リーガルリリー 「cell, core 2022」 @Zepp Haneda 11/17
- 2022/11/18
- 18:48
7月に行われた「Light Trap Trip」ツアーファイナルのZepp Diver Cityで
「対バンツアーをやるんですけど…凄い人たちとやるんで。楽しみすぎてにやけちゃう」
と言っていた通りに、リーガルリリーの対バンツアー「cell, core 2022」は名古屋が羊文学、大阪がMy Hair is Bad、そしてこの日がバンドがライブや音源で曲をカバーしてきたくるりと、その言葉通りに豪華な面々を迎えてのものになった。先日にはKOTORIもくるりを対バンに招いていたが、ここへきての若手バンドのくるりへのリスペクトっぷりも凄い。どのバンドもリーガルリリーにとっては(メンバーが天然であるだけに)ただただリスペクトしているバンドを呼んだということなのだろう。
・くるり
そんなくるりを見るのは先月のZepp DiverCityでのKOTORIの対バン以来ということで、近い時期にZeppで見るというのはどこか不思議というかデジャブ的な感じすらある。
19時になると場内が暗転し、SEもなしにメンバーがステージに登場するというのももうおなじみ。この日も岸田繁(ボーカル&ギター)、佐藤征史(ベース)の2人に加えてサポートとして松本大樹(ギター)、野崎泰洋(キーボード)、あらきゆうこ(ドラム)という編成も同じである。
そんなメンバーたちが楽器を手にすると、岸田が
「こん…ばんは、くるりです」
と挨拶してから
「この街は僕のもの」
といきなりの絶唱。先月の時と同様に「街」からのスタートであるが、決して歌が上手いというわけではない岸田のこの大ベテランの域に差し掛かってきての絶唱ボーカルはやはり染み入るものがある。というか一時期よりもはるかに歌えているようになっているのはコロナ禍以降にライブがちゃんとできるようになってから自分たちのツアーやワンマンを始めとして主催フェスなどでもライブを重ねてきているからだろう。佐藤と野崎のコーラスがその岸田のボーカルに重なることによって生まれる彩りももはやメンバーとサポートという関係性ではなくて完全にこの5人でくるりというものになっていることを感じさせる。
さらに岸田がギターを鳴らして始まったのはこのある意味では東京の象徴と言える場所の一つと言えるような羽田という場所にふさわしい「東京」であるのだが、野崎が間奏で奏でる美しいピアノの旋律に聴き入っていると、この曲は福生という東京の中でも特殊な場所(米軍基地がある)で生きてきたリーガルリリーに捧げられた曲であるかのように響く。そんな、東京で鳴らされるべくして鳴らされた「東京」はやはり格別であるし、佐藤によるコーラスも含めて何度聴いても飽きることは全くない。
岸田「こんばんは、くるりです。我々が初めて東京に降り立ったのはもう何年前ですかね?」
佐藤「前のバンドの時にも東京に来てますけど、1997年くらいですかね…」
岸田「97年前ですか。その頃は羽田は海苔の養殖なんかをしてましてですね、私もハマグリを取って味噌汁に入れて食べたりしてましたよ。
くるりはイリーガルなバンドなんでね、イリーガルくるりーですね」
という脱力MCを挟むが、結構最近はよく羽田に来ているであろうに全く羽田のネタが尽きることがないあたりはさすがである。
そんなMCの後には野崎のピアノのイントロだけで名曲確定な「ばらの花」が演奏されるというギャップも凄いが、くるりはみんなで声を出して歌うというバンドではないけれど、こうしてライブという場で名曲を聴いていると、どうにも歌いたくなるような感覚になる。それくらいに素晴らしいメロディであるということだ。その最たる曲がこの曲と言えるかもしれないし、やはりアウトロでの佐藤のコーラスは強い哀愁を感じさせる。岸田のボーカルとともに佐藤をはじめとしたメンバーのコーラスの表現力、説得力も年数を経るにつれて間違いなく増している。
岸田がアコギに持ち替えて奏でたイントロの段階で拍手が巻き起こったのは「ハイウェイ」であり、近年(というかここ最近)のくるりはこうして代表曲にして名曲中の名曲を惜しげもなく次々に演奏するようになっている。そこにはどんな心境の変化があったのかはわからないが、今こうしたセトリでフェスに出まくっていたら「初見殺し」と言われていた印象もだいぶ違っていたんじゃないかと思う。その方がくるりらしくて好きだったけれど、やっぱりこれらの曲を聴きたい人はたくさんいるはずだ。この「ハイウェイ」の穏やかだけれど精神を解放してくれるようなサウンドはそんなことを思わせてくれる。
そんなくるりの名曲の最新形が夏に配信リリースされた新曲たちの中の1曲「八月は僕の名前」である。やはりこちらも穏やかなサウンドで夏の情景と愛しい人のことを想起させるような曲。緑色の照明が夏の若葉を思わせるくらいにもう11月であっても脳内を夏に回帰させてくれるが、こうした曲が今でも生まれ続けているというのがくるりの凄さを改めて感じさせてくれる。それはそのまま若手バンドにとっての生きる教科書と言っていい存在である。
一転してサイケデリックな演奏によるイントロが追加された「琥珀色の街、上海蟹の朝」でも曲がわかった瞬間に拍手が起こるのであるが、そうしたリアクションからしても、サビで客席に広がるピース(蟹だけに)にしても、この日は若手バンドの対バンに呼ばれたベテランバンドにありがちなアウェー感が一切ない。それはくるりを観たくて来たという人もいたのだろうし、リーガルリリーファンにとってもメンバーが超リスペクトしまくっているバンドであるということをわかっているからだろう。そんなバンドがこんな極上の演奏を見せてくれるとあってはそうしたリアクションにならざるを得ない。こんなに見ていて酒を追加したくなるバンドや曲はそうそうないと思うくらいの心地良さである。
そんな心地良さをロックなバンドサウンドで塗り替えてみせるのは、やはりイントロのギターのサウンドが鳴った瞬間にたくさんの腕が上がる「ロックンロール」。あらきゆうこのロボットのように正確無比だけれど人間としてのしなやかさを感じさせるリズムはこれほどくるりにピッタリなドラマーはいないなと思う中、アウトロでは松本がステージ前に出てきてギターソロを弾きまくる。これこそが、本物のロックンロールさ、というように。岸田の歌唱もやはり実に力強くもあるし瑞々しくもある。だからこそこんなに蒼さを持った曲が今でもバンドのリアルとして響いてくるのである。
そんな岸田はギターを持ち替えると、
「こんなところにリッケンバッカーが。でもさすがにあの名曲はやりませんよ。この後に聴けたらいいなと思ってます」
と語る。そこからは岸田からの、くるりからのリーガルリリーへの確かな愛情とリスペクトを感じる。自分たちの尊敬するバンドに自分たちの曲を「名曲」と言ってもらえている。こんなに嬉しいことはないんじゃないだろうか。
そのリッケンバッカーで鳴らされるのは、あらきゆうこのドラムが駆け抜けるようなスピードで連打される「everybody feels the same」で、間奏でやはりギターソロを弾きまくった松本は手拍子を煽るとそれが客席へと広がっていく。岸田もまた最後のタイトル歌唱部分前にはステージ前に出てきて、THE WHOのピート・タウンゼントかというような腕を風車のようにぐるぐると回してギターを弾き、さらにリッケンバッカーを抱えて高くジャンプしてから松本と向かい合うようにしてギターを弾きまくっている。その姿は若手に負けないくらいに衝動あふれるロックバンドの姿だ。佐藤はその演奏を笑顔で見ていたが、くるりがこうして若手バンドと対バンしたり、あるいは岸田がプロデュースしたりしているのはそうしたバンドたちの放出している衝動を自分たちのものとしようとしているのかもしれないとその姿を見て思っていた。
そして最後に演奏されたのは波が流れていくような雄大なサウンドと美しいメロディが埋め立てられて開発される前の羽田の海にはこんな情景が広がっていたんだろうかとすら思う「潮風のアリア」。野崎のピアノの美しい旋律に浸りながら、やはりこうしてくるりの珠玉の名曲たちをライブで聴けるというのは実に幸せなことであるなと改めて実感することができた。それだけに、これからもこうした対バンやフェスなどにもガンガン出て欲しいと思う。そのライブを見て、曲を聴いて自分たちの音楽に影響を受ける若手バンドがまだまだたくさんいるから。今になってこそ、本当にくるりの偉大さを実感している。
1.街
2.東京
3.ばらの花
4.ハイウェイ
5.八月は僕の名前
6.琥珀色の街、上海蟹の朝
7.ロックンロール
8.everybody feels the same
9.潮風のアリア
・リーガルリリー
そんな敬愛する先輩バンドの後という、実に重いバトンを受け取った、リーガルリリー。「Light Trap Trip」ではコンセプチュアルなライブの作り方にも挑んでいたが、ワンマンよりも尺が短い対バンライブであるだけに果たしてどのような内容になるのか。
意外にもDJ的な曲をSEとしてメンバーがステージに登場すると、上手にゆきやまのドラム、中央に珍しくフォーマルな出で立ちの海(ベース)、そして下手に白衣かと思うような衣装を着たたかはしほのかが向かい合うような、リーガルリリーならではの編成は変わることはない中で、タイトルに合わせて金色と言えるような照明がうっすらとメンバーを照らす「GOLD TRAIN」からスタート。背面にはこのツアーのキービジュアルが張り出されているが、やはりこのバンドのシンプルなスリーピースバンドはそうしたロックバンドのライブのカッコ良さを改めて感じさせてくれる。たかはしの永遠の幼女的な見た目も歌声も変わることはないが、最初の一音を鳴らす瞬間に目を合わせて音を合わせるようにしていた海とゆきやまの姿からはやはりこのライブへの並々ならぬ気合いを感じさせる。
「こんばんは、リーガルリリーです。最後までよろしくお願いします」
と言って、くるりが2曲目に演奏していた「東京」と同じタイトルの曲が同じ位置で演奏される。きっとこれは狙ったものではないだろうし、だからこそ両者のシンクロっぷりを感じさせるのであるが、
「ナイジェリアの風が」
というフレーズから始まって
「ホタルイカの素干し」
というフレーズにまで発展するというぶっ飛び具合が両バンドの「東京」感の違いと、バンド自体の違いを如実に表している。今や岸田が京都の大学で教授も務めるくらいに理論を持って音楽を作っているくるりと、ひたすら発想と直感で作っているように感じるリーガルリリー。ともにスリーピースバンドとしてスタートしながらも辿ってきたキャリアや経てきた音楽性が全く違うというのもそのままバンドとしての違いになっている。
もはやこのバンドの演奏の核と言えるゆきやまがスタッフにサウンドのバランスを指示してからドラムの強靭さがさらに引き上がる「ぶらんこ」での静と動のコントラストは実にリーガルリリーらしいものであるが、アウトロでたかはしがキーンと硬質な金属音を鳴らすと、そのまま詩の朗読へと繋がる。こうしたアレンジは「Light Trap Trip」を経たものであることを感じさせるし、その朗読から繋がるように「9mmの花」が演奏されることによってライブのテンポも実に良くなり、こちらの集中力が途切れることなく演奏に目と耳を向けることができる。この曲ももちろんタイトルは9mm Parabellum Bulletのバンド名の由来になっている銃弾から取られているのだろうけれど、そうした描写はやはり福生で生活してきたからこそなのか。
「奪われた過去も未来もあなたが時とともに取り込んだ
これで最後の話になるけれど
私、あなたを愛してる。」
という永遠の別れを感じさせるような締めのフレーズまでも。
8月には最新配信EP「恋と戦争」という、今の世界情勢を言い当てているかのようなタイトルの音源もリリースしているのであるが、そのEPのリード曲である「ノーワー」の
「君は全てを体に入れてトイレで吐いた。吐いた。
食べ残すこと許せなかった。
物足りない、今日はまだ終わりじゃないと夜は進んだ。」
という戦争の映像を見てそうなってしまうような感覚も、
「ノーワーノーワーのごり押しで 対立が始まって
不和のはじまりで あまりに あまりに あまりに」
という戦争に対する外側からの意見も。たかはしの無垢さを宿す声によって歌われることで、それが子供の視点というよりはむしろ神のそれであるかのように聴こえてくる。ただ曲をライブで鳴らすだけでそう感じられるようなオーラをこの3人は放っている。きっと他に誰もこの3人が向かい合うような編成だからこそ描かれている円の中に入り込むことはできないんだろうなと思うくらいに。
海による重いベースのイントロがまさに前曲の対立を表現するかのように赤と青という対極の照明が当てられることによって際立つ「1997」ではサビではその海が飛び跳ねながらリズムを鳴らすように視界が開けていく感覚になるのであるが、最後にはおどろおどろしさに引き込まれそうになるたかはしの朗読へと展開していくという、何度聴いてもどうしてこんなにまとまりそうにない要素が1つの曲としてまとまっているのかが不思議でたまらない。そんな曲を作ったたかはしはサビの締めではポーズを決めるかのような姿で笑顔でギターを弾いているというのもまた不思議で仕方がないのである。
すると軽快と言っていいようなリズムが刻まれるのは昨年リリースのシングル「the World」収録の、あまりライブでは演奏されていないイメージのある「天国」。天国で流れてる音がこんなに爆音のロックサウンドであったら最高だなとも思うし、
「走れ走れ 地面が歪み 可愛くない自分が全部
右と左のえくぼに落ちて heavenly heavenly ヘヴンに行けるの」
と歌う通りにたかはしやこのバンドのメンバーは「地獄」(シングルには対照として「地獄」という曲も収録されている)ではなくて「天国」に行くべき人間だと思うけれど、それはまだまだはるか先のことの話だ。今はまだこうしてライブハウスでこのバンドのライブを観ているこの瞬間こそを天国と呼びたいと思う。
そんな中でたかはしが新曲と口にして演奏された曲は、そのたかはしの弾き語り的に歌とギターから始まる。ただしそこで歌われるのはやはり
「戦争が終わった後に」
などの聞き流せないような強いメッセージとテーマを持ったもの。それが途中からバンドの音が加わることによって音の強さを含んだ上で響くのであるが、ドーンと爆発的にバンドサウンドになるわけではなくて、あくまで自然にバンドサウンドになるというあたりもこの曲は「ノーワー」の先の曲というようなイメージだ。
するとたかはしによるサイケデリックとも取れるようなサウンドのギターと、ラップとも取れるような言葉数の歌唱による「地球でつかまえて」へ。こちらは「恋と戦争」収録曲であるが、こうしてライブで演奏されると同様に収録されたスピッツのカバー「ジュテーム?」もいつかライブで聴けるのでは?と思ってしまう。たかはしの言葉が次々に放たれる歌唱も実に滑らかであるが、こうした曲が普通にカップリングという位置に入ってくるあたりがさすがである。
そんなバンドのサウンドがさらに極まっていくのはゆきやまが細かくシンバルなどを刻む「the tokyo tower」であり、海のうねりまくるベースとともにこのリズム隊の強さがリーガルリリーを3人だけの音で成り立つロックバンドたらしめていると思う。
それは曲を演奏するにつれて強くなっていく要素でもあるのだが、イントロのセッション的な、毎回ライブのたびに変わる演奏が追加された、くるりの岸田も聴きたがっていた至上の名曲「リッケンバッカー」ではそこにたかはしの轟音ギターが重なる。そうしてバンドの放つ一つの音の塊がさらに大きなものになっていく。できれば今の形で再録音源化して欲しいとずっと望んでいるけれども、これはライブじゃないと出せないものなのかもしれない。
それにしてもこうしてこのバンドのライブを見るとつくづく「バンドは生き物だ」と思う。それぞれの音が重なることによって一つのものとなり、それが日によってとんでもなく巨大化したりする。同じ人でも日によってバイオリズムや状態が違うように、その演奏も毎回見るたびに違う。それを最も感じさせてくれるのがリーガルリリーというバンドなんだと思っている。フェスの会場を歩いていても気付かなそうな3人がこんな化け物みたいな巨大なオーラを発しているのだから。偽物のなんかじゃなく、これこそ本物のロックンロールだ。
そして最後にたかはしがギターを掻き鳴らして演奏されたのは、まさにそのたかはしの姿そのもののことなんじゃないかとすら思う「はしるこども」。でもそれは見た目的には確かにたかはしだけれども、ゆきやまと海のリズムも疾走しまくっている。それによって我々も少しでも先へ、少しでも前へと歩みを進めたくなる。それが「おとな」の方が似合うようになる日は果たして来るんだろうかと思うくらいに、リーガルリリーは何もかもこの3人で変わらないままに進化していくような予感がしていた。
アンコールではリズム隊の2人が先にステージに出てくると、
海「あの憧れのくるりとついに対バン…。カッコよかったな〜。昨日の夜に緊張しすぎて吐きそうになってたもん(笑)」
ゆきやま「この「cell, core」は去年もやったんですけど、それがめちゃくちゃ楽しかったから今年もやりたいなって思って。とにかく私たちの好きなバンドだけを呼ぶっていう。そうしたら今回の東名阪は3箇所とも最初にオファーしたバンドがすぐに出るって言ってくれて。それが嬉しかったんで、今回のツアーのデザインのキーホルダーが売ってるんですけど(手に取って見せる)、見えないかな〜?(笑)
今回出てくれた3バンドの名前が入ってるんですよ。是非買って帰ってください」
と実に自然に物販紹介をすると、遅れてステージに戻ってきたたかはしは
「お知らせがあります。2023年の7月2日に日比谷野外大音楽堂でワンマンをやります。初めての野音ワンマンです」
と、ついに野音ワンマンを開催することを発表。まだ半年以上も先だけれど、その予定があることによって来年の夏まで生きていく希望をもらえる人がたくさんいるだろうし、バンドとしてもこの3人になってからの5周年を盛大に祝うものになるはずだ。
そしてせっかくのくるりとの対バンということで、
海「ライブのリハでも「三日月」をカバーしたり、音源でも「ばらの花」をカバーしたりしてきましたが…」
ゆきやま「「ばらの花」、生で聞けて本当に良かったよね〜!」
たかはし「今日やるのは「虹」です」
と、完全にくるりのコピバンのメンバーの会話みたいになる中で演奏された「虹」のカバーは本当に原曲そのままのアレンジによるもの。そこにくるりへの巨大なリスペクトと愛を感じさせるが、それもたかはしの声で歌うことによって初期くるりの持つフォークさが全く新しい時代のものとして生まれ変わっているような感覚になる。つまりはやはりたかはしは自身が歌った曲は全て自分のものにしてしまうような力を持ったボーカリストということである。くるりのメンバーたちはこのカバーを聴いてどう思ったのだろうか。もしかしたら、かつての自分たちを見ているようだと思ったりしたのかもしれない。
そしてそんなくるりとの邂逅というバンドにとってこれ以上ないくらいのターニングポイントになるであろうこの日の最後に演奏されたのは、エピローグ的でもありエンドロール的でもあるように響く「Candy」であり、爆音でも轟音でもない穏やかなそのサウンドがくるりの名曲たちと連なるものを確かに感じさせながら、同時にこの3人のそうした人間としての部分を感じさせた。それは何十年か後にこの日のことを回想した時には
「昔々に遠い晴れた国の空と 今も距離を保って生きてるよ」
と思えるようなものになっているのかもしれない。
とはいえリーガルリリーは普段と変わることはない。一緒にコラボしたり(少し期待したけど)、終わった後にステージ上で全員集まって写真を撮るというようなこともしない。カバーがなかったら完全にいつも通りでありながらもこの日だけのリーガルリリーのライブであった。
実はこのバンドの1番凄いところはそうした憧れの人たちと一緒になってもステージ上では全く動じることなく普段通りの自分たちのロックを鳴らすことができるというところなのかもしれない。
もちろんその時の世の中や世界の状況によって感じることも、生まれてくる曲も変わってくるはず。でもどんなことがあってもずっと変わることがないものが芯としてちゃんとある。憧れのバンドとの対バンだからこそそれがしっかりと見えた、リーガルリリーの「cell, core 2022」ファイナルだった。
1.GOLD TRAIN
2.東京
3.ぶらんこ
4.9mmの花
5.ノーワー
6.1997
7.天国
8.新曲
9.地球でつかまえて
10.the tokyo tower
11.リッケンバッカー
12.はしるこども
encore
13.虹 (くるりのカバー)
14.Candy
「対バンツアーをやるんですけど…凄い人たちとやるんで。楽しみすぎてにやけちゃう」
と言っていた通りに、リーガルリリーの対バンツアー「cell, core 2022」は名古屋が羊文学、大阪がMy Hair is Bad、そしてこの日がバンドがライブや音源で曲をカバーしてきたくるりと、その言葉通りに豪華な面々を迎えてのものになった。先日にはKOTORIもくるりを対バンに招いていたが、ここへきての若手バンドのくるりへのリスペクトっぷりも凄い。どのバンドもリーガルリリーにとっては(メンバーが天然であるだけに)ただただリスペクトしているバンドを呼んだということなのだろう。
・くるり
そんなくるりを見るのは先月のZepp DiverCityでのKOTORIの対バン以来ということで、近い時期にZeppで見るというのはどこか不思議というかデジャブ的な感じすらある。
19時になると場内が暗転し、SEもなしにメンバーがステージに登場するというのももうおなじみ。この日も岸田繁(ボーカル&ギター)、佐藤征史(ベース)の2人に加えてサポートとして松本大樹(ギター)、野崎泰洋(キーボード)、あらきゆうこ(ドラム)という編成も同じである。
そんなメンバーたちが楽器を手にすると、岸田が
「こん…ばんは、くるりです」
と挨拶してから
「この街は僕のもの」
といきなりの絶唱。先月の時と同様に「街」からのスタートであるが、決して歌が上手いというわけではない岸田のこの大ベテランの域に差し掛かってきての絶唱ボーカルはやはり染み入るものがある。というか一時期よりもはるかに歌えているようになっているのはコロナ禍以降にライブがちゃんとできるようになってから自分たちのツアーやワンマンを始めとして主催フェスなどでもライブを重ねてきているからだろう。佐藤と野崎のコーラスがその岸田のボーカルに重なることによって生まれる彩りももはやメンバーとサポートという関係性ではなくて完全にこの5人でくるりというものになっていることを感じさせる。
さらに岸田がギターを鳴らして始まったのはこのある意味では東京の象徴と言える場所の一つと言えるような羽田という場所にふさわしい「東京」であるのだが、野崎が間奏で奏でる美しいピアノの旋律に聴き入っていると、この曲は福生という東京の中でも特殊な場所(米軍基地がある)で生きてきたリーガルリリーに捧げられた曲であるかのように響く。そんな、東京で鳴らされるべくして鳴らされた「東京」はやはり格別であるし、佐藤によるコーラスも含めて何度聴いても飽きることは全くない。
岸田「こんばんは、くるりです。我々が初めて東京に降り立ったのはもう何年前ですかね?」
佐藤「前のバンドの時にも東京に来てますけど、1997年くらいですかね…」
岸田「97年前ですか。その頃は羽田は海苔の養殖なんかをしてましてですね、私もハマグリを取って味噌汁に入れて食べたりしてましたよ。
くるりはイリーガルなバンドなんでね、イリーガルくるりーですね」
という脱力MCを挟むが、結構最近はよく羽田に来ているであろうに全く羽田のネタが尽きることがないあたりはさすがである。
そんなMCの後には野崎のピアノのイントロだけで名曲確定な「ばらの花」が演奏されるというギャップも凄いが、くるりはみんなで声を出して歌うというバンドではないけれど、こうしてライブという場で名曲を聴いていると、どうにも歌いたくなるような感覚になる。それくらいに素晴らしいメロディであるということだ。その最たる曲がこの曲と言えるかもしれないし、やはりアウトロでの佐藤のコーラスは強い哀愁を感じさせる。岸田のボーカルとともに佐藤をはじめとしたメンバーのコーラスの表現力、説得力も年数を経るにつれて間違いなく増している。
岸田がアコギに持ち替えて奏でたイントロの段階で拍手が巻き起こったのは「ハイウェイ」であり、近年(というかここ最近)のくるりはこうして代表曲にして名曲中の名曲を惜しげもなく次々に演奏するようになっている。そこにはどんな心境の変化があったのかはわからないが、今こうしたセトリでフェスに出まくっていたら「初見殺し」と言われていた印象もだいぶ違っていたんじゃないかと思う。その方がくるりらしくて好きだったけれど、やっぱりこれらの曲を聴きたい人はたくさんいるはずだ。この「ハイウェイ」の穏やかだけれど精神を解放してくれるようなサウンドはそんなことを思わせてくれる。
そんなくるりの名曲の最新形が夏に配信リリースされた新曲たちの中の1曲「八月は僕の名前」である。やはりこちらも穏やかなサウンドで夏の情景と愛しい人のことを想起させるような曲。緑色の照明が夏の若葉を思わせるくらいにもう11月であっても脳内を夏に回帰させてくれるが、こうした曲が今でも生まれ続けているというのがくるりの凄さを改めて感じさせてくれる。それはそのまま若手バンドにとっての生きる教科書と言っていい存在である。
一転してサイケデリックな演奏によるイントロが追加された「琥珀色の街、上海蟹の朝」でも曲がわかった瞬間に拍手が起こるのであるが、そうしたリアクションからしても、サビで客席に広がるピース(蟹だけに)にしても、この日は若手バンドの対バンに呼ばれたベテランバンドにありがちなアウェー感が一切ない。それはくるりを観たくて来たという人もいたのだろうし、リーガルリリーファンにとってもメンバーが超リスペクトしまくっているバンドであるということをわかっているからだろう。そんなバンドがこんな極上の演奏を見せてくれるとあってはそうしたリアクションにならざるを得ない。こんなに見ていて酒を追加したくなるバンドや曲はそうそうないと思うくらいの心地良さである。
そんな心地良さをロックなバンドサウンドで塗り替えてみせるのは、やはりイントロのギターのサウンドが鳴った瞬間にたくさんの腕が上がる「ロックンロール」。あらきゆうこのロボットのように正確無比だけれど人間としてのしなやかさを感じさせるリズムはこれほどくるりにピッタリなドラマーはいないなと思う中、アウトロでは松本がステージ前に出てきてギターソロを弾きまくる。これこそが、本物のロックンロールさ、というように。岸田の歌唱もやはり実に力強くもあるし瑞々しくもある。だからこそこんなに蒼さを持った曲が今でもバンドのリアルとして響いてくるのである。
そんな岸田はギターを持ち替えると、
「こんなところにリッケンバッカーが。でもさすがにあの名曲はやりませんよ。この後に聴けたらいいなと思ってます」
と語る。そこからは岸田からの、くるりからのリーガルリリーへの確かな愛情とリスペクトを感じる。自分たちの尊敬するバンドに自分たちの曲を「名曲」と言ってもらえている。こんなに嬉しいことはないんじゃないだろうか。
そのリッケンバッカーで鳴らされるのは、あらきゆうこのドラムが駆け抜けるようなスピードで連打される「everybody feels the same」で、間奏でやはりギターソロを弾きまくった松本は手拍子を煽るとそれが客席へと広がっていく。岸田もまた最後のタイトル歌唱部分前にはステージ前に出てきて、THE WHOのピート・タウンゼントかというような腕を風車のようにぐるぐると回してギターを弾き、さらにリッケンバッカーを抱えて高くジャンプしてから松本と向かい合うようにしてギターを弾きまくっている。その姿は若手に負けないくらいに衝動あふれるロックバンドの姿だ。佐藤はその演奏を笑顔で見ていたが、くるりがこうして若手バンドと対バンしたり、あるいは岸田がプロデュースしたりしているのはそうしたバンドたちの放出している衝動を自分たちのものとしようとしているのかもしれないとその姿を見て思っていた。
そして最後に演奏されたのは波が流れていくような雄大なサウンドと美しいメロディが埋め立てられて開発される前の羽田の海にはこんな情景が広がっていたんだろうかとすら思う「潮風のアリア」。野崎のピアノの美しい旋律に浸りながら、やはりこうしてくるりの珠玉の名曲たちをライブで聴けるというのは実に幸せなことであるなと改めて実感することができた。それだけに、これからもこうした対バンやフェスなどにもガンガン出て欲しいと思う。そのライブを見て、曲を聴いて自分たちの音楽に影響を受ける若手バンドがまだまだたくさんいるから。今になってこそ、本当にくるりの偉大さを実感している。
1.街
2.東京
3.ばらの花
4.ハイウェイ
5.八月は僕の名前
6.琥珀色の街、上海蟹の朝
7.ロックンロール
8.everybody feels the same
9.潮風のアリア
・リーガルリリー
そんな敬愛する先輩バンドの後という、実に重いバトンを受け取った、リーガルリリー。「Light Trap Trip」ではコンセプチュアルなライブの作り方にも挑んでいたが、ワンマンよりも尺が短い対バンライブであるだけに果たしてどのような内容になるのか。
意外にもDJ的な曲をSEとしてメンバーがステージに登場すると、上手にゆきやまのドラム、中央に珍しくフォーマルな出で立ちの海(ベース)、そして下手に白衣かと思うような衣装を着たたかはしほのかが向かい合うような、リーガルリリーならではの編成は変わることはない中で、タイトルに合わせて金色と言えるような照明がうっすらとメンバーを照らす「GOLD TRAIN」からスタート。背面にはこのツアーのキービジュアルが張り出されているが、やはりこのバンドのシンプルなスリーピースバンドはそうしたロックバンドのライブのカッコ良さを改めて感じさせてくれる。たかはしの永遠の幼女的な見た目も歌声も変わることはないが、最初の一音を鳴らす瞬間に目を合わせて音を合わせるようにしていた海とゆきやまの姿からはやはりこのライブへの並々ならぬ気合いを感じさせる。
「こんばんは、リーガルリリーです。最後までよろしくお願いします」
と言って、くるりが2曲目に演奏していた「東京」と同じタイトルの曲が同じ位置で演奏される。きっとこれは狙ったものではないだろうし、だからこそ両者のシンクロっぷりを感じさせるのであるが、
「ナイジェリアの風が」
というフレーズから始まって
「ホタルイカの素干し」
というフレーズにまで発展するというぶっ飛び具合が両バンドの「東京」感の違いと、バンド自体の違いを如実に表している。今や岸田が京都の大学で教授も務めるくらいに理論を持って音楽を作っているくるりと、ひたすら発想と直感で作っているように感じるリーガルリリー。ともにスリーピースバンドとしてスタートしながらも辿ってきたキャリアや経てきた音楽性が全く違うというのもそのままバンドとしての違いになっている。
もはやこのバンドの演奏の核と言えるゆきやまがスタッフにサウンドのバランスを指示してからドラムの強靭さがさらに引き上がる「ぶらんこ」での静と動のコントラストは実にリーガルリリーらしいものであるが、アウトロでたかはしがキーンと硬質な金属音を鳴らすと、そのまま詩の朗読へと繋がる。こうしたアレンジは「Light Trap Trip」を経たものであることを感じさせるし、その朗読から繋がるように「9mmの花」が演奏されることによってライブのテンポも実に良くなり、こちらの集中力が途切れることなく演奏に目と耳を向けることができる。この曲ももちろんタイトルは9mm Parabellum Bulletのバンド名の由来になっている銃弾から取られているのだろうけれど、そうした描写はやはり福生で生活してきたからこそなのか。
「奪われた過去も未来もあなたが時とともに取り込んだ
これで最後の話になるけれど
私、あなたを愛してる。」
という永遠の別れを感じさせるような締めのフレーズまでも。
8月には最新配信EP「恋と戦争」という、今の世界情勢を言い当てているかのようなタイトルの音源もリリースしているのであるが、そのEPのリード曲である「ノーワー」の
「君は全てを体に入れてトイレで吐いた。吐いた。
食べ残すこと許せなかった。
物足りない、今日はまだ終わりじゃないと夜は進んだ。」
という戦争の映像を見てそうなってしまうような感覚も、
「ノーワーノーワーのごり押しで 対立が始まって
不和のはじまりで あまりに あまりに あまりに」
という戦争に対する外側からの意見も。たかはしの無垢さを宿す声によって歌われることで、それが子供の視点というよりはむしろ神のそれであるかのように聴こえてくる。ただ曲をライブで鳴らすだけでそう感じられるようなオーラをこの3人は放っている。きっと他に誰もこの3人が向かい合うような編成だからこそ描かれている円の中に入り込むことはできないんだろうなと思うくらいに。
海による重いベースのイントロがまさに前曲の対立を表現するかのように赤と青という対極の照明が当てられることによって際立つ「1997」ではサビではその海が飛び跳ねながらリズムを鳴らすように視界が開けていく感覚になるのであるが、最後にはおどろおどろしさに引き込まれそうになるたかはしの朗読へと展開していくという、何度聴いてもどうしてこんなにまとまりそうにない要素が1つの曲としてまとまっているのかが不思議でたまらない。そんな曲を作ったたかはしはサビの締めではポーズを決めるかのような姿で笑顔でギターを弾いているというのもまた不思議で仕方がないのである。
すると軽快と言っていいようなリズムが刻まれるのは昨年リリースのシングル「the World」収録の、あまりライブでは演奏されていないイメージのある「天国」。天国で流れてる音がこんなに爆音のロックサウンドであったら最高だなとも思うし、
「走れ走れ 地面が歪み 可愛くない自分が全部
右と左のえくぼに落ちて heavenly heavenly ヘヴンに行けるの」
と歌う通りにたかはしやこのバンドのメンバーは「地獄」(シングルには対照として「地獄」という曲も収録されている)ではなくて「天国」に行くべき人間だと思うけれど、それはまだまだはるか先のことの話だ。今はまだこうしてライブハウスでこのバンドのライブを観ているこの瞬間こそを天国と呼びたいと思う。
そんな中でたかはしが新曲と口にして演奏された曲は、そのたかはしの弾き語り的に歌とギターから始まる。ただしそこで歌われるのはやはり
「戦争が終わった後に」
などの聞き流せないような強いメッセージとテーマを持ったもの。それが途中からバンドの音が加わることによって音の強さを含んだ上で響くのであるが、ドーンと爆発的にバンドサウンドになるわけではなくて、あくまで自然にバンドサウンドになるというあたりもこの曲は「ノーワー」の先の曲というようなイメージだ。
するとたかはしによるサイケデリックとも取れるようなサウンドのギターと、ラップとも取れるような言葉数の歌唱による「地球でつかまえて」へ。こちらは「恋と戦争」収録曲であるが、こうしてライブで演奏されると同様に収録されたスピッツのカバー「ジュテーム?」もいつかライブで聴けるのでは?と思ってしまう。たかはしの言葉が次々に放たれる歌唱も実に滑らかであるが、こうした曲が普通にカップリングという位置に入ってくるあたりがさすがである。
そんなバンドのサウンドがさらに極まっていくのはゆきやまが細かくシンバルなどを刻む「the tokyo tower」であり、海のうねりまくるベースとともにこのリズム隊の強さがリーガルリリーを3人だけの音で成り立つロックバンドたらしめていると思う。
それは曲を演奏するにつれて強くなっていく要素でもあるのだが、イントロのセッション的な、毎回ライブのたびに変わる演奏が追加された、くるりの岸田も聴きたがっていた至上の名曲「リッケンバッカー」ではそこにたかはしの轟音ギターが重なる。そうしてバンドの放つ一つの音の塊がさらに大きなものになっていく。できれば今の形で再録音源化して欲しいとずっと望んでいるけれども、これはライブじゃないと出せないものなのかもしれない。
それにしてもこうしてこのバンドのライブを見るとつくづく「バンドは生き物だ」と思う。それぞれの音が重なることによって一つのものとなり、それが日によってとんでもなく巨大化したりする。同じ人でも日によってバイオリズムや状態が違うように、その演奏も毎回見るたびに違う。それを最も感じさせてくれるのがリーガルリリーというバンドなんだと思っている。フェスの会場を歩いていても気付かなそうな3人がこんな化け物みたいな巨大なオーラを発しているのだから。偽物のなんかじゃなく、これこそ本物のロックンロールだ。
そして最後にたかはしがギターを掻き鳴らして演奏されたのは、まさにそのたかはしの姿そのもののことなんじゃないかとすら思う「はしるこども」。でもそれは見た目的には確かにたかはしだけれども、ゆきやまと海のリズムも疾走しまくっている。それによって我々も少しでも先へ、少しでも前へと歩みを進めたくなる。それが「おとな」の方が似合うようになる日は果たして来るんだろうかと思うくらいに、リーガルリリーは何もかもこの3人で変わらないままに進化していくような予感がしていた。
アンコールではリズム隊の2人が先にステージに出てくると、
海「あの憧れのくるりとついに対バン…。カッコよかったな〜。昨日の夜に緊張しすぎて吐きそうになってたもん(笑)」
ゆきやま「この「cell, core」は去年もやったんですけど、それがめちゃくちゃ楽しかったから今年もやりたいなって思って。とにかく私たちの好きなバンドだけを呼ぶっていう。そうしたら今回の東名阪は3箇所とも最初にオファーしたバンドがすぐに出るって言ってくれて。それが嬉しかったんで、今回のツアーのデザインのキーホルダーが売ってるんですけど(手に取って見せる)、見えないかな〜?(笑)
今回出てくれた3バンドの名前が入ってるんですよ。是非買って帰ってください」
と実に自然に物販紹介をすると、遅れてステージに戻ってきたたかはしは
「お知らせがあります。2023年の7月2日に日比谷野外大音楽堂でワンマンをやります。初めての野音ワンマンです」
と、ついに野音ワンマンを開催することを発表。まだ半年以上も先だけれど、その予定があることによって来年の夏まで生きていく希望をもらえる人がたくさんいるだろうし、バンドとしてもこの3人になってからの5周年を盛大に祝うものになるはずだ。
そしてせっかくのくるりとの対バンということで、
海「ライブのリハでも「三日月」をカバーしたり、音源でも「ばらの花」をカバーしたりしてきましたが…」
ゆきやま「「ばらの花」、生で聞けて本当に良かったよね〜!」
たかはし「今日やるのは「虹」です」
と、完全にくるりのコピバンのメンバーの会話みたいになる中で演奏された「虹」のカバーは本当に原曲そのままのアレンジによるもの。そこにくるりへの巨大なリスペクトと愛を感じさせるが、それもたかはしの声で歌うことによって初期くるりの持つフォークさが全く新しい時代のものとして生まれ変わっているような感覚になる。つまりはやはりたかはしは自身が歌った曲は全て自分のものにしてしまうような力を持ったボーカリストということである。くるりのメンバーたちはこのカバーを聴いてどう思ったのだろうか。もしかしたら、かつての自分たちを見ているようだと思ったりしたのかもしれない。
そしてそんなくるりとの邂逅というバンドにとってこれ以上ないくらいのターニングポイントになるであろうこの日の最後に演奏されたのは、エピローグ的でもありエンドロール的でもあるように響く「Candy」であり、爆音でも轟音でもない穏やかなそのサウンドがくるりの名曲たちと連なるものを確かに感じさせながら、同時にこの3人のそうした人間としての部分を感じさせた。それは何十年か後にこの日のことを回想した時には
「昔々に遠い晴れた国の空と 今も距離を保って生きてるよ」
と思えるようなものになっているのかもしれない。
とはいえリーガルリリーは普段と変わることはない。一緒にコラボしたり(少し期待したけど)、終わった後にステージ上で全員集まって写真を撮るというようなこともしない。カバーがなかったら完全にいつも通りでありながらもこの日だけのリーガルリリーのライブであった。
実はこのバンドの1番凄いところはそうした憧れの人たちと一緒になってもステージ上では全く動じることなく普段通りの自分たちのロックを鳴らすことができるというところなのかもしれない。
もちろんその時の世の中や世界の状況によって感じることも、生まれてくる曲も変わってくるはず。でもどんなことがあってもずっと変わることがないものが芯としてちゃんとある。憧れのバンドとの対バンだからこそそれがしっかりと見えた、リーガルリリーの「cell, core 2022」ファイナルだった。
1.GOLD TRAIN
2.東京
3.ぶらんこ
4.9mmの花
5.ノーワー
6.1997
7.天国
8.新曲
9.地球でつかまえて
10.the tokyo tower
11.リッケンバッカー
12.はしるこども
encore
13.虹 (くるりのカバー)
14.Candy
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