なきごと 「はじめてのman to man ワンマンツアー」 @渋谷eggman 10/9
- 2023/10/10
- 20:22
ずっと曲は聴いていて、ライブを観てみたいと思ったのが今年のロッキンでようやく観れた(昨年観るはずだったのが出演キャンセルになったのもあったけど)2人組バンド、なきごと。
これまではツアーも対バンばかりだったけれど、これまでの自分たちの作ってきた曲を全てまとめるようなフルアルバム「NAKIGOTO,」もリリースしたタイミングでついに初のワンマンツアーを開催。すでに新代田FEVERで初日が行われているが、ツアー2日目のこの日はバンドの本拠地と言える会場の渋谷eggmanである。
物販を会場内ではなくて隣のビルで行っているということもあって、ギリギリまで観客を入れようというeggmanの努力が感じられるくらいの超満員となっているだけに観客の入場に多少時間かかり、開演予定時間の18時を15分ほど過ぎたあたりで場内が暗転すると、サポートドラマーの奥村を先頭に1人ずつメンバーがステージに登場。岡田安未(ギター)は鮮やかな金髪、最後にステージに現れた水上えみり(ボーカル&ギター)は白いドレスのような衣装を着ている中で、水上がギターを弾きながら歌い始めたのは「シャーデンフロイデ」であり、サビを1回しその形で歌ってからバンドの音が重なっていくというオープニングであるのだが、いきなり客席からは拳が振り上がり、観客たちがどれだけ時間この日を楽しみにしていたかということが一瞬でわかる。その観客たちの顔をしっかり見るように水上は早くも台の上に立って目線を左右に向けながらギターを弾いている。その互いの姿だけでもうすでに固く濃いバンドと観客のコミュニケーションが成立しているかのような。
シャープなロックさから浮遊感あるサウンドまでを巧みに、表情だけを見ると実に余裕を持って飄々と演奏する岡田の、エフェクターを駆使した浮遊感のあるサウンドが心地良く、しかしサポートのリズム隊の力強さによってバンド全体としては力強く鳴らされる「ユーモラル討論会」から、最初は少し緊張があったのか、あるいは先月にコロナに感染した時の影響も少しあるのか、ロッキンで観た時よりはまだ声が全開ではないようにも感じた水上も「知らない惑星」では身振り手振りを交えながら歌うのが観ていて実に楽しい。そこには間違いなくバンド側からの「来てくれた人を楽しませよう」という思いが感じられる。だから水上は歌詞の端々にこの日この瞬間に出てきたであろう言葉を挟んだり、率先して手拍子をして観客がそれに続いていくのである。
その手拍子は曲中だけではなくて、曲前の観客とのコミュニケーションとしても有効であるということがわかるのは、奥村がリズムを叩きながら水上と岡田が手拍子をし、
「男の人!」「女の人!」「メガネの人!」「コンタクトの人!」「裸眼の人!」
など様々なパターンに当てはまる人に手拍子をしてもらい、その手拍子が全員でのものに戻ってから演奏された「私は私なりの言葉でしか愛してると伝えることができない」。その手拍子含めて実にキャッチーなメロディとサウンドの曲であるが、水上の言葉に合わせて手拍子をするタイミングがそれぞれ違うように、ここにいる人たちもライブハウスの外にいる人も1人1人違う人間であり、だからこそそれぞれがそれぞれの言葉で思いを伝えることができるというように響く。それは水上も口にしていた現代ならではの多様性を示しているものでもあり、水上は誰よりもそれを実践すべく、この日目の前にいてくれた人たちに
「好きです!」
と伝えていた。
そうした姿はフェスでしかライブを観たことがない身としては実に意外にも思えるものだったというのはちゃんと主催ライブに来てないからだと言われても仕方ないところであるが、曲のイメージからしてクールな感じかとも思っていたけれど、それは岡田のギターとそれを弾く姿から感じられるものであり、やはり水上と岡田もまたバンドメンバーとして一心同体と言える存在だとしても違う人間だよな、と思えるのは少しR&Bなどの要素も含んだサウンドがシャープなギターロックだけのバンドではないということを示しながら、歌詞はまるで小説か映画かのような世界を描き出す「D.I.D.」で、水上がギターを置いてハンドマイクでステージ左右を歩いたり、台の上に乗って歌う姿に驚いてしまった。こんなことまでするバンドだと思っていなかったから。
しかもそれは先週配信リリースされたばかりのニューシングル収録の「マリッジブルー」へも続いていく。そのシングルは3曲収録であり、それぞれの振り幅にも驚かされたが、水上がこんなに溌剌としたステージングを見せてくれるとは思ってなかった。だからこそこうして初めてワンマンを観ることができて、ハンドマイクで歌う彼女の温かい人間性をも感じることができたと思った。やはりそれはフェスで観ただけではわからないものだよなと改めて思うし、そう思うとこのバンドはワンマンを観ればそうした部分がすぐに伝わるバンドであるとも言える。
水上が再びギターを手にしながら、サポートベースが音階的にも動きまくるベースソロを弾くと(他のアーティストでも何度も見ている、いつものサポートベースの山崎英明ではなかった)、奥村のリズムも岡田のギターも一気に軽快かつダンサブルになる「Summer麺」はそのタイトルからしても水上のユーモラスさが炸裂している曲であり、語感的には真心ブラザーズ「サマーヌード 」に近いのに全く違った夏の曲に仕上がっている。もうすっかり、急に夏は過ぎ去ったかのように涼しくなったけれど、この日のeggmanはめちゃくちゃ暑く、熱かっただけにこの曲が全然季節外れには感じられなかった。
するとイントロで水上だけではなくて岡田もステージ前の台の上に立ってギターを弾くのは、もうそのイントロだけで問答無用の名曲にして代表曲である「メトロポリタン」であり、自分はこの曲あたりをスペシャかなんかで初めて聴いて出会ったために、こうしたサウンドのイメージがこのバンドに強くあった。しかしそんな曲も水上も岡田も笑顔で歌い鳴らしている姿を見ていると、やっぱりただカッコいいというだけではない人間らしさを感じられるなと思うのである。
「パトロールポリスメン
メトロポリタン3連泊」
というフレーズなんかは何回聴いても意味はハッキリとはわからないけれど、それは水上本人も断定したくないからこそこうしたそれぞれに想像の余地がある言葉や単語を使った歌詞になっているんだろうなと思う。愛してるの伝え方がそれぞれ違うように、きっと歌詞や曲の感じ方だってそれぞれ違っていたり、作った思惑とは違ってもそれもまたその人なりの解釈でいいと思ってくれているはずだ。
それは配信シングルをリリースしたことを改めて告知して、客席から起きた拍手をかつての「笑っていいとも!」のタモリのように仕切り、東京は完璧な揃いっぷりに感嘆していた姿からもその水上の人間らしさは伝わってくるというか、どうやら想像以上に楽しい人であるということがよくわかるのであるが、その配信シングル「君と暮らしの真ん中で」(水上が噛んで岡田にツッコミを入れられていた)の1曲目に収録されている「退屈日和」は
「退屈だ。
きみがいない毎日は
色褪せていて ひどく退屈だ
錆びついた 無味無臭の毎日を
きみも過ごしていて欲しいな」
というサビの歌詞が、個人的には違う道を選んだ大切だった人との日々が楽しいものだったからこその喪失感をも感じさせるのであるが、それでもMVが澄み渡る青空の下で演奏するメンバーたちや、決して寂しそうな顔はしていない俳優(米倉れいあという人らしい)の表情からも、この曲からは前向きな、希望のようなものを感じさせる。それは目の前で水上が歌い、岡田がギターを弾き、サポートメンバーがリズムを刻むからこそより強くそう思えるのである。それは声と音にそうした意思が確かに宿っているから。
そんな曲に連なるようなサウンド、歌詞世界の既存曲が続くことによってその新曲の世界観をさらに増強することができるというのもワンマンならではの流れであるが、それは奥村のドラムソロの後にやはり岡田の浮遊感溢れるサウンドによるギターがタイトルに実にマッチしている「ぷかぷか」、
「棘は小さくなっても
空いた穴は塞がらない
一見綺麗に見える
星屑も所詮は屑である
開けなくなったアルバムの中
雨の音に身を任せていた」
という歌詞の表現力や言葉選びに、音源で聴いていてもハッとさせられるのに、こうしてライブで聴いているとよりその意味や言葉の強さが刺さってくる「さよならシャンプー」ではそのボーカルがしっかり聞こえるような演奏になっているというのもバンドとして伝えたいことがメンバー全員で明確に共有されているからであろうが、こんな素晴らしい歌詞を書いている水上が普段からというか、人生においてどんな文学や文章に触れてきたのかということまでもが気になってきてしまう。
そこから一気にギアを上げるようにして「連れ去ってサラブレッド」が演奏されると、その前の曲たちの流れによって、平凡な日常からどこか遠くまで逃避行したいという感覚をより強く感じさせるのであるが、ここでeggmanのレーベル所属バンドとして
「eggmanの関係者だけが観てるっていうライブをここでやったことがあって。レーベルのオーディションに応募した時。その音源審査に「メトロポリタン」ともう1曲で応募したのに、ライブで「メトロポリタン」やらないっていう(笑)
敢えて重い曲をやったら「お前ら「メトロポリタン」で応募してきたのにその曲やらないって凄いな」って言われた(笑)」
というこの場所でのワンマンだからこそのエピソードで笑わせながらも、この場所がバンドにとってホームと呼べる場所になっていることも語り、さらには
「私が熱出しちゃった時とかにも「なんだよ」っていうんじゃなくて「大丈夫?」とか「お大事にしてね」っていう言葉をみんながかけてくれて。そういう言葉に私は救われてます。だから言葉を大事にしたいと思って、考えて考えて歌詞を書いているし、自分の言葉で誰かが救われたらなと思ってます」
と「言葉」について口にしているのを聞いて、このバンドの歌詞がこうしたものになっているのかがわかった気がした。言葉を大事にしているから、自分の中にある最も曲に合う言葉や言いたい言葉を捻り出すようにして歌詞を書いていて、それが平易なものではないからこそ、このバンドだけの表現になっている。この言葉を聞けてそんななきごとらしさがわかったように思えたのだ。できているかどうかは別として、自分自身も言葉をなるべく大事にしてきたと思っているし、そうしたアーティストを好きになってきただけに、今までより一層なきごとが好きになった瞬間だった。
そんな言葉に続けるようにして、
「コロナ禍になって、みんなが声が出せないってなった時に「また声が出せるようになったらみんなで歌おう」って約束した曲を、今日はみんなで歌おう!」
と言って
「あぁ、嫌だなぁ」
のフレーズを観客も含めて全員で大合唱するのは「ひとり暮らし」。自分はその約束を聞いていたわけではないけれど、誰かと一緒に暮らしていたのがひとり暮らしになるという別れの後を描いたと思われる寂寞さが、こうしてみんなで歌うことによってどこか解放を感じさせるものになっている。それは同時にひとりになったことを歌う曲がひとりではないことを示すものになっているというか。
そんな生活をテーマにしている曲に連なるのが、その情景をさらに詳細に描いた「合鍵」であるのだが、
「君がくれた合鍵と君がくれた愛してるで
どうやら僕は勘違いしていたみたいだ」
というフレーズは初期の曲から水上の歌詞の才気が炸裂していたことを感じさせるとともに、こうして「ひとり暮らし」に繋がる形で聴くと、その前日譚というか連なる物語であるようにも感じられる。疾走感溢れるギターロックだけではないなきごとの音楽に存分に浸ることができる瞬間であるし、もしかしたら同じような別れなんかを経験してきた人にはこれ以上ないくらいに寄り添ってくれるような音楽でもあると思う。
そんな水上が衣装や
「いつか…」
と歌うリフレインも相まって実に神秘的かつ神聖な空気を醸し出す「luna」もまたこの曲だからこそこのバンドの違った一面を見ることができるのであるが、前半から比べると水上の歌声が圧倒的に素晴らしいと思えるようになっているのは、歌うことによって緊張がなくなったり、喉が開いていく感覚のようなものがあったりしたのだろうか。だからこそこの曲の雰囲気がより一層強く感じられたところもあるはずだ。
そしてなきごとが5周年を迎えたことを改めて伝えて、再び観客から起きた拍手をタモリのように仕切ったりしながら、
「あっという間でもあり、凄く長いような5年間だったけど、最近はもう今まで以上にいつも一緒にいる(笑)
私が悔しい思いをした時に一緒に泣いてくれるメンバーがいて、一緒に悔しがってくれるサポートメンバーがいて、私が嬉しい時に一緒に笑ってくれるメンバーがいる」
というMCを聞いていたらついついグッときてしまった。5周年というのを言葉にするとわずか3文字だけれど、この日に至るまでには本当にいろんな経験をしてきた感情がその言葉には滲んでいたから。なんならロッキンだって去年出れなくなった時にはずっとベッドで泣いていたと言っていた。もしかしたらそんな悔しさを感じるようなことの連続だったのかもしれないけれど、このバンドがそうした全てのことにしっかりその時の感情を持って向き合ってきた5年間だったということでもある。
そんな言葉の後に演奏されたのは、この会場でのオーディションライブの際に敢えて演奏したと言っていた「癖」。本当に些細な日常の出来事を、もうこの歌詞を膨らませた映画ができそうなくらいに壮大なスケールを感じさせるサウンドに乗せて歌う曲であり、だからこそこの曲がこうした小さなライブハウスでは緊密に響くのであるが、これからこのバンドが立つことになるであろう巨大な会場で鳴らされた時にどう感じられるのかも楽しみになる曲だ。それはこの水上すらも初めて見たという満員極まりないeggmanでの光景を見たからこそ思うことでもある。
そんなライブの最後に演奏されたのは、このバンドにとって代表曲の一つと言えるアルコールナンバーの「深夜2時とハイボール」であり、客席ではこの日最大な声と最多な拳が振り上がる中で
「死にたくなった 死にたくなった
そしたらキミが笑ってバカっていうから
いきたくなったいきたくなった
ほんとキミには敵わないなぁ」
という歌詞だけ見るとネガティブさも含んでいるサビのフレーズが水上のボーカルの伸びやかさもあって、これでもかというくらいにキャッチーに響く。そんなコントラストがなきごとというバンドを示しているようだと改めて思ったのは、歌って拳を振り上げている観客の姿を見ている2人の表情が、やっぱり笑顔としか言えないようなものだったからだ。
アンコールではまず水上が1人で登場すると、なんとドラムセットに座って、普通にドラムが叩ける人というくらいに軽やかにドラムを叩き、そのリズムに合わせて観客も手を叩くという双方向のコミュニケーションが展開されるのであるが、奥村はそれを見て
「俺のドラムソロより盛り上がってる(笑)」
と少し不本意そうだったので、奥村がドラムで観客の手拍子をタモリのように仕切ることによって水上が体験している気持ち良さを味わうことに。
一方で岡田は物販のロンTに着替えながらフィナンシェを食べているという驚くべきマイペースっぷりであるのだが、現在近隣のカフェでバンドの曲タイトルに合わせたコラボドリンクを販売中ということで、すでに飲んできた人に感想を聞きながら、
「2日酔いになったことがある人?」
と問いかけながら、2日酔いの何とも言えない気持ち悪さをしっかり言語化してくれるように演奏されたのは最新シングル収録の「Hangover」であるのだが、これが新作曲の中では最もストレートなギターロック曲となっており、リリースされたばかりとは思えないくらいに観客の拳が上がること。個人的にも度々2日酔いになるために、これからはこの曲がそうした時のテーマソングになってくれると思うし、
「2日酔いになるくらいに飲みすぎるのは、一緒に飲んでる人といるのが楽しいから」
と言っていたのにハッとしたのは、確かに緊張したりするような飲み会では2日酔いにならないけれど、気を遣わなくていいような関係性の人と飲む時ほど、飲みすぎて2日酔いになってしまうから。なきごとの2人はそんなに酒を飲むのかとも思うけど、そうでなきゃこんなに酒をテーマにした曲は生まれないよなとも思う。
そして水上は来年にもワンマンツアーを開催することを改めて告知し、ファイナルである4月のZepp Shinjukuにここにいるみんなでこのまま来てほしいということとともに、最後にここにいる人の声が聞きたいと言ってサビをメンバーと観客の全員で合唱してからバンドでの演奏になったのは「憧れとレモンサワー」で、水上は曲中でのサビでもまた観客の声を聞こうとする。男性が歌うにはキーが高いために、キーは落としての大合唱だったけれど、この曲をもっとたくさんの人で一緒に歌いたい、その声が響く光景を見てみたいと心から思った。
「今日はまわるのが早い」
のも、この日が楽しいからこそ。
「あぁ、また、僕はあなたに
救われてしまったなぁ」
のフレーズも、バンドからニンゲン's(なきごとのファンの総称)へ、ニンゲン'sからバンドへの想いを歌詞にしたかのようにすら響いていた。
演奏が終わった後にメンバーが想いを込めるようにして観客に深く長く頭を下げてからステージを去るのも印象的だったけれど、メンバーが去った後にステージ前に登場したスクリーンに「退屈日和」のMVが映し出されると、前の観客から順に次々とその場に座り始めた。それは間違いなく後ろの人たちが見えるようにという配慮であるだろう。そしてそれはなきごとのメンバーの観客や他者を思う気持ちがしっかりニンゲン'sに伝わっているということでもある。その関係性や相互作用はこれからどんなにバンドが大きくなったとしても決して変わらないと思うし、そうしたニンゲン'sの姿や意識からもなきごとをもっと好きになってしまうなと思わされたのだった。
フェスでライブを観てみて、ちょっとでも「良いな」「もっと観たいな」と思ったら極力ワンマンに行くようにしている。フェスの30分とかじゃ伝わらないようなものがワンマンからは伝わるから。
そうしてロッキンを経てこうして初めて観たなきごとのワンマンからは、水上の言葉に対する意識を聞いて、このバンドだからこそこの歌詞、この曲、この音楽が生まれているなと思ったし、そこにはバンドが鳴らすからこその優しく温かい人間性が確かに感じられた。それは知り合いというわけではなくても、深く喋ったことがなくても鳴らしている音と声を聴いて確かにわかる。フェスで観た後にワンマンを観た中で、こんなにイメージが変わった、こんなにより好きになったバンドはなかなかない。それくらい、音楽はもちろんメンバーの人間をもさらに好きにならざるを得ない、ホームと言えるライブハウスeggmanでの凱旋ライブだった。つまり、また救われてしまったのである。
これまではツアーも対バンばかりだったけれど、これまでの自分たちの作ってきた曲を全てまとめるようなフルアルバム「NAKIGOTO,」もリリースしたタイミングでついに初のワンマンツアーを開催。すでに新代田FEVERで初日が行われているが、ツアー2日目のこの日はバンドの本拠地と言える会場の渋谷eggmanである。
物販を会場内ではなくて隣のビルで行っているということもあって、ギリギリまで観客を入れようというeggmanの努力が感じられるくらいの超満員となっているだけに観客の入場に多少時間かかり、開演予定時間の18時を15分ほど過ぎたあたりで場内が暗転すると、サポートドラマーの奥村を先頭に1人ずつメンバーがステージに登場。岡田安未(ギター)は鮮やかな金髪、最後にステージに現れた水上えみり(ボーカル&ギター)は白いドレスのような衣装を着ている中で、水上がギターを弾きながら歌い始めたのは「シャーデンフロイデ」であり、サビを1回しその形で歌ってからバンドの音が重なっていくというオープニングであるのだが、いきなり客席からは拳が振り上がり、観客たちがどれだけ時間この日を楽しみにしていたかということが一瞬でわかる。その観客たちの顔をしっかり見るように水上は早くも台の上に立って目線を左右に向けながらギターを弾いている。その互いの姿だけでもうすでに固く濃いバンドと観客のコミュニケーションが成立しているかのような。
シャープなロックさから浮遊感あるサウンドまでを巧みに、表情だけを見ると実に余裕を持って飄々と演奏する岡田の、エフェクターを駆使した浮遊感のあるサウンドが心地良く、しかしサポートのリズム隊の力強さによってバンド全体としては力強く鳴らされる「ユーモラル討論会」から、最初は少し緊張があったのか、あるいは先月にコロナに感染した時の影響も少しあるのか、ロッキンで観た時よりはまだ声が全開ではないようにも感じた水上も「知らない惑星」では身振り手振りを交えながら歌うのが観ていて実に楽しい。そこには間違いなくバンド側からの「来てくれた人を楽しませよう」という思いが感じられる。だから水上は歌詞の端々にこの日この瞬間に出てきたであろう言葉を挟んだり、率先して手拍子をして観客がそれに続いていくのである。
その手拍子は曲中だけではなくて、曲前の観客とのコミュニケーションとしても有効であるということがわかるのは、奥村がリズムを叩きながら水上と岡田が手拍子をし、
「男の人!」「女の人!」「メガネの人!」「コンタクトの人!」「裸眼の人!」
など様々なパターンに当てはまる人に手拍子をしてもらい、その手拍子が全員でのものに戻ってから演奏された「私は私なりの言葉でしか愛してると伝えることができない」。その手拍子含めて実にキャッチーなメロディとサウンドの曲であるが、水上の言葉に合わせて手拍子をするタイミングがそれぞれ違うように、ここにいる人たちもライブハウスの外にいる人も1人1人違う人間であり、だからこそそれぞれがそれぞれの言葉で思いを伝えることができるというように響く。それは水上も口にしていた現代ならではの多様性を示しているものでもあり、水上は誰よりもそれを実践すべく、この日目の前にいてくれた人たちに
「好きです!」
と伝えていた。
そうした姿はフェスでしかライブを観たことがない身としては実に意外にも思えるものだったというのはちゃんと主催ライブに来てないからだと言われても仕方ないところであるが、曲のイメージからしてクールな感じかとも思っていたけれど、それは岡田のギターとそれを弾く姿から感じられるものであり、やはり水上と岡田もまたバンドメンバーとして一心同体と言える存在だとしても違う人間だよな、と思えるのは少しR&Bなどの要素も含んだサウンドがシャープなギターロックだけのバンドではないということを示しながら、歌詞はまるで小説か映画かのような世界を描き出す「D.I.D.」で、水上がギターを置いてハンドマイクでステージ左右を歩いたり、台の上に乗って歌う姿に驚いてしまった。こんなことまでするバンドだと思っていなかったから。
しかもそれは先週配信リリースされたばかりのニューシングル収録の「マリッジブルー」へも続いていく。そのシングルは3曲収録であり、それぞれの振り幅にも驚かされたが、水上がこんなに溌剌としたステージングを見せてくれるとは思ってなかった。だからこそこうして初めてワンマンを観ることができて、ハンドマイクで歌う彼女の温かい人間性をも感じることができたと思った。やはりそれはフェスで観ただけではわからないものだよなと改めて思うし、そう思うとこのバンドはワンマンを観ればそうした部分がすぐに伝わるバンドであるとも言える。
水上が再びギターを手にしながら、サポートベースが音階的にも動きまくるベースソロを弾くと(他のアーティストでも何度も見ている、いつものサポートベースの山崎英明ではなかった)、奥村のリズムも岡田のギターも一気に軽快かつダンサブルになる「Summer麺」はそのタイトルからしても水上のユーモラスさが炸裂している曲であり、語感的には真心ブラザーズ「サマーヌード 」に近いのに全く違った夏の曲に仕上がっている。もうすっかり、急に夏は過ぎ去ったかのように涼しくなったけれど、この日のeggmanはめちゃくちゃ暑く、熱かっただけにこの曲が全然季節外れには感じられなかった。
するとイントロで水上だけではなくて岡田もステージ前の台の上に立ってギターを弾くのは、もうそのイントロだけで問答無用の名曲にして代表曲である「メトロポリタン」であり、自分はこの曲あたりをスペシャかなんかで初めて聴いて出会ったために、こうしたサウンドのイメージがこのバンドに強くあった。しかしそんな曲も水上も岡田も笑顔で歌い鳴らしている姿を見ていると、やっぱりただカッコいいというだけではない人間らしさを感じられるなと思うのである。
「パトロールポリスメン
メトロポリタン3連泊」
というフレーズなんかは何回聴いても意味はハッキリとはわからないけれど、それは水上本人も断定したくないからこそこうしたそれぞれに想像の余地がある言葉や単語を使った歌詞になっているんだろうなと思う。愛してるの伝え方がそれぞれ違うように、きっと歌詞や曲の感じ方だってそれぞれ違っていたり、作った思惑とは違ってもそれもまたその人なりの解釈でいいと思ってくれているはずだ。
それは配信シングルをリリースしたことを改めて告知して、客席から起きた拍手をかつての「笑っていいとも!」のタモリのように仕切り、東京は完璧な揃いっぷりに感嘆していた姿からもその水上の人間らしさは伝わってくるというか、どうやら想像以上に楽しい人であるということがよくわかるのであるが、その配信シングル「君と暮らしの真ん中で」(水上が噛んで岡田にツッコミを入れられていた)の1曲目に収録されている「退屈日和」は
「退屈だ。
きみがいない毎日は
色褪せていて ひどく退屈だ
錆びついた 無味無臭の毎日を
きみも過ごしていて欲しいな」
というサビの歌詞が、個人的には違う道を選んだ大切だった人との日々が楽しいものだったからこその喪失感をも感じさせるのであるが、それでもMVが澄み渡る青空の下で演奏するメンバーたちや、決して寂しそうな顔はしていない俳優(米倉れいあという人らしい)の表情からも、この曲からは前向きな、希望のようなものを感じさせる。それは目の前で水上が歌い、岡田がギターを弾き、サポートメンバーがリズムを刻むからこそより強くそう思えるのである。それは声と音にそうした意思が確かに宿っているから。
そんな曲に連なるようなサウンド、歌詞世界の既存曲が続くことによってその新曲の世界観をさらに増強することができるというのもワンマンならではの流れであるが、それは奥村のドラムソロの後にやはり岡田の浮遊感溢れるサウンドによるギターがタイトルに実にマッチしている「ぷかぷか」、
「棘は小さくなっても
空いた穴は塞がらない
一見綺麗に見える
星屑も所詮は屑である
開けなくなったアルバムの中
雨の音に身を任せていた」
という歌詞の表現力や言葉選びに、音源で聴いていてもハッとさせられるのに、こうしてライブで聴いているとよりその意味や言葉の強さが刺さってくる「さよならシャンプー」ではそのボーカルがしっかり聞こえるような演奏になっているというのもバンドとして伝えたいことがメンバー全員で明確に共有されているからであろうが、こんな素晴らしい歌詞を書いている水上が普段からというか、人生においてどんな文学や文章に触れてきたのかということまでもが気になってきてしまう。
そこから一気にギアを上げるようにして「連れ去ってサラブレッド」が演奏されると、その前の曲たちの流れによって、平凡な日常からどこか遠くまで逃避行したいという感覚をより強く感じさせるのであるが、ここでeggmanのレーベル所属バンドとして
「eggmanの関係者だけが観てるっていうライブをここでやったことがあって。レーベルのオーディションに応募した時。その音源審査に「メトロポリタン」ともう1曲で応募したのに、ライブで「メトロポリタン」やらないっていう(笑)
敢えて重い曲をやったら「お前ら「メトロポリタン」で応募してきたのにその曲やらないって凄いな」って言われた(笑)」
というこの場所でのワンマンだからこそのエピソードで笑わせながらも、この場所がバンドにとってホームと呼べる場所になっていることも語り、さらには
「私が熱出しちゃった時とかにも「なんだよ」っていうんじゃなくて「大丈夫?」とか「お大事にしてね」っていう言葉をみんながかけてくれて。そういう言葉に私は救われてます。だから言葉を大事にしたいと思って、考えて考えて歌詞を書いているし、自分の言葉で誰かが救われたらなと思ってます」
と「言葉」について口にしているのを聞いて、このバンドの歌詞がこうしたものになっているのかがわかった気がした。言葉を大事にしているから、自分の中にある最も曲に合う言葉や言いたい言葉を捻り出すようにして歌詞を書いていて、それが平易なものではないからこそ、このバンドだけの表現になっている。この言葉を聞けてそんななきごとらしさがわかったように思えたのだ。できているかどうかは別として、自分自身も言葉をなるべく大事にしてきたと思っているし、そうしたアーティストを好きになってきただけに、今までより一層なきごとが好きになった瞬間だった。
そんな言葉に続けるようにして、
「コロナ禍になって、みんなが声が出せないってなった時に「また声が出せるようになったらみんなで歌おう」って約束した曲を、今日はみんなで歌おう!」
と言って
「あぁ、嫌だなぁ」
のフレーズを観客も含めて全員で大合唱するのは「ひとり暮らし」。自分はその約束を聞いていたわけではないけれど、誰かと一緒に暮らしていたのがひとり暮らしになるという別れの後を描いたと思われる寂寞さが、こうしてみんなで歌うことによってどこか解放を感じさせるものになっている。それは同時にひとりになったことを歌う曲がひとりではないことを示すものになっているというか。
そんな生活をテーマにしている曲に連なるのが、その情景をさらに詳細に描いた「合鍵」であるのだが、
「君がくれた合鍵と君がくれた愛してるで
どうやら僕は勘違いしていたみたいだ」
というフレーズは初期の曲から水上の歌詞の才気が炸裂していたことを感じさせるとともに、こうして「ひとり暮らし」に繋がる形で聴くと、その前日譚というか連なる物語であるようにも感じられる。疾走感溢れるギターロックだけではないなきごとの音楽に存分に浸ることができる瞬間であるし、もしかしたら同じような別れなんかを経験してきた人にはこれ以上ないくらいに寄り添ってくれるような音楽でもあると思う。
そんな水上が衣装や
「いつか…」
と歌うリフレインも相まって実に神秘的かつ神聖な空気を醸し出す「luna」もまたこの曲だからこそこのバンドの違った一面を見ることができるのであるが、前半から比べると水上の歌声が圧倒的に素晴らしいと思えるようになっているのは、歌うことによって緊張がなくなったり、喉が開いていく感覚のようなものがあったりしたのだろうか。だからこそこの曲の雰囲気がより一層強く感じられたところもあるはずだ。
そしてなきごとが5周年を迎えたことを改めて伝えて、再び観客から起きた拍手をタモリのように仕切ったりしながら、
「あっという間でもあり、凄く長いような5年間だったけど、最近はもう今まで以上にいつも一緒にいる(笑)
私が悔しい思いをした時に一緒に泣いてくれるメンバーがいて、一緒に悔しがってくれるサポートメンバーがいて、私が嬉しい時に一緒に笑ってくれるメンバーがいる」
というMCを聞いていたらついついグッときてしまった。5周年というのを言葉にするとわずか3文字だけれど、この日に至るまでには本当にいろんな経験をしてきた感情がその言葉には滲んでいたから。なんならロッキンだって去年出れなくなった時にはずっとベッドで泣いていたと言っていた。もしかしたらそんな悔しさを感じるようなことの連続だったのかもしれないけれど、このバンドがそうした全てのことにしっかりその時の感情を持って向き合ってきた5年間だったということでもある。
そんな言葉の後に演奏されたのは、この会場でのオーディションライブの際に敢えて演奏したと言っていた「癖」。本当に些細な日常の出来事を、もうこの歌詞を膨らませた映画ができそうなくらいに壮大なスケールを感じさせるサウンドに乗せて歌う曲であり、だからこそこの曲がこうした小さなライブハウスでは緊密に響くのであるが、これからこのバンドが立つことになるであろう巨大な会場で鳴らされた時にどう感じられるのかも楽しみになる曲だ。それはこの水上すらも初めて見たという満員極まりないeggmanでの光景を見たからこそ思うことでもある。
そんなライブの最後に演奏されたのは、このバンドにとって代表曲の一つと言えるアルコールナンバーの「深夜2時とハイボール」であり、客席ではこの日最大な声と最多な拳が振り上がる中で
「死にたくなった 死にたくなった
そしたらキミが笑ってバカっていうから
いきたくなったいきたくなった
ほんとキミには敵わないなぁ」
という歌詞だけ見るとネガティブさも含んでいるサビのフレーズが水上のボーカルの伸びやかさもあって、これでもかというくらいにキャッチーに響く。そんなコントラストがなきごとというバンドを示しているようだと改めて思ったのは、歌って拳を振り上げている観客の姿を見ている2人の表情が、やっぱり笑顔としか言えないようなものだったからだ。
アンコールではまず水上が1人で登場すると、なんとドラムセットに座って、普通にドラムが叩ける人というくらいに軽やかにドラムを叩き、そのリズムに合わせて観客も手を叩くという双方向のコミュニケーションが展開されるのであるが、奥村はそれを見て
「俺のドラムソロより盛り上がってる(笑)」
と少し不本意そうだったので、奥村がドラムで観客の手拍子をタモリのように仕切ることによって水上が体験している気持ち良さを味わうことに。
一方で岡田は物販のロンTに着替えながらフィナンシェを食べているという驚くべきマイペースっぷりであるのだが、現在近隣のカフェでバンドの曲タイトルに合わせたコラボドリンクを販売中ということで、すでに飲んできた人に感想を聞きながら、
「2日酔いになったことがある人?」
と問いかけながら、2日酔いの何とも言えない気持ち悪さをしっかり言語化してくれるように演奏されたのは最新シングル収録の「Hangover」であるのだが、これが新作曲の中では最もストレートなギターロック曲となっており、リリースされたばかりとは思えないくらいに観客の拳が上がること。個人的にも度々2日酔いになるために、これからはこの曲がそうした時のテーマソングになってくれると思うし、
「2日酔いになるくらいに飲みすぎるのは、一緒に飲んでる人といるのが楽しいから」
と言っていたのにハッとしたのは、確かに緊張したりするような飲み会では2日酔いにならないけれど、気を遣わなくていいような関係性の人と飲む時ほど、飲みすぎて2日酔いになってしまうから。なきごとの2人はそんなに酒を飲むのかとも思うけど、そうでなきゃこんなに酒をテーマにした曲は生まれないよなとも思う。
そして水上は来年にもワンマンツアーを開催することを改めて告知し、ファイナルである4月のZepp Shinjukuにここにいるみんなでこのまま来てほしいということとともに、最後にここにいる人の声が聞きたいと言ってサビをメンバーと観客の全員で合唱してからバンドでの演奏になったのは「憧れとレモンサワー」で、水上は曲中でのサビでもまた観客の声を聞こうとする。男性が歌うにはキーが高いために、キーは落としての大合唱だったけれど、この曲をもっとたくさんの人で一緒に歌いたい、その声が響く光景を見てみたいと心から思った。
「今日はまわるのが早い」
のも、この日が楽しいからこそ。
「あぁ、また、僕はあなたに
救われてしまったなぁ」
のフレーズも、バンドからニンゲン's(なきごとのファンの総称)へ、ニンゲン'sからバンドへの想いを歌詞にしたかのようにすら響いていた。
演奏が終わった後にメンバーが想いを込めるようにして観客に深く長く頭を下げてからステージを去るのも印象的だったけれど、メンバーが去った後にステージ前に登場したスクリーンに「退屈日和」のMVが映し出されると、前の観客から順に次々とその場に座り始めた。それは間違いなく後ろの人たちが見えるようにという配慮であるだろう。そしてそれはなきごとのメンバーの観客や他者を思う気持ちがしっかりニンゲン'sに伝わっているということでもある。その関係性や相互作用はこれからどんなにバンドが大きくなったとしても決して変わらないと思うし、そうしたニンゲン'sの姿や意識からもなきごとをもっと好きになってしまうなと思わされたのだった。
フェスでライブを観てみて、ちょっとでも「良いな」「もっと観たいな」と思ったら極力ワンマンに行くようにしている。フェスの30分とかじゃ伝わらないようなものがワンマンからは伝わるから。
そうしてロッキンを経てこうして初めて観たなきごとのワンマンからは、水上の言葉に対する意識を聞いて、このバンドだからこそこの歌詞、この曲、この音楽が生まれているなと思ったし、そこにはバンドが鳴らすからこその優しく温かい人間性が確かに感じられた。それは知り合いというわけではなくても、深く喋ったことがなくても鳴らしている音と声を聴いて確かにわかる。フェスで観た後にワンマンを観た中で、こんなにイメージが変わった、こんなにより好きになったバンドはなかなかない。それくらい、音楽はもちろんメンバーの人間をもさらに好きにならざるを得ない、ホームと言えるライブハウスeggmanでの凱旋ライブだった。つまり、また救われてしまったのである。