amazarashi Tour 2023 「永遠市」 @札幌カナモトホール 11/13
- 2023/11/14
- 16:04
多分デビューして2回目のライブくらいからamazarashiのツアーには毎回参加している。しかし今回のツアー「永遠市」はツアースケジュールがどこもすでに自分のスケジュールと被っており、行けるのがここしかないということで平日に海を渡って札幌へ。北海道に来るのは2013年のRISING SUN ROCK FESTIVAL以来10年ぶりである。
5°Cという気温表示と時折チラつく雪に目を疑いながらも、札幌駅から割と近い、時計台などのすぐ近くにあるカナモトホールは割と新しめのキャパ1500人ほどのホール。その新しい感じはどこか改装したLINE CUBE SHIBUYAを思わせるものである。
ステージに張られた紗幕にはおなじみのバンドロゴが映し出されている中で開演時間の19時過ぎに場内が暗転すると、すでに紗幕の裏には秋田ひろむ(ボーカル&ギター)をはじめとしたおなじみのメンバーたちがスタンバイしており、その秋田が次々に発する歌詞が紗幕の左右に映し出されていく、最新アルバム「永遠市」収録のポエトリー曲「俯きヶ丘」からスタートするのであるが、紗幕の奥のステージ背面のスクリーンにはマスコットキャラクターのてるてる坊主が、曲タイトルに合わせてまさに俯き気味でこちら側に向かって頭をぶつけて画面を割ろうとしてくる。その表情がMVで見せる凶悪な表情なのが怖いし、それがこちら側に迫ってくるような臨場感を持つような演出であるのもまた怖い。いきなりこんな演出から始まるとは、と驚いてしまう。
そのまま「永遠市」の1曲目収録の「インヒューマンエンパシー」へと続いていくのであるが、そこでも歌詞が次々に映し出されていく中でてるてる坊主に腕が生えてより強くこちら側に頭をぶつけたり腕で攻撃するようなアクションを見せ、顔がさらに凶悪に進化している感すらあるのがより怖い。これはここからどう演出が展開していくのかと気になってしまう。
そうしたてるてる坊主をフィーチャーした映像からガラッと変わって、曲タイトルに合わせて決して空ではなくて道路を見つめて歩き続けているような映像が映し出されるのは「下を向いて歩こう」であるのだが、そのギターロックサウンドをサポートギターの井出上誠が思いっきり掻き鳴らすように鳴らしているのが紗幕越しでもわかる。その映像も秋田ひろむの故郷の青森や、この北海道のようないわゆる田舎の道から徐々に渋谷という都会の道に視点が移っていくというのが、この後の秋田の
「何万歩、何万音も繰り返してここまで来ました!」
というような意の朗読に繋がっていく感がある。
するとタイトル部分を豊川真奈美(キーボード)が歌うのが実に美しく楽曲を彩る「ディザスター」ではその災害というタイトルを生み出すかのようにてるてる坊主の無数の腕がこれまでのMVなどでも顕現していたマシンガンのようになってこちらに乱射してくると、紗幕にヒビが割れるような演出になるというのがその災害っぷりを感じさせてくれる。その立体感の表現は本当に素晴らしいし凄まじい。
さらには歌詞が再び左右に分かれて映し出され、秋田の低いトーンの歌唱からサビで一気にハイトーンに開けていく「14歳」と、ここで過去の曲も演奏されることによってまた新たな物語が紡がれていくような感覚になるのであるが、初期のamazarashi屈指の名曲であり、画家と一緒に暮らす女性の人生を描いた「無題」では歌詞に合わせたアニメーション映像が映し出されることによって曲のメッセージや物語性がより可視化されるようになっている。だから最後に別れてしまった一緒に暮らしていた女性からの桜色の便箋に描かれている
「信じてたこと 正しかった」
のフレーズを聴いて感極まってしまうのである。まさか今この曲が聴けるとは、そしてそれに今まで以上に感動してしまうとは。まだ前半でこんな感情になってしまってどうすればいいんだという感じもするけれど、このMVはさらに広げて短編映画になりそうな感すらある。
それはこちらも初期の曲でありながらも後に再録された「つじつま合わせに生まれた僕等」もそうであるのだが、こちらは映像というよりも歌詞を前面に押し出していくという演出であり、だからこそ
「善意で殺される人 悪意で飯にありつける人
傍観して救われた命 つじつま合わせに生まれた僕等」
という歌詞が秋田の伸びやか極まりない歌唱(しかも天井が高いホールであり、音響も申し分ないのでamazarashiのライブを見るのにうってつけとも言える会場だ)によってより突き刺さってくるし、
「誰もが転がる石なのに 皆が特別だと思うから
選ばれなかった少年は ナイフを握り締めて立ってた」
という歌詞はブルーハーツからBUMP OF CHICKEN、GOING STEADYと受け継がれて来た少年とナイフというテーマをamazarashiが受け継いでいることを感じさせるのである。豊川のピアノのメロディは今この場所にいる我々の生を祝福してくれているかのように神々しい。
その「つじつま合わせ〜」の歌詞の内容を引き継ぐような内容の短い朗読的な言葉を挟むと、スマホの画面に歌詞が映し出されているかのような映像が、まさにスワイプするかのようにして流れて切り替わっていく「スワイプ」は秋田による鋭い言葉が次々に放たれていき、
「不景気な地方自治体 おばあちゃんかかる特殊詐欺
週明け上がる水死体 大人のせいで子供死んだり
全て忘れて踊れと怒鳴る祭り囃子」
というロートーンなサビの歌唱がどこか呪術的と言っていいくらいの不穏さを持って迫ってくる。それもまたamazarashiの音楽ならではの感覚であるが、このタイトルに合わせた演出はやはり見事である。
その「スワイプ」もそうであるが、続く「君はまだ夏を知らない」も新作「永遠市」の収録曲である。しかしながらこの曲はCDで歌詞カードを見ながら聴いても何のことを歌っているのかというのが、
「自分自身はどうか憎まないで だって君はまだ夏を知らない たった七つしか」
というサビの締めのフレーズからもわからなかったのであるが、この日の演出が小学生の夏休みの絵日記的なノートに歌詞が映し出されていくというものであることによって、その年代の子供に向けて歌われているということに気付く。絵日記にしてはあまりに哲学的過ぎる内容の歌詞であるが、その対象への視点があるからこそ、どこか今までの曲とはまた違う慈愛の精神を感じさせるのである。
するとスクリーンにはおなじみの学校の風景を描いたアニメーション映像が映し出される。それはもちろん「月曜日」のものであるのだが、この日はたまたま月曜日であった。自分は休みを取ってこうして札幌まで来たのであるが、この日仕事をしたりしてからこのライブに来た人からしたらこの日にこの曲を聴いたのは本当に刺さったと思うし、
「胸が苦しいのは 互いに思うことが伝わるから
僕ら超能力者かもね」
という歌詞の素晴らしさはもちろんのこと、
「嫌なこと嫌って言うの そんなに自分勝手かな
それならば僕は息を止めて潜るよ
君の胸の内の深さには 遠く遠く及ばないとしても」
というフレーズ部分のメロディの美しさはamazarashiの音楽に我々が惹かれる理由が詰まっていると思っているし、どこか意識を宇宙空間にまで飛ばしてくれるような浮遊感を感じさせてくれるのだ。
そんな浮遊感から一転して海の底に潜っていくかのような感覚になるのは「アンチノミー」のカップリングに収録されている、ポエトリーリーディング的に秋田の言葉が次々に放たれていく「海洋生命」であるのだが、そのサウンドのハードさはこうして椅子に座って微動だにせずに見ている(amazarashiのライブはホールではいつもそのスタイルである)のに我慢できなくなるくらいの轟音っぷりで、やはり井出上が荒ぶりながらギターを弾いているのが紗幕越しでもわかる。今では秋山黄色やビッケブランカなどのサポートも務めているが、やはりamazarashiのライブにはこの男含めたメンバーたちの存在は欠かせないと思う。実質的には秋田と豊川の2人であるが、このライブメンバーたちがいるからこうして思い描くサウンドを鳴らすことができているのだから。
そんな超轟音からまたガラッとサウンドが変わり、秋田は紗幕越しでもギターを持たずに歌っているのがわかるし、リズムもトラック的なものになる中で秋田の言葉が次々に放たれていくのは「超新星」。それは歌い出しからはUSのダークなヒップホップなどの影響も感じられるのであるが、サビではやはり実にamazarashiらしいメロディに着地していくし、タイトルに合わせて星が煌めくような映像演出になっていくというのも実に見事である。
ここで秋田は「自由になるために全力で逃げた」ということを朗読的に口にするのであるが、それがそのまま「永遠市」の「自由に向かって逃げろ」へと繋がっていく。逃げるというのは実にネガティブな響きの言葉であるが、「下を向いて歩こう」も含めてamazarashiが曲にすればそのイメージはガラッと変わる。それは自分が自分らしく生きていくための選択だからだ。それが映し出されていく
「「いつか必ず上手く行く」 ならそのいつかに会わせろ
一秒も耐え難い痛みを知るなら 逃げろ、自由に向かって」
などの歌詞からもわかるし、ソリッドなギターロックサウンドがその背中を押してくれる。
そして急に秋田が歌い始めた瞬間にガラッと我々の見えている景色が変わるのは、スクリーンにも青空が映し出される「空に歌えば」なのであるが、その秋田の力強い歌唱と豊川のタイトルフレーズの美しい歌唱、さらに紗幕越しであっても圧倒的な迫力を持つバンドサウンドによって聴いていて胸が震えてしまう。それくらいにこの曲には秋田の、メンバーたちの感情が最大限に乗っている。「僕のヒーローアカデミア」のタイアップとしてamazarashiの存在を広く世に知らしめた曲であるが、そのクールのヒロアカのアニメを全部見返したくなってしまう。そうするとまた聞こえ方が必ず変わってくるだろうから。
そんな「空に歌えば」の熱演にここまでで最大の拍手と歓声が送られると、そんな狂騒から一転してスクリーンにはワンルームのがらんとした部屋にギターケースとキャリーバッグだけが置かれた映像が映し出されて演奏されたのは「美しい思い出」であるのだが、その部屋に付いていると思しき使っていないシンクの映像などはamazarashiが始まった原風景はこうした部屋だったのだろうかと思わせる。それは秋田の感情とバンドのサウンドがどんどん溢れていくかのように歌われる
「忘れたいこと 忘れたくないこと」
のどちらもがこうした部屋に詰まっているかのように。
そしてここまでは朗読という形で曲以外の時に観客へ言葉を伝えてきた秋田はここで
「去年パニック障害になって、ライブを何本か飛ばしてしまったんだけど…。またライブができるようになったのは、やりたいことだけをやってきたっていう積み重ねがあったから」
と語る。それは秋田が自分自身に言い聞かせているようでありながらも、同じような経験をしている人にも伝えるような言葉に聞こえた。それは本当に自分がやりたいことであるならば、倒れてもまた立ち上がることができるということを示そうとしているかのような。
そんなMCの後には「永遠市」の中でも最重量級と言っていいくらいに次々に歌詞が押し寄せていく「ごめんねオデッセイ」が演奏される。タイトルの「ごめんね」と「オデッセイ」もそうであるが、その歌詞の言葉数の多さの中であらゆる単語を使いながらも、それを韻を踏むように配置しているのは本当に見事としか言いようがないのであるが、その曲の歌詞の中には
「行けども行けども降り積む雪ばかり」
という歌詞がある。それは青森県むつ市という秋田の故郷の原風景的なものかもしれないが、この日、札幌に着いて飛行機から降りたら雪が降っていた。この曲に限らず、amazarashiの曲には雪という情景を歌う曲が数多くある。こうして関東の人間としては驚くくらいに11月でも雪が降る札幌までamazarashiのライブを観に来たというのは、どこかそんな情景の街の中でamazarashiのライブを観るということに呼ばれたような感覚になった。きっと他のアーティストのライブだったらそうは思わないが、この日はそう思わざるを得なかったのは、amazarashiが過去の曲すらも新作のツアーに組み込むことによって新たな意味を持たせてきたアーティストだから、そこに確かな意味を感じていたのだ。だからこの瞬間、この雪が降るくらいに寒いこの日にこの札幌でamazarashiのライブが観れて本当に良かったと思っていた。
そして秋田は
「ありがとう札幌!また必ず来ます!」
と言った。このカナモトホールは1500人キャパと、札幌の中ではかなり大きな規模の会場になるということだが、その会場がたくさんの人で3階席まで埋まっている。もちろんamazarashiはそれなりに有名だし、動員力があるアーティストではあるけれど、誰しもに響くような音楽ではない。きっと聴いても何にも感じないような人もたくさんいる。でもこの札幌にもこんなにもamazarashiの音楽が響いていて、平日にも関わらずライブを観に来たという人がたくさんいる。そうした人からしたら、秋田がこう言ってくれるというのは本当に嬉しいだろうし、それは関東というライブが毎回見れる場所に住んでいる身にとってはなかなかわからないことだ。それだけに札幌でamazarashiが好きな人たちのことを見れたのも、またこの日この場所に来て本当に良かったと思えたのだ。
そんなライブの最後に演奏されたのはアルバムの先行シングルとしてリリースされた「アンチノミー」。スクリーンにはシングルの初回盤映像に収録されていた人形劇の主人公のロボットが映し出しされるのであるが、その体は人形劇同様に糸で吊されて操作されている。その人形の姿が
「感情は持たないでください それがあってはこの先 きっと辛すぎる
人を愛さないでください 守るものが弱さになる きっと後悔するでしょう」
という歌詞の通りに意志を捨てて操られているように感じさせるのであるが、その歌詞がサビに辿り着くと
「意味を捨て意志をとれ 生き延びて 生き延びて 息をするんだ
自分殺し生きている アンチノミー アンチノミー 心のバグだ
人として憤れ 感情を踏みにじる全てへ
機械仕掛けの涙 それに震えるこの心は誰のもの」
という通りに自身の意志を持って糸に抗うようにして動いているように見えてくる。それは秋田の歌唱とバンドの演奏に宿る感情が乗り移っているように見えるからこそ、見ている側の心が揺さぶられて感動してしまうのである。それはかつて「命にふさわしい」でも歌われてきたテーマであるが、そうした誰しも-もしかしたらこれから先の未来にロボットが当たり前に生活するような時代になったとしても-に感情というものがあるということを忘れずに生きていたいと思わせてくれる。それはamazarashiの音楽には確かなこの人たちでしかない感情が宿っているからだ。
「ありがとうございました!amazarashiでした!」
と秋田が叫ぶようにしてギターを鳴らし終えると、暗くなったステージ前の紗幕にはバンドロゴとともにこのツアーのロゴが映し出された。その光景を見て、やっぱりここまで来て間違いなかったと思った。amazarashiのライブはいつもそう思わせてくれるけれど、過去最高にそう思えたのだ。都内の会場では数えきれないくらいに観てきたけど、この日札幌で観たことだけは一生忘れることはない。
1.俯きヶ丘
2.インヒューマンエンパシー
3.下を向いて歩こう
4.ディザスター
5.14歳
6.無題
7.つじつま合わせに生まれた僕等
8.スワイプ
9.君はまだ夏を知らない
10.月曜日
11.海洋生命
12.超新星
13.自由に向かって逃げろ
14.空に歌えば
15.美しき思い出
16.ごめんねオデッセイ
17.アンチノミー
5°Cという気温表示と時折チラつく雪に目を疑いながらも、札幌駅から割と近い、時計台などのすぐ近くにあるカナモトホールは割と新しめのキャパ1500人ほどのホール。その新しい感じはどこか改装したLINE CUBE SHIBUYAを思わせるものである。
ステージに張られた紗幕にはおなじみのバンドロゴが映し出されている中で開演時間の19時過ぎに場内が暗転すると、すでに紗幕の裏には秋田ひろむ(ボーカル&ギター)をはじめとしたおなじみのメンバーたちがスタンバイしており、その秋田が次々に発する歌詞が紗幕の左右に映し出されていく、最新アルバム「永遠市」収録のポエトリー曲「俯きヶ丘」からスタートするのであるが、紗幕の奥のステージ背面のスクリーンにはマスコットキャラクターのてるてる坊主が、曲タイトルに合わせてまさに俯き気味でこちら側に向かって頭をぶつけて画面を割ろうとしてくる。その表情がMVで見せる凶悪な表情なのが怖いし、それがこちら側に迫ってくるような臨場感を持つような演出であるのもまた怖い。いきなりこんな演出から始まるとは、と驚いてしまう。
そのまま「永遠市」の1曲目収録の「インヒューマンエンパシー」へと続いていくのであるが、そこでも歌詞が次々に映し出されていく中でてるてる坊主に腕が生えてより強くこちら側に頭をぶつけたり腕で攻撃するようなアクションを見せ、顔がさらに凶悪に進化している感すらあるのがより怖い。これはここからどう演出が展開していくのかと気になってしまう。
そうしたてるてる坊主をフィーチャーした映像からガラッと変わって、曲タイトルに合わせて決して空ではなくて道路を見つめて歩き続けているような映像が映し出されるのは「下を向いて歩こう」であるのだが、そのギターロックサウンドをサポートギターの井出上誠が思いっきり掻き鳴らすように鳴らしているのが紗幕越しでもわかる。その映像も秋田ひろむの故郷の青森や、この北海道のようないわゆる田舎の道から徐々に渋谷という都会の道に視点が移っていくというのが、この後の秋田の
「何万歩、何万音も繰り返してここまで来ました!」
というような意の朗読に繋がっていく感がある。
するとタイトル部分を豊川真奈美(キーボード)が歌うのが実に美しく楽曲を彩る「ディザスター」ではその災害というタイトルを生み出すかのようにてるてる坊主の無数の腕がこれまでのMVなどでも顕現していたマシンガンのようになってこちらに乱射してくると、紗幕にヒビが割れるような演出になるというのがその災害っぷりを感じさせてくれる。その立体感の表現は本当に素晴らしいし凄まじい。
さらには歌詞が再び左右に分かれて映し出され、秋田の低いトーンの歌唱からサビで一気にハイトーンに開けていく「14歳」と、ここで過去の曲も演奏されることによってまた新たな物語が紡がれていくような感覚になるのであるが、初期のamazarashi屈指の名曲であり、画家と一緒に暮らす女性の人生を描いた「無題」では歌詞に合わせたアニメーション映像が映し出されることによって曲のメッセージや物語性がより可視化されるようになっている。だから最後に別れてしまった一緒に暮らしていた女性からの桜色の便箋に描かれている
「信じてたこと 正しかった」
のフレーズを聴いて感極まってしまうのである。まさか今この曲が聴けるとは、そしてそれに今まで以上に感動してしまうとは。まだ前半でこんな感情になってしまってどうすればいいんだという感じもするけれど、このMVはさらに広げて短編映画になりそうな感すらある。
それはこちらも初期の曲でありながらも後に再録された「つじつま合わせに生まれた僕等」もそうであるのだが、こちらは映像というよりも歌詞を前面に押し出していくという演出であり、だからこそ
「善意で殺される人 悪意で飯にありつける人
傍観して救われた命 つじつま合わせに生まれた僕等」
という歌詞が秋田の伸びやか極まりない歌唱(しかも天井が高いホールであり、音響も申し分ないのでamazarashiのライブを見るのにうってつけとも言える会場だ)によってより突き刺さってくるし、
「誰もが転がる石なのに 皆が特別だと思うから
選ばれなかった少年は ナイフを握り締めて立ってた」
という歌詞はブルーハーツからBUMP OF CHICKEN、GOING STEADYと受け継がれて来た少年とナイフというテーマをamazarashiが受け継いでいることを感じさせるのである。豊川のピアノのメロディは今この場所にいる我々の生を祝福してくれているかのように神々しい。
その「つじつま合わせ〜」の歌詞の内容を引き継ぐような内容の短い朗読的な言葉を挟むと、スマホの画面に歌詞が映し出されているかのような映像が、まさにスワイプするかのようにして流れて切り替わっていく「スワイプ」は秋田による鋭い言葉が次々に放たれていき、
「不景気な地方自治体 おばあちゃんかかる特殊詐欺
週明け上がる水死体 大人のせいで子供死んだり
全て忘れて踊れと怒鳴る祭り囃子」
というロートーンなサビの歌唱がどこか呪術的と言っていいくらいの不穏さを持って迫ってくる。それもまたamazarashiの音楽ならではの感覚であるが、このタイトルに合わせた演出はやはり見事である。
その「スワイプ」もそうであるが、続く「君はまだ夏を知らない」も新作「永遠市」の収録曲である。しかしながらこの曲はCDで歌詞カードを見ながら聴いても何のことを歌っているのかというのが、
「自分自身はどうか憎まないで だって君はまだ夏を知らない たった七つしか」
というサビの締めのフレーズからもわからなかったのであるが、この日の演出が小学生の夏休みの絵日記的なノートに歌詞が映し出されていくというものであることによって、その年代の子供に向けて歌われているということに気付く。絵日記にしてはあまりに哲学的過ぎる内容の歌詞であるが、その対象への視点があるからこそ、どこか今までの曲とはまた違う慈愛の精神を感じさせるのである。
するとスクリーンにはおなじみの学校の風景を描いたアニメーション映像が映し出される。それはもちろん「月曜日」のものであるのだが、この日はたまたま月曜日であった。自分は休みを取ってこうして札幌まで来たのであるが、この日仕事をしたりしてからこのライブに来た人からしたらこの日にこの曲を聴いたのは本当に刺さったと思うし、
「胸が苦しいのは 互いに思うことが伝わるから
僕ら超能力者かもね」
という歌詞の素晴らしさはもちろんのこと、
「嫌なこと嫌って言うの そんなに自分勝手かな
それならば僕は息を止めて潜るよ
君の胸の内の深さには 遠く遠く及ばないとしても」
というフレーズ部分のメロディの美しさはamazarashiの音楽に我々が惹かれる理由が詰まっていると思っているし、どこか意識を宇宙空間にまで飛ばしてくれるような浮遊感を感じさせてくれるのだ。
そんな浮遊感から一転して海の底に潜っていくかのような感覚になるのは「アンチノミー」のカップリングに収録されている、ポエトリーリーディング的に秋田の言葉が次々に放たれていく「海洋生命」であるのだが、そのサウンドのハードさはこうして椅子に座って微動だにせずに見ている(amazarashiのライブはホールではいつもそのスタイルである)のに我慢できなくなるくらいの轟音っぷりで、やはり井出上が荒ぶりながらギターを弾いているのが紗幕越しでもわかる。今では秋山黄色やビッケブランカなどのサポートも務めているが、やはりamazarashiのライブにはこの男含めたメンバーたちの存在は欠かせないと思う。実質的には秋田と豊川の2人であるが、このライブメンバーたちがいるからこうして思い描くサウンドを鳴らすことができているのだから。
そんな超轟音からまたガラッとサウンドが変わり、秋田は紗幕越しでもギターを持たずに歌っているのがわかるし、リズムもトラック的なものになる中で秋田の言葉が次々に放たれていくのは「超新星」。それは歌い出しからはUSのダークなヒップホップなどの影響も感じられるのであるが、サビではやはり実にamazarashiらしいメロディに着地していくし、タイトルに合わせて星が煌めくような映像演出になっていくというのも実に見事である。
ここで秋田は「自由になるために全力で逃げた」ということを朗読的に口にするのであるが、それがそのまま「永遠市」の「自由に向かって逃げろ」へと繋がっていく。逃げるというのは実にネガティブな響きの言葉であるが、「下を向いて歩こう」も含めてamazarashiが曲にすればそのイメージはガラッと変わる。それは自分が自分らしく生きていくための選択だからだ。それが映し出されていく
「「いつか必ず上手く行く」 ならそのいつかに会わせろ
一秒も耐え難い痛みを知るなら 逃げろ、自由に向かって」
などの歌詞からもわかるし、ソリッドなギターロックサウンドがその背中を押してくれる。
そして急に秋田が歌い始めた瞬間にガラッと我々の見えている景色が変わるのは、スクリーンにも青空が映し出される「空に歌えば」なのであるが、その秋田の力強い歌唱と豊川のタイトルフレーズの美しい歌唱、さらに紗幕越しであっても圧倒的な迫力を持つバンドサウンドによって聴いていて胸が震えてしまう。それくらいにこの曲には秋田の、メンバーたちの感情が最大限に乗っている。「僕のヒーローアカデミア」のタイアップとしてamazarashiの存在を広く世に知らしめた曲であるが、そのクールのヒロアカのアニメを全部見返したくなってしまう。そうするとまた聞こえ方が必ず変わってくるだろうから。
そんな「空に歌えば」の熱演にここまでで最大の拍手と歓声が送られると、そんな狂騒から一転してスクリーンにはワンルームのがらんとした部屋にギターケースとキャリーバッグだけが置かれた映像が映し出されて演奏されたのは「美しい思い出」であるのだが、その部屋に付いていると思しき使っていないシンクの映像などはamazarashiが始まった原風景はこうした部屋だったのだろうかと思わせる。それは秋田の感情とバンドのサウンドがどんどん溢れていくかのように歌われる
「忘れたいこと 忘れたくないこと」
のどちらもがこうした部屋に詰まっているかのように。
そしてここまでは朗読という形で曲以外の時に観客へ言葉を伝えてきた秋田はここで
「去年パニック障害になって、ライブを何本か飛ばしてしまったんだけど…。またライブができるようになったのは、やりたいことだけをやってきたっていう積み重ねがあったから」
と語る。それは秋田が自分自身に言い聞かせているようでありながらも、同じような経験をしている人にも伝えるような言葉に聞こえた。それは本当に自分がやりたいことであるならば、倒れてもまた立ち上がることができるということを示そうとしているかのような。
そんなMCの後には「永遠市」の中でも最重量級と言っていいくらいに次々に歌詞が押し寄せていく「ごめんねオデッセイ」が演奏される。タイトルの「ごめんね」と「オデッセイ」もそうであるが、その歌詞の言葉数の多さの中であらゆる単語を使いながらも、それを韻を踏むように配置しているのは本当に見事としか言いようがないのであるが、その曲の歌詞の中には
「行けども行けども降り積む雪ばかり」
という歌詞がある。それは青森県むつ市という秋田の故郷の原風景的なものかもしれないが、この日、札幌に着いて飛行機から降りたら雪が降っていた。この曲に限らず、amazarashiの曲には雪という情景を歌う曲が数多くある。こうして関東の人間としては驚くくらいに11月でも雪が降る札幌までamazarashiのライブを観に来たというのは、どこかそんな情景の街の中でamazarashiのライブを観るということに呼ばれたような感覚になった。きっと他のアーティストのライブだったらそうは思わないが、この日はそう思わざるを得なかったのは、amazarashiが過去の曲すらも新作のツアーに組み込むことによって新たな意味を持たせてきたアーティストだから、そこに確かな意味を感じていたのだ。だからこの瞬間、この雪が降るくらいに寒いこの日にこの札幌でamazarashiのライブが観れて本当に良かったと思っていた。
そして秋田は
「ありがとう札幌!また必ず来ます!」
と言った。このカナモトホールは1500人キャパと、札幌の中ではかなり大きな規模の会場になるということだが、その会場がたくさんの人で3階席まで埋まっている。もちろんamazarashiはそれなりに有名だし、動員力があるアーティストではあるけれど、誰しもに響くような音楽ではない。きっと聴いても何にも感じないような人もたくさんいる。でもこの札幌にもこんなにもamazarashiの音楽が響いていて、平日にも関わらずライブを観に来たという人がたくさんいる。そうした人からしたら、秋田がこう言ってくれるというのは本当に嬉しいだろうし、それは関東というライブが毎回見れる場所に住んでいる身にとってはなかなかわからないことだ。それだけに札幌でamazarashiが好きな人たちのことを見れたのも、またこの日この場所に来て本当に良かったと思えたのだ。
そんなライブの最後に演奏されたのはアルバムの先行シングルとしてリリースされた「アンチノミー」。スクリーンにはシングルの初回盤映像に収録されていた人形劇の主人公のロボットが映し出しされるのであるが、その体は人形劇同様に糸で吊されて操作されている。その人形の姿が
「感情は持たないでください それがあってはこの先 きっと辛すぎる
人を愛さないでください 守るものが弱さになる きっと後悔するでしょう」
という歌詞の通りに意志を捨てて操られているように感じさせるのであるが、その歌詞がサビに辿り着くと
「意味を捨て意志をとれ 生き延びて 生き延びて 息をするんだ
自分殺し生きている アンチノミー アンチノミー 心のバグだ
人として憤れ 感情を踏みにじる全てへ
機械仕掛けの涙 それに震えるこの心は誰のもの」
という通りに自身の意志を持って糸に抗うようにして動いているように見えてくる。それは秋田の歌唱とバンドの演奏に宿る感情が乗り移っているように見えるからこそ、見ている側の心が揺さぶられて感動してしまうのである。それはかつて「命にふさわしい」でも歌われてきたテーマであるが、そうした誰しも-もしかしたらこれから先の未来にロボットが当たり前に生活するような時代になったとしても-に感情というものがあるということを忘れずに生きていたいと思わせてくれる。それはamazarashiの音楽には確かなこの人たちでしかない感情が宿っているからだ。
「ありがとうございました!amazarashiでした!」
と秋田が叫ぶようにしてギターを鳴らし終えると、暗くなったステージ前の紗幕にはバンドロゴとともにこのツアーのロゴが映し出された。その光景を見て、やっぱりここまで来て間違いなかったと思った。amazarashiのライブはいつもそう思わせてくれるけれど、過去最高にそう思えたのだ。都内の会場では数えきれないくらいに観てきたけど、この日札幌で観たことだけは一生忘れることはない。
1.俯きヶ丘
2.インヒューマンエンパシー
3.下を向いて歩こう
4.ディザスター
5.14歳
6.無題
7.つじつま合わせに生まれた僕等
8.スワイプ
9.君はまだ夏を知らない
10.月曜日
11.海洋生命
12.超新星
13.自由に向かって逃げろ
14.空に歌えば
15.美しき思い出
16.ごめんねオデッセイ
17.アンチノミー
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