駆使した、まさにライブでしか体験できない空間を作り上げようとしていた。
すると序盤は、まさかのハチ名義で発表されていた、ボカロ曲のセルフカバーが続く。
しかし、自分はCDは持っているが、他の方には申し訳ないくらいに、ハチ時代を知らないし、もし米津玄師がハチのままだったらこんなに熱心なリスナーにもなってない。それはどうしても曲が無機質に聞こえてしまうからなのだが、この日バンドで演奏した曲にはしっかりと感情があった。このセルフカバーバージョンのアルバムを出して欲しいくらいに。
そのボカロ曲に感情を与えているのは、米津本人の歌唱によるところが大きいのはもちろんだが、フェスや対バンではモッシュやダイブが起きてもおかしくないくらいの激しさを曲に与えているのは間違いなく、ベースの須藤とドラムの堀。サポートをやっている80kidzも、ライブではCDよりはるかにロックバンドになる。それを初めて実感した、つまり80kidzを初めてライブで見たのもこの場所であった。
短い挨拶を挟むと、一転して「diorama」の美しいバラードのパートへ。しかし、その中でも特に美しいラブソング「vivi」はまだ改善の余地あり。それは中島のギターのサウンドもそうだし、米津の特に高音部の歌唱。最初のサビが終わったあと、首をひねったような仕草をしていたが、それは「上手くいかんな」、という心境が表に出たものだったのか。
再び一転して、「駄菓子屋商売」では米津がギターを持たず、ハンドマイクでゆらゆらと揺れながらステージを左右に歩いて歌う。比べるのは申し訳ないが、この様子はRADWIMPSの野田洋次郎によく似ている。ギター中島を凝視しながら歌ったりという余裕も感じる。
打ち込みのサウンドが実に楽しげに響く「トイパトリオット」と、「diorama」の曲が続くと、「ゴーゴー幽霊船」では冒頭の
「1,2,3」
を半ば叫ぶように響かせる。前回のツアーを見ていないだけに、この姿はなかなか新鮮である。
ここまでは実にテンポ良く、ほとんどしゃべることもなく矢継ぎ早に曲を続けてきたが、米津が
「ツアー最後の場所ということでツアーを振り返ろう」
て言って中島に丸投げし、中島はツアーで食べた美味しいものとして、真っ先に北海道のホテルで食べた、焼きそば弁当を挙げていた。
すると、
「じゃあ美味しいものの曲を」
という「メランコリーキッチン」から、東京メトロのCM曲として大量オンエアされた、至上のラブソング「アイネクライネ」と、一気に「YANKEE」モードに突入。また、この日は中島と須藤が曲と高低によってコーラスを分担していたが、こういうところからも、もはや米津玄師とサポートの3人ではなく、この4人で一つのバンドであると感じる。
「こっから速い曲行きますけど、まだ行けますか?まだ行けますか!?まだ行けますか!」
と語気をどんどん強めて会場から大歓声を引き出すと、「リビングデッド・ユース」「花に嵐」と、ギターロック然とした曲を続ける。
このセトリの流れ自体は非常によく練られているとは思うが、「花に嵐」がちゃんと歌いきれていなかったのは、この曲が好きなだけに残念。だが、これはライブをこなして経験を積んでいけば絶対ちゃんと歌いこなせるようになるはず。
ハチ時代の「マトリョシカ」では、ブレイク部分で歓声が上がり、アウトロでのどんどん高速になっていく部分も人力で完全再現。本当に上手いメンバーたちだ。
そして、かつてはライブをやることの意義がわからなかったこと、この前の大阪でのライブ時に、かつて住んでいた街並みが変わってしまったことを例に出し、
「この瞬間も数えてるうちにすぐ過去になる」
と言い、楽しければいいじゃないかという境地に至り、こうしてライブをやるようにしたことを告げると、
「一生ライブやり続けます」
と実に頼もしい宣言をし、ラストの包み込まれるように神聖な「Flowerwall」を壮大に鳴り響かせた。しかし、この曲はやはりまだこのキャパではなく、もっとでかい場所で鳴らされるのを待っているはず。途中、米津が歌えなくなった箇所があったが、それは歌詞が飛んだのか、歌に合わせて手を振る観客の姿に感極まったのか…おそらく前者であろう。
アンコールで再びメンバーが登場すると、
「もうちょっとだけやってもいいですか?」
とだけ言い、須藤がベースではなくシンセを操る、どこか不穏な空気のカップリング曲「懺悔の街」、YANKEE名義でのライブでは最後に演奏されていた、コミュニケーションの歌「WOODEN DOLL」、そして締めの言葉とともに、ハチ時代の「ワンダーランドと羊の歌」。この日、ボカロ曲は他にも多数演奏されたが、最後のこの曲の演奏は本当に素晴らしかった。おそらく、作った時はライブでやることなど頭に全くなかったであろう曲が、こんなにもライブ映えしている。そして、ボカロの歌では感じれなかった、作り手の顔がすぐ目の前にあり、実際に歌っている。ここでようやく、「ああ、この人が作った曲なんだなぁ」と実感できた。もうこの辺りでは歌詞が飛ぶのはもう愛敬みたいなものだった。
メンバーが先にステージを去る中、米津が1人残ると、ピックを客席へ投げ込む…が、全然飛ばない(笑)次までにこれは練習しておこう。じゃないとさすがに毎回これでは格好がつかないから。
去年までのライブでは、フェスとかに出ても同世代のライブでのし上がってきたバンドに比べたら、ライブの演奏自体は見劣りしてしまっても仕方がない感じだった。でも、今の米津玄師バンドは、曲だけでなくライブで初めて見た人すらも間違いなく引き込める。今年はフェス出よう。ロッキンとラブシャ出よう。
年上であることなんて、早く産まれただけで偉くもなんともないという前提で、自分が10代の時に衝撃を受けたバンドのように、今日会場にいた人達は、米津玄師の音楽に衝撃を受けてあの場にいて。そして実際にライブを見て、明日からの日常に前向きになれたら、そんなに素敵なことはないよなと思った。
で、米津玄師本人よりもそれなりに年上な自分も、この日のライブを見て、明日はいつもよりも世の中が明るく見えるような気がしている。リスペクトできるかどうかなんて、やっぱり年齢じゃない。またもうちょっと短いスパンでこの感覚を味わいたい。
また近いうちにリリースもあると思われるが、次にライブを見れるのはいつだろうか。もうセトリ全く同じでいいから翌日も行きたかった。
1.ドーナツホール
2.パンダヒーロー
3.沙上の夢喰い少女
4.演劇テレプシコーラ
5.恋と病熱
6.vivi
7.駄菓子屋商売
8.トイパトリオット
9.ゴーゴー幽霊船
10.メランコリーキッチン
11.アイネクライネ
12.リビングデッド・ユース
13.花に嵐
14.マトリョシカ
15.Flowerwall
encore
16.懺悔の街
17.WOODEN DOLL
18.ワンダーランドと羊の歌
Flowerwall
http://youtu.be/Y4_vXzyOJHE
アイネクライネ
http://youtu.be/-EKxzId_Sj4
Next→4/28 くるり @渋谷公会堂
昨年の2ndアルバム「YANKEE」リリース後、その「YANKEE」名義で小さいライブハウスで3回のシークレットライブを敢行。その後に代官山UNITでの初ワンマンや、ツアーも行ったが、「YANKEE」がオリコン2位をマークした状況にキャパが全く見合っておらず、(初ワンマンは代官山UNIT、前回のツアーの東京はリキッドルーム)全くチケットが取れずに参加できなかった。
そんな状況を経て、今年シングル「Flowerwall」をリリースし、再びツアーを開催。一応徐々に(本当に慎重過ぎるくらいに徐々にだが)キャパも広くなり、今回の東京はO-EASTでの2days。この日はその初日。
そんなプレミア級のライブなので、当然チケットは即ソールドアウト。意外と男女比は半々ほどで、若い人が大半だが、幅広い年齢層の方も見受けられる。
開演前のBGMには、かつて雑誌のインタビューで、米津玄師を
「米津君が出てきたのは嬉しいですよ。己が持ってる物を総動員して音楽を作ってる。あれはかつての僕ですから。僕はずっと1人でしたけど、孤独じゃなかった」
と評し、最大限の賛辞を送っていた、90年代後半に米津玄師同様に「天才」の名を欲しいままにしていた、中村一義の「魂の本」、さらには元・渋谷系の王子こと、小沢健二の「愛し愛されて生きるのさ」などが流れていたが、これは本人の選曲によるものなのだろうか。
そして19時過ぎ、BGMが止まり、暗転してSEが流れると、ギター中島、ベース須藤、ドラム堀のサポートメンバー3人が先に登場し、最後に白い衣装に身を包んだ、米津玄師が登場。身長も高いが、やはりすらっと手足が長い見た目。
するとSEのビートとつなげるようにしてイントロが流れ出したのは、「YANKEE」にボーナストラック的に収録された「ドーナツホール」という、いきなりBPM250超えの超アッパーな出だし。米津もかつての素人さはもはや見られず、シンガーであり、バンドのフロントマンである貫禄を感じる。最後のサビ前ではステージが暗くなり、米津、中島、須藤の3人の胸に紋章のような丸い照明が浮かび上がる。そう、この規模でのワンマンということで、この日は照明、さらには映像をも駆使した、まさにライブでしか体験できない空間を作り上げようとしていた。
すると序盤は、まさかのハチ名義で発表されていた、ボカロ曲のセルフカバーが続く。
しかし、自分はCDは持っているが、他の方には申し訳ないくらいに、ハチ時代を知らないし、もし米津玄師がハチのままだったらこんなに熱心なリスナーにもなってない。それはどうしても曲が無機質に聞こえてしまうからなのだが、この日バンドで演奏した曲にはしっかりと感情があった。このセルフカバーバージョンのアルバムを出して欲しいくらいに。
そのボカロ曲に感情を与えているのは、米津本人の歌唱によるところが大きいのはもちろんだが、フェスや対バンではモッシュやダイブが起きてもおかしくないくらいの激しさを曲に与えているのは間違いなく、ベースの須藤とドラムの堀。サポートをやっている80kidzも、ライブではCDよりはるかにロックバンドになる。それを初めて実感した、つまり80kidzを初めてライブで見たのもこの場所であった。
短い挨拶を挟むと、一転して「diorama」の美しいバラードのパートへ。しかし、その中でも特に美しいラブソング「vivi」はまだ改善の余地あり。それは中島のギターのサウンドもそうだし、米津の特に高音部の歌唱。最初のサビが終わったあと、首をひねったような仕草をしていたが、それは「上手くいかんな」、という心境が表に出たものだったのか。
再び一転して、「駄菓子屋商売」では米津がギターを持たず、ハンドマイクでゆらゆらと揺れながらステージを左右に歩いて歌う。比べるのは申し訳ないが、この様子はRADWIMPSの野田洋次郎によく似ている。ギター中島を凝視しながら歌ったりという余裕も感じる。
打ち込みのサウンドが実に楽しげに響く「トイパトリオット」と、「diorama」の曲が続くと、「ゴーゴー幽霊船」では冒頭の
「1,2,3」
を半ば叫ぶように響かせる。前回のツアーを見ていないだけに、この姿はなかなか新鮮である。
ここまでは実にテンポ良く、ほとんどしゃべることもなく矢継ぎ早に曲を続けてきたが、米津が
「ツアー最後の場所ということでツアーを振り返ろう」
て言って中島に丸投げし、中島はツアーで食べた美味しいものとして、真っ先に北海道のホテルで食べた、焼きそば弁当を挙げていた。
すると、
「じゃあ美味しいものの曲を」
という「メランコリーキッチン」から、東京メトロのCM曲として大量オンエアされた、至上のラブソング「アイネクライネ」と、一気に「YANKEE」モードに突入。また、この日は中島と須藤が曲と高低によってコーラスを分担していたが、こういうところからも、もはや米津玄師とサポートの3人ではなく、この4人で一つのバンドであると感じる。
「こっから速い曲行きますけど、まだ行けますか?まだ行けますか!?まだ行けますか!」
と語気をどんどん強めて会場から大歓声を引き出すと、「リビングデッド・ユース」「花に嵐」と、ギターロック然とした曲を続ける。
このセトリの流れ自体は非常によく練られているとは思うが、「花に嵐」がちゃんと歌いきれていなかったのは、この曲が好きなだけに残念。だが、これはライブをこなして経験を積んでいけば絶対ちゃんと歌いこなせるようになるはず。
ハチ時代の「マトリョシカ」では、ブレイク部分で歓声が上がり、アウトロでのどんどん高速になっていく部分も人力で完全再現。本当に上手いメンバーたちだ。
そして、かつてはライブをやることの意義がわからなかったこと、この前の大阪でのライブ時に、かつて住んでいた街並みが変わってしまったことを例に出し、
「この瞬間も数えてるうちにすぐ過去になる」
と言い、楽しければいいじゃないかという境地に至り、こうしてライブをやるようにしたことを告げると、
「一生ライブやり続けます」
と実に頼もしい宣言をし、ラストの包み込まれるように神聖な「Flowerwall」を壮大に鳴り響かせた。しかし、この曲はやはりまだこのキャパではなく、もっとでかい場所で鳴らされるのを待っているはず。途中、米津が歌えなくなった箇所があったが、それは歌詞が飛んだのか、歌に合わせて手を振る観客の姿に感極まったのか…おそらく前者であろう。
アンコールで再びメンバーが登場すると、
「もうちょっとだけやってもいいですか?」
とだけ言い、須藤がベースではなくシンセを操る、どこか不穏な空気のカップリング曲「懺悔の街」、YANKEE名義でのライブでは最後に演奏されていた、コミュニケーションの歌「WOODEN DOLL」、そして締めの言葉とともに、ハチ時代の「ワンダーランドと羊の歌」。この日、ボカロ曲は他にも多数演奏されたが、最後のこの曲の演奏は本当に素晴らしかった。おそらく、作った時はライブでやることなど頭に全くなかったであろう曲が、こんなにもライブ映えしている。そして、ボカロの歌では感じれなかった、作り手の顔がすぐ目の前にあり、実際に歌っている。ここでようやく、「ああ、この人が作った曲なんだなぁ」と実感できた。もうこの辺りでは歌詞が飛ぶのはもう愛敬みたいなものだった。
メンバーが先にステージを去る中、米津が1人残ると、ピックを客席へ投げ込む…が、全然飛ばない(笑)次までにこれは練習しておこう。じゃないとさすがに毎回これでは格好がつかないから。
去年までのライブでは、フェスとかに出ても同世代のライブでのし上がってきたバンドに比べたら、ライブの演奏自体は見劣りしてしまっても仕方がない感じだった。でも、今の米津玄師バンドは、曲だけでなくライブで初めて見た人すらも間違いなく引き込める。今年はフェス出よう。ロッキンとラブシャ出よう。
年上であることなんて、早く産まれただけで偉くもなんともないという前提で、自分が10代の時に衝撃を受けたバンドのように、今日会場にいた人達は、米津玄師の音楽に衝撃を受けてあの場にいて。そして実際にライブを見て、明日からの日常に前向きになれたら、そんなに素敵なことはないよなと思った。
で、米津玄師本人よりもそれなりに年上な自分も、この日のライブを見て、明日はいつもよりも世の中が明るく見えるような気がしている。リスペクトできるかどうかなんて、やっぱり年齢じゃない。またもうちょっと短いスパンでこの感覚を味わいたい。
また近いうちにリリースもあると思われるが、次にライブを見れるのはいつだろうか。もうセトリ全く同じでいいから翌日も行きたかった。
1.ドーナツホール
2.パンダヒーロー
3.沙上の夢喰い少女
4.演劇テレプシコーラ
5.恋と病熱
6.vivi
7.駄菓子屋商売
8.トイパトリオット
9.ゴーゴー幽霊船
10.メランコリーキッチン
11.アイネクライネ
12.リビングデッド・ユース
13.花に嵐
14.マトリョシカ
15.Flowerwall
encore
16.懺悔の街
17.WOODEN DOLL
18.ワンダーランドと羊の歌
Flowerwall
http://youtu.be/Y4_vXzyOJHE
アイネクライネ
http://youtu.be/-EKxzId_Sj4
Next→4/28 くるり @渋谷公会堂
