ヒトリエ 「HITORI-ESCAPE TOUR 2022」 @LIQUIDROOM 5/31
- 2022/06/01
- 22:24
もともとはこのライブは2月の8日、9日に予定されていたものであるが、シノダ(ボーカル&ギター)が初日の開演直前に体調不良を訴え、検査の結果コロナウイルス陽性となってしまったためにこの日に延期されたものである。この2年でライブの延期や中止はたくさん経験してきたけれど、意外と自分はメンバーが感染したことによる延期は経験していなかったことをその時に実感した。それくらいにライブを観に行くバンドたちが感染対策をしながら健やかに生きてきたということである。
日程的に振替には行けなくなって払い戻しをして…という選択肢もチケットを持っていた人(自分も含め)にはあったはずだが、そうとは思えないくらいにリキッドは満員であり、しかもちょっと前までは足元に記されていた立ち位置マークまでも消えている。それはこのリキッドがフルキャパの景色をバンドに見せることができるようになったということだ。2月の段階ではそうはいかなかっただろうだけに、この動員数の緩和という意味においてはこの日に延期になってよかったんじゃないかとすら思う。
開演時間の19時になると、ステージに真っ赤な照明が降り注ぐ中でアブストラクトなSEが流れて、リベンジを期すべく1番最初にシノダがステージに現れて観客を煽るように手拍子を叩くのだが、それは自身がこのSEのリズムに乗ろうとしていたという方が正解なのかもしれない。イガラシ(ベース)は上下ともに真っ黒な衣装と顔を覆うような長い金髪、ゆーまお(ドラム)はかつてのトレードマークだったメガネを外している方が普通な感じになったなと思うくらいに3人の姿は変わらない。
払い戻しもせずにチケットをずっと持ってこの日を待っていた観客からの長く大きな拍手が続く中でSEが止まってシノダがギターを持つと、そのギターを弾きながら歌い始めたのは
「誰が止められるというの 心が叫んだ声を
ああ 今すぐに伝えなくっちゃいけない気がしたんだよ」
という、延期になっても決して中止にすることなくライブをやるという意思は揺るがなかった、バンドの何度目かの再生を歌うかのような「ポラリス」で、そのフレーズを歌うとイガラシとゆーまおのリズムが重なっていくのだが、やはり冒頭からヒトリエは本当に演奏が上手いというか、もう「上手い」では形容として不十分なんじゃないかとすら思ってしまうくらいに、凄まじい演奏力を持ったメンバーが3人も集まったバンドであるということを感じさせてくれる。
「また一歩足を踏み出して
あなたはとても強いから
誰も居ない道を行ける」
というフレーズはそんなバンドだからこそ強い説得力を放っているし、まだ4人だった時に作られたとは思えないくらいに3人になってからのヒトリエのテーマソングであるかのような歌詞だ。
シノダが気合いを入れるようにすると、獰猛なギターサウンドと火花を散らすようなリズムがぶつかり合う、アルバムとしては最新作となる、3人になってからリリースされた「REAMP」収録の「ハイゲイン」へと続くのだが、音に身を任せるようにステージ上で体を動かすイガラシの指の動きが見えないようなベースも、実は腕が改造されて機械になっているんじゃないかと思うくらいに正確無比極まりないゆーまおのドラムも、ヒトリエのロックサウンドはこうあるべきというのをリズムによって示しているかのようだ。
そのイガラシが一気に高い位置でベースを構えるのはヒトリエのダンスロックとしての速さではなくて、オルタナバンドたちのエッセンスを吸収してきたことを感じさせる重さを持ったサウンドの「curved edge」と「REAMP」の曲が続くのは、この3人で作った曲と作品に手応えを今も強く持っているからであろう。そもそも3人で演奏する想定で作られた曲たちであるということを踏まえても。
曲間ではこのままずっと鳴り止まないんじゃないかと思うくらいの長く、大きな音の拍手が起こり、シノダも少し驚いているようだったが、それは未だに声が出せない状況の中での観客による精一杯の「このライブをずっと待っていた」という意思表示であった。それがどんな言葉よりもその拍手から伝わってくる。
「こんなに来てくれるなんて思わなかった。やっぱりリキッドルームはこうでなきゃ」
と口にしたシノダもやはりこの満員、フルキャパの客席の景色には思うところもあったのだろうけれど、その景色をさらに美しいものに感じさせてくれる音を鳴らすのは、最新シングルにしてアニメ「ダンス ダンス ダンスール」のエンディングテーマである「風、花」。いわゆる性急なダンスビートというヒトリエのシグネチャー的なサウンドとは真逆の、ロマンチックさを歌詞からもサウンドからも感じさせるこの曲がシングルとして、しかもアニメタイアップとして世の中に放たれるというのはヒトリエのイメージとは違う魅力を伝えることができるきっかけになるはずだ。アニメ自体は見れていないが(エンディング映像だけは見た)「ダンス」をテーマにしたアニメのタイアップにこんなにふさわしいバンドが、けれど予想できるようなタイプのダンスの曲を作ったというのもまた痛快であるが、この曲もまたこのライブがこの時期にまでズレ込んだからこそ聴けたんだろうかと思うと、この日に延期になったのもやっぱり悪くなかったんじゃないかとポジティブに捉えることができる。
そんなヒトリエのメロディと歌詞の美しさ、ロマンチックさを感じさせてくれる曲の直後に、シノダがギターを置くと不穏な打ち込みのサウンドが流れて「RIVER FOG, CHOCOLATE BUTTERFLY」という実に落差の激しい流れへ。シノダはその長身と足の長さを活かした動きでハンドマイクを持ってステージを歩き回りながら歌うのだが、曲後半からはギターを持って弾き始める。
「wowakaがインドに行って、帰ってきたらできてた曲」
と言っていたが、同じようにビートルズがインドに行って生まれた音楽とまるっきりインドの影響源が違うように感じるだけに、ちょっとどんな感じの国なのかを体感するためにインドに行ってみたくなるようなエピソードと曲である。辛すぎるカレーを食べて頭が麻痺した時のイメージなんだろうかと思うような。
そのままアンビエントなどのサウンドを取り入れた、アッパーではなくて浸るようなヒトリエのダンスミュージック「tat」という振れ幅の大きいセトリは、この「HITORI-ESCAPE TOUR」は過去のいろんな曲を好き放題やりまくる内容になっているということで、なかなかリリースツアーでは演奏されないような曲も入ってくるようだ。
それは続いて演奏された「Namid[A]me」もそういうものだろうけれど、この曲のサビでのメロディの高低差の歌い方というか、
「揺らいだ」
の「ゆ」のところだけメロディが高くなるようなシノダの歌唱の方法はwowakaのそれに非常に良く似ている。なんなら目を閉じて聴いたらwowakaが歌っていると思うかもしれないくらいに。元からシノダは歌が上手いギタリストでもあったけれど、こうした歌唱ができるメンバーが今ヒトリエのボーカルとしてこの曲を歌っているのは決して偶然ではないと思う。このシノダのボーカルだからこそ、ヒトリエが3人でもヒトリエであることをみんなが素直に受け入れることができているところは間違いなくある。
さらには「イヴステッパー」で一気にダンサブルになると、イガラシのベースはうねりまくり、観客はリズムに合わせて手拍子をするのだが、そこから「るらるら」へと続くのはかつてのライブでも同じものとしてライブ音源にもなっているのだが、
「世界にもうひとりきりだね」(「イヴステッパー」)
「独りぼっち、だって知ってしまった」(「るらるら」)
というこの2曲に通じる、バンド名に通じるようなフレーズはヒトリエが1人で家で音楽を作っていた男が独りきりだった状況から一緒に音を鳴らす仲間、それを聴いてくれる仲間と出会って外に出て行った物語であるということを改めて感じさせてくれる。そんな一人きりで家にいた人間が自身の閉ざされていた感情を解放させるためのダンスミュージックであるということも。
そのダンスミュージックをさらにフィジカルに体験するべくシノダは
「地獄の垂直運動の時間がやってきました!」
と言って「カラノワレモノ」のイントロの跳ねるようなビートに合わせて観客たちを飛び跳ねさせまくるのだが、この辺りの曲を聴くとヒトリエのライブを初めて見た当時のことを思い出す。
メジャーデビューした直後からフェスに出るようになっただけに、割と早くからライブを観る機会はあったのだが、当時は演奏は上手いけれど、あまりにもキッチリとした上手さで、機械的な演奏に感じてしまったりもしていたのが、今は演奏中はクールに見えるイガラシもゆーまおもコーラスを歌いながら、その鳴らす音の一つ一つにこの人だからこその人間らしさを感じさせる。ゆーまおの一打一打が実に強い、表情からは想像もつかないような鬼神のごときドラムも、シノダが歌うという立場であるために、ベースを高く掲げるようにしたり、実は物理的にも音階的にも1番動いているメンバーであるイガラシのベースも。wowakaの作る曲を再現するバンドだったヒトリエは、間違いなくこの3人が音を鳴らすからこそのバンドへと変化したのだ。それは
「泣きたいな 歌いたいなあ
僕に気付いてくれないか?」
というこの曲で歌われている少女の心象は、この曲を作った男そのものの心象だったということだ。
「まだまだ俺たちはぶち上げていくつもりしかないんで!」
と、「カラノワレモノ」で観客を飛び跳ねさせまくってもなおスピードを緩めることなく鳴らされたのは1曲の中で激しく、ガラッと曲が展開していく「Marshall A」で、シノダの影響源の一つであるNUMBER GIRLを彷彿とさせるようなハガネの振動と言えるような音がギターから発せられるイントロとAメロから、サビでは急に手拍子が起こるような合唱曲に急変していくという展開はいったいどうやったらこんな曲が生まれるんだろうかとすら思ってしまう。何よりもその曲を3人で生み出したのに、それが変わらず「実にヒトリエらしいな」と思える曲になっている。
するとイガラシがモニターの上に足をかけるようにして高速ベースソロを弾き始めると、シノダは
「お客様の中に踊り足りない方はいらっしゃいますか!」
とおなじみの煽りを発して、そこにゆーまおの強靭なビートが重なっていくのは代表曲の一つであり、ヒトリエのダンスロックサウンドを決定づけた曲の一つであるとも言える「踊るマネキン、歌う阿呆」で、この曲で踊りまくる満員の観客の姿を見ていたら、まだマスクをしなければいけないし、かつてのように激しいモッシュ(なんならヒトリエのライブのモッシュはパンクバンドよりも激しいとすら思う時も多々あった)もまだ起きないけれど、どこか4人の時にこのリキッドルームで見たヒトリエのライブの景色を思い出させてくれるようなものだった。あの頃も本当に楽しかったけれど、バンドも我々の楽しみ方も、客席にいる人も、全てが変わってしまっても、今もやっぱりこうして踊っているのが楽しいと思える。それはヒトリエがこうして3人で続けるということを選んでくれたからこそ、そう思える場所が今でもあるのだ。
「こっからは、3分29秒の勝負だ」
とシノダが言うと、こちらは逆にディストピア的な世界を描いたアニメの主題歌だった「3分29秒」へ。その世界観に合わせたようなダークかつ重いサウンドの曲であるが、そんな曲がこうしてかつてヒトリエというバンドのサウンドを決定づけた曲と並んで演奏されても、これもまたヒトリエの代表曲だなと思えるくらいのキラーチューンになっている。軽快なダンスビートの後にこの重さによって説得力を与えてくれるのはメンバーの上手さだけではない音の表現力あってこそだ。
そしてシノダは
「wowakaからみんなへ愛を込めて」
と言って、かつてwowakaが「初めて愛を歌ってみようと思った」とリリース時に語っていた「アンノウン・マザーグース」。
「あたしが愛を語るのなら その眼には如何、映像る?」
という歌い出しからして「愛」という単語が登場するあたりからしてそれまでとは曲のテーマが違うことがよくわかるのだが、性急なダンスビートで始まってから、シノダが
「singing in your heart!」
と何故か英語で心の合唱を求め、その分イガラシとゆーまおのコーラスが強く聞こえるコーラスパートに至るという展開は「Marshall A」に通じるものを感じさせるのだが、wowakaの名前を出すことで悲しくなったり寂しくなったりしないのだろうかとも思う。名前を口にすれば、思い出さざるを得ないし、もういないということに向き合わざるを得なくなるから。
でもヒトリエはそうやってwowakaの名前を口にすることで、このバンドを作ったのがwowakaであること、自分たちがこうして新しく曲を作り、ライブで鳴らすことによってwowakaという男が作った音楽にこれから先も出会うことになる人たちがいるということをわかっている。だからこうやって名前を口にするのだ。wowakaが作った曲がこんなに素晴らしいもので、それがこんなにたくさんの人に愛されていることを示すために。そのコーラスも、見えない存在にまで届かせようとするかのようだった。
すると「アンノウン・マザーグース」とは対照的に
「あなただけに愛を込めて!」
と言って演奏されたのは今年配信されたばかりの「ステレオジュブナイル」であり、
「愛せない自分を愛せないまま何年経ったっけ
まあ、どうでもいいよな
このまま行くよ」
というフレーズが確かに「アンノウン・マザーグース」と対になっているというか、ヒトリエを聴いている人に多いであろう、自分を好きじゃないと思ってしまうような人をそのままでいいんだぜと肯定してくれるような曲である。それはきっと歌詞を書いたシノダ自身がかつてそうした人だったからであろうけれど、光が射し込むような照明の中で演奏されたこの曲は今も抱えるシノダの、ヒトリエの蒼さを強く感じさせてくれる。それを決して失うことのないままでこれからもヒトリエは走っていこうとしている。そんなバンドの意思が鳴らしている音からハッキリと伝わってきて、聴いていて感動してしまった。かつては機械のように正確な演奏だと思っていたヒトリエの音は、今はこんなにも人間らしさが溢れ出るものになっている。
するとシノダはそんなこちら側の感動を自分たちの手応えとして感じたのか、
「リキッドでどんなバンドを見てきたっけ?っていう話を楽屋でしてて。ZAZEN BOYS、ゆらゆら帝国、POLYSICS、水曜日のカンパネラ…みんな、このリキッドルームにふさわしいイカしたバンドばっかりだった。
俺たちが3人になってからこのリキッドでワンマンやるのは今回が3回目。1回目は3人になってすぐの時で、4人の時は俺たちもここで見てきたバンドたちみたいにイカしたバンドだって思てたのが、その時はそう思えなかった。2回目は配信ライブで、その時もなんだか違うなって感じがしてた。
今日が3回目。時間はかかったけれど、俺たちは3人でこのリキッドっていう素晴らしい場所にふさわしいバンドになれたと思う。文句あるやつはいるか?違うって思ってるやつはいるか?………俺は、最高だって思ってる」
と、3人になった自分たちがようやくこの憧れの場所であるリキッドルームにふさわしい存在になれたということを語る。
自分は3人になってすぐのリキッドルームでのライブも観ているけれど、シノダが確信を得られなかったようなライブでは決してなかった。むしろこれ以上ないっていうくらいの悲しいことがあったのに、これから先も3人でバンドを続けていく意志を感じさせる音を鳴らす、本当に強い人間たちによる強いバンドだと思っていた。それでもやっぱりまだあの頃は4人だった時の無敵さのようなものをまだ感じられていなかったんだなと思うのは、それくらいにwowakaがいることでその無敵感を感じることができていたということである。その感覚が、3人でバンドをやっていても確かに感じることができる。そういう意味ではこの日のリキッドでのライブは3人になってからの中で最も記念碑的なものになっていくのかもしれない。この日何度も大きな長い拍手が起こっていたけれど、その中でも最も鳴り止まないんじゃないかと思う長さと大きさ、そして温かさだった。
何よりもシノダが挙げた、ライブを見てきたアーティストの名前。それはリキッドではないにしても、自分も同じようにライブを見てきたアーティスト、バンドたちである。その名前が挙がったアーティスト以外にも、同じように音楽を聴いて、ライブに行っていたんだろうなというバンドがたくさんいる。自分にとってはヒトリエの音楽から感じる「自分のための音楽なんじゃないのか」という感覚はそういうところも間違いなくある。同じ音楽を聴いて生きてきた人が作っている音楽であるというか。
そして最後にシノダの弾き語り的な歌唱から始まってバンドの演奏が重なっていくという冒頭の「ポラリス」と同じ形で演奏された「イメージ」は「ポラリス」が4人のヒトリエの集大成的な曲だったとしたら、シノダが言うように「イメージ」はこれからの3人でのヒトリエのテーマと言えるような曲だ。サウンドは全く違うけれど、
「ナイフを刺すように
イメージした
僕らただ
太陽の裏側に
太陽の裏側に
行こうとした
本当さ、本当なんだ
冗談みたいだね」
という歌詞のように、ヒトリエはまだ誰も行ったことのない場所へ行こうとしている。沸々と感情が湧き上がってくるように徐々に熱量を高めていく演奏は、それが冗談ではなくて本当であること、そんな場所へ今なら行けるというバンドの確信が確かに宿っていたのだ。
アンコールではイガラシと、ツアーTシャツに着替えたゆーまおもシノダとともにステージ前に並ぶと、シノダは自身が倒れて延期になってしまったことによって、なかなか終わりが見えなかったこのツアーも残すは仙台だけという終わりが見えてきた状況になったことへの感慨を語る。
するとゆーまおは物販にバンドを二次元化したグッズを作ったこと、6月22日にニューアルバム「PHARMACY」が発売されることを改めて発表するのだが、
シノダ「アルバム、「風、花」の次にこんな曲が入ってるのか!って思う感じになってる」
ゆーまお「…次の曲なんだっけ?」
シノダ「覚えてない?」
というやりとりで笑わせたかと思うと、イガラシは物販で販売されているメンバーのアクリルスタンドのゆーまおのが地元の東京で売り切れていないということを口にし、
イガラシ「普段そういうこと聞かないんだけど、スタッフに聞いたら「ゆーまおのが余ってる」って言われて、その瞬間にゆーまおと目が合って気まずくなった(笑)」
という話などは、演奏中はクールなイガラシとゆーまおの持つユーモラスな人間性を感じさせてくれるものだ。それが彼らがヒトリエ以外にもサポート業に呼ばれている理由の一つでもあると思うのだが、ゆーまおのアクリルスタンドは売り切れたんだろうか。
すると各々が持ち場に戻って楽器を手にするとシノダは
「アンコールやらなきゃいけないのか。やったら終わっちまうからやりたくねぇな」
と呟く。そこに素直じゃないけれど、自分の感情をしっかり伝えざるを得ないシノダらしさを感じさせながら演奏されたのは「終着点」。ヒトリエの登場を鮮やかに告げたアルバム「WONDER and WONDER」の1曲目に収録されている、もしかしたらヒトリエの音楽にこの曲で初めて触れた人も多いかもしれない曲なのだが、当時音源を聴いた時にはまだ「ボカロPのバンド」という要素を感じていたサウンドのこの曲が今ではどっからどう聴いてもこの3人によるバンドでしかない迫力と肉体性を獲得しているし、サビの
「迫り来る来る来る未来の羅列」
というフレーズの「来る来る来る」のシノダの歌い方は「イヴステッパー」でも感じたように、本当にwowakaのものに良く似ている。でもそれが単なるモノマネ歌唱だったら聞いていてこんなに心に突き刺さることはない。それはヒトリエのボーカルとしての歌唱そのものだからこそ、聴いていてこんなにも突き刺さるし、衝動を掻き立てて踊らされてしまうのだ。
そんな「WONDER and WONDER」で「終着点」の次に収録されていた「インパーフェクション」という、最後にしてヒトリエに出会った頃を思い出させてくれるかのような選曲。3人になった時にシノダは
「「インパーフェクション」歌いながら弾くの無理だろ」
とツイートしていたが、そんなこの「インパーフェクション」の、1ミリ足りとも歌いながら弾くことになるとは思っていたであろう、緊急事態や戒厳令下でのダンスフロアというイメージを想起させるようなギターリフをシノダは見事過ぎるくらいに歌いながら弾き切っていた。それはギタリストでもありながらボーカリストになった、あるいはボーカリストでありながらギタリストのままでもあるという境地に達したシノダのヒトリエを背負う男としての矜持を、これでもかというくらいに感じさせる、忘れることができないであろう凄まじい熱演だった。
演奏が終わると係員の規制退場を告げる声が聞こえるまで、やはり長く大きな拍手が起こっていた。ずっとこのライブを待っていた人たちはしかし、このライブの機会が必ず来ることをわかっていた人たちなんだよなと思った。それはここにいた人たちはみんな、ヒトリエがどんなことがあっても止まることがないバンドであることをずっと見てきた人たちだからだ。
そんな1人1人を、1人であっても独りだとは思わないような世界に連れ出してくれる。ヒトリエの「HITORI-ESCAPE TOUR」の東京公演は、そう思わずにはいられないような夜になったのだった。
1.ポラリス
2.ハイゲイン
3.curved edge
4.風、花
5.RIVER FOG, CHOCOLATE BUTTERFLY
6.tat
7.Namid[A]me
8.イヴステッパー
9.るらるら
10.カラノワレモノ
11.Marshall A
12.踊るマネキン、歌う阿呆
13.3分29秒
14.アンノウン・マザーグース
15.ステレオジュブナイル
16.イメージ
encore
17.終着点
18.インパーフェクション
日程的に振替には行けなくなって払い戻しをして…という選択肢もチケットを持っていた人(自分も含め)にはあったはずだが、そうとは思えないくらいにリキッドは満員であり、しかもちょっと前までは足元に記されていた立ち位置マークまでも消えている。それはこのリキッドがフルキャパの景色をバンドに見せることができるようになったということだ。2月の段階ではそうはいかなかっただろうだけに、この動員数の緩和という意味においてはこの日に延期になってよかったんじゃないかとすら思う。
開演時間の19時になると、ステージに真っ赤な照明が降り注ぐ中でアブストラクトなSEが流れて、リベンジを期すべく1番最初にシノダがステージに現れて観客を煽るように手拍子を叩くのだが、それは自身がこのSEのリズムに乗ろうとしていたという方が正解なのかもしれない。イガラシ(ベース)は上下ともに真っ黒な衣装と顔を覆うような長い金髪、ゆーまお(ドラム)はかつてのトレードマークだったメガネを外している方が普通な感じになったなと思うくらいに3人の姿は変わらない。
払い戻しもせずにチケットをずっと持ってこの日を待っていた観客からの長く大きな拍手が続く中でSEが止まってシノダがギターを持つと、そのギターを弾きながら歌い始めたのは
「誰が止められるというの 心が叫んだ声を
ああ 今すぐに伝えなくっちゃいけない気がしたんだよ」
という、延期になっても決して中止にすることなくライブをやるという意思は揺るがなかった、バンドの何度目かの再生を歌うかのような「ポラリス」で、そのフレーズを歌うとイガラシとゆーまおのリズムが重なっていくのだが、やはり冒頭からヒトリエは本当に演奏が上手いというか、もう「上手い」では形容として不十分なんじゃないかとすら思ってしまうくらいに、凄まじい演奏力を持ったメンバーが3人も集まったバンドであるということを感じさせてくれる。
「また一歩足を踏み出して
あなたはとても強いから
誰も居ない道を行ける」
というフレーズはそんなバンドだからこそ強い説得力を放っているし、まだ4人だった時に作られたとは思えないくらいに3人になってからのヒトリエのテーマソングであるかのような歌詞だ。
シノダが気合いを入れるようにすると、獰猛なギターサウンドと火花を散らすようなリズムがぶつかり合う、アルバムとしては最新作となる、3人になってからリリースされた「REAMP」収録の「ハイゲイン」へと続くのだが、音に身を任せるようにステージ上で体を動かすイガラシの指の動きが見えないようなベースも、実は腕が改造されて機械になっているんじゃないかと思うくらいに正確無比極まりないゆーまおのドラムも、ヒトリエのロックサウンドはこうあるべきというのをリズムによって示しているかのようだ。
そのイガラシが一気に高い位置でベースを構えるのはヒトリエのダンスロックとしての速さではなくて、オルタナバンドたちのエッセンスを吸収してきたことを感じさせる重さを持ったサウンドの「curved edge」と「REAMP」の曲が続くのは、この3人で作った曲と作品に手応えを今も強く持っているからであろう。そもそも3人で演奏する想定で作られた曲たちであるということを踏まえても。
曲間ではこのままずっと鳴り止まないんじゃないかと思うくらいの長く、大きな音の拍手が起こり、シノダも少し驚いているようだったが、それは未だに声が出せない状況の中での観客による精一杯の「このライブをずっと待っていた」という意思表示であった。それがどんな言葉よりもその拍手から伝わってくる。
「こんなに来てくれるなんて思わなかった。やっぱりリキッドルームはこうでなきゃ」
と口にしたシノダもやはりこの満員、フルキャパの客席の景色には思うところもあったのだろうけれど、その景色をさらに美しいものに感じさせてくれる音を鳴らすのは、最新シングルにしてアニメ「ダンス ダンス ダンスール」のエンディングテーマである「風、花」。いわゆる性急なダンスビートというヒトリエのシグネチャー的なサウンドとは真逆の、ロマンチックさを歌詞からもサウンドからも感じさせるこの曲がシングルとして、しかもアニメタイアップとして世の中に放たれるというのはヒトリエのイメージとは違う魅力を伝えることができるきっかけになるはずだ。アニメ自体は見れていないが(エンディング映像だけは見た)「ダンス」をテーマにしたアニメのタイアップにこんなにふさわしいバンドが、けれど予想できるようなタイプのダンスの曲を作ったというのもまた痛快であるが、この曲もまたこのライブがこの時期にまでズレ込んだからこそ聴けたんだろうかと思うと、この日に延期になったのもやっぱり悪くなかったんじゃないかとポジティブに捉えることができる。
そんなヒトリエのメロディと歌詞の美しさ、ロマンチックさを感じさせてくれる曲の直後に、シノダがギターを置くと不穏な打ち込みのサウンドが流れて「RIVER FOG, CHOCOLATE BUTTERFLY」という実に落差の激しい流れへ。シノダはその長身と足の長さを活かした動きでハンドマイクを持ってステージを歩き回りながら歌うのだが、曲後半からはギターを持って弾き始める。
「wowakaがインドに行って、帰ってきたらできてた曲」
と言っていたが、同じようにビートルズがインドに行って生まれた音楽とまるっきりインドの影響源が違うように感じるだけに、ちょっとどんな感じの国なのかを体感するためにインドに行ってみたくなるようなエピソードと曲である。辛すぎるカレーを食べて頭が麻痺した時のイメージなんだろうかと思うような。
そのままアンビエントなどのサウンドを取り入れた、アッパーではなくて浸るようなヒトリエのダンスミュージック「tat」という振れ幅の大きいセトリは、この「HITORI-ESCAPE TOUR」は過去のいろんな曲を好き放題やりまくる内容になっているということで、なかなかリリースツアーでは演奏されないような曲も入ってくるようだ。
それは続いて演奏された「Namid[A]me」もそういうものだろうけれど、この曲のサビでのメロディの高低差の歌い方というか、
「揺らいだ」
の「ゆ」のところだけメロディが高くなるようなシノダの歌唱の方法はwowakaのそれに非常に良く似ている。なんなら目を閉じて聴いたらwowakaが歌っていると思うかもしれないくらいに。元からシノダは歌が上手いギタリストでもあったけれど、こうした歌唱ができるメンバーが今ヒトリエのボーカルとしてこの曲を歌っているのは決して偶然ではないと思う。このシノダのボーカルだからこそ、ヒトリエが3人でもヒトリエであることをみんなが素直に受け入れることができているところは間違いなくある。
さらには「イヴステッパー」で一気にダンサブルになると、イガラシのベースはうねりまくり、観客はリズムに合わせて手拍子をするのだが、そこから「るらるら」へと続くのはかつてのライブでも同じものとしてライブ音源にもなっているのだが、
「世界にもうひとりきりだね」(「イヴステッパー」)
「独りぼっち、だって知ってしまった」(「るらるら」)
というこの2曲に通じる、バンド名に通じるようなフレーズはヒトリエが1人で家で音楽を作っていた男が独りきりだった状況から一緒に音を鳴らす仲間、それを聴いてくれる仲間と出会って外に出て行った物語であるということを改めて感じさせてくれる。そんな一人きりで家にいた人間が自身の閉ざされていた感情を解放させるためのダンスミュージックであるということも。
そのダンスミュージックをさらにフィジカルに体験するべくシノダは
「地獄の垂直運動の時間がやってきました!」
と言って「カラノワレモノ」のイントロの跳ねるようなビートに合わせて観客たちを飛び跳ねさせまくるのだが、この辺りの曲を聴くとヒトリエのライブを初めて見た当時のことを思い出す。
メジャーデビューした直後からフェスに出るようになっただけに、割と早くからライブを観る機会はあったのだが、当時は演奏は上手いけれど、あまりにもキッチリとした上手さで、機械的な演奏に感じてしまったりもしていたのが、今は演奏中はクールに見えるイガラシもゆーまおもコーラスを歌いながら、その鳴らす音の一つ一つにこの人だからこその人間らしさを感じさせる。ゆーまおの一打一打が実に強い、表情からは想像もつかないような鬼神のごときドラムも、シノダが歌うという立場であるために、ベースを高く掲げるようにしたり、実は物理的にも音階的にも1番動いているメンバーであるイガラシのベースも。wowakaの作る曲を再現するバンドだったヒトリエは、間違いなくこの3人が音を鳴らすからこそのバンドへと変化したのだ。それは
「泣きたいな 歌いたいなあ
僕に気付いてくれないか?」
というこの曲で歌われている少女の心象は、この曲を作った男そのものの心象だったということだ。
「まだまだ俺たちはぶち上げていくつもりしかないんで!」
と、「カラノワレモノ」で観客を飛び跳ねさせまくってもなおスピードを緩めることなく鳴らされたのは1曲の中で激しく、ガラッと曲が展開していく「Marshall A」で、シノダの影響源の一つであるNUMBER GIRLを彷彿とさせるようなハガネの振動と言えるような音がギターから発せられるイントロとAメロから、サビでは急に手拍子が起こるような合唱曲に急変していくという展開はいったいどうやったらこんな曲が生まれるんだろうかとすら思ってしまう。何よりもその曲を3人で生み出したのに、それが変わらず「実にヒトリエらしいな」と思える曲になっている。
するとイガラシがモニターの上に足をかけるようにして高速ベースソロを弾き始めると、シノダは
「お客様の中に踊り足りない方はいらっしゃいますか!」
とおなじみの煽りを発して、そこにゆーまおの強靭なビートが重なっていくのは代表曲の一つであり、ヒトリエのダンスロックサウンドを決定づけた曲の一つであるとも言える「踊るマネキン、歌う阿呆」で、この曲で踊りまくる満員の観客の姿を見ていたら、まだマスクをしなければいけないし、かつてのように激しいモッシュ(なんならヒトリエのライブのモッシュはパンクバンドよりも激しいとすら思う時も多々あった)もまだ起きないけれど、どこか4人の時にこのリキッドルームで見たヒトリエのライブの景色を思い出させてくれるようなものだった。あの頃も本当に楽しかったけれど、バンドも我々の楽しみ方も、客席にいる人も、全てが変わってしまっても、今もやっぱりこうして踊っているのが楽しいと思える。それはヒトリエがこうして3人で続けるということを選んでくれたからこそ、そう思える場所が今でもあるのだ。
「こっからは、3分29秒の勝負だ」
とシノダが言うと、こちらは逆にディストピア的な世界を描いたアニメの主題歌だった「3分29秒」へ。その世界観に合わせたようなダークかつ重いサウンドの曲であるが、そんな曲がこうしてかつてヒトリエというバンドのサウンドを決定づけた曲と並んで演奏されても、これもまたヒトリエの代表曲だなと思えるくらいのキラーチューンになっている。軽快なダンスビートの後にこの重さによって説得力を与えてくれるのはメンバーの上手さだけではない音の表現力あってこそだ。
そしてシノダは
「wowakaからみんなへ愛を込めて」
と言って、かつてwowakaが「初めて愛を歌ってみようと思った」とリリース時に語っていた「アンノウン・マザーグース」。
「あたしが愛を語るのなら その眼には如何、映像る?」
という歌い出しからして「愛」という単語が登場するあたりからしてそれまでとは曲のテーマが違うことがよくわかるのだが、性急なダンスビートで始まってから、シノダが
「singing in your heart!」
と何故か英語で心の合唱を求め、その分イガラシとゆーまおのコーラスが強く聞こえるコーラスパートに至るという展開は「Marshall A」に通じるものを感じさせるのだが、wowakaの名前を出すことで悲しくなったり寂しくなったりしないのだろうかとも思う。名前を口にすれば、思い出さざるを得ないし、もういないということに向き合わざるを得なくなるから。
でもヒトリエはそうやってwowakaの名前を口にすることで、このバンドを作ったのがwowakaであること、自分たちがこうして新しく曲を作り、ライブで鳴らすことによってwowakaという男が作った音楽にこれから先も出会うことになる人たちがいるということをわかっている。だからこうやって名前を口にするのだ。wowakaが作った曲がこんなに素晴らしいもので、それがこんなにたくさんの人に愛されていることを示すために。そのコーラスも、見えない存在にまで届かせようとするかのようだった。
すると「アンノウン・マザーグース」とは対照的に
「あなただけに愛を込めて!」
と言って演奏されたのは今年配信されたばかりの「ステレオジュブナイル」であり、
「愛せない自分を愛せないまま何年経ったっけ
まあ、どうでもいいよな
このまま行くよ」
というフレーズが確かに「アンノウン・マザーグース」と対になっているというか、ヒトリエを聴いている人に多いであろう、自分を好きじゃないと思ってしまうような人をそのままでいいんだぜと肯定してくれるような曲である。それはきっと歌詞を書いたシノダ自身がかつてそうした人だったからであろうけれど、光が射し込むような照明の中で演奏されたこの曲は今も抱えるシノダの、ヒトリエの蒼さを強く感じさせてくれる。それを決して失うことのないままでこれからもヒトリエは走っていこうとしている。そんなバンドの意思が鳴らしている音からハッキリと伝わってきて、聴いていて感動してしまった。かつては機械のように正確な演奏だと思っていたヒトリエの音は、今はこんなにも人間らしさが溢れ出るものになっている。
するとシノダはそんなこちら側の感動を自分たちの手応えとして感じたのか、
「リキッドでどんなバンドを見てきたっけ?っていう話を楽屋でしてて。ZAZEN BOYS、ゆらゆら帝国、POLYSICS、水曜日のカンパネラ…みんな、このリキッドルームにふさわしいイカしたバンドばっかりだった。
俺たちが3人になってからこのリキッドでワンマンやるのは今回が3回目。1回目は3人になってすぐの時で、4人の時は俺たちもここで見てきたバンドたちみたいにイカしたバンドだって思てたのが、その時はそう思えなかった。2回目は配信ライブで、その時もなんだか違うなって感じがしてた。
今日が3回目。時間はかかったけれど、俺たちは3人でこのリキッドっていう素晴らしい場所にふさわしいバンドになれたと思う。文句あるやつはいるか?違うって思ってるやつはいるか?………俺は、最高だって思ってる」
と、3人になった自分たちがようやくこの憧れの場所であるリキッドルームにふさわしい存在になれたということを語る。
自分は3人になってすぐのリキッドルームでのライブも観ているけれど、シノダが確信を得られなかったようなライブでは決してなかった。むしろこれ以上ないっていうくらいの悲しいことがあったのに、これから先も3人でバンドを続けていく意志を感じさせる音を鳴らす、本当に強い人間たちによる強いバンドだと思っていた。それでもやっぱりまだあの頃は4人だった時の無敵さのようなものをまだ感じられていなかったんだなと思うのは、それくらいにwowakaがいることでその無敵感を感じることができていたということである。その感覚が、3人でバンドをやっていても確かに感じることができる。そういう意味ではこの日のリキッドでのライブは3人になってからの中で最も記念碑的なものになっていくのかもしれない。この日何度も大きな長い拍手が起こっていたけれど、その中でも最も鳴り止まないんじゃないかと思う長さと大きさ、そして温かさだった。
何よりもシノダが挙げた、ライブを見てきたアーティストの名前。それはリキッドではないにしても、自分も同じようにライブを見てきたアーティスト、バンドたちである。その名前が挙がったアーティスト以外にも、同じように音楽を聴いて、ライブに行っていたんだろうなというバンドがたくさんいる。自分にとってはヒトリエの音楽から感じる「自分のための音楽なんじゃないのか」という感覚はそういうところも間違いなくある。同じ音楽を聴いて生きてきた人が作っている音楽であるというか。
そして最後にシノダの弾き語り的な歌唱から始まってバンドの演奏が重なっていくという冒頭の「ポラリス」と同じ形で演奏された「イメージ」は「ポラリス」が4人のヒトリエの集大成的な曲だったとしたら、シノダが言うように「イメージ」はこれからの3人でのヒトリエのテーマと言えるような曲だ。サウンドは全く違うけれど、
「ナイフを刺すように
イメージした
僕らただ
太陽の裏側に
太陽の裏側に
行こうとした
本当さ、本当なんだ
冗談みたいだね」
という歌詞のように、ヒトリエはまだ誰も行ったことのない場所へ行こうとしている。沸々と感情が湧き上がってくるように徐々に熱量を高めていく演奏は、それが冗談ではなくて本当であること、そんな場所へ今なら行けるというバンドの確信が確かに宿っていたのだ。
アンコールではイガラシと、ツアーTシャツに着替えたゆーまおもシノダとともにステージ前に並ぶと、シノダは自身が倒れて延期になってしまったことによって、なかなか終わりが見えなかったこのツアーも残すは仙台だけという終わりが見えてきた状況になったことへの感慨を語る。
するとゆーまおは物販にバンドを二次元化したグッズを作ったこと、6月22日にニューアルバム「PHARMACY」が発売されることを改めて発表するのだが、
シノダ「アルバム、「風、花」の次にこんな曲が入ってるのか!って思う感じになってる」
ゆーまお「…次の曲なんだっけ?」
シノダ「覚えてない?」
というやりとりで笑わせたかと思うと、イガラシは物販で販売されているメンバーのアクリルスタンドのゆーまおのが地元の東京で売り切れていないということを口にし、
イガラシ「普段そういうこと聞かないんだけど、スタッフに聞いたら「ゆーまおのが余ってる」って言われて、その瞬間にゆーまおと目が合って気まずくなった(笑)」
という話などは、演奏中はクールなイガラシとゆーまおの持つユーモラスな人間性を感じさせてくれるものだ。それが彼らがヒトリエ以外にもサポート業に呼ばれている理由の一つでもあると思うのだが、ゆーまおのアクリルスタンドは売り切れたんだろうか。
すると各々が持ち場に戻って楽器を手にするとシノダは
「アンコールやらなきゃいけないのか。やったら終わっちまうからやりたくねぇな」
と呟く。そこに素直じゃないけれど、自分の感情をしっかり伝えざるを得ないシノダらしさを感じさせながら演奏されたのは「終着点」。ヒトリエの登場を鮮やかに告げたアルバム「WONDER and WONDER」の1曲目に収録されている、もしかしたらヒトリエの音楽にこの曲で初めて触れた人も多いかもしれない曲なのだが、当時音源を聴いた時にはまだ「ボカロPのバンド」という要素を感じていたサウンドのこの曲が今ではどっからどう聴いてもこの3人によるバンドでしかない迫力と肉体性を獲得しているし、サビの
「迫り来る来る来る未来の羅列」
というフレーズの「来る来る来る」のシノダの歌い方は「イヴステッパー」でも感じたように、本当にwowakaのものに良く似ている。でもそれが単なるモノマネ歌唱だったら聞いていてこんなに心に突き刺さることはない。それはヒトリエのボーカルとしての歌唱そのものだからこそ、聴いていてこんなにも突き刺さるし、衝動を掻き立てて踊らされてしまうのだ。
そんな「WONDER and WONDER」で「終着点」の次に収録されていた「インパーフェクション」という、最後にしてヒトリエに出会った頃を思い出させてくれるかのような選曲。3人になった時にシノダは
「「インパーフェクション」歌いながら弾くの無理だろ」
とツイートしていたが、そんなこの「インパーフェクション」の、1ミリ足りとも歌いながら弾くことになるとは思っていたであろう、緊急事態や戒厳令下でのダンスフロアというイメージを想起させるようなギターリフをシノダは見事過ぎるくらいに歌いながら弾き切っていた。それはギタリストでもありながらボーカリストになった、あるいはボーカリストでありながらギタリストのままでもあるという境地に達したシノダのヒトリエを背負う男としての矜持を、これでもかというくらいに感じさせる、忘れることができないであろう凄まじい熱演だった。
演奏が終わると係員の規制退場を告げる声が聞こえるまで、やはり長く大きな拍手が起こっていた。ずっとこのライブを待っていた人たちはしかし、このライブの機会が必ず来ることをわかっていた人たちなんだよなと思った。それはここにいた人たちはみんな、ヒトリエがどんなことがあっても止まることがないバンドであることをずっと見てきた人たちだからだ。
そんな1人1人を、1人であっても独りだとは思わないような世界に連れ出してくれる。ヒトリエの「HITORI-ESCAPE TOUR」の東京公演は、そう思わずにはいられないような夜になったのだった。
1.ポラリス
2.ハイゲイン
3.curved edge
4.風、花
5.RIVER FOG, CHOCOLATE BUTTERFLY
6.tat
7.Namid[A]me
8.イヴステッパー
9.るらるら
10.カラノワレモノ
11.Marshall A
12.踊るマネキン、歌う阿呆
13.3分29秒
14.アンノウン・マザーグース
15.ステレオジュブナイル
16.イメージ
encore
17.終着点
18.インパーフェクション
ACIDMAN LIVE TOUR "INNOCENCE" @Zepp DiverCity 6/3 ホーム
ASIAN KUNG-FU GENERATION Tour 2022 「プラネットフォークス」 @三郷市文化会館 5/28