ZION ((((Where is ZION ?)))) @WWW X 6/6
- 2022/06/07
- 19:37
最後にNICO Touches the Wallsのライブを観たのは実質的なラストライブとなってしまった、2019年のSWEET LOVE SHOWER。
バンドの解散以降にゲリラ的に行われていた、光村龍哉の弾き語りライブは観れていないので、終わってしまったことはもうわかっているのだが、それでもメンバーのバンド終了後のアクションを見ていない自分にとっては、まだNICOはちょっとライブ観れていない期間なだけ、という感じでもあった。
しかしながら光村は北海道に拠点を移し、新バンドZIONを結成。(そのあたりの経緯は元[Alexandros]の庄村聡泰との対談に詳しい)
そのZIONの初ライブがこの日のWWW X。光村がまた歌う姿が見れるのは嬉しいけれど、見たら本当に自分にとってNICOは終わったものになってしまう。本当に大好きな、一緒に年齢を重ねてきたし、これからもそうして生きていけると思っていたバンドだっただけに、どこかこれは覚悟が問われるライブでもある。本当にNICOが終わってしまった事実と向き合えるか?という。
対談で話に出ていたように、この日は物販をサトヤスが売り子として販売しており、その影響もあってか、これ並んでたらライブ開演に絶対間に合わないなという時間になってしまったので先に買うのを諦めて場内へ。まだ物販に並んでいる人もいるからか、チケット即完とはいえ、客席の後ろの方は19時を過ぎてもまだ少し空きがある状況になっている。
そんな状況なこともあってか、開演はかなり押して、多分19時20分くらいになってもまだ始まっていなかったように思うのだが、そのくらいになると物販がある程度目処がついたのか、客席は完全に埋まっているというか、これ観客入れ過ぎじゃない?ってくらいにすらなっている。
するとようやく場内が暗転して、1人、また1人と順番にメンバーがステージに入ってくる。一応YouTubeに公開された曲の映像の中にメンバーのクレジットは記載されているけれども、ギター2人がこの時点ではどちらがどちらなのか我々はわからないけれども、ZIONはそのギター2人、下手にベース、上手にドラムという4人が光村の周りを囲むようにセッティングされている。
そのメンバーたちが小さな音からゆっくりと演奏を開始していく。まだステージは薄暗いまま。その音が少しずつ大きくなっていくにつれて、ステージ上も明るくなっていく。そして光が射し込むようにメンバーの姿が見えるようになると、ステージ中央には対談や公開された映像と同じように髪の長さ自体はかなりさっぱりとしているが、金髪混じりの色になった光村の姿が。光村もギターを弾くことによってトリプルギターという分厚いサウンドになるのだが、そのギターのサウンドは歪ませたりするというロックサウンドというよりは、単音を重ねたりすることによってそれぞれの音がハッキリと聴こえるようになるというようなものだ。
それぞれの鳴らす音が徐々に大きくなってくると、佐藤慎之助のベースの音がグルーヴを生み出す、どこか近年のアメリカのR&B的な要素も取り入れた(完全にそういう音楽ではない)ロックバンドのサウンドへと発展していき、ついに光村が歌い始める。その一音発しただけで誰のものかわかる声。バンドが変わっても、周りのメンバーが変わっても、音楽性が変わったとしても変わらない光村の声だ。それがまた目の前で発せられているのを聴くことができている。陳腐な言い方になるかもしれないが、なんだか夢を見ているかのような、ふわふわとした感じだった。まだこの目の前の光景を現実のものとして受け入れることができていないというか。
それは自分が光村を見てきた時はほぼ100%ステージにはあの3人がいたからである。ソロでやろうと思えばいくらでもやれる機会も資質もあっただろうに、あくまであの4人のバンドであり続けていた光村の周りにいた3人が。そんな過去の自分に向けての歌詞なのかもしれないと思うように、ベースの低音がグルーヴしまくる曲の上で光村は
「もう頑張らなくていい」
というフレーズを歌っていたのが印象的だった。
「ようこそ!」
と光村は挨拶しながらも、そんな初めてライブで聴いたZIONの曲は、やはりNICO時代の、いわゆるギターロック的なサウンドとは全く違うものだなというのが第一印象であるが、とはいえまだこの時点では1曲目である。基本的には全曲新曲であり、何曲やるのかもわからないだけに、どうなるのかまだまだ全くわからない。
そんな中での2曲目は、北海道で製作されたということが俄には信じがたいような、
「太陽」
などのフレーズが登場することで光村も天井の方を見上げながら歌う、どこか湘南あたりの景色を想起させるようなサーフロックと言ってもいい曲だ。もしかしたらこの曲はまだ拠点を北海道に移す前に作られた曲なのかもしれないとも思う。そんな曲にコーラスを重ねるメインは佐藤と、佐藤と光村の間にいる、ギターだけでなくキーボードも弾く、どこか見取り図の盛山を彷彿とさせるワイルドな風貌の櫛野啓介。北海道出身であり、バンドの拠点を北海道にすることを提案した男である。
そんな中での3曲目は入りから光村が変幻自在のスキャットを繰り返すのであるが、その姿は確かにNICO時代にもこうしてスキャットをしては、時には我々にコール&レスポンスをさせるというような無茶苦茶な、誰がついていけるんだあなたのボーカルに、と思うようなこともあったなってことを思い出す。そのスキャットの締めで光村が声を張り上げたのを聴いて、光村のボーカルはライブをやらない期間が長くても全く衰えたり錆びることはなかったんだなと思えた。それが本当に嬉しかったのだが、やはりそのスキャットから入るバンドサウンドはグルーヴィーなバンドサウンドのものであり、それはかつてあの4人だからNICOの音楽になっていたのと同じように、この5人で自分たちの拠点で練り上げてきたからこうしたサウンドになっているんだろうなと思う。
そんな曲たちにもNICOの数々の名曲を生み出してきた光村のメロディメーカーっぷりが感じられる部分はあるのだが、それを最も感じさせてくれるのは
「恋は幻」
というフレーズが印象的なバラードと言っていいタイプの曲で、この曲は最もJ-POPやJ-ROCKの要素が強いというか、メロディと歌だけで「良い曲だ」と思わせられるような曲だと言えるだろう。そうした曲があるというのもまた本当に嬉しいのは、光村のメロディメーカーとしての力をずっと信じてNICOを聴いていたからだ。そんな自分をはじめとしたたくさんの人が光村に抱いていた想いから避けることなく、その力をフルに発揮する曲も作っている。それはそのままZIONの音楽性の幅広さにつながっていくものになるんだろうと思う。
すると一転して上手側の帽子を被った長髪ギタリストの吉澤幸男がドラムスティックを持ってパーカッションをイントロから叩くという、ブルースでありながらもサイケデリックみたいな長尺の曲へと突入していく。そのドラマー以外がパーカッションを叩くというのもまた、かつてNICOのライブで古村と坂倉がフロアタムを連打したりするというライブアレンジを施していたことを思い出す。今では、ZIONではそれを「ライブならではのアレンジ」ではなくてそもそもそういう曲として生み出しているというのが、今光村は本当に自身が頭で思い描くものを純度100%のままで曲に落とし込んでいて、それが一緒にいるメンバーが演奏することによって形になっているということである。それがNICOとはやっぱり決定的に違うんだろうなと思う部分でもあるが。
そんなことを思っているとメンバーたちが次々にステージから捌けていき、光村と櫛野だけになり、光村がアコギを弾きながらセンターマイクを分け合う漫才コンビのような形で櫛野がコーラスを重ねるというアコースティックな曲も披露される。それはやはり形としてもメロディと歌だけという至極シンプルなものであり、今後どういったアレンジが施されるのかまだわからない状態のものであるのだが、かつてNICOが河口湖ステラシアターで行ったライブでも光村は対馬と2人でこの形でのアレンジで演奏したことがあった。きっと今の光村にとって対馬的な、コーラスが上手くてアレンジを考える際に最も頼りになる存在が櫛野なんだろうなと思うし、もしかしたらこの曲はZIONの始まり的な曲なのかもしれないとも思った。櫛野と2人で曲を作って、それが5人でのバンドに発展していったというような。
するとここでキーボードの音も使った、個人的にはライブのオープニング曲として演奏されるのかと思っていた、先行公開されたインスト曲「Innipi(N)」が演奏されるのだが、なんだか映像で見た時よりもスッと演奏されたというか、整理されてスッキリとした形になったかのようなイメージだ。
その「Innipi(N)」とともに公開されていた「Hurricane」ではイントロで長い髪を結いている姿が昔のサトヤスを彷彿とさせるドラマーの鳴橋大地がデジタルドラムを連打するという意外な形の入り方になっているのであるが、この曲が先に公開されたというのは最もこのバンドの入り口にふさわしいという思いもあったんじゃないかと思うような、音数自体はかなり絞られているのだが、この日演奏された曲の中では最もNICOがやっていてもおかしくなかったんじゃないかと思うようなロックソングであるのだが、
「流されたくないよ 諦めたくないよ」
という歌詞も、何よりもサビで一気に視界が開けていくかのようなメロディに乗せて
「まだ歌っていたいよ」
と光村が高らかに歌い上げる歌詞も、きっと今このバンドじゃなきゃ歌えないものだっただろうと思うし、曲が公開された時に光村がこの歌詞を歌っているのを聴いて涙ぐんでしまった人もたくさんいると思う。もちろん自分もその中の1人であるのだが、こうやって光村はまた歌うことを選んで、歌を届けるための場所に戻ってきたのだ。新しいバンドのライブを初めて観た時にこんなに感動することってあるだろうかと思うくらいに感動してしまっていたし、やっぱりどれだけ聴けない、会えない期間が長くなっても忘れることもなければ、他の音楽やバンドで埋まるものでもなかった。光村が歌うのを聴くことによって埋まる穴が自分の中に確かに空いていたのだということが本当によく分かった。
それでもまだライブは終わらず、このZIONという5人でのバンドのグルーヴの極地というような、この日最もロックな曲へと展開していくのだが、やはりそれも歪んだ音で一発ドーンと鳴らすというロックさというよりは5人で練り上げて高まらせて爆発させるというような、ライブだからこそ真価を発揮するようなタイプのロックさ。セッション的な側面も強いのかもしれないが、やはり今光村はこの5人での、ZIONとしてのロックを鳴らそうとしている。それはもしかしたら一聴してわかりやすいものではないかもしれないけれど、そういうことよりもこの5人でやることに意味を持たせているというような。
そして「Innipi(N)」にも通じるような神聖な雰囲気のイントロでメンバーがゴスペル的と言っていいくらいにコーラスを重ねていくという、どこかこの音楽は北海道の自然の中だからこそ生まれたんだろうなと思うようなサウンドの曲では削ぎ落とされた、時にはほぼドラムのリズムのみで進行していくような部分すらあるのだが、最初は聴き取れなかったメンバー全員がリフレインするフレーズが、最後に光村が1人で思いっきり声を張り上げるように歌うことで、
「Here comes sun and joy」
と歌っているということがわかるのだが、その光村の歌声の素晴らしい伸びやかさは、我々がずっと今のシーンの中でもトップクラスに素晴らしいシンガーなんだと信じてきた光村の力が今も全く変わっていないというか、この音楽、このバンドだからこそよりそれを感じさせてくれるものとして戻ってきたのだ。今まで何度となく「なんて素晴らしい歌声だろうか」と思ってきたライブの光景を思い出したりして、この日に至るまでのいろんなものが溢れ出してきた。
もうNICOのライブが見れないのはやっぱり寂しいけれど、でもこうして光村がまた歌っているのを見ることができている。ただ歌っているだけじゃなくて、我々の心を震わせるような歌を歌うボーカリストとして戻ってきたのだ。きっとこれからもずっとこうして光村の歌を聴くことができる。その想いがまた現実のものになったことが何よりも嬉しかったのだ。
アンコールでは真っ先にステージに出てきたのは佐藤であり、本編でもMCというか、
「全曲新曲という状況の中で観に来ていただいて…」
というようなことを話していたこの男がこれからのZIONのMC担当になるのかもしれないとも思うのだが、明らかに人前で喋るのに慣れていない感じの佐藤は事前に紙に書いてきたことを喋るという形で、まだほとんどの人がよく知らないメンバー紹介をしながら各メンバーをステージに招く。その際に「北の国から」のBGMが流れるというのは北海道を拠点にしているこのバンドならではの遊び心だろうけれど、光村を2人目に呼び込んだり、基本的に全員
「お茶目でよく喋る」
と評されるなど、光村主導というよりはあくまでこの5人でZIONというバンドであるということがそこからも伝わってくる。鳴橋だけは
「ZIONの中で1番真面目で誠実だけど、寝言がめちゃうるさい」
と言われていたのは面白かったが、演奏中にはそんな感じはしなかったのだが、喋っている姿を見ていると佐藤はまだかなり若そうにも見える。
「リリースして全国ツアーもしたいですし、北海道の僕らのスタジオに皆さんを招いてライブをするっていうのがまかり通るバンドでありたい」
とZIONなりの活動姿勢を口にしていた佐藤自身もこれからこのバンドでどう進化していくのだろうか。
光村は流れも何もあったもんじゃないという本編を
「ジェットコースターはどうだった?(笑)」
と秀逸に喩えると、自身はアコギを弾きながら最後の曲を歌い始める。ギター2人が光村の後ろで向かい合いながら演奏するというパッションを迸らせるような演奏で、吉澤は帽子が落ちるくらいに激しく体を揺さぶりながらギターを弾くという、おおらかかつたおやかでありながらもロックさを感じるこの曲はしかし、「手をたたけ」や「夏の大三角形」「ホログラム」「バイシクル」のような、一聴してわかるようなアンセム的なタイプの曲や音楽では全くない。
そういう音楽にはならないということは、あの曲たちはやっぱりあの4人だったからこそ、NICO Touches the Wallsだったからこそ生まれた曲だったのである。だからもうああいう曲は生まれないだろうし、むしろああいう音楽をやるんならば、NICOを終わらせなくてもよかったじゃないかと我々は絶対に思ってしまう。
だからNICOとは全く違う、この5人だからこういう音楽になっているんだろうなというのがわかる音楽を鳴らしていて、安心した自分もいた。もしかしたらこれから先にZIONが作る曲が自分の好みとは違ったものになる可能性だってある。でも光村はあくまでバンドとして、メンバーと一緒に、そのメンバーと一緒じゃないと作れない音楽を作るということを変わらずに選んだ。そこはNICOの時からずっと変わることがない光村らしさであるし、演奏後に手を繋いで一礼する光村の、メンバーの表情を見て、こんなに楽しそうに音楽をやることができている光村の姿を見ることができて本当に幸せだと思った。
NICOが活動を終了した後、青春が終わったかのようにロックバンドやロックシーンから離れていった人もきっとたくさんいる。それは致し方がない。それくらいにその人にとってNICOの存在が大きかったということだけど、この日、ZIONのライブで本当に久しぶりにロックバンドのライブを観にライブハウスに来たっていう人もいるはず。そういう人たちがかつてライブ会場で会っていたNICO仲間たちとまた会うことができる機会はきっともうZIONのライブくらいしかない。その場があることもまた嬉しいし、それもまた光村が我々の前に戻ってきてくれたからだ。
これから先、ZIONがどういう活動をしていくのかはまだ全く未知数だけれど、かつてNICOの後期には「運営をやらせて欲しい」とファンの方々が揃って口にするくらいに、メジャーシーンの大きなフィールドで広がっていくための活動や宣伝が、NICO以降に出てきた後輩バンドたちに比べたら本当に下手なバンドだった。だからこそ我々は焦ったいような思いも抱いていたのだけど、きっとそう思わなくてもいいような場所でこれからは生きていくのだと思う。
だからこそそうしたことを考えないで、今はただただ光村がまた我々の前に帰ってきたこと、これからもずっと光村が歌い続ける姿を見続けることができるであろう喜びを噛み締めていたい。
自分が初めて聴いたNICOの曲の中で(もう17年くらい前の話だ)、光村は
「お前は今どこにいる?」
と歌っていた。この日の「Where is ZION ?」というライブタイトルは少なからずそのフレーズを意識したものであるはずだけど、光村は、今も我々の目の前にいる。
バンドの解散以降にゲリラ的に行われていた、光村龍哉の弾き語りライブは観れていないので、終わってしまったことはもうわかっているのだが、それでもメンバーのバンド終了後のアクションを見ていない自分にとっては、まだNICOはちょっとライブ観れていない期間なだけ、という感じでもあった。
しかしながら光村は北海道に拠点を移し、新バンドZIONを結成。(そのあたりの経緯は元[Alexandros]の庄村聡泰との対談に詳しい)
そのZIONの初ライブがこの日のWWW X。光村がまた歌う姿が見れるのは嬉しいけれど、見たら本当に自分にとってNICOは終わったものになってしまう。本当に大好きな、一緒に年齢を重ねてきたし、これからもそうして生きていけると思っていたバンドだっただけに、どこかこれは覚悟が問われるライブでもある。本当にNICOが終わってしまった事実と向き合えるか?という。
対談で話に出ていたように、この日は物販をサトヤスが売り子として販売しており、その影響もあってか、これ並んでたらライブ開演に絶対間に合わないなという時間になってしまったので先に買うのを諦めて場内へ。まだ物販に並んでいる人もいるからか、チケット即完とはいえ、客席の後ろの方は19時を過ぎてもまだ少し空きがある状況になっている。
そんな状況なこともあってか、開演はかなり押して、多分19時20分くらいになってもまだ始まっていなかったように思うのだが、そのくらいになると物販がある程度目処がついたのか、客席は完全に埋まっているというか、これ観客入れ過ぎじゃない?ってくらいにすらなっている。
するとようやく場内が暗転して、1人、また1人と順番にメンバーがステージに入ってくる。一応YouTubeに公開された曲の映像の中にメンバーのクレジットは記載されているけれども、ギター2人がこの時点ではどちらがどちらなのか我々はわからないけれども、ZIONはそのギター2人、下手にベース、上手にドラムという4人が光村の周りを囲むようにセッティングされている。
そのメンバーたちが小さな音からゆっくりと演奏を開始していく。まだステージは薄暗いまま。その音が少しずつ大きくなっていくにつれて、ステージ上も明るくなっていく。そして光が射し込むようにメンバーの姿が見えるようになると、ステージ中央には対談や公開された映像と同じように髪の長さ自体はかなりさっぱりとしているが、金髪混じりの色になった光村の姿が。光村もギターを弾くことによってトリプルギターという分厚いサウンドになるのだが、そのギターのサウンドは歪ませたりするというロックサウンドというよりは、単音を重ねたりすることによってそれぞれの音がハッキリと聴こえるようになるというようなものだ。
それぞれの鳴らす音が徐々に大きくなってくると、佐藤慎之助のベースの音がグルーヴを生み出す、どこか近年のアメリカのR&B的な要素も取り入れた(完全にそういう音楽ではない)ロックバンドのサウンドへと発展していき、ついに光村が歌い始める。その一音発しただけで誰のものかわかる声。バンドが変わっても、周りのメンバーが変わっても、音楽性が変わったとしても変わらない光村の声だ。それがまた目の前で発せられているのを聴くことができている。陳腐な言い方になるかもしれないが、なんだか夢を見ているかのような、ふわふわとした感じだった。まだこの目の前の光景を現実のものとして受け入れることができていないというか。
それは自分が光村を見てきた時はほぼ100%ステージにはあの3人がいたからである。ソロでやろうと思えばいくらでもやれる機会も資質もあっただろうに、あくまであの4人のバンドであり続けていた光村の周りにいた3人が。そんな過去の自分に向けての歌詞なのかもしれないと思うように、ベースの低音がグルーヴしまくる曲の上で光村は
「もう頑張らなくていい」
というフレーズを歌っていたのが印象的だった。
「ようこそ!」
と光村は挨拶しながらも、そんな初めてライブで聴いたZIONの曲は、やはりNICO時代の、いわゆるギターロック的なサウンドとは全く違うものだなというのが第一印象であるが、とはいえまだこの時点では1曲目である。基本的には全曲新曲であり、何曲やるのかもわからないだけに、どうなるのかまだまだ全くわからない。
そんな中での2曲目は、北海道で製作されたということが俄には信じがたいような、
「太陽」
などのフレーズが登場することで光村も天井の方を見上げながら歌う、どこか湘南あたりの景色を想起させるようなサーフロックと言ってもいい曲だ。もしかしたらこの曲はまだ拠点を北海道に移す前に作られた曲なのかもしれないとも思う。そんな曲にコーラスを重ねるメインは佐藤と、佐藤と光村の間にいる、ギターだけでなくキーボードも弾く、どこか見取り図の盛山を彷彿とさせるワイルドな風貌の櫛野啓介。北海道出身であり、バンドの拠点を北海道にすることを提案した男である。
そんな中での3曲目は入りから光村が変幻自在のスキャットを繰り返すのであるが、その姿は確かにNICO時代にもこうしてスキャットをしては、時には我々にコール&レスポンスをさせるというような無茶苦茶な、誰がついていけるんだあなたのボーカルに、と思うようなこともあったなってことを思い出す。そのスキャットの締めで光村が声を張り上げたのを聴いて、光村のボーカルはライブをやらない期間が長くても全く衰えたり錆びることはなかったんだなと思えた。それが本当に嬉しかったのだが、やはりそのスキャットから入るバンドサウンドはグルーヴィーなバンドサウンドのものであり、それはかつてあの4人だからNICOの音楽になっていたのと同じように、この5人で自分たちの拠点で練り上げてきたからこうしたサウンドになっているんだろうなと思う。
そんな曲たちにもNICOの数々の名曲を生み出してきた光村のメロディメーカーっぷりが感じられる部分はあるのだが、それを最も感じさせてくれるのは
「恋は幻」
というフレーズが印象的なバラードと言っていいタイプの曲で、この曲は最もJ-POPやJ-ROCKの要素が強いというか、メロディと歌だけで「良い曲だ」と思わせられるような曲だと言えるだろう。そうした曲があるというのもまた本当に嬉しいのは、光村のメロディメーカーとしての力をずっと信じてNICOを聴いていたからだ。そんな自分をはじめとしたたくさんの人が光村に抱いていた想いから避けることなく、その力をフルに発揮する曲も作っている。それはそのままZIONの音楽性の幅広さにつながっていくものになるんだろうと思う。
すると一転して上手側の帽子を被った長髪ギタリストの吉澤幸男がドラムスティックを持ってパーカッションをイントロから叩くという、ブルースでありながらもサイケデリックみたいな長尺の曲へと突入していく。そのドラマー以外がパーカッションを叩くというのもまた、かつてNICOのライブで古村と坂倉がフロアタムを連打したりするというライブアレンジを施していたことを思い出す。今では、ZIONではそれを「ライブならではのアレンジ」ではなくてそもそもそういう曲として生み出しているというのが、今光村は本当に自身が頭で思い描くものを純度100%のままで曲に落とし込んでいて、それが一緒にいるメンバーが演奏することによって形になっているということである。それがNICOとはやっぱり決定的に違うんだろうなと思う部分でもあるが。
そんなことを思っているとメンバーたちが次々にステージから捌けていき、光村と櫛野だけになり、光村がアコギを弾きながらセンターマイクを分け合う漫才コンビのような形で櫛野がコーラスを重ねるというアコースティックな曲も披露される。それはやはり形としてもメロディと歌だけという至極シンプルなものであり、今後どういったアレンジが施されるのかまだわからない状態のものであるのだが、かつてNICOが河口湖ステラシアターで行ったライブでも光村は対馬と2人でこの形でのアレンジで演奏したことがあった。きっと今の光村にとって対馬的な、コーラスが上手くてアレンジを考える際に最も頼りになる存在が櫛野なんだろうなと思うし、もしかしたらこの曲はZIONの始まり的な曲なのかもしれないとも思った。櫛野と2人で曲を作って、それが5人でのバンドに発展していったというような。
するとここでキーボードの音も使った、個人的にはライブのオープニング曲として演奏されるのかと思っていた、先行公開されたインスト曲「Innipi(N)」が演奏されるのだが、なんだか映像で見た時よりもスッと演奏されたというか、整理されてスッキリとした形になったかのようなイメージだ。
その「Innipi(N)」とともに公開されていた「Hurricane」ではイントロで長い髪を結いている姿が昔のサトヤスを彷彿とさせるドラマーの鳴橋大地がデジタルドラムを連打するという意外な形の入り方になっているのであるが、この曲が先に公開されたというのは最もこのバンドの入り口にふさわしいという思いもあったんじゃないかと思うような、音数自体はかなり絞られているのだが、この日演奏された曲の中では最もNICOがやっていてもおかしくなかったんじゃないかと思うようなロックソングであるのだが、
「流されたくないよ 諦めたくないよ」
という歌詞も、何よりもサビで一気に視界が開けていくかのようなメロディに乗せて
「まだ歌っていたいよ」
と光村が高らかに歌い上げる歌詞も、きっと今このバンドじゃなきゃ歌えないものだっただろうと思うし、曲が公開された時に光村がこの歌詞を歌っているのを聴いて涙ぐんでしまった人もたくさんいると思う。もちろん自分もその中の1人であるのだが、こうやって光村はまた歌うことを選んで、歌を届けるための場所に戻ってきたのだ。新しいバンドのライブを初めて観た時にこんなに感動することってあるだろうかと思うくらいに感動してしまっていたし、やっぱりどれだけ聴けない、会えない期間が長くなっても忘れることもなければ、他の音楽やバンドで埋まるものでもなかった。光村が歌うのを聴くことによって埋まる穴が自分の中に確かに空いていたのだということが本当によく分かった。
それでもまだライブは終わらず、このZIONという5人でのバンドのグルーヴの極地というような、この日最もロックな曲へと展開していくのだが、やはりそれも歪んだ音で一発ドーンと鳴らすというロックさというよりは5人で練り上げて高まらせて爆発させるというような、ライブだからこそ真価を発揮するようなタイプのロックさ。セッション的な側面も強いのかもしれないが、やはり今光村はこの5人での、ZIONとしてのロックを鳴らそうとしている。それはもしかしたら一聴してわかりやすいものではないかもしれないけれど、そういうことよりもこの5人でやることに意味を持たせているというような。
そして「Innipi(N)」にも通じるような神聖な雰囲気のイントロでメンバーがゴスペル的と言っていいくらいにコーラスを重ねていくという、どこかこの音楽は北海道の自然の中だからこそ生まれたんだろうなと思うようなサウンドの曲では削ぎ落とされた、時にはほぼドラムのリズムのみで進行していくような部分すらあるのだが、最初は聴き取れなかったメンバー全員がリフレインするフレーズが、最後に光村が1人で思いっきり声を張り上げるように歌うことで、
「Here comes sun and joy」
と歌っているということがわかるのだが、その光村の歌声の素晴らしい伸びやかさは、我々がずっと今のシーンの中でもトップクラスに素晴らしいシンガーなんだと信じてきた光村の力が今も全く変わっていないというか、この音楽、このバンドだからこそよりそれを感じさせてくれるものとして戻ってきたのだ。今まで何度となく「なんて素晴らしい歌声だろうか」と思ってきたライブの光景を思い出したりして、この日に至るまでのいろんなものが溢れ出してきた。
もうNICOのライブが見れないのはやっぱり寂しいけれど、でもこうして光村がまた歌っているのを見ることができている。ただ歌っているだけじゃなくて、我々の心を震わせるような歌を歌うボーカリストとして戻ってきたのだ。きっとこれからもずっとこうして光村の歌を聴くことができる。その想いがまた現実のものになったことが何よりも嬉しかったのだ。
アンコールでは真っ先にステージに出てきたのは佐藤であり、本編でもMCというか、
「全曲新曲という状況の中で観に来ていただいて…」
というようなことを話していたこの男がこれからのZIONのMC担当になるのかもしれないとも思うのだが、明らかに人前で喋るのに慣れていない感じの佐藤は事前に紙に書いてきたことを喋るという形で、まだほとんどの人がよく知らないメンバー紹介をしながら各メンバーをステージに招く。その際に「北の国から」のBGMが流れるというのは北海道を拠点にしているこのバンドならではの遊び心だろうけれど、光村を2人目に呼び込んだり、基本的に全員
「お茶目でよく喋る」
と評されるなど、光村主導というよりはあくまでこの5人でZIONというバンドであるということがそこからも伝わってくる。鳴橋だけは
「ZIONの中で1番真面目で誠実だけど、寝言がめちゃうるさい」
と言われていたのは面白かったが、演奏中にはそんな感じはしなかったのだが、喋っている姿を見ていると佐藤はまだかなり若そうにも見える。
「リリースして全国ツアーもしたいですし、北海道の僕らのスタジオに皆さんを招いてライブをするっていうのがまかり通るバンドでありたい」
とZIONなりの活動姿勢を口にしていた佐藤自身もこれからこのバンドでどう進化していくのだろうか。
光村は流れも何もあったもんじゃないという本編を
「ジェットコースターはどうだった?(笑)」
と秀逸に喩えると、自身はアコギを弾きながら最後の曲を歌い始める。ギター2人が光村の後ろで向かい合いながら演奏するというパッションを迸らせるような演奏で、吉澤は帽子が落ちるくらいに激しく体を揺さぶりながらギターを弾くという、おおらかかつたおやかでありながらもロックさを感じるこの曲はしかし、「手をたたけ」や「夏の大三角形」「ホログラム」「バイシクル」のような、一聴してわかるようなアンセム的なタイプの曲や音楽では全くない。
そういう音楽にはならないということは、あの曲たちはやっぱりあの4人だったからこそ、NICO Touches the Wallsだったからこそ生まれた曲だったのである。だからもうああいう曲は生まれないだろうし、むしろああいう音楽をやるんならば、NICOを終わらせなくてもよかったじゃないかと我々は絶対に思ってしまう。
だからNICOとは全く違う、この5人だからこういう音楽になっているんだろうなというのがわかる音楽を鳴らしていて、安心した自分もいた。もしかしたらこれから先にZIONが作る曲が自分の好みとは違ったものになる可能性だってある。でも光村はあくまでバンドとして、メンバーと一緒に、そのメンバーと一緒じゃないと作れない音楽を作るということを変わらずに選んだ。そこはNICOの時からずっと変わることがない光村らしさであるし、演奏後に手を繋いで一礼する光村の、メンバーの表情を見て、こんなに楽しそうに音楽をやることができている光村の姿を見ることができて本当に幸せだと思った。
NICOが活動を終了した後、青春が終わったかのようにロックバンドやロックシーンから離れていった人もきっとたくさんいる。それは致し方がない。それくらいにその人にとってNICOの存在が大きかったということだけど、この日、ZIONのライブで本当に久しぶりにロックバンドのライブを観にライブハウスに来たっていう人もいるはず。そういう人たちがかつてライブ会場で会っていたNICO仲間たちとまた会うことができる機会はきっともうZIONのライブくらいしかない。その場があることもまた嬉しいし、それもまた光村が我々の前に戻ってきてくれたからだ。
これから先、ZIONがどういう活動をしていくのかはまだ全く未知数だけれど、かつてNICOの後期には「運営をやらせて欲しい」とファンの方々が揃って口にするくらいに、メジャーシーンの大きなフィールドで広がっていくための活動や宣伝が、NICO以降に出てきた後輩バンドたちに比べたら本当に下手なバンドだった。だからこそ我々は焦ったいような思いも抱いていたのだけど、きっとそう思わなくてもいいような場所でこれからは生きていくのだと思う。
だからこそそうしたことを考えないで、今はただただ光村がまた我々の前に帰ってきたこと、これからもずっと光村が歌い続ける姿を見続けることができるであろう喜びを噛み締めていたい。
自分が初めて聴いたNICOの曲の中で(もう17年くらい前の話だ)、光村は
「お前は今どこにいる?」
と歌っていた。この日の「Where is ZION ?」というライブタイトルは少なからずそのフレーズを意識したものであるはずだけど、光村は、今も我々の目の前にいる。