ヨルシカ 「月と猫のダンス」 @東京国際フォーラム 5/12
- 2023/05/13
- 19:50
2月に日本武道館で行われた「前世」の音楽、演出、物語というライブを構成する全てのものの美しさもまだ強く脳裏に焼き付いているヨルシカが4月にリリースした最新アルバム「幻燈」は音楽画集という、スマホで絵を読み込んで聴くというスタンスの新しい形態になっていて…という解説には深くは触れないが、サブスクでは聴けない曲もその画集には収録されているヨルシカの「幻燈」のリリースツアーの東京公演は「盗作」のツアーでもライブを行った東京国際フォーラムホールA。ツアーはちょうど中盤くらいで、この日は2daysの2日目である。
国際フォーラムのロビーには画集を描いた加藤隆による絵画の展示スペースもあり、今回の作品とそれにまつわるツアーに相応しい会場を選んでいるのであろうことが伺えるが、「前世」でも「盗作」や「エルマ」といった過去の作品との物語の連なりを感じさせてくれただけに、この日は一体どんな物語を描くのであろうか。
19時を5分ほど過ぎたあたりだろうか、ステージ中央には大きなピアノとともに画集という今作のリリーススタイルに合わせてのものか、絵描きが絵を立てかける画材などが置かれているのは開演前からうっすらと見えていたのであるが、それがこの絵描きの住んでいる家であることがわかるのであるが、ステージ背面に
「written by n-buna」
という文字が浮かび上がり、やはり今回もこの設定を活かした物語を描いたのはn-buna(ギター&ボーカル)であることがわかるのだが、今まではそのn-bunaが語り、その物語に合わせた映像が映し出されていた形のライブが全く変わったんだなと思ったのは、今回はその語り部にメンバーではない俳優と言えるような人物が起用されており、ステージ中央で絵を描くような仕草を見せていたからである。
台本を持って喋りながら時にはステージ上を動き回ったりするその人物はどうやら売れない絵描きであることがわかるのであるが、その絵を描く合間にはピアノで「月光」のソナタを弾いて気分転換をしており、実際にピアノ椅子に座ると「月光」が流れ出し(さすがに音は弾いていない)、その最中に何やら猫の鳴き声が聞こえてきて…というのがこの物語の導入部分になっており、一瞬の暗転の最中にn-bunaをはじめとしたおなじみのバンドメンバーたちが入れ替わりでステージに登場すると、まさに楽団と言っていいようなセッション的な演奏が始まり、そこへ今回はフォーマルな衣装を纏ったsuis(ボーカル)が現れて、スクリーンには歌詞とともに様々な動物のアニメーションが映し出される「ブレーメン」からスタートすることによって、この物語の軸が「動物」と「音楽」であることがわかる。武道館でこの曲を演奏した時にはレイドバックした音に乗って体を揺らすような動きを見せていたn-bunaもさすがにライブの1曲目ではそうしたアクションはなく、
「あっはっはっは」
というsuisの嘲笑的なボーカルが印象的なこの曲でもどこか強い緊張感に会場が支配されているような感じがあった。それは微動だにせずに椅子に座ったままで、このライブの音の全てを、この物語を形成する言葉の一つ一つを決して見逃さない、聞き逃さないようにしようとしているかのような客席の圧から感じられるものである。
すると今作の「幻燈」の中では最もギターロックなサウンドの(それは「だから僕は音楽を辞めた」「エルマ」期を彷彿とさせるような)「又三郎」が早くも演奏され、スクリーンには男性が草原のど真ん中や歩道の上で踊るような映像が、時折その男性がそのままアニメーションになったかのように実に自然に数秒間だけ切り替わることによって、リアルと想像の境界線をぼやかしてくる。そうしてこの物語の中に観客は没入していくのであるが、suisのギターロックサウンドに負けない歌唱は実に芯の強さを感じられるものであるし、スキンヘッドでおなじみの平畑徹也がブンブン頭を振りながらキーボードを弾く姿がヨルシカの持つロックさを演奏の視覚的に示してくれる。
もともと座って演奏しているドラムのMasack(なんと元MY FIRST STORYのメンバーだったりする)以外のメンバーも全員椅子に座り、suisが一旦ステージから捌けているのは、そのsuisの立ち位置に語り部役の男性が立っているからであり、売れない絵描きである彼が「月光」を弾き始めると窓の外にはカナリヤがやってきて、追い払おうとしても全然逃げずにピアノが演奏されるのを待っている…というこの物語のコンセプトと言えるような部分の語りの後には美しい海の映像が映し出された「老人と海」が、目を瞑ってもその情景が脳内に浮かんでくるかのような落ち着いたサウンドと演奏によって鳴らされる。
さらには
「相棒はガチョウのモルテン」
という鳥の歌である「さよならモルテン」が先ほどの語りに登場したカナリヤとの関連性を思わせる。スクリーンに映し出される映像も曲に合わせて実にポップな色彩のものが多い印象の序盤であるが、時には照明やレーザーなどがその印象をより強く感じさせるのはさすが国際フォーラムの規模であるし、ステージも横に長いことによって今回の舞台の絵描きの家を窓や玄関などにわたって細部まで構築されているのである。
その絵描きには少し前まで恋人がいて、その恋人は描いていた絵を「どこかで見たような景色で面白くない」と言われていたと回想するのであるが、まさかこのやり取りが後に我々を驚かせることになるなんて全く思っていなかった…ので、絵描きが苦手な種類の動物であるというカエルやカメレオンすらもが「月光」のピアノの音につられて集まってくるというのを少し微笑ましさを感じながらも見ていた。それくらいにこの絵描き役の男性の一人芝居が引き込まれるくらいに素晴らしかったということである。
その絵描きと入れ替わりでステージに再びsuisが現れると、ここからは下鶴光康(ギター)が語り中と同じように椅子に座ったままでアコギを奏で、エレキはn-bunaが担うことによって、n-bunaがヨルシカの曲の強烈なフックの一つになっているリフを考案して鳴らしているということがわかるのだが、スクリーンに映像が映し出されない「都落ち」はよりそのサウンドに意識を向けさせてくれることによって、先ほどまでは力強さを感じさせるようだったsuisのボーカルが少女性を感じさせるものに変化していることもよくわかる。この曲に応じた表現力は音源ですらはっきりと感じられるものであるが、実際に目の前で歌うのを聴くことによってその凄まじさを実感させられる。やはりsuisはますます稀代のボーカリストであり、ヨルシカの声としてさらに進化を遂げているし、それは近年よりライブをやる機会が多くなってきていることとも無関係ではないはずだ。
男女があらゆる角度、場所で2人で踊っている幸せそうな光景がかつての絵描きとその恋人のものであるかのように感じられる「パドドゥ」はその軽やかなサウンドに乗って歌われる
「「さぁさぁもっと踊っていようよ
腕を引かれるまま、情け無い顔のままで
一生踊って暮らしていようよ
もう考えないでいいよ」」
というフレーズも含めて今回の「月と猫のダンス」というライブタイトルのテーマ的な曲だとも感じられる。ヨルシカの楽曲には「踊る」「ダンス」という単語も数多く出てくる(なんなら「踊ろうぜ」という曲すらある)が、ライブで耳にするその曲やフレーズはどこか窮屈な現実世界から解放される手段としてのものであるかのようだ。なので椅子に座ったままでも足が、頭が自然にリズムを取ってしまうのであるが、周りを見渡した感じ、そうした人は全くいなかったように思うので、せめて心はみんな踊っていたと思いたい。
下鶴のアコギの音色がより一層存在感を増すのは絵描きの家の窓から見える景色が定点的に映し出されているかのような「チノカテ」であるのだが、サビに入る前の
「あ、夕陽」
というフレーズをsuisが口にすると、照明が一気に夕陽を思わせるオレンジ色になって会場を包み込む。それは
「あ、散った」
での葉が散ったことを示すような緑色、
「あ、待って 本当に行くんだね」
の別れと旅立ちを思わせるような淡いピンク色と、光によって情景をガラッと変化させてしまう演出が本当に美しかった。それもまた映像や語りだけではない、楽曲のイメージを増幅させるために考え抜かれたものであることがわかる。
そんな「さすがヨルシカだな…」と唸らざるを得ないライブの合間に挟まれる語りではついに絵描きがピアノの弾いていると雄鹿という巨大な動物までもが家の前に来ているという事態に。絵描きと会話するかのように鹿の鳴き声の音も入っているのだが、鹿ってこんな鳴き声なのかと改めて思ったりもする。
その鳴き声というワードから繋がっていくように演奏されたのは平畑のキーボードのフレーズが強い存在感を放ち、Masackとキタニタツヤ(ベース。「呪術廻戦」の次期アニメのオープニングテーマを担当することが決まっているシンガーソングライターでもある)複雑というか奇妙な音の配置とアンサンブルによる「月に吠える」であり、suisのボーカルもどこか冷徹さを持ったものとしてというか、一人称が「俺」の歌詞であることもあってか、どこか自身が獣であることを表現するような歌唱になっている。それはスクリーンに映し出された切り絵的な動物のアニメーションも含めて、絵描きの家を訪れた鹿がそんな存在であるかのように。
そんな中、「幻燈」最大の驚きというとなんと今作にはn-bunaがメインボーカルを務める「華氏451度」から着想を得たと思われる(「又三郎」などはそのままだが、今作の収録曲たちは文学作品へのオマージュになっている)「451」であるのだが、曲間にジャケットを脱いでハンドマイクを持ってステージ前に出てきたn-bunaがまさに「燃やして」という歌詞に合わせるような情熱的な歌唱を披露するのにはやはり驚いてしまうし、「踊って」のフレーズでは体を激しく動かしながらまさに踊るように歌い、ステージを歩き回りながら歌ったりもする。この曲ではコーラスに廻るsuisがほとんどステージから動かない(それはメンバーとの位置関係を遵守しているからだとも思うが)だけにボーカリストとしては2人は対照的なタイプだ。それは物語の主人公になり切ってその心境を歌う憑依型のsuisと、自身の衝動を燃やし尽くすように歌うロックスター型のn-bunaという意味でもインタビューでn-bunaはボーカルについては
「もうやらないです」
と言っていたが、こんなに素晴らしい歌唱ができる(間違いなくこの日のライブのハイライトの一つ)のだから、また自身が歌う曲も作って欲しいと思う。
絵描きが椅子の上に立ちながら電話で話す相手は、展覧会を開催する仕事をしている恋人。その恋人相手に最近ピアノを弾くと動物が集まってくるというエピソードを話すと、疑われながらもその動物たちをスケッチしていることに興味を持たれ…という一人二役による見事な会話(ちゃんと喋る際に体の向きを変えることによって、口調以外でもどちらが喋っているかがわかる)が展開されるのだが、そんなかつて恋人だった2人が別れてしまった理由はよくある些細なもので…という導入から演奏された「いさな」は部屋の中を魚が泳ぐ映像が心の空白や空虚を表すようなバラードであり、思いっきりそこに切なさを込めるようにして歌うsuisに降り注ぐようなレーザー光線の演出もあって実に美しさを感じる瞬間であった。
さらには歌い出しのフレーズからして川端康成へのオマージュであろう「雪国」はドラムとキーボードだけでどこか冷徹としたリズムとサウンドを奏で、スクリーンには1行現れては消えてまた次の1行…という歌詞の表示の仕方ではなくて、車窓から眺める雪景色の上に曲の歌詞が全て映し出されていく。それはまさに小説を読んでいるような体験であるのだが、急に入ってくるキタニのベース含めて、どこで歌を入れればいいかがめちゃくちゃ難しそうなくらいに削ぎ落とされたサウンドも相まって、絵描きと別れた恋人が故郷に帰って行く歌として自分は受け取っていた。
するとピアノを弾く絵描きの元にはうさぎがやって来る中、こうして描いていた動物たちの絵を展示するために個展を開催するということが元恋人の働きかけによって現実味を帯びてくる。それはどこか別れの季節を抜けて春から夏へ…という売れない絵描きがその状況から抜け出すきっかけを掴むような心境として、「幻燈」の1曲目である「夏の肖像」が演奏される。先ほどまでとは対照的に実に爽やかな、まだ暑すぎないような夏の到来をバンドサウンドとsuisの歌声と緑の木々の葉が揺れるような映像で感じさせる曲であるが、このライブ終盤で演奏されることによって、画集の1曲目として聴いた時とはやはりだいぶ違うイメージになる。始まりの季節ではなくて、いろんな出来事や経験を経てたどり着いた上で通過していく季節のように感じるというか。それはヨルシカが描く物語によってそう感じるのであろうし、これから先に違う物語を描く中で演奏されたらまた違う印象にもなるはずだ。
それは「靴の花火」もそうであるというのは、武道館での「前世」の時にも演奏された曲であり、その時には主人公の前世が鳥だったことを表現するために、空を飛ぶ鳥の目線の映像が流れながら演奏された曲であったのだが、今回は「花火」という単語を強くフィーチャーするかのように「夏の肖像」から続く夏の象徴としての曲として演奏されていたように感じた。それはもちろんアニメーションによる映像も相まってそう感じたものであるが、曲の最後にスクリーンにタイトルが映し出されるというのも珍しいパターンであると言える。
そんな心理的な夏の到来によって絵描きは大家に動物に餌を与えているんじゃないかという疑惑をかけられていることを謝罪しながらも個展に向けた準備で慌ただしい日々を過ごしている。その慌ただしさを表現するようにステージ上を歩き回りながら喋るのであるが、平畑の真横に立ってそのスキンヘッドの上にペチンと手を当てるという行為はヨルシカの物語においては驚くくらいにメタ的な演出であり、ヨルシカのライブにおいて初めて観客の笑い声が漏れた瞬間でもあった。それはライブにおける声出しの規制が緩和されてきた状況だからでもあるのだろうか。
そんな絵描きの元には「月光」のピアノにつられてついにオープニングで鳴き声だけが登場していた猫が家の中に入ってくる。その猫はピアノの音に合わせて奇妙なダンスを踊るような動きを見せ、最後に絵描きの顔に口づけをして去っていき、それから動物たちは絵描きの家に現れなくなるのだが、その瞬間を絵描きは
「この光景を遠い昔にどこかで見たことがある…」
と言って頬に涙を流す。そのセリフを聞いてハッとしたのは、その瞬間は前回のライブ「前世」での主人公と恋人だった女性の生まれ変わりの犬との光景のような…。
あまりにもこの物語に没入しすぎて忘れていた。ヨルシカのこれまでのライブの物語がそれぞれ全く関係ないもののようでいて密接に結びついていることも、この物語で重要な役割を担う曲である「月光」がかつてのヨルシカのライブタイトルであったことも。
そんなハッとするような瞬間の後には平畑のピアノを軸とした削ぎ落とされたサウンドによるバラード「左右盲」が、居なくなってしまった人の喪失を思わせるように演奏される。それはやはり前回の「前世」でも演奏された曲であり、その連なりを思い起こさせるからこそより強くそう感じるような。それはもちろんsuisの無垢さを感じさせるようなボーカルによって増幅されているものでもある。
そんな物語の最後に演奏されるのはドラマの主題歌としてたくさんの人にヨルシカの存在や音楽を認知するに至った「アルジャーノン」。夕暮れを思わせるような情景が切なさを誘う。
「貴方はどうして僕に心をくれたんでしょう
貴方はどうして僕に目を描いたんだ
空より大きく 雲を流す風を呑み込んで
僕のまなこはまた夢を見ていた」
という歌い出しのフレーズが、絵描きがスケッチしたことによって命を、感情を吹き込まれた動物たちの心情であるかのように響く。そのフレーズを歌うsuisの感情を込めた歌唱によってその感覚がさらに強くなっていく。ただドラマの主題歌として書いたのではなくて、自分たちの表現の1番大事な部分を担う曲としても。穏やかなサウンドが響く中でヨルシカの凄まじさにただただ圧倒されて、この曲だけは体がリズムを刻むことが出来なかった。
それは演奏が終わってメンバーたちがステージを去った後に絵描きが個展を開いているエピローグでも感じさせられたものだ。動物たちを描いた絵が売れ、過去に描いた絵すらも買い手が見つかったくらいに成功した絵描きは個展を開くきっかけをくれた元恋人を出口まで送りながら会話をする。変わらない関係性のようでいて、元恋人の指には指輪が光っているという描写が「アルジャーノン」の
「貴方はゆっくりと変わっていく とても小さく」
というフレーズに重なる。元恋人は絵描きのかつて描いていた絵を面白くないと評した理由を
「誰かがかつて見た景色をそのままトレースしたみたいなんだもん。外国の街並みとか」
と言う。ああ、やはりそうだった。絵描きが描いていたのはエルマやエイミーが「月光」で見ていた、あるいは「盗作」や「前世」の主人公が見ていた景色だったのだ。つまりその主人公たちが何度も生まれ変わってこの絵描きになった。そんな前世の記憶を彼は描いていたのだ。ここで本当に全ての物語が一本の絵に繋がると元恋人はさらに
「あなたが描いた動物たち、あなたにそっくりなんだもん」
と言う。家のピアノの前でその言葉を反芻しながら絵描きは自身が描き、唯一売らずに手元に残した猫の絵を見る。そのポーズは奇妙なようでいて、ピアノを弾こうとしているようにも見えると。つまり動物たちはピアノの音を聴きに来たんじゃなくて、自分たちもピアノを弾きに来たのだ。それは冒頭に演奏された「ブレーメン」こそがこの物語のテーマだったことを改めて思い出させるような。
そうして一瞬ステージが暗転して物語は幕を閉じる。絵描き役の男性の両サイドにはsuisとn-bunaが立っていて、3人が観客に向かって頭を下げる。その3人が居なくなって客電が点いて終演のアナウンスが流れてもなお、まだ現実世界に戻ってこれていない、ずっとこの物語の中に浸っていたいと思うような時間だった。
今回のライブでは過去曲を一切演奏していない。全て「幻燈」の収録曲のみ。これまでは過去の曲を巧みにセトリに入れて、その曲にまた新たな意味を与えていたヨルシカの今回のライブは、そうでもしないと描けない物語であった。ドラマてもフィーチャーされ、武道館で美しさの極地を描くようだった「春泥棒」すらも演奏していない。そうまでしてでも描けないような物語を、このツアーでヨルシカは描いていたのだ。
ヨルシカのライブはよく「映画のような」という形容をされてきた。しかし今回の「月と猫のダンス」はそうした今までのものとは全く違う、なんなら通常のライブと言えるものでもなければ、演劇というものでもない。名前を付けようがないものにまで昇華された。
自分は武道館の時のライブで「音楽がなぜ芸術というカテゴリーに属しているのかを示してくれる」と書いたが、今のヨルシカは、そしてこれからのヨルシカは音楽だけでも演劇だけでもなく、ありとあらゆる芸術の要素を呑み込んでさらに進化していく予感がしている。そうやって、誰も何も言えぬほど 僕らを呑み込んでゆけ。
1.ブレーメン
2.又三郎
3.老人と海
4.さよならモルテン
5.都落ち
6.パドドゥ
7.チノカテ
8.月に吠える
9.451
10.いさな
11.雪国
12.夏の肖像
13.靴の花火
14.左右盲
15.アルジャーノン
国際フォーラムのロビーには画集を描いた加藤隆による絵画の展示スペースもあり、今回の作品とそれにまつわるツアーに相応しい会場を選んでいるのであろうことが伺えるが、「前世」でも「盗作」や「エルマ」といった過去の作品との物語の連なりを感じさせてくれただけに、この日は一体どんな物語を描くのであろうか。
19時を5分ほど過ぎたあたりだろうか、ステージ中央には大きなピアノとともに画集という今作のリリーススタイルに合わせてのものか、絵描きが絵を立てかける画材などが置かれているのは開演前からうっすらと見えていたのであるが、それがこの絵描きの住んでいる家であることがわかるのであるが、ステージ背面に
「written by n-buna」
という文字が浮かび上がり、やはり今回もこの設定を活かした物語を描いたのはn-buna(ギター&ボーカル)であることがわかるのだが、今まではそのn-bunaが語り、その物語に合わせた映像が映し出されていた形のライブが全く変わったんだなと思ったのは、今回はその語り部にメンバーではない俳優と言えるような人物が起用されており、ステージ中央で絵を描くような仕草を見せていたからである。
台本を持って喋りながら時にはステージ上を動き回ったりするその人物はどうやら売れない絵描きであることがわかるのであるが、その絵を描く合間にはピアノで「月光」のソナタを弾いて気分転換をしており、実際にピアノ椅子に座ると「月光」が流れ出し(さすがに音は弾いていない)、その最中に何やら猫の鳴き声が聞こえてきて…というのがこの物語の導入部分になっており、一瞬の暗転の最中にn-bunaをはじめとしたおなじみのバンドメンバーたちが入れ替わりでステージに登場すると、まさに楽団と言っていいようなセッション的な演奏が始まり、そこへ今回はフォーマルな衣装を纏ったsuis(ボーカル)が現れて、スクリーンには歌詞とともに様々な動物のアニメーションが映し出される「ブレーメン」からスタートすることによって、この物語の軸が「動物」と「音楽」であることがわかる。武道館でこの曲を演奏した時にはレイドバックした音に乗って体を揺らすような動きを見せていたn-bunaもさすがにライブの1曲目ではそうしたアクションはなく、
「あっはっはっは」
というsuisの嘲笑的なボーカルが印象的なこの曲でもどこか強い緊張感に会場が支配されているような感じがあった。それは微動だにせずに椅子に座ったままで、このライブの音の全てを、この物語を形成する言葉の一つ一つを決して見逃さない、聞き逃さないようにしようとしているかのような客席の圧から感じられるものである。
すると今作の「幻燈」の中では最もギターロックなサウンドの(それは「だから僕は音楽を辞めた」「エルマ」期を彷彿とさせるような)「又三郎」が早くも演奏され、スクリーンには男性が草原のど真ん中や歩道の上で踊るような映像が、時折その男性がそのままアニメーションになったかのように実に自然に数秒間だけ切り替わることによって、リアルと想像の境界線をぼやかしてくる。そうしてこの物語の中に観客は没入していくのであるが、suisのギターロックサウンドに負けない歌唱は実に芯の強さを感じられるものであるし、スキンヘッドでおなじみの平畑徹也がブンブン頭を振りながらキーボードを弾く姿がヨルシカの持つロックさを演奏の視覚的に示してくれる。
もともと座って演奏しているドラムのMasack(なんと元MY FIRST STORYのメンバーだったりする)以外のメンバーも全員椅子に座り、suisが一旦ステージから捌けているのは、そのsuisの立ち位置に語り部役の男性が立っているからであり、売れない絵描きである彼が「月光」を弾き始めると窓の外にはカナリヤがやってきて、追い払おうとしても全然逃げずにピアノが演奏されるのを待っている…というこの物語のコンセプトと言えるような部分の語りの後には美しい海の映像が映し出された「老人と海」が、目を瞑ってもその情景が脳内に浮かんでくるかのような落ち着いたサウンドと演奏によって鳴らされる。
さらには
「相棒はガチョウのモルテン」
という鳥の歌である「さよならモルテン」が先ほどの語りに登場したカナリヤとの関連性を思わせる。スクリーンに映し出される映像も曲に合わせて実にポップな色彩のものが多い印象の序盤であるが、時には照明やレーザーなどがその印象をより強く感じさせるのはさすが国際フォーラムの規模であるし、ステージも横に長いことによって今回の舞台の絵描きの家を窓や玄関などにわたって細部まで構築されているのである。
その絵描きには少し前まで恋人がいて、その恋人は描いていた絵を「どこかで見たような景色で面白くない」と言われていたと回想するのであるが、まさかこのやり取りが後に我々を驚かせることになるなんて全く思っていなかった…ので、絵描きが苦手な種類の動物であるというカエルやカメレオンすらもが「月光」のピアノの音につられて集まってくるというのを少し微笑ましさを感じながらも見ていた。それくらいにこの絵描き役の男性の一人芝居が引き込まれるくらいに素晴らしかったということである。
その絵描きと入れ替わりでステージに再びsuisが現れると、ここからは下鶴光康(ギター)が語り中と同じように椅子に座ったままでアコギを奏で、エレキはn-bunaが担うことによって、n-bunaがヨルシカの曲の強烈なフックの一つになっているリフを考案して鳴らしているということがわかるのだが、スクリーンに映像が映し出されない「都落ち」はよりそのサウンドに意識を向けさせてくれることによって、先ほどまでは力強さを感じさせるようだったsuisのボーカルが少女性を感じさせるものに変化していることもよくわかる。この曲に応じた表現力は音源ですらはっきりと感じられるものであるが、実際に目の前で歌うのを聴くことによってその凄まじさを実感させられる。やはりsuisはますます稀代のボーカリストであり、ヨルシカの声としてさらに進化を遂げているし、それは近年よりライブをやる機会が多くなってきていることとも無関係ではないはずだ。
男女があらゆる角度、場所で2人で踊っている幸せそうな光景がかつての絵描きとその恋人のものであるかのように感じられる「パドドゥ」はその軽やかなサウンドに乗って歌われる
「「さぁさぁもっと踊っていようよ
腕を引かれるまま、情け無い顔のままで
一生踊って暮らしていようよ
もう考えないでいいよ」」
というフレーズも含めて今回の「月と猫のダンス」というライブタイトルのテーマ的な曲だとも感じられる。ヨルシカの楽曲には「踊る」「ダンス」という単語も数多く出てくる(なんなら「踊ろうぜ」という曲すらある)が、ライブで耳にするその曲やフレーズはどこか窮屈な現実世界から解放される手段としてのものであるかのようだ。なので椅子に座ったままでも足が、頭が自然にリズムを取ってしまうのであるが、周りを見渡した感じ、そうした人は全くいなかったように思うので、せめて心はみんな踊っていたと思いたい。
下鶴のアコギの音色がより一層存在感を増すのは絵描きの家の窓から見える景色が定点的に映し出されているかのような「チノカテ」であるのだが、サビに入る前の
「あ、夕陽」
というフレーズをsuisが口にすると、照明が一気に夕陽を思わせるオレンジ色になって会場を包み込む。それは
「あ、散った」
での葉が散ったことを示すような緑色、
「あ、待って 本当に行くんだね」
の別れと旅立ちを思わせるような淡いピンク色と、光によって情景をガラッと変化させてしまう演出が本当に美しかった。それもまた映像や語りだけではない、楽曲のイメージを増幅させるために考え抜かれたものであることがわかる。
そんな「さすがヨルシカだな…」と唸らざるを得ないライブの合間に挟まれる語りではついに絵描きがピアノの弾いていると雄鹿という巨大な動物までもが家の前に来ているという事態に。絵描きと会話するかのように鹿の鳴き声の音も入っているのだが、鹿ってこんな鳴き声なのかと改めて思ったりもする。
その鳴き声というワードから繋がっていくように演奏されたのは平畑のキーボードのフレーズが強い存在感を放ち、Masackとキタニタツヤ(ベース。「呪術廻戦」の次期アニメのオープニングテーマを担当することが決まっているシンガーソングライターでもある)複雑というか奇妙な音の配置とアンサンブルによる「月に吠える」であり、suisのボーカルもどこか冷徹さを持ったものとしてというか、一人称が「俺」の歌詞であることもあってか、どこか自身が獣であることを表現するような歌唱になっている。それはスクリーンに映し出された切り絵的な動物のアニメーションも含めて、絵描きの家を訪れた鹿がそんな存在であるかのように。
そんな中、「幻燈」最大の驚きというとなんと今作にはn-bunaがメインボーカルを務める「華氏451度」から着想を得たと思われる(「又三郎」などはそのままだが、今作の収録曲たちは文学作品へのオマージュになっている)「451」であるのだが、曲間にジャケットを脱いでハンドマイクを持ってステージ前に出てきたn-bunaがまさに「燃やして」という歌詞に合わせるような情熱的な歌唱を披露するのにはやはり驚いてしまうし、「踊って」のフレーズでは体を激しく動かしながらまさに踊るように歌い、ステージを歩き回りながら歌ったりもする。この曲ではコーラスに廻るsuisがほとんどステージから動かない(それはメンバーとの位置関係を遵守しているからだとも思うが)だけにボーカリストとしては2人は対照的なタイプだ。それは物語の主人公になり切ってその心境を歌う憑依型のsuisと、自身の衝動を燃やし尽くすように歌うロックスター型のn-bunaという意味でもインタビューでn-bunaはボーカルについては
「もうやらないです」
と言っていたが、こんなに素晴らしい歌唱ができる(間違いなくこの日のライブのハイライトの一つ)のだから、また自身が歌う曲も作って欲しいと思う。
絵描きが椅子の上に立ちながら電話で話す相手は、展覧会を開催する仕事をしている恋人。その恋人相手に最近ピアノを弾くと動物が集まってくるというエピソードを話すと、疑われながらもその動物たちをスケッチしていることに興味を持たれ…という一人二役による見事な会話(ちゃんと喋る際に体の向きを変えることによって、口調以外でもどちらが喋っているかがわかる)が展開されるのだが、そんなかつて恋人だった2人が別れてしまった理由はよくある些細なもので…という導入から演奏された「いさな」は部屋の中を魚が泳ぐ映像が心の空白や空虚を表すようなバラードであり、思いっきりそこに切なさを込めるようにして歌うsuisに降り注ぐようなレーザー光線の演出もあって実に美しさを感じる瞬間であった。
さらには歌い出しのフレーズからして川端康成へのオマージュであろう「雪国」はドラムとキーボードだけでどこか冷徹としたリズムとサウンドを奏で、スクリーンには1行現れては消えてまた次の1行…という歌詞の表示の仕方ではなくて、車窓から眺める雪景色の上に曲の歌詞が全て映し出されていく。それはまさに小説を読んでいるような体験であるのだが、急に入ってくるキタニのベース含めて、どこで歌を入れればいいかがめちゃくちゃ難しそうなくらいに削ぎ落とされたサウンドも相まって、絵描きと別れた恋人が故郷に帰って行く歌として自分は受け取っていた。
するとピアノを弾く絵描きの元にはうさぎがやって来る中、こうして描いていた動物たちの絵を展示するために個展を開催するということが元恋人の働きかけによって現実味を帯びてくる。それはどこか別れの季節を抜けて春から夏へ…という売れない絵描きがその状況から抜け出すきっかけを掴むような心境として、「幻燈」の1曲目である「夏の肖像」が演奏される。先ほどまでとは対照的に実に爽やかな、まだ暑すぎないような夏の到来をバンドサウンドとsuisの歌声と緑の木々の葉が揺れるような映像で感じさせる曲であるが、このライブ終盤で演奏されることによって、画集の1曲目として聴いた時とはやはりだいぶ違うイメージになる。始まりの季節ではなくて、いろんな出来事や経験を経てたどり着いた上で通過していく季節のように感じるというか。それはヨルシカが描く物語によってそう感じるのであろうし、これから先に違う物語を描く中で演奏されたらまた違う印象にもなるはずだ。
それは「靴の花火」もそうであるというのは、武道館での「前世」の時にも演奏された曲であり、その時には主人公の前世が鳥だったことを表現するために、空を飛ぶ鳥の目線の映像が流れながら演奏された曲であったのだが、今回は「花火」という単語を強くフィーチャーするかのように「夏の肖像」から続く夏の象徴としての曲として演奏されていたように感じた。それはもちろんアニメーションによる映像も相まってそう感じたものであるが、曲の最後にスクリーンにタイトルが映し出されるというのも珍しいパターンであると言える。
そんな心理的な夏の到来によって絵描きは大家に動物に餌を与えているんじゃないかという疑惑をかけられていることを謝罪しながらも個展に向けた準備で慌ただしい日々を過ごしている。その慌ただしさを表現するようにステージ上を歩き回りながら喋るのであるが、平畑の真横に立ってそのスキンヘッドの上にペチンと手を当てるという行為はヨルシカの物語においては驚くくらいにメタ的な演出であり、ヨルシカのライブにおいて初めて観客の笑い声が漏れた瞬間でもあった。それはライブにおける声出しの規制が緩和されてきた状況だからでもあるのだろうか。
そんな絵描きの元には「月光」のピアノにつられてついにオープニングで鳴き声だけが登場していた猫が家の中に入ってくる。その猫はピアノの音に合わせて奇妙なダンスを踊るような動きを見せ、最後に絵描きの顔に口づけをして去っていき、それから動物たちは絵描きの家に現れなくなるのだが、その瞬間を絵描きは
「この光景を遠い昔にどこかで見たことがある…」
と言って頬に涙を流す。そのセリフを聞いてハッとしたのは、その瞬間は前回のライブ「前世」での主人公と恋人だった女性の生まれ変わりの犬との光景のような…。
あまりにもこの物語に没入しすぎて忘れていた。ヨルシカのこれまでのライブの物語がそれぞれ全く関係ないもののようでいて密接に結びついていることも、この物語で重要な役割を担う曲である「月光」がかつてのヨルシカのライブタイトルであったことも。
そんなハッとするような瞬間の後には平畑のピアノを軸とした削ぎ落とされたサウンドによるバラード「左右盲」が、居なくなってしまった人の喪失を思わせるように演奏される。それはやはり前回の「前世」でも演奏された曲であり、その連なりを思い起こさせるからこそより強くそう感じるような。それはもちろんsuisの無垢さを感じさせるようなボーカルによって増幅されているものでもある。
そんな物語の最後に演奏されるのはドラマの主題歌としてたくさんの人にヨルシカの存在や音楽を認知するに至った「アルジャーノン」。夕暮れを思わせるような情景が切なさを誘う。
「貴方はどうして僕に心をくれたんでしょう
貴方はどうして僕に目を描いたんだ
空より大きく 雲を流す風を呑み込んで
僕のまなこはまた夢を見ていた」
という歌い出しのフレーズが、絵描きがスケッチしたことによって命を、感情を吹き込まれた動物たちの心情であるかのように響く。そのフレーズを歌うsuisの感情を込めた歌唱によってその感覚がさらに強くなっていく。ただドラマの主題歌として書いたのではなくて、自分たちの表現の1番大事な部分を担う曲としても。穏やかなサウンドが響く中でヨルシカの凄まじさにただただ圧倒されて、この曲だけは体がリズムを刻むことが出来なかった。
それは演奏が終わってメンバーたちがステージを去った後に絵描きが個展を開いているエピローグでも感じさせられたものだ。動物たちを描いた絵が売れ、過去に描いた絵すらも買い手が見つかったくらいに成功した絵描きは個展を開くきっかけをくれた元恋人を出口まで送りながら会話をする。変わらない関係性のようでいて、元恋人の指には指輪が光っているという描写が「アルジャーノン」の
「貴方はゆっくりと変わっていく とても小さく」
というフレーズに重なる。元恋人は絵描きのかつて描いていた絵を面白くないと評した理由を
「誰かがかつて見た景色をそのままトレースしたみたいなんだもん。外国の街並みとか」
と言う。ああ、やはりそうだった。絵描きが描いていたのはエルマやエイミーが「月光」で見ていた、あるいは「盗作」や「前世」の主人公が見ていた景色だったのだ。つまりその主人公たちが何度も生まれ変わってこの絵描きになった。そんな前世の記憶を彼は描いていたのだ。ここで本当に全ての物語が一本の絵に繋がると元恋人はさらに
「あなたが描いた動物たち、あなたにそっくりなんだもん」
と言う。家のピアノの前でその言葉を反芻しながら絵描きは自身が描き、唯一売らずに手元に残した猫の絵を見る。そのポーズは奇妙なようでいて、ピアノを弾こうとしているようにも見えると。つまり動物たちはピアノの音を聴きに来たんじゃなくて、自分たちもピアノを弾きに来たのだ。それは冒頭に演奏された「ブレーメン」こそがこの物語のテーマだったことを改めて思い出させるような。
そうして一瞬ステージが暗転して物語は幕を閉じる。絵描き役の男性の両サイドにはsuisとn-bunaが立っていて、3人が観客に向かって頭を下げる。その3人が居なくなって客電が点いて終演のアナウンスが流れてもなお、まだ現実世界に戻ってこれていない、ずっとこの物語の中に浸っていたいと思うような時間だった。
今回のライブでは過去曲を一切演奏していない。全て「幻燈」の収録曲のみ。これまでは過去の曲を巧みにセトリに入れて、その曲にまた新たな意味を与えていたヨルシカの今回のライブは、そうでもしないと描けない物語であった。ドラマてもフィーチャーされ、武道館で美しさの極地を描くようだった「春泥棒」すらも演奏していない。そうまでしてでも描けないような物語を、このツアーでヨルシカは描いていたのだ。
ヨルシカのライブはよく「映画のような」という形容をされてきた。しかし今回の「月と猫のダンス」はそうした今までのものとは全く違う、なんなら通常のライブと言えるものでもなければ、演劇というものでもない。名前を付けようがないものにまで昇華された。
自分は武道館の時のライブで「音楽がなぜ芸術というカテゴリーに属しているのかを示してくれる」と書いたが、今のヨルシカは、そしてこれからのヨルシカは音楽だけでも演劇だけでもなく、ありとあらゆる芸術の要素を呑み込んでさらに進化していく予感がしている。そうやって、誰も何も言えぬほど 僕らを呑み込んでゆけ。
1.ブレーメン
2.又三郎
3.老人と海
4.さよならモルテン
5.都落ち
6.パドドゥ
7.チノカテ
8.月に吠える
9.451
10.いさな
11.雪国
12.夏の肖像
13.靴の花火
14.左右盲
15.アルジャーノン
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