ずっと真夜中でいいのに。 Z FACTORY 「鷹は飢えても踊り忘れず」 day1 "memory_limit=-1" @さいたまスーパーアリーナ 4/16
- 2022/04/17
- 20:32
「秒針を噛む」で謎のまま颯爽とシーンに登場した時は衝撃だった。その後に2ndミニアルバム「今は今で誓いは笑みで」リリース時にZepp DiverCityで初めてワンマンライブを観た時(まだ通算2回目のワンマンくらいのタイミングだった)に、さらに衝撃を受けた。なんなんだこの解明不可能なライブの凄まじさはと。ライブ経験が全然ないような歌唱と演奏とは思えない、どこかでこっそりと年間100本以上ライブをやってるんじゃないか、とすら思うくらいに。
ライブハウスでそう思ったからこそ、もうその時点でその規模ははるかに超越していた。すぐにアリーナレベルまで行くな、と思った。実際に直近のホールツアーは全くチケットが取れないという状況だったのだが、ずっと真夜中でいいのに。がついにさいたまスーパーアリーナでワンマンを行う。
初のアリーナでいきなりの2daysの今回のライブは各日でタイトルが違っており、ライブの内容も違うことが示唆されているのだが、会場最寄駅であるさいたま新都心駅からさいたまスーパーアリーナに向かうけやき広場には物販の鮮やかな服を身に纏い、しゃもじを持った人がたくさんいるというのはある種異様な光景である。
制限なし、スタジアムモードでフルキャバのさいたまスーパーアリーナはこんなにも人が入るものなのか、ということに改めて驚きつつ、ステージはなにやらクレーン車のようなものも鎮座しているのだが、やはり開演前は薄暗くてその全貌を把握することはできない。
そんな中、土曜日にこの時間からか、と思ってしまう19時を少し過ぎたあたりで、元から薄暗かった場内はゆっくりと、さらに暗く黒くなっていく。ステージ上には人の影が動いている様子がわかり、メンバーが次々にステージに現れてきているのがわかるのだが、ステージ左右に設置されたスクリーンにステージ上の様子が映ると、Open Reel Ensembleの和田永が、今やずとまよのライブの象徴的なガジェットであるTVドラムを叩いて、始業開始のチャイムの音を鳴らす。それはこの工場の操業開始を告げるものと言えるだろうけれど、ステージ上に組まれた塔のような造形物の上段に組まれたベルトコンベアから炊飯器やら靴やらが巨大な壺のようなものの中に吸い込まれていき、火花が散る中でそれら吸い込まれていったものが融合して出てきたのがACAね(ボーカル)である、というようなオープニングにすでに度肝を抜かれる。ZTMY FACTORYとはつまりACAねを、ずっと真夜中でいいのに。を作っている工場であるかのように。
そのACAねが壺の前に設置された滑り台を滑ってステージ下部まで降りてくると、トラック的なサウンドによる「眩しいDNAだけ」を歌い始めるのだが、ステージ上手にはおなじみの佐々木"コジロー"貴之(ギター)、村山☆潤(キーボード)の2人と、この日はゆずなどのサポートも務める安達貴史がベースとして参加し、下手には河村吉宏のドラムセット、中央でありながらも楽器の特性上、左右に移動する吉田悠と吉田匡のOpen Reel Ensembleというこれまでのずとまよのライブの凄まじさを担ってきた面々に加えて、下手上方にはホーン隊3名とさらにサウンドが増強されている。Open Reel Ensembleの面々がガスマスクみたいなものを装着していることからも明らかであるが、ACAね以外のメンバーは全員工場の作業員という出で立ちである。
抑制されたサウンドによるヒップホップ的な歌唱の
「工場の煙で止まりますのボタン」
というフレーズで始まるこの曲がオープニングというのは今回のこのライブが工場という設定であることに合わせたものだと思われるが、サビになるにつれてACAねの歌唱もバンドのサウンドも熱量を増したものになっていくと、相変わらずスクリーンには顔がはっきり映ることはないACAねが最後のサビ前で
「満たされていたくないだけ」
のフレーズで思いっきり声を張り上げる。そのずとまよでしかない、ACAねでしかない魔法のような声が張り上げられた瞬間に、客席で光るしゃもじペンライトの光も含めて、時間が止まったかのような感覚になった。その一瞬だけで、ずとまよはさいたまスーパーアリーナを完全に支配してしまったのだ。
「ずっと真夜中でいいのに。」
と、曲終わりで挨拶をすると、そのままACAねが呪術的なオリジナル言語を口にしての「ヒューマノイド」でさらにバンドサウンドがアッパーになっていき、特に村山☆潤のキーボードさばきはスクリーンに映るたびに本当に見事だと思う。あらゆるアーティストのサポートをしている人だけれど、ずとまよのキーボードはもはやこの男としか思えないほどに。
そのままアウトロとイントロをシームレスに繋げるようにして「勘冴えて悔しいわ」のドラムのリズムが刻まれるのだが、そうした繋ぎのアレンジも含めてメドレー的な位置の曲ということなのか、演奏はワンコーラスだけというものになっていた。それはこの後にまだまだたくさん曲を演奏するからということでもあるのだろうけれど、やはりフルで聴きたいなとも思う。
和田永が再びTVドラムを叩いてリズムを刻み、そこにオープンリールによる電子音とともにホーン隊のサウンドまでもが絡むという、ライブではおなじみの曲であるのに斬新な形にアップデートされた「マイノリティ脈絡」ではサビになるにつれてそうした様々な楽器の音が重なり合い、爆発しているかのような迫力に変貌していく。特に河村のリズムの手数が明らかに多く、かつ強くなっているのが元から凄まじい爆発力を発揮してきたこの曲を究極形と言っていいくらいに進化させており、ついつい音に反応して体が激しく動いてしまう。それはACAねもそうであったようで、まだ序盤であるにもかかわらずリズムに合わせて激しく飛び跳ねるようにして歌う。その歌がこんなにも強靭なサウンドに全く負けていないどころか、これだけの楽器を凄腕プレイヤーたちが鳴らしているのに、あくまでも中心にはACAねの歌があるというバランスは変わらないのは、サウンドをアップデートするにつれてさらにACAねの歌声もレベルアップを果たしているということに他ならないだろう。
「ちょっと飛ばし過ぎました…」
と少し息を切らしながらもACAねは
「今日はメンバーもスタッフもみんな工場員の格好をしてくれています。精一杯もてなしますので、よろしくお願いします。体調悪かったりしたら曲中でも抜けられるから…」
と、相変わらず歌っている時と同一人物なのかと思うくらいにMCの時のトーンは低いというか、そこもまたこの人は音楽を通すことによって他の人とコミュニケーションを取れる人なんだなと思う部分であるが、
「好きな魚の曲を歌います」
と言ってACAねがギターを弾きながら歌い始めた、もはや初期と言っていい1stアルバム収録の当時のずとまよのど真ん中的なギターロックサウンドの「ハゼ馳せる果てるまで」は実に久しぶりにライブで聴いた曲であるし、「2日間で内容が異なる2days」で前半でこうして初期の曲が続いたということは、初日が初期の曲、2日目が近年の曲というようなセトリの分かれ方をしているんだろうと思ったのだが、その後に最新作「伸び仕草懲りて暇乞い」の1曲目に収録されている「違う曲にしようよ」が演奏されたことによってその予想が実に短絡的なものであったということを思い知らされる。それだけにこの後にどんな曲が演奏されるのか、翌日がどんな内容になるのかが全く予想がつかなくなった。つまりはこちらの予想とは違う曲にしてくれるという楽しみが増したのであるが、この曲からは河村とホーン隊の間の位置に様々なアーティストのサポートだけではなくプロデューサーとしても活躍している神谷洵平のドラムも設置され、まさかのツインドラムに。ましてや河村と神谷のツインドラムなんて、想像上の凄いリズムのライブでしかないようなものを現実で実現させている。
すると上手中断には三味線奏者の小山豊が登場して自己紹介的に三味線を弾くと、ACAねもさらにその上のセットの最上段まで移動し、その三味線の音をヒップホップ的なサウンドに融合させるという、ずとまよならではの音楽的なアイデアが炸裂する「機械油」でACAねの言葉がムーディーなサウンドに乗って次々と放たれていくと、再びステージ最下段まで降りたACAねはしゃもじを取り出して叩いてリズムを刻む。気付けばステージ上のメンバーはみんなしゃもじを叩いており、客席のしゃもじペンライトもより鮮やかに光るのだが、先程までは誰もいなかった上手中段、小山の横にはストリングス隊までも登場し、「彷徨い酔い音頭」のサウンドをさらに豪華に彩っていく。そのこの編成ならではのサウンドが、これまでにライブで聴いてきたこの曲の記憶以上に、少年期の夏祭りの景色を思い起こさせてくれる。コロナ禍とかになって、今ああいう街の夏祭りは行われているのだろうか。まだ少し早い時期だけれど、そんな夏の夜の匂いを確かに感じさせてくれるとともに、間奏ではOpen Reel Ensembleが提供したACAねの新たなガジェットである扇風機を楽器に改造した扇風琴をACAねが弾くだけでも驚きなのだが、その横では和田永も扇風琴を弾いている。まさかこの楽器が量産できるようなものだったとは、ということにも驚いてしまった。
するとACAねは急に、
「私は猫を飼ってるんですけど、その猫の名前が真生姜ストリングスっていう名前で(わざわざ漢字でどう書くかを説明する)、最近夜中によくやるルーティンがあって。それを撮ったので見てください」
と言うと、突如としてスクリーンにはACAねの愛猫であるショガストこと真生姜ストリングスがベッドの上で自身の体をペロペロ舐め、撮影されているのに気付いて素に戻る演奏が映し出される。
確かに可愛いけれど、我々は一体何を見せられているのだろうか、と思いつつも、これはもしかしたら「猫リセット」の曲フリでもあるんじゃないか?とも思っていたのだが、実際に演奏されたのは全然猫に関係ない、美しいメロディに酔いしれるようなミドルテンポの「夜中のキスミ」であったため、より一層この映像がなんだったのかがわからなくなってしまった。猫へのネーミングセンスといい、とにかくACAねは音楽だけではなく日常生活も含めて全方位的にぶっ飛んでいる発想の持ち主であるということだけはよくわかったのであるが。
すると村山☆潤の美しいピアノのイントロに導かれるようにしてステージ上方にはミラーボールが現れて場内を輝かせる。もちろん演奏されたのは「MILABO」であるのだが、ストリングス隊も含めた大編成による生演奏のサウンドはやはりこれまでよりもさらに迫力を増しているだけに、過去最高に体が自然と踊り出してしまう。ACAねはサビでしゃもじを左右に振りながら歌うのだが、観客もその動きに合わせてしゃもじを振りながら踊りまくっている。ネットシーンという出自であり、何度ライブに行っても未だにACAねの顔はちゃんと見えていないけれど、ずとまよのライブは実にフィジカルに楽しい。もちろんフィジカルだけでなくてメンタル的にも。
するとACAねは再びギターを持ち、それを弾きながら「脳裏上のクラッカー」を歌い始める。ステージセット中断には吉田悠と吉田匡がそれぞれ緑と赤に発光するオープンリールを持ってステージを動き回り、それがそのままこの曲の効果音になっていくというのがオープンリールという楽器の視覚的にも面白い部分であるが、サビでの2人のフォーメーションの完璧さが、最後のACAねの思いっきり張り上げる歌詞にない歌唱によってさらに見事なものに見えて来る。映像ではなくてあくまで目の前にいる人の動きと演奏が最高の演出になっているというのは目に見えるものであるが、ACAねのその張り上げた声のどうしようもないくらいに聴き手の感情を鷲掴みにして揺らしてくるような感覚。
「目に見えるものが全てって思いたいのに」
と歌っているが、自分もそう思っている。目に見えないものなんて実態がないから信用できないとも。でもACAねの声もずとまよの音楽も、鳴らしている、発しているものは目に見えない。目に見えるものが全てではないということを突きつけられてしまうかのように、今目の前で鳴らされている音が凄まじ過ぎるのだ。
するとACAねに促されて観客は一旦ここで客席に着席すると、ACAねは最初からあったっけ?と思うくらいに存在に気付いていなかった、ステージ中段の下手にある電話ボックスの中に入り、受話器を手に取って観客に語りかけるように
「昔から輪の中に入るのが苦手で。仲良くしたいなと思ってるのになかなかそうは出来なくて…」
と話したのだが、確か「潜潜話」リリースツアーの際にもACAねはこうした話をしていた。その時は自身が
「みんなで会話していても急に鼻歌を歌い出したりしちゃって、変なやつって思われたりして…」
という存在だったことを話していたのだが、その話を聞いて自分はACAねの歌の凄まじさの理由がわかった気がした。それは生きていることと歌うことがイコールで結ばれているくらいに、この人は歌うという行為を通して人と繋がろうとしている人だと思ったからだ。上手く喋れないのも、人の輪の中に入れないのも、それよりも歌によって人に感情や気持ちを伝えることができる人なのだと。
ダイヤル式の公衆電話に硬貨を投入してダイヤルを回すと、そう思った時と同じように「Dear Mr「F」」を、でも電話ボックスの中というあの時とは全く違うシチュエーションで歌う。最初はACAねのボーカルと村山☆潤のピアノだけだったのが、徐々にギターやベース、ドラムという音が加わっていくのだが、それでもステージに光が当たるのはACAねのみ。それくらいにACAねの私的な曲だということだろうが、客席から姿が見えないくらいに暗い中でメンバーはどうやって演奏していたのだろうか。
そのまま観客は座ったまま、ACAねはステージ下段の定位置に戻ってきて、ストリングス隊も含めて今度は演奏者たちに光が当てられる中で「正しくなれない」を歌い始めるのだが、先程のMCからの「Dear Mr「F」」に続いてこの曲が演奏されることによって、正しい人になることができないACAねの心情を吐露しているようにも聞こえてくる。でも正しくなれなかった人だからこそ、我々の心に突き刺さるような歌を歌えているんだと思う。そのACAねの正しくなさに救われている人だってたくさんいる。これまでは村山☆潤のシンセやオープンリールが担っていたストリングスのサウンドが実際のストリングスで鳴らされることによって正しい美しさを発揮していたこの曲を座って聴いていたらそんなことを思っていた。
ここまでの2曲を座って聴いていた観客たちを立ち上がらせたのは和田永によるTVドラムの画面に「強」の文字が浮かび上がって始まった「お勉強しといてよ」であるが、この曲ではスクリーンに映し出されるメンバーの演奏する姿にエフェクトがかけられるという演出になっており、ステージから遠い席の人でもより楽しめるようになっているのだが、近年のずとまよのシグネチャーサウンドというようなファンキーなポップサウンドがストリングス隊とホーン隊という今のずとまよオールスターズ的な編成によってより肉体的に増強されている。
そしてこのライブの直前に公開された新曲「ミラーチューン」もスクリーンにエフェクトをかけて披露されるのだが、そのエフェクトに出てくる文字も効果音的な同期の音も含めて、ずとまよの原宿ポップというか、サウンドは全然違えど世界観からは初期のきゃりーぱみゅぱみゅを想起させるような曲なのだが、最後にACAねが張り上げる声も「眩しいDNAだけ」や「脳裏上のクラッカー」でのものとは違う、どこか可愛らしさを感じるようなものになっており、そこに少しクスッとしてしまうとともに、ACAねの表現力のさらなる向上っぷりに改めて驚いてしまう。こんな歌い方もできるのかと。
そんなACAねはこのライブのテーマが
「感情を解放すること」
であると明かし、それは普段は買い物とかしても店員に何て言ってるのか伝わらなかったりする自身が感情を最大限に解放できるのがこうしたライブのステージであるということを語ると同時に、
「直接的に「頑張れ」って歌うことはできないけれど…そういう思いを持って曲を作って歌っている姿をこれからも見届けてもらえたらと思います」
と、どういう思いで音楽を作り、歌っているかということを自身の口からしっかりと語る。そのあまりに独特な言語感覚による歌詞であるだけに、ここにいる人はACAねが直接的な「頑張れ」的なことを歌えないのはわかっているし、そうした曲を求めてもいないだろう。でもACAねだけの言葉で歌い、そこからそうした思いを感じ取りたいのだ。きっとここにいる人たちは「頑張れ」とは言われなくても、ずとまよの音楽を聴いて、ライブに来ることによって日々を頑張る力を得ることができている。そんな人がこんなにもたくさんいる。ACAねの思いはきっと伝わっているはずだ。
そんな言葉の後に演奏されたのは昨年末に先行配信され、すでにずとまよの新たな代表曲になっている「あいつら全員同窓会」で、この日のライブメンバー勢揃いというまさに全員同窓会な豪華なサウンドで演奏されるのだが、特に音源でも象徴的に使われていたストリングスの音がこの曲をライブでの完成形的に迫力を引き上げると、サビではしゃもじを持ったACAねがリズムに合わせて観客をジャンプさせる。その際にACAねも
「ジャンプ」
とこっそり言いながらジャンプさせるのも面白いし、ストリングスやドラムという座っている楽器以外のメンバーも一緒にジャンプするのもより面白いし楽しい。この楽しいと思える感覚と、それを最大限に感じさせてくれるサウンドの凄まじさがまたこうしてシャイな空騒ぎをみんなでしたいと思わせてくれる。それはつまり「頑張れ」とは直接言わなくても我々に頑張ろうと思わせてくれているということだ。
「誰かを けなして自分は真っ当
前後を削った一言だけを
集団攻撃 小さな誤解が命取り
あんたは僕の何なんだ
そんなやつに心引き裂かれたんだ
想像は想像でしかないし
粘り強いけれど打たれ弱いし
心臓を競走する前に」
というACAねの早口ボーカルによる歌詞にある通りに心ないような実態のない声に負けないように。
そして村山☆潤の美しいピアノのメロディによってイントロが鳴らされ、ACAねのギターカッティングが続く、ずとまよの登場を知らしめた「秒針を噛む」が最後の曲として鳴らされる。もちろんこの日のオールスターバージョンでの演奏となるのだが、間奏ではコロナ禍だからこそのコール&しゃもじ拍子も行われ、さいたまスーパーアリーナの規模だからこそ、ステージから見て左側、中央、右側と分けてしゃもじ拍子をさせるという光景に、ついにこの曲がここまで来たんだな…と感慨を感じずにはいられないが、もしコロナ禍じゃなかったらかつてのようにコール&レスポンスをしていただろうと思う。しゃもじ拍子があまりにずとまよのライブらしく定着したことによって違和感が全くなくなっているが、この曲をこの規模、この人数で大合唱したらどんな風に聴こえて、どう感じるんだろうか。それをいつか必ず自分の目で見て、耳で聴きたいのだ。
そのコール&しゃもじ拍子で高まりまくった会場全体の熱量がそのまま最後のサビでのメンバーの演奏とACAねの歌唱に乗り移っていく。最後にACAねが思いっきり感情を込めて発した、もはやシャウトと言っていい歌唱は、やはり何度聴いても心の奥底から体全体が震えてしまう。それは生きている上でACAねの声でしか、ずとまよのライブでしか体験することができないものだからだ。その声でもって、さいたまスーパーアリーナを完全に飲み込んでいた。もっと大きな規模で、この声が響く日が来ると思うくらいに。
ACAねがオープニング時に出てきた巨大な壺の中に戻っていったという本編終了時の去り方を見ても、もしかしたらこれでライブが終わりかもしれないとも思っていたのだが、しゃもじ拍子でアンコールを求める観客に応じるかのように薄暗闇の中に再びメンバーが戻ってきているのがわかる。しかしながら客席から視認できるのはステージ中央にいるACAねのみ。スクリーンにも演奏する姿は映らず、ほぼ村山☆潤のピアノとACAねのボーカルのみという形で「Ham」が演奏される。それはこの曲はただただ黙ってこの音と歌唱、歌詞のみに浸っていてくれというように。
そんな「Ham」の余韻から醒めるようにしてACAねは
「5年前、まだライブをやる前に5年後にはさいたまスーパーアリーナでライブをやってたいなって思って。それまで行ったこともなかったんですけど、なんでかたまアリだ、って思って(笑)
その時に見ておこうと思って連れて行ってもらったんですけど、2時間くらい遅刻してしまって。でも今日は遅刻することなくここに来ることができました。みんなも来てくれて本当にありがとうございました」
と、この会場が一つの目標であったことを語る。その場所に遅刻することなく来れたというのは、ただ単にこの日に時間通りに来れたというだけではなく、5年前に思い描いていた場所に5年後にちゃんと辿り着いたという意味でもあったのだろう。あまり場所にこだわりがないように見える人だったけれど、そうしてこの場所への思いを口にしてくれることによって、この日のライブがより一層愛おしいものになった。その目標を達成した場面に居合わせることができたのだから。
そしてACAねがギターを肩にかけると、爪弾いたフレーズによって次に何の曲が演奏されるのかがわかる。それはACAねがそのフレーズを弾きながら歌い始める、実に久しぶりな感覚もある「サターン」であり、サビではACAねを含めて立って演奏するメンバーが揃ってステップを踏みながら演奏する姿を見るのも実に久しぶりだが、その姿が最後の最後にさいたまスーパーアリーナを完全にダンスフロアへと変えてしまっていた。さすがにかつてのように演奏をその場で録音したものを流しながらメンバーが楽器を置いて踊りまくるというようなことにはならなかったけれど、そんな「サターン」では小山やストリングス隊は参加していたけれど、最初はホーン隊は参加しておらずに少し寂しいというか、この日のオールスター感あふれるサウンドを最後にまた体感したかったな、と思っていたら、間奏でステージ下段にホーン隊の3人がしゃもじを振りながら登場してこの日のオールスターメンバーが揃い、それぞれの音を堪能させてくれる。みんな演奏しているようでいて踊っているようでもあるのが本当に我々を楽しい気持ちにしてくれる。
そしてACAねが指揮者のように手を振ると村山☆潤の調子ハズレのピアニカが鳴らされ、それが指揮によって徐々に速くなってからいったん静止してイントロへ、と入っていく「正義」の間奏では安達のベースをはじめとして、スクリーンにそれぞれの名前が映し出されるという形でのソロ回しも行われ、全パートがどんな音を鳴らしているのか、それを鳴らしているのがどんな人なのかというのが、顔はよく見えなくてもわかるメンバー紹介を兼ねたものになっているのだが、ACAねは扇風琴を弾いていたことによって、ボーカルではなく扇風琴奏者として紹介されていたのもまた面白いポイントである。
ずとまよはライブハウスではなくてネットシーンから出てきた存在であるし、ACAねをはじめとしていろんな他のアーティストのライブで見てきたメンバー以外はあんまり顔もハッキリとはわからない。でもそのメンバーたちがみんなただ上手いミュージシャンであるだけではなくて、それぞれ全員全く同じ熱量を持ってずとまよのメンバーとして演奏してくれている。ACAねがやりたいことを完全に理解してくれていて、そのために持てる力を全て注ぎ込みながら、工場員の1人になってくれているというか。
だからずとまよのライブはそれぞれの鳴らしている音も、それが重なり合っているのも本当に凄まじいと思えるし、なんだか聴いていて体が震えてくる。そこには顔はハッキリとはわからなくても、確かに人間の体温というか温もりのようなものが宿っているから。
「踊りまくってー!」
とACAねは曲中にも関わらず叫んでいたが、たまアリのスタンド席は東京ドームくらいに席の間隔が狭い。少し動いただけですぐに隣の人に当たってしまうし、途中でトイレに行くために抜けるのも憚られるくらい。
この日もその演奏の凄まじさによって、踊ろうとはしていなくても体がついつい激しく動いてしまって、隣の人に当たってしまう。それは隣の人も同じように我を忘れるようにして踊りまくっていたから。久しぶりのフルキャパ、一席空いていないたまアリでのずとまよのライブは、声は出せなくてもそんなコロナ禍になる前には当たり前だったたまアリでのライブの光景を思い出させてくれるものになっていた。そんな感慨を最後に全て持っていくのはやはりACAねの言葉にならないような、圧倒的な張り上げる声だった。こうやって、ずっと真夜中でいいのに。の音楽を通して我々は、近づいて遠のいてわかり合ってみたンダ。
演奏が終わると先にメンバーたちがステージから去っていく一方で、ACAねは本編終了時と同じようにステージ最上段まで歩いていくと、今度はベルトコンベアの上に乗って、登場時とは逆方向に流されていった。それはまた明日、ここからACAねがこの場所に生まれてくるということを示唆しているようですらあった。
ACAねがステージから去ると、スクリーンには「特報」として、アニメ映画「雨を告げる漂流団地」の主題歌に新曲「夏枯れ」が起用されることが報じられ、映画の予告映像とともに、曲のMVが1コーラス流れた。最近はアッパーなダンスチューンが多かったMV曲の中では、アゲアゲな夏ではなくて落ち着いた夏の情景が描かれたものになっているというのは、やはり映画の舞台が団地という都会ではない場所であることに合わせたものなのだろうか。
ある意味では「ミラーチューン」とは対極にある曲だな、と思っていたら、さらにスクリーンには
「明日、新ツアー発表」
の文字が。これまではワンマンツアーとCOUNTDOWN JAPAN、フジロックなどの限られたフェスくらいしかなかっただけに、ライブの機会がそんなに多くはなかったずとまよは、今全く止まることなくライブを続けていこうとしている。
それは音楽、曲はもちろん、ライブでもやりたいアイデアが止めどなく溢れ出ているということの現れであるが、だからこそあまりにも凄すぎたこの日を経た翌日のライブがどんなものになるのか、より一層楽しみになったのだった。
1.眩しいDNAだけ
2.ヒューマノイド
3.勘冴えて悔しいわ
4.マイノリティ脈絡
5.ハゼ馳せる果てるまで
6.違う曲にしようよ
7.機械油
8.彷徨い酔い音頭
9.夜中のキスミ
10.MILABO
11.脳裏上のクラッカー
12.Dear Mr「F」
13.正しくなれない
14.お勉強しといてよ
15.ミラーチューン
16.あいつら全員同窓会
17.秒針を噛む
encore
18.Ham
19.サターン
20.正義
ライブハウスでそう思ったからこそ、もうその時点でその規模ははるかに超越していた。すぐにアリーナレベルまで行くな、と思った。実際に直近のホールツアーは全くチケットが取れないという状況だったのだが、ずっと真夜中でいいのに。がついにさいたまスーパーアリーナでワンマンを行う。
初のアリーナでいきなりの2daysの今回のライブは各日でタイトルが違っており、ライブの内容も違うことが示唆されているのだが、会場最寄駅であるさいたま新都心駅からさいたまスーパーアリーナに向かうけやき広場には物販の鮮やかな服を身に纏い、しゃもじを持った人がたくさんいるというのはある種異様な光景である。
制限なし、スタジアムモードでフルキャバのさいたまスーパーアリーナはこんなにも人が入るものなのか、ということに改めて驚きつつ、ステージはなにやらクレーン車のようなものも鎮座しているのだが、やはり開演前は薄暗くてその全貌を把握することはできない。
そんな中、土曜日にこの時間からか、と思ってしまう19時を少し過ぎたあたりで、元から薄暗かった場内はゆっくりと、さらに暗く黒くなっていく。ステージ上には人の影が動いている様子がわかり、メンバーが次々にステージに現れてきているのがわかるのだが、ステージ左右に設置されたスクリーンにステージ上の様子が映ると、Open Reel Ensembleの和田永が、今やずとまよのライブの象徴的なガジェットであるTVドラムを叩いて、始業開始のチャイムの音を鳴らす。それはこの工場の操業開始を告げるものと言えるだろうけれど、ステージ上に組まれた塔のような造形物の上段に組まれたベルトコンベアから炊飯器やら靴やらが巨大な壺のようなものの中に吸い込まれていき、火花が散る中でそれら吸い込まれていったものが融合して出てきたのがACAね(ボーカル)である、というようなオープニングにすでに度肝を抜かれる。ZTMY FACTORYとはつまりACAねを、ずっと真夜中でいいのに。を作っている工場であるかのように。
そのACAねが壺の前に設置された滑り台を滑ってステージ下部まで降りてくると、トラック的なサウンドによる「眩しいDNAだけ」を歌い始めるのだが、ステージ上手にはおなじみの佐々木"コジロー"貴之(ギター)、村山☆潤(キーボード)の2人と、この日はゆずなどのサポートも務める安達貴史がベースとして参加し、下手には河村吉宏のドラムセット、中央でありながらも楽器の特性上、左右に移動する吉田悠と吉田匡のOpen Reel Ensembleというこれまでのずとまよのライブの凄まじさを担ってきた面々に加えて、下手上方にはホーン隊3名とさらにサウンドが増強されている。Open Reel Ensembleの面々がガスマスクみたいなものを装着していることからも明らかであるが、ACAね以外のメンバーは全員工場の作業員という出で立ちである。
抑制されたサウンドによるヒップホップ的な歌唱の
「工場の煙で止まりますのボタン」
というフレーズで始まるこの曲がオープニングというのは今回のこのライブが工場という設定であることに合わせたものだと思われるが、サビになるにつれてACAねの歌唱もバンドのサウンドも熱量を増したものになっていくと、相変わらずスクリーンには顔がはっきり映ることはないACAねが最後のサビ前で
「満たされていたくないだけ」
のフレーズで思いっきり声を張り上げる。そのずとまよでしかない、ACAねでしかない魔法のような声が張り上げられた瞬間に、客席で光るしゃもじペンライトの光も含めて、時間が止まったかのような感覚になった。その一瞬だけで、ずとまよはさいたまスーパーアリーナを完全に支配してしまったのだ。
「ずっと真夜中でいいのに。」
と、曲終わりで挨拶をすると、そのままACAねが呪術的なオリジナル言語を口にしての「ヒューマノイド」でさらにバンドサウンドがアッパーになっていき、特に村山☆潤のキーボードさばきはスクリーンに映るたびに本当に見事だと思う。あらゆるアーティストのサポートをしている人だけれど、ずとまよのキーボードはもはやこの男としか思えないほどに。
そのままアウトロとイントロをシームレスに繋げるようにして「勘冴えて悔しいわ」のドラムのリズムが刻まれるのだが、そうした繋ぎのアレンジも含めてメドレー的な位置の曲ということなのか、演奏はワンコーラスだけというものになっていた。それはこの後にまだまだたくさん曲を演奏するからということでもあるのだろうけれど、やはりフルで聴きたいなとも思う。
和田永が再びTVドラムを叩いてリズムを刻み、そこにオープンリールによる電子音とともにホーン隊のサウンドまでもが絡むという、ライブではおなじみの曲であるのに斬新な形にアップデートされた「マイノリティ脈絡」ではサビになるにつれてそうした様々な楽器の音が重なり合い、爆発しているかのような迫力に変貌していく。特に河村のリズムの手数が明らかに多く、かつ強くなっているのが元から凄まじい爆発力を発揮してきたこの曲を究極形と言っていいくらいに進化させており、ついつい音に反応して体が激しく動いてしまう。それはACAねもそうであったようで、まだ序盤であるにもかかわらずリズムに合わせて激しく飛び跳ねるようにして歌う。その歌がこんなにも強靭なサウンドに全く負けていないどころか、これだけの楽器を凄腕プレイヤーたちが鳴らしているのに、あくまでも中心にはACAねの歌があるというバランスは変わらないのは、サウンドをアップデートするにつれてさらにACAねの歌声もレベルアップを果たしているということに他ならないだろう。
「ちょっと飛ばし過ぎました…」
と少し息を切らしながらもACAねは
「今日はメンバーもスタッフもみんな工場員の格好をしてくれています。精一杯もてなしますので、よろしくお願いします。体調悪かったりしたら曲中でも抜けられるから…」
と、相変わらず歌っている時と同一人物なのかと思うくらいにMCの時のトーンは低いというか、そこもまたこの人は音楽を通すことによって他の人とコミュニケーションを取れる人なんだなと思う部分であるが、
「好きな魚の曲を歌います」
と言ってACAねがギターを弾きながら歌い始めた、もはや初期と言っていい1stアルバム収録の当時のずとまよのど真ん中的なギターロックサウンドの「ハゼ馳せる果てるまで」は実に久しぶりにライブで聴いた曲であるし、「2日間で内容が異なる2days」で前半でこうして初期の曲が続いたということは、初日が初期の曲、2日目が近年の曲というようなセトリの分かれ方をしているんだろうと思ったのだが、その後に最新作「伸び仕草懲りて暇乞い」の1曲目に収録されている「違う曲にしようよ」が演奏されたことによってその予想が実に短絡的なものであったということを思い知らされる。それだけにこの後にどんな曲が演奏されるのか、翌日がどんな内容になるのかが全く予想がつかなくなった。つまりはこちらの予想とは違う曲にしてくれるという楽しみが増したのであるが、この曲からは河村とホーン隊の間の位置に様々なアーティストのサポートだけではなくプロデューサーとしても活躍している神谷洵平のドラムも設置され、まさかのツインドラムに。ましてや河村と神谷のツインドラムなんて、想像上の凄いリズムのライブでしかないようなものを現実で実現させている。
すると上手中断には三味線奏者の小山豊が登場して自己紹介的に三味線を弾くと、ACAねもさらにその上のセットの最上段まで移動し、その三味線の音をヒップホップ的なサウンドに融合させるという、ずとまよならではの音楽的なアイデアが炸裂する「機械油」でACAねの言葉がムーディーなサウンドに乗って次々と放たれていくと、再びステージ最下段まで降りたACAねはしゃもじを取り出して叩いてリズムを刻む。気付けばステージ上のメンバーはみんなしゃもじを叩いており、客席のしゃもじペンライトもより鮮やかに光るのだが、先程までは誰もいなかった上手中段、小山の横にはストリングス隊までも登場し、「彷徨い酔い音頭」のサウンドをさらに豪華に彩っていく。そのこの編成ならではのサウンドが、これまでにライブで聴いてきたこの曲の記憶以上に、少年期の夏祭りの景色を思い起こさせてくれる。コロナ禍とかになって、今ああいう街の夏祭りは行われているのだろうか。まだ少し早い時期だけれど、そんな夏の夜の匂いを確かに感じさせてくれるとともに、間奏ではOpen Reel Ensembleが提供したACAねの新たなガジェットである扇風機を楽器に改造した扇風琴をACAねが弾くだけでも驚きなのだが、その横では和田永も扇風琴を弾いている。まさかこの楽器が量産できるようなものだったとは、ということにも驚いてしまった。
するとACAねは急に、
「私は猫を飼ってるんですけど、その猫の名前が真生姜ストリングスっていう名前で(わざわざ漢字でどう書くかを説明する)、最近夜中によくやるルーティンがあって。それを撮ったので見てください」
と言うと、突如としてスクリーンにはACAねの愛猫であるショガストこと真生姜ストリングスがベッドの上で自身の体をペロペロ舐め、撮影されているのに気付いて素に戻る演奏が映し出される。
確かに可愛いけれど、我々は一体何を見せられているのだろうか、と思いつつも、これはもしかしたら「猫リセット」の曲フリでもあるんじゃないか?とも思っていたのだが、実際に演奏されたのは全然猫に関係ない、美しいメロディに酔いしれるようなミドルテンポの「夜中のキスミ」であったため、より一層この映像がなんだったのかがわからなくなってしまった。猫へのネーミングセンスといい、とにかくACAねは音楽だけではなく日常生活も含めて全方位的にぶっ飛んでいる発想の持ち主であるということだけはよくわかったのであるが。
すると村山☆潤の美しいピアノのイントロに導かれるようにしてステージ上方にはミラーボールが現れて場内を輝かせる。もちろん演奏されたのは「MILABO」であるのだが、ストリングス隊も含めた大編成による生演奏のサウンドはやはりこれまでよりもさらに迫力を増しているだけに、過去最高に体が自然と踊り出してしまう。ACAねはサビでしゃもじを左右に振りながら歌うのだが、観客もその動きに合わせてしゃもじを振りながら踊りまくっている。ネットシーンという出自であり、何度ライブに行っても未だにACAねの顔はちゃんと見えていないけれど、ずとまよのライブは実にフィジカルに楽しい。もちろんフィジカルだけでなくてメンタル的にも。
するとACAねは再びギターを持ち、それを弾きながら「脳裏上のクラッカー」を歌い始める。ステージセット中断には吉田悠と吉田匡がそれぞれ緑と赤に発光するオープンリールを持ってステージを動き回り、それがそのままこの曲の効果音になっていくというのがオープンリールという楽器の視覚的にも面白い部分であるが、サビでの2人のフォーメーションの完璧さが、最後のACAねの思いっきり張り上げる歌詞にない歌唱によってさらに見事なものに見えて来る。映像ではなくてあくまで目の前にいる人の動きと演奏が最高の演出になっているというのは目に見えるものであるが、ACAねのその張り上げた声のどうしようもないくらいに聴き手の感情を鷲掴みにして揺らしてくるような感覚。
「目に見えるものが全てって思いたいのに」
と歌っているが、自分もそう思っている。目に見えないものなんて実態がないから信用できないとも。でもACAねの声もずとまよの音楽も、鳴らしている、発しているものは目に見えない。目に見えるものが全てではないということを突きつけられてしまうかのように、今目の前で鳴らされている音が凄まじ過ぎるのだ。
するとACAねに促されて観客は一旦ここで客席に着席すると、ACAねは最初からあったっけ?と思うくらいに存在に気付いていなかった、ステージ中段の下手にある電話ボックスの中に入り、受話器を手に取って観客に語りかけるように
「昔から輪の中に入るのが苦手で。仲良くしたいなと思ってるのになかなかそうは出来なくて…」
と話したのだが、確か「潜潜話」リリースツアーの際にもACAねはこうした話をしていた。その時は自身が
「みんなで会話していても急に鼻歌を歌い出したりしちゃって、変なやつって思われたりして…」
という存在だったことを話していたのだが、その話を聞いて自分はACAねの歌の凄まじさの理由がわかった気がした。それは生きていることと歌うことがイコールで結ばれているくらいに、この人は歌うという行為を通して人と繋がろうとしている人だと思ったからだ。上手く喋れないのも、人の輪の中に入れないのも、それよりも歌によって人に感情や気持ちを伝えることができる人なのだと。
ダイヤル式の公衆電話に硬貨を投入してダイヤルを回すと、そう思った時と同じように「Dear Mr「F」」を、でも電話ボックスの中というあの時とは全く違うシチュエーションで歌う。最初はACAねのボーカルと村山☆潤のピアノだけだったのが、徐々にギターやベース、ドラムという音が加わっていくのだが、それでもステージに光が当たるのはACAねのみ。それくらいにACAねの私的な曲だということだろうが、客席から姿が見えないくらいに暗い中でメンバーはどうやって演奏していたのだろうか。
そのまま観客は座ったまま、ACAねはステージ下段の定位置に戻ってきて、ストリングス隊も含めて今度は演奏者たちに光が当てられる中で「正しくなれない」を歌い始めるのだが、先程のMCからの「Dear Mr「F」」に続いてこの曲が演奏されることによって、正しい人になることができないACAねの心情を吐露しているようにも聞こえてくる。でも正しくなれなかった人だからこそ、我々の心に突き刺さるような歌を歌えているんだと思う。そのACAねの正しくなさに救われている人だってたくさんいる。これまでは村山☆潤のシンセやオープンリールが担っていたストリングスのサウンドが実際のストリングスで鳴らされることによって正しい美しさを発揮していたこの曲を座って聴いていたらそんなことを思っていた。
ここまでの2曲を座って聴いていた観客たちを立ち上がらせたのは和田永によるTVドラムの画面に「強」の文字が浮かび上がって始まった「お勉強しといてよ」であるが、この曲ではスクリーンに映し出されるメンバーの演奏する姿にエフェクトがかけられるという演出になっており、ステージから遠い席の人でもより楽しめるようになっているのだが、近年のずとまよのシグネチャーサウンドというようなファンキーなポップサウンドがストリングス隊とホーン隊という今のずとまよオールスターズ的な編成によってより肉体的に増強されている。
そしてこのライブの直前に公開された新曲「ミラーチューン」もスクリーンにエフェクトをかけて披露されるのだが、そのエフェクトに出てくる文字も効果音的な同期の音も含めて、ずとまよの原宿ポップというか、サウンドは全然違えど世界観からは初期のきゃりーぱみゅぱみゅを想起させるような曲なのだが、最後にACAねが張り上げる声も「眩しいDNAだけ」や「脳裏上のクラッカー」でのものとは違う、どこか可愛らしさを感じるようなものになっており、そこに少しクスッとしてしまうとともに、ACAねの表現力のさらなる向上っぷりに改めて驚いてしまう。こんな歌い方もできるのかと。
そんなACAねはこのライブのテーマが
「感情を解放すること」
であると明かし、それは普段は買い物とかしても店員に何て言ってるのか伝わらなかったりする自身が感情を最大限に解放できるのがこうしたライブのステージであるということを語ると同時に、
「直接的に「頑張れ」って歌うことはできないけれど…そういう思いを持って曲を作って歌っている姿をこれからも見届けてもらえたらと思います」
と、どういう思いで音楽を作り、歌っているかということを自身の口からしっかりと語る。そのあまりに独特な言語感覚による歌詞であるだけに、ここにいる人はACAねが直接的な「頑張れ」的なことを歌えないのはわかっているし、そうした曲を求めてもいないだろう。でもACAねだけの言葉で歌い、そこからそうした思いを感じ取りたいのだ。きっとここにいる人たちは「頑張れ」とは言われなくても、ずとまよの音楽を聴いて、ライブに来ることによって日々を頑張る力を得ることができている。そんな人がこんなにもたくさんいる。ACAねの思いはきっと伝わっているはずだ。
そんな言葉の後に演奏されたのは昨年末に先行配信され、すでにずとまよの新たな代表曲になっている「あいつら全員同窓会」で、この日のライブメンバー勢揃いというまさに全員同窓会な豪華なサウンドで演奏されるのだが、特に音源でも象徴的に使われていたストリングスの音がこの曲をライブでの完成形的に迫力を引き上げると、サビではしゃもじを持ったACAねがリズムに合わせて観客をジャンプさせる。その際にACAねも
「ジャンプ」
とこっそり言いながらジャンプさせるのも面白いし、ストリングスやドラムという座っている楽器以外のメンバーも一緒にジャンプするのもより面白いし楽しい。この楽しいと思える感覚と、それを最大限に感じさせてくれるサウンドの凄まじさがまたこうしてシャイな空騒ぎをみんなでしたいと思わせてくれる。それはつまり「頑張れ」とは直接言わなくても我々に頑張ろうと思わせてくれているということだ。
「誰かを けなして自分は真っ当
前後を削った一言だけを
集団攻撃 小さな誤解が命取り
あんたは僕の何なんだ
そんなやつに心引き裂かれたんだ
想像は想像でしかないし
粘り強いけれど打たれ弱いし
心臓を競走する前に」
というACAねの早口ボーカルによる歌詞にある通りに心ないような実態のない声に負けないように。
そして村山☆潤の美しいピアノのメロディによってイントロが鳴らされ、ACAねのギターカッティングが続く、ずとまよの登場を知らしめた「秒針を噛む」が最後の曲として鳴らされる。もちろんこの日のオールスターバージョンでの演奏となるのだが、間奏ではコロナ禍だからこそのコール&しゃもじ拍子も行われ、さいたまスーパーアリーナの規模だからこそ、ステージから見て左側、中央、右側と分けてしゃもじ拍子をさせるという光景に、ついにこの曲がここまで来たんだな…と感慨を感じずにはいられないが、もしコロナ禍じゃなかったらかつてのようにコール&レスポンスをしていただろうと思う。しゃもじ拍子があまりにずとまよのライブらしく定着したことによって違和感が全くなくなっているが、この曲をこの規模、この人数で大合唱したらどんな風に聴こえて、どう感じるんだろうか。それをいつか必ず自分の目で見て、耳で聴きたいのだ。
そのコール&しゃもじ拍子で高まりまくった会場全体の熱量がそのまま最後のサビでのメンバーの演奏とACAねの歌唱に乗り移っていく。最後にACAねが思いっきり感情を込めて発した、もはやシャウトと言っていい歌唱は、やはり何度聴いても心の奥底から体全体が震えてしまう。それは生きている上でACAねの声でしか、ずとまよのライブでしか体験することができないものだからだ。その声でもって、さいたまスーパーアリーナを完全に飲み込んでいた。もっと大きな規模で、この声が響く日が来ると思うくらいに。
ACAねがオープニング時に出てきた巨大な壺の中に戻っていったという本編終了時の去り方を見ても、もしかしたらこれでライブが終わりかもしれないとも思っていたのだが、しゃもじ拍子でアンコールを求める観客に応じるかのように薄暗闇の中に再びメンバーが戻ってきているのがわかる。しかしながら客席から視認できるのはステージ中央にいるACAねのみ。スクリーンにも演奏する姿は映らず、ほぼ村山☆潤のピアノとACAねのボーカルのみという形で「Ham」が演奏される。それはこの曲はただただ黙ってこの音と歌唱、歌詞のみに浸っていてくれというように。
そんな「Ham」の余韻から醒めるようにしてACAねは
「5年前、まだライブをやる前に5年後にはさいたまスーパーアリーナでライブをやってたいなって思って。それまで行ったこともなかったんですけど、なんでかたまアリだ、って思って(笑)
その時に見ておこうと思って連れて行ってもらったんですけど、2時間くらい遅刻してしまって。でも今日は遅刻することなくここに来ることができました。みんなも来てくれて本当にありがとうございました」
と、この会場が一つの目標であったことを語る。その場所に遅刻することなく来れたというのは、ただ単にこの日に時間通りに来れたというだけではなく、5年前に思い描いていた場所に5年後にちゃんと辿り着いたという意味でもあったのだろう。あまり場所にこだわりがないように見える人だったけれど、そうしてこの場所への思いを口にしてくれることによって、この日のライブがより一層愛おしいものになった。その目標を達成した場面に居合わせることができたのだから。
そしてACAねがギターを肩にかけると、爪弾いたフレーズによって次に何の曲が演奏されるのかがわかる。それはACAねがそのフレーズを弾きながら歌い始める、実に久しぶりな感覚もある「サターン」であり、サビではACAねを含めて立って演奏するメンバーが揃ってステップを踏みながら演奏する姿を見るのも実に久しぶりだが、その姿が最後の最後にさいたまスーパーアリーナを完全にダンスフロアへと変えてしまっていた。さすがにかつてのように演奏をその場で録音したものを流しながらメンバーが楽器を置いて踊りまくるというようなことにはならなかったけれど、そんな「サターン」では小山やストリングス隊は参加していたけれど、最初はホーン隊は参加しておらずに少し寂しいというか、この日のオールスター感あふれるサウンドを最後にまた体感したかったな、と思っていたら、間奏でステージ下段にホーン隊の3人がしゃもじを振りながら登場してこの日のオールスターメンバーが揃い、それぞれの音を堪能させてくれる。みんな演奏しているようでいて踊っているようでもあるのが本当に我々を楽しい気持ちにしてくれる。
そしてACAねが指揮者のように手を振ると村山☆潤の調子ハズレのピアニカが鳴らされ、それが指揮によって徐々に速くなってからいったん静止してイントロへ、と入っていく「正義」の間奏では安達のベースをはじめとして、スクリーンにそれぞれの名前が映し出されるという形でのソロ回しも行われ、全パートがどんな音を鳴らしているのか、それを鳴らしているのがどんな人なのかというのが、顔はよく見えなくてもわかるメンバー紹介を兼ねたものになっているのだが、ACAねは扇風琴を弾いていたことによって、ボーカルではなく扇風琴奏者として紹介されていたのもまた面白いポイントである。
ずとまよはライブハウスではなくてネットシーンから出てきた存在であるし、ACAねをはじめとしていろんな他のアーティストのライブで見てきたメンバー以外はあんまり顔もハッキリとはわからない。でもそのメンバーたちがみんなただ上手いミュージシャンであるだけではなくて、それぞれ全員全く同じ熱量を持ってずとまよのメンバーとして演奏してくれている。ACAねがやりたいことを完全に理解してくれていて、そのために持てる力を全て注ぎ込みながら、工場員の1人になってくれているというか。
だからずとまよのライブはそれぞれの鳴らしている音も、それが重なり合っているのも本当に凄まじいと思えるし、なんだか聴いていて体が震えてくる。そこには顔はハッキリとはわからなくても、確かに人間の体温というか温もりのようなものが宿っているから。
「踊りまくってー!」
とACAねは曲中にも関わらず叫んでいたが、たまアリのスタンド席は東京ドームくらいに席の間隔が狭い。少し動いただけですぐに隣の人に当たってしまうし、途中でトイレに行くために抜けるのも憚られるくらい。
この日もその演奏の凄まじさによって、踊ろうとはしていなくても体がついつい激しく動いてしまって、隣の人に当たってしまう。それは隣の人も同じように我を忘れるようにして踊りまくっていたから。久しぶりのフルキャパ、一席空いていないたまアリでのずとまよのライブは、声は出せなくてもそんなコロナ禍になる前には当たり前だったたまアリでのライブの光景を思い出させてくれるものになっていた。そんな感慨を最後に全て持っていくのはやはりACAねの言葉にならないような、圧倒的な張り上げる声だった。こうやって、ずっと真夜中でいいのに。の音楽を通して我々は、近づいて遠のいてわかり合ってみたンダ。
演奏が終わると先にメンバーたちがステージから去っていく一方で、ACAねは本編終了時と同じようにステージ最上段まで歩いていくと、今度はベルトコンベアの上に乗って、登場時とは逆方向に流されていった。それはまた明日、ここからACAねがこの場所に生まれてくるということを示唆しているようですらあった。
ACAねがステージから去ると、スクリーンには「特報」として、アニメ映画「雨を告げる漂流団地」の主題歌に新曲「夏枯れ」が起用されることが報じられ、映画の予告映像とともに、曲のMVが1コーラス流れた。最近はアッパーなダンスチューンが多かったMV曲の中では、アゲアゲな夏ではなくて落ち着いた夏の情景が描かれたものになっているというのは、やはり映画の舞台が団地という都会ではない場所であることに合わせたものなのだろうか。
ある意味では「ミラーチューン」とは対極にある曲だな、と思っていたら、さらにスクリーンには
「明日、新ツアー発表」
の文字が。これまではワンマンツアーとCOUNTDOWN JAPAN、フジロックなどの限られたフェスくらいしかなかっただけに、ライブの機会がそんなに多くはなかったずとまよは、今全く止まることなくライブを続けていこうとしている。
それは音楽、曲はもちろん、ライブでもやりたいアイデアが止めどなく溢れ出ているということの現れであるが、だからこそあまりにも凄すぎたこの日を経た翌日のライブがどんなものになるのか、より一層楽しみになったのだった。
1.眩しいDNAだけ
2.ヒューマノイド
3.勘冴えて悔しいわ
4.マイノリティ脈絡
5.ハゼ馳せる果てるまで
6.違う曲にしようよ
7.機械油
8.彷徨い酔い音頭
9.夜中のキスミ
10.MILABO
11.脳裏上のクラッカー
12.Dear Mr「F」
13.正しくなれない
14.お勉強しといてよ
15.ミラーチューン
16.あいつら全員同窓会
17.秒針を噛む
encore
18.Ham
19.サターン
20.正義
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