Slow LIVE CAFE vol.4 森大翔 / CLOW @eplus LIVING ROOM CAFE&DINING 8/19
- 2022/08/19
- 23:12
東京にある池上本門寺で開催されているSlow LIVEというイベントが若手アーティストにフォーカスしたイベントを開催しており、その第4弾として開催されたのがこの日の森大翔とCLOWという新鋭シンガーソングライター2人による対バンである。
コロナ禍になってから定期的にライブを観に来ている会場ではあるのだが、毎回この会場の格式高そうな空気には少し緊張してしまう。いつも以上に食事をしながらライブが始まるのを待っている人が多いようなイメージなのもゆったりと楽しむというライブのコンセプトによるところもあるだろう。
・CLOW
19時30分にステージに現れて椅子に腰を下ろしてアコギを手にしたのはシンガーソングライターのCLOW。ショートヘアの中性的な顔立ちからも名前からも男性かと思っていたのだが、歌い始めてすぐに女性であることに、クラムボンの原田郁子をより凛としたような歌声を聴くことによってわかる。
「ディダラディ」「ルラルラ」
などの擬音を巧みに使うことによって、爪弾くような最小限のアコギの音に声を重ねて情景を描くというイメージのシンガーであるのだが、こんなにもじっくりと歌う姿を見られている中とは思えないくらいに堂々としている。というか歌うことによって自分の世界の中に没入しているかのようですらある。それによってどこか神聖なオーラのようなものを彼女自身からも感じられる。
MCもなく次々に曲を歌っていくのであるが、最初はウィスパー気味とまではいかないまでも、どこか等身大な声量で歌っていたのが、後半になると一気に声を張った歌い方になることによってその緩急の付け方に驚かされる。シンガーソングライターにも様々なタイプのアーティストがいるし、それは弾き語りというシンプルな形でもそれぞれ個性が現れるものだと思っているのであるが、彼女の場合はその個性というかストロングポイントは明らかに歌声であるし、きっと彼女自身もそれを理解しているんだろうと思う。
最後にはずっと歌ってきた高円寺のライブハウスが年内でなくなってしまい、その会場でワンマンライブをやることを告知していたが、自身の見てきたものやそこで得た感情をそのままギターと音に乗せて歌うシンガーソングライターだからこそ、それもまた彼女の新しい歌になるのだろうと思う。そのどこか儚くも強さを感じる歌声がこびりついてしまって、すぐにツイッターのアカウントをフォローした。
・森大翔
現在19歳。先ほどのCLOWも北海道の札幌出身とのことであるが、こちらは北海道の羅臼出身のシンガーソングライターで、16歳の時にロンドンで開催されたギターの16歳以下の世界大会で優勝という経歴を持ち、先日行われたROTH BART BARONの日比谷野音でのライブにも参加していたというあまりにトピックばかりすぎるような人生を歩んでいる男である。
帽子を被って眼鏡をかけた森大翔(ちなみに名前は「やまと」と読む)がアコギを持ってステージに登場すると、音を聴いていたイメージよりも表情はどこか幼く、19歳ということも納得してしまうくらいなのであるが、アコギを弾き始めた瞬間に体がゾクっとしてしまう。経歴からしてもギターが上手いのは当然なのであるが、そのアコギのあまりの運指の速さによる、一瞬で「これは次元が違いすぎるな」とわかるくらいのギターの上手さ。しかもそのギターの音が声がなくても歌っているかのよう。メロディでもありリズムでもあり(ベースのような低音が聴こえるのはどうやっているのか全くわからない)、そして歌でもある。森大翔にとってギターとはこれがあればなんでもできると思えるくらいの存在なのかもしれない。
さらっとタイトルだけを告げて曲に入っていった「日日」で自身のボーカルもギターに重なるのであるが、何をどうやったらこれを歌いながら弾けるんだろうかと思うくらいに、実際に目の前で見ると本当に空いた口が塞がらないとはこのことと思うくらいにあんぐりしてしまうし、森大翔の歌もそのギターの上手さと音に全く負けない力を持っている。得てしてこれだけ演奏が上手いとそちらが際立ちすぎて歌があんまり…ということもままあるのだが、この男にそんな前時代的なイメージは全く意味をなさないようだ。しかもまだ東京では3回目のライブと言っていたとは思えないくらいに、その歌い方は「ライブをやってきた人」の歌い方。どうやって歌えば目の前にいる人に曲やそこに込めた想いが伝わるのか。それを体でも意識でもわかっている歌い方をしている。すでにこの時点でこの男がライブアーティストなんだなということがハッキリと伝わる。
「皆さん美味しそうなものを食べてますね。何を食べてるんでしょうか?(笑)」
と、CLOWがほぼ喋らなかっただけにその急にフレンドリーというかアットホームな喋り始めにも驚いてしまうのであるが、ここで開始時からセッティングされていた椅子にヴァイオリン×2、ヴィオラ、チェロというストリングスカルテットとキーボードというメンバーたちがステージに招かれる。
森がイヤモニをするのを忘れながらも、それでも森のアコギと歌から始まる「台風の目」はやはりこの男の音楽の中心にあるのはその自分のギターと歌なんだなと思わせてくれるのであるが、そのメンバーたちの音が曲をより壮大に響かせていく…というよりももはやこれは新海誠監督の映画のエンディングのようですらある。ただの装飾的なよくあるストリングスサウンドのバラード曲というのではなくて、これだけでも成立するようなギターと歌があるにもかかわらず、元からこのサウンドありきで作られた曲であるかのように。このアレンジすらも本人によるものだとしたら…と思って考えるのをやめた。もはやそうだとしたら恐ろしすぎて。
「僕は北海道の羅臼っていうところの出身で、今は状況してるんですけど、北海道にいた頃に書いた恋の歌を歌います。恋って本当に難しいですよね。ギターより難しい(笑)」
という言葉は、あなたのギターの方が絶対難しいと思うんですけど、と思ってしまうのであるが、そんなラブソングの「君の目を見てると」では森が曲中にカポタストをつけたり外したりしながらギターを弾いて歌う。そんなことしながら歌えるのか、と思うことを軽々とやってのけているし、その1曲の中でカポありとなしを使い分けることによって聴いたことのないような構成やメロディラインの曲が作れるんだろうなと思うけれど、そんなことをできる人はまずいないだろう。というか今まで他に見たことがない。
そんな森は北海道で暮らしていた時期にも、あるいはこうして東京に来てからもたくさんの出会いがあり、それが自身の人間性を形成してくれているということを語ると、その経験を曲にしたという「すれ違ってしまった人たちへ」を歌い始める。もうなんだこの壮大な映画のエンディングテーマがひたすら続くような曲とライブは、とも思うのだけれど、それと同時に森が育ったという羅臼という場所は行ったことはないけれど、本当に良い場所なんだろうなと思う。
それはこうして歌いギターを弾き、喋っている森の人間性が本当に一切の邪念がなく透き通った純真な心を持った人なんだろうなというのがそうしたあらゆる要素から伝わってくるからであり、そんな森が「僕にとってずっと大事な場所」と口にするその羅臼という場所が森をそうした人間に育ててきたんだろうなと思えるからだ。北海道にはRISING SUN ROCK FESTIVALと修学旅行でしか行ったことがないが、いつかまた行く機会があるなら、こうして森の音楽を聴いて自分の頭に浮かんだ羅臼の景色が本当にそういう場所なのかという答え合わせをしに行きたいと思った。
そんな森がこの日最初で最後のエレキを持って歌い始めたのは、この日歌った中で1番古い曲だという「Voyager」。そのストリングスのハマりっぷりは変わらないけれど、よりピアノが前に出てくるようなアレンジなのはエレキになったことによって森のギターにブルースっぽさを強く感じたからかもしれないが、そうしたギターの演奏による引き出しもきっとまだまだたくさん持っているはず。(中学生の頃に9mm Parabellum Bulletのコピーをしていたと言っていたので)
それはきっとこれからいろんな場所でいろんな形で我々の耳に届いていくことになると思うのだが、
「本当はこの曲歌う前に紹介しようとしていたのに忘れていた(笑)」
と言ってステージから去る前に慌ててメンバー紹介をし、しかもチェロの楽器名が出てこないという天然っぷりはこれからもずっと変わらないでいて欲しいなと思った。
森はこの日、自身にとって羅臼という場所が本当に大事な、お盆休みに少し帰ったことによって明日からも生きていけると思えるものであることを口にし、そして
「僕の音楽が皆さんにとってそういうものになってくれたらいいな」
と言っていたが、この凄まじいギターのテクニックを上手さ自慢的な方向には全く使わず、むしろそれを全てキャッチーかつ、人に伝えるためのものとして鳴らしているこの男の音楽は間違いなくこれからたくさんの人にとってそうした存在になっていくはず。
ネットから出てきた正体不明のアーティストではなく、ただただギターを弾くことが本当に楽しくて仕方がないというようなギター少年のような風貌だけれど、こんなに「とんでもない才能に出会ったしまった」と思えるアーティストのライブは久しぶりに見た気がしていた。
1.日日
2.台風の目
3.君の目を見てると
4.すれ違ってしまった人たちへ
5.Voyager
コロナ禍になってから定期的にライブを観に来ている会場ではあるのだが、毎回この会場の格式高そうな空気には少し緊張してしまう。いつも以上に食事をしながらライブが始まるのを待っている人が多いようなイメージなのもゆったりと楽しむというライブのコンセプトによるところもあるだろう。
・CLOW
19時30分にステージに現れて椅子に腰を下ろしてアコギを手にしたのはシンガーソングライターのCLOW。ショートヘアの中性的な顔立ちからも名前からも男性かと思っていたのだが、歌い始めてすぐに女性であることに、クラムボンの原田郁子をより凛としたような歌声を聴くことによってわかる。
「ディダラディ」「ルラルラ」
などの擬音を巧みに使うことによって、爪弾くような最小限のアコギの音に声を重ねて情景を描くというイメージのシンガーであるのだが、こんなにもじっくりと歌う姿を見られている中とは思えないくらいに堂々としている。というか歌うことによって自分の世界の中に没入しているかのようですらある。それによってどこか神聖なオーラのようなものを彼女自身からも感じられる。
MCもなく次々に曲を歌っていくのであるが、最初はウィスパー気味とまではいかないまでも、どこか等身大な声量で歌っていたのが、後半になると一気に声を張った歌い方になることによってその緩急の付け方に驚かされる。シンガーソングライターにも様々なタイプのアーティストがいるし、それは弾き語りというシンプルな形でもそれぞれ個性が現れるものだと思っているのであるが、彼女の場合はその個性というかストロングポイントは明らかに歌声であるし、きっと彼女自身もそれを理解しているんだろうと思う。
最後にはずっと歌ってきた高円寺のライブハウスが年内でなくなってしまい、その会場でワンマンライブをやることを告知していたが、自身の見てきたものやそこで得た感情をそのままギターと音に乗せて歌うシンガーソングライターだからこそ、それもまた彼女の新しい歌になるのだろうと思う。そのどこか儚くも強さを感じる歌声がこびりついてしまって、すぐにツイッターのアカウントをフォローした。
・森大翔
現在19歳。先ほどのCLOWも北海道の札幌出身とのことであるが、こちらは北海道の羅臼出身のシンガーソングライターで、16歳の時にロンドンで開催されたギターの16歳以下の世界大会で優勝という経歴を持ち、先日行われたROTH BART BARONの日比谷野音でのライブにも参加していたというあまりにトピックばかりすぎるような人生を歩んでいる男である。
帽子を被って眼鏡をかけた森大翔(ちなみに名前は「やまと」と読む)がアコギを持ってステージに登場すると、音を聴いていたイメージよりも表情はどこか幼く、19歳ということも納得してしまうくらいなのであるが、アコギを弾き始めた瞬間に体がゾクっとしてしまう。経歴からしてもギターが上手いのは当然なのであるが、そのアコギのあまりの運指の速さによる、一瞬で「これは次元が違いすぎるな」とわかるくらいのギターの上手さ。しかもそのギターの音が声がなくても歌っているかのよう。メロディでもありリズムでもあり(ベースのような低音が聴こえるのはどうやっているのか全くわからない)、そして歌でもある。森大翔にとってギターとはこれがあればなんでもできると思えるくらいの存在なのかもしれない。
さらっとタイトルだけを告げて曲に入っていった「日日」で自身のボーカルもギターに重なるのであるが、何をどうやったらこれを歌いながら弾けるんだろうかと思うくらいに、実際に目の前で見ると本当に空いた口が塞がらないとはこのことと思うくらいにあんぐりしてしまうし、森大翔の歌もそのギターの上手さと音に全く負けない力を持っている。得てしてこれだけ演奏が上手いとそちらが際立ちすぎて歌があんまり…ということもままあるのだが、この男にそんな前時代的なイメージは全く意味をなさないようだ。しかもまだ東京では3回目のライブと言っていたとは思えないくらいに、その歌い方は「ライブをやってきた人」の歌い方。どうやって歌えば目の前にいる人に曲やそこに込めた想いが伝わるのか。それを体でも意識でもわかっている歌い方をしている。すでにこの時点でこの男がライブアーティストなんだなということがハッキリと伝わる。
「皆さん美味しそうなものを食べてますね。何を食べてるんでしょうか?(笑)」
と、CLOWがほぼ喋らなかっただけにその急にフレンドリーというかアットホームな喋り始めにも驚いてしまうのであるが、ここで開始時からセッティングされていた椅子にヴァイオリン×2、ヴィオラ、チェロというストリングスカルテットとキーボードというメンバーたちがステージに招かれる。
森がイヤモニをするのを忘れながらも、それでも森のアコギと歌から始まる「台風の目」はやはりこの男の音楽の中心にあるのはその自分のギターと歌なんだなと思わせてくれるのであるが、そのメンバーたちの音が曲をより壮大に響かせていく…というよりももはやこれは新海誠監督の映画のエンディングのようですらある。ただの装飾的なよくあるストリングスサウンドのバラード曲というのではなくて、これだけでも成立するようなギターと歌があるにもかかわらず、元からこのサウンドありきで作られた曲であるかのように。このアレンジすらも本人によるものだとしたら…と思って考えるのをやめた。もはやそうだとしたら恐ろしすぎて。
「僕は北海道の羅臼っていうところの出身で、今は状況してるんですけど、北海道にいた頃に書いた恋の歌を歌います。恋って本当に難しいですよね。ギターより難しい(笑)」
という言葉は、あなたのギターの方が絶対難しいと思うんですけど、と思ってしまうのであるが、そんなラブソングの「君の目を見てると」では森が曲中にカポタストをつけたり外したりしながらギターを弾いて歌う。そんなことしながら歌えるのか、と思うことを軽々とやってのけているし、その1曲の中でカポありとなしを使い分けることによって聴いたことのないような構成やメロディラインの曲が作れるんだろうなと思うけれど、そんなことをできる人はまずいないだろう。というか今まで他に見たことがない。
そんな森は北海道で暮らしていた時期にも、あるいはこうして東京に来てからもたくさんの出会いがあり、それが自身の人間性を形成してくれているということを語ると、その経験を曲にしたという「すれ違ってしまった人たちへ」を歌い始める。もうなんだこの壮大な映画のエンディングテーマがひたすら続くような曲とライブは、とも思うのだけれど、それと同時に森が育ったという羅臼という場所は行ったことはないけれど、本当に良い場所なんだろうなと思う。
それはこうして歌いギターを弾き、喋っている森の人間性が本当に一切の邪念がなく透き通った純真な心を持った人なんだろうなというのがそうしたあらゆる要素から伝わってくるからであり、そんな森が「僕にとってずっと大事な場所」と口にするその羅臼という場所が森をそうした人間に育ててきたんだろうなと思えるからだ。北海道にはRISING SUN ROCK FESTIVALと修学旅行でしか行ったことがないが、いつかまた行く機会があるなら、こうして森の音楽を聴いて自分の頭に浮かんだ羅臼の景色が本当にそういう場所なのかという答え合わせをしに行きたいと思った。
そんな森がこの日最初で最後のエレキを持って歌い始めたのは、この日歌った中で1番古い曲だという「Voyager」。そのストリングスのハマりっぷりは変わらないけれど、よりピアノが前に出てくるようなアレンジなのはエレキになったことによって森のギターにブルースっぽさを強く感じたからかもしれないが、そうしたギターの演奏による引き出しもきっとまだまだたくさん持っているはず。(中学生の頃に9mm Parabellum Bulletのコピーをしていたと言っていたので)
それはきっとこれからいろんな場所でいろんな形で我々の耳に届いていくことになると思うのだが、
「本当はこの曲歌う前に紹介しようとしていたのに忘れていた(笑)」
と言ってステージから去る前に慌ててメンバー紹介をし、しかもチェロの楽器名が出てこないという天然っぷりはこれからもずっと変わらないでいて欲しいなと思った。
森はこの日、自身にとって羅臼という場所が本当に大事な、お盆休みに少し帰ったことによって明日からも生きていけると思えるものであることを口にし、そして
「僕の音楽が皆さんにとってそういうものになってくれたらいいな」
と言っていたが、この凄まじいギターのテクニックを上手さ自慢的な方向には全く使わず、むしろそれを全てキャッチーかつ、人に伝えるためのものとして鳴らしているこの男の音楽は間違いなくこれからたくさんの人にとってそうした存在になっていくはず。
ネットから出てきた正体不明のアーティストではなく、ただただギターを弾くことが本当に楽しくて仕方がないというようなギター少年のような風貌だけれど、こんなに「とんでもない才能に出会ったしまった」と思えるアーティストのライブは久しぶりに見た気がしていた。
1.日日
2.台風の目
3.君の目を見てると
4.すれ違ってしまった人たちへ
5.Voyager
SUMMER SONIC 2022 day1 @ZOZOマリンスタジアム&幕張メッセ 8/20 ホーム
the telephones 「埼玉三連戦&大阪三連戦 〜Revenge of KOSHIGAYA, Promise of UMEDA〜」 @越谷EASY GOINGS 8/14