ASIAN KUNG-FU GENERATION 「Tour 2023 サーフブンガクカマクラ」 @日本青年館 11/3
- 2023/11/04
- 18:10
だいぶ前から制作がアナウンスされていたが、ついにリリースされた、ASIAN KUNG-FU GENERATIONが2008年にリリースした「サーフ ブンガク カマクラ」の完全版。収録曲は江ノ電の駅名を冠したタイトルになっているのであるが、当時は10曲だったのが今回の完全版では現在の江ノ電の駅全てを網羅した15曲入り、かつ現在の状態で既存曲も再録されている。
その完全版のツアーはゴッチの体調不良によって先日の名古屋がライブ途中で中止(のちに振替)、広島も振替になってしまうという波乱もあったけれど、この日本青年館2daysは無事に開催。
神宮球場と国立競技場の向かい側にある日本青年館はかつてJUN SKY WALKER(S)がライブをやったりと、バンドブーム期から名前を聞いたりしていた会場であるが、入るのは初めてなのでキレイさに驚いてしまった。改修工事などもしているだろうけれど、キャパ的には都内のアジカンのライブを観るホールとしてはかなり小さい。つまりはメンバーとの距離が近い。
開演前にはこのアルバムのサウンドに合わせるようにパワーポップな曲がBGMとして流れている中、祝日ということで開演時間はかなり早めの16時を少し過ぎたあたりで会場が暗転すると、自転車やサーフボードが置かれて海の家的な建造物すらある、背面が江ノ島周りの海が描かれると共にバンドロゴが飾り付けられているステージにメンバー4人が登場。前作「プラネットフォークス」のツアーやそれ以降のフェスやイベントでもサポートにGeorgeとアチコを加えた6人編成だったが、実に久しぶりのメンバー4人だけでの編成で、その4人が最新のアー写通りのおそろいのシャツを着て横並びになっている。
そんな完全なる「サーフ ブンガク カマクラ」の世界に入り込むようなセットであるだけに、喜多建介がギターを鳴らし、そこにゴッチのギターも重なるのはアルバム1曲目の「藤沢ルーザー」で、山田貴洋(ベース)がコーラスを重ねる、このアルバムでのアジカンのパワーポップモードが早くも炸裂するのであるが、個人的なことを言うとこのアルバムがリリースされた時はブラック企業入社直後の新卒社会人というタイミングだっただけに、この曲を聴くと当時のことを思い出してしまったりする。それはこの曲の歌詞からも社会人の悲哀を確かに感じるからである。
伊地知潔(ドラム)の叩き出すリズムにゴッチのギターが重なり、喜多がそのサウンドに合わせて体を揺らす「石上ヒルズ」と続くのは完全版の曲順通りであるが、そういえばゴッチは体調不良でつい先日ライブを延期したんだよなという我々の心配をよそに、めちゃくちゃ声が良く出ている。それを自身の歌唱でもって、まるで「心配ないぜ」というように示してくれており、この段階でこの日のライブが良いものになる予感しかしない。
「こんばんは、ASIAN KUNG-FU GENERATIONです」
とゴッチが挨拶すると、ゴッチが気怠そうな厭世観を感じさせる歌詞でありながらも、この日の歌唱には生命力が漲っている「鵠沼サーフ」へ。ここでアルバムとは曲順が変わることに気がつくのであるが、アルバムの始まり(「ある街の群青」のカップリングが初出)の曲としてリリースされ、直後のROCK IN JAPAN FES.ではまだほとんどの人がこの曲の音源を聴いていなかったために客席が凍りついた、メンバーいわく「ひたちなかショック」という事件を生んだ曲であるが、今にして聴くと本当に良い曲(当時からそうだけど)だと思うし、ついつい山田の背後のサーフボードに目がいってしまう。
するとゴッチが曲間で抒情的なギターを鳴らしてからいきなり歌い始めたのは「荒野を歩け」であり、てっきり冒頭の3曲で今回のツアーはアルバムの曲を連打していく流れになると予想したのが早くも軽やかに裏切られるのであるが、この曲のサウンドはこのアルバムの流れに実に収まりが良いし、Cメロ部分で客席から自然と手拍子が起こるのは、シモリョーが作り出したこの曲でのノリが観客たちに受け継がれているということでもある。その手拍子の直後だからこそゴッチの「ラルラルラー」の歌唱で観客が高く腕を掲げるのである。もしかしたら海で乗っていたサーフボードから陸を滑走するスケートボードに乗り換えたという流れなのかもしれないが。
すると曲間のよくわからないタイミングで伊地知がカウントを鳴らし、思わず「やっちまった!」みたいな顔をするのであるが、それは次に演奏されたのがゴッチがギターを弾きながら歌う「江ノ島エスカー」だからである。なのでゴッチもアルバム随一の名曲にして
「埼玉のとある街のヤンキー
彼は海も 実はキスも初めての」
という超名フレーズが響くこの曲の演奏中に伊地知の方を「ミスったろ?」といじるようにして見る。そのゴッチと目が合った伊地知も、ゴッチも互いに笑い合っている。そんな今の2人の、アジカンのメンバーたちの朗らかな関係性がうかがえて、なんだかそれだけで泣きそうになった。それはそんなシーンを見せたのがこの曲だったからかもしれないが。
しかしその伊地知が今度はしっかりとバンドを牽引していく力強く、低音を強化したビートを鳴らして始まった「ホームタウン」ではゴッチの歌詞が飛ぶという事態に。それでもゴッチ本人はもちろん、メンバー全員が笑顔でいるということが、それもまたライブだからこそのものであり、むしろこの日だけのものとしてメンバーが楽しんでいるかのようだ。
最初のMCではもちろんそのミスについての話になるのであるが、ちょうどこの日はビートルズの最後かもしれないという新曲が公開された日でもあるだけに、
「ビートルズの新曲聴いちゃって、大御所感みたいなの出したからダメなんだよな(笑)
ビートルズの「ゲットバック」っていうめちゃくちゃ長い映画見て、メンバーの関係性が明らかに良くない時期なのにライブをやるとケミストリーみたいなものが確かに表れていて。
でも俺が死んだ後に山ちゃんと潔が「アジカンの新曲です」って発掘してきた曲を出したら嫌だけどね(笑)だから亡くなった後の新曲って複雑っていうか」
と、コラムにも書いていたこともこうして目の前で音として発せられる言葉として聞くとやはりより伝わるものがある。ゴッチにもメンバーにもそんな死んだ後のことなんて考えられないくらいにずっとアジカンとして生きていて欲しいけれど。
そんなMCの後には再びアルバムのモード、世界へと突入していくかのように「七里ヶ浜スカイウォーク」であるのだが、この曲は実はオリジナル版と完全版では歌詞が変わっており、駅近くにあったファーストキッチンが完全版が出るまでの間になくなってしまったことによって
「絶え間ない談笑に」
が
「今はない談笑に」
になっている。新曲を入れるだけではなくて、既存曲を今に合わせてアップデートしていくというのもさすがアジカンであるが、そうしてなくなってしまったものを思わせることによって、気分はオーガニックではなくてセンチメンタルになってしまう。
そんな気分をスカッとした快晴の青空に変えてくれるのが、アルバム収録曲ではないし(去年リリースのカップリング曲)、そもそも横須賀の地名であるために江ノ島の曲ではないにもかかわらず、タイトル的にもサウンド的にもこのアルバムに入っていて然るべきというような曲であり、ゴッチがメロを歌って喜多が持ち前のエバーグリーンと言いたいけどドブ声(ゴッチいわく酒とタバコで醸成された声だから)ファルセットでサビを歌うという構成もアジカンの長い歴史の中でも実にユニークなものであるのだが、その喜多の甲高い声で
「そっと心を開いて
明日こそ海へ行こう」
と結ばれるこの曲の後に、まさに海の中に入るサビの歌詞のタイトルにかけた描写が実に巧みかつ詩的な、ゴッチの才が爆発している名バラード「腰越クライベイビー」へと繋がるという流れは見事としか言いようがないし、この曲のサビでのファルセットをゴッチがしっかり歌い切っているあたりが、本当にこの2daysは体調を取り戻した上で行なっているんだなということがよくわかる。メロディもそうであるが、ギターのフレーズだけでも泣けてくる、かつ情景が脳内に想起される(それはこの日のステージセットもあって)、アジカンの中でも隠れさせるにはもったいないくらいの名曲である。
さらに「サーフ〜」オリジナル版からの名曲が続く。伊地知のリズムに合わせて手拍子も起きたりしながらも、いつもゴッチが言っているようにそれぞれが自由に楽しんでいる感がある、個人的にはこれぞアジカンとしてのパワーポップを最大限に鳴らした曲だと思っている「極楽寺ハートブレイク」は時期はもう過ぎ去ってしまったけれど、鎌倉に咲くあじさいを観に行きたくなるような情景が浮かぶ曲だ。今になってから聴くと、失恋だけではなくて人生の様々な心が折れるような出来事に寄り添ってくれている感じがするのも、アジカンも我々も共に歳を重ねてきて人生においていろんな経験をしてきたからであろう。
さらにはもうタイトル的にはダジャレ的とも言える「長谷サンズ」は音源よりもはるかに喜多のハイトーンコーラスが際立つ形になっているのもライブだからこそであるが、それはゴッチの「ウォウウォ〜」という歌唱もまたしかりである。そうしてライブだからこそのものを、毎回それまでを更新する形で見せてくれるから、これからもアジカンのライブに馳せ参じたいと思うのである。
そんな「サーフ〜」の流れから一転するかのようにして伊地知がリズムを刻むと山田がキーの低いコーラスを歌い始め、そこに喜多のハイトーンが重なっていくのは
「色褪せぬ永遠のまま」
というサビのフレーズが「サーフ〜」で描かれている青春性を歌詞の通りに色褪せないものであるかのように感じさせてくれる、初期の「その訳を」。まさかこの曲がこのツアーのセトリに入ってくるとは思わなかったが、こうなってくるとこのセトリで固定なのか、あるいは場所によって変えているのか気になってくる。それを確かめようにもチケットが売り切れまくっているツアーであるために自分自身で確かめることはできそうにないけれど。
そんなアジカンもうデビュー20周年、来年は伊地知潔加入から25周年ということで、ゴッチと山田がここまでバンドを続けているとは思わなかったということを語り始めると、
ゴッチ「山ちゃんは学生時代はいつも黒いアコギと黒いベースを持ってた。富士宮に楽器屋なんかなかったでしょ?」
山田「いや、1軒だけあったんだよ」
ゴッチ「俺が最初にギター買ったの、立川の質屋だからね(笑)こっちに来て最初に住んだのが立川で。だからこのツアーでも立川に行くんだけど、競輪と馬券を買えるところが近くにあったから、楽器を質屋に入れてたのかなって。だって当時は楽器屋なんてのがどこにあるのかなんてことも全然知らなかったから。建さんはなんかペラッペラの音のギター使ってたよね。先輩に「クソみたいなギターだな」って言われてた(笑)
でも尊敬する先輩が俺たちの演奏を見て「君たちはまずチューニングを覚えようか」って言ってきたところからよくここまで来たよな(笑)」
と過去の思い出を話し始めるのであるが、
ゴッチ「めちゃくちゃ喋るけど、曲もたっぷりやるからね(笑)」
喜多「何その炎上しそうな感じ(笑)」
と、ブラックな時事ネタを挟むことも忘れないが、来年は伊地知潔加入25周年を祝したイベントも行われる予定だという。NANO-MUGEN FES.や横浜スタジアムほどの規模にはならないかもしれないが、またあんな祝祭感溢れるアジカンのライブを見れるのが楽しみで仕方ない。
そんな長いMCの後には、イントロから若干気怠い感じをギターサウンドで表現するのは高校生特有のダルさを示したからか、あるいは坂道を歩くことのダルさか。いずれにしてもかつてのアニメのSLUM DUNKのオープニングの踏切と海が見える坂道がある駅である「日坂ダウンヒル」はそのSLUM DUNKの名セリフを歌詞に取り入れるという結果的に映画の大ヒットに合わせた素晴らしいタイミングとなったのであるが、その前には岡村靖幸の曲の引用フレーズもあるのは、その青春性の強い風景を持つ駅だからこそ、メンバーにとっての青春を歌っているということでもあるだろう。
そんな風景はどうしたって季節で言うなら夏を思い起こさせるのであるが、完全版で新たに収録された「西方コーストストーリー」はまさにそうした江ノ島の夏の情景を脳内に描かせるような曲である。この辺りの曲を聴いているとやはり江ノ電に乗って各駅を巡ってみたくなるし、曲順を入れ替えてこうして新たな感情や感想を抱かせてくれるあたりはさすがアジカンである。
さらにそれまでの流れを引き継ぎながらもどこか曲としての感触が違う様に感じるのは、なんと喜多とゴッチのツインボーカルによる、パワーポップの祖と言える存在のWeezer「Surf Wax America」のカバー。サビ以外は日本語歌詞になっているのであるが、この「サーフ ブンガク アメリカ」最大の影響源にして、アジカン最大の影響源とも言えるバンドの名曲を演奏しているメンバーたちの表情が本当に「学生時代にバンドを始めた時はこういう感じだったんだろうな。ただ自分たちが好きな曲を何にも考えずに歌い鳴らすという」ってことを思わせるくらいに楽しそうで、それがまた感極まってしまいそうになった。いろいろありながらもこの4人であり続けて25年も続いてきたバンドであるだけに。
その学生時代の影響源から視点は青春期という変わらないものでありながらも、リリースとしてはほぼ最新と言っていいところまで時間軸が戻るのはシングルとしてリリースされた「柳小路パラレルユニバース」であり、間奏では喜多のギターヒーロー的なソロも披露されるけれども、それでもこの曲、このアルバムが持つ空気によってどこか肩の力が抜けているというか、軽やかにバンドも我々も楽しんでいるという感じになっている。できれば鎌倉芸術劇場へ行って、その道中の晴れた空の下でこの曲を聴いてみたかったけれど。
そして「サーフ〜」オリジナル版の当時から随一の人気曲である「稲村ヶ崎ジェーン」のイントロのリフが鳴らされると、ゴッチはギターを弾かずにその場においてハンドマイクを持ってステージ上を左右に動き回り、誰よりも自由に踊るようにして歌う。かつてはこの曲ではここまで激しいパフォーマンスはやっていなかった。このツアーの当初がどうだったのかもわからないけれど、これはライブを延期にしたりした上での吹っ切れた楽しみ方なのか、それとも今のゴッチがこの曲を歌おうとすると自然とこうなるのか。どちらにしてもそこには我々ファンだけではなく、コーラスというよりもはやツインボーカルになりつつある喜多の歌唱含めたメンバーのこの曲への愛を確かに感じた。背面の江ノ島の海をヨットが泳いでいるように動かすというさりげない演出をみせたスタッフの愛も。
そんなパフォーマンスを見せたからゴッチは息切れ切れで
「尾崎豊みたい(笑)」
と言ってからMCを始めるのであるが、前日にこの曲を演奏した時にはマイクのケーブルの長さが倍だったのが、
「あいつ自転車やサーフボード乗ったり、海の家の方に上がったりはしないんだな(笑)」
ということを悟ったスタッフによって長さを半分にされたことを明かす。さすがに自転車乗りながらは歌えないと思うけど。
そしてゴッチがタイトルコールをして客席が湧き上がったのは「ループ&ループ」から、コーラスフレーズで大合唱が巻き起こった「アンダースタンド」という初期の名曲たちの流れであるのだが、「リライト」ではなくて「ループ&ループ」、「未来の破片」ではなくて「アンダースタンド」であるというのは、あくまでパワーポップというサウンドでまとめられた今回のアルバムとツアーだからこその選曲なんじゃないかと思った。この流れでギターが歪みまくっているロックな曲をやっても浮いてしまうというか。だからこそパワーポップの影響の強いこの2曲を並べたんじゃないかと。
しかし「アンダースタンド」のコーラスでの合唱を我々が歌うことができるのが本当に久しぶりすぎて、そうできていることだけでまた涙が出そうだった。それはもう20年くらい、ずっと一緒にライブで歌ってきたこの曲を我々は歌うことができない数年間があったからだ。
そんな過去の名曲も挟みながらも、曲の中で激しく展開していく「由比ヶ浜カイト」の間奏の轟音パートでゴッチは自身のギターを掲げて観客の拍手と歓声を浴びるのであるが、実は四十肩で肩が上がり切らない状態だということで、夏フェスまでには肩が上がるようにしたいと演奏後に語る。それでもゴッチのロックスターっぷりは変わらないし、この曲の締めの
「それでも何度も君を探して
空に何度も弧を描くトビ」
というフレーズとコーラスは江ノ島の海を眺めながら聴いていたいと思う。
そのゴッチは四十肩であることも含めて、永遠に若くあり続けるのではなくて、年齢を重ねながらバンドマンとしてあり続けていきたいということ、我々ファンも歳を重ねていくということを語るのであるが、その言葉をそのまま歌詞にしたような曲が完全版で新たに収録された「和田塚ワンダーズ」であり、
「派手に泣いて良いぜ
それはだって命の在処だよ
胸がギュっとなって思い出した
あの娘の面影も
波のあとに残る砂の模様」
という歌い出しからして大事な人との離別を、
「坂道を下って
少し行けばいつかの少年たちも
秋の風になって
君の傍をするりと駆け抜けて
いつの間にか老けてしまうのよ」
という歌詞がゴッチやメンバーの現在を感じさせてくれ、
「今日という愛しい日も
もう二度と会えないんだよ」
という締めのフレーズがこの日、このライブへの想いをさらに強いものにしてくれるのであるが、インタビューでゴッチは
「和田塚って本当に何もなくて、江ノ電の中でも1番地味な駅だから、何を書こうかな〜と思って、今の老いていく自分たちのことを書いた」
的なことを言っていたのだが、その何もない駅からこんな名歌詞、名曲を生み出せるのだからさすがゴッチとしか言いようがない。
そして本編の締めはゴッチが
「We are all alone, we are not the same」
と、かつてサポートメンバーとして活躍してくれたシモリョーのバンド、the chef cooks meの「Now's the time」のフレーズを口ずさんでから、どっしりとしたサウンドとゴッチの伸びやかなボーカルが響き渡る「ボーイズ&ガールズ」。
「まだはじまったばかり
We've got nothing」
というフレーズをゴッチが伸びやかなファルセットで歌うのを見ると、アジカンもそうであるし我々もまだまだ始まったばかりであって、これから先に出来ることがたくさんあると思わせてくれる。それはアウトロで喜多が「Now's the time」のフレーズをギターで奏でているというアレンジからも感じさせてくれる。これから先も何度だってこうしたライブを観れる、新しい曲を聴けるはず。この曲をライブで聴くと、いつだってそんなことを感じさせてくれるのである。
アンコールでは写真撮影がOKということで、スマホでメンバーを撮影する人もちらほら見受けられるが、そこまで全員というわけではない印象の中でゴッチが自身の書籍も物販で販売されていること、それが書店でも売っているが、
「エッセイとか文芸本のコーナーにあるかと思いきや、奥の方に音楽コーナーみたいなのがあって、そこの星野源君のさらに奥あたりに置いてある(笑)」
という自虐的なMCを口にすると、ギターのイントロだけで歓声が上がったのが「ソラニン」であったために、アンコールはまた全く雰囲気が違うものになることがわかる。この曲もなかなか「サーフ〜」の世界観に合わせて本編のセトリの中に組み込むのが難しい曲だろうからだ。それはアウトロでの喜多の鳴らす轟音ギターを聴いていてもよくわかる。
さらにはこうして全国をくまなく回るツアーだからこそ、この曲のメッセージが今この瞬間のものとして響いてくる「君の街まで」はサビでのゴッチのファルセットボーカルも美しく響く中、間奏では伊地知のリズムに合わせてゴッチも喜多も観客も手拍子を叩くのであるが、その間奏の尺が音源よりも長いのもライブならでは。つまりこの曲はこうして我々それぞれの街で演奏されてきたことによって進化・成長してきた曲だとも言える。ましてや季節も冬が近づいてきている中であるけれど、この日は25°Cくらいという11月とは思えない温暖な気候であったのはむしろ「サーフ〜」の夏、海的なイメージに引っ張られたところもあったのだろうかなんて思う。
さらに伊地知が四つ打ちのビートを刻み、ライブならではの音を重ね合うイントロから、この日はゴッチではなくて喜多がカウントをして始まったのはおなじみ「君という花」と、アンコールはアジカンのベストヒット的な選曲の内容になることがよくわかるのであるが、喜多も山田もステージ前まで出てきてそんな曲たちが連発されることによって観客のテンションやノリもさらに高まっていく。座席があるホールでありながらも明らかに観客それぞれの動きが大きくなってきているし、歓声も大きくなってきている。そんな中でゴッチと喜多は近年のこの曲ではおなじみのアウトロで「大洋航路」のフレーズを重ねるものだからより観客のテンションは上がっていく。
そのまま山田の重いベースのイントロから始まったのは、ある意味ではアジカンの始まりの曲と言える「遥か彼方」なのであるが、バンドの瑞々しい演奏はもちろん、ゴッチの成熟と衝動を併せ持つかのような歌唱から感じられるロックさ。サビに入る前には喜多が右手人差し指を高く掲げる。ゴッチは「年相応に年齢を重ねて〜」的なことも言っていたけれど、この曲でのこんな演奏を見たら「まだまだいけるじゃん!」と思わざるを得ない。それは我々が憧れてきたアジカンがずっとこの4人であり続けているからこそそう思えるのである。
そんな最高なパフォーマンスに胸が熱くなる中でゴッチが観客に感謝を告げると、その言葉を曲で示すかの様にして「転がる岩、君に朝が降る」が演奏される。アジカンのメンバーをモチーフにしたバンドによるアニメ「ぼっち・ざ・ろっく」の最終回で主人公がカバーしたことによって、15年の月日を経て今の世の中に再発見されたこの曲が持つメッセージは全く色褪せることはない。それは悲しいことに「世界を塗り替えたい」と思うような出来事ばかりの世の中だからであるが、そんな世の中を生きていくため、これからも転がり続けていくためにこの曲は鳴り続けていく。
おそらくは最近こうしてこの曲を毎回演奏しているのは、アニメを見て知ってくれた人へのサービス的なところもあるだろうけれど、個人的にも音源リリース前から「これはとんでもなく素晴らしい名曲だ」と思っていた曲を今になって毎回聴けるようになったという意味では「ぼっち・ざ・ろっく」に関わった全ての人に心から感謝したくなる。
そしてゴッチが再度重ねるようにして
「今日は来てくれて本当に本当にありがとう」
と想いを最大限に込めるようにして口にしてから最後に演奏された、「サーフ〜」の最後を飾る「鎌倉グッドバイ」ではなんと背面の江ノ島の海が夜の情景になって星空が浮かぶという、このライブを通して江ノ島の1日を描くという演出になっていることに驚く。
「こんな日々が続くような日和
でもさ 今日は終わるんだよ
それでも君が笑うように」
と歌うゴッチの歌唱には本当に来てくれた人へそう思ってくれているという慈愛を感じざるを得ないし、
「夜が来たよ
さようなら 旅の人」
という締めの歌詞がこの演出に驚くくらいにマッチしていた。それは夜を越えればアジカンがまた新たな場所へ旅へと出て行くから。
演奏が終わってステージ前に4人が並んで肩を組んで頭を下げるのも、ステージセットの海の家のドアを開けて(このドアちゃんと開くのか!という驚きもあった)去っていく姿も、メンバーは本当に笑顔だった。特にゴッチがこんなにお茶目な姿を見せたのは、NANO-MUGEN FESの開会宣言での四股入りの時以来じゃないだろうかとも思った。
延期になってしまった名古屋と広島の人には本当に申し訳ないけれど、そうして延期になってしまうことがあったからこそ、ゴッチの中で見つかったものもあったんじゃないかと思う。それは
「名古屋で声が出なくなった時に、俺は歌える曲だけでもやろうと思ったんだけど、建ちゃんも潔も笑顔で「もうやめよう。延期しよう」って言ってくれて。こんなに頼もしくなったんだなって。山ちゃんは昔から頼もしかったけど」
とゴッチが口にしていたことからも明らかだ。だからこそ
「今が1番良いと思う」
とバンドへの信頼と自信を口にできるのだろうし、それはライブを観ていてもはっきりとわかる。
もう25年も続いてきたバンドがこれから先も続いていくには、メンバー同士がこのバンドを楽しいと思えなければならない。そうでないとわざわざバンドをやる意味がなくなってしまうから。実際にその領域を超えても続いている超ベテランバンドたちはみんな今でも楽しそうにライブをやっているし、見ている観客をも最高に楽しませてくれる。
だからこそアジカンにもそうあって欲しい。これからもずっと続いていて、ずっとライブを観ていたいから。その先にまたこうやって昔の曲を演奏するようなライブが時折あったら嬉しいと思うし、来年はこの4人になってからの25周年を盛大に祝いたい。かつて観た「サーフ〜」の曲たちを演奏するライブよりこの日の方がはるかに楽しかったし、アジカンは青春のバンドでありながらも、今もこれからもずっと自分にこの世界で生きていく力をくれるバンドであり続けていくからだ。
1.藤沢ルーザー
2.石上ヒルズ
3.鵠沼サーフ
4.荒野を歩け
5.江ノ島エスカー
6.ホームタウン
7.七里ヶ浜スカイウォーク
8.追浜フィーリンダウン
9.腰越クライベイビー
10.極楽寺ハートブレイク
11.長谷サンズ
12.その訳を
13.日坂ダウンヒル
14.西方コーストストーリー
15.Surf Wax America
16.柳小路パラレルユニバース
17.稲村ヶ崎ジェーン
18.ループ&ループ
19.アンダースタンド
20.由比ヶ浜カイト
21.和田塚ワンダーズ
22.ボーイズ&ガールズ
encore
23.ソラニン
24.君の街まで
25.君という花
26.遥か彼方
27.転がる岩、君に朝が降る
28.鎌倉グッドバイ
その完全版のツアーはゴッチの体調不良によって先日の名古屋がライブ途中で中止(のちに振替)、広島も振替になってしまうという波乱もあったけれど、この日本青年館2daysは無事に開催。
神宮球場と国立競技場の向かい側にある日本青年館はかつてJUN SKY WALKER(S)がライブをやったりと、バンドブーム期から名前を聞いたりしていた会場であるが、入るのは初めてなのでキレイさに驚いてしまった。改修工事などもしているだろうけれど、キャパ的には都内のアジカンのライブを観るホールとしてはかなり小さい。つまりはメンバーとの距離が近い。
開演前にはこのアルバムのサウンドに合わせるようにパワーポップな曲がBGMとして流れている中、祝日ということで開演時間はかなり早めの16時を少し過ぎたあたりで会場が暗転すると、自転車やサーフボードが置かれて海の家的な建造物すらある、背面が江ノ島周りの海が描かれると共にバンドロゴが飾り付けられているステージにメンバー4人が登場。前作「プラネットフォークス」のツアーやそれ以降のフェスやイベントでもサポートにGeorgeとアチコを加えた6人編成だったが、実に久しぶりのメンバー4人だけでの編成で、その4人が最新のアー写通りのおそろいのシャツを着て横並びになっている。
そんな完全なる「サーフ ブンガク カマクラ」の世界に入り込むようなセットであるだけに、喜多建介がギターを鳴らし、そこにゴッチのギターも重なるのはアルバム1曲目の「藤沢ルーザー」で、山田貴洋(ベース)がコーラスを重ねる、このアルバムでのアジカンのパワーポップモードが早くも炸裂するのであるが、個人的なことを言うとこのアルバムがリリースされた時はブラック企業入社直後の新卒社会人というタイミングだっただけに、この曲を聴くと当時のことを思い出してしまったりする。それはこの曲の歌詞からも社会人の悲哀を確かに感じるからである。
伊地知潔(ドラム)の叩き出すリズムにゴッチのギターが重なり、喜多がそのサウンドに合わせて体を揺らす「石上ヒルズ」と続くのは完全版の曲順通りであるが、そういえばゴッチは体調不良でつい先日ライブを延期したんだよなという我々の心配をよそに、めちゃくちゃ声が良く出ている。それを自身の歌唱でもって、まるで「心配ないぜ」というように示してくれており、この段階でこの日のライブが良いものになる予感しかしない。
「こんばんは、ASIAN KUNG-FU GENERATIONです」
とゴッチが挨拶すると、ゴッチが気怠そうな厭世観を感じさせる歌詞でありながらも、この日の歌唱には生命力が漲っている「鵠沼サーフ」へ。ここでアルバムとは曲順が変わることに気がつくのであるが、アルバムの始まり(「ある街の群青」のカップリングが初出)の曲としてリリースされ、直後のROCK IN JAPAN FES.ではまだほとんどの人がこの曲の音源を聴いていなかったために客席が凍りついた、メンバーいわく「ひたちなかショック」という事件を生んだ曲であるが、今にして聴くと本当に良い曲(当時からそうだけど)だと思うし、ついつい山田の背後のサーフボードに目がいってしまう。
するとゴッチが曲間で抒情的なギターを鳴らしてからいきなり歌い始めたのは「荒野を歩け」であり、てっきり冒頭の3曲で今回のツアーはアルバムの曲を連打していく流れになると予想したのが早くも軽やかに裏切られるのであるが、この曲のサウンドはこのアルバムの流れに実に収まりが良いし、Cメロ部分で客席から自然と手拍子が起こるのは、シモリョーが作り出したこの曲でのノリが観客たちに受け継がれているということでもある。その手拍子の直後だからこそゴッチの「ラルラルラー」の歌唱で観客が高く腕を掲げるのである。もしかしたら海で乗っていたサーフボードから陸を滑走するスケートボードに乗り換えたという流れなのかもしれないが。
すると曲間のよくわからないタイミングで伊地知がカウントを鳴らし、思わず「やっちまった!」みたいな顔をするのであるが、それは次に演奏されたのがゴッチがギターを弾きながら歌う「江ノ島エスカー」だからである。なのでゴッチもアルバム随一の名曲にして
「埼玉のとある街のヤンキー
彼は海も 実はキスも初めての」
という超名フレーズが響くこの曲の演奏中に伊地知の方を「ミスったろ?」といじるようにして見る。そのゴッチと目が合った伊地知も、ゴッチも互いに笑い合っている。そんな今の2人の、アジカンのメンバーたちの朗らかな関係性がうかがえて、なんだかそれだけで泣きそうになった。それはそんなシーンを見せたのがこの曲だったからかもしれないが。
しかしその伊地知が今度はしっかりとバンドを牽引していく力強く、低音を強化したビートを鳴らして始まった「ホームタウン」ではゴッチの歌詞が飛ぶという事態に。それでもゴッチ本人はもちろん、メンバー全員が笑顔でいるということが、それもまたライブだからこそのものであり、むしろこの日だけのものとしてメンバーが楽しんでいるかのようだ。
最初のMCではもちろんそのミスについての話になるのであるが、ちょうどこの日はビートルズの最後かもしれないという新曲が公開された日でもあるだけに、
「ビートルズの新曲聴いちゃって、大御所感みたいなの出したからダメなんだよな(笑)
ビートルズの「ゲットバック」っていうめちゃくちゃ長い映画見て、メンバーの関係性が明らかに良くない時期なのにライブをやるとケミストリーみたいなものが確かに表れていて。
でも俺が死んだ後に山ちゃんと潔が「アジカンの新曲です」って発掘してきた曲を出したら嫌だけどね(笑)だから亡くなった後の新曲って複雑っていうか」
と、コラムにも書いていたこともこうして目の前で音として発せられる言葉として聞くとやはりより伝わるものがある。ゴッチにもメンバーにもそんな死んだ後のことなんて考えられないくらいにずっとアジカンとして生きていて欲しいけれど。
そんなMCの後には再びアルバムのモード、世界へと突入していくかのように「七里ヶ浜スカイウォーク」であるのだが、この曲は実はオリジナル版と完全版では歌詞が変わっており、駅近くにあったファーストキッチンが完全版が出るまでの間になくなってしまったことによって
「絶え間ない談笑に」
が
「今はない談笑に」
になっている。新曲を入れるだけではなくて、既存曲を今に合わせてアップデートしていくというのもさすがアジカンであるが、そうしてなくなってしまったものを思わせることによって、気分はオーガニックではなくてセンチメンタルになってしまう。
そんな気分をスカッとした快晴の青空に変えてくれるのが、アルバム収録曲ではないし(去年リリースのカップリング曲)、そもそも横須賀の地名であるために江ノ島の曲ではないにもかかわらず、タイトル的にもサウンド的にもこのアルバムに入っていて然るべきというような曲であり、ゴッチがメロを歌って喜多が持ち前のエバーグリーンと言いたいけどドブ声(ゴッチいわく酒とタバコで醸成された声だから)ファルセットでサビを歌うという構成もアジカンの長い歴史の中でも実にユニークなものであるのだが、その喜多の甲高い声で
「そっと心を開いて
明日こそ海へ行こう」
と結ばれるこの曲の後に、まさに海の中に入るサビの歌詞のタイトルにかけた描写が実に巧みかつ詩的な、ゴッチの才が爆発している名バラード「腰越クライベイビー」へと繋がるという流れは見事としか言いようがないし、この曲のサビでのファルセットをゴッチがしっかり歌い切っているあたりが、本当にこの2daysは体調を取り戻した上で行なっているんだなということがよくわかる。メロディもそうであるが、ギターのフレーズだけでも泣けてくる、かつ情景が脳内に想起される(それはこの日のステージセットもあって)、アジカンの中でも隠れさせるにはもったいないくらいの名曲である。
さらに「サーフ〜」オリジナル版からの名曲が続く。伊地知のリズムに合わせて手拍子も起きたりしながらも、いつもゴッチが言っているようにそれぞれが自由に楽しんでいる感がある、個人的にはこれぞアジカンとしてのパワーポップを最大限に鳴らした曲だと思っている「極楽寺ハートブレイク」は時期はもう過ぎ去ってしまったけれど、鎌倉に咲くあじさいを観に行きたくなるような情景が浮かぶ曲だ。今になってから聴くと、失恋だけではなくて人生の様々な心が折れるような出来事に寄り添ってくれている感じがするのも、アジカンも我々も共に歳を重ねてきて人生においていろんな経験をしてきたからであろう。
さらにはもうタイトル的にはダジャレ的とも言える「長谷サンズ」は音源よりもはるかに喜多のハイトーンコーラスが際立つ形になっているのもライブだからこそであるが、それはゴッチの「ウォウウォ〜」という歌唱もまたしかりである。そうしてライブだからこそのものを、毎回それまでを更新する形で見せてくれるから、これからもアジカンのライブに馳せ参じたいと思うのである。
そんな「サーフ〜」の流れから一転するかのようにして伊地知がリズムを刻むと山田がキーの低いコーラスを歌い始め、そこに喜多のハイトーンが重なっていくのは
「色褪せぬ永遠のまま」
というサビのフレーズが「サーフ〜」で描かれている青春性を歌詞の通りに色褪せないものであるかのように感じさせてくれる、初期の「その訳を」。まさかこの曲がこのツアーのセトリに入ってくるとは思わなかったが、こうなってくるとこのセトリで固定なのか、あるいは場所によって変えているのか気になってくる。それを確かめようにもチケットが売り切れまくっているツアーであるために自分自身で確かめることはできそうにないけれど。
そんなアジカンもうデビュー20周年、来年は伊地知潔加入から25周年ということで、ゴッチと山田がここまでバンドを続けているとは思わなかったということを語り始めると、
ゴッチ「山ちゃんは学生時代はいつも黒いアコギと黒いベースを持ってた。富士宮に楽器屋なんかなかったでしょ?」
山田「いや、1軒だけあったんだよ」
ゴッチ「俺が最初にギター買ったの、立川の質屋だからね(笑)こっちに来て最初に住んだのが立川で。だからこのツアーでも立川に行くんだけど、競輪と馬券を買えるところが近くにあったから、楽器を質屋に入れてたのかなって。だって当時は楽器屋なんてのがどこにあるのかなんてことも全然知らなかったから。建さんはなんかペラッペラの音のギター使ってたよね。先輩に「クソみたいなギターだな」って言われてた(笑)
でも尊敬する先輩が俺たちの演奏を見て「君たちはまずチューニングを覚えようか」って言ってきたところからよくここまで来たよな(笑)」
と過去の思い出を話し始めるのであるが、
ゴッチ「めちゃくちゃ喋るけど、曲もたっぷりやるからね(笑)」
喜多「何その炎上しそうな感じ(笑)」
と、ブラックな時事ネタを挟むことも忘れないが、来年は伊地知潔加入25周年を祝したイベントも行われる予定だという。NANO-MUGEN FES.や横浜スタジアムほどの規模にはならないかもしれないが、またあんな祝祭感溢れるアジカンのライブを見れるのが楽しみで仕方ない。
そんな長いMCの後には、イントロから若干気怠い感じをギターサウンドで表現するのは高校生特有のダルさを示したからか、あるいは坂道を歩くことのダルさか。いずれにしてもかつてのアニメのSLUM DUNKのオープニングの踏切と海が見える坂道がある駅である「日坂ダウンヒル」はそのSLUM DUNKの名セリフを歌詞に取り入れるという結果的に映画の大ヒットに合わせた素晴らしいタイミングとなったのであるが、その前には岡村靖幸の曲の引用フレーズもあるのは、その青春性の強い風景を持つ駅だからこそ、メンバーにとっての青春を歌っているということでもあるだろう。
そんな風景はどうしたって季節で言うなら夏を思い起こさせるのであるが、完全版で新たに収録された「西方コーストストーリー」はまさにそうした江ノ島の夏の情景を脳内に描かせるような曲である。この辺りの曲を聴いているとやはり江ノ電に乗って各駅を巡ってみたくなるし、曲順を入れ替えてこうして新たな感情や感想を抱かせてくれるあたりはさすがアジカンである。
さらにそれまでの流れを引き継ぎながらもどこか曲としての感触が違う様に感じるのは、なんと喜多とゴッチのツインボーカルによる、パワーポップの祖と言える存在のWeezer「Surf Wax America」のカバー。サビ以外は日本語歌詞になっているのであるが、この「サーフ ブンガク アメリカ」最大の影響源にして、アジカン最大の影響源とも言えるバンドの名曲を演奏しているメンバーたちの表情が本当に「学生時代にバンドを始めた時はこういう感じだったんだろうな。ただ自分たちが好きな曲を何にも考えずに歌い鳴らすという」ってことを思わせるくらいに楽しそうで、それがまた感極まってしまいそうになった。いろいろありながらもこの4人であり続けて25年も続いてきたバンドであるだけに。
その学生時代の影響源から視点は青春期という変わらないものでありながらも、リリースとしてはほぼ最新と言っていいところまで時間軸が戻るのはシングルとしてリリースされた「柳小路パラレルユニバース」であり、間奏では喜多のギターヒーロー的なソロも披露されるけれども、それでもこの曲、このアルバムが持つ空気によってどこか肩の力が抜けているというか、軽やかにバンドも我々も楽しんでいるという感じになっている。できれば鎌倉芸術劇場へ行って、その道中の晴れた空の下でこの曲を聴いてみたかったけれど。
そして「サーフ〜」オリジナル版の当時から随一の人気曲である「稲村ヶ崎ジェーン」のイントロのリフが鳴らされると、ゴッチはギターを弾かずにその場においてハンドマイクを持ってステージ上を左右に動き回り、誰よりも自由に踊るようにして歌う。かつてはこの曲ではここまで激しいパフォーマンスはやっていなかった。このツアーの当初がどうだったのかもわからないけれど、これはライブを延期にしたりした上での吹っ切れた楽しみ方なのか、それとも今のゴッチがこの曲を歌おうとすると自然とこうなるのか。どちらにしてもそこには我々ファンだけではなく、コーラスというよりもはやツインボーカルになりつつある喜多の歌唱含めたメンバーのこの曲への愛を確かに感じた。背面の江ノ島の海をヨットが泳いでいるように動かすというさりげない演出をみせたスタッフの愛も。
そんなパフォーマンスを見せたからゴッチは息切れ切れで
「尾崎豊みたい(笑)」
と言ってからMCを始めるのであるが、前日にこの曲を演奏した時にはマイクのケーブルの長さが倍だったのが、
「あいつ自転車やサーフボード乗ったり、海の家の方に上がったりはしないんだな(笑)」
ということを悟ったスタッフによって長さを半分にされたことを明かす。さすがに自転車乗りながらは歌えないと思うけど。
そしてゴッチがタイトルコールをして客席が湧き上がったのは「ループ&ループ」から、コーラスフレーズで大合唱が巻き起こった「アンダースタンド」という初期の名曲たちの流れであるのだが、「リライト」ではなくて「ループ&ループ」、「未来の破片」ではなくて「アンダースタンド」であるというのは、あくまでパワーポップというサウンドでまとめられた今回のアルバムとツアーだからこその選曲なんじゃないかと思った。この流れでギターが歪みまくっているロックな曲をやっても浮いてしまうというか。だからこそパワーポップの影響の強いこの2曲を並べたんじゃないかと。
しかし「アンダースタンド」のコーラスでの合唱を我々が歌うことができるのが本当に久しぶりすぎて、そうできていることだけでまた涙が出そうだった。それはもう20年くらい、ずっと一緒にライブで歌ってきたこの曲を我々は歌うことができない数年間があったからだ。
そんな過去の名曲も挟みながらも、曲の中で激しく展開していく「由比ヶ浜カイト」の間奏の轟音パートでゴッチは自身のギターを掲げて観客の拍手と歓声を浴びるのであるが、実は四十肩で肩が上がり切らない状態だということで、夏フェスまでには肩が上がるようにしたいと演奏後に語る。それでもゴッチのロックスターっぷりは変わらないし、この曲の締めの
「それでも何度も君を探して
空に何度も弧を描くトビ」
というフレーズとコーラスは江ノ島の海を眺めながら聴いていたいと思う。
そのゴッチは四十肩であることも含めて、永遠に若くあり続けるのではなくて、年齢を重ねながらバンドマンとしてあり続けていきたいということ、我々ファンも歳を重ねていくということを語るのであるが、その言葉をそのまま歌詞にしたような曲が完全版で新たに収録された「和田塚ワンダーズ」であり、
「派手に泣いて良いぜ
それはだって命の在処だよ
胸がギュっとなって思い出した
あの娘の面影も
波のあとに残る砂の模様」
という歌い出しからして大事な人との離別を、
「坂道を下って
少し行けばいつかの少年たちも
秋の風になって
君の傍をするりと駆け抜けて
いつの間にか老けてしまうのよ」
という歌詞がゴッチやメンバーの現在を感じさせてくれ、
「今日という愛しい日も
もう二度と会えないんだよ」
という締めのフレーズがこの日、このライブへの想いをさらに強いものにしてくれるのであるが、インタビューでゴッチは
「和田塚って本当に何もなくて、江ノ電の中でも1番地味な駅だから、何を書こうかな〜と思って、今の老いていく自分たちのことを書いた」
的なことを言っていたのだが、その何もない駅からこんな名歌詞、名曲を生み出せるのだからさすがゴッチとしか言いようがない。
そして本編の締めはゴッチが
「We are all alone, we are not the same」
と、かつてサポートメンバーとして活躍してくれたシモリョーのバンド、the chef cooks meの「Now's the time」のフレーズを口ずさんでから、どっしりとしたサウンドとゴッチの伸びやかなボーカルが響き渡る「ボーイズ&ガールズ」。
「まだはじまったばかり
We've got nothing」
というフレーズをゴッチが伸びやかなファルセットで歌うのを見ると、アジカンもそうであるし我々もまだまだ始まったばかりであって、これから先に出来ることがたくさんあると思わせてくれる。それはアウトロで喜多が「Now's the time」のフレーズをギターで奏でているというアレンジからも感じさせてくれる。これから先も何度だってこうしたライブを観れる、新しい曲を聴けるはず。この曲をライブで聴くと、いつだってそんなことを感じさせてくれるのである。
アンコールでは写真撮影がOKということで、スマホでメンバーを撮影する人もちらほら見受けられるが、そこまで全員というわけではない印象の中でゴッチが自身の書籍も物販で販売されていること、それが書店でも売っているが、
「エッセイとか文芸本のコーナーにあるかと思いきや、奥の方に音楽コーナーみたいなのがあって、そこの星野源君のさらに奥あたりに置いてある(笑)」
という自虐的なMCを口にすると、ギターのイントロだけで歓声が上がったのが「ソラニン」であったために、アンコールはまた全く雰囲気が違うものになることがわかる。この曲もなかなか「サーフ〜」の世界観に合わせて本編のセトリの中に組み込むのが難しい曲だろうからだ。それはアウトロでの喜多の鳴らす轟音ギターを聴いていてもよくわかる。
さらにはこうして全国をくまなく回るツアーだからこそ、この曲のメッセージが今この瞬間のものとして響いてくる「君の街まで」はサビでのゴッチのファルセットボーカルも美しく響く中、間奏では伊地知のリズムに合わせてゴッチも喜多も観客も手拍子を叩くのであるが、その間奏の尺が音源よりも長いのもライブならでは。つまりこの曲はこうして我々それぞれの街で演奏されてきたことによって進化・成長してきた曲だとも言える。ましてや季節も冬が近づいてきている中であるけれど、この日は25°Cくらいという11月とは思えない温暖な気候であったのはむしろ「サーフ〜」の夏、海的なイメージに引っ張られたところもあったのだろうかなんて思う。
さらに伊地知が四つ打ちのビートを刻み、ライブならではの音を重ね合うイントロから、この日はゴッチではなくて喜多がカウントをして始まったのはおなじみ「君という花」と、アンコールはアジカンのベストヒット的な選曲の内容になることがよくわかるのであるが、喜多も山田もステージ前まで出てきてそんな曲たちが連発されることによって観客のテンションやノリもさらに高まっていく。座席があるホールでありながらも明らかに観客それぞれの動きが大きくなってきているし、歓声も大きくなってきている。そんな中でゴッチと喜多は近年のこの曲ではおなじみのアウトロで「大洋航路」のフレーズを重ねるものだからより観客のテンションは上がっていく。
そのまま山田の重いベースのイントロから始まったのは、ある意味ではアジカンの始まりの曲と言える「遥か彼方」なのであるが、バンドの瑞々しい演奏はもちろん、ゴッチの成熟と衝動を併せ持つかのような歌唱から感じられるロックさ。サビに入る前には喜多が右手人差し指を高く掲げる。ゴッチは「年相応に年齢を重ねて〜」的なことも言っていたけれど、この曲でのこんな演奏を見たら「まだまだいけるじゃん!」と思わざるを得ない。それは我々が憧れてきたアジカンがずっとこの4人であり続けているからこそそう思えるのである。
そんな最高なパフォーマンスに胸が熱くなる中でゴッチが観客に感謝を告げると、その言葉を曲で示すかの様にして「転がる岩、君に朝が降る」が演奏される。アジカンのメンバーをモチーフにしたバンドによるアニメ「ぼっち・ざ・ろっく」の最終回で主人公がカバーしたことによって、15年の月日を経て今の世の中に再発見されたこの曲が持つメッセージは全く色褪せることはない。それは悲しいことに「世界を塗り替えたい」と思うような出来事ばかりの世の中だからであるが、そんな世の中を生きていくため、これからも転がり続けていくためにこの曲は鳴り続けていく。
おそらくは最近こうしてこの曲を毎回演奏しているのは、アニメを見て知ってくれた人へのサービス的なところもあるだろうけれど、個人的にも音源リリース前から「これはとんでもなく素晴らしい名曲だ」と思っていた曲を今になって毎回聴けるようになったという意味では「ぼっち・ざ・ろっく」に関わった全ての人に心から感謝したくなる。
そしてゴッチが再度重ねるようにして
「今日は来てくれて本当に本当にありがとう」
と想いを最大限に込めるようにして口にしてから最後に演奏された、「サーフ〜」の最後を飾る「鎌倉グッドバイ」ではなんと背面の江ノ島の海が夜の情景になって星空が浮かぶという、このライブを通して江ノ島の1日を描くという演出になっていることに驚く。
「こんな日々が続くような日和
でもさ 今日は終わるんだよ
それでも君が笑うように」
と歌うゴッチの歌唱には本当に来てくれた人へそう思ってくれているという慈愛を感じざるを得ないし、
「夜が来たよ
さようなら 旅の人」
という締めの歌詞がこの演出に驚くくらいにマッチしていた。それは夜を越えればアジカンがまた新たな場所へ旅へと出て行くから。
演奏が終わってステージ前に4人が並んで肩を組んで頭を下げるのも、ステージセットの海の家のドアを開けて(このドアちゃんと開くのか!という驚きもあった)去っていく姿も、メンバーは本当に笑顔だった。特にゴッチがこんなにお茶目な姿を見せたのは、NANO-MUGEN FESの開会宣言での四股入りの時以来じゃないだろうかとも思った。
延期になってしまった名古屋と広島の人には本当に申し訳ないけれど、そうして延期になってしまうことがあったからこそ、ゴッチの中で見つかったものもあったんじゃないかと思う。それは
「名古屋で声が出なくなった時に、俺は歌える曲だけでもやろうと思ったんだけど、建ちゃんも潔も笑顔で「もうやめよう。延期しよう」って言ってくれて。こんなに頼もしくなったんだなって。山ちゃんは昔から頼もしかったけど」
とゴッチが口にしていたことからも明らかだ。だからこそ
「今が1番良いと思う」
とバンドへの信頼と自信を口にできるのだろうし、それはライブを観ていてもはっきりとわかる。
もう25年も続いてきたバンドがこれから先も続いていくには、メンバー同士がこのバンドを楽しいと思えなければならない。そうでないとわざわざバンドをやる意味がなくなってしまうから。実際にその領域を超えても続いている超ベテランバンドたちはみんな今でも楽しそうにライブをやっているし、見ている観客をも最高に楽しませてくれる。
だからこそアジカンにもそうあって欲しい。これからもずっと続いていて、ずっとライブを観ていたいから。その先にまたこうやって昔の曲を演奏するようなライブが時折あったら嬉しいと思うし、来年はこの4人になってからの25周年を盛大に祝いたい。かつて観た「サーフ〜」の曲たちを演奏するライブよりこの日の方がはるかに楽しかったし、アジカンは青春のバンドでありながらも、今もこれからもずっと自分にこの世界で生きていく力をくれるバンドであり続けていくからだ。
1.藤沢ルーザー
2.石上ヒルズ
3.鵠沼サーフ
4.荒野を歩け
5.江ノ島エスカー
6.ホームタウン
7.七里ヶ浜スカイウォーク
8.追浜フィーリンダウン
9.腰越クライベイビー
10.極楽寺ハートブレイク
11.長谷サンズ
12.その訳を
13.日坂ダウンヒル
14.西方コーストストーリー
15.Surf Wax America
16.柳小路パラレルユニバース
17.稲村ヶ崎ジェーン
18.ループ&ループ
19.アンダースタンド
20.由比ヶ浜カイト
21.和田塚ワンダーズ
22.ボーイズ&ガールズ
encore
23.ソラニン
24.君の街まで
25.君という花
26.遥か彼方
27.転がる岩、君に朝が降る
28.鎌倉グッドバイ
夜の本気ダンス 15th Anniversary TOUR 〜1GO! 1A! O-BAN-DOSS〜 ゲスト:Base Ball Bear @水戸LIGHT HOUSE 11/5 ホーム
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