キュウソネコカミ DMCC REAL ONEMAN 2023 〜ほぼ週末ツアー〜 @Zepp Shinjuku 6/22
- 2023/06/23
- 20:34
常に何らかのツアーをやっていて、フェスやイベントもおそらくは出れるのは全部出るというスタンスで活動しているバンドであるが、フルアルバムを引っ提げてのツアーというのは久しぶりだ。キュウソネコカミの「私飽きぬ私」リリースツアーは「ほぼ週末ツアー」と銘打たれているのであるが、この日のまだ中盤戦であるZepp Shinjukuは木曜日での開催であるだけに、確かにほぼ週末と言えるかもしれない。
Zeppで言うならHanedaもオープン直後にワンマンを行っているが、コロナ禍でその時は全席指定だったために、初めてワンマンを行う会場、しかも新宿というあんまりメンバーのイメージに似合わない場所でどんなエピソードを話すのかも楽しみだ。LOFTやMARZという近隣の小さなライブハウスにも何度も立ってきたであろうだけに。
しかしながら電車の遅延などによって、会場に着いて地下の入り口の扉を開いた時にはすでにメンバーが登場していて、「3minutes」の演奏が始まった時だった。時間的に間違いなく1曲目だったということはわかるのであるが、ソールドアウトで超満員の観客がまさに
「密集 密閉 密接」
という言葉の通りに腕を振り上げて飛び跳ねている光景を見るだけですでにグッと来る。コロナ禍になってすぐにライブハウスがワイドショーなどで悪く言われまくっていた時に、このライブハウス讃歌を作ったバンドが歌っている通りの大好きなライブハウスに戻ってきたのだから。ヤマサキセイヤ(ボーカル&ギター)は白いTシャツの袖をまくるようにして、自発的にタンクトップのようにしている。
すでに1曲目から誰よりも飛び跳ねているように見えたヨコタシンノスケ(キーボード&ボーカル)は早くも
「Zepp Shinjukuに来てる人はそんなもんですか!?」
と観客を煽りまくっているのであるが、その煽りとともに「MEGA SHAKE IT!!」が木曜日の仕事後だったり学校後だったりする観客の頭も体も目覚めさせてくれるのであるが、曲中の同期のサウンドに合わせてメンバーも手を振って踊りまくるハウスミュージックのくだりでは完璧に客席のフリも揃っているのがさすがワンマンである。オカザワカズマ(ギター)もカワクボタクロウ(ベース)も楽器を置き、ソゴウタイスケ(ドラム)も立ち上がって踊っているという姿がより観客を踊らせてくれるのであるが、カワクボもガンガン前に出てきて演奏し、ヨコタもマイクを持って台の上に立って歌う。それがZeppグループの中でも距離が近いこの会場でのさらなる熱気を生み出していく。
「この歌舞伎町ビルが何回建てか知らないけど、揺らしまくっていこうぜー!」
とセイヤが言ってから演奏されたのは、すでにライブではおなじみになっている「住環境」であり、住居の管理人からの電話の音声は同期となっているのだが、アルバムがリリースされる前までは全然浸透していなかった、サビに入る寸前でのささやかなジャンプのタイミングがメンバーと観客で完璧に合うようになってきているのはこの曲をライブでやり続けてきた成果と言えるだろう。最初にライブで聴いた時は歌詞の内容含めて完全に飛び道具的な曲かと思っていたのだが、今では完全にキラーチューンとなっていると言っていいくらいにそのロックなサウンドがカッコよく鳴るようになっている。
ヨコタがキャッチーなキーボードのフレーズを弾き始めると、
「まだ遠慮してない?声出していいってなったんだから、遠慮しなくていいんですよ!」
と言って観客のさらなる大合唱を引き出すのはもちろん「ファントムバイブレーション」であるのだが、フェスやイベントなどでも毎回演奏している曲でもこうして今でも曲が始まると歓声が起こるのはこの曲を待っている人たちがたくさんいるからであり、それはこうして我々観客が歌えるようになったからということも無関係ではないはずだ。その楽しみ方が戻ってきたことによって、この曲の楽しさをより一層実感して噛み締められるようになったというような。
続いてこちらもサビでは大合唱とともにおなじみのポーズが客席いっぱいに広がっていく「KMTR645」では「ペディグリー」のフレーズでマネージャーのはいからさんが持ってきたボードにはこのZepp Shinjukuがある歌舞伎町の入り口ゲートが映っており、セイヤも
「歌舞伎町へようこそー!」
と叫ぶ。それはキュウソのファンの人たちが普段歌舞伎町に足を運ぶようなタイプの人間ではないということをわかっているからこその発言であるかのような。
そうして観客が声を出せるような環境になったこと、ライブハウスシーンが戻ってきているという実感を語るような挨拶から、セイヤはこの日初めてキュウソのライブを観に来た人がどれくらいいるかを問いかけると、そこそこ初めての人や、フェスでしか見たことがなかったという人も手を上げる。そうした人への感謝を告げながらも、何度も来ているという人へは
「お前たち本当に愛してるぜー!」
と最大限の愛を伝えるあたりはさすが何よりも「思いやりとマナー」を大切にしてきたキュウソであると言える。
「こっからはコロナ禍で生まれた曲をやる!この曲たちはまだ本来の楽しみ方を知らない子たちだ!お前たちがそれをこの子たちに見せてやってくれー!」
と、曲を自分の子供のように可愛がっているセイヤが告げると、オカザワのアルペジオがオシャレさを感じさせながらも、サビがタイトルフレーズの連呼という、日本の長い音楽の歴史の中でもこの単語を曲タイトルにしたミュージシャンは間違いなくいないだろうというあたりにセイヤの言語感覚と発想力の鋭さを実感せざるを得ない「いけしゃあしゃあ」からはステージ背面に映像も映し出され、どこか表面上は煌びやかに見える歌舞伎町のイメージにも合った映像であるが、その煌びやかさがバンドロゴとしても映し出されると、マスコットキャラクターのネズミくんもまたどこか輝いているかのようにすら見える。何よりも普段生きていて全く使う機会がないこの「いけしゃあしゃあ」という単語をすぐに使ってみたくなるというのがこの曲の魔力であると言える。
そのスクリーンに無数のタイトルが映し出されるのがなんだか圧巻な「囚」ではライブでのこの曲ではおなじみの、セイヤが小さい猿のぬいぐるみを持って歌い、セリフ的なフレーズ部分ではそのぬいぐるみにマイクを向けることによってそのぬいぐるみがセリフを口にしているようにすら見えるのであるが、曲後半ではスクリーンにその猿のぬいぐるみがアップで映し出されるというのはよくわからないけれど実にシュールな光景である。メンバーがもはや全然そのぬいぐるみの存在に触れないのも含めて。
そんな「いけしゃあしゃあ」も「囚」も実はライブで聴くとバンドのグルーヴの強さを実感させてくれる曲であるのだが、ラウドと言っていいくらいのサウンドによってそのキュウソのグルーヴの強さを実感させてくれる「You don't know her」は、飛び跳ねまくり腕を振り上げまくりという客席の凄まじい盛り上がりっぷりに、この曲がこんな景色を生み出すとは…と、アルバムの中で最もライブで化けたと言えるような曲だ。それはバンドのそのグルーヴに観客がダイレクトに反応した結果であり、キュウソのバンドサウンドの強さの証明とも言えるのであるが、その盛り上がりっぷりにはメンバーも
「このツアーで新曲の盛り上がりっぷりは今日が間違いなく1番!」
と断言するくらい。それはこの日の観客がみんな「私飽きぬ私」をしっかり聴き込んで、その曲たちを愛しているからでもある。
そんな盛り上がりを生み出したことで、セイヤはオカザワのギター、カワクボのベース、ヨコタのボーカルとキーボードを褒め称えるのであるが、1人だけスルーされたソゴウがツッコミを入れると、
「ソゴウもライブ前に腕立て伏せやってるの良かったで!(笑)」
と曲に全く関係のない部分を褒められる。ちなみにその腕立て伏せをしている最中にカメラマンのViolaが「好きな食べ物なに?」みたいにめちゃくちゃ話しかけまくってきたという。
そんな愉快なMCから一転して、イントロからおどろおどろしさを感じさせるのはそうした映画のあるあるを歌詞にした「スプラッタ」であり、曲中には怪人というか異形の生物に扮したマネージャーのはいからさんも登場するのであるが、そうしたネタ的・飛び道具的な曲であっても
「chased by a murderer
捕まったら」
というサビのフレーズの韻の踏みっぷりと心地良いメロディによるキャッチーさというのは失われることのないキュウソらしさである。
その「スプラッタ」が割と曲終わりがスパッと止まるような形だったので、ライブだとこんな感じのアレンジなのか?と思っていたら、その直後にセイヤが某番組のオープニングの案内人のようにして
「ここにいるのはお化けか、幽霊か…。この2曲でお前たちを恐怖のどん底に叩き落としてやる…」
と喋るのであるが、そのあまりにセリフじみた姿に、雰囲気だけはホラーなのに客席からはクスクスとした笑い声が起きていたのは、すでに次に「Scary Song」が演奏されることを予期していた人もたくさんいたからだろう。実際にその「Scary Song」は「スプラッタ」の前に聳え立つようなタイプの曲であるのだが、間奏ではライブでおなじみの、セイヤがスーツにサングラスというタモリのオマージュ的な姿になって「世にも奇妙な物語」のオープニング的なセリフを口にするのであるが、そのセリフを言い終えると異形の生物の姿のままのはいからさんに拉致されてステージから消え、ステージの幕が閉まっていくというのも久しぶりではあるがおなじみのこの曲の演出であるが、幕が閉じて真っ暗になった場内にドアが開く音が流れると幕が開き、ステージ中央には巨大な歌舞伎町の入り口ゲートが置かれており、セイヤも元の格好になってステージに戻ってきているのであるが、何故かオカザワがいない…と思ったらそのゲートの裏側から突き破るようにして「龍が如く」の主人公の桐生一馬(名前が同じだからか)のコスプレをした(カツラまで被っている)オカザワが登場してはいからさんを日本刀で斬りつけたりショットガンを撃ったりとゲーム中さながらに大暴れして、最後にははいからさんも一緒に「怖くないよ」ダンスをセイヤが踊るという、歌舞伎町のライブハウスならではのネタの詰め込みっぷり。
しかもツアーの他の箇所では扮装するのはいつも通りにセイヤであるらしく、オカザワのコスプレはこの日のライブだけだという特別っぷりだったことが明かされる。ショットガンも自分で買いに行ったというくらいにオカザワもノリノリだったらしいが、メンバーたちにとって歌舞伎町は「龍が如く」の舞台というイメージであるという。バンドの地元の西宮にはこうした場所がないために衝撃であったとも。だからこそトー横キッズたちにもキュウソの音楽が伝わって、ライブに来て欲しいとも言っていたが、観客のリアクションが「それは無理だろ…」みたいになっていたのがやたらと面白かった。
そんなトー横キッズを含めた誰しもを優勝させるための「優勝」はさすがにフェスのように東京スカパラダイスオーケストラのホーン隊が出てくることはなく、同期として流しながらであってもその華やかかつ勇壮なサウンドが我々をさらに踊らせてくれる。ヨコタのキーボードの流麗さも含めて、ライブで聴くこの曲は音源の何倍以上も我々を優勝させてくれる。
「歌舞伎町に捧げます!」
とセイヤが言って演奏されたのが悶々とした思いを抱えている男性の心境を描いた「性ビジネスは不滅」というレア曲であり、これは本当に歌舞伎町のイメージに合わせてこの日だけ演奏されたのかはツアー中盤であるだけにまだ定かではないが、改めてこの曲を聴いていると性ビジネス店が並びまくっている(「良い子は真っ直ぐ帰るように」とヨコタが言うくらいに)歌舞伎町にもSMクラブってあるんだろうか、なんてどうでも良すぎることを思ったりしてしまう。
そんな歌舞伎町らしい雰囲気から一転して、バンドの鳴らすサウンドがセイヤの歌に寄り添うというか、その歌、メロディ、歌詞を引き立てるようになるのは、かつてセイヤが弾き語りをやらざるを得ないタイミングのライブでよくやっていた、借金を返さないまま消えた幼なじみへの思いを綴った「Tくん」であるのだが、キュウソの熱い面をメジャー進出以降は隠すことなく歌ってきたからこそ、今作のアルバムではこの曲からそのキュウソの熱さやエモさを最大限に感じられるようになっている。それはセイヤがそうした感情を込めるようにして歌うことができるからこそだ。そこにはただ「金返せ」だけでなく、どこで何をしているかわからないけれど、ただまた会って顔が見たい、話したいという思いが滲み出ている。ヨコタのメロディアスなキーボードもそんなセイヤの感情をさらに引き立てているように鳴らされている。
さらにはスクリーンには雨の中を傘を差して歩く女性のアニメーションというまるでライブ前に雨が降っていたこの日のような天気の映像とともに歌詞も同時に映し出された「ひと言」は
「人が死んだよ言葉の力で 悪意をのせた言葉は凶器だ
不意な一言で胸が痛むよ 誰も無傷じゃいられない」
というフレーズからもわかるようにキュウソなりの今のSNSへの警鐘と言ってもいい歌詞の曲だ。逆にそれはキュウソが好き勝手なことを言っているように見えて、実はこの曲の歌詞のようにめちゃくちゃ配慮して考えた上で言葉を発しているということがわかるし、セイヤは
「その気持ち」
という歌詞を
「この気持ち」
と微かに変えて歌っていたのが、今目の前にいる我々に向けて歌っているということを感じさせてくれる。カワクボの淡々としているようなベースラインも相まって、個人的にはくるり「ばらの花」をどこか彷彿とさせるような曲である。それはもちろんメロディの力含めて。
そんなキュウソのエモさ、真っ直ぐさを感じさせるような曲が続くと、セイヤは先日のFREEDOM NAGOYAでの出来事を話す。
「なんか出る前からめちゃくちゃ盛り上がるって聞いてたから「TOSHI-LOWさん」をやることにして。曲始まって客席行って上に立とうとしたらめちゃくちゃバランス悪くてすぐに崩れて(笑)多分みんなキュウソのこと知らないから(笑)
で、キュウソのワンマンでは俺以外はダイブ禁止やけど、フェスだし「TOSHI-LOWさん」でTOSHI-LOWさんみたいに俺にダイバーが向かってくるみたいな感じになって欲しいやん!でもキュウソのファンはみんな「キュウソのライブでダイブするなってセイヤさんが言ってるから」みたいになって全然上がって来ないんやけど(笑)、俺が「上がってこい!」って言ったら8人くらいポツポツリフトしだして。
でも俺の下が不安定過ぎてヤバいなと思ったから一回柵から降りて違う場所の柵からまた行こうと思ったらちょうどそのタイミングでダイバーが転がってきたからセキュリティみたいにキャッチしてあげた(笑)
でもそいつ、俺がキャッチしたのに無表情やったから俺のこと知らんと思う(笑)「わー!セイヤさんにダイブを受け止めてもらったー!」みたいな感じ一切なかったもん(笑)」
というエピソードは爆笑を巻き起こすのであるが、
ヨコタ「ダイブもできるし、流せるし受け止めることもできる。ダイブ関係全部できるやん!」
と、セイヤがついにダイブマスターに認定され、この日はやる予定がない「TOSHI-LOWさん」を観客の熱い要望に応えてどこかでやることを宣言する。
しかしすぐには「TOSHI-LOWさん」は演奏せずに、終盤への突入を告げるアンセムとして鳴らされた「ビビった」ではクソワロダンス部分でたくさんの人が手を振って踊り、最後のサビ前にはセイヤとともに
「なめんじゃねぇ!」
のフレーズを叫ぶ。ワンマンだからこそダイブが起こることはないが、そうなってもおかしくないくらいの客席の熱気っぷり。キュウソのファンは常にライブにおいて前のめりであるが、さらに前へ前へと行っている感すらある。
そんな中でオカザワがギターを掻き鳴らして始まったのは「DQNなりたい、40代で死にたい」であり、恒例の
「ヤンキーこわい」
のフレーズは歌舞伎町だからこそよりリアリティ(というかヤンキーどころじゃないレベルの方々もたくさんいる街であるが)を持つのであるが、セイヤは客席に突入しては崩れそうになりながらも観客の上を転がり、泳ぐようにして最終的には客席最深部のPA奥までたどり着いて
「この新しいライブハウスの天井に最初に触ったのは俺だー!」
と叫ぶ。確かにさすがにこの規模のライブで客席のこんなに奥までやってきて観客に支えられているメンバーはまずいないだろう。最後には筋斗雲を客席に流してもらい、それに乗って最大の「ヤンキーこわい」コールをすると、やはり落ちそうになりながらも転がりながらステージの方へ戻っていく。このパフォーマンスがあると、さらに観客が1番後ろの方まで踊りまくるようになっているのがよくわかる。そういう意味でもこのパフォーマンスができるようなライブハウスが戻ってきて本当に良かったと思っている。キュウソのライブの凄さを最大限に実感することができるから。
そんなキュウソのライブをさらにハッピーに、楽しくしてくれるのがソゴウのドラムの連打によって始まる「ハッピーポンコツ」。サビに入る前にはカワクボがステージ前に出てきてベースソロを弾いた後にポーズを決めるのであるが、これもまたこれこそがキュウソのライブだと思えるような要素だ。不在時には空きっ腹に酒のシンディがバンドを支えてくれて、だからこそキュウソのライブを見続けることができたのであるが、やはり独特のうねりまくるようなベースラインはキュウソのリズムの強さを見るたびに実感させてくれるし、ステージ上での存在感や影響を受けてきたであろう音楽が同じであろう部分も含めて自分はカワクボタクロウというベーシストが大好きであり、そのカワクボがベースを弾いてこそキュウソだと思っている。
そんな大団円的なライブをさらに熱く締めるのが、こちらもすでにフェスやイベントなどでも最後の曲としておなじみになっている「私飽きぬ私」。背面のスクリーンにはツアーロゴも映し出される中、メンバー全員がソゴウのドラムセットの前に集まるようにしてその音を重ねることによって青春パンク的な(個人的にはGOING STEADY「童貞ソー・ヤング」へのオマージュだと思っている)イントロがさらに熱く、厚く鳴らされていき、サビではもちろん観客の大合唱が響く。それが人数的にはフェスより少ないワンマンなのに大きな声に聞こえるのは、ここにいる誰もがちゃんと曲、歌詞を理解しているから。そうしてキュウソを愛する人たちが全員で
「不安だ 不安だ 不安なんす」
のフレーズを歌うことによって、抱えている不安は消えていくような感じすらする。それはこの曲を聴いていると、どんな人間であっても今の自分を少しは肯定できるように思えるし、観客の声を得ることによってこの曲はこのツアーを周り終わった時に本当の意味で完成するはずだ。つまりはこんなにも最高なキュウソのライブもまだまだ楽しくなる伸び代が残っているということ。それは同時にこれから先のライブハウスシーンが今よりもっと楽しくなっていくということを示している。
アンコール待ちでは観客が自発的にボーカルグループとコーラスグループに分かれて
「ヤンキーこわい」
の大合唱をしてメンバーを待つ。そのコロナ禍になる前には当たり前だった光景がこんなに満員のライブハウスに戻ってきている。それだけで感動してしまうのは、そこには観客たちのキュウソへの巨大な愛情が溢れているからだ。
そんな声に導かれてメンバーが再びステージに登場すると、こうして我々の目の前でライブをやってくれているキュウソこそが我々にとっての推しであり、その存在を崇め讃えるように
「わっしょい わっしょい」
の大合唱と腕の動きが起こる「推しのいる生活」でヨコタもステージ前に出てきて思いっきり腕を振りながら煽ると、ラストはこうして満員のライブハウスでキュウソのライブを見ていることによって
「ライブハウスはもう最高だね ライブハウスはSo最高だね
安定と不安定が混ざり合う 心の底からぶち上がりたいんだ!!!」
「やっぱりライブは最強だね すぐそこで生きてる最強だね
音源じゃ伝わりきらない 細かい感動がそこにはあるからだ!!!」
という歌詞が今この瞬間のためのものとして響く。その活動からしてライブバンドでしかないというくらいにライブをやってきて、ライブハウスを回ってきたキュウソだからこそ。そのキュウソと観客たちが本当に見たかった景色がこの日は広がっている。最後にコーラスフレーズをみんなで大合唱しながら手を振る光景は本当に感動的だった。数え切れないくらいにライブで聴いた曲でもそう思えるというのが、キュウソが進化を果たしているということの何よりの証明だった。
しかしそれだけでは終わらず、オカザワがイントロのギターを弾き始めた瞬間にセイヤがTシャツを脱いで客席に飛び込みながら歌い始めたのは宣言通りに観客の要望に応えての「TOSHI-LOWさん」。すっかり忘れていたというくらいにここまでの流れで感動していたのを引き戻してくれるのであるが、やはり落ちそうになりながらも最後には観客に支えられて歌うセイヤはTOSHI-LOWほどにムキムキではないけれど、確かに鍛えているのがわかるようなムダな肉のなさをしていた。それは自分自身がカッコいいバンドのフロントマンであるためのものであるように。
ヨコタ「「The band」で終わりで良かったんちゃう?(笑)」
と急遽「TOSHI-LOWさん」を追加したことによって終わり方が特殊な形になってしまったことの公開反省会をしながらメンバー紹介をし、終演SEとして流れていた「私飽きぬ私」に合わせて再びメンバーと観客で大合唱が起きる。それはこうして一緒に歌えるようになったことの喜びを改めて確かめるかのようだった。
コロナ禍での制限や規制がある中でのキュウソのライブももちろん楽しかった。この日セイヤとヨコタが口にしていた通りに合唱できない代わりに手拍子や臨棒といったアイテムまで駆使して楽しいライブを作ろうとしていた。
でもやっぱりどこかあの時のツアーはメンバーたちからも「俺たちのライブはまだまだこんなもんじゃない」という悔しさが滲んでいるようにも感じていた。そうして溜め込んだ悔しさを今ようやく解き放つことができている。この日のライブがなんだか今までのどんなキュウソのライブよりも素晴らしいものだと感じることができたのは、バンド側も観客側もそうした思いを解放して最大限に楽しむことができるようになったからだ。だからこそこの日は過去最高レベルに、キュウソのおかげで楽しいと思えた。これからもそんな人生であり続けられますように。
1.3minutes
2.MEGA SHAKE IT!!
3.住環境
4.ファントムバイブレーション
5.KMTR645
6.いけしゃあしゃあ
7.囚
8.You don't know her
9.スプラッタ
10.Scary Song
11.優勝
12.性ビジネスは不滅
13.Tくん
14.ひと言
15.ビビった
16.DQNなりたい、40代で死にたい
17.ハッピーポンコツ
18.私飽きぬ私
encore
19.推しのいる生活
20.The band
21.TOSHI-LOWさん
Zeppで言うならHanedaもオープン直後にワンマンを行っているが、コロナ禍でその時は全席指定だったために、初めてワンマンを行う会場、しかも新宿というあんまりメンバーのイメージに似合わない場所でどんなエピソードを話すのかも楽しみだ。LOFTやMARZという近隣の小さなライブハウスにも何度も立ってきたであろうだけに。
しかしながら電車の遅延などによって、会場に着いて地下の入り口の扉を開いた時にはすでにメンバーが登場していて、「3minutes」の演奏が始まった時だった。時間的に間違いなく1曲目だったということはわかるのであるが、ソールドアウトで超満員の観客がまさに
「密集 密閉 密接」
という言葉の通りに腕を振り上げて飛び跳ねている光景を見るだけですでにグッと来る。コロナ禍になってすぐにライブハウスがワイドショーなどで悪く言われまくっていた時に、このライブハウス讃歌を作ったバンドが歌っている通りの大好きなライブハウスに戻ってきたのだから。ヤマサキセイヤ(ボーカル&ギター)は白いTシャツの袖をまくるようにして、自発的にタンクトップのようにしている。
すでに1曲目から誰よりも飛び跳ねているように見えたヨコタシンノスケ(キーボード&ボーカル)は早くも
「Zepp Shinjukuに来てる人はそんなもんですか!?」
と観客を煽りまくっているのであるが、その煽りとともに「MEGA SHAKE IT!!」が木曜日の仕事後だったり学校後だったりする観客の頭も体も目覚めさせてくれるのであるが、曲中の同期のサウンドに合わせてメンバーも手を振って踊りまくるハウスミュージックのくだりでは完璧に客席のフリも揃っているのがさすがワンマンである。オカザワカズマ(ギター)もカワクボタクロウ(ベース)も楽器を置き、ソゴウタイスケ(ドラム)も立ち上がって踊っているという姿がより観客を踊らせてくれるのであるが、カワクボもガンガン前に出てきて演奏し、ヨコタもマイクを持って台の上に立って歌う。それがZeppグループの中でも距離が近いこの会場でのさらなる熱気を生み出していく。
「この歌舞伎町ビルが何回建てか知らないけど、揺らしまくっていこうぜー!」
とセイヤが言ってから演奏されたのは、すでにライブではおなじみになっている「住環境」であり、住居の管理人からの電話の音声は同期となっているのだが、アルバムがリリースされる前までは全然浸透していなかった、サビに入る寸前でのささやかなジャンプのタイミングがメンバーと観客で完璧に合うようになってきているのはこの曲をライブでやり続けてきた成果と言えるだろう。最初にライブで聴いた時は歌詞の内容含めて完全に飛び道具的な曲かと思っていたのだが、今では完全にキラーチューンとなっていると言っていいくらいにそのロックなサウンドがカッコよく鳴るようになっている。
ヨコタがキャッチーなキーボードのフレーズを弾き始めると、
「まだ遠慮してない?声出していいってなったんだから、遠慮しなくていいんですよ!」
と言って観客のさらなる大合唱を引き出すのはもちろん「ファントムバイブレーション」であるのだが、フェスやイベントなどでも毎回演奏している曲でもこうして今でも曲が始まると歓声が起こるのはこの曲を待っている人たちがたくさんいるからであり、それはこうして我々観客が歌えるようになったからということも無関係ではないはずだ。その楽しみ方が戻ってきたことによって、この曲の楽しさをより一層実感して噛み締められるようになったというような。
続いてこちらもサビでは大合唱とともにおなじみのポーズが客席いっぱいに広がっていく「KMTR645」では「ペディグリー」のフレーズでマネージャーのはいからさんが持ってきたボードにはこのZepp Shinjukuがある歌舞伎町の入り口ゲートが映っており、セイヤも
「歌舞伎町へようこそー!」
と叫ぶ。それはキュウソのファンの人たちが普段歌舞伎町に足を運ぶようなタイプの人間ではないということをわかっているからこその発言であるかのような。
そうして観客が声を出せるような環境になったこと、ライブハウスシーンが戻ってきているという実感を語るような挨拶から、セイヤはこの日初めてキュウソのライブを観に来た人がどれくらいいるかを問いかけると、そこそこ初めての人や、フェスでしか見たことがなかったという人も手を上げる。そうした人への感謝を告げながらも、何度も来ているという人へは
「お前たち本当に愛してるぜー!」
と最大限の愛を伝えるあたりはさすが何よりも「思いやりとマナー」を大切にしてきたキュウソであると言える。
「こっからはコロナ禍で生まれた曲をやる!この曲たちはまだ本来の楽しみ方を知らない子たちだ!お前たちがそれをこの子たちに見せてやってくれー!」
と、曲を自分の子供のように可愛がっているセイヤが告げると、オカザワのアルペジオがオシャレさを感じさせながらも、サビがタイトルフレーズの連呼という、日本の長い音楽の歴史の中でもこの単語を曲タイトルにしたミュージシャンは間違いなくいないだろうというあたりにセイヤの言語感覚と発想力の鋭さを実感せざるを得ない「いけしゃあしゃあ」からはステージ背面に映像も映し出され、どこか表面上は煌びやかに見える歌舞伎町のイメージにも合った映像であるが、その煌びやかさがバンドロゴとしても映し出されると、マスコットキャラクターのネズミくんもまたどこか輝いているかのようにすら見える。何よりも普段生きていて全く使う機会がないこの「いけしゃあしゃあ」という単語をすぐに使ってみたくなるというのがこの曲の魔力であると言える。
そのスクリーンに無数のタイトルが映し出されるのがなんだか圧巻な「囚」ではライブでのこの曲ではおなじみの、セイヤが小さい猿のぬいぐるみを持って歌い、セリフ的なフレーズ部分ではそのぬいぐるみにマイクを向けることによってそのぬいぐるみがセリフを口にしているようにすら見えるのであるが、曲後半ではスクリーンにその猿のぬいぐるみがアップで映し出されるというのはよくわからないけれど実にシュールな光景である。メンバーがもはや全然そのぬいぐるみの存在に触れないのも含めて。
そんな「いけしゃあしゃあ」も「囚」も実はライブで聴くとバンドのグルーヴの強さを実感させてくれる曲であるのだが、ラウドと言っていいくらいのサウンドによってそのキュウソのグルーヴの強さを実感させてくれる「You don't know her」は、飛び跳ねまくり腕を振り上げまくりという客席の凄まじい盛り上がりっぷりに、この曲がこんな景色を生み出すとは…と、アルバムの中で最もライブで化けたと言えるような曲だ。それはバンドのそのグルーヴに観客がダイレクトに反応した結果であり、キュウソのバンドサウンドの強さの証明とも言えるのであるが、その盛り上がりっぷりにはメンバーも
「このツアーで新曲の盛り上がりっぷりは今日が間違いなく1番!」
と断言するくらい。それはこの日の観客がみんな「私飽きぬ私」をしっかり聴き込んで、その曲たちを愛しているからでもある。
そんな盛り上がりを生み出したことで、セイヤはオカザワのギター、カワクボのベース、ヨコタのボーカルとキーボードを褒め称えるのであるが、1人だけスルーされたソゴウがツッコミを入れると、
「ソゴウもライブ前に腕立て伏せやってるの良かったで!(笑)」
と曲に全く関係のない部分を褒められる。ちなみにその腕立て伏せをしている最中にカメラマンのViolaが「好きな食べ物なに?」みたいにめちゃくちゃ話しかけまくってきたという。
そんな愉快なMCから一転して、イントロからおどろおどろしさを感じさせるのはそうした映画のあるあるを歌詞にした「スプラッタ」であり、曲中には怪人というか異形の生物に扮したマネージャーのはいからさんも登場するのであるが、そうしたネタ的・飛び道具的な曲であっても
「chased by a murderer
捕まったら」
というサビのフレーズの韻の踏みっぷりと心地良いメロディによるキャッチーさというのは失われることのないキュウソらしさである。
その「スプラッタ」が割と曲終わりがスパッと止まるような形だったので、ライブだとこんな感じのアレンジなのか?と思っていたら、その直後にセイヤが某番組のオープニングの案内人のようにして
「ここにいるのはお化けか、幽霊か…。この2曲でお前たちを恐怖のどん底に叩き落としてやる…」
と喋るのであるが、そのあまりにセリフじみた姿に、雰囲気だけはホラーなのに客席からはクスクスとした笑い声が起きていたのは、すでに次に「Scary Song」が演奏されることを予期していた人もたくさんいたからだろう。実際にその「Scary Song」は「スプラッタ」の前に聳え立つようなタイプの曲であるのだが、間奏ではライブでおなじみの、セイヤがスーツにサングラスというタモリのオマージュ的な姿になって「世にも奇妙な物語」のオープニング的なセリフを口にするのであるが、そのセリフを言い終えると異形の生物の姿のままのはいからさんに拉致されてステージから消え、ステージの幕が閉まっていくというのも久しぶりではあるがおなじみのこの曲の演出であるが、幕が閉じて真っ暗になった場内にドアが開く音が流れると幕が開き、ステージ中央には巨大な歌舞伎町の入り口ゲートが置かれており、セイヤも元の格好になってステージに戻ってきているのであるが、何故かオカザワがいない…と思ったらそのゲートの裏側から突き破るようにして「龍が如く」の主人公の桐生一馬(名前が同じだからか)のコスプレをした(カツラまで被っている)オカザワが登場してはいからさんを日本刀で斬りつけたりショットガンを撃ったりとゲーム中さながらに大暴れして、最後にははいからさんも一緒に「怖くないよ」ダンスをセイヤが踊るという、歌舞伎町のライブハウスならではのネタの詰め込みっぷり。
しかもツアーの他の箇所では扮装するのはいつも通りにセイヤであるらしく、オカザワのコスプレはこの日のライブだけだという特別っぷりだったことが明かされる。ショットガンも自分で買いに行ったというくらいにオカザワもノリノリだったらしいが、メンバーたちにとって歌舞伎町は「龍が如く」の舞台というイメージであるという。バンドの地元の西宮にはこうした場所がないために衝撃であったとも。だからこそトー横キッズたちにもキュウソの音楽が伝わって、ライブに来て欲しいとも言っていたが、観客のリアクションが「それは無理だろ…」みたいになっていたのがやたらと面白かった。
そんなトー横キッズを含めた誰しもを優勝させるための「優勝」はさすがにフェスのように東京スカパラダイスオーケストラのホーン隊が出てくることはなく、同期として流しながらであってもその華やかかつ勇壮なサウンドが我々をさらに踊らせてくれる。ヨコタのキーボードの流麗さも含めて、ライブで聴くこの曲は音源の何倍以上も我々を優勝させてくれる。
「歌舞伎町に捧げます!」
とセイヤが言って演奏されたのが悶々とした思いを抱えている男性の心境を描いた「性ビジネスは不滅」というレア曲であり、これは本当に歌舞伎町のイメージに合わせてこの日だけ演奏されたのかはツアー中盤であるだけにまだ定かではないが、改めてこの曲を聴いていると性ビジネス店が並びまくっている(「良い子は真っ直ぐ帰るように」とヨコタが言うくらいに)歌舞伎町にもSMクラブってあるんだろうか、なんてどうでも良すぎることを思ったりしてしまう。
そんな歌舞伎町らしい雰囲気から一転して、バンドの鳴らすサウンドがセイヤの歌に寄り添うというか、その歌、メロディ、歌詞を引き立てるようになるのは、かつてセイヤが弾き語りをやらざるを得ないタイミングのライブでよくやっていた、借金を返さないまま消えた幼なじみへの思いを綴った「Tくん」であるのだが、キュウソの熱い面をメジャー進出以降は隠すことなく歌ってきたからこそ、今作のアルバムではこの曲からそのキュウソの熱さやエモさを最大限に感じられるようになっている。それはセイヤがそうした感情を込めるようにして歌うことができるからこそだ。そこにはただ「金返せ」だけでなく、どこで何をしているかわからないけれど、ただまた会って顔が見たい、話したいという思いが滲み出ている。ヨコタのメロディアスなキーボードもそんなセイヤの感情をさらに引き立てているように鳴らされている。
さらにはスクリーンには雨の中を傘を差して歩く女性のアニメーションというまるでライブ前に雨が降っていたこの日のような天気の映像とともに歌詞も同時に映し出された「ひと言」は
「人が死んだよ言葉の力で 悪意をのせた言葉は凶器だ
不意な一言で胸が痛むよ 誰も無傷じゃいられない」
というフレーズからもわかるようにキュウソなりの今のSNSへの警鐘と言ってもいい歌詞の曲だ。逆にそれはキュウソが好き勝手なことを言っているように見えて、実はこの曲の歌詞のようにめちゃくちゃ配慮して考えた上で言葉を発しているということがわかるし、セイヤは
「その気持ち」
という歌詞を
「この気持ち」
と微かに変えて歌っていたのが、今目の前にいる我々に向けて歌っているということを感じさせてくれる。カワクボの淡々としているようなベースラインも相まって、個人的にはくるり「ばらの花」をどこか彷彿とさせるような曲である。それはもちろんメロディの力含めて。
そんなキュウソのエモさ、真っ直ぐさを感じさせるような曲が続くと、セイヤは先日のFREEDOM NAGOYAでの出来事を話す。
「なんか出る前からめちゃくちゃ盛り上がるって聞いてたから「TOSHI-LOWさん」をやることにして。曲始まって客席行って上に立とうとしたらめちゃくちゃバランス悪くてすぐに崩れて(笑)多分みんなキュウソのこと知らないから(笑)
で、キュウソのワンマンでは俺以外はダイブ禁止やけど、フェスだし「TOSHI-LOWさん」でTOSHI-LOWさんみたいに俺にダイバーが向かってくるみたいな感じになって欲しいやん!でもキュウソのファンはみんな「キュウソのライブでダイブするなってセイヤさんが言ってるから」みたいになって全然上がって来ないんやけど(笑)、俺が「上がってこい!」って言ったら8人くらいポツポツリフトしだして。
でも俺の下が不安定過ぎてヤバいなと思ったから一回柵から降りて違う場所の柵からまた行こうと思ったらちょうどそのタイミングでダイバーが転がってきたからセキュリティみたいにキャッチしてあげた(笑)
でもそいつ、俺がキャッチしたのに無表情やったから俺のこと知らんと思う(笑)「わー!セイヤさんにダイブを受け止めてもらったー!」みたいな感じ一切なかったもん(笑)」
というエピソードは爆笑を巻き起こすのであるが、
ヨコタ「ダイブもできるし、流せるし受け止めることもできる。ダイブ関係全部できるやん!」
と、セイヤがついにダイブマスターに認定され、この日はやる予定がない「TOSHI-LOWさん」を観客の熱い要望に応えてどこかでやることを宣言する。
しかしすぐには「TOSHI-LOWさん」は演奏せずに、終盤への突入を告げるアンセムとして鳴らされた「ビビった」ではクソワロダンス部分でたくさんの人が手を振って踊り、最後のサビ前にはセイヤとともに
「なめんじゃねぇ!」
のフレーズを叫ぶ。ワンマンだからこそダイブが起こることはないが、そうなってもおかしくないくらいの客席の熱気っぷり。キュウソのファンは常にライブにおいて前のめりであるが、さらに前へ前へと行っている感すらある。
そんな中でオカザワがギターを掻き鳴らして始まったのは「DQNなりたい、40代で死にたい」であり、恒例の
「ヤンキーこわい」
のフレーズは歌舞伎町だからこそよりリアリティ(というかヤンキーどころじゃないレベルの方々もたくさんいる街であるが)を持つのであるが、セイヤは客席に突入しては崩れそうになりながらも観客の上を転がり、泳ぐようにして最終的には客席最深部のPA奥までたどり着いて
「この新しいライブハウスの天井に最初に触ったのは俺だー!」
と叫ぶ。確かにさすがにこの規模のライブで客席のこんなに奥までやってきて観客に支えられているメンバーはまずいないだろう。最後には筋斗雲を客席に流してもらい、それに乗って最大の「ヤンキーこわい」コールをすると、やはり落ちそうになりながらも転がりながらステージの方へ戻っていく。このパフォーマンスがあると、さらに観客が1番後ろの方まで踊りまくるようになっているのがよくわかる。そういう意味でもこのパフォーマンスができるようなライブハウスが戻ってきて本当に良かったと思っている。キュウソのライブの凄さを最大限に実感することができるから。
そんなキュウソのライブをさらにハッピーに、楽しくしてくれるのがソゴウのドラムの連打によって始まる「ハッピーポンコツ」。サビに入る前にはカワクボがステージ前に出てきてベースソロを弾いた後にポーズを決めるのであるが、これもまたこれこそがキュウソのライブだと思えるような要素だ。不在時には空きっ腹に酒のシンディがバンドを支えてくれて、だからこそキュウソのライブを見続けることができたのであるが、やはり独特のうねりまくるようなベースラインはキュウソのリズムの強さを見るたびに実感させてくれるし、ステージ上での存在感や影響を受けてきたであろう音楽が同じであろう部分も含めて自分はカワクボタクロウというベーシストが大好きであり、そのカワクボがベースを弾いてこそキュウソだと思っている。
そんな大団円的なライブをさらに熱く締めるのが、こちらもすでにフェスやイベントなどでも最後の曲としておなじみになっている「私飽きぬ私」。背面のスクリーンにはツアーロゴも映し出される中、メンバー全員がソゴウのドラムセットの前に集まるようにしてその音を重ねることによって青春パンク的な(個人的にはGOING STEADY「童貞ソー・ヤング」へのオマージュだと思っている)イントロがさらに熱く、厚く鳴らされていき、サビではもちろん観客の大合唱が響く。それが人数的にはフェスより少ないワンマンなのに大きな声に聞こえるのは、ここにいる誰もがちゃんと曲、歌詞を理解しているから。そうしてキュウソを愛する人たちが全員で
「不安だ 不安だ 不安なんす」
のフレーズを歌うことによって、抱えている不安は消えていくような感じすらする。それはこの曲を聴いていると、どんな人間であっても今の自分を少しは肯定できるように思えるし、観客の声を得ることによってこの曲はこのツアーを周り終わった時に本当の意味で完成するはずだ。つまりはこんなにも最高なキュウソのライブもまだまだ楽しくなる伸び代が残っているということ。それは同時にこれから先のライブハウスシーンが今よりもっと楽しくなっていくということを示している。
アンコール待ちでは観客が自発的にボーカルグループとコーラスグループに分かれて
「ヤンキーこわい」
の大合唱をしてメンバーを待つ。そのコロナ禍になる前には当たり前だった光景がこんなに満員のライブハウスに戻ってきている。それだけで感動してしまうのは、そこには観客たちのキュウソへの巨大な愛情が溢れているからだ。
そんな声に導かれてメンバーが再びステージに登場すると、こうして我々の目の前でライブをやってくれているキュウソこそが我々にとっての推しであり、その存在を崇め讃えるように
「わっしょい わっしょい」
の大合唱と腕の動きが起こる「推しのいる生活」でヨコタもステージ前に出てきて思いっきり腕を振りながら煽ると、ラストはこうして満員のライブハウスでキュウソのライブを見ていることによって
「ライブハウスはもう最高だね ライブハウスはSo最高だね
安定と不安定が混ざり合う 心の底からぶち上がりたいんだ!!!」
「やっぱりライブは最強だね すぐそこで生きてる最強だね
音源じゃ伝わりきらない 細かい感動がそこにはあるからだ!!!」
という歌詞が今この瞬間のためのものとして響く。その活動からしてライブバンドでしかないというくらいにライブをやってきて、ライブハウスを回ってきたキュウソだからこそ。そのキュウソと観客たちが本当に見たかった景色がこの日は広がっている。最後にコーラスフレーズをみんなで大合唱しながら手を振る光景は本当に感動的だった。数え切れないくらいにライブで聴いた曲でもそう思えるというのが、キュウソが進化を果たしているということの何よりの証明だった。
しかしそれだけでは終わらず、オカザワがイントロのギターを弾き始めた瞬間にセイヤがTシャツを脱いで客席に飛び込みながら歌い始めたのは宣言通りに観客の要望に応えての「TOSHI-LOWさん」。すっかり忘れていたというくらいにここまでの流れで感動していたのを引き戻してくれるのであるが、やはり落ちそうになりながらも最後には観客に支えられて歌うセイヤはTOSHI-LOWほどにムキムキではないけれど、確かに鍛えているのがわかるようなムダな肉のなさをしていた。それは自分自身がカッコいいバンドのフロントマンであるためのものであるように。
ヨコタ「「The band」で終わりで良かったんちゃう?(笑)」
と急遽「TOSHI-LOWさん」を追加したことによって終わり方が特殊な形になってしまったことの公開反省会をしながらメンバー紹介をし、終演SEとして流れていた「私飽きぬ私」に合わせて再びメンバーと観客で大合唱が起きる。それはこうして一緒に歌えるようになったことの喜びを改めて確かめるかのようだった。
コロナ禍での制限や規制がある中でのキュウソのライブももちろん楽しかった。この日セイヤとヨコタが口にしていた通りに合唱できない代わりに手拍子や臨棒といったアイテムまで駆使して楽しいライブを作ろうとしていた。
でもやっぱりどこかあの時のツアーはメンバーたちからも「俺たちのライブはまだまだこんなもんじゃない」という悔しさが滲んでいるようにも感じていた。そうして溜め込んだ悔しさを今ようやく解き放つことができている。この日のライブがなんだか今までのどんなキュウソのライブよりも素晴らしいものだと感じることができたのは、バンド側も観客側もそうした思いを解放して最大限に楽しむことができるようになったからだ。だからこそこの日は過去最高レベルに、キュウソのおかげで楽しいと思えた。これからもそんな人生であり続けられますように。
1.3minutes
2.MEGA SHAKE IT!!
3.住環境
4.ファントムバイブレーション
5.KMTR645
6.いけしゃあしゃあ
7.囚
8.You don't know her
9.スプラッタ
10.Scary Song
11.優勝
12.性ビジネスは不滅
13.Tくん
14.ひと言
15.ビビった
16.DQNなりたい、40代で死にたい
17.ハッピーポンコツ
18.私飽きぬ私
encore
19.推しのいる生活
20.The band
21.TOSHI-LOWさん
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