RADWIMPS 「BACK TO THE LIVE HOUSE TOUR 2023」 @Zepp Haneda 7/4
- 2023/07/05
- 22:07
初めてライブを見たのは野外フェスだったけれど、初めてライブハウスで見たのは2006年の渋谷O-EASTだったことはよく覚えている。それ以降もツアーなどで何度もライブハウスで見てきたが、近年は完全なるアリーナバンドになったために、ライブハウスで見るのは胎盤ツアーのZepp Tokyo以来になるだろうか。
それくらいに久しぶりにバンドとファンがタイトル通りにライブハウスに帰還するのが今回の全国のZeppを回るツアー「BACK TO THE LIVE HOUSE TOUR 2023」。この日はZepp Hanedaでの2days初日であり、この羽田を終えた後に翌週の福岡でファイナルを迎える。
やはりこの規模ともなると超満員を超えてるレベルの観客が待ち受ける中で、19時を少し過ぎたあたりでフライング気味に客席から歓声が上がって場内が暗転すると、ピアノを軸とした静謐でありながらも壮大なSEが流れて、ステージから客席に向かってレーザー光線が放たれる中でメンバーが登場。おなじみのサポートドラマーである森瑞希とエノマサフミの2人が先に現れ、その後に桑原彰(ギター)と武田祐介(ベース)が続く。最後にノースリーブ姿で、ライブハウスのステージで見るとより長身っぷりが際立つ野田洋次郎(ボーカル&ギター&キーボード)が登場すると、一際大きな歓声が起こる。
そう、その歓声こそがRADWIMPSのライブにおいては実に久しぶりの遠慮なしの(昨年末から初頭にかけて行われたツアーではまだ完全に声が出せるというわけではなかった)ものであり、それが当たり前のように響いてた場所であるライブハウスにRADWIMPSが帰ってきたという実感を抱かせるのが、最初はボーカル部分も含めて打ち込みで流れているというSEに続くような形だったのが徐々に洋次郎の歌とバンドの音が重なっていき、
「僕には帰りたい 明日があるから
僕にはまた逢いたい あなたがいるから」
というフレーズが打ち込みから洋次郎が歌うようになることによって、それがまさに今この瞬間や場所であり、目の前にいる人々であるということを強く感じさせてくれるような、すでにこの思いを受け取るだけで感動してしまうようなオープニングだ。
しかもそんなオープニングから続くのが、バンドの重厚なミクスチャーサウンドが久しぶりにライブハウスに轟く「なんちって」と、早くも観客が拳を振り上げまくり、声を発しまくるというとんでもない先制パンチなのだが、ツインドラムとして新たな生命を宿されたこの曲のリズムと、その2人のドラマーに1人で対峙し、音を合わせる武田が「こんなにも!?」と頭を振りながら演奏する姿に驚いてしまうのだが、何よりも驚くのが客席の熱量の凄まじさ。挙げようとしているというよりも、挙がってしまう腕。出そうというよりも、出てしまう歓声と合唱。観客の誰もがRADWIMPSのライブを、この曲を待っていたということが実によくわかるのであるが、ラスサビ前ではおなじみの桑原のセリフから洋次郎の
「とか言っちゃったりなんかして」
のフレーズへと繋がっていくのであるが、洋次郎がそこを噛んでいたのはもはやご愛嬌と言ってもいいくらいのものかもしれない。それでも最後には
「なーんちってね」
のフレーズで声を合わせる観客を褒め称えるのが洋次郎である。
しかしその洋次郎が一転して
「東京!行けるか!」
と問いかけ、声は上がっているのにまだまだだとばかりに
「全然なんも聞こえない!」
とさらに観客の声を大きく煽るように叫んでから、ステージ背面には美しい映像も映し出される中で、武田のゴリゴリのベースがこのバンド特有のミクスチャー感を生み出す「ソクラティックラブ」へ。桑原のギターも轟音を増し、洋次郎は「Oh〜」というメンバーと観客のコーラスにノリノリで体を委ねていくのであるが、このバンドからミクスチャー感を感じるのはリズム隊もしかり、洋次郎のこのラップ的な歌唱のリズム感によるものも大きい要素であると思う。
洋次郎がギターを持って桑原とともに鳴らすイントロが流れただけで大歓声が上がるのはライブでおなじみの「ます。」であるが、そのイントロで武田が全てのYouに向けて腕を広げて指を差すような仕草をすると、もちろん観客は凄まじい熱量でその思いを受け止めるように腕を上げての大合唱。特に
「迷わずYou!」
の部分は言わずもがなの合唱っぷりであるが、その直後のコーラスフレーズに合わせて桑原と武田がぴょんぴょんと飛びながら演奏する姿はリリースからこれまでずっと変わることはない。それはこれからも変わらないんだろうなということを感じさせてくれるのである。
ステージ背面のスクリーンは曲に応じて使ったり使われなかったりという演出の削ぎ落としっぷりもライブハウスならではであるが、そんな中で今まさに演奏しているメンバーの姿がモジュレーションされたようなエフェクトが施されて映し出されるのは、やはり武田のゴリゴリのベースに洋次郎すらもイントロで声を上げた「ハイパーベンチレイション」であるのだが、リリース時はライブにおいては混迷の時代というか、自分たちの曲を最大限の力で鳴らすことができずに、当時出演していたフェスで演奏された時も実に消化不良な感じだったのだが、今は全くそんなことを感じさせない盤石の演奏っぷりで観客の思いに応えている。それは思い返すとすでに山口智史(ドラム)の身体的な不調が顕著になり始めていたんだろうかとも今になると思ったりする時期でもあるのだが。
そんなミクスチャーな、ゴリゴリのバキバキな曲が連発された前半から一気に空気もサウンドも柔らかく穏やかになっていくのは、イントロのギターのフレーズからもそれを感じるような「指切りげんまん」であるのだが、ギターだけではなくてリズムも削ぎ落とされていることによって、こうした曲では森がシンプルなビートを刻み、エノはパーカッション的な形で彩を与えるというツインドラムの形に。しかしながら1番の肝は
「指切りげんまん 嘘ついたら針千本飲ます」
というコーラスフレーズで観客が指を掲げるようにして合唱するというものであろう。それはRADWIMPSと必ずまたこうして目の前で会って、感情の交歓を果たし合うという約束をするかのようだった。
すると洋次郎が桑原に近付いて行って、桑原のギターのボリュームを上げるようにツマミを回すとイントロの音が聞こえてくる…という形であのRADWIMPS屈指の名曲バラードが演奏される…と思ったら洋次郎は直後に弾いた自身のギターを
「音が小さい気がする」
と言ってスタッフに渡して一旦曲を中断し、予定外の時間が生まれてしまったことによって洋次郎はステージ中央のピアノの前に座り、急遽弾き語りで「おあいこ」を歌い始めるというサプライズ。それをこんなに瞬時にできるというあたりが流石でしかないのであるが、それが最高のファンサービスにもなっている。おそらくはこうしたアクシデントがなければ聴けない曲だっただろうから。
そんなサプライズを経て
「さっきのことは忘れてください(笑)」
と言って再び洋次郎が桑原のギターのツマミを回すようにしてイントロが鳴らされると、律儀にちゃんと初めてかのような歓声のリアクションが起きて始まったのは「me me she」。先ほども書いたようにRADWIMPS屈指の名バラード曲であるが、この曲を聴くと当時のインタビューで洋次郎が
「女々しいっていうのは漢字とは裏腹に男性のための言葉。女性には女々しいって言わないから」
と言っていたこと、洋次郎自身がそうした人間であるということを改めて感じさせるのであるが、その洋次郎が最後のサビ前に観客を煽るように腕を振ると、桑原と武田とともに観客が
「「さよなら」と一緒に」
「僕からの言葉を」
というコーラスフレーズを大合唱する。そんなバラード曲ですら起こる合唱に、この日のライブの内容の意味が分かりかけてきた気もするが、
「暇つぶしがてら2085年まで待ってるよ」
と紛れもなく自分と同世代であるこのバンドが歌うからには、自分も2085年まで、つまりは100歳になるまで一緒に生きていたいなと思う。
その「me me she」は
「この恋に僕が名前をつけるならそれは「ありがとう」」
という歌詞によって締められるのであるが、だからこそ演奏後には
「ありがとうー!」
という観客からの声が(一部「ありがとうございます!」の声に洋次郎も反応していた)上がっていたのだが、それは観客からのRADWIMPSへの恋の名前もまた「ありがとう」であるということを示しているかのようだ。
そうして洋次郎が観客の声に応えながらピアノに移動すると、RADWIMPSがロックファン以外の人々に再発見されるきっかけとなった「君の名は。」のサウンドトラック収録の、洋次郎のピアノの旋律も、映画のクライマックスである流星群が降り注ぐシーンを思わせる映像も本当に美しく、このまま映画の主題歌たち(「スパークル」なんか特に)を聴きたい、なんならたまにTVでもやっているけれど、また映画を観たいとすら思ってしまう。
そのまま洋次郎がピアノを弾き続け、ピアノ弾き語りという形から徐々にバンドの音が優しく温かく重なっていく「そっけない」はそのサウンドに合わせるように武田がウッドベースに持ち替えているのであるが、洋次郎は曲後半になると再び客席の方を見て腕を振って煽るような仕草をすると、この曲でもサビで大合唱が起こる。みんなよくこの曲の歌詞をこんなに大声で歌えるくらいに完璧に覚えているな〜と観客のRADWIMPSへのあまりの愛情の深さに感心してしまうくらいであるが、そのバラード曲ですら合唱が起こる曲の連発という光景を見て、この日このセトリになった理由がはっきりとわかった。それは洋次郎は、RADWIMPSは明確に観客の歌声を聴きたがっているということだ。久しぶりの観客の声が聴けるライブ、ライブハウスでのツアー。その全ての要素が自分の頭の中でガッチリと噛み合ったような感じがしていた。
するとそのまま薄暗くなったステージには袖から明らかに女性ボーカリストと思える影が見える。最前の観客が悲鳴的な歓声を上げていただけに、これはもしかしたらあいみょんやAimerクラスのゲストが…と思ったら、歌い始めた曲が映画「すずめの戸締まり」のメインテーマ的な曲の「すずめ」であることと、その姿によってこの曲でメインボーカルを務める十明であることがわかるのであるが、洋次郎がピアノ、桑原がキーボード、武田がウッドベース、ツインドラムも抑制されたビートであることによって、その少女性の強い声に儚さが含まれている十明の歌唱が際立つ形になっているのだが、背面のスクリーンに映る映像が穏やかな海からマグマが燃え盛るようなものに変わっていくように、特に
「愚かさでいい 醜さでいい 正しさのその先で 君と手を取りたい」
という映画の登場人物たちの生き様と重なるようなフレーズには確かな激情を感じさせる。それが静謐なサウンドの中から溢れ出す強い人間のエネルギーになっている。十明は歌い終わると喋ることなく一礼してすぐにステージから去っていったが、洋次郎が見出した歌い手の中では強いクセや個性などが音源を聴いた限りでは今までのシンガーに比べると見当たらないようにも感じていた十明がもの凄い可能性を持った表現者であることを確かに感じさせてくれた。
すると武田のベースソロをきっかけにして、桑原のギターソロも展開され、それが2人が向かい合って密着するようにして演奏するバトルのようなものになると、さらには森、そしてエノのドラムソロとそのバトルのような演奏へと繋がる。状態がブレない金髪になった森と、頭を思いっきり振り乱しながら叩くエノのドラマーとしてのスタイルは全く違うが、だからこそ互いを補完する意味でもRADWIMPSのドラマーとして2人でやっていけているんだろうなとも思う。
そのセッション的な演奏が武田&森の下手チーム、桑原&エノの上手チームに分かれてのものとなり、洋次郎が指揮者のようにそれぞれの演奏の音量をコントロールするようにすると観客からはもちろん大歓声が起こり、その演奏はそのままなんと久しぶりの「ヒキコモリロリン」へと繋がることによってさらに歓声が大きくなる。現行のRADWIMPSのヒップホップ的なサウンドとは違う、明確にミクスチャーロックという(当時ミクスチャーの代表であったDragon Ashのkjとも洋次郎はフェスの企画で対談している)サウンドと歌唱が今でも我々観客を心の底からぶち上げながらも、今聴くととんでもなく変な展開の曲だなとも思う。それは今ではもう狙って作ることができない衝動によって生まれたものだろうけれど、それは
「じゃんけんの必殺は「最初はチョキ」」
と元の歌詞と出し手を変えることによって洋次郎の一人勝ち状態になるというのも含めて。
しかし
「いつの日か(誰かが)死ぬとき(君のことを)最期に思う人がいたなら
君のね(ありがとう)命はね(ありがとう)母ちゃんに礼を言う「ありがとう」」
のコーラスフレーズで大合唱が起こるのもやはりこのツアーでこの曲が演奏されている意味を感じざるを得ないし、
「今日で人を愛せるのは 人生最後だって思って生きれたら
きっと優しくなれるから 一生分毎日愛せるから」
という歌詞は今でも変わらず洋次郎の、RADWIMPSの中に宿る人間としての優しさや温もりを感じさせてくれる。予期せぬタイミングな出来事で炎上することも多々あるバンドだけれど、それでもこうしてその音楽を、バンドを愛する人たちがそれをわかってさえいれば、好きじゃない人にどう言われたって気にすることなんて全くないなとこの場にいると改めて思う。
そんな久しぶりの曲に続くのはさらに久しぶりの曲となる、スクリーンにタイトルに合わせて空の映像が映し出される「俺色スカイ」であり、もちろん
「PLEASE PLEASE BE WITH ME FOREVER
SHINE SHINE FOR ME PLEASE WILL YOU?」
のコーラスフレーズではかなりのハイトーンにもかかわらず大合唱が起こるのは客席に女性の観客がたくさんいたことによるもの(男性のキーじゃ出ない)だろうけれど、近年のサウンドや歌詞とは全く異なる、学生時代に作られたからこそ、我々が学生の頃に朝まで飲んだり遊んでいた時のテーマソングであったこの曲を今にして演奏するのも間違いなくこの大合唱をバンドが求めているからだろう。その頃のことを懐かしくも思うけれど、あれから15年くらい経っても今もRADWIMPSがこの曲をライブで演奏してくれているということが本当に幸せに感じられるし、そこには互いに大人と言われる年齢になっても変わらないものが確かにあるんだろうなとも思う。
そんな過去の大名曲たちから一気に時間軸を現在に引き戻すようにして、
「もう1人、ゲストを呼んでいいですか?」
と言って演奏されたのは最新と言えるようなサウンドによる「KANASHIBARI」であり、デジタルなサウンドをドラム隊が取り入れながら演奏すると、曲中には金髪のaoがステージに登場して、名前の通りに透き通った歌唱を聴かせてくれる。十明とは何もかもが対照的と言えるようなタイプであるが、それは曲が終わった後に
「めちゃくちゃ緊張してたんですけど、皆さんの前で歌えて嬉しかったです!」
と挨拶をし、洋次郎とともに今月リリースされる作品の告知をするというところからも感じられるが、去り際に洋次郎とハグをし合うあたりは洋次郎は本当にこの人の才能や能力を最大限に評価しているんだろうなと思った。
そんなここまでのこの日のライブを振り返って洋次郎は、ライブハウスの距離感でライブが出来ていること、そのライブハウスで観客の合唱が聞こえていることを
「これだと思った」
と口にする。アリーナやスタジアムでもライブをしてきたRADWIMPSが、そうした場所ではなくてこのライブハウスで口にした実感。それこそがRADWIMPSがライブハウスで生まれて育ってきたバンドであるということを改めて感じさせてくれたのだ。
しかし次に演奏する曲はそうした観客の声が響くことがないようなタイプの曲である、こちらも「すずめの戸締まり」のサウンドトラック収録の「Tamaki」であり、その壮大なスケールを誇るサビのメロディは実に美しいし、女性目線で描かれた歌詞が「あなた」の私の中での存在を徐々に大切なものにしていき、最後には
「光だった」
と着地するようになる構成も洋次郎の歌の表現力の素晴らしさたるや。その音楽が映画自体をより輝かせているということが本当によくわかる曲である。
すると洋次郎がピアノ弾き語りという形で歌い始めたのはなんと「オーダーメイド」であり、スクリーンに映る棒人間的な人が歌詞の通りに大切な人や感情を獲得していくようになる物語のような映像も実に素晴らしいのであるが、何よりもそのピアノと森によるデジタルなビートだけという削ぎ落とされた形から、徐々にバンドのサウンドになっていき、最後の
「「望み通り全てが
叶えられているでしょう?
だから涙に暮れる
その顔をちゃんと見せてよ
さぁ 誇らしげに見せてよ」」
というフレーズに至ると音源同様、いや、そうして展開を新たにすることによってさらに劇的にすら感じられるアレンジは、この曲は生まれた時には洋次郎の中で本来こうした形をイメージしていたんじゃないかとすら思える。この日演奏された過去の曲たちは基本的には音源から遠く離れない今の形で演奏されていたのが、この曲だけはガラッとその装いを変えていたのがより一層そう思えるのだ。このアレンジで音源を再録して欲しいとすら思うくらいに。
そんな沁みいるような「オーダーメイド」から一転して洋次郎の歌い出しの後のバンドサウンドによって観客が飛び跳ねまくるのは「05410-(ん)」であり、もちろん観客だけではなくて桑原も武田も飛び跳ねまくるのであるが、その表情の何と嬉しそうかつ楽しそうなことか。それはやはりこの曲のサビの英語歌詞フレーズの部分でも全く曖昧になることなく大合唱していた観客の歌声を聞くことができているというのがその表情にさせているのだろうし、実際にその直後の武田と桑原による挨拶的なMCはそのことに触れるものであった。洋次郎はそんな2人のMCをしっかりと聞いてから、スタッフや観客自身に拍手を求める。それによって苦しかった思いをしてきたコロナ禍以降の日々が報われた人だってたくさんいるはずだ。
特にRADWIMPSはコロナ禍になってから割と早い段階で横浜アリーナでスタンディングエリア全面をLED映像が映し出されるスクリーンにして使い、スタンド席のみ、しかも1席空けた状態での観客がそれを見ることができていたというのも、ライブに関わる裏方の人たちが少しでも仕事ができるようにという思いによって作られたライブであったことを見てきたからこそ一層そう思えるのだ。
そして洋次郎がギターを持ち、最初からさらに大きな観客の歌声を求めるように歌い始めたのは「有心論」で、もちろんこの日最大と言っていいレベルの大合唱が起こるのであるが、その声を聴いて、この光景を見て、洋次郎が言ったように「これだ」と思った。こうやってずっとRADWIMPSのライブでこの曲をみんなで大合唱してここまで生きてきたんだと。そこでRADWIMPSの音楽が、バンドの存在が自分にとってどれだけ大切なものであるかを確かめるかのように歌ってきたのだ。それがこの瞬間にはっきりとわかったからこそ、これまで聴いてきた中で1番魂が震えて感動してしまった「有心論」だったし、自分の周りには自分より少し上くらいの年齢のイカつい感じの見た目の男性が何人もいたのだが、そんな人たちもみんな腕を挙げて大合唱していた。それはきっと見た目は全く違えど、この人たちが自分と同じように生きてきて、今同じような感覚を確かに得ていると感じられたし、だからこそ心の中で彼らと肩を組んで歌っているような感覚になれたのだ。
そんなライブの最後に演奏されたのは、もうこの日のライブを言い表すのにこれ以上ないくらいのタイトルである「会心の一撃」。桑原が鳴らすギターのイントロの段階で観客は大歓声を上げて腕を挙げる。その桑原も武田も
「未来!」
というフレーズを洋次郎が歌うと楽器を抱えて飛び跳ねる。洋次郎のソロではなくて、この3人と智史の存在があってこそ、そこに我々の声が重なるからこそ変わらずにRADWIMPSであり続けることができると思わされるような光景。
「圧倒的で感動的な 理想的超えて完璧な
創造的で本能的な 奇跡的超えて幸福な」
未来はまさにこの瞬間そのものだった。そう思えるようなRADWIMPSのライブがついに戻ってきた。そんな確信が心の中に充満していた。
アンコールを待つ間の時間。観客がメンバーを呼び込むために「もしも」の大合唱をする。それもまた観客が声を出せるようになったことで戻ってきたものであるが、その合唱や光景にも感動せざるを得ないのは、それが出来なかった期間が確かにあったからであるのだが、ツアーTシャツに着替えたメンバーが再びステージに登場すると、巨大なフラッグを手渡されてステージ上のドラムセットなどにそれを掲げ、洋次郎は最初はギターを持っていなかったのだが、
「このステージに立ったらやる曲はこれだと思った。っていうか俺が今この曲を歌いたい」
と言ってメンバーに耳打ちしてから演奏されたのは
「ロックバンドなんてもんをやっていてよかった」
という、まさに今この瞬間の実感がそのまま歌詞になっているかのようにすら感じられる「トアルハルノヒ」。武田に合わせて観客は歌い出したからみんな手拍子をしているが、その音の大きさにそのバンドの感情がこれ以上ないくらいに伝わっているというのがよくわかるし、こうしてライブハウスでこの曲を聴けているのが本当に嬉しい。それはRADWIMPSがライブハウスで生きるロックバンドであり続けるであろうことを感じさせてくれるからだ。どんな形態よりも、ロックバンドなんてもんをやってくれていてくれて本当にありがとうと心から思える。それはこの曲のサウンドがロックバンドのものでしかないからだ。
そして洋次郎は十明とaoのリリースについて告知しながら、自分たちもこの日に新曲「大団円 feat. ZORN」をリリースしたことを告知するのであるが、
「スポーツができないから、勝負についての曲を書くのが凄く難しかった。俺は勝ちたい人がいたら勝ちを譲っちゃう人だから、スポーツができなくて。だからめちゃくちゃ作るのが難しかったんだけど、吉田麻也選手にインタビューさせてもらったりして、そこで聞いた言葉をヒントにして作っていった」
と、まさに今からその曲を演奏するかのような口振りで語るのであるが、
「ZORNがいないとこの曲はできないから(笑)」
ということで演奏はされず、観客を煽るとその声に疲れが見えることを看破しながら最後に
「東京の駄々っ子っぷりを見せてみろ!」
と言って演奏されたのはもちろん「DADA」で、ミクスチャー全開な桑原のギターリフとともに洋次郎は口に手を当てて「アワワワワ!」と声を上げ、サビでは何度もマイクを客席に向けると、
「明日明後日に声ガラガラになったり、筋肉痛になってもいいだろ!」
という言葉通りに観客はこの日最大最高をさらに更新するような大合唱を巻き起こしながら飛び跳ねまくる。洋次郎も酸欠状態だと言っていたくらいに酸素が薄くなったライブハウスの、立ってるだけでも汗が流れ出してくるような熱気。それをRADWIMPSのライブでまた感じることができている。もちろん熱狂しながらも、この日の「DADA」はそんな感覚を噛み締めながら歌って飛び跳ねていた。
演奏が終わるとメンバーがステージを去る中で残った洋次郎が客席のあらゆる方向に向けて、手の形をハートマークにして客席にカメハメ波を放つ。こんな洋次郎の姿を見るのも本当に久しぶりだ。それはやっぱり戻りたい明日にRADWIMPSが帰ってきたからだ。
でもただバンドがライブハウスに帰ってきたわけじゃない、観客と、その歌声も一緒にライブハウスに帰ってきたのだ。そんなRADWIMPSの「BACK TO THE LIVE HOUSE TOUR」は、RADWIMPSの存在と音楽が自分の中で本当に大事なものであることを確かめさせてくれるものだった。
1.ココロノナカ
2.なんちって
3.ソクラティックラブ
4.ます。
5.ハイパーベンチレイション
6.指切りげんまん
7.おあいこ (洋次郎弾き語り)
8.me me she
9.かたわれ時
10.そっけない
11.すずめ w/ 十明
セッション
12.ヒキコモリロリン
13.俺色スカイ
14.KANASHIBARI w/ ao
15.Tamaki
16.オーダーメイド
17.05410-(ん)
18.有心論
19.会心の一撃
encore
20.トアルハルノヒ
21.DADA
それくらいに久しぶりにバンドとファンがタイトル通りにライブハウスに帰還するのが今回の全国のZeppを回るツアー「BACK TO THE LIVE HOUSE TOUR 2023」。この日はZepp Hanedaでの2days初日であり、この羽田を終えた後に翌週の福岡でファイナルを迎える。
やはりこの規模ともなると超満員を超えてるレベルの観客が待ち受ける中で、19時を少し過ぎたあたりでフライング気味に客席から歓声が上がって場内が暗転すると、ピアノを軸とした静謐でありながらも壮大なSEが流れて、ステージから客席に向かってレーザー光線が放たれる中でメンバーが登場。おなじみのサポートドラマーである森瑞希とエノマサフミの2人が先に現れ、その後に桑原彰(ギター)と武田祐介(ベース)が続く。最後にノースリーブ姿で、ライブハウスのステージで見るとより長身っぷりが際立つ野田洋次郎(ボーカル&ギター&キーボード)が登場すると、一際大きな歓声が起こる。
そう、その歓声こそがRADWIMPSのライブにおいては実に久しぶりの遠慮なしの(昨年末から初頭にかけて行われたツアーではまだ完全に声が出せるというわけではなかった)ものであり、それが当たり前のように響いてた場所であるライブハウスにRADWIMPSが帰ってきたという実感を抱かせるのが、最初はボーカル部分も含めて打ち込みで流れているというSEに続くような形だったのが徐々に洋次郎の歌とバンドの音が重なっていき、
「僕には帰りたい 明日があるから
僕にはまた逢いたい あなたがいるから」
というフレーズが打ち込みから洋次郎が歌うようになることによって、それがまさに今この瞬間や場所であり、目の前にいる人々であるということを強く感じさせてくれるような、すでにこの思いを受け取るだけで感動してしまうようなオープニングだ。
しかもそんなオープニングから続くのが、バンドの重厚なミクスチャーサウンドが久しぶりにライブハウスに轟く「なんちって」と、早くも観客が拳を振り上げまくり、声を発しまくるというとんでもない先制パンチなのだが、ツインドラムとして新たな生命を宿されたこの曲のリズムと、その2人のドラマーに1人で対峙し、音を合わせる武田が「こんなにも!?」と頭を振りながら演奏する姿に驚いてしまうのだが、何よりも驚くのが客席の熱量の凄まじさ。挙げようとしているというよりも、挙がってしまう腕。出そうというよりも、出てしまう歓声と合唱。観客の誰もがRADWIMPSのライブを、この曲を待っていたということが実によくわかるのであるが、ラスサビ前ではおなじみの桑原のセリフから洋次郎の
「とか言っちゃったりなんかして」
のフレーズへと繋がっていくのであるが、洋次郎がそこを噛んでいたのはもはやご愛嬌と言ってもいいくらいのものかもしれない。それでも最後には
「なーんちってね」
のフレーズで声を合わせる観客を褒め称えるのが洋次郎である。
しかしその洋次郎が一転して
「東京!行けるか!」
と問いかけ、声は上がっているのにまだまだだとばかりに
「全然なんも聞こえない!」
とさらに観客の声を大きく煽るように叫んでから、ステージ背面には美しい映像も映し出される中で、武田のゴリゴリのベースがこのバンド特有のミクスチャー感を生み出す「ソクラティックラブ」へ。桑原のギターも轟音を増し、洋次郎は「Oh〜」というメンバーと観客のコーラスにノリノリで体を委ねていくのであるが、このバンドからミクスチャー感を感じるのはリズム隊もしかり、洋次郎のこのラップ的な歌唱のリズム感によるものも大きい要素であると思う。
洋次郎がギターを持って桑原とともに鳴らすイントロが流れただけで大歓声が上がるのはライブでおなじみの「ます。」であるが、そのイントロで武田が全てのYouに向けて腕を広げて指を差すような仕草をすると、もちろん観客は凄まじい熱量でその思いを受け止めるように腕を上げての大合唱。特に
「迷わずYou!」
の部分は言わずもがなの合唱っぷりであるが、その直後のコーラスフレーズに合わせて桑原と武田がぴょんぴょんと飛びながら演奏する姿はリリースからこれまでずっと変わることはない。それはこれからも変わらないんだろうなということを感じさせてくれるのである。
ステージ背面のスクリーンは曲に応じて使ったり使われなかったりという演出の削ぎ落としっぷりもライブハウスならではであるが、そんな中で今まさに演奏しているメンバーの姿がモジュレーションされたようなエフェクトが施されて映し出されるのは、やはり武田のゴリゴリのベースに洋次郎すらもイントロで声を上げた「ハイパーベンチレイション」であるのだが、リリース時はライブにおいては混迷の時代というか、自分たちの曲を最大限の力で鳴らすことができずに、当時出演していたフェスで演奏された時も実に消化不良な感じだったのだが、今は全くそんなことを感じさせない盤石の演奏っぷりで観客の思いに応えている。それは思い返すとすでに山口智史(ドラム)の身体的な不調が顕著になり始めていたんだろうかとも今になると思ったりする時期でもあるのだが。
そんなミクスチャーな、ゴリゴリのバキバキな曲が連発された前半から一気に空気もサウンドも柔らかく穏やかになっていくのは、イントロのギターのフレーズからもそれを感じるような「指切りげんまん」であるのだが、ギターだけではなくてリズムも削ぎ落とされていることによって、こうした曲では森がシンプルなビートを刻み、エノはパーカッション的な形で彩を与えるというツインドラムの形に。しかしながら1番の肝は
「指切りげんまん 嘘ついたら針千本飲ます」
というコーラスフレーズで観客が指を掲げるようにして合唱するというものであろう。それはRADWIMPSと必ずまたこうして目の前で会って、感情の交歓を果たし合うという約束をするかのようだった。
すると洋次郎が桑原に近付いて行って、桑原のギターのボリュームを上げるようにツマミを回すとイントロの音が聞こえてくる…という形であのRADWIMPS屈指の名曲バラードが演奏される…と思ったら洋次郎は直後に弾いた自身のギターを
「音が小さい気がする」
と言ってスタッフに渡して一旦曲を中断し、予定外の時間が生まれてしまったことによって洋次郎はステージ中央のピアノの前に座り、急遽弾き語りで「おあいこ」を歌い始めるというサプライズ。それをこんなに瞬時にできるというあたりが流石でしかないのであるが、それが最高のファンサービスにもなっている。おそらくはこうしたアクシデントがなければ聴けない曲だっただろうから。
そんなサプライズを経て
「さっきのことは忘れてください(笑)」
と言って再び洋次郎が桑原のギターのツマミを回すようにしてイントロが鳴らされると、律儀にちゃんと初めてかのような歓声のリアクションが起きて始まったのは「me me she」。先ほども書いたようにRADWIMPS屈指の名バラード曲であるが、この曲を聴くと当時のインタビューで洋次郎が
「女々しいっていうのは漢字とは裏腹に男性のための言葉。女性には女々しいって言わないから」
と言っていたこと、洋次郎自身がそうした人間であるということを改めて感じさせるのであるが、その洋次郎が最後のサビ前に観客を煽るように腕を振ると、桑原と武田とともに観客が
「「さよなら」と一緒に」
「僕からの言葉を」
というコーラスフレーズを大合唱する。そんなバラード曲ですら起こる合唱に、この日のライブの内容の意味が分かりかけてきた気もするが、
「暇つぶしがてら2085年まで待ってるよ」
と紛れもなく自分と同世代であるこのバンドが歌うからには、自分も2085年まで、つまりは100歳になるまで一緒に生きていたいなと思う。
その「me me she」は
「この恋に僕が名前をつけるならそれは「ありがとう」」
という歌詞によって締められるのであるが、だからこそ演奏後には
「ありがとうー!」
という観客からの声が(一部「ありがとうございます!」の声に洋次郎も反応していた)上がっていたのだが、それは観客からのRADWIMPSへの恋の名前もまた「ありがとう」であるということを示しているかのようだ。
そうして洋次郎が観客の声に応えながらピアノに移動すると、RADWIMPSがロックファン以外の人々に再発見されるきっかけとなった「君の名は。」のサウンドトラック収録の、洋次郎のピアノの旋律も、映画のクライマックスである流星群が降り注ぐシーンを思わせる映像も本当に美しく、このまま映画の主題歌たち(「スパークル」なんか特に)を聴きたい、なんならたまにTVでもやっているけれど、また映画を観たいとすら思ってしまう。
そのまま洋次郎がピアノを弾き続け、ピアノ弾き語りという形から徐々にバンドの音が優しく温かく重なっていく「そっけない」はそのサウンドに合わせるように武田がウッドベースに持ち替えているのであるが、洋次郎は曲後半になると再び客席の方を見て腕を振って煽るような仕草をすると、この曲でもサビで大合唱が起こる。みんなよくこの曲の歌詞をこんなに大声で歌えるくらいに完璧に覚えているな〜と観客のRADWIMPSへのあまりの愛情の深さに感心してしまうくらいであるが、そのバラード曲ですら合唱が起こる曲の連発という光景を見て、この日このセトリになった理由がはっきりとわかった。それは洋次郎は、RADWIMPSは明確に観客の歌声を聴きたがっているということだ。久しぶりの観客の声が聴けるライブ、ライブハウスでのツアー。その全ての要素が自分の頭の中でガッチリと噛み合ったような感じがしていた。
するとそのまま薄暗くなったステージには袖から明らかに女性ボーカリストと思える影が見える。最前の観客が悲鳴的な歓声を上げていただけに、これはもしかしたらあいみょんやAimerクラスのゲストが…と思ったら、歌い始めた曲が映画「すずめの戸締まり」のメインテーマ的な曲の「すずめ」であることと、その姿によってこの曲でメインボーカルを務める十明であることがわかるのであるが、洋次郎がピアノ、桑原がキーボード、武田がウッドベース、ツインドラムも抑制されたビートであることによって、その少女性の強い声に儚さが含まれている十明の歌唱が際立つ形になっているのだが、背面のスクリーンに映る映像が穏やかな海からマグマが燃え盛るようなものに変わっていくように、特に
「愚かさでいい 醜さでいい 正しさのその先で 君と手を取りたい」
という映画の登場人物たちの生き様と重なるようなフレーズには確かな激情を感じさせる。それが静謐なサウンドの中から溢れ出す強い人間のエネルギーになっている。十明は歌い終わると喋ることなく一礼してすぐにステージから去っていったが、洋次郎が見出した歌い手の中では強いクセや個性などが音源を聴いた限りでは今までのシンガーに比べると見当たらないようにも感じていた十明がもの凄い可能性を持った表現者であることを確かに感じさせてくれた。
すると武田のベースソロをきっかけにして、桑原のギターソロも展開され、それが2人が向かい合って密着するようにして演奏するバトルのようなものになると、さらには森、そしてエノのドラムソロとそのバトルのような演奏へと繋がる。状態がブレない金髪になった森と、頭を思いっきり振り乱しながら叩くエノのドラマーとしてのスタイルは全く違うが、だからこそ互いを補完する意味でもRADWIMPSのドラマーとして2人でやっていけているんだろうなとも思う。
そのセッション的な演奏が武田&森の下手チーム、桑原&エノの上手チームに分かれてのものとなり、洋次郎が指揮者のようにそれぞれの演奏の音量をコントロールするようにすると観客からはもちろん大歓声が起こり、その演奏はそのままなんと久しぶりの「ヒキコモリロリン」へと繋がることによってさらに歓声が大きくなる。現行のRADWIMPSのヒップホップ的なサウンドとは違う、明確にミクスチャーロックという(当時ミクスチャーの代表であったDragon Ashのkjとも洋次郎はフェスの企画で対談している)サウンドと歌唱が今でも我々観客を心の底からぶち上げながらも、今聴くととんでもなく変な展開の曲だなとも思う。それは今ではもう狙って作ることができない衝動によって生まれたものだろうけれど、それは
「じゃんけんの必殺は「最初はチョキ」」
と元の歌詞と出し手を変えることによって洋次郎の一人勝ち状態になるというのも含めて。
しかし
「いつの日か(誰かが)死ぬとき(君のことを)最期に思う人がいたなら
君のね(ありがとう)命はね(ありがとう)母ちゃんに礼を言う「ありがとう」」
のコーラスフレーズで大合唱が起こるのもやはりこのツアーでこの曲が演奏されている意味を感じざるを得ないし、
「今日で人を愛せるのは 人生最後だって思って生きれたら
きっと優しくなれるから 一生分毎日愛せるから」
という歌詞は今でも変わらず洋次郎の、RADWIMPSの中に宿る人間としての優しさや温もりを感じさせてくれる。予期せぬタイミングな出来事で炎上することも多々あるバンドだけれど、それでもこうしてその音楽を、バンドを愛する人たちがそれをわかってさえいれば、好きじゃない人にどう言われたって気にすることなんて全くないなとこの場にいると改めて思う。
そんな久しぶりの曲に続くのはさらに久しぶりの曲となる、スクリーンにタイトルに合わせて空の映像が映し出される「俺色スカイ」であり、もちろん
「PLEASE PLEASE BE WITH ME FOREVER
SHINE SHINE FOR ME PLEASE WILL YOU?」
のコーラスフレーズではかなりのハイトーンにもかかわらず大合唱が起こるのは客席に女性の観客がたくさんいたことによるもの(男性のキーじゃ出ない)だろうけれど、近年のサウンドや歌詞とは全く異なる、学生時代に作られたからこそ、我々が学生の頃に朝まで飲んだり遊んでいた時のテーマソングであったこの曲を今にして演奏するのも間違いなくこの大合唱をバンドが求めているからだろう。その頃のことを懐かしくも思うけれど、あれから15年くらい経っても今もRADWIMPSがこの曲をライブで演奏してくれているということが本当に幸せに感じられるし、そこには互いに大人と言われる年齢になっても変わらないものが確かにあるんだろうなとも思う。
そんな過去の大名曲たちから一気に時間軸を現在に引き戻すようにして、
「もう1人、ゲストを呼んでいいですか?」
と言って演奏されたのは最新と言えるようなサウンドによる「KANASHIBARI」であり、デジタルなサウンドをドラム隊が取り入れながら演奏すると、曲中には金髪のaoがステージに登場して、名前の通りに透き通った歌唱を聴かせてくれる。十明とは何もかもが対照的と言えるようなタイプであるが、それは曲が終わった後に
「めちゃくちゃ緊張してたんですけど、皆さんの前で歌えて嬉しかったです!」
と挨拶をし、洋次郎とともに今月リリースされる作品の告知をするというところからも感じられるが、去り際に洋次郎とハグをし合うあたりは洋次郎は本当にこの人の才能や能力を最大限に評価しているんだろうなと思った。
そんなここまでのこの日のライブを振り返って洋次郎は、ライブハウスの距離感でライブが出来ていること、そのライブハウスで観客の合唱が聞こえていることを
「これだと思った」
と口にする。アリーナやスタジアムでもライブをしてきたRADWIMPSが、そうした場所ではなくてこのライブハウスで口にした実感。それこそがRADWIMPSがライブハウスで生まれて育ってきたバンドであるということを改めて感じさせてくれたのだ。
しかし次に演奏する曲はそうした観客の声が響くことがないようなタイプの曲である、こちらも「すずめの戸締まり」のサウンドトラック収録の「Tamaki」であり、その壮大なスケールを誇るサビのメロディは実に美しいし、女性目線で描かれた歌詞が「あなた」の私の中での存在を徐々に大切なものにしていき、最後には
「光だった」
と着地するようになる構成も洋次郎の歌の表現力の素晴らしさたるや。その音楽が映画自体をより輝かせているということが本当によくわかる曲である。
すると洋次郎がピアノ弾き語りという形で歌い始めたのはなんと「オーダーメイド」であり、スクリーンに映る棒人間的な人が歌詞の通りに大切な人や感情を獲得していくようになる物語のような映像も実に素晴らしいのであるが、何よりもそのピアノと森によるデジタルなビートだけという削ぎ落とされた形から、徐々にバンドのサウンドになっていき、最後の
「「望み通り全てが
叶えられているでしょう?
だから涙に暮れる
その顔をちゃんと見せてよ
さぁ 誇らしげに見せてよ」」
というフレーズに至ると音源同様、いや、そうして展開を新たにすることによってさらに劇的にすら感じられるアレンジは、この曲は生まれた時には洋次郎の中で本来こうした形をイメージしていたんじゃないかとすら思える。この日演奏された過去の曲たちは基本的には音源から遠く離れない今の形で演奏されていたのが、この曲だけはガラッとその装いを変えていたのがより一層そう思えるのだ。このアレンジで音源を再録して欲しいとすら思うくらいに。
そんな沁みいるような「オーダーメイド」から一転して洋次郎の歌い出しの後のバンドサウンドによって観客が飛び跳ねまくるのは「05410-(ん)」であり、もちろん観客だけではなくて桑原も武田も飛び跳ねまくるのであるが、その表情の何と嬉しそうかつ楽しそうなことか。それはやはりこの曲のサビの英語歌詞フレーズの部分でも全く曖昧になることなく大合唱していた観客の歌声を聞くことができているというのがその表情にさせているのだろうし、実際にその直後の武田と桑原による挨拶的なMCはそのことに触れるものであった。洋次郎はそんな2人のMCをしっかりと聞いてから、スタッフや観客自身に拍手を求める。それによって苦しかった思いをしてきたコロナ禍以降の日々が報われた人だってたくさんいるはずだ。
特にRADWIMPSはコロナ禍になってから割と早い段階で横浜アリーナでスタンディングエリア全面をLED映像が映し出されるスクリーンにして使い、スタンド席のみ、しかも1席空けた状態での観客がそれを見ることができていたというのも、ライブに関わる裏方の人たちが少しでも仕事ができるようにという思いによって作られたライブであったことを見てきたからこそ一層そう思えるのだ。
そして洋次郎がギターを持ち、最初からさらに大きな観客の歌声を求めるように歌い始めたのは「有心論」で、もちろんこの日最大と言っていいレベルの大合唱が起こるのであるが、その声を聴いて、この光景を見て、洋次郎が言ったように「これだ」と思った。こうやってずっとRADWIMPSのライブでこの曲をみんなで大合唱してここまで生きてきたんだと。そこでRADWIMPSの音楽が、バンドの存在が自分にとってどれだけ大切なものであるかを確かめるかのように歌ってきたのだ。それがこの瞬間にはっきりとわかったからこそ、これまで聴いてきた中で1番魂が震えて感動してしまった「有心論」だったし、自分の周りには自分より少し上くらいの年齢のイカつい感じの見た目の男性が何人もいたのだが、そんな人たちもみんな腕を挙げて大合唱していた。それはきっと見た目は全く違えど、この人たちが自分と同じように生きてきて、今同じような感覚を確かに得ていると感じられたし、だからこそ心の中で彼らと肩を組んで歌っているような感覚になれたのだ。
そんなライブの最後に演奏されたのは、もうこの日のライブを言い表すのにこれ以上ないくらいのタイトルである「会心の一撃」。桑原が鳴らすギターのイントロの段階で観客は大歓声を上げて腕を挙げる。その桑原も武田も
「未来!」
というフレーズを洋次郎が歌うと楽器を抱えて飛び跳ねる。洋次郎のソロではなくて、この3人と智史の存在があってこそ、そこに我々の声が重なるからこそ変わらずにRADWIMPSであり続けることができると思わされるような光景。
「圧倒的で感動的な 理想的超えて完璧な
創造的で本能的な 奇跡的超えて幸福な」
未来はまさにこの瞬間そのものだった。そう思えるようなRADWIMPSのライブがついに戻ってきた。そんな確信が心の中に充満していた。
アンコールを待つ間の時間。観客がメンバーを呼び込むために「もしも」の大合唱をする。それもまた観客が声を出せるようになったことで戻ってきたものであるが、その合唱や光景にも感動せざるを得ないのは、それが出来なかった期間が確かにあったからであるのだが、ツアーTシャツに着替えたメンバーが再びステージに登場すると、巨大なフラッグを手渡されてステージ上のドラムセットなどにそれを掲げ、洋次郎は最初はギターを持っていなかったのだが、
「このステージに立ったらやる曲はこれだと思った。っていうか俺が今この曲を歌いたい」
と言ってメンバーに耳打ちしてから演奏されたのは
「ロックバンドなんてもんをやっていてよかった」
という、まさに今この瞬間の実感がそのまま歌詞になっているかのようにすら感じられる「トアルハルノヒ」。武田に合わせて観客は歌い出したからみんな手拍子をしているが、その音の大きさにそのバンドの感情がこれ以上ないくらいに伝わっているというのがよくわかるし、こうしてライブハウスでこの曲を聴けているのが本当に嬉しい。それはRADWIMPSがライブハウスで生きるロックバンドであり続けるであろうことを感じさせてくれるからだ。どんな形態よりも、ロックバンドなんてもんをやってくれていてくれて本当にありがとうと心から思える。それはこの曲のサウンドがロックバンドのものでしかないからだ。
そして洋次郎は十明とaoのリリースについて告知しながら、自分たちもこの日に新曲「大団円 feat. ZORN」をリリースしたことを告知するのであるが、
「スポーツができないから、勝負についての曲を書くのが凄く難しかった。俺は勝ちたい人がいたら勝ちを譲っちゃう人だから、スポーツができなくて。だからめちゃくちゃ作るのが難しかったんだけど、吉田麻也選手にインタビューさせてもらったりして、そこで聞いた言葉をヒントにして作っていった」
と、まさに今からその曲を演奏するかのような口振りで語るのであるが、
「ZORNがいないとこの曲はできないから(笑)」
ということで演奏はされず、観客を煽るとその声に疲れが見えることを看破しながら最後に
「東京の駄々っ子っぷりを見せてみろ!」
と言って演奏されたのはもちろん「DADA」で、ミクスチャー全開な桑原のギターリフとともに洋次郎は口に手を当てて「アワワワワ!」と声を上げ、サビでは何度もマイクを客席に向けると、
「明日明後日に声ガラガラになったり、筋肉痛になってもいいだろ!」
という言葉通りに観客はこの日最大最高をさらに更新するような大合唱を巻き起こしながら飛び跳ねまくる。洋次郎も酸欠状態だと言っていたくらいに酸素が薄くなったライブハウスの、立ってるだけでも汗が流れ出してくるような熱気。それをRADWIMPSのライブでまた感じることができている。もちろん熱狂しながらも、この日の「DADA」はそんな感覚を噛み締めながら歌って飛び跳ねていた。
演奏が終わるとメンバーがステージを去る中で残った洋次郎が客席のあらゆる方向に向けて、手の形をハートマークにして客席にカメハメ波を放つ。こんな洋次郎の姿を見るのも本当に久しぶりだ。それはやっぱり戻りたい明日にRADWIMPSが帰ってきたからだ。
でもただバンドがライブハウスに帰ってきたわけじゃない、観客と、その歌声も一緒にライブハウスに帰ってきたのだ。そんなRADWIMPSの「BACK TO THE LIVE HOUSE TOUR」は、RADWIMPSの存在と音楽が自分の中で本当に大事なものであることを確かめさせてくれるものだった。
1.ココロノナカ
2.なんちって
3.ソクラティックラブ
4.ます。
5.ハイパーベンチレイション
6.指切りげんまん
7.おあいこ (洋次郎弾き語り)
8.me me she
9.かたわれ時
10.そっけない
11.すずめ w/ 十明
セッション
12.ヒキコモリロリン
13.俺色スカイ
14.KANASHIBARI w/ ao
15.Tamaki
16.オーダーメイド
17.05410-(ん)
18.有心論
19.会心の一撃
encore
20.トアルハルノヒ
21.DADA
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