ハルカミライ 「ヨーロー劇場 -futures-」 @日本武道館 2/1
- 2023/02/02
- 19:23
すでにこの規模を上回る幕張メッセでも2回ワンマンをやっているし、この会場のステージにもすでに対バンライブで2回立っている。ワンマンをやる前に友達の主催ライブ(Saucy Dogの武道館での対バンライブ)とずっとライブハウスで一緒に戦ってきたバンドたちとの対バンを行っているというのが実にこのバンドらしいが、ついにやって来たこの日がハルカミライ初の日本武道館ワンマンである。
会場に入るとステージの作りは左右にスクリーンこそ設置されているし、背面にはバンドのロゴが何重にも重なるように三角形の鉄骨と照明が組まれているが、あくまでも普段のライブハウスでのハルカミライのライブの延長と言っていいような作りだ。アリーナも座席が設置されているとはいえ、ハルカミライのライブは大きなライブハウスに来たという感覚になる。
満員の観客がウキウキしながら、でもどこか緊張感もある中で開演時間の18時半を少し過ぎたあたりで場内が暗転すると、観客が一斉に立ち上がる中でカントリー調のSEが流れたことによって観客も少しどよめく中で普段のライブと全く変わることのない出で立ちの関大地(ギター)、須藤俊(ベース)、小松謙太(ドラム)が登場。小松はすぐにドラムセットに立ち上がって、
「武道館ー!」
と叫んで観客の拍手と歓声を浴びる。そういえば、ハルカミライのライブで観客が声を出せるというのはコロナ禍になる前以来だ。それだけで少し心が震えるのがわかる中で、橋本学(ボーカル)がおなじみの巨大なフラッグを手にして登場すると、
「やってきたぜ、武道館ー!」
と叫び、関がギターを鳴らすとおなじみの「君にしか」からスタート。橋本は飛び跳ねまくり、須藤はステージを歩き回る姿もしっかりスクリーンに映っているのだが、やはりこのバンドはスクリーンに映る1人1人よりも、バンド全体をしっかり見ていたいなと思うし、画面越しじゃなくて自分の目でしっかり生の4人を見ないともったいないなと思う。それくらいに肉眼で見る4人はエネルギーが溢れ出ている。
そのまま「カントリーロード」へと繋がるという鉄板の流れではステージ背面の電飾が「HARUKAMIRAI STAY SUPER FUTURE」という文字を映し出す。それはそのままこのバンドの10周年を祝うものであり、曲中に
「やっぱりこれだわ!ライブやってる時が1番生きてるって思える!」
というこのバンドの生き方を肯定するかのようでもある。後のMCでも言っていたが、珍しく3週間ばかりライブが空いただけに、よりそう思えた部分もあったのかもしれない。
関のギターが少し噛み合わずに、
「そんなくらいじゃできないよ〜」
と須藤が言ってやり直すという(この曲にしては)珍しい場面もあった「ファイト!!」で観客もメンバー同様に飛び跳ねながら拳を振り上げるのであるが、ハルカミライのライブだととかく「「ファイト!!」を何回やるのか」というところに焦点が当たりがちであるが、この日は結果的にこの1回だけだった。それはそうしたギミック的な部分よりも、自分たちが10年間で生み出してきた名曲たちを多くこのステージで鳴らしたいという思いもあったんじゃないだろうか。そういう意味では橋本が
「ライブハウスでやってるみたいだ」
とは言いながらも、やっぱりどこかいつものライブとは違うような感覚が確かにあった。それは武道館に合わないとか、ライブの調子が良くないとかじゃなくて、ただただこのライブが特別なものになるという感覚が。
橋本と須藤のコンビによるタイトルコールの後に小松のツービートが疾駆し、関のコーラスも重なる「俺達が呼んでいる」と続くのはフェスなどでもおなじみの流れであるが、この曲の締めの
「永遠の一瞬を探す旅だよ」
というフレーズがいつも以上に胸を射抜いてくるのは、まさにこの日がそんな旅の一つの到達地点であり、橋本も
「何曲やるか決めてきてない(笑)でも一瞬だよ、きっと。それは永遠の一瞬だ」
という言葉を後で口にしていたからである。つまりこのバンドはやはりメンバーの思考や人間性がそのまま言葉になり、音楽になっているバンドなのだとわかる。だから青臭さすら感じられるような歌詞すらも絶大な説得力を持って響いてくるのである。
そんな「俺達が呼んでいる」と繋がるようなライブアレンジもお馴染みなのはショートチューン「フルアイビール」であるが、先ほどまでの電飾の文字がこの曲では
「FULL EYE BEER」
という曲タイトルを示すものに変わっている。よく見ていないと見落としてしまいそうなくらいにさりげない演出だけれど、だからこそあくまでもメンバーの演奏がメインであり、それを輝かせるというような演出でもある。それはバンドのスタッフも含めたチームがハルカミライのライブで1番見せるべきもの、見てもらいたいものはなんなのかということを完璧に共有できているからだろう。
バンドは昨年末にEP「Symbol 2」をリリースしており、そのボーナスディスクには過去の曲の再録バージョンが収録されているのだが、その1曲である「革命前夜」がこの武道館のステージで鳴らされる。目が眩みそうなくらいに激しく明滅する照明がメンバーの姿をコマ送りで見せているかのように光る中で橋本は着ていた白いTシャツを早くも脱ぎ捨てる。今まであまりそう感じた事はなかったけれど、体がかなり筋肉質なのはきっと自身が良い歌を歌うためなんだろうなと思う。それくらいに橋本の歌はこの武道館の高い天井に届くように、そこを突き抜けるくらいにしっかりと響いている。
しかしそんな橋本は歌いながらもスタンド席の観客が扉から出て行ったのを見ていたようで、
「トイレかな?戻ってくるまで待ってる?(笑)」
と武道館とは思えないくらいにリラックスしたような雰囲気でメンバーと観客に問いかけるのであるが、須藤が曲タイトルをコールするとすぐさま小松のトライバルなリズムのドラムが鳴らされ、メンバーも観客も「オーイェー!」と叫び、曲中でコール&レスポンスのようになるのを返せるのが実に嬉しくて楽しい「フュージョン」から、
「この指止まれ」
という歌い出しに合わせて、それまでは拳を突き上げていた観客たちが人差し指を高く突き上げる「エース」とショートチューンが続く。スクリーンには小松のドラムセットを真上から映す映像も映し出されることによって、武道館のステージの、そしてハルカミライのライブの立体感を感じさせてくれる。
そんなショートチューンの最中に先ほどトイレに行ったと思しき観客が手を振って戻ってきたことをバンドに知らせると橋本もより嬉しそうな顔になって、メンバーそれぞれのことを歌った曲である「QUATTRO YOUTH」を演奏し、このQUATTRO(4人)だからこそ、最後には全員の声が重なっていく。やっぱりハルカミライはこの4人でしかハルカミライではないし、この4人ならば何をやってもハルカミライになるんだよなとも思う。
まだまだライブは始まったばかり(体感的にも他のバンドの10曲だともう中盤という感じだが、ハルカミライの10曲はまだ序盤である)の中で早くも一つのクライマックスを生み出すように、
「最先端でも最前線でもなくてもいい。小細工も変化球もいらねぇ。狙うはど真ん中ストレート!」
とバンドの生き様を叫んでから「春のテーマ」が演奏される。それはやはり歌い出しからメンバーだけでなく観客がみんなで声を合わせて歌うことができる曲だから。この日本の一つの象徴とも言える場所である武道館でこの曲をみんなで歌う光景を見ると、まさにここが世界の真ん中だって思える。寒波に見舞われる中でもこの日が久々に10°Cを超える気温になったのは、このバンドが少し早い春を連れてきたかのような。そう思える特別な力がこのバンドには確かにある。
「初めて見にきた人もいると思う。彼女が「ハルカミライ!ハルカミライ!」ってうるさいからついてきた人とか(笑)でもそんなに凶暴なバンドじゃないから(笑)
俺達、2回もう武道館に立ってる。友達に誘ってもらったりして。人望が厚いバンドだから(笑)」
と笑わせながらも、この日のライブがきっと一瞬で終わってしまうということを橋本が口にしてから、小松が激しくドラムを連打し、橋本が腕を高く挙げてタイトルフレーズを歌い上げる「幸せになろうよ」からは少し雰囲気が変わる。というのは明らかにここからはフェスなどではあまり演奏しない、ワンマンだからこその曲が演奏されていくことになるのがわかるからだ。
それは穏やかに鳴らされる関のギターに橋本が歌を乗せるという弾き語り的な形から曲が進むにつれてバンドサウンドになり、ハルカミライらしいロック・パンクのスピードを獲得していく「星世界航行曲」もそうであるが、この曲での薄暗い中で星が煌めくような照明も曲の魅力をさりげなくも最大限に引き出しているし、ハルカミライが実にロマンチックなバンドであるということを感じさせてくれる。
パンクというよりもメロディアス、そしてやはりロマンチックな関のギターサウンドと橋本のタイトルコールによって始まる「ウルトラマリン」ではやはり
「1番綺麗な君を見てた」
というサビのフレーズに合わせて観客が人差し指を掲げるのであるが、その1番綺麗なものはこの景色だって思える。でもやはりその景色を作っているのは観客1人1人であり、メンバー1人1人であり、スタッフの1人1人でもあるわけで、やはりそれは誰しもが「1番綺麗な君」なのかもしれない。今まで何度となくライブで聴いてきたこの曲でそう思えたのは、やはりこれが武道館だからだ。前も横も上も、観客がいる場所が全方位ハッキリと見えるこの場所だから。
そのまま続け様に演奏された「Predawn」では
「待ち侘びてた 春が来ること」
から始まる合唱フレーズで橋本がドラムセットのライザーに立って指揮者のように手を振る。関と須藤がマイクスタンドを移動してその橋本の指揮を見ながら歌う。それは観客の歌声もそうだ。だからこそ橋本は曲入りをこのフレーズから始めたのかもしれない。この合唱をこの武道館で聞くために。我々が声を出せるようになってからこの日を迎えることができて本当に良かったと思った。
そんな指揮者となったなった橋本は、普段母親からよく手紙を貰うものの、この日は父親からも手紙を貰ったことを明かす。そこには
「3人兄弟の全員を等しく愛せてきたかはわからないけど、学の父親であることを誇りに思う」
と書かれていたという。そんな感涙必至な内容であるが、それはそのまま橋本が親や家族の愛を目一杯注がれて育ってきたんだなということを感じさせてくれる。以前インタビューで、よくあるロックスター的な人生を歩んできていない、至って普通の家庭でちゃんと親に愛されて生きてきたということを話していたが、そんな人生を送ってきてもロックスターになることができるということを橋本はその身を持って示してくれている。ロックスター全てが破滅的だったり悲しい人生を送っている必要はない。愛に溢れたロックスターだっている。それはこの日我々の目の前に確かにいたのだ。
メンバー全員でサビをアカペラで歌ってからバンドの演奏に突入することによってより爆発力を発揮するショートチューン「Tough to be a Hugh」を演奏すると、何故か曲終わりで客席から「ワンモー!」という声がいくつも響き、
須藤「ライブ終わったわけじゃないから(笑)アンコール待ちじゃないから(笑)」
と言いながら、本当に「Tough to be a Hugh」をもう1回演奏する、しかも2回目は最初からバンド演奏という形で同じ曲でも演奏方法を変えるというあたりもさすがである。いつもよりもきっちりと流れを組んできたであろうこの日の内容の中で数少ない、その瞬間のテンションでダイレクトにライブのながれ変わっていく瞬間だった。
そんな中でも橋本は
「俺の歌、めっちゃいいじゃん?って言うとおかんに「もっと謙虚になりなさい」って言われるんだけど(笑)でもめっちゃいいじゃん?(笑)
この曲をやるとは思わなかったけど、やるべきだとも思っていた」
とやはり母親からの愛情を感じさせるMCをしてから演奏されたのは、その橋本のファルセットを交えた歌唱が自分で言うのも納得できるくらいに見事な「21世紀」で、「裸の電球」というフレーズに合わせたかのような、薄暗い部屋を電球が照らすようにして始まると、「室外機」というフレーズに合わせてか、文字が映し出されていた電飾がプロペラのような形を作りながら回転する。それはバンドの音を、ここで鳴らされたこの曲を後押しするような追い風を生み出しているかのようだった。
その自画自賛するくらいの橋本の歌の見事さは続く「Mayday」の歌い出しからの高低を行き来する、歌うのが実に難しい歌唱にも存分に発揮されていたのだが、橋本は
「上手ければいいってもんじゃないと思ってる。マイクをギュッと握りしめて顔をしかめて歌うエネルギーっていうか。そういうものの方が大事」
と、ハルカミライのライブの核心になることも口にしていたけれど、それでも橋本の歌はやっぱり上手い。上手い上にその人間としての、橋本学としての優しさや強さが歌に乗っているからこそ、パンクバンドの中で頭ひとつどころか何個も抜けるような、この武道館でワンマンができるようなバンドになれたのである。
それがさらによくわかるのは、真っ赤な照明がこの曲で歌われている愛の情念の濃さや熱さを感じさせる「ラブソング」。それは橋本のボーカルはもちろん、メンバー全員が重ねる声からその強大なエネルギーを感じることができるからだ。
「だから君の全てをくれよ」
というフレーズの通りに、このバンドに時間や金銭などを捧げるようにライブに行きまくっているような人もたくさんいるはずだ。小さいライブハウスでのチケットがもう少し当たりやすければそうしたいのに…とも思うけれど、そのメロディと歌と演奏だけで武道館を泣かせる、感動させることができる力をこのバンドが持っているということを確かに示してくれていた。
すると、この武道館でのワンマンが発表された時の、武道館の前で撮影した写真を撮った時に男性の人に話しかけられたのだが、その男性が情報解禁までに全く情報を流出させなかったという、昨年八王子のJ:COMホールでのワンマン時に口にしていたエピソードを話し、その男性がこの日来ているかどうかを確認するのだが、残念ながらこの日は来ておらず。それでもその男性に拍手を送るあたりがさすがハルカミライと思うところなのであるが、その男性に捧げるために作ったというのはさすがに嘘であるのは「Symbol 2」のボーナスディスクで再録された1曲である「city」。まだパンクの要素がほとんどない、歌モノギターロックバンドという要素が強かった頃のハルカミライの曲。だからこそメロディの良さがしっかり感じられるし、最後に全員でボーカルを重ねる部分からは、この曲でのアレンジやアイデアが今に連なっていることを感じさせる。それは10周年を記念したものでもあるこの日のライブに実にふさわしいものである。
過去の武道館でのライブでも演奏されているが、まさにこの曲のコーラスはこうして観客が一緒になって歌えるからこそ、この日ここで演奏されたかのような「光インザファミリー」がここにいる全員で一つの大きな家族であるかのような包容感をもって鳴らされる。バラードや聴かせる曲というわけでもないけれど、それでもそう感じられるというのはやはりハルカミライの優しさがあってこそだ。まさに光が射すような照明も素晴らしく、メンバーがより一層輝いて見える。
「東京は狂ってるらしい」「だけど優しい人も」
というサビのフレーズはこうして聴くと共感というより実感しかない。
この日橋本が何度か言及していた、武道館の天井から吊るされているこの会場の象徴とも言える巨大な日の丸がどこか赤からピンクに色が変わって見える気がするのはハルカミライの極上のラブソング「ピンクムーン」。どこかメンバーの演奏も弾けるというよりもどっしりとした、武道館に立つバンドとしての貫禄を感じさせるものになっているが、橋本は曲中で
「いつも聴いてるラジオでこの曲がかかったんだ。やっぱり良い曲だなって思ったし、めちゃくちゃ嬉しかった!」
と感慨を口にする。そんなタイミングの合致っぷりこそがハルカミライが「持ってるバンド」であることを示しているし、
「君より早く死なないから 僕より早く死なないでね」
という、一度聴いたら忘れられないこのフレーズの通りにバンドと我々がこれからも互いに長く生きていくことができたらと思っている。
「俺はバンド始めるまではライブハウスに行ったことがなかった。きっと今日初めて来た人にもそういう人がいると思う。その人たちがライブハウスに来た時に、温かく迎えてあげようぜ」
と言って拍手を受けながら、
「ああ僕のこと 君のこと 話は尽きないほど」
と橋本がアカペラで歌い始めたのは「世界を終わらせて」で、そのアカペラ歌唱の後には
「俺の育った実家は田舎すぎて、横浜アリーナとか幕張メッセも、夏フェスも冬フェスも全然知らなかった。でも武道館は知ってた。
「いつ紅白出るの?」とか「テレビ出るの?」って言ってくるばあちゃんも武道館は知ってる。大層な理由なんかなくていい。誰かが喜んでくれるなら、それが1番の理由になる」
と口にする。その言葉がリアリティしかないのは、ここにはハルカミライが武道館でワンマンをやってくれたことに喜んでいる人たちが集まっているからだ。そんな人たちがこの曲のサビで一気に拳を振り上げて飛び跳ねまくる。その最高な景色を見て、我々を喜ばせてくれたメンバーたちが喜んでくれてたらいいなと心から思う。
すると橋本がタイトルコールをした後に電飾が
「We are PEAK'D YELLOW」
という文字に変化するのはもちろん「PEAK'D YELLOW」で、やはり武道館は制約が多いのか、いつもと違ってステージ上をよじ登ったりしなかった関もこの曲では衝動に任せるようにして小松のドラムセットにダイブする。それでも関はギターを弾き続け、小松はドラムを叩き続ける。それはこのバンドが明るい場所を探し続けてきた結果がやはりこのステージであり続けたということだ。だからハルカミライは止まらずに音を鳴らし続けるのであるし、
「へいへいほー」
という文字にすると間抜けな感じもするコーラスをみんなで拳を振り上げて歌うことができたのは本当に感動してしまうものだった。この曲のパンクさを発揮できるライブが少しずつ戻ってきているんだと。
そんな曲終わりでは小松もステージ前に出てきて、4人が並ぶように立つ。まるでライブが終わった後のような光景ですらあるが、まだライブが終わらないというのはわかっているし、橋本は
「なんか、モテなそうな兄ちゃんもいっぱいいるけど、きっとあんたの良いところをちゃんと見つけて愛してくれる人がきっと現れるよ。つまりはやっぱり大事なのは中身だ。顎がシュッとするアプリみたいなやつ、俺は使いたいとも思わない。そのままがいい。でも使わないで言うのもなんだから、この後に小松が使います(笑)」
という、やはりこれもまたハルカミライの本質を言い当てるような言葉を口にしてから演奏されたのは、
「俺たちの日記のような歌」
という「赤青緑で白いうた」。歌い出しでは照明が緑になり、スクリーンには須藤がアップで映し出され、照明が青になると小松、赤になると関…というメンバーのパーソナルカラー(小松はこの日はずっと青いジャケットを着たままだった)でそのメンバーをフィーチャーするような演出は今の「QUATTRO YOUTH」と言えるようなものだ。それが今なのは、パンクとは対照的な穏やかなサウンドでそれを表現することができているから。ある意味では「ハルカミライのテーマ」と言ってもいい曲かもしれないし、この曲がこれからもバンドの支えになっていくんだろうなと思った。
そんなクライマックス的な曲が次々に放たれては更新されていく後半で、橋本は曲の最後のフレーズをアカペラで歌い上げてからバンドの演奏に突入していく。それは「宇宙飛行士」のものであり、この曲では橋本が
「せっかくだから座って聴いてくれ」
と言って観客を座らせる。スクリーンにもメンバーの姿は映らない。電球のような照明がステージを微かに照らす光景はまさに宇宙空間の中でハルカミライのライブを見ているかのようだった。ただただこの音と、それを鳴らすメンバーの姿にだけ集中する。それは観客が座った状態だったからこそ。熱狂とはまた少し違う、ある意味ではコロナ禍の状況で進化した、ハルカミライの姿。
その「宇宙飛行士」と繋がるストーリーを持つ「アストロビスタ」がそのまま続けて演奏されるのもワンマンならではであるが、
「眠れない夜に俺たち ハルカミライを組んだんだ
みんなが誇れるようなバンドに 少しずつなれてきたんだ」
と橋本が歌い出しのフレーズを変えて拍手が起こると、バンドの演奏になったのを合図に観客が一斉に立ち上がる。そしてこれまでにも数々の名言を生み出してきたこの曲の最後のサビ前では
「1つしかないものを誰かに渡すと、それはなくなっちまう。でもそれを誰かに渡してもなくならないものもある。それは今日みたいな日の幸せだー!」
と叫ぶ。その叫びの後には「宇宙飛行士」のフレーズをそのまま全て歌う。それはきっと橋本のアドリブだったのかもしれないが、須藤もすぐさまそれに合わせてコーラスするというのは、心が通じ合ってて、誰よりも信頼しあっているこの2人だからこそなんだろうなと思った。この日の幸せを自分は誰かに渡すことができるだろうか。もしここまで読んでくれている人に渡せていたとしたら実に嬉しいことであるし、それは渡しても自分の中からは決してなくならない。橋本は我々がハルカミライのライブを見た時に抱える、言語化できないような思いをステージ上から発してくれているかのようだ。
そんなクライマックスのピークと言っていいような「アストロビスタ」を演奏してもなお終わらず、
橋本「俺の実家にみんなで来ると庭のブランコに小松が全裸で乗ってたりする(笑)」
小松「あれ気持ちいいーんだ(笑)」
という仲が良すぎるエピソードで笑わせながら、Aメロ、Bメロからサビで急激にドラマチックに、まさに東京の夜景が一気に脳内に広がっていく「ベターハーフ」が、やはりステージ、場内が夜の情景を描き出すような照明の中で演奏される。歌詞に出てくる東京タワーから決して近いとは言えない場所だけれど、でも武道館も東京タワーとともに東京の象徴と言えるような場所だ。そんな場所でこの曲を聴いた我々はやっぱりハルカミライに、心がずっとさらわれたままなのだ。
そんなライブもついに終わりの時が近付く。最後とばかりに演奏されたのは、バンドが演奏している姿の上にエンドロールクレジットが重なるように流れるのがイメージできるような「パレード」。それはやはりこの日のライブが「愛のパレード」であり、我々はそのパレードに参加することができたんだよな、と改めてこの日のライブを思い返す。30曲近く演奏しても本当にあっという間だった。本当に一瞬の永遠のように、これから忘れないような瞬間がいくつもあった。それは
「年を重ねてもずっとずっと灯は消えないよ」
というフレーズの通りに。
としんみりしていたら最後にショートチューンの「To Bring BACK MEMORIES」を追加して、橋本が思いっきり叫ぶ。やっぱり最後に我々もバンドも燃え上がらせて終わらせてくれる。だからこそメンバーがステージから去っていく姿を見て、どこか爽快感のようなものを感じていたのだ。
少し間が空いてのアンコールでメンバーが全く変わらぬ出で立ち(この日限定のTシャツを着たりすることすらない)で再び登場すると、須藤が目の前に置かれたキーボードの音を鳴らしながら
「何が聴きたい?」
と観客にリクエストすると、まずはショートチューンの「THE BAND STAR」を一瞬のうちに鳴らすと、さらにはまさかの「君と僕にしか出来ない事がある」という予想もしていなかった曲までも演奏される。個人的にはこの曲はどこかサンボマスターの影響(「奇跡がやって来ないはずがねぇ」のフレーズでの合唱など)を感じさせると思っているのだが、それでもやっぱりハルカミライならではの曲だなと思うのは
「そして奇跡にすら起こせやしない
君と僕にしか
出来ない事があるんだぜ」
とこの曲が結ばれること。奇跡という運によるものではなくて、10年間かけて積み重ねてきた力や、築き上げてきた関係性。そんな持ちうる全てのものを使って、ハルカミライと観客は今この瞬間でしかない景色を作り続けてきた。それが曲は同じだとしても毎回全く違うものだからこそ、ファンはみんな日本中のあらゆる場所にハルカミライのライブを観に行く。それはこれからも間違いなくさらに大きな想いとなって続いていく。
須藤がタイトルをコールするだけで客席がどよめき、湧き上がる曲は続く。「春はあけぼの」ではサビで橋本が
「再会」
のフレーズを口にした瞬間に客席の照明が点く。それによって客席の全方位がハッキリと見えるようになる。それはこれまでにもあらゆるバンドの武道館ワンマンで見てきた、この会場でのアンコールだからこその景色。それをハルカミライで見ることができたのが本当に嬉しい。バンドもアンコールでは
「またいろんなところで会おうぜー!」
と言っていたが、その言葉はこの曲の
「再会の日を楽しみにしてるよ」
というフレーズに重なって集約されていく。その通りにこのバンドはすでに次なるツアーの開催も発表しているし、春のフェスやイベントにも次々に出演が決定している。そうやってたくさんの人にとってのこのバンドとの再会の日を作って待ってくれている活動をしているから、この曲がこんなにも笑顔になりながらも沁みるのである。
だいたいこうやって武道館の明かりがつくとそれは最後の曲であることを意味するのであるが、ハルカミライにとってはそんなパターンは通用しない。
「21時までに終演のアナウンスを流さないといけないから。あと何分くらい?」
と普通のバンドなら決まっていても敢えて口には出さないこともあっさり言ってしまう。隠したり誤魔化したりする必要はない。ただ素直にこの時間に、目の前にいる人に向き合う。だからこそ
「じゃあ後はやっぱり自分たちの好きな曲をやるしかないな」
と言ってから、個人的には実に久々に(なんならコロナ禍以降初めてなんじゃないかというくらいに最近演奏されなくなった)聴くことができたのは「それいけステアーズ」であり、客席が明るい中で観客の「1.2!」のカウントが響く。明るいから、2階の上の席の方までも指をカウントに合わせているのがよく見える。みんなで声を合わせることができたことも含めて、この日のこの曲はずっと忘れられないものになったのだが、ヒップホップ的とも言える軽快なAメロから一気にロックなサウンドに振り切れていく
「ろくでもないけど親友
お節介すぎる母親
背中を見てきた父親
負けたくはないな先輩
会いたくなるんだ恋人
たまには飲もうぜ兄弟」
のフレーズ。この日の橋本のMCで両親も兄弟も出てきたからこそ、この歌詞が本当に橋本が愛していて、また愛されてきた人たちのことを歌っているんだなと思う。会ったことも見たこともないけれど、きっと橋本の両親も兄弟も真っ直ぐな人なんだろうなと思う。だからこんなに真っ直ぐに、しかも周りの人の気持ちがわかる人間に育ったんだろうなと。その人たちが愛情を注いでくれたからこそ、今こうしてハルカミライのボーカルとしてステージに立つ橋本の姿を見ることができている。そのことに心から感謝したいと思う。
すると
「この曲をやらないわけにはいかないでしょう〜」
と言って、須藤が時折キーボードも交えながら、橋本がアコギを弾いて演奏されたのはデモ盤に収録されていた「Symbol」から最新EP「Symbol 2」のタイトル曲へと繋がっていく流れ。小松のリズムがワルツ的になっているというのはバンドにとって新機軸と言っていいだろうけれど、そんなリズムも、キーボードの音までもハルカミライの音楽に、曲になる。それこそがこの10年間の活動で獲得してきた、この4人で鳴らせばどんなサウンドや楽器であってもハルカミライになるという確信だ。それはきっとこれからもっと広がって進化していく。橋本の言っていた通りに10周年は到達点ではなくて、まだまだ続く旅や道の途中だ。
残り時間が短くなってくる中でバンドもどうしようかと少し考えるようにしていると、コロナ禍になる前に何度も聴いたような声が客席から響く。
「今日はめでたいから「みどり」やって!」
と。その言葉に応えるように、というかどこかそれを待っていたかのようですらあったのは、すぐさま薄暗くなって緑色の照明がステージを照らし出したから。基本的にはいつどんな時でもあらゆる持ち曲を演奏できるバンドであるが、それでもすぐに曲を演奏できたのもこのリクエストを待っていたんじゃないだろうか。
幕張メッセで360°ワンマンをやった時にも同じようにリクエストに応えていたが、その時は少し渋りながらだった。でもこの日はすぐに演奏した。それは色々ありながらも、バンドのことをずっと見てきてくれて、この曲を変わらずに愛し続けてくれていたその男性へのバンドからの感謝の気持ちの表れだったんじゃないかと自分は思っている。そんな想いを持っているバンドであり、メンバーだと思っているから。
そんな極上の愛の物語を歌う橋本越しにギターを弾く関の顔がスクリーンにアップで映ると、その顔は橋本の歌う姿を見て笑っているかのようだった。この人の横でギターを弾けるのが嬉しくて仕方がないというような。そんな初期衝動のような気持ちがずっと変わっていないからこそ、ハルカミライのメンバーたちは年齢を重ねてもずっと幼いままに見えるのかもしれない。
そんなバンドにとっても観客にとっても大切な曲が演奏されると、いよいよ最後の時が訪れる。またいろんな場所で再会できるようにと橋本が口にすると、意を決したように4人は向かい合い、関がギターを鳴らす。その瞬間に拍手が大きな起こる。みんな、このイントロのギターによって始まる曲、「ヨーロービル、朝」がどんな意味を持っている曲なのかをわかっている。これが本当に最後の曲であることも。
40曲近く歌ってもなお輝きと伸びやかさを失うことはない橋本の歌声。それを支えるというよりも、真ん中にしながらも対等に向かい合うというか、そうでないと音を鳴らす意味がないとすら感じるような、この日最大の爆音にして轟音。メンバーの真上から降り注ぐ真っ白な光。
その自分の目に映る光景が、あまりにも美しすぎた。あまりにもカッコ良すぎた。我々が脳内で思い描く完璧を圧倒的に超えていた。それくらいにその鳴っている音と姿から、ありとあらゆる感情が溢れ出していた。それが突き刺さるからこそ、見ていてこちらの感情が溢れ出してしまう。間違いなくこの日のハルカミライの日本武道館ワンマンは伝説のライブとして語り継がれていくだろう。そんなライブの最後の最後にこの日最も凄まじい音を聴かせてくれる。一本一本どころか、一瞬一瞬がバンドの進化だ。そんな1日に居合わせることができたのだから、明日からもこの街で、この世界で息をしていく、生きていくことができるな、と思った。それくらいにこの日の「ヨーロービル、朝」は希望の光が音として、人間の姿として具現化していた。
再び場内が明るくなると、4人はステージ前に並んで手を繋いで観客に一礼した。橋本だけは客席のあらゆる方向にピースしてから去っていったのだが、その姿がどこか往年のビートたけしのように見えたのは、やはりそうしたスターの系譜に連なるような人だからなのかもしれない、と思っていた。2023年のベストライブは今年が始まってわずか1ヶ月でもう決まってしまったのかもしれない。
橋本はこの日、
「不器用な方が優しくなれる」
と言っていた。ハルカミライのメンバーもそうであるし、きっとこの日会場にいた人たちもそういう人たちだと思う。器用に生きられるような人なら、地上波のテレビ番組に出ることはない、サブスクでも一部の曲しか聴けない(なんならちょっと前まではサブスクでは聴けなかった)、クラスや職場で知っている人がそうそういないようなバンドをわざわざ追いかけたりしない。もっと大多数の人と共有できるものを好んだりすると思う。逆に言えば器用な人はハルカミライの音楽がなくても世の中をスムーズに生きていけるというか。
でもこんなにも不器用な、真っ直ぐにしか生きられないバンドのことを好きになってしまった、こうして時間や金をかけて平日に武道館に来るような人は間違いなく不器用な人だし、きっとハルカミライのように真っ直ぐに生きていたいと思っている人だと思う。それを橋本が
「優しくなれる」
と言ってくれる。その言葉だけで、本当に人に優しくできるような気がする。それくらいに心や精神に影響を与えてくれる。優しいというかことがこんなにもカッコいいということを示してくれるロックバンドであるハルカミライがカッコいいんだって話ができたら、それだけで。
1.君にしか
2.カントリーロード
3.ファイト!!
4.俺達が呼んでいる
5.フルアイビール
6.革命前夜
7.フュージョン
8.エース
9.QUATTRO YOUTH
10.春のテーマ
11.幸せになろうよ
12.星世界航行曲
13.ウルトラマリン
14.Predawn
15.Tough to be a Hugh
16.Tough to be a Hugh
17.21世紀
18.Mayday
19.ラブソング
20.city
21.光インザファミリー
22.ピンクムーン
23.世界を終わらせて
24.PEAK'D YELLOW
25.赤青緑で白いうた
26.宇宙飛行士
27.アストロビスタ
28.ベターハーフ
29.パレード
30.To Bring BACK MEMORIES
encore
31.THE BAND STAR
32.君と僕にしか出来ない事がある
33.春はあけぼの
34.それいけステアーズ
35.Symbol 〜 Symbol 2
36.みどり
37.ヨーロービル、朝
会場に入るとステージの作りは左右にスクリーンこそ設置されているし、背面にはバンドのロゴが何重にも重なるように三角形の鉄骨と照明が組まれているが、あくまでも普段のライブハウスでのハルカミライのライブの延長と言っていいような作りだ。アリーナも座席が設置されているとはいえ、ハルカミライのライブは大きなライブハウスに来たという感覚になる。
満員の観客がウキウキしながら、でもどこか緊張感もある中で開演時間の18時半を少し過ぎたあたりで場内が暗転すると、観客が一斉に立ち上がる中でカントリー調のSEが流れたことによって観客も少しどよめく中で普段のライブと全く変わることのない出で立ちの関大地(ギター)、須藤俊(ベース)、小松謙太(ドラム)が登場。小松はすぐにドラムセットに立ち上がって、
「武道館ー!」
と叫んで観客の拍手と歓声を浴びる。そういえば、ハルカミライのライブで観客が声を出せるというのはコロナ禍になる前以来だ。それだけで少し心が震えるのがわかる中で、橋本学(ボーカル)がおなじみの巨大なフラッグを手にして登場すると、
「やってきたぜ、武道館ー!」
と叫び、関がギターを鳴らすとおなじみの「君にしか」からスタート。橋本は飛び跳ねまくり、須藤はステージを歩き回る姿もしっかりスクリーンに映っているのだが、やはりこのバンドはスクリーンに映る1人1人よりも、バンド全体をしっかり見ていたいなと思うし、画面越しじゃなくて自分の目でしっかり生の4人を見ないともったいないなと思う。それくらいに肉眼で見る4人はエネルギーが溢れ出ている。
そのまま「カントリーロード」へと繋がるという鉄板の流れではステージ背面の電飾が「HARUKAMIRAI STAY SUPER FUTURE」という文字を映し出す。それはそのままこのバンドの10周年を祝うものであり、曲中に
「やっぱりこれだわ!ライブやってる時が1番生きてるって思える!」
というこのバンドの生き方を肯定するかのようでもある。後のMCでも言っていたが、珍しく3週間ばかりライブが空いただけに、よりそう思えた部分もあったのかもしれない。
関のギターが少し噛み合わずに、
「そんなくらいじゃできないよ〜」
と須藤が言ってやり直すという(この曲にしては)珍しい場面もあった「ファイト!!」で観客もメンバー同様に飛び跳ねながら拳を振り上げるのであるが、ハルカミライのライブだととかく「「ファイト!!」を何回やるのか」というところに焦点が当たりがちであるが、この日は結果的にこの1回だけだった。それはそうしたギミック的な部分よりも、自分たちが10年間で生み出してきた名曲たちを多くこのステージで鳴らしたいという思いもあったんじゃないだろうか。そういう意味では橋本が
「ライブハウスでやってるみたいだ」
とは言いながらも、やっぱりどこかいつものライブとは違うような感覚が確かにあった。それは武道館に合わないとか、ライブの調子が良くないとかじゃなくて、ただただこのライブが特別なものになるという感覚が。
橋本と須藤のコンビによるタイトルコールの後に小松のツービートが疾駆し、関のコーラスも重なる「俺達が呼んでいる」と続くのはフェスなどでもおなじみの流れであるが、この曲の締めの
「永遠の一瞬を探す旅だよ」
というフレーズがいつも以上に胸を射抜いてくるのは、まさにこの日がそんな旅の一つの到達地点であり、橋本も
「何曲やるか決めてきてない(笑)でも一瞬だよ、きっと。それは永遠の一瞬だ」
という言葉を後で口にしていたからである。つまりこのバンドはやはりメンバーの思考や人間性がそのまま言葉になり、音楽になっているバンドなのだとわかる。だから青臭さすら感じられるような歌詞すらも絶大な説得力を持って響いてくるのである。
そんな「俺達が呼んでいる」と繋がるようなライブアレンジもお馴染みなのはショートチューン「フルアイビール」であるが、先ほどまでの電飾の文字がこの曲では
「FULL EYE BEER」
という曲タイトルを示すものに変わっている。よく見ていないと見落としてしまいそうなくらいにさりげない演出だけれど、だからこそあくまでもメンバーの演奏がメインであり、それを輝かせるというような演出でもある。それはバンドのスタッフも含めたチームがハルカミライのライブで1番見せるべきもの、見てもらいたいものはなんなのかということを完璧に共有できているからだろう。
バンドは昨年末にEP「Symbol 2」をリリースしており、そのボーナスディスクには過去の曲の再録バージョンが収録されているのだが、その1曲である「革命前夜」がこの武道館のステージで鳴らされる。目が眩みそうなくらいに激しく明滅する照明がメンバーの姿をコマ送りで見せているかのように光る中で橋本は着ていた白いTシャツを早くも脱ぎ捨てる。今まであまりそう感じた事はなかったけれど、体がかなり筋肉質なのはきっと自身が良い歌を歌うためなんだろうなと思う。それくらいに橋本の歌はこの武道館の高い天井に届くように、そこを突き抜けるくらいにしっかりと響いている。
しかしそんな橋本は歌いながらもスタンド席の観客が扉から出て行ったのを見ていたようで、
「トイレかな?戻ってくるまで待ってる?(笑)」
と武道館とは思えないくらいにリラックスしたような雰囲気でメンバーと観客に問いかけるのであるが、須藤が曲タイトルをコールするとすぐさま小松のトライバルなリズムのドラムが鳴らされ、メンバーも観客も「オーイェー!」と叫び、曲中でコール&レスポンスのようになるのを返せるのが実に嬉しくて楽しい「フュージョン」から、
「この指止まれ」
という歌い出しに合わせて、それまでは拳を突き上げていた観客たちが人差し指を高く突き上げる「エース」とショートチューンが続く。スクリーンには小松のドラムセットを真上から映す映像も映し出されることによって、武道館のステージの、そしてハルカミライのライブの立体感を感じさせてくれる。
そんなショートチューンの最中に先ほどトイレに行ったと思しき観客が手を振って戻ってきたことをバンドに知らせると橋本もより嬉しそうな顔になって、メンバーそれぞれのことを歌った曲である「QUATTRO YOUTH」を演奏し、このQUATTRO(4人)だからこそ、最後には全員の声が重なっていく。やっぱりハルカミライはこの4人でしかハルカミライではないし、この4人ならば何をやってもハルカミライになるんだよなとも思う。
まだまだライブは始まったばかり(体感的にも他のバンドの10曲だともう中盤という感じだが、ハルカミライの10曲はまだ序盤である)の中で早くも一つのクライマックスを生み出すように、
「最先端でも最前線でもなくてもいい。小細工も変化球もいらねぇ。狙うはど真ん中ストレート!」
とバンドの生き様を叫んでから「春のテーマ」が演奏される。それはやはり歌い出しからメンバーだけでなく観客がみんなで声を合わせて歌うことができる曲だから。この日本の一つの象徴とも言える場所である武道館でこの曲をみんなで歌う光景を見ると、まさにここが世界の真ん中だって思える。寒波に見舞われる中でもこの日が久々に10°Cを超える気温になったのは、このバンドが少し早い春を連れてきたかのような。そう思える特別な力がこのバンドには確かにある。
「初めて見にきた人もいると思う。彼女が「ハルカミライ!ハルカミライ!」ってうるさいからついてきた人とか(笑)でもそんなに凶暴なバンドじゃないから(笑)
俺達、2回もう武道館に立ってる。友達に誘ってもらったりして。人望が厚いバンドだから(笑)」
と笑わせながらも、この日のライブがきっと一瞬で終わってしまうということを橋本が口にしてから、小松が激しくドラムを連打し、橋本が腕を高く挙げてタイトルフレーズを歌い上げる「幸せになろうよ」からは少し雰囲気が変わる。というのは明らかにここからはフェスなどではあまり演奏しない、ワンマンだからこその曲が演奏されていくことになるのがわかるからだ。
それは穏やかに鳴らされる関のギターに橋本が歌を乗せるという弾き語り的な形から曲が進むにつれてバンドサウンドになり、ハルカミライらしいロック・パンクのスピードを獲得していく「星世界航行曲」もそうであるが、この曲での薄暗い中で星が煌めくような照明も曲の魅力をさりげなくも最大限に引き出しているし、ハルカミライが実にロマンチックなバンドであるということを感じさせてくれる。
パンクというよりもメロディアス、そしてやはりロマンチックな関のギターサウンドと橋本のタイトルコールによって始まる「ウルトラマリン」ではやはり
「1番綺麗な君を見てた」
というサビのフレーズに合わせて観客が人差し指を掲げるのであるが、その1番綺麗なものはこの景色だって思える。でもやはりその景色を作っているのは観客1人1人であり、メンバー1人1人であり、スタッフの1人1人でもあるわけで、やはりそれは誰しもが「1番綺麗な君」なのかもしれない。今まで何度となくライブで聴いてきたこの曲でそう思えたのは、やはりこれが武道館だからだ。前も横も上も、観客がいる場所が全方位ハッキリと見えるこの場所だから。
そのまま続け様に演奏された「Predawn」では
「待ち侘びてた 春が来ること」
から始まる合唱フレーズで橋本がドラムセットのライザーに立って指揮者のように手を振る。関と須藤がマイクスタンドを移動してその橋本の指揮を見ながら歌う。それは観客の歌声もそうだ。だからこそ橋本は曲入りをこのフレーズから始めたのかもしれない。この合唱をこの武道館で聞くために。我々が声を出せるようになってからこの日を迎えることができて本当に良かったと思った。
そんな指揮者となったなった橋本は、普段母親からよく手紙を貰うものの、この日は父親からも手紙を貰ったことを明かす。そこには
「3人兄弟の全員を等しく愛せてきたかはわからないけど、学の父親であることを誇りに思う」
と書かれていたという。そんな感涙必至な内容であるが、それはそのまま橋本が親や家族の愛を目一杯注がれて育ってきたんだなということを感じさせてくれる。以前インタビューで、よくあるロックスター的な人生を歩んできていない、至って普通の家庭でちゃんと親に愛されて生きてきたということを話していたが、そんな人生を送ってきてもロックスターになることができるということを橋本はその身を持って示してくれている。ロックスター全てが破滅的だったり悲しい人生を送っている必要はない。愛に溢れたロックスターだっている。それはこの日我々の目の前に確かにいたのだ。
メンバー全員でサビをアカペラで歌ってからバンドの演奏に突入することによってより爆発力を発揮するショートチューン「Tough to be a Hugh」を演奏すると、何故か曲終わりで客席から「ワンモー!」という声がいくつも響き、
須藤「ライブ終わったわけじゃないから(笑)アンコール待ちじゃないから(笑)」
と言いながら、本当に「Tough to be a Hugh」をもう1回演奏する、しかも2回目は最初からバンド演奏という形で同じ曲でも演奏方法を変えるというあたりもさすがである。いつもよりもきっちりと流れを組んできたであろうこの日の内容の中で数少ない、その瞬間のテンションでダイレクトにライブのながれ変わっていく瞬間だった。
そんな中でも橋本は
「俺の歌、めっちゃいいじゃん?って言うとおかんに「もっと謙虚になりなさい」って言われるんだけど(笑)でもめっちゃいいじゃん?(笑)
この曲をやるとは思わなかったけど、やるべきだとも思っていた」
とやはり母親からの愛情を感じさせるMCをしてから演奏されたのは、その橋本のファルセットを交えた歌唱が自分で言うのも納得できるくらいに見事な「21世紀」で、「裸の電球」というフレーズに合わせたかのような、薄暗い部屋を電球が照らすようにして始まると、「室外機」というフレーズに合わせてか、文字が映し出されていた電飾がプロペラのような形を作りながら回転する。それはバンドの音を、ここで鳴らされたこの曲を後押しするような追い風を生み出しているかのようだった。
その自画自賛するくらいの橋本の歌の見事さは続く「Mayday」の歌い出しからの高低を行き来する、歌うのが実に難しい歌唱にも存分に発揮されていたのだが、橋本は
「上手ければいいってもんじゃないと思ってる。マイクをギュッと握りしめて顔をしかめて歌うエネルギーっていうか。そういうものの方が大事」
と、ハルカミライのライブの核心になることも口にしていたけれど、それでも橋本の歌はやっぱり上手い。上手い上にその人間としての、橋本学としての優しさや強さが歌に乗っているからこそ、パンクバンドの中で頭ひとつどころか何個も抜けるような、この武道館でワンマンができるようなバンドになれたのである。
それがさらによくわかるのは、真っ赤な照明がこの曲で歌われている愛の情念の濃さや熱さを感じさせる「ラブソング」。それは橋本のボーカルはもちろん、メンバー全員が重ねる声からその強大なエネルギーを感じることができるからだ。
「だから君の全てをくれよ」
というフレーズの通りに、このバンドに時間や金銭などを捧げるようにライブに行きまくっているような人もたくさんいるはずだ。小さいライブハウスでのチケットがもう少し当たりやすければそうしたいのに…とも思うけれど、そのメロディと歌と演奏だけで武道館を泣かせる、感動させることができる力をこのバンドが持っているということを確かに示してくれていた。
すると、この武道館でのワンマンが発表された時の、武道館の前で撮影した写真を撮った時に男性の人に話しかけられたのだが、その男性が情報解禁までに全く情報を流出させなかったという、昨年八王子のJ:COMホールでのワンマン時に口にしていたエピソードを話し、その男性がこの日来ているかどうかを確認するのだが、残念ながらこの日は来ておらず。それでもその男性に拍手を送るあたりがさすがハルカミライと思うところなのであるが、その男性に捧げるために作ったというのはさすがに嘘であるのは「Symbol 2」のボーナスディスクで再録された1曲である「city」。まだパンクの要素がほとんどない、歌モノギターロックバンドという要素が強かった頃のハルカミライの曲。だからこそメロディの良さがしっかり感じられるし、最後に全員でボーカルを重ねる部分からは、この曲でのアレンジやアイデアが今に連なっていることを感じさせる。それは10周年を記念したものでもあるこの日のライブに実にふさわしいものである。
過去の武道館でのライブでも演奏されているが、まさにこの曲のコーラスはこうして観客が一緒になって歌えるからこそ、この日ここで演奏されたかのような「光インザファミリー」がここにいる全員で一つの大きな家族であるかのような包容感をもって鳴らされる。バラードや聴かせる曲というわけでもないけれど、それでもそう感じられるというのはやはりハルカミライの優しさがあってこそだ。まさに光が射すような照明も素晴らしく、メンバーがより一層輝いて見える。
「東京は狂ってるらしい」「だけど優しい人も」
というサビのフレーズはこうして聴くと共感というより実感しかない。
この日橋本が何度か言及していた、武道館の天井から吊るされているこの会場の象徴とも言える巨大な日の丸がどこか赤からピンクに色が変わって見える気がするのはハルカミライの極上のラブソング「ピンクムーン」。どこかメンバーの演奏も弾けるというよりもどっしりとした、武道館に立つバンドとしての貫禄を感じさせるものになっているが、橋本は曲中で
「いつも聴いてるラジオでこの曲がかかったんだ。やっぱり良い曲だなって思ったし、めちゃくちゃ嬉しかった!」
と感慨を口にする。そんなタイミングの合致っぷりこそがハルカミライが「持ってるバンド」であることを示しているし、
「君より早く死なないから 僕より早く死なないでね」
という、一度聴いたら忘れられないこのフレーズの通りにバンドと我々がこれからも互いに長く生きていくことができたらと思っている。
「俺はバンド始めるまではライブハウスに行ったことがなかった。きっと今日初めて来た人にもそういう人がいると思う。その人たちがライブハウスに来た時に、温かく迎えてあげようぜ」
と言って拍手を受けながら、
「ああ僕のこと 君のこと 話は尽きないほど」
と橋本がアカペラで歌い始めたのは「世界を終わらせて」で、そのアカペラ歌唱の後には
「俺の育った実家は田舎すぎて、横浜アリーナとか幕張メッセも、夏フェスも冬フェスも全然知らなかった。でも武道館は知ってた。
「いつ紅白出るの?」とか「テレビ出るの?」って言ってくるばあちゃんも武道館は知ってる。大層な理由なんかなくていい。誰かが喜んでくれるなら、それが1番の理由になる」
と口にする。その言葉がリアリティしかないのは、ここにはハルカミライが武道館でワンマンをやってくれたことに喜んでいる人たちが集まっているからだ。そんな人たちがこの曲のサビで一気に拳を振り上げて飛び跳ねまくる。その最高な景色を見て、我々を喜ばせてくれたメンバーたちが喜んでくれてたらいいなと心から思う。
すると橋本がタイトルコールをした後に電飾が
「We are PEAK'D YELLOW」
という文字に変化するのはもちろん「PEAK'D YELLOW」で、やはり武道館は制約が多いのか、いつもと違ってステージ上をよじ登ったりしなかった関もこの曲では衝動に任せるようにして小松のドラムセットにダイブする。それでも関はギターを弾き続け、小松はドラムを叩き続ける。それはこのバンドが明るい場所を探し続けてきた結果がやはりこのステージであり続けたということだ。だからハルカミライは止まらずに音を鳴らし続けるのであるし、
「へいへいほー」
という文字にすると間抜けな感じもするコーラスをみんなで拳を振り上げて歌うことができたのは本当に感動してしまうものだった。この曲のパンクさを発揮できるライブが少しずつ戻ってきているんだと。
そんな曲終わりでは小松もステージ前に出てきて、4人が並ぶように立つ。まるでライブが終わった後のような光景ですらあるが、まだライブが終わらないというのはわかっているし、橋本は
「なんか、モテなそうな兄ちゃんもいっぱいいるけど、きっとあんたの良いところをちゃんと見つけて愛してくれる人がきっと現れるよ。つまりはやっぱり大事なのは中身だ。顎がシュッとするアプリみたいなやつ、俺は使いたいとも思わない。そのままがいい。でも使わないで言うのもなんだから、この後に小松が使います(笑)」
という、やはりこれもまたハルカミライの本質を言い当てるような言葉を口にしてから演奏されたのは、
「俺たちの日記のような歌」
という「赤青緑で白いうた」。歌い出しでは照明が緑になり、スクリーンには須藤がアップで映し出され、照明が青になると小松、赤になると関…というメンバーのパーソナルカラー(小松はこの日はずっと青いジャケットを着たままだった)でそのメンバーをフィーチャーするような演出は今の「QUATTRO YOUTH」と言えるようなものだ。それが今なのは、パンクとは対照的な穏やかなサウンドでそれを表現することができているから。ある意味では「ハルカミライのテーマ」と言ってもいい曲かもしれないし、この曲がこれからもバンドの支えになっていくんだろうなと思った。
そんなクライマックス的な曲が次々に放たれては更新されていく後半で、橋本は曲の最後のフレーズをアカペラで歌い上げてからバンドの演奏に突入していく。それは「宇宙飛行士」のものであり、この曲では橋本が
「せっかくだから座って聴いてくれ」
と言って観客を座らせる。スクリーンにもメンバーの姿は映らない。電球のような照明がステージを微かに照らす光景はまさに宇宙空間の中でハルカミライのライブを見ているかのようだった。ただただこの音と、それを鳴らすメンバーの姿にだけ集中する。それは観客が座った状態だったからこそ。熱狂とはまた少し違う、ある意味ではコロナ禍の状況で進化した、ハルカミライの姿。
その「宇宙飛行士」と繋がるストーリーを持つ「アストロビスタ」がそのまま続けて演奏されるのもワンマンならではであるが、
「眠れない夜に俺たち ハルカミライを組んだんだ
みんなが誇れるようなバンドに 少しずつなれてきたんだ」
と橋本が歌い出しのフレーズを変えて拍手が起こると、バンドの演奏になったのを合図に観客が一斉に立ち上がる。そしてこれまでにも数々の名言を生み出してきたこの曲の最後のサビ前では
「1つしかないものを誰かに渡すと、それはなくなっちまう。でもそれを誰かに渡してもなくならないものもある。それは今日みたいな日の幸せだー!」
と叫ぶ。その叫びの後には「宇宙飛行士」のフレーズをそのまま全て歌う。それはきっと橋本のアドリブだったのかもしれないが、須藤もすぐさまそれに合わせてコーラスするというのは、心が通じ合ってて、誰よりも信頼しあっているこの2人だからこそなんだろうなと思った。この日の幸せを自分は誰かに渡すことができるだろうか。もしここまで読んでくれている人に渡せていたとしたら実に嬉しいことであるし、それは渡しても自分の中からは決してなくならない。橋本は我々がハルカミライのライブを見た時に抱える、言語化できないような思いをステージ上から発してくれているかのようだ。
そんなクライマックスのピークと言っていいような「アストロビスタ」を演奏してもなお終わらず、
橋本「俺の実家にみんなで来ると庭のブランコに小松が全裸で乗ってたりする(笑)」
小松「あれ気持ちいいーんだ(笑)」
という仲が良すぎるエピソードで笑わせながら、Aメロ、Bメロからサビで急激にドラマチックに、まさに東京の夜景が一気に脳内に広がっていく「ベターハーフ」が、やはりステージ、場内が夜の情景を描き出すような照明の中で演奏される。歌詞に出てくる東京タワーから決して近いとは言えない場所だけれど、でも武道館も東京タワーとともに東京の象徴と言えるような場所だ。そんな場所でこの曲を聴いた我々はやっぱりハルカミライに、心がずっとさらわれたままなのだ。
そんなライブもついに終わりの時が近付く。最後とばかりに演奏されたのは、バンドが演奏している姿の上にエンドロールクレジットが重なるように流れるのがイメージできるような「パレード」。それはやはりこの日のライブが「愛のパレード」であり、我々はそのパレードに参加することができたんだよな、と改めてこの日のライブを思い返す。30曲近く演奏しても本当にあっという間だった。本当に一瞬の永遠のように、これから忘れないような瞬間がいくつもあった。それは
「年を重ねてもずっとずっと灯は消えないよ」
というフレーズの通りに。
としんみりしていたら最後にショートチューンの「To Bring BACK MEMORIES」を追加して、橋本が思いっきり叫ぶ。やっぱり最後に我々もバンドも燃え上がらせて終わらせてくれる。だからこそメンバーがステージから去っていく姿を見て、どこか爽快感のようなものを感じていたのだ。
少し間が空いてのアンコールでメンバーが全く変わらぬ出で立ち(この日限定のTシャツを着たりすることすらない)で再び登場すると、須藤が目の前に置かれたキーボードの音を鳴らしながら
「何が聴きたい?」
と観客にリクエストすると、まずはショートチューンの「THE BAND STAR」を一瞬のうちに鳴らすと、さらにはまさかの「君と僕にしか出来ない事がある」という予想もしていなかった曲までも演奏される。個人的にはこの曲はどこかサンボマスターの影響(「奇跡がやって来ないはずがねぇ」のフレーズでの合唱など)を感じさせると思っているのだが、それでもやっぱりハルカミライならではの曲だなと思うのは
「そして奇跡にすら起こせやしない
君と僕にしか
出来ない事があるんだぜ」
とこの曲が結ばれること。奇跡という運によるものではなくて、10年間かけて積み重ねてきた力や、築き上げてきた関係性。そんな持ちうる全てのものを使って、ハルカミライと観客は今この瞬間でしかない景色を作り続けてきた。それが曲は同じだとしても毎回全く違うものだからこそ、ファンはみんな日本中のあらゆる場所にハルカミライのライブを観に行く。それはこれからも間違いなくさらに大きな想いとなって続いていく。
須藤がタイトルをコールするだけで客席がどよめき、湧き上がる曲は続く。「春はあけぼの」ではサビで橋本が
「再会」
のフレーズを口にした瞬間に客席の照明が点く。それによって客席の全方位がハッキリと見えるようになる。それはこれまでにもあらゆるバンドの武道館ワンマンで見てきた、この会場でのアンコールだからこその景色。それをハルカミライで見ることができたのが本当に嬉しい。バンドもアンコールでは
「またいろんなところで会おうぜー!」
と言っていたが、その言葉はこの曲の
「再会の日を楽しみにしてるよ」
というフレーズに重なって集約されていく。その通りにこのバンドはすでに次なるツアーの開催も発表しているし、春のフェスやイベントにも次々に出演が決定している。そうやってたくさんの人にとってのこのバンドとの再会の日を作って待ってくれている活動をしているから、この曲がこんなにも笑顔になりながらも沁みるのである。
だいたいこうやって武道館の明かりがつくとそれは最後の曲であることを意味するのであるが、ハルカミライにとってはそんなパターンは通用しない。
「21時までに終演のアナウンスを流さないといけないから。あと何分くらい?」
と普通のバンドなら決まっていても敢えて口には出さないこともあっさり言ってしまう。隠したり誤魔化したりする必要はない。ただ素直にこの時間に、目の前にいる人に向き合う。だからこそ
「じゃあ後はやっぱり自分たちの好きな曲をやるしかないな」
と言ってから、個人的には実に久々に(なんならコロナ禍以降初めてなんじゃないかというくらいに最近演奏されなくなった)聴くことができたのは「それいけステアーズ」であり、客席が明るい中で観客の「1.2!」のカウントが響く。明るいから、2階の上の席の方までも指をカウントに合わせているのがよく見える。みんなで声を合わせることができたことも含めて、この日のこの曲はずっと忘れられないものになったのだが、ヒップホップ的とも言える軽快なAメロから一気にロックなサウンドに振り切れていく
「ろくでもないけど親友
お節介すぎる母親
背中を見てきた父親
負けたくはないな先輩
会いたくなるんだ恋人
たまには飲もうぜ兄弟」
のフレーズ。この日の橋本のMCで両親も兄弟も出てきたからこそ、この歌詞が本当に橋本が愛していて、また愛されてきた人たちのことを歌っているんだなと思う。会ったことも見たこともないけれど、きっと橋本の両親も兄弟も真っ直ぐな人なんだろうなと思う。だからこんなに真っ直ぐに、しかも周りの人の気持ちがわかる人間に育ったんだろうなと。その人たちが愛情を注いでくれたからこそ、今こうしてハルカミライのボーカルとしてステージに立つ橋本の姿を見ることができている。そのことに心から感謝したいと思う。
すると
「この曲をやらないわけにはいかないでしょう〜」
と言って、須藤が時折キーボードも交えながら、橋本がアコギを弾いて演奏されたのはデモ盤に収録されていた「Symbol」から最新EP「Symbol 2」のタイトル曲へと繋がっていく流れ。小松のリズムがワルツ的になっているというのはバンドにとって新機軸と言っていいだろうけれど、そんなリズムも、キーボードの音までもハルカミライの音楽に、曲になる。それこそがこの10年間の活動で獲得してきた、この4人で鳴らせばどんなサウンドや楽器であってもハルカミライになるという確信だ。それはきっとこれからもっと広がって進化していく。橋本の言っていた通りに10周年は到達点ではなくて、まだまだ続く旅や道の途中だ。
残り時間が短くなってくる中でバンドもどうしようかと少し考えるようにしていると、コロナ禍になる前に何度も聴いたような声が客席から響く。
「今日はめでたいから「みどり」やって!」
と。その言葉に応えるように、というかどこかそれを待っていたかのようですらあったのは、すぐさま薄暗くなって緑色の照明がステージを照らし出したから。基本的にはいつどんな時でもあらゆる持ち曲を演奏できるバンドであるが、それでもすぐに曲を演奏できたのもこのリクエストを待っていたんじゃないだろうか。
幕張メッセで360°ワンマンをやった時にも同じようにリクエストに応えていたが、その時は少し渋りながらだった。でもこの日はすぐに演奏した。それは色々ありながらも、バンドのことをずっと見てきてくれて、この曲を変わらずに愛し続けてくれていたその男性へのバンドからの感謝の気持ちの表れだったんじゃないかと自分は思っている。そんな想いを持っているバンドであり、メンバーだと思っているから。
そんな極上の愛の物語を歌う橋本越しにギターを弾く関の顔がスクリーンにアップで映ると、その顔は橋本の歌う姿を見て笑っているかのようだった。この人の横でギターを弾けるのが嬉しくて仕方がないというような。そんな初期衝動のような気持ちがずっと変わっていないからこそ、ハルカミライのメンバーたちは年齢を重ねてもずっと幼いままに見えるのかもしれない。
そんなバンドにとっても観客にとっても大切な曲が演奏されると、いよいよ最後の時が訪れる。またいろんな場所で再会できるようにと橋本が口にすると、意を決したように4人は向かい合い、関がギターを鳴らす。その瞬間に拍手が大きな起こる。みんな、このイントロのギターによって始まる曲、「ヨーロービル、朝」がどんな意味を持っている曲なのかをわかっている。これが本当に最後の曲であることも。
40曲近く歌ってもなお輝きと伸びやかさを失うことはない橋本の歌声。それを支えるというよりも、真ん中にしながらも対等に向かい合うというか、そうでないと音を鳴らす意味がないとすら感じるような、この日最大の爆音にして轟音。メンバーの真上から降り注ぐ真っ白な光。
その自分の目に映る光景が、あまりにも美しすぎた。あまりにもカッコ良すぎた。我々が脳内で思い描く完璧を圧倒的に超えていた。それくらいにその鳴っている音と姿から、ありとあらゆる感情が溢れ出していた。それが突き刺さるからこそ、見ていてこちらの感情が溢れ出してしまう。間違いなくこの日のハルカミライの日本武道館ワンマンは伝説のライブとして語り継がれていくだろう。そんなライブの最後の最後にこの日最も凄まじい音を聴かせてくれる。一本一本どころか、一瞬一瞬がバンドの進化だ。そんな1日に居合わせることができたのだから、明日からもこの街で、この世界で息をしていく、生きていくことができるな、と思った。それくらいにこの日の「ヨーロービル、朝」は希望の光が音として、人間の姿として具現化していた。
再び場内が明るくなると、4人はステージ前に並んで手を繋いで観客に一礼した。橋本だけは客席のあらゆる方向にピースしてから去っていったのだが、その姿がどこか往年のビートたけしのように見えたのは、やはりそうしたスターの系譜に連なるような人だからなのかもしれない、と思っていた。2023年のベストライブは今年が始まってわずか1ヶ月でもう決まってしまったのかもしれない。
橋本はこの日、
「不器用な方が優しくなれる」
と言っていた。ハルカミライのメンバーもそうであるし、きっとこの日会場にいた人たちもそういう人たちだと思う。器用に生きられるような人なら、地上波のテレビ番組に出ることはない、サブスクでも一部の曲しか聴けない(なんならちょっと前まではサブスクでは聴けなかった)、クラスや職場で知っている人がそうそういないようなバンドをわざわざ追いかけたりしない。もっと大多数の人と共有できるものを好んだりすると思う。逆に言えば器用な人はハルカミライの音楽がなくても世の中をスムーズに生きていけるというか。
でもこんなにも不器用な、真っ直ぐにしか生きられないバンドのことを好きになってしまった、こうして時間や金をかけて平日に武道館に来るような人は間違いなく不器用な人だし、きっとハルカミライのように真っ直ぐに生きていたいと思っている人だと思う。それを橋本が
「優しくなれる」
と言ってくれる。その言葉だけで、本当に人に優しくできるような気がする。それくらいに心や精神に影響を与えてくれる。優しいというかことがこんなにもカッコいいということを示してくれるロックバンドであるハルカミライがカッコいいんだって話ができたら、それだけで。
1.君にしか
2.カントリーロード
3.ファイト!!
4.俺達が呼んでいる
5.フルアイビール
6.革命前夜
7.フュージョン
8.エース
9.QUATTRO YOUTH
10.春のテーマ
11.幸せになろうよ
12.星世界航行曲
13.ウルトラマリン
14.Predawn
15.Tough to be a Hugh
16.Tough to be a Hugh
17.21世紀
18.Mayday
19.ラブソング
20.city
21.光インザファミリー
22.ピンクムーン
23.世界を終わらせて
24.PEAK'D YELLOW
25.赤青緑で白いうた
26.宇宙飛行士
27.アストロビスタ
28.ベターハーフ
29.パレード
30.To Bring BACK MEMORIES
encore
31.THE BAND STAR
32.君と僕にしか出来ない事がある
33.春はあけぼの
34.それいけステアーズ
35.Symbol 〜 Symbol 2
36.みどり
37.ヨーロービル、朝