ROCK IN JAPAN FES.2022 day1 @蘇我スポーツ公園 8/6
- 2022/08/09
- 20:07
昨年の直前での開催中止はニュースになるくらいに大きな波紋を呼んだ。それを経て結局はずっと開催され、ずっと通ってきた大好きな会場であるひたちなか海浜公園から、近年JAPAN JAMが開催されている蘇我スポーツ公園に開催地が変更された。
そんな新しいロッキンの始まりとなる2022年。3年ぶりの開催。場所が変わって家から近くなっても、こうして開催できているだけで本当に嬉しく思う。
今年はJAPAN JAMも2ステージだったが、SUNSET STAGEがLOTUS STAGE、SKY STAGEがGRASS STAGEと名を変え、さらにはJAMの時には使っていなかった新エリアにHILLSIDE STAGEとPARK STAGEという小さいステージが作られての4ステージ構成。LOTUS STAGE以外はひたちなかでのステージ名がそのまま踏襲されている。
蘇我駅を出てからも、会場の入場列も物販の列もJAMの時とは比べ物にならないくらいの長さになっており、この会場にはこんなにたくさんの人が収容できるんだなと驚いてしまうくらい。並びたくないのでステージエリアで待機していると、ひたちなかの灼熱っぷりとは打って変わって曇り空の涼しさというのもまたロッキンらしからぬ天候である。
10:05〜 ヤユヨ [HILLSIDE STAGE]
LOTUS STAGEのすぐ裏に新しくできた2つのステージは隣り合うように配置されている。その一つであるHILLSIDE STAGEのトップバッターにして、新しいロッキンで1番最初に音を鳴らすアーティストは4人組若手ロックバンド、もちろんロッキン初出演となるヤユヨである。
開演前にはロッキンオンジャパン総編集長の山崎洋一郎がおなじみのレッチリのBGMで登場して前説をするのだが、いつにも増して少し声のトーンが低めというか、元気さを出すという感じではなかったのはやはり3年ぶりの開催で感極まっている部分もあったんだろうかと思う。もう何回聞いたかわからない山崎洋一郎の前説でこんな感想を抱くのは初めてのことだった。
その山崎洋一郎がバンドを紹介すると、すーちゃん(ドラム)はロッキンのタオルを、はな(ベース)はバンドのタオルを、ぺっぺ(ギター)は所属レーベルTALTOのタオルをそれぞれ掲げて登場すると、リコ(ボーカル&ギター)はサングラスをかけて登場し、春にリリースされたばかりのフルアルバム「日日爛漫」収録のギターロックチューン「futtou!!!!」をステージを左右に動き回り、前に出てきて片膝をついたりしながら歌うという姿には努力だけでは得ることができないフロントマンとしての華のようなものを確かに感じる。
それはまさにこの日にふさわしいタイトルと歌詞の「いい日になりそう」からもそう感じるのであるが、演奏するメンバーの背面には「ROCK IN JAPAN FES. 2022」という幕がかかっていて、それが目に入るのが場所が変わってもロッキンが本当に戻ってきたんだな、そのロッキンのステージにこれからのシーンを担っていく若手バンドが出演して、こうしてライブができているんだなと思うとそれだけで込み上げてきてしまうものがある。やっぱりそれくらいにこのフェスをずっと待っていたのだ。
それは初出演となるこのバンドにとってもそのようで、関西のバンドでありながらも
「ずっと憧れのフェスだった」
とこうして出演できたことへの感謝を口にすると、リコはギターを持ってそれを弾きながら「おとぎばなし」を演奏するのであるが、上手いとか下手というだけでは評することも、判別することもできないくらいに、このバンドの音楽とライブからは「バンドやってるのって最高に楽しい!」という思いが伝わってくる。だからこそ、様々な楽器や音や手法を使う選択肢がある今のシーンの中でもこんなにもシンプル極まりないバンドサウンドを鳴らしているんだろうと思うし、それはぺっぺのステージ前まで出てきてのギターソロにも衝動として宿っているものである。
リコのボーカルも凛としていながらも実にパワフル極まりないものであるのだが、しかし「日日爛漫」のオープニングを飾る、失恋の光景を実に清々しく描いた「あばよ、」では最後のサビで歌に詰まってしまう。それは歌いきれなかったのか(それまでの歌唱っぷりを考えるとそれは考えにくい)、あるいは感極まってしまったのか(その直後には普通に歌い、喋っていたのでそれも考えにくい)…。そこは本人にしかわからないものだろうけれど、それくらいに思いを込めまくって歌っているということはしっかりと伝わってくる。
そんなバンドはこの日は1日のトップバッターとして誰もが楽しんでもらえるような自信のあるセトリを組んできたということを口にするのであるが、そんな中でも
「この曲はやらないといけないってくらいに大事な曲」
と言って演奏されたのは、このバンドの登場をシーンに知らしめた曲である「さよなら前夜」で、サビでのメンバー全員でのコーラスがメロディのキャッチーさをより強く伝えてくれる。そのコーラスも上手く歌うというか、ひたすらに一生懸命歌うという意識で統一されているかのようで、それがそのままロックバンドとしての衝動につながっている。
このコーラスというかメンバー全員での合唱はこれからもこのバンドにとっての大きな武器になるだろうなと思うのが同じように最後に演奏されてメンバーのコーラスが重なる「キャンディ (飴ちゃんver.)」で、隙間を生かしたバンドのアンサンブルの中でもハンドマイクのリコはステージを飛び跳ねたりしながら歌うことによって「音楽は楽しい」「ライブは楽しい」ということを見ている我々に伝えてくれる。それはそのまま今年ようやく戻ってきたロッキンの楽しさを改めて伝えてくれるものになっている。それくらいに鮮烈な、トップバッターにふさわしいヤユヨのロッキンデビューだった。いつか「ロッキンに初出演した時に見た」っていうことを自慢できるバンドになってくれたらいいな。
1.futtou!!!!
2.いい日になりそう
3.おとぎばなし
4.あばよ、
5.さよなら前夜
6.キャンディ (飴ちゃんver.)
10:45〜 おいしくるメロンパン [PARK STAGE]
ひたちなかで開催されていた時のPARK STAGEは最終的には2番目に大きい規模のステージになった。その名前を踏襲しながらも小さい規模のステージになったわけだが、そのひたちなか時代のPARK STAGEのことを知っているバンドであるおいしくるメロンパンが新生PARK STAGEで最初にライブをするアーティストになる。この会場では毎年JAPAN JAMに出演してきた存在でもある。
そのステージにメンバー3人が登場すると、ナカシマ(ボーカル&ギター)がギターを刻みながら歌い始める「look at the sea」でスタートし、峯岸翔雪(ベース)が軽やかなステップを踏むようにしてベースを弾くというのもこの会場ではもはやおなじみの光景である。
JAPAN JAMの時はまだ新曲という感じの強かった「Utopia」ももうすっかりセトリに入るのが当然の曲になっているのだが、金髪に眼鏡という出で立ちの原駿太郎のドラムの一打一打が実に力強く、それが物理的にも音階的にも動きまくる峯岸のベースと合わさることによって隙のないスリーピースロックサウンドとなっている。
そうして演奏が見るたびに力強くなっているのを感じられるのは構築的な曲展開の「epilogue」であり、それはそのまま「この小さいステージでもそれぞれの音がはっきりと聞こえるな」というこのステージの音響の判断基準になる。それは演奏力がありながらもというかあるからこそ、あくまで3人のギター、ベース、ドラムという楽器の音だけを鳴らしているバンドだからこそである。
「新しいPARK STAGEの産声の代弁者」
と原が自己紹介するくらいに今このバンドとしてこのステージに立つ自信を感じさせてくれる中、初期の「シュガーサーフ」ではたくさんの観客の腕が上がるという熱狂っぷりで、ステージ上もナカシマは前髪で隠れて表情までは全て見えないけれど、汗をかいているのはよくわかる。つまりはバンド側も熱くなっているのであるし、それは間奏で峯岸がステージ中央に出てきて弾くゴリゴリに重いベースソロからもよくわかる。
そんな中で演奏された「マテリアル」は配信されたばかりの新曲なのだが、この曲を聴いた時に「これはついに来たな」と思った。フレーズごとにガラッと展開を変えながらもキャッチーさは変わらないメロディと、バンド史上最高に夏を歌った歌詞。それはつまりこの日、この会場のための曲であるということ。バンドの最大のアンセムと言っていいような曲がついに生まれたのである。これはこれから毎年このフェスで響く曲になっていくのだろうと思う。
そしてナカシマがギターを掻き鳴らしながら歌い始めた「色水」がこのバンドならではのソリッドでありながらもどこか爽やかな風を感じさせるサウンドとメロディで会場の空気を一変させると、最後に演奏された「5月の呪い」で一瞬だけこの会場を5月のJAPAN JAMの時にタイムスリップさせる。あの大きなステージに立っても違和感を感じないようなライブをやってから3ヶ月。夏は小さなステージになったが、ワンマンの規模からしたらあまりにデカすぎるこの会場でJAPAN JAMに毎年出演してきた経験が確実にこのバンドを逞しくした。それはバンドが常に前の自分たちを上回るようなライブをしてきたからだ。そういう意味ではこの蘇我で1番成長、進化したバンドと言えるのかもしれないし、これからもこの場所でさらに進化していく姿を見せてくれるはず。もうこのフェスのステージは動員的にも決してデカすぎるものではなくなった。
リハ.紫陽花
リハ.トロイメライ
1.look at the sea
2.Utopia
3.epilogue
4.シュガーサーフ
5.マテリアル
6.色水
7.5月の呪い
11:25〜 reGretGirl [HILLSIDE STAGE]
3年前にBUZZ STAGEでロッキン初出演。それからこうして開催される3年間でバンドの立ち位置はかなり変わった。それを示すべくreGretGirlが新しくなったロッキンのHILLSIDE STAGEに立つ。
サポートギターとキーボードを加えた5人編成でリハから「Shunari」を演奏しているのだが、平部雅洋(ボーカル&ギター)が
「次、何の曲聞きたい?……じゃあ「Shunari」(笑)」
という問答を2回繰り返していただけに計3回も「Shunari」が演奏されることに。リハではこの曲しかやらないみたいなルールがあったりするのだろうか。
そのリハの時からわかっていたことなのだが、音源で聴いている以上に平部は実に歌が上手い。音程的な意味でもそうだし、声量もこうした広いフェスの会場でしっかり響くようなものをしっかり持っている。だから自身の左耳についているそれを指差しながら歌う「ピアス」の歌詞の表現力の豊かさ、奥深さをライブという場でもしっかりと感じることができるのである。
バンド名からもわかるようにそうした失恋の情景などを自分たちだからこその言葉で曲にするようなバンドであるのだが、それを二日酔いにかけた「ハングオーバー」も含めて、キーボードのサウンドが重なることによってポップなイメージを感じながらも、ライブ全体の印象としては「ライブハウスでライブをやって勝ち上がってきたバンドだな」と思えるのは、パッと見では1番若そうに見えるが最年長の十九川宗裕(ベース)と、逆に最年長っぽいどっしりした風格があるのに最年少の前田将司(ドラム)によるリズムがしっかりしているからであろう。曲だけ聴くと女々しさを強く感じざるを得ないが、ライブを観るとそのイメージはすぐに覆される。
そんなバンドの鳴らすサウンドと平部の歌うメロディが空高くまで突き抜けていくようなスケールを持った「デイドリーム」はここまでのロックバンドさとは違ったバラードと言える曲であり、そんな曲をフェスの短い時間の中に入れてくるあたりにこのバンドらしさを感じるし、そこで歌の上手さをしっかり示した平部は前方抽選エリアを
「太客エリア(笑)」
と呼んだりと、大阪のバンドならではの面白い兄ちゃん的な一面を見せてくれる。それはサブスクで配信されているワンマンライブの音源にそのまま収録されたMCを聴いていても感じていたことではあるが。
そこからの「ダレヨリ」はまさに女々しさを感じるような歌詞のラブソングなのだが、そこにもちろん共感を感じるような人もたくさんいるだろうけれど、それでもそれだけではないロックバンドとしての熱さをこのバンドは確かに持っている。
それは平部の
「俺たちには背中を押せるような曲はないけれど、寄り添うような曲はたくさん歌うことができる」
という言葉にも現れていたが、それはこのバンドが音楽で表現したいことがちゃんと定まっているということだ。だからこそラストの「ホワイトアウト」はこのそこにこの日最大のロックバンドとしての熱さが乗っていた。それをこのバンドのファンの人たちはわかっているからこそ、このフェスでこんなにも客席を満員にすることができる。こんなに良いバンドだったなんて、こうしてライブを観るまではわからなかった。声も、曲も、音も。これから間違いなくもっと大きなステージで見ることになるはずだ。
リハ.Shunari
1.ピアス
2.ハングオーバー
3.デイドリーム
4.ダレヨリ
5.ホワイトアウト
12:00〜 Vaundy [GRASS STAGE]
JAPAN JAMの時もSUNSET STAGEという名前のこのステージに立っていた、Vaundy。その時も注目度の高さを感じさせる満員っぷりだったが、この日はそもそもの動員数が多いだけに始まる前からその時を上回るような超満員っぷり。なんならもはや動員力はフェスでもトップクラスの存在と言えるかもしれないくらいに。
おなじみのbobo(ドラム)らによるサポートメンバーを連れたバンド編成であり、正直リリースもこれといってないだけにわかっていたことでもあるのだが、セトリ自体も春からほとんど変わることはない。それでも「不可幸力」の不穏なサウンドから始まり、サビになると一気にVaundyの歌声が開いていくと、やはりこの歌声は奇跡的と言えるくらいに素晴らしいなと何度ライブを観ても思える。
そんな中で「あれ?」と思ったのは、ステージ背面には「Vaundy」というアーティスト名が映し出されているだけなのは変わらないのだが、両サイドのスクリーンにライブ中の映像が映し出されているのが、今までは足元だけだったり、顔はぼやかすようにして映していた、つまりははっきりと見ることが出来なかったVaundyの顔が今まで以上にちゃんと映し出される瞬間が増えているということだ。そうしてスクリーンに映る姿を見ると、夏だからかどこかスポーティーな出で立ちになったなとも感じられる。
そんな変わらない曲の中でも毎回体も心も魂も震えるくらいに素晴らしい歌声を響かせる「しわあわせ」はやはりこの日もとんでもないカタルシスをもたらし、これはどんなに歌が上手い人が歌ってもこうは歌えないし、練習して歌えるようになるものでもない、ただただVaundyだからこそ歌うことができるものであると感じる。メンバーたちのコーラスが重なることも相まって、それがいなくなってしまった大切な人の存在を思い出させる。持ち時間30分くらいのフェスではセトリから外れてしまう曲だけれど、きっとこれからも何度だって我々はこのフェスでのこの曲で胸を震わせられるのだろう。
そこから「裸の勇者」でタイアップアニメのキャラに感情を重ねるような情念が歌声に宿ると、一転して「東京フラッシュ」ではダークな世界に誘っていくという変幻自在っぷりでVaundyの音楽の幅広さを示していく。いろんなジャンル、サウンドのアーティストの音楽を1組だけで体感させてくれているかのようであるし、それを乗りこなすどころか全ての曲の力を最大限以上に引き上げるVaundyの歌唱の表現力はやはり素晴らしい。
そんなライブはVaundyが少し疲れを見せながらも、観客には
「まだまだ踊れる?体力残ってる?」
と煽って「花占い」で手拍子が満員の客席から響くと、袖にいるVaundyのTシャツを着たスタッフたちも楽しそうに手拍子をしていて、サビでは会場にいる誰よりも楽しそうにみんなで踊っている姿が見える。それはVaundyは本当に彼の音楽が好きで仕方がないようなスタッフたちに支えられてこのステージに立っているということだ。きっとそのスタッフたちもこうしてロッキンにVaundyが出演できるのが本当に嬉しかったんだろうなと思う。そんなアーティスト側の姿が我々のことをより幸せにしてくれる。
そうして最後はやはりこの日最大級の手拍子が鳴り響いた「怪獣の花唄」でVaundyの歌唱がこの日の自己記録を更新するくらいに伸びやかに響いたと思ったら、Vaundyは歌いながらステージ左右に伸びた通路まで猛ダッシュし、逆サイドに行く際にはステージ上を大ジャンプして機材を飛び越えてさらに猛スピードで走り抜けていく。
こんな体力がついたのか。こんなにもアグレッシブかつ、歌声だけではなくて自分の持ち得るものを全て使い切るようなライブができるようになったのか。演奏される曲は変わらないけれど、Vaundyのライブはわずか3ヶ月で大きく変わった。でもそんな超絶進化すらもまだまだその過程のほんの序盤なんじゃないかとすら思える。それくらいにVaundyは成長期の真っ只中にいる。でもすぐにスタジアムワンマンくらいやってしまいそうなのが恐ろしさすら感じる。
1.不可幸力
2.踊り子
3.恋風邪にのせて
4.しわあわせ
5.裸の勇者
6.東京フラッシュ
7.花占い
8.怪獣の花唄
12:45〜 Saucy Dog [LOTUS STAGE]
Vaundyと同じようにJAPAN JAMと同じステージへの出演となる、Saucy Dog。その時にSKY STAGEという名前だったこのステージはかつてのJAPAN JAMで、今は物販に使用されているエリアに作られていたLOTUS STAGEへと名前を変えた。
ライブ前にサウンドチェックで3人がステージに登場すると、せとゆいか(ドラム)が観客にライブ中に撮影禁止などのルールを伝える。それに石原慎也(ボーカル&ギター)も
「アーティストに言わせるなっていう人もいるだろうけど、俺たちは全然言うのはいいから。そういうルールを知らない人もいるだろうから教えてあげてね」
と重ねるあたりにこのバンドのメンバーたちの優しさ(全員天然ゆえかもしれないけれど)を感じることができる。
本番ではターコイズブルーの衣装を着たせとを先頭に秋澤和貴(ベース)、石原と1人ずつステージに登場すると、ステージ背面のバンドロゴもせとの衣装に合わせた色に変わり、その色にピッタリな「シーグラス」の爽やかなサウンドとメロディが会場を包み込んでいく。ギター、ベース、ドラムというシンプルなスリーピースサウンドだからこそそれをしっかり感じることができるし、石原の声の伸びは今や日本最大規模のフェスのメインステージに立つにふさわしいものになっている。
その「シーグラス」もそうであるが、「メトロノウム」もどこか夏の野外というこのシチュエーションに見合う選曲であるように感じるし、そうした曲を聞いていて思うのはこのバンドには夏の情景を連想させるような曲が多いということだ。3年前にはひたちなかのLAKE STAGEに出演していたが、暑いようでいて爽やかさも感じられるあのステージの情景を思い出させてくれるような。
そんな夏の曲に続いて早くも演奏された「シンデレラボーイ」では背面のスクリーンに曲の歌詞が映し出される。この曲を聴きたかったという人がたくさんいるのだろうなということがわかるくらいの客席からステージへの視線の集中力。だからこそ最後のサビ前の
「死んで」
のフレーズでどこか客席がハッとするような感覚が確かにあったし、やはり石原の歌声によってこの曲でこのフェスの全てを持っていってしまう。他のことに意識が全くいかないくらいにこちらを掴んで離さないような歌声だ。
こうして3年振りにロッキンが開催されたことを祝うコメントをしながらも、実はこの前週あたりにコロナに感染してしまったせとが無事にこうして復帰してライブができていることにも安堵する。せっかく掴んだロッキンのメインステージのライブであるだけに、意地でもキャンセルしたくはなかっただろう。間に合って何よりである。
そうして戻ってきたからこそ、こうして3人でライブができている。「雀ノ欠伸」では秋澤が石原やせとの方を向きながら笑顔でベースを演奏している表情からもそれを感じることができる。とはいえいつも以上にその顔には汗が滲んでいるというのも、夏フェスのライブが帰ってきたんだなと思える瞬間である。
それこそ「シンデレラボーイ」がたくさんの人に届いたことによって「ポップなバンド」というイメージを持たれがちなこのバンドがあくまでロックバンドであるということをライブという場で証明するように石原がギターを掻き鳴らしながら歌う「ゴーストバスター」から、サウンドチェックの時に口にしたライブ中の撮影などのルールのことを口にしつつ、争いあうんじゃない世界になって欲しいという思いを込めて演奏された「優しさに溢れた世界で」では背面のスクリーンにメンバー3人が演奏する姿が3分割になって映し出される。そうして同時に映るメンバーの表情がやはり笑顔であるというのがこのバンドの優しさを感じさせるし、だからこそ生み出すことができた曲だと言えるだろう。
すると石原は観客に
「凄い景色が見える。みんなもライブ中に後ろを見ていいんだよ」
と言い、みんなが後ろを見るためにせとにリズムを刻んでもらおうとするのだが、
「ライブ中に見ればいいじゃん(笑)」
とせとは断固拒否してしまう。そこにも何だか緩い空気が流れているのはこのバンドならではであるが、その石原が見ている景色を全部我々にも見せてあげたいというのはまさに次に演奏された「いつか」のサビの歌詞そのものであるし、そのイントロでドンドンとステージを足踏みする瞬間の石原の足元が映し出されるというのもまたこのフェスがこの曲をしっかり理解しているというバンドへの愛情の表れである。
そして最後に演奏されたのは先月リリースされたばかりの新作ミニアルバム「レイジーサンデー」の最後に収録されている「Be Yourself」。サビでは珍しく英語の歌詞が歌われているのであるが、そのフレーズも含めた歌詞がスクリーンに映し出されることによって、この曲の歌詞とメロディの完璧なハマりっぷりがよくわかる。そんな最新作の曲が「いつか」などの名曲を抑えてライブの最後を担うようになっているというあたりに今のこのバンドの覚醒っぷりが感じられる。
それこそ3年前はLAKE STAGEでも「まだ流石に早くないか?」という感じもあったけれども、今やメインステージでしかないというくらいの存在になった。ひたちなかだったらGRASS STAGEに立っていたのだろうかと思うけれども、これからこのバンドはこの会場でのこのフェスのメインステージを支えるバンドになっていくはずだ。あまりに多忙すぎるスケジュールが落ち着いてもこのステージには立っていると思う。
1.シーグラス
2.メトロノウム
3.シンデレラボーイ
4.雀ノ欠伸
5.ゴーストバスター
6.優しさに溢れた世界で
7.いつか
8.Be yourself
13:30〜 ORANGE RANGE [GRASS STAGE]
ここまではこの開催できなかった3年間の間に飛躍したり、フェスに出れるようになったアーティストが並んでいたが、2019年までにひたちなかで開催されてきたロッキンを支えてきたアーティストたちももちろん今年はこの蘇我にやってきている。その中の1組に間違いなく入るのがORANGE RANGEである。
しかしメンバーがステージに登場するとRYO(ボーカル)が
「インフォでも出したんですけど、今日はYAMATOがライブに出れなくなってしまって。1番悔しいのはYAMATOだと思うんですけど、沖縄で泣いてるYAMATOに、いつも僕らは繋がっているんだっていうことを届けましょう!」
と言った通りに、この日はYAMATOを欠いたボーカル2人編成。それでもこうしてライブに出る選択をしたというのは、それができる経験や技術がある上で、自分たちのライブを楽しみにしてこのフェスに来ている人がいるというのをわかっているからだろう。
なのでそんなRYOの言葉の通りに、沖縄の空まで続いている、繋がっていることを示すかのような「以心電信」でスタートして観客は飛び跳ねまくるのであるが、YAMATOのパートはこの曲では近しい声質を持ったHIROKIがカバーする。他の曲では真逆と言っていい声質のRYOもカバーしていたが、HIROKIは思いっきり自身の腕に歌詞をマジックで書いており、それをカンペ代わりに見ながら歌っているというのは非常事態ならでは。
しかしそうしてボーカルパートをカバーするだけではなくて、「以心電信」では間奏でダブっぽいアレンジを入れてみせたり、これがORANGE RANGEが最高の夏バンドであるということを感じさせる「ロコローション」では文字通りに何かいい感じにさせてくれながら、間奏ではNAOTOのギターがハードロック的に激しさを増すというアレンジを加えていて、ただ過去の大ヒット曲を演奏しているだけではなくて、そこに今のこのバンドだからこその音や表現を入れている。そこではYOHのミクスチャー由来の重さを持ったベースがあることも重要である。
そんな夏バンドとして地元である沖縄の風を吹かせるのは「Ryukyu Wind」なのだが、関東ですらこんなに暑いと沖縄はどれだけ暑いんだろうかと思ってしまうけれど、この曲のサウンドの通りに沖縄の夏はどこか爽やかな、湿度の低い風が吹いているのかもしれないとすら思わせてくれる。
その風をさらに強くするのはミクスチャーバンドとしてのORANGE RANGEの強さを感じさせてくれる「キリサイテ 風」であり、それは風を吹かせることによって雲をも吹き飛ばして、太陽をこの会場に出現させようとしているんじゃないかという流れである。
それはYAMATO不在を感じさせないようにこの日はガンガン前に出てきまくって煽るRYOが
「快晴じゃん、雲一つないって歌ってる曲だから、太陽出てこい!」
と言って「上海ハニー」が演奏されたからであるが、代わる代わる繋がるマイクリレーも2人で歌い分けている姿を見ていると、声が出せる状況だったらこの曲は観客みんなでYAMATOパートを大合唱するという形でカバーできたんじゃないだろうかとすら思う。
間奏では沖縄の踊りであるカチャーシーもみんなで踊るのであるが、RYOはその際にステージ左右の通路まで歩いていって、
「音楽がないと、フェスがないと絶対嫌だっていう人ー!」
と観客に問いかけてたくさんの腕が上がる。それはフェスがあるからこのバンドのライブでこんなに楽しいと感じることができるのをわかっているからだ。
そんな大ヒット曲だけではなくて、今のバンドの姿ややりたいことを示す新曲をORANGE RANGEはフェスでも必ず演奏してきた。みんなが聴きたい曲と、自分たちがやりたいことのバランス。かつてスピッツの草野マサムネもデビュー時にすでにその感覚を持ち合わせていたこのバンドのことを絶賛していたのだが、そんな今のこのバンドの新曲「Pantyna」はソイソースをフィーチャーした、つまりはNAOTOのエレクトロ趣向が発揮された1曲であり、他のソイソース曲同様にサウンド、歌詞の全てがシュール極まりない曲である。この曲をフェスのダイジェストでORANGE RANGEのライブ映像として流したら知らない人が混乱するだろうくらいに。YAMATO不在によってHIROKIのボーカル比重が高くなっていただけにライブで完全版も聴きたいところである。
そして再びRYOが太陽が見えないことを悔やむようにして始まったのはやはり「イケナイ太陽」であり、YAMATOのシャウトパートもHIROKIが担ったこの曲によって、どんな形でもやはり夏のORANGE RANGEが最強であるということが完璧にわかる。もうこんなに飛び跳ねさせられるのかってくらいに飛び跳ねてしまうのも、このライブがあまりにも楽しすぎたからである。
そんなライブの最後に演奏されたのは、YAMATO不在でもメンバー全員がドラムセットの前に集まって音を鳴らし始めるという姿は変わることがない「キリキリマイ」。YAMATOのシャウトこそないけれど、NAOTOもYOHもステージ前に出てきて煽るようにラウドサウンドを鳴らしていたのは、ボーカル2人だけではなくてバンド全員でその不在をカバーしようとしているかのようだった。
最後にRYOはもう一度、
「フェスがずっと続いていて欲しいと思う人!」
と観客に問いかけ、たくさんの腕が上がった。そのずっと続いていくフェスの中にずっとこのバンドがいて欲しいと思わざるを得ないくらいに楽しかった。
そんなYAMATOというバンドきっての飛び道具として、ボーカル陣の中で唯一ロッキンオンジャパンで2万字インタビューが行われた男(首謀者のNAOTOはもちろん行われている)が不在でもこんなに楽しくて素晴らしいライブができるのはやはり経てきた経験や技術、20年間で乗り越えてきたもの、そして生み出してきた大ヒット曲の数々があまりに違いすぎるから。近年のライブを見るたびに、全世代が曲を知っていて、一緒に盛り上がることができる最後のモンスターバンドなんじゃないかと思っている。そんなバンドがデビューした時から歳を重ねて来れたのはめちゃくちゃ幸せなことなんじゃないかと思っている。
1.以心電信
2.ロコローション
3.Ryukyu Wind
4.キリサイテ 風
5.上海ハニー
6.Pantyna
7.イケナイ太陽
8.キリキリマイ
14:15〜 マカロニえんぴつ [LOTUS STAGE]
JAPAN JAMではSUNSET STAGEのトリを見事に務めたのも記憶に新しい、マカロニえんぴつ。もちろん夏もメインステージへの登場であるが、出番は昼過ぎというのがこの日のラインナップの強さを感じさせるものになっている。
おなじみのビートルズのSEでメンバーが1人ずつステージに登場すると、長谷川大喜のキーボードが軽やかなメロディを奏で、田辺由明がブルージーなギターを重ねる「レモンパイ」からスタートし、ステージ背面のスクリーンにはまさにレモンを思わせるような黄色の映像が映し出される。こうした演出をフルに使うことができるのも、ロックバンドとしてアリーナやホールでライブをしてきたこのバンドだからこそだろう。そうした様々なサウンドや演出が総じてポップかつキャッチーなものになっているというのがこのバンドがこんなに巨大な存在になったことを感じさせてくれる。
するとはっとり(ボーカル&ギター)がギターを鳴らしながら歌い始めた「洗濯機と君とラヂオ」で長谷川がエアベースをしながら実際にベースを弾いている高野賢也に近づいて戯れ合うというおなじみの光景も見えるのであるが、そのまま「ワンドリンク別」へと繋がる展開と曲そのもののテンポの生き急いでいるロックバンドとしての速さは、30分の持ち時間で25分で8曲を演奏した、2018年のWING TENTでの初出演時の勢いを思い出させてくれるし、バンドがまだあの頃と同じ衝動を持っているということを感じさせてくれる。
曲中のタイトルフレーズのコールは観客は誰も声を上げることがなく、むしろそうしてこのライブのルールを守ってくれたことを見てはっとりは
「よくできました!」
と言っているように見えた。それは音楽しかないような人間の集まりであるこのバンドだからこそ、コロナ禍になってから早い段階でライブを行ってシーンを守ろうとしてきたのを見てきたからこそ一層感じられるものである。
だからこそはっとりは本当に嬉しそうに3年振りにロッキンが開催できていることを祝うと、「はしりがき」の曲が持つ
「ただ無駄を愛すのだ!生き止まらないように笑うのだ」
というフレーズがそのバンドの持つ思いとして響く。映画のタイアップであり、そこに寄り添った歌詞でありながらもバンドの姿勢も確かに刻まれているのだ。
それは最新EPに収録された「たましいの居場所」もそうであり、こうした場所で演奏することによってこの場所こそがその居場所であると思えるし、とかくトリッキーな曲展開やアレンジを施しまくるという、それをこんなにポップに仕立て上げているのは凄いなと思うような部分は控えめに、ストレートなバンドサウンドの曲であるということがこうしてライブで聴くことによってよりはっきりとわかる。そのEPにはまぁ街中華愛を歌ったトリッキー極まりない曲も入っているのがこのバンドらしさでもあるのだけれど。
そんな中でメンバーによるカウントから始まった「恋人ごっこ」の、この巨大な空間を全て掌握してしまうかのような圧倒的なメロディの力とはっとりのボーカルの見事さ。それは客席の「この曲を聴けるのを待っていた!」という思いとの相乗効果でもあると思うのであるが、もはやこのバンドはそうした大ヒット曲を持つレジェンドバンドの域に片足を踏み入れているんじゃないかとすら思える。
でも自分たちがまだそうはさせないというか、まだ若手バンドのままでいたいというかのように初期の「愛の手」がこんなに大きなステージで鳴らされている。
「いつか手を引っ張ってよ」
と歌うこの曲に手を引っ張られていた時期もあったかもしれないし、初出演時はまだそう感じるバンドだった。でも今はこの曲の手をこのバンドが引っ張ってこのロッキンのメインステージまで連れてきたかのような感覚が確かにあった。そうした意識は紛れもなくバンドにもあったと思う。当時の曲にこの景色を見せてあげているかのような。
そしてJAPAN JAMでも美しい映像とともに演奏された「星が泳ぐ」ではやはりこの日も宇宙に煌めく星空の映像が背面に映し出され、それがこの曲の持つ美しいメロディを最大限に引き出している。アウトロではプログレバンドかと思うくらいのセッション的な演奏も展開されるのであるが、その最後にステージ前まで出てきてギターを弾いていたはっとりはステージ下から自身を映すカメラに向かって舌をペロッと出してみせる。そんな姿ももうこのステージにふさわしいロックスターと言えるものだなと思う。
そんなはっとりは
「音楽を守るとかフェスを守るとかじゃなくて、音楽があればこうやって一言も交わしていなくてもこんなにも一つになることができる。音楽があればこうやって集まることができる。また音楽が鳴る場所で集まりましょう」
と、音楽への今の自身の思いを口にすると、最後に長谷川のイントロのピアノが鳴るだけで客席から声が思わず漏れるくらいに待たれている曲になった「なんでもないよ、」の抑制されたサウンドだからこそ輝くメロディの力がやはりこの広い会場を包んでいく。
3年間の間に間違いなくロッキンオンのフェスを担う存在になった。なんなら今のロックシーン、音楽シーンそのものを担う存在になった。そんなバンドだからこそ、このバンドといる自分が好きだとこの曲を聴いていると思うことができる。来年以降は春だけではなくて、夏にもこの会場で夜に会えたらなと思う。
リハ.ハートロッカー
リハ.ブルーベリー・ナイツ
1.レモンパイ
2.洗濯機と君とラヂオ
3.ワンドリンク別
4.はしりがき
5.たましいの居場所
6.恋人ごっこ
7.愛の手
8.星が泳ぐ
9.なんでもないよ、
15:00〜 SUPER BEAVER [GRASS STAGE]
今年のJAPAN JAMではトリを務めたSUPER BEAVER。かつてのこのフェスでもPARK STAGEのトリを務めているが、今回はまだ昼間と呼べる時間帯への登場である。
サウンドチェックではまさにサウンドチェックというように楽器を鳴らしていたメンバー4人がステージに登場すると、柳沢亮太(ギター)と藤原広明(ドラム)の出で立ちは変わらないけれど、上杉研太(ベース)の髪型がややリーゼントっぽくなって男前度が上がっており、最後にステージに現れた渋谷龍太(ボーカル)はいつものように華しかないような出で立ちながらもどこか目元の化粧がいつもよりも濃いようにも感じる。
そんな4人が最初に演奏したのは「名前を呼ぶよ」というタイアップの効果もあってかバンドの名前をより広く知らしめた曲であり、これはあまりに強い先制パンチなのであるが、
「名前を呼んでよ 会いに行くよ」
というメンバー全員が声を重ねるサビのフレーズはそのままこのバンドがこうしてこのステージに立っている理由になっている。だからこそ1曲目に演奏されるべきだなと納得するし、やはりこのバンドの選択にはどんなものにも理由があるのである。
そんな曲を演奏したバンドへの観客の拍手がそのまま頭の上に上がり、その高さでメンバーとともに手拍子をするのは「美しい日」。その、ステージから見たらこんなに何万人もの人が頭の上で手拍子をするのはどんな風に見えるのだろうかと思う光景の美しさも相まって、やはりこの曲が演奏されるだけでこの日は美しい日だなと思わせてくれるのである。
すると渋谷はこのフェスが開催されるまでの3年間で、こうしたフェスやライブ会場に足を運んできてくれた観客へバンドを代表して頭を下げるのであるが、その直後に
「頭を下げた直後ではありますが、なんかライブハウスに来てくれってバンド側が頭を下げるのは違うんじゃないかとも思って。俺がライブハウスに行くようになったのは、出演者とかに頭を下げられたからではなくて、目の前で鳴っている音楽や鳴らしているバンドの姿にドキドキしたからライブハウスに足を運ぶようになったのであって。出演者として少しでもあなたがライブハウスに足を運ぼうと思えるようにドキドキするライブをしたいと思います!」
と言って、目の前にいるあなたへの愛を思いっきり感情と熱量を込めて「アイラヴユー」という曲へと転換していくのも本当に見事であるし、渋谷の言う通りの姿勢でこれからもライブに参加し続けたいと思う。それは目の前でこんなにも思いっきり感情を込めてメンバー全員が歌っているバンドの姿にこの上なくドキドキしているからである。
そのサウンドがより強力になっていくのは「突破口」であり、
「今をやめない」
というフレーズの連呼とともに繰り出される藤原のドラムロールの速さと強さが我々の心をも強くしてくれるように感じられると、今年リリースされた最新アルバム「東京」からは1曲目に収録されている「スペシャル」が演奏され、より真っ直ぐさを増したメロディに乗る
「楽しくありたいと思うと「誰かのため」が増える人間冥利」
というフレーズが、渋谷がステージ両サイドの通路まで歩いて行って、その通路の柵にまたがるようにして「落ちないでくれよ!」と思ってしまうくらいに前のめりになって歌っているからこそ、そのままこの日このステージのためのものとして響いていく。それをいろんな場所で繰り返していくというのがこのバンドの生き方であるのだが、渋谷がMCで口にした言葉を柳沢が歌詞にするというこの関係性は渋谷のMCの刺さり方の強さも含めて最強なのでは?と思ってしまう。
その渋谷は
「メジャーからインディーズに落ちて、4人だけで音楽をやる時間が長かった。だからあなたに受け止めて貰えるのが本当に嬉しいし、あなたの思いを我々が受け止めてそれがまた音楽になってます」
と口にする。それこそが今ビーバーが音楽を作り鳴らす、こうしてスケジュールがライブばかりになる生き方をしている理由。そうしたことを口にしたくなるくらいに気合いに満ちているのは、このフェスが今年開催されるまでの3年間で主催者やスタッフや出演するはずだったアーティストたちの思いを渋谷がしっかりと理解しているからだろう。
だからこそその想いがそのまま曲として表れるのが「人として」であり、この曲を聴くと毎回心を正されるというか、人としてカッコよく生きていたいと思う。こうしたコロナ禍でのフェスだと特にライブのルールを守っていない人がいるとガッカリしてしまう。そのルールに意味がなくてもあっても、自分勝手なことをする人をカッコいい人だとは思えない。そういう意味でもこの曲を聴くといつも改めて自分が自分を少しでもカッコいいと思える人間でありたいと思う。
そして最後に演奏されたのは、いつだって始まりを歌ってきた「青い春」で、観客の両腕が頭の上まで高く上がる。そこにも確かにこの曲を最後に演奏した意味を感じる。こうしてライブが終わるということはまた新しいバンドの物語の始まりでもあるからだ。そうしてこのバンドは「会いたい人がいる」と思える場所へすぐにライブをしに行く。それはつまり生きてさえいればまたすぐにこうしてこのバンドのライブが見れるということ。それはフェスでもライブハウスでも、アリーナやホールでも。
SUPER BEAVERも最初はひたちなかのBUZZ STAGEに出たりしていた。つまりはそこからライブを重ね、リリースを重ねたことによってこうして巨大な存在になっていったということだし、その道のりはこのバンドが歌っているように正々堂々とした正攻法そのものだった。
どのフェスからも相手にされていなかったと自嘲するバンド(実際にかつてのメジャー期などは全然フェスに出ていなかった)は、今や日本最大級のフェスを担う存在のバンドになった。
1.名前を呼ぶよ
2.美しい日
3.アイラヴユー
4.突破口
5.スペシャル
6.人として
7.青い春
15:45〜 宮本浩次 [LOTUS STAGE]
ロッキンは2000年に初回が開催されているのだが、もうその年に出ていたアーティストで出演し続けることができている存在はほとんどいない。バンドが解散したり(さらにその後に再結成したり)、フェスが巨大化していくにつれてそのキャパを埋められなくなったり、もう音楽をやっていなかったり。それぞれの人生の物語がこの22年の間にあった。
そんなロッキンにおいて、エレファントカシマシも含めて21回の開催のうちに20回出演しているのが宮本浩次である。(出演出来なかった時は宮本の病気による療養だった)
つまりはロッキンの歴史そのものと言える存在と言っても過言ではない宮本浩次が、こうして場所が変わってもロッキンに出演し続けているということである。
先にステージには今年開催されたツアーでもおなじみの布陣である、名越由貴夫(ギター)、キタダマキ(ベース)、玉田豊夢(ドラム)、小林武史(キーボード)の鉄壁のバンドメンバーたちが登場すると、宮本は白シャツ姿でステージに現れ、
「エビバディー!」
と観客におなじみの挨拶をしてアコギを持つと、そのまま歌い始めたのはロッキンで毎回演奏されてきたアンセムである「今宵の月のように」で観客たちの腕が高く上がる。その思いに応えるように宮本のボーカルはこの日も絶好調であるが、アコギを弾きながら歌うのかと思ったらすぐにアコギを背中に回してハンドマイクを手にしてステージを左右に歩き回りながら歌うという縦横無尽っぷりがさすが宮本である。もはやアコギいらないじゃんなんて野暮なことは言ってはいけないくらいに。
歌い終わると観客に背を向けて「ブッ!」とやるあたりもずっと変わらない宮本らしさであるが、ソロとしての評価を決定づけた昨年のアルバム「縦横無尽」から「stranger」が演奏されると、ツアーを全都道府県回ったことによって、日本の音楽史にすでに刻まれていると言っていいくらいの凄腕メンバーたちによるアンサンブルがさらに強化されていることがわかる。自分はツアー中盤に国際フォーラムでのライブを見ていて、その時も素晴らしい完成度だったのであるが、これだけのキャリアを誇るメンバーたちであってもライブを重ねることでまだまだミュージシャンとして進化をすることができるということを示してくれているかのようだ。
それはもちろん歌い続けて30年以上が経過した宮本自身もそうだ。不穏なイントロのバンドサウンドが加わった「異邦人」のカバーでの狂気的とも言える笑い声の表現力はこれがフェスのライブであるということを忘れてしまうくらいに宮本の世界に引き込まれてしまう。だからもはや自分の中でこの曲は宮本の曲になってしまっている。
名越のギターがラウドなロックサウンドを刻むのは、こちらもロッキンで毎回演奏されてきた「ガストロンジャー」であり、宮本はステージ左右に伸びる通路を歩きながら歌うのだが、どこかそこにはやりたい放題やっているようでありながらもあらゆる方向にいる観客への感謝を示しているかのようであった。スタッフにパイプ椅子を持ってこさせると、当然座るわけでもなくその上に立って高らかに歌うというのも宮本だからこそのパフォーマンスである。
この日は朝から曇り空であり、それが夏の野外フェスにおける過ごしやすさにもつながっていたのだが、毎年太陽が照りつける暑さだったひたちなかでのロッキンとはやはり変わったのか…とも思っていたら「昇る太陽」での
「昇る太陽 俺を照らせよ」
のフレーズを宮本が歌うと、なんと本当に雲が晴れて太陽が顔を出すという信じられない現象が起こる。それはずっとあのひたちなかのロッキンを支えてきた宮本がそう歌うからこそ、ロッキンの精霊のようなものがもたらしてくれたこの上ないくらいの演出であるかのように奇跡的な瞬間だったし、やっぱり宮本のロッキンでのライブは白シャツを太陽の光が照らすのが実によく似合う。あんまり暑いとステージ上で倒れたりしないか心配になる年齢になってきているけれど。
しかし宮本がその年齢を感じさせないのは、曲間をほとんど挟むことなくひたすらに曲を連発していくという、体力がないと出来ないようなライブの作り方をしているからであるが、それは今のソロとしての自分が作った曲をできる限り演奏したいという思いによるものだろう。
実際にそのソロの代表曲と言える「冬の花」は歌謡曲的なメロディも含めて、真夏であっても一切違和感を感じさせないような力を持った曲であるし、だからこそ宮本のボーカルの凄さが良くわかる曲でもある。だからこそ、ワンコーラス歌い終えるだけで拍手が起こるというフェスという場ではなかなか見れないような現象までもが起こったりするのである。
さらには「ハレルヤ」の歌詞に込めた、我々の背中を強く押してくれるような感覚。自分はツアーを見た時に「「ハレルヤ」は今の宮本としての「ファイティングマン」だ」と評したのだけれど、「ファイティングマン」を何回も聴いてきたロッキンでのライブだからこそ、より強くそう思うことができるし、出演形態は違っても宮本という男がステージから発する生命力の強さにずっと背中を押され続けてきたんだなと思う。
その生命力が迸るのは、きっと歌い通しで喉や体力も限界に近い中で歌うのは相当にキツいであろうハイトーンの「P.S. I love you」であり、実際に宮本は体全てを振り絞るようにしてこの曲を歌っていた。その姿は人間は自分で設定した限界を自分自身の力で越えることができるということを我々に伝えてくれているかのようだった。
そんなライブの最後に
「みんなに捧げます」
と言って演奏されたのは、エレカシの大名曲「悲しみの果て」。こうしてエレカシの曲が多く演奏されたのは、やはりエレカシというバンドの歴史にとっても大事なフェスであるロッキンだからという意識も少なからずあったんじゃないかと思う。動員や売り上げが下がりまくった時期でもロッキンはずっとエレカシを呼び続けてきて、レーベル移籍からの再浮上とともにGRASS STAGEに堂々帰還するという物語を作ったフェスだから。そこでこの曲たちを鳴らさないわけにはいかないのだ。ずっとこうやってこのフェスで演奏してきた曲なのだから。
そんな「悲しみの果て」が始まった時に、自分の前にいた20歳くらいの男子2人がいきなり肩を組んだ。ワンマンにも行ったからわかるけれども、宮本のライブは観客の方の平均年齢が高い。自分が若手に戻ったように思えるくらいに、長い年月宮本と、エレカシと一緒に生きてきた人が多い。
でもそうした人たちだけではなくて、20代や10代の若い人にもエレカシの曲や宮本の歌はちゃんと響いている。それが本当によくわかる瞬間だった。それはそのまま宮本の音楽やライブを必要としている人がまだまだたくさんいて、そういう人に届けるために宮本はこれからもライブをやっていくんだろう。ライブ後に後ろを見たら、エレカシの相棒である石森が笑顔で関係者と談笑していた。
「うちのボーカル、凄いでしょ?」
なんて話をしていたのだろうか。その学生時代から変わらない関係性は、もしかしたら「悲しみの果て」で肩を組んでいた2人は未来の宮本と石森のようになるのかもしれないと思っていた。
冒頭に書いたとおりに、もうずっとロッキンに出演し続けているアーティストは少ない。20年間出演し続けたDragon Ashですらもついに今年ラインナップから姿を消してしまった。でも宮本は形態が変わっても、会場が変わってもロッキンに出演し続けている。そんな守護神的な存在だからこそ、ロッキンが続いていけばこれからもずっと宮本のライブを見続けることができる。そう思えるのは今年こうやって開催することができたからだ。これからも、素晴らしい日々を送っていこうぜ。
1.今宵の月のように
2.stranger
3.異邦人
4.ガストロンジャー
5.昇る太陽
6.冬の花
7.ハレルヤ
8.P.S. I love you
9.悲しみの果て
16:45〜 秋山黄色 [HILLSIDE STAGE]
去年と今年のJAPAN JAMでこの会場の大きなステージでライブをしたのを見てきたからこそ、今年はロッキンでも大きいステージで見れると思っていた。しかしながら結果的にはHILLSIDE STAGEへの出演となった、秋山黄色。3年前にBUZZ STAGEに出た時のことは今でもよく覚えている。
おなじみのSEで片山タカズミ(ドラム)、藤本ひかり(ベース)、井手上誠(ギター)というバンドメンバーたちが登場すると、その後に金髪で顔が隠れ気味という姿もおなじみの秋山黄色もステージに現れると、藤本の重いベースのイントロによる「アイデンティティ」でスタートすると、井手上の仕草と片山のリズムに合わせて客席からは手拍子が起こる。アニメ主題歌だっただけにこの曲で秋山黄色の存在を知った人もたくさんいるであろうだけにそうした曲から始めるというあたりはフェスの短い持ち時間ならではのセトリの作り方と言えるかもしれない。
そう思うのはワンマンでは秋山黄色は
「昔の曲はライブでやり過ぎて飽きてきてる(笑)」
と言ったりしているからなのだが、それでも「Caffeine」は変わることなく演奏しているというのは、音源とはもはや全く別物と言っていいくらいのこの曲のライブでの爆発力を本人もメンバーもわかっているからなのだろうと思うし、この日もやはりサビに入った瞬間の秋山黄色の歌唱もバンドの演奏も、アウトロでの秋山黄色と井手上の暴れっぷりも、何回見てもテンションが高騰せざるを得ない。前方抽選エリアにいる観客もみんな飛び跳ねまくっていた。
そんな秋山黄色はこのフェスの直前に新曲「ソーイングボックス」を配信リリースしており、新曲をライブでやるタイプのアーティストであるだけにここでその曲が披露される。
個人的には今年リリースしたアルバム「ONE MORE SHABON」(こう書いているとアルバム出したばかりでもう新曲出たのかと驚かざるを得ない)に連なりながらも新たな地平へと足を踏み出した感があるというのは、やはりリズムが複雑化しまくっていてなかなか体がリズムを取りづらい感じすらあるのに曲全体はポップかつキャッチーな印象を受けるからであり、このバランス感覚は秋山黄色ならではと言っていいだろう。
そんな中で秋山黄色は翌日に出演するはずだったバンド、なきごとが出演キャンセルになったことに触れる。そこにはかつて対バンをした同志としての思いと、そうして出れなくなったアーティスト、来れなくなった人の思いを全て自身が抱えて炸裂させるという秋山黄色のこのフェスへの想いがあった。まだ全然若手と言っていい存在だし、ロッキンに出るのも2回目だけども、秋山黄色はそうしたいろんな思いを背負ってこのフェスに臨んでいる。だからこそ何個もある夏フェスのうちの単なる1本というわけでは決してない。それは音から放たれる熱量からもしっかりと伝わってくる。
そんなこのフェスの光景を心の中に焼き付けるように演奏されたのは、秋山黄色がハンドマイクで歌う「シャッターチャンス」。サビでは秋山黄色が全身を使って歌詞を表現することによって、観客も飛び跳ね、指で数字をカウントしたりする。それは時間が止まったみたいだったというよりも、あまりにも一瞬でライブが終わってしまうのがわかっているからこそ、時間を止めたい、もっとこのライブを長い時間ずっと見ていたいと思ってしまうような。
それは
「俺の全てをこの曲で出し切る!」
と言って秋山黄色がイントロのリフを鳴らした「やさぐれカイドー」がもう最後の曲になるとわかってしまっていたからであるが、リズム隊の一音一打の全てがより重くなる中で、間奏で秋山黄色は
「ROCK IN JAPANだけど、今日はもうROCK IN MEだ!ナヨナヨしたロックばっかり聴いてるんじゃねぇ!俺が本物のロックだ!」
と叫んでステージに倒れ込みながらギターを弾き、去年のJAPAN JAMでも大きな話題になった「ギターだけステージから飛び出している」という状態になってギターを弾く。
そうした秋山黄色のライブの瞬間全てがロックであり、このHILLSIDE STAGEの前説をやったロッキンオンジャパン編集長の山崎洋一郎が
「今のバンドはロックをやろうとしてロックをやっている。でも秋山黄色はやることが全てロックになっている。これが本物のロックだ」
と最大限の賛辞を送っていたことを思い出した。最後にキメを連発する瞬間までもロックでしかなかったからこそ、来年こそはもっと大きなステージで会えたらいいなって思う。去り際に側転することもできないくらいに体力を使ってしまう持ち時間の長さのステージで。
1.アイデンティティ
2.Caffeine
3.ソーイングボックス
4.シャッターチャンス
5.やさぐれカイドー
17:25〜 クリープハイプ [LOTUS STAGE]
初出演のWING TENTから始まって、長くひたちなかのGRASS STAGEを担ってきた存在であるクリープハイプ。今年のJAPAN JAMではトリを務めたこのステージに帰還。
SEもなしにいつも通りにメンバーがステージに登場すると、少し髪型がさっぱりしたように見える尾崎世界観(ボーカル&ギター)が、
「暗いところでするのもいいけど、俺は変態だから明るくていろんなところがよく見える時間からキケンナアソビがしたい」
と口にして「キケンナアソビ」からスタートするという、クリープハイプでしか絶対にできないようなオープニング。不穏なサウンドに乗せて尾崎が
「危険日でも遊んであげるから」
と口にする様は確かにまだ暗くなる前というか夏だから明るい時間帯に聴くとまた違った印象を受ける。それは夜にこの曲が演奏されたJAPAN JAMの光景がまだ色濃く脳裏に残っているからかもしれない。
するとなんとも形容しがたい髪型と髪色(基本的に黒だけど襟足部分などは金)の長谷川カオナシ(ベース)がメインボーカルを務め、サビでは尾崎とのツインボーカルになって小川幸慈が広いステージでステップを踏むようにしてギターを弾きまくる「月の逆襲」はすっかりライブ定番曲になっているのだが、それもちょうど去年のロッキンの中止が発表されたタイミングで行われたイベントなどで
「これからはフェスでもわかりやすい曲じゃなくて、今やりたい曲をやる」
と宣言してからセトリに加わったものだ。あれからもう1年も経ったのかと思うと、こうしてこのフェスでこの曲を聴けていることが感慨深くなる。
小泉拓(ドラム)による力強いビートが誰にも追いつけないようなスピードを生み出す「しょうもな」から、過去の代表曲などのタイトルやフレーズが歌詞に取り入れられた、まさに一生に一度しか使えない手法によって作られた「一生に一度愛してるよ」という曲の流れはクリープハイプのロックさを感じさせてくれるものであり、それが最新作収録曲であるというのが今のバンドのモードを示すものにもなっている。尾崎のボーカルの安定感ももはや言わずもがなレベルであるが、バンドの演奏の躍動感も含めて、ロッキンのメインステージにまた自分たちが立てているという喜びをそこからは感じることができる。
しかしながら先日出演した某フェスではいろいろあったからか、
「セトリがいつも一緒とかうるせえ。大切なのはいつどこで誰とやるかだ」
と、今もバンドが持つ反抗心というか怒りの感情を感じさせながらも「ラブホテル」が演奏され、それはまさに夏の野外フェスであるこのステージで今ここにいる我々の前だからこそのものとして響くのであるが、ラスサビ前に思いっきり溜めてから一旦演奏を止めると、
「昨日、明日来る人はどんな感じかな?と思ってエゴサしてたら、
「クリープの時間あたりで休憩かな〜」
っていうツイートを見て。人のライブ中に休憩してんじゃねぇよって思ってその人のツイート見たら、今日普通に仕事してて、ちょうど今くらいの時間が仕事の休憩時間ってだけだった(笑)なんか申し訳ない(笑)」
というネタで笑わせてくれるのであるが、それくらいに互いに笑顔になれるような空気感がこの日のライブには漂っていたと言っていいだろう。
するとカオナシがキーボードの前に座り、尾崎はハンドマイクという形になるのは歌詞の一フレーズが最新アルバムのタイトルになった「ナイトオンザプラネット」で、それはもうそろそろ時間的に夜と言ってもいい時間になっていくだけに、この会場を夜に誘うかのようであった。何よりもこの削ぎ落とされたサウンドの曲がこんなにも開放的な会場に良く似合っているというのが、今のクリープハイプが手にしているバンドとしてのスケールだと言えるだろう。
そしてカオナシが再びキーボードからベースに戻って跳ねるようなリズムのイントロを弾くと、そこにバンドが重なっていくというライブアレンジが施された「イト」のライブ映えっぷりによって観客は飛び跳ねまくり、
「また来年からも当たり前のようにこのステージに立っていたい」
と尾崎がこのロッキンのメインステージへの思いを口にして、
「最後は潔く散ります(笑)」
と言って演奏されたのは、火が噴き上がるかのような小川のギターが炸裂する「栞」。
「桜散る桜散る お別れの時間がきて
「ちょっといたい もっといたい ずっといたいのにな」」
というフレーズがまさに今この瞬間の尾崎とバンド、我々の心境として重なる。今のクリープハイプはそれくらい真っ直ぐに自分たちのやりたい音楽をフェスという場で真っ直ぐに鳴らすバンドになった。そういうバンドだからこそ、来年も当たり前のようにこのステージに立っていて欲しいと思う。
1.キケンナアソビ
2.月の逆襲
3.しょうもな
4.一生に一度愛してるよ
5.ラブホテル
6.ナイトオンザプラネット
7.イト
8.栞
18:15〜 [Alexandros] [GRASS STAGE]
かつてのロッキンでもGRASS STAGEのトリを務めたことのある[Alexandros]。そんなバンドだからこそ、この日のGRASS STAGEのトリもまたこのバンドなのである。場所は変わったけれど、本人たちも大好きなこのフェスにようやく戻ってくることができたのである。
開演時間になるとスクリーンに映し出されたのはギターのイラストの映像。え?これは?と思っていると続けて今まさにこのステージに向かおうとしているメンバーの姿が映し出され、本当にその数秒後にメンバーはステージに現れるというリアルタイム感。それはこのステージのトリということもあるだろうけれど、このバンドへのこのフェスからの無上の愛あってこその演出である。
川上洋平(ボーカル&ギター)は白い衣装にサングラスという出で立ちで登場すると、昨年のツアーで演奏され、リリースされたばかりのアルバム「But wait. Cats?」に収録されたインスト曲「Aleatoric」でスタート。それはSEからバンドの生演奏に変わるという意味でも今のバンドにとっての「Burger Queen」であると言っていいだろう。
それはそのままアルバムの曲順とおりに「Baby's Alright」へと繋がっていくのであるが、すでに絶賛アルバムを提げたツアーを行っていることによって完全にこの新曲がバンドのものとして馴染んでいるし、観客も当たり前のようにそれを受け止めて受け入れている。背面のスクリーンに映る何かがバグったような映像も含めて、これは間違いなくこの日このライブだけの特別なものになる予感を感じざるを得ない。
すると川上はギターを置いてハンドマイクとなり、リアド(ドラム)による激しくも軽快なリズムと白井眞輝(ギター)が刻むギターによって始まった「Kick & Spin」では川上がステージ真下から映すカメラに向かって自身の股間をいじるような姿がアップで映し出される。あまりにも解放的過ぎやしないかとも思うのであるが、川上はサングラスを外してステージ左右の通路まで歩いていき、そこで待ち構えているカメラに向かってカメラ目線で自身の頬をつねったり、カメラを客席に向けさせたりというロックスターっぷりをこれでもかとばかりに見せつける。
そうした姿はやはり規模が大きくなれば大きくなるほど真価を発揮するバンドであるが、アニメ主題歌にもなったストレートな蒼さを持ったロックチューン「無心拍数」から、川上がいたずらっ子っぽく振る舞って歌いながらも、
「蘇我ってどこ?」
と背面スクリーンに映し出される歌詞を変える「どーでもいいから」と、アルバムの曲を連発していくというのはバンドの今のモードを示しながら、トリだからこその長い持ち時間をフルに発揮するものになっている。
かと思うとリアドのビートが繋ぐ中で川上が
「ロッキン、心の大合唱を聴かせてくれー!」
と言って、このフェスという場を盛り上げまくる「Dracula La」が演奏され、磯部寛之(ベース)もコーラスで声を重ねるのであるが川上が最近ライブで毎回言っているように、次にこの曲をライブで聴くときには我々が声を出せる状況になっていて欲しいなと思う。それは川上が
「ロッキンの虜にして」
と歌詞を変えて歌うくらいに大好きなフェスだからこそ、せめて来年のこのフェスでは我々の大合唱をバンドに聴かせてあげたいと思うのだ。それこそがこんなにもロックバンドのカッコよさを感じさせてくれるバンドへの我々からの愛情の返し方だからだ。
その「Dracula La」から
「ROCK IN JAPAN」「ROCK IN CHIBA」「ROCK IN SOGA」
とスクリーンに映る文字が変化して、最後にこの曲のタイトルになるというように繋がるように演奏されたために白井のタッピングがいつもより控えめに感じられたのは「Rock The World」であるが、この曲はどのフェスよりもこのフェスのためのものなのだ。それは去年このフェスが中止になったのが決まった直後に、このバンドのインタビューを担当している小柳氏に川上がこの曲のデモを送り、それによって小柳や編集部員が救われたというエピソードを持つ曲だから。その曲が1年後のこのフェスでこうして鳴らされている。
「泣きたくなるほど なるほどに 僕らはちょっと強くなれる」
という歌詞もあの泣きたくなるような経験をしたからこそ、こうしてまたこのフェスで再会することができた我々は強くなれているんじゃないかと思える。新曲として披露されていた昨年からすでに名曲でしかなかったこの曲はこの日この場所で演奏されたことによってついに完成したとというか、鳴らすべき場所で鳴らされたと言えるのかもしれない。
しかし川上は
「今日はクリープハイプ先輩のバーターで出てます(笑)」
「先日28歳になりました(笑)」
と、磯部が
「知らない人が聞いたら信じちゃうからやめなさい(笑)」
とツッコむような適当MCを連発するのだが、知らない人がたくさんいるかもしれないということを察知してか、初めて自分たちのライブを見る人、初めてロッキンに来た人に手を挙げてもらうと、驚くくらいにたくさんの人が手を挙げていた。それくらいにこの3年間でこのフェスに行きたいと思った人や、このバンドのライブを観たいと思った人が増えたということだ。ライブに行く人が減ったとも言われているけれども、この光景を見るとポジティブな感情しか湧いてこない。ライブを、フェスを必要としている人がまだまだこんなにたくさんいるのだから。
すると再び新作モードへと転換し、スクリーンには惑星が爆発するような映像が流れるというのはそのままその様がタイトルになっているかのような「クラッシュ」であり、アルバム内容が発表された時にはタイトルだけ見て「これはロックな曲なんだろうな」と思ったが、実際はスケールの大きい、映画のテーマソングにもなりそうなキャッチーなメロディの曲であり、こうしてすっかり暗くなった野外の大きな会場で聴くのが実に良く似合う曲である。
そんな雰囲気を切り裂くようにリアドがキックの四つ打ちを踏み始めたのはそうしたライブならではのアレンジによってよりダンサブルに進化した「Girl A」であり、これまでにもこうして様々なライブアレンジが施されてきた曲であるが、原曲を知ってはいたけど初めてライブを見たという人はさぞやビックリしたことであろうけれど、これこそが[Alexandros]のライブなのである。決まりきったことだけではなくて、常にバンドにも我々にも刺激的な体験を与えようとしてくれている。だからこそ何回見ても飽きることはないし、それがライブの醍醐味だよなと思える。
そんなダンサブルなサウンドとリズムを引き継ぐ新作曲が「we are still kids & stray cats」であり、アルバムでもインタビューでも川上はプロディジーの名前を挙げていたが、そうした1990年代〜2000年代前半の、メンバーが大好きな時代にロックとダンスミュージックを融合させた先人たちからの影響を感じる曲。川上もハンドマイクで狂ったように踊り飛び跳ねながら歌い、シャープなギターを響かせる白井と時には交換してサングラスをかけあう。めちゃくちゃ楽しみまくっているということがその姿からもわかる。
だがアルバム曲がおおよそアルバムの流れの通りに演奏されていくために、そろそろライブ自体も終わりに近づいてしまっているのがわかってしまう。そんな寂寞さをサウンドでも感じさせる「awkward」ではスクリーンに便箋のようなものが映り、その横に川上の歌う歌詞の日本語訳が映し出されていく。その便箋の意味は?と思っていると、曲後半ではその便箋に楽屋で撮影したと思われるメンバーの写真が浮かび上がり、その下には
「8/6 ROCK IN JAPAN FES.2022」
というこの日のこのライブを永遠に刻むかのような文字が映し出される。このライブのためだけにそこまでするくらいにやはりこのバンドはこのフェスを場所が変わっても大切にしてくれている。こんなにカッコいいバンドがそう思っているのが伝わってくるのが本当に嬉しい。
アルバム自体が「awkward」で終わるだけに、ここからはアンコールのようなものと言っていいだろう。白井のギターのイントロによって始まった「閃光」ではここまでの演奏で極まったバンドサウンドが最大級に炸裂する。この曲を待っていたという人も多いのだろう、誰もが拳を振り上げて手拍子をするその姿を見て、昨年のJAPAN JAMからすでに演奏されていたけれど、ロッキンでこの曲が演奏されるのは初めてなんだなと思った。そしてこの曲は完全にもはやこのフェスのアンセムとなっている。そうしたライブの運び方、作り方、何より鳴らしている音のカッコよさ。それこそがこのバンドがこのステージのトリを務めている理由だ。
しかしそれでもなお終わらず、最後に白井が煌めくようなギターのイントロを鳴らし、磯部とリアドのリズムによって観客が飛び跳ねまくるのは「ワタリドリ」。川上はやはりハンドマイクになってカメラ目線で歌い、投げキスまでするというテンションと楽しさが極まったかのようなパフォーマンスを見せるのであるが、こうして誰もが知っている曲を最後に演奏することができるのもこのバンドの強さである。演奏後に川上が
「愛してるぜ、ROCK IN JAPAN!」
と叫んだ時に思わず溢れそうになったものがあったのは、それをこの3年間、心から聞きたかったからだ。
JAPAN JAMやCOUNTDOWN JAPANでは毎回トリを務めているバンドだけに、今回もトリを務めてもおかしくないけれど、今回はまだこの後にこの日のトリのライブがある。でも敢えてこのバンドをこのGRASS STAGEのトリにしたのは、小さいステージ(WING TENTやSOUND OF FOREST)に出演していた頃からあのひたちなかのGRASS STAGEへの思いを口にし続けてきたバンドであるだけに、あのステージと同じ名前のこのステージのトリをやってもらいたいという主催者側からの配慮だったんだと思う。
その思いにバンドはしっかり応えた。なんなら期待を遥かに上回るくらいのライブの力で。かつて川上はこのフェスを
「日本で1番元気なフェス」
と評し、そこに集まる観客たちもそうした存在であると口にしていた。その大好きなフェスでライブをするということが、こんなにもバンドの力になっている。好きなものがある、好きなことがある、大切な場所があるというのが何よりも強い力になるということを我々に教えてくれたかのような、圧巻の[Alexandros]のGRASS STAGEのトリだった。
1.Aleatoric
2.Baby's Alright
3.Kick & Spin
4.無心拍数
5.どーでもいいから
6.Dracula La
7.Rock The World
8.クラッシュ
9.Girl A
10.we are still kids & stray cats
11.awkward
12.閃光
13.ワタリドリ
19:25〜 YOASOBI [LOTUS STAGE]
前週に出演するはずだったフジロックはikura(ボーカル)のコロナ感染によってキャンセルになった。なので有観客でのライブは昨年12月の日本武道館ワンマン2daysのみ。つまりはほとんどの人が初めて生でその姿を見て、その音を浴びることになる、YOASOBI。初のフェス出演は昨年にそうなるはずだった、ロッキンのメインステージのトリというとんでもないライブ経歴になった。
もうステージからしてここまでとは全く違うなと思うのはステージ上にLEDの壁が作られており、その上に機材がセッティングされているというステージ作りになっているからなのだが、そのLEDの壁が背面のスクリーンと合わさってさらに巨大な一つのスクリーンのようになっており、そこに図書館の本が開いていくという映像が映し出されるのは「小説を音楽にする」というコンセプトを持ったこのユニットが現実世界に現れたというように感じられるものだ。
バンドメンバーたちとともにステージに現れたikuraとAyase(キーボードなど)は揃いの衣装を着てポーズを決める。黒の長髪というイメージが強いAyaseが金の短髪にピアスとタトゥーという出で立ちになっているのは彼の出自であるラウドバンドのメンバーのようにすら見える。
それぞれが立ち位置に着くと、ikuraが
「沈むように 溶けていくように」
と歌い始めたのはいきなりの大ヒット曲にしてこのユニットの存在を世の中に知らしめた「夜に駆ける」で、ステージからは特効も炸裂するというトリならではの演出が。
この「夜に駆ける」を1曲目に持ってくるというのは実は昨年のロッキンのセトリでもその予定であり、Ayaseはその理由を
「遠くから来て早く帰らなきゃいけない人がちょっとだけYOASOBIを見て帰るってなった時に、最初に「夜に駆ける」をやれば「あの曲聴けたな」って思えるじゃないですか」
と言っていた。インタビュアーもてっきりアンコールや本編最後にやる曲だと思っていただけに、もう我々普通の人とはその発想が全く違っているし、それは全てが見てくれる人のためにという想いのもとに練られたものである。
さらにはタイトル通りにステージが色とりどりに輝く「三原色」、そして「ハルジオン」とこれでもかというくらいに現在のポップシーン、音楽シーン最大のキラーチューンが次々に演奏されていくのであるが、それはこのユニットにはそうした曲しかないということを示している。だから曲が演奏されるたびに「この曲聴けた!」という感覚が客席に満ちていく。その光景を生み出せるだけでもとんでもないユニットだなと改めて思うし、ほとんどの人にとってはスマホで聴いたりYouTubeで観ていた曲がついに目の前で鳴らされているのである。その曲たちがこんなにもこの会場にいる人を一つにしていくというのはポップミュージックの魔法と言えるかもしれない。
そしてそんな曲を視覚的に表現する映像の美しさたるや。「大正浪漫」での和のテイストもまさにタイトル通りのアニメーション映像が映し出され、武道館の時も床面を全てLEDにするという驚きの形でライブを作り上げていたが、まだ3回目のライブにしてYOASOBIのライブの形は完成していると言っていいだろう。
そんな中でLEDスクリーンの上に立って歌っていたikuraは「もう少しだけ」で階段を降りてステージを左右に歩きながら歌うのであるが、よく「透明感を持った」というikuraの歌声はまさにその通りで、そこからは無垢さや少女さを強く感じる。正直、まだライブ経験があまりないだけにライブでの歌唱法というのはこれからライブを重ねることによって身につけていくことになるのだろうけれど、この声を聴けば「ikuraだな」と思える記名性を持っていることは間違いない。
しかしながらライブ経験が少なく、ましてや夜の野外というのも初めての経験であるだけに「ミスター」ではAyaseの口の中に虫が入ってしまうという恐れていた事態も発生してしまうのであるが、Ayaseはコンポーザーでありながらも観客に手拍子を促したりと、ライブでの盛り上げ方をすでに会得しているというのは元々はバンドのボーカルをやっていたということと無関係ではないだろう。
そんな中でikuraが自分たちの
「小説を音楽にするユニット」
というコンセプトを改めて説明してから演奏された「もしも命が描けたら」はもとになった小説の解説をしてから演奏されるというあたりからして、2人にとって本当に大事な曲であることがわかるし、生命そのものを描いた壮大な映像を背に歌い演奏する2人の姿は他の曲以上に丁寧にこの曲を描こうとしているように見えた。
さらにはステージ上から光が降り注ぐような照明による、本編中盤でこのタイトルの曲をやるのかと思わせる「アンコール」ではAyaseが徐にスマホを取り出してライトをつけて左右に振る。それに気付いた観客たちが次々にスマホライトを振ることによって、美しい光の海が広がっていく。まだライブ経験が乏しい中であってもYOASOBIは目の前にいてくれる人と一緒にライブを作ろうとしている。その存在が1番大切なものであるということを2人はもう理解しているのだろう。
まさにツバメが空を飛ぶような映像が実に美しく、その情景と相まって曲そのものを追体験するようにまたすぐに聴きたくなる「ツバメ」、こんなにも真っ直ぐなテーマと歌詞を衒いなく歌えるのもこのユニットのコンセプトあってこその強みだなと思える、ikuraがステージを歩きながら観客に手を振って歌う「好きだ」とカラフルかつポップな曲が続くのだが、後半に演奏されたのがイントロが鳴るだけで客席から拍手が起こる湧き上がりを見せた「怪物」。
それは瞬時に会場の空気を変えてしまう悲哀を曲が含んでいるからであるのだが、まさにこの会場を飲み込んでしまっているYOASOBIという存在そのものが今の音楽シーンにとっての「怪物」であると考えると、小説というフィクションを歌うこのユニットがリアルに感じられるような。
その悲哀が切なさに変化していく「ラブレター」ではまさに手紙に歌詞が綴られていく映像がそのままアニメ映画になりそうなくらいに美しき見事だ。おそらくYOASOBIの周りには優れたクリエイターたちがたくさんいて、その人たちがフルに才能や持ちうるものを発揮できる場所としてもYOASOBIが存在しているという意義があるような。それは2人は口には出さないかもしれないけど、エンタメというものの存在する意味やその力の強さを示そうとしているようにも思える。
そんな映像に見惚れているうちにライブはあっという間に最後の曲に。ここまで12曲も演奏してもなおこんな名曲が残っているとは、と思わせられるのは、ikuraが観客に
「心で歌ってください!」
と言って演奏された「群青」。この曲のゴスペル的とも言えるサビでの声の重なりはきっとこうしたライブでみんなで歌うことを想定して作られた部分もあるはず。今はそれをすることはできないけれど、みんなで歌うことができた時にきっとこの曲はまた違う力を発揮するようになるはずだ。
演奏後に打ち上がった花火を見ていて、この日のことを2人がずっと忘れないでいてくれたらいいなと居合わせることができた1人として思っていた。イヤホンの中でも画面の中でもなく、YOASOBIは目の前で音を鳴らし、我々に届ける存在になった瞬間がこの日だったからだ。
1.夜に駆ける
2.三原色
3.ハルジオン
4.大正浪漫
5.もう少しだけ
6.ミスター
7.もしも命が描けたら
8.アンコール
9.ツバメ
10.好きだ
11.怪物
12.ラブレター
13.群青
20:30〜 須田景凪 [HILLSIDE STAGE]
ひたちなかの開催時にもメインステージのライブ終了後にDJによるクロージングアクトがあり、実際に今回もGRASS STAGEではDJ和によるクロージングDJが行われているのだが、今回からはDJだけではなくてHILLSIDE STAGEでクロージングアクトとしてライブも行われる。そのクロージングアクトを初めに務めるのは春からフェスにも果敢に出演するようになった須田景凪である。
おなじみのAwesome City Clubのモリシー(ギター)、Sawagiの雲丹亀卓人(ベース)、元パスピエのやおたくや(ドラム)という鉄壁のバンドメンバーとともに登場すると、ボカロPとしても活動するアーティストらしい「パメラ」の性急なギターロックサウンドが、春に見た時よりもはるかに力強く進化しているのがわかる。
それは夜の暗闇の中でのライブということもあってか、スクリーンにVaundyや秋山黄色以上に顔がハッキリとは映らない須田景凪の独特の癖(=記名性の強さ)を含んだボーカルがよりライブアーティストらしいものになっているのもそうであるし、何よりもこの経験豊富な凄腕メンバーたちによるバンドサウンドの一音一音にも確かに現れている。
だからこそ聴いていて体が自然と動いてしまうし、「こんなにも踊れるようなライブだったっけか」とすら思う。今年初頭に行われたフレデリックとの2マンでは映像も駆使したライブを行っていたが、この日は完全にバンドサウンドのみという肉弾戦であり、その形であることで演奏の強さを感じざるを得ない。
それはこれまでに見たライブでも毎回演奏されていた「veil」や、夏の野外というシチュエーションであることを加味して演奏されたのかもしれない「雨とペトラ」でもそうであるのだが、こんなにも「激しい」と思いすらするライブをするアーティストであるということを初めてライブを見た人は感想として抱くんじゃないだろうか。
それは春フェスやホールツアーなどのライブを重ねてきたことによってバンドのグルーヴやアンサンブルが強化されてきたというところもあるだろうし、METROCKに出演した際に須田景凪は出番が終わってからも他のアーティストのライブをメンバーたちとずっと見ていた。そうして他のバンドのライブを見て「こうしよう」と思った部分もあるだろうし、バンドメンバーと一緒に時間を過ごすことによってそれぞれの人間としての理解度も向上し、それがもはや「須田景凪というバンド」と言ってもいいサウンドの強さに結びついている。
そんな須田景凪はロッキンというフェスが音楽をやっている人にとっては誰しもにとって憧れの場所であることを口にすると、
「僕は5年前にこの会場で開催されたJAPAN JAMを皆さんと同じように客席で見ていました。NICO Touches the Wallsやフレデリックっていう敬愛するバンドのライブを見て、いつか自分もあのステージに立ちたいと思った。それが今日叶いました」
と、この会場が自身の目標の場所であったことを明かす。
それは須田景凪が挙げた2バンドと同じ事務所に所属しているから観に来たという要素もあるかもしれないけれど、でも本当に好きじゃなかったらわざわざもう活動していないNICOの名前を口にすることはないだろう。NICOのメンバーももうそれぞれ違う道を歩き始めているけれども、我々がこの会場やいろんな場所で見てきたNICOのライブを今も忘れていないように、須田景凪もNICOのライブをずっと忘れないでくれている。その言葉を聞いて思わず感情が込み上げてきてしまいそうになったけれど、同じファンの1人としてNICOをずっと忘れないでいてくれて本当にありがとうございますと思っていた。
そんなNICOやフレデリックの持つライブバンドさ。それは音源で聴くよりもライブで観る方がカッコいいバンドであるということであり、ライブでは音源とは全く違うアレンジを施すバンドであるということでもあるのだが、「Alba」も音源とは違うアレンジとはいかないまでも音源よりもはるかにライブらしいというか、ロックバンド的なサウンドになっているし、それはリリース時から須田景凪の曲の中で随一のロックさを持つ「パレイドリア」によってより強く感じられる。こんなにフェスで盛り上がるアーティストになったのかと思うくらいにたくさんの観客が腕を上げて体を揺らして踊っている。もしかしたら須田景凪もこうした自分がかつてその中にいた光景を見たくてロックなサウンド、ライブに振り切れているところもあるのかもしれない。もちろん憧れの場所に立っていることによる気合いの入りっぷりも間違いなくあるだろうけれど。
しかし須田景凪は本当に謙虚というか紳士な人であるというのはどんなにライブが力強くなっても口にする言葉から伝わってくる。だからこの日も最後に
「もしこの曲を知っている人がいたら、心の中で歌ってくれたらと思います」
と真摯に口にして、若い年齢が多いこの日の観客がもしかしたらカラオケで1番歌っている曲かもしれないと思う、バルーン名義の大ヒット曲「シャルル」を須田景凪が歌い始めると、曲冒頭の
「さよならはあなたから言った」
というフレーズだけで客席は湧き上がるように拍手をする。この曲をみんなが知っていて、こうしてライブで聴くことができることを心から喜んでいる。須田景凪は間違いなく、もう画面の向こう側の顔が見えない存在ではなくて、我々の目の前で歌い、音を鳴らすアーティストだ。
来年以降、このフェスで我々が声を出すことができるようになっていたら、この曲で凄まじい大合唱が響いているかもしれないと思った。それはもちろんこのステージよりももっと大きなステージで、もっとたくさんの人と一緒に。
クロージングアクトというのは実に難しい立ち位置だ。それはメインステージのトリという、余韻が残らざるを得ない状況でライブをやらなければいけないからだ。でもこの日の帰りには確かに須田景凪のライブの余韻が強く残っていた。並み居る強者ライブアーティストたちが揃うロックフェスの中でもそう思わせる存在になった須田景凪とバンドメンバーたちは笑顔で去って行ったし、何より最後に須田景凪は
「めっちゃ楽しかった!」
と、こんなに無邪気なことを言う人だったのかと思うくらいに口にしていた。きっとこれからいろんなフェスでそう思えるようになるはずだ。
1.パメラ
2.veil
3.雨とペトラ
4.Alba
5.パレイドリア
6.シャルル
クロージングアクトまで見てから帰ろうとしたら、会場から出るまでに40分くらいかかった。すんなり帰れたJAPAN JAMとは比べようがないくらいに混雑していたということであり、これはちょっとどうにかしてほしいなとも思ったけれど、ロッキンならきっとなんとかしてくれるはず。だって数年前までLOTUS STAGEとGRASS STAGEの間のエリアは砂嵐が酷すぎてライブを観るどころじゃなかったのを、ロッキンオンが千葉市に金を出して芝生を植えてくれるという信じられないくらいの改善をして、こうしてこの場所でフェスを続けているのだから。
そんな新しいロッキンの始まりとなる2022年。3年ぶりの開催。場所が変わって家から近くなっても、こうして開催できているだけで本当に嬉しく思う。
今年はJAPAN JAMも2ステージだったが、SUNSET STAGEがLOTUS STAGE、SKY STAGEがGRASS STAGEと名を変え、さらにはJAMの時には使っていなかった新エリアにHILLSIDE STAGEとPARK STAGEという小さいステージが作られての4ステージ構成。LOTUS STAGE以外はひたちなかでのステージ名がそのまま踏襲されている。
蘇我駅を出てからも、会場の入場列も物販の列もJAMの時とは比べ物にならないくらいの長さになっており、この会場にはこんなにたくさんの人が収容できるんだなと驚いてしまうくらい。並びたくないのでステージエリアで待機していると、ひたちなかの灼熱っぷりとは打って変わって曇り空の涼しさというのもまたロッキンらしからぬ天候である。
10:05〜 ヤユヨ [HILLSIDE STAGE]
LOTUS STAGEのすぐ裏に新しくできた2つのステージは隣り合うように配置されている。その一つであるHILLSIDE STAGEのトップバッターにして、新しいロッキンで1番最初に音を鳴らすアーティストは4人組若手ロックバンド、もちろんロッキン初出演となるヤユヨである。
開演前にはロッキンオンジャパン総編集長の山崎洋一郎がおなじみのレッチリのBGMで登場して前説をするのだが、いつにも増して少し声のトーンが低めというか、元気さを出すという感じではなかったのはやはり3年ぶりの開催で感極まっている部分もあったんだろうかと思う。もう何回聞いたかわからない山崎洋一郎の前説でこんな感想を抱くのは初めてのことだった。
その山崎洋一郎がバンドを紹介すると、すーちゃん(ドラム)はロッキンのタオルを、はな(ベース)はバンドのタオルを、ぺっぺ(ギター)は所属レーベルTALTOのタオルをそれぞれ掲げて登場すると、リコ(ボーカル&ギター)はサングラスをかけて登場し、春にリリースされたばかりのフルアルバム「日日爛漫」収録のギターロックチューン「futtou!!!!」をステージを左右に動き回り、前に出てきて片膝をついたりしながら歌うという姿には努力だけでは得ることができないフロントマンとしての華のようなものを確かに感じる。
それはまさにこの日にふさわしいタイトルと歌詞の「いい日になりそう」からもそう感じるのであるが、演奏するメンバーの背面には「ROCK IN JAPAN FES. 2022」という幕がかかっていて、それが目に入るのが場所が変わってもロッキンが本当に戻ってきたんだな、そのロッキンのステージにこれからのシーンを担っていく若手バンドが出演して、こうしてライブができているんだなと思うとそれだけで込み上げてきてしまうものがある。やっぱりそれくらいにこのフェスをずっと待っていたのだ。
それは初出演となるこのバンドにとってもそのようで、関西のバンドでありながらも
「ずっと憧れのフェスだった」
とこうして出演できたことへの感謝を口にすると、リコはギターを持ってそれを弾きながら「おとぎばなし」を演奏するのであるが、上手いとか下手というだけでは評することも、判別することもできないくらいに、このバンドの音楽とライブからは「バンドやってるのって最高に楽しい!」という思いが伝わってくる。だからこそ、様々な楽器や音や手法を使う選択肢がある今のシーンの中でもこんなにもシンプル極まりないバンドサウンドを鳴らしているんだろうと思うし、それはぺっぺのステージ前まで出てきてのギターソロにも衝動として宿っているものである。
リコのボーカルも凛としていながらも実にパワフル極まりないものであるのだが、しかし「日日爛漫」のオープニングを飾る、失恋の光景を実に清々しく描いた「あばよ、」では最後のサビで歌に詰まってしまう。それは歌いきれなかったのか(それまでの歌唱っぷりを考えるとそれは考えにくい)、あるいは感極まってしまったのか(その直後には普通に歌い、喋っていたのでそれも考えにくい)…。そこは本人にしかわからないものだろうけれど、それくらいに思いを込めまくって歌っているということはしっかりと伝わってくる。
そんなバンドはこの日は1日のトップバッターとして誰もが楽しんでもらえるような自信のあるセトリを組んできたということを口にするのであるが、そんな中でも
「この曲はやらないといけないってくらいに大事な曲」
と言って演奏されたのは、このバンドの登場をシーンに知らしめた曲である「さよなら前夜」で、サビでのメンバー全員でのコーラスがメロディのキャッチーさをより強く伝えてくれる。そのコーラスも上手く歌うというか、ひたすらに一生懸命歌うという意識で統一されているかのようで、それがそのままロックバンドとしての衝動につながっている。
このコーラスというかメンバー全員での合唱はこれからもこのバンドにとっての大きな武器になるだろうなと思うのが同じように最後に演奏されてメンバーのコーラスが重なる「キャンディ (飴ちゃんver.)」で、隙間を生かしたバンドのアンサンブルの中でもハンドマイクのリコはステージを飛び跳ねたりしながら歌うことによって「音楽は楽しい」「ライブは楽しい」ということを見ている我々に伝えてくれる。それはそのまま今年ようやく戻ってきたロッキンの楽しさを改めて伝えてくれるものになっている。それくらいに鮮烈な、トップバッターにふさわしいヤユヨのロッキンデビューだった。いつか「ロッキンに初出演した時に見た」っていうことを自慢できるバンドになってくれたらいいな。
1.futtou!!!!
2.いい日になりそう
3.おとぎばなし
4.あばよ、
5.さよなら前夜
6.キャンディ (飴ちゃんver.)
10:45〜 おいしくるメロンパン [PARK STAGE]
ひたちなかで開催されていた時のPARK STAGEは最終的には2番目に大きい規模のステージになった。その名前を踏襲しながらも小さい規模のステージになったわけだが、そのひたちなか時代のPARK STAGEのことを知っているバンドであるおいしくるメロンパンが新生PARK STAGEで最初にライブをするアーティストになる。この会場では毎年JAPAN JAMに出演してきた存在でもある。
そのステージにメンバー3人が登場すると、ナカシマ(ボーカル&ギター)がギターを刻みながら歌い始める「look at the sea」でスタートし、峯岸翔雪(ベース)が軽やかなステップを踏むようにしてベースを弾くというのもこの会場ではもはやおなじみの光景である。
JAPAN JAMの時はまだ新曲という感じの強かった「Utopia」ももうすっかりセトリに入るのが当然の曲になっているのだが、金髪に眼鏡という出で立ちの原駿太郎のドラムの一打一打が実に力強く、それが物理的にも音階的にも動きまくる峯岸のベースと合わさることによって隙のないスリーピースロックサウンドとなっている。
そうして演奏が見るたびに力強くなっているのを感じられるのは構築的な曲展開の「epilogue」であり、それはそのまま「この小さいステージでもそれぞれの音がはっきりと聞こえるな」というこのステージの音響の判断基準になる。それは演奏力がありながらもというかあるからこそ、あくまで3人のギター、ベース、ドラムという楽器の音だけを鳴らしているバンドだからこそである。
「新しいPARK STAGEの産声の代弁者」
と原が自己紹介するくらいに今このバンドとしてこのステージに立つ自信を感じさせてくれる中、初期の「シュガーサーフ」ではたくさんの観客の腕が上がるという熱狂っぷりで、ステージ上もナカシマは前髪で隠れて表情までは全て見えないけれど、汗をかいているのはよくわかる。つまりはバンド側も熱くなっているのであるし、それは間奏で峯岸がステージ中央に出てきて弾くゴリゴリに重いベースソロからもよくわかる。
そんな中で演奏された「マテリアル」は配信されたばかりの新曲なのだが、この曲を聴いた時に「これはついに来たな」と思った。フレーズごとにガラッと展開を変えながらもキャッチーさは変わらないメロディと、バンド史上最高に夏を歌った歌詞。それはつまりこの日、この会場のための曲であるということ。バンドの最大のアンセムと言っていいような曲がついに生まれたのである。これはこれから毎年このフェスで響く曲になっていくのだろうと思う。
そしてナカシマがギターを掻き鳴らしながら歌い始めた「色水」がこのバンドならではのソリッドでありながらもどこか爽やかな風を感じさせるサウンドとメロディで会場の空気を一変させると、最後に演奏された「5月の呪い」で一瞬だけこの会場を5月のJAPAN JAMの時にタイムスリップさせる。あの大きなステージに立っても違和感を感じないようなライブをやってから3ヶ月。夏は小さなステージになったが、ワンマンの規模からしたらあまりにデカすぎるこの会場でJAPAN JAMに毎年出演してきた経験が確実にこのバンドを逞しくした。それはバンドが常に前の自分たちを上回るようなライブをしてきたからだ。そういう意味ではこの蘇我で1番成長、進化したバンドと言えるのかもしれないし、これからもこの場所でさらに進化していく姿を見せてくれるはず。もうこのフェスのステージは動員的にも決してデカすぎるものではなくなった。
リハ.紫陽花
リハ.トロイメライ
1.look at the sea
2.Utopia
3.epilogue
4.シュガーサーフ
5.マテリアル
6.色水
7.5月の呪い
11:25〜 reGretGirl [HILLSIDE STAGE]
3年前にBUZZ STAGEでロッキン初出演。それからこうして開催される3年間でバンドの立ち位置はかなり変わった。それを示すべくreGretGirlが新しくなったロッキンのHILLSIDE STAGEに立つ。
サポートギターとキーボードを加えた5人編成でリハから「Shunari」を演奏しているのだが、平部雅洋(ボーカル&ギター)が
「次、何の曲聞きたい?……じゃあ「Shunari」(笑)」
という問答を2回繰り返していただけに計3回も「Shunari」が演奏されることに。リハではこの曲しかやらないみたいなルールがあったりするのだろうか。
そのリハの時からわかっていたことなのだが、音源で聴いている以上に平部は実に歌が上手い。音程的な意味でもそうだし、声量もこうした広いフェスの会場でしっかり響くようなものをしっかり持っている。だから自身の左耳についているそれを指差しながら歌う「ピアス」の歌詞の表現力の豊かさ、奥深さをライブという場でもしっかりと感じることができるのである。
バンド名からもわかるようにそうした失恋の情景などを自分たちだからこその言葉で曲にするようなバンドであるのだが、それを二日酔いにかけた「ハングオーバー」も含めて、キーボードのサウンドが重なることによってポップなイメージを感じながらも、ライブ全体の印象としては「ライブハウスでライブをやって勝ち上がってきたバンドだな」と思えるのは、パッと見では1番若そうに見えるが最年長の十九川宗裕(ベース)と、逆に最年長っぽいどっしりした風格があるのに最年少の前田将司(ドラム)によるリズムがしっかりしているからであろう。曲だけ聴くと女々しさを強く感じざるを得ないが、ライブを観るとそのイメージはすぐに覆される。
そんなバンドの鳴らすサウンドと平部の歌うメロディが空高くまで突き抜けていくようなスケールを持った「デイドリーム」はここまでのロックバンドさとは違ったバラードと言える曲であり、そんな曲をフェスの短い時間の中に入れてくるあたりにこのバンドらしさを感じるし、そこで歌の上手さをしっかり示した平部は前方抽選エリアを
「太客エリア(笑)」
と呼んだりと、大阪のバンドならではの面白い兄ちゃん的な一面を見せてくれる。それはサブスクで配信されているワンマンライブの音源にそのまま収録されたMCを聴いていても感じていたことではあるが。
そこからの「ダレヨリ」はまさに女々しさを感じるような歌詞のラブソングなのだが、そこにもちろん共感を感じるような人もたくさんいるだろうけれど、それでもそれだけではないロックバンドとしての熱さをこのバンドは確かに持っている。
それは平部の
「俺たちには背中を押せるような曲はないけれど、寄り添うような曲はたくさん歌うことができる」
という言葉にも現れていたが、それはこのバンドが音楽で表現したいことがちゃんと定まっているということだ。だからこそラストの「ホワイトアウト」はこのそこにこの日最大のロックバンドとしての熱さが乗っていた。それをこのバンドのファンの人たちはわかっているからこそ、このフェスでこんなにも客席を満員にすることができる。こんなに良いバンドだったなんて、こうしてライブを観るまではわからなかった。声も、曲も、音も。これから間違いなくもっと大きなステージで見ることになるはずだ。
リハ.Shunari
1.ピアス
2.ハングオーバー
3.デイドリーム
4.ダレヨリ
5.ホワイトアウト
12:00〜 Vaundy [GRASS STAGE]
JAPAN JAMの時もSUNSET STAGEという名前のこのステージに立っていた、Vaundy。その時も注目度の高さを感じさせる満員っぷりだったが、この日はそもそもの動員数が多いだけに始まる前からその時を上回るような超満員っぷり。なんならもはや動員力はフェスでもトップクラスの存在と言えるかもしれないくらいに。
おなじみのbobo(ドラム)らによるサポートメンバーを連れたバンド編成であり、正直リリースもこれといってないだけにわかっていたことでもあるのだが、セトリ自体も春からほとんど変わることはない。それでも「不可幸力」の不穏なサウンドから始まり、サビになると一気にVaundyの歌声が開いていくと、やはりこの歌声は奇跡的と言えるくらいに素晴らしいなと何度ライブを観ても思える。
そんな中で「あれ?」と思ったのは、ステージ背面には「Vaundy」というアーティスト名が映し出されているだけなのは変わらないのだが、両サイドのスクリーンにライブ中の映像が映し出されているのが、今までは足元だけだったり、顔はぼやかすようにして映していた、つまりははっきりと見ることが出来なかったVaundyの顔が今まで以上にちゃんと映し出される瞬間が増えているということだ。そうしてスクリーンに映る姿を見ると、夏だからかどこかスポーティーな出で立ちになったなとも感じられる。
そんな変わらない曲の中でも毎回体も心も魂も震えるくらいに素晴らしい歌声を響かせる「しわあわせ」はやはりこの日もとんでもないカタルシスをもたらし、これはどんなに歌が上手い人が歌ってもこうは歌えないし、練習して歌えるようになるものでもない、ただただVaundyだからこそ歌うことができるものであると感じる。メンバーたちのコーラスが重なることも相まって、それがいなくなってしまった大切な人の存在を思い出させる。持ち時間30分くらいのフェスではセトリから外れてしまう曲だけれど、きっとこれからも何度だって我々はこのフェスでのこの曲で胸を震わせられるのだろう。
そこから「裸の勇者」でタイアップアニメのキャラに感情を重ねるような情念が歌声に宿ると、一転して「東京フラッシュ」ではダークな世界に誘っていくという変幻自在っぷりでVaundyの音楽の幅広さを示していく。いろんなジャンル、サウンドのアーティストの音楽を1組だけで体感させてくれているかのようであるし、それを乗りこなすどころか全ての曲の力を最大限以上に引き上げるVaundyの歌唱の表現力はやはり素晴らしい。
そんなライブはVaundyが少し疲れを見せながらも、観客には
「まだまだ踊れる?体力残ってる?」
と煽って「花占い」で手拍子が満員の客席から響くと、袖にいるVaundyのTシャツを着たスタッフたちも楽しそうに手拍子をしていて、サビでは会場にいる誰よりも楽しそうにみんなで踊っている姿が見える。それはVaundyは本当に彼の音楽が好きで仕方がないようなスタッフたちに支えられてこのステージに立っているということだ。きっとそのスタッフたちもこうしてロッキンにVaundyが出演できるのが本当に嬉しかったんだろうなと思う。そんなアーティスト側の姿が我々のことをより幸せにしてくれる。
そうして最後はやはりこの日最大級の手拍子が鳴り響いた「怪獣の花唄」でVaundyの歌唱がこの日の自己記録を更新するくらいに伸びやかに響いたと思ったら、Vaundyは歌いながらステージ左右に伸びた通路まで猛ダッシュし、逆サイドに行く際にはステージ上を大ジャンプして機材を飛び越えてさらに猛スピードで走り抜けていく。
こんな体力がついたのか。こんなにもアグレッシブかつ、歌声だけではなくて自分の持ち得るものを全て使い切るようなライブができるようになったのか。演奏される曲は変わらないけれど、Vaundyのライブはわずか3ヶ月で大きく変わった。でもそんな超絶進化すらもまだまだその過程のほんの序盤なんじゃないかとすら思える。それくらいにVaundyは成長期の真っ只中にいる。でもすぐにスタジアムワンマンくらいやってしまいそうなのが恐ろしさすら感じる。
1.不可幸力
2.踊り子
3.恋風邪にのせて
4.しわあわせ
5.裸の勇者
6.東京フラッシュ
7.花占い
8.怪獣の花唄
12:45〜 Saucy Dog [LOTUS STAGE]
Vaundyと同じようにJAPAN JAMと同じステージへの出演となる、Saucy Dog。その時にSKY STAGEという名前だったこのステージはかつてのJAPAN JAMで、今は物販に使用されているエリアに作られていたLOTUS STAGEへと名前を変えた。
ライブ前にサウンドチェックで3人がステージに登場すると、せとゆいか(ドラム)が観客にライブ中に撮影禁止などのルールを伝える。それに石原慎也(ボーカル&ギター)も
「アーティストに言わせるなっていう人もいるだろうけど、俺たちは全然言うのはいいから。そういうルールを知らない人もいるだろうから教えてあげてね」
と重ねるあたりにこのバンドのメンバーたちの優しさ(全員天然ゆえかもしれないけれど)を感じることができる。
本番ではターコイズブルーの衣装を着たせとを先頭に秋澤和貴(ベース)、石原と1人ずつステージに登場すると、ステージ背面のバンドロゴもせとの衣装に合わせた色に変わり、その色にピッタリな「シーグラス」の爽やかなサウンドとメロディが会場を包み込んでいく。ギター、ベース、ドラムというシンプルなスリーピースサウンドだからこそそれをしっかり感じることができるし、石原の声の伸びは今や日本最大規模のフェスのメインステージに立つにふさわしいものになっている。
その「シーグラス」もそうであるが、「メトロノウム」もどこか夏の野外というこのシチュエーションに見合う選曲であるように感じるし、そうした曲を聞いていて思うのはこのバンドには夏の情景を連想させるような曲が多いということだ。3年前にはひたちなかのLAKE STAGEに出演していたが、暑いようでいて爽やかさも感じられるあのステージの情景を思い出させてくれるような。
そんな夏の曲に続いて早くも演奏された「シンデレラボーイ」では背面のスクリーンに曲の歌詞が映し出される。この曲を聴きたかったという人がたくさんいるのだろうなということがわかるくらいの客席からステージへの視線の集中力。だからこそ最後のサビ前の
「死んで」
のフレーズでどこか客席がハッとするような感覚が確かにあったし、やはり石原の歌声によってこの曲でこのフェスの全てを持っていってしまう。他のことに意識が全くいかないくらいにこちらを掴んで離さないような歌声だ。
こうして3年振りにロッキンが開催されたことを祝うコメントをしながらも、実はこの前週あたりにコロナに感染してしまったせとが無事にこうして復帰してライブができていることにも安堵する。せっかく掴んだロッキンのメインステージのライブであるだけに、意地でもキャンセルしたくはなかっただろう。間に合って何よりである。
そうして戻ってきたからこそ、こうして3人でライブができている。「雀ノ欠伸」では秋澤が石原やせとの方を向きながら笑顔でベースを演奏している表情からもそれを感じることができる。とはいえいつも以上にその顔には汗が滲んでいるというのも、夏フェスのライブが帰ってきたんだなと思える瞬間である。
それこそ「シンデレラボーイ」がたくさんの人に届いたことによって「ポップなバンド」というイメージを持たれがちなこのバンドがあくまでロックバンドであるということをライブという場で証明するように石原がギターを掻き鳴らしながら歌う「ゴーストバスター」から、サウンドチェックの時に口にしたライブ中の撮影などのルールのことを口にしつつ、争いあうんじゃない世界になって欲しいという思いを込めて演奏された「優しさに溢れた世界で」では背面のスクリーンにメンバー3人が演奏する姿が3分割になって映し出される。そうして同時に映るメンバーの表情がやはり笑顔であるというのがこのバンドの優しさを感じさせるし、だからこそ生み出すことができた曲だと言えるだろう。
すると石原は観客に
「凄い景色が見える。みんなもライブ中に後ろを見ていいんだよ」
と言い、みんなが後ろを見るためにせとにリズムを刻んでもらおうとするのだが、
「ライブ中に見ればいいじゃん(笑)」
とせとは断固拒否してしまう。そこにも何だか緩い空気が流れているのはこのバンドならではであるが、その石原が見ている景色を全部我々にも見せてあげたいというのはまさに次に演奏された「いつか」のサビの歌詞そのものであるし、そのイントロでドンドンとステージを足踏みする瞬間の石原の足元が映し出されるというのもまたこのフェスがこの曲をしっかり理解しているというバンドへの愛情の表れである。
そして最後に演奏されたのは先月リリースされたばかりの新作ミニアルバム「レイジーサンデー」の最後に収録されている「Be Yourself」。サビでは珍しく英語の歌詞が歌われているのであるが、そのフレーズも含めた歌詞がスクリーンに映し出されることによって、この曲の歌詞とメロディの完璧なハマりっぷりがよくわかる。そんな最新作の曲が「いつか」などの名曲を抑えてライブの最後を担うようになっているというあたりに今のこのバンドの覚醒っぷりが感じられる。
それこそ3年前はLAKE STAGEでも「まだ流石に早くないか?」という感じもあったけれども、今やメインステージでしかないというくらいの存在になった。ひたちなかだったらGRASS STAGEに立っていたのだろうかと思うけれども、これからこのバンドはこの会場でのこのフェスのメインステージを支えるバンドになっていくはずだ。あまりに多忙すぎるスケジュールが落ち着いてもこのステージには立っていると思う。
1.シーグラス
2.メトロノウム
3.シンデレラボーイ
4.雀ノ欠伸
5.ゴーストバスター
6.優しさに溢れた世界で
7.いつか
8.Be yourself
13:30〜 ORANGE RANGE [GRASS STAGE]
ここまではこの開催できなかった3年間の間に飛躍したり、フェスに出れるようになったアーティストが並んでいたが、2019年までにひたちなかで開催されてきたロッキンを支えてきたアーティストたちももちろん今年はこの蘇我にやってきている。その中の1組に間違いなく入るのがORANGE RANGEである。
しかしメンバーがステージに登場するとRYO(ボーカル)が
「インフォでも出したんですけど、今日はYAMATOがライブに出れなくなってしまって。1番悔しいのはYAMATOだと思うんですけど、沖縄で泣いてるYAMATOに、いつも僕らは繋がっているんだっていうことを届けましょう!」
と言った通りに、この日はYAMATOを欠いたボーカル2人編成。それでもこうしてライブに出る選択をしたというのは、それができる経験や技術がある上で、自分たちのライブを楽しみにしてこのフェスに来ている人がいるというのをわかっているからだろう。
なのでそんなRYOの言葉の通りに、沖縄の空まで続いている、繋がっていることを示すかのような「以心電信」でスタートして観客は飛び跳ねまくるのであるが、YAMATOのパートはこの曲では近しい声質を持ったHIROKIがカバーする。他の曲では真逆と言っていい声質のRYOもカバーしていたが、HIROKIは思いっきり自身の腕に歌詞をマジックで書いており、それをカンペ代わりに見ながら歌っているというのは非常事態ならでは。
しかしそうしてボーカルパートをカバーするだけではなくて、「以心電信」では間奏でダブっぽいアレンジを入れてみせたり、これがORANGE RANGEが最高の夏バンドであるということを感じさせる「ロコローション」では文字通りに何かいい感じにさせてくれながら、間奏ではNAOTOのギターがハードロック的に激しさを増すというアレンジを加えていて、ただ過去の大ヒット曲を演奏しているだけではなくて、そこに今のこのバンドだからこその音や表現を入れている。そこではYOHのミクスチャー由来の重さを持ったベースがあることも重要である。
そんな夏バンドとして地元である沖縄の風を吹かせるのは「Ryukyu Wind」なのだが、関東ですらこんなに暑いと沖縄はどれだけ暑いんだろうかと思ってしまうけれど、この曲のサウンドの通りに沖縄の夏はどこか爽やかな、湿度の低い風が吹いているのかもしれないとすら思わせてくれる。
その風をさらに強くするのはミクスチャーバンドとしてのORANGE RANGEの強さを感じさせてくれる「キリサイテ 風」であり、それは風を吹かせることによって雲をも吹き飛ばして、太陽をこの会場に出現させようとしているんじゃないかという流れである。
それはYAMATO不在を感じさせないようにこの日はガンガン前に出てきまくって煽るRYOが
「快晴じゃん、雲一つないって歌ってる曲だから、太陽出てこい!」
と言って「上海ハニー」が演奏されたからであるが、代わる代わる繋がるマイクリレーも2人で歌い分けている姿を見ていると、声が出せる状況だったらこの曲は観客みんなでYAMATOパートを大合唱するという形でカバーできたんじゃないだろうかとすら思う。
間奏では沖縄の踊りであるカチャーシーもみんなで踊るのであるが、RYOはその際にステージ左右の通路まで歩いていって、
「音楽がないと、フェスがないと絶対嫌だっていう人ー!」
と観客に問いかけてたくさんの腕が上がる。それはフェスがあるからこのバンドのライブでこんなに楽しいと感じることができるのをわかっているからだ。
そんな大ヒット曲だけではなくて、今のバンドの姿ややりたいことを示す新曲をORANGE RANGEはフェスでも必ず演奏してきた。みんなが聴きたい曲と、自分たちがやりたいことのバランス。かつてスピッツの草野マサムネもデビュー時にすでにその感覚を持ち合わせていたこのバンドのことを絶賛していたのだが、そんな今のこのバンドの新曲「Pantyna」はソイソースをフィーチャーした、つまりはNAOTOのエレクトロ趣向が発揮された1曲であり、他のソイソース曲同様にサウンド、歌詞の全てがシュール極まりない曲である。この曲をフェスのダイジェストでORANGE RANGEのライブ映像として流したら知らない人が混乱するだろうくらいに。YAMATO不在によってHIROKIのボーカル比重が高くなっていただけにライブで完全版も聴きたいところである。
そして再びRYOが太陽が見えないことを悔やむようにして始まったのはやはり「イケナイ太陽」であり、YAMATOのシャウトパートもHIROKIが担ったこの曲によって、どんな形でもやはり夏のORANGE RANGEが最強であるということが完璧にわかる。もうこんなに飛び跳ねさせられるのかってくらいに飛び跳ねてしまうのも、このライブがあまりにも楽しすぎたからである。
そんなライブの最後に演奏されたのは、YAMATO不在でもメンバー全員がドラムセットの前に集まって音を鳴らし始めるという姿は変わることがない「キリキリマイ」。YAMATOのシャウトこそないけれど、NAOTOもYOHもステージ前に出てきて煽るようにラウドサウンドを鳴らしていたのは、ボーカル2人だけではなくてバンド全員でその不在をカバーしようとしているかのようだった。
最後にRYOはもう一度、
「フェスがずっと続いていて欲しいと思う人!」
と観客に問いかけ、たくさんの腕が上がった。そのずっと続いていくフェスの中にずっとこのバンドがいて欲しいと思わざるを得ないくらいに楽しかった。
そんなYAMATOというバンドきっての飛び道具として、ボーカル陣の中で唯一ロッキンオンジャパンで2万字インタビューが行われた男(首謀者のNAOTOはもちろん行われている)が不在でもこんなに楽しくて素晴らしいライブができるのはやはり経てきた経験や技術、20年間で乗り越えてきたもの、そして生み出してきた大ヒット曲の数々があまりに違いすぎるから。近年のライブを見るたびに、全世代が曲を知っていて、一緒に盛り上がることができる最後のモンスターバンドなんじゃないかと思っている。そんなバンドがデビューした時から歳を重ねて来れたのはめちゃくちゃ幸せなことなんじゃないかと思っている。
1.以心電信
2.ロコローション
3.Ryukyu Wind
4.キリサイテ 風
5.上海ハニー
6.Pantyna
7.イケナイ太陽
8.キリキリマイ
14:15〜 マカロニえんぴつ [LOTUS STAGE]
JAPAN JAMではSUNSET STAGEのトリを見事に務めたのも記憶に新しい、マカロニえんぴつ。もちろん夏もメインステージへの登場であるが、出番は昼過ぎというのがこの日のラインナップの強さを感じさせるものになっている。
おなじみのビートルズのSEでメンバーが1人ずつステージに登場すると、長谷川大喜のキーボードが軽やかなメロディを奏で、田辺由明がブルージーなギターを重ねる「レモンパイ」からスタートし、ステージ背面のスクリーンにはまさにレモンを思わせるような黄色の映像が映し出される。こうした演出をフルに使うことができるのも、ロックバンドとしてアリーナやホールでライブをしてきたこのバンドだからこそだろう。そうした様々なサウンドや演出が総じてポップかつキャッチーなものになっているというのがこのバンドがこんなに巨大な存在になったことを感じさせてくれる。
するとはっとり(ボーカル&ギター)がギターを鳴らしながら歌い始めた「洗濯機と君とラヂオ」で長谷川がエアベースをしながら実際にベースを弾いている高野賢也に近づいて戯れ合うというおなじみの光景も見えるのであるが、そのまま「ワンドリンク別」へと繋がる展開と曲そのもののテンポの生き急いでいるロックバンドとしての速さは、30分の持ち時間で25分で8曲を演奏した、2018年のWING TENTでの初出演時の勢いを思い出させてくれるし、バンドがまだあの頃と同じ衝動を持っているということを感じさせてくれる。
曲中のタイトルフレーズのコールは観客は誰も声を上げることがなく、むしろそうしてこのライブのルールを守ってくれたことを見てはっとりは
「よくできました!」
と言っているように見えた。それは音楽しかないような人間の集まりであるこのバンドだからこそ、コロナ禍になってから早い段階でライブを行ってシーンを守ろうとしてきたのを見てきたからこそ一層感じられるものである。
だからこそはっとりは本当に嬉しそうに3年振りにロッキンが開催できていることを祝うと、「はしりがき」の曲が持つ
「ただ無駄を愛すのだ!生き止まらないように笑うのだ」
というフレーズがそのバンドの持つ思いとして響く。映画のタイアップであり、そこに寄り添った歌詞でありながらもバンドの姿勢も確かに刻まれているのだ。
それは最新EPに収録された「たましいの居場所」もそうであり、こうした場所で演奏することによってこの場所こそがその居場所であると思えるし、とかくトリッキーな曲展開やアレンジを施しまくるという、それをこんなにポップに仕立て上げているのは凄いなと思うような部分は控えめに、ストレートなバンドサウンドの曲であるということがこうしてライブで聴くことによってよりはっきりとわかる。そのEPにはまぁ街中華愛を歌ったトリッキー極まりない曲も入っているのがこのバンドらしさでもあるのだけれど。
そんな中でメンバーによるカウントから始まった「恋人ごっこ」の、この巨大な空間を全て掌握してしまうかのような圧倒的なメロディの力とはっとりのボーカルの見事さ。それは客席の「この曲を聴けるのを待っていた!」という思いとの相乗効果でもあると思うのであるが、もはやこのバンドはそうした大ヒット曲を持つレジェンドバンドの域に片足を踏み入れているんじゃないかとすら思える。
でも自分たちがまだそうはさせないというか、まだ若手バンドのままでいたいというかのように初期の「愛の手」がこんなに大きなステージで鳴らされている。
「いつか手を引っ張ってよ」
と歌うこの曲に手を引っ張られていた時期もあったかもしれないし、初出演時はまだそう感じるバンドだった。でも今はこの曲の手をこのバンドが引っ張ってこのロッキンのメインステージまで連れてきたかのような感覚が確かにあった。そうした意識は紛れもなくバンドにもあったと思う。当時の曲にこの景色を見せてあげているかのような。
そしてJAPAN JAMでも美しい映像とともに演奏された「星が泳ぐ」ではやはりこの日も宇宙に煌めく星空の映像が背面に映し出され、それがこの曲の持つ美しいメロディを最大限に引き出している。アウトロではプログレバンドかと思うくらいのセッション的な演奏も展開されるのであるが、その最後にステージ前まで出てきてギターを弾いていたはっとりはステージ下から自身を映すカメラに向かって舌をペロッと出してみせる。そんな姿ももうこのステージにふさわしいロックスターと言えるものだなと思う。
そんなはっとりは
「音楽を守るとかフェスを守るとかじゃなくて、音楽があればこうやって一言も交わしていなくてもこんなにも一つになることができる。音楽があればこうやって集まることができる。また音楽が鳴る場所で集まりましょう」
と、音楽への今の自身の思いを口にすると、最後に長谷川のイントロのピアノが鳴るだけで客席から声が思わず漏れるくらいに待たれている曲になった「なんでもないよ、」の抑制されたサウンドだからこそ輝くメロディの力がやはりこの広い会場を包んでいく。
3年間の間に間違いなくロッキンオンのフェスを担う存在になった。なんなら今のロックシーン、音楽シーンそのものを担う存在になった。そんなバンドだからこそ、このバンドといる自分が好きだとこの曲を聴いていると思うことができる。来年以降は春だけではなくて、夏にもこの会場で夜に会えたらなと思う。
リハ.ハートロッカー
リハ.ブルーベリー・ナイツ
1.レモンパイ
2.洗濯機と君とラヂオ
3.ワンドリンク別
4.はしりがき
5.たましいの居場所
6.恋人ごっこ
7.愛の手
8.星が泳ぐ
9.なんでもないよ、
15:00〜 SUPER BEAVER [GRASS STAGE]
今年のJAPAN JAMではトリを務めたSUPER BEAVER。かつてのこのフェスでもPARK STAGEのトリを務めているが、今回はまだ昼間と呼べる時間帯への登場である。
サウンドチェックではまさにサウンドチェックというように楽器を鳴らしていたメンバー4人がステージに登場すると、柳沢亮太(ギター)と藤原広明(ドラム)の出で立ちは変わらないけれど、上杉研太(ベース)の髪型がややリーゼントっぽくなって男前度が上がっており、最後にステージに現れた渋谷龍太(ボーカル)はいつものように華しかないような出で立ちながらもどこか目元の化粧がいつもよりも濃いようにも感じる。
そんな4人が最初に演奏したのは「名前を呼ぶよ」というタイアップの効果もあってかバンドの名前をより広く知らしめた曲であり、これはあまりに強い先制パンチなのであるが、
「名前を呼んでよ 会いに行くよ」
というメンバー全員が声を重ねるサビのフレーズはそのままこのバンドがこうしてこのステージに立っている理由になっている。だからこそ1曲目に演奏されるべきだなと納得するし、やはりこのバンドの選択にはどんなものにも理由があるのである。
そんな曲を演奏したバンドへの観客の拍手がそのまま頭の上に上がり、その高さでメンバーとともに手拍子をするのは「美しい日」。その、ステージから見たらこんなに何万人もの人が頭の上で手拍子をするのはどんな風に見えるのだろうかと思う光景の美しさも相まって、やはりこの曲が演奏されるだけでこの日は美しい日だなと思わせてくれるのである。
すると渋谷はこのフェスが開催されるまでの3年間で、こうしたフェスやライブ会場に足を運んできてくれた観客へバンドを代表して頭を下げるのであるが、その直後に
「頭を下げた直後ではありますが、なんかライブハウスに来てくれってバンド側が頭を下げるのは違うんじゃないかとも思って。俺がライブハウスに行くようになったのは、出演者とかに頭を下げられたからではなくて、目の前で鳴っている音楽や鳴らしているバンドの姿にドキドキしたからライブハウスに足を運ぶようになったのであって。出演者として少しでもあなたがライブハウスに足を運ぼうと思えるようにドキドキするライブをしたいと思います!」
と言って、目の前にいるあなたへの愛を思いっきり感情と熱量を込めて「アイラヴユー」という曲へと転換していくのも本当に見事であるし、渋谷の言う通りの姿勢でこれからもライブに参加し続けたいと思う。それは目の前でこんなにも思いっきり感情を込めてメンバー全員が歌っているバンドの姿にこの上なくドキドキしているからである。
そのサウンドがより強力になっていくのは「突破口」であり、
「今をやめない」
というフレーズの連呼とともに繰り出される藤原のドラムロールの速さと強さが我々の心をも強くしてくれるように感じられると、今年リリースされた最新アルバム「東京」からは1曲目に収録されている「スペシャル」が演奏され、より真っ直ぐさを増したメロディに乗る
「楽しくありたいと思うと「誰かのため」が増える人間冥利」
というフレーズが、渋谷がステージ両サイドの通路まで歩いて行って、その通路の柵にまたがるようにして「落ちないでくれよ!」と思ってしまうくらいに前のめりになって歌っているからこそ、そのままこの日このステージのためのものとして響いていく。それをいろんな場所で繰り返していくというのがこのバンドの生き方であるのだが、渋谷がMCで口にした言葉を柳沢が歌詞にするというこの関係性は渋谷のMCの刺さり方の強さも含めて最強なのでは?と思ってしまう。
その渋谷は
「メジャーからインディーズに落ちて、4人だけで音楽をやる時間が長かった。だからあなたに受け止めて貰えるのが本当に嬉しいし、あなたの思いを我々が受け止めてそれがまた音楽になってます」
と口にする。それこそが今ビーバーが音楽を作り鳴らす、こうしてスケジュールがライブばかりになる生き方をしている理由。そうしたことを口にしたくなるくらいに気合いに満ちているのは、このフェスが今年開催されるまでの3年間で主催者やスタッフや出演するはずだったアーティストたちの思いを渋谷がしっかりと理解しているからだろう。
だからこそその想いがそのまま曲として表れるのが「人として」であり、この曲を聴くと毎回心を正されるというか、人としてカッコよく生きていたいと思う。こうしたコロナ禍でのフェスだと特にライブのルールを守っていない人がいるとガッカリしてしまう。そのルールに意味がなくてもあっても、自分勝手なことをする人をカッコいい人だとは思えない。そういう意味でもこの曲を聴くといつも改めて自分が自分を少しでもカッコいいと思える人間でありたいと思う。
そして最後に演奏されたのは、いつだって始まりを歌ってきた「青い春」で、観客の両腕が頭の上まで高く上がる。そこにも確かにこの曲を最後に演奏した意味を感じる。こうしてライブが終わるということはまた新しいバンドの物語の始まりでもあるからだ。そうしてこのバンドは「会いたい人がいる」と思える場所へすぐにライブをしに行く。それはつまり生きてさえいればまたすぐにこうしてこのバンドのライブが見れるということ。それはフェスでもライブハウスでも、アリーナやホールでも。
SUPER BEAVERも最初はひたちなかのBUZZ STAGEに出たりしていた。つまりはそこからライブを重ね、リリースを重ねたことによってこうして巨大な存在になっていったということだし、その道のりはこのバンドが歌っているように正々堂々とした正攻法そのものだった。
どのフェスからも相手にされていなかったと自嘲するバンド(実際にかつてのメジャー期などは全然フェスに出ていなかった)は、今や日本最大級のフェスを担う存在のバンドになった。
1.名前を呼ぶよ
2.美しい日
3.アイラヴユー
4.突破口
5.スペシャル
6.人として
7.青い春
15:45〜 宮本浩次 [LOTUS STAGE]
ロッキンは2000年に初回が開催されているのだが、もうその年に出ていたアーティストで出演し続けることができている存在はほとんどいない。バンドが解散したり(さらにその後に再結成したり)、フェスが巨大化していくにつれてそのキャパを埋められなくなったり、もう音楽をやっていなかったり。それぞれの人生の物語がこの22年の間にあった。
そんなロッキンにおいて、エレファントカシマシも含めて21回の開催のうちに20回出演しているのが宮本浩次である。(出演出来なかった時は宮本の病気による療養だった)
つまりはロッキンの歴史そのものと言える存在と言っても過言ではない宮本浩次が、こうして場所が変わってもロッキンに出演し続けているということである。
先にステージには今年開催されたツアーでもおなじみの布陣である、名越由貴夫(ギター)、キタダマキ(ベース)、玉田豊夢(ドラム)、小林武史(キーボード)の鉄壁のバンドメンバーたちが登場すると、宮本は白シャツ姿でステージに現れ、
「エビバディー!」
と観客におなじみの挨拶をしてアコギを持つと、そのまま歌い始めたのはロッキンで毎回演奏されてきたアンセムである「今宵の月のように」で観客たちの腕が高く上がる。その思いに応えるように宮本のボーカルはこの日も絶好調であるが、アコギを弾きながら歌うのかと思ったらすぐにアコギを背中に回してハンドマイクを手にしてステージを左右に歩き回りながら歌うという縦横無尽っぷりがさすが宮本である。もはやアコギいらないじゃんなんて野暮なことは言ってはいけないくらいに。
歌い終わると観客に背を向けて「ブッ!」とやるあたりもずっと変わらない宮本らしさであるが、ソロとしての評価を決定づけた昨年のアルバム「縦横無尽」から「stranger」が演奏されると、ツアーを全都道府県回ったことによって、日本の音楽史にすでに刻まれていると言っていいくらいの凄腕メンバーたちによるアンサンブルがさらに強化されていることがわかる。自分はツアー中盤に国際フォーラムでのライブを見ていて、その時も素晴らしい完成度だったのであるが、これだけのキャリアを誇るメンバーたちであってもライブを重ねることでまだまだミュージシャンとして進化をすることができるということを示してくれているかのようだ。
それはもちろん歌い続けて30年以上が経過した宮本自身もそうだ。不穏なイントロのバンドサウンドが加わった「異邦人」のカバーでの狂気的とも言える笑い声の表現力はこれがフェスのライブであるということを忘れてしまうくらいに宮本の世界に引き込まれてしまう。だからもはや自分の中でこの曲は宮本の曲になってしまっている。
名越のギターがラウドなロックサウンドを刻むのは、こちらもロッキンで毎回演奏されてきた「ガストロンジャー」であり、宮本はステージ左右に伸びる通路を歩きながら歌うのだが、どこかそこにはやりたい放題やっているようでありながらもあらゆる方向にいる観客への感謝を示しているかのようであった。スタッフにパイプ椅子を持ってこさせると、当然座るわけでもなくその上に立って高らかに歌うというのも宮本だからこそのパフォーマンスである。
この日は朝から曇り空であり、それが夏の野外フェスにおける過ごしやすさにもつながっていたのだが、毎年太陽が照りつける暑さだったひたちなかでのロッキンとはやはり変わったのか…とも思っていたら「昇る太陽」での
「昇る太陽 俺を照らせよ」
のフレーズを宮本が歌うと、なんと本当に雲が晴れて太陽が顔を出すという信じられない現象が起こる。それはずっとあのひたちなかのロッキンを支えてきた宮本がそう歌うからこそ、ロッキンの精霊のようなものがもたらしてくれたこの上ないくらいの演出であるかのように奇跡的な瞬間だったし、やっぱり宮本のロッキンでのライブは白シャツを太陽の光が照らすのが実によく似合う。あんまり暑いとステージ上で倒れたりしないか心配になる年齢になってきているけれど。
しかし宮本がその年齢を感じさせないのは、曲間をほとんど挟むことなくひたすらに曲を連発していくという、体力がないと出来ないようなライブの作り方をしているからであるが、それは今のソロとしての自分が作った曲をできる限り演奏したいという思いによるものだろう。
実際にそのソロの代表曲と言える「冬の花」は歌謡曲的なメロディも含めて、真夏であっても一切違和感を感じさせないような力を持った曲であるし、だからこそ宮本のボーカルの凄さが良くわかる曲でもある。だからこそ、ワンコーラス歌い終えるだけで拍手が起こるというフェスという場ではなかなか見れないような現象までもが起こったりするのである。
さらには「ハレルヤ」の歌詞に込めた、我々の背中を強く押してくれるような感覚。自分はツアーを見た時に「「ハレルヤ」は今の宮本としての「ファイティングマン」だ」と評したのだけれど、「ファイティングマン」を何回も聴いてきたロッキンでのライブだからこそ、より強くそう思うことができるし、出演形態は違っても宮本という男がステージから発する生命力の強さにずっと背中を押され続けてきたんだなと思う。
その生命力が迸るのは、きっと歌い通しで喉や体力も限界に近い中で歌うのは相当にキツいであろうハイトーンの「P.S. I love you」であり、実際に宮本は体全てを振り絞るようにしてこの曲を歌っていた。その姿は人間は自分で設定した限界を自分自身の力で越えることができるということを我々に伝えてくれているかのようだった。
そんなライブの最後に
「みんなに捧げます」
と言って演奏されたのは、エレカシの大名曲「悲しみの果て」。こうしてエレカシの曲が多く演奏されたのは、やはりエレカシというバンドの歴史にとっても大事なフェスであるロッキンだからという意識も少なからずあったんじゃないかと思う。動員や売り上げが下がりまくった時期でもロッキンはずっとエレカシを呼び続けてきて、レーベル移籍からの再浮上とともにGRASS STAGEに堂々帰還するという物語を作ったフェスだから。そこでこの曲たちを鳴らさないわけにはいかないのだ。ずっとこうやってこのフェスで演奏してきた曲なのだから。
そんな「悲しみの果て」が始まった時に、自分の前にいた20歳くらいの男子2人がいきなり肩を組んだ。ワンマンにも行ったからわかるけれども、宮本のライブは観客の方の平均年齢が高い。自分が若手に戻ったように思えるくらいに、長い年月宮本と、エレカシと一緒に生きてきた人が多い。
でもそうした人たちだけではなくて、20代や10代の若い人にもエレカシの曲や宮本の歌はちゃんと響いている。それが本当によくわかる瞬間だった。それはそのまま宮本の音楽やライブを必要としている人がまだまだたくさんいて、そういう人に届けるために宮本はこれからもライブをやっていくんだろう。ライブ後に後ろを見たら、エレカシの相棒である石森が笑顔で関係者と談笑していた。
「うちのボーカル、凄いでしょ?」
なんて話をしていたのだろうか。その学生時代から変わらない関係性は、もしかしたら「悲しみの果て」で肩を組んでいた2人は未来の宮本と石森のようになるのかもしれないと思っていた。
冒頭に書いたとおりに、もうずっとロッキンに出演し続けているアーティストは少ない。20年間出演し続けたDragon Ashですらもついに今年ラインナップから姿を消してしまった。でも宮本は形態が変わっても、会場が変わってもロッキンに出演し続けている。そんな守護神的な存在だからこそ、ロッキンが続いていけばこれからもずっと宮本のライブを見続けることができる。そう思えるのは今年こうやって開催することができたからだ。これからも、素晴らしい日々を送っていこうぜ。
1.今宵の月のように
2.stranger
3.異邦人
4.ガストロンジャー
5.昇る太陽
6.冬の花
7.ハレルヤ
8.P.S. I love you
9.悲しみの果て
16:45〜 秋山黄色 [HILLSIDE STAGE]
去年と今年のJAPAN JAMでこの会場の大きなステージでライブをしたのを見てきたからこそ、今年はロッキンでも大きいステージで見れると思っていた。しかしながら結果的にはHILLSIDE STAGEへの出演となった、秋山黄色。3年前にBUZZ STAGEに出た時のことは今でもよく覚えている。
おなじみのSEで片山タカズミ(ドラム)、藤本ひかり(ベース)、井手上誠(ギター)というバンドメンバーたちが登場すると、その後に金髪で顔が隠れ気味という姿もおなじみの秋山黄色もステージに現れると、藤本の重いベースのイントロによる「アイデンティティ」でスタートすると、井手上の仕草と片山のリズムに合わせて客席からは手拍子が起こる。アニメ主題歌だっただけにこの曲で秋山黄色の存在を知った人もたくさんいるであろうだけにそうした曲から始めるというあたりはフェスの短い持ち時間ならではのセトリの作り方と言えるかもしれない。
そう思うのはワンマンでは秋山黄色は
「昔の曲はライブでやり過ぎて飽きてきてる(笑)」
と言ったりしているからなのだが、それでも「Caffeine」は変わることなく演奏しているというのは、音源とはもはや全く別物と言っていいくらいのこの曲のライブでの爆発力を本人もメンバーもわかっているからなのだろうと思うし、この日もやはりサビに入った瞬間の秋山黄色の歌唱もバンドの演奏も、アウトロでの秋山黄色と井手上の暴れっぷりも、何回見てもテンションが高騰せざるを得ない。前方抽選エリアにいる観客もみんな飛び跳ねまくっていた。
そんな秋山黄色はこのフェスの直前に新曲「ソーイングボックス」を配信リリースしており、新曲をライブでやるタイプのアーティストであるだけにここでその曲が披露される。
個人的には今年リリースしたアルバム「ONE MORE SHABON」(こう書いているとアルバム出したばかりでもう新曲出たのかと驚かざるを得ない)に連なりながらも新たな地平へと足を踏み出した感があるというのは、やはりリズムが複雑化しまくっていてなかなか体がリズムを取りづらい感じすらあるのに曲全体はポップかつキャッチーな印象を受けるからであり、このバランス感覚は秋山黄色ならではと言っていいだろう。
そんな中で秋山黄色は翌日に出演するはずだったバンド、なきごとが出演キャンセルになったことに触れる。そこにはかつて対バンをした同志としての思いと、そうして出れなくなったアーティスト、来れなくなった人の思いを全て自身が抱えて炸裂させるという秋山黄色のこのフェスへの想いがあった。まだ全然若手と言っていい存在だし、ロッキンに出るのも2回目だけども、秋山黄色はそうしたいろんな思いを背負ってこのフェスに臨んでいる。だからこそ何個もある夏フェスのうちの単なる1本というわけでは決してない。それは音から放たれる熱量からもしっかりと伝わってくる。
そんなこのフェスの光景を心の中に焼き付けるように演奏されたのは、秋山黄色がハンドマイクで歌う「シャッターチャンス」。サビでは秋山黄色が全身を使って歌詞を表現することによって、観客も飛び跳ね、指で数字をカウントしたりする。それは時間が止まったみたいだったというよりも、あまりにも一瞬でライブが終わってしまうのがわかっているからこそ、時間を止めたい、もっとこのライブを長い時間ずっと見ていたいと思ってしまうような。
それは
「俺の全てをこの曲で出し切る!」
と言って秋山黄色がイントロのリフを鳴らした「やさぐれカイドー」がもう最後の曲になるとわかってしまっていたからであるが、リズム隊の一音一打の全てがより重くなる中で、間奏で秋山黄色は
「ROCK IN JAPANだけど、今日はもうROCK IN MEだ!ナヨナヨしたロックばっかり聴いてるんじゃねぇ!俺が本物のロックだ!」
と叫んでステージに倒れ込みながらギターを弾き、去年のJAPAN JAMでも大きな話題になった「ギターだけステージから飛び出している」という状態になってギターを弾く。
そうした秋山黄色のライブの瞬間全てがロックであり、このHILLSIDE STAGEの前説をやったロッキンオンジャパン編集長の山崎洋一郎が
「今のバンドはロックをやろうとしてロックをやっている。でも秋山黄色はやることが全てロックになっている。これが本物のロックだ」
と最大限の賛辞を送っていたことを思い出した。最後にキメを連発する瞬間までもロックでしかなかったからこそ、来年こそはもっと大きなステージで会えたらいいなって思う。去り際に側転することもできないくらいに体力を使ってしまう持ち時間の長さのステージで。
1.アイデンティティ
2.Caffeine
3.ソーイングボックス
4.シャッターチャンス
5.やさぐれカイドー
17:25〜 クリープハイプ [LOTUS STAGE]
初出演のWING TENTから始まって、長くひたちなかのGRASS STAGEを担ってきた存在であるクリープハイプ。今年のJAPAN JAMではトリを務めたこのステージに帰還。
SEもなしにいつも通りにメンバーがステージに登場すると、少し髪型がさっぱりしたように見える尾崎世界観(ボーカル&ギター)が、
「暗いところでするのもいいけど、俺は変態だから明るくていろんなところがよく見える時間からキケンナアソビがしたい」
と口にして「キケンナアソビ」からスタートするという、クリープハイプでしか絶対にできないようなオープニング。不穏なサウンドに乗せて尾崎が
「危険日でも遊んであげるから」
と口にする様は確かにまだ暗くなる前というか夏だから明るい時間帯に聴くとまた違った印象を受ける。それは夜にこの曲が演奏されたJAPAN JAMの光景がまだ色濃く脳裏に残っているからかもしれない。
するとなんとも形容しがたい髪型と髪色(基本的に黒だけど襟足部分などは金)の長谷川カオナシ(ベース)がメインボーカルを務め、サビでは尾崎とのツインボーカルになって小川幸慈が広いステージでステップを踏むようにしてギターを弾きまくる「月の逆襲」はすっかりライブ定番曲になっているのだが、それもちょうど去年のロッキンの中止が発表されたタイミングで行われたイベントなどで
「これからはフェスでもわかりやすい曲じゃなくて、今やりたい曲をやる」
と宣言してからセトリに加わったものだ。あれからもう1年も経ったのかと思うと、こうしてこのフェスでこの曲を聴けていることが感慨深くなる。
小泉拓(ドラム)による力強いビートが誰にも追いつけないようなスピードを生み出す「しょうもな」から、過去の代表曲などのタイトルやフレーズが歌詞に取り入れられた、まさに一生に一度しか使えない手法によって作られた「一生に一度愛してるよ」という曲の流れはクリープハイプのロックさを感じさせてくれるものであり、それが最新作収録曲であるというのが今のバンドのモードを示すものにもなっている。尾崎のボーカルの安定感ももはや言わずもがなレベルであるが、バンドの演奏の躍動感も含めて、ロッキンのメインステージにまた自分たちが立てているという喜びをそこからは感じることができる。
しかしながら先日出演した某フェスではいろいろあったからか、
「セトリがいつも一緒とかうるせえ。大切なのはいつどこで誰とやるかだ」
と、今もバンドが持つ反抗心というか怒りの感情を感じさせながらも「ラブホテル」が演奏され、それはまさに夏の野外フェスであるこのステージで今ここにいる我々の前だからこそのものとして響くのであるが、ラスサビ前に思いっきり溜めてから一旦演奏を止めると、
「昨日、明日来る人はどんな感じかな?と思ってエゴサしてたら、
「クリープの時間あたりで休憩かな〜」
っていうツイートを見て。人のライブ中に休憩してんじゃねぇよって思ってその人のツイート見たら、今日普通に仕事してて、ちょうど今くらいの時間が仕事の休憩時間ってだけだった(笑)なんか申し訳ない(笑)」
というネタで笑わせてくれるのであるが、それくらいに互いに笑顔になれるような空気感がこの日のライブには漂っていたと言っていいだろう。
するとカオナシがキーボードの前に座り、尾崎はハンドマイクという形になるのは歌詞の一フレーズが最新アルバムのタイトルになった「ナイトオンザプラネット」で、それはもうそろそろ時間的に夜と言ってもいい時間になっていくだけに、この会場を夜に誘うかのようであった。何よりもこの削ぎ落とされたサウンドの曲がこんなにも開放的な会場に良く似合っているというのが、今のクリープハイプが手にしているバンドとしてのスケールだと言えるだろう。
そしてカオナシが再びキーボードからベースに戻って跳ねるようなリズムのイントロを弾くと、そこにバンドが重なっていくというライブアレンジが施された「イト」のライブ映えっぷりによって観客は飛び跳ねまくり、
「また来年からも当たり前のようにこのステージに立っていたい」
と尾崎がこのロッキンのメインステージへの思いを口にして、
「最後は潔く散ります(笑)」
と言って演奏されたのは、火が噴き上がるかのような小川のギターが炸裂する「栞」。
「桜散る桜散る お別れの時間がきて
「ちょっといたい もっといたい ずっといたいのにな」」
というフレーズがまさに今この瞬間の尾崎とバンド、我々の心境として重なる。今のクリープハイプはそれくらい真っ直ぐに自分たちのやりたい音楽をフェスという場で真っ直ぐに鳴らすバンドになった。そういうバンドだからこそ、来年も当たり前のようにこのステージに立っていて欲しいと思う。
1.キケンナアソビ
2.月の逆襲
3.しょうもな
4.一生に一度愛してるよ
5.ラブホテル
6.ナイトオンザプラネット
7.イト
8.栞
18:15〜 [Alexandros] [GRASS STAGE]
かつてのロッキンでもGRASS STAGEのトリを務めたことのある[Alexandros]。そんなバンドだからこそ、この日のGRASS STAGEのトリもまたこのバンドなのである。場所は変わったけれど、本人たちも大好きなこのフェスにようやく戻ってくることができたのである。
開演時間になるとスクリーンに映し出されたのはギターのイラストの映像。え?これは?と思っていると続けて今まさにこのステージに向かおうとしているメンバーの姿が映し出され、本当にその数秒後にメンバーはステージに現れるというリアルタイム感。それはこのステージのトリということもあるだろうけれど、このバンドへのこのフェスからの無上の愛あってこその演出である。
川上洋平(ボーカル&ギター)は白い衣装にサングラスという出で立ちで登場すると、昨年のツアーで演奏され、リリースされたばかりのアルバム「But wait. Cats?」に収録されたインスト曲「Aleatoric」でスタート。それはSEからバンドの生演奏に変わるという意味でも今のバンドにとっての「Burger Queen」であると言っていいだろう。
それはそのままアルバムの曲順とおりに「Baby's Alright」へと繋がっていくのであるが、すでに絶賛アルバムを提げたツアーを行っていることによって完全にこの新曲がバンドのものとして馴染んでいるし、観客も当たり前のようにそれを受け止めて受け入れている。背面のスクリーンに映る何かがバグったような映像も含めて、これは間違いなくこの日このライブだけの特別なものになる予感を感じざるを得ない。
すると川上はギターを置いてハンドマイクとなり、リアド(ドラム)による激しくも軽快なリズムと白井眞輝(ギター)が刻むギターによって始まった「Kick & Spin」では川上がステージ真下から映すカメラに向かって自身の股間をいじるような姿がアップで映し出される。あまりにも解放的過ぎやしないかとも思うのであるが、川上はサングラスを外してステージ左右の通路まで歩いていき、そこで待ち構えているカメラに向かってカメラ目線で自身の頬をつねったり、カメラを客席に向けさせたりというロックスターっぷりをこれでもかとばかりに見せつける。
そうした姿はやはり規模が大きくなれば大きくなるほど真価を発揮するバンドであるが、アニメ主題歌にもなったストレートな蒼さを持ったロックチューン「無心拍数」から、川上がいたずらっ子っぽく振る舞って歌いながらも、
「蘇我ってどこ?」
と背面スクリーンに映し出される歌詞を変える「どーでもいいから」と、アルバムの曲を連発していくというのはバンドの今のモードを示しながら、トリだからこその長い持ち時間をフルに発揮するものになっている。
かと思うとリアドのビートが繋ぐ中で川上が
「ロッキン、心の大合唱を聴かせてくれー!」
と言って、このフェスという場を盛り上げまくる「Dracula La」が演奏され、磯部寛之(ベース)もコーラスで声を重ねるのであるが川上が最近ライブで毎回言っているように、次にこの曲をライブで聴くときには我々が声を出せる状況になっていて欲しいなと思う。それは川上が
「ロッキンの虜にして」
と歌詞を変えて歌うくらいに大好きなフェスだからこそ、せめて来年のこのフェスでは我々の大合唱をバンドに聴かせてあげたいと思うのだ。それこそがこんなにもロックバンドのカッコよさを感じさせてくれるバンドへの我々からの愛情の返し方だからだ。
その「Dracula La」から
「ROCK IN JAPAN」「ROCK IN CHIBA」「ROCK IN SOGA」
とスクリーンに映る文字が変化して、最後にこの曲のタイトルになるというように繋がるように演奏されたために白井のタッピングがいつもより控えめに感じられたのは「Rock The World」であるが、この曲はどのフェスよりもこのフェスのためのものなのだ。それは去年このフェスが中止になったのが決まった直後に、このバンドのインタビューを担当している小柳氏に川上がこの曲のデモを送り、それによって小柳や編集部員が救われたというエピソードを持つ曲だから。その曲が1年後のこのフェスでこうして鳴らされている。
「泣きたくなるほど なるほどに 僕らはちょっと強くなれる」
という歌詞もあの泣きたくなるような経験をしたからこそ、こうしてまたこのフェスで再会することができた我々は強くなれているんじゃないかと思える。新曲として披露されていた昨年からすでに名曲でしかなかったこの曲はこの日この場所で演奏されたことによってついに完成したとというか、鳴らすべき場所で鳴らされたと言えるのかもしれない。
しかし川上は
「今日はクリープハイプ先輩のバーターで出てます(笑)」
「先日28歳になりました(笑)」
と、磯部が
「知らない人が聞いたら信じちゃうからやめなさい(笑)」
とツッコむような適当MCを連発するのだが、知らない人がたくさんいるかもしれないということを察知してか、初めて自分たちのライブを見る人、初めてロッキンに来た人に手を挙げてもらうと、驚くくらいにたくさんの人が手を挙げていた。それくらいにこの3年間でこのフェスに行きたいと思った人や、このバンドのライブを観たいと思った人が増えたということだ。ライブに行く人が減ったとも言われているけれども、この光景を見るとポジティブな感情しか湧いてこない。ライブを、フェスを必要としている人がまだまだこんなにたくさんいるのだから。
すると再び新作モードへと転換し、スクリーンには惑星が爆発するような映像が流れるというのはそのままその様がタイトルになっているかのような「クラッシュ」であり、アルバム内容が発表された時にはタイトルだけ見て「これはロックな曲なんだろうな」と思ったが、実際はスケールの大きい、映画のテーマソングにもなりそうなキャッチーなメロディの曲であり、こうしてすっかり暗くなった野外の大きな会場で聴くのが実に良く似合う曲である。
そんな雰囲気を切り裂くようにリアドがキックの四つ打ちを踏み始めたのはそうしたライブならではのアレンジによってよりダンサブルに進化した「Girl A」であり、これまでにもこうして様々なライブアレンジが施されてきた曲であるが、原曲を知ってはいたけど初めてライブを見たという人はさぞやビックリしたことであろうけれど、これこそが[Alexandros]のライブなのである。決まりきったことだけではなくて、常にバンドにも我々にも刺激的な体験を与えようとしてくれている。だからこそ何回見ても飽きることはないし、それがライブの醍醐味だよなと思える。
そんなダンサブルなサウンドとリズムを引き継ぐ新作曲が「we are still kids & stray cats」であり、アルバムでもインタビューでも川上はプロディジーの名前を挙げていたが、そうした1990年代〜2000年代前半の、メンバーが大好きな時代にロックとダンスミュージックを融合させた先人たちからの影響を感じる曲。川上もハンドマイクで狂ったように踊り飛び跳ねながら歌い、シャープなギターを響かせる白井と時には交換してサングラスをかけあう。めちゃくちゃ楽しみまくっているということがその姿からもわかる。
だがアルバム曲がおおよそアルバムの流れの通りに演奏されていくために、そろそろライブ自体も終わりに近づいてしまっているのがわかってしまう。そんな寂寞さをサウンドでも感じさせる「awkward」ではスクリーンに便箋のようなものが映り、その横に川上の歌う歌詞の日本語訳が映し出されていく。その便箋の意味は?と思っていると、曲後半ではその便箋に楽屋で撮影したと思われるメンバーの写真が浮かび上がり、その下には
「8/6 ROCK IN JAPAN FES.2022」
というこの日のこのライブを永遠に刻むかのような文字が映し出される。このライブのためだけにそこまでするくらいにやはりこのバンドはこのフェスを場所が変わっても大切にしてくれている。こんなにカッコいいバンドがそう思っているのが伝わってくるのが本当に嬉しい。
アルバム自体が「awkward」で終わるだけに、ここからはアンコールのようなものと言っていいだろう。白井のギターのイントロによって始まった「閃光」ではここまでの演奏で極まったバンドサウンドが最大級に炸裂する。この曲を待っていたという人も多いのだろう、誰もが拳を振り上げて手拍子をするその姿を見て、昨年のJAPAN JAMからすでに演奏されていたけれど、ロッキンでこの曲が演奏されるのは初めてなんだなと思った。そしてこの曲は完全にもはやこのフェスのアンセムとなっている。そうしたライブの運び方、作り方、何より鳴らしている音のカッコよさ。それこそがこのバンドがこのステージのトリを務めている理由だ。
しかしそれでもなお終わらず、最後に白井が煌めくようなギターのイントロを鳴らし、磯部とリアドのリズムによって観客が飛び跳ねまくるのは「ワタリドリ」。川上はやはりハンドマイクになってカメラ目線で歌い、投げキスまでするというテンションと楽しさが極まったかのようなパフォーマンスを見せるのであるが、こうして誰もが知っている曲を最後に演奏することができるのもこのバンドの強さである。演奏後に川上が
「愛してるぜ、ROCK IN JAPAN!」
と叫んだ時に思わず溢れそうになったものがあったのは、それをこの3年間、心から聞きたかったからだ。
JAPAN JAMやCOUNTDOWN JAPANでは毎回トリを務めているバンドだけに、今回もトリを務めてもおかしくないけれど、今回はまだこの後にこの日のトリのライブがある。でも敢えてこのバンドをこのGRASS STAGEのトリにしたのは、小さいステージ(WING TENTやSOUND OF FOREST)に出演していた頃からあのひたちなかのGRASS STAGEへの思いを口にし続けてきたバンドであるだけに、あのステージと同じ名前のこのステージのトリをやってもらいたいという主催者側からの配慮だったんだと思う。
その思いにバンドはしっかり応えた。なんなら期待を遥かに上回るくらいのライブの力で。かつて川上はこのフェスを
「日本で1番元気なフェス」
と評し、そこに集まる観客たちもそうした存在であると口にしていた。その大好きなフェスでライブをするということが、こんなにもバンドの力になっている。好きなものがある、好きなことがある、大切な場所があるというのが何よりも強い力になるということを我々に教えてくれたかのような、圧巻の[Alexandros]のGRASS STAGEのトリだった。
1.Aleatoric
2.Baby's Alright
3.Kick & Spin
4.無心拍数
5.どーでもいいから
6.Dracula La
7.Rock The World
8.クラッシュ
9.Girl A
10.we are still kids & stray cats
11.awkward
12.閃光
13.ワタリドリ
19:25〜 YOASOBI [LOTUS STAGE]
前週に出演するはずだったフジロックはikura(ボーカル)のコロナ感染によってキャンセルになった。なので有観客でのライブは昨年12月の日本武道館ワンマン2daysのみ。つまりはほとんどの人が初めて生でその姿を見て、その音を浴びることになる、YOASOBI。初のフェス出演は昨年にそうなるはずだった、ロッキンのメインステージのトリというとんでもないライブ経歴になった。
もうステージからしてここまでとは全く違うなと思うのはステージ上にLEDの壁が作られており、その上に機材がセッティングされているというステージ作りになっているからなのだが、そのLEDの壁が背面のスクリーンと合わさってさらに巨大な一つのスクリーンのようになっており、そこに図書館の本が開いていくという映像が映し出されるのは「小説を音楽にする」というコンセプトを持ったこのユニットが現実世界に現れたというように感じられるものだ。
バンドメンバーたちとともにステージに現れたikuraとAyase(キーボードなど)は揃いの衣装を着てポーズを決める。黒の長髪というイメージが強いAyaseが金の短髪にピアスとタトゥーという出で立ちになっているのは彼の出自であるラウドバンドのメンバーのようにすら見える。
それぞれが立ち位置に着くと、ikuraが
「沈むように 溶けていくように」
と歌い始めたのはいきなりの大ヒット曲にしてこのユニットの存在を世の中に知らしめた「夜に駆ける」で、ステージからは特効も炸裂するというトリならではの演出が。
この「夜に駆ける」を1曲目に持ってくるというのは実は昨年のロッキンのセトリでもその予定であり、Ayaseはその理由を
「遠くから来て早く帰らなきゃいけない人がちょっとだけYOASOBIを見て帰るってなった時に、最初に「夜に駆ける」をやれば「あの曲聴けたな」って思えるじゃないですか」
と言っていた。インタビュアーもてっきりアンコールや本編最後にやる曲だと思っていただけに、もう我々普通の人とはその発想が全く違っているし、それは全てが見てくれる人のためにという想いのもとに練られたものである。
さらにはタイトル通りにステージが色とりどりに輝く「三原色」、そして「ハルジオン」とこれでもかというくらいに現在のポップシーン、音楽シーン最大のキラーチューンが次々に演奏されていくのであるが、それはこのユニットにはそうした曲しかないということを示している。だから曲が演奏されるたびに「この曲聴けた!」という感覚が客席に満ちていく。その光景を生み出せるだけでもとんでもないユニットだなと改めて思うし、ほとんどの人にとってはスマホで聴いたりYouTubeで観ていた曲がついに目の前で鳴らされているのである。その曲たちがこんなにもこの会場にいる人を一つにしていくというのはポップミュージックの魔法と言えるかもしれない。
そしてそんな曲を視覚的に表現する映像の美しさたるや。「大正浪漫」での和のテイストもまさにタイトル通りのアニメーション映像が映し出され、武道館の時も床面を全てLEDにするという驚きの形でライブを作り上げていたが、まだ3回目のライブにしてYOASOBIのライブの形は完成していると言っていいだろう。
そんな中でLEDスクリーンの上に立って歌っていたikuraは「もう少しだけ」で階段を降りてステージを左右に歩きながら歌うのであるが、よく「透明感を持った」というikuraの歌声はまさにその通りで、そこからは無垢さや少女さを強く感じる。正直、まだライブ経験があまりないだけにライブでの歌唱法というのはこれからライブを重ねることによって身につけていくことになるのだろうけれど、この声を聴けば「ikuraだな」と思える記名性を持っていることは間違いない。
しかしながらライブ経験が少なく、ましてや夜の野外というのも初めての経験であるだけに「ミスター」ではAyaseの口の中に虫が入ってしまうという恐れていた事態も発生してしまうのであるが、Ayaseはコンポーザーでありながらも観客に手拍子を促したりと、ライブでの盛り上げ方をすでに会得しているというのは元々はバンドのボーカルをやっていたということと無関係ではないだろう。
そんな中でikuraが自分たちの
「小説を音楽にするユニット」
というコンセプトを改めて説明してから演奏された「もしも命が描けたら」はもとになった小説の解説をしてから演奏されるというあたりからして、2人にとって本当に大事な曲であることがわかるし、生命そのものを描いた壮大な映像を背に歌い演奏する2人の姿は他の曲以上に丁寧にこの曲を描こうとしているように見えた。
さらにはステージ上から光が降り注ぐような照明による、本編中盤でこのタイトルの曲をやるのかと思わせる「アンコール」ではAyaseが徐にスマホを取り出してライトをつけて左右に振る。それに気付いた観客たちが次々にスマホライトを振ることによって、美しい光の海が広がっていく。まだライブ経験が乏しい中であってもYOASOBIは目の前にいてくれる人と一緒にライブを作ろうとしている。その存在が1番大切なものであるということを2人はもう理解しているのだろう。
まさにツバメが空を飛ぶような映像が実に美しく、その情景と相まって曲そのものを追体験するようにまたすぐに聴きたくなる「ツバメ」、こんなにも真っ直ぐなテーマと歌詞を衒いなく歌えるのもこのユニットのコンセプトあってこその強みだなと思える、ikuraがステージを歩きながら観客に手を振って歌う「好きだ」とカラフルかつポップな曲が続くのだが、後半に演奏されたのがイントロが鳴るだけで客席から拍手が起こる湧き上がりを見せた「怪物」。
それは瞬時に会場の空気を変えてしまう悲哀を曲が含んでいるからであるのだが、まさにこの会場を飲み込んでしまっているYOASOBIという存在そのものが今の音楽シーンにとっての「怪物」であると考えると、小説というフィクションを歌うこのユニットがリアルに感じられるような。
その悲哀が切なさに変化していく「ラブレター」ではまさに手紙に歌詞が綴られていく映像がそのままアニメ映画になりそうなくらいに美しき見事だ。おそらくYOASOBIの周りには優れたクリエイターたちがたくさんいて、その人たちがフルに才能や持ちうるものを発揮できる場所としてもYOASOBIが存在しているという意義があるような。それは2人は口には出さないかもしれないけど、エンタメというものの存在する意味やその力の強さを示そうとしているようにも思える。
そんな映像に見惚れているうちにライブはあっという間に最後の曲に。ここまで12曲も演奏してもなおこんな名曲が残っているとは、と思わせられるのは、ikuraが観客に
「心で歌ってください!」
と言って演奏された「群青」。この曲のゴスペル的とも言えるサビでの声の重なりはきっとこうしたライブでみんなで歌うことを想定して作られた部分もあるはず。今はそれをすることはできないけれど、みんなで歌うことができた時にきっとこの曲はまた違う力を発揮するようになるはずだ。
演奏後に打ち上がった花火を見ていて、この日のことを2人がずっと忘れないでいてくれたらいいなと居合わせることができた1人として思っていた。イヤホンの中でも画面の中でもなく、YOASOBIは目の前で音を鳴らし、我々に届ける存在になった瞬間がこの日だったからだ。
1.夜に駆ける
2.三原色
3.ハルジオン
4.大正浪漫
5.もう少しだけ
6.ミスター
7.もしも命が描けたら
8.アンコール
9.ツバメ
10.好きだ
11.怪物
12.ラブレター
13.群青
20:30〜 須田景凪 [HILLSIDE STAGE]
ひたちなかの開催時にもメインステージのライブ終了後にDJによるクロージングアクトがあり、実際に今回もGRASS STAGEではDJ和によるクロージングDJが行われているのだが、今回からはDJだけではなくてHILLSIDE STAGEでクロージングアクトとしてライブも行われる。そのクロージングアクトを初めに務めるのは春からフェスにも果敢に出演するようになった須田景凪である。
おなじみのAwesome City Clubのモリシー(ギター)、Sawagiの雲丹亀卓人(ベース)、元パスピエのやおたくや(ドラム)という鉄壁のバンドメンバーとともに登場すると、ボカロPとしても活動するアーティストらしい「パメラ」の性急なギターロックサウンドが、春に見た時よりもはるかに力強く進化しているのがわかる。
それは夜の暗闇の中でのライブということもあってか、スクリーンにVaundyや秋山黄色以上に顔がハッキリとは映らない須田景凪の独特の癖(=記名性の強さ)を含んだボーカルがよりライブアーティストらしいものになっているのもそうであるし、何よりもこの経験豊富な凄腕メンバーたちによるバンドサウンドの一音一音にも確かに現れている。
だからこそ聴いていて体が自然と動いてしまうし、「こんなにも踊れるようなライブだったっけか」とすら思う。今年初頭に行われたフレデリックとの2マンでは映像も駆使したライブを行っていたが、この日は完全にバンドサウンドのみという肉弾戦であり、その形であることで演奏の強さを感じざるを得ない。
それはこれまでに見たライブでも毎回演奏されていた「veil」や、夏の野外というシチュエーションであることを加味して演奏されたのかもしれない「雨とペトラ」でもそうであるのだが、こんなにも「激しい」と思いすらするライブをするアーティストであるということを初めてライブを見た人は感想として抱くんじゃないだろうか。
それは春フェスやホールツアーなどのライブを重ねてきたことによってバンドのグルーヴやアンサンブルが強化されてきたというところもあるだろうし、METROCKに出演した際に須田景凪は出番が終わってからも他のアーティストのライブをメンバーたちとずっと見ていた。そうして他のバンドのライブを見て「こうしよう」と思った部分もあるだろうし、バンドメンバーと一緒に時間を過ごすことによってそれぞれの人間としての理解度も向上し、それがもはや「須田景凪というバンド」と言ってもいいサウンドの強さに結びついている。
そんな須田景凪はロッキンというフェスが音楽をやっている人にとっては誰しもにとって憧れの場所であることを口にすると、
「僕は5年前にこの会場で開催されたJAPAN JAMを皆さんと同じように客席で見ていました。NICO Touches the Wallsやフレデリックっていう敬愛するバンドのライブを見て、いつか自分もあのステージに立ちたいと思った。それが今日叶いました」
と、この会場が自身の目標の場所であったことを明かす。
それは須田景凪が挙げた2バンドと同じ事務所に所属しているから観に来たという要素もあるかもしれないけれど、でも本当に好きじゃなかったらわざわざもう活動していないNICOの名前を口にすることはないだろう。NICOのメンバーももうそれぞれ違う道を歩き始めているけれども、我々がこの会場やいろんな場所で見てきたNICOのライブを今も忘れていないように、須田景凪もNICOのライブをずっと忘れないでくれている。その言葉を聞いて思わず感情が込み上げてきてしまいそうになったけれど、同じファンの1人としてNICOをずっと忘れないでいてくれて本当にありがとうございますと思っていた。
そんなNICOやフレデリックの持つライブバンドさ。それは音源で聴くよりもライブで観る方がカッコいいバンドであるということであり、ライブでは音源とは全く違うアレンジを施すバンドであるということでもあるのだが、「Alba」も音源とは違うアレンジとはいかないまでも音源よりもはるかにライブらしいというか、ロックバンド的なサウンドになっているし、それはリリース時から須田景凪の曲の中で随一のロックさを持つ「パレイドリア」によってより強く感じられる。こんなにフェスで盛り上がるアーティストになったのかと思うくらいにたくさんの観客が腕を上げて体を揺らして踊っている。もしかしたら須田景凪もこうした自分がかつてその中にいた光景を見たくてロックなサウンド、ライブに振り切れているところもあるのかもしれない。もちろん憧れの場所に立っていることによる気合いの入りっぷりも間違いなくあるだろうけれど。
しかし須田景凪は本当に謙虚というか紳士な人であるというのはどんなにライブが力強くなっても口にする言葉から伝わってくる。だからこの日も最後に
「もしこの曲を知っている人がいたら、心の中で歌ってくれたらと思います」
と真摯に口にして、若い年齢が多いこの日の観客がもしかしたらカラオケで1番歌っている曲かもしれないと思う、バルーン名義の大ヒット曲「シャルル」を須田景凪が歌い始めると、曲冒頭の
「さよならはあなたから言った」
というフレーズだけで客席は湧き上がるように拍手をする。この曲をみんなが知っていて、こうしてライブで聴くことができることを心から喜んでいる。須田景凪は間違いなく、もう画面の向こう側の顔が見えない存在ではなくて、我々の目の前で歌い、音を鳴らすアーティストだ。
来年以降、このフェスで我々が声を出すことができるようになっていたら、この曲で凄まじい大合唱が響いているかもしれないと思った。それはもちろんこのステージよりももっと大きなステージで、もっとたくさんの人と一緒に。
クロージングアクトというのは実に難しい立ち位置だ。それはメインステージのトリという、余韻が残らざるを得ない状況でライブをやらなければいけないからだ。でもこの日の帰りには確かに須田景凪のライブの余韻が強く残っていた。並み居る強者ライブアーティストたちが揃うロックフェスの中でもそう思わせる存在になった須田景凪とバンドメンバーたちは笑顔で去って行ったし、何より最後に須田景凪は
「めっちゃ楽しかった!」
と、こんなに無邪気なことを言う人だったのかと思うくらいに口にしていた。きっとこれからいろんなフェスでそう思えるようになるはずだ。
1.パメラ
2.veil
3.雨とペトラ
4.Alba
5.パレイドリア
6.シャルル
クロージングアクトまで見てから帰ろうとしたら、会場から出るまでに40分くらいかかった。すんなり帰れたJAPAN JAMとは比べようがないくらいに混雑していたということであり、これはちょっとどうにかしてほしいなとも思ったけれど、ロッキンならきっとなんとかしてくれるはず。だって数年前までLOTUS STAGEとGRASS STAGEの間のエリアは砂嵐が酷すぎてライブを観るどころじゃなかったのを、ロッキンオンが千葉市に金を出して芝生を植えてくれるという信じられないくらいの改善をして、こうしてこの場所でフェスを続けているのだから。