米津玄師 2023 TOUR / 空想 @横浜アリーナ 7/2
- 2023/07/03
- 20:31
今や本人がTVのCMに出演するくらいの存在となった、米津玄師。昨年もコロナ禍以降初めてのツアーを行ったが、そのツアーファイナルのさいたまスーパーアリーナで発表された通りに今年もツアー「空想」を開催。
この日の横浜アリーナはツアーファイナルとなるのであるが、前回のツアーでもファイナルでKing Gnuの常田大希がゲストとして出演しただけに、そうしたファイナルならではのコラボもあるんじゃないかと期待が高まるし、この横浜アリーナでのワンマンとなると、演出も歌唱も素晴らしかったにも関わらず以降の公演がコロナによって中止になってしまった「HYPE」で見た時のことを思い出さざるを得ない。
ツアーファイナルかつ日曜日ということもあってか、早めの17時という開演時間を少し過ぎたあたりで場内が暗転すると、ピアノの音をメインにした、穏やかでありながらも壮大さをも感じさせるSEが流れるとメンバーがステージに登場。ツアー前のrockin'on JAPANのインタビューで
「カラオケみたいになっちゃう曲が増えてきたから、そろそろ新キャラを入れようと思ってる」
と語っていたとおりに、下手側に堀正輝(ドラム)、須藤優(ベース)というおなじみのリズム隊、上手側には鮮やかな金髪のおなじみの中島宏(ギター)と、このツアーから新たに加わった宮川純(キーボード)がスタンバイし、最後にステージ奥から緑のセットアップに身を包んだ米津玄師が現れると客席から大歓声が起こる中で「カムパネルラ」からスタートするのであるが、キーボードが入ったことによって楽曲のライブでの再現度が格段に向上しており、それがステージから鳴る音全体のライブ感の向上に繋がっている。髪を左右に分けていることによって目元まではっきりと見える米津玄師の歌唱も、この横浜アリーナでも2daysで1日空けてまた2daysという変則的かつ過酷な日程であるが、米津玄師は何故か昔から2daysだと2日目の方が良く声が出るという稀有なシンガーであるためにこの日もマイクスタンドを握りしめて歌うこの曲も歌声は実に伸びやかで、当初はひたすらにメンバーが演奏する姿を肉眼で捉えるしかなかったのが、曲最後には実は背面の壁一面がLEDスクリーンになっており、そこにこの曲の元ネタと言える銀河鉄道が宇宙を走るような映像が映し出されるのが、その銀河鉄道がこの日も走り始めたというライブのスタートを感じさせてくれる。
そのスクリーンに一転してアルバム「STARAY SHEEP」のジャケットのイラストを思わせる映像や、万華鏡の中をのぞいているかのような極彩色の煌びやかな映像、さらには
「フィルムは回り続けている」
というフレーズに合わせるように、巨大な映写機の中を覗き込んでいるかのような歯車が回り続ける映像と、次々に美しい映像が切り替わっていく「迷える羊」では米津玄師が腕を大きく広げて歌うことによって、そのメロディとサウンドがより壮大なものとして感じられる。完全にこの広いアリーナがこのライブのために存在しているかのようであるし、なんならこの規模ですら小さく感じてしまう演奏と歌唱、演出のスケール感の大きさである。
「どうもこんばんは、米津玄師でーす!」
と米津玄師がハンドマイクを持って高らかに挨拶をすると、おそらくは戦争によって荒廃し、車が燃えているのであろう街並みの中に稲妻が走るような映像が映し出されたステージにはMELRAWホーンズの4人が登場して「感電」を彩るホーンサウンドを同期ではなくて生で奏で、さらにはおなじみの辻本ダンサーズも登場してキレがありながらもどこか前衛的にも感じるダンスを見せてくれる。ダンサーたちはステージから伸びる花道を進んでいったりもするのであるが、自身はステージに止まる米津玄師はその場で躍動感を感じる動きを見せながら歌い、あまつさえ目元でピースサインを作ったりもしている。その挙動と表情の全てがとにかく実に楽しそうであり、それを見ていると我々もより楽しくなってくるのである。
「ツアーファイナルですけど、気合いを入れたりとかじゃなくて、いつも通りにやりたいと思います」
とギターを持った米津玄師がこの日のライブに向けての思いを語ると、ギターを弾き始めたのはなんと「街」のイントロ。自分が米津玄師に出会った作品である、米津玄師としての1stフルアルバム「diorama」の1曲目、つまり自分がCDを買って初めて聴いた米津玄師の曲であり、彼が渋谷O-Crestで人生初のシークレットライブを行った時に1曲目に演奏していた、ライブで初めて聴いた曲でもある。
メンバーの頭上のLEDスクリーンが降りてきて光が降り注ぐ中で演奏するという姿は、このツアータイトルが「空想」であるとおりに、この曲がリアルな存在としてのどこかの街ではなくて、米津玄師が空想の中で生み出した街のことを歌っている…そういう意味では米津玄師の始まりにして、今でも核であり続けている曲であるとも言えるのだが、まさか今になってこの曲をライブで聴けるなんて思っていなかった。それくらいに近年の米津玄師の曲とは音楽的に距離感があるから。だからこそこの曲をライブで聴けた日々を忘れずに記憶しておこうと思って生きてきた。
でも人生初ライブでは歌ってギターを弾くだけでいっぱいいっぱいだった米津玄師が、今ではステージ上でその「空想」というテーマをこの曲から伝えるかのように、ステージ上を歩き回りながら感情を込めるようにギターをかき鳴らしている。あの時に最前列しかいなかった(シークレットだったからというのもあるが)観客は1000倍くらいに増えた。その光景を見ていたら、2012年の「diorama」リリースから2014年の初ライブ、そして今に至るまでの米津玄師にまつわる記憶がブワーっと一気に蘇ってきた。米津玄師の存在や音楽を通して繋がることができた人もたくさんいることも。まさかこんなライブ序盤でこんなにも感極まるなんて思っていなかった。自分も、もしかしたら米津玄師も、一つずつ治しながら生きてきたのかもしれない。
米津玄師がギターを置くと、背面には白と黒が入り混じるような、どこか油絵や切り絵的なアートの表現手法を思わせるような映像が映し出され、ハンドマイクで体を揺らしながら歌う米津玄師の歌唱方法も姿も「妖艶」と形容したくなるような「Decollete」、一転して温かさを感じるようなオレンジ色の照明がほのかにメンバーを照らす中で、歌詞のメッセージをダイレクトに伝えるかのようにして米津玄師がマイクスタンドを握りしめて感情を込めて歌う「優しい人」と、このあたりは「STRAY SHEEP」収録の聴かせるタイプの曲が続くのであるが、アルバムリリース後のライブが今回の「空想」と前回の「変身」しかやっておらず、しかも「変身」ではセトリに入っていなかったために、このツアーで初めてライブで聴く曲であるだけに、こうした表現なのかとも改めて思わされる曲たちでもある。
その聴かせる流れの延長上として演奏されたのは米津玄師の存在を国民的と呼べるような位置まで押し上げた「Lemon」であり、曲中には花道の先に米津玄師のライブではおなじみのダンサーの菅原小春が現れ、凄まじい腹筋の力を持っていないと絶対にできないような動きでこの曲の持つ「喪失」というテーマを感じさせるのであるが、後半では曲に合わせて黄色い照明がステージを照らし、メンバーの頭上の四角形のLEDにはレモンのような黄色い宝石が砕け散るような映像も流れる。
しかもその砕け散るような映像はそのまま「M八七」にも引き継がれることによって、この2曲が連なる物語の上にあるかのような、「変身」の時とは全く違う流れを作り出す。もちろん最後にはスクリーンいっぱいに美しい星空の映像が映し出されるのであるが、それはいなくなってしまった人たちが星になって輝いていることによって、残された人を見守っているかのような。それは今の米津玄師の歌唱に宿る情感をもってして
「君が望むなら それは強く応えてくれるのだ
今は全てに恐れるな 痛みを知る ただ一人であれ」
と歌われることによって感じられるものである。
そんな米津玄師は何故か今になって絶賛マインスイーパにハマってしまっているらしく、音楽制作の合間にプレイしていたのがいつのまにか夜6時から朝6時までぶっ続けでやるくらいになっており、指が棒になる感覚すらも味わい、道を歩いていてもタイルがあると「あの中にいくつ爆弾が…」と思ってしまうくらいに生活を侵食しているレベルになっているという。
しかしながらその爆弾を見つける際に運で2択を迫られた時に名探偵コナンの劇場版1作目で蘭が爆弾のスイッチを停止する際に赤と青のコードを切るという最大の選択を迫られた際にコナン(工藤新一)が電話越しに「赤を切れ」と伝えるも、蘭は青を切って見事に爆弾を止め、新一に「何故青を切った?」と問われると、
「赤を切ったらあなたとの赤い糸も切れてしまうと思ったから…」
という、思わず声を上げてしまうエピソードまでも口にするくらいにノリノリなのだが、結局そうして締切が迫る中でもマインスイーパをやりまくってしまう自分を、
「こんな日々もはや懲り懲りなんですよ!そう歌った歌があったなぁ!」
と見事に「LOSER」の歌詞へと繋げて演奏が始まるのであるが、背面のLEDスクリーンが2つに割れるとそれが足場が組み上がった建物の形になり、米津玄師は堀のドラムセットの背後のカメラに目線を合わせて歌いながらその足場を登っていく。花道に現れたダンサーたちの中の1人も米津玄師とは逆サイドの足場を登っていき、落ちてしまうんじゃないかと思うくらいの体勢で柵に絡みついたりするのであるが、かつては花道の先の足場が上昇して米津玄師が浮上するという形でも演奏されたこの曲では米津玄師はやはり高い位置に上がって歌うことになりがちである。その位置でも変わらずに歌い、観客を煽ることによって、メンバーの「フゥー」というコーラスに合わせて観客が一斉に飛び上がるという光景もずっと変わることはない。
米津玄師がその足場から降りていくとエレキギターを手にして弾きながら、須藤や宮川が観客に手拍子を煽って始まる「Nighthawks」はサウンドも歌詞も米津玄師の音楽の原点にはBUMP OF CHICKENなどのギターロックバンドがいることを感じさせるものであるが、中島の間奏のギターはどこか音源以上に「天体観測」を彷彿とさせるものになっている…と思っていたらこの曲の最後のサビ前で銀テープが客席に向かって放たれる。それ自体はライブで毎回やっている演出であるが、まさかこの曲でやるとは、と思うくらいに意外だったのだが、それだけこの曲が米津玄師にとって大事な曲だと言えるのかもしれない。
そのギターロックサウンドがさらに力強くなるのは前回のツアーでは明確に歌詞の対象のことを口にしてから演奏されていた「ひまわり」であるのだが、そのサウンドの迫力はやはりこのメンバーで米津玄師にしては長めのツアーを回ってきたことによって育まれたグルーヴによるものであろう。ライブをやるようになった最初から実力者であった堀と須藤に、米津玄師と中島というほとんどライブ経験がなかった両者が本当の意味で追いついて、そして全員が同じ感情を持ってこの曲に向き合い、音を鳴らしているからだとも思う。
イントロのサウンドが流れただけで歓声が上がったのは今に至るまでライブの定番曲であり続けている「ゴーゴー幽霊船」であるが、こちらもやはりその進化を続けるバンドのサウンドが遺憾なく発揮されている。分割されたLEDスクリーンからは微かに幽霊船と思しき絵が映し出されているのも見えるのであるが、米津玄師のカウントに合わせてメンバー頭上のスクリーンに数字が映し出されるというのも実に目線が忙しいのであるが、何よりも曲後半で堀がガンガン手数を増やしまくるというリズムがこの曲がライブで鳴らされてきたことによって進化を果たしてきたことを感じさせてくれるのである。
そのロックな流れが極まるのはステージにダンサーたちが現れてそれぞれがバラバラに踊り、ステージ前からは火柱が上がる「KICK BACK」であるが、「変身」のツアーファイナルでは常田大希がスペシャルゲストとして出演して最後に演奏されたこの曲も今回はこうして中盤に演奏されるようになっている。しかしハンディカメラを持って自身やメンバー、ダンサーの姿をスクリーンに映し出しながら
「努力 未来 ビューティフルスター」
というモーニング娘。の名フレーズを叫ぶようにして歌う米津玄師の姿や歌唱は震えるくらいにカッコよかったし、何よりも
「なんかすごい良い感じ」
のフレーズを
「超超超良い感じ!」
とやはり元ネタのモーニング娘。の曲のフレーズに変えて叫ぶようにしていたあたりはまさに我々観客をも超超超良い感じにしてしまうのである。こんなに燃え上がった後に何の曲をやるのかと思うくらいに。
そんな爆発的な流れを本人もが「冷ますように(笑)」と言って、米津玄師は今回のツアータイトルが「空想」であることの意味を口にする。それは自身が幼少期から活発な子供ではなくて、むしろ他の人とほとんど関わることなく空想ばかりしていたということ、そうして空想していた、自分が思い描いたものがそのまま音楽になったために、主役は自分ではなくて自分の作った音楽であり、今でも自分の中の大切なものとして「空想」を掲げたと。さらに
「みんなライブを見ていて、腕を上げたり声を出したりしてくれて嬉しいけれど、そうできないやつだっている。俺も昔ライブハウスにライブを見に行っても1番後ろで仏頂面して腕を組んで見たりしていた。そういう昔の自分みたいなやつがどれくらい来てくれているんだろうかと。俺の背中を見てくれなんて言えるわけじゃないけど、ここまで生きてきて思うのは、大丈夫だっていうこと、案外悪くないっていうこと。
空想ばかりしていた昔の自分みたいなやつが、俺の音楽を聴いて、安くないであろうお金を払って、今日っていう1日を費やしてライブを見てそう思えたらいいなって。今日は来てくれて本当にありがとうございました」
という言葉を聞いて感じるところがあったのは、自分も少なからずそうした部分を持っている人間だと思ったからであり、かつてライブに行き始めた頃は米津玄師のようにただ突っ立ってライブを見たりしていたことも多かったからであり、今こうしてライブに行ってはこうしたレポなんかを毎回書いているのは、学生時代の虚無の極みだったような、何にも持ち得る力も要素もなかった自分みたいなやつに、割と大人になるのは悪くないぞって言ってやりたいという気持ちが少なからずあるからだ。もちろん米津玄師のように果たしたこともなければ影響力もないけれど、米津玄師が過去の自分自身に語りかけているかのような姿を見て、確かにそんなことを思っていた。そうした部分が音楽だけではなくて米津玄師というアーティスト、人間に惹かれている部分なんだろうなと。
そんな空想の極致とも本人が言っていたのが、ファイナルファンタジーの最新作のタイアップとして生み出された最新曲「月を見ていた」であり、再び展開してLEDスクリーンに戻った背面いっぱいに海の映像(画質の美しさはこれまで見てきたあらゆるライブの中でもトップクラス)が映し出され、その上に月が浮かび上がってくるのであるが、じわじわとバンドの演奏が熱を帯びていくのに合わせるようにしてその月も赤く燃え上がり、ついには砕け散ってしまう。
自分はプレステ2までしか家庭用ゲーム機を持っていないので最近のファイナルファンタジーが全くわからないのであるが、それでも間違いなくゲームの内容に合わせて書かれたであろうこの曲の歌詞がどんな風にゲームのストーリーとリンクするのかが実に気になるし、それがわかればこの映像演出の意味もわかるのかもしれない。やる時間が全くないけれど、それでもこの曲を聴いて久しぶりにファイナルファンタジーをやってみたいと思った。映像のリアルさについていけないかもしれないけれど。
続いて演奏された「打上花火」もまた序盤は海の映像を引き継ぐように始まったのであるが、米津玄師が1人で歌って(曲が始まった時はもしかしたらファイナルだからDAOKOが来るかもしれないなんて思ってしまった)曲が進むと、スクリーンから映像が消え、薄暗くなった場内の壁に無数の花火を思わせるような光と影が浮かび上がるという、決して派手ではないというか、花火の映像を使うことだってできたであろうにそうしないでこの手法を取ったあたりに、米津玄師が言っていた「音楽が主役」という言葉を思い出さざるを得ないし、その演出のメリハリが素晴らしいと思う。
それはやはり米津玄師が単独で歌った(コラボ相手の菅田将暉は花を送ってはいたけれど)「灰色と青」でも波が寄せて返すような海の映像が映し出されていたのであるが、それによってこの日はこの曲のタイトルの「青」が海を指しているかのようにも感じたし、それは海が近い横浜の会場だからこそそう感じたのかもしれない。それは3年前にここで「海の幽霊」を聴いた時にも感じたことであるが、あの時と同じように、いや、あの時以上に米津玄師のボーカルは素晴らしく伸びやかであった。ちゃんと曲のスケールにパフォーマンスが追いついていると思わざるを得ないくらいに。
そして背面のスクリーンにピラミッドの壁画のような映像が映し出されていくのは「かいじゅうのマーチ」。サビではファルセット気味のボーカルを駆使する米津玄師の歌唱も含めて実に「美しい」とあらゆる要素から感じられる曲であるが、そのサウンドからはどこか温かさも感じられると、宮川が新たに加入したことによって、曲のオーケストラサウンドをシンセで奏でられるようになった「馬と鹿」がこのライブの最後を担う。ダンサーもステージに登場すると米津玄師はこの日初めて花道に向かってダンサーを引き連れて歩き出して歌うのであるが、なによりもその歌唱の素晴らしさによって胸が震える。その上手いというだけではなくて、感情を思いっきり込めるように体を揺さぶりながらの歌唱がこの曲に宿る美しさを最大限に引き出していると言っていいくらいに。そこにはタイアップのドラマをきっかけにしてラグビーの試合を見たりという様々な新しい経験がもたらしたものなのかもしれないが、こんなにライブを締めるのにふさわしいと思える曲ないなとも思っていたし、やはり
「君じゃなきゃ駄目だと」
とこの歌唱を聴いていて思うのである。
アンコール待ち中は手拍子とともに、グッズのオレンジのタオルを掲げる人の姿が暗闇の中から浮かび上がってくるように薄っすらとした光を放つと、まだ場内が明るくならないうちから立ち上がる観客が続出したのはステージに上がってきたメンバーの姿が見えたからであるが、そのメンバーたちをさりげなく照らすような照明と、洞窟の中から太陽の光を見ているかのような映像とともに演奏されたのは、
「風を受けて」「雨を受けて」
というサビ入りの歌詞が映像と相まって、この日のライブに花を出してくれていたジブリの映画のテーマソング(全く映画見たことないからあくまでイメージ)であるかのように響く新曲であるのだが、その穏やかなサウンドは中島も須藤も椅子に座ってアコースティックと言っていい形で演奏されていたからかもしれない。この曲は近いうちに我々に音源として届くらしいので、それも実に楽しみである。
すると米津玄師がメンバー紹介をすると、ライブのアンコールでおなじみの中島によるMCが始まるのであるが、なんだか中島の話し方が不自然に途切れ始め、実はこの日の中島は本物の中島が作ったサイボーグであるという衝撃の告白が。家でこのライブを見ているという本物の中島に電話して声を変えてもらったりしてから、観客の声によってなくなりかけていた充電を復活させて最後のアンコールに臨むのであるが、米津玄師も須藤もそのネタにかなり笑っていた。ある意味では米津玄師のライブで最もメンバーの素の部分を感じられるセクションかもしれないというくらいに。
そんなMCの後にはこのツアーを締めるべく怒涛のアンコールが展開される。荒野を思わせるような映像が映し出される中でダンサーが米津玄師を取り囲むようにして踊り、本編最後同様にダンサーを引き連れて米津玄師が花道まで歩いていきながら歌うと、
「全部くだらねえ」
の打ち込みのボーカル部分ではスクリーンに米津玄師のマスコットキャラと言えるネコちゃんが多数映し出され、ダンサーの方々もその手にはネコちゃんのぬいぐるみを持っている人がいるという遊び心が曲のテーマに通じるように感じるのがMVで米津玄師が衝撃的な変身っぷりをみせた「POP SONG」である。
そのまま須藤の重くうねりまくるようなベースのイントロによって始まる「Flamingo」では米津玄師の歌唱もより浪曲的なものになり、その歌声の表現力の多彩さには本当に驚かされてしまうのであるが、須藤がサビに入る前にベースを高く掲げる姿は他のサポートの現場や、あるいは彼がUNISON SQUARE GARDENの斎藤宏介とともにやっているXIIXでもお馴染みのものであるが、それが彼にとってこの米津玄師のライブというものが大切な表現の場であり、そこに力を注いでくれているということを示してくれる。
一転して中島のギターと宮川のキーボードが爽やかなポップサウンドを奏でる「春雷」では曲のサウンドを可視化するかのように鮮やかな色彩の映像がスクリーンに映し出され、中島と須藤が向かい合うようにして演奏するという長い年月(なんならもう10年近く一緒に音を鳴らしている)の中で育んできたメンバー、バンドの絆を感じさせる。そんなサウンドに乗る米津玄師の歌唱も軽やかな動きを見せながら歌うことによって実に躍動感に満ちているし、サビで一気にキーが上がるという難しさをものともせずに歌いこなしている。
そして最後に演奏されたのは本人出演のCMも話題になった「LADY」。この日出演したMELRAWホーンズもダンサーも登場し、花道を歩きながら演奏したり踊ったりという、いわゆるライブの最後の曲という大団円の光景をこの曲が担うようになっている。それはスクリーンに映る映像も、缶コーヒーのCMタイアップということも、その歌詞も含めてこの日演奏されてきた曲の中で最もファンタジーではなくて日常のリアルを感じる。どれだけ空想をして楽しんでも、結局最後に生きていくのはこの日常の世界であり、それをどれだけ自分らしく、軽やかに、楽しく生きていくことができるのか。米津玄師の歌唱や歌う姿からはそんなことを感じざるを得ないし、だからこそこの曲を最後に聞くことによって、また明日からの日常へ足を踏み出していく力をくれる。
空想が、リアルを生き抜くための力になっていくことを教えてくれた米津玄師の「空想」は、「カムパネルラ」の曲中に出現した銀河鉄道が再び映し出され、米津玄師がその銀河鉄道に乗ってリアルから再び空想の世界に帰っていくかのようなエンディングだった。その後に映し出されたクレジットに向けてずっと長い拍手が送られ、最後に
General Director 米津玄師
の名前が浮かぶと一際大きな拍手が送られた。場内の客電が点いた後にここにいた人はみんな、翌日の生活、日常を生きていく力が湧いてきたはず。そんな米津玄師のライブは初めてだった気がした。それくらいに我々に大きな力をたくさん与えてくれたツアー「空想」はこうして幕を閉じたのだった。
1.カムパネルラ
2.迷える羊
3.感電
4.街
5.Decollete
6.優しい人
7.Lemon
8.M八七
9.LOSER
10.Nighthawks
11.ひまわり
12.ゴーゴー幽霊船
13.KICK BACK
14.月を見ていた
15.打上花火
16.灰色と青
17.かいじゅうのマーチ
18.馬と鹿
encore
19.新曲
20.POP SONG
21.Flamingo
22.春雷
23.LADY
この日の横浜アリーナはツアーファイナルとなるのであるが、前回のツアーでもファイナルでKing Gnuの常田大希がゲストとして出演しただけに、そうしたファイナルならではのコラボもあるんじゃないかと期待が高まるし、この横浜アリーナでのワンマンとなると、演出も歌唱も素晴らしかったにも関わらず以降の公演がコロナによって中止になってしまった「HYPE」で見た時のことを思い出さざるを得ない。
ツアーファイナルかつ日曜日ということもあってか、早めの17時という開演時間を少し過ぎたあたりで場内が暗転すると、ピアノの音をメインにした、穏やかでありながらも壮大さをも感じさせるSEが流れるとメンバーがステージに登場。ツアー前のrockin'on JAPANのインタビューで
「カラオケみたいになっちゃう曲が増えてきたから、そろそろ新キャラを入れようと思ってる」
と語っていたとおりに、下手側に堀正輝(ドラム)、須藤優(ベース)というおなじみのリズム隊、上手側には鮮やかな金髪のおなじみの中島宏(ギター)と、このツアーから新たに加わった宮川純(キーボード)がスタンバイし、最後にステージ奥から緑のセットアップに身を包んだ米津玄師が現れると客席から大歓声が起こる中で「カムパネルラ」からスタートするのであるが、キーボードが入ったことによって楽曲のライブでの再現度が格段に向上しており、それがステージから鳴る音全体のライブ感の向上に繋がっている。髪を左右に分けていることによって目元まではっきりと見える米津玄師の歌唱も、この横浜アリーナでも2daysで1日空けてまた2daysという変則的かつ過酷な日程であるが、米津玄師は何故か昔から2daysだと2日目の方が良く声が出るという稀有なシンガーであるためにこの日もマイクスタンドを握りしめて歌うこの曲も歌声は実に伸びやかで、当初はひたすらにメンバーが演奏する姿を肉眼で捉えるしかなかったのが、曲最後には実は背面の壁一面がLEDスクリーンになっており、そこにこの曲の元ネタと言える銀河鉄道が宇宙を走るような映像が映し出されるのが、その銀河鉄道がこの日も走り始めたというライブのスタートを感じさせてくれる。
そのスクリーンに一転してアルバム「STARAY SHEEP」のジャケットのイラストを思わせる映像や、万華鏡の中をのぞいているかのような極彩色の煌びやかな映像、さらには
「フィルムは回り続けている」
というフレーズに合わせるように、巨大な映写機の中を覗き込んでいるかのような歯車が回り続ける映像と、次々に美しい映像が切り替わっていく「迷える羊」では米津玄師が腕を大きく広げて歌うことによって、そのメロディとサウンドがより壮大なものとして感じられる。完全にこの広いアリーナがこのライブのために存在しているかのようであるし、なんならこの規模ですら小さく感じてしまう演奏と歌唱、演出のスケール感の大きさである。
「どうもこんばんは、米津玄師でーす!」
と米津玄師がハンドマイクを持って高らかに挨拶をすると、おそらくは戦争によって荒廃し、車が燃えているのであろう街並みの中に稲妻が走るような映像が映し出されたステージにはMELRAWホーンズの4人が登場して「感電」を彩るホーンサウンドを同期ではなくて生で奏で、さらにはおなじみの辻本ダンサーズも登場してキレがありながらもどこか前衛的にも感じるダンスを見せてくれる。ダンサーたちはステージから伸びる花道を進んでいったりもするのであるが、自身はステージに止まる米津玄師はその場で躍動感を感じる動きを見せながら歌い、あまつさえ目元でピースサインを作ったりもしている。その挙動と表情の全てがとにかく実に楽しそうであり、それを見ていると我々もより楽しくなってくるのである。
「ツアーファイナルですけど、気合いを入れたりとかじゃなくて、いつも通りにやりたいと思います」
とギターを持った米津玄師がこの日のライブに向けての思いを語ると、ギターを弾き始めたのはなんと「街」のイントロ。自分が米津玄師に出会った作品である、米津玄師としての1stフルアルバム「diorama」の1曲目、つまり自分がCDを買って初めて聴いた米津玄師の曲であり、彼が渋谷O-Crestで人生初のシークレットライブを行った時に1曲目に演奏していた、ライブで初めて聴いた曲でもある。
メンバーの頭上のLEDスクリーンが降りてきて光が降り注ぐ中で演奏するという姿は、このツアータイトルが「空想」であるとおりに、この曲がリアルな存在としてのどこかの街ではなくて、米津玄師が空想の中で生み出した街のことを歌っている…そういう意味では米津玄師の始まりにして、今でも核であり続けている曲であるとも言えるのだが、まさか今になってこの曲をライブで聴けるなんて思っていなかった。それくらいに近年の米津玄師の曲とは音楽的に距離感があるから。だからこそこの曲をライブで聴けた日々を忘れずに記憶しておこうと思って生きてきた。
でも人生初ライブでは歌ってギターを弾くだけでいっぱいいっぱいだった米津玄師が、今ではステージ上でその「空想」というテーマをこの曲から伝えるかのように、ステージ上を歩き回りながら感情を込めるようにギターをかき鳴らしている。あの時に最前列しかいなかった(シークレットだったからというのもあるが)観客は1000倍くらいに増えた。その光景を見ていたら、2012年の「diorama」リリースから2014年の初ライブ、そして今に至るまでの米津玄師にまつわる記憶がブワーっと一気に蘇ってきた。米津玄師の存在や音楽を通して繋がることができた人もたくさんいることも。まさかこんなライブ序盤でこんなにも感極まるなんて思っていなかった。自分も、もしかしたら米津玄師も、一つずつ治しながら生きてきたのかもしれない。
米津玄師がギターを置くと、背面には白と黒が入り混じるような、どこか油絵や切り絵的なアートの表現手法を思わせるような映像が映し出され、ハンドマイクで体を揺らしながら歌う米津玄師の歌唱方法も姿も「妖艶」と形容したくなるような「Decollete」、一転して温かさを感じるようなオレンジ色の照明がほのかにメンバーを照らす中で、歌詞のメッセージをダイレクトに伝えるかのようにして米津玄師がマイクスタンドを握りしめて感情を込めて歌う「優しい人」と、このあたりは「STRAY SHEEP」収録の聴かせるタイプの曲が続くのであるが、アルバムリリース後のライブが今回の「空想」と前回の「変身」しかやっておらず、しかも「変身」ではセトリに入っていなかったために、このツアーで初めてライブで聴く曲であるだけに、こうした表現なのかとも改めて思わされる曲たちでもある。
その聴かせる流れの延長上として演奏されたのは米津玄師の存在を国民的と呼べるような位置まで押し上げた「Lemon」であり、曲中には花道の先に米津玄師のライブではおなじみのダンサーの菅原小春が現れ、凄まじい腹筋の力を持っていないと絶対にできないような動きでこの曲の持つ「喪失」というテーマを感じさせるのであるが、後半では曲に合わせて黄色い照明がステージを照らし、メンバーの頭上の四角形のLEDにはレモンのような黄色い宝石が砕け散るような映像も流れる。
しかもその砕け散るような映像はそのまま「M八七」にも引き継がれることによって、この2曲が連なる物語の上にあるかのような、「変身」の時とは全く違う流れを作り出す。もちろん最後にはスクリーンいっぱいに美しい星空の映像が映し出されるのであるが、それはいなくなってしまった人たちが星になって輝いていることによって、残された人を見守っているかのような。それは今の米津玄師の歌唱に宿る情感をもってして
「君が望むなら それは強く応えてくれるのだ
今は全てに恐れるな 痛みを知る ただ一人であれ」
と歌われることによって感じられるものである。
そんな米津玄師は何故か今になって絶賛マインスイーパにハマってしまっているらしく、音楽制作の合間にプレイしていたのがいつのまにか夜6時から朝6時までぶっ続けでやるくらいになっており、指が棒になる感覚すらも味わい、道を歩いていてもタイルがあると「あの中にいくつ爆弾が…」と思ってしまうくらいに生活を侵食しているレベルになっているという。
しかしながらその爆弾を見つける際に運で2択を迫られた時に名探偵コナンの劇場版1作目で蘭が爆弾のスイッチを停止する際に赤と青のコードを切るという最大の選択を迫られた際にコナン(工藤新一)が電話越しに「赤を切れ」と伝えるも、蘭は青を切って見事に爆弾を止め、新一に「何故青を切った?」と問われると、
「赤を切ったらあなたとの赤い糸も切れてしまうと思ったから…」
という、思わず声を上げてしまうエピソードまでも口にするくらいにノリノリなのだが、結局そうして締切が迫る中でもマインスイーパをやりまくってしまう自分を、
「こんな日々もはや懲り懲りなんですよ!そう歌った歌があったなぁ!」
と見事に「LOSER」の歌詞へと繋げて演奏が始まるのであるが、背面のLEDスクリーンが2つに割れるとそれが足場が組み上がった建物の形になり、米津玄師は堀のドラムセットの背後のカメラに目線を合わせて歌いながらその足場を登っていく。花道に現れたダンサーたちの中の1人も米津玄師とは逆サイドの足場を登っていき、落ちてしまうんじゃないかと思うくらいの体勢で柵に絡みついたりするのであるが、かつては花道の先の足場が上昇して米津玄師が浮上するという形でも演奏されたこの曲では米津玄師はやはり高い位置に上がって歌うことになりがちである。その位置でも変わらずに歌い、観客を煽ることによって、メンバーの「フゥー」というコーラスに合わせて観客が一斉に飛び上がるという光景もずっと変わることはない。
米津玄師がその足場から降りていくとエレキギターを手にして弾きながら、須藤や宮川が観客に手拍子を煽って始まる「Nighthawks」はサウンドも歌詞も米津玄師の音楽の原点にはBUMP OF CHICKENなどのギターロックバンドがいることを感じさせるものであるが、中島の間奏のギターはどこか音源以上に「天体観測」を彷彿とさせるものになっている…と思っていたらこの曲の最後のサビ前で銀テープが客席に向かって放たれる。それ自体はライブで毎回やっている演出であるが、まさかこの曲でやるとは、と思うくらいに意外だったのだが、それだけこの曲が米津玄師にとって大事な曲だと言えるのかもしれない。
そのギターロックサウンドがさらに力強くなるのは前回のツアーでは明確に歌詞の対象のことを口にしてから演奏されていた「ひまわり」であるのだが、そのサウンドの迫力はやはりこのメンバーで米津玄師にしては長めのツアーを回ってきたことによって育まれたグルーヴによるものであろう。ライブをやるようになった最初から実力者であった堀と須藤に、米津玄師と中島というほとんどライブ経験がなかった両者が本当の意味で追いついて、そして全員が同じ感情を持ってこの曲に向き合い、音を鳴らしているからだとも思う。
イントロのサウンドが流れただけで歓声が上がったのは今に至るまでライブの定番曲であり続けている「ゴーゴー幽霊船」であるが、こちらもやはりその進化を続けるバンドのサウンドが遺憾なく発揮されている。分割されたLEDスクリーンからは微かに幽霊船と思しき絵が映し出されているのも見えるのであるが、米津玄師のカウントに合わせてメンバー頭上のスクリーンに数字が映し出されるというのも実に目線が忙しいのであるが、何よりも曲後半で堀がガンガン手数を増やしまくるというリズムがこの曲がライブで鳴らされてきたことによって進化を果たしてきたことを感じさせてくれるのである。
そのロックな流れが極まるのはステージにダンサーたちが現れてそれぞれがバラバラに踊り、ステージ前からは火柱が上がる「KICK BACK」であるが、「変身」のツアーファイナルでは常田大希がスペシャルゲストとして出演して最後に演奏されたこの曲も今回はこうして中盤に演奏されるようになっている。しかしハンディカメラを持って自身やメンバー、ダンサーの姿をスクリーンに映し出しながら
「努力 未来 ビューティフルスター」
というモーニング娘。の名フレーズを叫ぶようにして歌う米津玄師の姿や歌唱は震えるくらいにカッコよかったし、何よりも
「なんかすごい良い感じ」
のフレーズを
「超超超良い感じ!」
とやはり元ネタのモーニング娘。の曲のフレーズに変えて叫ぶようにしていたあたりはまさに我々観客をも超超超良い感じにしてしまうのである。こんなに燃え上がった後に何の曲をやるのかと思うくらいに。
そんな爆発的な流れを本人もが「冷ますように(笑)」と言って、米津玄師は今回のツアータイトルが「空想」であることの意味を口にする。それは自身が幼少期から活発な子供ではなくて、むしろ他の人とほとんど関わることなく空想ばかりしていたということ、そうして空想していた、自分が思い描いたものがそのまま音楽になったために、主役は自分ではなくて自分の作った音楽であり、今でも自分の中の大切なものとして「空想」を掲げたと。さらに
「みんなライブを見ていて、腕を上げたり声を出したりしてくれて嬉しいけれど、そうできないやつだっている。俺も昔ライブハウスにライブを見に行っても1番後ろで仏頂面して腕を組んで見たりしていた。そういう昔の自分みたいなやつがどれくらい来てくれているんだろうかと。俺の背中を見てくれなんて言えるわけじゃないけど、ここまで生きてきて思うのは、大丈夫だっていうこと、案外悪くないっていうこと。
空想ばかりしていた昔の自分みたいなやつが、俺の音楽を聴いて、安くないであろうお金を払って、今日っていう1日を費やしてライブを見てそう思えたらいいなって。今日は来てくれて本当にありがとうございました」
という言葉を聞いて感じるところがあったのは、自分も少なからずそうした部分を持っている人間だと思ったからであり、かつてライブに行き始めた頃は米津玄師のようにただ突っ立ってライブを見たりしていたことも多かったからであり、今こうしてライブに行ってはこうしたレポなんかを毎回書いているのは、学生時代の虚無の極みだったような、何にも持ち得る力も要素もなかった自分みたいなやつに、割と大人になるのは悪くないぞって言ってやりたいという気持ちが少なからずあるからだ。もちろん米津玄師のように果たしたこともなければ影響力もないけれど、米津玄師が過去の自分自身に語りかけているかのような姿を見て、確かにそんなことを思っていた。そうした部分が音楽だけではなくて米津玄師というアーティスト、人間に惹かれている部分なんだろうなと。
そんな空想の極致とも本人が言っていたのが、ファイナルファンタジーの最新作のタイアップとして生み出された最新曲「月を見ていた」であり、再び展開してLEDスクリーンに戻った背面いっぱいに海の映像(画質の美しさはこれまで見てきたあらゆるライブの中でもトップクラス)が映し出され、その上に月が浮かび上がってくるのであるが、じわじわとバンドの演奏が熱を帯びていくのに合わせるようにしてその月も赤く燃え上がり、ついには砕け散ってしまう。
自分はプレステ2までしか家庭用ゲーム機を持っていないので最近のファイナルファンタジーが全くわからないのであるが、それでも間違いなくゲームの内容に合わせて書かれたであろうこの曲の歌詞がどんな風にゲームのストーリーとリンクするのかが実に気になるし、それがわかればこの映像演出の意味もわかるのかもしれない。やる時間が全くないけれど、それでもこの曲を聴いて久しぶりにファイナルファンタジーをやってみたいと思った。映像のリアルさについていけないかもしれないけれど。
続いて演奏された「打上花火」もまた序盤は海の映像を引き継ぐように始まったのであるが、米津玄師が1人で歌って(曲が始まった時はもしかしたらファイナルだからDAOKOが来るかもしれないなんて思ってしまった)曲が進むと、スクリーンから映像が消え、薄暗くなった場内の壁に無数の花火を思わせるような光と影が浮かび上がるという、決して派手ではないというか、花火の映像を使うことだってできたであろうにそうしないでこの手法を取ったあたりに、米津玄師が言っていた「音楽が主役」という言葉を思い出さざるを得ないし、その演出のメリハリが素晴らしいと思う。
それはやはり米津玄師が単独で歌った(コラボ相手の菅田将暉は花を送ってはいたけれど)「灰色と青」でも波が寄せて返すような海の映像が映し出されていたのであるが、それによってこの日はこの曲のタイトルの「青」が海を指しているかのようにも感じたし、それは海が近い横浜の会場だからこそそう感じたのかもしれない。それは3年前にここで「海の幽霊」を聴いた時にも感じたことであるが、あの時と同じように、いや、あの時以上に米津玄師のボーカルは素晴らしく伸びやかであった。ちゃんと曲のスケールにパフォーマンスが追いついていると思わざるを得ないくらいに。
そして背面のスクリーンにピラミッドの壁画のような映像が映し出されていくのは「かいじゅうのマーチ」。サビではファルセット気味のボーカルを駆使する米津玄師の歌唱も含めて実に「美しい」とあらゆる要素から感じられる曲であるが、そのサウンドからはどこか温かさも感じられると、宮川が新たに加入したことによって、曲のオーケストラサウンドをシンセで奏でられるようになった「馬と鹿」がこのライブの最後を担う。ダンサーもステージに登場すると米津玄師はこの日初めて花道に向かってダンサーを引き連れて歩き出して歌うのであるが、なによりもその歌唱の素晴らしさによって胸が震える。その上手いというだけではなくて、感情を思いっきり込めるように体を揺さぶりながらの歌唱がこの曲に宿る美しさを最大限に引き出していると言っていいくらいに。そこにはタイアップのドラマをきっかけにしてラグビーの試合を見たりという様々な新しい経験がもたらしたものなのかもしれないが、こんなにライブを締めるのにふさわしいと思える曲ないなとも思っていたし、やはり
「君じゃなきゃ駄目だと」
とこの歌唱を聴いていて思うのである。
アンコール待ち中は手拍子とともに、グッズのオレンジのタオルを掲げる人の姿が暗闇の中から浮かび上がってくるように薄っすらとした光を放つと、まだ場内が明るくならないうちから立ち上がる観客が続出したのはステージに上がってきたメンバーの姿が見えたからであるが、そのメンバーたちをさりげなく照らすような照明と、洞窟の中から太陽の光を見ているかのような映像とともに演奏されたのは、
「風を受けて」「雨を受けて」
というサビ入りの歌詞が映像と相まって、この日のライブに花を出してくれていたジブリの映画のテーマソング(全く映画見たことないからあくまでイメージ)であるかのように響く新曲であるのだが、その穏やかなサウンドは中島も須藤も椅子に座ってアコースティックと言っていい形で演奏されていたからかもしれない。この曲は近いうちに我々に音源として届くらしいので、それも実に楽しみである。
すると米津玄師がメンバー紹介をすると、ライブのアンコールでおなじみの中島によるMCが始まるのであるが、なんだか中島の話し方が不自然に途切れ始め、実はこの日の中島は本物の中島が作ったサイボーグであるという衝撃の告白が。家でこのライブを見ているという本物の中島に電話して声を変えてもらったりしてから、観客の声によってなくなりかけていた充電を復活させて最後のアンコールに臨むのであるが、米津玄師も須藤もそのネタにかなり笑っていた。ある意味では米津玄師のライブで最もメンバーの素の部分を感じられるセクションかもしれないというくらいに。
そんなMCの後にはこのツアーを締めるべく怒涛のアンコールが展開される。荒野を思わせるような映像が映し出される中でダンサーが米津玄師を取り囲むようにして踊り、本編最後同様にダンサーを引き連れて米津玄師が花道まで歩いていきながら歌うと、
「全部くだらねえ」
の打ち込みのボーカル部分ではスクリーンに米津玄師のマスコットキャラと言えるネコちゃんが多数映し出され、ダンサーの方々もその手にはネコちゃんのぬいぐるみを持っている人がいるという遊び心が曲のテーマに通じるように感じるのがMVで米津玄師が衝撃的な変身っぷりをみせた「POP SONG」である。
そのまま須藤の重くうねりまくるようなベースのイントロによって始まる「Flamingo」では米津玄師の歌唱もより浪曲的なものになり、その歌声の表現力の多彩さには本当に驚かされてしまうのであるが、須藤がサビに入る前にベースを高く掲げる姿は他のサポートの現場や、あるいは彼がUNISON SQUARE GARDENの斎藤宏介とともにやっているXIIXでもお馴染みのものであるが、それが彼にとってこの米津玄師のライブというものが大切な表現の場であり、そこに力を注いでくれているということを示してくれる。
一転して中島のギターと宮川のキーボードが爽やかなポップサウンドを奏でる「春雷」では曲のサウンドを可視化するかのように鮮やかな色彩の映像がスクリーンに映し出され、中島と須藤が向かい合うようにして演奏するという長い年月(なんならもう10年近く一緒に音を鳴らしている)の中で育んできたメンバー、バンドの絆を感じさせる。そんなサウンドに乗る米津玄師の歌唱も軽やかな動きを見せながら歌うことによって実に躍動感に満ちているし、サビで一気にキーが上がるという難しさをものともせずに歌いこなしている。
そして最後に演奏されたのは本人出演のCMも話題になった「LADY」。この日出演したMELRAWホーンズもダンサーも登場し、花道を歩きながら演奏したり踊ったりという、いわゆるライブの最後の曲という大団円の光景をこの曲が担うようになっている。それはスクリーンに映る映像も、缶コーヒーのCMタイアップということも、その歌詞も含めてこの日演奏されてきた曲の中で最もファンタジーではなくて日常のリアルを感じる。どれだけ空想をして楽しんでも、結局最後に生きていくのはこの日常の世界であり、それをどれだけ自分らしく、軽やかに、楽しく生きていくことができるのか。米津玄師の歌唱や歌う姿からはそんなことを感じざるを得ないし、だからこそこの曲を最後に聞くことによって、また明日からの日常へ足を踏み出していく力をくれる。
空想が、リアルを生き抜くための力になっていくことを教えてくれた米津玄師の「空想」は、「カムパネルラ」の曲中に出現した銀河鉄道が再び映し出され、米津玄師がその銀河鉄道に乗ってリアルから再び空想の世界に帰っていくかのようなエンディングだった。その後に映し出されたクレジットに向けてずっと長い拍手が送られ、最後に
General Director 米津玄師
の名前が浮かぶと一際大きな拍手が送られた。場内の客電が点いた後にここにいた人はみんな、翌日の生活、日常を生きていく力が湧いてきたはず。そんな米津玄師のライブは初めてだった気がした。それくらいに我々に大きな力をたくさん与えてくれたツアー「空想」はこうして幕を閉じたのだった。
1.カムパネルラ
2.迷える羊
3.感電
4.街
5.Decollete
6.優しい人
7.Lemon
8.M八七
9.LOSER
10.Nighthawks
11.ひまわり
12.ゴーゴー幽霊船
13.KICK BACK
14.月を見ていた
15.打上花火
16.灰色と青
17.かいじゅうのマーチ
18.馬と鹿
encore
19.新曲
20.POP SONG
21.Flamingo
22.春雷
23.LADY
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