a flood of circle Tour 伝説の夜を君と w/ DOES @横浜ベイホール 4/30
- 2022/05/01
- 20:34
先月には水戸LIGHT HOUSEでワンマンを見た、a flood of circleの「伝説の夜を君と」ツアーは開始から2ヶ月が経ち、対バンのタームへ。
すでに10日前の京都からはかつて活動休止前にはしょっちゅう対バンをしていたイメージもあるし、フラッドが主催フェスに呼んだことがある意味では再始動に繋がったとも言える、DOESが対バンとして参加。この日の横浜ベイホールはDOESとの2マンとしては最後の公演となる。
三月ではないし、春の嵐とも言えないけれど強い風が吹く中を歩いて相変わらず駅から遠くて行きづらい横浜ベイホールの中に入ると、いつもながら「こんなにも柱が邪魔くさい会場だったのか」ということに気付くが、客席には足元に立ち位置が記されていることもあってか、後ろまで満員と言っていいくらいの人入りっぷりである。
・DOES
コロナ禍になって以降初めてというか、休止中にフラッドの主催フェスに出演したのを観て以来のDOES。かつてはロックンロールの兄貴分的な存在として、何度となくフラッドと対バンしていたのを観てきたが、またこうしてライブが観れるというのは実に感慨深い。それは復活して、また観れるんだなと思ったらライブができない世の中になってしまったから。
場内が暗転して、盛大な拍手に迎えられてメンバーが登場すると、赤塚ヤスシ(ベース)は金髪、森田ケーサク(ドラム)は長く量が多い髪を結いているというそれぞれバラバラな見た目であるあたりが我々の知っているDOESの姿そのものであるが、休止から復活するまでの年月の間にも全く見た目が変わることがなく、腕には白の東北ライブハウス大作戦のラババンを装着した氏原ワタル(ボーカル&ギター)がギターを弾き始めるのだが、それは明らかにジョン・レノンの「Imagine」のフレーズそのもので、弾き語り的に
「戦争はいらない 独裁者もいらない
欲しいのは君だけ」
「君が望むなら空も晴れるさ」
と、今の世界情勢へ言及した日本語歌詞を載せて歌う。そこにはどこか、今こうしてDOESがシーンに帰ってきたことが必然であるかのようにすら感じられた。そうしたメッセージを捻りも衒いもなく、ただただ素直に正直に音楽にするというのが今のDOESとしての姿勢であるかのように感じられたからだ。きっと休止を決めた時にはいろんなことを諦めたりしたと思うけれど、こうして今でも音楽で何かを変えられるということは諦めていない。
アウトロでワタルのギターにヤスシとケーサクのリズムが重なると、
「と、僕の修羅が騒ぐ!」
と言ってワタルがギターを掻き鳴らし、ヤスシとケーサクのシンプルかつ強力なエイトビートが響く「修羅」へと繋がり、ああ、全く変わることのないDOESだ、と実感する。この曲での
「ひ、ふ、み、よ」
のリズムに合わせて観客が腕を上げる姿はやはりDOESにとってフラッドとの対バンはアウェーではないとともに、ここにいた観客たちが今もずっとDOESの音楽を忘れることなく聴き続けているということがわかって胸が熱くなる。サビ終わりのワタルがマイクを離れての
「イエイエ」
の合唱をすることはできない世の中の状況になってしまったけれど、この曲を聴いていると、ロックというものが海外で生まれたもので、日本人はそれを真似てるだけ云々みたいな言説がバカらしく思えるくらいに、これは絶対に日本でしか生まれ得ないロックンロールだ。
さらに「サブタレニアン・ベイビー・ブルース」と、代表曲にして名曲が連発され、「修羅」とはまた違った軽快なリズムに合わせて観客は手拍子をするのだが、こうして観ていても全く違和感がないくらいに、休止を経ても、コロナ禍になったことを経てもDOESは変わっていない。休止前の後期にはサポートギタリストを加えた4人編成でライブを行っていた時期もあったし、それはそれで楽曲のライブでの再現度を高めていたけれど、やはりDOESはスリーピースバンドだからこそのダイナミズムを確かに感じさせてくれるバンドなんだよな、と思う。
こうしてフラッドに呼んでもらえて、活動を再開してから初めての対バンがフラッドになったこと、活動再開してから初めて横浜にライブをしに来ることができたこと、フラッドと一緒に各地を回れたことの感謝をワタルが告げると、新たに物販で販売を始めたというハンドタオルで顔を拭き、
ワタル「ハンカチ王子だから」
ヤスシ「古い(笑)年代がバレるわ(笑)」
ワタル「もうバレてるから(笑)」
と、もしかしたらワタルはハンカチ王子こと斎藤佑樹が引退したことを知らないんじゃないか、それはそのまま休止してすぐにこのライブが観れているんじゃないかというタイムリープしたような感覚にも襲われるのだが、その新しいグッズとともに活動を再開してから生まれた新曲も放たれていく。
カップリングという立ち位置に入ったのが信じられないくらいのメロディの強度を誇る「ブレイクダウン」はやはりこうしてライブで演奏されるということは、タイトル曲だのカップリング曲だのという区分ではなく、今出したいと思った曲をバンドが音源としてリリースしているということを感じさせるが、叙情性とともに歌謡性を感じるのはDOESならではであり、それがそのままメロディの強さと、このバンドが日本でしか生まれ得ないバンドであることを感じさせてくれる。
続く「BackBeat」は今年に入ってからリリースされた曲であり、ワタルがこの曲をイメージしたTシャツを着ていた曲。DOESのダンサブルな(それはもちろん獰猛なロックンロールということと同義である)サイドの曲であり、ヤスシはその場でクルクルと回りながらベースを弾くというおなじみのパフォーマンスを見せてくれるのだが、この曲をイメージしたTシャツのデザインも含めて、今はDOESはDIYで自分たちだけでバンドを動かしている。
そうした活動形態になった上でこうしたDOESらしさが炸裂した曲が出来てきているというのは、やはり休止前に作ってきた曲が作らされていたり狙っていたものではなくて、ただただ自分たちがやりたいことをやった結果として生まれた曲であり、それは再開してから生まれている曲も変わらないということだ。
それはかつての代表曲を彷彿とさせるようなタイトルの「In The Sun」での爆裂ロックンロールっぷりからもわかることであるが、どれもDOESらしさに満ちていながらも、それを背負ったりしているようなこともないし、「あの曲に続くような曲を作らないとないと」というような使命感も感じない。ただただ自分たちがやりたい音楽を、自分たちが楽しくやっている。そんな空気に満ち溢れているのだ。それはメンバーの演奏している表情からも伝わってくるし、この曲の力強さの極み的なドラムのビートに合わせるかのように、ケーサクは結いていた髪を解いている。
「去年リリースして、初めてオリコンウィークリーチャート1位を獲ることができた曲」
と言って演奏されたのは、再開後の新たなDOESのアンセム「道楽心情」であり、ここまでに演奏してきた曲もそうであったが、あれだけメガヒット曲を休止前に生み出してきたバンドであるのに、観客がみんな今のDOESの曲をちゃんと知っていて、それが演奏されるのを心待ちにしているという、理想的な再開後のバンドの形になっているなと思った。
それはこの「道楽心情」がこれまでのDOESらしさをこれでもかというくらいに感じさせながらも、今のDOESとしての開放感を感じさせる曲になっているからだ。
1位を獲得したのはこの曲がDOESというバンドの存在をお茶の間にまで広めた「銀魂」の劇場版のタイアップという効果もあっただろうけれど、それは「銀魂」のスタッフ側も曲をお願いするならDOESしかないと思っていただろうし、どんなにヒットした映画の主題歌だとしても、そもそも曲が良くなかったら買おうと思う人も、聞こうと思う人もいない。その1週間、他のどのアーティストよりも「欲しい」「聴きたい」という曲をDOESは確かに生み出したのだ。オリコンチャートなんてもしかしたらもう何の意味もないものになっているかもしれないけれど、それだけは事実であるし、「DOESが1位」というのは「曇天」がオリコン3位を獲得した大ヒット曲になった時の、ロックンロールバンドがシーンをひっくり返したという下剋上感の気持ちよさを思い出させてくれることでもあったのだ。
するとここでワタルがメンバー紹介としてヤスシの名前を呼ぶと、ヤスシのMCが。
「亮介とはよく飲みに行ったりするんだけどわ休止した直後からもう「早く再開しろ」って言ってきて(笑)
「こっちだって事情があんだよ」って言ってんのに「もう今再開しろ」「すぐ再開しろ」ってうるさくて、ケンカっぽくなったりもしたんだけど(笑)、こうやって再開した理由のほんのちょっとは亮介がずっとそう言ってくれていたからってことにしておきます(笑)」
と、亮介がDOESを好きで仕方がないということが明らかになるエピソードを語るのだが、亮介は近くで見たいたからこそ、DOESがメンバー感の不和などの、もうやりたくないという感じになって休止したわけじゃないことをわかっていたからこそ、ヤスシにそう言い続けていたんだろう。それはワタルはともかくとして、ヤスシとケーサクにバンドマンでいて欲しい、ステージに立ち続けていて欲しいという思いもあったことと思う。
ヤスシから紹介されたケーサクは何故か「フラッドさん」と、自分の方が先輩のはずなのにフラッドをさん付けして、この対バンが今日で一旦終わりであることを口にしていたが、それはヤスシの語ったエピソードのとおりに、ケーサクもまたフラッドに、亮介に感謝しているからこそ、そうしてさん付けするというリスペクトの仕方をしていたのかもしれない。
そのケーサクから紹介を受けたワタルは、先日の高知でのライブ後にHISAYOと朝まで飲んでいたという、亮介だけではなくバンド全体としての仲の良さを感じるエピソードを話してくれるのだが、その話をしていた時のヤスシが
「え?そうだったの?」
的な顔をしてワタルを見ていたのがなんだか面白かった。
そんなロックンロールバンドである自分たちとフラッド、およびそのファンたちに捧げるように演奏された「ロックンロールが死んで」はミドルテンポの曲だからこそしっかりと耳に入ってくる
「今でも覚えているよ
あの日の衝動は嘘ではないことを」
というフレーズが、その衝動が今でもDOESを、フラッドを、我々を突き動かしていることを感じさせるし、
「絶え間無き時の中で変わるものと変わらないもの
果てし無き繰り返しを僕らは「生きる」と言うのです」
という締めのフレーズは、こうしてDOESというバンドが今もなお生きているからこそこの上ない説得力を放っている。そのDOESの姿を見れている我々も生きているからであり、それが真っ白な照明の効果も相まってか、本当に神聖なことのように感じられた。こうしたことをこれからも繰り返して生きていたいと心から思うほどに。
「フラッドが出てくる前に踊りまくって体を温めておこうぜー!踊るなら、バクチに踊れ!」
と言って最後に演奏されたのは、もちろん「バクチ・ダンサー」。ミュージックステーションに出演してこの曲を披露した時と同じように、ヤスシはベースを弾きながらその場をくるくると激しく回ってみせ、ワタルが掻き鳴らすギターの歪みと音圧が、ケーサクがぶっ叩くドラムのビートが否が応でも我々を踊らせてくれる。「曇天」やこの曲があまりにも売れ過ぎたことによって、なかなか他の曲が浸透していかないというジレンマもあったけれど、それでもこの曲のカッコ良さは確かにたくさんの人に届いていたんだよな、と今ならそう思える。
それは演奏後にワタルが
「三三七拍子で締めよう!」
と言って、3人の楽器で三三七拍子を鳴らし、それがどんどん速くなっていって観客の手がついていけなくなる、というパフォーマンスまでをも、本当に楽しそうに行っていたからだ。
カッコ良さは全く失われていないままで、まるっきり商業的なことを考えられないままでお茶の間にまで浸透する曲を作った3人によるロックンロールバンドが、ちゃんと我々の前に帰ってきてくれたのだ。
世代、年齢的にもDOESは世の中、メジャーなシーンに出ていくのがフラッドよりも早かった。ワタルは「顔も亮介に似ている」と言っていたが、顔だけではなく、音楽性的にも近い位置にいる先輩バンドが、ロックンロールのカッコ良さを最大限に感じさせながら、ミュージックステーションなどの大きな場所に出て行くのを本当に頼もしく見ていた。あそこまで行っても、ロックバンドとして変わらないままでいられるんだなって。
まぁもしかしたらそれによって変わらざるを得ないこともあったかもしれないけれど、それでもあの頃にDOESから感じることができていた頼もしさを、今もまた感じることができている。それは、DOESのように一度止まることがあっても、ロックンロールバンドは変わらずにカッコいいままで戻ってくることができるということを教えてくれたからだ。
1.Imagine
2.修羅
3.サブタレニアン・ベイビー・ブルース
4.ブレイクダウン
5.BackBeat
6.In The Sun
7.道楽心情
8.ロックンロールが死んで
9.バクチ・ダンサー
・a flood of circle
そしてそんな先輩・DOESの後にフラッドがこの2マンシリーズを締めるべくステージに。
おなじみのSEでメンバー4人が登場すると、佐々木亮介(ボーカル&ギター)はこの日は白の革ジャンを着用しているのだが、DOESのライブ中にヤスシがMCで言っていたように、このツアーの初日にいきなり金髪にして観客を驚愕させた亮介の髪色が、金髪というよりもオレンジというか何というか、角度や光の加減にもよるけれど、金髪とも言い切れない色になりつつあるのは、色が落ちてきたのか、あるいは染め直したのか。いずれにしても、こうして紛れもなく同世代である亮介が今になってこんなにも攻めた髪色にするというのは、まだ我々世代もそうしてもいいんだな、と思わせてくれるものである。
この日は柄シャツではなくて黒の革ジャンを着た青木テツ(ギター)がイントロを掻き鳴らして始まったのは、まさに「これが最初のA」とばかりに演奏された「A」で、
「悪いことしようぜ バカげた物語」
というサビのフレーズは、こうしてこんなに人里離れた場所でロックンロールのために集まっているこの瞬間が何か悪いことをしているような感じにすらなる。
すると渡邊一丘(ドラム)の叩き出すリズムに合わせて観客が手拍子をする「Dancing Zombiez」ではタイトルに合わせて誰よりもHISAYO(ベース)が踊るようにというか、舞うように演奏しているのであるが、こうしてロックバンドをやっていること、その存在に人生の何割かを賭しているような、メンバーと我々全員がギャンブラーなんじゃないかと思わせるような爆裂ロックンロール「クレイジー・ギャンブラーズ」と続くと、明らかに先月の水戸LIGHT HOUSEで観た時よりも、「伝説の夜を君と」の収録曲が確実にさらにバンドの中に浸透して、構えることなく自然に鳴らすことができているようなしなやかさを感じる。いや、水戸の時もまだツアー序盤とは思えないくらいに完成度の高いライブを見せていてくれたのだが、そこはやはり毎回ライブをやるたびに進化してきたことを示してきた、フラッドというバンドならではの凄まじさである。それをこの序盤から確かに噛み締めることができているのが本当に嬉しいのだ。
ステージに真っ赤な照明が当てられ、HISAYOのゴリゴリのベースが引っ張る「Blood Red Shoes」ではもうこのままモッシュやダイブが起こってもおかしくはないと思うような熱量がステージにも客席にも満ちていく。それくらいに衝動を掻き立てられるようなライブをするバンドだからこそ、毎回ツアーを何本も、地方に強引に行ってまで見たいと思うのであり、どんな会場や状況でもその衝動を腕の動きや体を揺らすことだけで抑えているフラッドファンは本当に凄い。自分もその中の1人であることを誇りに思えるし、そもそもこんなにもカッコいいバンドのカッコ良さにちゃんと気付いているというだけで、自分はフラッドのファンの方々を最大限に信頼している。
すると亮介はギターを置いてハンドマイクになるのだが、ただ単にハンドマイクになるのではなくて、もう片方の手には缶チューハイが握られているというのが亮介ならではで、「狂乱天国」はまさにそんな飲酒しながらも野太いロックンロールボイスを張り上げながらステージを歩き回って歌うリズムにその人がこの狂乱天国を作り上げているんだよなと思う。その狂乱っぷりはこのコロナ禍で客席の中に突入していけないということが実にもったいなく感じるほどだ。
水戸の時とセトリが違うというのは、水戸がワンマンでこの日がツーマンだから当然であるのだが、ワンマンでの「この曲やるんだ!」という驚きは水戸のライブレポを見ていただきたい。
(http://rocknrollisnotdead.jp/blog-entry-1023.html?sp)
とはいえ、ここまでは水戸の時と同じ流れを、ツアーを経てきたことによってより研ぎ澄ませているというものになっているのだが、ワンマンからツーマンになるということは曲数を減らすということが必要になるわけで、そうして削った結果として「狂乱天国」から、どこかラテンとも何とも言えない、フラッド流の南国感を醸し出す「Welcome To Wonderland」へと繋がることによって、亮介は新作からのハンドマイク曲が続くことになるのだが、その際に亮介は自身のマイクスタンドを「邪魔だ」と言わんばかりに蹴り倒すという荒ぶりっぷりを見せる。
自分はこの日は上手側の端の方(柱に視界が遮られない位置)で見ていたのだが、マイクスタンドを蹴り倒した亮介はステージ上を歩き回ると、上手側のスピーカーに隠れてひょっこりはんのようにチラッと顔をこちらに出して手を振るという、不覚にも「かわいいな」と思ってしまうようなパフォーマンスすら見せてくる。
それくらいに上機嫌だった理由の一つは、
「日本中のいろんなライブハウスを巡ってきましたけど、バーカウンターに宝焼酎のお茶割りが置いてある店はここだけです(笑)だからここは日本で1番良い店です(笑)」
という、亮介がステージドリンクとして愛飲している酒が常備してあるライブハウスであるということが大きいと思われる。だからこそ早くも一気飲みくらいのペースで飲み干して、缶をステージ上に放り投げていた。それはなくなってもすぐに手に入るからであろう。
そんな亮介がギターを持って、弾き語りのようにして歌い始めたのは、音源ではピアノで演奏されているフレーズを亮介がギターで弾く形でライブアレンジされた「白状」。その音源の意外な形は「MVを作って欲しい曲投票」で他の曲を抑えて1位になって実際にMVが作られたのだが、亮介の珍しいくらいにリアルな心情吐露が歌詞になり、そんな亮介を支えるかのように途中でメンバーが入ってきてバンドサウンドになるというフラッドの在り方をそのまま示した曲であるということをファンがみんな理解していたからなのかもしれない。
それは同じように亮介の弾き語りのようにして始まって、途中からバンドサウンドへと展開していくアルバムタイトル曲の「伝説の夜を君と」もそうなのだが、ワンマンでは本編の最後に並んでいたこの「白状」からこの曲に至るまでの流れが、2マンではこうして中盤に来ることによって、ライブの流れはかなり違ったものとして感じられる。
「俺たち無敵さ」
というのをこの曲に至るまでに示したワンマンと、この後の曲たちでこれからさらに示していくという2マン。きっとフラッドはこの2曲をこうして演奏するタイミングを変えることによって、やる曲は変わらなくても全く違うライブにすることができるということを、頭ではなくて感覚で理解しているんだと思う。それはもちろん、これまでにひたすらライブをやって生きてきたバンドだからこそだ。
そんな、少し重くさえ感じるパートから我々を解放するかのように、吹けば飛ぶくらいに身も心も飛び跳ねるように軽くしてくれるのは、思いっきりポップに振り切れたことでメロディの良さが光り輝く「バタフライソング」。フラッドはカッコいいロックンロールはもちろんのこと、こんなにもポップかつキャッチーな曲をも作ることができる。だからフラッドが好きなのだし、個人的には足を止めることを選んだ盟友ロックンロールバンド・THE PINBALLSの名曲の「Way of 春風」のアンサー的な曲だとも思っているのだが、そんな春の時期にこの曲を聴くことができるのは今日が最後だな、とも思っていた。
渡邊の軽快なドラムのイントロがどこか「I LOVE YOU」のそれを彷彿とさせるというか、すでにワンマンを観ているのに「I LOVE YOU」をやるのか、と思ってしまうくらいに似ているのはしかし、アルバムからの「R.A.D.I.O.」であり、確かに「I LOVE YOU」にも通じる前向きな力を我々に与えてくれるのは、HISAYOがタイトルフレーズのコーラスを、テツと渡邊が「WOW〜」的なコーラスをそれぞれ重ねるというメンバー全員の声を感じられるからであるが、
「最高と最低を繰り返しながら 辿り着いた今日
最高と最低を繰り返しながら ちゃんと君に出会えた」
というワルツ的なテンポになりながら歌われるフレーズはまさにこうしてフラッドのライブに辿り着いて、会うことができている我々の心境そのものだ。
そうしてコーラスを重ねていたメンバーたちが渡邊のドラムセットの方を向いて合わせるように音を鳴らす。それはメンバー紹介も兼ねた「プシケ」であり、近年は演奏されないライブも多くなっていたこの曲がまたこうして欠かせない存在になってきたのは誰しもが嬉しいと思えることだろう。
やはりメンバー一人一人を紹介しながら、そのメンバーにスポットライトが当たって音を鳴らし、最後に亮介が自分自身を紹介して、
「a flood of circle!」
とバンド名を口にし、テツとHISAYOが前に進み出てくる瞬間のあのカタルシスはフラッドのライブでのこの曲を演奏している瞬間しか絶対に味わうことができないものだ。日付や会場名も口にされることがより一層「今、ここ」を感じさせてくれる。
そんな「プシケ」の後という位置で最新作の曲が担うクライマックスは「北極星のメロディー」。これぞフラッドのアンセムというような突き抜けたメロディーと、ここにいる誰もが笑顔になることができるような多幸感。
「ポラリス 君と最高の景色を探していた
初めての道 選び続けて
何度も何度も 間違いながら
ポラリス 他人と最高の意味が違っていてもいい」
というフレーズは「伝説の夜を君と」というアルバムのテーマの芯と言っていいものであり、この日は冒頭から気合いが入りまくっていたテツのギターがさらに極まっている感すらあったが、それは彼がいつも対バンを観た後の方が燃えるようなタイプのアーティストであるからだろう。そのギターがキャッチーなメロディでありながらも、やはりフラッドは最高にカッコいいロックンロールバンドであると思わせてくれる。
そんな中で亮介が観客に手を振りながらイントロが鳴らされたのは、やはり明日に手を伸ばすための「シーガル」。イントロの亮介の「Yeah」のシャウトでたくさんの観客が跳び上がっていたのは、ここまでのフラッドのライブがそうしたくなるような感情を我々に与えてくれていたからだ。確かにこの日、亮介はそうした我々の想像や予想のはるか上までいこうとしていた。ツアーを重ねてきてさらに良くなっている部分ももちろんあるが、それ以上にこの一瞬に自身の全てを燃やし尽くすような。そんな亮介の、フラッドの生き様がこの日の「シーガル」には確かに滲んでいた。毎回そう思わせてくれるから、数え切れないくらいに聴いていても飽きることがないのだ。それは明らかに亮介が酔っ払っていた効果によるものかもしれないが。
アンコールでは亮介が当たり前のように宝焼酎のおかわりを持ってステージに登場すると、ヤスシに自身の弾き語りに参加してもらったりしてきたDOESの復活に対して、
「やってる音楽も似てるかもしれないし、先輩だけどさ、友達っていうわけでもないし、仲間っていうわけでもない。だから、DOESをやってなかったらあの3人との関係性が宙ぶらりんになってしまうっていうか。だからDOESをやっていて欲しかった」
と、実に亮介らしい言葉で口にする。やっぱり亮介はどこまでいっても同じバンドマンとしてあの3人と対峙していたいのだろうし、それが1番自身に刺激を与えてくれることをわかっているのだろう。
そのDOESに捧げるかのようにも聴こえたのが、水戸の時はやっていなかった「テンペスト」。それがそう聴こえたのは、この曲のサビが
「ロックンロールを歌っている
バカげたセイラー 手を伸ばす
沈む視界の先 かかる虹
永遠に触れない幻」
という、目に見えない、触ることもできないものにフラッドとDOESがずっと手を伸ばし続けているからだ。それは歌詞を航海になぞらえながらも、どこか「Rollers Anthem」に通じるところがあるなと感じていた。この曲が、こうしてロックンロールを歌い続けている2組の共演の日に聴くことができて本当に良かった。
そして最後に演奏されたのは、こちらも水戸では演奏していなかった、亮介のロマンチックさが炸裂した「Honey Moon Song」であるのだが、亮介はこの曲を明らかにいつも以上に声を張り上げるようにして歌っていた。それがバラードと言っていいようなタイプのこの曲を完全にロックンロールに昇華していたのだが、亮介がマイクを通さずに客席に向かって歌う姿は、
「この宇宙に意味なんかないけど、こうして今日みんなが来てくれたことには意味がある」
という亮介の言葉を示すようでありながら、願い続けてきたDOESの復活が現実となり、こうしてまた対バンすることができている。それは月に行くという無謀すぎるようなことを歌にしたこの曲だからこそ込められた感情なんじゃないだろうかと思っていた。これまでも数え切れないくらいに聴いてきた曲であるが、ただただ、この日のこの曲が何故我々がフラッドのライブにこんなに夢中になっているのかということを一曲だけで示してくれているように素晴らし過ぎて、心も体も震えていた。
きっとまだライブで聴けていない新作の「セイントエルモ」はファイナルのLINE CUBE SHIBUYAでは聴けると思っているが、こうして満員になっているベイホールの客席を観ると、結構埋まるんじゃないか、とも思っていても、亮介は
「チケットめちゃくちゃ余ってるから」
と言っていた。
確かに、今までのZeppクラスのライブの動員から考えても、フルキャパのLINE CUBEを埋めるのはだいぶ厳しいとは思う。それでも、バカ売れしたり、フェスのメインステージとは言わないけど(自分はフラッドはそこに行くべきバンドだと思ってるけど)、こんなにカッコいいと思えるようなバンドには、それに見合う景色を見せてあげたいと思っている。それがさらなる伝説の夜に繋がることもわかっているから。ファイナルまであと2ヶ月ちょっと。そこでバンドも、我々ファンも驚いてしまうような景色を見ることができるって信じている。
1.A
2.Dancing Zombiez
3.クレイジー・ギャンブラーズ
4.Blood Red Shoes
5.狂乱天国
6.Welcome To Wonderland
7.白状
8.伝説の夜を君と
9.バタフライソング
10.R.A.D.I.O.
11.プシケ
12.北極星のメロディー
13.シーガル
encore
14.テンペスト
15.Honey Moon Song
すでに10日前の京都からはかつて活動休止前にはしょっちゅう対バンをしていたイメージもあるし、フラッドが主催フェスに呼んだことがある意味では再始動に繋がったとも言える、DOESが対バンとして参加。この日の横浜ベイホールはDOESとの2マンとしては最後の公演となる。
三月ではないし、春の嵐とも言えないけれど強い風が吹く中を歩いて相変わらず駅から遠くて行きづらい横浜ベイホールの中に入ると、いつもながら「こんなにも柱が邪魔くさい会場だったのか」ということに気付くが、客席には足元に立ち位置が記されていることもあってか、後ろまで満員と言っていいくらいの人入りっぷりである。
・DOES
コロナ禍になって以降初めてというか、休止中にフラッドの主催フェスに出演したのを観て以来のDOES。かつてはロックンロールの兄貴分的な存在として、何度となくフラッドと対バンしていたのを観てきたが、またこうしてライブが観れるというのは実に感慨深い。それは復活して、また観れるんだなと思ったらライブができない世の中になってしまったから。
場内が暗転して、盛大な拍手に迎えられてメンバーが登場すると、赤塚ヤスシ(ベース)は金髪、森田ケーサク(ドラム)は長く量が多い髪を結いているというそれぞれバラバラな見た目であるあたりが我々の知っているDOESの姿そのものであるが、休止から復活するまでの年月の間にも全く見た目が変わることがなく、腕には白の東北ライブハウス大作戦のラババンを装着した氏原ワタル(ボーカル&ギター)がギターを弾き始めるのだが、それは明らかにジョン・レノンの「Imagine」のフレーズそのもので、弾き語り的に
「戦争はいらない 独裁者もいらない
欲しいのは君だけ」
「君が望むなら空も晴れるさ」
と、今の世界情勢へ言及した日本語歌詞を載せて歌う。そこにはどこか、今こうしてDOESがシーンに帰ってきたことが必然であるかのようにすら感じられた。そうしたメッセージを捻りも衒いもなく、ただただ素直に正直に音楽にするというのが今のDOESとしての姿勢であるかのように感じられたからだ。きっと休止を決めた時にはいろんなことを諦めたりしたと思うけれど、こうして今でも音楽で何かを変えられるということは諦めていない。
アウトロでワタルのギターにヤスシとケーサクのリズムが重なると、
「と、僕の修羅が騒ぐ!」
と言ってワタルがギターを掻き鳴らし、ヤスシとケーサクのシンプルかつ強力なエイトビートが響く「修羅」へと繋がり、ああ、全く変わることのないDOESだ、と実感する。この曲での
「ひ、ふ、み、よ」
のリズムに合わせて観客が腕を上げる姿はやはりDOESにとってフラッドとの対バンはアウェーではないとともに、ここにいた観客たちが今もずっとDOESの音楽を忘れることなく聴き続けているということがわかって胸が熱くなる。サビ終わりのワタルがマイクを離れての
「イエイエ」
の合唱をすることはできない世の中の状況になってしまったけれど、この曲を聴いていると、ロックというものが海外で生まれたもので、日本人はそれを真似てるだけ云々みたいな言説がバカらしく思えるくらいに、これは絶対に日本でしか生まれ得ないロックンロールだ。
さらに「サブタレニアン・ベイビー・ブルース」と、代表曲にして名曲が連発され、「修羅」とはまた違った軽快なリズムに合わせて観客は手拍子をするのだが、こうして観ていても全く違和感がないくらいに、休止を経ても、コロナ禍になったことを経てもDOESは変わっていない。休止前の後期にはサポートギタリストを加えた4人編成でライブを行っていた時期もあったし、それはそれで楽曲のライブでの再現度を高めていたけれど、やはりDOESはスリーピースバンドだからこそのダイナミズムを確かに感じさせてくれるバンドなんだよな、と思う。
こうしてフラッドに呼んでもらえて、活動を再開してから初めての対バンがフラッドになったこと、活動再開してから初めて横浜にライブをしに来ることができたこと、フラッドと一緒に各地を回れたことの感謝をワタルが告げると、新たに物販で販売を始めたというハンドタオルで顔を拭き、
ワタル「ハンカチ王子だから」
ヤスシ「古い(笑)年代がバレるわ(笑)」
ワタル「もうバレてるから(笑)」
と、もしかしたらワタルはハンカチ王子こと斎藤佑樹が引退したことを知らないんじゃないか、それはそのまま休止してすぐにこのライブが観れているんじゃないかというタイムリープしたような感覚にも襲われるのだが、その新しいグッズとともに活動を再開してから生まれた新曲も放たれていく。
カップリングという立ち位置に入ったのが信じられないくらいのメロディの強度を誇る「ブレイクダウン」はやはりこうしてライブで演奏されるということは、タイトル曲だのカップリング曲だのという区分ではなく、今出したいと思った曲をバンドが音源としてリリースしているということを感じさせるが、叙情性とともに歌謡性を感じるのはDOESならではであり、それがそのままメロディの強さと、このバンドが日本でしか生まれ得ないバンドであることを感じさせてくれる。
続く「BackBeat」は今年に入ってからリリースされた曲であり、ワタルがこの曲をイメージしたTシャツを着ていた曲。DOESのダンサブルな(それはもちろん獰猛なロックンロールということと同義である)サイドの曲であり、ヤスシはその場でクルクルと回りながらベースを弾くというおなじみのパフォーマンスを見せてくれるのだが、この曲をイメージしたTシャツのデザインも含めて、今はDOESはDIYで自分たちだけでバンドを動かしている。
そうした活動形態になった上でこうしたDOESらしさが炸裂した曲が出来てきているというのは、やはり休止前に作ってきた曲が作らされていたり狙っていたものではなくて、ただただ自分たちがやりたいことをやった結果として生まれた曲であり、それは再開してから生まれている曲も変わらないということだ。
それはかつての代表曲を彷彿とさせるようなタイトルの「In The Sun」での爆裂ロックンロールっぷりからもわかることであるが、どれもDOESらしさに満ちていながらも、それを背負ったりしているようなこともないし、「あの曲に続くような曲を作らないとないと」というような使命感も感じない。ただただ自分たちがやりたい音楽を、自分たちが楽しくやっている。そんな空気に満ち溢れているのだ。それはメンバーの演奏している表情からも伝わってくるし、この曲の力強さの極み的なドラムのビートに合わせるかのように、ケーサクは結いていた髪を解いている。
「去年リリースして、初めてオリコンウィークリーチャート1位を獲ることができた曲」
と言って演奏されたのは、再開後の新たなDOESのアンセム「道楽心情」であり、ここまでに演奏してきた曲もそうであったが、あれだけメガヒット曲を休止前に生み出してきたバンドであるのに、観客がみんな今のDOESの曲をちゃんと知っていて、それが演奏されるのを心待ちにしているという、理想的な再開後のバンドの形になっているなと思った。
それはこの「道楽心情」がこれまでのDOESらしさをこれでもかというくらいに感じさせながらも、今のDOESとしての開放感を感じさせる曲になっているからだ。
1位を獲得したのはこの曲がDOESというバンドの存在をお茶の間にまで広めた「銀魂」の劇場版のタイアップという効果もあっただろうけれど、それは「銀魂」のスタッフ側も曲をお願いするならDOESしかないと思っていただろうし、どんなにヒットした映画の主題歌だとしても、そもそも曲が良くなかったら買おうと思う人も、聞こうと思う人もいない。その1週間、他のどのアーティストよりも「欲しい」「聴きたい」という曲をDOESは確かに生み出したのだ。オリコンチャートなんてもしかしたらもう何の意味もないものになっているかもしれないけれど、それだけは事実であるし、「DOESが1位」というのは「曇天」がオリコン3位を獲得した大ヒット曲になった時の、ロックンロールバンドがシーンをひっくり返したという下剋上感の気持ちよさを思い出させてくれることでもあったのだ。
するとここでワタルがメンバー紹介としてヤスシの名前を呼ぶと、ヤスシのMCが。
「亮介とはよく飲みに行ったりするんだけどわ休止した直後からもう「早く再開しろ」って言ってきて(笑)
「こっちだって事情があんだよ」って言ってんのに「もう今再開しろ」「すぐ再開しろ」ってうるさくて、ケンカっぽくなったりもしたんだけど(笑)、こうやって再開した理由のほんのちょっとは亮介がずっとそう言ってくれていたからってことにしておきます(笑)」
と、亮介がDOESを好きで仕方がないということが明らかになるエピソードを語るのだが、亮介は近くで見たいたからこそ、DOESがメンバー感の不和などの、もうやりたくないという感じになって休止したわけじゃないことをわかっていたからこそ、ヤスシにそう言い続けていたんだろう。それはワタルはともかくとして、ヤスシとケーサクにバンドマンでいて欲しい、ステージに立ち続けていて欲しいという思いもあったことと思う。
ヤスシから紹介されたケーサクは何故か「フラッドさん」と、自分の方が先輩のはずなのにフラッドをさん付けして、この対バンが今日で一旦終わりであることを口にしていたが、それはヤスシの語ったエピソードのとおりに、ケーサクもまたフラッドに、亮介に感謝しているからこそ、そうしてさん付けするというリスペクトの仕方をしていたのかもしれない。
そのケーサクから紹介を受けたワタルは、先日の高知でのライブ後にHISAYOと朝まで飲んでいたという、亮介だけではなくバンド全体としての仲の良さを感じるエピソードを話してくれるのだが、その話をしていた時のヤスシが
「え?そうだったの?」
的な顔をしてワタルを見ていたのがなんだか面白かった。
そんなロックンロールバンドである自分たちとフラッド、およびそのファンたちに捧げるように演奏された「ロックンロールが死んで」はミドルテンポの曲だからこそしっかりと耳に入ってくる
「今でも覚えているよ
あの日の衝動は嘘ではないことを」
というフレーズが、その衝動が今でもDOESを、フラッドを、我々を突き動かしていることを感じさせるし、
「絶え間無き時の中で変わるものと変わらないもの
果てし無き繰り返しを僕らは「生きる」と言うのです」
という締めのフレーズは、こうしてDOESというバンドが今もなお生きているからこそこの上ない説得力を放っている。そのDOESの姿を見れている我々も生きているからであり、それが真っ白な照明の効果も相まってか、本当に神聖なことのように感じられた。こうしたことをこれからも繰り返して生きていたいと心から思うほどに。
「フラッドが出てくる前に踊りまくって体を温めておこうぜー!踊るなら、バクチに踊れ!」
と言って最後に演奏されたのは、もちろん「バクチ・ダンサー」。ミュージックステーションに出演してこの曲を披露した時と同じように、ヤスシはベースを弾きながらその場をくるくると激しく回ってみせ、ワタルが掻き鳴らすギターの歪みと音圧が、ケーサクがぶっ叩くドラムのビートが否が応でも我々を踊らせてくれる。「曇天」やこの曲があまりにも売れ過ぎたことによって、なかなか他の曲が浸透していかないというジレンマもあったけれど、それでもこの曲のカッコ良さは確かにたくさんの人に届いていたんだよな、と今ならそう思える。
それは演奏後にワタルが
「三三七拍子で締めよう!」
と言って、3人の楽器で三三七拍子を鳴らし、それがどんどん速くなっていって観客の手がついていけなくなる、というパフォーマンスまでをも、本当に楽しそうに行っていたからだ。
カッコ良さは全く失われていないままで、まるっきり商業的なことを考えられないままでお茶の間にまで浸透する曲を作った3人によるロックンロールバンドが、ちゃんと我々の前に帰ってきてくれたのだ。
世代、年齢的にもDOESは世の中、メジャーなシーンに出ていくのがフラッドよりも早かった。ワタルは「顔も亮介に似ている」と言っていたが、顔だけではなく、音楽性的にも近い位置にいる先輩バンドが、ロックンロールのカッコ良さを最大限に感じさせながら、ミュージックステーションなどの大きな場所に出て行くのを本当に頼もしく見ていた。あそこまで行っても、ロックバンドとして変わらないままでいられるんだなって。
まぁもしかしたらそれによって変わらざるを得ないこともあったかもしれないけれど、それでもあの頃にDOESから感じることができていた頼もしさを、今もまた感じることができている。それは、DOESのように一度止まることがあっても、ロックンロールバンドは変わらずにカッコいいままで戻ってくることができるということを教えてくれたからだ。
1.Imagine
2.修羅
3.サブタレニアン・ベイビー・ブルース
4.ブレイクダウン
5.BackBeat
6.In The Sun
7.道楽心情
8.ロックンロールが死んで
9.バクチ・ダンサー
・a flood of circle
そしてそんな先輩・DOESの後にフラッドがこの2マンシリーズを締めるべくステージに。
おなじみのSEでメンバー4人が登場すると、佐々木亮介(ボーカル&ギター)はこの日は白の革ジャンを着用しているのだが、DOESのライブ中にヤスシがMCで言っていたように、このツアーの初日にいきなり金髪にして観客を驚愕させた亮介の髪色が、金髪というよりもオレンジというか何というか、角度や光の加減にもよるけれど、金髪とも言い切れない色になりつつあるのは、色が落ちてきたのか、あるいは染め直したのか。いずれにしても、こうして紛れもなく同世代である亮介が今になってこんなにも攻めた髪色にするというのは、まだ我々世代もそうしてもいいんだな、と思わせてくれるものである。
この日は柄シャツではなくて黒の革ジャンを着た青木テツ(ギター)がイントロを掻き鳴らして始まったのは、まさに「これが最初のA」とばかりに演奏された「A」で、
「悪いことしようぜ バカげた物語」
というサビのフレーズは、こうしてこんなに人里離れた場所でロックンロールのために集まっているこの瞬間が何か悪いことをしているような感じにすらなる。
すると渡邊一丘(ドラム)の叩き出すリズムに合わせて観客が手拍子をする「Dancing Zombiez」ではタイトルに合わせて誰よりもHISAYO(ベース)が踊るようにというか、舞うように演奏しているのであるが、こうしてロックバンドをやっていること、その存在に人生の何割かを賭しているような、メンバーと我々全員がギャンブラーなんじゃないかと思わせるような爆裂ロックンロール「クレイジー・ギャンブラーズ」と続くと、明らかに先月の水戸LIGHT HOUSEで観た時よりも、「伝説の夜を君と」の収録曲が確実にさらにバンドの中に浸透して、構えることなく自然に鳴らすことができているようなしなやかさを感じる。いや、水戸の時もまだツアー序盤とは思えないくらいに完成度の高いライブを見せていてくれたのだが、そこはやはり毎回ライブをやるたびに進化してきたことを示してきた、フラッドというバンドならではの凄まじさである。それをこの序盤から確かに噛み締めることができているのが本当に嬉しいのだ。
ステージに真っ赤な照明が当てられ、HISAYOのゴリゴリのベースが引っ張る「Blood Red Shoes」ではもうこのままモッシュやダイブが起こってもおかしくはないと思うような熱量がステージにも客席にも満ちていく。それくらいに衝動を掻き立てられるようなライブをするバンドだからこそ、毎回ツアーを何本も、地方に強引に行ってまで見たいと思うのであり、どんな会場や状況でもその衝動を腕の動きや体を揺らすことだけで抑えているフラッドファンは本当に凄い。自分もその中の1人であることを誇りに思えるし、そもそもこんなにもカッコいいバンドのカッコ良さにちゃんと気付いているというだけで、自分はフラッドのファンの方々を最大限に信頼している。
すると亮介はギターを置いてハンドマイクになるのだが、ただ単にハンドマイクになるのではなくて、もう片方の手には缶チューハイが握られているというのが亮介ならではで、「狂乱天国」はまさにそんな飲酒しながらも野太いロックンロールボイスを張り上げながらステージを歩き回って歌うリズムにその人がこの狂乱天国を作り上げているんだよなと思う。その狂乱っぷりはこのコロナ禍で客席の中に突入していけないということが実にもったいなく感じるほどだ。
水戸の時とセトリが違うというのは、水戸がワンマンでこの日がツーマンだから当然であるのだが、ワンマンでの「この曲やるんだ!」という驚きは水戸のライブレポを見ていただきたい。
(http://rocknrollisnotdead.jp/blog-entry-1023.html?sp)
とはいえ、ここまでは水戸の時と同じ流れを、ツアーを経てきたことによってより研ぎ澄ませているというものになっているのだが、ワンマンからツーマンになるということは曲数を減らすということが必要になるわけで、そうして削った結果として「狂乱天国」から、どこかラテンとも何とも言えない、フラッド流の南国感を醸し出す「Welcome To Wonderland」へと繋がることによって、亮介は新作からのハンドマイク曲が続くことになるのだが、その際に亮介は自身のマイクスタンドを「邪魔だ」と言わんばかりに蹴り倒すという荒ぶりっぷりを見せる。
自分はこの日は上手側の端の方(柱に視界が遮られない位置)で見ていたのだが、マイクスタンドを蹴り倒した亮介はステージ上を歩き回ると、上手側のスピーカーに隠れてひょっこりはんのようにチラッと顔をこちらに出して手を振るという、不覚にも「かわいいな」と思ってしまうようなパフォーマンスすら見せてくる。
それくらいに上機嫌だった理由の一つは、
「日本中のいろんなライブハウスを巡ってきましたけど、バーカウンターに宝焼酎のお茶割りが置いてある店はここだけです(笑)だからここは日本で1番良い店です(笑)」
という、亮介がステージドリンクとして愛飲している酒が常備してあるライブハウスであるということが大きいと思われる。だからこそ早くも一気飲みくらいのペースで飲み干して、缶をステージ上に放り投げていた。それはなくなってもすぐに手に入るからであろう。
そんな亮介がギターを持って、弾き語りのようにして歌い始めたのは、音源ではピアノで演奏されているフレーズを亮介がギターで弾く形でライブアレンジされた「白状」。その音源の意外な形は「MVを作って欲しい曲投票」で他の曲を抑えて1位になって実際にMVが作られたのだが、亮介の珍しいくらいにリアルな心情吐露が歌詞になり、そんな亮介を支えるかのように途中でメンバーが入ってきてバンドサウンドになるというフラッドの在り方をそのまま示した曲であるということをファンがみんな理解していたからなのかもしれない。
それは同じように亮介の弾き語りのようにして始まって、途中からバンドサウンドへと展開していくアルバムタイトル曲の「伝説の夜を君と」もそうなのだが、ワンマンでは本編の最後に並んでいたこの「白状」からこの曲に至るまでの流れが、2マンではこうして中盤に来ることによって、ライブの流れはかなり違ったものとして感じられる。
「俺たち無敵さ」
というのをこの曲に至るまでに示したワンマンと、この後の曲たちでこれからさらに示していくという2マン。きっとフラッドはこの2曲をこうして演奏するタイミングを変えることによって、やる曲は変わらなくても全く違うライブにすることができるということを、頭ではなくて感覚で理解しているんだと思う。それはもちろん、これまでにひたすらライブをやって生きてきたバンドだからこそだ。
そんな、少し重くさえ感じるパートから我々を解放するかのように、吹けば飛ぶくらいに身も心も飛び跳ねるように軽くしてくれるのは、思いっきりポップに振り切れたことでメロディの良さが光り輝く「バタフライソング」。フラッドはカッコいいロックンロールはもちろんのこと、こんなにもポップかつキャッチーな曲をも作ることができる。だからフラッドが好きなのだし、個人的には足を止めることを選んだ盟友ロックンロールバンド・THE PINBALLSの名曲の「Way of 春風」のアンサー的な曲だとも思っているのだが、そんな春の時期にこの曲を聴くことができるのは今日が最後だな、とも思っていた。
渡邊の軽快なドラムのイントロがどこか「I LOVE YOU」のそれを彷彿とさせるというか、すでにワンマンを観ているのに「I LOVE YOU」をやるのか、と思ってしまうくらいに似ているのはしかし、アルバムからの「R.A.D.I.O.」であり、確かに「I LOVE YOU」にも通じる前向きな力を我々に与えてくれるのは、HISAYOがタイトルフレーズのコーラスを、テツと渡邊が「WOW〜」的なコーラスをそれぞれ重ねるというメンバー全員の声を感じられるからであるが、
「最高と最低を繰り返しながら 辿り着いた今日
最高と最低を繰り返しながら ちゃんと君に出会えた」
というワルツ的なテンポになりながら歌われるフレーズはまさにこうしてフラッドのライブに辿り着いて、会うことができている我々の心境そのものだ。
そうしてコーラスを重ねていたメンバーたちが渡邊のドラムセットの方を向いて合わせるように音を鳴らす。それはメンバー紹介も兼ねた「プシケ」であり、近年は演奏されないライブも多くなっていたこの曲がまたこうして欠かせない存在になってきたのは誰しもが嬉しいと思えることだろう。
やはりメンバー一人一人を紹介しながら、そのメンバーにスポットライトが当たって音を鳴らし、最後に亮介が自分自身を紹介して、
「a flood of circle!」
とバンド名を口にし、テツとHISAYOが前に進み出てくる瞬間のあのカタルシスはフラッドのライブでのこの曲を演奏している瞬間しか絶対に味わうことができないものだ。日付や会場名も口にされることがより一層「今、ここ」を感じさせてくれる。
そんな「プシケ」の後という位置で最新作の曲が担うクライマックスは「北極星のメロディー」。これぞフラッドのアンセムというような突き抜けたメロディーと、ここにいる誰もが笑顔になることができるような多幸感。
「ポラリス 君と最高の景色を探していた
初めての道 選び続けて
何度も何度も 間違いながら
ポラリス 他人と最高の意味が違っていてもいい」
というフレーズは「伝説の夜を君と」というアルバムのテーマの芯と言っていいものであり、この日は冒頭から気合いが入りまくっていたテツのギターがさらに極まっている感すらあったが、それは彼がいつも対バンを観た後の方が燃えるようなタイプのアーティストであるからだろう。そのギターがキャッチーなメロディでありながらも、やはりフラッドは最高にカッコいいロックンロールバンドであると思わせてくれる。
そんな中で亮介が観客に手を振りながらイントロが鳴らされたのは、やはり明日に手を伸ばすための「シーガル」。イントロの亮介の「Yeah」のシャウトでたくさんの観客が跳び上がっていたのは、ここまでのフラッドのライブがそうしたくなるような感情を我々に与えてくれていたからだ。確かにこの日、亮介はそうした我々の想像や予想のはるか上までいこうとしていた。ツアーを重ねてきてさらに良くなっている部分ももちろんあるが、それ以上にこの一瞬に自身の全てを燃やし尽くすような。そんな亮介の、フラッドの生き様がこの日の「シーガル」には確かに滲んでいた。毎回そう思わせてくれるから、数え切れないくらいに聴いていても飽きることがないのだ。それは明らかに亮介が酔っ払っていた効果によるものかもしれないが。
アンコールでは亮介が当たり前のように宝焼酎のおかわりを持ってステージに登場すると、ヤスシに自身の弾き語りに参加してもらったりしてきたDOESの復活に対して、
「やってる音楽も似てるかもしれないし、先輩だけどさ、友達っていうわけでもないし、仲間っていうわけでもない。だから、DOESをやってなかったらあの3人との関係性が宙ぶらりんになってしまうっていうか。だからDOESをやっていて欲しかった」
と、実に亮介らしい言葉で口にする。やっぱり亮介はどこまでいっても同じバンドマンとしてあの3人と対峙していたいのだろうし、それが1番自身に刺激を与えてくれることをわかっているのだろう。
そのDOESに捧げるかのようにも聴こえたのが、水戸の時はやっていなかった「テンペスト」。それがそう聴こえたのは、この曲のサビが
「ロックンロールを歌っている
バカげたセイラー 手を伸ばす
沈む視界の先 かかる虹
永遠に触れない幻」
という、目に見えない、触ることもできないものにフラッドとDOESがずっと手を伸ばし続けているからだ。それは歌詞を航海になぞらえながらも、どこか「Rollers Anthem」に通じるところがあるなと感じていた。この曲が、こうしてロックンロールを歌い続けている2組の共演の日に聴くことができて本当に良かった。
そして最後に演奏されたのは、こちらも水戸では演奏していなかった、亮介のロマンチックさが炸裂した「Honey Moon Song」であるのだが、亮介はこの曲を明らかにいつも以上に声を張り上げるようにして歌っていた。それがバラードと言っていいようなタイプのこの曲を完全にロックンロールに昇華していたのだが、亮介がマイクを通さずに客席に向かって歌う姿は、
「この宇宙に意味なんかないけど、こうして今日みんなが来てくれたことには意味がある」
という亮介の言葉を示すようでありながら、願い続けてきたDOESの復活が現実となり、こうしてまた対バンすることができている。それは月に行くという無謀すぎるようなことを歌にしたこの曲だからこそ込められた感情なんじゃないだろうかと思っていた。これまでも数え切れないくらいに聴いてきた曲であるが、ただただ、この日のこの曲が何故我々がフラッドのライブにこんなに夢中になっているのかということを一曲だけで示してくれているように素晴らし過ぎて、心も体も震えていた。
きっとまだライブで聴けていない新作の「セイントエルモ」はファイナルのLINE CUBE SHIBUYAでは聴けると思っているが、こうして満員になっているベイホールの客席を観ると、結構埋まるんじゃないか、とも思っていても、亮介は
「チケットめちゃくちゃ余ってるから」
と言っていた。
確かに、今までのZeppクラスのライブの動員から考えても、フルキャパのLINE CUBEを埋めるのはだいぶ厳しいとは思う。それでも、バカ売れしたり、フェスのメインステージとは言わないけど(自分はフラッドはそこに行くべきバンドだと思ってるけど)、こんなにカッコいいと思えるようなバンドには、それに見合う景色を見せてあげたいと思っている。それがさらなる伝説の夜に繋がることもわかっているから。ファイナルまであと2ヶ月ちょっと。そこでバンドも、我々ファンも驚いてしまうような景色を見ることができるって信じている。
1.A
2.Dancing Zombiez
3.クレイジー・ギャンブラーズ
4.Blood Red Shoes
5.狂乱天国
6.Welcome To Wonderland
7.白状
8.伝説の夜を君と
9.バタフライソング
10.R.A.D.I.O.
11.プシケ
12.北極星のメロディー
13.シーガル
encore
14.テンペスト
15.Honey Moon Song
JAPAN JAM 2022 day1 @蘇我スポーツ公園 5/1 ホーム
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