Syrup16g Tour 20th Anniversary "Live Hell-See" @柏PALOOZA 6/20
- 2023/06/21
- 19:34
昨年には最新アルバム「Les Mise blue」をリリースしてそのツアーを回っただけに、次なる活動はまただいぶ間が空くのかと思っていたが、なんとアルバム「Hell-See」のリリース20周年を記念した再現ツアーを開催という継続的な活動っぷり。それが今年のSyrup16gである。
しかしながらこの日の前週に、今でもインタビューで「外に出ないから人と会わない」と口にしている五十嵐隆(ボーカル&ギター)がなぜかコロナに感染してしまい、2公演が延期になった。そのためこの日はそんな五十嵐のコロナからの復活となるライブになったのである。
今でも平日のZepp規模でも即完するために(そうした状況であり続けているのがSyrup16gというバンドの唯一無二っぷりを示している)、やはり即完となったこの日の柏PALOOZAは超満員の中、19時を少し過ぎたあたりでSEもなくメンバー3人がステージに登場。今や宮本浩次のソロバンドのメンバーとしても活躍しているキタダマキ(ベース)はサングラスをかけているが、中畑大樹(ドラム)も五十嵐も見た目はほとんど昔から変わらないように見える。なんなら五十嵐はもう50歳になったということが信じられないくらいにその見た目は若々しい。
曲タイトル通りにステージには黄色い照明が降り注ぐ中で始まったのは「Hell-See」の1曲目に収録されている「イエロウ」であり、この時点でこのライブがやはりアルバムの流れを再現するものであることがわかるのであるが、五十嵐の歌声がコロナ感染直後ということもあってか実に不安定であり、これは近年の中でもなかなか珍しいなと思ったのであるが、それは近年のライブで五十嵐がちゃんと声がよく出ていたということの裏返しでもあり、ただ声が出ていないからといって全くダメかというとそういう訳でもないというのがSyrup16gというバンドなのである。他に同世代ではART-SCHOOLも同じく声が出てなくてもそれがライブの出来そのものに直結するわけではないバンドと言える。
それでも五十嵐はサビの後半には思いっきり叫ぶようにして歌うことによって、状態は良くなくても自身のベストを尽くそうとしているのはしっかり伝わってくる。何よりも
「予定調和に愛を
破壊に罰を
誹謗中傷に愛を
仕事しようよ」
というサビのフレーズは今のSNS上での誹謗中傷などを受けて書かれたかのような。それをまだネットすら全然普及していなくて、誹謗中傷という単語すらそこまで浸透していなかった20年前に書いていた。シロップの音楽が今も全く色褪せることはないのはどの歌詞もが時代を感じさせることなく、いつ聴いても今のリアルとして響いてくるからだ。
それは歌詞だけではなくて、実はエバーグリーンさすら感じるギターロックサウンドからもそう感じさせてくれるのは「不眠症」。キタダのベースは音階的に動きまくり、五十嵐はいつだって苦しそうな顔でギターを弾きながら歌っている。
「うるせえてめぇ寝れねぇ
もう遅えよねぇ」
というフレーズたちの韻の踏みっぷりは最新作にまで連なっている五十嵐ならではの研ぎ澄まされた言語感覚を感じさせてくれる。
それは五十嵐のトーンの低いボーカルによって(だから声がどうかという要素に左右されない)歌われることによって、どこか鬱蒼とした雰囲気を醸し出すアルバムタイトル曲「Hell-see」の
「テレビの中では混み入った
ドラマで彼女はこう言った
「話もしたくはないわ」
そこだけ俺も同意した」
というサビのフレーズもそうである。
一転して五十嵐がギターを掻き鳴らしまくる「末期症状」では、ここまでは基本的に見入る、聞き入るというような形で現実世界からシロップの世界に入り込んでいた客席の一部から腕が上がったりもしている。それはこの曲が今でもそうしてロックバンドの衝動を感じさせてくれるようなギターロック曲であり、シロップ以外にも様々なバンドやサポートでドラムを叩いてきた中畑の今の技術やスタイルによって手数が音源よりさらに増している。全てがあの頃のままで今のものになっているのではなくて、ちゃんと芯は変わらないままで少しずつアップデートされている。シロップがそうやって解散してからの再結成後も活動を続けてきたということがよくわかる。
そんな中畑が
「みんな柏の人?なんかさ、Syrup16gを見るためにライブを見に来た人たちに
「Syrup16gです」
って挨拶するのってどうなんだろうなって思うよね。いや、知ってるよみたいなさ(笑)
だからなんて言えばいいんだろう、日本屈指のスリーピースバンドです、みたいな(笑)そういう形容詞は自分たちで言うんじゃなくて、言ってもらうものだと思うんだけど(笑)」
というドラムを叩いている時のオーラとは真逆と言っていいくらいの和やかさな人懐っこい挨拶をすると、これまでとは違って少し柔らかなというか温かみのある照明に照らされながら演奏された「ローラーメット」はそのサウンドに合わせた照明であるかのようであるが、
「ロックスターがテレビの前で悲しい振りをしてる
ロックスターがテレビの前で悲しい振りがうまい」
というサビの歌詞は今聴いてもハッとするというか、こうした曲を聴いていたからロックバンドが地上波のテレビに出ることにアレルギーを持ってしまったんだよな…となんだか聴きながらしみじみとしてしまう。
再び五十嵐がギターをシャープに掻き鳴らしながら歌うのは「I'm 劣性」なのであるが、この曲ではなかなか喉というか声がかなりキツそうであり、音程を外したり飛んだりする部分もかなりあった。しかしその状態が驚くくらいに曲の歌詞とマッチしてしまうというあたりもまた実にシロップらしいというか、だからこそこうした「鬱ロック」とすら言われていた歌詞が説得力を持つのだとも思う。ある意味ではこの日の五十嵐の状態は今一度我々にシロップがどんなバンドであるかということを示すかのようである。
こうして改めて通して「Hell-See」というアルバムを聴いていると、やはり暗いというか重いというか、通勤前とかに聴いていてもテンションが上がることは全くなく、むしろ「仕事行きたくねぇな…」という自身の怠惰な面が掘り起こされてしまうと同時に、そんな自分だからこそこの音楽が響いてしまうとも言えるのであるが、それはアルバムの中で数少ない温もりや光を感じさせながらも、歌詞を聞いていると家に帰りたくなってしまう「(This is not just)Song for me」という曲がこの中盤に収録されているからである。決して救いがあるわけではないけれど、それでも今でもシロップの曲を聴くのはある意味での自己セラピーのようなものでもあるなとも思う。
敢えて薄暗い照明の中で不安定な五十嵐のボーカルが響くことによって、五十嵐が孤独な情景の中で月に向かって歌っているようにすら見えてくる「月になって」はそう思えるというあたりに五十嵐にとって今でもこの曲たちがリアルなものであるということを示してくれるのであるが、次の曲に入る際のギターをトチってやり直すというあたりも今も変わることのない五十嵐のリアルであると言える。
そうしてやり直して始まった「ex.人間」ではイントロからキタダも中畑もコーラスを重ねるのであるが、淡々としたようなリズムと
「道だって答えます
親切な人間です
でも遠くで人が
死んでも気にしないです」
人間ではなくなってしまった感情のなさを示す中でも(このフレーズもまた遠い国では人同士が殺し合っていて…という状況を考えると今においてリアル過ぎる歌詞である)最後には光が射し込むようにして五十嵐のギターも歪み、
「少し何か入れないと
体に障ると彼女は言った」
と歌われるフレーズは人間ではなくなったようでいて、ちゃんと周りには気にかけてくれる人間がいてくれるということを感じさせる。それはこの世の全ての孤独だと思っている人がそうであるかのように。だからこの曲は
「今度来る時電話して
美味しいお蕎麦屋さん
見つけたから
今度行こう」
という日常に帰っていくような歌詞で締められるのである。そこに重なるキタダと中畑のコーラスがより一層、五十嵐の周りにはそうした人がいてくれていることを感じさせる。
アルバムでは長いイントロが入っている「正常」もその音源通りに同期のサウンドによるイントロが流れてから演奏が始まり、
「スローリー」
という歌い出しのフレーズの通りにゆったりとした、しかし五十嵐の歪んだギターの音によってどこかサイケデリックとも言える情景を想起させるのであるが、今回のツアーでTシャツのデザインの一つにもなっているアルバムのジャケ写を個人的に最も感じさせるのが
「進化を遂げていくものは
メッキだらけの思い出か
身体は石のように硬く
荒野に転がり冷たくなった」
というこの曲の五十嵐が低いトーンで歌うサビだったりする。それくらいに救いがないような世界観をこの曲は表現しているが、やはりそれも昔々の話ではなくて、しっかり今のリアルとして鳴っている。
「20年前もライブ来ていた人っている?あー、いるね。じゃあまだ生まれてなかった10代の人もいる?…うわ、いるのか!見たくない!(笑)どうりで眩しいと思った!(笑)」
と、中畑だけではなくてまさか10代の観客がいるとは、と客席もざわついていたのだが、その人はどうやってシロップの音楽を知ったのだろうか。それは聞く術もないためにわからないけれど、一つだけ確かにわかるのはシロップの音楽は今の10代の人にも刺さるということだ。ただ、今その年代で刺さってしまったらもう抜けなくなってしまうけれど、とも無駄に心配してしまったりする。というかきっと知る機会があれば刺さってしまう10代の人はたくさんいると思う。
それはこうした曲があるからだよな、と思うような「もったいない」ではサビで五十嵐が一気に張り上げるようにして歌う声はやはりかなりキツそうではある。でもそこに関しては「もったいない」ともチケット代返してくれとも全く思わないのがシロップならではであるし、それは甘えではなくて、何度も書いてきたようにそれこそがリアルだからだ。
「Hell-See」の世界もいよいよ終盤へと向かっていくのであるが、中畑のドラムが一気に激しさと速さを増していく「Everseen」ではそのサウンドに反応して観客が腕を上げ始めているし、五十嵐もキツいながらもなんとか歌い切ろうとしているのがわかる。それは五十嵐自身を中畑とキタダのビートが後押ししてくれているからでもあるだろう。
「想像できない事など
創造できない すべてが
平等で平和な世界は
相当嘘くさい」
というフレーズこそが真実だと思える力がこのバンドには確かにあるのだ。
アルバムの流れとしてもこの後半で自身の意識の深層に潜っていくような抑制されたサウンドの「シーツ」が入ってくるというのも1枚で一つの作品であるという美意識を感じさせるのであるが、
「死にたいようで死ねない
生きたいなんて思えない
頭悪いな 俺は
自意識過剰で」
というフレーズは実に五十嵐らしいというか、なかなか普通は浮かんでこないくらいにありのままの思考が歌詞になっていると思う。とはいえ自分は五十嵐みたいなタイプが実は全然死にそうにない人間だとも思っているのだが、その予想だけは当たっていて欲しいと切に願っている。
「がっちゃん、体調大丈夫?」
という観客の歓声に五十嵐が指で○マークを作ったりしながら、そんなアルバム終盤に待ち構えているのが、男女2人の会話、物語のような歌詞でありながらも全てを記したいほどに五十嵐の思考を言い表している「吐く血」。もちろん白痴とのダブルミーニングであるのだが、そんな曲ですらも五十嵐の低いトーンのメロディもリズムも美しさすら感じられるものであるというのがシロップらしさである。曲が進むにつれて照明の色もまた血を想起させるような深い赤へと変わっていくのであるが、
「「すべてを晒すことは
割り切ってるから平気なんだ。
時々空しいのは
向いてないかなって思う時だけ」」
「「私には何にもないから」
そう言って笑った そう言って笑った
「貴方は私と似ているね」
そう言って笑った そう言って笑った」
などの歌詞を聴いていると、いつか五十嵐には小説でも書いてくれないかとも思う。いや、でもそれよりも新しい音楽やライブだな…とすぐに思ってしまうくらいに、それを始めたら活動が止まりそうであるのだが。
そして五十嵐はギターを珍しく(というかこの日唯一)アコギに取り替えながら、
「全然外に出ないから免疫がなくてすぐ感染する」
と、コロナに感染した理由を口にするのであるが、やはりこの日声が不安定だった理由はそれであるようで、
「来週くらいにもう一回見に来てもらえればもうちょっとちゃんと歌えると思うんで…そこに来てくれるのを待ってます(笑)」
と他の公演に誘いながら、
「でもみんな本当に優しいというか徳が高いというか、前世でどんな行いをしたんだろうって思う」
と声が不安定であるのに文句を言わない観客に感謝していたが、それは五十嵐も言っていたようにそれもまたシロップらしさであるということを理解していると同時に、こうしてライブが見れるだけで嬉しいと思っているからだろう。それくらいに平気で何年も会えるスパンが空いたりしてきたバンドであるだけに。
そうした言葉の後に五十嵐がそのアコギを弾きながら(エフェクターを通しているので音だけ聴くと全然アコギという感じはしない)「Hell-See」の締めとして演奏された「パレード」は、そのサウンドからも歌詞からも人生最後を迎える瞬間のイメージが想起されるが、そこにはここまでの曲で描いてきたような絶望や諦念はない。それはどんな人生を送ってきても、最後にはそうしたものから解放されていくということを感じさせる。その微かな、ギリギリ感じられる希望こそがまたシロップというバンドの音楽の持つものだ。希望一辺倒ではなくて、絶望ばかりの中に確かにある僅かな希望を描くからこそ、その希望がより美しく感じられるし、この音楽によって生きている実感を得ることができる。声の調子が不安定なのも、人間の挙動だから。リリースから20年経ってもやはり「Hell-See」はそんな感情を抱かせてくれる。それはこれからさらに20年、いや、それ以上の時間が流れて、今ここにいる人が誰もいなくなってしまった時代でも変わることはないはずだ。
本編がその状態だっただけに、果たしてアンコールでさらに歌えるだろうかとも思ったりもしたけれど、やはり3人は再びステージに登場。中畑が一言
「楽しい」
とだけ言うと、その中畑のリズムがぶっ叩くのではなくて丁寧に鳴らされる「Les Mise blue」の「Don't Think Twice (It‘s not over)」が演奏され、サビでのタイトルフレーズの歌唱では3人の声が重なっていくのであるが、中畑のそのプレイは明らかに五十嵐の歌やメロディを支える、際立たせるものになっている。アルバムリリース時の「音楽と人」でのインタビューでも、今はそうした意識を持ってシロップでドラムを叩いているということを語っていたけれど、前に出ようと思えばいくらでも出れる、自分の技術や鳴らす音の凄さをアピールできるスーパードラマーである中畑が自身よりも優先すべきことがなんなのかということに向き合い、それを実践している。それが演奏から伝わってくる。それを五十嵐もわかっているからこそ、五十嵐はこのメンバーとしかバンドが出来なかったんだろうなとも思う。
同じく「Les Mise blue」の中でも、ジャケットの宇宙服のイメージを最も感じられるようなサウンドに乗せて
「診断書 死んだっしょ」
と五十嵐以外にこんな韻の踏み方の歌詞を書くことができる人は間違いなくいないと思わせる天才っぷりが炸裂している「診断書」も「Les Mise blue」のツアーに参加できなかった身としては嬉しい限りであるが、アンコールの最後に演奏されたのも「Les Mise blue」収録の「Dinosaur」であった。五十嵐は声がキツそうで最後には歌えなくもなった部分もあったけれど、キタダの隙間を活かしたベースラインも実に心地良さや、そうした3人でのアレンジはやはりシロップはこの3人でしか成り立たない、曲が生まれないバンドであるということを示している。それはこのバンドがずっと化石になることがないくらいに、現代を生き続けている恐竜であるというようにすら感じられたのである。
しかしながらそれでもまだアンコールを求める手拍子がやむことはなく、今度は最初に五十嵐が1人でステージに現れると、
「お着替え中です」
と言う通りに、中畑とキタダはツアーTシャツに着替えて登場し、五十嵐がギターを掻き鳴らす「ソドシラソ」という選曲に観客は歓声を上げながら腕を挙げるのであるが、その五十嵐のボーカルも全てを振り絞るように思いっきり張り上げるようなものになっているのはその観客のテンションによって引き出されたところもあるのかもしれないし、本編では不安定だった五十嵐の歌唱は驚いてしまうくらいによく出ている。そんな見えない力が確かに引き出されているのがわかる。
それはこちらもイントロから歓声が上がると、五十嵐も叫ぶようにし、さらには中畑も声を上げる「天才」もそうであるが、キタダと中畑という強力なリズム隊によるグルーヴを存分に感じさせてくれるのはやはりこの曲だ。
「遊ばない 絡まない 力合わせたくない」
のフレーズに感銘を受けてしまったからこそ、こうして1人でライブに行き続けている身としては責任を取ってずっとこの曲をライブで鳴らし続けていて欲しいと思ってしまう。
「楽しいから、もうちょっとだけやります。まだツアーあるからまた来てね」
と五十嵐が最後に笑みを浮かべながら挨拶して演奏されたのは、こちらも五十嵐と中畑が声を上げ、やはり観客も歓声を上げる「リアル」。
「ヤバい空気察知する能力オンリーで生き延びた」
というこの曲、そして五十嵐の人生を象徴するようなフレーズ部分で中畑がドラムの連打にさらなる手数を加え、五十嵐は最後にはフレーズに対して歌詞がズレたりもしたのだが、それもキタダと中畑が全く意に介さずに合わせる。というよりも合ってしまうのかもしれない。五十嵐の張り上げる声がいつの間にか完全に普段と遜色ないくらいになっているのも含めて、この日のシロップのライブはやはり、全ての言葉が尻尾を巻いて逃げ出すようなリアルさであったのだ。
シロップから影響を受けたというバンドはたくさんいる。でもシロップはもちろん、シロップのようなバンドもいない。というかこれほどまでに五十嵐隆という人間がそのまま音楽になっているようなバンドは誰も他にできない。だからこそ20年経ってもたくさんの人に「Hell-See」というアルバムが、このバンドの音楽が求め続けられている。
もう五十嵐も50代になったし、聴いている人も大人になった人ばかりだろう。でもどんなに生活環境が変わっても、シロップの音楽を聴くと自分が変わっていないこと、変わらない部分があるということに気付かされる。それくらいに今でも心に、感情に突き刺さってくる。そんな一生卒業できないSyrup16gの音楽が今でも目の前で鳴っているのを見ることができて本当に幸せだと思っている。
1.イエロウ
2.不眠症
3.Hell-see
4.末期症状
5.ローラーメット
6.I'm 劣性
7.(This is not just)Song for me
8.月になって
9.ex.人間
10.正常
11.もったいない
12.Everseen
13.シーツ
14.吐く血
15.パレード
encore
16.Don't Think Twice (It's not over)
17.診断書
18.Dinosaur
encore2
19.ソドシラソ
20.天才
21.リアル
しかしながらこの日の前週に、今でもインタビューで「外に出ないから人と会わない」と口にしている五十嵐隆(ボーカル&ギター)がなぜかコロナに感染してしまい、2公演が延期になった。そのためこの日はそんな五十嵐のコロナからの復活となるライブになったのである。
今でも平日のZepp規模でも即完するために(そうした状況であり続けているのがSyrup16gというバンドの唯一無二っぷりを示している)、やはり即完となったこの日の柏PALOOZAは超満員の中、19時を少し過ぎたあたりでSEもなくメンバー3人がステージに登場。今や宮本浩次のソロバンドのメンバーとしても活躍しているキタダマキ(ベース)はサングラスをかけているが、中畑大樹(ドラム)も五十嵐も見た目はほとんど昔から変わらないように見える。なんなら五十嵐はもう50歳になったということが信じられないくらいにその見た目は若々しい。
曲タイトル通りにステージには黄色い照明が降り注ぐ中で始まったのは「Hell-See」の1曲目に収録されている「イエロウ」であり、この時点でこのライブがやはりアルバムの流れを再現するものであることがわかるのであるが、五十嵐の歌声がコロナ感染直後ということもあってか実に不安定であり、これは近年の中でもなかなか珍しいなと思ったのであるが、それは近年のライブで五十嵐がちゃんと声がよく出ていたということの裏返しでもあり、ただ声が出ていないからといって全くダメかというとそういう訳でもないというのがSyrup16gというバンドなのである。他に同世代ではART-SCHOOLも同じく声が出てなくてもそれがライブの出来そのものに直結するわけではないバンドと言える。
それでも五十嵐はサビの後半には思いっきり叫ぶようにして歌うことによって、状態は良くなくても自身のベストを尽くそうとしているのはしっかり伝わってくる。何よりも
「予定調和に愛を
破壊に罰を
誹謗中傷に愛を
仕事しようよ」
というサビのフレーズは今のSNS上での誹謗中傷などを受けて書かれたかのような。それをまだネットすら全然普及していなくて、誹謗中傷という単語すらそこまで浸透していなかった20年前に書いていた。シロップの音楽が今も全く色褪せることはないのはどの歌詞もが時代を感じさせることなく、いつ聴いても今のリアルとして響いてくるからだ。
それは歌詞だけではなくて、実はエバーグリーンさすら感じるギターロックサウンドからもそう感じさせてくれるのは「不眠症」。キタダのベースは音階的に動きまくり、五十嵐はいつだって苦しそうな顔でギターを弾きながら歌っている。
「うるせえてめぇ寝れねぇ
もう遅えよねぇ」
というフレーズたちの韻の踏みっぷりは最新作にまで連なっている五十嵐ならではの研ぎ澄まされた言語感覚を感じさせてくれる。
それは五十嵐のトーンの低いボーカルによって(だから声がどうかという要素に左右されない)歌われることによって、どこか鬱蒼とした雰囲気を醸し出すアルバムタイトル曲「Hell-see」の
「テレビの中では混み入った
ドラマで彼女はこう言った
「話もしたくはないわ」
そこだけ俺も同意した」
というサビのフレーズもそうである。
一転して五十嵐がギターを掻き鳴らしまくる「末期症状」では、ここまでは基本的に見入る、聞き入るというような形で現実世界からシロップの世界に入り込んでいた客席の一部から腕が上がったりもしている。それはこの曲が今でもそうしてロックバンドの衝動を感じさせてくれるようなギターロック曲であり、シロップ以外にも様々なバンドやサポートでドラムを叩いてきた中畑の今の技術やスタイルによって手数が音源よりさらに増している。全てがあの頃のままで今のものになっているのではなくて、ちゃんと芯は変わらないままで少しずつアップデートされている。シロップがそうやって解散してからの再結成後も活動を続けてきたということがよくわかる。
そんな中畑が
「みんな柏の人?なんかさ、Syrup16gを見るためにライブを見に来た人たちに
「Syrup16gです」
って挨拶するのってどうなんだろうなって思うよね。いや、知ってるよみたいなさ(笑)
だからなんて言えばいいんだろう、日本屈指のスリーピースバンドです、みたいな(笑)そういう形容詞は自分たちで言うんじゃなくて、言ってもらうものだと思うんだけど(笑)」
というドラムを叩いている時のオーラとは真逆と言っていいくらいの和やかさな人懐っこい挨拶をすると、これまでとは違って少し柔らかなというか温かみのある照明に照らされながら演奏された「ローラーメット」はそのサウンドに合わせた照明であるかのようであるが、
「ロックスターがテレビの前で悲しい振りをしてる
ロックスターがテレビの前で悲しい振りがうまい」
というサビの歌詞は今聴いてもハッとするというか、こうした曲を聴いていたからロックバンドが地上波のテレビに出ることにアレルギーを持ってしまったんだよな…となんだか聴きながらしみじみとしてしまう。
再び五十嵐がギターをシャープに掻き鳴らしながら歌うのは「I'm 劣性」なのであるが、この曲ではなかなか喉というか声がかなりキツそうであり、音程を外したり飛んだりする部分もかなりあった。しかしその状態が驚くくらいに曲の歌詞とマッチしてしまうというあたりもまた実にシロップらしいというか、だからこそこうした「鬱ロック」とすら言われていた歌詞が説得力を持つのだとも思う。ある意味ではこの日の五十嵐の状態は今一度我々にシロップがどんなバンドであるかということを示すかのようである。
こうして改めて通して「Hell-See」というアルバムを聴いていると、やはり暗いというか重いというか、通勤前とかに聴いていてもテンションが上がることは全くなく、むしろ「仕事行きたくねぇな…」という自身の怠惰な面が掘り起こされてしまうと同時に、そんな自分だからこそこの音楽が響いてしまうとも言えるのであるが、それはアルバムの中で数少ない温もりや光を感じさせながらも、歌詞を聞いていると家に帰りたくなってしまう「(This is not just)Song for me」という曲がこの中盤に収録されているからである。決して救いがあるわけではないけれど、それでも今でもシロップの曲を聴くのはある意味での自己セラピーのようなものでもあるなとも思う。
敢えて薄暗い照明の中で不安定な五十嵐のボーカルが響くことによって、五十嵐が孤独な情景の中で月に向かって歌っているようにすら見えてくる「月になって」はそう思えるというあたりに五十嵐にとって今でもこの曲たちがリアルなものであるということを示してくれるのであるが、次の曲に入る際のギターをトチってやり直すというあたりも今も変わることのない五十嵐のリアルであると言える。
そうしてやり直して始まった「ex.人間」ではイントロからキタダも中畑もコーラスを重ねるのであるが、淡々としたようなリズムと
「道だって答えます
親切な人間です
でも遠くで人が
死んでも気にしないです」
人間ではなくなってしまった感情のなさを示す中でも(このフレーズもまた遠い国では人同士が殺し合っていて…という状況を考えると今においてリアル過ぎる歌詞である)最後には光が射し込むようにして五十嵐のギターも歪み、
「少し何か入れないと
体に障ると彼女は言った」
と歌われるフレーズは人間ではなくなったようでいて、ちゃんと周りには気にかけてくれる人間がいてくれるということを感じさせる。それはこの世の全ての孤独だと思っている人がそうであるかのように。だからこの曲は
「今度来る時電話して
美味しいお蕎麦屋さん
見つけたから
今度行こう」
という日常に帰っていくような歌詞で締められるのである。そこに重なるキタダと中畑のコーラスがより一層、五十嵐の周りにはそうした人がいてくれていることを感じさせる。
アルバムでは長いイントロが入っている「正常」もその音源通りに同期のサウンドによるイントロが流れてから演奏が始まり、
「スローリー」
という歌い出しのフレーズの通りにゆったりとした、しかし五十嵐の歪んだギターの音によってどこかサイケデリックとも言える情景を想起させるのであるが、今回のツアーでTシャツのデザインの一つにもなっているアルバムのジャケ写を個人的に最も感じさせるのが
「進化を遂げていくものは
メッキだらけの思い出か
身体は石のように硬く
荒野に転がり冷たくなった」
というこの曲の五十嵐が低いトーンで歌うサビだったりする。それくらいに救いがないような世界観をこの曲は表現しているが、やはりそれも昔々の話ではなくて、しっかり今のリアルとして鳴っている。
「20年前もライブ来ていた人っている?あー、いるね。じゃあまだ生まれてなかった10代の人もいる?…うわ、いるのか!見たくない!(笑)どうりで眩しいと思った!(笑)」
と、中畑だけではなくてまさか10代の観客がいるとは、と客席もざわついていたのだが、その人はどうやってシロップの音楽を知ったのだろうか。それは聞く術もないためにわからないけれど、一つだけ確かにわかるのはシロップの音楽は今の10代の人にも刺さるということだ。ただ、今その年代で刺さってしまったらもう抜けなくなってしまうけれど、とも無駄に心配してしまったりする。というかきっと知る機会があれば刺さってしまう10代の人はたくさんいると思う。
それはこうした曲があるからだよな、と思うような「もったいない」ではサビで五十嵐が一気に張り上げるようにして歌う声はやはりかなりキツそうではある。でもそこに関しては「もったいない」ともチケット代返してくれとも全く思わないのがシロップならではであるし、それは甘えではなくて、何度も書いてきたようにそれこそがリアルだからだ。
「Hell-See」の世界もいよいよ終盤へと向かっていくのであるが、中畑のドラムが一気に激しさと速さを増していく「Everseen」ではそのサウンドに反応して観客が腕を上げ始めているし、五十嵐もキツいながらもなんとか歌い切ろうとしているのがわかる。それは五十嵐自身を中畑とキタダのビートが後押ししてくれているからでもあるだろう。
「想像できない事など
創造できない すべてが
平等で平和な世界は
相当嘘くさい」
というフレーズこそが真実だと思える力がこのバンドには確かにあるのだ。
アルバムの流れとしてもこの後半で自身の意識の深層に潜っていくような抑制されたサウンドの「シーツ」が入ってくるというのも1枚で一つの作品であるという美意識を感じさせるのであるが、
「死にたいようで死ねない
生きたいなんて思えない
頭悪いな 俺は
自意識過剰で」
というフレーズは実に五十嵐らしいというか、なかなか普通は浮かんでこないくらいにありのままの思考が歌詞になっていると思う。とはいえ自分は五十嵐みたいなタイプが実は全然死にそうにない人間だとも思っているのだが、その予想だけは当たっていて欲しいと切に願っている。
「がっちゃん、体調大丈夫?」
という観客の歓声に五十嵐が指で○マークを作ったりしながら、そんなアルバム終盤に待ち構えているのが、男女2人の会話、物語のような歌詞でありながらも全てを記したいほどに五十嵐の思考を言い表している「吐く血」。もちろん白痴とのダブルミーニングであるのだが、そんな曲ですらも五十嵐の低いトーンのメロディもリズムも美しさすら感じられるものであるというのがシロップらしさである。曲が進むにつれて照明の色もまた血を想起させるような深い赤へと変わっていくのであるが、
「「すべてを晒すことは
割り切ってるから平気なんだ。
時々空しいのは
向いてないかなって思う時だけ」」
「「私には何にもないから」
そう言って笑った そう言って笑った
「貴方は私と似ているね」
そう言って笑った そう言って笑った」
などの歌詞を聴いていると、いつか五十嵐には小説でも書いてくれないかとも思う。いや、でもそれよりも新しい音楽やライブだな…とすぐに思ってしまうくらいに、それを始めたら活動が止まりそうであるのだが。
そして五十嵐はギターを珍しく(というかこの日唯一)アコギに取り替えながら、
「全然外に出ないから免疫がなくてすぐ感染する」
と、コロナに感染した理由を口にするのであるが、やはりこの日声が不安定だった理由はそれであるようで、
「来週くらいにもう一回見に来てもらえればもうちょっとちゃんと歌えると思うんで…そこに来てくれるのを待ってます(笑)」
と他の公演に誘いながら、
「でもみんな本当に優しいというか徳が高いというか、前世でどんな行いをしたんだろうって思う」
と声が不安定であるのに文句を言わない観客に感謝していたが、それは五十嵐も言っていたようにそれもまたシロップらしさであるということを理解していると同時に、こうしてライブが見れるだけで嬉しいと思っているからだろう。それくらいに平気で何年も会えるスパンが空いたりしてきたバンドであるだけに。
そうした言葉の後に五十嵐がそのアコギを弾きながら(エフェクターを通しているので音だけ聴くと全然アコギという感じはしない)「Hell-See」の締めとして演奏された「パレード」は、そのサウンドからも歌詞からも人生最後を迎える瞬間のイメージが想起されるが、そこにはここまでの曲で描いてきたような絶望や諦念はない。それはどんな人生を送ってきても、最後にはそうしたものから解放されていくということを感じさせる。その微かな、ギリギリ感じられる希望こそがまたシロップというバンドの音楽の持つものだ。希望一辺倒ではなくて、絶望ばかりの中に確かにある僅かな希望を描くからこそ、その希望がより美しく感じられるし、この音楽によって生きている実感を得ることができる。声の調子が不安定なのも、人間の挙動だから。リリースから20年経ってもやはり「Hell-See」はそんな感情を抱かせてくれる。それはこれからさらに20年、いや、それ以上の時間が流れて、今ここにいる人が誰もいなくなってしまった時代でも変わることはないはずだ。
本編がその状態だっただけに、果たしてアンコールでさらに歌えるだろうかとも思ったりもしたけれど、やはり3人は再びステージに登場。中畑が一言
「楽しい」
とだけ言うと、その中畑のリズムがぶっ叩くのではなくて丁寧に鳴らされる「Les Mise blue」の「Don't Think Twice (It‘s not over)」が演奏され、サビでのタイトルフレーズの歌唱では3人の声が重なっていくのであるが、中畑のそのプレイは明らかに五十嵐の歌やメロディを支える、際立たせるものになっている。アルバムリリース時の「音楽と人」でのインタビューでも、今はそうした意識を持ってシロップでドラムを叩いているということを語っていたけれど、前に出ようと思えばいくらでも出れる、自分の技術や鳴らす音の凄さをアピールできるスーパードラマーである中畑が自身よりも優先すべきことがなんなのかということに向き合い、それを実践している。それが演奏から伝わってくる。それを五十嵐もわかっているからこそ、五十嵐はこのメンバーとしかバンドが出来なかったんだろうなとも思う。
同じく「Les Mise blue」の中でも、ジャケットの宇宙服のイメージを最も感じられるようなサウンドに乗せて
「診断書 死んだっしょ」
と五十嵐以外にこんな韻の踏み方の歌詞を書くことができる人は間違いなくいないと思わせる天才っぷりが炸裂している「診断書」も「Les Mise blue」のツアーに参加できなかった身としては嬉しい限りであるが、アンコールの最後に演奏されたのも「Les Mise blue」収録の「Dinosaur」であった。五十嵐は声がキツそうで最後には歌えなくもなった部分もあったけれど、キタダの隙間を活かしたベースラインも実に心地良さや、そうした3人でのアレンジはやはりシロップはこの3人でしか成り立たない、曲が生まれないバンドであるということを示している。それはこのバンドがずっと化石になることがないくらいに、現代を生き続けている恐竜であるというようにすら感じられたのである。
しかしながらそれでもまだアンコールを求める手拍子がやむことはなく、今度は最初に五十嵐が1人でステージに現れると、
「お着替え中です」
と言う通りに、中畑とキタダはツアーTシャツに着替えて登場し、五十嵐がギターを掻き鳴らす「ソドシラソ」という選曲に観客は歓声を上げながら腕を挙げるのであるが、その五十嵐のボーカルも全てを振り絞るように思いっきり張り上げるようなものになっているのはその観客のテンションによって引き出されたところもあるのかもしれないし、本編では不安定だった五十嵐の歌唱は驚いてしまうくらいによく出ている。そんな見えない力が確かに引き出されているのがわかる。
それはこちらもイントロから歓声が上がると、五十嵐も叫ぶようにし、さらには中畑も声を上げる「天才」もそうであるが、キタダと中畑という強力なリズム隊によるグルーヴを存分に感じさせてくれるのはやはりこの曲だ。
「遊ばない 絡まない 力合わせたくない」
のフレーズに感銘を受けてしまったからこそ、こうして1人でライブに行き続けている身としては責任を取ってずっとこの曲をライブで鳴らし続けていて欲しいと思ってしまう。
「楽しいから、もうちょっとだけやります。まだツアーあるからまた来てね」
と五十嵐が最後に笑みを浮かべながら挨拶して演奏されたのは、こちらも五十嵐と中畑が声を上げ、やはり観客も歓声を上げる「リアル」。
「ヤバい空気察知する能力オンリーで生き延びた」
というこの曲、そして五十嵐の人生を象徴するようなフレーズ部分で中畑がドラムの連打にさらなる手数を加え、五十嵐は最後にはフレーズに対して歌詞がズレたりもしたのだが、それもキタダと中畑が全く意に介さずに合わせる。というよりも合ってしまうのかもしれない。五十嵐の張り上げる声がいつの間にか完全に普段と遜色ないくらいになっているのも含めて、この日のシロップのライブはやはり、全ての言葉が尻尾を巻いて逃げ出すようなリアルさであったのだ。
シロップから影響を受けたというバンドはたくさんいる。でもシロップはもちろん、シロップのようなバンドもいない。というかこれほどまでに五十嵐隆という人間がそのまま音楽になっているようなバンドは誰も他にできない。だからこそ20年経ってもたくさんの人に「Hell-See」というアルバムが、このバンドの音楽が求め続けられている。
もう五十嵐も50代になったし、聴いている人も大人になった人ばかりだろう。でもどんなに生活環境が変わっても、シロップの音楽を聴くと自分が変わっていないこと、変わらない部分があるということに気付かされる。それくらいに今でも心に、感情に突き刺さってくる。そんな一生卒業できないSyrup16gの音楽が今でも目の前で鳴っているのを見ることができて本当に幸せだと思っている。
1.イエロウ
2.不眠症
3.Hell-see
4.末期症状
5.ローラーメット
6.I'm 劣性
7.(This is not just)Song for me
8.月になって
9.ex.人間
10.正常
11.もったいない
12.Everseen
13.シーツ
14.吐く血
15.パレード
encore
16.Don't Think Twice (It's not over)
17.診断書
18.Dinosaur
encore2
19.ソドシラソ
20.天才
21.リアル
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