CRYAMY ONEMAN TOUR 「売上総取」 @東京キネマ倶楽部 6/12
- 2022/06/13
- 00:15
曲を聴いた時、あるいはライブを見た時にただ「良い曲だ」とかではなくて、そのサウンドと歌詞が「これは自分のような奴のための音楽だ」と思えるようなものにはなかなか出会えない。
近年の若手バンドの中で最もそう感じさせてくれる存在であるのがCRYAMYであり、ツアータイトルはかつてyonigeもワンマンツアーで掲げていたものであるのだが、新作EP「#4」をリリースしたタイミングでのワンマンツアーのファイナルは東京キネマ倶楽部という、これまでの本拠地と言える、下北沢などのライブハウスとはまた少し違う雰囲気の会場。コロナ禍になる直前のイベント(2020年の2月だったので、本当にライブがなくなる寸前)で観た時には観客はもちろん、メンバーたちも自分たちの後に出ていたPK Shampooのライブでステージからダイブしまくっていたあの熱狂や衝動はコロナ禍の中でどこへ向かうのだろうか。それを確かめるべく、初のワンマン参加である。
ステージ背面には大きなバンドロゴが飾られているものの、やはりこのライブハウスとはまた少し違う会場とはいえ簡素なステージであるというのは予想通りの中、18時過ぎに場内が暗転すると、SEも何もなしにメンバー4人が登場。フジタレイ(ギター)のオレンジ色の服に鮮やかな金髪が目立つ中、中央で出てきた瞬間からオーラを放ちまくっているカワノ(ボーカル&ギター)は白いシャツを黒のパンツの中にインしているという出で立ちで、長い髪を後ろで結いているオオモリユウト(ドラム)がリズムを刻みはじめ、そこにタカハシコウキのベースが重なり、フジタが確かめるようにギターを鳴らすと、リリースされたばかりの「#4」の1曲目に収録されている「マリア」からスタートし、このバンドならではの、全然何と歌っているのかわからないくらいの荒いサウンドでカワノが歌い始め、フジタのギターは轟音を鳴らす。その上でカワノは最後には
「死ね 死ね」
と喉を張り上げて叫びまくる。観客は腕を上げてその姿や音に応えているが、そのフレーズがただ闇雲に誰かを傷つけるというものではなくて、自分を救ってくれなかった大いなる存在という対象に向けてのものであるからこその切実さがハッキリと場内に溢れてくるからこそ、どこか独特の緊張感に包み込まれていくのがよくわかる。
とはいえワンマンを観るのは実は初めてであり、ましてや7曲入りのEPのリリースツアーであるだけに、果たしてどんな曲をライブで演奏するのだろうかと思っていたら、すでに廃盤になっている自主制作盤収録の「ビネガー」「crybaby」という、CRYAMYのど真ん中というイメージの強い轟音ギターロックが続けて演奏されたことによって、もうこれはこの日はこうしてどんな曲が演奏されてもおかしくないんだなということがわかる。カポタストを付けて耳を劈くような轟音から独特なリフまでをも変幻自在に鳴らすフジタは長い金髪を振り乱しながらギターを弾きまくるのが実に絵になる。
そんな中で耳を惹くのはブルーハーツの名曲「1000のバイオリン」のタイトルが歌詞に盛り込まれた「戦争」。昨年リリースされた初のフルアルバム「CRYAMY -red album-」にて完成形を見る前にもシングルに「cheap ver.」という途中形態が収録されたりしてきたが、こうしてバンドとしてこの曲のアンサンブルが完成してきたこの状況になるにつれて戦争という事象がよりリアルに我々の生活を侵食してきたことによって、曲から喰らうリアリティはさらに増している。決してそれは良いことではないし、カワノもバンドもそうしたことが起きないことを願っているけれど、どこか時代と共鳴してしまうというあたりにCRYAMYが選ばれたバンドとしての業を背負っていると感じざるを得ない。
決して派手な演出はないとはいえ、そこはやはりライブハウスとはまた違う、様々なアーティストがいろんな使い方をしてきた、昭和の匂いが残る(元々はキャバレーであった)キネマ倶楽部であり、曲に合わせた照明の見事な切り替わりっぷりは「Pink」のタイトルに合わせた色にメンバーが照らされるというあたりからも感じられるのだが、新作収録の「スカマ」ではその妖しいサウンドに合わせて赤、青、その2色が混じった紫などの照明が明滅していくのだが、ここまでも「献身」という言葉がこんなに似合うかというくらいに、派手さは一切ないけれど堅実なベースとコーラスで演奏をしっかり支えているタカハシだけではなく、フジタのコーラスまでも重なることによって曲の持つその妖しさがさらに際立っている。
さらには「変身」「sonic pop」という轟音の限りを尽くすような曲でカワノもその喉が心配になるくらいに叫びまくりながら歌うのであるが、ここまで一切の曲間もなく、オオモリが曲と曲を繋げるようにリズムを刻んでいたのだが、ここでチューニングの時間が設けられるものの、メンバーは一言も喋らず、その緊張感によって観客も拍手すらできないという異様な雰囲気になっている。
そんな中で轟音からガラッと切り替わるように「HAVEN」が演奏されると、その穏やかと言ってもいいようなサウンドになることによって、カワノのボーカルも歌詞をしっかりと聞き取れるようになるのだが、そうしてボーカルがしっかり聴き取れるからこそわかるのはCRYAMYというバンドの持つメロディの美しさである。それは轟音サウンドの中でも感じられるものではあるのだが、それが削ぎ落とされたことによって「ディレイ」「くらし」という曲のメロディの美しさに浸ることができるのだ。もちろん、ただ爆音、轟音を鳴らすだけのバンドだったらこんな会場でできるような存在にはならないのだけれど。
そのメロディとともにこうした曲で際立つのが、カワノにしか書けないというか、カワノの人間性がそのまま言葉になったかのような歌詞であり、
「朝起きれない」「クレジット持ってない」「多分IQとか低いと思う」
という、カワノの欠損した人間をそのまま歌う「悲しいロック」での
「やり直したい」
というリフレインが繰り返されるごとにカワノの歌唱は激しさを増していく。それがその人生をやり直したいという悲痛な叫びにこれ以上ないくらいの説得力を持たせていくのだが、今やクレジットを持っているし、朝も毎日すぐに起きることができるようになっても、こうした歌詞が自分そのものを歌っているんじゃないかと思ってしまうくらいに響いてしまう。それはきっとこの日この会場にいた人の1人1人もそう思っていたんじゃないか、というよりもCRYAMYのライブにはそうした人が集まっているんだろうなと思う。代弁者というわけではないけれど、カワノが自分の抱えている思いを音として、表現として昇華してくれているというような。
そのまま曲と曲を繋げるようにして、光に包まれるような真っ白な照明の中で演奏された「正常位」を聴いていると、でもそんな人生こそが、生活こそが正常なんじゃないかとすら思えてきてしまう。最新作の曲と過去の曲が繋げられることによってそうした新たな感情や感想を過去の曲に抱くことができるのである。
さらに「ギロチン」を挟むことによって曲間により一層観客のリアクションが挟み込めないような空気になっていくのであるが、本当にMCがないことによって駆け抜けるようにというか、ただただ余計なものを挟むことなく、この曲たちを聴くことでバンドの音や歌詞を受け取って、そこから自身の感情に繋げて欲しいというように曲を連発しまくると、後半には「#4」の曲が今回のツアーの主役とばかりにまだ待ち構えている。
オオモリによる重いビートから始まるのがアジカンの某曲を彷彿とさせる「E.B.T.R」はしかしサビになるとどこか切なさを感じさせるのは
「死にてぇなぁ」
という歌詞によるものだけではなく、サウンドとカワノのボーカル全体から漂ってくるものだ。フジタの空間的なサウンドを奏でるギターもそこに一役買っているが、そうした切なさという要素がCRYAMYから漂うフォークの要素も感じさせる。
その「E.B.T.R」と地続きなように感じるのはカワノが曲前に
「誰も傷つけない奴なんているんだろうか
そういう奴はきっと俺のこと見下してんだろうな
生まれた時には俺だって祝福されたはずさ
なのになんでこの手は冷たい 冷たい 心も冷たい」
という曲後半のフレーズを弾き語るように歌い始め、大らかなオオモリのビートからサビではカワノのファルセットボーカルが攻撃性だけではない包み込むような表現力を感じさせ、フジタのギターが泣きのメロディを奏でる「ALISA」。そのカワノの冒頭に追加したフレーズがカワノ自身の本心だったとしても、カワノは心が冷たい人間だとは思わないのは、曲の最後にはまた弾き語り的に私信とも言えるような、大切な人を心配するようなメッセージが込められているからだ。
それは「音楽と人」でのインタビューにおいて、カワノがずっと負い目を感じているという母親に向けた曲であるということが語られていたが、本当に冷たい人間だったらこんな美しい曲は作れないし、こんな歌詞も書けないと思う。自分は音楽は作る人間の人間性が必ず出ると思っているけれど、それはCRYAMYのような、それを感じざるを得ないようなバンドがいるからかもしれない。
そのカワノの歌声にやはりどこか優しさを感じさせるのはギターを掻き鳴らしながら歌い始める「兄弟」で、オオモリがメンバーを見渡しながら呼吸を合わせるようにストップ&ゴーが繰り返されるような跳ねるようなリズムがどこかほんの少しだけではあるけれど、この日初めて「楽しいかもしれない」という感覚を感じさせてくれる。音楽に人間性が出るというのはこの曲などでのオオモリとタカハシの派手ではないけれど、この2人じゃないとこのバンドのリズム隊は絶対務まらないだろうなと思うような演奏もまた然りである。この全く喋るような気配すら見えない2人がリズム隊じゃなくて、もっと主張の強いメンバーがいたらこのバンドはとっくに瓦解していただろうなと思うくらいに。
そして今でもYouTubeで聴くことができる初期の「物臭」へと繋がっていくのだが、曲の轟音っぷりはさすがこのツアーを回ってきた、ずっとこの曲を演奏してきたことだけあって、フルアルバムに再録された曲たちのようにこの曲も、と思うのだけれど、
「誰かに言うような劇的なことはないし」
という歌詞と、メロディのキャッチーさはこの時点ですでに今に至るまでのCRYAMYの原型は出来上がっていたんだなと思う。
するとイントロでキメを打つかのように轟音が溢れる「待月」は「#4」の最後に収録されている曲であり、
「優しいあなたを守ってあげる」
というカワノのボーカルとその後の言葉にならない絶唱はやはりカワノという男が潜在的に持つ優しさを強く持った人間性を感じさせるものであるし、この「#4」が女性をテーマにした作品であるということを感じさせてくれるような曲でもある。
するとここまでは全くMCをしなかったカワノが最後に、
「ステージに立っている時は俺は自分を天使だと思ってる。これまでにいろんなバンドがステージに立って「愛してる」って言ってきただろうけど、俺は天使だから目の前にいる人をちゃんと愛してあげないといけない」
と、ビックリするくらいにストレートに「愛」という言葉を口にする。しかもその対象がこうして目の前にいる我々1人1人であると。その言葉の後に演奏された「WASTAR」は「#4」の中でMVが作られた曲であるが、轟音ではあるけれどキャッチーさを決して失うことはないサウンドに乗せてカワノが
「当たり前に愛してるよ」
「あなたといれて嬉しいからだ」
と歌う。それは本当に言葉と音楽と精神が全て完璧に一致したからこそ歌える、こんなにも響くものであった。優しくなったんじゃない、元から持っていた優しさを素直に出せるようになった。それはこれまでにライブで見てきた景色や出会ってきた人たちによって引き出されたものなのだろうと思うし、そうした状態になったCRYAMYがこれからどんな曲を生み出していくのかがより楽しみになったのだ。
だけど、CRYAMYはサブスクに曲をあげていない。だからCDを買わないと全ての曲を聴くことはできない。サブスクを解禁しないことによってたくさんの人に聞かれるチャンスを逃している、と言われることもある。確かにそれはそのとおりかもしれないが、CRYAMYの音楽はそんなに気軽に手を出したりするようなタイプのものでもないとも思う。
「ちょっと聴いてみるか」くらいの軽さで聴いてみて「音がうるさいから聴くのやめた」みたいに思われるくらいならそもそも手を出さなくていいとも思うし、そこには誰でも彼でもに言うのではなくて、こうして目の前にいてくれる人に向けて「愛してる」と歌うことを決めたバンドとしての選択だ。その「当たり前に愛してる」は、本当にこの音楽を必要としている人のための言葉であり、歌詞なのだ。もっと広いところに広がらなかったとしても、もっと深いところまで刺さるような人は必ずいる。そんな人だけがここに、各地のツアー会場にいたのだ。
アンコールではフジタが長い髪を結いてステージに出てくると、どこからか赤ん坊の声が響いて緊張感が和らぐ中、カワノは何度も自身の前髪や横の髪をかき上げながら、
「もちろん今までがあってのこのツアー、今日なんだけど、往々にしてこういう音を鳴らしてるバンドっちゅうのは暴力性とか、尖ってるみたいな感じに言われることが多いし、俺たちもそうだと思うんだけど、さっきも言ったとおりに俺はこれからはそういうものじゃなくて、ちゃんと目の前にいる人に「愛してる」ってことを伝えていきたいと思ってる。だから俺はこのツアーでは始める前に「初めまして」って必ず言ってるんだけど、それは今までに会ってきた、見てきた俺とは違うからそう言っている」
と、明らかに変わったというか、自身の内面や表現したいことが変化してきたことを語る。それも「音楽と人」でのインタビューで話していたとおりに、自分たちのライブに来てくれているのが自分のような人間ばかりだとカワノはわかっているからだ。だから自分を愛することと同じように、目の前にいる人を愛する。それはそのまま目の前にいる人と自分自身を今まで以上に信じられるようになったということだ。
その言葉の後だからこそ、もはや言葉足らずとは思えない「まほろば」でさらに吹っ切れたように轟音のロックサウンドを鳴らすと、観客もその想いに応えるかのように本編以上にたくさんの腕が上がる。ああ、きっとコロナ禍じゃなかったらたくさんステージの方へ転がっていく人の姿が見れたんだろうなと思うくらいの衝動がそこには溢れていたし、それをカワノの咆哮のごとき歌唱がさらに加速させていく。
さらには「悲しいロック」に連なるような、轟音だけどキャッチーかつポップなメロディの上で自虐というか自嘲のようなどうしようもなくダメな自分自身へ向けられた歌詞がリズミカルに歌われる「鼻で笑うぜ」での
「でもね、君がそばに居て良かったって思うよ」
「でもね、君が生きていて良かったって思うよ」
のフレーズはやはり先ほどの言葉があるからこそより一層実感を増して聞こえてくるし、このバンドがこう歌ってくれていることによって救われている人だってたくさんいるはずだ。
それはコロナ禍になって「音楽は不要不急だ」みたいなことを言われまくった時のどうしようもない嫌悪感をも思い出させるのは、もし本当に音楽が不要だとしたら、この音楽に救われている人や、何よりもどう考えても音楽をやっていなかったらこの世の中を無事に生きていけるとは思えないカワノのような人が生きていけなくなってしまうじゃないか、と思ったからだ。それで生きている人がいる限りは不要なんかじゃないし、それでないと生きていくことができない人がいるということを、この曲やCRYAMYの音楽を聴いていると強く感じる。だからこそ、コロナ禍になっても小さいライブハウスでCRYAMYがかなり早い段階からライブを再開したのは必然だなとも思っていた。それをわかっているバンドだから。そんな、君が生きていて良かったって思うよ。
そんなライブのトドメにフジタがNirvana直系と言ってもいいグランジ炸裂なギターを弾く「普通」ではタカハシも珍しくマイクの前から離れるくらいに激しく体を動かしながらベースを弾き、カワノはリズミカルなボーカルを聴かせたと思ったら、アウトロをまだバンドが演奏している最中にギターを下ろしてステージから去っていく。そのグダグダしないでスパッと終わる様が強い余韻を残してくれるとともに、実にCRYAMYらしいなと思った。
しかしそれでもまだアンコールを求める手拍子が止むことはなく、オオモリがその手拍子に応えて最初にステージに戻ってきてドラムを叩き始めると、そこにタカハシが出てきてベースを、髪をほどいたフジタが出てきてギターを、そしてカワノが出てきてやはりギターを重ねるのだが、音を鳴らしながらカワノがタカハシとフジタに何やら耳打ちすると、3人で声を重ねるようにコーラスをしてから「テリトリアル」へと繋がっていくというライブだからこそのセッション性の強いパフォーマンスを見せてくれるのだが、それは轟音で覆い尽くすだけではないCRYAMYのプレイヤビリティの高さを感じさせてくれるものだ。それが初期からの代表曲である「テリトリアル」で発揮されることによって、より「やっぱりこれだ!」と思えるようになる。だからこそもうかなり長い時間のライブになっていても、曲が進むにつれて腕を振り上げる人の数は増えていく。それはカワノの
「もう傷まなくていい 傷まなくていい」
という言葉に反応したものなのかもしれない。
そしてラストの「世界」もやはりそうしたセッション的な演奏を挟んだ、ライブならではの長尺なものになっているのだが、その演奏をしている時のメンバーの動きの激しさとともに、わずかではあるが確かな微笑みを見て取れる表情は、全く喋らないがゆえに本心があまり読み取れないカワノ以外の3人が、こうしてこのバンドでライブをやっていることを心から楽しんでいるように感じることができた。それが観客へも確かに伝わることによって、より腕に力を込めて振り上げることができる。
他のライブに来た時のような楽しいという感覚や連帯感のようなものは1ミリ足りともないし、なんなら自身の人間性を深層から引っ張り出して暴かれるようでもあるけれど、バンドの轟音とカワノの叫びはこのバンドの音が響いてしまう、その引っ張り出された人間性に光を当ててくれるかのようだった。
「誰にも愛されなくたって あなたが生きててほしい
あなたが」
と歌うこのバンドのボーカリストが、確かに我々1人1人のことを愛してくれている。そう思えることが生きる力に繋がっていく。狙って作った感動では全くないけれど、でもやっぱり感動してしまったのは、やっぱり自分は何歳になってもCRYAMYの音楽が刺さって抜けないような人間だからなんだろうなと思った。
きっと、こうした音楽が刺さらないどころか、聴いても何も感じないような人の方が、いわゆる普通の人としての幸せを手にすることができるんだろうなと思ったりもする。でもそうした普通の人にとっての幸せを求めていないような人だからこそ、この音楽がこんなにも深い部分にまで刺さってしまうし、そうして刺さっていることが幸せであると思えるのだ。今一度自分という人間と向き合わされて、それを肯定してくれるような感覚だった、CRYAMYのワンマンツアーファイナルだった。
1.マリア
2.ビネガー
3.crybaby
4.戦争
5.Pink
6.スカマ
7.変身
8.sonic pop
9.HAVEN
10.ディレイ
11.くらし
12.悲しいロック
13.正常位
14.ギロチン
15.E.B.T.R
16.ALISA
17.兄弟
18.物臭
19.待月
20.WASTAR
encore
21.まほろば
22.鼻で笑うぜ
23.普通
encore2
24.テリトリアル
25.世界
近年の若手バンドの中で最もそう感じさせてくれる存在であるのがCRYAMYであり、ツアータイトルはかつてyonigeもワンマンツアーで掲げていたものであるのだが、新作EP「#4」をリリースしたタイミングでのワンマンツアーのファイナルは東京キネマ倶楽部という、これまでの本拠地と言える、下北沢などのライブハウスとはまた少し違う雰囲気の会場。コロナ禍になる直前のイベント(2020年の2月だったので、本当にライブがなくなる寸前)で観た時には観客はもちろん、メンバーたちも自分たちの後に出ていたPK Shampooのライブでステージからダイブしまくっていたあの熱狂や衝動はコロナ禍の中でどこへ向かうのだろうか。それを確かめるべく、初のワンマン参加である。
ステージ背面には大きなバンドロゴが飾られているものの、やはりこのライブハウスとはまた少し違う会場とはいえ簡素なステージであるというのは予想通りの中、18時過ぎに場内が暗転すると、SEも何もなしにメンバー4人が登場。フジタレイ(ギター)のオレンジ色の服に鮮やかな金髪が目立つ中、中央で出てきた瞬間からオーラを放ちまくっているカワノ(ボーカル&ギター)は白いシャツを黒のパンツの中にインしているという出で立ちで、長い髪を後ろで結いているオオモリユウト(ドラム)がリズムを刻みはじめ、そこにタカハシコウキのベースが重なり、フジタが確かめるようにギターを鳴らすと、リリースされたばかりの「#4」の1曲目に収録されている「マリア」からスタートし、このバンドならではの、全然何と歌っているのかわからないくらいの荒いサウンドでカワノが歌い始め、フジタのギターは轟音を鳴らす。その上でカワノは最後には
「死ね 死ね」
と喉を張り上げて叫びまくる。観客は腕を上げてその姿や音に応えているが、そのフレーズがただ闇雲に誰かを傷つけるというものではなくて、自分を救ってくれなかった大いなる存在という対象に向けてのものであるからこその切実さがハッキリと場内に溢れてくるからこそ、どこか独特の緊張感に包み込まれていくのがよくわかる。
とはいえワンマンを観るのは実は初めてであり、ましてや7曲入りのEPのリリースツアーであるだけに、果たしてどんな曲をライブで演奏するのだろうかと思っていたら、すでに廃盤になっている自主制作盤収録の「ビネガー」「crybaby」という、CRYAMYのど真ん中というイメージの強い轟音ギターロックが続けて演奏されたことによって、もうこれはこの日はこうしてどんな曲が演奏されてもおかしくないんだなということがわかる。カポタストを付けて耳を劈くような轟音から独特なリフまでをも変幻自在に鳴らすフジタは長い金髪を振り乱しながらギターを弾きまくるのが実に絵になる。
そんな中で耳を惹くのはブルーハーツの名曲「1000のバイオリン」のタイトルが歌詞に盛り込まれた「戦争」。昨年リリースされた初のフルアルバム「CRYAMY -red album-」にて完成形を見る前にもシングルに「cheap ver.」という途中形態が収録されたりしてきたが、こうしてバンドとしてこの曲のアンサンブルが完成してきたこの状況になるにつれて戦争という事象がよりリアルに我々の生活を侵食してきたことによって、曲から喰らうリアリティはさらに増している。決してそれは良いことではないし、カワノもバンドもそうしたことが起きないことを願っているけれど、どこか時代と共鳴してしまうというあたりにCRYAMYが選ばれたバンドとしての業を背負っていると感じざるを得ない。
決して派手な演出はないとはいえ、そこはやはりライブハウスとはまた違う、様々なアーティストがいろんな使い方をしてきた、昭和の匂いが残る(元々はキャバレーであった)キネマ倶楽部であり、曲に合わせた照明の見事な切り替わりっぷりは「Pink」のタイトルに合わせた色にメンバーが照らされるというあたりからも感じられるのだが、新作収録の「スカマ」ではその妖しいサウンドに合わせて赤、青、その2色が混じった紫などの照明が明滅していくのだが、ここまでも「献身」という言葉がこんなに似合うかというくらいに、派手さは一切ないけれど堅実なベースとコーラスで演奏をしっかり支えているタカハシだけではなく、フジタのコーラスまでも重なることによって曲の持つその妖しさがさらに際立っている。
さらには「変身」「sonic pop」という轟音の限りを尽くすような曲でカワノもその喉が心配になるくらいに叫びまくりながら歌うのであるが、ここまで一切の曲間もなく、オオモリが曲と曲を繋げるようにリズムを刻んでいたのだが、ここでチューニングの時間が設けられるものの、メンバーは一言も喋らず、その緊張感によって観客も拍手すらできないという異様な雰囲気になっている。
そんな中で轟音からガラッと切り替わるように「HAVEN」が演奏されると、その穏やかと言ってもいいようなサウンドになることによって、カワノのボーカルも歌詞をしっかりと聞き取れるようになるのだが、そうしてボーカルがしっかり聴き取れるからこそわかるのはCRYAMYというバンドの持つメロディの美しさである。それは轟音サウンドの中でも感じられるものではあるのだが、それが削ぎ落とされたことによって「ディレイ」「くらし」という曲のメロディの美しさに浸ることができるのだ。もちろん、ただ爆音、轟音を鳴らすだけのバンドだったらこんな会場でできるような存在にはならないのだけれど。
そのメロディとともにこうした曲で際立つのが、カワノにしか書けないというか、カワノの人間性がそのまま言葉になったかのような歌詞であり、
「朝起きれない」「クレジット持ってない」「多分IQとか低いと思う」
という、カワノの欠損した人間をそのまま歌う「悲しいロック」での
「やり直したい」
というリフレインが繰り返されるごとにカワノの歌唱は激しさを増していく。それがその人生をやり直したいという悲痛な叫びにこれ以上ないくらいの説得力を持たせていくのだが、今やクレジットを持っているし、朝も毎日すぐに起きることができるようになっても、こうした歌詞が自分そのものを歌っているんじゃないかと思ってしまうくらいに響いてしまう。それはきっとこの日この会場にいた人の1人1人もそう思っていたんじゃないか、というよりもCRYAMYのライブにはそうした人が集まっているんだろうなと思う。代弁者というわけではないけれど、カワノが自分の抱えている思いを音として、表現として昇華してくれているというような。
そのまま曲と曲を繋げるようにして、光に包まれるような真っ白な照明の中で演奏された「正常位」を聴いていると、でもそんな人生こそが、生活こそが正常なんじゃないかとすら思えてきてしまう。最新作の曲と過去の曲が繋げられることによってそうした新たな感情や感想を過去の曲に抱くことができるのである。
さらに「ギロチン」を挟むことによって曲間により一層観客のリアクションが挟み込めないような空気になっていくのであるが、本当にMCがないことによって駆け抜けるようにというか、ただただ余計なものを挟むことなく、この曲たちを聴くことでバンドの音や歌詞を受け取って、そこから自身の感情に繋げて欲しいというように曲を連発しまくると、後半には「#4」の曲が今回のツアーの主役とばかりにまだ待ち構えている。
オオモリによる重いビートから始まるのがアジカンの某曲を彷彿とさせる「E.B.T.R」はしかしサビになるとどこか切なさを感じさせるのは
「死にてぇなぁ」
という歌詞によるものだけではなく、サウンドとカワノのボーカル全体から漂ってくるものだ。フジタの空間的なサウンドを奏でるギターもそこに一役買っているが、そうした切なさという要素がCRYAMYから漂うフォークの要素も感じさせる。
その「E.B.T.R」と地続きなように感じるのはカワノが曲前に
「誰も傷つけない奴なんているんだろうか
そういう奴はきっと俺のこと見下してんだろうな
生まれた時には俺だって祝福されたはずさ
なのになんでこの手は冷たい 冷たい 心も冷たい」
という曲後半のフレーズを弾き語るように歌い始め、大らかなオオモリのビートからサビではカワノのファルセットボーカルが攻撃性だけではない包み込むような表現力を感じさせ、フジタのギターが泣きのメロディを奏でる「ALISA」。そのカワノの冒頭に追加したフレーズがカワノ自身の本心だったとしても、カワノは心が冷たい人間だとは思わないのは、曲の最後にはまた弾き語り的に私信とも言えるような、大切な人を心配するようなメッセージが込められているからだ。
それは「音楽と人」でのインタビューにおいて、カワノがずっと負い目を感じているという母親に向けた曲であるということが語られていたが、本当に冷たい人間だったらこんな美しい曲は作れないし、こんな歌詞も書けないと思う。自分は音楽は作る人間の人間性が必ず出ると思っているけれど、それはCRYAMYのような、それを感じざるを得ないようなバンドがいるからかもしれない。
そのカワノの歌声にやはりどこか優しさを感じさせるのはギターを掻き鳴らしながら歌い始める「兄弟」で、オオモリがメンバーを見渡しながら呼吸を合わせるようにストップ&ゴーが繰り返されるような跳ねるようなリズムがどこかほんの少しだけではあるけれど、この日初めて「楽しいかもしれない」という感覚を感じさせてくれる。音楽に人間性が出るというのはこの曲などでのオオモリとタカハシの派手ではないけれど、この2人じゃないとこのバンドのリズム隊は絶対務まらないだろうなと思うような演奏もまた然りである。この全く喋るような気配すら見えない2人がリズム隊じゃなくて、もっと主張の強いメンバーがいたらこのバンドはとっくに瓦解していただろうなと思うくらいに。
そして今でもYouTubeで聴くことができる初期の「物臭」へと繋がっていくのだが、曲の轟音っぷりはさすがこのツアーを回ってきた、ずっとこの曲を演奏してきたことだけあって、フルアルバムに再録された曲たちのようにこの曲も、と思うのだけれど、
「誰かに言うような劇的なことはないし」
という歌詞と、メロディのキャッチーさはこの時点ですでに今に至るまでのCRYAMYの原型は出来上がっていたんだなと思う。
するとイントロでキメを打つかのように轟音が溢れる「待月」は「#4」の最後に収録されている曲であり、
「優しいあなたを守ってあげる」
というカワノのボーカルとその後の言葉にならない絶唱はやはりカワノという男が潜在的に持つ優しさを強く持った人間性を感じさせるものであるし、この「#4」が女性をテーマにした作品であるということを感じさせてくれるような曲でもある。
するとここまでは全くMCをしなかったカワノが最後に、
「ステージに立っている時は俺は自分を天使だと思ってる。これまでにいろんなバンドがステージに立って「愛してる」って言ってきただろうけど、俺は天使だから目の前にいる人をちゃんと愛してあげないといけない」
と、ビックリするくらいにストレートに「愛」という言葉を口にする。しかもその対象がこうして目の前にいる我々1人1人であると。その言葉の後に演奏された「WASTAR」は「#4」の中でMVが作られた曲であるが、轟音ではあるけれどキャッチーさを決して失うことはないサウンドに乗せてカワノが
「当たり前に愛してるよ」
「あなたといれて嬉しいからだ」
と歌う。それは本当に言葉と音楽と精神が全て完璧に一致したからこそ歌える、こんなにも響くものであった。優しくなったんじゃない、元から持っていた優しさを素直に出せるようになった。それはこれまでにライブで見てきた景色や出会ってきた人たちによって引き出されたものなのだろうと思うし、そうした状態になったCRYAMYがこれからどんな曲を生み出していくのかがより楽しみになったのだ。
だけど、CRYAMYはサブスクに曲をあげていない。だからCDを買わないと全ての曲を聴くことはできない。サブスクを解禁しないことによってたくさんの人に聞かれるチャンスを逃している、と言われることもある。確かにそれはそのとおりかもしれないが、CRYAMYの音楽はそんなに気軽に手を出したりするようなタイプのものでもないとも思う。
「ちょっと聴いてみるか」くらいの軽さで聴いてみて「音がうるさいから聴くのやめた」みたいに思われるくらいならそもそも手を出さなくていいとも思うし、そこには誰でも彼でもに言うのではなくて、こうして目の前にいてくれる人に向けて「愛してる」と歌うことを決めたバンドとしての選択だ。その「当たり前に愛してる」は、本当にこの音楽を必要としている人のための言葉であり、歌詞なのだ。もっと広いところに広がらなかったとしても、もっと深いところまで刺さるような人は必ずいる。そんな人だけがここに、各地のツアー会場にいたのだ。
アンコールではフジタが長い髪を結いてステージに出てくると、どこからか赤ん坊の声が響いて緊張感が和らぐ中、カワノは何度も自身の前髪や横の髪をかき上げながら、
「もちろん今までがあってのこのツアー、今日なんだけど、往々にしてこういう音を鳴らしてるバンドっちゅうのは暴力性とか、尖ってるみたいな感じに言われることが多いし、俺たちもそうだと思うんだけど、さっきも言ったとおりに俺はこれからはそういうものじゃなくて、ちゃんと目の前にいる人に「愛してる」ってことを伝えていきたいと思ってる。だから俺はこのツアーでは始める前に「初めまして」って必ず言ってるんだけど、それは今までに会ってきた、見てきた俺とは違うからそう言っている」
と、明らかに変わったというか、自身の内面や表現したいことが変化してきたことを語る。それも「音楽と人」でのインタビューで話していたとおりに、自分たちのライブに来てくれているのが自分のような人間ばかりだとカワノはわかっているからだ。だから自分を愛することと同じように、目の前にいる人を愛する。それはそのまま目の前にいる人と自分自身を今まで以上に信じられるようになったということだ。
その言葉の後だからこそ、もはや言葉足らずとは思えない「まほろば」でさらに吹っ切れたように轟音のロックサウンドを鳴らすと、観客もその想いに応えるかのように本編以上にたくさんの腕が上がる。ああ、きっとコロナ禍じゃなかったらたくさんステージの方へ転がっていく人の姿が見れたんだろうなと思うくらいの衝動がそこには溢れていたし、それをカワノの咆哮のごとき歌唱がさらに加速させていく。
さらには「悲しいロック」に連なるような、轟音だけどキャッチーかつポップなメロディの上で自虐というか自嘲のようなどうしようもなくダメな自分自身へ向けられた歌詞がリズミカルに歌われる「鼻で笑うぜ」での
「でもね、君がそばに居て良かったって思うよ」
「でもね、君が生きていて良かったって思うよ」
のフレーズはやはり先ほどの言葉があるからこそより一層実感を増して聞こえてくるし、このバンドがこう歌ってくれていることによって救われている人だってたくさんいるはずだ。
それはコロナ禍になって「音楽は不要不急だ」みたいなことを言われまくった時のどうしようもない嫌悪感をも思い出させるのは、もし本当に音楽が不要だとしたら、この音楽に救われている人や、何よりもどう考えても音楽をやっていなかったらこの世の中を無事に生きていけるとは思えないカワノのような人が生きていけなくなってしまうじゃないか、と思ったからだ。それで生きている人がいる限りは不要なんかじゃないし、それでないと生きていくことができない人がいるということを、この曲やCRYAMYの音楽を聴いていると強く感じる。だからこそ、コロナ禍になっても小さいライブハウスでCRYAMYがかなり早い段階からライブを再開したのは必然だなとも思っていた。それをわかっているバンドだから。そんな、君が生きていて良かったって思うよ。
そんなライブのトドメにフジタがNirvana直系と言ってもいいグランジ炸裂なギターを弾く「普通」ではタカハシも珍しくマイクの前から離れるくらいに激しく体を動かしながらベースを弾き、カワノはリズミカルなボーカルを聴かせたと思ったら、アウトロをまだバンドが演奏している最中にギターを下ろしてステージから去っていく。そのグダグダしないでスパッと終わる様が強い余韻を残してくれるとともに、実にCRYAMYらしいなと思った。
しかしそれでもまだアンコールを求める手拍子が止むことはなく、オオモリがその手拍子に応えて最初にステージに戻ってきてドラムを叩き始めると、そこにタカハシが出てきてベースを、髪をほどいたフジタが出てきてギターを、そしてカワノが出てきてやはりギターを重ねるのだが、音を鳴らしながらカワノがタカハシとフジタに何やら耳打ちすると、3人で声を重ねるようにコーラスをしてから「テリトリアル」へと繋がっていくというライブだからこそのセッション性の強いパフォーマンスを見せてくれるのだが、それは轟音で覆い尽くすだけではないCRYAMYのプレイヤビリティの高さを感じさせてくれるものだ。それが初期からの代表曲である「テリトリアル」で発揮されることによって、より「やっぱりこれだ!」と思えるようになる。だからこそもうかなり長い時間のライブになっていても、曲が進むにつれて腕を振り上げる人の数は増えていく。それはカワノの
「もう傷まなくていい 傷まなくていい」
という言葉に反応したものなのかもしれない。
そしてラストの「世界」もやはりそうしたセッション的な演奏を挟んだ、ライブならではの長尺なものになっているのだが、その演奏をしている時のメンバーの動きの激しさとともに、わずかではあるが確かな微笑みを見て取れる表情は、全く喋らないがゆえに本心があまり読み取れないカワノ以外の3人が、こうしてこのバンドでライブをやっていることを心から楽しんでいるように感じることができた。それが観客へも確かに伝わることによって、より腕に力を込めて振り上げることができる。
他のライブに来た時のような楽しいという感覚や連帯感のようなものは1ミリ足りともないし、なんなら自身の人間性を深層から引っ張り出して暴かれるようでもあるけれど、バンドの轟音とカワノの叫びはこのバンドの音が響いてしまう、その引っ張り出された人間性に光を当ててくれるかのようだった。
「誰にも愛されなくたって あなたが生きててほしい
あなたが」
と歌うこのバンドのボーカリストが、確かに我々1人1人のことを愛してくれている。そう思えることが生きる力に繋がっていく。狙って作った感動では全くないけれど、でもやっぱり感動してしまったのは、やっぱり自分は何歳になってもCRYAMYの音楽が刺さって抜けないような人間だからなんだろうなと思った。
きっと、こうした音楽が刺さらないどころか、聴いても何も感じないような人の方が、いわゆる普通の人としての幸せを手にすることができるんだろうなと思ったりもする。でもそうした普通の人にとっての幸せを求めていないような人だからこそ、この音楽がこんなにも深い部分にまで刺さってしまうし、そうして刺さっていることが幸せであると思えるのだ。今一度自分という人間と向き合わされて、それを肯定してくれるような感覚だった、CRYAMYのワンマンツアーファイナルだった。
1.マリア
2.ビネガー
3.crybaby
4.戦争
5.Pink
6.スカマ
7.変身
8.sonic pop
9.HAVEN
10.ディレイ
11.くらし
12.悲しいロック
13.正常位
14.ギロチン
15.E.B.T.R
16.ALISA
17.兄弟
18.物臭
19.待月
20.WASTAR
encore
21.まほろば
22.鼻で笑うぜ
23.普通
encore2
24.テリトリアル
25.世界