ACIDMAN LIVE TOUR "This is ACIDMAN 2023" @Zepp Haneda 10/30
- 2023/11/01
- 13:17
過去の開催時にも大反響を呼んだ、ACIDMANによる「これぞACIDMAN!」なセトリ、内容のライブシリーズ「This is ACIDMAN」。去年は主催フェスティバルの「SAI」、今年は「Loop」の再現ツアーと様々な形でのライブを開催しながらも今年はこのライブシリーズを福岡と東京で開催。すでに福岡は終わっており、わずか2本だけではあるが、この日のZepp Hanedaがファイナルとなる。
超満員の観客が待ち受ける中、ステージ背面にはこの日のライブタイトル、日付、場所が映し出されているのが消えて場内が暗転すると、おなじみの「最後の国」のSEが流れて観客が手拍子する中でメンバーが登場。浦山一悟(ドラム)は歩きながら拳を掲げ、サトマこと佐藤雅俊(ベース)は観客とともに手拍子を鳴らし、最後に大木伸夫(ボーカル&ギター)が登場すると、音を鳴らした瞬間に背面のスクリーンに壮大な自然の風景とともに、大木がまくしたてるように口にしていく歌詞が次々に映し出されていくのは「to live」。その歌詞にもACIDMANがずっと歌ってきている「生きること、死ぬこと」ということが歌われていることが歌詞を目の前で追いながら聴いているとよりよくわかるが、それを「死ね」と強い言葉で歌っているのはこの曲くらいだろう。佐藤、浦山とともに観客がコーラスを口にするのが、この日の観客がどれだけこのライブを楽しみにしてきたのかが伝わってくる。それくらいに間奏では大きな歓声が上がる。
さらには佐藤の疾走感溢れるベースのイントロから始まり、3人の鳴らす音が一気にぶつかるように重なり合っていくというACIDMANだからこそのロックなグルーヴを改めて実感させてくれるのは、ACIDMANの登場を世に知らしめた「造花が笑う」。観客たちはコーラスフレーズからサビでは一気に腕を振り上げまくっているが、その背面ではテレビの放送休止中かのような砂嵐のような画面が映し出されるのであるが、ACIDMANのライブにおいてはそれが素粒子を示しているかのようにすら感じる。
さらには大木が煌めくようなギターのサウンドをその場で重ねて演奏する「FREE STAR」では照明が美しく光る中、間奏で観客が「オイ!オイ!」と声を上げる中で大木はステージ前まで出ていき、前、左右、奥、さらには2階席まであらゆる方向にいる観客にしっかり目を向けながら「ありがとう」と口にする。佐藤も浦山も笑顔を浮かべながら演奏しているこの光景にACIDMANの音楽やそれを生み出している3人の人間性が滲んでいると言っていいだろう。
大木が改めて挨拶的なMCと、
「フェスとかの30分とか40分では伝わり切らない、これがACIDMANだ!っていう曲を今日はたっぷりやりますんで」
と、この日のライブが濃厚なものになることを予感させると、アニメ主題歌として若い人たちにも聴かれる曲になった「Rebirth」からは映像ではなくて照明などによる演出となるのであるが、間奏でのキメに合わせてメンバーを照らす照明が明滅するのが見事なくらいにカッコいいし、こうした曲に合わせた完璧な演出が見れるのはワンマンだからこそである。それによってフェスなどでも毎回演奏されているこの曲も全く聴こえ方が変わるのである。
すると大木の繊細なギターのイントロによって始まるのは最近はあまりライブでは演奏されていないが、どう聴いても完璧な名曲である「スロウレイン」であるのだが、間奏部分などでレーザー光線が飛び交うという演出も、まるで我々に降り注ぐ雨であるかのようだ。そんな演出の後の
「この世界に溢れる音の その全てに意味が在るように
この世界に溢れる命の その全てに意味が在るように」
という祈りを込めるかのようなフレーズの大木の歌唱は何度聴いても心が震える。それは自分もそうであって欲しいと思っているからである。
すると一転して赤く淡い照明がメンバーを照らす中で大木と佐藤のジャズなどの音楽の要素を取り入れたイントロが鳴らされるのはもちろん至上の名曲である「赤橙」であるのだが、ライブで演奏されると佐藤がサビでぴょんぴょん飛び跳ねながら演奏するという肉体性を感じさせてくれるために、それに合わせてこちらも飛び跳ねたくなってしまう。その際の佐藤の表情が笑顔だったように、この日はメンバー全員が本当に楽しそうで嬉しそうな顔をしていたのも印象的だ。
すると再び背面に巨大なスクリーンが現れて、佐藤のベースと大木のギターによる穏やかなイントロから始まったのはこちらも名曲中の名曲(マジでどの曲もそう書くのはその通りだから仕方ない)「リピート」で、再び壮大な自然の映像が映し出されるのであるが、それは曲が違えば「to live」の時とは映像から受け取るものも全く違う。「to live」が自然の中で生きていき、死んでいくことを感じさせるものだとしたら、この曲と映像は自然の力によって心が浄化されていくような感覚になる。そして大木の
「何を手に入れた?」
のリフレインとともに激しくなっていくバンドの演奏によってまた現実に帰ってくるのである。
そうしてACIDMANらしさを存分に味合わせてくれながらも大木は
「ずっと言い続けてる、歌い続けてることだけど、人は生まれて死んでいくっていう、それだけは絶対変わらない真実。それをずっと歌ってきた」
と自身の1ミリもブレない軸を口にしてからアコギに持ち替えてこちらも実に久しぶりにライブで聴く「季節の灯」を演奏する。静と動で言うならば間違いなく静の部分を表現するような曲であるが、大木のアコギも含めて静謐な曲だからこそ、メロディの美しさやそこに含まれたメンバーの人間性を感じさせてくれるのである。
さらには9月の中津川ソーラー武道館で実に久しぶりに聴いただけに、この曲はもしかしたらこのライブでもやるんじゃないかと思っていた「アルケミスト」はこの静謐な曲たちの流れを引き継ぎながらも、新しい場所へと足を踏み出していくような力を我々聴き手に与えてくれる。大木がメンバーからプレゼントされた同名小説にインスパイアされて生まれた曲であるが、この曲もまたその小説(シングル盤に同梱されていたのでファンはもれなく読んでいるはず)とは違う物語として映画などになってもおかしくないスケールの曲である。
すると大木は
「我々、去年「SAI」っていうフェスをさいたまスーパーアリーナでやったんですよ。なんとあのミスチルも出てくれたんですね〜。今日はずっとライブに来てくれてる人も、久しぶりに来た人も、誰かに誘われて初めて来た人もいるかもしれないけど、ミスチルが出たって聞いたら「え?凄いバンドなんじゃないの?」って思ってくれるだろうと思います(笑)」
と、こんな熱量の濃いファンが集まっているライブで謎のアピールをし、こうして盛り上がる曲からアコースティックまでをやったことによって、さらにはインスト曲もACIDMANにとっては大事な要素であるとして、そのフェスと同タイトルの「彩 -SAI- (前編)」から「Λ-CDM」というインスト曲を生命の輪廻を想起させるようなアニメーション映像とともに演奏するのであるが、曲中に大木がキーボードを弾く場面でキーボードに向かうと、何やらスタッフとやり取りして弾かずに戻ってギターを弾くという謎の時間が生まれる。そこはアンコールで佐藤にも突っ込まれていたが、このキーボードの電源が抜けており、始動するまでに5分かかる機種であるために急遽使うのをやめて戻っていったという。そのアクシデントへの対応力もさすがベテランであるが、その決まりきらない感じもまたどこかACIDMANらしさに感じるのは今はメンバーの愉快な人間性を感じられる場面がたくさんあるからだ。
そうして予想だにしない形でのインストパートを終えると、
「大人になっても、いや、大学生の時から、いや、高校生、いや、中学生、いや、初めては小学校3年生の時からずっと宇宙の話をしています。だから厨二病ならぬ小3病(笑)
宇宙には銀河っていうのがあって、その銀河は…」
と大木教祖のありがたい宇宙のお話が長く聴けるのもまたワンマンならではであるが、
「そうして宇宙のことを考えると、自分ってちっぽけだなって思っちゃうんだけど、でもそんなことは思わなくていい。この信じられない広大な宇宙の中で、あなたはあなたしかいないんです」
と、それぞれ一人一人の存在意義に着地するという話法は本当に見事である。一対一でこの話を聞かされたら壺でもなんでも買ってしまいそうになるくらいに。
そうしたありがたい宇宙のお話から続くように演奏されたのは、まさにその宇宙の壮大さを自分たちの音楽で表したかのようなバラード「ALMA」であるのだが、ACIDMANの何が凄いかって、大木のその世界観を佐藤も浦山も全く完璧に理解していないのに、曲として鳴らすとその全てをわかっているかのようにこの3人でしか鳴らすことができないものになっているということ。満天の星空を想起させるような映像の前で大木が歌う
「世界の夜に 降り注ぐ星 全ての哀しみ洗う様に
さあ 降り注げ 今、 降り注げ 心が消えてしまう前に」
というフレーズを聴いていると、これから先も数え切れないくらいにこの曲をまたいろんな場所で聴いていたいと思えるのである。
そんなこのライブは実は事前にセットリストを公開しており(全然そうしていることに気付いてなかった)、さらにはリクエスト投票も行われ、福岡では
「僕が叫びまくっている曲」
という「コーダ」が選ばれ(めちゃくちゃ聴きたかった)、この東京では
「シングル曲なんだけど、演奏するのは8年ぶりです。なんかみんながあんまり好きじゃないのかと思ってたからあんまりライブでやらなくなってた(笑)」
と自虐した「EVERLIGHT」が演奏されるのであるが、今になって聴くこの曲は紛れもなくACIDMANのアンセム的な系譜に入っていてもおかしくない曲だ。大木によるタイトルフレーズのリフレインから始まり、サビにいくにつれて観客が腕を振り上げる熱さをバンドが帯びていく。久しぶりに演奏したこの曲で大木もそうした光景を見ることができたことに喜びを感じていただけに、これからもまた随所で演奏して欲しい曲である。
そんなリクエストパートを設けただけに、
「リクエストでどの曲が来るのかわからなかったから、この次にどんな曲をやるのか凄い難しかった」
というセトリの組み方の妙を感じさせる大木はしかし、
「さっきまでもスクリーンの映像に歌詞が出てたでしょ?あれはタイポグラフィーっていう技術なんだけど、僕らのライブでずっと映像にそうやって文字を入れてくれていた人が数日前に亡くなられて。そういうことになってから、もっとちゃんと喋ったりしておけばよかったとか、飲みに行ったりすればよかったとか思ってしまう…。
ちょっとこのままじゃ歌う感じになれないから、違う話しようか?(笑)」
と、ライブを作ってくれていた人が亡くなってしまったことを語る。それもまた大木が常々口にしてきた、人は必ず死んでいくということであるが、だからといって寂しくならない、悲しくならないわけがない。その事実はわかっていながらも、いなくなってしまう人がいるのはやっぱり悲しいし寂しい。それはバンドだってそうだ。いつか終わるなんてわかっているけれど、やっぱり実際にその時が訪れると悲しくなるし寂しくなる。だからこそやはりスクリーンに星空とともにその人が入れてくれたという曲の歌詞が映し出される「世界が終わる夜」はいつも以上に大木の感情が歌声に乗っていた。でも我々はまだこうして生きているからこそ、そうした話を聞いた後にも
「さよならはもう言わないよ
世界が終わる夜
その時僕ら また此処で笑い合おう
また生まれて また此処で笑い合おう」
と思うことができる。ACIDMANが歌ってきたことは生命の事実だけではなくて、それがどれだけ愛おしいことかということを教えてくれるのである。
そんな少ししんみりした空気を吹き飛ばすようにして、
「俺たちは20年前の今日にアルバム「創」をリリースしたんだけど、それが思った以上に売れたよね(笑)そうして思った以上に金が入ってくると、自分が思った以上に浪費家であることを知るわけだ。当然太っていくから、ヤバいなと思ってダイエットして、14kgくらい痩せたの。そしたら会う人会う人に「一悟君、痩せたね!」って思った以上に言われて、何年経っても言われる(笑)
そこで自分が思った以上に俺はデブキャラだったんだなって気付いた(笑)」
というMCが思った以上に盛り上がらなかった浦山の鳴らすバスドラに合わせて佐藤と観客が手拍子をし、やはりスクリーンにはその亡くなってしまった人が描いた歌詞が次々に映し出されるからこそ、大木がどれだけ美しい曲を書いてきたかということを改めて感じさせてくれる演出による「夜のために」が演奏されるのであるが、収録作品としては最新アルバムである「INNOCENCE」収録の曲であるのだが、リリース以降にフェスなどでも欠かさずに演奏してきただけに、今や完全にACIDMANのライブにおけるアンセムの一つになっているというくらいに観客も腕を上げるだけではなくて歓声まで上げてこの曲を楽しんでいる。サビ前に入る際の佐藤のベースを思いっきり振り下ろす仕草も最高にカッコいい。
そして大木はギターをかき鳴らしながら、
「もう一段上に行こう!」
と言って3人の音が激しく重なり合うのは「ある証明」で、佐藤のキャップはここで落ちる中で、まさにこれぞACIDMANな衝動に溢れるグルーヴが展開されるのであるが、間奏では大木が
「俺と一緒に思いっきり叫んでくれ!」
と言うと大木の絶叫に観客の叫ぶ声も重なっていく。これは毎回のことであるが、ACIDMANのライブを観ていて個人的に1番感動するのはこの部分だったりする。それはこうしてファン全員で叫ぶことによって、ここにいる人たちのACIDMANへの想いをどんな言葉よりも強く感じることができるから。そうして一緒に叫んでくれる人がこのZeppが満員になるくらいにいる。それはそのままACIDMANの音楽を必要としている人がこんなにたくさんいるということだからだ。
すでにそうして「ある証明」で一段上に行っているにもかかわらず大木はさらに
「もう一段!もう一段上に行こう!」
と言って、イントロから3人の音が激しくぶつかり合い重なり合う「飛光」へ。この終盤でのACIDMANのライブのハイライトを担ってきたアッパーチューンの2連発というのは、きっと昔だったら大木は歌い切れていなかったと思う。実際に昔はそうしたライブを何回も見てきたからだ。でも今は歌える。キーを下げることも、声量を控えることもなく、遠くまで届く生ける衝動をありったけ乗せたままでしっかり歌い切ることができている。それは成熟のようなものとは全く違う、大木のボーカリストとしての純粋な進化であるし、そこに今は我々の思いも乗ってくれているような感じがするのだ。
そんな間違いなくこの日のハイライトと言えるであろう2曲を演奏した後に大木は
「次で最後の曲なんだけど、最後の曲が10分くらいある壮大な曲で。俺が自由奔放に好き勝手に作りたい曲を作ったらそうなっちゃうんだから仕方がない(笑)」
と、本当に自身が好きなことをそのままやった結果としてこの曲ができたということを感じさせるのは「廻る、巡る、その核へ」。大木の言葉通りの長編曲であるが、その1曲の中に生物が死んで生まれ変わってまた生きていく、それは生物だけではなくて星や宇宙という存在もまたそうであるということを曲の展開と音の押し引き、さらには壮大さをさらに引き上げるような映像という全てで感じさせてくれる。だからこんなに長い曲でも全く飽きることはないし、最後に激しく高まっていく3人の演奏を観ていて、この曲で締めるということが「This is ACIDMAN」であると思えた。この曲がACIDMANというバンドの大きな核だから。
アンコールで割と早くメンバーがステージに戻ってきたのは、
「終電の時間とかあるだろうからみんなが心配になって(笑)」
というものであったのだが、最後にメンバーから一言と大木が2人に振ると、佐藤は前述のインストパートでのキーボードに触れ、浦山は
「めちゃくちゃ練習してきたから、2本だけっていうのが惜しいな〜」
とこのライブの手ごたえを口にする。それを大木も感じているからこそ、
「今日10月30日がデビュー記念日なんですけど、この日ピッタリになるかはまだわからないけど、ざっくり来年もこの辺りの予定を空けておいてください(笑)」
と、来年もこのライブが開催されるであろう匂わせを口にしたのだろう。
そして
「デビュー21年目を迎えた今日のアンコールの1曲目はこの曲!」
と言って演奏されたのは、大木のギターのイントロだけで名曲確定な「式日」。「スロウレイン」と「FREE STAR」のキャッチーな部分を掛け合わせた曲でもあると思っているのだけれど、そんな大名曲であるためにもっとライブで聴きたいとも思うけれども、きっと毎回演奏するのもちょっと違う曲だ。こうしたここぞというライブの大事な位置として聴きたい曲というか。だからこそこれからもACIDMANのライブに足を運んでこの曲を聴けた喜びをファンの方々とわかり合いたいと思うし、
「世界が終わってすべてが消えて
それでも僕ら繋がっているだろう
そうやって思える 今日の光を
繋いでゆく 今日の日を」
というフレーズはその次の時までの再会と、もう会えなくなってしまった人ともどこか違う世界でまた会うことができるということを示しているように聴こえるのだ。
そしてラストはもちろん「Your Song」。コーラスフレーズでは観客も拳を振り上げて大合唱する中、SAIもそうであるが、前回のこのThis is ACIDMANでは歴代のアー写が全てスクリーンに映し出されるという、ファンが見たら絶対泣いてしまうような素晴らしい演出があったのだが、この日は真っ黒な画面に真っ白な字で英語歌詞の対訳が映し出されていくというシンプルなものだった。それは間違いなくこうしてライブの映像に文字を入れてくれていた人へのACIDMANなりの弔いだった。それがわかったからこそ、前回の演出や参加者たちの姿が映し出されたSAIの演出とは全く違うものだったけれど、そこにはACIDMANの3人の人間への強い慈愛が感じられた。だからこそ文字だけというシンプルな演出であってもやはり泣いてしまったのだ。どうかその人が作ってくれた映像の歌詞が、これからもたくさんの人に届きますようにと思っていた。
以前に「AIに○○っぽい曲、歌詞を作って」って言えばそれっぽい曲ができるというニュースを見た。でもACIDMANの音楽はそうした技術がいくら発展しようが、絶対にこの3人以外に作ることはできない。それは大木という人間のこれまでの人生や思考や感情が生み出し、それを最大限に広げることができる佐藤と浦山の2人がいるからこそできるものであるからだ。
だからこそ向き合う我々にもエネルギーが必要とされるのだけれど、この3人以外では絶対に生まれ得ない音楽とライブ。それを改めて実感させてくれるのがこの「This is ACIDMAN」という企画だ。それを何回だって感じていたいから、来年もどうかよろしく。
1.to live
2.造花が笑う
3.FREE STAR
4.Rebirth
5.スロウレイン
6.赤橙
7.リピート
8.季節の灯
9.アルケミスト
10.彩 -SAI- (前編)
11.Λ-CDM
12.ALMA
13.EVERLIGHT
14.世界が終わる夜
15.夜のために
16.ある証明
17.飛光
18.廻る、巡る、その核へ
encore
19.式日
20.Your Song
超満員の観客が待ち受ける中、ステージ背面にはこの日のライブタイトル、日付、場所が映し出されているのが消えて場内が暗転すると、おなじみの「最後の国」のSEが流れて観客が手拍子する中でメンバーが登場。浦山一悟(ドラム)は歩きながら拳を掲げ、サトマこと佐藤雅俊(ベース)は観客とともに手拍子を鳴らし、最後に大木伸夫(ボーカル&ギター)が登場すると、音を鳴らした瞬間に背面のスクリーンに壮大な自然の風景とともに、大木がまくしたてるように口にしていく歌詞が次々に映し出されていくのは「to live」。その歌詞にもACIDMANがずっと歌ってきている「生きること、死ぬこと」ということが歌われていることが歌詞を目の前で追いながら聴いているとよりよくわかるが、それを「死ね」と強い言葉で歌っているのはこの曲くらいだろう。佐藤、浦山とともに観客がコーラスを口にするのが、この日の観客がどれだけこのライブを楽しみにしてきたのかが伝わってくる。それくらいに間奏では大きな歓声が上がる。
さらには佐藤の疾走感溢れるベースのイントロから始まり、3人の鳴らす音が一気にぶつかるように重なり合っていくというACIDMANだからこそのロックなグルーヴを改めて実感させてくれるのは、ACIDMANの登場を世に知らしめた「造花が笑う」。観客たちはコーラスフレーズからサビでは一気に腕を振り上げまくっているが、その背面ではテレビの放送休止中かのような砂嵐のような画面が映し出されるのであるが、ACIDMANのライブにおいてはそれが素粒子を示しているかのようにすら感じる。
さらには大木が煌めくようなギターのサウンドをその場で重ねて演奏する「FREE STAR」では照明が美しく光る中、間奏で観客が「オイ!オイ!」と声を上げる中で大木はステージ前まで出ていき、前、左右、奥、さらには2階席まであらゆる方向にいる観客にしっかり目を向けながら「ありがとう」と口にする。佐藤も浦山も笑顔を浮かべながら演奏しているこの光景にACIDMANの音楽やそれを生み出している3人の人間性が滲んでいると言っていいだろう。
大木が改めて挨拶的なMCと、
「フェスとかの30分とか40分では伝わり切らない、これがACIDMANだ!っていう曲を今日はたっぷりやりますんで」
と、この日のライブが濃厚なものになることを予感させると、アニメ主題歌として若い人たちにも聴かれる曲になった「Rebirth」からは映像ではなくて照明などによる演出となるのであるが、間奏でのキメに合わせてメンバーを照らす照明が明滅するのが見事なくらいにカッコいいし、こうした曲に合わせた完璧な演出が見れるのはワンマンだからこそである。それによってフェスなどでも毎回演奏されているこの曲も全く聴こえ方が変わるのである。
すると大木の繊細なギターのイントロによって始まるのは最近はあまりライブでは演奏されていないが、どう聴いても完璧な名曲である「スロウレイン」であるのだが、間奏部分などでレーザー光線が飛び交うという演出も、まるで我々に降り注ぐ雨であるかのようだ。そんな演出の後の
「この世界に溢れる音の その全てに意味が在るように
この世界に溢れる命の その全てに意味が在るように」
という祈りを込めるかのようなフレーズの大木の歌唱は何度聴いても心が震える。それは自分もそうであって欲しいと思っているからである。
すると一転して赤く淡い照明がメンバーを照らす中で大木と佐藤のジャズなどの音楽の要素を取り入れたイントロが鳴らされるのはもちろん至上の名曲である「赤橙」であるのだが、ライブで演奏されると佐藤がサビでぴょんぴょん飛び跳ねながら演奏するという肉体性を感じさせてくれるために、それに合わせてこちらも飛び跳ねたくなってしまう。その際の佐藤の表情が笑顔だったように、この日はメンバー全員が本当に楽しそうで嬉しそうな顔をしていたのも印象的だ。
すると再び背面に巨大なスクリーンが現れて、佐藤のベースと大木のギターによる穏やかなイントロから始まったのはこちらも名曲中の名曲(マジでどの曲もそう書くのはその通りだから仕方ない)「リピート」で、再び壮大な自然の映像が映し出されるのであるが、それは曲が違えば「to live」の時とは映像から受け取るものも全く違う。「to live」が自然の中で生きていき、死んでいくことを感じさせるものだとしたら、この曲と映像は自然の力によって心が浄化されていくような感覚になる。そして大木の
「何を手に入れた?」
のリフレインとともに激しくなっていくバンドの演奏によってまた現実に帰ってくるのである。
そうしてACIDMANらしさを存分に味合わせてくれながらも大木は
「ずっと言い続けてる、歌い続けてることだけど、人は生まれて死んでいくっていう、それだけは絶対変わらない真実。それをずっと歌ってきた」
と自身の1ミリもブレない軸を口にしてからアコギに持ち替えてこちらも実に久しぶりにライブで聴く「季節の灯」を演奏する。静と動で言うならば間違いなく静の部分を表現するような曲であるが、大木のアコギも含めて静謐な曲だからこそ、メロディの美しさやそこに含まれたメンバーの人間性を感じさせてくれるのである。
さらには9月の中津川ソーラー武道館で実に久しぶりに聴いただけに、この曲はもしかしたらこのライブでもやるんじゃないかと思っていた「アルケミスト」はこの静謐な曲たちの流れを引き継ぎながらも、新しい場所へと足を踏み出していくような力を我々聴き手に与えてくれる。大木がメンバーからプレゼントされた同名小説にインスパイアされて生まれた曲であるが、この曲もまたその小説(シングル盤に同梱されていたのでファンはもれなく読んでいるはず)とは違う物語として映画などになってもおかしくないスケールの曲である。
すると大木は
「我々、去年「SAI」っていうフェスをさいたまスーパーアリーナでやったんですよ。なんとあのミスチルも出てくれたんですね〜。今日はずっとライブに来てくれてる人も、久しぶりに来た人も、誰かに誘われて初めて来た人もいるかもしれないけど、ミスチルが出たって聞いたら「え?凄いバンドなんじゃないの?」って思ってくれるだろうと思います(笑)」
と、こんな熱量の濃いファンが集まっているライブで謎のアピールをし、こうして盛り上がる曲からアコースティックまでをやったことによって、さらにはインスト曲もACIDMANにとっては大事な要素であるとして、そのフェスと同タイトルの「彩 -SAI- (前編)」から「Λ-CDM」というインスト曲を生命の輪廻を想起させるようなアニメーション映像とともに演奏するのであるが、曲中に大木がキーボードを弾く場面でキーボードに向かうと、何やらスタッフとやり取りして弾かずに戻ってギターを弾くという謎の時間が生まれる。そこはアンコールで佐藤にも突っ込まれていたが、このキーボードの電源が抜けており、始動するまでに5分かかる機種であるために急遽使うのをやめて戻っていったという。そのアクシデントへの対応力もさすがベテランであるが、その決まりきらない感じもまたどこかACIDMANらしさに感じるのは今はメンバーの愉快な人間性を感じられる場面がたくさんあるからだ。
そうして予想だにしない形でのインストパートを終えると、
「大人になっても、いや、大学生の時から、いや、高校生、いや、中学生、いや、初めては小学校3年生の時からずっと宇宙の話をしています。だから厨二病ならぬ小3病(笑)
宇宙には銀河っていうのがあって、その銀河は…」
と大木教祖のありがたい宇宙のお話が長く聴けるのもまたワンマンならではであるが、
「そうして宇宙のことを考えると、自分ってちっぽけだなって思っちゃうんだけど、でもそんなことは思わなくていい。この信じられない広大な宇宙の中で、あなたはあなたしかいないんです」
と、それぞれ一人一人の存在意義に着地するという話法は本当に見事である。一対一でこの話を聞かされたら壺でもなんでも買ってしまいそうになるくらいに。
そうしたありがたい宇宙のお話から続くように演奏されたのは、まさにその宇宙の壮大さを自分たちの音楽で表したかのようなバラード「ALMA」であるのだが、ACIDMANの何が凄いかって、大木のその世界観を佐藤も浦山も全く完璧に理解していないのに、曲として鳴らすとその全てをわかっているかのようにこの3人でしか鳴らすことができないものになっているということ。満天の星空を想起させるような映像の前で大木が歌う
「世界の夜に 降り注ぐ星 全ての哀しみ洗う様に
さあ 降り注げ 今、 降り注げ 心が消えてしまう前に」
というフレーズを聴いていると、これから先も数え切れないくらいにこの曲をまたいろんな場所で聴いていたいと思えるのである。
そんなこのライブは実は事前にセットリストを公開しており(全然そうしていることに気付いてなかった)、さらにはリクエスト投票も行われ、福岡では
「僕が叫びまくっている曲」
という「コーダ」が選ばれ(めちゃくちゃ聴きたかった)、この東京では
「シングル曲なんだけど、演奏するのは8年ぶりです。なんかみんながあんまり好きじゃないのかと思ってたからあんまりライブでやらなくなってた(笑)」
と自虐した「EVERLIGHT」が演奏されるのであるが、今になって聴くこの曲は紛れもなくACIDMANのアンセム的な系譜に入っていてもおかしくない曲だ。大木によるタイトルフレーズのリフレインから始まり、サビにいくにつれて観客が腕を振り上げる熱さをバンドが帯びていく。久しぶりに演奏したこの曲で大木もそうした光景を見ることができたことに喜びを感じていただけに、これからもまた随所で演奏して欲しい曲である。
そんなリクエストパートを設けただけに、
「リクエストでどの曲が来るのかわからなかったから、この次にどんな曲をやるのか凄い難しかった」
というセトリの組み方の妙を感じさせる大木はしかし、
「さっきまでもスクリーンの映像に歌詞が出てたでしょ?あれはタイポグラフィーっていう技術なんだけど、僕らのライブでずっと映像にそうやって文字を入れてくれていた人が数日前に亡くなられて。そういうことになってから、もっとちゃんと喋ったりしておけばよかったとか、飲みに行ったりすればよかったとか思ってしまう…。
ちょっとこのままじゃ歌う感じになれないから、違う話しようか?(笑)」
と、ライブを作ってくれていた人が亡くなってしまったことを語る。それもまた大木が常々口にしてきた、人は必ず死んでいくということであるが、だからといって寂しくならない、悲しくならないわけがない。その事実はわかっていながらも、いなくなってしまう人がいるのはやっぱり悲しいし寂しい。それはバンドだってそうだ。いつか終わるなんてわかっているけれど、やっぱり実際にその時が訪れると悲しくなるし寂しくなる。だからこそやはりスクリーンに星空とともにその人が入れてくれたという曲の歌詞が映し出される「世界が終わる夜」はいつも以上に大木の感情が歌声に乗っていた。でも我々はまだこうして生きているからこそ、そうした話を聞いた後にも
「さよならはもう言わないよ
世界が終わる夜
その時僕ら また此処で笑い合おう
また生まれて また此処で笑い合おう」
と思うことができる。ACIDMANが歌ってきたことは生命の事実だけではなくて、それがどれだけ愛おしいことかということを教えてくれるのである。
そんな少ししんみりした空気を吹き飛ばすようにして、
「俺たちは20年前の今日にアルバム「創」をリリースしたんだけど、それが思った以上に売れたよね(笑)そうして思った以上に金が入ってくると、自分が思った以上に浪費家であることを知るわけだ。当然太っていくから、ヤバいなと思ってダイエットして、14kgくらい痩せたの。そしたら会う人会う人に「一悟君、痩せたね!」って思った以上に言われて、何年経っても言われる(笑)
そこで自分が思った以上に俺はデブキャラだったんだなって気付いた(笑)」
というMCが思った以上に盛り上がらなかった浦山の鳴らすバスドラに合わせて佐藤と観客が手拍子をし、やはりスクリーンにはその亡くなってしまった人が描いた歌詞が次々に映し出されるからこそ、大木がどれだけ美しい曲を書いてきたかということを改めて感じさせてくれる演出による「夜のために」が演奏されるのであるが、収録作品としては最新アルバムである「INNOCENCE」収録の曲であるのだが、リリース以降にフェスなどでも欠かさずに演奏してきただけに、今や完全にACIDMANのライブにおけるアンセムの一つになっているというくらいに観客も腕を上げるだけではなくて歓声まで上げてこの曲を楽しんでいる。サビ前に入る際の佐藤のベースを思いっきり振り下ろす仕草も最高にカッコいい。
そして大木はギターをかき鳴らしながら、
「もう一段上に行こう!」
と言って3人の音が激しく重なり合うのは「ある証明」で、佐藤のキャップはここで落ちる中で、まさにこれぞACIDMANな衝動に溢れるグルーヴが展開されるのであるが、間奏では大木が
「俺と一緒に思いっきり叫んでくれ!」
と言うと大木の絶叫に観客の叫ぶ声も重なっていく。これは毎回のことであるが、ACIDMANのライブを観ていて個人的に1番感動するのはこの部分だったりする。それはこうしてファン全員で叫ぶことによって、ここにいる人たちのACIDMANへの想いをどんな言葉よりも強く感じることができるから。そうして一緒に叫んでくれる人がこのZeppが満員になるくらいにいる。それはそのままACIDMANの音楽を必要としている人がこんなにたくさんいるということだからだ。
すでにそうして「ある証明」で一段上に行っているにもかかわらず大木はさらに
「もう一段!もう一段上に行こう!」
と言って、イントロから3人の音が激しくぶつかり合い重なり合う「飛光」へ。この終盤でのACIDMANのライブのハイライトを担ってきたアッパーチューンの2連発というのは、きっと昔だったら大木は歌い切れていなかったと思う。実際に昔はそうしたライブを何回も見てきたからだ。でも今は歌える。キーを下げることも、声量を控えることもなく、遠くまで届く生ける衝動をありったけ乗せたままでしっかり歌い切ることができている。それは成熟のようなものとは全く違う、大木のボーカリストとしての純粋な進化であるし、そこに今は我々の思いも乗ってくれているような感じがするのだ。
そんな間違いなくこの日のハイライトと言えるであろう2曲を演奏した後に大木は
「次で最後の曲なんだけど、最後の曲が10分くらいある壮大な曲で。俺が自由奔放に好き勝手に作りたい曲を作ったらそうなっちゃうんだから仕方がない(笑)」
と、本当に自身が好きなことをそのままやった結果としてこの曲ができたということを感じさせるのは「廻る、巡る、その核へ」。大木の言葉通りの長編曲であるが、その1曲の中に生物が死んで生まれ変わってまた生きていく、それは生物だけではなくて星や宇宙という存在もまたそうであるということを曲の展開と音の押し引き、さらには壮大さをさらに引き上げるような映像という全てで感じさせてくれる。だからこんなに長い曲でも全く飽きることはないし、最後に激しく高まっていく3人の演奏を観ていて、この曲で締めるということが「This is ACIDMAN」であると思えた。この曲がACIDMANというバンドの大きな核だから。
アンコールで割と早くメンバーがステージに戻ってきたのは、
「終電の時間とかあるだろうからみんなが心配になって(笑)」
というものであったのだが、最後にメンバーから一言と大木が2人に振ると、佐藤は前述のインストパートでのキーボードに触れ、浦山は
「めちゃくちゃ練習してきたから、2本だけっていうのが惜しいな〜」
とこのライブの手ごたえを口にする。それを大木も感じているからこそ、
「今日10月30日がデビュー記念日なんですけど、この日ピッタリになるかはまだわからないけど、ざっくり来年もこの辺りの予定を空けておいてください(笑)」
と、来年もこのライブが開催されるであろう匂わせを口にしたのだろう。
そして
「デビュー21年目を迎えた今日のアンコールの1曲目はこの曲!」
と言って演奏されたのは、大木のギターのイントロだけで名曲確定な「式日」。「スロウレイン」と「FREE STAR」のキャッチーな部分を掛け合わせた曲でもあると思っているのだけれど、そんな大名曲であるためにもっとライブで聴きたいとも思うけれども、きっと毎回演奏するのもちょっと違う曲だ。こうしたここぞというライブの大事な位置として聴きたい曲というか。だからこそこれからもACIDMANのライブに足を運んでこの曲を聴けた喜びをファンの方々とわかり合いたいと思うし、
「世界が終わってすべてが消えて
それでも僕ら繋がっているだろう
そうやって思える 今日の光を
繋いでゆく 今日の日を」
というフレーズはその次の時までの再会と、もう会えなくなってしまった人ともどこか違う世界でまた会うことができるということを示しているように聴こえるのだ。
そしてラストはもちろん「Your Song」。コーラスフレーズでは観客も拳を振り上げて大合唱する中、SAIもそうであるが、前回のこのThis is ACIDMANでは歴代のアー写が全てスクリーンに映し出されるという、ファンが見たら絶対泣いてしまうような素晴らしい演出があったのだが、この日は真っ黒な画面に真っ白な字で英語歌詞の対訳が映し出されていくというシンプルなものだった。それは間違いなくこうしてライブの映像に文字を入れてくれていた人へのACIDMANなりの弔いだった。それがわかったからこそ、前回の演出や参加者たちの姿が映し出されたSAIの演出とは全く違うものだったけれど、そこにはACIDMANの3人の人間への強い慈愛が感じられた。だからこそ文字だけというシンプルな演出であってもやはり泣いてしまったのだ。どうかその人が作ってくれた映像の歌詞が、これからもたくさんの人に届きますようにと思っていた。
以前に「AIに○○っぽい曲、歌詞を作って」って言えばそれっぽい曲ができるというニュースを見た。でもACIDMANの音楽はそうした技術がいくら発展しようが、絶対にこの3人以外に作ることはできない。それは大木という人間のこれまでの人生や思考や感情が生み出し、それを最大限に広げることができる佐藤と浦山の2人がいるからこそできるものであるからだ。
だからこそ向き合う我々にもエネルギーが必要とされるのだけれど、この3人以外では絶対に生まれ得ない音楽とライブ。それを改めて実感させてくれるのがこの「This is ACIDMAN」という企画だ。それを何回だって感じていたいから、来年もどうかよろしく。
1.to live
2.造花が笑う
3.FREE STAR
4.Rebirth
5.スロウレイン
6.赤橙
7.リピート
8.季節の灯
9.アルケミスト
10.彩 -SAI- (前編)
11.Λ-CDM
12.ALMA
13.EVERLIGHT
14.世界が終わる夜
15.夜のために
16.ある証明
17.飛光
18.廻る、巡る、その核へ
encore
19.式日
20.Your Song