SUPER BEAVER 「都会のラクダ 柿落としSP 〜新宿生まれの、ラクダ〜」 @Zepp Shinjuku 4/17
- 2023/04/18
- 20:14
「新宿の歌舞伎町に新しくZeppができるらしい」という話を聞いたのはいつくらいだっただろうか。当時は「BLAZEが最大規模の歌舞伎町のどこにZeppみたいな大箱ができるんだ」なんて半信半疑なリアクションを取っていたのが、本当にZepp Shinjukuは着工し、この度ライブハウスとしてオープンを迎えた。
そのZepp Shinjukuの柿落とし公演を任されたのがかねてから「フロム新宿」と名乗ってきた、新宿から全国へと飛び出していったSUPER BEAVER。ホールツアーが始まったばかりというタイミングであるだけに特別な、間違いなく美しい日になるであろうライブである。
前の広場で酒盛りしてる集団がいるということでもおなじみの新宿BLAZEのすぐ隣の新しいビルの地下に潜っていくと、赤を基調とした通路や階段が「赤を塗って」こうなったかのような高級感を醸し出し、トイレの手洗い場は水と乾燥機が一体になっていたり、ドリンクカウンターが高級ホテルのバーだったりと、LOFTなどをはじめとした歴史あるライブハウスが多くひしめく歌舞伎町エリアにいることを忘れてしまうかのような内装である。
客席には後方のドアから入って前に進んでいく。縦長の客席かつZeppの割にはそこまで広くないという点も含めて、懐かしの赤坂BLITZのことを思い出したりする。メジャーデビューしたばかりのUNISON SQUARE GARDENのワンマンでそこに最初に足を踏み入れてから、数え切れないくらいそこでライブを見たことも。
この日のライブはちょうどこの日放送されるCDTV LIVE LIVE!にて生中継される時間もあるということもあってか、平日にしては早めの18時30分になると場内が暗転しておなじみのSEが流れる中でステージに柳沢亮太(ギター)、上杉研太(ベース)、藤原広明(ドラム)の3人がドラムセットの前に集まって手を合わせるようにして気合いを入れてから音を鳴らすと、渋谷龍太(ボーカル)もステージに登場し、
「Zepp Shinjuku!柿落とし、ここで最初に音を鳴らすのは俺たちだ!(客席を指差して)俺たちだからな!?勘違いすんなよ!?」
と、我々1人1人も一緒に正真正銘この会場での最初のライブを作るということを宣言すると、藤原のリズムに合わせて手拍子が鳴り響く中で、このライブハウスの歴史上、1番最初に鳴らされた曲になったのは「東京流星群」。ステージ背面にはまさに流星群を思わせるような夜空の映像が映し出され、それは客席2階席の下の空間にも投影されているというのはこれから先もこの会場ならではの名物的な演出の光景になるのかもしれないが、やはり観客が声を出せる、歌える状況のライブハウスになったことによって、柳沢と上杉とともに観客によるタイトルフレーズの大合唱が響く。自分の、周りにいる1人1人の声がそのままこのライブハウスの始まりの音として染み込んでいくような、いつもの行き慣れた会場でのライブとは全く違う感覚が確かにあった。それは渋谷が
「新宿の宝だ」
と歌詞を変えて歌ったことも含めて、このライブハウスの歴史がこうして幕を開けたのである。
とはいえ音の聞こえてくる感覚もまだ新しいというか、ボーカルの響きが強めで楽器はいつものビーバーのライブに比べるとそこまで爆音という感じでもないのもまだ新しいライブハウスの反響ゆえだろうか。それともバンドが絶賛ホールツアー中ということ(前日も高崎芸術劇場でワンマンをした直後)による音作りの違いもあるのか。それでも背面にはおなじみのバンドロゴのバックドロップが映し出された「スペシャル」ではバンドの勢いを牽引するような藤原のビートが響く中で渋谷がハンドマイクを持ってステージを歩き回りながら歌い、歌唱の合間に手をペロッと舐めてから髪型を整える姿に歓声が上がるというのもこのバンドのライブならではの光景であろう。それもまた柳沢と上杉が声を張り上げて歌う(もはや完全にコーラスというレベルを超えている)
「楽しくありたいと願うと 「誰かのため」が増える 人間冥利」
というフレーズそのものだ。それは渋谷も来てくれている、目の前にいてくれている人のためのパフォーマンスということもあるのだろうから。
そんなこの会場に最初に立っている感慨を
「どう考えたって、俺たちが最初にこの会場で音を鳴らしてる、フロムライブハウス、新宿、レペゼンジャパニーズポップミュージック、SUPER BEAVERです」
と挨拶し、やはりホールツアー中という厳しいスケジュールの中であっても、渋谷が新宿出身ということによってこのライブをやろうと思ったということを語ると、柳沢のギターリフがヒロイックに鳴り響く「ひたむき」へ。なんといってもこの曲は間奏のコーラスパートがライブという場面だと最大のメインパートだと思っている。(もちろんサビを始め、他のフレーズやパートも素晴らしいが)
そのコーラスパートで1人1人が両手を挙げながら思いっきり歌い、それがメンバーの声と重なることによってさらに大きな一つの力の固まりと言えるようなものになっていく。この会場で最初に歌ったのが我々である。冒頭の渋谷の言葉を思い出して、そうできたことを本当に嬉しく思うし、それはこの「ひたむき」というタイトルやテーマがビーバーそのものと言ってもいいものだからこそ、聴き手に真っ直ぐに突き刺さって声やアクションとなるのである。そうしてひたむきに生きていたいと、このバンドのファンなら誰しもが思っているはずだ。
それは
「名前を呼ぶよ 会いに行くよ」
というフレーズが全国各地を飛び回ってライブをやりまくっている、待っていてくれる人にまさに会いに行くという姿勢で生きているこのバンドのテーマであるようで、「東京リベンジャーズ」のテーマ曲としてバンドの存在をよ
広いところまで押し上げた「名前を呼ぶよ」もそうであるのだが、いろんな会場でこの曲が演奏された時、あるいはミュージックステーションに出演した時も渋谷は
「会いに来たよ」
と思いっきり感情を込めながら歌詞を変えて歌ってきたのだが、この日にそうしなかったのは、この日だけはやっぱりビーバーが我々に会いに来たんじゃなくて、我々1人1人がビーバーに会いにこの日この場所まで来たんだということを実感させてくれる。そんな感慨が確かにあった。
しかし久しぶりのライブハウスでのオールスタンディングでのワンマンということもあってか、曲間にも曲中にもスタッフに抱えられて運ばれていく人の姿もあったのだが、おそらくは渋谷にもその光景は見えていたのだろう、
「楽しみにしてくれていて、前で見たいと思ってくれてるのは嬉しいけれど、無理はしないで。体調悪くなっちゃったら楽しいはずのことも楽しくなくなっちゃうから。キツいなって思ったら後ろに下がって欲しいし、後ろの方だろうと俺たちは全方位に100%届けるつもりでやってます!後ろの方、届いてるよな!?
「楽しい」は独り占めするもんじゃない。俺たちの「楽しい」をあなたと分け合いたいし、あなたの「楽しい」は隣の人に分け合って欲しい」
と渋谷が観客を気遣いながら、距離は少し遠い後ろの方にもしっかり響かせようとしていることを示してくれるのが、どちらかというとそうした場所でライブを見ることが多い自分からしても実に嬉しいのであるが、前の方に行きたくなる、そこで汗に塗れて盛り上がりたいという気持ちもわかる。それはラウド・パンクバンドなどともがっぷり四つで対バンなどをしたり、そうしたバンドが主催するフェスに出演してバンドサウンドの強さを示してきたビーバーのライブだからである。
そんなポップミュージックを鳴らすロックバンドの力強いサウンドを感じさせてくれるのが、真っ赤な照明に照らされながら柳沢が印象的なギターリフを鳴らし、上杉のベースがうねりまくる「mob」。渋谷も曲中にはタンバリンを持って歌うことによって客席にも手拍子がさらに大きく強く広がっていくのであるが、ビーバーのライブにモブは1人もいない。常に「あなた」に向かって音を鳴らして歌っているバンドだから。ライブで聴くこの曲は逆説的にそんなことを感じさせてくれるし、それは自分の人生がモブ的なものではないと証明してくれているかのようだ。
すると柳沢が煌めくようなギターフレーズを鳴らしながら、上杉と藤原もセッション的なうねりを見せるリズムを刻むと渋谷はその音の上で
「何が正しいかなんてわからないし、どうでもいい!でもあなたがこの場所を楽しそうだなと思ったこと、あなたが正しいと思ったことを我々は全力で肯定したいと思います!」
と言って、こうしてこの日会場に集まった人、あるいは映画館でリアルタイム配信を見ている人のことを全肯定するようにして「予感」を演奏する。
「予感のする方へ 心が夢中になる方へ
正解なんて あって無いようなものさ 人生は自由
今 予感のする方へ 会いたい自分がいる方へ
他人の目なんて あって無いようなものさ 感性は自由」
というサビのフレーズはその渋谷の言葉をそのまま歌詞に、音楽にしているようであるというのが、ビーバーは本当に人間がそのまま音楽に、曲になっているバンドであるということを感じさせてくれる。それは歌う渋谷と歌詞を書く柳沢だけではなくて、
「感情に」
というフレーズで声を重ねる上杉と藤原、さらには我々観客1人1人もそうであるということである。そうやってこの選択を、人生を肯定してくれるバンドがいてくれるからこそ、会いたい自分でい続けることができている。
「我々は普段はアンコールとかそんなにやらない。なんか、どうせ出てくるんでしょ、みたいなのってすごい芝居臭いじゃないですか。だから本当に求めてくれてるっていうのがわかる時とかは出ようとしてるんだけど、今日はなんだかアンコールを本気で求めてくれる感じがしてるから…ってどっちだよって話だけど(笑)
でも今日はCDTVライブ!ライブ!っていうテレビ番組が我々のこのライブを生中継してくれるってことで。待たせたりするかもしれないけれど、ライブハウスのこのままがテレビから流れる。これはもう歴史だ!」
と、意識しているのかどうかはわからないけれど、Oasisがネブワースで2日間で25万人を動員したライブを行った時にノエル・ギャラガーが発した言葉を彷彿とさせる言葉で、ライブハウスからの生中継がゴールデンタイムの音楽番組で流れることの凄さを口にする。それはずっと現場至上主義を掲げてライブハウスで生きてきたバンドだからこそ実感できるものでもあるのだろうし、収録でもスタジオでもなくライブハウスからの生中継を選んだのが実にそんな生き方をしてきたビーバーらしいと思う。
そんなビーバーの最新曲が、「東京リベンジャーズ」の新たなテーマ曲でもある「グラデーション」。演奏中には背面に渋谷(なんかややこしいけど地名の方)や新宿などの都内の風景や、対照的に自然の情景などが目まぐるしく移り変わりながら映し出されていくのであるが、曲が後半にいくにつれて音の強さがはるかに増しているのがわかる。それは
「それは ごめんねに込めた ありがとうのよう
ありがとうに込めた ごめんねのよう
連なった本当で グラデーションになった
曖昧の中で 愛を見つけ出せたなら」
という、ビーバーらしい感情のグラデーションの切り取りによる歌詞に100%、いや、それ以上の感情を全て込めてメンバーが音を鳴らしているからだ。流れていく情景も感情のグラデーションをそのまま可視化したものであるとも言える。地下のライブハウスという、あまり揺れを感じた経験のない場所でも確かに強い揺れを感じていたのは会場の構造的なものはもちろん、バンドの鳴らす音と観客の熱狂によってもたらされたものであろう。
すると渋谷は改めて
「新宿のここのすぐ近くの病院で生まれて、歌舞伎町で育ってきました。大好きな友達がたくさんいて、大好きな両親がいる街。そこに大好きなあなたが見に来てくれている…」
とこの自身が生まれ育った新宿という街への思いを口にするのであるが、それまでは客席の方をしっかりと見据えながら言葉を放ち、届けてきた渋谷が一瞬客席から目を背けるようにした。それが感極まっていたということだとわかったのは、
「初めてZeppでライブをやった時に俺は泣いてしまって。その時に、こんな感動の押し付けみたいなことはもう絶対にやらないって決めた」
と、かつて初めてZepp DiverCityでワンマンをやった時の経験を口にしたからだ。泣き顔は見せないけれど、渋谷にとって本当に大事な場所でのライブを自分たちが最初に行うことができている喜びや感慨がこれ以上ないくらいに伝わってくる。かつては誰からも必要とされていなかったかもしれないこのバンドが、今では新宿出身としてたくさんの人に認知されて、新宿の新しいライブシーンの象徴の始まりの日を任されている。そこから溢れ出る感慨。この日この場所にいれて、この思いの強さを知ることができて本当に良かったと何度目かわからないくらいに強く思っていた。
そんなライブがもう終わるかのようなMC(本人もそう言っていたが)の後に演奏されたのは、実に久しぶりにライブで聴く「シアワセ」。まだれっきとした新人だった頃に生まれ、メジャーに戻ってから再録したこの曲では背面に歌詞が全て映し出される。
「張り裂けそうな 心の奥に
これで良いのか 問いかけた
思い返せば 確かな事は
あの日から 変わらなかった」
というサビの歌詞は、この新宿で生きてきた渋谷のこれまでの人生が全て連なってこの日この場所に続いている。そう感じざるを得なかったし、
「誰もが抱いてる 矛盾のその先に
僕にとって
君にとっての
シアワセが 待ってるだろう」
というフレーズが映し出された時に、渋谷にとっての、バンドにとっての、我々1人1人にとってのシアワセがこの日確かに訪れたんだなということを実感していた。
そうした喜び、幸せなどの思いが曲となって鳴り響くのは、やはりコーラスフレーズでは観客の大合唱が響く「嬉しい涙」。渋谷もそのコーラス部分では
「歌って!」
と言って客席にマイクを向けるのであるが、泣き顔は見せなかったけれど、やはりこの日は悔しい涙でも悲しい涙でもなくて、嬉しい涙が溢れ出てくるような日だったのだ。それは渋谷だけではなくてここにいた我々1人1人にとって。それをわかっていたからこそ、この日こうしてこの曲が演奏されたんだと思う。心から、自分たちの感情や心境を曲にしてきて、それを然るべき、鳴らすべき時に鳴らすことができるバンドだと思う。
「まだまだ行けますか!?」
と渋谷が観客に問いかけると、柳沢が鳴らすギターのイントロに反応して1人1人が両腕を挙げて応える「青い春」へ。Bメロのワルツ的なリズムでの手拍子も、もちろんサビでは大合唱が起こるのも、この日ここに来た観客たちがみんな何度となくこうした現場でこの曲を聴いてきたということがわかるし、この会場で聴くこの曲は渋谷自身がこの近くでまさに青い春と言えるような時期を過ごしてきたんだろうなと思える。
「会いたい人がいる」
と思いっきり感情を込めて歌う渋谷が会いたい人が最も多く住んでいるのはこの新宿なんだろうなとも。
そしてイントロから大合唱したくなるような演奏が始まったのは、ビーバーの曲の中で随一と言っていいくらいに、観客が声を出せる状況になったことで曲の真価を最大限に発揮する「秘密」。だからこそコーラスパートではやはり大合唱が起きるのであるが、渋谷が曲前に
「束になってかかってくんな!あなた1人でかかってこい!」
と言ったように、1人1人の声が重なることによってこんなに美しい大合唱の光景を生み出しているということがよくわかる。間奏ではメンバー紹介も含めたソロ回し的な演奏から、柳沢と上杉が、普段は渋谷が立って歌うステージ中央の台の上に立って向かい合うようにして音を鳴らす。その全てが、ビーバーもまた1人1人の集合体がバンドになっていて、その1人1人の音が重なることによってバンドの音になっていることを示してくれている。
そして渋谷はそうした大合唱が巻き起こった客席に向けて、
「こうして声が出せるようになったりすることによって、前のライブハウスが戻ってきたなんて声も聞いたりしますけど…戻ってなんかこないですよ。もちろんかつてのライブハウスにもモラルやマナーみたいなものが確かにあった。でも今は押されたりするのが嫌な人もいれば、一緒に歌うのが嫌だっていう人だってもちろんいる。そういう人がいるのはわかってる。だから戻るんじゃなくて、新しく作っていく。
作ろうとする一体感なんて俺たちは興味がないし、そんなもん目指そうとも思わない。でもたまたまそれぞれ違うあなたが偶然同じ方向を向いたり、同じ感情を抱いたりして、偶然一体感が生まれたり、一つになろうとしなくても一つになったみたいな感覚になる。そういうものを目指してライブをやってます。今日はありがとうございました」
と、コロナ禍を経たことによってかつてよりさらに多様化したライブハウスの楽しみ方それぞれに理解を示して肯定し、それでもライブハウスに集まる人の力を信じるようにして最後に演奏されたのは観客が頭の上まで掲げた手を叩くことによってまさに美しい光景が生まれる「美しい日」。それはこれ以上ないくらいにこの日1日を言い表すようなものだった。観客の笑顔もメンバーの表情と演奏も、全てがこの「美しい日」を構成する要素の一つ一つになっていた。
そんな本編が終わってのアンコール待ちの時間が普段のライブとは比べ物にならないくらい(多分30分近く)長かったのは、本編のMCでも言っていたように、ここでCDTVライブ!ライブ!の生中継へのセッティングをしていたからであるが、時間が近づくと2階の上手側の席に登場したミオストリングスの面々に気付いた観客から歓声が上がるというのは、その存在がバンドにとっておなじみであり、大切でもあることを観客もわかっているからだ。
そのミオストリングスへの歓声に渋谷が少し嫉妬する中で段取りを説明したりするのであるが、音楽番組の生中継ってこんな感じなのかと思うのはちゃんとCMの音が会場にも聞こえたりしていて、そのCM明けまで残り数秒というあたりで、それまではMC以上に緩く観客と会話するようにしていたメンバーのスイッチが入るということ。それは2階席の下の映像には番組タイトルも映し出されてもいたが、もはや生中継ではなくてれっきとしたライブそのものだった。だから渋谷は観客に
「ライブハウスの凄さを見せてやりましょう」
と言っていたのであるし、本編ではバンドだけで演奏された「グラデーション」にミオストリングスのサウンドが重なるというあたりも、テレビ番組用に豪華にするというものではなくて(ただ単にそれが狙いのストリングスなら生演奏じゃなくていいはず)、ライブとして1人1人の音が重なり合うことでまたさっきとは違う「グラデーション」を鳴らすということだ。渋谷は生中継前には
「始まる前にピーク持ってこないでね(笑)徐々に徐々に、感情のグラデーションを(笑)」
とタイトルにかけて言っていたが、それを1番笑っていたのは隣にいた柳沢だったというのがつくづく良いコンビであると思う。
さらには「名前を呼ぶよ」も生中継で再び演奏されるのであるが、その待ち時間の長さや同じ曲を演奏するというのはついつい「いつも通りのライブならもっとたくさん曲を聴けたんじゃ…」とも思ってしまったりする。でも渋谷が言っていたように、収録とかではなくて、ライブハウスでライブをやっている今この瞬間を見てもらうことによって、テレビを見ている人が「ライブハウスって楽しそうだな、行ってみたいな」と思ってくれるのであれば、毎週毎週どこかのライブハウスでバンドのライブを見ている者としてはそれ以上嬉しいことはないと思う。こうして新しいライブハウスの始まりの日のライブだからこそ、よりそんなことを強く思うのである。そしてそれはライブハウスという場所がコロナ禍になった直後は感染の温床として「行くのが危ない場所」として報道されてしまった時のことを今でも痛烈に覚えているから。きっとそれはメンバーもそう感じていたはずだと思っている。
そんな生中継が終わってカメラなどの機材は撤収していっても、まだメンバーたちは楽器を下そうとせずに、
「番組の生中継が終わったから、はいお疲れ様でしたって言って帰すわけがないでしょう!」
と、まだライブが終わらないことを口にする。それは長い時間待っていてくれた観客への思いでもあるはずだが、渋谷はそうしてテレビ番組に出ることを
「軸足がテレビの世界に行くっていうことじゃない。あくまで現場至上主義、ライブハウスのバンドとして生きていくのは変わらない。これからもいろんなところに会いに行くし、会える機会が増えれば楽しいじゃない?その機会を増やしてる」
という渋谷の言葉はテレビ番組に出演することを肯定的に捉えるのが難しい人(昔は自分もそう思っていた)にも、ちゃんとそこに出る理由と意味をしっかり自身で口にしてくれるからこそ納得ができるし、間違ってないよなと思える。何よりも誰からも見向きされない期間が長かったバンドだからこそ、こうして求めてもらえることが本当に嬉しいのだろうし、そこにバンドの誠実さを自分は感じる。期待してくれてる人の想いに応えたい、もっとたくさんの人に出会いたいというバンドの気持ちがその言葉や行動から確かに感じられるからだ。
そしてステージが元のライブ仕様のものに戻ると、
「生きてさえいればまた会えますから。またいろんなところで会いましょう!」
と渋谷が観客1人1人の存在と生命を肯定すると、
「この曲、歌い出しからみんなで歌いたいんだよなぁ…なんの曲がわからないのに湧いてくれてますけど(笑)」
と言っていたが、きっとほとんどの人はこれから歌うフレーズが頭の中に浮かんでいたはずだ。実際に
「愛されていて欲しい人がいる
なんて贅沢な人生だ」
と観客が大合唱し、その光景をメンバーが嬉しそうに見つめてからバンドの演奏に突入していくのは「東京」。新宿もその中に含まれる、東京という都市の中に新しく生まれたライブハウスの営業日初日の最後に鳴らされるべきはこの曲しかない。東京で生まれて東京で生きてきたバンドが東京で鳴らす「東京」。その瞬間に立ち会えたことの贅沢さを噛み締めながら、そんな1日を作ってくれたビーバーの4人がもっとたくさんの人に愛されて欲しいと思っていた。
演奏が終わると、普段は真っ先にステージから去っていく渋谷もそのままステージにとどまる。
「俺たちがこの会場でやるの初めてってことは、最初にできるのは俺たちしかいないじゃない?明日スカパラにやられたら悔しいから!(笑)」(翌日は東京スカパラダイスオーケストラがここでライブを行う)
と言うと、普段は全くやることがない、観客を背にしての写真撮影。藤原による
「SUPER」「BEAVER」
の掛け声もバッチリと決まり、そこで声を発することができる喜びを感じながら、こうしてZepp Shinjukuというライブハウスの歴史がこの日、このライブから始まったのだ。
Zepp Tokyoや新木場STUDIO COAST。コロナ禍が直接的な理由じゃないとはいえ、コロナ禍になってからいくつものライブハウスがなくなってしまった。数え切れないくらいに行っていた大切な場所だからこそ、そういう場所がなくなってしまうのが寂しい。それでもこうして新しいライブハウスが生まれて、そこにたくさんの人が集まっている光景を見ることができるのが本当に嬉しい。いつかはまたこの場所もなくなってしまうかもしれないけれど、これから先の人生においてきっと大切な場所になっていくから。そうした場所が、好きなバンドに会える機会が増えていくなんで、コロナ禍になってライブハウスが叩かれていた時には全く想像していなかった。
冒頭で赤坂BLITZでUNISON SQUARE GARDENを見た時のことに触れたが、そうして大切な場所で最初に観たライブのことは今でも鮮明に覚えている。だからこそ、この日Zepp Shinjukuの始まりの日にSUPER BEAVERのライブを見たことも死ぬまで忘れないはず。そう思えるくらいにやっぱり、美しい日だった。
1.東京流星群
2.スペシャル
3.ひたむき
4.名前を呼ぶよ
5.mob
6.予感
7.グラデーション
8.シアワセ
9.嬉しい涙
10.青い春
11.秘密
12.美しい日
encore
13.グラデーション
14.名前を呼ぶよ
15.東京
そのZepp Shinjukuの柿落とし公演を任されたのがかねてから「フロム新宿」と名乗ってきた、新宿から全国へと飛び出していったSUPER BEAVER。ホールツアーが始まったばかりというタイミングであるだけに特別な、間違いなく美しい日になるであろうライブである。
前の広場で酒盛りしてる集団がいるということでもおなじみの新宿BLAZEのすぐ隣の新しいビルの地下に潜っていくと、赤を基調とした通路や階段が「赤を塗って」こうなったかのような高級感を醸し出し、トイレの手洗い場は水と乾燥機が一体になっていたり、ドリンクカウンターが高級ホテルのバーだったりと、LOFTなどをはじめとした歴史あるライブハウスが多くひしめく歌舞伎町エリアにいることを忘れてしまうかのような内装である。
客席には後方のドアから入って前に進んでいく。縦長の客席かつZeppの割にはそこまで広くないという点も含めて、懐かしの赤坂BLITZのことを思い出したりする。メジャーデビューしたばかりのUNISON SQUARE GARDENのワンマンでそこに最初に足を踏み入れてから、数え切れないくらいそこでライブを見たことも。
この日のライブはちょうどこの日放送されるCDTV LIVE LIVE!にて生中継される時間もあるということもあってか、平日にしては早めの18時30分になると場内が暗転しておなじみのSEが流れる中でステージに柳沢亮太(ギター)、上杉研太(ベース)、藤原広明(ドラム)の3人がドラムセットの前に集まって手を合わせるようにして気合いを入れてから音を鳴らすと、渋谷龍太(ボーカル)もステージに登場し、
「Zepp Shinjuku!柿落とし、ここで最初に音を鳴らすのは俺たちだ!(客席を指差して)俺たちだからな!?勘違いすんなよ!?」
と、我々1人1人も一緒に正真正銘この会場での最初のライブを作るということを宣言すると、藤原のリズムに合わせて手拍子が鳴り響く中で、このライブハウスの歴史上、1番最初に鳴らされた曲になったのは「東京流星群」。ステージ背面にはまさに流星群を思わせるような夜空の映像が映し出され、それは客席2階席の下の空間にも投影されているというのはこれから先もこの会場ならではの名物的な演出の光景になるのかもしれないが、やはり観客が声を出せる、歌える状況のライブハウスになったことによって、柳沢と上杉とともに観客によるタイトルフレーズの大合唱が響く。自分の、周りにいる1人1人の声がそのままこのライブハウスの始まりの音として染み込んでいくような、いつもの行き慣れた会場でのライブとは全く違う感覚が確かにあった。それは渋谷が
「新宿の宝だ」
と歌詞を変えて歌ったことも含めて、このライブハウスの歴史がこうして幕を開けたのである。
とはいえ音の聞こえてくる感覚もまだ新しいというか、ボーカルの響きが強めで楽器はいつものビーバーのライブに比べるとそこまで爆音という感じでもないのもまだ新しいライブハウスの反響ゆえだろうか。それともバンドが絶賛ホールツアー中ということ(前日も高崎芸術劇場でワンマンをした直後)による音作りの違いもあるのか。それでも背面にはおなじみのバンドロゴのバックドロップが映し出された「スペシャル」ではバンドの勢いを牽引するような藤原のビートが響く中で渋谷がハンドマイクを持ってステージを歩き回りながら歌い、歌唱の合間に手をペロッと舐めてから髪型を整える姿に歓声が上がるというのもこのバンドのライブならではの光景であろう。それもまた柳沢と上杉が声を張り上げて歌う(もはや完全にコーラスというレベルを超えている)
「楽しくありたいと願うと 「誰かのため」が増える 人間冥利」
というフレーズそのものだ。それは渋谷も来てくれている、目の前にいてくれている人のためのパフォーマンスということもあるのだろうから。
そんなこの会場に最初に立っている感慨を
「どう考えたって、俺たちが最初にこの会場で音を鳴らしてる、フロムライブハウス、新宿、レペゼンジャパニーズポップミュージック、SUPER BEAVERです」
と挨拶し、やはりホールツアー中という厳しいスケジュールの中であっても、渋谷が新宿出身ということによってこのライブをやろうと思ったということを語ると、柳沢のギターリフがヒロイックに鳴り響く「ひたむき」へ。なんといってもこの曲は間奏のコーラスパートがライブという場面だと最大のメインパートだと思っている。(もちろんサビを始め、他のフレーズやパートも素晴らしいが)
そのコーラスパートで1人1人が両手を挙げながら思いっきり歌い、それがメンバーの声と重なることによってさらに大きな一つの力の固まりと言えるようなものになっていく。この会場で最初に歌ったのが我々である。冒頭の渋谷の言葉を思い出して、そうできたことを本当に嬉しく思うし、それはこの「ひたむき」というタイトルやテーマがビーバーそのものと言ってもいいものだからこそ、聴き手に真っ直ぐに突き刺さって声やアクションとなるのである。そうしてひたむきに生きていたいと、このバンドのファンなら誰しもが思っているはずだ。
それは
「名前を呼ぶよ 会いに行くよ」
というフレーズが全国各地を飛び回ってライブをやりまくっている、待っていてくれる人にまさに会いに行くという姿勢で生きているこのバンドのテーマであるようで、「東京リベンジャーズ」のテーマ曲としてバンドの存在をよ
広いところまで押し上げた「名前を呼ぶよ」もそうであるのだが、いろんな会場でこの曲が演奏された時、あるいはミュージックステーションに出演した時も渋谷は
「会いに来たよ」
と思いっきり感情を込めながら歌詞を変えて歌ってきたのだが、この日にそうしなかったのは、この日だけはやっぱりビーバーが我々に会いに来たんじゃなくて、我々1人1人がビーバーに会いにこの日この場所まで来たんだということを実感させてくれる。そんな感慨が確かにあった。
しかし久しぶりのライブハウスでのオールスタンディングでのワンマンということもあってか、曲間にも曲中にもスタッフに抱えられて運ばれていく人の姿もあったのだが、おそらくは渋谷にもその光景は見えていたのだろう、
「楽しみにしてくれていて、前で見たいと思ってくれてるのは嬉しいけれど、無理はしないで。体調悪くなっちゃったら楽しいはずのことも楽しくなくなっちゃうから。キツいなって思ったら後ろに下がって欲しいし、後ろの方だろうと俺たちは全方位に100%届けるつもりでやってます!後ろの方、届いてるよな!?
「楽しい」は独り占めするもんじゃない。俺たちの「楽しい」をあなたと分け合いたいし、あなたの「楽しい」は隣の人に分け合って欲しい」
と渋谷が観客を気遣いながら、距離は少し遠い後ろの方にもしっかり響かせようとしていることを示してくれるのが、どちらかというとそうした場所でライブを見ることが多い自分からしても実に嬉しいのであるが、前の方に行きたくなる、そこで汗に塗れて盛り上がりたいという気持ちもわかる。それはラウド・パンクバンドなどともがっぷり四つで対バンなどをしたり、そうしたバンドが主催するフェスに出演してバンドサウンドの強さを示してきたビーバーのライブだからである。
そんなポップミュージックを鳴らすロックバンドの力強いサウンドを感じさせてくれるのが、真っ赤な照明に照らされながら柳沢が印象的なギターリフを鳴らし、上杉のベースがうねりまくる「mob」。渋谷も曲中にはタンバリンを持って歌うことによって客席にも手拍子がさらに大きく強く広がっていくのであるが、ビーバーのライブにモブは1人もいない。常に「あなた」に向かって音を鳴らして歌っているバンドだから。ライブで聴くこの曲は逆説的にそんなことを感じさせてくれるし、それは自分の人生がモブ的なものではないと証明してくれているかのようだ。
すると柳沢が煌めくようなギターフレーズを鳴らしながら、上杉と藤原もセッション的なうねりを見せるリズムを刻むと渋谷はその音の上で
「何が正しいかなんてわからないし、どうでもいい!でもあなたがこの場所を楽しそうだなと思ったこと、あなたが正しいと思ったことを我々は全力で肯定したいと思います!」
と言って、こうしてこの日会場に集まった人、あるいは映画館でリアルタイム配信を見ている人のことを全肯定するようにして「予感」を演奏する。
「予感のする方へ 心が夢中になる方へ
正解なんて あって無いようなものさ 人生は自由
今 予感のする方へ 会いたい自分がいる方へ
他人の目なんて あって無いようなものさ 感性は自由」
というサビのフレーズはその渋谷の言葉をそのまま歌詞に、音楽にしているようであるというのが、ビーバーは本当に人間がそのまま音楽に、曲になっているバンドであるということを感じさせてくれる。それは歌う渋谷と歌詞を書く柳沢だけではなくて、
「感情に」
というフレーズで声を重ねる上杉と藤原、さらには我々観客1人1人もそうであるということである。そうやってこの選択を、人生を肯定してくれるバンドがいてくれるからこそ、会いたい自分でい続けることができている。
「我々は普段はアンコールとかそんなにやらない。なんか、どうせ出てくるんでしょ、みたいなのってすごい芝居臭いじゃないですか。だから本当に求めてくれてるっていうのがわかる時とかは出ようとしてるんだけど、今日はなんだかアンコールを本気で求めてくれる感じがしてるから…ってどっちだよって話だけど(笑)
でも今日はCDTVライブ!ライブ!っていうテレビ番組が我々のこのライブを生中継してくれるってことで。待たせたりするかもしれないけれど、ライブハウスのこのままがテレビから流れる。これはもう歴史だ!」
と、意識しているのかどうかはわからないけれど、Oasisがネブワースで2日間で25万人を動員したライブを行った時にノエル・ギャラガーが発した言葉を彷彿とさせる言葉で、ライブハウスからの生中継がゴールデンタイムの音楽番組で流れることの凄さを口にする。それはずっと現場至上主義を掲げてライブハウスで生きてきたバンドだからこそ実感できるものでもあるのだろうし、収録でもスタジオでもなくライブハウスからの生中継を選んだのが実にそんな生き方をしてきたビーバーらしいと思う。
そんなビーバーの最新曲が、「東京リベンジャーズ」の新たなテーマ曲でもある「グラデーション」。演奏中には背面に渋谷(なんかややこしいけど地名の方)や新宿などの都内の風景や、対照的に自然の情景などが目まぐるしく移り変わりながら映し出されていくのであるが、曲が後半にいくにつれて音の強さがはるかに増しているのがわかる。それは
「それは ごめんねに込めた ありがとうのよう
ありがとうに込めた ごめんねのよう
連なった本当で グラデーションになった
曖昧の中で 愛を見つけ出せたなら」
という、ビーバーらしい感情のグラデーションの切り取りによる歌詞に100%、いや、それ以上の感情を全て込めてメンバーが音を鳴らしているからだ。流れていく情景も感情のグラデーションをそのまま可視化したものであるとも言える。地下のライブハウスという、あまり揺れを感じた経験のない場所でも確かに強い揺れを感じていたのは会場の構造的なものはもちろん、バンドの鳴らす音と観客の熱狂によってもたらされたものであろう。
すると渋谷は改めて
「新宿のここのすぐ近くの病院で生まれて、歌舞伎町で育ってきました。大好きな友達がたくさんいて、大好きな両親がいる街。そこに大好きなあなたが見に来てくれている…」
とこの自身が生まれ育った新宿という街への思いを口にするのであるが、それまでは客席の方をしっかりと見据えながら言葉を放ち、届けてきた渋谷が一瞬客席から目を背けるようにした。それが感極まっていたということだとわかったのは、
「初めてZeppでライブをやった時に俺は泣いてしまって。その時に、こんな感動の押し付けみたいなことはもう絶対にやらないって決めた」
と、かつて初めてZepp DiverCityでワンマンをやった時の経験を口にしたからだ。泣き顔は見せないけれど、渋谷にとって本当に大事な場所でのライブを自分たちが最初に行うことができている喜びや感慨がこれ以上ないくらいに伝わってくる。かつては誰からも必要とされていなかったかもしれないこのバンドが、今では新宿出身としてたくさんの人に認知されて、新宿の新しいライブシーンの象徴の始まりの日を任されている。そこから溢れ出る感慨。この日この場所にいれて、この思いの強さを知ることができて本当に良かったと何度目かわからないくらいに強く思っていた。
そんなライブがもう終わるかのようなMC(本人もそう言っていたが)の後に演奏されたのは、実に久しぶりにライブで聴く「シアワセ」。まだれっきとした新人だった頃に生まれ、メジャーに戻ってから再録したこの曲では背面に歌詞が全て映し出される。
「張り裂けそうな 心の奥に
これで良いのか 問いかけた
思い返せば 確かな事は
あの日から 変わらなかった」
というサビの歌詞は、この新宿で生きてきた渋谷のこれまでの人生が全て連なってこの日この場所に続いている。そう感じざるを得なかったし、
「誰もが抱いてる 矛盾のその先に
僕にとって
君にとっての
シアワセが 待ってるだろう」
というフレーズが映し出された時に、渋谷にとっての、バンドにとっての、我々1人1人にとってのシアワセがこの日確かに訪れたんだなということを実感していた。
そうした喜び、幸せなどの思いが曲となって鳴り響くのは、やはりコーラスフレーズでは観客の大合唱が響く「嬉しい涙」。渋谷もそのコーラス部分では
「歌って!」
と言って客席にマイクを向けるのであるが、泣き顔は見せなかったけれど、やはりこの日は悔しい涙でも悲しい涙でもなくて、嬉しい涙が溢れ出てくるような日だったのだ。それは渋谷だけではなくてここにいた我々1人1人にとって。それをわかっていたからこそ、この日こうしてこの曲が演奏されたんだと思う。心から、自分たちの感情や心境を曲にしてきて、それを然るべき、鳴らすべき時に鳴らすことができるバンドだと思う。
「まだまだ行けますか!?」
と渋谷が観客に問いかけると、柳沢が鳴らすギターのイントロに反応して1人1人が両腕を挙げて応える「青い春」へ。Bメロのワルツ的なリズムでの手拍子も、もちろんサビでは大合唱が起こるのも、この日ここに来た観客たちがみんな何度となくこうした現場でこの曲を聴いてきたということがわかるし、この会場で聴くこの曲は渋谷自身がこの近くでまさに青い春と言えるような時期を過ごしてきたんだろうなと思える。
「会いたい人がいる」
と思いっきり感情を込めて歌う渋谷が会いたい人が最も多く住んでいるのはこの新宿なんだろうなとも。
そしてイントロから大合唱したくなるような演奏が始まったのは、ビーバーの曲の中で随一と言っていいくらいに、観客が声を出せる状況になったことで曲の真価を最大限に発揮する「秘密」。だからこそコーラスパートではやはり大合唱が起きるのであるが、渋谷が曲前に
「束になってかかってくんな!あなた1人でかかってこい!」
と言ったように、1人1人の声が重なることによってこんなに美しい大合唱の光景を生み出しているということがよくわかる。間奏ではメンバー紹介も含めたソロ回し的な演奏から、柳沢と上杉が、普段は渋谷が立って歌うステージ中央の台の上に立って向かい合うようにして音を鳴らす。その全てが、ビーバーもまた1人1人の集合体がバンドになっていて、その1人1人の音が重なることによってバンドの音になっていることを示してくれている。
そして渋谷はそうした大合唱が巻き起こった客席に向けて、
「こうして声が出せるようになったりすることによって、前のライブハウスが戻ってきたなんて声も聞いたりしますけど…戻ってなんかこないですよ。もちろんかつてのライブハウスにもモラルやマナーみたいなものが確かにあった。でも今は押されたりするのが嫌な人もいれば、一緒に歌うのが嫌だっていう人だってもちろんいる。そういう人がいるのはわかってる。だから戻るんじゃなくて、新しく作っていく。
作ろうとする一体感なんて俺たちは興味がないし、そんなもん目指そうとも思わない。でもたまたまそれぞれ違うあなたが偶然同じ方向を向いたり、同じ感情を抱いたりして、偶然一体感が生まれたり、一つになろうとしなくても一つになったみたいな感覚になる。そういうものを目指してライブをやってます。今日はありがとうございました」
と、コロナ禍を経たことによってかつてよりさらに多様化したライブハウスの楽しみ方それぞれに理解を示して肯定し、それでもライブハウスに集まる人の力を信じるようにして最後に演奏されたのは観客が頭の上まで掲げた手を叩くことによってまさに美しい光景が生まれる「美しい日」。それはこれ以上ないくらいにこの日1日を言い表すようなものだった。観客の笑顔もメンバーの表情と演奏も、全てがこの「美しい日」を構成する要素の一つ一つになっていた。
そんな本編が終わってのアンコール待ちの時間が普段のライブとは比べ物にならないくらい(多分30分近く)長かったのは、本編のMCでも言っていたように、ここでCDTVライブ!ライブ!の生中継へのセッティングをしていたからであるが、時間が近づくと2階の上手側の席に登場したミオストリングスの面々に気付いた観客から歓声が上がるというのは、その存在がバンドにとっておなじみであり、大切でもあることを観客もわかっているからだ。
そのミオストリングスへの歓声に渋谷が少し嫉妬する中で段取りを説明したりするのであるが、音楽番組の生中継ってこんな感じなのかと思うのはちゃんとCMの音が会場にも聞こえたりしていて、そのCM明けまで残り数秒というあたりで、それまではMC以上に緩く観客と会話するようにしていたメンバーのスイッチが入るということ。それは2階席の下の映像には番組タイトルも映し出されてもいたが、もはや生中継ではなくてれっきとしたライブそのものだった。だから渋谷は観客に
「ライブハウスの凄さを見せてやりましょう」
と言っていたのであるし、本編ではバンドだけで演奏された「グラデーション」にミオストリングスのサウンドが重なるというあたりも、テレビ番組用に豪華にするというものではなくて(ただ単にそれが狙いのストリングスなら生演奏じゃなくていいはず)、ライブとして1人1人の音が重なり合うことでまたさっきとは違う「グラデーション」を鳴らすということだ。渋谷は生中継前には
「始まる前にピーク持ってこないでね(笑)徐々に徐々に、感情のグラデーションを(笑)」
とタイトルにかけて言っていたが、それを1番笑っていたのは隣にいた柳沢だったというのがつくづく良いコンビであると思う。
さらには「名前を呼ぶよ」も生中継で再び演奏されるのであるが、その待ち時間の長さや同じ曲を演奏するというのはついつい「いつも通りのライブならもっとたくさん曲を聴けたんじゃ…」とも思ってしまったりする。でも渋谷が言っていたように、収録とかではなくて、ライブハウスでライブをやっている今この瞬間を見てもらうことによって、テレビを見ている人が「ライブハウスって楽しそうだな、行ってみたいな」と思ってくれるのであれば、毎週毎週どこかのライブハウスでバンドのライブを見ている者としてはそれ以上嬉しいことはないと思う。こうして新しいライブハウスの始まりの日のライブだからこそ、よりそんなことを強く思うのである。そしてそれはライブハウスという場所がコロナ禍になった直後は感染の温床として「行くのが危ない場所」として報道されてしまった時のことを今でも痛烈に覚えているから。きっとそれはメンバーもそう感じていたはずだと思っている。
そんな生中継が終わってカメラなどの機材は撤収していっても、まだメンバーたちは楽器を下そうとせずに、
「番組の生中継が終わったから、はいお疲れ様でしたって言って帰すわけがないでしょう!」
と、まだライブが終わらないことを口にする。それは長い時間待っていてくれた観客への思いでもあるはずだが、渋谷はそうしてテレビ番組に出ることを
「軸足がテレビの世界に行くっていうことじゃない。あくまで現場至上主義、ライブハウスのバンドとして生きていくのは変わらない。これからもいろんなところに会いに行くし、会える機会が増えれば楽しいじゃない?その機会を増やしてる」
という渋谷の言葉はテレビ番組に出演することを肯定的に捉えるのが難しい人(昔は自分もそう思っていた)にも、ちゃんとそこに出る理由と意味をしっかり自身で口にしてくれるからこそ納得ができるし、間違ってないよなと思える。何よりも誰からも見向きされない期間が長かったバンドだからこそ、こうして求めてもらえることが本当に嬉しいのだろうし、そこにバンドの誠実さを自分は感じる。期待してくれてる人の想いに応えたい、もっとたくさんの人に出会いたいというバンドの気持ちがその言葉や行動から確かに感じられるからだ。
そしてステージが元のライブ仕様のものに戻ると、
「生きてさえいればまた会えますから。またいろんなところで会いましょう!」
と渋谷が観客1人1人の存在と生命を肯定すると、
「この曲、歌い出しからみんなで歌いたいんだよなぁ…なんの曲がわからないのに湧いてくれてますけど(笑)」
と言っていたが、きっとほとんどの人はこれから歌うフレーズが頭の中に浮かんでいたはずだ。実際に
「愛されていて欲しい人がいる
なんて贅沢な人生だ」
と観客が大合唱し、その光景をメンバーが嬉しそうに見つめてからバンドの演奏に突入していくのは「東京」。新宿もその中に含まれる、東京という都市の中に新しく生まれたライブハウスの営業日初日の最後に鳴らされるべきはこの曲しかない。東京で生まれて東京で生きてきたバンドが東京で鳴らす「東京」。その瞬間に立ち会えたことの贅沢さを噛み締めながら、そんな1日を作ってくれたビーバーの4人がもっとたくさんの人に愛されて欲しいと思っていた。
演奏が終わると、普段は真っ先にステージから去っていく渋谷もそのままステージにとどまる。
「俺たちがこの会場でやるの初めてってことは、最初にできるのは俺たちしかいないじゃない?明日スカパラにやられたら悔しいから!(笑)」(翌日は東京スカパラダイスオーケストラがここでライブを行う)
と言うと、普段は全くやることがない、観客を背にしての写真撮影。藤原による
「SUPER」「BEAVER」
の掛け声もバッチリと決まり、そこで声を発することができる喜びを感じながら、こうしてZepp Shinjukuというライブハウスの歴史がこの日、このライブから始まったのだ。
Zepp Tokyoや新木場STUDIO COAST。コロナ禍が直接的な理由じゃないとはいえ、コロナ禍になってからいくつものライブハウスがなくなってしまった。数え切れないくらいに行っていた大切な場所だからこそ、そういう場所がなくなってしまうのが寂しい。それでもこうして新しいライブハウスが生まれて、そこにたくさんの人が集まっている光景を見ることができるのが本当に嬉しい。いつかはまたこの場所もなくなってしまうかもしれないけれど、これから先の人生においてきっと大切な場所になっていくから。そうした場所が、好きなバンドに会える機会が増えていくなんで、コロナ禍になってライブハウスが叩かれていた時には全く想像していなかった。
冒頭で赤坂BLITZでUNISON SQUARE GARDENを見た時のことに触れたが、そうして大切な場所で最初に観たライブのことは今でも鮮明に覚えている。だからこそ、この日Zepp Shinjukuの始まりの日にSUPER BEAVERのライブを見たことも死ぬまで忘れないはず。そう思えるくらいにやっぱり、美しい日だった。
1.東京流星群
2.スペシャル
3.ひたむき
4.名前を呼ぶよ
5.mob
6.予感
7.グラデーション
8.シアワセ
9.嬉しい涙
10.青い春
11.秘密
12.美しい日
encore
13.グラデーション
14.名前を呼ぶよ
15.東京
新宿Song Book 出演:えーるず / THE 抱きしめるズ / 少年キッズボウイ / ザ・ラヂオカセッツ @新宿紅布 4/21 ホーム
THE BAWDIES 「LET'S BE FRIENDS! TOUR」 GUEST:ドミコ @代官山UNIT 4/16