GRAPEVINE 「in a lifetime presents another sky 追加公演」 @昭和女子大学人見記念講堂 7/2
- 2022/07/03
- 00:35
かつてもバンド屈指のヒットアルバムである「Lifetime」の全曲演奏ライブを今はなき渋谷AXで行っているけれど、その過去作のアルバム演奏ライブとして今回行われるのは「another sky」の再現ライブである。
リリース当時がちょうど昂っていられた青春時代だった自分にとってのサウンドトラック的なアルバムであるだけにこうして今になってその曲たちを聴くことができるというのは本当に嬉しい限りである。もう20年前、2002年リリースと思うと、そんなに経ったねと思わずにはいられないが。
この日は前日に開催されたこのライブが即完したことによる追加公演であり、そのことからもこのライブがどれだけファンに待たれていたものなのかがわかるが、16時開場の17時開演という早い時間であるために会場の昭和女子大学人見記念講堂の周囲はまだ夕方とすら言えないくらいに眩しい夏の光に包まれている。
17時になると場内が暗転して観客の拍手に包まれながらおなじみの5人がステージに登場。いつもと変わらぬ白シャツ姿の田中和将(ボーカル&ギター)は「Lifetime」のジャケットのボードを持っているというのは再現ライブの恒例ということなのかもしれないが、スイッチを入れてそのボードが光を放つと再び客席から拍手が起こる。
その拍手を静粛なムードへと変えていくのは青い照明に包まれる中で田中、亀井亨(ドラム)、シェイカーを振ってリズムを刻む金戸覚(ベース)が歌声を重ねる「another sky」のオープニング曲である「マリーのサウンドトラック」。イメージよりもリズムが遅いような感じもするけれど、それはゆったりしているのではなくてどっしりとしているというものであり、それこそが今のバインがこのアルバムの曲たちを鳴らしている姿ということである。
田中の掻き鳴らすギターから一気にロックなサウンドへと振り切っていくのは西川弘剛のギターもシャープに響き渡り、そこに高野勲(キーボードetc)による浮遊感のあるサウンドが彩りを与える「ドリフト160(改)」。金戸の独特の音階のベースもクセになるが、1階席の観客は立ち上がって腕を上げている人もたくさんいる。今ではそうそう生まれてこないであろう「ギターロックバンド」としてのGRAPEVINEの姿が「another sky」には確かに色濃く残っている。
そんな今では作らないであろう曲の極みと言えるのは「マリーのサウンドトラック」の深海の底にいるかのような深い青とは全く違う、青春としての爽やかな青さの照明が光る「BLUE BACK」で、体を大きく動かして田中や亀井の方に寄っていく金戸はもちろん、田中も歌わない部分ではこのアルバムの当時以上に若い頃のように飛び跳ねるというところまではいかないけれど、他の曲にはないくらいに物理的な躍動感をステージ上で感じさせる。それは青春の仕掛けなのだろうと言ったら、んなわけねぇよと言われてしまいそうであるが、この曲を聴くと当時のGRAPEVINEがNHKの音楽番組「POP JAM」によく出ていたことを思い出す。NHKホールでの公開収録というライブ的な雰囲気というNHKの攻めっぷりを感じさせる番組で、当初は「んなわけねぇよ」が仮タイトルだったということで、タイトルが変わらなければ番組MCだった優香がそのタイトルを紹介しなければならないところだったというエピソードも含めて、まだ子供と言っていいくらいの年齢だった当時の自分にとってはGRAPEVINEはテレビの中の存在で、そうした場所で聴ける曲だった。それが20年経ってこうして今目の前で、ライブで聴くことができるようになっているというのはつくづく長生きはするもんだよなと思える。
そんなストレートなギターロックから、一気に西川のギターがブルースの要素を感じさせるものになり、バンドのグルーヴそのものもファンキーなものへと変化していくのは「マダカレークッテナイデショー」であり、田中のボーカルも実にソウルフルな迫力を持って響き渡っていくというのはこの曲はグルーヴの鬼と言えるような今のバインの姿に最も連なるものなのかもしれない。そのグルーヴの強さもまたバンドの持つ多面性の一つに過ぎないのであるが、高野が操作するテルミン的な楽器の音がここでも独特な浮遊感を感じさせてくれるものとして機能している。
ちなみにこの「なんだこりゃ」と思ってしまいそうな、人を食ったようなタイトルはこのアルバム制作時の合宿でメンバー間の流行語になっていた言葉だという。それくらいにGRAPEVINEチームの制作にカレーは欠かせないものであるということだが、曲の内容とは全く関係ないようなタイトルを貫き通したという当時のメンバーの尖りっぷりを感じさせるエピソードでもある。
ここで田中はギターをアコギに持ち替えるのであるが、その際に思わずスタッフに
「暑い…」
と漏らすのがマイクに拾われていた。それくらいに暑いのはそうした曲を演奏しているからというのに加えて、電力が逼迫していることによって場内を節電していたんじゃないかと思うくらいにそもそも場内が暑かったというところもあるだろう。
そんな暑さから少し涼しい風を吹かせてくれるのは、その田中のアコギの爽やかなサウンドが曲の持つメロディの美しさを素直に伝えてくれる「それでも」で、「Lifetime」期あたりに「ポストミスチル」的な扱われ方をされていたバンドとしてのポップさが残っていた曲であるとも言えるかもしれない。結果的にはポストミスチルどころか絶対に他にいないという極まった位置にまで達したバンドになったのであるが。
そうしたメロディの美しさを感じさせるような曲を作るのはドラマーである亀井が作った曲に多いというのが、このアルバム以外でも様々な名曲を生み出してきた彼のメロディメーカーっぷりを感じさせてくれるのであるが、「それでも」から「Colors」へと連なる流れはその亀井の名作曲家っぷりを感じさせてくれるものである。そこに
「マドモアゼルの笑顔で
悩める彼はまだ未成年」
という官能文学のオープニングかのような田中の歌詞が乗っかるというのは作曲者と作詞者が異なるバンドならではのマジックを感じさせてくれるし、そのメロディの美しさを感じさせながらも後半に向かうにつれて熱量を増していく演奏は確かに今のバインにも連なるものである。
そのじわじわと高まってきた熱量とグルーヴが一気に放出されていくのは「Tinydogs」から「Let Me In 〜おれがおれが〜」というアルバムの中盤から後半へと向かっていくゾーンであり、前半は青を基調としていた照明の色はここでは赤く染まっていくというのもこの曲たちでのグルーヴの燃え盛りっぷりを感じさせてくれるのであるが、当時の社会への皮肉に満ちた田中の作家性が炸裂している「Let Me In 〜おれがおれが〜」は当時お茶の間まで浸透しつつあった日本のポップなヒップホップに対して
「韻踏んでおけばいいっていうもんやないやろっていう」
という田中なりの指摘を込めたものであるのだが、その歌詞、言葉への感覚の鋭さはこの時期の曲にもこうして現れているし、田中が文芸誌で執筆するようになる未来を暗示していたと言えるかもしれない。
そんなGRAPEVINEなりのロックなグルーヴの曲に続いて、イントロの田中のギターのサウンドが一気に空気を変え、照明もまさにヒカリというような真っ白な眩しさを持った、今の時期の太陽の光と言えるようなものになるのは個人的にバイン屈指の大名曲の一つだと思っている「ナツノヒカリ」。この曲を今のこのクソ暑いような気候の中で聴けたことによってまた自分の中でのこの曲の景色は変わっていくのだろうけれど、それでも今でもこうして聴いているとハッキリとMVのような、陽炎がゆらめくような夏の情景が浮かんでくる。サビで微妙に節回しを変化させる田中の表現力も当時よりも圧倒的に高まっているだろうし、本当にこの曲だけでもこうして「another sky」の再現ライブが開催されて、それを観に来ることができて本当に良かったと思える。
そんな感慨をさらに強くしてくれるのが、切ないメロディとロックサウンドの融合による「Sundown and hightide」であり、ここからまたイメージ的にも照明的にも青い光の世界へと潜っていくのであるが、この曲の
「髪の短いのが好きになってしまった
顔が見えぬよう君に目隠しした」
というフレーズの美しさはまさにもはや文学の世界のそれである。この曲を含めた後半では高野がコーラスを務める機会が増えるのであるが、それが今この5人でこのアルバムを再現して演奏していることを感じさせてくれる。それでも骨格というか、原曲から大きく変わるアレンジを施していない、我々1人1人がそれぞれに思い入れのある「another sky」の形のままであるというのは、バンド側もきっとその我々の思いをわかってくれているんだろうと思う。
そんな「another sky」の収録曲は基本的に滅多なことでは近年のライブにおいては演奏されない曲ばかりであるためにこうして聴けるのがより嬉しくもなるのであるが、そんな中でも時折ライブのクライマックスを担うように、アルバムの中では最も高い頻度で演奏されてきた(それでもやっぱり毎回ではない)のはタイトルとしてもアルバムを象徴する名曲である「アナザーワールド」。
西川のギターフレーズだけでもはや名曲確定と言えるような美しさを持った曲であるのだが、やはりそんな曲の中にどこか余裕のようなものを感じるのは演奏されてきた機会が多いからだろうか。
「あの向こうへと
精一杯の声で 体で
明日もう一度 いつかはきっと」
というフレーズは安易な希望を決して歌詞にはしてこなかったこのバンドだからこそ、聴き手の中でそれぞれの状況に応じて意味合いを変換できるものだ。自分はこの曲を、決してアッパーなロックサウンドではなくても自分を奮い立たせてくれるものとしてずっと聴いてきた。それこそ20年前のリリース時からずっと。だからこそ毎回こうしてライブで聴くと感極まりそうになってしまう。
そんな「another sky」の再現ライブは本当にあっという間に最後の曲へと至る。音源だと51分ほど。ライブでも1時間くらい。それは決して短くはない時間であり、ワンマンの尺じゃないと成立しないものであるが、本当に一瞬の出来事だった。ネット的に言うなら秒だった。リリース当時からアルバムを何回も何回も聴いてきただけに、より一層体感的に短く感じてしまうようになったのかもしれない。
そんな最後の曲は西川作曲の上に田中の珍しい男女の生活の描写が乗る「ふたり」。それはまるでどこか物語のエンドロール的に流れる音楽のようですらあったのだが、アウトロでセッション的な演奏が続いたことによって「何が始まったんだ?」と思っていると、オープニング同様に深海の底にいるかのような青い照明に包まれ、田中、亀井、金戸は「マリーのサウンドトラック」のタイトルフレーズをリプライズ的に歌い始める。その締め方には驚かざるを得ないのだが、それこそがライブにおいてこれまでも様々なアレンジを施してきたGRAPEVINEが今の5人での解釈で「another sky」を演奏するとこうなる、というものだった。そうして「マリーのサウンドトラック」がリプライズされることによって、また「another sky」を頭から通して聴きたくなってしまった。
メンバーがステージを去ると、スタッフが「Lifetime」のボードのスイッチを切って灯りが消え、客席から拍手が起こる。それは再現ライブという夢が終わった合図のようであり、客電が点くと10分間の休憩が挟まれることが告げられたのだった。
「another sky」の頃の時系列を思い返してみるとかなり過渡期というか、リーダー西原誠のジストニアの療養からの復帰→結果的には完治せずに脱退、というダイレクトにバンドの形が変わる最初にして唯一のタイミングだったのがこの時期だった。
だからこそ「BLUE BACK」(西原が最後に手がけた曲である。ちなみにこの日も西原は普通に客席でライブを見ていた)のような、ギター、ベース、ドラムという楽器での4人のロックバンドとしての最後のGRAPEVINEが刻まれた作品でもある。そんな混沌とした状況の中で生み出されたアルバムが今も全く色褪せないくらいにこんなにも名盤として聴き続けられるものになっている。それは今にして思えばその逆境を乗り越えて名盤を生み出したGRAPEVINEがそれから20年以上ずっと最前線を走り続けるバンドであり続けて行くということを示唆することだったのかもしれない。
その休憩を終えてメンバーがステージに戻ってくると、再現ライブ中は流れを重視するために喋ることをしなかったであろう田中がおなじみの歌声とは全く異なる低い声で
「今年で我々GRAPEVINEはメジャーデビュー25周年を迎えました。それを記念して何かやりたいなと思ったところ、この「another sky」がリリースからちょうど20年ということで、再現ライブをやろうじゃないかとなったわけでございます。20年前だとまだ生まれてない人もいるかもしれない…(笑)
たまにはお世辞も言っておかないと(笑)」
というのはここにいた人たちがみんな「another sky」をずっと聴いて生きてきたということをメンバーもちゃんと理解しているということを感じさせてくれるのだが、
「ここからは壮大なオマケっていうことで、好きにやらせてもらいます」
と言い、その言葉を体現するかのように極彩色の照明がそれぞれのメンバーを照らす「CORE」での金戸の地を這うようにうねりまくるベースからグルーヴが生成され、それこそが「another sky」を経た後のこの5人だからのバインのサウンドであるということを鳴らしている音でもって示すかのようだ。シングルとしてリリースされた時から1ミリも大衆へのヒットを狙ってない曲だなと思ったこの曲が、結果として今ファンに盛大に求められているというあたりがひねくれたバンドとひねくれたファンというバインを媒介とした関係性らしさである。
そうしたバンドサウンドの鉄壁さに加えて、田中のボーカルの全くブレない安定感を感じさせてくれるのは削ぎ落とされたサウンドだからこそそのボーカルをしっかり感じさせてくれる「さみだれ」からはアルバムとしては最新作になる昨年の「新しい果実」のモードへと突入していくのであるが、そうした最新の自分たちの姿を過去作の再現ライブでしっかり見せるというのもまた実にバインらしいというか、フェスに毎回出ていた頃にもヒット曲よりも最新曲というセトリを組んでいた精神は今も全く変わっていないと思わせてくれる。
なので伸びやかなサビのメロディと田中の歌唱で
「神様が匙投げた
華やかなふりをした世界で
去る者と縋る者と
ここでそれを嗤っている者
どれもこれももういい」
とSNS上での不毛な殴り合いを皮肉っているように感じられる「Gifted」も、隙間を活かしまくったサウンドに乗る田中のファルセットボーカルで歌われる「ねずみ浄土」の
「新たな普通
何かが狂う
眉ひとつ動かしもせず」
というフレーズも、どちらも「another sky」から20年経った今だからこそ目に映るもの、捉えられるものや感情を自分なりの言語感覚とメロディへの融合のさせ方で歌詞にしているということが、過去作の再現ライブの後に演奏されるからこそいつも以上によりハッキリとわかる。それはまた数年後に聴いた時には2020年代初頭の今の空気を思い返せるようになっているものであるとも思う。
で、バインのセトリの作り方が実に上手いなと思うのは「コーヒー付」という予想だにしないような選曲(2000年リリースの「Here」収録)を、同じファルセットを駆使するボーカル曲である「ねずみ浄土」に続けることによって連続性を持たせて、この曲を今のものとして立ち上げ直しているということ。その田中のファルセットボーカルには20年の時を超えた曲同士でも一切の齟齬を感じさせることはない。どちらも今目の前で、最新のGRAPEVINEが鳴らしているものになっている。そうした発想と実現力には本当に驚いてしまうし、今回この曲が演奏されることを予想していた人がいるんだろうかとすら思う曲である。
「愛してたと云った
愛してたと云ったのは聞こえた
なのにふっと流されてった」
という歌い出しからして完全に掴まれてしまう、やはり亀井作曲であるだけにメロディの美しさが際立つ「1977」も最近の曲というイメージもありながらも、もはや9年前にリリースされた曲であるということに驚かざるを得ないのであるが、さらに驚きなのは「STUDY」という「BLUE BACK」のカップリング曲がここで演奏されたということ。
確かに時系列的には「another sky」の再現ライブで演奏される曲としてふさわしいというか、こういう機会じゃないと演奏される機会のない曲であるのだが、当時シングルを聴いた時の「BLUE BACK」の爽やかさすら感じるギターロックとは対称的とも言えるような、ソウルフルな田中のシャウト的なボーカルには「タイトル曲とカップリング曲全然違うじゃん(笑)」と思ったことや、当時CDを買ったり借りたりしていた近所のTSUTAYAのポップに
「カップリングの「STUDY」も必聴!」
と書いてあって、これは絶対コアなバインファンが書いたんだろうなと思ったことなんかを思い出す。それはきっと20年後の今となってはなかなか体験することが出来ないことになってしまっただけにそうして強く記憶に残っているのかもしれない。
さらには仰々しさすら感じるくらいのド派手なサウンド(高野のキーボードをはじめとした様々な楽器のサウンドの貢献度が実に高い)によるイントロで始まる、「コーヒー付」に続いての「Here」収録曲である「Scare」はもしかしたらこの後に「Here」の再現ライブをやる伏線?とも思ってしまうのであるが、その強靭なロックバンドとしてのグルーヴの迫力は、この曲を象徴する名フレーズである
「ガキには理解るめぇ」
と歌われていても、まだガキだった当時から今に至るまでずっと理解っていたことだ。観客の中には飛び跳ねて腕を上げている人もたくさんおり、もしかしたらその人たちは当時からこうしたバインの曲に熱狂してきた青春を過ごしてきたのかもしれないと思う。
そのロックバンドのグルーヴが極まるのは、こちらは「ナツノヒカリ」のカップリングという、今にして思えば「この曲カップリングだったんかい!」とツッコミたくなるくらいに我々を熱狂させてくれる、ロックなバインをこれ以上ないくらいに感じさせてくれる「R&Rニアラズ」で、間奏で西川はいつもと変わらぬ飄々とした表情でステージ前に出てきてギターソロを弾きまくる。そうした姿がバインの平熱なようでいて実は燃え盛るロック魂を持ったバンドであるという根幹を表しているのだが、せっかく前に出てきているのにギターのコードが気になって後ろを振り返る(ちゃんとローディーさんがケアしていたあたりはスタッフもベテランである)のが西川らしくて面白い。何というか、この曲まで来ると再現ライブより2部の方がメインなんじゃないかとすら思えてきてしまうけれど。
今でこそギターソロ不要論みたいな説もたびたび目にするようになってきているけれど、やっぱりギターソロは最高にカッコいい。でもそれはギターソロならなんでもカッコいいというわけではなくて、我々の感情をそのギターの音と弾いている姿でもって解放してくれるギタリストがいてくれるからこそそう思えるのだ。それはもうギターソロをスキップするような人には伝わらなくてもいい。ただそのカッコ良さに魅入られてきた人がわかっていればそれでいいと思うし、そう思わせてくれる西川はどんなにサウンドのトレンドが変化したとしても、自分にとってはずっと最高のギターヒーローなのである。
田中がこれからツアーに出て行くことと観客への感謝を告げてから、そんなライブの最後は近年のライブでは毎回最後に演奏されるようになってきている必殺の「光について」…ではなくて、割と近年の曲というイメージが強いけれど、実はもう10年前の曲である「風の歌」。
やはりメロディが際立つ曲であり、田中の実に歌うのが難しそうなサビのファルセットをそう感じさせないように歌うのもさすがであるが、やはり亀井作曲ということもあり、さらには至上の名曲「風待ち」にも通じるタイトルということもあるかもしれないが、これからツアーという名の旅に出て行く、風に身を任せるようにして流れて行く。そんなバンドのこれからも変わらぬ生き方をそのまま音にしたかのような締め方だった。
「光について」がお決まりにならないというのも実にバインらしいし、だからこそこうしてライブに来るたびに「どんな曲が聴けるんだろう」とワクワクする。それはどんな曲が来ても須く嬉しいということでもあるのだけれど。
アンコールでは田中が今回のツアーで販売されている、何とも言えないおっさんの顔のイラストが描かれた白のTシャツを着て現れ、前回のツアーから一部では話題になりまくっていたグッズである漢字ドリルの宣伝をした後で、
「ありがとう東京ー!三軒茶屋ー!お前たちとはまた会える気がしてるぜー!」
と、今年まだまだバインのライブを関東圏内で見れる機会があることを匂わせながら最後に演奏されたのは、この日最初で最後の田中に合わせて観客が手拍子するという一体感を感じさせてくれる「Alright」。ホーンの音を高野がシンセで鳴らし、金戸は再び亀井や高野の近くに寄って行ってベースを鳴らし、亀井は一打が強いドラムでバンドの骨格を支え、西川はやはり飄々とした表情でギターを鳴らしている。そんなずっと変わらないバインらしいライブの光景が本当に愛おしく思えたのは、それがこれからもずっと変わらないものであると思ったからだ。青春の二次会はまだまだ続いていく。
帰り際には亀井が観客に手を振りながら歩いていたら足元の照明につまづきそうになるという天然っぷりを見せてくれたが、全然バインの存在を知らない人がこのライブを観て「another sky」の曲を聴いたら、メジャーデビュー25周年のバンドが20年前にリリースされた曲を演奏しているなんて到底思わないだろう。
それくらいにバインの鳴らしている音は今でも瑞々しいままであるし、キャリアや経験を重ねてきた上での安定感と技術の高さはもちろんありながらも、そこに安住しないロックバンドとしての感情の昂りが確かにある。それは大ベテランになっても二次会どころか、まだまだ昂っていられる青春の真っ只中にいるのかもしれない。今はまだ、それが終わったり止まったりする気は全くしないから、これからもこうやって年に何回かはワンマンが見れる一年がずっと続いていく気がしているのだ。
「another sky」がリリースされた時、リアルタイムですぐに聴いていたし、テレビ出演をチェックしたり雑誌のインタビューを読んだりもしていた。
でもまだライブに行けるような状況の年齢ではなかったし、ライブの行き方、チケットの取り方もわからなければ、バインのライブに一緒に行ける存在もいなかった。だからこそ、この曲たちはライブに行くようになっても生で聴けることはないのかもしれないとも思っていた。そんな曲たちがこうして20年経ってから、今の最新かつ最高の状態のバインが鳴らしているのを聴くことができている。長生きするに越したことはないなと思えるのも、それくらいに長い時間を共有してきたバンドだからだ。それはこれから先もさらに年月を重ねていくことになるはず。
1.マリーのサウンドトラック
2.ドリフト160(改)
3.BLUE BACK
4.マダカレークッテナイデショー
5.それでも
6.Colors
7.Tinydogs
8.Let Me In 〜おれがおれが〜
9.ナツノヒカリ
10.Sundown and hightide
11.アナザーワールド
12.ふたり
-休憩-
13.CORE
14.さみだれ
15.Gifted
16.ねずみ浄土
17.コーヒー付
18.1977
19.STUDY
20.Scare
21.R&Rニアラズ
22.風の歌
encore
23.Alright
リリース当時がちょうど昂っていられた青春時代だった自分にとってのサウンドトラック的なアルバムであるだけにこうして今になってその曲たちを聴くことができるというのは本当に嬉しい限りである。もう20年前、2002年リリースと思うと、そんなに経ったねと思わずにはいられないが。
この日は前日に開催されたこのライブが即完したことによる追加公演であり、そのことからもこのライブがどれだけファンに待たれていたものなのかがわかるが、16時開場の17時開演という早い時間であるために会場の昭和女子大学人見記念講堂の周囲はまだ夕方とすら言えないくらいに眩しい夏の光に包まれている。
17時になると場内が暗転して観客の拍手に包まれながらおなじみの5人がステージに登場。いつもと変わらぬ白シャツ姿の田中和将(ボーカル&ギター)は「Lifetime」のジャケットのボードを持っているというのは再現ライブの恒例ということなのかもしれないが、スイッチを入れてそのボードが光を放つと再び客席から拍手が起こる。
その拍手を静粛なムードへと変えていくのは青い照明に包まれる中で田中、亀井亨(ドラム)、シェイカーを振ってリズムを刻む金戸覚(ベース)が歌声を重ねる「another sky」のオープニング曲である「マリーのサウンドトラック」。イメージよりもリズムが遅いような感じもするけれど、それはゆったりしているのではなくてどっしりとしているというものであり、それこそが今のバインがこのアルバムの曲たちを鳴らしている姿ということである。
田中の掻き鳴らすギターから一気にロックなサウンドへと振り切っていくのは西川弘剛のギターもシャープに響き渡り、そこに高野勲(キーボードetc)による浮遊感のあるサウンドが彩りを与える「ドリフト160(改)」。金戸の独特の音階のベースもクセになるが、1階席の観客は立ち上がって腕を上げている人もたくさんいる。今ではそうそう生まれてこないであろう「ギターロックバンド」としてのGRAPEVINEの姿が「another sky」には確かに色濃く残っている。
そんな今では作らないであろう曲の極みと言えるのは「マリーのサウンドトラック」の深海の底にいるかのような深い青とは全く違う、青春としての爽やかな青さの照明が光る「BLUE BACK」で、体を大きく動かして田中や亀井の方に寄っていく金戸はもちろん、田中も歌わない部分ではこのアルバムの当時以上に若い頃のように飛び跳ねるというところまではいかないけれど、他の曲にはないくらいに物理的な躍動感をステージ上で感じさせる。それは青春の仕掛けなのだろうと言ったら、んなわけねぇよと言われてしまいそうであるが、この曲を聴くと当時のGRAPEVINEがNHKの音楽番組「POP JAM」によく出ていたことを思い出す。NHKホールでの公開収録というライブ的な雰囲気というNHKの攻めっぷりを感じさせる番組で、当初は「んなわけねぇよ」が仮タイトルだったということで、タイトルが変わらなければ番組MCだった優香がそのタイトルを紹介しなければならないところだったというエピソードも含めて、まだ子供と言っていいくらいの年齢だった当時の自分にとってはGRAPEVINEはテレビの中の存在で、そうした場所で聴ける曲だった。それが20年経ってこうして今目の前で、ライブで聴くことができるようになっているというのはつくづく長生きはするもんだよなと思える。
そんなストレートなギターロックから、一気に西川のギターがブルースの要素を感じさせるものになり、バンドのグルーヴそのものもファンキーなものへと変化していくのは「マダカレークッテナイデショー」であり、田中のボーカルも実にソウルフルな迫力を持って響き渡っていくというのはこの曲はグルーヴの鬼と言えるような今のバインの姿に最も連なるものなのかもしれない。そのグルーヴの強さもまたバンドの持つ多面性の一つに過ぎないのであるが、高野が操作するテルミン的な楽器の音がここでも独特な浮遊感を感じさせてくれるものとして機能している。
ちなみにこの「なんだこりゃ」と思ってしまいそうな、人を食ったようなタイトルはこのアルバム制作時の合宿でメンバー間の流行語になっていた言葉だという。それくらいにGRAPEVINEチームの制作にカレーは欠かせないものであるということだが、曲の内容とは全く関係ないようなタイトルを貫き通したという当時のメンバーの尖りっぷりを感じさせるエピソードでもある。
ここで田中はギターをアコギに持ち替えるのであるが、その際に思わずスタッフに
「暑い…」
と漏らすのがマイクに拾われていた。それくらいに暑いのはそうした曲を演奏しているからというのに加えて、電力が逼迫していることによって場内を節電していたんじゃないかと思うくらいにそもそも場内が暑かったというところもあるだろう。
そんな暑さから少し涼しい風を吹かせてくれるのは、その田中のアコギの爽やかなサウンドが曲の持つメロディの美しさを素直に伝えてくれる「それでも」で、「Lifetime」期あたりに「ポストミスチル」的な扱われ方をされていたバンドとしてのポップさが残っていた曲であるとも言えるかもしれない。結果的にはポストミスチルどころか絶対に他にいないという極まった位置にまで達したバンドになったのであるが。
そうしたメロディの美しさを感じさせるような曲を作るのはドラマーである亀井が作った曲に多いというのが、このアルバム以外でも様々な名曲を生み出してきた彼のメロディメーカーっぷりを感じさせてくれるのであるが、「それでも」から「Colors」へと連なる流れはその亀井の名作曲家っぷりを感じさせてくれるものである。そこに
「マドモアゼルの笑顔で
悩める彼はまだ未成年」
という官能文学のオープニングかのような田中の歌詞が乗っかるというのは作曲者と作詞者が異なるバンドならではのマジックを感じさせてくれるし、そのメロディの美しさを感じさせながらも後半に向かうにつれて熱量を増していく演奏は確かに今のバインにも連なるものである。
そのじわじわと高まってきた熱量とグルーヴが一気に放出されていくのは「Tinydogs」から「Let Me In 〜おれがおれが〜」というアルバムの中盤から後半へと向かっていくゾーンであり、前半は青を基調としていた照明の色はここでは赤く染まっていくというのもこの曲たちでのグルーヴの燃え盛りっぷりを感じさせてくれるのであるが、当時の社会への皮肉に満ちた田中の作家性が炸裂している「Let Me In 〜おれがおれが〜」は当時お茶の間まで浸透しつつあった日本のポップなヒップホップに対して
「韻踏んでおけばいいっていうもんやないやろっていう」
という田中なりの指摘を込めたものであるのだが、その歌詞、言葉への感覚の鋭さはこの時期の曲にもこうして現れているし、田中が文芸誌で執筆するようになる未来を暗示していたと言えるかもしれない。
そんなGRAPEVINEなりのロックなグルーヴの曲に続いて、イントロの田中のギターのサウンドが一気に空気を変え、照明もまさにヒカリというような真っ白な眩しさを持った、今の時期の太陽の光と言えるようなものになるのは個人的にバイン屈指の大名曲の一つだと思っている「ナツノヒカリ」。この曲を今のこのクソ暑いような気候の中で聴けたことによってまた自分の中でのこの曲の景色は変わっていくのだろうけれど、それでも今でもこうして聴いているとハッキリとMVのような、陽炎がゆらめくような夏の情景が浮かんでくる。サビで微妙に節回しを変化させる田中の表現力も当時よりも圧倒的に高まっているだろうし、本当にこの曲だけでもこうして「another sky」の再現ライブが開催されて、それを観に来ることができて本当に良かったと思える。
そんな感慨をさらに強くしてくれるのが、切ないメロディとロックサウンドの融合による「Sundown and hightide」であり、ここからまたイメージ的にも照明的にも青い光の世界へと潜っていくのであるが、この曲の
「髪の短いのが好きになってしまった
顔が見えぬよう君に目隠しした」
というフレーズの美しさはまさにもはや文学の世界のそれである。この曲を含めた後半では高野がコーラスを務める機会が増えるのであるが、それが今この5人でこのアルバムを再現して演奏していることを感じさせてくれる。それでも骨格というか、原曲から大きく変わるアレンジを施していない、我々1人1人がそれぞれに思い入れのある「another sky」の形のままであるというのは、バンド側もきっとその我々の思いをわかってくれているんだろうと思う。
そんな「another sky」の収録曲は基本的に滅多なことでは近年のライブにおいては演奏されない曲ばかりであるためにこうして聴けるのがより嬉しくもなるのであるが、そんな中でも時折ライブのクライマックスを担うように、アルバムの中では最も高い頻度で演奏されてきた(それでもやっぱり毎回ではない)のはタイトルとしてもアルバムを象徴する名曲である「アナザーワールド」。
西川のギターフレーズだけでもはや名曲確定と言えるような美しさを持った曲であるのだが、やはりそんな曲の中にどこか余裕のようなものを感じるのは演奏されてきた機会が多いからだろうか。
「あの向こうへと
精一杯の声で 体で
明日もう一度 いつかはきっと」
というフレーズは安易な希望を決して歌詞にはしてこなかったこのバンドだからこそ、聴き手の中でそれぞれの状況に応じて意味合いを変換できるものだ。自分はこの曲を、決してアッパーなロックサウンドではなくても自分を奮い立たせてくれるものとしてずっと聴いてきた。それこそ20年前のリリース時からずっと。だからこそ毎回こうしてライブで聴くと感極まりそうになってしまう。
そんな「another sky」の再現ライブは本当にあっという間に最後の曲へと至る。音源だと51分ほど。ライブでも1時間くらい。それは決して短くはない時間であり、ワンマンの尺じゃないと成立しないものであるが、本当に一瞬の出来事だった。ネット的に言うなら秒だった。リリース当時からアルバムを何回も何回も聴いてきただけに、より一層体感的に短く感じてしまうようになったのかもしれない。
そんな最後の曲は西川作曲の上に田中の珍しい男女の生活の描写が乗る「ふたり」。それはまるでどこか物語のエンドロール的に流れる音楽のようですらあったのだが、アウトロでセッション的な演奏が続いたことによって「何が始まったんだ?」と思っていると、オープニング同様に深海の底にいるかのような青い照明に包まれ、田中、亀井、金戸は「マリーのサウンドトラック」のタイトルフレーズをリプライズ的に歌い始める。その締め方には驚かざるを得ないのだが、それこそがライブにおいてこれまでも様々なアレンジを施してきたGRAPEVINEが今の5人での解釈で「another sky」を演奏するとこうなる、というものだった。そうして「マリーのサウンドトラック」がリプライズされることによって、また「another sky」を頭から通して聴きたくなってしまった。
メンバーがステージを去ると、スタッフが「Lifetime」のボードのスイッチを切って灯りが消え、客席から拍手が起こる。それは再現ライブという夢が終わった合図のようであり、客電が点くと10分間の休憩が挟まれることが告げられたのだった。
「another sky」の頃の時系列を思い返してみるとかなり過渡期というか、リーダー西原誠のジストニアの療養からの復帰→結果的には完治せずに脱退、というダイレクトにバンドの形が変わる最初にして唯一のタイミングだったのがこの時期だった。
だからこそ「BLUE BACK」(西原が最後に手がけた曲である。ちなみにこの日も西原は普通に客席でライブを見ていた)のような、ギター、ベース、ドラムという楽器での4人のロックバンドとしての最後のGRAPEVINEが刻まれた作品でもある。そんな混沌とした状況の中で生み出されたアルバムが今も全く色褪せないくらいにこんなにも名盤として聴き続けられるものになっている。それは今にして思えばその逆境を乗り越えて名盤を生み出したGRAPEVINEがそれから20年以上ずっと最前線を走り続けるバンドであり続けて行くということを示唆することだったのかもしれない。
その休憩を終えてメンバーがステージに戻ってくると、再現ライブ中は流れを重視するために喋ることをしなかったであろう田中がおなじみの歌声とは全く異なる低い声で
「今年で我々GRAPEVINEはメジャーデビュー25周年を迎えました。それを記念して何かやりたいなと思ったところ、この「another sky」がリリースからちょうど20年ということで、再現ライブをやろうじゃないかとなったわけでございます。20年前だとまだ生まれてない人もいるかもしれない…(笑)
たまにはお世辞も言っておかないと(笑)」
というのはここにいた人たちがみんな「another sky」をずっと聴いて生きてきたということをメンバーもちゃんと理解しているということを感じさせてくれるのだが、
「ここからは壮大なオマケっていうことで、好きにやらせてもらいます」
と言い、その言葉を体現するかのように極彩色の照明がそれぞれのメンバーを照らす「CORE」での金戸の地を這うようにうねりまくるベースからグルーヴが生成され、それこそが「another sky」を経た後のこの5人だからのバインのサウンドであるということを鳴らしている音でもって示すかのようだ。シングルとしてリリースされた時から1ミリも大衆へのヒットを狙ってない曲だなと思ったこの曲が、結果として今ファンに盛大に求められているというあたりがひねくれたバンドとひねくれたファンというバインを媒介とした関係性らしさである。
そうしたバンドサウンドの鉄壁さに加えて、田中のボーカルの全くブレない安定感を感じさせてくれるのは削ぎ落とされたサウンドだからこそそのボーカルをしっかり感じさせてくれる「さみだれ」からはアルバムとしては最新作になる昨年の「新しい果実」のモードへと突入していくのであるが、そうした最新の自分たちの姿を過去作の再現ライブでしっかり見せるというのもまた実にバインらしいというか、フェスに毎回出ていた頃にもヒット曲よりも最新曲というセトリを組んでいた精神は今も全く変わっていないと思わせてくれる。
なので伸びやかなサビのメロディと田中の歌唱で
「神様が匙投げた
華やかなふりをした世界で
去る者と縋る者と
ここでそれを嗤っている者
どれもこれももういい」
とSNS上での不毛な殴り合いを皮肉っているように感じられる「Gifted」も、隙間を活かしまくったサウンドに乗る田中のファルセットボーカルで歌われる「ねずみ浄土」の
「新たな普通
何かが狂う
眉ひとつ動かしもせず」
というフレーズも、どちらも「another sky」から20年経った今だからこそ目に映るもの、捉えられるものや感情を自分なりの言語感覚とメロディへの融合のさせ方で歌詞にしているということが、過去作の再現ライブの後に演奏されるからこそいつも以上によりハッキリとわかる。それはまた数年後に聴いた時には2020年代初頭の今の空気を思い返せるようになっているものであるとも思う。
で、バインのセトリの作り方が実に上手いなと思うのは「コーヒー付」という予想だにしないような選曲(2000年リリースの「Here」収録)を、同じファルセットを駆使するボーカル曲である「ねずみ浄土」に続けることによって連続性を持たせて、この曲を今のものとして立ち上げ直しているということ。その田中のファルセットボーカルには20年の時を超えた曲同士でも一切の齟齬を感じさせることはない。どちらも今目の前で、最新のGRAPEVINEが鳴らしているものになっている。そうした発想と実現力には本当に驚いてしまうし、今回この曲が演奏されることを予想していた人がいるんだろうかとすら思う曲である。
「愛してたと云った
愛してたと云ったのは聞こえた
なのにふっと流されてった」
という歌い出しからして完全に掴まれてしまう、やはり亀井作曲であるだけにメロディの美しさが際立つ「1977」も最近の曲というイメージもありながらも、もはや9年前にリリースされた曲であるということに驚かざるを得ないのであるが、さらに驚きなのは「STUDY」という「BLUE BACK」のカップリング曲がここで演奏されたということ。
確かに時系列的には「another sky」の再現ライブで演奏される曲としてふさわしいというか、こういう機会じゃないと演奏される機会のない曲であるのだが、当時シングルを聴いた時の「BLUE BACK」の爽やかさすら感じるギターロックとは対称的とも言えるような、ソウルフルな田中のシャウト的なボーカルには「タイトル曲とカップリング曲全然違うじゃん(笑)」と思ったことや、当時CDを買ったり借りたりしていた近所のTSUTAYAのポップに
「カップリングの「STUDY」も必聴!」
と書いてあって、これは絶対コアなバインファンが書いたんだろうなと思ったことなんかを思い出す。それはきっと20年後の今となってはなかなか体験することが出来ないことになってしまっただけにそうして強く記憶に残っているのかもしれない。
さらには仰々しさすら感じるくらいのド派手なサウンド(高野のキーボードをはじめとした様々な楽器のサウンドの貢献度が実に高い)によるイントロで始まる、「コーヒー付」に続いての「Here」収録曲である「Scare」はもしかしたらこの後に「Here」の再現ライブをやる伏線?とも思ってしまうのであるが、その強靭なロックバンドとしてのグルーヴの迫力は、この曲を象徴する名フレーズである
「ガキには理解るめぇ」
と歌われていても、まだガキだった当時から今に至るまでずっと理解っていたことだ。観客の中には飛び跳ねて腕を上げている人もたくさんおり、もしかしたらその人たちは当時からこうしたバインの曲に熱狂してきた青春を過ごしてきたのかもしれないと思う。
そのロックバンドのグルーヴが極まるのは、こちらは「ナツノヒカリ」のカップリングという、今にして思えば「この曲カップリングだったんかい!」とツッコミたくなるくらいに我々を熱狂させてくれる、ロックなバインをこれ以上ないくらいに感じさせてくれる「R&Rニアラズ」で、間奏で西川はいつもと変わらぬ飄々とした表情でステージ前に出てきてギターソロを弾きまくる。そうした姿がバインの平熱なようでいて実は燃え盛るロック魂を持ったバンドであるという根幹を表しているのだが、せっかく前に出てきているのにギターのコードが気になって後ろを振り返る(ちゃんとローディーさんがケアしていたあたりはスタッフもベテランである)のが西川らしくて面白い。何というか、この曲まで来ると再現ライブより2部の方がメインなんじゃないかとすら思えてきてしまうけれど。
今でこそギターソロ不要論みたいな説もたびたび目にするようになってきているけれど、やっぱりギターソロは最高にカッコいい。でもそれはギターソロならなんでもカッコいいというわけではなくて、我々の感情をそのギターの音と弾いている姿でもって解放してくれるギタリストがいてくれるからこそそう思えるのだ。それはもうギターソロをスキップするような人には伝わらなくてもいい。ただそのカッコ良さに魅入られてきた人がわかっていればそれでいいと思うし、そう思わせてくれる西川はどんなにサウンドのトレンドが変化したとしても、自分にとってはずっと最高のギターヒーローなのである。
田中がこれからツアーに出て行くことと観客への感謝を告げてから、そんなライブの最後は近年のライブでは毎回最後に演奏されるようになってきている必殺の「光について」…ではなくて、割と近年の曲というイメージが強いけれど、実はもう10年前の曲である「風の歌」。
やはりメロディが際立つ曲であり、田中の実に歌うのが難しそうなサビのファルセットをそう感じさせないように歌うのもさすがであるが、やはり亀井作曲ということもあり、さらには至上の名曲「風待ち」にも通じるタイトルということもあるかもしれないが、これからツアーという名の旅に出て行く、風に身を任せるようにして流れて行く。そんなバンドのこれからも変わらぬ生き方をそのまま音にしたかのような締め方だった。
「光について」がお決まりにならないというのも実にバインらしいし、だからこそこうしてライブに来るたびに「どんな曲が聴けるんだろう」とワクワクする。それはどんな曲が来ても須く嬉しいということでもあるのだけれど。
アンコールでは田中が今回のツアーで販売されている、何とも言えないおっさんの顔のイラストが描かれた白のTシャツを着て現れ、前回のツアーから一部では話題になりまくっていたグッズである漢字ドリルの宣伝をした後で、
「ありがとう東京ー!三軒茶屋ー!お前たちとはまた会える気がしてるぜー!」
と、今年まだまだバインのライブを関東圏内で見れる機会があることを匂わせながら最後に演奏されたのは、この日最初で最後の田中に合わせて観客が手拍子するという一体感を感じさせてくれる「Alright」。ホーンの音を高野がシンセで鳴らし、金戸は再び亀井や高野の近くに寄って行ってベースを鳴らし、亀井は一打が強いドラムでバンドの骨格を支え、西川はやはり飄々とした表情でギターを鳴らしている。そんなずっと変わらないバインらしいライブの光景が本当に愛おしく思えたのは、それがこれからもずっと変わらないものであると思ったからだ。青春の二次会はまだまだ続いていく。
帰り際には亀井が観客に手を振りながら歩いていたら足元の照明につまづきそうになるという天然っぷりを見せてくれたが、全然バインの存在を知らない人がこのライブを観て「another sky」の曲を聴いたら、メジャーデビュー25周年のバンドが20年前にリリースされた曲を演奏しているなんて到底思わないだろう。
それくらいにバインの鳴らしている音は今でも瑞々しいままであるし、キャリアや経験を重ねてきた上での安定感と技術の高さはもちろんありながらも、そこに安住しないロックバンドとしての感情の昂りが確かにある。それは大ベテランになっても二次会どころか、まだまだ昂っていられる青春の真っ只中にいるのかもしれない。今はまだ、それが終わったり止まったりする気は全くしないから、これからもこうやって年に何回かはワンマンが見れる一年がずっと続いていく気がしているのだ。
「another sky」がリリースされた時、リアルタイムですぐに聴いていたし、テレビ出演をチェックしたり雑誌のインタビューを読んだりもしていた。
でもまだライブに行けるような状況の年齢ではなかったし、ライブの行き方、チケットの取り方もわからなければ、バインのライブに一緒に行ける存在もいなかった。だからこそ、この曲たちはライブに行くようになっても生で聴けることはないのかもしれないとも思っていた。そんな曲たちがこうして20年経ってから、今の最新かつ最高の状態のバインが鳴らしているのを聴くことができている。長生きするに越したことはないなと思えるのも、それくらいに長い時間を共有してきたバンドだからだ。それはこれから先もさらに年月を重ねていくことになるはず。
1.マリーのサウンドトラック
2.ドリフト160(改)
3.BLUE BACK
4.マダカレークッテナイデショー
5.それでも
6.Colors
7.Tinydogs
8.Let Me In 〜おれがおれが〜
9.ナツノヒカリ
10.Sundown and hightide
11.アナザーワールド
12.ふたり
-休憩-
13.CORE
14.さみだれ
15.Gifted
16.ねずみ浄土
17.コーヒー付
18.1977
19.STUDY
20.Scare
21.R&Rニアラズ
22.風の歌
encore
23.Alright
佐々木亮介 FIREWORKS RECORDS オープン記念 弾き語り ミニライブ 2部 @渋谷マルイ 8階イベントスペース 7/3 ホーム
フレデリック 「FREDERHYTHM ARENA 2022 〜ミュージックジャンキー〜」 @代々木第一体育館 6/29