ハルカミライ 「ヨーロー劇場2023 -YAEN 11号-」 @J:COMホール八王子 7/21
- 2023/07/22
- 01:38
昨年のこの時期に続いての八王子。この街に来る理由も昨年と同じ。この街をホームとするハルカミライのワンマンが八王子駅からほど近いJ:COMホール八王子で行われるからである。昨年に続いてこの街でハルカミライのワンマンを見ることができるのが本当に嬉しい。
J:COMホールの座席に着くと、ステージにはおなじみのバンドのフラッグも聳えているが、ステージ背面が剥き出しで機材が無造作に並んでいるというラフさは今あえてこのホールという会場でハルカミライがライブをやる意味を感じさせるものである。
平日にも関わらず早めの18時過ぎという開演時間はむしろ帰りの時間を気にしないでライブを見ることができるようにという配慮であると思われるが、そんな18時を少しすぎたあたりでおなじみの「喝さい」などの曲が流れる中で、暗転することなく関大地(ギター)、須藤俊(ベース)、小松謙太(ドラム)の3人がステージに登場すると、橋本学(ボーカル)もおなじみの巨大フラッグを持ってステージに現れて「君にしか」でスタートし、橋本が飛び跳ねるようにして歌いながらメンバーと観客の大合唱が響くというのはいつも通りのオープニングであるし、そのまま「カントリーロード」に繋がるというのも鉄板の流れと言えるが、間奏では橋本がステージを降りて客席の通路を歩きながら歌うと、客席真ん中あたりの列の中にまで入っていき、背の高い男性に肩車をしてもらって、
「もう今言うわ。12月21日に「A CRATER」、360°ライブを日本武道館でやります!」
と、普通ならクライマックスでするような告知をここで早くもしてしまう。その無茶苦茶っぷりというか、今その瞬間の感情によって流れが変わるというのもハルカミライのライブそのものであるし、このタイミングでそんな嬉しい発表をするものだから、客席は開始5分にしてこの上ないくらいの歓喜に包まれる。2月に初の武道館ワンマンをやったばかりなのに、早くもまたあの場所で、しかも2019年12月の幕張メッセ以来に360°客席のワンマンが見れるのだからテンションが上がらないわけがない。
そんな、去年の状況ではやりたくても出来なかったであろうパフォーマンスをしっかり会場側にやっていいのか確認してからやるのも実にハルカミライらしい実直さを感じるのであるが、須藤のタイトルコールから突入した、ハルカミライと言えばという曲でもあるショートチューン「ファイト!!」もやはり去年ここで聴いた時と違うように感じるのは、去年のこの会場では観客が歌うこと、声を出すことが出来なかっただけに、個人的にはこのJ:COMホールで初めて合唱を聴くことができて、その観客の声が反響して実によく聴こえると思ったからである。バンドのパフォーマンスもそうであるが、我々の楽しみ方も変わったからこそ、去年とは同じ場所でも全く違うライブのように感じられる。
小松のツービートが疾駆する「俺達が呼んでいる」のパンクなサウンドに合わせるかのように関がステージ上をゴロゴロと転がりながらギターを弾き、それはそのままショートチューンの「フルアイビール」に曲間一切なしで繋がっていくというのももはやおなじみのライブアレンジであるが、やはりホール、しかもメンバーの立ち位置には珍しく絨毯が敷かれているという少し厳かさを感じるようなセットの中でもハルカミライのライブは全く変わらないということがよくわかるのだが、少しだけ違うことというと橋本が
「俺たち、この八王子でずっとライブをやってきた。だから今日だけは、おかえりって言って欲しい」
とこの八王子という街への愛を込めるようにして
「ここが世界の真ん中!」
と、その愛する街を世界の真ん中にするように「春のテーマ」が演奏されたこと。メンバー全員が歌うサビの歌唱もまた反響することによって、まだまだ序盤ながらももはやクライマックスを迎えたかのように感じるのはこの曲がこれまでにそうした光景を生み出してきたのを見てきたからだろう。
しかしやはりメンバーたちだけではなく観客も含めて
「一緒に歌おうぜー!」
と橋本が呼びかけるとイントロのコーラスフレーズから大合唱が起きた「夏のまほろ」はこの時期に聴くのが実にぴったりな曲であり、それは夏というだけではなくて、
「白球がフェンスを越える」
と歌われるように、日本の各地で高校球児たちが魂を燃やすようにそれぞれの県大会を戦っている真っ最中だからだ。今10代でいたらどんな人生だっただろうか、なんてことを少し思うのは、野球をやっていた時にハルカミライに、この曲に出会っていたらもう少しだけ頑張れていたかもしれないとも思うからである。
序盤はフェスなどでもおなじみの曲たちが続いたが、この辺りからは何の曲が演奏されるか全く予想できないというハルカミライのワンマンらしい選曲も増えていく。それはこうしてホールで演奏されることによって、あらゆる色(7色?)の照明が鮮やかに光る「飛行船「ジュブナイル号」」もそうであり、その照明がまさに光を感じさせるように真っ白に光る「光インザファミリー」もそうであるが、この曲を聴くといつも本当に優しい気持ちにさせてくれるのは、橋本の、ハルカミライのメンバーの家族を大切にしているからこそこうした曲ができるということが聴いていてよくわかるからだ。それは観客も参加してのコーラスの合唱によってよりそう感じられるのは、こうして一緒にライブという空間にいる人はみなファミリーであるかのように感じられるから。それくらいに一気にバンドと観客の精神的な距離感を縮めてくれる曲であるが、ホールで反響するからという状況によるものもあるかもしれないが、ここにきてメンバーのコーラスの歌唱力や感情を込める力がさらに増しているようにすら感じられる。
そんな照明が一気に薄暗くなる中で、早くもタンクトップすらも脱ぎ捨てて上半身裸になった橋本が
「八王子駅4番線…」
とこの会場で口にするからこそ、観客それぞれがこの会場に至るまでに見てきた情景が想起される歌い出しが追加された「星世界航行曲」が歌う世界もこの街のことであるかのように感じられる中、そのまま繋がるように橋本が拳を握ってタイトルコールをした「predawn」では客席最前列にいた水色の髪色をした女性の観客をステージに上げて、橋本が肩を組んで座りながら歌う。それもまた去年の状況ではまだ許されなかったパフォーマンスであろうからこそ、この2023年に八王子のホールでハルカミライのライブを見ているということを特別なものにしてくれるのである。橋本の隣に座っていた女性にはメンバーが見ているこの客席の景色はどんなものに映ったのだろうか。
そんな初期の、まだハルカミライがパンクに振り切れる前の時期の曲だからこそ橋本のボーカルも曲の持つメロディの美しさをしっかりと伝えるように歌われるのであるが、その歌唱が乗るバンドのサウンドはパンクを通過したからこそのライブ感を感じさせるようになっており、だからこそ「裸足になれるはず」も今のハルカミライの鳴らす音として生まれ変わっている感すらあったのだが、それは間奏部分で橋本が
「俺は姉ちゃんもいるし、女友達も昔からたくさんいた。普通に一緒に遊んだりしてたから、こうやって拳を振り上げたりしてると男のための音楽みたいに思われがちだけど、俺の中にはギャルの心みたいなのがあって(笑)、それがこの曲には最も出てる。だから女性たち、男に負けるなよ!」
という明確なメッセージを込めて歌っていたからかもしれない。その言葉に女性が声を上げることによって、ハルカミライのライブでは珍しく黄色い歓声を感じられたのだが、そうした言葉や気持ちは今の社会を見据えたものというよりは、どんな時代や社会であったとしてもこのバンドが必ず持ち合わせていただろうなと思うし、きっとハルカミライの音楽に惹かれる女性ファンの人たちもそんなバンドの思いをわかっているんじゃないかと思う。
それでも男性に向けるように須藤がタイトルコールをして、立ち上がりながら叩く小松のトライバルなビートに合わせて観客の「オー!イェー!」の合唱が響く「フュージョン」はやはりどこかむさ苦しさみたいなものを感じさせるのであるが、橋本は上手側の最前列に小さな子供がいるのを見つけると、
「どうしても気になっちゃうんだ。目の前でこうやってデカい音を聞かされて怖い思いをしてないかっていうのが。俺も小さい頃に母ちゃんによくライブに連れて行かれて怖い思いをしていたから。だから怖くないから、握手しよう」
と言いながら、周りの観客が拍手するのを
「あんまり囃し立てないでやってくれ。俺もそういうのが苦手だったから」
と気を使うのもさすがであるというか、やはりかつての自分を見ているようだからこそ気持ちがわかるのだろう。その子供は橋本に手を差し出してはくれなかったが、子供の母親と握手をしたと思ったらそれは母親ではなくて祖母であり、その見た目の若さに橋本が驚くというオチまでしっかりつくあたりはやはりこのバンドは持っているなと思う。
そんな家族との交流の直後だからこそ、
「風が僕らを揺らしても 季節が過ぎても」
という歌い出しが追加されてから演奏された「それいけステアーズ」の
「ろくでもないけど親友
お節介すぎる母親
背中を見てきた父親
負けたくはないな先輩
会いたくなるんだ恋人
たまには飲もうぜ兄弟」
が、最近ほとんど会っていない家族のことを思い出させるし、そうして幼少期の橋本をライブに連れてきていたというエピソードも含めて、本当に橋本家は愛に溢れた家族なんだろうなということがわかるし、だからこうして真っ直ぐな男に育ったんだろうなと思う。その橋本やハルカミライの全てが、これがかっこいいんだって話をしたくなるのである。
すると今度は橋本が小松のスティックを受け取り、観客の中にバンドをやっている人がいるかどうかを問いかける。手を挙げた人の中から、先ほどの子供のすぐ後ろにいた人にそのスティックを渡すと、
「小松の名前を思いっきり叫んでくれ。そしたら曲に入るから」
とその男性(偶然にもドラマーらしい)が小松の名前を呼ぶのであるが、1回目は声が小さくてやり直し(「小松、あれ取って〜」くらいの感じ)をして、2回目の小松の名前を叫ぶ声の後に、橋本もアコギを弾きながらバンドの重厚な音が重なるようなイントロのセッション的なアレンジが追加された「100億年先のずっと先まで」はこれまでにライブで聴いてきた、橋本の歌声にエコーがかかるというエフェクトが控えめになっており、よりダイレクトなバンドの音が響くようになっていた印象だ。橋本は曲中にアコギを無造作にアンプの上に置くと、そのまま小松のドラムセットの裏側に回り込むようにして小松のマイクを使って叫んだりする。そうしたパフォーマンスも相まって、音源でのノイジーなギターサウンドのラブソングというようなこの曲が今のハルカミライではライブだからこそのロックさを感じられるものへと昇華されていた。なんだかイントロの演奏あたりから、よりさらにギアが上がったような感覚を確かに感じていた。
しかしながらメンバーは至ってマイペースに、小松もステージ前に出てくると全員で絨毯の上に座り、観客にも席に座ることを促してから「世界を終わらせて」の歌い出しを歌い始めるのであるが、演奏が始まってメンバーが立ち上がると観客もみんな立ち上がる。そんな観客の席の間の通路を再び橋本が歩きながら歌うのであるが、その際にはまるで日本武道館でのライブの最後の曲のように客電までもが点いて会場が明るくなる。観客にスティックをあげたりするのも、こうしてホールであっても客席の中に突入していくのも、去年も本当はやりたかったけど時勢的に出来なかったことが、今年はなんの規制もなくできるようになったことによってさらにハルカミライらしさを発揮できるようになっている。
「ただの棒かもしれないし、サインもただの紙切れかもしれない。それはあげた側と貰った側の気持ち次第だ」
と橋本は言っていたが、きっとこの会場にいた人たちはみんなハルカミライから貰ったものを大事に抱えている。それは物質的なものだけではなくて、気持ちや思いも含めて。それが飛び跳ねる姿から伝わってくるからこそ、ここにいた人たち全員で肩を組んで飛び跳ねながらこの曲を歌いたくなるような感覚を感じていた。
再び橋本がアコギを持って歌い始めたのは
「ねえ逃げ出さない?
くだらない 世の中ならば
君連れて歩けない そんなのは許せない
でも君と行けるなら くだらないも
くだらなくなるよ そろそろ時間かもね
ねえ逃げ出さない? ねえここから」
というフレーズが「2人でいること」以外に何もない、でもそれさえあれば最強でいられる2人の逃避行ソング「つばさ」なのであるが、橋本の弾くアコギの音色がそのメロディの力を増強すると、橋本は客席の中で一際飛び跳ねまくっている観客を見つけ、
「水色のTシャツ着た兄ちゃん、この曲好きか?めちゃくちゃ伝わってきて嬉しいよ。これからもそうやって見るだけで伝わってくるような曲を作っていきたいと思っている」
と語りかけた。誰かに喜んでもらうのが第一義という作り方は決してしてない、むしろどんなサウンドであれ自分たちが心からカッコいいと思う曲だけを作っているバンドだと自分は思っているが、でもやはりその意識の中にはこうして目の前で曲を聴いて喜んでくれる人の存在というものが少なからずあるんだろうなと思えたし、その中の1人であることができているんなら本当に嬉しいことであると思う。
「どんなにスタジオの中で言い合いしたりしてたとしても、こうしてステージに立って一緒に音を出してライブをやればそんなことはどうでもよくなってしまう」
と橋本がアコギを弾きながら語り、そのまま弾き語りのようにして「友達」を歌い始めると、
「5月に俊の誕生日があったんだけど、自転車をプレゼントしようと思ったけど、まだ渡せてない(笑)アメリカから取り寄せたら3週間かかって、渡そうと思ったら日本の法律では道を走っちゃいけない自転車だったらしいから、走れるようにしようと思ってそれ用のパーツを頼んだらまたアメリカから送られてくるのに3週間かかるから(笑)」
という、バンドメンバーでもあり友達である須藤とのエピソードを話すのであるが、その話を足を大きく開くようにして、時にはツッコミを入れるようにして聞いていた須藤は嬉しくも恥ずかしそうであったのであるが、そんな話の後に関が鳴らす初期の銀杏BOYZの曲のようなノイジーなギターサウンドがその友達という関係性から溢れる青春性をさらに増幅してくれる。それは橋本と須藤だけではなく、ハルカミライというバンドがメンバーたちの青春群像劇のようにすら感じられるし、それが本当に美しく感じられる。出来ることならばずっとこうしてその姿を見ていたいと思うくらいに。
その青春性というイメージを持って繋がる「青春讃歌」はそんなバンドにおける空気はもちろんのことであるが、何よりもサビでの橋本のファルセットを交えた歌唱が本当に素晴らしい。こうしたホールや武道館、幕張メッセでまでライブをやれるようになったのは、この橋本の歌の上手さと声量があるからこそ、遠くにいる人にも届くようになったからであるとすら思えるような。それはその歌にこれ以上ないくらいに感情を込めることができるからこそ、
「笑ってたんでしょ 泣いてたんでしょ
中庭の花壇も落書きのロッカーも
思い出せるかな ずっと
君に一つだけ言わなきゃ
伝えなきゃね」
というサビの歌詞が自分自身が体験してきた青春の記憶を呼び覚ましてくれる。青春は終わらないということも大人になってよく聞くし、感じたりもするけれど、それでもやっぱりあの時に一緒にいた同級生たちとの青春にはもう戻れないんだよな、とも感じてしまう。
ライブの前半にも
「不思議なもんで、モッシュやダイブがまた出来るようなライブハウスになったら急にホールでもやりたくなった(笑)」
とも言っていたが、
「コロナ禍になってからライブに来るようになった人もいるだろうし、そういう人はライブハウスでモッシュやダイブでぐちゃぐちゃになるのを怖いと思ってるかもしれない。でもそういうライブハウスの後ろの方とか端っこの方で見ている人もホールなら安心してライブに来れるかもしれない。どっちがどうとかで争うことなく、これからもライブハウスでもやるし、ホールでもライブやるから」
という橋本の言葉には、コロナ禍による規制がなくなって、ライブハウスでモッシュやダイブができるようになってもこうしてホールでワンマンをやることを選んだ理由がこれ以上ないほどに伝わってきたし、そんなメッセージの後だからこそ「ベターハーフ」のメロディの美しさがより一層沁みる。しかもどこか小松のドラムの強さによってよりロックさを感じさせるものとして。2月の武道館でも演奏されていたことは今でも記憶に強く残っているが、「東京タワー」という東京の象徴と言えるようなワードも出てくる曲であるだけに、東京のライブ会場の象徴と言える武道館でまた12月の360°ライブでも是非聴きたい曲の筆頭である。最前列の女性がイントロから飛び跳ねまくっていて、橋本がその姿を見て
「この曲好きか?良い曲だもんな」
と自分で言うのも本当によくわかる。
そして橋本がタイトルを思いっきり叫んでから演奏された「ウルトラマリン」からはクライマックスへ。
「1番綺麗な君を見てた 1番小さなこの世界で」
のフレーズで拳を振り上げていた観客たちが一斉に人差し指を上げて合唱し、その人差し指が
「2人だけ」
のフレーズで中指も合わさってピースサインのようになるのもこのバンドのライブの約束というようにすら感じられる。1番綺麗なのはこの光景であるとすら思えるから。
そしてまるでエンドロールが流れるエンディングテーマであるかのように、これまでにも何度となくライブのクライマックスを担ってきた「パレード」では今までのような光を感じさせるというよりも、むしろここに来てさらに燃え上がるようなバンドと観客の熱量を感じさせるように真っ赤な照明がステージを照らし、サビでそれが淡いオレンジ色へと変化していく。それがまたこの曲に新たなイメージを付加してくれるものであるし、この日のパレードが熱狂の中で行われているものであるということを感じさせてくれるのである。
そんなライブの最後はもちろん八王子の歌である「ヨーロービル、朝」。関と須藤が向かい合うようにして音を鳴らすのも、バンドの未来に光が射し込むような照明も、何よりも橋本の歌唱も全てがこの日この場所で最後に演奏されるという意味しか感じないし、そこに自分達が育った八王子への愛をありったけ込めて音を鳴らしているからこそ、そのあまりの感情のこもりっぷりに心がゾクッと震えてしまう。というか自分の隣にいた女性2人組は人目も憚らず号泣していたのだが、その気持ちが本当によくわかる。その鳴らしている音だけでこんなにも感情を揺さぶることができるというのがハルカミライのライブの最も凄いところだ。
この日、ライブ前にタイトルになっているヨーロービルを見に八王子駅の逆口にも行ってきたが、そのどこか年季を感じさせるようなビルの外観を見てきたからこそ、この日八王子で音を鳴らすハルカミライの姿からはこの街で生きてきた記憶や経験の全てを自分たち自身で肯定しているかのように見えた。そんな姿を見ることが出来たからこそ、我々にとっても八王子が特別な街になる。その轟音が鳴り止んだ後も、どこか夢見心地な気分が抜けなかった。
そんな気分から現実に引き戻すように、客席からはリーダー的なグループが引っ張っているかのようなアンコールのコールが起こるのであるが、それが微笑ましく思えるのはやはり去年のこの場所でのライブではアンコールを求める声を上げることすら出来なかったからであり、その声に応えるようにしてメンバーが再びステージに登場すると、「ファイト!!」で橋本が観客を煽るようにしてさらなる大合唱を巻き起こし、「エース」でその大合唱を起こすのであるが、関も須藤もマイクを可能な限り客席に近づけて歌っている。声がしっかり聞こえるという精神的にだけじゃなくて物理的にも近くに来てくれると、「Tough to be a Hugh」で床が揺れるくらいに観客が飛び跳ねながら大合唱が起こり、一瞬で終わる「To Bring BACK MEMORIES」に至るまでショートチューンの連打に次ぐ連打。この日は本編の流れがしっかり作り込まれているように感じられたからこそ、この曲たちが入る隙間がなかったような感じもしていたが、アンコールはきっと何をやるかは決めていなかったがためのこのやりたい放題っぷりだったのであろう。ある意味ではこの一瞬で駆け抜けていく感じこそが最もハルカミライらしいと言える。
そして橋本がまたいろんなライブ会場で、そして12月の武道館での再会を約束してから演奏されたのは、
「3%くらいの」
のフレーズでの小松のドラムの連打に観客が腕を振ってリズムを合わせ、
「再会 再会 再会の日を楽しみにしてるよ」
とメンバー全員と観客が思いっきり歌い上げる、まさに再会を約束する曲である「春はあけぼの」。最後に歌われるスイートピーはこの日この場所にいた誰もの心の中に咲く花。それはきっと12月の武道館の時に開くもの。それまでにいろんなフェスやライブで再会して水を与えてやりたいと思う。去り際の橋本のポーズはもはやロックバンド界のビートたけしのようにすら見えていた。
しかしメンバーがステージを去った後には会場に誰も聴いたことがない新曲が流れた。それはこの日の日付けが変わるタイミングで配信された新曲「YAEN」であり、ライブのタイトルを回収しながらも、ここにいた我々が最初に聴くことができた曲になったのである。曲が終わった後には橋本がリアルな音声で
「カッコいいでしょ?」
と自信を伺わせていたが、そう言いたくなるのもわかるくらいに、パンクさを持ちながらも新たなハルカミライらしさも感じられる曲。つまりはまたこうしてライブという場でこの曲を聴くことができるのが楽しみになる曲だということ。
何度も書いてきたことだけれど、このライブが見れなかったら死ぬほど後悔していただろうなと思ってしまうくらいに、やはりハルカミライのライブはこの日も伝説だった。もう何回ベストを更新すればいいんだと思うくらいであるが、だからこそこうしてライブに行くのがやめられないんだ。このバンドのライブがまた見れるということが、その日までの日常を生きていく最大の原動力になっていくのだから。ハルカミライのライブでしか来たことがないけれど、八王子という街がさらに好きになってしまっている。
1.君にしか
2.カントリーロード
3.ファイト!!
4.俺達が呼んでいる
5.フルアイビール
6.春のテーマ
7.夏のまほろ
8.飛空船「ジュブナイル号」
9.光インザファミリー
10.星世界航行曲
11.predawn
12.裸足になれるはず
13.フュージョン
14.それいけステアーズ
15.100億年先のずっと先まで
16.世界を終わらせて
17.つばさ
18.友達
19.青春讃歌
20.ベターハーフ
21.ウルトラマリン
22.パレード
23.ヨーロービル、朝
encore
24.ファイト!!
25.エース
26.Tough to be a Hugh
27.To Bring BACK MEMORIES
28.春はあけぼの
J:COMホールの座席に着くと、ステージにはおなじみのバンドのフラッグも聳えているが、ステージ背面が剥き出しで機材が無造作に並んでいるというラフさは今あえてこのホールという会場でハルカミライがライブをやる意味を感じさせるものである。
平日にも関わらず早めの18時過ぎという開演時間はむしろ帰りの時間を気にしないでライブを見ることができるようにという配慮であると思われるが、そんな18時を少しすぎたあたりでおなじみの「喝さい」などの曲が流れる中で、暗転することなく関大地(ギター)、須藤俊(ベース)、小松謙太(ドラム)の3人がステージに登場すると、橋本学(ボーカル)もおなじみの巨大フラッグを持ってステージに現れて「君にしか」でスタートし、橋本が飛び跳ねるようにして歌いながらメンバーと観客の大合唱が響くというのはいつも通りのオープニングであるし、そのまま「カントリーロード」に繋がるというのも鉄板の流れと言えるが、間奏では橋本がステージを降りて客席の通路を歩きながら歌うと、客席真ん中あたりの列の中にまで入っていき、背の高い男性に肩車をしてもらって、
「もう今言うわ。12月21日に「A CRATER」、360°ライブを日本武道館でやります!」
と、普通ならクライマックスでするような告知をここで早くもしてしまう。その無茶苦茶っぷりというか、今その瞬間の感情によって流れが変わるというのもハルカミライのライブそのものであるし、このタイミングでそんな嬉しい発表をするものだから、客席は開始5分にしてこの上ないくらいの歓喜に包まれる。2月に初の武道館ワンマンをやったばかりなのに、早くもまたあの場所で、しかも2019年12月の幕張メッセ以来に360°客席のワンマンが見れるのだからテンションが上がらないわけがない。
そんな、去年の状況ではやりたくても出来なかったであろうパフォーマンスをしっかり会場側にやっていいのか確認してからやるのも実にハルカミライらしい実直さを感じるのであるが、須藤のタイトルコールから突入した、ハルカミライと言えばという曲でもあるショートチューン「ファイト!!」もやはり去年ここで聴いた時と違うように感じるのは、去年のこの会場では観客が歌うこと、声を出すことが出来なかっただけに、個人的にはこのJ:COMホールで初めて合唱を聴くことができて、その観客の声が反響して実によく聴こえると思ったからである。バンドのパフォーマンスもそうであるが、我々の楽しみ方も変わったからこそ、去年とは同じ場所でも全く違うライブのように感じられる。
小松のツービートが疾駆する「俺達が呼んでいる」のパンクなサウンドに合わせるかのように関がステージ上をゴロゴロと転がりながらギターを弾き、それはそのままショートチューンの「フルアイビール」に曲間一切なしで繋がっていくというのももはやおなじみのライブアレンジであるが、やはりホール、しかもメンバーの立ち位置には珍しく絨毯が敷かれているという少し厳かさを感じるようなセットの中でもハルカミライのライブは全く変わらないということがよくわかるのだが、少しだけ違うことというと橋本が
「俺たち、この八王子でずっとライブをやってきた。だから今日だけは、おかえりって言って欲しい」
とこの八王子という街への愛を込めるようにして
「ここが世界の真ん中!」
と、その愛する街を世界の真ん中にするように「春のテーマ」が演奏されたこと。メンバー全員が歌うサビの歌唱もまた反響することによって、まだまだ序盤ながらももはやクライマックスを迎えたかのように感じるのはこの曲がこれまでにそうした光景を生み出してきたのを見てきたからだろう。
しかしやはりメンバーたちだけではなく観客も含めて
「一緒に歌おうぜー!」
と橋本が呼びかけるとイントロのコーラスフレーズから大合唱が起きた「夏のまほろ」はこの時期に聴くのが実にぴったりな曲であり、それは夏というだけではなくて、
「白球がフェンスを越える」
と歌われるように、日本の各地で高校球児たちが魂を燃やすようにそれぞれの県大会を戦っている真っ最中だからだ。今10代でいたらどんな人生だっただろうか、なんてことを少し思うのは、野球をやっていた時にハルカミライに、この曲に出会っていたらもう少しだけ頑張れていたかもしれないとも思うからである。
序盤はフェスなどでもおなじみの曲たちが続いたが、この辺りからは何の曲が演奏されるか全く予想できないというハルカミライのワンマンらしい選曲も増えていく。それはこうしてホールで演奏されることによって、あらゆる色(7色?)の照明が鮮やかに光る「飛行船「ジュブナイル号」」もそうであり、その照明がまさに光を感じさせるように真っ白に光る「光インザファミリー」もそうであるが、この曲を聴くといつも本当に優しい気持ちにさせてくれるのは、橋本の、ハルカミライのメンバーの家族を大切にしているからこそこうした曲ができるということが聴いていてよくわかるからだ。それは観客も参加してのコーラスの合唱によってよりそう感じられるのは、こうして一緒にライブという空間にいる人はみなファミリーであるかのように感じられるから。それくらいに一気にバンドと観客の精神的な距離感を縮めてくれる曲であるが、ホールで反響するからという状況によるものもあるかもしれないが、ここにきてメンバーのコーラスの歌唱力や感情を込める力がさらに増しているようにすら感じられる。
そんな照明が一気に薄暗くなる中で、早くもタンクトップすらも脱ぎ捨てて上半身裸になった橋本が
「八王子駅4番線…」
とこの会場で口にするからこそ、観客それぞれがこの会場に至るまでに見てきた情景が想起される歌い出しが追加された「星世界航行曲」が歌う世界もこの街のことであるかのように感じられる中、そのまま繋がるように橋本が拳を握ってタイトルコールをした「predawn」では客席最前列にいた水色の髪色をした女性の観客をステージに上げて、橋本が肩を組んで座りながら歌う。それもまた去年の状況ではまだ許されなかったパフォーマンスであろうからこそ、この2023年に八王子のホールでハルカミライのライブを見ているということを特別なものにしてくれるのである。橋本の隣に座っていた女性にはメンバーが見ているこの客席の景色はどんなものに映ったのだろうか。
そんな初期の、まだハルカミライがパンクに振り切れる前の時期の曲だからこそ橋本のボーカルも曲の持つメロディの美しさをしっかりと伝えるように歌われるのであるが、その歌唱が乗るバンドのサウンドはパンクを通過したからこそのライブ感を感じさせるようになっており、だからこそ「裸足になれるはず」も今のハルカミライの鳴らす音として生まれ変わっている感すらあったのだが、それは間奏部分で橋本が
「俺は姉ちゃんもいるし、女友達も昔からたくさんいた。普通に一緒に遊んだりしてたから、こうやって拳を振り上げたりしてると男のための音楽みたいに思われがちだけど、俺の中にはギャルの心みたいなのがあって(笑)、それがこの曲には最も出てる。だから女性たち、男に負けるなよ!」
という明確なメッセージを込めて歌っていたからかもしれない。その言葉に女性が声を上げることによって、ハルカミライのライブでは珍しく黄色い歓声を感じられたのだが、そうした言葉や気持ちは今の社会を見据えたものというよりは、どんな時代や社会であったとしてもこのバンドが必ず持ち合わせていただろうなと思うし、きっとハルカミライの音楽に惹かれる女性ファンの人たちもそんなバンドの思いをわかっているんじゃないかと思う。
それでも男性に向けるように須藤がタイトルコールをして、立ち上がりながら叩く小松のトライバルなビートに合わせて観客の「オー!イェー!」の合唱が響く「フュージョン」はやはりどこかむさ苦しさみたいなものを感じさせるのであるが、橋本は上手側の最前列に小さな子供がいるのを見つけると、
「どうしても気になっちゃうんだ。目の前でこうやってデカい音を聞かされて怖い思いをしてないかっていうのが。俺も小さい頃に母ちゃんによくライブに連れて行かれて怖い思いをしていたから。だから怖くないから、握手しよう」
と言いながら、周りの観客が拍手するのを
「あんまり囃し立てないでやってくれ。俺もそういうのが苦手だったから」
と気を使うのもさすがであるというか、やはりかつての自分を見ているようだからこそ気持ちがわかるのだろう。その子供は橋本に手を差し出してはくれなかったが、子供の母親と握手をしたと思ったらそれは母親ではなくて祖母であり、その見た目の若さに橋本が驚くというオチまでしっかりつくあたりはやはりこのバンドは持っているなと思う。
そんな家族との交流の直後だからこそ、
「風が僕らを揺らしても 季節が過ぎても」
という歌い出しが追加されてから演奏された「それいけステアーズ」の
「ろくでもないけど親友
お節介すぎる母親
背中を見てきた父親
負けたくはないな先輩
会いたくなるんだ恋人
たまには飲もうぜ兄弟」
が、最近ほとんど会っていない家族のことを思い出させるし、そうして幼少期の橋本をライブに連れてきていたというエピソードも含めて、本当に橋本家は愛に溢れた家族なんだろうなということがわかるし、だからこうして真っ直ぐな男に育ったんだろうなと思う。その橋本やハルカミライの全てが、これがかっこいいんだって話をしたくなるのである。
すると今度は橋本が小松のスティックを受け取り、観客の中にバンドをやっている人がいるかどうかを問いかける。手を挙げた人の中から、先ほどの子供のすぐ後ろにいた人にそのスティックを渡すと、
「小松の名前を思いっきり叫んでくれ。そしたら曲に入るから」
とその男性(偶然にもドラマーらしい)が小松の名前を呼ぶのであるが、1回目は声が小さくてやり直し(「小松、あれ取って〜」くらいの感じ)をして、2回目の小松の名前を叫ぶ声の後に、橋本もアコギを弾きながらバンドの重厚な音が重なるようなイントロのセッション的なアレンジが追加された「100億年先のずっと先まで」はこれまでにライブで聴いてきた、橋本の歌声にエコーがかかるというエフェクトが控えめになっており、よりダイレクトなバンドの音が響くようになっていた印象だ。橋本は曲中にアコギを無造作にアンプの上に置くと、そのまま小松のドラムセットの裏側に回り込むようにして小松のマイクを使って叫んだりする。そうしたパフォーマンスも相まって、音源でのノイジーなギターサウンドのラブソングというようなこの曲が今のハルカミライではライブだからこそのロックさを感じられるものへと昇華されていた。なんだかイントロの演奏あたりから、よりさらにギアが上がったような感覚を確かに感じていた。
しかしながらメンバーは至ってマイペースに、小松もステージ前に出てくると全員で絨毯の上に座り、観客にも席に座ることを促してから「世界を終わらせて」の歌い出しを歌い始めるのであるが、演奏が始まってメンバーが立ち上がると観客もみんな立ち上がる。そんな観客の席の間の通路を再び橋本が歩きながら歌うのであるが、その際にはまるで日本武道館でのライブの最後の曲のように客電までもが点いて会場が明るくなる。観客にスティックをあげたりするのも、こうしてホールであっても客席の中に突入していくのも、去年も本当はやりたかったけど時勢的に出来なかったことが、今年はなんの規制もなくできるようになったことによってさらにハルカミライらしさを発揮できるようになっている。
「ただの棒かもしれないし、サインもただの紙切れかもしれない。それはあげた側と貰った側の気持ち次第だ」
と橋本は言っていたが、きっとこの会場にいた人たちはみんなハルカミライから貰ったものを大事に抱えている。それは物質的なものだけではなくて、気持ちや思いも含めて。それが飛び跳ねる姿から伝わってくるからこそ、ここにいた人たち全員で肩を組んで飛び跳ねながらこの曲を歌いたくなるような感覚を感じていた。
再び橋本がアコギを持って歌い始めたのは
「ねえ逃げ出さない?
くだらない 世の中ならば
君連れて歩けない そんなのは許せない
でも君と行けるなら くだらないも
くだらなくなるよ そろそろ時間かもね
ねえ逃げ出さない? ねえここから」
というフレーズが「2人でいること」以外に何もない、でもそれさえあれば最強でいられる2人の逃避行ソング「つばさ」なのであるが、橋本の弾くアコギの音色がそのメロディの力を増強すると、橋本は客席の中で一際飛び跳ねまくっている観客を見つけ、
「水色のTシャツ着た兄ちゃん、この曲好きか?めちゃくちゃ伝わってきて嬉しいよ。これからもそうやって見るだけで伝わってくるような曲を作っていきたいと思っている」
と語りかけた。誰かに喜んでもらうのが第一義という作り方は決してしてない、むしろどんなサウンドであれ自分たちが心からカッコいいと思う曲だけを作っているバンドだと自分は思っているが、でもやはりその意識の中にはこうして目の前で曲を聴いて喜んでくれる人の存在というものが少なからずあるんだろうなと思えたし、その中の1人であることができているんなら本当に嬉しいことであると思う。
「どんなにスタジオの中で言い合いしたりしてたとしても、こうしてステージに立って一緒に音を出してライブをやればそんなことはどうでもよくなってしまう」
と橋本がアコギを弾きながら語り、そのまま弾き語りのようにして「友達」を歌い始めると、
「5月に俊の誕生日があったんだけど、自転車をプレゼントしようと思ったけど、まだ渡せてない(笑)アメリカから取り寄せたら3週間かかって、渡そうと思ったら日本の法律では道を走っちゃいけない自転車だったらしいから、走れるようにしようと思ってそれ用のパーツを頼んだらまたアメリカから送られてくるのに3週間かかるから(笑)」
という、バンドメンバーでもあり友達である須藤とのエピソードを話すのであるが、その話を足を大きく開くようにして、時にはツッコミを入れるようにして聞いていた須藤は嬉しくも恥ずかしそうであったのであるが、そんな話の後に関が鳴らす初期の銀杏BOYZの曲のようなノイジーなギターサウンドがその友達という関係性から溢れる青春性をさらに増幅してくれる。それは橋本と須藤だけではなく、ハルカミライというバンドがメンバーたちの青春群像劇のようにすら感じられるし、それが本当に美しく感じられる。出来ることならばずっとこうしてその姿を見ていたいと思うくらいに。
その青春性というイメージを持って繋がる「青春讃歌」はそんなバンドにおける空気はもちろんのことであるが、何よりもサビでの橋本のファルセットを交えた歌唱が本当に素晴らしい。こうしたホールや武道館、幕張メッセでまでライブをやれるようになったのは、この橋本の歌の上手さと声量があるからこそ、遠くにいる人にも届くようになったからであるとすら思えるような。それはその歌にこれ以上ないくらいに感情を込めることができるからこそ、
「笑ってたんでしょ 泣いてたんでしょ
中庭の花壇も落書きのロッカーも
思い出せるかな ずっと
君に一つだけ言わなきゃ
伝えなきゃね」
というサビの歌詞が自分自身が体験してきた青春の記憶を呼び覚ましてくれる。青春は終わらないということも大人になってよく聞くし、感じたりもするけれど、それでもやっぱりあの時に一緒にいた同級生たちとの青春にはもう戻れないんだよな、とも感じてしまう。
ライブの前半にも
「不思議なもんで、モッシュやダイブがまた出来るようなライブハウスになったら急にホールでもやりたくなった(笑)」
とも言っていたが、
「コロナ禍になってからライブに来るようになった人もいるだろうし、そういう人はライブハウスでモッシュやダイブでぐちゃぐちゃになるのを怖いと思ってるかもしれない。でもそういうライブハウスの後ろの方とか端っこの方で見ている人もホールなら安心してライブに来れるかもしれない。どっちがどうとかで争うことなく、これからもライブハウスでもやるし、ホールでもライブやるから」
という橋本の言葉には、コロナ禍による規制がなくなって、ライブハウスでモッシュやダイブができるようになってもこうしてホールでワンマンをやることを選んだ理由がこれ以上ないほどに伝わってきたし、そんなメッセージの後だからこそ「ベターハーフ」のメロディの美しさがより一層沁みる。しかもどこか小松のドラムの強さによってよりロックさを感じさせるものとして。2月の武道館でも演奏されていたことは今でも記憶に強く残っているが、「東京タワー」という東京の象徴と言えるようなワードも出てくる曲であるだけに、東京のライブ会場の象徴と言える武道館でまた12月の360°ライブでも是非聴きたい曲の筆頭である。最前列の女性がイントロから飛び跳ねまくっていて、橋本がその姿を見て
「この曲好きか?良い曲だもんな」
と自分で言うのも本当によくわかる。
そして橋本がタイトルを思いっきり叫んでから演奏された「ウルトラマリン」からはクライマックスへ。
「1番綺麗な君を見てた 1番小さなこの世界で」
のフレーズで拳を振り上げていた観客たちが一斉に人差し指を上げて合唱し、その人差し指が
「2人だけ」
のフレーズで中指も合わさってピースサインのようになるのもこのバンドのライブの約束というようにすら感じられる。1番綺麗なのはこの光景であるとすら思えるから。
そしてまるでエンドロールが流れるエンディングテーマであるかのように、これまでにも何度となくライブのクライマックスを担ってきた「パレード」では今までのような光を感じさせるというよりも、むしろここに来てさらに燃え上がるようなバンドと観客の熱量を感じさせるように真っ赤な照明がステージを照らし、サビでそれが淡いオレンジ色へと変化していく。それがまたこの曲に新たなイメージを付加してくれるものであるし、この日のパレードが熱狂の中で行われているものであるということを感じさせてくれるのである。
そんなライブの最後はもちろん八王子の歌である「ヨーロービル、朝」。関と須藤が向かい合うようにして音を鳴らすのも、バンドの未来に光が射し込むような照明も、何よりも橋本の歌唱も全てがこの日この場所で最後に演奏されるという意味しか感じないし、そこに自分達が育った八王子への愛をありったけ込めて音を鳴らしているからこそ、そのあまりの感情のこもりっぷりに心がゾクッと震えてしまう。というか自分の隣にいた女性2人組は人目も憚らず号泣していたのだが、その気持ちが本当によくわかる。その鳴らしている音だけでこんなにも感情を揺さぶることができるというのがハルカミライのライブの最も凄いところだ。
この日、ライブ前にタイトルになっているヨーロービルを見に八王子駅の逆口にも行ってきたが、そのどこか年季を感じさせるようなビルの外観を見てきたからこそ、この日八王子で音を鳴らすハルカミライの姿からはこの街で生きてきた記憶や経験の全てを自分たち自身で肯定しているかのように見えた。そんな姿を見ることが出来たからこそ、我々にとっても八王子が特別な街になる。その轟音が鳴り止んだ後も、どこか夢見心地な気分が抜けなかった。
そんな気分から現実に引き戻すように、客席からはリーダー的なグループが引っ張っているかのようなアンコールのコールが起こるのであるが、それが微笑ましく思えるのはやはり去年のこの場所でのライブではアンコールを求める声を上げることすら出来なかったからであり、その声に応えるようにしてメンバーが再びステージに登場すると、「ファイト!!」で橋本が観客を煽るようにしてさらなる大合唱を巻き起こし、「エース」でその大合唱を起こすのであるが、関も須藤もマイクを可能な限り客席に近づけて歌っている。声がしっかり聞こえるという精神的にだけじゃなくて物理的にも近くに来てくれると、「Tough to be a Hugh」で床が揺れるくらいに観客が飛び跳ねながら大合唱が起こり、一瞬で終わる「To Bring BACK MEMORIES」に至るまでショートチューンの連打に次ぐ連打。この日は本編の流れがしっかり作り込まれているように感じられたからこそ、この曲たちが入る隙間がなかったような感じもしていたが、アンコールはきっと何をやるかは決めていなかったがためのこのやりたい放題っぷりだったのであろう。ある意味ではこの一瞬で駆け抜けていく感じこそが最もハルカミライらしいと言える。
そして橋本がまたいろんなライブ会場で、そして12月の武道館での再会を約束してから演奏されたのは、
「3%くらいの」
のフレーズでの小松のドラムの連打に観客が腕を振ってリズムを合わせ、
「再会 再会 再会の日を楽しみにしてるよ」
とメンバー全員と観客が思いっきり歌い上げる、まさに再会を約束する曲である「春はあけぼの」。最後に歌われるスイートピーはこの日この場所にいた誰もの心の中に咲く花。それはきっと12月の武道館の時に開くもの。それまでにいろんなフェスやライブで再会して水を与えてやりたいと思う。去り際の橋本のポーズはもはやロックバンド界のビートたけしのようにすら見えていた。
しかしメンバーがステージを去った後には会場に誰も聴いたことがない新曲が流れた。それはこの日の日付けが変わるタイミングで配信された新曲「YAEN」であり、ライブのタイトルを回収しながらも、ここにいた我々が最初に聴くことができた曲になったのである。曲が終わった後には橋本がリアルな音声で
「カッコいいでしょ?」
と自信を伺わせていたが、そう言いたくなるのもわかるくらいに、パンクさを持ちながらも新たなハルカミライらしさも感じられる曲。つまりはまたこうしてライブという場でこの曲を聴くことができるのが楽しみになる曲だということ。
何度も書いてきたことだけれど、このライブが見れなかったら死ぬほど後悔していただろうなと思ってしまうくらいに、やはりハルカミライのライブはこの日も伝説だった。もう何回ベストを更新すればいいんだと思うくらいであるが、だからこそこうしてライブに行くのがやめられないんだ。このバンドのライブがまた見れるということが、その日までの日常を生きていく最大の原動力になっていくのだから。ハルカミライのライブでしか来たことがないけれど、八王子という街がさらに好きになってしまっている。
1.君にしか
2.カントリーロード
3.ファイト!!
4.俺達が呼んでいる
5.フルアイビール
6.春のテーマ
7.夏のまほろ
8.飛空船「ジュブナイル号」
9.光インザファミリー
10.星世界航行曲
11.predawn
12.裸足になれるはず
13.フュージョン
14.それいけステアーズ
15.100億年先のずっと先まで
16.世界を終わらせて
17.つばさ
18.友達
19.青春讃歌
20.ベターハーフ
21.ウルトラマリン
22.パレード
23.ヨーロービル、朝
encore
24.ファイト!!
25.エース
26.Tough to be a Hugh
27.To Bring BACK MEMORIES
28.春はあけぼの
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