今年アルバム「ONE MORE SHABON」をリリースし、その直後には自身の誕生日に地元の宇都宮のホールでワンマンライブを開催した、秋山黄色。
そのライブはアルバムリリースツアーの前哨戦というか、それまでの集大成というよりもアルバムお披露目ライブという面が強かったのだが、そのアルバムツアーももう終盤。宇都宮を除くと唯一の関東圏であるKT Zepp Yokohamaはもちろんチケットソールドアウト。春フェスでは巨大なステージを経験してきただけに、ワンマンでそれがどう反映されているのか。
ちなみに宇都宮でのライブのレポはこちら。
(http://rocknrollisnotdead.jp/blog-entry-1017.html?sp)
19時を少し過ぎた頃にBGMが切り替わって場内が暗転すると、匂いが気になるくらいのスモークがステージに焚かれる中でメンバーが登場。
ドラム:片山タカズミ
ベース:藤本ひかり
ギター:井手上誠
という昨年末からのおなじみの編成で、最後にこの日も白いTシャツを着た秋山黄色がステージに。
メンバーが楽器を手にすると、会場の空気を一閃するかのように「ONE MORE SHABON」の最後に収録されている「白夜」から始まるというのは宇都宮と同じであるのだが、秋山黄色の歌唱がもう聴いた瞬間にわかるくらいに思いっきり向上しまくっている。元から歌は上手いけれど、声量や包容力、スケールというものがさらに向上しているのがすぐにわかるのはツアーを重ねて、この曲を何度も演奏してきたからだろう。だからこそ
「消えないでいて 消えないでいて 消えないでいて 消えないで」
というファルセット気味のリフレインがより祈りのようにも聞こえるし、そのリフレインの後半には思いきり力を込めているようにも聞こえる。つまりは秋山黄色の歌の表現力がこの2ヶ月ばかりで格段に向上しているのだ。
今回のツアーはステージ背面に大中小の円形のオブジェが設置されているのだが、そのオブジェが時計回りに照明として光を発していくことによって、メトロノーム的な効果音と相まって巨大な時計のように見えてくるのは、フェス出演時は1曲目に演奏されていた「アク」であり、メロごとに転調を繰り返す超絶複雑なリズムを片山と藤本が刻むのだが、やはりライブで聴くと改めてめちゃくちゃノリにくい曲だなと思う。それくらいに不規則なのだが、それを演奏するのは譜面として覚えるのではなくて、完全に曲が体に染み込んでいないと無理なのである。つまりはこのメンバーたちはそれくらいに秋山黄色というアーティストの一員になってくれているし、
「君が持つのならば拳銃も怖くない」
というフレーズはその意味やそうなった時の状況をより考えさせられるような社会になってしまったと聴くたびに思う。
ここで新作以外の曲として秋山黄色と井手上がギターを刻み合う「Caffeine」が演奏され、ステージは色とりどりの照明に照らされるのだが、バンドの演奏がさらに凄まじいものへと圧倒的に進化しているのがよくわかる。それは秋山黄色のボーカルの進化に導かれたものかもしれないが、常にライブで演奏されている曲であるだけにより一層それがよくわかる。もう鳴らしている音の迫力がこれまでと段違いなのだ。それは井手上と藤本の飛び跳ねながら演奏している姿も含めてであるが、秋山黄色個人としてではなくて、年齢もキャリアも豊富なこのメンバーたちがバンドとして一緒に成長してくれているのがよくわかる。それによって秋山黄色はより叫ぶような歌唱をする場面が多くなってきている。
さらには人気アニメのタイアップになったことによって、この曲で秋山黄色のことを知ったという人も多いであろう「アイデンティティ」では井手上に導かれるようにして観客が手拍子をする。それはストレートというかシンプルなドラムの四つ打ちのリズムだからできることであるのだが、まさかこうした曲を経た後に「ONE MORE SHABON」であんなにも複雑な、もはや手拍子しようがないようなリズムの曲ばかりになるとは思わなかった。最後のサビでは片山が思いっきり力強くドラムをぶっ叩く姿はライブならではのアレンジであり、秋山黄色の本領がライブにあることを示している。
そんな秋山黄色はこのツアーが終盤に入ったこと、ツアーの前回公演とこの日の間には多数の春フェスに出演したことを、
「今日までの間にめちゃフェス出て。そのフェスで見て、今日来てくれた人っている?…あ、いっぱいいる。これからもめちゃ出よう(笑)」
と、これからも精力的にフェスに出る宣言をする。それはこれからもこうしてライブを見れる場所がたくさん生まれるということであり、実に嬉しい宣言であるのだが、
「昔、ミナミホイール(大阪のライブハウスのサーキットイベント。若手アーティストの登竜門的なイベントの一つ)に初めて出た時に、めちゃくちゃティッシュ配りまくって。「見に来てください〜」って。ミナホって出演してないバンドがCD配ったりしてるくらいにそういう文化があるんだけど、俺はそこで200人くらいにティッシュを配って、20人くらい俺のライブに呼んだ(笑)」
とついつい昔話につながってMCが長くなり気味なのも秋山黄色のライブならではである。フェスなどでは持ち時間をオーバーしないか心配になってしまうくらいに。
そんなMCの後からはさらに「ONE MORE SHABON」の世界へと入り込んでいくのだが、タイトル通りに煌めくようなギターサウンドが印象的な「燦々と降り積もる夜は」では間奏で井手上がシェイカーを振る場面があるのだが、秋山黄色に歌いながら
「全然聞こえない!(笑)」
と笑いながらツッコまれてしまうことに。それがどこかギターの達人なのに人間としてはコミュニケーションに難がありそうな井手上っぽくもあるのだが。
「ONE MORE SHABON」ではピアノの同期の音なども効果的に使われているのであるが、削ぎ落とされたバンドサウンドであるが故にその同期の音が目立つ「あのこと?」の、秋山
黄色の何が好きかって、やっぱりどんなタイプであってもこの曲のメロディの良さ、美しさなんだよなと思わせるような壮大なメロディが会場を震わせると、もはや演奏そのものがトラック的になる「Night park」では秋山黄色がハンドマイクになって歌い、そのトラック的なサウンドが途中からバンドサウンドへと切り替わっていく。その展開の激しさは真っ暗な夜の公園がサビになると一気に光に照らされるという演出によってより明らかになるし、実際にこの曲のサビはそれくらいに一気に視界が開いていくような感覚にさせてくれる。
その「ONE MORE SHABON」モードを締めるのはミドルテンポであるが故に削ぎ落とされた、しかし井手上の鳴らすギターがノイジーなものであるだけにタイトル通りに現実から夢の中に誘うかのような「うつつ」であるのだが、シリアスなサウンドの中で歌われるサビの
「真夏に食べたフルーチェのように
白く美しいままでは居られなかった」
というフレーズはこれぞ秋山黄色ならでは、と思う一方で、童心に帰ってフルーチェを食べたくなってしまう。どんな味や食感だったのかハッキリと思い出せないくらいに昔に食べたものであるのだが、そうした記憶を歌詞の表現として引っ張り出してこれる秋山黄色は自身で言っていたように、やはり天才なのかもしれない。というか自分は秋山黄色をデビュー時からずっと天才だと思っている。
そんな天才・秋山黄色は早くももうこの部分しか息をつく暇がないことを語ると、
「俺のライブは基本的には決まった振り付けとかないから、みんながこうしてるからこうしなきゃ!とか思わなくていいから。腕を組んでプロデューサー的に見てくれていてもいいし。声を出したりさえしなければ、隣の人が嫌だなって思わないように気を遣ってくれたりすれば、好きに楽しんでくれていいから!」
という言葉にも秋山黄色なりの優しさを感じさせてくれるのであるが、そのMCの後にはセッション的な演奏も随所に取り入れられた「ホットバニラ・ホットケーキ」が演奏される。
「ONE MORE SHABON」はリリース時からコロナ禍になってしまった2ndアルバムの「FIZZY POP SYNDROME」をもう一度的な意味合いがあるともインタビューで語っていたが、この流れも宇都宮の時と同じものであり、それは
「昔の曲はもうやり尽くして飽きた。だからライブでは常に新しい曲をやりたい」
と言っていた秋山黄色のスタイルによるものであるだけに、ツアー中にセトリの変化はないのは覚悟の上でこうして宇都宮に続いてこの日もこうして来ているのは、冒頭で感じた進化も含めてセトリは同じだったとしても全く違うライブを見せてくれるという全幅の信頼を秋山黄色に対して抱いているからであり、それは宇都宮の曲だから宇都宮で演奏したというわけではない「宮の橋アンダーセッション」の間奏で一度メンバー全員が座ると、秋山黄色はスマホをいじったりティッシュで鼻をかんだりしながら、
「今日は何をやろうかな」
と言ってキーボードを引っ張り出してくるというこの日ならではのまさに「セッション」に最も顕著だ。
しかしキーボードをセッティングしても、マイクの位置からだいぶ離れているために弾きながら歌えないことに気付くと、座っている井手上を呼びつけてハンドマイクを持つ役をやってもらうという、スーパーギタリストとは思えない雑な扱いをされるのもまた井手上のキャラによるものだが、実に流麗な、普段から弾いて歌ったり曲を作ったりしていることがわかるような腕前のピアノを弾きながら、かつてネット上にアップしていた「Rainy day」を歌う。その弾き語りと言っていいような形態での歌唱も本当に素晴らしく、このまま音源化して欲しいレベルだった。
それが曲中でのことであると気付くのは秋山黄色がギターを手にして咄嗟に「宮の橋アンダーセッション」の最後のサビへと戻っていくからであるが、急に戻るのにすぐに対応できるメンバーの瞬発力は本当に素晴らしいと思う。やはり秋山黄色はソロアーティストであるけれど、この4人でのバンドでもあるなと思う瞬間であり、セトリを見るだけでは伝わることのないライブの素晴らしさが詰まった瞬間でもある。
するとこちらもフェスでも演奏していた、転調しまくりの「PUPA」が演奏されると、秋山黄色の歌唱がさらに進化しているからか、
「なあ 「エンドロールで名前が無い」
よりさあ「イデオロギーがクソつまんない」」
のフレーズがより強く刺さってくる。そういう生き方にならないようにと思うのだが、こうして秋山黄色のライブに来ている限りはそれは大丈夫だろうなとも思わせてくれる。サビの締めでは「青」を連発するのに照明は青だけではなく赤も入り混じったものになっていたのは、秋山黄色のTwitterのアカウント名に「赤」が(名前は黄色なのに)入っているからで、その精神性とこの曲の持つ青さが混ざり合っているんだろうかと思う。
いったん井手上と藤本、さらには秋山黄色までもがステージを去ると、片山のパーカッシブなサウンドを取り入れまくったドラムソロから、秋山黄色が戻ってくると、ギターではなくて先ほども使っていたキーボードを鳴らし、さらにそこにエフェクトをかけたコーラスまでもが重なっていくというセッションが展開され、そこに井手上が戻ってきてギターを、最後に藤本が戻ってきてベースを弾くというソロ回し的な演奏が展開される。もはや1曲分に匹敵するくらいの長尺セッションであるが、それが初めてライブを見た人にもそれぞれがどんなプレイヤーなのかということをしっかり伝えるものになっている。
そして井手上が再び手拍子をすると、それを待つまでもなくすでに客席からは手拍子が起きていたのは「ONE MORE SHABON」のリードシングルである「ナイトダンサー」であり、この曲は歌い出しの
「一度止まればもう二度と
走り出せないような気がして」
という秋山黄色の生き様を示すようなフレーズからして名フレーズの集合体であるのだが、この後に自身を「天才」と評していたからこそ、キメ連発のリズムの上で歌われる
「天才の内訳は99%努力と
多分残りの1%も努力だ」
という歌詞が、天才であるために自身に言い聞かせているようなものに聞こえてくるのだ。それはど天然の天才であるようにも見える秋山黄色が実はたゆまぬ努力を積み重ねているからこそ、こうした曲を生み出してライブができているんだということを示すかのようでもある。
さらには片山のリズムの上で秋山黄色と井手上が再びギターリフを絡ませ始めるのは「やさぐれカイドー」で、秋山黄色の歌唱はもはや絶唱というくらいのレベルに達し、それを可能にしている喉と肺活量の進化は目を見張るものがあるが、間奏ではコール&手拍子も行われる中で
「本当に、こうしてライブをしている時が楽しすぎて、そうでない生活をしている時には喜怒哀楽の感情が削ぎ落とされていて。怒ってるか悲しんでるかっていう。みんなもそうだと思うんだけど、そういう負の感情をこれから俺がぶった斬ってやるから!」
と言うとその歌唱はさらに凄まじさを増していく。それだけではなくてアウトロの暴れるような秋山黄色、井手上、藤本の演奏も、その秋山黄色の言葉が自身のものだけではなくてメンバー全員の総意であるかのようだった。
するとギターをチューニングしながら、結局ちょっとしか使わないからという理由でチューニングをやめてすぐに曲に入ろうとするのだが、先程まで暴れまくって座り込んでいた井手上を気遣ってか、
「もう借金も返したけど、気付いたのはお金が全てじゃないってこと。お金なんかは少しでいい」
という、絶妙にユニコーンの歌詞を彷彿とさせるような、でもアーティストとして拝金主義にならないのは本当に大事だし、だから信頼できるんだよな、というMCを少し挟んでから演奏されたのは、秋山黄色がイントロで少しだけギターを弾いてからハンドマイクになる「シャッターチャンス」。サビで飛び上がるように腕を上げて、歌詞の通りにカウントを観客が指で示すという、それぞれの自発的な一体感が生まれると、秋山黄色はその瞬間を永遠に記憶しておくかのように演奏が終わった瞬間にスマホを客席に向けてシャッターを押した。その瞬間、フラッシュが焚かれたように照明が白く光ったのが、この上なく美しく感じたのだった。
そしてアンコールで再びステージに4人が戻ってくると、戻ってきたはいいけど明らかに疲弊しているのがわかるくらいに疲れている。それくらいに本編で出し切ったということであり、それは見ていたらよくわかることなのだが、VIVA LA ROCKでは評判が良くて、JAPAN JAMは評判が悪かったというMCは実はいつも台本をすでに書いていたのだが、もっとその時に感じたことを話したほうがいいと言われたこともあり、今回からは台本に頼るのをやめたという。だからMCがとめどなく、それこそ「MC削ればもう1曲くらいできるんじゃ」とも思ってしまうけれど、そこはそれもまたライブならではの秋山黄色セミナーということらしい。
そのセミナーは
「俺は2ヶ月だけ音楽の専門学校に通ってて。なんか辞めたつもりだけど授業料の支払い通知が来たから辞めてないことになってるんだけど(笑)、それをどうしたかはまぁ敢えて言わないけど(笑)
その専門学校でも先生が言ってたのは、授業とかで真っ先に手を挙げて答えるような人がこうやってステージに立つのに向いてる人っていうことで。でも俺はそういうタイプじゃないし、電話で応対すると小林製薬みたいに絶対最初に「あ!」って言っちゃうし、声が高くなっちゃうし(笑)だからスタッフが電話でスケジュール調整してるのとか凄いなと思って見てるんだけど(笑)
俺は天才だからこうやってできてるけど、でもみんなも頭で考えてることはだいたいできるよ。それは無責任なんかじゃない。俺でもできるんだから。まぁ俺は天才だけど(笑)
だから別に頑張らなくていいんだけど、虚無感だけは持たないように。それで音楽辞めていったやつとか周りにいっぱいいるから。そういうのをぶっ飛ばしていきたいと思います!」
とさらに長く(実際はこの何倍も喋ってる)続くのであるが、とめどないようにも感じるけれど、秋山黄色にはちゃんと着地点が見えている。我々が必要としている、今日こうやってライブに来て良かったなって思えるような言葉を言ってくれる。それもまた秋山黄色のライブがいつも全く違うものである所以である。
そうした言葉を経て演奏された、「ONE MORE SHABON」の1曲目に収録されている「見て呉れ」は
「自分の形なんて
きっと誰にも見えない
分かり合えないって最高だね
伝わる訳がないよな」
などの歌詞がどこかそのMCの言葉に通じるようにも感じられるのであるが、やはり複雑極まりない、乗ろうとしても乗りようがないリズムの一つ一つがより強力になっているように感じられる。我々以上にMCがどんなに長くてもいつもちゃんと聞いていて、時には頷いたり笑ったりしているメンバーたちは秋山黄色の思念や精神をわかった上で一緒に音を鳴らしてくれているのがわかるような。
そうしたライブの最後は宇都宮の時もJAPAN JAMの時も「とうこうのはて」だったのだが、その曲を演奏する際のリズム隊の走り出すようなイントロが始まらず、あれ?と思っていると、メンバーが向き合うようにしてキメを連発する。それは宇都宮凱旋ライブの時にすら演奏されなかった、実に久々の(「FIZZY POP SYNDROME」リリース時のZepp Tokyoワンマン以来?)「猿上がりシティーポップ」。セトリは変わらないだろうと思い込んでいたために、普段から秋山黄色関連のツイートでも歌詞を多用していて、「フェスとかでもこの曲は絶対やった方がいいと思うんだけどな。それこそMONGOL800の「小さな恋のうた」レベルで」とすら思っているこの曲を聴くことができて本当に驚いてしまった。それは、
「もう一度どこかで会えたらいいな いいな いいなって」
というサビの歌詞がまたこうしてライブという場で再会できるように、という約束であり、願いや祈りを込めているかのようなものであるからだ。
その曲の歌唱と演奏に込められた、圧倒的な感情と衝動。それが凄まじい迫力で押し寄せてきて、秋山黄色のファンの方々からしたら厄介なことかもしれないが、「もし今がコロナ禍じゃなくて、オールスタンディングのライブハウスだったら最前に突っ込んでダイブしていたかもしれない」とすら思った。年に150本くらいライブを観ていても、そこまで思えることはそうそうない。それくらいにステージの衝動がこちら側に乗り移ってきたのだ。その衝動の発露としてそうした感情が湧く。その説明できない感情や感覚こそがロックの、音楽の、ライブの根源的な感動であると思っている。それがこの日の秋山黄色のライブには、この「猿上がりシティーポップ」には確かにあった。それはかつて自分が10代の頃に感じたものであり、それが今にも続いている。きっと今ここにいる10代や20歳くらいの人はかつての自分がロックで、ライブで食らった衝撃を秋山黄色から食らっているんだろうなと思った。だからこそ、
「一生一緒なんて思えるように
なりたかった」
というフレーズが、秋山黄色と一生一緒なんて思っていたいと思えるものになり、
「look for city pop」
のシャウトにそうした感情が全て乗っかる。アウトロでメンバーが顔を見合わせながらそれぞれの楽器を思いっきり振り下ろしまくるキメの連発を見ていて、またすぐにでも、もう一度どこかで会えたらいいなって、と思っていた。
演奏が終わると秋山黄色は全ての力を使い果たしたようにその場に倒れ込んだ。藤本と片山が先にステージから去ると、井手上はその秋山黄色の姿を見て笑いながらステージを去っていく。その姿は自分が渋谷のO-Crestでの秋山黄色の自主企画で初めてライブを観た時の、
「体力がなさすぎてアンコールができない」
と言っていた姿を思い出させるものだったのだが、あの頃はこんなライブはできてなかった。もちろんライブは良かったけれど、体力ゲージのMAXが50くらいで、それを使い切るライブだった。でも今はMAX100のところを120まで引き出した上で使い切るライブになっている。起き上がってエフェクターを操作して音を変化させていく彼の姿はもはやあの頃とは全く違うモンスターアーティストのそれだった。
宇都宮でも流れていたBGMのBEAT CRUSADERS「HIT IN THE USA」がこの日は終演直後に流れて、
「You are the sun You are the star
(to me forever)」
というフレーズのYouは秋山黄色そのものを指しているようだった。いつかビークルがELLEGARDENみたいに復活することがあれば、その時には秋山黄色と一緒に喜びを分かち合えるんだろうか。
今回のツアーは宇都宮と横浜しか関東圏の公演がない。個人的な予想ではツアーファイナルあたりで東京の追加公演があるのではと予想している。それはきっとZeppよりも大きな会場で、とも。
もう一度どこかで会えたらいいなって、のどこかが、今よりも景色の良い場所で、たくさんの人とそのライブの感動を、秋山黄色というアーティストの凄さを語り合えるものであるように。そんな未来に用がある。
1.白夜
2.アク
3.Caffeine
4.アイデンティティ
5.燦々と降り積もる夜は
6.あのこと?
7.Night park
8.うつつ
9.ホットバニラ・ホットケーキ
10.宮の橋アンダーセッション
11.PUPA
12.ナイトダンサー
13.やさぐれカイドー
14.シャッターチャンス
encore
15.見て呉れ
16.猿上がりシティーポップ