a flood of circle 「Mini Album 「a flood of circle」&「泥水のメロディー」再現ライブ」 @新代田FEVER 9/7
- 2023/09/07
- 23:13
2日前には佐々木亮介がストレイテナーのホリエアツシと下北沢で行った無料弾き語りライブを観たばかりのa flood of circle。その弾き語りライブは新曲「ゴールド・ディガーズ」のリリースによるものであるが、そんな新曲を投下しているタイミングで行われるのが、インディーズ時代にリリースされた「a flood of circle」と「泥水のメロディー」の再現ライブ。
おそらく自分の人生においてトップクラスにライブを観ていて、このインディーズ期に出会ったバンドであるために収録曲は全てライブで聴いたことがあるが、それでも今のメンバーたちになってから聴いた記憶がない曲もある。そんな曲たちを今になって聴けるのはフラッドが何かを失くしながらそれでも進み続けてきたからである。
チケットが欲しくても手に入らない人もたくさんいたというくらいの即完っぷりもあってか、この日は配信も行われるために客席天井にはカメラも取り付けられ、完全に超満員の客席の中で19時を少し過ぎたあたりで暗転すると、SEが流れずにメンバー4人が登場するというのは配信があるが故にSEの音源を使えないからであろう。佐々木亮介(ボーカル&ギター)はこの日は黒の革ジャンである。
こうした再現ライブの場合はアルバムの曲順通りに、まさに再現するバンドもいれば、今のライブとしての流れを作るために曲順を変えるバンドもいるが、フラッドの場合はこれまでに開催してきた様々なアルバムの再現ライブにおいてもこの日も前者。
なので青木テツ(ギター)が、まさにフラッドというバンドの始まりを表すかのようなあのギターリフを弾き、そこに亮介のギターが重なって始まるのはインディーズデビューミニアルバムでありセルフタイトル1作目の「a flood of circle」の1曲目に収録されている「ブラックバード」。やはりこの時期の曲は唯一この時期からずっと亮介と活動を共にしている渡邊一丘(ドラム)がコーラスを重ねる曲も多いが、2日前の弾き語りライブの時も抜群の声量と伸びを見せていた亮介は音源ほどフレーズを重ねないというか、アウトロでは「未来」のフレーズをリフレインしないというあたりからも、どこかどっしりと構えた、リリースから15年経った今のフラッドとしての貫禄や経験を感じさせるような立ち上がりになっている。
渡邊の連打するドラムにテツのギターが絡みつくようなイントロによって始まるのは、今となっては激レア曲である「ガラパゴス」。この作品の中では最もギターロック的と言ってもいいサウンドの曲であり、BメロのハイトーンコーラスをHISAYO(ベース)が担うというのは、まるで当時からこの曲のコーラスをしていたようにハマっていると感じるのであるが、当時からすでに日本は音楽において「ガラパゴス化した国」と言われてきたし、その傾向はより強くなっている感すらあるし、そのガラパゴス化した音楽シーンの中で今のフラッドのロックンロールはよりこの曲に宿る孤独感を感じさせるものになっているなと今になってより感じる。それは逆にフラッドのようなバンドがいない、唯一無二のバンドであるということでもあるが。
さらにはこちらも今となっては激レア曲である、ブルースにしてバラード曲「308」はかつて住んでいた部屋番号をタイトルにした曲であるが、やはりこの頃のフラッドはまだロックンロールというよりもブルースという感覚の方が強く感じる。だからこそ渇いた感覚よりも湿った感覚を曲から感じるのであるが、最後のセリフ的と言ってもいいようなフレーズの歌唱もどこか亮介は俯瞰的に歌っているように感じる。それはがむしゃらに力を込めるようなことをしなくてもこの曲を歌いこなせるような力を手に入れているということである。
そんなフラッドの、というか亮介の若さを感じさせるのは、今聴いてもなかなか今ではこうした展開になるような曲は作らないだろうなと思うような、サビで渡邊のリズムが一気に軽快になる「夜はけむり」であり、やはりハイトーンなコーラスではHISAYOのベーシストとしてだけではなくてコーラスとしての存在感も際立つのであるが、そのコーラスに重なる亮介の歌唱も、このライブ前に久々に音源を聴いた後だと間違いなく進化していると感じられるし、少年らしさというのもまだ感じられるけれど、それでも当時よりはやっぱり青臭さを感じる声から、経験を経てきたロックンロールボーカリストに進化・変化してきたんだなと思う。
そんなセルフタイトルミニアルバムのラストに収録されているのは、テツと亮介による絡み合うギターリフが実にキャッチーな、サビのコーラスフレーズではメンバー全員とともに腕を挙げる観客の声までもが重なる「象のブルース」。かつて(メジャー2ndアルバム「PARADOX PARADE」期くらいまで)はライブの最後に演奏されるのがおなじみの曲であったし、だからこそ「ZOOMANITY」のリリースツアーファイナルの赤坂BLITZワンマンの時に演奏されなかったことがrockin'on JAPANのライブレポ(今となっては信じられないが、普通にフラッドのツアーがちゃんとレポされていた)でも触れられていたが、特に観客とのコール&レスポンス的にもなるこの曲は今でもやはり他の曲にはない大団円感をライブにもたらしてくれると思う。
しかしながらライブはまだ5曲目であり、まだまだ序盤。ここからはインディーズ2作目のミニアルバムの世界へと突入していく…ということで、ここまでのブルージーな流れを切り裂くようにしてソリッドかつロックンロールなテツのギターによるイントロが響き渡るのはその2作目のタイトル曲である「泥水のメロディー」であり、亮介の歌声も一気に迫力とロックンロールさを増している。個人的にはこの曲のサビ前での
「生きている!」
のフレーズの咆哮的なボーカルはフラッドのライブの中でも1,2を争うくらいにテンションが上がる瞬間だと思っているので、今もこうして聴けているのが本当に嬉しい。渡邊のドラムも音源よりはるかに手数も強さも増しているのがよりハイテンションにしてくれる。
この日、久しぶりに演奏された曲もたくさんあったけれど、久しぶりでありながらも明確に前にライブで聴いたのがいつかを覚えている曲がある。それが「ロシナンテ」であり、それはコロナ禍になってからの初めてのフラッドの有観客ライブが行われた2020年夏の恵比寿リキッドルームでのライブでこの曲が演奏された光景を今でも覚えているからである。
テツもHISAYOもコーラスができるメンバーであるが、
「何かを失くしながらそれでも行かなくちゃ」
というフレーズにコーラスを重ねるのは、このインディーズ時代から唯一ずっと亮介と活動を共にしてきた渡邊。まさに何かを失くしながら進んできた2人の声が重なるからこそ、震える感情が確かにある。それは我々がそのフラッドの止まることのない歩みをずっと見てきたからであるが、この日最初のダイバーがこの曲で発生したのもよくわかる。もうリリース当時のような初期というものではないかもしれないけれど、この曲からは今もフラッドのロックンロールの衝動が溢れ出しているし、今こそそれが過去最高に極まっていることを教えてくれている。
そんなロックンロールな流れから一気に再びブルース色が強くなるのは、しかしながら歌詞では「ロックンロール」と歌われる、タイトル通りの赤と、それに近しい黄色い照明が明滅しながらメンバーを照らす「Red Dirt Boogie」という、こちらも今となっては超レアな選曲であるのだが、この辺りからフラッドにとってブルース=ロックンロールという構図が生まれてきて、そうしたバンドになっていったんだなということがよくわかる。亮介の思いっきり力を込めるような最後のサビでの歌唱もバンドの演奏も照明の光を浴びて燃え盛るようですらある。
かと思えばイントロからして切ないギターフレーズが鳴らされて始まるのは、のちに数々の名曲バラードを生み出すことになるメロディメーカーとしての亮介の源泉とも言えるような「SWIMMING SONG」。何がそう思わせるかというと、曲を聴いている時のその情景喚起力。まさに川を泳いで、渡ってずぶ濡れになりながらも我々に会いに来てくれようとしている姿がすぐに想像できる。それは次作収録のバラード「月に吠える」やさらに次作の「水の泡」も同じ。そうした、今でも自分がフラッドを、亮介を日本屈指のソングライターだと思っている所以がこの曲には詰まっている。亮介のファルセットも、そこに重なるHISAYOのコーラスも実に美しく、今のバンドの状態の良さを否が応でも感じざるを得ない。
すると渡邊が軽快な四つ打ちのビートを刻み、HISAYOもそのリズムに合わせて手を叩くのはもちろん「世界は君のもの」。そのリズムに合わせて観客も手を叩き、それまでとは比べ物にならないくらいの勢いで踊りまくり、再びダイバーも発生する、UNISON SQUARE GARDENの田淵智也がこの曲のアンサーソングを作ることになる名曲であるのだが、
「階段の先の地獄ごと 丸めて捨てちまおう
言葉なんてもう忘れたら? 羽根を揺すって飛ぶだけ」
のフレーズで亮介がマイクスタンドから離れるようにすると観客の合唱となって、HISAYOが右手の人差し指を伸ばすようにして最後のサビへと突入していき、最後には亮介が長く伸ばす「蝶」のフレーズにテツがコーラスを重ねる。先週のMARSBERG SUBWAY SYSTEMとの対バンで演奏された時も思ったことであるが、この曲はこうして間違いなく今の4人でのフラッドでのものになっている。それを鳴らしている音と姿で証明してくれている。その姿を見ていると、今でも世界はここにいる、あるいは配信を見ている我々のものだと思える。リリースから15年、自分が出会ってからも同じ年月、錆びつくどころか輝きは増し続けている。
そんなインディーズ時代の最後を担う曲は、タイトルからしても思いっきりキャッチーかつポップな「ビスケット」。HISAYOのコーラスも含めてそんな感覚を感じさせながらも、テツが体を左右に揺らし、この曲に浸るようにして弾くギターはロックンロールでありブルース。もしかしたら今こうした曲が出来たらフラッドではなくて亮介のソロに収録されるんじゃないかとも思ったりもするけれど、当時の亮介のフラッドのアウトプットはフラッドだけだった。だからこそ
「這いつくばって こんがらがって
何億光年過ごして 今はもう泣くだけ
明日はどっちだ」
というフレーズでこの曲を締め括ってメジャーのシーンへと飛び込んでいくのであるが、図らずもこの歌詞がそのメジャー進出以降にフラッドが経験することになる紆余曲折を言い当てているかのようにすら、今となっては思う。それでも、フラッドはずっと明日に向かって手を伸ばしてきたからこそ、今この曲を演奏することができている。それはやっぱりフラッドの歩みや生き様は転がり続けていくロックンロールであったということだ。
アンコールで再びメンバーがステージに登場すると、テツが柄シャツを脱いでTシャツ姿になっている中、本編では差し込む余地すらなかったがゆえにここで客席から
「誕生日おめでとうー!」
と、この日誕生日を迎えた渡邊を祝う歓声が飛び、渡邊がバスドラを蹴る音でその歓声に応えると、亮介とテツが激しくギターを掻き鳴らすのは、そんな渡邊の純粋さを讃えるロックンロールソングとも言える「Diamond Rocks」であり、もちろんダイバーが出現するくらいに衝動を掻き立てられるのであるが、本編でインディーズ時代の曲を聴いた後だからこそハッキリと思うのは、やっぱりフラッドは今が1番最高であることを更新しているバンドだということだ。なんならそのインディーズ期の曲を演奏した本編が助走だったかのように、アンコールではさらに鳴らす音が鋭くなっている感すらある。それがこの曲にさらなるロックンロールさを与えているのである。
そしてテツがギターを刻み始めたイントロが流れて驚いてしまったのは、ここで実に久しぶりの「エレクトリック・ストーン」が演奏されたこと。もちろん客席全体からそうした反応が起きており、その驚きと喜びによって観客たちも決して激しい曲ではないのにリズムに合わせて飛び跳ねまくって拳を振り上げまくっているのであるが、メジャー1stアルバム(インディーズ期にリリースされたライブ盤にも収録されていたが)という希望に満ち溢れた時期だったからこそ、
「僕らを救うのは愚かなる このロックンロール」
というフレーズがリアリティを持っていた。実際にこの曲や、収録アルバム「Baffalo Soul」に救われた人もたくさんいるだろうから。でもそれは過去だけのことじゃない。今もそう。今でもフラッドのロックンロールに救われている人がたくさんいる。だからこそこの日はチケットが手に入らないくらいの状況になった。まぁいつも客席にいる人が同じというくらいに、自分も含めて一度救われたらもう他のものでは満たされなくなってしまっているのであるけれど。
すると亮介がギターを下ろした姿を見て、そういえばインディーズ時代の曲にはそうして亮介がハンドマイクで歌う曲はないんだよなと改めてメジャーデビュー以降にボーカリストとして覚醒したことを感じさせるのは「Sweet Home Battle Field」であり、この日はタンバリンを叩くことも客席に突入していくこともなかったのであるが、亮介がボーカリストとして覚醒したことを感じさせる曲でありながら、アウトロでさらに速く激しくなっていく演奏はバンドの覚醒をも感じさせる。それは特にさらに手数と力強さを増した渡邊のドラムに顕著だ。
ここまで、MC一切なし。インディーズ期のことを言葉で振り返るようなことをしないのも、フラッドがひたすらに前だけを見ているバンドであることを示すとともに、どうしても当時のことを振り返る=岡庭と石井という辞めていったメンバーのことをも振り返らないといけないからだ。でもフラッドはそうはしないのは、それぞれがそれぞれの生活をして今を生きていることをわかっていて、フラッドもまさに今を転がり続けて生きているからである。
なので
「来週新曲出て、ツアーもあるから」
とだけ言ったフラッドの最新形が、CDとしては翌週リリース、配信としては前日にリリースされたばかりの、ストレイテナーのホリエアツシプロデュースの「ゴールド・ディガーズ」であり、弾き語りで聴いた直後だからこそ、そのイントロからのハードロックさは面白くすら感じるのであるが、その弾き語りでホリエが思いっきり巻き舌で歌っていたように亮介もサビで巻き舌気味に歌ったりする。そんな姿を見ていたら、ここまでに数々の思い入れの強い曲たちを聴いてきた後であっても、この曲がこの日1番良かったと思った。それは曲最後に亮介が捲し立てまくるように歌うフレーズには15年前でも去年でもなく、今の亮介の心境がそのまま現れているからだ。つまり今のフラッドにとって1番リアルな曲であるということであり、そんな曲が1番良いのは必然でもある。歌詞にある
「3年後に武道館」
というフレーズも、実際にその瞬間が訪れた時にはそのリアルはその時の最新曲から最も感じられるようになっているはずだ。
そんなライブの最後に演奏されたのは、イントロから観客の合唱がコーラスとなって響く(音源にもライブで録音された観客のコーラスが使われている)「Beast Mode」で、もしかしたらコロナ禍を超えた今、フラッドの曲で1番本領を発揮できているのはこの曲なのかもしれないとも思った。それくらいにバンドと観客で一緒にライブを作っているという感覚がこの曲にはあるし、だからこそテツも最後のサビでは思いっきり叫ぶようにして、もはやコーラスというよりシャウトという感じになってしまうのだ。それは日本のロックシーンにおける最強のビーストがフラッドであるということを証明しているかのようですらあった。
亮介の友人と言っていい存在でもあるMARSBERG SUBWAY SYSTEMの古川貴之が、先週の対バンで
「フラッドに命を救われた」
と言っていた。きっと、自分もそうなのだ。だから15年間、どんなにバンドが変化してもフラッドのライブに来ることはやめなかった。むしろライブに行く本数=フラッドへの依存度は年々増している。その原点にあると言っていい、フラッドと出会ったきっかけになった曲たちは、今でもやっぱり僕らを救う愚かなるロックンロールだった。
1.ブラックバード
2.ガラパゴス
3.308
4.夜はけむり
5.象のブルース
6.泥水のメロディー
7.ロシナンテ
8.Red Dirt Boogie
9.SWIMMING SONG
10.世界は君のもの
11.ビスケット
encore
12.Diamond Rocks
13.エレクトリック・ストーン
14.Sweet Home Battle Field
15.ゴールド・ディガーズ
16.Beast Mode
おそらく自分の人生においてトップクラスにライブを観ていて、このインディーズ期に出会ったバンドであるために収録曲は全てライブで聴いたことがあるが、それでも今のメンバーたちになってから聴いた記憶がない曲もある。そんな曲たちを今になって聴けるのはフラッドが何かを失くしながらそれでも進み続けてきたからである。
チケットが欲しくても手に入らない人もたくさんいたというくらいの即完っぷりもあってか、この日は配信も行われるために客席天井にはカメラも取り付けられ、完全に超満員の客席の中で19時を少し過ぎたあたりで暗転すると、SEが流れずにメンバー4人が登場するというのは配信があるが故にSEの音源を使えないからであろう。佐々木亮介(ボーカル&ギター)はこの日は黒の革ジャンである。
こうした再現ライブの場合はアルバムの曲順通りに、まさに再現するバンドもいれば、今のライブとしての流れを作るために曲順を変えるバンドもいるが、フラッドの場合はこれまでに開催してきた様々なアルバムの再現ライブにおいてもこの日も前者。
なので青木テツ(ギター)が、まさにフラッドというバンドの始まりを表すかのようなあのギターリフを弾き、そこに亮介のギターが重なって始まるのはインディーズデビューミニアルバムでありセルフタイトル1作目の「a flood of circle」の1曲目に収録されている「ブラックバード」。やはりこの時期の曲は唯一この時期からずっと亮介と活動を共にしている渡邊一丘(ドラム)がコーラスを重ねる曲も多いが、2日前の弾き語りライブの時も抜群の声量と伸びを見せていた亮介は音源ほどフレーズを重ねないというか、アウトロでは「未来」のフレーズをリフレインしないというあたりからも、どこかどっしりと構えた、リリースから15年経った今のフラッドとしての貫禄や経験を感じさせるような立ち上がりになっている。
渡邊の連打するドラムにテツのギターが絡みつくようなイントロによって始まるのは、今となっては激レア曲である「ガラパゴス」。この作品の中では最もギターロック的と言ってもいいサウンドの曲であり、BメロのハイトーンコーラスをHISAYO(ベース)が担うというのは、まるで当時からこの曲のコーラスをしていたようにハマっていると感じるのであるが、当時からすでに日本は音楽において「ガラパゴス化した国」と言われてきたし、その傾向はより強くなっている感すらあるし、そのガラパゴス化した音楽シーンの中で今のフラッドのロックンロールはよりこの曲に宿る孤独感を感じさせるものになっているなと今になってより感じる。それは逆にフラッドのようなバンドがいない、唯一無二のバンドであるということでもあるが。
さらにはこちらも今となっては激レア曲である、ブルースにしてバラード曲「308」はかつて住んでいた部屋番号をタイトルにした曲であるが、やはりこの頃のフラッドはまだロックンロールというよりもブルースという感覚の方が強く感じる。だからこそ渇いた感覚よりも湿った感覚を曲から感じるのであるが、最後のセリフ的と言ってもいいようなフレーズの歌唱もどこか亮介は俯瞰的に歌っているように感じる。それはがむしゃらに力を込めるようなことをしなくてもこの曲を歌いこなせるような力を手に入れているということである。
そんなフラッドの、というか亮介の若さを感じさせるのは、今聴いてもなかなか今ではこうした展開になるような曲は作らないだろうなと思うような、サビで渡邊のリズムが一気に軽快になる「夜はけむり」であり、やはりハイトーンなコーラスではHISAYOのベーシストとしてだけではなくてコーラスとしての存在感も際立つのであるが、そのコーラスに重なる亮介の歌唱も、このライブ前に久々に音源を聴いた後だと間違いなく進化していると感じられるし、少年らしさというのもまだ感じられるけれど、それでも当時よりはやっぱり青臭さを感じる声から、経験を経てきたロックンロールボーカリストに進化・変化してきたんだなと思う。
そんなセルフタイトルミニアルバムのラストに収録されているのは、テツと亮介による絡み合うギターリフが実にキャッチーな、サビのコーラスフレーズではメンバー全員とともに腕を挙げる観客の声までもが重なる「象のブルース」。かつて(メジャー2ndアルバム「PARADOX PARADE」期くらいまで)はライブの最後に演奏されるのがおなじみの曲であったし、だからこそ「ZOOMANITY」のリリースツアーファイナルの赤坂BLITZワンマンの時に演奏されなかったことがrockin'on JAPANのライブレポ(今となっては信じられないが、普通にフラッドのツアーがちゃんとレポされていた)でも触れられていたが、特に観客とのコール&レスポンス的にもなるこの曲は今でもやはり他の曲にはない大団円感をライブにもたらしてくれると思う。
しかしながらライブはまだ5曲目であり、まだまだ序盤。ここからはインディーズ2作目のミニアルバムの世界へと突入していく…ということで、ここまでのブルージーな流れを切り裂くようにしてソリッドかつロックンロールなテツのギターによるイントロが響き渡るのはその2作目のタイトル曲である「泥水のメロディー」であり、亮介の歌声も一気に迫力とロックンロールさを増している。個人的にはこの曲のサビ前での
「生きている!」
のフレーズの咆哮的なボーカルはフラッドのライブの中でも1,2を争うくらいにテンションが上がる瞬間だと思っているので、今もこうして聴けているのが本当に嬉しい。渡邊のドラムも音源よりはるかに手数も強さも増しているのがよりハイテンションにしてくれる。
この日、久しぶりに演奏された曲もたくさんあったけれど、久しぶりでありながらも明確に前にライブで聴いたのがいつかを覚えている曲がある。それが「ロシナンテ」であり、それはコロナ禍になってからの初めてのフラッドの有観客ライブが行われた2020年夏の恵比寿リキッドルームでのライブでこの曲が演奏された光景を今でも覚えているからである。
テツもHISAYOもコーラスができるメンバーであるが、
「何かを失くしながらそれでも行かなくちゃ」
というフレーズにコーラスを重ねるのは、このインディーズ時代から唯一ずっと亮介と活動を共にしてきた渡邊。まさに何かを失くしながら進んできた2人の声が重なるからこそ、震える感情が確かにある。それは我々がそのフラッドの止まることのない歩みをずっと見てきたからであるが、この日最初のダイバーがこの曲で発生したのもよくわかる。もうリリース当時のような初期というものではないかもしれないけれど、この曲からは今もフラッドのロックンロールの衝動が溢れ出しているし、今こそそれが過去最高に極まっていることを教えてくれている。
そんなロックンロールな流れから一気に再びブルース色が強くなるのは、しかしながら歌詞では「ロックンロール」と歌われる、タイトル通りの赤と、それに近しい黄色い照明が明滅しながらメンバーを照らす「Red Dirt Boogie」という、こちらも今となっては超レアな選曲であるのだが、この辺りからフラッドにとってブルース=ロックンロールという構図が生まれてきて、そうしたバンドになっていったんだなということがよくわかる。亮介の思いっきり力を込めるような最後のサビでの歌唱もバンドの演奏も照明の光を浴びて燃え盛るようですらある。
かと思えばイントロからして切ないギターフレーズが鳴らされて始まるのは、のちに数々の名曲バラードを生み出すことになるメロディメーカーとしての亮介の源泉とも言えるような「SWIMMING SONG」。何がそう思わせるかというと、曲を聴いている時のその情景喚起力。まさに川を泳いで、渡ってずぶ濡れになりながらも我々に会いに来てくれようとしている姿がすぐに想像できる。それは次作収録のバラード「月に吠える」やさらに次作の「水の泡」も同じ。そうした、今でも自分がフラッドを、亮介を日本屈指のソングライターだと思っている所以がこの曲には詰まっている。亮介のファルセットも、そこに重なるHISAYOのコーラスも実に美しく、今のバンドの状態の良さを否が応でも感じざるを得ない。
すると渡邊が軽快な四つ打ちのビートを刻み、HISAYOもそのリズムに合わせて手を叩くのはもちろん「世界は君のもの」。そのリズムに合わせて観客も手を叩き、それまでとは比べ物にならないくらいの勢いで踊りまくり、再びダイバーも発生する、UNISON SQUARE GARDENの田淵智也がこの曲のアンサーソングを作ることになる名曲であるのだが、
「階段の先の地獄ごと 丸めて捨てちまおう
言葉なんてもう忘れたら? 羽根を揺すって飛ぶだけ」
のフレーズで亮介がマイクスタンドから離れるようにすると観客の合唱となって、HISAYOが右手の人差し指を伸ばすようにして最後のサビへと突入していき、最後には亮介が長く伸ばす「蝶」のフレーズにテツがコーラスを重ねる。先週のMARSBERG SUBWAY SYSTEMとの対バンで演奏された時も思ったことであるが、この曲はこうして間違いなく今の4人でのフラッドでのものになっている。それを鳴らしている音と姿で証明してくれている。その姿を見ていると、今でも世界はここにいる、あるいは配信を見ている我々のものだと思える。リリースから15年、自分が出会ってからも同じ年月、錆びつくどころか輝きは増し続けている。
そんなインディーズ時代の最後を担う曲は、タイトルからしても思いっきりキャッチーかつポップな「ビスケット」。HISAYOのコーラスも含めてそんな感覚を感じさせながらも、テツが体を左右に揺らし、この曲に浸るようにして弾くギターはロックンロールでありブルース。もしかしたら今こうした曲が出来たらフラッドではなくて亮介のソロに収録されるんじゃないかとも思ったりもするけれど、当時の亮介のフラッドのアウトプットはフラッドだけだった。だからこそ
「這いつくばって こんがらがって
何億光年過ごして 今はもう泣くだけ
明日はどっちだ」
というフレーズでこの曲を締め括ってメジャーのシーンへと飛び込んでいくのであるが、図らずもこの歌詞がそのメジャー進出以降にフラッドが経験することになる紆余曲折を言い当てているかのようにすら、今となっては思う。それでも、フラッドはずっと明日に向かって手を伸ばしてきたからこそ、今この曲を演奏することができている。それはやっぱりフラッドの歩みや生き様は転がり続けていくロックンロールであったということだ。
アンコールで再びメンバーがステージに登場すると、テツが柄シャツを脱いでTシャツ姿になっている中、本編では差し込む余地すらなかったがゆえにここで客席から
「誕生日おめでとうー!」
と、この日誕生日を迎えた渡邊を祝う歓声が飛び、渡邊がバスドラを蹴る音でその歓声に応えると、亮介とテツが激しくギターを掻き鳴らすのは、そんな渡邊の純粋さを讃えるロックンロールソングとも言える「Diamond Rocks」であり、もちろんダイバーが出現するくらいに衝動を掻き立てられるのであるが、本編でインディーズ時代の曲を聴いた後だからこそハッキリと思うのは、やっぱりフラッドは今が1番最高であることを更新しているバンドだということだ。なんならそのインディーズ期の曲を演奏した本編が助走だったかのように、アンコールではさらに鳴らす音が鋭くなっている感すらある。それがこの曲にさらなるロックンロールさを与えているのである。
そしてテツがギターを刻み始めたイントロが流れて驚いてしまったのは、ここで実に久しぶりの「エレクトリック・ストーン」が演奏されたこと。もちろん客席全体からそうした反応が起きており、その驚きと喜びによって観客たちも決して激しい曲ではないのにリズムに合わせて飛び跳ねまくって拳を振り上げまくっているのであるが、メジャー1stアルバム(インディーズ期にリリースされたライブ盤にも収録されていたが)という希望に満ち溢れた時期だったからこそ、
「僕らを救うのは愚かなる このロックンロール」
というフレーズがリアリティを持っていた。実際にこの曲や、収録アルバム「Baffalo Soul」に救われた人もたくさんいるだろうから。でもそれは過去だけのことじゃない。今もそう。今でもフラッドのロックンロールに救われている人がたくさんいる。だからこそこの日はチケットが手に入らないくらいの状況になった。まぁいつも客席にいる人が同じというくらいに、自分も含めて一度救われたらもう他のものでは満たされなくなってしまっているのであるけれど。
すると亮介がギターを下ろした姿を見て、そういえばインディーズ時代の曲にはそうして亮介がハンドマイクで歌う曲はないんだよなと改めてメジャーデビュー以降にボーカリストとして覚醒したことを感じさせるのは「Sweet Home Battle Field」であり、この日はタンバリンを叩くことも客席に突入していくこともなかったのであるが、亮介がボーカリストとして覚醒したことを感じさせる曲でありながら、アウトロでさらに速く激しくなっていく演奏はバンドの覚醒をも感じさせる。それは特にさらに手数と力強さを増した渡邊のドラムに顕著だ。
ここまで、MC一切なし。インディーズ期のことを言葉で振り返るようなことをしないのも、フラッドがひたすらに前だけを見ているバンドであることを示すとともに、どうしても当時のことを振り返る=岡庭と石井という辞めていったメンバーのことをも振り返らないといけないからだ。でもフラッドはそうはしないのは、それぞれがそれぞれの生活をして今を生きていることをわかっていて、フラッドもまさに今を転がり続けて生きているからである。
なので
「来週新曲出て、ツアーもあるから」
とだけ言ったフラッドの最新形が、CDとしては翌週リリース、配信としては前日にリリースされたばかりの、ストレイテナーのホリエアツシプロデュースの「ゴールド・ディガーズ」であり、弾き語りで聴いた直後だからこそ、そのイントロからのハードロックさは面白くすら感じるのであるが、その弾き語りでホリエが思いっきり巻き舌で歌っていたように亮介もサビで巻き舌気味に歌ったりする。そんな姿を見ていたら、ここまでに数々の思い入れの強い曲たちを聴いてきた後であっても、この曲がこの日1番良かったと思った。それは曲最後に亮介が捲し立てまくるように歌うフレーズには15年前でも去年でもなく、今の亮介の心境がそのまま現れているからだ。つまり今のフラッドにとって1番リアルな曲であるということであり、そんな曲が1番良いのは必然でもある。歌詞にある
「3年後に武道館」
というフレーズも、実際にその瞬間が訪れた時にはそのリアルはその時の最新曲から最も感じられるようになっているはずだ。
そんなライブの最後に演奏されたのは、イントロから観客の合唱がコーラスとなって響く(音源にもライブで録音された観客のコーラスが使われている)「Beast Mode」で、もしかしたらコロナ禍を超えた今、フラッドの曲で1番本領を発揮できているのはこの曲なのかもしれないとも思った。それくらいにバンドと観客で一緒にライブを作っているという感覚がこの曲にはあるし、だからこそテツも最後のサビでは思いっきり叫ぶようにして、もはやコーラスというよりシャウトという感じになってしまうのだ。それは日本のロックシーンにおける最強のビーストがフラッドであるということを証明しているかのようですらあった。
亮介の友人と言っていい存在でもあるMARSBERG SUBWAY SYSTEMの古川貴之が、先週の対バンで
「フラッドに命を救われた」
と言っていた。きっと、自分もそうなのだ。だから15年間、どんなにバンドが変化してもフラッドのライブに来ることはやめなかった。むしろライブに行く本数=フラッドへの依存度は年々増している。その原点にあると言っていい、フラッドと出会ったきっかけになった曲たちは、今でもやっぱり僕らを救う愚かなるロックンロールだった。
1.ブラックバード
2.ガラパゴス
3.308
4.夜はけむり
5.象のブルース
6.泥水のメロディー
7.ロシナンテ
8.Red Dirt Boogie
9.SWIMMING SONG
10.世界は君のもの
11.ビスケット
encore
12.Diamond Rocks
13.エレクトリック・ストーン
14.Sweet Home Battle Field
15.ゴールド・ディガーズ
16.Beast Mode