立ち位置や精神的にはずっと若手であるようにも感じるけれど、でもデビュー時から年齢的にはすでに若手ではなかったよなという実に独特のポジションにい続けてきた忘れらんねえよもついに結成から15周年を迎えた。それを記念してリキッドルームで対バンライブ「ツレ伝」を2daysで開催。
今回は「超ツレ伝」というタイトルになっているように、ツレ(対バン)もとっておきというか、満を辞しての四星球とキュウソネコカミという、忘れらんねえよと近い位置で戦ってきた感のある2組。この日は2日目、ツレはキュウソネコカミ。
・キュウソネコカミ
「超ツレ伝」というタイトルを噛みまくりながらも「楽しくても思いやりとマナーを忘れずに」と言っているし、前説がP青木であるというのはなんだかキュウソのワンマンに来たみたいに感じるのであるが、19時に場内が暗転すると、おなじみのFEVER333のSEで手拍子が起こる中でキュウソがステージに登場。平日ということもあって埋まるのは遅めだったが、立ち位置に指定もないスタンディングの客席は端から後ろまでぎっちり満員になっている。キュウソを都内のこのキャパで見れるのも今や貴重な機会である。
「よっしゃ行くぞー!」
とヤマサキセイヤ(ボーカル&ギター)が気合いを放出するようにして叫ぶと、ここにいる全員の目を覚ますかのように「MEGA SHAKE IT!!」でスタートするのであるが、ハウスミュージックのくだりで観客はみんな振り付けを踊っているのを見て、セイヤもヨコタシンノスケ(キーボード&ボーカル)もオカザワカズマ(ギター)も実に嬉しそうな笑顔を見せている。その光景からはゲスト側という感は全くない。キュウソが見たくて来た人もたくさんいるだろうけれど、忘れらんねえよのファンもキュウソの曲を聴き、ライブを見て来ているというのがよくわかる。
「キュウソの数少ないラブソングを喰らってくれー!」
とセイヤが叫ぶと、ヨコタによるキーボードのサウンドのインパクトが強い「メンヘラちゃん」へ。確かにラブソングと言えば恋人同士の曲と言える曲であるが、いわゆる一般的なラブソングとは真逆な内容なのはさすがキュウソだなと、セイヤの言葉を聴いても思うし、観客はやはり腕を振り上げまくる。完全にキュウソのワンマンの光景と言ってもいいくらいのレベルの盛り上がりっぷりである。
なのだが、やはりそこは招いてもらった側ということもあってか、「ファントムバイブレーション」の前にはワンマンの時よりも丁寧に、フェスでのライブに近い感覚で手拍子の説明をするのであるが、説明をしようとしている時にすでに客席からリズムに合わせた手拍子が起きるというくらいに完全にこの日の観客にはこの曲でのコール&手拍子が浸透している。セイヤは歌い出しの
「誰よりも君見つめてる」
のフレーズで最前の観客を指差して見つめていたが、その人がどう感じたのだろうかというのも気になるし、普段最後のサビ前でやる、工藤静香「嵐の素顔」の顔の前で手を動かす振り付けをひたすらやり続けてヨコタに失笑されていたのもこのライブに対して高まりまくっているからであるということが伺える。
それが形になって現れたのは、まさかの忘れらんねえよ「寝てらんねえよ」のカバー。キーボードがいることによってメロディのキャッチーさが際立つ中、セイヤは歌詞を
「尼崎の後輩のあいみょんが甲子園でワンマン
岡崎体育はキムタクと共演
凄すぎてわけわからないけど自分たちのやり方で上を目指す」
とキュウソバージョンにアレンジ。その歌詞もあってか、もはやセイヤが書いた曲なんじゃないかと思えるくらいにハマっているし、フル尺でカバーしたというのも本当にこの曲が好きだからこそである。改めて忘れらんねえよとキュウソが同じ精神性を持ったバンドであるということがよくわかる。
そんな「寝てらんねえよ」への思い入れをセイヤが語りながら、
「後輩のバンドの曲がサブスクの世界チャートを駆け上がる中、我々がリリースした「住環境」は物件の曲!チャートを駆け上がれるわけもない曲だけれど、自分たちの曲はどれも我が子のように可愛い!だから最新のこの曲がキュウソの再生回数でトップになるように演奏していく!」
と、リリースされたばかりの新曲「住環境」の説明(?)をするのであるが、サビ前でジャンプすることを推奨してから演奏されたものの、最初のサビ前では全く観客がジャンプができず、
「B'zの「Ultra Soul」が飛びやすさレベル10だとしたら、この曲は2〜3レベルってくらいに飛びづらい!ツアーでもダグトリオみたいにバラバラにジャンプしてた!でも今日は特にできてない!(笑)」
と観客にダメ出しすると、次のサビではあからさまにヨコタがジャンプするタイミングでカウントをし始めたことによってしっかり決まる。「メンヘラちゃん」もそうであるが、こんなに世の中から需要が一切ない、セイヤの過去の「ボロアパートで歌ったりギター弾いてたら苦情が来た」という経験をそのまま歌詞にした曲をシングルとしてリリースできるバンドはキュウソくらいしかいない。そういう意味でも自分はやはりキュウソを天才たちによる凄いバンドだと思っている。
するとソゴウタイスケ(ドラム)がタイトルコールをしたのは「たまにいるタラシくん」というレアな選曲。ツアーで演奏されているというのは参加したフォロワーさん達のツイートを見て知っていたが、まさかこうした対バンライブでも演奏されるとは。タイトルや内容とは裏腹に切なさを感じさせるようなヨコタのキーボードのサウンドとソゴウが細かく刻むリズムは我々の体を踊らせてくれるが、この曲の歌詞そのものなのかと思うようなバンドマンの不倫問題が次々に明るみになるあたり、この曲を作った時のキュウソは世の中の先が見えていたのかもしれないとすら思えてくる。
そんな我々の体をさらに激しく踊らせてくれるのは「ギリ昭和」で、セイヤも間奏で「オイ!オイ!」と叫びまくり、最後のサビではスタッフが「令和」ボードを持ってステージに登場と、対バン側であってもいつも通りのキュウソというか、いつもをさらに上回るような熱さ。その熱量はライブハウスで生きているバンドだからこそのものであり、どれだけ涼しい季節になってもこの中だけは変わることはない。
そんなセイヤは
「俺たちと忘れらんねえよはずっとライブハウスで一緒にやってきたけど、ライブハウスでやってると変わってくバンドもいるし、変わらざるを得ないこともあったり、世界も変わっていく。
でも今日会場入ったら楽屋に柴田さんが挨拶しに来てくれたんだけど、髪伸びすぎて上でまとめてて、首ダルダルの「I DON'T NEED SEX」て書いてあるTシャツ着てて、「コロナになって全然会えなかったね〜」って話し始めたらいきなり最近気に食わないバンドの話をし始めて(笑)柴田さん、変わってねー!って思ったし、最後に「タクロウ君大丈夫?」って言ってくれた。今はシンディ(空きっ腹に酒、JYOCHO)がサポートで弾いてくれてるけど、タクロウが戻ってきたら今度は俺たちが忘れらんねえよを呼んで対バンするから!」
と力強く宣言。それは忘れらんねえよもそうだが、そう感じるということはキュウソもまた変わっていないということである。今でも牙を剥き出しにしてさらに自分たちの行きたい場所や方向へ突き進もうとしているバンドだから。
それを音で感じさせてくれるかのように「ビビった」からはキュウソの持つ熱さを全放出していくような演奏が続く。その「ビビった」は歌詞の内容がやはり忘れらんねえよのスタイルと通じるように感じられるし、「推しのいる生活」の
「今日もこうして会いに来てくれてありがとうー!」
というセイヤの叫びはやはりキュウソが我々の推しであるということを改めて確かめさせてくれる。だから「わっしょいわっしょい」と全力でその存在を担ぎたくなるのであるし、どこかこの曲をライブで聴いていると優しい気持ちになれる気がする。それは周りにいるキュウソファンと、ステージに立っているメンバーの優しさを最も感じることができる曲だからかもしれない。だから自分はキュウソの音楽とライブが好きなんだよなと思えるというか。
そして熱さの前の静けさというか、燃え盛る前に打ちのめされたような心情を表すかのような切ないサウンドが鳴らされると「わかってんだよ」へ。熱いキュウソという一面を映画タイアップという効果もあって広く知らしめた曲でもあるのだが、
「ボロボロになってやっと気付いたよ ボロボロになってやっとわかったよ
あぁ僕は何も出来ないくせにバカにして 努力も挑みもしていなかったよ」
というサビの歌詞は確かにキュウソと忘れらんねえよが経験してきたことがそのまま歌詞になっているというか、そうした打ちのめされたりした経験がこの熱さを生み出し、そこに説得力を与えている。実は両バンドに通じるのはコミカルさではなくてその熱さであるというのが鳴らしている音とパフォーマンスから伝わってくる。
そんな熱さがさらに極まるのが「The band」。それはやはりこうしてライブハウスで生きているバンドだからこそ持ち得る熱さであるということを感じさせてくれるし、両バンドともにいろんな変化はあったけれど、つまるところ「ロックバンドでありたいだけ」なんだよなと思う。アウトロで
「忘れらんねえよ15周年おめでとう!愛してるぜー!」
と叫んでいたセイヤの姿も、それを見て手を振る客席の光景も、その全てを自分も愛してると胸を張って言える。今この瞬間は我々にとってのヒーローである、あまりに熱いロックバンドのライブでしかなかった。
それこそロッキンやラブシャでのキュウソのライブも本当に素晴らしかった。でもこの日がそれをはるかに超えていたなと思えるくらいに素晴らしかったのは、やはりこんな大事な日に呼んでくれた忘れらんねえよへの思いがあってこそであるし、これまでに対バンしてきた経験からして、キュウソは100%以上を出さないと忘れらんねえよに全て持っていかれてしまうということをきっとわかっている。
それをわかった上で、この日を最高の1日にするには自分たちが最高をさらに上回るようなライブをするしかないということもわかっている。そうしたいろんな要素が、この日のキュウソのライブをより素晴らしいものへと昇華していた。それはきっとまだ続く自分たちのツアーへと還元されていく。つまりキュウソはまだまだ強くなっていく。そうして強くなって5人に戻った時にまたこうして忘れらんねえよと対バンして、その時には客の上を歩くセイヤの足を支えることができたらなと思う。
1.MEGA SHAKE IT!!
2.メンヘラちゃん
3.ファントムバイブレーション
4.寝てらんねえよ
5.住環境
6.たまにいるタラシくん
7.ギリ昭和
8.ビビった
9.推しのいる生活
10.わかってんだよ
11.The band
・忘れらんねえよ
そんなキュウソの熱演によって暑さが増した中での忘れらんねえよ。この15周年という新しい門出を自分たちで祝う2日間を締め括るライブにもなる。今年はあまりフェスに出ていなかった(毎年出ていたロッキンもいなかったし、BAYCAMPは開催されてすらいない)だけに、ライブを見るのは少し久しぶりだ。
SEもなしにメンバーが先にステージに登場すると、タイチ(ドラム)は金と黒が混じった髪がさっぱりしていることによって、より爽やかなイケメンっぽくなり、元からイケメンなイガラシ(ベース)は髪が伸びすぎたのか後ろで結くようになっている。ロマンチック☆安田(ギター)は髭がかなり伸びており、なんだか晩年のジョン・レノンのようにすら見える。
そんな3人が音を鳴らし始めると、マイクを持った柴田隆浩(ボーカル&ギター)が歌い始めたのはまさかのキュウソ「ビビった」のカバー。そのハマりっぷりはキュウソが「寝てらんねえよ」をカバーしたのと同様であり、キュウソが「ビビった」を演奏した時に感じた忘れらしさをこんなに早く回収することができるとは。柴田はハンドマイクを持ってステージを走り回りながら歌うのだが、それによってギター、ベース、ドラム(タイチがヨコタパートを歌っている)のみという実にシンプルな形でのカバーになっている。ワンコーラスだけであるが、忘れらんねえよもやはりキュウソをリスペクトしているということがよくわかる、「超ツレ伝」だからこそのスタートにテンションが上がらざるを得ない。
柴田がギターを抱えると、
「あんたたちの歌だよ」
と客席を指差して言っての「喜ばせたいんです」はそんな冒頭のテンションから一転して、まさにタイトル通りにこうして来てくれた人たちを喜ばせるために丁寧に歌い、演奏されているというイメージだ。それは柴田だけならず、その歌声にコーラスを重ねる安田とイガラシの声からも感じることができるものである。
「今日もやっぱり…」
と言ってから、再び一転してタイチの激しいパンクビートが鳴り響く「この街には君がいない」と、やはり15周年を自ら祝すようにあらゆる時期のあらゆるタイプの曲が演奏されていくライブになるということがわかるのであるが、歌詞を「恵比寿」に変えることによってよりりゃあこの街には柴田が求めている人はいないだろうと思えるものになっている。
「あー!もう最高!キュウソ最高!俺、今41歳だけど青春ですよ!青春が始まったー!」
といきなり感極まりまくっている柴田が喋りまくり、早くもマイクにディレイをかけた投げキスを観客にプレゼントするというありがたいのかなんなのかよくわからない展開から、柴田は
「忘れらんねえよはこれからも藤井風やVaundyのようなオシャレな曲は作らず、ダサい曲を作り続けることをここに宣言いたします!」
と謎の宣言をすると、そんなダサい曲の筆頭とも言えるような「中年かまってちゃん」を演奏するのであるが、
「エロサイトの深夜サーバーに負荷がかかって
つながらんのは俺が一人じゃないから
この世界のひとりぼっちの部屋はつながっている」
というフレーズは間違いなく藤井風もVaundyも書けない(というか書く必要がない)、柴田にしか生み出せない名フレーズであるし、キュウソはキュウソにしか作れない歌詞と曲を作り、忘れらんねえよは柴田にしか作れない歌詞と曲を作っている。それこそがそうして巨大な若い才能が次々にシーンに登場しても両バンドが最前線に立ち続けている理由である。
何よりもそんなどうしようもない自分自身のことを歌った曲の後に不意に
「セイヤ君、セイヤ君!」
とセイヤに訴えかけるようにして大名曲「バンドやろうぜ」を演奏するのだからそのギャップが実にズルいのだが、
「岡崎体育がキムタクと一緒にCMに出てるから」
と、セイヤが「寝てらんねえよ」の歌詞を2022年の自分たちのものへとアップデートしたように、忘れらんねえよもやはりこの曲を今の自分自身のリアルへとアップデートしている。両者にここまで言われる岡崎体育も凄いけれど、この曲ではイガラシが一気に感情を放出するように激しくベースを弾いている。それはwowakaを失ってもヒトリエを続けることにしたのは、イガラシもメンバーとして演奏に参加しながらもこの曲に救われたんじゃないかと思うし、それはやはり紆余曲折ありながらも爆弾ジョニーであり続けている安田とタイチも同じであろう。この曲のMVにはチャットモンチーの2人が出演して柴田を救ってくれたが、同じようにきっといろんなバンドマンがこの曲に救われているはずだ。
そんな感動すらするほどの名曲の後にはやはりそれと表裏一体の自堕落な自分自身に喝を入れるような曲である「いいから早よ布団から出て働け俺」が演奏されたりとなかなかに展開が激しいのであるが、
「15周年。キュウソと出会ってから10年くらいか。セイヤ君、最初は前髪長くてかき分けてたもんね(笑)今はタクロウ君が活動休止してるけど、絶対また戻ってきて一緒にライブできるだろうし。
俺たちもいろんなことがあった。ドラムがやめました!ベースもやめました!でも楽しいことだってたくさんあった。そんなこれまでの日々に」
と、ふざけながらも急にシリアスモードになって演奏されたのは、かつて酒田が脱退することになった時に作られた「別れの歌」。それはこれまでの自分たちの15年に渡る日々にケリをつけてまたここから新しく進んでいくために演奏されたものでもあるのだが、自分が忘れらんねえよと出会ってから10年くらい。その10年の中で酒田と梅津が脱退して…ということもあった。でも思い返せばどんな時もやっぱり忘れらんねえよのライブは楽しかったことばかりが記憶に残っている。それは柴田がどんな時でも我々を楽しませてくれ続けてきたということであるし、今もそう思えているというのは今の忘れらんねえよが最高であるということだ。
そんな柴田が
「あなたに歌います」
と真面目に言って歌い始めた「世界であんたはいちばん綺麗だ」は、実は柴田がちゃんと歌が上手いボーカリストであるということを実感することができるバラードだ。下手でも成立してしまうのがこうしたパンクロックでもあるのだが、上手いからこそ、ちゃんと歌えるからこそ伝えることが出来る表現力というものがあるということを柴田はきっとちゃんと理解している。だからこんなにもハイトーンな曲をしっかり歌い切ることができる歌唱力を持ち、それを磨き続けているのだろう。
よりオタッキーな出で立ちになりつつある安田をイジると、
「オタクはみんな同じような形になっていく(笑)」
ということを安田が自ら実践していることもわかるのだが、柴田がもうオッさんと呼ぶ安田らメンバーたちはまだ柴田よりもはるかに若いということで、そんなメンバーも含めて最高であるということを宣言するように「これだから最近の若者は最高なんだ」が演奏されるのだが、この曲がただ若者に媚びているのではなくて、柴田が若いアーティストの音楽を日々チェックしまくっていて、その才能に嫉妬したり刺激を受けたりしているからこそ、この曲が説得力を感じさせる。つまりは本心をそのまま歌っているだけなのだ。今年出演したフェスで酔っ払ってVaundyに声をかけたらめちゃくちゃ塩対応だったという実に柴田らしいエピソードも含めて。
そしてかつての対バン時にはキュウソのセイヤと競うようにして客席に突入して観客に支えられながらビールを一気飲みしていた「ばかばっか」も今はそのパフォーマンスをすることはできない…と思っていたのだが、間奏で柴田は
「もういいんじゃないかなとも思うけど、炎上怖いから(笑)」
ということで、客席に通路を作ってその間を通り、決して観客と触れ合わないようにして客席の奥にあるバーカウンターまで到達してビールを一気飲みする。長く伸びた髪にビールの泡がついたりしていたが、
「俺たちのやり方で戦っていこう!」
と言っていた通り、柴田は柴田なりのやり方でまたかつてのようなライブハウスの姿を取り戻そうとしているし、こうしてライブをやり続けることで前に進もうとしている。飛び道具的なパフォーマンスのようにも見えるが、それはやっぱりライブハウスでライブをやるための表現であり続けてきたことが今になってよくわかる。
そうしてステージも客席もさらに熱くなったところで演奏された、初期の「なんでもっと売れなかったんだろうと思うけどそもそもこの歌詞でシングルリリースできたのが凄い曲」の最たる存在だと思っている「僕らチェンジザワールド」が演奏されると、音源やかつての3人編成時よりも圧倒的にテンポが速く、音も激しいパンクサウンドになっている。もしかしたら柴田が曲を作った時に思い描いていた理想形に、このメンバーで演奏することによって到達したのかもしれない。柴田は
「世界を変えるんだ!」
と言っていたが、それは政治や社会をガラッと変えるのではなくて、自分自身の中の世界や意識、価値観を変えることだと思っている。それによって見える世界は間違いなく変わるから。忘れらんねえよに出会ってその世界が変わったという人もここにはたくさんいるはずだ。
その熱さがさらに加速していくのが、柴田のヤケクソっぷりと音楽自体のキャッチーさは共存させることができるということを示すかのような「俺よ届け」。それは性急なバンドサウンドに乗せて
「絶対 俺変わったりしないから 俺変わったりしないから
ずっと君が好きだから」
と歌うからこそ伝わってくる切迫感が確かにあるのだが、間奏で特別ゲストとして、この日限定の金ロゴTシャツを着たキュウソのセイヤが招かれると、最後のサビを2人で歌う。
「なんかさ不思議さ 君がいるだけで
俺頑張ってられるのさベイベー」
という歌詞はセイヤが一人で歌ったのだが、意図した歌割りなのかはわからないけれど、ここは本当にセイヤが歌う歌詞だと思った。キュウソが観客のパワーを自分たちの演奏のパワーに変えていくような瞬間をこれまでに何度も見ていたから。歌い終わると柴田とセイヤは抱き合っていたが、こんなに素晴らしいコラボを見せてくれて本当にありがとうと思った。世代は違えど、やっぱりそれくらいにこの両者は通じ合っている。
そんな忘れらんねえよの始まりを告げた「Cから始まるABC」は間違いなくこうした日のライブに欠かせないものであり、チャットモンチーやベンジーと実際に会うことができてもまだ柴田の音楽人生が終わることはないし、
「いつの間にか四十路になっていく」
と歌詞が変わったことに、この曲が出た時に「すぐ契約切られて終わる」って言われていた忘れらんねえよが本当に10年メジャーの世界で続いてきたんだなと思う。だからこそ
「夢の中で今ももがいてる」
というフレーズは「若い頃に書いた曲はもうリアリティがない」というんじゃなくて、今もリアルな柴田の心境として響く。それはセイヤが言っていた通りに、忘れらんねえよが変わらなかったということだ。
「もう、言えることなんてないよ」
と、曲を演奏していくごとにより感極まっていくように感じる柴田が口にすると、ギターを弾きながら
「アイラブ言う キュウソが好きだって言うのさ
アイラブ言う あんたらが好きだって言うのさ」
と歌うと、バンドの演奏が入るわずかな瞬間に客席から大きな拍手が起こる。それはその歌に柴田が伝えたいことの全てが乗っかっていたからだ。だからこそリリースされたばかりの「アイラブ言う」はどうしようもないくらいに不器用な男だけど、音楽でなら全てを伝えることができるということを示してくれる、忘れらんねえよの新たな、そしてこれからも大事な存在になっていくことは間違いない名曲だ。こうした曲を忘れらんねえよなりの言語感覚で作って、こんなに心が震えるくらいに響かせることができる。そこに柴田が本当に我々の存在を大切に思っていることが伝わってくるのだ。
そんなツーマンとは思えないくらいのボリュームを持ったライブはいよいよクライマックスへ。最後に演奏されたのはもちろん、これまでも様々なライブの締めを感動的に担ってきた「忘れらんねえよ」で、柴田が
「携帯をサイリウムみたいにして振ってくれ!」
と言うと会場の照明が全て落ちて、観客の振るスマホライトの光のみが輝く。柴田はその光景を見て
「キレイだ!」
と口にする。それは忘れらんねえよの音楽を聞いてくれる人が目の前にいてくれるからこその光であることを柴田はきっとわかっているからだ。そして最後には飛沫が飛ばない、ハミングでの合唱が響く。歌詞を歌うことはできないけど、確かに観客全員が歌っているのがわかる。
「もうちょっと、本当にあともうちょっとでまたきっとみんなで歌えるようになるから!」
と柴田は言っていたが、歌詞のないハミングだけでもこんなに感動してしまうというのに、またみんなでこの曲を思いっきり大合唱できるようになったら我々の涙腺は持ち堪えることができるのだろうか。いや、その日くらいは思う存分泣いたっていいはずだ。ずっとこうやってみんなでルールを守りながら楽しんで、戦ってきたのだから。どんなに歌えない期間が長くなろうと、この曲の歌詞を忘れることはない。それくらいに数え切れないくらいに歌ってきたこの曲を、せめて来年にはまたみんなで歌うことができているように。
そしてアンコールではすでにやり切ったような感じも出ているが、それでも
「今日のキュウソのライブが今まで見てきた中で1番良かった」
と言ってキュウソに拍手を送ると、さらにはこの日のライブを作ってくれた照明、この日で異動してしまう現場マネージャーにも拍手を送ると、最後に演奏されたのは「この高鳴りをなんと呼ぶ」。ああ、そうだ、15曲も演奏しても、まだ忘れらんねえよにはこんな大名曲があるのだ。一心不乱にリズムを刻むタイチとイガラシも、体全体でギターを弾くような安田も、
「明日には名曲がツレ伝に生まれんだ」
と歌詞を変えながら思いっきり感情を込めて大きな声で歌う柴田も、その演奏に腕を掲げて応える我々も。誰もが今でもこの高鳴りを信じてる。忘れらんねえよの音楽がいろんな場所やそれぞれの状況で戦っている人に響く理由がこの4分間に確かに詰まっていた。
演奏が終わるとキュウソを呼び込んでの写真撮影へ。セイヤとずっとじゃれているところは本当にこの2人の仲の良さを感じさせてくれるのだが、この日でバンドから去るマネージャーを真ん中にして撮影するというあたりには、たとえ内輪の話だろうと、自分たちに関わってくれた、支えてくれた人への感謝をしっかりと伝えるという柴田の誠実さや実直さが感じられるのだが、客席下手に貼られた小さな幕には早くも、かつて「この高鳴りをなんと呼ぶ」リリース時にはやりたくても動員がなさすぎて出来なかったという都内の小さなライブハウスばかりを回るツアーが発表された。全20箇所参加した人には「柴田があなたの自宅まで行って弾き語りする」というとんでもない特典もあるのだが、それを達成できる人は果たしているのだろうか。
そんな発表が終わると無理矢理この日を締めるべく、NiziU「Take a picture」が流れ、振り付けを完璧にマスターしているタイチが踊り始めるのだが、そのタイチの踊りを見て「みんなで手を繋いで礼をしよう!」という柴田の思いつきによって、一度捌けたキュウソのメンバーたちも再びステージに戻ってくるという行き当たりばったりっぷりだったが、セイヤに「回収して!」と押し付けるのも含めて、それもまた忘れらんねえよらしさでもあった。
例えば柴田が口にしていたような、オシャレな音楽を作るアーティストたちの音楽も聴いていて本当に凄いと思う。こんなの他に誰が作れるんだと思うくらいに。でもそうした音楽よりも、忘れらんねえよの音楽の方が「これは自分のための音楽だ」と思えてしまう。
どんなに豪勢なコース料理を食べるよりも、ラーメンを食べたり大衆居酒屋で安いビールを飲む方が満たされると思ってしまうように、きっとそう思ってしまう人生だというのはこれから先も変わることはないだろう。
でもそんな人生だからこそ、自分のための音楽だと思えるバンドに出会えて、こうしてライブが見れていることによって確かに救われて生きている部分は間違いなくある。
もう10年近く前、つぼ八で飲み会に参加してメンバーと一緒に飲んでいた人たちは今も元気でいて、忘れらんねえよを聴いているだろうか。そんなことを思い返してしまうような、忘れらんねえよの15周年の始まりの日。やっぱり、この高鳴りを信じてる。
1.ビビった
2.喜ばせたいんです
3.この街には君がいない
4.中年かまってちゃん
5.バンドやろうぜ
6.いいから早よ布団から出て働け俺
7.別れの歌
8.世界であんたはいちばん綺麗だ
9.これだから最近の若者は最高なんだ
10.ばかばっか
11.僕らチェンジザワールド
12.俺よ届け w/ ヤマサキセイヤ
13.Cから始まるABC
14.アイラブ言う
15.忘れらんねえよ
encore
16.この高鳴りをなんと呼ぶ