SUPER BEAVER 「都会のラクダSP 〜真夏のフジQ 、ラクダにっぽんいち〜」 @富士急ハイランドコニファーフォレスト 7/23
- 2023/07/24
- 19:02
この土日に横浜の赤レンガ倉庫でMURO FESが開催されているが、そのMURO FESの2013年にトップバッターとして出演していたのが、インディーズに戻ったばかりのSUPER BEAVERだった。その時に初めてライブを見てから10年。そのフェスの規模をワンマンライブで上回る過去最大規模のワンマンがこの富士急ハイランドコニファーフォレストでの2daysであり、この日は2日目となる。
昨年、一昨年とこの会場でSATANIC CARNIVALが開催された時に来ているので、なんやかんや毎年来ているが、この日はフェスではなくてワンマンということもあって、ステージエリア外には物販などがある「ラクダランド」スペースや、飲食スペースにはメンバー考案メニューなどもあるというのはSUPER BEAVERのお祭りというような感じである。ただトイレが少なすぎてめちゃくちゃ並んでいるというのは今後この規模のライブをやる時には再考していただきたいところである。
そうした混雑具合も考慮してか、開演時間の17時30分を10分くらい過ぎたあたりで場内にはおなじみのSEが流れてメンバーが一人ずつ登場。藤原"35才"広明(ドラム)がビートを刻むと、髪が鮮やかな青色の上杉研太(ベース)、おなじみの金髪の柳沢亮太(ギター)が音を重ねていくことによってグルーヴとともに観客の期待をも高まらせる「→」をオープニングとして、この日もまるでモデルかのような長い金髪混じりの髪をかき上げるようにした渋谷龍太(ボーカル)が現れると、
「本当は 挫折なんて 知らないで済めば一番いい
本当は 悩みなんて 無いまま笑えりゃ一番いい
本当は 悲しみなんて 抱かずに済めば一番いい
本当は さよならなんて 言いたくもなくて泣いたんだ」
「でも転んでみて痛みを知った 悩みながら選択をした
涙目で訴えたのが 隠してきた本当なんだ」
という歌詞が、もう9年前にリリースしたアルバム収録曲であるにもかかわらず、まるで様々なストーリーを経てきたSUPER BEAVERの今そのものとして響くような「361°」を歌い始める。スクリーンにはメンバーの演奏する姿も映し出されるが、それとともにまさに361°を映し出すように客席の全景までもがドローンによって撮影されているというのが実にSUPER BEAVERらしい始まりを感じさせ、そんな今そのもののリアルとして響いているこの曲で渋谷はまさに
「富士急ハイランド!」
とこの場所を歌詞に入れ込むことによって、その今を歌うようなこの曲が今この瞬間でしかないものとして響く。それはビーバーがずっと同じことを歌い続けてきたからこそそう感じられるものである。
「お世話になります、SUPER BEAVERです」
と渋谷が挨拶した瞬間に柳沢がギターを鳴らし、観客が両手を挙げるのは「青い春」であるが、ここで早くも特効が炸裂しながら柳沢、上杉がステージ前左右の通路の1番端まで歩いて行き、その先で演奏すると渋谷はステージから伸びる花道の先を歩いて行って歌う。それは前回のアリーナツアーから新たに取り入れられたものであるが、こうした巨大な会場であっても物理的にもメンバーの距離をより近く感じられるものである。実際に柳沢も上杉も渋谷も端から後ろまで全ての人にしっかり目線を合わせるようにしたり手を振ったりしていたからこそ、観客はより大きな声でサビを大合唱し、ワルツ的なリズムに合わせて手拍子をして応えているのである。その音が本当に良く聞こえてくるのは、観客それぞれの思いが音として現れているからだろう。
上杉のうねりまくるベースのイントロの上に渋谷がおなじみの言葉をまくしたてるようにし、さらに柳沢がアルペジオを乗せる「予感」ではステージ上をカメラマンが動き回りながら撮影し、その姿がスクリーンに映ることによって臨場感を感じさせるし、渋谷が飛び跳ねるようにしながら歌い、メンバーとともに観客のコーラスも響く
「予感のする方へ 楽しい予感のする方へ」
というフレーズの通りに、その予感に導かれるようにしてここにいた2万人はこの場所まで来たんだろうなと思う。正解なんてあってないようなものだけど、それでもその選択だけは正解だと心から思えるのは、バンドがそう思わせてくれるようなパフォーマンスを展開しているからだ。
そんなこの日を
「ここが決してゴールではないけど、一つの到達点ではある。そこに俺たち全員で辿り着けたのが嬉しいですね。俺たちっていうのはメンバー4人だけじゃなくて、スタッフやライブを作ってくれる人もそうだし、何よりもあなたもその「俺たち」の中に入ってるっていうことだから」
と実に渋谷らしい表現で口にすると、その「らしい」がそのまま音楽に、曲になったかのような「らしさ」の
「だから 僕は僕らしく そして 君は君らしくって
始めから 探すような ものではないんだと思うんだ
僕は君じゃないし 君も僕じゃないから
すれ違う 手を繋ぐ そこには愛だって生まれる」
という歌詞もまたその渋谷の言葉通りの曲であり、「361°」と同じように9年前の曲でありながらもビーバーの思考や信念が全くブレていないと感じられる曲である。そんな曲を今聴くことによって、我々観客1人1人も違う人間であり、メンバーとも違う人間であることを実感する。そんな違う人を繋いでいるのがSUPER BEAVERの音楽であるということも。
すると上杉のモータウン的なベースの音とともにその上杉と柳沢が演奏しながら花道を突き進む(その姿をカメラマンが正面から捉えているのが素晴らしいと思う)のは「irony」であり、そのまま2人がマイクスタンドも花道の先に置いてコーラスもしながらそこで演奏するのであるが、何と間奏のソロの直前にギターの音が出なくなり、渋谷も咄嗟に
「ギターの音が出なくなったけど〜」
と歌詞を変えながら、柳沢にどうするのか聴くと、なんと柳沢はギターを弾かずに観客に向かって
「オイ!オイ!」
と声を上げて、観客の声とともにこのピンチを乗り越える。その間にスタッフが違うギターを持ってきて交換したことによって、途中からギターソロを弾けるようになり、上杉がステージに戻っても柳沢は花道で1人ギターを弾くギターヒーローになっていたのだが、その機転は本当に素晴らしいと思うし、それはこの後のMCで回収された通りに、メンバーだけではなくて観客も一緒に音楽を作っているというものであった。
そんなライブならではのアクシデントによって生まれた和やかな空気を一変させるように柳沢のちゃんと音が出るギターがイントロを鳴らす「名前を呼ぶよ」が、ビーバーの名前を世に知らしめた大ヒット映画のタイアップという曲でありながらも、
「愛しさ溢れる 時を超える
馬鹿みたいなことをもう一つ ねえ 今 楽しいな」
というフレーズが今この瞬間、ここにいた全ての人の感情そのものとして響き、
「名前を呼んでよ 会いに行くよ 命の意味だ 僕らの意味だ」
というフレーズが、こうしてビーバーが会いに来て、我々もビーバーに会いにこの場所まで来たことによってこの光景を見ることができているという実感となる。そういう意味では映画のテーマソングでありながらも、こうしたライブという瞬間におけるテーマソングでもある。ドローンが映す上空からの景色はもちろん、ステージの反対側にあるために普通には我々は見えない富士山がクッキリと見えてスクリーンに映し出されるのも実に美しい。ここからこんなに綺麗に富士山が見えるというのもこのバンドへの祝福であるかのようだ。
すると意外な選曲だと感じたのは、ロックバンドとしてのサウンドの激しさや強さというよりも歌をしっかりと聴かせるというような「自慢になりたい」だったのだが、この突き抜けるような青空と木々に囲まれた広大な野外の会場だからこそこの曲のスケールを実感させてくれる。それはビーバーはいつも観客1人1人の存在を「自慢だ」と言ってくれるが、観客1人1人からしてもこのバンドを好きになれたことが自慢だと思えるし、この日に至ってはこのライブを目の前で見れているということが最大の自慢だと思えるような。渋谷の歌声は少し枯れ気味であったのだが、それは前日の初日に翌日のことを全く考えないようなライブをやったことの証明であることがよくわかる。
するとメンバー3人が一旦ステージから捌け、渋谷が1人で花道の前に歩いていく。そこでこの日メンバーで作り上げた「ラクダランド」スペースの感想を問いかけ、フードで柳沢がかき氷をゴリ押ししたことを明かすのであるが、そこにはライブだけじゃなくて、ここまで来てくれたからにはこの日1日を最大限に楽しんで、最高の思い出にしてもらえるようにという思いが確かに滲んでいた。それはつまりそれすらもメンバーがやりたくてやっていることであるということだ。
そんな話の後には特別ゲストとしてキーボード奏者の井上薫を紹介すると、花道の先で自身の横で演奏してもらうという形で、渋谷のボーカルとキーボードのみというアレンジでの「人として」が演奏されたのだが、これが本当に実に素晴らしかった。元からメロディと歌詞の美しさによってバンドの中でも大事な存在になってきた曲であるが、その二つの要素が極限にまで感じられるものになっているというか。渋谷は以前は渋谷逆太朗という名義でソロで歌ったりしていたが、ソロと言いながらもその時にも柳沢がアコギを弾くという形で参加していた。それはその曲を最も活かすためにはどんな形で歌えばいいのかということを追求した形だと言えるが、この日の「人として」はその極みのようですらあった。この日のライブが映像化したなら何度でも見返したいと思うくらいに。
そんな特別バージョンの「人として」を終えて渋谷が長く細い足で歩きながらステージに戻ると、そこにはメンバー3人とともにその後ろにはZepp Shinjukuの柿落とし公演にも参加していたおなじみの美央ストリングスの面々が8人の大所帯でスタンバイしており、さらには井上もそのままステージに合流して演奏されたのはもちろん、音源でもそのストリングスとキーボードのサウンドが取り入れられていた「グラデーション」であるのだが、ロックバンドのサウンドにストリングスが入るとどうにもJ-POPのバラード的な方向に行きがちなことも多いのであるが、この曲は全くそうなっていないくらいにキーボードがメロディの力を、ストリングスがバンドサウンドの迫力をさらに押し上げるようなものになっている。映画のタイアップということ以上にその「曲そのもの」によってたくさんの人に聞かれるようになったとすら思うのであるが、2コーラス目の最初の
「じゃあどんなつもりだった?」
で渋谷が少し鼻で笑うような感じで歌っていたのは、結局世の中は変わらずに同じ悲劇を繰り返してしまうという出来事があったからなんだろうかとも思っていた。そうした選択をしてしまう人にこのバンドの音楽が届いたら少しは変えられるものがあったんだろうか、なんて思いながら。
そのままの大所帯編成を従えたままで渋谷が
「俺たちはいつか終わってしまう」
と、バンドがいずれどうしても終わりを迎えざるを得ないこと、人間の存在もそうして終わってしまうことが逃れることができない真実であることを口にしてから演奏されたのは、最新シングルにして「グラデーション」に繋がるタイアップであり、やはりその言葉がそのまま曲になったかのような「儚くない」。「グラデーション」よりもさらに井上のキーボードの音が前に出てメロディを彩るのであるが、
「儚いから美しいなんて
命には当てはまらなくていい
慣れないから美しいんだねって
笑いながら しぶとく 僕は 生きていたいよ
願わくば 一緒に」
というサビの歌詞に胸を打たれるのは、曲前に言っていたように、ビーバーがずっと「人はいつか必ず死んでしまう」ということを口にしてきたからだ。でもそれはできるならもっと先のことであって欲しいし、それに慣れたくない。この曲を聴いていると自分にとって大事な人や家族の顔が思い浮かぶのは、自分が確かにこの歌詞と同じ思いを抱いているということをわからせてくれるからである。
そんな特別でありながらも、この日にふさわしいとしか言えないコラボを見せてくれたキーボードとストリングス隊がステージから去ると、ここで渋谷以外の3人のMCに。実直なくらいに実直にこの日の感謝を口にした上杉、先程の「irony」でのギターが出なかった時に声を上げたことを、
「ライブだからっていう言い訳はしたくないけど、でもライブだから起きること」
と言いながらも
「助けてもらった」
と言うあたりがバンドの曲と歌詞を手がける存在としてビーバーの意志の根幹を感じさせる柳沢、そしてどこかテンションの高さで押し切ろうとする藤原と、この決して長くはないMCを聴くだけでバンドのメンバーそれぞれのキャラがよくわかるのであるが、渋谷は
「ライブハウスにこだわってるわけじゃない。現場至上主義であるだけ。だからライブハウスでもやるし、アリーナでもやるし、こうした野外でもやる。見てくれるあなたがいるならどこだって行く。でも俺は自分がライブを見に行く時に、頭を下げて「来てください」って言われたライブを見に行ったことは一回もない。ただ自分が見たいから、行きたいから行ってる。これからもあなたに「観に行きたい」「会いに行きたい」って思ってもらえるバンドであるように」
と、どれだけ巨大な存在になっても変わることのないスタンスを口にし、
「ここからはライブハウスです!」
と言うと、柳沢も上杉も左右に展開し、渋谷は花道を進んでイントロから観客のコーラスの大合唱を思いっきり煽る「秘密」へ。ライブでまだ観客が声を出せない時から(「東京」のツアーから)すでにこの曲はライブで解禁されていたが、こうして観客が声を出せるようになったことで本当に曲の力を最大限に発揮するようになったなと思う。渋谷は
「束になってかかってくるなよ!1人で来い!」
といつものように観客を煽るのであるが、そんな1人が重なっていくことによって、こうして2万人という数字になる。それが全てSUPER BEAVERを観に来た人たちでしかないからこそ、その大合唱が本当に大きな、美しいものとして響く。この日の客席は性別も年齢も出た立ちも本当にバラバラで(子供から年配の方までいた)、共通点は本当に「SUPER BEAVERの音楽が好きでここまで来ている」ということしかないというくらいであるが、逆にその共通点があるからこそ、こんなにも美しい合唱が響くんだよなと思う。それは声が大きいというだけではなくて、バンドからもらった思いをその声に込めて歌っているからだ。
それは柳沢が掻き鳴らすギターのサウンドを、やはりメンバー全員と観客の大合唱を聴くだけでタイトル通りのものが流れそうになる「嬉しい涙」へと繋がっていくのであるが、大切なのはそうして涙を流しそうになりながらも、誰もが笑顔で両手を挙げて歌っているということ。それは悲しみの涙とは正反対の、楽しくて嬉しくて仕方がないと溢れ出してくる感情が確かにあるということを感じさせてくれるのである。サビの後半で渋谷が言葉を詰め込むようにして歌う部分ではメンバーの演奏する音も姿もさらに激しさを増すというのは、メンバー自身もそうした思いを抱えているということだろう。
続け様に柳沢のイントロのギターが鳴るだけで大歓声が上がり、スクリーンにはスピード感溢れるような映像が映し出される「ひたむき」も、リリース当時はコロナ禍真っ只中で観客は歌うことが出来なかったコーラスパートで、今は両手を上げて歌うことができている。それはその日が必ずまたやってくるという願いを込めたものなんじゃないかということを思っていたら、最後のサビに入る前にいつもとは違う間が入り、何ごとかと思ったら爆発音が鳴り響いて火花がステージから噴き上がる。そんな演出もまたこの規模の野外ワンマンだからこそであるが、それは本当にタイトル通りにひたむきに音楽に、バンドに向かい続けてきた4人だからこそ、タイアップアニメのようにどんなことがあっても決して折れることのないヒーローのようにこのバンドが映る。というか本当にこのバンドを人生におけるヒーローのように思っている人もたくさんいるはずだ。
そんなことを思っていると、すっかり空は暗くなっており、実に涼しさを感じるような気温になってきている。そんな暗くなった時間帯になったからこそできる曲がこのバンドにはある。それはもちろん「東京流星群」であり、ステージに配置されたミラーボールがまさに流星群がステージに煌めくかのように光り輝くと、もちろんコーラスパートもサビでも大合唱が起こる。空には星は見えなかったけれど、ステージ反対側の夜空には三日月が浮かんでいる。そんな景色がまた実にロマンチックに感じるのであるが、その光景を見ていたらこの曲を初めて夜の野外で聴いた、2017年にお台場特設会場で開催された時のMURO FESでの大トリのライブを思い出す。まだ全く売れていなかった頃からずっと出演してきたあのフェスに最後に出演したあのライブで最後に演奏されたこの曲はあのフェスからの卒業を感じさせた。そんな記憶がフィードバックするくらいに、いろんな場所でこのバンドのライブを見てきたなと思う。
そうして観客の大合唱がこれでもかというくらいに響き渡りまくる曲の連打に次ぐ連打がまさにこの広大な会場をもライブハウスのようにしているのであるが、渋谷はそんな光景を目の当たりにしたからこそ、
「他所様はどうか知らないけど、これが音楽だって思いました。俺たち4人だけじゃなくて、あなたも一緒に音楽をやってくれている」
と、我々の合唱が単なる歌うというだけのものではなくて、バンドのライブを一緒に作っている要素の一つであるということを語る。それを聞くことによって音楽をやっていて、バンドをやっていて良かったという実感を得られているということも。ビーバーはもう完全に押しも押されぬくらいの存在になっているけれど、それでも音楽を鳴らす理由の根源にはこうした我々1人1人との感情の交歓というか果し合いのようなものがあるはずだ。自分たちの音楽がしっかり心の奥にまで届いていることをその声によって感じられているというような。
そんな我々1人1人への愛情を曲として歌うことによって、さらに深く強くその愛を感じさせてくれる「アイラヴユー」でももちろん観客側からも
「愛してる 愛してる」
の大合唱が起こるのであるが、それはバンド側からの愛情を受け取った我々がまたバンド側に愛を返しているかのような。と思っていたら渋谷がさらに声が涸れるのも厭わずに
「泣いて泣いて泣いて泣いて」
のフレーズで声を張り上げると、柳沢が目元を拭っていた。その直後にサビを思いっきり歌いながらギターを弾く姿がスクリーンにアップで映ると、泣いているようにしか見えなかった。渋谷の歌を1番近くで聴いている柳沢が泣いている。そんな光景が、
「あなた、SUPER BEAVERにめちゃくちゃ思われてますよ!」
という渋谷の言葉が我々の涙腺をも刺激する。決して特別なことを歌っているわけじゃないけれど、誰もがわかること、誰もが抱く感情を、ありったけの想いを込めて歌い鳴らすからこそ、我々1人1人の感情を刺激するのである。周りでも泣いている人がたくさんいたが、それが実によくわかるし、その姿を見るとこちらもより感情が溢れそうになってしまう。
そんな中で渋谷がステージ前の花道を進みながら、
「俺たちはあなたの日々や人生の肩代わりはできない!あなたにしか生きれない日常を明日からもあなたが気をつけて生きてください!」
と、我々の明日からの生活の背中を強く押してくれるように演奏された「ロマン」の
「それぞれに頑張って それぞれに頑張って
それぞれに頑張って また会おう」
というフレーズも
「一緒に頑張ろうは なんか違うと ずっと思っている
親愛なるあなたへ 心を込めて 頑張れ」
というフレーズもその言葉がそのまま歌詞になったようなもの。MCを口にする渋谷と歌詞を書く柳沢の意志が完全に合わさっていて(柳沢も渋谷のMCから歌詞を書くこともあると言っている)、メンバー全員の人間性が完璧に合わさっているからこそ歌うことができる歌詞。我々それぞれの仕事や学校をメンバーに代わってもらったり、直接的に助けてくれることもできない。だからこそ一緒にじゃなくて、それぞれに頑張る。その頑張った果てにこうした日がやってくる。だからこそこうした1日が、一瞬がより特別で尊いものとして感じられるし、それはこの特別なワンマンライブだからこそよりそう思えるのである。頑張っていればいつかまたこんな日が必ず来ると思えるというか。
そのライブの最後に演奏されたのは、歌い出しでありサビからメンバー全員が歌唱し、
「歌えるだろ!?」
と渋谷が観客に呼びかけるとほぼ全編で大合唱が起こり続けた「最前線」。ステージからは金テープも飛ぶというこの規模、この日ならではの演出もあったが、「ロマン」と続くことによって、それぞれがそれぞれの最前線を生きているということを強く感じさせてくれるこの曲はライブの大団円的な雰囲気に実にふさわしい曲である。そんな曲であるだけに、
もう自分の隣の席や前の席の女性はずっと泣いていた。いや、ステージもうちょっと見た方が…っていうくらいに顔をタオルで覆って泣いていた。でもそれも実によくわかる。音楽が響くか響かないかは、そこに感情がこもっているかどうか。どんなに聴き手を鼓舞するようなメッセージを歌っていても、そこに感情がこもっていなかったら何も感じない。ただ耳触りが良い言葉がスルッと流れていくだけだ。でもビーバーは全く違う。そのメッセージに自分たちがこめられる感情を全て込めて歌い、鳴らしている。それは遠回りと思われるような、挫折して終わってもおかしくないような道を歩いてきた中で4人が「何を大事にして音楽をやっていくべきか?」ということに向き合ってきたことによって掴んだものだ。そんなこれまでの経験も含めて全てがバンドの音楽になっていて、感情が宿っている。それが100%伝わるからこそ、こんなに聴き手の感情が揺さぶられて泣いてしまう。それはどんなに規模が大きく、人数が増えても全く変わることがないこのバンドの純度。過去最大規模のワンマンで曲が終わるまで途絶えることなく続いたこの曲の合唱はそんなことを思わせてくれたのだった。これからも、バンドも我々それぞれも、それぞれにとっての最前線を行く。
アンコールを待つ観客の前にスクリーンにはバンドのこれまでの歩みと言えるような映像(さすがにメイクを施すようになる前の渋谷は今見ると若いというか幼いとすら思う)が流れると、それは2018年の初めての日本武道館ワンマンのところで止まり、その時のステージ裏のメンバーの様子が映し出されている。ここまで武道館がフィーチャーされるということは…という期待に応えるかのように、2月に6年ぶりの日本武道館ワンマン、しかも3daysが開催されることが発表され、観客は全員我が事のような歓喜の声を上げる中でメンバーが再びステージに現れると、渋谷は髪を結いており、それがまた独特の色気を醸し出す中で武道館について触れながら歌い始めたのはライブでは久しぶりに聴くように感じられる「ありがとう」。
「ありがとう
見つけてくれて ありがとう
受け止めてくれて ありがとう
愛してくれて ありがとう
ありがとう
憶えててくれて ありがとう
受け入れてくれて ありがとう
大切をくれて ありがとう」
というフレーズも、今ここまで来たバンドが歌うからこそ、これまで以上に、というか過去最大に実感を持って響く。それはやはり上杉も藤原も顔をくしゃくしゃにしながら、思いっきり感情を込めて歌っているからであり、
「「あなたに会えてよかった」なんて
どうでもいいほど 当たり前でさ
だけどね 言わなきゃね 死んじゃうから僕らは」
というフレーズが「儚くない」の歌詞やその前に発された渋谷の言葉とリンクするように響く。それはやはりビーバーが今に至るまでずっと変わらずに、でもその言葉や曲の純度を高めながらここまで来たという証明だ。綺麗事に聞こえそうな言葉や歌詞も、自分たちの本心にありったけの人間の感情を込めればそれは真実になるということをこの曲はいつも感じさせてくれるし、あまりにそれが感じられ過ぎて、周りの観客たちがずっと泣いていた。その姿を見てこっちまで目が潤んでしまうほどに。それくらいにこの曲のメッセージはここにいた人の心の奥底にまでしっかり響いている。
「もう1曲やっていいですか!」
と、そんな超がつくくらいのハイライトを経てもなお渋谷が口にして最後に演奏されたのは、ここまでダラダラと書いてきた自分なんぞのレポを
「「綺麗ごと」と理想を蹴るのは 守る自信がないから
綺麗なことすら言えないなら 何も守れないだろう」
という2行で完璧に言い表してしまう「愛する」。
「あなたが愛する全てを 愛する」
とまで堂々と(という形容が本当に似合うくらいに渋谷は声は少し涸れながらもしっかりとステージ中央に立って歌っていた)歌えるくらいに、ビーバーは目の前にいるあなたを心から信頼している。そんなあなたが愛してくれるからこそ、こうして今までにやったことがないことにも挑戦して、それを来てくれた人誰もが喜んでくれるものにできている。この曲で起きた本当に久しぶりの合唱にして、過去最大のこの曲での合唱は、まるでこの瞬間のために生まれた曲であるかのようだった。
演奏が終わるとメンバー4人がステージ前に並んで観客に一礼したかと思ったら、さすがにそれだけではこの日は終わらずに、
「普段やらないことやっていいですか!」
と言って花道の先まで4人で進んでいき、その先端で改めて観客への感謝を告げる。その後に上がった花火は今年自分がリアルで目にした最初の花火であり、それが本当に美しいものに思えたのはやはりその花火がこの日を祝福しているようなものだったからだ。最大規模のワンマン、過去最大の観客(WOWOW生視聴組も含めたら何人になるのだろうか)の想いがあらゆる感情やエネルギーを増幅させた、それらすべてを含めて、やはりこの日は過去最高に、美しい日だった。
最近、AIが音楽を作れるようになるというような記事を読んだ。確かに曲としては良いものになるかもしれないけれど、心が震えるようなものになるかまではわからない。そこに感情がこもっていないものに感動するとは自分は思えないから。
それはSUPER BEAVERのようなバンドのライブを見ているとよりそう思う。最短距離じゃないかもしれないし、効率的かつ器用かといえば決してそんなことはない。でも誰よりも人間らしさ、このメンバーらしさや思考がそのまま音楽になっているこのバンドの音楽やライブにこそ、感動させられて心が震わされてきたのだから。そんなバンドは絶対にAIに取って代わられることはない。
「ライブハウスでもアリーナでも野外でも対バンでもフェスでも、その日にしかない特別なものをと思っていつもオンステージしている」
そんなバンドと会える機会は夏フェス、そして来年の武道館やアリーナなどまだまだ続く。それは我々にとっての美しい日がまだまだ続くということ。それぞれに頑張って、またいろんなところでたくさん会おう。
1.→
2.361°
3.青い春
4.予感
5.美しい日
6.らしさ
7.irony
8.名前を呼ぶよ
9.自慢になりたい
10.人として
11.グラデーション
12.儚くない
13.秘密
14.嬉しい涙
15.ひたむき
16.東京流星群
17.アイラヴユー
18.ロマン
19.最前線
encore
20.ありがとう
21.愛する
昨年、一昨年とこの会場でSATANIC CARNIVALが開催された時に来ているので、なんやかんや毎年来ているが、この日はフェスではなくてワンマンということもあって、ステージエリア外には物販などがある「ラクダランド」スペースや、飲食スペースにはメンバー考案メニューなどもあるというのはSUPER BEAVERのお祭りというような感じである。ただトイレが少なすぎてめちゃくちゃ並んでいるというのは今後この規模のライブをやる時には再考していただきたいところである。
そうした混雑具合も考慮してか、開演時間の17時30分を10分くらい過ぎたあたりで場内にはおなじみのSEが流れてメンバーが一人ずつ登場。藤原"35才"広明(ドラム)がビートを刻むと、髪が鮮やかな青色の上杉研太(ベース)、おなじみの金髪の柳沢亮太(ギター)が音を重ねていくことによってグルーヴとともに観客の期待をも高まらせる「→」をオープニングとして、この日もまるでモデルかのような長い金髪混じりの髪をかき上げるようにした渋谷龍太(ボーカル)が現れると、
「本当は 挫折なんて 知らないで済めば一番いい
本当は 悩みなんて 無いまま笑えりゃ一番いい
本当は 悲しみなんて 抱かずに済めば一番いい
本当は さよならなんて 言いたくもなくて泣いたんだ」
「でも転んでみて痛みを知った 悩みながら選択をした
涙目で訴えたのが 隠してきた本当なんだ」
という歌詞が、もう9年前にリリースしたアルバム収録曲であるにもかかわらず、まるで様々なストーリーを経てきたSUPER BEAVERの今そのものとして響くような「361°」を歌い始める。スクリーンにはメンバーの演奏する姿も映し出されるが、それとともにまさに361°を映し出すように客席の全景までもがドローンによって撮影されているというのが実にSUPER BEAVERらしい始まりを感じさせ、そんな今そのもののリアルとして響いているこの曲で渋谷はまさに
「富士急ハイランド!」
とこの場所を歌詞に入れ込むことによって、その今を歌うようなこの曲が今この瞬間でしかないものとして響く。それはビーバーがずっと同じことを歌い続けてきたからこそそう感じられるものである。
「お世話になります、SUPER BEAVERです」
と渋谷が挨拶した瞬間に柳沢がギターを鳴らし、観客が両手を挙げるのは「青い春」であるが、ここで早くも特効が炸裂しながら柳沢、上杉がステージ前左右の通路の1番端まで歩いて行き、その先で演奏すると渋谷はステージから伸びる花道の先を歩いて行って歌う。それは前回のアリーナツアーから新たに取り入れられたものであるが、こうした巨大な会場であっても物理的にもメンバーの距離をより近く感じられるものである。実際に柳沢も上杉も渋谷も端から後ろまで全ての人にしっかり目線を合わせるようにしたり手を振ったりしていたからこそ、観客はより大きな声でサビを大合唱し、ワルツ的なリズムに合わせて手拍子をして応えているのである。その音が本当に良く聞こえてくるのは、観客それぞれの思いが音として現れているからだろう。
上杉のうねりまくるベースのイントロの上に渋谷がおなじみの言葉をまくしたてるようにし、さらに柳沢がアルペジオを乗せる「予感」ではステージ上をカメラマンが動き回りながら撮影し、その姿がスクリーンに映ることによって臨場感を感じさせるし、渋谷が飛び跳ねるようにしながら歌い、メンバーとともに観客のコーラスも響く
「予感のする方へ 楽しい予感のする方へ」
というフレーズの通りに、その予感に導かれるようにしてここにいた2万人はこの場所まで来たんだろうなと思う。正解なんてあってないようなものだけど、それでもその選択だけは正解だと心から思えるのは、バンドがそう思わせてくれるようなパフォーマンスを展開しているからだ。
そんなこの日を
「ここが決してゴールではないけど、一つの到達点ではある。そこに俺たち全員で辿り着けたのが嬉しいですね。俺たちっていうのはメンバー4人だけじゃなくて、スタッフやライブを作ってくれる人もそうだし、何よりもあなたもその「俺たち」の中に入ってるっていうことだから」
と実に渋谷らしい表現で口にすると、その「らしい」がそのまま音楽に、曲になったかのような「らしさ」の
「だから 僕は僕らしく そして 君は君らしくって
始めから 探すような ものではないんだと思うんだ
僕は君じゃないし 君も僕じゃないから
すれ違う 手を繋ぐ そこには愛だって生まれる」
という歌詞もまたその渋谷の言葉通りの曲であり、「361°」と同じように9年前の曲でありながらもビーバーの思考や信念が全くブレていないと感じられる曲である。そんな曲を今聴くことによって、我々観客1人1人も違う人間であり、メンバーとも違う人間であることを実感する。そんな違う人を繋いでいるのがSUPER BEAVERの音楽であるということも。
すると上杉のモータウン的なベースの音とともにその上杉と柳沢が演奏しながら花道を突き進む(その姿をカメラマンが正面から捉えているのが素晴らしいと思う)のは「irony」であり、そのまま2人がマイクスタンドも花道の先に置いてコーラスもしながらそこで演奏するのであるが、何と間奏のソロの直前にギターの音が出なくなり、渋谷も咄嗟に
「ギターの音が出なくなったけど〜」
と歌詞を変えながら、柳沢にどうするのか聴くと、なんと柳沢はギターを弾かずに観客に向かって
「オイ!オイ!」
と声を上げて、観客の声とともにこのピンチを乗り越える。その間にスタッフが違うギターを持ってきて交換したことによって、途中からギターソロを弾けるようになり、上杉がステージに戻っても柳沢は花道で1人ギターを弾くギターヒーローになっていたのだが、その機転は本当に素晴らしいと思うし、それはこの後のMCで回収された通りに、メンバーだけではなくて観客も一緒に音楽を作っているというものであった。
そんなライブならではのアクシデントによって生まれた和やかな空気を一変させるように柳沢のちゃんと音が出るギターがイントロを鳴らす「名前を呼ぶよ」が、ビーバーの名前を世に知らしめた大ヒット映画のタイアップという曲でありながらも、
「愛しさ溢れる 時を超える
馬鹿みたいなことをもう一つ ねえ 今 楽しいな」
というフレーズが今この瞬間、ここにいた全ての人の感情そのものとして響き、
「名前を呼んでよ 会いに行くよ 命の意味だ 僕らの意味だ」
というフレーズが、こうしてビーバーが会いに来て、我々もビーバーに会いにこの場所まで来たことによってこの光景を見ることができているという実感となる。そういう意味では映画のテーマソングでありながらも、こうしたライブという瞬間におけるテーマソングでもある。ドローンが映す上空からの景色はもちろん、ステージの反対側にあるために普通には我々は見えない富士山がクッキリと見えてスクリーンに映し出されるのも実に美しい。ここからこんなに綺麗に富士山が見えるというのもこのバンドへの祝福であるかのようだ。
すると意外な選曲だと感じたのは、ロックバンドとしてのサウンドの激しさや強さというよりも歌をしっかりと聴かせるというような「自慢になりたい」だったのだが、この突き抜けるような青空と木々に囲まれた広大な野外の会場だからこそこの曲のスケールを実感させてくれる。それはビーバーはいつも観客1人1人の存在を「自慢だ」と言ってくれるが、観客1人1人からしてもこのバンドを好きになれたことが自慢だと思えるし、この日に至ってはこのライブを目の前で見れているということが最大の自慢だと思えるような。渋谷の歌声は少し枯れ気味であったのだが、それは前日の初日に翌日のことを全く考えないようなライブをやったことの証明であることがよくわかる。
するとメンバー3人が一旦ステージから捌け、渋谷が1人で花道の前に歩いていく。そこでこの日メンバーで作り上げた「ラクダランド」スペースの感想を問いかけ、フードで柳沢がかき氷をゴリ押ししたことを明かすのであるが、そこにはライブだけじゃなくて、ここまで来てくれたからにはこの日1日を最大限に楽しんで、最高の思い出にしてもらえるようにという思いが確かに滲んでいた。それはつまりそれすらもメンバーがやりたくてやっていることであるということだ。
そんな話の後には特別ゲストとしてキーボード奏者の井上薫を紹介すると、花道の先で自身の横で演奏してもらうという形で、渋谷のボーカルとキーボードのみというアレンジでの「人として」が演奏されたのだが、これが本当に実に素晴らしかった。元からメロディと歌詞の美しさによってバンドの中でも大事な存在になってきた曲であるが、その二つの要素が極限にまで感じられるものになっているというか。渋谷は以前は渋谷逆太朗という名義でソロで歌ったりしていたが、ソロと言いながらもその時にも柳沢がアコギを弾くという形で参加していた。それはその曲を最も活かすためにはどんな形で歌えばいいのかということを追求した形だと言えるが、この日の「人として」はその極みのようですらあった。この日のライブが映像化したなら何度でも見返したいと思うくらいに。
そんな特別バージョンの「人として」を終えて渋谷が長く細い足で歩きながらステージに戻ると、そこにはメンバー3人とともにその後ろにはZepp Shinjukuの柿落とし公演にも参加していたおなじみの美央ストリングスの面々が8人の大所帯でスタンバイしており、さらには井上もそのままステージに合流して演奏されたのはもちろん、音源でもそのストリングスとキーボードのサウンドが取り入れられていた「グラデーション」であるのだが、ロックバンドのサウンドにストリングスが入るとどうにもJ-POPのバラード的な方向に行きがちなことも多いのであるが、この曲は全くそうなっていないくらいにキーボードがメロディの力を、ストリングスがバンドサウンドの迫力をさらに押し上げるようなものになっている。映画のタイアップということ以上にその「曲そのもの」によってたくさんの人に聞かれるようになったとすら思うのであるが、2コーラス目の最初の
「じゃあどんなつもりだった?」
で渋谷が少し鼻で笑うような感じで歌っていたのは、結局世の中は変わらずに同じ悲劇を繰り返してしまうという出来事があったからなんだろうかとも思っていた。そうした選択をしてしまう人にこのバンドの音楽が届いたら少しは変えられるものがあったんだろうか、なんて思いながら。
そのままの大所帯編成を従えたままで渋谷が
「俺たちはいつか終わってしまう」
と、バンドがいずれどうしても終わりを迎えざるを得ないこと、人間の存在もそうして終わってしまうことが逃れることができない真実であることを口にしてから演奏されたのは、最新シングルにして「グラデーション」に繋がるタイアップであり、やはりその言葉がそのまま曲になったかのような「儚くない」。「グラデーション」よりもさらに井上のキーボードの音が前に出てメロディを彩るのであるが、
「儚いから美しいなんて
命には当てはまらなくていい
慣れないから美しいんだねって
笑いながら しぶとく 僕は 生きていたいよ
願わくば 一緒に」
というサビの歌詞に胸を打たれるのは、曲前に言っていたように、ビーバーがずっと「人はいつか必ず死んでしまう」ということを口にしてきたからだ。でもそれはできるならもっと先のことであって欲しいし、それに慣れたくない。この曲を聴いていると自分にとって大事な人や家族の顔が思い浮かぶのは、自分が確かにこの歌詞と同じ思いを抱いているということをわからせてくれるからである。
そんな特別でありながらも、この日にふさわしいとしか言えないコラボを見せてくれたキーボードとストリングス隊がステージから去ると、ここで渋谷以外の3人のMCに。実直なくらいに実直にこの日の感謝を口にした上杉、先程の「irony」でのギターが出なかった時に声を上げたことを、
「ライブだからっていう言い訳はしたくないけど、でもライブだから起きること」
と言いながらも
「助けてもらった」
と言うあたりがバンドの曲と歌詞を手がける存在としてビーバーの意志の根幹を感じさせる柳沢、そしてどこかテンションの高さで押し切ろうとする藤原と、この決して長くはないMCを聴くだけでバンドのメンバーそれぞれのキャラがよくわかるのであるが、渋谷は
「ライブハウスにこだわってるわけじゃない。現場至上主義であるだけ。だからライブハウスでもやるし、アリーナでもやるし、こうした野外でもやる。見てくれるあなたがいるならどこだって行く。でも俺は自分がライブを見に行く時に、頭を下げて「来てください」って言われたライブを見に行ったことは一回もない。ただ自分が見たいから、行きたいから行ってる。これからもあなたに「観に行きたい」「会いに行きたい」って思ってもらえるバンドであるように」
と、どれだけ巨大な存在になっても変わることのないスタンスを口にし、
「ここからはライブハウスです!」
と言うと、柳沢も上杉も左右に展開し、渋谷は花道を進んでイントロから観客のコーラスの大合唱を思いっきり煽る「秘密」へ。ライブでまだ観客が声を出せない時から(「東京」のツアーから)すでにこの曲はライブで解禁されていたが、こうして観客が声を出せるようになったことで本当に曲の力を最大限に発揮するようになったなと思う。渋谷は
「束になってかかってくるなよ!1人で来い!」
といつものように観客を煽るのであるが、そんな1人が重なっていくことによって、こうして2万人という数字になる。それが全てSUPER BEAVERを観に来た人たちでしかないからこそ、その大合唱が本当に大きな、美しいものとして響く。この日の客席は性別も年齢も出た立ちも本当にバラバラで(子供から年配の方までいた)、共通点は本当に「SUPER BEAVERの音楽が好きでここまで来ている」ということしかないというくらいであるが、逆にその共通点があるからこそ、こんなにも美しい合唱が響くんだよなと思う。それは声が大きいというだけではなくて、バンドからもらった思いをその声に込めて歌っているからだ。
それは柳沢が掻き鳴らすギターのサウンドを、やはりメンバー全員と観客の大合唱を聴くだけでタイトル通りのものが流れそうになる「嬉しい涙」へと繋がっていくのであるが、大切なのはそうして涙を流しそうになりながらも、誰もが笑顔で両手を挙げて歌っているということ。それは悲しみの涙とは正反対の、楽しくて嬉しくて仕方がないと溢れ出してくる感情が確かにあるということを感じさせてくれるのである。サビの後半で渋谷が言葉を詰め込むようにして歌う部分ではメンバーの演奏する音も姿もさらに激しさを増すというのは、メンバー自身もそうした思いを抱えているということだろう。
続け様に柳沢のイントロのギターが鳴るだけで大歓声が上がり、スクリーンにはスピード感溢れるような映像が映し出される「ひたむき」も、リリース当時はコロナ禍真っ只中で観客は歌うことが出来なかったコーラスパートで、今は両手を上げて歌うことができている。それはその日が必ずまたやってくるという願いを込めたものなんじゃないかということを思っていたら、最後のサビに入る前にいつもとは違う間が入り、何ごとかと思ったら爆発音が鳴り響いて火花がステージから噴き上がる。そんな演出もまたこの規模の野外ワンマンだからこそであるが、それは本当にタイトル通りにひたむきに音楽に、バンドに向かい続けてきた4人だからこそ、タイアップアニメのようにどんなことがあっても決して折れることのないヒーローのようにこのバンドが映る。というか本当にこのバンドを人生におけるヒーローのように思っている人もたくさんいるはずだ。
そんなことを思っていると、すっかり空は暗くなっており、実に涼しさを感じるような気温になってきている。そんな暗くなった時間帯になったからこそできる曲がこのバンドにはある。それはもちろん「東京流星群」であり、ステージに配置されたミラーボールがまさに流星群がステージに煌めくかのように光り輝くと、もちろんコーラスパートもサビでも大合唱が起こる。空には星は見えなかったけれど、ステージ反対側の夜空には三日月が浮かんでいる。そんな景色がまた実にロマンチックに感じるのであるが、その光景を見ていたらこの曲を初めて夜の野外で聴いた、2017年にお台場特設会場で開催された時のMURO FESでの大トリのライブを思い出す。まだ全く売れていなかった頃からずっと出演してきたあのフェスに最後に出演したあのライブで最後に演奏されたこの曲はあのフェスからの卒業を感じさせた。そんな記憶がフィードバックするくらいに、いろんな場所でこのバンドのライブを見てきたなと思う。
そうして観客の大合唱がこれでもかというくらいに響き渡りまくる曲の連打に次ぐ連打がまさにこの広大な会場をもライブハウスのようにしているのであるが、渋谷はそんな光景を目の当たりにしたからこそ、
「他所様はどうか知らないけど、これが音楽だって思いました。俺たち4人だけじゃなくて、あなたも一緒に音楽をやってくれている」
と、我々の合唱が単なる歌うというだけのものではなくて、バンドのライブを一緒に作っている要素の一つであるということを語る。それを聞くことによって音楽をやっていて、バンドをやっていて良かったという実感を得られているということも。ビーバーはもう完全に押しも押されぬくらいの存在になっているけれど、それでも音楽を鳴らす理由の根源にはこうした我々1人1人との感情の交歓というか果し合いのようなものがあるはずだ。自分たちの音楽がしっかり心の奥にまで届いていることをその声によって感じられているというような。
そんな我々1人1人への愛情を曲として歌うことによって、さらに深く強くその愛を感じさせてくれる「アイラヴユー」でももちろん観客側からも
「愛してる 愛してる」
の大合唱が起こるのであるが、それはバンド側からの愛情を受け取った我々がまたバンド側に愛を返しているかのような。と思っていたら渋谷がさらに声が涸れるのも厭わずに
「泣いて泣いて泣いて泣いて」
のフレーズで声を張り上げると、柳沢が目元を拭っていた。その直後にサビを思いっきり歌いながらギターを弾く姿がスクリーンにアップで映ると、泣いているようにしか見えなかった。渋谷の歌を1番近くで聴いている柳沢が泣いている。そんな光景が、
「あなた、SUPER BEAVERにめちゃくちゃ思われてますよ!」
という渋谷の言葉が我々の涙腺をも刺激する。決して特別なことを歌っているわけじゃないけれど、誰もがわかること、誰もが抱く感情を、ありったけの想いを込めて歌い鳴らすからこそ、我々1人1人の感情を刺激するのである。周りでも泣いている人がたくさんいたが、それが実によくわかるし、その姿を見るとこちらもより感情が溢れそうになってしまう。
そんな中で渋谷がステージ前の花道を進みながら、
「俺たちはあなたの日々や人生の肩代わりはできない!あなたにしか生きれない日常を明日からもあなたが気をつけて生きてください!」
と、我々の明日からの生活の背中を強く押してくれるように演奏された「ロマン」の
「それぞれに頑張って それぞれに頑張って
それぞれに頑張って また会おう」
というフレーズも
「一緒に頑張ろうは なんか違うと ずっと思っている
親愛なるあなたへ 心を込めて 頑張れ」
というフレーズもその言葉がそのまま歌詞になったようなもの。MCを口にする渋谷と歌詞を書く柳沢の意志が完全に合わさっていて(柳沢も渋谷のMCから歌詞を書くこともあると言っている)、メンバー全員の人間性が完璧に合わさっているからこそ歌うことができる歌詞。我々それぞれの仕事や学校をメンバーに代わってもらったり、直接的に助けてくれることもできない。だからこそ一緒にじゃなくて、それぞれに頑張る。その頑張った果てにこうした日がやってくる。だからこそこうした1日が、一瞬がより特別で尊いものとして感じられるし、それはこの特別なワンマンライブだからこそよりそう思えるのである。頑張っていればいつかまたこんな日が必ず来ると思えるというか。
そのライブの最後に演奏されたのは、歌い出しでありサビからメンバー全員が歌唱し、
「歌えるだろ!?」
と渋谷が観客に呼びかけるとほぼ全編で大合唱が起こり続けた「最前線」。ステージからは金テープも飛ぶというこの規模、この日ならではの演出もあったが、「ロマン」と続くことによって、それぞれがそれぞれの最前線を生きているということを強く感じさせてくれるこの曲はライブの大団円的な雰囲気に実にふさわしい曲である。そんな曲であるだけに、
もう自分の隣の席や前の席の女性はずっと泣いていた。いや、ステージもうちょっと見た方が…っていうくらいに顔をタオルで覆って泣いていた。でもそれも実によくわかる。音楽が響くか響かないかは、そこに感情がこもっているかどうか。どんなに聴き手を鼓舞するようなメッセージを歌っていても、そこに感情がこもっていなかったら何も感じない。ただ耳触りが良い言葉がスルッと流れていくだけだ。でもビーバーは全く違う。そのメッセージに自分たちがこめられる感情を全て込めて歌い、鳴らしている。それは遠回りと思われるような、挫折して終わってもおかしくないような道を歩いてきた中で4人が「何を大事にして音楽をやっていくべきか?」ということに向き合ってきたことによって掴んだものだ。そんなこれまでの経験も含めて全てがバンドの音楽になっていて、感情が宿っている。それが100%伝わるからこそ、こんなに聴き手の感情が揺さぶられて泣いてしまう。それはどんなに規模が大きく、人数が増えても全く変わることがないこのバンドの純度。過去最大規模のワンマンで曲が終わるまで途絶えることなく続いたこの曲の合唱はそんなことを思わせてくれたのだった。これからも、バンドも我々それぞれも、それぞれにとっての最前線を行く。
アンコールを待つ観客の前にスクリーンにはバンドのこれまでの歩みと言えるような映像(さすがにメイクを施すようになる前の渋谷は今見ると若いというか幼いとすら思う)が流れると、それは2018年の初めての日本武道館ワンマンのところで止まり、その時のステージ裏のメンバーの様子が映し出されている。ここまで武道館がフィーチャーされるということは…という期待に応えるかのように、2月に6年ぶりの日本武道館ワンマン、しかも3daysが開催されることが発表され、観客は全員我が事のような歓喜の声を上げる中でメンバーが再びステージに現れると、渋谷は髪を結いており、それがまた独特の色気を醸し出す中で武道館について触れながら歌い始めたのはライブでは久しぶりに聴くように感じられる「ありがとう」。
「ありがとう
見つけてくれて ありがとう
受け止めてくれて ありがとう
愛してくれて ありがとう
ありがとう
憶えててくれて ありがとう
受け入れてくれて ありがとう
大切をくれて ありがとう」
というフレーズも、今ここまで来たバンドが歌うからこそ、これまで以上に、というか過去最大に実感を持って響く。それはやはり上杉も藤原も顔をくしゃくしゃにしながら、思いっきり感情を込めて歌っているからであり、
「「あなたに会えてよかった」なんて
どうでもいいほど 当たり前でさ
だけどね 言わなきゃね 死んじゃうから僕らは」
というフレーズが「儚くない」の歌詞やその前に発された渋谷の言葉とリンクするように響く。それはやはりビーバーが今に至るまでずっと変わらずに、でもその言葉や曲の純度を高めながらここまで来たという証明だ。綺麗事に聞こえそうな言葉や歌詞も、自分たちの本心にありったけの人間の感情を込めればそれは真実になるということをこの曲はいつも感じさせてくれるし、あまりにそれが感じられ過ぎて、周りの観客たちがずっと泣いていた。その姿を見てこっちまで目が潤んでしまうほどに。それくらいにこの曲のメッセージはここにいた人の心の奥底にまでしっかり響いている。
「もう1曲やっていいですか!」
と、そんな超がつくくらいのハイライトを経てもなお渋谷が口にして最後に演奏されたのは、ここまでダラダラと書いてきた自分なんぞのレポを
「「綺麗ごと」と理想を蹴るのは 守る自信がないから
綺麗なことすら言えないなら 何も守れないだろう」
という2行で完璧に言い表してしまう「愛する」。
「あなたが愛する全てを 愛する」
とまで堂々と(という形容が本当に似合うくらいに渋谷は声は少し涸れながらもしっかりとステージ中央に立って歌っていた)歌えるくらいに、ビーバーは目の前にいるあなたを心から信頼している。そんなあなたが愛してくれるからこそ、こうして今までにやったことがないことにも挑戦して、それを来てくれた人誰もが喜んでくれるものにできている。この曲で起きた本当に久しぶりの合唱にして、過去最大のこの曲での合唱は、まるでこの瞬間のために生まれた曲であるかのようだった。
演奏が終わるとメンバー4人がステージ前に並んで観客に一礼したかと思ったら、さすがにそれだけではこの日は終わらずに、
「普段やらないことやっていいですか!」
と言って花道の先まで4人で進んでいき、その先端で改めて観客への感謝を告げる。その後に上がった花火は今年自分がリアルで目にした最初の花火であり、それが本当に美しいものに思えたのはやはりその花火がこの日を祝福しているようなものだったからだ。最大規模のワンマン、過去最大の観客(WOWOW生視聴組も含めたら何人になるのだろうか)の想いがあらゆる感情やエネルギーを増幅させた、それらすべてを含めて、やはりこの日は過去最高に、美しい日だった。
最近、AIが音楽を作れるようになるというような記事を読んだ。確かに曲としては良いものになるかもしれないけれど、心が震えるようなものになるかまではわからない。そこに感情がこもっていないものに感動するとは自分は思えないから。
それはSUPER BEAVERのようなバンドのライブを見ているとよりそう思う。最短距離じゃないかもしれないし、効率的かつ器用かといえば決してそんなことはない。でも誰よりも人間らしさ、このメンバーらしさや思考がそのまま音楽になっているこのバンドの音楽やライブにこそ、感動させられて心が震わされてきたのだから。そんなバンドは絶対にAIに取って代わられることはない。
「ライブハウスでもアリーナでも野外でも対バンでもフェスでも、その日にしかない特別なものをと思っていつもオンステージしている」
そんなバンドと会える機会は夏フェス、そして来年の武道館やアリーナなどまだまだ続く。それは我々にとっての美しい日がまだまだ続くということ。それぞれに頑張って、またいろんなところでたくさん会おう。
1.→
2.361°
3.青い春
4.予感
5.美しい日
6.らしさ
7.irony
8.名前を呼ぶよ
9.自慢になりたい
10.人として
11.グラデーション
12.儚くない
13.秘密
14.嬉しい涙
15.ひたむき
16.東京流星群
17.アイラヴユー
18.ロマン
19.最前線
encore
20.ありがとう
21.愛する
ACIDMAN 2nd ALBUM Loop 再現 Tour "re:Loop" @Zepp Haneda 7/25 ホーム
Base Ball Bear 「祝・日比谷野音100周年 日比谷ノンフィクションX」 @日比谷野外大音楽堂 7/22