キュウソネコカミ 「1曲目「キュウソネコカミ」から始まるツアー @Zepp DiverCity 2/13
- 2023/02/14
- 19:15
昨年末のFC限定ライブから、精神の不調によって活動を休止していたベースのカワクボタクロウがついに復帰。年末のフェスでも「やっぱりキュウソはこの5人だからこそキュウソネコカミなんだよな」という姿を改めて見せてくれたキュウソが東名阪のワンマンツアーを開催。
そもそも昨年も対バンツアーで全国を回っていたし、やはり動き続けないと生きていけないバンドであるのだが、今回のツアーが特別なのはタクロウの復帰とともに、観客の声出しが解禁されるということ。フェスではそうした機会も(主に関西で)あったが、コロナ禍以降初めて、時期にしておよそ3年ぶりにみんなで歌えるキュウソのライブが帰ってきたのである。
場内には懐かしの藤井隆「ナンダカンダ」などのキュウソならではと言っていいようなBGMが流れる中、開演前にはヨコタシンノスケ(シンセ&ボーカル)によるアナウンスが。そこでは改めてコロナ禍以降初めての声出し可能ライブということが告げられ、大きな拍手とともに歓声が上がる。みんなこの日を楽しみにしていたことが伝わってくる。
そんなアナウンスから19時を少し過ぎると、おなじみのFever333のラウドなSEでメンバー5人が登場。その姿に早くも観客から上がる歓声を煽ったり噛み締めたりしているのだが、やはりこのタクロウを含めた陣形の均等な立ち位置がキュウソらしくて安心する中、アナウンスでヨコタが
「1曲目を予習してきましたか!?」
と言っていたように、このツアーはタイトル通りに1曲目は「キュウソネコカミ」で始まる。そのイントロが鳴らされると同時にステージ背面にはおなじみのマスコットキャラのネズミ君も描かれているバンドロゴが登場するという、まさに「キュウソネコカミ」という曲にふさわしいオープニングである。
その「キュウソネコカミ」はヤマサキセイヤ(ボーカル&ギター)も
「この5人じゃないとできない曲」
と言っていた通りに、自分たちがどんなバンドであるかを示してきた曲であるが、タクロウのうねりまくるベースとソゴウタイスケ(ドラム)の叩きまくる手数によるビートが「ああ、やっぱりこれがキュウソだよな」と思わせてくれる一方で、その一音が鳴らされた瞬間にゾクッとした。それくらいにその音から気合いが溢れ出ているからだ。キュウソのライブの何が凄いかって、楽しくも面白くもあるけれど、それ以上にただただ鳴らしている音と姿がカッコいいロックバンドであるということを、5人揃ってのこの曲ですでに実感できる。
「追いつめられたネズミは
血だらけになりながら猫を襲う」
というヨコタのボーカルパートではセイヤが
「シンノスケ!」
と叫ぶように振ると、2人で肩を組むという、もうこのライブができていることが嬉しくてしょうがないというような思いがのっけから溢れまくっているパフォーマンスに。それは決めていたというよりは衝動的なものだろうけれど、オカザワカズマ(ギター)の演奏中の動きがいつも以上に大きい(なんならギター弾きながら踊ってるレベル)というのもバンドとしての気合いを表している。もう知らない人にキュウソネコカミがどんなバンドかと言われたらこの日のこの曲の映像を見せればわかるというくらいに。
そんな
「俺の生き様見せつけろ」
のフレーズ通りに生き様を見せつけるような曲から、
「何の曲が来るかな〜?」
といたずらっぽくヨコタが言ったのは、このツアーは事前に公式アカウントが予告していたように、普段やらない曲をたくさんやるという内容だからであるが、まあ言ってもそこまでレア曲というわけではない「邪邪邪 VS ジャスティス」が演奏されたのは間奏で台の上に立ってオカザワとタクロウが演奏し、さらにはセイヤとオカザワによるギターバトル的な演奏もあるという、この5人のグルーヴやアンサンブルを見せつける曲だからだろうか。もちろんそれはツアー初日の序盤にして早くも極まっているのはこのツアー前までも対バンライブなどを重ねてきているからだろう。
すると早くもキュウソの日常的なあるあるっぷりを歌詞にした「御目覚」という、時系列的にはまだまだ新しい曲(2021年リリースの「モルモットラボ」収録)であるが、それでもあまりライブでやっていない曲が演奏されるというあたりからして、このツアーのセトリがただ事では済まないことを予感させる。キャッチーなサビではメンバーに合わせて観客も声を出せるからこそのコーラスが重なるのであるが、そもそもコロナ禍真っ只中にリリースされた曲であるだけに、そうして観客がコーラスを歌っているというのも初めての光景である。曲がバンドにとっての子供のような存在(キュウソはそれらしい口ぶりで曲を解説したりする)とするならば、ようやくその子供を自由に遊ばせてあげることができたかのような。そんな感慨深さがまだまだ序盤から込み上げまくってくる。それくらいにこうしてキュウソのライブで声を出せるのが久しぶりなのである。
それはコロナ禍になる直前にリリースされた「ハリネズミズム」収録の、新たなキュウソのスマホソングである「戯我浪費」もそうであるが、歌えるようになったタイミングでこうして普段ほとんどライブでやらないようなレア曲を演奏するというのは、先にもうこうした曲をやるツアーということは決まっていて、声が出せるようになったのはそれからの社会の流れというか、政府の決定に合わせたものということであるのだろう。それは常に時勢を冷静に見極めてルールを守り続けてきたキュウソらしさである。曲の歌詞はデータ通信が嵩んで通信制限になってイラついているという、Wi-Fiが普及してからはあまり実感できなくなったものであるが。
そんなスマホの曲としてはキュウソは代表曲と呼べる曲も持っている。ヨコタが
「ようやくこの曲をみんなで思いっきり歌えるようになりました!」
と言ってから演奏されたのはもちろん、声が出せない期間はコール&手拍子という、ルールに合わせた楽しみ方を提案して実践してきた「ファントムバイブレーション」であり、ヨコタのスマホの着信音のイントロが鳴らされるだけで歓声が上がるのであるが、当然ながら
「スマホはもはや俺の臓器」
のフレーズでは観客による大合唱のレスポンスが響く。ああ、この曲をキュウソが大好きなみんなで一緒に歌うのがこんなに最高なことだったなんて。そんなことをこんなフレーズで実感できるのは、メンバーも言っていたけれど世界中でキュウソのライブだけだろう。今ならかつてよりもそんなキュウソの凄さがよくわかる。誰も歌わなかったことを歌詞にして、それをみんなで歌えるくらいにキャッチーにしてみせたのだから。メンバーの演奏している表情も、いつも以上にしっかり観客の方を向いてその声を聴くようにしていたのがわかるし、その声を聴いたことによっていつも以上に笑顔になっているのがよくわかる。だからかセイヤの歌いながらのアクションもいつも以上にオーバーだ。それはそのままずっとこの声を待っていたということを示してくれている。
そんな観客の声が聞こえることを、
「これからはこれが当たり前になっていくけれど、今日だけはこれを噛み締めさせてくれー!」
と実感として叫びながら、メンバーの名前を呼ぶ声さえも、
「この前、BLUE ENCOUNTの武道館を見に行った時に、こうやって名前を呼ぶのもめちゃくちゃ久しぶりに聞いたと思った」
と感慨を口にし、それが自分たちのライブでも起こっているということに本当に嬉しそうにしながらも、それでもよりメンバーを呼ぶ声が大きくなると
「うるせー!(笑)」
と一蹴するあたりが実にキュウソらしいというかセイヤらしいというか、素直じゃない感じを素直に出している。
前述の通りにこの日のセトリのレアさや、初めて合唱が起こった曲のことを口にしながら演奏されたのは、やはりこちらも「モルモットラボ」収録ということは、こんなにもみんなで歌うことを想定して書かれた曲だろうに、まだその景色を見ることができていなかった「おいしい怪獣」。今更ながらセイヤは自分でそのタイトルにツッコミを入れていたが、コロナ禍に演奏されては「近い将来にこの曲のコーラスをみんなで歌えるように」と思っていた曲がついにその時を迎えたのである。怪獣の鳴き声的なコーラスであるだけに観客が掲げた腕を怪獣のように(ちょっとMAN WITH A MISSIONっぽい)挙げるのも含めて、その楽しさがついに全開になった曲だ。
そんな、レア曲でありながらもキャッチーだった流れは、レア曲になるのもわかるようなサウンドへと変化していく。初期Arctic Monkeysのようなダークなギターリフのイントロをオカザワが鳴らす「☆断捨離☆」はタイトル通りというか、タイトルそのままでしかない曲であるが、そんなダークな雰囲気で始まり、サビはセイヤの歌唱がヒップホップ的になり、オカザワとタクロウもステージ中央で入り混じるような間奏での演奏から、最後はフォークソングの名曲のような壮大なメロディをセイヤが歌唱して光のような照明に照らされるという、何をどうやったらこんな展開になるんだろうかと思ってしまう、レア曲たるべきレア曲である。ちなみにその展開はメンバーもスタジオでリハをしている時に当時の自分たちを問い詰めたいと思ったという。
そんな「☆断捨離☆」にも潜む怒りの感情を増幅させまくる曲が、実に久しぶりにライブで聴く「FABYOOOOO!!!!!」で、ギターを掻き鳴らしまくりながらタイトルフレーズを叫びまくるセイヤのパンクさが、バンド名通りに噛みつきまくり、尖りまくっていたキュウソの当時の姿を思い出させる。守るべきものも増えただけに、当時よりは丸くなったというか、大人しくなったイメージもあるかもしれないが、本当にそうなっていたらこの曲をこんなにリアリティをもって鳴らせないだろう。つまり今もキュウソはその尖った部分や噛み付く姿勢を失ってはいない。それはより社会における「これはおかしいだろう」と生活者が思うようなことに向けられている。
さらにはヨコタのシンセが煌めくように鳴り、そのヨコタもサビでは飛び跳ねまくることによって観客も踊り、飛び跳ねまくるキュウソ流の狂騒ディスクパンク「ファッションミュージック」と今となってはレア曲となった初期曲が続く。本当にこの時期の歌詞はありとあらゆるものに牙を剥きまくっているが、それでも今聴いてもやはりそのシンセのフレーズもメロディも実にキャッチーであり、そこにこそ変わらぬキュウソらしさがあると言っていい。セイヤの
「くだらねぇ〜〜〜 しょうもね〜〜〜」
というサビを叫ぶような歌唱力は間違いなく当時とは変わっている、進化している部分であるけれど。
そんなレア曲の連打に次ぐ連打っぷりを振り返りながら、唯一マイクがないタクロウの前にもマイクスタンドが置かれたことによってタクロウも至って普通にというか、むしろ楽しそうにこのレア曲たちをスタジオで演奏していた時のことを振り返っている。一時離脱している間もバンドはライブをやり続けてきただけに、こうしたパターンの場合は結局差が開くばかりで戻ってこれなくなるということも多い。それでもタクロウが戻ってきて、しかも「やっぱりこの5人だな」と思えるくらいにタクロウでしかないベースを弾けているのは離脱中もステージには立たずともずっと練習していたりしたんだろうなと思う。だからこうやって戻ってきて、4人と横一線になってライブをやることができているのだ。
そんなタクロウのMCから、
ヨコタ「みんなが知らない曲っていうことは俺たちも演奏してない曲ってことやから、立場は同じやで?(笑)」
と、いやいやあなたたちは作った本人じゃないですかとツッコミを入れるよりも先に笑いが起こる中、
セイヤ「本当に全然やってない曲(笑)」
と言って演奏されたのは「TaiFu is coming to Town」という、この曲ライブで演奏したことあったっけ?と思ってしまうくらいの超レア曲。それだけにメンバーもどこか慎重に演奏している感じもあったのだが、それでもめちゃくちゃリハや練習をしてきたんだろうなと思うくらいに演奏慣れしていない感じは全然しない。フジファブリック「TAIFU」の影響もあるだろうけれど、曲の内容は「学校が休みになるくらいのレベルの台風来てほしい」というキュウソならではのコミカルさを持ったものである。
そんなレア曲祭りを繋ぐようにアウトロでソゴウが四つ打ちを基調としたリズムを叩くとセイヤも
「さぁ、次は何かな?」
といたずらっぽく言い、ヨコタのキーボードのイントロがどこか不穏な空気を醸し出すのはやはりレア曲の「ウツロウココロ」。自分たちの音楽も含めて人の好みはすぐに過ぎ去ってしまうということを歌った曲であるが、その同期も大胆に取り入れてよりスペーシーな雰囲気になった久しぶりのライブでのアレンジも含めて、今のキュウソの表現力によって完成度が引き上げられた曲である。確かに歌詞の通りに特に音楽の流行りや好き嫌いは実に早く変わっていく昨今であるが、ここにいる人たちのキュウソが好きという気持ちはずっと変わることはないはずだ。
さらにはセイヤがギターを下ろしてハンドマイクになると再び同期の音が流れ、どこかキュウソには珍しい「和」の要素を感じさせると思ったら、桜の花の能力者になったかのようにセイヤが紙吹雪を撒き散らしながら歌う「春になっても」へ。実は恒例のキュウソの季節ソングシリーズの1曲であるが、そのセイヤのパフォーマンス含めて、もう少しでそうして桜の花が舞う春の季節が到来するんだよな、ということを実感させてくれるような曲だ。
かと思えば童貞のリビドーが爆発するパンクなサウンドの「サクランボウイ」と、改めてキュウソの作ってきた曲の幅広さを感じさせるセトリになっているし、この曲のどこか切なさも入り混じるような歌詞(「どうして」と「童貞」を空耳的に使ったアーティストは他にいないだろう)に胸が掻きむしられるというか、共感したくなくてもしてしまう人もいるだろうと思うし、どれだけ売れたりフェスのメインステージに立つようになってもセイヤからはこうした曲を歌うにふさわしい空気を感じられる。
そんな曲たちを演奏した後には、マネージャーのはいからさんがセイヤが撒いた花吹雪を掃除するのであるが、本当はリハではサビでステージ真ん中だけに撒くはずだったのが、Aメロからステージ全体に撒きまくるという暴走をしただけにはいからさんがキレ気味で掃除をする姿が面白い。メンバーは「すぐに目立とうとする」と言っていたが、この花吹雪もこの日の昼にセイヤが思いついて急遽用意したものだというだけに、やはり敏腕マネージャーであることは間違いない。MC中にやたら掃除しに出てくるあたりは本当に目立ちたがりだけど。
このブロックで演奏されたレア曲たちは歌詞も独特というか、他のアーティストが歌わない(歌う必要もなければおそらく思いつくこともない)歌詞やテーマであるだけに、バンド内でも歌詞のコンプラを審議されることがよくあったらしいが、特に「TaiFu is coming to Town」は「バンドのコンプラの砦」ことソゴウを通過するのがかなり困難だったという。ある意味ではキュウソの歌詞がヤバい方向に突き抜けていないのはバランサーとして冷静かつ常識人であるソゴウがいるからだとも思う。そのバランスも含めてやはりこの5人でキュウソというバンドなのだ。
そして後半はレア曲だけならず定番曲や代表曲も演奏されていくのであるが、「推しのいる生活」での「わっしょい わっしょい」をみんなでキュウソを称えるように歌うことができるのがこんなに楽しかったとは。それもどこか忘れかけていた感覚であるが、そうして声を出せることでより一層キュウソという我々の推しが尊く感じられる。間奏ではギターソロを弾くオカザワを逆サイドからタクロウが称えるような動きをするというコンビネーションもやはりこの5人だからこそのものだ。
「「思いやりとマナー」の化身みたいな感じを出してますけど、コロナ禍で私は近隣住民の方々に大変な迷惑をかけてしまいました」
というセイヤの実体験をそのまま歌詞にした「住環境」では合唱よりもサビに入る寸前のジャンプを、ということで、フェスやイベントなどだとタイミングがわかりづらすぎてなかなか揃わないジャンプもさすがワンマンということで、観客はメンバーとともに完璧に合わせて跳ぶ。それは別にコロナが、とか声出しが、とか関係ない部分であるけれど、それでもこの曲もこの日に最大限の力を引き出されたような感覚が確かにあった。
さらにはセイヤが
「定番曲じゃないのに定番曲みたいなツラをしている曲」
と紹介したのは、ライブでやる頻度が減ってもサビで観客が腕を左右に振るという楽しさはすぐに思い出せる「NEKOSAMA」であり、それは間奏での「ネコ踊る」のシンセのリフをリプライズして「ニャー!」と飛び跳ねる部分もそうである。セイヤのネコポーズなども含めて、楽しいながらも一挙手一投足が見逃せない曲でもある。この盛り上がりっぷりは確かにあたかも毎回ライブでやってる代表曲のようですらある。
そんな曲たちもこの日を迎えるまでは3年間、望む姿で演奏されたり楽しんだりすることは出来なかった。セイヤは
「あの1m距離を離して、バンドの前にアクリル板置いたりとか意味あるんかこれみたいな時期のライブもあったりして。ルールなんか知らん、みたいに我が道を行くバンドを羨ましく思う時もあったりしたけど、ルールを守り続けてきたバンドとみんなのおかげでこういう日を迎えることができた」
とルールを守り続けてきた果てにこうしたライブを行うことができるようになった実感を口にする。
めちゃくちゃやってきたようなイメージもあるキュウソであるが、バンドがライブにおいて掲げているのが
「楽しくても思いやりとマナーを忘れるな」
であることからもわかるように、誰よりもライブに来る観客とその周りの人のことを考えてコロナ禍以降もライブをやってきたバンドだ。ルール無視のめちゃくちゃなライブを今の時勢で行うことによって悲しんだりしてしまう人たちの顔だってきっと浮かんでいるはず。それをわかっているからこそ、ルールを守り続けてきた。もしかしたらそれは「ロックじゃない、パンクじゃない」と旧来的なイメージから言われるかもしれないが、周りに流されることなく自分たちの意思を貫き通してきたという意味では誰よりもロックでありパンクなバンドだと自分は思っている。
そうして守り続けてきたことによって観客が声が出せるようになったことをオカザワは
「これから声出せるのが普通になったら、フェスとかで他のバンドのファンを驚かせるくらいに声出していこうぜ!」
と、驚くくらい熱い一面を見せる。年齢的にも後輩というか末っ子的なイメージが強いオカザワであるが、音でこのバンドのロックさを引き出してきたのはこの男であるし、この日のライブをやってまた新たな確信を得ることができたんじゃないかと思う。
そんなMCの後には
「もうあと少しで終わるけど…」
というセイヤの言葉に対して「えー!」という歓声が上がる。それすらも実に久しぶりであるだけにセイヤがもう1回同じことを口にしたり、ヨコタにパスしたりする中で演奏された「ビビった」ではイントロからヨコタが思いっきり高くジャンプするようにしながらシンセを弾く。それくらいに溢れ出しているものがあった。それは観客も同じだからこそ、間奏では「こんなにみんな高く跳べるの!?」と思ってしまうくらいに観客が飛び跳ねまくる。声を出してきたことによって、今までのコロナ禍のライブよりも圧倒的に、今まで眠っていた自分の身体のフィジカルな部分が目覚めているのがよくわかるし、それはバンドの演奏の熱さによってさらに引き出されたものでもある。特にセイヤの
「なめんじゃねぇ!」
という叫びに宿る気迫。一緒に歌うことが出来なくても楽しめる、バンドの地力の強さがあるということを示し続けてきたコロナ禍以降のキュウソのライブであるが、これが本当のキュウソのライブなんだということをその姿と音で示しているかのようだった。
そしてコロナ禍には演奏されていなかった、かつてはおなじみのコール&レスポンスが繰り広げられていた「DQNなりたい、40代で死にたい」がイントロから凄まじい熱気で鳴らされる。去年のRUSH BALLでは演奏されていた(声出し可能だったから)らしいが、キュウソの象徴と言えるようなこの曲も自分がライブで聴くのは3年ぶりだ。東京でのワンマンはきっとそういう人ばかりだっただろうけど、
「一つ言いたいのはドン・キホーテは貴様らの溜まり場ではないぞ!」
のフレーズでは驚くくらいに自然に観客の声が揃う。セイヤも
「よくみんな覚えてたな!」
と驚いていたが、それはきっともう脳内や精神や細胞に刻まれてるくらいに何度となくこのフレーズを歌ってきたからだ。だから身構えなくても自然に歌える。さらには
「このフレーズを叫べるのは世界でここだけ!」
と言って実に久しぶりの
「ヤンキーこわい」
のコール&レスポンスも行われ、セイヤも驚くくらいの声量が返ってくる。バンドが音を止めて我々の声だけが響くからこそそれがわかる。この声だけは、どんなものでも代わりにはならない。それをわかっているから、バンドは声が出せない時にはこの曲をやらなかった。いつかその日がまた来ることを信じての約束の曲として。それがついにこの日果たされたのである。セイヤが
「ありがとうー!」
と叫ぶと観客はバンドの音に合わせてさらに飛び跳ねまくり、腕を左右に振る。かつてはネタというか飛び道具的な存在であったこの曲にこんなに感動してしまう日が来るなんて全く思ってなかった。それくらいにキュウソにとっても、ファンにとっても大事なこの曲を、これから先はまた何回だって聴くことができる。両手を合わせることでウォールオブデスを表現するのだって、体が全然忘れてはいなかった。
そんな今までとは全く違う「DQN〜」がクライマックスを生み出すと、ソゴウがドラムを力強く連打する。それはもちろん「ハッピーポンコツ」が演奏される合図であるのだが、曲前にはヨコタが涙ぐみながら
「やっぱり俺たちはみんなの声が聞きたいバンドなんだ!」
と叫ぶ。以前SiMのMAHが
「バンドにはそれぞれ自分たちの見たい景色がある」
と言っていた。ラウドバンドであるSiMにとってのそれはモッシュやダイブであり、キュウソにとってはこうしてみんなが歌って、楽しそうに踊っている姿を見ることなんだと思う。そんなバンドが見たい景色がまた見れたことによって感極まっていたのだろうし、このブロックの前のMC中にステージをウロウロしていたのもすでにその時に込み上げてきているものがあったのかもしれないと思う。
この日の1曲目の「キュウソネコカミ」やCDJの1曲目に演奏された「5RATS」は「この5人じゃなきゃできない曲」とされている。タクロウ不在だったという意味では自分にとってはこの曲も紛れもなくそんな曲だ。サビ前に台の上に立ってベースをうねらせ、ブレイクでは観客に向かってポーズを取る。サポートを入れていた時にはギターをそこに重ねたりしていたが、この瞬間はやはりタクロウのためのものだ。(それをわかっていてサポートを引き受けた空きっ腹に酒のシンディには本当に感謝してもしきれない)
その瞬間が声出しとともにワンマンのライブでも戻ってきて、タクロウが楽しそうな顔をしているのを見ることができるのが本当に嬉しい。やはりヨコタはソゴウのドラムセットに回ってちょっかいを出していたりしたが、そうしたこの曲における全ての瞬間がこの5人だからこそのものであるし、そんな光景を見せてくれるこの曲はまさに全人類に広がれば、ハッピーポンコツになれるんじゃないかと思ったりもする。
それでもまだライブは終わらず、最後に演奏されたのは
「この曲をみんなが歌えるようになったタイミングでリリースできて本当に良かった!」
と言ってから鳴らされた、発売が決まっているアルバムに先駆けて配信された「私飽きぬ私」なのであるが、配信開始された時に聴いて、この曲はキュウソなりのGOING STEADY「童貞ソー・ヤング」へのリスペクトでありオマージュなんじゃないかと思った。イントロのオカザワのリフも、セリフ的になる部分も、我々が一緒に歌う
「不安だ不安なんす」
のコーラスでの拳が振り上がる様も。キュウソは前になんばHatchで行われた銀杏BOYZのライブにメンバー全員で見に来ていたし、かつては「あいどんわなだい」をライブでカバーしたりもしていた。5人に戻ったこのタイミングで自分たちの原点に真っ向から向き合うということだろうか。ライブで聴くことによってギターのサウンドがよりハッキリと聴こえるだけによりその思いは強くなったが、そのかつて青春パンクと呼ばれていたバンドの遺伝子が「わかってんだよ」「The band」に連なるキュウソの熱い部分を引き出している。つまりはその曲たちと同じようにこれから先も我々の足を明日に踏み出させる力をくれる曲になっていくということだ。
そんなあまりに熱い本編が終わってメンバーが捌けると、自然発生的に客席から
「ヤンキーこわい」
の合唱が始まる。ああ、そうだ、キュウソのワンマンのアンコール待ちはこうだった。メンバーも「思い出した」と言っていたけれど、ずっとキュウソのライブに来ていた人たちがコロナ禍になってもライブに行き続けてきて、かつてのこうした光景をずっと覚えている。それは紛れもなくバンドとファンの強い絆と、忘れられないライブの記憶によって生まれたものだ。感動しっぱなしだったこの日で1番感動したのはこの瞬間だったかもしれない。
そうしたアンコールに応えてメンバーが再びステージに現れると、セイヤはオレンジのロンTに着替えて登場し、繰り返すように
「これからはこれがまた当たり前になっていくから、今日だけは最後までこの話をさせてくれ!」
と観客の声によって得ることができたものを口にする。そしてその熱さが「The band」に繋がっていく。こうしたライブハウスで互いにコミュニケーションが取り合えるロックバンドであるということ。
「リアルタイムで出会えたから ライブが見れるの最高だね」
というフレーズが、リアルタイムで見てきたコロナ禍のキュウソのライブを思い出させる。コロナ禍になって全然ライブに行かずにこの日を迎えていたら、きっとこんなにも感動してない。少しずつ、一つずつバンドと我々が積み重ねてきたものをこの目で見てきたから、こんなにもこうしてコーラスで大合唱できるのが嬉しくて、尊くてたまらなくなるのだ。
「心の底からぶち上がりたいんだ!!!」
のフレーズ通りに、もう明日声が涸れてしまっても後悔はないくらいにぶち上がっていた。それはキュウソのライブがそうさせてくれたのだ。やっぱりいつだってキュウソのライブは明日からの生活を生き抜いていく力を与えてくれる。
ライブ後には事前に告知されていた通りに、テレビの音楽番組の収録が行われる。どの番組なのか、どの局なのかもわからなかったが(バズリズムあたり?)
「ライブハウスに声が戻ってきているっていう代表を俺たちのライブでやってもらうんです!」
というヨコタの言葉によって観客の熱さはライブと同じかそれ以上と言っていいくらいになるのであるが、それはコーラスを再度練習してから再び「私飽きぬ私」をフルでライブで演奏したからだろう。そう、この曲はきっとこれから先に振り返った時に「キュウソがライブで声を取り戻した象徴の曲」になっていくはずだ。去り際にセイヤは終演BGMとして流れたこの曲で再び歌い、最後には観客に投げキスまでした。そうしたくなるくらいに、これからのキュウソのライブにおける大きな転換点になる日だった。あの最高に楽しいキュウソのライブをバンドと我々で一緒に取り戻したのだから。
その「観客が声を出せる」というのがあまりにも大きなトピックス過ぎて忘れてしまいそうになるが、主題は「この5人でバンドの歴史の中でのあらゆる曲を演奏するツアー」だと言える。とかくそうしたセトリになるとそのセトリのレアさだけが強調されがちだが、レアなセトリだとしてもライブそのものが良くなければ良いライブにはならないし、逆に飽きるくらいにやりまくってる定番曲だけをやってもいつもより圧倒的に良いライブだと思えるライブもある。
で、この日のキュウソのレアセトリのライブがどうだったかというと、やっぱりキュウソには普段ライブでやらなくても、良い曲や面白い曲がたくさんあるなと実感させるとともに、そんな曲たちをこんなに熱く、慣れていない感じ全くなしで演奏できるキュウソはやっぱりとんでもなくカッコいいロックバンドだと思った。
それは何よりも曲を作って演奏するということこそが観客を熱狂させ、バンドを今の位置まで連れてきた理由だからだ。その強さはずっとライブハウスでそれを繰り返してきたからバンドだからこそ。そんなバンドの強さの要素の中に間違いなく我々の存在と声がある。それを確かめられたこの日、このツアーはやっぱり特別なものだったのだ。これからもこの瞬間を味わうために、めちゃくちゃ生きてやると思うくらいに。
1.キュウソネコカミ
2.邪邪邪 VS ジャスティス
3.御目覚
4.戯我浪費
5.ファントムバイブレーション
6.おいしい怪獣
7.☆断捨離☆
8.FABYOOOOO!!!!!
9.ファッションミュージック
10.TaiFu is coming to Town
11.ウツロウココロ
12.春になっても
13.サクランボウイ
14.推しのいる生活
15.住環境
16.NEKOSAMA
17.ビビった
18.DQNなりたい、40代で死にたい
19.ハッピーポンコツ
20.私飽きぬ私
encore
21.The band
収録
私飽きぬ私
そもそも昨年も対バンツアーで全国を回っていたし、やはり動き続けないと生きていけないバンドであるのだが、今回のツアーが特別なのはタクロウの復帰とともに、観客の声出しが解禁されるということ。フェスではそうした機会も(主に関西で)あったが、コロナ禍以降初めて、時期にしておよそ3年ぶりにみんなで歌えるキュウソのライブが帰ってきたのである。
場内には懐かしの藤井隆「ナンダカンダ」などのキュウソならではと言っていいようなBGMが流れる中、開演前にはヨコタシンノスケ(シンセ&ボーカル)によるアナウンスが。そこでは改めてコロナ禍以降初めての声出し可能ライブということが告げられ、大きな拍手とともに歓声が上がる。みんなこの日を楽しみにしていたことが伝わってくる。
そんなアナウンスから19時を少し過ぎると、おなじみのFever333のラウドなSEでメンバー5人が登場。その姿に早くも観客から上がる歓声を煽ったり噛み締めたりしているのだが、やはりこのタクロウを含めた陣形の均等な立ち位置がキュウソらしくて安心する中、アナウンスでヨコタが
「1曲目を予習してきましたか!?」
と言っていたように、このツアーはタイトル通りに1曲目は「キュウソネコカミ」で始まる。そのイントロが鳴らされると同時にステージ背面にはおなじみのマスコットキャラのネズミ君も描かれているバンドロゴが登場するという、まさに「キュウソネコカミ」という曲にふさわしいオープニングである。
その「キュウソネコカミ」はヤマサキセイヤ(ボーカル&ギター)も
「この5人じゃないとできない曲」
と言っていた通りに、自分たちがどんなバンドであるかを示してきた曲であるが、タクロウのうねりまくるベースとソゴウタイスケ(ドラム)の叩きまくる手数によるビートが「ああ、やっぱりこれがキュウソだよな」と思わせてくれる一方で、その一音が鳴らされた瞬間にゾクッとした。それくらいにその音から気合いが溢れ出ているからだ。キュウソのライブの何が凄いかって、楽しくも面白くもあるけれど、それ以上にただただ鳴らしている音と姿がカッコいいロックバンドであるということを、5人揃ってのこの曲ですでに実感できる。
「追いつめられたネズミは
血だらけになりながら猫を襲う」
というヨコタのボーカルパートではセイヤが
「シンノスケ!」
と叫ぶように振ると、2人で肩を組むという、もうこのライブができていることが嬉しくてしょうがないというような思いがのっけから溢れまくっているパフォーマンスに。それは決めていたというよりは衝動的なものだろうけれど、オカザワカズマ(ギター)の演奏中の動きがいつも以上に大きい(なんならギター弾きながら踊ってるレベル)というのもバンドとしての気合いを表している。もう知らない人にキュウソネコカミがどんなバンドかと言われたらこの日のこの曲の映像を見せればわかるというくらいに。
そんな
「俺の生き様見せつけろ」
のフレーズ通りに生き様を見せつけるような曲から、
「何の曲が来るかな〜?」
といたずらっぽくヨコタが言ったのは、このツアーは事前に公式アカウントが予告していたように、普段やらない曲をたくさんやるという内容だからであるが、まあ言ってもそこまでレア曲というわけではない「邪邪邪 VS ジャスティス」が演奏されたのは間奏で台の上に立ってオカザワとタクロウが演奏し、さらにはセイヤとオカザワによるギターバトル的な演奏もあるという、この5人のグルーヴやアンサンブルを見せつける曲だからだろうか。もちろんそれはツアー初日の序盤にして早くも極まっているのはこのツアー前までも対バンライブなどを重ねてきているからだろう。
すると早くもキュウソの日常的なあるあるっぷりを歌詞にした「御目覚」という、時系列的にはまだまだ新しい曲(2021年リリースの「モルモットラボ」収録)であるが、それでもあまりライブでやっていない曲が演奏されるというあたりからして、このツアーのセトリがただ事では済まないことを予感させる。キャッチーなサビではメンバーに合わせて観客も声を出せるからこそのコーラスが重なるのであるが、そもそもコロナ禍真っ只中にリリースされた曲であるだけに、そうして観客がコーラスを歌っているというのも初めての光景である。曲がバンドにとっての子供のような存在(キュウソはそれらしい口ぶりで曲を解説したりする)とするならば、ようやくその子供を自由に遊ばせてあげることができたかのような。そんな感慨深さがまだまだ序盤から込み上げまくってくる。それくらいにこうしてキュウソのライブで声を出せるのが久しぶりなのである。
それはコロナ禍になる直前にリリースされた「ハリネズミズム」収録の、新たなキュウソのスマホソングである「戯我浪費」もそうであるが、歌えるようになったタイミングでこうして普段ほとんどライブでやらないようなレア曲を演奏するというのは、先にもうこうした曲をやるツアーということは決まっていて、声が出せるようになったのはそれからの社会の流れというか、政府の決定に合わせたものということであるのだろう。それは常に時勢を冷静に見極めてルールを守り続けてきたキュウソらしさである。曲の歌詞はデータ通信が嵩んで通信制限になってイラついているという、Wi-Fiが普及してからはあまり実感できなくなったものであるが。
そんなスマホの曲としてはキュウソは代表曲と呼べる曲も持っている。ヨコタが
「ようやくこの曲をみんなで思いっきり歌えるようになりました!」
と言ってから演奏されたのはもちろん、声が出せない期間はコール&手拍子という、ルールに合わせた楽しみ方を提案して実践してきた「ファントムバイブレーション」であり、ヨコタのスマホの着信音のイントロが鳴らされるだけで歓声が上がるのであるが、当然ながら
「スマホはもはや俺の臓器」
のフレーズでは観客による大合唱のレスポンスが響く。ああ、この曲をキュウソが大好きなみんなで一緒に歌うのがこんなに最高なことだったなんて。そんなことをこんなフレーズで実感できるのは、メンバーも言っていたけれど世界中でキュウソのライブだけだろう。今ならかつてよりもそんなキュウソの凄さがよくわかる。誰も歌わなかったことを歌詞にして、それをみんなで歌えるくらいにキャッチーにしてみせたのだから。メンバーの演奏している表情も、いつも以上にしっかり観客の方を向いてその声を聴くようにしていたのがわかるし、その声を聴いたことによっていつも以上に笑顔になっているのがよくわかる。だからかセイヤの歌いながらのアクションもいつも以上にオーバーだ。それはそのままずっとこの声を待っていたということを示してくれている。
そんな観客の声が聞こえることを、
「これからはこれが当たり前になっていくけれど、今日だけはこれを噛み締めさせてくれー!」
と実感として叫びながら、メンバーの名前を呼ぶ声さえも、
「この前、BLUE ENCOUNTの武道館を見に行った時に、こうやって名前を呼ぶのもめちゃくちゃ久しぶりに聞いたと思った」
と感慨を口にし、それが自分たちのライブでも起こっているということに本当に嬉しそうにしながらも、それでもよりメンバーを呼ぶ声が大きくなると
「うるせー!(笑)」
と一蹴するあたりが実にキュウソらしいというかセイヤらしいというか、素直じゃない感じを素直に出している。
前述の通りにこの日のセトリのレアさや、初めて合唱が起こった曲のことを口にしながら演奏されたのは、やはりこちらも「モルモットラボ」収録ということは、こんなにもみんなで歌うことを想定して書かれた曲だろうに、まだその景色を見ることができていなかった「おいしい怪獣」。今更ながらセイヤは自分でそのタイトルにツッコミを入れていたが、コロナ禍に演奏されては「近い将来にこの曲のコーラスをみんなで歌えるように」と思っていた曲がついにその時を迎えたのである。怪獣の鳴き声的なコーラスであるだけに観客が掲げた腕を怪獣のように(ちょっとMAN WITH A MISSIONっぽい)挙げるのも含めて、その楽しさがついに全開になった曲だ。
そんな、レア曲でありながらもキャッチーだった流れは、レア曲になるのもわかるようなサウンドへと変化していく。初期Arctic Monkeysのようなダークなギターリフのイントロをオカザワが鳴らす「☆断捨離☆」はタイトル通りというか、タイトルそのままでしかない曲であるが、そんなダークな雰囲気で始まり、サビはセイヤの歌唱がヒップホップ的になり、オカザワとタクロウもステージ中央で入り混じるような間奏での演奏から、最後はフォークソングの名曲のような壮大なメロディをセイヤが歌唱して光のような照明に照らされるという、何をどうやったらこんな展開になるんだろうかと思ってしまう、レア曲たるべきレア曲である。ちなみにその展開はメンバーもスタジオでリハをしている時に当時の自分たちを問い詰めたいと思ったという。
そんな「☆断捨離☆」にも潜む怒りの感情を増幅させまくる曲が、実に久しぶりにライブで聴く「FABYOOOOO!!!!!」で、ギターを掻き鳴らしまくりながらタイトルフレーズを叫びまくるセイヤのパンクさが、バンド名通りに噛みつきまくり、尖りまくっていたキュウソの当時の姿を思い出させる。守るべきものも増えただけに、当時よりは丸くなったというか、大人しくなったイメージもあるかもしれないが、本当にそうなっていたらこの曲をこんなにリアリティをもって鳴らせないだろう。つまり今もキュウソはその尖った部分や噛み付く姿勢を失ってはいない。それはより社会における「これはおかしいだろう」と生活者が思うようなことに向けられている。
さらにはヨコタのシンセが煌めくように鳴り、そのヨコタもサビでは飛び跳ねまくることによって観客も踊り、飛び跳ねまくるキュウソ流の狂騒ディスクパンク「ファッションミュージック」と今となってはレア曲となった初期曲が続く。本当にこの時期の歌詞はありとあらゆるものに牙を剥きまくっているが、それでも今聴いてもやはりそのシンセのフレーズもメロディも実にキャッチーであり、そこにこそ変わらぬキュウソらしさがあると言っていい。セイヤの
「くだらねぇ〜〜〜 しょうもね〜〜〜」
というサビを叫ぶような歌唱力は間違いなく当時とは変わっている、進化している部分であるけれど。
そんなレア曲の連打に次ぐ連打っぷりを振り返りながら、唯一マイクがないタクロウの前にもマイクスタンドが置かれたことによってタクロウも至って普通にというか、むしろ楽しそうにこのレア曲たちをスタジオで演奏していた時のことを振り返っている。一時離脱している間もバンドはライブをやり続けてきただけに、こうしたパターンの場合は結局差が開くばかりで戻ってこれなくなるということも多い。それでもタクロウが戻ってきて、しかも「やっぱりこの5人だな」と思えるくらいにタクロウでしかないベースを弾けているのは離脱中もステージには立たずともずっと練習していたりしたんだろうなと思う。だからこうやって戻ってきて、4人と横一線になってライブをやることができているのだ。
そんなタクロウのMCから、
ヨコタ「みんなが知らない曲っていうことは俺たちも演奏してない曲ってことやから、立場は同じやで?(笑)」
と、いやいやあなたたちは作った本人じゃないですかとツッコミを入れるよりも先に笑いが起こる中、
セイヤ「本当に全然やってない曲(笑)」
と言って演奏されたのは「TaiFu is coming to Town」という、この曲ライブで演奏したことあったっけ?と思ってしまうくらいの超レア曲。それだけにメンバーもどこか慎重に演奏している感じもあったのだが、それでもめちゃくちゃリハや練習をしてきたんだろうなと思うくらいに演奏慣れしていない感じは全然しない。フジファブリック「TAIFU」の影響もあるだろうけれど、曲の内容は「学校が休みになるくらいのレベルの台風来てほしい」というキュウソならではのコミカルさを持ったものである。
そんなレア曲祭りを繋ぐようにアウトロでソゴウが四つ打ちを基調としたリズムを叩くとセイヤも
「さぁ、次は何かな?」
といたずらっぽく言い、ヨコタのキーボードのイントロがどこか不穏な空気を醸し出すのはやはりレア曲の「ウツロウココロ」。自分たちの音楽も含めて人の好みはすぐに過ぎ去ってしまうということを歌った曲であるが、その同期も大胆に取り入れてよりスペーシーな雰囲気になった久しぶりのライブでのアレンジも含めて、今のキュウソの表現力によって完成度が引き上げられた曲である。確かに歌詞の通りに特に音楽の流行りや好き嫌いは実に早く変わっていく昨今であるが、ここにいる人たちのキュウソが好きという気持ちはずっと変わることはないはずだ。
さらにはセイヤがギターを下ろしてハンドマイクになると再び同期の音が流れ、どこかキュウソには珍しい「和」の要素を感じさせると思ったら、桜の花の能力者になったかのようにセイヤが紙吹雪を撒き散らしながら歌う「春になっても」へ。実は恒例のキュウソの季節ソングシリーズの1曲であるが、そのセイヤのパフォーマンス含めて、もう少しでそうして桜の花が舞う春の季節が到来するんだよな、ということを実感させてくれるような曲だ。
かと思えば童貞のリビドーが爆発するパンクなサウンドの「サクランボウイ」と、改めてキュウソの作ってきた曲の幅広さを感じさせるセトリになっているし、この曲のどこか切なさも入り混じるような歌詞(「どうして」と「童貞」を空耳的に使ったアーティストは他にいないだろう)に胸が掻きむしられるというか、共感したくなくてもしてしまう人もいるだろうと思うし、どれだけ売れたりフェスのメインステージに立つようになってもセイヤからはこうした曲を歌うにふさわしい空気を感じられる。
そんな曲たちを演奏した後には、マネージャーのはいからさんがセイヤが撒いた花吹雪を掃除するのであるが、本当はリハではサビでステージ真ん中だけに撒くはずだったのが、Aメロからステージ全体に撒きまくるという暴走をしただけにはいからさんがキレ気味で掃除をする姿が面白い。メンバーは「すぐに目立とうとする」と言っていたが、この花吹雪もこの日の昼にセイヤが思いついて急遽用意したものだというだけに、やはり敏腕マネージャーであることは間違いない。MC中にやたら掃除しに出てくるあたりは本当に目立ちたがりだけど。
このブロックで演奏されたレア曲たちは歌詞も独特というか、他のアーティストが歌わない(歌う必要もなければおそらく思いつくこともない)歌詞やテーマであるだけに、バンド内でも歌詞のコンプラを審議されることがよくあったらしいが、特に「TaiFu is coming to Town」は「バンドのコンプラの砦」ことソゴウを通過するのがかなり困難だったという。ある意味ではキュウソの歌詞がヤバい方向に突き抜けていないのはバランサーとして冷静かつ常識人であるソゴウがいるからだとも思う。そのバランスも含めてやはりこの5人でキュウソというバンドなのだ。
そして後半はレア曲だけならず定番曲や代表曲も演奏されていくのであるが、「推しのいる生活」での「わっしょい わっしょい」をみんなでキュウソを称えるように歌うことができるのがこんなに楽しかったとは。それもどこか忘れかけていた感覚であるが、そうして声を出せることでより一層キュウソという我々の推しが尊く感じられる。間奏ではギターソロを弾くオカザワを逆サイドからタクロウが称えるような動きをするというコンビネーションもやはりこの5人だからこそのものだ。
「「思いやりとマナー」の化身みたいな感じを出してますけど、コロナ禍で私は近隣住民の方々に大変な迷惑をかけてしまいました」
というセイヤの実体験をそのまま歌詞にした「住環境」では合唱よりもサビに入る寸前のジャンプを、ということで、フェスやイベントなどだとタイミングがわかりづらすぎてなかなか揃わないジャンプもさすがワンマンということで、観客はメンバーとともに完璧に合わせて跳ぶ。それは別にコロナが、とか声出しが、とか関係ない部分であるけれど、それでもこの曲もこの日に最大限の力を引き出されたような感覚が確かにあった。
さらにはセイヤが
「定番曲じゃないのに定番曲みたいなツラをしている曲」
と紹介したのは、ライブでやる頻度が減ってもサビで観客が腕を左右に振るという楽しさはすぐに思い出せる「NEKOSAMA」であり、それは間奏での「ネコ踊る」のシンセのリフをリプライズして「ニャー!」と飛び跳ねる部分もそうである。セイヤのネコポーズなども含めて、楽しいながらも一挙手一投足が見逃せない曲でもある。この盛り上がりっぷりは確かにあたかも毎回ライブでやってる代表曲のようですらある。
そんな曲たちもこの日を迎えるまでは3年間、望む姿で演奏されたり楽しんだりすることは出来なかった。セイヤは
「あの1m距離を離して、バンドの前にアクリル板置いたりとか意味あるんかこれみたいな時期のライブもあったりして。ルールなんか知らん、みたいに我が道を行くバンドを羨ましく思う時もあったりしたけど、ルールを守り続けてきたバンドとみんなのおかげでこういう日を迎えることができた」
とルールを守り続けてきた果てにこうしたライブを行うことができるようになった実感を口にする。
めちゃくちゃやってきたようなイメージもあるキュウソであるが、バンドがライブにおいて掲げているのが
「楽しくても思いやりとマナーを忘れるな」
であることからもわかるように、誰よりもライブに来る観客とその周りの人のことを考えてコロナ禍以降もライブをやってきたバンドだ。ルール無視のめちゃくちゃなライブを今の時勢で行うことによって悲しんだりしてしまう人たちの顔だってきっと浮かんでいるはず。それをわかっているからこそ、ルールを守り続けてきた。もしかしたらそれは「ロックじゃない、パンクじゃない」と旧来的なイメージから言われるかもしれないが、周りに流されることなく自分たちの意思を貫き通してきたという意味では誰よりもロックでありパンクなバンドだと自分は思っている。
そうして守り続けてきたことによって観客が声が出せるようになったことをオカザワは
「これから声出せるのが普通になったら、フェスとかで他のバンドのファンを驚かせるくらいに声出していこうぜ!」
と、驚くくらい熱い一面を見せる。年齢的にも後輩というか末っ子的なイメージが強いオカザワであるが、音でこのバンドのロックさを引き出してきたのはこの男であるし、この日のライブをやってまた新たな確信を得ることができたんじゃないかと思う。
そんなMCの後には
「もうあと少しで終わるけど…」
というセイヤの言葉に対して「えー!」という歓声が上がる。それすらも実に久しぶりであるだけにセイヤがもう1回同じことを口にしたり、ヨコタにパスしたりする中で演奏された「ビビった」ではイントロからヨコタが思いっきり高くジャンプするようにしながらシンセを弾く。それくらいに溢れ出しているものがあった。それは観客も同じだからこそ、間奏では「こんなにみんな高く跳べるの!?」と思ってしまうくらいに観客が飛び跳ねまくる。声を出してきたことによって、今までのコロナ禍のライブよりも圧倒的に、今まで眠っていた自分の身体のフィジカルな部分が目覚めているのがよくわかるし、それはバンドの演奏の熱さによってさらに引き出されたものでもある。特にセイヤの
「なめんじゃねぇ!」
という叫びに宿る気迫。一緒に歌うことが出来なくても楽しめる、バンドの地力の強さがあるということを示し続けてきたコロナ禍以降のキュウソのライブであるが、これが本当のキュウソのライブなんだということをその姿と音で示しているかのようだった。
そしてコロナ禍には演奏されていなかった、かつてはおなじみのコール&レスポンスが繰り広げられていた「DQNなりたい、40代で死にたい」がイントロから凄まじい熱気で鳴らされる。去年のRUSH BALLでは演奏されていた(声出し可能だったから)らしいが、キュウソの象徴と言えるようなこの曲も自分がライブで聴くのは3年ぶりだ。東京でのワンマンはきっとそういう人ばかりだっただろうけど、
「一つ言いたいのはドン・キホーテは貴様らの溜まり場ではないぞ!」
のフレーズでは驚くくらいに自然に観客の声が揃う。セイヤも
「よくみんな覚えてたな!」
と驚いていたが、それはきっともう脳内や精神や細胞に刻まれてるくらいに何度となくこのフレーズを歌ってきたからだ。だから身構えなくても自然に歌える。さらには
「このフレーズを叫べるのは世界でここだけ!」
と言って実に久しぶりの
「ヤンキーこわい」
のコール&レスポンスも行われ、セイヤも驚くくらいの声量が返ってくる。バンドが音を止めて我々の声だけが響くからこそそれがわかる。この声だけは、どんなものでも代わりにはならない。それをわかっているから、バンドは声が出せない時にはこの曲をやらなかった。いつかその日がまた来ることを信じての約束の曲として。それがついにこの日果たされたのである。セイヤが
「ありがとうー!」
と叫ぶと観客はバンドの音に合わせてさらに飛び跳ねまくり、腕を左右に振る。かつてはネタというか飛び道具的な存在であったこの曲にこんなに感動してしまう日が来るなんて全く思ってなかった。それくらいにキュウソにとっても、ファンにとっても大事なこの曲を、これから先はまた何回だって聴くことができる。両手を合わせることでウォールオブデスを表現するのだって、体が全然忘れてはいなかった。
そんな今までとは全く違う「DQN〜」がクライマックスを生み出すと、ソゴウがドラムを力強く連打する。それはもちろん「ハッピーポンコツ」が演奏される合図であるのだが、曲前にはヨコタが涙ぐみながら
「やっぱり俺たちはみんなの声が聞きたいバンドなんだ!」
と叫ぶ。以前SiMのMAHが
「バンドにはそれぞれ自分たちの見たい景色がある」
と言っていた。ラウドバンドであるSiMにとってのそれはモッシュやダイブであり、キュウソにとってはこうしてみんなが歌って、楽しそうに踊っている姿を見ることなんだと思う。そんなバンドが見たい景色がまた見れたことによって感極まっていたのだろうし、このブロックの前のMC中にステージをウロウロしていたのもすでにその時に込み上げてきているものがあったのかもしれないと思う。
この日の1曲目の「キュウソネコカミ」やCDJの1曲目に演奏された「5RATS」は「この5人じゃなきゃできない曲」とされている。タクロウ不在だったという意味では自分にとってはこの曲も紛れもなくそんな曲だ。サビ前に台の上に立ってベースをうねらせ、ブレイクでは観客に向かってポーズを取る。サポートを入れていた時にはギターをそこに重ねたりしていたが、この瞬間はやはりタクロウのためのものだ。(それをわかっていてサポートを引き受けた空きっ腹に酒のシンディには本当に感謝してもしきれない)
その瞬間が声出しとともにワンマンのライブでも戻ってきて、タクロウが楽しそうな顔をしているのを見ることができるのが本当に嬉しい。やはりヨコタはソゴウのドラムセットに回ってちょっかいを出していたりしたが、そうしたこの曲における全ての瞬間がこの5人だからこそのものであるし、そんな光景を見せてくれるこの曲はまさに全人類に広がれば、ハッピーポンコツになれるんじゃないかと思ったりもする。
それでもまだライブは終わらず、最後に演奏されたのは
「この曲をみんなが歌えるようになったタイミングでリリースできて本当に良かった!」
と言ってから鳴らされた、発売が決まっているアルバムに先駆けて配信された「私飽きぬ私」なのであるが、配信開始された時に聴いて、この曲はキュウソなりのGOING STEADY「童貞ソー・ヤング」へのリスペクトでありオマージュなんじゃないかと思った。イントロのオカザワのリフも、セリフ的になる部分も、我々が一緒に歌う
「不安だ不安なんす」
のコーラスでの拳が振り上がる様も。キュウソは前になんばHatchで行われた銀杏BOYZのライブにメンバー全員で見に来ていたし、かつては「あいどんわなだい」をライブでカバーしたりもしていた。5人に戻ったこのタイミングで自分たちの原点に真っ向から向き合うということだろうか。ライブで聴くことによってギターのサウンドがよりハッキリと聴こえるだけによりその思いは強くなったが、そのかつて青春パンクと呼ばれていたバンドの遺伝子が「わかってんだよ」「The band」に連なるキュウソの熱い部分を引き出している。つまりはその曲たちと同じようにこれから先も我々の足を明日に踏み出させる力をくれる曲になっていくということだ。
そんなあまりに熱い本編が終わってメンバーが捌けると、自然発生的に客席から
「ヤンキーこわい」
の合唱が始まる。ああ、そうだ、キュウソのワンマンのアンコール待ちはこうだった。メンバーも「思い出した」と言っていたけれど、ずっとキュウソのライブに来ていた人たちがコロナ禍になってもライブに行き続けてきて、かつてのこうした光景をずっと覚えている。それは紛れもなくバンドとファンの強い絆と、忘れられないライブの記憶によって生まれたものだ。感動しっぱなしだったこの日で1番感動したのはこの瞬間だったかもしれない。
そうしたアンコールに応えてメンバーが再びステージに現れると、セイヤはオレンジのロンTに着替えて登場し、繰り返すように
「これからはこれがまた当たり前になっていくから、今日だけは最後までこの話をさせてくれ!」
と観客の声によって得ることができたものを口にする。そしてその熱さが「The band」に繋がっていく。こうしたライブハウスで互いにコミュニケーションが取り合えるロックバンドであるということ。
「リアルタイムで出会えたから ライブが見れるの最高だね」
というフレーズが、リアルタイムで見てきたコロナ禍のキュウソのライブを思い出させる。コロナ禍になって全然ライブに行かずにこの日を迎えていたら、きっとこんなにも感動してない。少しずつ、一つずつバンドと我々が積み重ねてきたものをこの目で見てきたから、こんなにもこうしてコーラスで大合唱できるのが嬉しくて、尊くてたまらなくなるのだ。
「心の底からぶち上がりたいんだ!!!」
のフレーズ通りに、もう明日声が涸れてしまっても後悔はないくらいにぶち上がっていた。それはキュウソのライブがそうさせてくれたのだ。やっぱりいつだってキュウソのライブは明日からの生活を生き抜いていく力を与えてくれる。
ライブ後には事前に告知されていた通りに、テレビの音楽番組の収録が行われる。どの番組なのか、どの局なのかもわからなかったが(バズリズムあたり?)
「ライブハウスに声が戻ってきているっていう代表を俺たちのライブでやってもらうんです!」
というヨコタの言葉によって観客の熱さはライブと同じかそれ以上と言っていいくらいになるのであるが、それはコーラスを再度練習してから再び「私飽きぬ私」をフルでライブで演奏したからだろう。そう、この曲はきっとこれから先に振り返った時に「キュウソがライブで声を取り戻した象徴の曲」になっていくはずだ。去り際にセイヤは終演BGMとして流れたこの曲で再び歌い、最後には観客に投げキスまでした。そうしたくなるくらいに、これからのキュウソのライブにおける大きな転換点になる日だった。あの最高に楽しいキュウソのライブをバンドと我々で一緒に取り戻したのだから。
その「観客が声を出せる」というのがあまりにも大きなトピックス過ぎて忘れてしまいそうになるが、主題は「この5人でバンドの歴史の中でのあらゆる曲を演奏するツアー」だと言える。とかくそうしたセトリになるとそのセトリのレアさだけが強調されがちだが、レアなセトリだとしてもライブそのものが良くなければ良いライブにはならないし、逆に飽きるくらいにやりまくってる定番曲だけをやってもいつもより圧倒的に良いライブだと思えるライブもある。
で、この日のキュウソのレアセトリのライブがどうだったかというと、やっぱりキュウソには普段ライブでやらなくても、良い曲や面白い曲がたくさんあるなと実感させるとともに、そんな曲たちをこんなに熱く、慣れていない感じ全くなしで演奏できるキュウソはやっぱりとんでもなくカッコいいロックバンドだと思った。
それは何よりも曲を作って演奏するということこそが観客を熱狂させ、バンドを今の位置まで連れてきた理由だからだ。その強さはずっとライブハウスでそれを繰り返してきたからバンドだからこそ。そんなバンドの強さの要素の中に間違いなく我々の存在と声がある。それを確かめられたこの日、このツアーはやっぱり特別なものだったのだ。これからもこの瞬間を味わうために、めちゃくちゃ生きてやると思うくらいに。
1.キュウソネコカミ
2.邪邪邪 VS ジャスティス
3.御目覚
4.戯我浪費
5.ファントムバイブレーション
6.おいしい怪獣
7.☆断捨離☆
8.FABYOOOOO!!!!!
9.ファッションミュージック
10.TaiFu is coming to Town
11.ウツロウココロ
12.春になっても
13.サクランボウイ
14.推しのいる生活
15.住環境
16.NEKOSAMA
17.ビビった
18.DQNなりたい、40代で死にたい
19.ハッピーポンコツ
20.私飽きぬ私
encore
21.The band
収録
私飽きぬ私
The Grand Year Of Top Beat a flood of circle / SIX LOUNGE 2/15 @TOP BEAT CLUB ホーム
ヨルシカ LIVE 2023 「前世」 @日本武道館 2/9