マカロニえんぴつ マカロックツアー vol.14 〜10周年締めくくり秋・冬ツアー☆飽きがくる程そばにいて篇〜 @さいたまスーパーアリーナ 1/8
- 2023/01/08
- 22:04
近年急激にTVなどにも出ることが増えてきただけに、まだ若手バンド的な見られ方をすることも多々あるが、実は下積み期間が実に長いバンドであるのでもう10周年を迎えている。そんなマカロニえんぴつの10周年イヤーが昨年から続いているが、その締めくくりとなるのがツアーファイナルのさいたまスーパーアリーナでのワンマン2daysであり、この日は2日目。
さいたまスーパーアリーナは200Lvまでのアリーナモードであるが、2日ともチケットはソールドアウトということで、広いアリーナ部分の席もスタンド席もびっしり人で埋まっている。
開演まではスクリーンに様々なバンドの告知映像が流れる中で、いくら日曜日だと言ってもやたらと早い15時の開演時間を少し過ぎたあたりでおなじみのビートルズ「Hey Bulldog」のSEが流れる。このおなじみのオープニングが少し意外に感じたのはアリーナクラスのワンマンであるだけに映像が最初に流れて…的な演出があるんじゃないかとも思っていたからであるが、そうしたものはなくメンバーがステージに現れる。
なのだが、そのステージの前には紗幕が張られていることによって、おそらくはいつも通りであることはわかっていてもメンバーの姿を見ることはできない。いつもより長めにSEが流れた後でその紗幕の向こうからは「トリコになれ」が演奏されていることもわかるのだが、スクリーンにも映像が映らないだけに、肉眼で紗幕越しに映るメンバーの影を見る他ない。それでも演奏が溌剌としていることはしっかりと伝わってくるし、なによりもこれはロックバンドとして音だけでこのアリーナを持っていこうというバンド側の気概や意識によるものであろう。この広いさいたまスーパーアリーナでこうしたオープニングを選んだことからそれが伝わってくる。
しかしながらメンバーがイントロでコーラスを重ねる「洗濯機と君とラヂオ」ではその紗幕がバサッと落ちてきて、メンバーの姿があらわになる。やはりこの曲では高野賢也(ベース)に合わせて長谷川大喜(キーボード)がエアベースをするのであるが、その演奏が原曲よりも圧倒的に速くなっている。それは曲の土台を司る高浦"suzy"充孝(サポートドラム)のリズムによるものでもあるのだが、その高浦はコーラスでもはっとり(ボーカル&ギター)による、この規模でもしっかり隅々まで伝わっていく見事な歌唱をサポートしている。サポートとはいえもはやバンドになくてはならない男だと言っていいだろう。
曲間をほとんど挟むことなくすぐに演奏されたのは初期の曲だからこそ田辺由明のギターサウンドが、ギターロックバンドとしてのマカロニえんぴつという、10周年だからこその選曲でバンドの立脚点を示してくれるかのような「ワンルームデイト」なのだが、この曲では高野が低いキーのコーラスを担当していることがわかるし、そのコーラスが声量含めて進化しているということがわかるのは観客が声を出せないコロナ禍だからこそ自分たちの声をしっかり出すという形でライブを重ねてきたからだろう。それは「全員が歌えるバンド」としての正しい進化の形であるとも言える。
矢継ぎ早に繰り出された「愛のレンタル」では満員の観客が思い思いに体を揺らす中で私立恵比寿中学に提供された曲としてのポップさをアリーナ規模のスケールで感じさせてくれるのであるが、はっとりはサビでの
「踊ればいい」
のフレーズを田辺や高浦のコーラスに委ねている部分も多々あったが、そこは2daysの2日目ということが影響している部分もあったんだろうか。歌唱からはそうした疲れや不調さは全く感じられないが、それくらいに歌うのが難しい曲であるとも言えるかもしれない。
そうして序盤からひたすらに曲を連発してきた中で一息つくようにしていれたMCでは
はっとり「こんばんは、よりこんにちはの方がしっくりくる時間ですね(笑)
こんな早い時間から集まってくれてありがとうございます。マカロニえんぴつだけを見にこれだけの人が集まってくれるって凄いことじゃないですか?」
と挨拶すると大きな拍手が湧き上がる。もうこうして何万人もの人がマカロニえんぴつだけを見るためにライブに足を運ぶ。そういう状況になったことをバンドも観客もお互いに確かめ合っているかのようですらあった。
すると絶賛放映中のCMの中ではまさかの松たか子とのコラボまで実現した、2022年リリースのEPのタイトル曲「たましいの居場所」ではステージ前でシャボン玉が飛び、ステージ上では上下に可動する電球タイプの照明が輝く。その2つにステージ背面に映しだされる壮大な地球上の自然の映像が組み合わさることによって、まさに我々のたましいの居場所はこうしてバンドが目の前で音を鳴らしてくれている場所であるということを示しているかのようですらあった。CMで流れている部分だけでは限りなくポップな曲であるが、実はメンバーの高い演奏技術があるからこそ成り立つフック満載の曲であるということにもライブで聴くからこそ気付くことができる。
するとその電球がバンドをさらに前へ、さらに上へと向けるような巨大な矢印のような形状へと変化するのは
「夢を持ったあなたには きっと届く、あなたには
グッドミュージック」
というフレーズが、はっとりがいつも口にしてきた「グッドミュージック」というこのバンドの音楽への矜持を曲にした「MUSIC」で、
「サンセット」「サンライズ」
というフレーズに合わせて照明もオレンジ色に変化していくというのがこの曲の持つ切なさを倍増させてくれる。すなわちグッドミュージックをよりグッドミュージックたらしめるような演出をマカロニえんぴつのチームが施しているということである。そうした人たちの存在があるからこそ、バンドはこうしたアリーナ規模にまで進むことができたということも間違いなくあるはずだ。
再びスクリーンには壮大な自然の映像などが映しだされるのは、アニメ主題歌としてたくさんの人にバンドの存在を知らしめた「mother」。Aメロからサビへの到達の仕方が実にこのバンドらしい一筋縄ではいかなさを地上波のアニメのタイアップで示した曲であるのだが、
「愛を知らずに魔法は使えない」
という収録ミニアルバムのタイトルになったフレーズを抜群の声量を発揮して歌うはっとりは自身の曲をこのスケールでどう鳴らすべきかということをしっかりとわかっている。後で自分で言っていたように、売れた影響からか顔はかなり丸みを帯びてきているけれど。
ここまでの演奏、内容は実にロックバンドだと感じるようなものだった。スピード感も、鳴らされている音も含めて、ポップかつキャッチーな曲をたくさん持つロックバンドとしてのアリーナライブのあるべき形というか。だからこそ、田辺と高野がカウントをして(微妙にカウントが「ひー、ふー、みー、よ」と「1,2,3,4」が混ざっていたような感じもするが)演奏された「恋人ごっこ」も、長谷川のシンセによって鳴らされるストリングスサウンドなどはやはりポップ極まりないものであるが、ここまでの流れが、この曲でも変わらずにフライングVで掻き鳴らす田辺のギターサウンドが、はっとりの
「もう一度あなたと居られるのなら
きっともっともっとちゃんと
ちゃんと愛を伝える」
のフレーズでの歌唱の見事さが、この曲をまごう事なき「ロックバンドのバラード曲」たらしめていた。リリースされてから今に至るまで、ライブでやらない時はないというくらいにバンドの代表曲となっている曲であるが、こんな風に感じたのは初めてのことかもしれない。それくらいにこの日のマカロニえんぴつは10周年ツアーの最後の日に、自分たちが憧れたロックバンドたろうとしていた。それが鳴らしている音と姿からはっきりと伝わってくるのだ。
そんな中ではっとりがアコギに持ち替えて、弾き語りのように歌い始め、バンドの演奏もその歌を支えるように優しく鳴らされるのは「夜と朝のあいだ」。そのタイトル通りに真夜中の孤独な自問自答の瞬間をそのまま描写したような曲であるのだが、その結論であるとも言える
「愛しているよ 君だけを 君だけを
愛していてね 今だけを 今だけを」
というフレーズはまさに今目の前にいる我々一人一人に向けて歌われているかのような「近さ」が確かにあった。このスクリーンがないと席によっては見えないくらいの規模の会場であってもそれくらい近くに感じられるのがマカロニえんぴつの音楽の人懐こさであり、それこそが「ポップである」ということなんじゃないかと思う。
そんな沁み入るような曲を演奏するとメンバーがいったん楽器を置き、
はっとり「歌ってるセンター分けの人はよく見るけど、他のメンバーの名前はわからんという人もいるんじゃないかと(笑)」
ということで、メンバー紹介も含めたMCへ。メンバーが促すまでもなく席に座った人がたくさんいたというのは、前日も見に来ていて、このMCが長くなるということをわかっている人がたくさんいたからだと思われる。
そのMCではメンバー紹介(むしろ高浦が1番長めだった)から、ツアーの各地で美味しいものをたくさん食べたことをメンバー1の食いしん坊である長谷川とともに語るのであるが、はっとりが
「結局は各地のラーメンが美味しい」
と言ったあたりから雲行きが若干怪しくなってきて、それは
「俺は昔住んでた街にあった、王チャンっていう中華料理屋の岩海苔ラーメンが1番美味しかったと思ってる。でもある時に行ったら張り紙が貼ってあって。閉店しましたって。区画整理でなくなっちゃったみたいなんだけど、王チャンをなくしてまで何を作るものがあるのか!区かな?市かな?区ぐらいだったら俺でも止められた気がする。担当者を王チャンに連れて行って岩海苔ラーメンを食べさせたら「これはなくしちゃダメだ!」って心変わりするんじゃないかって」
と言うはっとりは王チャンへの思いが強すぎてついに岩海苔ラーメンの幻が目に映るようになり、その幻を食べるようにするとその間にステージにスモークが焚かれてメンバーが演奏の準備を始める。
スクリーンにはチャーハンを中華鍋で炒める映像が流れ…となると当然演奏されたのはそのはっとりの王チャンへの募る思いをそのまま曲にした「街中華☆超愛」であるのだが、メンバーはいつの間にか中華服に着替えており、スクリーンには漢文風の歌詞が次々に映しだされ、その上には「通心粉鉛筆亭」という看板も吊るされている。しかもこの曲の中で長谷川がこのためだけに用意した銅鑼を思いっきり鳴らすと、金テープと紙吹雪が舞う中で田辺が中華風でもなんでもない、ハードロックでしかないギターソロを弾きまくるという、まるで最後の曲で使うかのような演出がまだ中盤の、しかもこんな飛び道具的な曲で使われている。昨年の日本武道館でも「TONTTU」という田辺のサウナ愛しかない曲が飛び道具的に演奏されていたが、ある意味ではこうした部分こそがマカロニえんぴつらしさの所以と言えるかもしれない。最後にスクリーンに映しだされた料理人が田辺だった、というオチまで含めて。
そんな「街中華☆超愛」がライブの空気をガラッと変えると、メンバーは急いで中華服から先ほどまでの衣装に戻り、昨年末のCOUNTDOWN JAPANでも演奏されていた「カーペット夜想曲」へ。スクリーンに映しだされるレコードが回転する映像も、浮遊感のある同期のリズムなんかも使ったサウンドもポップでありながらシュールでもあるというマカロニえんぴつらしさを実感できるものになっているのだが、CDJで不意にこの曲をセトリにブッこむわけはない、ツアーで演奏しているからこそだろうという予想が回収されて一安心とも言える。
するとその「カーペット夜想曲」で浮遊感を感じさせるサウンドを鳴らしていた長谷川が不穏なシンセのサウンドを鳴らし、そこからインストのセッション的な演奏が始まる。こうした演奏もマカロニえんぴつのワンマンならではであり、それがまた次なる新曲につながっていくのかもしれないが、はっとりと田辺のハードロックなギターのハモり、高浦の一気に加速するビートとそれに合わせた高野のスラップを駆使したベースというのは、それぞれがどんなプレイヤーなのかということを示すような自己紹介的な側面もあったんじゃないかと思われる。
そんな演奏が長谷川のシンセに戻ってくると、長谷川がシンセからピアノに変えてイントロを鳴らし、そこに田辺の泣きのスライドギターが重なっていくのはもちろん「ブルーベリー・ナイツ」。直前の演奏によってその曲が持つ切なさはさらに倍増しているとも言えるのだが、やはりこの曲においてもリズムを刻みながらコーラスを重ねる高浦はテレビ出演時に「もっと充孝を映せ!」とファンが言うのも納得するくらいの凄腕プレイヤーにして歌うドラマーである。
その音から感じられる切なさがさらに加速するのは、ギターのサウンドが重厚に鳴り響く「愛の手」であるが、
「いつか手を引っ張ってよ」
というフレーズはバンドが観客にお願いしているというわけでもなく、逆に観客のバンドへの心情を歌っているわけでもない、互いの存在があってこそこんなに大きな会場でマカロニえんぴつというバンドへの愛情が溢れる空間を作ることができたというように響く。自分はこうした大きな会場でワンマンを観ると、バンドが連れてきてくれた、と思ってしまいがちなタイプであるのだが、それでもこの日のこの曲は双方向から矢印が発せられているような、そんな感じがしていた。互いが互いを連れてきたというかのような。
そんな余韻と感慨を高浦のビートをはじめとしたメンバーの演奏が繋ぐと、
「みんなそれぞれ得意な臓器があるでしょ?長距離走が得意な人は肺が得意な臓器だろうし、大食いの人は胃が得意な臓器だろうし。今回のツアーでは我々は声出しをしてきませんでしたが、もうちょっとと思えば我慢できるんじゃないかと。だから声じゃなくて臓器で歌ってください。我々はこのコロナ禍でその臓器の歌声を聴くことができるようになりましたから」
と言って臓器での合唱を促して演奏されたのはもちろん「ワンドリンク別」。高浦のビートが疾走し、高野のベースがうねり、長谷川のキーボードがメロディアスに、田辺のギターがロックに鳴る中で観客が歌えないからこそ、メンバーによるタイトルフレーズの合唱が響く。それはもちろんそこに我々の臓器の声も乗っていたはずだ。自分がなんの臓器が得意なものなのかはさっぱりわからないけれど。
そのまま続けて演奏されたのはバンドの名前が音楽好きな人の間に広く知れ渡ることになった名盤「CHOSYOKU」収録の「MAR-Z」。その長谷川のキーボードが美しいメロディをさらに引き立てる曲を聞いていて、自分もこのアルバムでこのバンドに出会ったとはいえ、なんでこの段階までこのバンドは埋もれていたんだろうかと思った。それくらいにこのインディーズ期の曲たちもがさいたまスーパーアリーナで鳴らされて然るべきスケールを有していた。というより10周年の集大成ということもあるだけに、そうしたバンドの歴史を作ってきてくれた曲たちがこのステージにふさわしいものであるということを証明しようとしていたのかもしれない。それくらいに、この日さいたまスーパーアリーナで聴いた「MAR-Z」は元からこの規模で、いや、火星まで届くくらいの場所で鳴らされるのを想定していたかのように、曲がそれを待っていたかのようにして鳴らされていた。その光景を見て、武道館の時以上に、ああ、ここまで来たんだな、10周年はただのんべんだらりと続いてきたんじゃなくて、それを祝うべきバンドとしての月日を重ねてきたものなんだなと思ったのだ。
そんな過去の曲とはサウンドや構成はかなり変化・進化しながらも、どれもが今のマカロニえんぴつの音楽として鳴らされたのがはっとりがイントロから気合いを入れるように声を発してから演奏された「星が泳ぐ」。
スクリーンには美しい星空の映像が映し出され、電球的な照明もメンバーが星空の下で音を鳴らしているかのように煌めく。その曲と演奏が放つスケールはこの場所にふさわしいというか、それすらをさらに超えた場所までこのバンドが行くということを予感させた。アウトロではっとりがステージ前に出てきてカメラに向けるようにしてギターを弾きまくる姿は、自らの、自分たちのロックバンドさを客席にいる人はもちろん、画面の向こう側(この日のライブは中継されていた)にいる人にまで示そうとしているかのようだった。
さらにそのまま田辺がギターを刻んで演奏されたのはこのバンド最大の代表曲にして名曲の一つと言えるであろう「ヤングアダルト」なのだが、
「夜を越えるための唄が死なないように
手首からもう涙が流れないように」
というフレーズに、音楽やライブが不要不急と言われていたコロナ禍になった直後にどれだけ救われてきただろうか。当時はメンバーもどこか悲痛な心持ちというか、コロナ禍になる前にリリースされた曲が図らずも時代を映し出すものになってしまったという感覚を持って鳴らされているように見えた。でも今はそれを笑顔で演奏することができている。まだ全てが解決したわけでもないし、全てを乗り越えることができたわけでもない。それでも
「さいたまヤングルーザー」
という歌詞に笑顔で観客が拍手を送ることができるようになった。それは我々と同じようにただただ音楽が好きで、音楽があることによって救われて、今まで生きて来れたであろうこのメンバーがその先にいるからこそ、我々も笑顔になれるし、メンバーも笑顔であって欲しいと思えるのだ。
そしてはっとりはこのバンドを始めた経緯について、
「最初はただ自分が救われたいっていうだけだった。自分が自分の音楽に救われたい。それとユニコーンになりたい。それだけだった。でもそれが仕事になって。今でも仕事とは思えない感じだったりするんだけど(笑)、売れなきゃとか、人気にならなきゃ、とか余計なことを考えるようになって、メンバーが1人抜けました。
思えばその時に1人になっても良かったのかもしれない。でもやっぱり俺はバンドが好きだった。憧れたバンドみたいになりたいと思った。ユニコーンそのものにはなれなかったけれど、それ以上に変な、ぶっ飛んでるこのメンバーたちが今でも一緒に音楽を鳴らしてくれてる。田辺はマイケル・シェンカーが好きで好きで、それでこんなギターを弾いてて、大ちゃんはヤマハのピアノの先生になるはずだったのがこうしてこのバンドにいてくれて、賢也は何を考えてるのかわからないけれど、1番いろんなアイデアをくれる。ユニコーンになりたかったけど、俺たちはマカロニえんぴつっていうバンドになれたって思いました。それはあなたが目の前にいて、我々の音楽を良いと思ってくれたからです。そんな、君といる時の僕が好きだ。あなたが見つけて愛してくれた、マカロニえんぴつという名の音楽でした」
とはっとりは長々と、でもしっかりとまとめるようにしてメンバーと観客への愛を口にしてから「なんでもないよ、」を演奏した。それは心の関係であるこのバンドとここに集まった我々だからこそ確かに響くものであった。ただひたすらにロックバンドに憧れて、そうなろうとしてきたバンドが自分たちだけのメンバーと自分たちだけのやり方でそうあろうとしている。その生き様を見せつけるようなライブだったから、この日が素晴らしいものだった。それはやはりこのバンドがどんな曲を演奏しようがロックバンドでしかないということを示していたからだ。だから、ただ僕より先に死なないで欲しいと思った。君といる時の僕が好きだからだ。
アンコールではメンバーがそれぞれツアーグッズなどに着替えて登場すると、今月からスタートするドラマの主題歌であり、
「もう会えないのがわかっている大切な人へ向けた曲」
という新曲「リンジュー・ラヴ」を披露。もちろんこのバンドのドラマ主題歌となるとひたすらキャッチーなメロディのものになるのは間違いないのであるが、高野がAメロでシンセベースを弾いたり、高浦が要所要所でデジドラを叩いたりと、ロックバンドとして新たなリズム、グルーヴに挑んでいることもわかる、つまりはやはりマカロニえんぴつらしい一筋縄ではいかない曲ということだ。タイトルの「リンジュー」ももちろん「臨終」をカタカナにしたものだろう。そこにはどんな思いが込められているのだろうか。早く歌詞を読みながら聴きたい曲でもある。
さらにははっとりが弾き語りのように父親に対して歌い始めたのは「僕らは夢の中」で、続いて美味しいものを食べるのが大好きな長谷川が自身の食の趣向の変化を歌いながらも、
「大好きな食べものは増えたけど
やっぱり母さんのカレーが一番だ」
と続ける。はっとりの後だからこそより歌唱力という今では長谷川のボーカルは至らなさを感じるのだけれど、それでもこのフレーズからは今でも少年のような笑顔を見せる長谷川の優しさ、親をどれだけ大切に思っているかを知ることができる。だからこそグッときてしまうのであるが、サビでは自身のパートを歌い終わった長谷川もはっとりのボーカルに声を重ねる。それが
「何にもしたくない 動きたくない
誰にも会わないで一人でいたい
でもこんな自分にも居場所はある
誰にも譲れない場所がある」
と、他に何もないような高野のこのバンドのメンバーであるという矜持、
「憧れの人に近づきたくて
ヘンテコなギターを弾いている
大事にしてる想いは伝わりづらいけれど
それでも良いんだ コレが自分らしさだ」
というマイケル・シェンカーに今でも憧れ続けている田辺のフライングVというギター、ハードロックへの愛情が続けて歌われ、それが
「僕らは夢をみたり魅せたりする
ロックバンドは簡単さ やめなきゃ続くんだ」
という歌詞で結ばれる。そのフレーズを聞いていて、このバンドがずっと続いていきますようにと思わざるを得なかった。このバンドだからこそこうしてメンバー全員が歌って、自分自身を表現することができているのだから。はっとりの思いを具現化するプレイヤーたちのバンドじゃない、この4人と高浦がいるからこそ、マカロニえんぴつはマカロニえんぴつという名前のロックバンドであり続けられているのだ。
そんな特別なライブの最後、10周年のライブの最後だからこそ、観客の拍手がまだまだ足りないとばかりに高野がさらにその拍手を煽るようにしてから演奏されたのは「鳴らせ」だった。2015年の「アルデンテ」の最初に収録されていた、いわやるバンドにとっての原点と言えるような曲。今聴くとここまでのアンコール2曲があるだけに実にシンプルな曲とも言えるのだが、そんな曲を今、この10周年ライブの最後に演奏するということは、
「鳴らせ響くまで ここにいるって
ちゃんとここにいるってさ 叫ぶんだ」
という自分たちの存在証明をするように鳴らしていたこの曲の気持ちを、バンドがまだ持ち続けているということだ。そんな気恥ずかしさすらありそうな曲を封印するんじゃなくて、1番大事な場面で鳴らす。それはやはりマカロニえんぴつの音楽が10年前からこの規模で鳴らされるべきグッドミュージックであるということを示していた。最後には田辺も高野もステージ左右の通路に駆け出しながら演奏すると、エアベースをしていた長谷川に高野がベースを渡し、高野がメンバー全員をスマホで撮影しながらキメを打った。なんだかその光景が仕事とか生活とかじゃない、ただひたすら音楽が、バンドが好きで仕方がなくてこうやって生きているというマカロニえんぴつの生き様を映し出しているように見えた。去り際に観客を背に写真を撮るのも含めて、この日見せてくれた全ての瞬間が、ロックバンドは最高だ、ということを示していたように見えた。
メンバーがステージから去るとスクリーンには11周年の新たなアクションとして、6都市でのワンマン&対バン2daysの告知が映し出された。1箇所目の横浜のVaundyを皮切りに、最後の東京ではついに憧れのユニコーンとの2マン。夢は叶うなんてのは綺麗事であるし、叶わない夢の方が圧倒的に多いなんてことはもう大人になればわかってくる。それでもこの発表は、夢は見続けることができるということを我々に示してくれているかのようだった。
ただひたすらに憧れたものへの憧憬を自分たちの音や力にして鳴らす。そんな、ロックバンドでしかないくらいのロックバンドらしいライブ。世間的にはもしかしたらロックバンドとは見られていないのかもしれないけれど、だからこそそういう人にこそこのバンドのワンマンを見て欲しいと思う。そこにはロックバンドの夢やロマンがそのまま鳴らされ、表現されているから。だから自分はロックバンドが好きな身としてマカロニえんぴつというバンドが好きだ。
かつてユニコーンに憧れたはっとり少年のように、マカロニえんぴつになりたいと思ってバンドを始める少年少女もたくさんいるはず。今はこのバンドがそんな少年少女をステージ上で手を広げて待つような立場になった。いつかそんな人たちがそれぞれの音楽で「ロックバンドは最高だ」と歌える日が来たら。実は何十年か後にロックシーンを振り返った時に、後続の世代に最も影響を与えたバンドはこのバンドなのかもしれない、とすら思うくらいに、自分が今10代だったらこんなバンドをやってみたかったなと思う。
1.トリコになれ
2.洗濯機と君とラヂオ
3.ワンルームデイト
4.愛のレンタル
5.たましいの居場所
6.MUSIC
7.mother
8.恋人ごっこ
9.夜と朝のあいだ
10.街中華☆超愛
11.カーペット夜想曲
12.ブルーベリー・ナイツ
13.愛の手
14.ワンドリンク別
15.MAR-Z
16.星が泳ぐ
17.ヤングアダルト
18.なんでもないよ、
encore
19.リンジュー・ラヴ
20.僕らは夢の中
21.鳴らせ
さいたまスーパーアリーナは200Lvまでのアリーナモードであるが、2日ともチケットはソールドアウトということで、広いアリーナ部分の席もスタンド席もびっしり人で埋まっている。
開演まではスクリーンに様々なバンドの告知映像が流れる中で、いくら日曜日だと言ってもやたらと早い15時の開演時間を少し過ぎたあたりでおなじみのビートルズ「Hey Bulldog」のSEが流れる。このおなじみのオープニングが少し意外に感じたのはアリーナクラスのワンマンであるだけに映像が最初に流れて…的な演出があるんじゃないかとも思っていたからであるが、そうしたものはなくメンバーがステージに現れる。
なのだが、そのステージの前には紗幕が張られていることによって、おそらくはいつも通りであることはわかっていてもメンバーの姿を見ることはできない。いつもより長めにSEが流れた後でその紗幕の向こうからは「トリコになれ」が演奏されていることもわかるのだが、スクリーンにも映像が映らないだけに、肉眼で紗幕越しに映るメンバーの影を見る他ない。それでも演奏が溌剌としていることはしっかりと伝わってくるし、なによりもこれはロックバンドとして音だけでこのアリーナを持っていこうというバンド側の気概や意識によるものであろう。この広いさいたまスーパーアリーナでこうしたオープニングを選んだことからそれが伝わってくる。
しかしながらメンバーがイントロでコーラスを重ねる「洗濯機と君とラヂオ」ではその紗幕がバサッと落ちてきて、メンバーの姿があらわになる。やはりこの曲では高野賢也(ベース)に合わせて長谷川大喜(キーボード)がエアベースをするのであるが、その演奏が原曲よりも圧倒的に速くなっている。それは曲の土台を司る高浦"suzy"充孝(サポートドラム)のリズムによるものでもあるのだが、その高浦はコーラスでもはっとり(ボーカル&ギター)による、この規模でもしっかり隅々まで伝わっていく見事な歌唱をサポートしている。サポートとはいえもはやバンドになくてはならない男だと言っていいだろう。
曲間をほとんど挟むことなくすぐに演奏されたのは初期の曲だからこそ田辺由明のギターサウンドが、ギターロックバンドとしてのマカロニえんぴつという、10周年だからこその選曲でバンドの立脚点を示してくれるかのような「ワンルームデイト」なのだが、この曲では高野が低いキーのコーラスを担当していることがわかるし、そのコーラスが声量含めて進化しているということがわかるのは観客が声を出せないコロナ禍だからこそ自分たちの声をしっかり出すという形でライブを重ねてきたからだろう。それは「全員が歌えるバンド」としての正しい進化の形であるとも言える。
矢継ぎ早に繰り出された「愛のレンタル」では満員の観客が思い思いに体を揺らす中で私立恵比寿中学に提供された曲としてのポップさをアリーナ規模のスケールで感じさせてくれるのであるが、はっとりはサビでの
「踊ればいい」
のフレーズを田辺や高浦のコーラスに委ねている部分も多々あったが、そこは2daysの2日目ということが影響している部分もあったんだろうか。歌唱からはそうした疲れや不調さは全く感じられないが、それくらいに歌うのが難しい曲であるとも言えるかもしれない。
そうして序盤からひたすらに曲を連発してきた中で一息つくようにしていれたMCでは
はっとり「こんばんは、よりこんにちはの方がしっくりくる時間ですね(笑)
こんな早い時間から集まってくれてありがとうございます。マカロニえんぴつだけを見にこれだけの人が集まってくれるって凄いことじゃないですか?」
と挨拶すると大きな拍手が湧き上がる。もうこうして何万人もの人がマカロニえんぴつだけを見るためにライブに足を運ぶ。そういう状況になったことをバンドも観客もお互いに確かめ合っているかのようですらあった。
すると絶賛放映中のCMの中ではまさかの松たか子とのコラボまで実現した、2022年リリースのEPのタイトル曲「たましいの居場所」ではステージ前でシャボン玉が飛び、ステージ上では上下に可動する電球タイプの照明が輝く。その2つにステージ背面に映しだされる壮大な地球上の自然の映像が組み合わさることによって、まさに我々のたましいの居場所はこうしてバンドが目の前で音を鳴らしてくれている場所であるということを示しているかのようですらあった。CMで流れている部分だけでは限りなくポップな曲であるが、実はメンバーの高い演奏技術があるからこそ成り立つフック満載の曲であるということにもライブで聴くからこそ気付くことができる。
するとその電球がバンドをさらに前へ、さらに上へと向けるような巨大な矢印のような形状へと変化するのは
「夢を持ったあなたには きっと届く、あなたには
グッドミュージック」
というフレーズが、はっとりがいつも口にしてきた「グッドミュージック」というこのバンドの音楽への矜持を曲にした「MUSIC」で、
「サンセット」「サンライズ」
というフレーズに合わせて照明もオレンジ色に変化していくというのがこの曲の持つ切なさを倍増させてくれる。すなわちグッドミュージックをよりグッドミュージックたらしめるような演出をマカロニえんぴつのチームが施しているということである。そうした人たちの存在があるからこそ、バンドはこうしたアリーナ規模にまで進むことができたということも間違いなくあるはずだ。
再びスクリーンには壮大な自然の映像などが映しだされるのは、アニメ主題歌としてたくさんの人にバンドの存在を知らしめた「mother」。Aメロからサビへの到達の仕方が実にこのバンドらしい一筋縄ではいかなさを地上波のアニメのタイアップで示した曲であるのだが、
「愛を知らずに魔法は使えない」
という収録ミニアルバムのタイトルになったフレーズを抜群の声量を発揮して歌うはっとりは自身の曲をこのスケールでどう鳴らすべきかということをしっかりとわかっている。後で自分で言っていたように、売れた影響からか顔はかなり丸みを帯びてきているけれど。
ここまでの演奏、内容は実にロックバンドだと感じるようなものだった。スピード感も、鳴らされている音も含めて、ポップかつキャッチーな曲をたくさん持つロックバンドとしてのアリーナライブのあるべき形というか。だからこそ、田辺と高野がカウントをして(微妙にカウントが「ひー、ふー、みー、よ」と「1,2,3,4」が混ざっていたような感じもするが)演奏された「恋人ごっこ」も、長谷川のシンセによって鳴らされるストリングスサウンドなどはやはりポップ極まりないものであるが、ここまでの流れが、この曲でも変わらずにフライングVで掻き鳴らす田辺のギターサウンドが、はっとりの
「もう一度あなたと居られるのなら
きっともっともっとちゃんと
ちゃんと愛を伝える」
のフレーズでの歌唱の見事さが、この曲をまごう事なき「ロックバンドのバラード曲」たらしめていた。リリースされてから今に至るまで、ライブでやらない時はないというくらいにバンドの代表曲となっている曲であるが、こんな風に感じたのは初めてのことかもしれない。それくらいにこの日のマカロニえんぴつは10周年ツアーの最後の日に、自分たちが憧れたロックバンドたろうとしていた。それが鳴らしている音と姿からはっきりと伝わってくるのだ。
そんな中ではっとりがアコギに持ち替えて、弾き語りのように歌い始め、バンドの演奏もその歌を支えるように優しく鳴らされるのは「夜と朝のあいだ」。そのタイトル通りに真夜中の孤独な自問自答の瞬間をそのまま描写したような曲であるのだが、その結論であるとも言える
「愛しているよ 君だけを 君だけを
愛していてね 今だけを 今だけを」
というフレーズはまさに今目の前にいる我々一人一人に向けて歌われているかのような「近さ」が確かにあった。このスクリーンがないと席によっては見えないくらいの規模の会場であってもそれくらい近くに感じられるのがマカロニえんぴつの音楽の人懐こさであり、それこそが「ポップである」ということなんじゃないかと思う。
そんな沁み入るような曲を演奏するとメンバーがいったん楽器を置き、
はっとり「歌ってるセンター分けの人はよく見るけど、他のメンバーの名前はわからんという人もいるんじゃないかと(笑)」
ということで、メンバー紹介も含めたMCへ。メンバーが促すまでもなく席に座った人がたくさんいたというのは、前日も見に来ていて、このMCが長くなるということをわかっている人がたくさんいたからだと思われる。
そのMCではメンバー紹介(むしろ高浦が1番長めだった)から、ツアーの各地で美味しいものをたくさん食べたことをメンバー1の食いしん坊である長谷川とともに語るのであるが、はっとりが
「結局は各地のラーメンが美味しい」
と言ったあたりから雲行きが若干怪しくなってきて、それは
「俺は昔住んでた街にあった、王チャンっていう中華料理屋の岩海苔ラーメンが1番美味しかったと思ってる。でもある時に行ったら張り紙が貼ってあって。閉店しましたって。区画整理でなくなっちゃったみたいなんだけど、王チャンをなくしてまで何を作るものがあるのか!区かな?市かな?区ぐらいだったら俺でも止められた気がする。担当者を王チャンに連れて行って岩海苔ラーメンを食べさせたら「これはなくしちゃダメだ!」って心変わりするんじゃないかって」
と言うはっとりは王チャンへの思いが強すぎてついに岩海苔ラーメンの幻が目に映るようになり、その幻を食べるようにするとその間にステージにスモークが焚かれてメンバーが演奏の準備を始める。
スクリーンにはチャーハンを中華鍋で炒める映像が流れ…となると当然演奏されたのはそのはっとりの王チャンへの募る思いをそのまま曲にした「街中華☆超愛」であるのだが、メンバーはいつの間にか中華服に着替えており、スクリーンには漢文風の歌詞が次々に映しだされ、その上には「通心粉鉛筆亭」という看板も吊るされている。しかもこの曲の中で長谷川がこのためだけに用意した銅鑼を思いっきり鳴らすと、金テープと紙吹雪が舞う中で田辺が中華風でもなんでもない、ハードロックでしかないギターソロを弾きまくるという、まるで最後の曲で使うかのような演出がまだ中盤の、しかもこんな飛び道具的な曲で使われている。昨年の日本武道館でも「TONTTU」という田辺のサウナ愛しかない曲が飛び道具的に演奏されていたが、ある意味ではこうした部分こそがマカロニえんぴつらしさの所以と言えるかもしれない。最後にスクリーンに映しだされた料理人が田辺だった、というオチまで含めて。
そんな「街中華☆超愛」がライブの空気をガラッと変えると、メンバーは急いで中華服から先ほどまでの衣装に戻り、昨年末のCOUNTDOWN JAPANでも演奏されていた「カーペット夜想曲」へ。スクリーンに映しだされるレコードが回転する映像も、浮遊感のある同期のリズムなんかも使ったサウンドもポップでありながらシュールでもあるというマカロニえんぴつらしさを実感できるものになっているのだが、CDJで不意にこの曲をセトリにブッこむわけはない、ツアーで演奏しているからこそだろうという予想が回収されて一安心とも言える。
するとその「カーペット夜想曲」で浮遊感を感じさせるサウンドを鳴らしていた長谷川が不穏なシンセのサウンドを鳴らし、そこからインストのセッション的な演奏が始まる。こうした演奏もマカロニえんぴつのワンマンならではであり、それがまた次なる新曲につながっていくのかもしれないが、はっとりと田辺のハードロックなギターのハモり、高浦の一気に加速するビートとそれに合わせた高野のスラップを駆使したベースというのは、それぞれがどんなプレイヤーなのかということを示すような自己紹介的な側面もあったんじゃないかと思われる。
そんな演奏が長谷川のシンセに戻ってくると、長谷川がシンセからピアノに変えてイントロを鳴らし、そこに田辺の泣きのスライドギターが重なっていくのはもちろん「ブルーベリー・ナイツ」。直前の演奏によってその曲が持つ切なさはさらに倍増しているとも言えるのだが、やはりこの曲においてもリズムを刻みながらコーラスを重ねる高浦はテレビ出演時に「もっと充孝を映せ!」とファンが言うのも納得するくらいの凄腕プレイヤーにして歌うドラマーである。
その音から感じられる切なさがさらに加速するのは、ギターのサウンドが重厚に鳴り響く「愛の手」であるが、
「いつか手を引っ張ってよ」
というフレーズはバンドが観客にお願いしているというわけでもなく、逆に観客のバンドへの心情を歌っているわけでもない、互いの存在があってこそこんなに大きな会場でマカロニえんぴつというバンドへの愛情が溢れる空間を作ることができたというように響く。自分はこうした大きな会場でワンマンを観ると、バンドが連れてきてくれた、と思ってしまいがちなタイプであるのだが、それでもこの日のこの曲は双方向から矢印が発せられているような、そんな感じがしていた。互いが互いを連れてきたというかのような。
そんな余韻と感慨を高浦のビートをはじめとしたメンバーの演奏が繋ぐと、
「みんなそれぞれ得意な臓器があるでしょ?長距離走が得意な人は肺が得意な臓器だろうし、大食いの人は胃が得意な臓器だろうし。今回のツアーでは我々は声出しをしてきませんでしたが、もうちょっとと思えば我慢できるんじゃないかと。だから声じゃなくて臓器で歌ってください。我々はこのコロナ禍でその臓器の歌声を聴くことができるようになりましたから」
と言って臓器での合唱を促して演奏されたのはもちろん「ワンドリンク別」。高浦のビートが疾走し、高野のベースがうねり、長谷川のキーボードがメロディアスに、田辺のギターがロックに鳴る中で観客が歌えないからこそ、メンバーによるタイトルフレーズの合唱が響く。それはもちろんそこに我々の臓器の声も乗っていたはずだ。自分がなんの臓器が得意なものなのかはさっぱりわからないけれど。
そのまま続けて演奏されたのはバンドの名前が音楽好きな人の間に広く知れ渡ることになった名盤「CHOSYOKU」収録の「MAR-Z」。その長谷川のキーボードが美しいメロディをさらに引き立てる曲を聞いていて、自分もこのアルバムでこのバンドに出会ったとはいえ、なんでこの段階までこのバンドは埋もれていたんだろうかと思った。それくらいにこのインディーズ期の曲たちもがさいたまスーパーアリーナで鳴らされて然るべきスケールを有していた。というより10周年の集大成ということもあるだけに、そうしたバンドの歴史を作ってきてくれた曲たちがこのステージにふさわしいものであるということを証明しようとしていたのかもしれない。それくらいに、この日さいたまスーパーアリーナで聴いた「MAR-Z」は元からこの規模で、いや、火星まで届くくらいの場所で鳴らされるのを想定していたかのように、曲がそれを待っていたかのようにして鳴らされていた。その光景を見て、武道館の時以上に、ああ、ここまで来たんだな、10周年はただのんべんだらりと続いてきたんじゃなくて、それを祝うべきバンドとしての月日を重ねてきたものなんだなと思ったのだ。
そんな過去の曲とはサウンドや構成はかなり変化・進化しながらも、どれもが今のマカロニえんぴつの音楽として鳴らされたのがはっとりがイントロから気合いを入れるように声を発してから演奏された「星が泳ぐ」。
スクリーンには美しい星空の映像が映し出され、電球的な照明もメンバーが星空の下で音を鳴らしているかのように煌めく。その曲と演奏が放つスケールはこの場所にふさわしいというか、それすらをさらに超えた場所までこのバンドが行くということを予感させた。アウトロではっとりがステージ前に出てきてカメラに向けるようにしてギターを弾きまくる姿は、自らの、自分たちのロックバンドさを客席にいる人はもちろん、画面の向こう側(この日のライブは中継されていた)にいる人にまで示そうとしているかのようだった。
さらにそのまま田辺がギターを刻んで演奏されたのはこのバンド最大の代表曲にして名曲の一つと言えるであろう「ヤングアダルト」なのだが、
「夜を越えるための唄が死なないように
手首からもう涙が流れないように」
というフレーズに、音楽やライブが不要不急と言われていたコロナ禍になった直後にどれだけ救われてきただろうか。当時はメンバーもどこか悲痛な心持ちというか、コロナ禍になる前にリリースされた曲が図らずも時代を映し出すものになってしまったという感覚を持って鳴らされているように見えた。でも今はそれを笑顔で演奏することができている。まだ全てが解決したわけでもないし、全てを乗り越えることができたわけでもない。それでも
「さいたまヤングルーザー」
という歌詞に笑顔で観客が拍手を送ることができるようになった。それは我々と同じようにただただ音楽が好きで、音楽があることによって救われて、今まで生きて来れたであろうこのメンバーがその先にいるからこそ、我々も笑顔になれるし、メンバーも笑顔であって欲しいと思えるのだ。
そしてはっとりはこのバンドを始めた経緯について、
「最初はただ自分が救われたいっていうだけだった。自分が自分の音楽に救われたい。それとユニコーンになりたい。それだけだった。でもそれが仕事になって。今でも仕事とは思えない感じだったりするんだけど(笑)、売れなきゃとか、人気にならなきゃ、とか余計なことを考えるようになって、メンバーが1人抜けました。
思えばその時に1人になっても良かったのかもしれない。でもやっぱり俺はバンドが好きだった。憧れたバンドみたいになりたいと思った。ユニコーンそのものにはなれなかったけれど、それ以上に変な、ぶっ飛んでるこのメンバーたちが今でも一緒に音楽を鳴らしてくれてる。田辺はマイケル・シェンカーが好きで好きで、それでこんなギターを弾いてて、大ちゃんはヤマハのピアノの先生になるはずだったのがこうしてこのバンドにいてくれて、賢也は何を考えてるのかわからないけれど、1番いろんなアイデアをくれる。ユニコーンになりたかったけど、俺たちはマカロニえんぴつっていうバンドになれたって思いました。それはあなたが目の前にいて、我々の音楽を良いと思ってくれたからです。そんな、君といる時の僕が好きだ。あなたが見つけて愛してくれた、マカロニえんぴつという名の音楽でした」
とはっとりは長々と、でもしっかりとまとめるようにしてメンバーと観客への愛を口にしてから「なんでもないよ、」を演奏した。それは心の関係であるこのバンドとここに集まった我々だからこそ確かに響くものであった。ただひたすらにロックバンドに憧れて、そうなろうとしてきたバンドが自分たちだけのメンバーと自分たちだけのやり方でそうあろうとしている。その生き様を見せつけるようなライブだったから、この日が素晴らしいものだった。それはやはりこのバンドがどんな曲を演奏しようがロックバンドでしかないということを示していたからだ。だから、ただ僕より先に死なないで欲しいと思った。君といる時の僕が好きだからだ。
アンコールではメンバーがそれぞれツアーグッズなどに着替えて登場すると、今月からスタートするドラマの主題歌であり、
「もう会えないのがわかっている大切な人へ向けた曲」
という新曲「リンジュー・ラヴ」を披露。もちろんこのバンドのドラマ主題歌となるとひたすらキャッチーなメロディのものになるのは間違いないのであるが、高野がAメロでシンセベースを弾いたり、高浦が要所要所でデジドラを叩いたりと、ロックバンドとして新たなリズム、グルーヴに挑んでいることもわかる、つまりはやはりマカロニえんぴつらしい一筋縄ではいかない曲ということだ。タイトルの「リンジュー」ももちろん「臨終」をカタカナにしたものだろう。そこにはどんな思いが込められているのだろうか。早く歌詞を読みながら聴きたい曲でもある。
さらにははっとりが弾き語りのように父親に対して歌い始めたのは「僕らは夢の中」で、続いて美味しいものを食べるのが大好きな長谷川が自身の食の趣向の変化を歌いながらも、
「大好きな食べものは増えたけど
やっぱり母さんのカレーが一番だ」
と続ける。はっとりの後だからこそより歌唱力という今では長谷川のボーカルは至らなさを感じるのだけれど、それでもこのフレーズからは今でも少年のような笑顔を見せる長谷川の優しさ、親をどれだけ大切に思っているかを知ることができる。だからこそグッときてしまうのであるが、サビでは自身のパートを歌い終わった長谷川もはっとりのボーカルに声を重ねる。それが
「何にもしたくない 動きたくない
誰にも会わないで一人でいたい
でもこんな自分にも居場所はある
誰にも譲れない場所がある」
と、他に何もないような高野のこのバンドのメンバーであるという矜持、
「憧れの人に近づきたくて
ヘンテコなギターを弾いている
大事にしてる想いは伝わりづらいけれど
それでも良いんだ コレが自分らしさだ」
というマイケル・シェンカーに今でも憧れ続けている田辺のフライングVというギター、ハードロックへの愛情が続けて歌われ、それが
「僕らは夢をみたり魅せたりする
ロックバンドは簡単さ やめなきゃ続くんだ」
という歌詞で結ばれる。そのフレーズを聞いていて、このバンドがずっと続いていきますようにと思わざるを得なかった。このバンドだからこそこうしてメンバー全員が歌って、自分自身を表現することができているのだから。はっとりの思いを具現化するプレイヤーたちのバンドじゃない、この4人と高浦がいるからこそ、マカロニえんぴつはマカロニえんぴつという名前のロックバンドであり続けられているのだ。
そんな特別なライブの最後、10周年のライブの最後だからこそ、観客の拍手がまだまだ足りないとばかりに高野がさらにその拍手を煽るようにしてから演奏されたのは「鳴らせ」だった。2015年の「アルデンテ」の最初に収録されていた、いわやるバンドにとっての原点と言えるような曲。今聴くとここまでのアンコール2曲があるだけに実にシンプルな曲とも言えるのだが、そんな曲を今、この10周年ライブの最後に演奏するということは、
「鳴らせ響くまで ここにいるって
ちゃんとここにいるってさ 叫ぶんだ」
という自分たちの存在証明をするように鳴らしていたこの曲の気持ちを、バンドがまだ持ち続けているということだ。そんな気恥ずかしさすらありそうな曲を封印するんじゃなくて、1番大事な場面で鳴らす。それはやはりマカロニえんぴつの音楽が10年前からこの規模で鳴らされるべきグッドミュージックであるということを示していた。最後には田辺も高野もステージ左右の通路に駆け出しながら演奏すると、エアベースをしていた長谷川に高野がベースを渡し、高野がメンバー全員をスマホで撮影しながらキメを打った。なんだかその光景が仕事とか生活とかじゃない、ただひたすら音楽が、バンドが好きで仕方がなくてこうやって生きているというマカロニえんぴつの生き様を映し出しているように見えた。去り際に観客を背に写真を撮るのも含めて、この日見せてくれた全ての瞬間が、ロックバンドは最高だ、ということを示していたように見えた。
メンバーがステージから去るとスクリーンには11周年の新たなアクションとして、6都市でのワンマン&対バン2daysの告知が映し出された。1箇所目の横浜のVaundyを皮切りに、最後の東京ではついに憧れのユニコーンとの2マン。夢は叶うなんてのは綺麗事であるし、叶わない夢の方が圧倒的に多いなんてことはもう大人になればわかってくる。それでもこの発表は、夢は見続けることができるということを我々に示してくれているかのようだった。
ただひたすらに憧れたものへの憧憬を自分たちの音や力にして鳴らす。そんな、ロックバンドでしかないくらいのロックバンドらしいライブ。世間的にはもしかしたらロックバンドとは見られていないのかもしれないけれど、だからこそそういう人にこそこのバンドのワンマンを見て欲しいと思う。そこにはロックバンドの夢やロマンがそのまま鳴らされ、表現されているから。だから自分はロックバンドが好きな身としてマカロニえんぴつというバンドが好きだ。
かつてユニコーンに憧れたはっとり少年のように、マカロニえんぴつになりたいと思ってバンドを始める少年少女もたくさんいるはず。今はこのバンドがそんな少年少女をステージ上で手を広げて待つような立場になった。いつかそんな人たちがそれぞれの音楽で「ロックバンドは最高だ」と歌える日が来たら。実は何十年か後にロックシーンを振り返った時に、後続の世代に最も影響を与えたバンドはこのバンドなのかもしれない、とすら思うくらいに、自分が今10代だったらこんなバンドをやってみたかったなと思う。
1.トリコになれ
2.洗濯機と君とラヂオ
3.ワンルームデイト
4.愛のレンタル
5.たましいの居場所
6.MUSIC
7.mother
8.恋人ごっこ
9.夜と朝のあいだ
10.街中華☆超愛
11.カーペット夜想曲
12.ブルーベリー・ナイツ
13.愛の手
14.ワンドリンク別
15.MAR-Z
16.星が泳ぐ
17.ヤングアダルト
18.なんでもないよ、
encore
19.リンジュー・ラヴ
20.僕らは夢の中
21.鳴らせ